LESSON3 生活編 ―自分でできることを見つけよう―
Q27 緑内障になったら睡眠時に注意することはありますか?
●睡眠中の眼圧は高くなる。これは立位にくらべ水分が頭の方に流れ込むからである。一般的には2~4mmHg程上がるとされている。
●うつ伏せや目が枕に当たると眼圧は上がるので要注意である。特に気になる場合は保護メガネを使うと良い。
●「睡眠時無呼吸症候群」は酸素の体内循環を悪くするため、緑内障にとっても影響を及ぼす。
LESSON4 診察・検査編 ―自分の緑内障の状態を知ろう―
Q48 緑内障について医師に聞いておくべきことはありますか?
●次の2つのことは医師に確認すべきである。
1)緑内障のタイプを確認する(①閉塞隅角緑内障 ②開放隅角緑内障)。これは閉塞隅角緑内障には使えない薬があるからである。一方、開放隅角緑内障の場合はほとんどの薬が使える。
2)現在の視野の状態について確認する(①初期 ②中期 ③後期)。これは多くの医師は「大丈夫です」「悪化しています」のどちからしか答えないケースが多く、いきなり「手術を考えましょう」という展開になることが少なくない。そのため、現在の正しい状態を把握しておくことが大切である。
LESSON5 治療方針編 ―自分の治療方針を知ろう―
Q56 緑内障治療の流れを教えてください。
●緑内障の治療はとてもわかりにくい。治療の大枠は「緑内障診療ガイドライン」という指針に沿って行われている。
こちらは「日本眼科学会」さまのサイトにある資料で、PDF93枚になります。
●一般的な緑内障の治療方針
1)数回の通院によって眼圧の平均値を基準値とする。
2)緑内障のタイプと基準値から目薬を選定し治療を始める。
3)眼圧が期待しているように下がらない場合は目薬の変更や追加を行う。
4)通院していく中で、視野欠損が進行したり目標眼圧をクリアできなくなったりした場合、目薬の変更、追加を行うが、状況によっては手術やレーザー治療を検討する。
Q57 眼圧はどのくらい下げればいいですか?
●目標眼圧は目薬や手術、レーザー治療を決める際の目安となるが設定方法は複数ある。
1)基準の眼圧から30%下げる方法
-これは30%下げると視野欠損の進行を抑制できる可能性が高いというデータに基づいている。
2)視野欠損の進行度ごとに目標眼圧を分ける方法
-初期であれば、18mmHg、中期であれば15mmHg、後期は12mmHgというように設定する。
3)目標眼圧を定めない方法
-できる限り眼圧を下げる。あるいは、視野欠損の進行に従って柔軟に対応する。これは適正眼圧は個人差があり、20mmHgでも緑内障が悪化しない人もいれば、10mmHg以下でも悪化する人もいるためである。
Q61 近視がある人の緑内障治療は、近視のない人と違いがありますか?
●基本的には変わらないが注意点がある。眼球の一般的な大きさは直径24mm前後とされている。一方、近視になると眼球の奥行きが広がり、直径30mm前後の大きさになることもある。眼球が大きくなることにより視神経は引き伸ばされ、ダメージを受ける。そのため、近視があると緑内障になりやすいと考えられている。
●近視があると、緑内障以外にも白内障、網膜剝離、加齢黄斑変性などの病気のリスクが上がる。
●注意しなければならないのは、レーシック手術やICL(眼内コンタクトレンズ)などの手術によって視力が改善した場合でも、大きくなった眼球はそのまま変わっていないので、視神経へのダメージは変わらず、よって緑内障のリスクという点では術後も同じである。
画像出展:「ひょうたん山 水谷眼科」
眼軸長が伸びることで眼球が引き延ばされ、網膜や視神経などに負担がかかることになります。
LESSON6 目薬編 ―目薬を知って治療効果を高めよう―
Q62 目薬にはどんな種類がありますか?
●緑内障の目薬の種類は多い。
●目薬が眼圧を下げるメカニズムは、眼球の中を巡る房水の産生・循環・排出に大きく関わっている。目薬は房水の産生を抑制し排出を促すことが基本になる。
●よく使われる薬に房水排出を促進するプロスタノイド受容体関連薬がある。これは効果が高く、1日1回の点眼で済むからである。目の周りが黒ずみやすくなるなどの副作用がある。その他の薬の効果に大きな差はみられないが、目薬の相性があるので患者さんに合った目薬を探していく必要がある。
●病気や治療への理解は緑内障の治療効果を高める。
Q67 緑内障の治療効果を上げる方法はありますか?
