アナット・バニエル・メソッド2(症例)

本の中には1歳から13歳までの19人の症例が出ていました。抱えている障害は重度の脳性まひ脳の損傷によるもの自閉症スペクトラムADHD(注意欠陥・多動性障害)LD(学習障害)診断のつかない発達遅れなどです。

今回のブログではこの中から3人の症例をご紹介させて頂きます。なお、[ ]内は私の方で追記したものです。

限界を超える子どもたち
限界を超える子どもたち

著者:アナット・バニエル

発行:太郎次郎社エディタス

発行:2018年8月

1.カシー 3歳女児 重度の脳性まひ(誕生時に脳を損傷)

両脚がくっついて離れないカシー

『カシーと出会ったのは、彼女が三歳のときでした。カシーは誕生時に脳を損傷し、重度の脳性まひがありました。両腕、両脚、お腹の筋肉が極端に硬く、痙縮がみられ、自発的な動きはほとんどありません。自分で動こうとすると、全身がさらに硬直します。

両親がカシーをレッスン台(マッサージ台のような幅広でクッション性のある安定した台)の上に座らせると、背中はすっかり丸まり、両腕は、胴体にきつくひきよせられました。ぴったりくっついた両脚は、前に向かってぴんと伸びています。カシーは転げ落ちないように必死で、どうみても怖がっていました。

数か月間にわたって定期的に「9つの大事なこと」を使ったレッスンを続けたところ、カシーは腰と両腕を自分で動かせるようになり、バランスを保ちながら怖がらずに座れるようになりました。話し方も考える力も向上し、おきまりの文をくり返し唱えるかわりに、自分の考えをまとめ、要求をはっきりと伝えるようになりました。

ところが、ひとつだけ、どのように取り組んでみても変わらないことがありました。まるで目に見えない紐で縛られているかのように、つねに両脚がぴったりとくっついていたのです。私がとてもゆっくり、やさしく動かすと、左右の脚は離れてべつべつに動くのですが、カシーが自分から脚を動かそうとしたり、自分で動かす方向を変えようとすると、そのとたんに痙縮します。身体の動かし方を学んで全身を自由に動かせるようになってきたのに、なぜか脚だけが動かないのです。

ある日、私はふと、カシーは自分に脚が二本あることを知らないのだと思いました。両脚がいつもいっしょに動くので左右べつべつのものだと感じたことがなく、右脚と左脚の「違い」を認識したことが一度もないのでしょう。認識されなければ「違い」は存在しません。だれが見てもカシーには脚が二本ありましたが、彼女の脳が経験しているのは二本ではなく、一本の脚で、「ひとつ」と「もうひとつ」(「これ」と「それ」)がないのです。

マイケル・マーゼニック[「本書によせて」を寄稿された脳神経学者]の研究チームは、実験用ラットの後ろ脚に脳性まひのような症状をつくりだしました。誕生時に左右の後ろ脚をひとつに縛ってつねにいっしょに動くようにしたところ、ラットの脳は、後ろ脚は二本ではなく一本だという身体地図を描きました。

カシーの脳が二本の脚を一本ととらえていると気づいたことは、私の取り組みの突破口となりました。子どもたちは、「違い」に気づくことができる環境を与えられると、身体地図を描きなおす脳の力を発揮させていけるのです。

「ひとつ」と「もうひとつ」を発見したカシー

『カシーの脳が左右の脚を一本とする身体地図を描いているのなら、脚が二本あることを感じ、わかるための方法が必要です。彼女の脚を片方ずつ何度も動かしてみましたが何も起きません。脚が二本あることに気づかなければならないのは、ほかでもない、カシーです。どうにかして注意を向けてもらい、脚が二本あることを知ってもらわなければなりません。

子どもの例にもれず、カシーも遊びが大好きでした。私は無害の水性マーカーを用意し、彼女をレッスン台に座らせると、後ろから抱きかかえました。彼女の右脚をやさしく持ち上げ、その膝をトントンと軽くたたいて視線を向けさせ、そこに絵を描いていいかどうかを尋ねました。返事は「イエス」です。

