大学時代のサッカー仲間から電話がありました。試合中に思わず放ってしまったスライディングタックルにより左股関節を痛め、病院での診察(X線検査)の結果“股関節捻挫”と診断されたとのことでした。
最初に思ったことは「股関節捻挫って何だろう?」ということです。これは足首の捻挫であれば外側の靭帯(前距腓靱帯)、膝の捻挫であれば側副靭帯や十字靭帯など、まず思い浮かぶのは“靭帯”だったため股関節捻挫と聞いて「股関節の靭帯ってどこ?」ということを考えてしまいました。なお、この“捻挫”に対する認識自体が正しくなかったということは後になって分かりました。
本題からは少し外れますが、ご参考までに股関節の靭帯をご紹介します。
靭帯の癒合分のうち、前側の腸骨大腿靭帯と恥骨大腿靭帯の癒合部は脆弱部とされています。
画像出展:「からだの構造と機能Ⅱ」
画像出展:「からだの構造と機能Ⅱ」
そして、捻挫の定義については、「日本整形外科学会」に書かれているものをご紹介します。
『関節に力が加わっておこるケガのうち、骨折や脱臼を除いたもの、つまりX線(レントゲン)で異常がない関節のケガは捻挫という診断になります。したがって捻挫とはX線でうつらない部分のケガ、ということになります。具体的には靭帯や腱というような軟部組織といわれるものや、軟骨(骨の表面を覆う関節軟骨、間隙にはさまっているクッションである半月板や関節唇といわれる部分)のケガです。』
施術について
1.有効性
股関節捻挫とはいえ、損傷した股関節周辺の筋肉(内転筋など)に緊張や硬結が発生し、それによる筋肉由来の痛みも含まれているだろうと考え、鍼治療は痛みの軽減に有効であると判断しました。
2.施術理由(患者さま)
病院での診断後、約2週間経っても痛みの改善がほとんどみられず、歩くのもつらい。
3.施術内容(標治)
恥骨筋を中心に内転筋群への集中刺鍼。
4.施術経過
3月に2回、4月に1回。4月に来院されたときは、「ジョギングはできるようになった」とのことでした。そして、約1か月半後の5月後半の来院時には、少し気になるもののサッカーの試合には出ているという状況でした。
5.新たな痛み
ほぼ完治となったものの、新たな痛みが出ていました。それは仰向けの姿勢から上体を起こそうとすると(股関節屈曲)、患部付近に強く鋭い痛みが発生するというものでした。
「これは何だろう?」と不思議に思い、できる限りの手段を使って調べた結果、2つの可能性にたどり着きました。
①腸腰筋インピンジメント
股関節の関節包の前方にある腸腰筋(腸骨筋+大腰筋)に肥厚や炎症があると、引っかかり感や詰まる感じがするというものです。計4回の施術では、初回に上前腸骨棘近位の腸骨筋への刺鍼は行ったものの、鼠径部を通過する大腰筋への刺鍼は行っていなかったため、この可能性はあると思いました。
脊柱から起始しているのが大腰筋、腸骨から起始しているのが腸骨筋、2つの筋肉はいずれも大腿骨の小転子という箇所に停止(付着)しています。図の中央付近を見ると、大腿神経がこの両筋の間を走行し鼠径靭帯の下を通過しています。痛みの発生という点ではこの付近の構造は気になるポイントです。なお、2つの筋肉を合わせて腸腰筋とよばれています。
画像出展:「人体の正常構造と機能」
こちらの図は大腿を前面から見た筋群です。右側(内側)が内転筋群になります。この筋群の中で鼠径靭帯の下を通過しているのは恥骨筋です。また、上の図でご説明した腸骨筋、大腰筋の筋名は書かれていませんが、鼠径靭帯の下を通り、大腿神経を挟んでいる筋肉が大腰筋(内側)と腸骨筋(外側)で間違いありません。なお、恥骨筋の外側の青で書かれた管が大腿静脈、その外側に隣接している赤の管が大腿動脈で、大腰筋は腸恥筋膜弓を挟んで大腿動脈に隣接して走行しています。
画像出展:「人体の正常構造と機能」
②股関節唇損傷
先ほどご紹介した日本整形外科学会の定義でいえば、関節唇は軟部組織なので股関節唇損傷は股関節捻挫といっても問題ないと思います。
聖路加国際病院さま