●『「病は気から」という言葉を聞いたことはありませんか? 実際に目薬が効いているイメージをもって治療すると効果が高まるという研究があります。これをプラセボ(偽薬)効果といいます。そのほかにも本書を読んでいるあなたのように「薬や病気のことを知って治療を受ける人は治療効果が高い」ことがわかっています。本当でしょうか?そんな話は怪しいと思われるかもしれません。
私はいくつかの薬などの研究で、プラセボを用いたことがあります。プラセボの効果自体は知ってはいましたが、効くはずのない薬が実際に患者さんに効いているのを見てびっくりしたことがあります。実際の研究でも「医師がサプリメントを効果があるといって処方すると、実際の患者に対し治療効果があった」という報告があります。また本物と偽物(塩水)の目薬に番号を振り、医師がランダムに患者に処方した研究では、「本物の目薬で4.1mmHg、塩水では1.73mmHg眼圧が下がった」という結果が出ました。
だからこそ、緑内障を本気でよくしたいあなたが「この薬は効かない」と思ってしまうことは大きな損失です。治療効果を高めるといった意味では、医師選びが重要といえるかもしれません。なぜなら、医師の診察や治療方法に疑問を感じてしまうと、医師が処方した薬についても不安になってしまうからです。その一方で、信頼のおける医師に出会えれば、安心して治療を受けることができます。』
Q69 目薬の副作用にはどんなものがありますか?
●緑内障の目薬は副作用が出やすいので注意が必要である。
●市販薬では防腐剤に注意する必要がある。
●特に注意が必要なのは、心臓や肺に作用するβ遮断薬というタイプの目薬である。喘息、心不全、徐脈など心臓に何らかの病気がある人は医師に必ず相談すべきである。
●アイファガンなどの交感神経α2受容体作動薬は血圧を下げたり、眠くなったりする作用がある。
●一般的な副作用は目の充血がある。特にROCK阻害薬のグラナテックは充血が問題になりやすい。
●緑内障の目薬の長期使用はアレルギー反応を引き起こし、かゆみを伴うこともある。
LESSON7 手術編 ―手術・レーザー治療の効果とリスクを知っておこう―
Q72 手術やレーザー治療をするといわれたら聞いておくべきことはありますか?
●緑内障の手術は種類が多く、症状が軽度の場合はレーザー治療を選択する場合もある。これらは日帰りで簡単にできるものから、とても複雑なものまで多岐に渡る。まずは主治医から治療名を聞くことが重要である。
●手術やレーザー治療の選び方や時期は主治医によってかなり違う。特に手術に関しては悪化することもある。
●緑内障手術一覧
1)線維柱帯切除術:トラベクレクトミー、エクスプレス
2)線維柱帯切開術:トラベクロトミー
3)MIGS(低侵襲緑内障手術):トラベクトーム、iStent
4)チューブシャント手術:バルベルト、アーメド
●緑内障レーザー治療一覧
1)開放隅角:SLT、ALT、MLT、毛様体光凝固術
2)閉塞隅角:LI
Q73 手術で緑内障はよくなりますか?
●緑内障手術に共通しているのは眼圧を下げる目的で行うということである。
●眼球の中の房水を流れやすくするために通り道を作っても、約30%の人は自然と通り道が塞がってしまう。
●緑内障の手術後に「すっきりと見えるようになった」と感じることはなく、むしろ手術の方法によっては目がゴロゴロしたり、不調を感じたりすることの方が多い。
●中心視野が欠けている人の手術は難しい。手術でわずかなダメージが引き金になって中心視野が欠けてしまうことがある。つまり、手術によって悪化する可能性を理解しておく必要がある。
●緑内障手術には「放置すると失明に向かう可能性が高いから致し方なく手術する」という考えが基本にある。だからこそ、しっかりと手術について理解して置かなければならない。
Q74 手術やレーザー治療はどんな場合にすすめられますか?
●多くの場合、医師は手術やレーザー治療について事前に詳しく説明することはないので、急に手術やレーザー治療の話をされたと感じることが多い。そのため、患者さん自らが情報を入手しておくことが望まれる。
●目薬の副作用に比べれば、手術やレーザー治療のリスクは大きい。
●目薬をしていても病状が進んでしまう人が一定数以上いる。また、「もともとの状態が悪い」、「若くて今後の進行をなるべく抑えたい」、「進行が早い」、「眼圧が極端に高い」などの場合は、手術やレーザー治療を検討することが多くなる。
Q75 レーザー治療にはどんな種類がありますか?
●緑内障のレーザー治療は閉塞隅角緑内障と開放隅角緑内障がある。前者のレーザー治療はLI(レーザー虹彩切開術)といわれ、眼球の中の虹彩に房水の通り道をつくり緑内障の発作[症状次第では一晩で失明することもある]が起きるのを防ぐ。治療時間は約10~20分である。
●開放隅角緑内障のレーザー治療は何種類かある。ALT(アルゴンレーザー線維柱帯形成術)、SLT(選択的レーザー線維柱帯形成術)、MLT(マイクパルスレーザー線維柱帯形成術)、毛様体光凝固術(マイクロパルス経強膜毛様体光凝固術)が代表的である。かつてはALTがよく行われていたが、現在ではSLTが主流である。
●ALT、SLT、MLTは目の線維柱帯という場所にレーザーを当てて房水をよくして眼圧を下げる方法で、海外では「目薬よりSLTの方が良いのではないか」といわれており、日本でも今後はSLTがメインになっていく可能性がある。
●SLTの成功率は60~70%、効果は2~3年持続し、再治療が可能である。治療時間も約5~10分と負担が少ない。
画像出展:「西春眼科クリニック」
Q76 手術にはどんな種類がありますか?