私は、カシーの脳が「違い」を認識しなければならないような質問をしました。

「どっちを描こうか? 犬、それとも猫?」

しばらくしてカシーは「犬」と答えました。

「赤い犬、茶色い犬、どっちがいい?」

彼女は赤を選びました。そこで、カシーの右膝に、ゆっくりと説明しながら、赤い犬の絵を描きました。「これが犬のお鼻。これが片方の耳。もうひとつの耳」といったぐあいです。

カシーはしっかりと私の声を聞き、絵に目を向け、肌を滑るマーカーの肌ざわりを感じていました。犬を描きおえるとカシーのその膝を、まず同席していた母親に見せ、つぎに自分が見てから、本人に見せました。右脚を下すと、今度はおもむろに彼女の左脚を持ち上げました。そして、わざとがっかりしてみせると、驚いた声で言ったのです。

「この膝には犬も猫もいないよ!」

その瞬間、カシーは生まれてはじめて「向こうに、同じようなものがもうひとつある」と気づいたのだと、私にはわかりました。脚は一本でなく、二本あるのです。つぎは、この目の前の膝に犬と猫のどちらかの絵を描くかを尋ねました。「猫」と答えたので、やはりゆっくり慎重に、猫の顔を描きました。

左右の膝に異なる絵を描いたことで、カシーの脳が、「一本の脚」を二本のべつべつの脚に変化させていける可能性がいっそう広がりました。たとえば、どっちの絵をだれに見せるかを選ぶことができます。また、両脚をぴったりつけて犬と猫を近づけることも、脚を広げて二匹を遠ざけることもできます。犬がカシーの手をタッチすることも、猫がカシーの母親の手をタッチすることもできます。

カシーは「猫の膝」と「犬の膝」を識別し、自分の意思で脚をべつべつに動かすことができるようになりました。生まれてはじめて、脚が二本になったのです。脚の動きはまだぎこちなく、動かせる範囲も広くありませんでしたが、それは彼女が自分で生みだした動きでした。』

カシーの脳で起きていたこと

「猫の膝」と「犬の膝」の遊びを楽しんでいるあいだに、カシーの脳はさまざまな「違い」を受けとり、集め、認識し、大量の感覚をより細かく差異化しながら整理していました。そうするうちに脚の痙縮は少しずつ減り、身体全体の動きが改善したのです。

この取り組みについて大事なことは、さまざまな「違い」を感じて受けとめるチャンスを脳に与えたということです。ふたつの異なる部位である一の脚と二の脚、「ひとつ」と「もうひとつ」が身体の動きを向上させたのであって、脚の訓練をしたわけではありません。立たせたり、歩かせたりするのではなく、カシーがまだ知らないさまざまな「違い」を感じることができるように支援することで、脳が、脚を認識し、脚の動きを組み立てるために必要な情報を得られるようにしたのです。これは、まさに脳の訓練でした。

カシーはその後も能力を伸ばしていきました。最後に会ったときには自分の力で立ち上がり、家具につかまって一歩一歩、ゆっくり歩くようになっていきました。思考もどんどん明晰になっていきました。五歳のカシーはだれの目にもとても賢い女の子でしたが、三歳の彼女をそのようにみていた人はいませんでした。』

2.ジュリアン 3歳男児 自閉症

すべてが「ぼんやり」していたジュリアン

『自閉症と診断されていた三歳のジュリアンは、レッスン初日、軽く足を引きずりながら前かがみで廊下を歩きました。ジュリアンが安心している様子だったので、私は質問をしてみました。すると、答えはすぐに返ってきましたが、発音がはっきりしないので理解できませんでした。彼がつくる文はまとまらず、言うことはなにもかもが断片的です。考えは途中で宙に浮き、終わりまでたどり着きません。よだれを大量にたらし、母親によると、細かい動作をうまくできないということでした。

レッスン室に入ると、ジュリアンはおもちゃを手に持ちましたが、持っていることを忘れたかのようにポトンと落としました。その様子は、彼が何かを考えようとするとき、それが途中で消えていくことを思い起こさせました。私が受けた印象は、脳の入り口に曇ったレンズがついているために、入ってくるものすべてがぼやけてあいまいになってしまうというものです。ジュリアンは自分や周囲の世界を理解するのに必要な「違い」を、はっきりと受けとることができないようでした。