『股関節唇は、骨盤側の寛骨臼の辺縁を取り巻く柔らかい線維軟骨組織で、リング状のゴムパッキンのように大腿骨頭を包み込んでいる部分です。大腿骨頭を安定化させ、衝撃吸収の役割を担っています。 関節唇には神経が存在し、損傷を受けると痛みを生じることがあります。 関節唇損傷を生じると骨頭が安定しなくなり、次第に軟骨が破壊され、変形性股関節症へ移行すると考えられています。』
画像出展:「聖路加国際病院」
ここで、これらについてもっと詳しく知りたいと思い、“股関節捻挫”で検索してみたのですが、特に病院、医師が用いているものはほとんどなく、最初に見つかったのは32年前の論文の中に書かれているものでした。
“股関節痛を主訴とする若年者の股関節鏡所見”(PDF5枚)
これは小倉記念病院整形外科さまによる、1987年の「整形外科と災害外科」に掲載された論文です。
『X線像で異常を認めない若年者の原因不明の股関節痛はしばしば認められる。その多くは股関節捻挫などとして保存的に治療され軽快治癒し、疼痛の原因が不明のままに終わ っている。今回、われわれは原因不明の股関節痛を主訴とする若年者9例に対して股関節鏡を施行し、6例において関節唇 の断裂を認めた。また1例において粟粒大の多数の軟骨様遊離体を認め、synovial chondromatosisの診断を得た。このように、原因不明の股関節痛に対して股関節鏡は有力な診断手段であると思われるので報告する。』
一方、この検索中に股関節の痛みを特集した興味深い2冊の雑誌を見つけました。これらはいずれも『月刊スポーツメディスン』のバックナンバーで、嬉しいことにクリアランスセールのおかげで半額となっていました。
2012年2・3月合併号
特集 股関節の痛み 鼠径部周辺部痛、FAI、関節唇損傷、その他の痛みへのアプローチ
1 股関節唇損傷の鑑別診断
2 股関節鏡手術――FAIと関節唇損傷
3 股関節疾患のリハビリテーション――股関節唇損傷の股関節鏡手術のリハビリとともに
4 スポーツ選手の鼠径周辺部痛(Groin pain)へのアプローチ
5 股関節へのアプローチ――スピードスケートの場合
6 股関節のレッスン――フェルデンクライスメソッドのアプローチ
※バックナンバー(発行元)
ブログでは2冊の中から、“鼠径部痛症候群”と“関節唇損傷”に関わるもので、図や写真を使って説明されている箇所の一部をご紹介したいと思います。
2012年2・3月合併号
●股関節唇損傷の鑑別診断
橋本祐介・大阪市立大学大学院医学研究科整形外科学教室 講師
広義と狭義の鼠径部痛症候群
橋本:われわれはスポーツ選手を多数診ていますが、スポーツにおける股関節痛について、鼠径部の周りが痛い場合、「広義の鼠径部痛症候群(Groin pain syndrome)」と呼びます。そこで何が痛いのかを鑑別する必要があります。これに対して、図1に示したように、たとえば骨折があるとか、ヘルニアがあるというような器質的疾患はなく、原因ははっきりしないが鼠径部痛があるものを「狭義の鼠径部痛症候群」と呼んでいます。
画像出展:「月刊スポーツメディスン2012年2・3月合併号」
つまり股関節痛については、関節内か関節外か、関節外であれば筋肉か腱か骨か、腰ヘルニアか、あるいは内臓系(尿路感染症、スポーツヘルニアなど)かなど、何が原因で痛いのかを鑑別する必要があります。これを一覧にしたのが図2です。
画像出展:「月刊スポーツメディスン2012年2・3月合併号」
整形外科的には疲労骨折もありますし、弾発股、あるいは恥骨結合炎、軟骨損傷、筋損傷などもあり、内科系では尿路系疾患、悪性腫瘍などの場合もあります。こうしたものが鑑別の対象となります。
実際にはレントゲン写真やMRIを撮影したり、関節造影を行うなどさまざまな検査が行われますが、それらの検査でも原因がわからないものが狭義の鼠径部痛症候群ということになります。
●股関節鏡手術 ―FAIと関節唇損傷
内田宗志・産業医科大学若松病院整形外科
股関節鏡との出会い
―そもそも股関節にはいつから?