●問題となる眼圧は房水が多くなることで高くなる。従って、手術の目的は房水の排出量を増やすことによって眼圧を下げることになる。
●緑内障手術はトラベクロミー(線維柱帯切開術)、トラベクレクトミー(線維柱帯切除術)、チューブシャント手術(インプラント手術)の3種類がある。そのメカニズムは洗面台にたとえられる。洗面台の排水口のゴミ受けを交換するような手術がトラベクロトミーである。それでも改善されない場合は排水管を取り替える。これがトラベクレクトミーになる。それでもまだ改善されない場合は、洗面台の排水管を本管(下水管)に直接つなげる。これをチューブシャント手術と呼ぶ。
画像出展:「緑内障の新常識」
●緑内障手術で最も効果が高く基本となるのが、トラベクレクトミーである。エクスプレスという最新の手術もほぼ同じである。手術時間は約40~50分程度、術後管理入院が必要になることがある。
●トラベクレクトミーの効果の持続期間は「3年もった例が72%」という報告がある。
●手術後、視力や視野に問題が出る可能性がある。また、定期的な観察が必要であり、基本的にはコンタクトレンズが使えなくなる等の制約が出てくる。
●トラベクロトミーの効果は限定的だが、手術後の制約が少なくリスクもほとんどない。また、比較的手術が簡易なことから軽度の患者さんに行うことが多い。手術時間は約30分程度、日帰りか術後管理入院かは状況による。効果の持続期間は3年が約70%といわれている。注意点は出血である。大量出血の場合は視力低下の恐れもある。
Q77 負担の少ないMIGSってどんな手術ですか?
●MIGS(低侵襲緑内障手術)はトラベクロトミーの一つで、比較的簡易なリスクの低い手術方法である。手術時間は約10分、目へのダメージも少ない。単独で行うのがトラベクトーム、白内障手術といっしょに行うのがiStentである。この手術は白内障手術といっしょに手術を行うことでのみ保険適用になる。一般的に効果はトラベクロトミーよりも低いとされている。
Q78 緑内障手術の最終手段チューブシャント手術はどんな方法ですか?
●チューブシャント手術は約30~60分程度が一般的で、大掛かりな手術のため実施できる施設は限られている。効果はトラベクレクトミーにはやや劣るが感染症のリスクは少ない。チューブシャント手術は従来の手術では対処できなかった重症なケースで用いられる。
Q79 なぜ緑内障なのに白内障手術をすることがあるのですか?
●白内障手術自体が眼圧を下げる可能性があるからである。白内障手術は濁った水晶体を人工レンズに交換する手術である。このレンズは水晶体に比べ薄いため、眼球内でレンズが占める容積が小さくなるため、房水の流れがよくなる。
LESSON8未来の治療編 ―緑内障治療の未来を知って希望をもって治療を続けよう―
Q83 AIで緑内障治療はどう変わりますか?
●緑内障の治療では大量のデータと目の画像をAIで照合することで緑内障を判定する技術など、特に診断分野で活用されている。
●今後、AIの技術が発展し大量のデータの中から個人毎に最適な目薬を瞬時に選択できるようになる。
●今まで明確でなかった、緑内障と日常生活の関係性が分かるようになる。
感想
緑内障に対する関心が低く、基本的な知識さえなかったため今回の本は大変勉強になりました。
眼圧は非常に重要です。これに関係しているのは房水という目の中の液であり、水晶体、角膜など血管のない組織に栄養を与えるなどの作用と、眼球内の圧力(眼圧)を調整する役割を担っています。眼圧は低すぎると眼球の形を維持できず、高すぎると眼球がパンパンになり視神経を障害し、緑内障発症の原因になります。
ここまでで、緑内障とは眼球内の水流と関係が深く、視神経を障害することが問題であるということが分かりました。一方、眼圧は角膜の厚さやカーブによって個人差があり、レーシック手術によって角膜が薄くなっている人の眼圧は低めに出ることが分かっています。また、眼圧が正常にも関わらず、緑内障を発症している人もいます。つまり、緑内障の根本原因は眼圧ではなく、視神経のダメージを避けるということになります。
そこで、眼圧以外で視神経にダメージを与える原因を調べてみました。
「自律神経と目の関係について」 こちらは“和田眼科グループ”さまのサイトです。
『「眼圧が高い=緑内障」というイメージがあり、「健康診断で眼圧は大丈夫だったから安心」と思いがちですが、日本人の場合、眼圧は正常である「正常眼圧緑内障」が多いのです。
ストレスなどによる自律神経の乱れは、視神経への影響も大きいので、血液の循環悪化による視神経への慢性的虚血が起こり、眼圧が正常でも視神経に細胞障害が起こることで、視野が徐々に欠損してしまうと考えられています。したがって、40代以降になれば、定期的に眼科専門医を受診し、眼底写真で視神経の状態をチェックしておくことをおススメします。』
「高眼圧・緑内障」 こちらは“いしかわ眼科”さまのサイトです。