私は、ジュリアンをレッスン台にうつぶせに寝かせると、彼の右肩の下に自分の左手を入れてやさしく、ほんの少し持ち上げてみました。すると、肩と背中がひとつの塊としていっしょに動くのがわかりました。左の肩を持ち上げてみても同じです。伸び縮みする筋肉や柔らかな関節をもつ人間ではなく、まるで丸太を動かしているようなのです。

脚、骨盤、頭の動きを確かめると、動きがあいまいで、細やかさも強さもないことがわかりました。また、周囲の音や景色を識別する力も弱く、言語活動と思考は初歩段階といえるものでした。ジュリアンの脳は、明らかに違いを受けとめることが苦手で、身体のさまざまな部位を十分に識別できていません。さまざまな形の小さなパーツが足りないのです。私はジュリアンができるかぎりたくさんの「違い」に気づくことができるように彼の身体を動かし、そのとき彼が経験している動きを言葉で説明しました。

ジュリアンは三歳でしたが、指や手の動きは生後一か月の赤ちゃんのようでした。五本の指をまだ認識していない赤ちゃんは、グーパーしかできません。ジュリアンはまだ自分の手を「ひとつの塊」と認識していて、おもちゃをつかむときはぐっと握り、ぱっと放しました。

ジュリアンの「ぼんやり」は手だけでなく、足を引きずる歩き方、ゆるんだ口もと、発音、そして、何かを考えるときの混乱ぶりにも表れていました。あらゆる面で識別する力が足りなかったのです。』

まるで霧が晴れるように

『私はジュリアンの身体に動きを与え、まず彼が頭を「ひとつのもの」、肩と背中を「もうひとつのもの」と受けとめられるようにしたところ、背中の動きがよくなり、しっかり反らせて片側から反対側へ楽にねじれるようになりました。

この日のレッスンでは、さらに、片方の前腕を持ち上げて天井に向け、手首から先が前後にぶるぶるするようにやさしく揺らしました。数秒後に揺らすのをやめると、期待するようにその手を見ながら待っていたジュリアンは、「もう一回!」と言いました。自分の手が止まったことに気づいた―揺れることと止まることの「違い」を認識したのです。ふたたび手を揺らしてから止めると、もう一度頼んできたので、さらに揺らしました。

このとき、ジュリアンはしっかり注意を払っていました。レッスン室に入ってきたときの彼は別世界にいるような感じでしたが、このときは私といっしょに、いま・ここで、自分自身に気づき、自分の経験していることに気づいていたのです。

私は、どっちの腕を揺らしてほしいかを尋ね、彼が答えたとおりにしました。動かしてほしい腕を選ばせることで、「違い」を認識する力を高め、自分に気づきやすくなるようにしたのです。ジュリアンは急速に、腕と手首の動きに気づくようになりました。この日はさらに二十分ほど、バリエーションのある動きを行ない、レッスンを終えました。

翌日、ジュリアンの母親が、よだれが大幅に減ったと報告してきました。また、避けていたゲーム遊びを自分からしたということでした。それまでは手を使うことも、考えることもたいへんだったのが、楽にできるようになったからです。いずれも、脳が上手に「違い」を受けとめ、分化し、行動を組み立てるようになったことを示す証拠でした。

その後は毎日のレッスンで、身体を新しい方法で感じ、まだ知らない、より細かい「違い」を受けとめることができるチャンスを与えるようにしました。すると四日目に、ジュリアンは私を見て、「パパは今日、オフィスで仕事をしている」と言ったのです。構文は完璧で、発音もかなり明瞭でした。

私は、「きみは、お父さんが仕事をしているときにオフィスで遊んだことがあるの?」と質問しました。最初の返事はごちゃごちゃして意味がわかりませんでした。ジュリアンは確かに考えていましたが、それをまとめることはできませんでした。そこで、言いまわしを変えて同じことを聞いてみました。すると、彼はさっきより明確に答え、さらに、父親は家にオフィスをひとつ、家でない場所に別のオフィスをひとつもっていて、自分は家にある父親のオフィスでときどき遊ぶが、家でないオフィスでは遊ばない、ということを説明してくれたのです。