内田:もともとは、膝、肩、肘の関節鏡下手術が専門だったのですが、患者さんで股関節疾患で困っている人も受診されますし、1990年代半ばからサッカー選手でgroin pain syndromeが問題になり、保存療法のほうがよいと、仁賀定雄先生はじめいろいろな先生がトレーニング方法とともに発表されていました。そういう患者さんのなかで、groin painとはちょっと違って、引っかかるというような訴えをする人がいたのです。それで困っていらっしゃるのに、これという方法がなかったのです。まだその当時は股関節鏡が発展していませんでした。当時股関節の痛みを訴えていた剣道をしている女の子に出会いました。臼蓋形成不全、そして今から思えば股関節唇損傷があった。剣道を続けたいということで、遠方から私の外来を受診されたのですが、当時私には今の技術がなく、何もできなかった。すると、目の前で泣かれてしまったのです。それがトラウマになっていました。それから一時臨床から離れてカナダに研究に行きました。カナダから帰国して再び臨床を始めました。ちょうどそのころアメリカで股関節鏡が非常に発達してきていたので、アメリカに研修に行くことにしました。Steadman Hawkins Clinicというところで、そこでは股関節鏡手術を盛んに行っていて、関節唇をしっかり温存して、FAI(femoroacetabular impingement、股関節インピンジメント、図1)といって大腿骨頭が寛骨臼に衝突して関節唇が損傷する病態なのですが、それに対してきれいに骨を削って関節唇を縫合するのを関節鏡で行っていました。当時日本では関節鏡ではなくオープンで行っていた手術です。その関節鏡手術をみて、これは筋肉も傷めないし、侵襲が少なく患者さんにはよい治療法だと思い、私も取り組み始めました。
画像出展:「月刊スポーツメディスン2012年2・3月合併号」
日本は臼蓋形成不全が多い、FAIは少ない?
―ということは、アメリカではFAIが多い?
内田:そうです。当時、2008年は、FAIはアメリカでは多いのに対し、日本ではほとんどないと考えられていました。今でも、FAI、つまり股関節インピンジメントはあまりなく、臼蓋形成不全の人がほとんどだと言われています。臼蓋形成不全の人に対しては従来行われているのは、筋肉をはがして、回転骨切りをして荷重面を上げるという手術がなされています。しかし、それでは侵襲が大きくスポーツに復帰できないことが多い。
―臼蓋形成不全は日本に多く、FAIは少ない?
内田:そう考えられています。しかし、私が2009年から2011年まで股関節鏡の手術を230例施行しましたが、そのうち臼蓋形成不全は60例くらいですが、FAIは151例でした。FAIは日本でもこれまで考えられていたよりは多いと考えています(図2)。ちなみに臼蓋形成不全は欧米に比べて圧倒的に多いです。
画像出展:「月刊スポーツメディスン2012年2・3月合併号」
FAIが疑われる症状
―FAIが疑われる症状は?
内田:股関節の前面から横にかけての痛みです。股関節唇損傷の80~90%の患者さんは股関節前面に痛みを訴えます。どこが痛いですかと聞くと、「Cサイン」といって、手で「C」の形にして「この辺が痛い」と言います(図3)。
画像出展:「月刊スポーツメディスン2012年2・3月合併号」
つまり、股関節前面と横を同時に押さえるわけです。Groin pain syndromeと異なるのは、リハビリで筋スパズムを取っても明らかな可動域制限が残ります。また可動域終末で疼痛が誘発されます。
―可動域制限は屈曲で?
内田:屈曲、外旋、内旋、外転、内転で優位差があります。
―伸展は?
内田:伸展についてはあまり言われていません。FAIでは、anterior impingement test(図4)とposterior impingement testで痛みと引っかかり感を訴えます。FAIの90%以上が陽性になります。
画像出展:「月刊スポーツメディスン2012年2・3月合併号」
何が“前(anterior)”で何が“後(posterior)”なのかピンときませんが、右側のイラストがposterior impingement testだと思います。
画像出展:「Plastic Surgery Key」
―股関節の前が詰まるという訴えをする選手がけっこういますが、それは直接関係しない?