『なんと20人に1人が緑内障:最新の調査では、日本人の、なんと40歳以上の20人に1人が緑内障であるということがわかっています。また、眼圧が高い人が緑内障になるだけでなく、眼圧は正常であるにもかかわらず緑内障になってしまうこともわかりました。
20人に1人というと驚かれる方も多いでしょう。実際に治療を受けているは1割程度で、残りの9割の人は発見されておらず未治療なのです。緑内障は少々視野が欠けてきても、普段は両目でものを見ているので気づかないのです。たまたま検診で見つかったり、眼科で見つかったりするケースも多く、40歳を超えたら一度は検診を受けてみられるのもよいでしょう。 また、眼圧が高いのに視神経が傷んでいない「高眼圧症」の人もいることが分かりました。正常値より少々高いくらいであれば問題ありませんが、高すぎる場合は緑内障になりやすいことがわかっていますから適切な治療が必要です。
ほとんどが眼圧が正常な緑内障:
緑内障の6割以上が、眼圧が正常な正常眼圧緑内障です。眼圧は高くはないのに、目の圧に弱いために視神経が傷んで弱りやすいためと考えられています。その他、視神経が栄養不足になっていたり、視神経の血液の流れが悪いのも原因と言われています。
この場合、眼圧だけ調べても正常眼圧緑内障であるかどうかは分かりません。眼底検査で、視神経が傷んでいることを確認することが必要です。最近では、視神経をOCT(三次元光干渉断層計)が細胞レベルまで解析して緑内障かどうかを診断することが可能となってきております。最終的な診断は、静的量的視野検査などで見える範囲が狭くなっていることを確認することです。』
緑内障の予防には睡眠と食事が重要だと思います。前者は特に夜遅くまで、根をつめてPCやスマホを使うのは問題です。また、部屋を暗くして寝ながらテレビを長時間みることは、貴重なビタミンAを浪費し眼圧を高める原因になるため止めるべきです。栄養の中ではタンパク質とビタミンAとCを中心にバランスの良い食事を摂ることが重要だと思います。
サプリメントの中ではルテインは目に集中して届きます。目の老化を防ぐ作用のあるルテインは、黄斑部や水晶体にも含まれていますが、40歳辺りから減ってくるため、特に40歳以上の人にはお勧めサプリメントとのことです。個人的にはサプリメントは何も飲んでいないのですが、右目は落屑症候群であり、左目は網膜剥離の兆候からレーザー治療をした経験があります。このことを考えると私にとってルテインは価値あるサプリメントかもしれません。
白内障手術をした日は朝から夕方まで強い雨が降っていましたが、その雨の後、綺麗な虹が出ました。久々にみたように思います。
術後:ハローグレア現象
術後は定期的に地元の眼科医院で診てもらっており、眼の状態も視力も問題はありませんが、一つ気になるのは“ハローグレア現象”です。これは暗い場所で照明を見ると光の輪のようなものが一瞬見えるといった現象です。最初はよく分からなかったのですが、約20年前のレーシックの手術の時に、似たような話を聞いたことを思い出し、調べたところこれは“ハローグレア現象”であると理解しました。
症状はかなり個人差があるようです。私の場合は幸い軽度なので何かするということは考えていないのですが、調べたところ、「暗い中で細かい字を見ない」、「夜遅くまでPCやスマホを見ない(睡眠をしっかりとる)」というのが日常的な対策になりそうです。また、角膜の炎症などにも注意すべきなので、ドライアイや逆さ睫毛(昔から、特に今回手術した右眼に多く、眼科で抜いてもらっていました。逆さ睫毛は角膜を傷つける原因になるようです)にも注意を払うことが大切だと思いました。
画像出展:「AI(Perplexity)が作成」
眼科の先生にご質問したところ、「レーシック手術をしている人はハローグレア現象が出やすい」というお話でした。
約20年前のレーシック手術では、さすがに白内障手術との関係については説明されていませんでしたが、レーシック手術を受け、個人的には大変満足していたので、「しょうがないな」というところです。
緑内障には落屑緑内障という緑内障もありますが、今回のお話しはそのようなものではありません。
こちらは“ツカザキ病院”さまのサイトです。
落屑症候群は瞳孔縁や水晶体囊前面などに、白いフケ状の落屑物質が沈着します。
落屑症候群の人が白内障の手術のために入院し、その入院中に緑内障の本を読んでみましたという内容です。興味深いのは約20年前にレ-シック手術をしていました。という点です。もちろん、これは私自身の症例です。
2008年の年間約45万人をピークに、近年では約1/10まで減ったとされるレ-シック手術ですが、検索したところ先頭に出てきたのは、品川近親クリニックさまのサイトでした。場所は有楽町のままです。私の手術もこちらでやって頂きました。