私は興奮を抑えきれませんでした。ジュリアンが父親のふたつのオフィスの違いを説明できたことは重大な変化です。これは、彼の脳が「ひとつのこと」と「もうひとつのこと」の違いを受けとめ、混沌から秩序を生みだせることを示していました。先ほどのアヒルの例でいうと、ジュリアンの脳はどんどん分化し、小さなパーツをつぎつぎに増やしていました。彼の脳は、動くこと、話すこと、考えることの地図を描くための情報を急激に受けとるようになっていたのです。』

こちらは上記の”アヒルの例”の説明になります。

私は「分化」について説明するとき、ホワイトボードにアヒルの輪郭を描きます。そして、四つか五つの不規則な形のパーツを描き、これをパズルのように組み合わせてアヒルの形にすることを想像してもらいます。これだと、アヒルをつくるのはまず不可能です。

つぎに、ずっと小さな丸や三角や不規則な形の粒をたくさん描きます。そして、この粒つぶを使ってアヒルの形をつくることを想像してもらうのです。これなら簡単にアヒルをつくれますし、それ以外の好きな形もつくれます。

この説明によって、脳の中で起こる分化と統合のプロセスが理解しやすくなるのではないでしょうか。いろいろな小さなパーツがたくさんあれば、脳は思いどおりの動きをつくりだすことができます。このプロセスは、何か考えたり、理解したりするときにも当てはまります。脳は身体・認知・感情に関わるあらゆる動きを組み立てています。私たちが行なうあらゆることに秩序をもたらすパターンをつくりだす作業を脳は、自由に使用できるさまざまなパーツ(情報)を使って行ないます。このパーツのもとになるのが、脳が感知したさまざまな「違い」なのです。』

支援の視点を変える 

『一般的に、支援が必要な子どもを手助けしようとするときには、できないことに目を向けて、痙縮のある腕を訓練しようとしたり、何度も目を合わせて返事をさせようとしたりするものです。ほとんどの子どもはがんばりますし、なんらかの変化がみられることも少なくないでしょう。

しかしながら、私がくり返し見てきたのは、子どもは大人が教えようとしたことを学ぶのではなく、自分の限界(できなこと、うまくできないこと)を経験することを学んでしまっているということでした。私たちはつねに、自分が経験すること、自分に実際に起きていることを学びます。「できない」「うまくできない」という経験は脳に残り、そのときの限界とそれに関わる地図が、脳より深く刻みこまれてしまうのです。

数かぎりない「ひとつのこと」と「もうひとつのこと」が、脳に無数のつながりをつくりだします。このつながりが、経験に応じて変化を続けるダイナミックな脳のパターンとなって、子どもは立ったり、座ったり、歩いたり、話したりするようになります。

子どもは、計画的に座るようになったり、「ママ」と言うようになったりはしません。気がついたら、そうなっています。子どもにしてみれば、何かを達成するのはいつだって想定外のことです。私たちの仕事は、子どもの脳が目覚めるように助け、その脳が創造し、形成し、発見していくプロセスを支援することです。

腕がうまく動かない、寝返りを打てないといった目の前の課題に焦点をあわせるのではなく、子どもの脳それ自体が解決方法を見つけるように手助けをしていく―これは一見、わかりにくいことです。大切なのは、私たちが考え方を転換し、「動き」を可能にするパターンや能力を生みだすために脳に何が必要かを考えることです。解決方法を見つけるのは私たちの脳ではなく、子どもの脳なのです。

3.リリー 3歳女児 重度の脳性まひ(身体は1歳ほど、発達段階は生後5か月)

ボールのように硬く丸まってしまうリリー

『リリーと初めて会ったのは、彼女が三歳のときです。たいへん未熟な状態で生まれ、重度の脳性まひを負っていたリリーは身体が小さく、一歳といっても通用するほどでした。彼女が母親や妹とやりとりする様子は乳児のようで、のちに母親から聞いたところでは、生後五か月ていどの発達段階だと判定されたということでした。