内田:そういう例も含まれていることがあります。ただ、股関節の中だと思っていても、股関節の関節包の前方に腸腰筋がありますが、そこに肥厚や炎症があると、同じようなclickがあり、詰まる感じがします。それとは鑑別する必要があります。
―筋に由来しているものは筋にアプローチすると改善する。
内田:しっかりリハビリすると反応はいいですね。
―それで効果が得られないと、FAIも考えなくてはならない。
内田:そうです。最初股関節痛があって、関節の中かなと思っていても、腸腰筋のインピンジメントという可能性もあるので、最低1カ月半くらいは保存療法でリハビリをやりつつ様子をみて、それで3カ月以上みて反応しない症例については、手術を視野に入れて検査を進めていきます。
2014年1月号
●鼠径部痛症候群:治療の変遷と展望を語る
仁賀定雄・JIN 整形外科スポーツクリニック院長
鼠径部痛症候群の定義
『2001年以降は、明らかな器質的疾患が見出せない鼠径周辺部痛については、鼠径部痛症候群と診断し、保存的に治療しています。恥骨結合炎という考え方もスポーツヘルニアという考え方もしていません。超音波検査もヘルニア造影検査もしていません。検証した結果痛みの原因であるという証拠は示されなかったからです。
鼠径部痛症候群の定義は「股関節周辺の痛みの原因となる器質的疾患がなく、体幹~下肢の可動性・安定性・協調性に問題を生じた結果、骨盤周辺の機能不全に陥り、運動時に鼠径部周辺に痛みを起こす疾患」です。つまり剥離骨折、疲労骨折、肉離れ、真正鼠径ヘルニアなどの器質的疾患がない場合の多くは、機能的問題を見出すことができる機能的障害と考えています。たとえば、野球の投手が足関節や膝をケガして、もし下半身を使わないで投げたら、肩や肘に痛みが生じます。それは肩・肘は結果的に痛みが出たりケガしているかもしれないけれど、肩・肘に原因があるのではなく、肩・肘だけを診ても治らない。原因となっている足関節や膝などを治さなければいけない。上半身と下半身の連動性ということです。
私が病院(川口工業総合病院)勤務していたときに受診された鼠径周辺部痛症例(1994~2008)では、図8に示したとおり、サッカーが多く70%で、うちプロサッカー選手が98例でした。
画像出展:「月刊スポーツメディスン2014年1月号」
鼠径周辺部痛の鑑別診断は、徐々に器質的疾患の診断率が高くなってきています。図9右側2003~2011年のデータですが、とくに股関節インピンジメント(FAIまたは関節唇損傷)の概念が示されてからその診断が増えています。現在は、股関節インピンジメントの概念を含めても器質的疾患が発見される確率は約5割です。現在でも器質的疾患が見出されない鼠径周辺部痛はほぼ5割あります。将来はもっと器質的疾患の診断率が向上するかもしれません。』
画像出展:「月刊スポーツメディスン2014年1月号」
器質的疾患が認められない例をどうするか
『図15は、先ほど図8で挙げた鼠径周辺部痛(groin pain)614例中診断のつかない鼠径周辺部痛症例511例の自発部位を示したものです。
画像出展:「月刊スポーツメディスン2014年1月号」
下腹部、大腿直筋近位部、坐骨、鼠径部などさまざまな部位に痛みを訴えていました。では、右と左ではどうかというと、右のみが36%、左のみが27%、両側例が37%でした。しかし、両側を同時に3分の1の例が何かケガをしたかというと、それは考えにくい。これは、私が機能的問題であると考える根拠のひとつです。
私が考えている鼠径部痛症候群は、器質的疾患がなく、機能不全に陥っているものです。機能不全を具体的に言うと、体幹から下肢の「可動性・安定性・協調性」、可動性というのはたとえば柔軟性、安定性は筋力、協調性は連動性ともいうことができます。これのどこかに狂いが生じて痛みが生じる。先ほどの野球の投手のように、膝を傷めて肩が痛くなるということがあります。肩の先生はかならず下肢も診ます。同様に、鼠径部痛症候群では、股関節だけでなく体幹から下肢の機能不全を評価して改善する。その手段がアスレティックリハビリテーションです。』
画像出展:「月刊スポーツメディスン2014年1月号」
『この図16はサッカーのキックですが、良好なキックを行うためには、体幹の軸がしっかりしていて、そのためには軸足側の股関節外転筋力が十分あり、キックする足と反対側の肩甲帯とキックする下肢が体幹、骨盤を介して連動している必要があります。この連動性のどこかが崩れてプレーしていると、鼠径部周辺に痛みを生じることになります。横からみると、骨盤が垂直に回転する。手でリードして、骨盤が回ります。この手のリードがなくなるだけでも、鼠径部痛症候群が発生する可能性があります。上から見ると、両肩を結んだ線と骨盤の線とはクロスして回転します。この一連の連動した動きのなかでキックが行われています。もし、この連動性を妨げるなんらかの要因があると、その動作を繰り返すことで破綻をきたし、機能不全になります。機能不全を生じてプレーしていてもすぐに痛みは出ません。しばらくプレーをしていて後で痛みが出るようになります。したがって、機能不全を起こす誘因が起こり、そのままプレーしていると機能不全を生じ、さらにプレーしていると痛みを発生します。野球選手なら肩・肘、サッカー選手なら股関節の付け根に痛みが生じる。これは私の仮説です。』
付記:JIN 整形外科スポーツクリニック
こちらが「月刊スポーツメディスン2014年1月号」の “話題の最前線:アスリートから高齢者まで、高度な診断・治療を可能にする環境を実現” で紹介されていた写真です。「まるで倉庫のようで全然病院らしくないなぁ?」と思ったところ、その理由は次の写真で納得しました。
なんと、フットサルコートを兼ね備えていました。よく見ると、高齢者のウォーキングにも利用されているとのことです。
画像出展:「月刊スポーツメディスン2014年1月号」
ホームページはこちらです。