当時、私が勤めていた会社ではレ-シックが流行っていて、経験した人たちの評価は上々でした。私はサッカーをしていたこともあり、高校2年生の頃からコンタクトレンズを使っており、取り扱いの面倒くささに加え、破いてしまったことも数知れずという感じです。約30年で破損したコンタクトレンズは20枚以上であることは間違いないと思います。
眼の手術ということで将来に対する懸念はありましたが、一方、メガネやコンタクトレンズに頼る必要がなければ、特に大地震などの災害時でも困ることはないので、災害対策としても悪くない判断であると考え決断しました。
手術前には手術の可否を判断するため、検査を行うのですが、角膜の厚さも検査項目になっており、先生から「あなたの角膜は厚いので、もう1回できますよ」と言われたことをよく覚えています。
また、現在の状況は分かりませんが、当時のレ-シック手術は、「完全補正」と「不完全補正」という二択になっており、前者の場合は「一気に老眼が進みますよ」とのことでしたが、「どうせだったらクッキリスッキリ見たいもんだ」と思い、完全補正を選びました。その甲斐あって、その時の術後の視力は小学生の時の1.5を超え、40歳後半にして、2.0となりました。予想通り近くのものはかなり見づらくなりましたが、何とかなる程度だったこともあり、後悔することはありませんでした。術後、特に困ったことはありませんでしたが、多少ドライアイの傾向があったかもしれません。
今回の白内障の手術は右眼であり、落屑症候群「あり」ということです。左眼も白内障の兆候がわずかに出ているという検査結果ですが、裸眼の視力は1.0で不自由は全く感じません。落屑症候群に関しては、あくまで右眼だけだそうです。約20年前のレ-シック手術と、右眼にみられる落屑症候群との因果関係に関しては興味深いところですが、残念ながら分かりません。
そして、白内障の手術を受けるうえで、過去にレ-シック手術をしていることによる問題は特にないようです。考慮すべきは角膜を削っているため、角膜の厚さが患者本人の生まれながらの厚さではなくなっており、視力がどう出るのかが予想しづらいという点です。また、最も重要なことは、眼圧は角膜の厚さやカーブに関係するため、レーシックの手術をうけた人の眼圧は本来の検査結果より低めに出ることです。このため、白内障手術の前に必ず医師にお話ししておく必要があります。[私の角膜はレーシック手術を2回できるような厚さがあるとのことなので眼圧検査への影響は大きくはないと予想されます]
レ-シックの手術は10分程度、白内障の手術は20分程度という印象です。前者はレ-ザ-で角膜を削る際に、髪の毛が燃える時の様な匂いが気になりました。
一方、白内障の手術に関しては、痛いというほどではないのですが、「ウッ、きたな」という場面が2回ありました(落屑症候群の場合、瞳孔の開きが悪いのでそのためかもしれません。ご参考:“宮の前眼科”)。
手術は術後2泊の入院ということだったので、時間つぶしのために「自分でできる!人生が変わる 緑内障の新常識」という本を持ち込みました。
これは、「白内障の手術をするのだから、ついでに緑内障も勉強しておくか?」と思ったからです。
今回、勉強して1番良かったなと思ったことは、部屋を暗くし布団に入ってテレビを観ることが、想像していた以上に眼に悪いことが分かったことです。良くないということは知っていたのですが、眼圧の問題とビタミンAを浪費してしまう点から禁忌ということだと認識しました。今後は絶対に止めようと思います。
肝心の白内障手術では、1つ問題が発生しました。それは、手術翌朝の検診で視力は完全に復活していたのですが、眼圧が高くなってしまったことです。全体的に白っぽく見えたのも眼圧の影響によるもののようです。(ご参考:東京逓信病院 眼圧)
処方された薬は、眼圧低下のための内服薬がダイアモレックス錠250mgと点眼液がチモプトールXE0.5%です。また、点滴も受けました。これは、稀に眼圧が下がらず定常化してしまうケ-スもあるためです。恐る恐る受けた翌日の眼圧検査は合格、無事退院となりました。退院翌日、地元の眼科医院での検査でも眼圧はレーシック手術による影響を加味しても基準値内に入っているとこのでした。内服薬はすでになくなっており、点眼液も後4日間でOKということになりました。もっとも、1週間後に再度検診を受けることになっています。こちらの先生のお話では術後、一過性に眼圧が上がるのは特別珍しいことではないとのことでした。
以降は、入院中に読んだ緑内障の本に関するものになります。幸い今は緑内障ではありませんが、大変怖い病気と認識しています。
著者:平松 類
初版発行:2022年6月
出版:ライフサイエンス出版(株)
目次
01 緑内障の治療効果を高める本書の使い方
02 年代別緑内障治療方針チャート
03 一般的な緑内障の治療方針
04 緑内障診察・検査フローチャート
緑内障目薬・内服薬一覧
緑内障手術一覧
緑内障レーザー治療一覧
はじめに
LESSON1 病気編 ―まずは緑内障について知ろう―
Q1 緑内障は失明しますか?