リリーは筋肉の緊張が激しく、つねに肘をきつく折り曲げ、握りこぶしをつくっていました。両脚は膝が少し曲がった状態で交差しています。腹筋がつねに収縮しているために背が曲がり、自分の体重を支えることができません。自発的な動きがなく、寝返りを打つことも、うつぶせでいることもできません。うつぶせにすると身体を丸め、苦しそうにします。座らせるとたいへんな力を出してなんとか座るものの、背中はすっかり丸まり、数秒すると転がってしまいます。腕や手を使うことはできません。声は小さく不明瞭で、何を言っているか理解するのは困難でした。

しかし、そのような状態でも、私にはリリーがしっかり目覚めて神経を研ぎ澄ましていることがわかりました。大きな茶色の目で、興味深そうに周囲の様子を追っていたからです。

リリーを仰向けにレッスン台に寝かせましたが、その姿勢でも筋肉は収縮したままで、両脚は曲がり、台からやや浮いています。肘は折れ曲がってぴったり身体に引き寄せられ、腹筋も硬いままです。脳が、どのように力をぬけばよいのかをわからないのです。

左脚をやさしく持ち上げ、できる限り小さく動かそうとした瞬間、収縮していた筋肉がさらに強く縮み、リリーはボールのように丸まりました。私は手を止め、彼女が落ち着くのを待ちました。つぎに骨盤を、やはりできるかぎり小さく、とてもゆっくり動かそうとしましたが、今度も強く筋肉が縮みました。速度を思いきり落として、安心できるように話しかけながら、とても小さく、わずかに動かしてみても、筋肉は硬くなりました。私が動かそうとするたびに、彼女の脳は、身体をボールのように丸めるという未分化で強力な初期の動きのパターンに乗っとられるかのようでした。

十分ほどそのようにしていると、ある考えがひらめきました。ボールのように身体を丸めるのは脳性まひの影響だけでなく、学習したパターンだからではないか、と思ったのです。リリーはどう見ても動きたがっていました。彼女は彼女なりの方法で動こうとしているのに違いはありません。

リリーは二年近く、うつぶせにされ、座らされるという訓練を受けていました。訓練では握りこぶしを開かせようとしたり、立たせようとすることさえあったそうです。そのようなとき唯一リリーの脳にできたことは、強く収縮することで、そのため身体は丸まりました。自分から動こうとするとき、また、自分を動かそうとするあらゆる働きかけに対し、彼女の脳は、収縮するというパターンを結びつけることを学習したはずです。』

なまけものごっこ──過剰な力をぬいて

『筋肉を収縮させるときの激しい力が悪循環を招いていました。激しい力を出しているため、リリーはどんな「違い」も感知することができず、脳に動きを学ぶために必要な新しい情報が入ってこないのでしょう。

リリーが動くことを学ぶためには、動こうとするときの過剰な努力を減らさなければなりません。そのとき私は、リリーに必要なのは、動こうとしないことを学ぶ方法なのだとひらめきました。リリーは筋肉を収縮させるとき、させないときの違い、また、力をたくさん入れるとき、少しだけ入れるとき、そしてまったく入れないときの違いを感じることを学ぶ必要があるのです。

私は「なまけもの」になる方法を教えることにしました。自分の身体とその動きを感じられるように、何もしないことを学ぶのです。

「この部屋はとっても特別な場所で、“なまけものの国”といいます。“なまけものの国”なので、だれもが、とってもゆっく――り、話します。だれもが、じ――っとしてほとんど動きません」。

このように話すと、私はレッスン台に自分の頭を乗せ、リリーの横でいっしょに怠けました。リリーは大喜びです。

しばらくたってから、これから身体を動かすけれども、私たちはものすごく「なまけもの」でなければならないのだと、話しました。そして、彼女の左脚を持ちました。その瞬間、やはり、筋肉は収縮しました。私は手を止め、おどけた調子で言いました。「なまけものじゃなくなってるよ!」。このようなやりとりをいろいろな方法でくり返しました。

その後の二回のレッスンでも、彼女に「なまけもの」になるように言いつづけました。そして、ついに、無意識に全身に力を入れたすぐあとに初めてそのことに気づき、リリーはみずから力をぬくことができたのです。素晴らしい瞬間でした!