Q2 白内障はよく聞きますが、緑内障とは違うのですか?
Q3 緑内障とはどんな病気ですか?
Q4 緑内障は治りませんか?
Q5 未来の緑内障治療や道具にはどんなものがありますか?
Q6 緑内障と診断されましたが、見えているから大丈夫ではないですか?
Q7 自分でできる視野のチェック方法はありますか?
Q8 緑内障になったらどのように進行しますか?
Q9 緑内障にはどんな種類がありますか?
Q10 日本人にもっとも多い正常眼圧緑内障とはどんな病気ですか?
Q11 緑内障は子どもでもなる病気ですか?
COLUMN① エビデンスとは何か?
LESSON2 食事・栄養編 ―食事・栄養に注意して緑内障の進行を抑えよう―
Q12 緑内障になったら自分でできることはないですか?
Q13 緑内障によい食べものはありますか?
Q14 緑内障の人が控えたほうがいい食べものはありますか?
Q15 緑内障の人がチョコレートを食べてもいいですか?
Q16 緑内障にアルコールとタバコは影響しますか?
Q17 緑内障に水分のとりすぎはよくないですか?
Q18 緑内障の人はコーヒー・お茶を飲んでもいいですか?
Q19 目によいといわれるブルーベリーは緑内障にもよいですか?
Q20 目によいといわれるルテインは緑内障にもよいですか?
Q21 緑内障によいビタミンはありますか?
Q22 緑内障によいサプリメントはありますか?
COLUMN② 緑内障の情報をどうやって入手するか?
LESSON3 生活編 ―自分でできることを見つけよう―
Q23 緑内障になったらダイエットをしたほうがよいですか?
Q24 緑内障には適正な体重はありますか?
Q25 緑内障の人におすすめの入浴法はありますか?
Q26 緑内障になったらどれくらい睡眠を取ればいいですか?
Q27 緑内障になったら睡眠時に注意することはありますか?
Q28 緑内障で精神的な不調になったらどうすればいいですか?
Q29 緑内障になったらメガネとコンタクトレンズのどちらを使えばいいですか?
Q30 緑内障になったらサングラスは使った方がいいですか?
Q31 緑内障になってもスマートフォン・パソコンを使っても大丈夫ですか?
Q32 緑内障で目が疲れたり、痛くなったりするときはどうすればいいですか?
Q33 緑内障には目を温めるとよいと聞きましたが本当ですか?
Q34 緑内障にマッサージはよいですか?
Q35 緑内障によいセルフケアはありますか?
Q36 緑内障で注意が必要な趣味はありますか?
Q37 緑内障で注意が必要な運動はありますか?
Q38 緑内障になったらおすすめの運動はありますか?
Q39 緑内障になっても読書をしていいですか?
Q40 緑内障が進行したらどういう生活になりますか?
Q41 緑内障で目が見えなくなったらどうすればいいのですか?
COLUMN③ 新しい健康情報をどう判断すればいいか?
LESSON4 診察・検査編 ―自分の緑内障の状態を知ろう―
Q42 緑内障検査にはどんな種類がありますか?
Q43 緑内障の疑いがある視神経乳頭陥凹拡大といわれたらどうすればいいですか?
Q44 医師によって緑内障かどうかの意見が分かれるときはどうしたらいいですか?
Q45 緑内障の専門医はどうやって探せばいいですか?
Q46 緑内障になったらどんな眼科がおすすめですか?
Q47 緑内障になったらどのくらいの通院頻度になりますか?
Q48 緑内障について医師に聞いておくべきことはありますか?
Q49 眼圧はどうやって測りますか?
Q50 眼圧の測定方法には種類がありますか?
Q51 OCT検査のデータはどうやって見るのですか?
Q52 視野検査には種類がありますか?
Q53 視野検査の結果はどうやって見るのですか?
Q54 視野検査を受ける際の心構えはありますか?
Q55 セカンドオピニオンは受けてもいいですか?
COLUMN④ 緑内障の体験談の活用方法
LESSON5 治療方針編 ―自分の治療方針を知ろう―
Q56 緑内障治療の流れを教えてください。
Q57 眼圧はどのくらい下げればいいですか?
Q58 眼圧が下がったのに視野欠損が進行する場合はどうすればいいですか?