「なまけものごっこ」を続けるにつれ、リリーは少しずつ、私に動かされることを受け入れてきました。生まれてはじめて、彼女は自分の身体の動きの違いを感じていたのです。

まもなくリリーは握りこぶしを開いておもちゃをつかみ、遊ぶようになりました。一週目のレッスンの終わりには、ひとりでうつぶせにも仰向けにも寝返りを打てるようになりました。彼女の脳は、微細な違いがもたらす大量の新しい情報を統合し、能力を獲得しはじめました。

リリーはその後の三年間、一、二週間の集中レッスンを何度か受けました。レッスンのたびに彼女は成長し、ひとりでハイハイし、座るようになり、腕や手を器用に使うようになりました。声に強さと表現力が加わり、はっきり話すようになりました。そして、自分を心地よく感じられるようになってきました。

最後に会ったとき、リリーは自分の力で立つようになっていました。学校では優秀な生徒です。外では電動者イスを使用していますが、家ではほとんど使いません。両親は彼女ができるかぎり自分で身体を動かし、独立することを願っています。』

「なまけものの国」の威力

リリーの場合、太陽光の下では懐中電灯の光に気づかないように、無意識の激しい筋肉の収縮が、あらゆる働きかけを感じとることを不可能にしていました。自閉症やADHDをはじめ、私がこれまでに関わったどの子どもも、発達するためには「微かな違い」を感じとることが欠かせませんでした。リリーがそれを感じとるためには、筋肉の激しい力を弱める方法が必要でした。「なまけものの国」の住人になって、楽であること、快適であること、うれしいこと、楽しいこと、がんばらないことを体験するようにしたところ、彼女は学べるようになり、変化をとげたのです。

力や刺激を小さくすることのパワーを、あなたも利用することができます。まずは「違い」を感じとることを妨げる過剰な力、それを子どもがどのように使っているか探りあてることです。過剰な力には病状に特有のものもあれば、その子どもにしかみられないものもあります。注意欠陥障害[ADHD]の子どもは絵を描こうとすると、力を入れすぎてクレヨンを折ってしまうかもしれません。自閉症スペクトラムの子どもは、何を言われているか理解しようとしても、聞こえてくる声に圧倒されてしまうために叫びだし、いつもの動きをくり返すかもしれません。脳性まひの子どもは歩行器を使って歩こうとすると全身を硬直させてしまい、脚が動かなくなるかもしれません。そのようなときが、「微かさ」をとりいれるチャンスです。』

まずは、あなたから

『親をはじめとする支援者が子どもに注意を向けるのは当然です。しかし、これと同じぐらい大切なことは、支援者が自分自身に注意を向けることです。これは、微細さ・繊細さを自分の行動・思考・感情・動きにとりいれるということです。私を含めてどの支援者にも、不要な力をぬき、無駄な努力を減らす余地があります。私たちは安物のヴァイオリンではなく、豊かな音色をもつ名器、ストラディヴァリウスになるのです。

「微かな力」をとりいれると、感覚が鋭くなって感じとる力が高まるので、子どもの今の状態がわかり、何が必要かがみえてきます。「こうすべき」と考えて関わるのではなく、子どもの感じていることや体験していることにもとづきながら、本人にとって意味のある方法で子どもと関われるようになります。あなたは子どもからも自分の内側からもたくさんの情報を得るようになり、創造的・効果的に子どもを手助けできるようになります。』

まとめ 

症例から分かったことは次のようなものです。

まず、『子どもは、計画的に座るようになったり、「ママ」と言うようになったりはしません。気がついたら、そうなっています。』ということです。つまり、子どもが自発的に身につけるものであり、そのプロセスを支援することが“アナット・バニエル・メソッド”の基本です。

では、“何(What)”に対して支援するのか、プロセスとは何かですが、これは“アヒルの図”を使って説明されていた内容―“脳の中で起こる分化と統合のプロセス”ということです。そして、“小さなパーツ”をたくさん作り出されるような働きかけを行ないます。

次に、“どうやって作り出すのか(How)”というその方法のキーワードは「違い」です。具体的には『脳が感知したさまざまな「違い」』であり、この「違い」によって『[子どもたちは]身体地図を描きなおす脳の力を発揮させていけるのです』としています。

以上のことから、“アナット・バニエル・メソッド”とは子どもの脳が目覚めるように助け、その脳が創造し、形成し、発見していくプロセスを支援すること』というものだと思います。