Q59 緑内障は初期・中期・後期で治療は変わりますか?
Q60 年代で治療方法の違いはありますか?
Q61 近視がある人の緑内障治療は、近視のない人と違いがありますか?
COLUMN⑤ 緑内障を誰にどこまで打ち明ける?
LESSON6 目薬編 ―目薬を知って治療効果を高めよう―
Q62 目薬にはどんな種類がありますか?
Q63 目薬の処方はどうやって決まりますか?
Q64 目薬はどう差せばいいですか?
Q65 目薬を差した後の注意点はありますか?
Q66 2種類以上の目薬を差す場合の順番はありますか?
Q67 緑内障の治療効果を上げる方法はありますか?
Q68 目薬はいつ・どのタイミングで差せばいいですか?
Q69 目薬の副作用にはどんなものがありますか?
Q70 目薬が合わないときはどうすればいいですか?
Q71 目薬を差し忘れたらどうすればいいですか?
COLUMN⑥ 緑内障とお金
LESSON7 手術編 ―手術・レーザー治療の効果とリスクを知っておこう―
Q72 手術やレーザー治療をするといわれたら聞いておくべきことはありますか?
Q73 手術で緑内障はよくなりますか?
Q74 手術やレーザー治療はどんな場合にすすめられますか?
Q75 レーザー治療にはどんな種類がありますか?
Q76 手術にはどんな種類がありますか?
Q77 負担の少ないMIGSってどんな手術ですか?
Q78 緑内障手術の最終手段チューブシャント手術はどんな方法ですか?
Q79 なぜ緑内障なのに白内障手術をすることがあるのですか?
COLUMN⑦ 緑内障治療に私のYouTubeチャンネルの動画コメント欄とライブ配信を活用しよう!
LESSON8未来の治療編 ―緑内障治療の未来を知って希望をもって治療を続けよう―
Q80 iPS細胞による緑内障治療はどこまで進んでいますか?
Q81 緑内障の再生医療の未来はどうなりますか?
Q82 緑内障の遺伝子治療の未来はどうなりますか?
Q83 AIで緑内障治療はどう変わりますか?
Q84 将来、緑内障でも生活しやすい状況になりますか?
Q85 将来、緑内障は治りますか?
おわりに
参考文献
目次
はじめに
・平松先生の3つの出来事のお話しがとても印象的でした。
1.両親が緑内障になり、“他人事”ではなく“自分事”になった。「緑内障を治したい」と強く思うようになった。
2.緑内障にまつわる研究を行った。多くの論文を読み、学んだ知識を実際の患者さんに活用した。
3.緑内障患者さんとのふれあい。今までの説明が医師都合であり、患者さんは正しく理解できていないこと知り、緑内障の患者さんの悩みや苦しみにも配慮ができるようになった。
こちらは平松 類先生のYouTubeです。大変、充実したサイトです。
LESSON1 病気編 ―まずは緑内障について知ろう―
Q9 緑内障にはどんな種類がありますか?
●もっとも多いのが「開放隅角緑内障」で全体の約78%を占めている。続いて「閉塞隅角緑内障」が約12%、続発緑内障が約10%である。他にわずかだが、「小児緑内障」がある。
●開放隅角緑内障は房水といわれる眼球の中の水の出口である隅角が何らかの原因で塞がったり、狭くなったりすることで起こる。房水の流れが悪くなると眼圧が上がり、視神経がダメージを受ける。
画像出展:「VIATRIS 緑内障の情報サイト」
左側が約78%とされている“開放隅角緑内障”、右側が約12%とされている“閉塞隅角緑内障”です。
●閉塞隅角緑内障で注意すべきは、使用できない薬があることである。それらは風邪薬、内視鏡を用いる際に消化管の動きを抑制する薬、全身麻酔薬、向精神薬、睡眠薬などである。
●続発緑内障には、糖尿病網膜症、血管閉鎖の病気による血管新生緑内障、瞳孔や水晶体に付着部がつく病気による落屑緑内障、ぶどう膜炎を原因とする緑内障、ステロイドの副作用によるステロイド緑内障などがある。
LESSON2 食事・栄養編 ―食事・栄養に注意して緑内障の進行を抑えよう―
Q13 緑内障によい食べものはありますか?
●目に限らず身体を作るにはタンパク質が必要である。同時に栄養バランスも重要である。
●目も毎日代謝している。古い細胞から新しい細胞に変わっている。
Q14 緑内障の人が控えたほうがいい食べものはありますか?
●糖尿病や高血圧症は緑内障にとっても良くない。特に血糖を上げないことが重要である。これは糖が血管にダメージを与えるからである。また、精白小麦粉など精製された食材も血糖を上げやすい傾向があり注意を要する。
Q17 緑内障に水分のとりすぎはよくないですか?
●急激な飲水は眼球の中の房水を増やし眼圧を上げる。5分間で1Lの水を飲む実験では「6~7㎜Hg程度眼圧が上がった」という研究がある。特に女性や目薬を3剤以上併用されている人は急激な飲水は眼圧を上げやすいので注意しなければならない。
Q20 目によいといわれるルテインは緑内障にもよいですか?
●ルテインは抗酸化物質の一種である。アントシアニンと異なり体内に取り入れられたルテインは目に集中して届く。黄斑部や水晶体にも含まれ、目の老化を防ぐ作用もある。目に含まれるルテインは40歳辺りから減ってくるので、特に40歳以上の人にはお勧めできる。
●ルテインを多く含む食材にホウレンソウがあるが、尿管結石のように体内に石ができやすい人はサプリメントが望ましい。
●緑内障に対しての効果は未知数だが、抗炎症作用の他、白内障や加齢黄斑変性など目の病気の予防にルテインの摂取はよいことである。
画像出展:「ひとみの専門店」
ルテインは目の重要な部分(水晶体と黄斑部)に含まれている栄養素です。
Q21 緑内障によいビタミンはありますか?
●緑内障にとって特に重要なビタミンはビタミンAとビタミンCである。ビタミンAの中のレチノールは目から入る光の反応に関係する非常に大切な成分で、特に暗いところで見る際に重要である。食材ではニンジンやホウレンソウを油で炒めると体内に吸収されやすい。
●ビタミンCは老化を防ぐ抗酸化作用がある。ビタミンCは水溶性なので取り過ぎに注意はいらないが、毎日摂取することが望ましい。食材にはレモン、ブロッコリー、ホウレンソウなどがある。
第3章 RNAがもたらす医療の劇的な進歩
●RNAは医療診断における強力なツール
・RNAは行動力の塊である。RNAが存在しなければ、DNAは生気のない化石であり、タンパク質も何もつくりださない。
・RNAに関する研究は、1910年から2020年のあいだにノーベル賞を16回受賞。うち9回がノーベル生理学・医学賞、7回が化学賞である。
・『急性白血病(血液のガン)を例に挙げよう。ときに子どもを襲う、治療法が確立していない病気だ。2021年、研究者たちはRNAを調べてこの病気を研究した。患者である子どもたちから1500件のRNAを採取して回収、驚いたことに、思ってもいなかった場所で偶然、特定のRNAをみつけたのだ。この異常性は、運よく、治療法がわかっているほかのガンでもみつかり、この発見によって治療法が判明した。これは典型例だが、RNAを研究すると診断につながり、新しい治療の道が開ける証拠である。』
●いまや、唾液に含まれるRNAで多くの病気の診断ができる
・唾液があれば、侵襲的な検査は不要である。唾液には様々な微生物に加えRNAも含まれており、それらによって身体のあらゆる部分について、非常に多くの診断が下せる。
・唾液は耳下腺、顎下腺、舌下腺によって分泌される。また、腸や肺は微生物の貯蔵庫である。
・唾液は薬の効力や毒性を知らせる。
・ウィルス感染では免疫応答やウィルスの伝染性まで明らかにできる。
●RNAがもたらす何世代にもわたる遺伝
・RNAはいわばエピジェネティクス(後世遺伝学:環境によって遺伝子が介入する)の「グランド・マスター」である。ヨガや瞑想が健康に直接的な影響を与えるのは、血液や脳の細胞の中にある特別なRNAの一部を変えるからである。
画像出展:「Pubmed」
・『RNAがエピジェネティクスの達人だという例を挙げよう。女の子が生まれるとき、その子は母親由来のX染色体1本と、父親由来のX染色体1本を回収している。そこへ、Xistという名前の1個の長いRNAが、前もってどちらかはわからないのだが、2本のうちの1本のX染色体を覆い隠し、それを不活性化してしまうのだ』
・トラウマ的記憶は精神だけでなく、生理学や身体にも関わっており、そこで重要な役割を果たしているのがRNAである。
・第二次世界大戦において、オランダでは食料品の禁輸措置により平常時の4分の1になった。この飢餓事件の研究は1995年に行われた。そしてそれ以降いくつかのグループによって研究が重ねられた。この結果、生理学的な遺伝が存在することが分かった。いわゆる「世代間の遺伝」である。さらに、両親、祖父母だけでなくもっと遠い祖先からの遺伝を受け継ぐことも判明した。こちらは「世代を超えた遺伝」と呼ばれている。
●遺伝子の発現を抑制するRNAの働き
・身体に必要な量のタンパク質を適切に合成するのはRNAの働きによる。タンパク質が多すぎるとRNAが余分なタンパク質を破壊し、足りなければ新たに作る。このメカニズムは「RNA干渉」と呼ばれており、RNAによる遺伝子の発現を抑制する現象である。この干渉メカニズムは非常に強く、一つの細胞の中で狙いをつけたRNAをすべて消滅させる能力がある。RNAをベースにして開発された薬はすべて、こうしたメカニズムが基本になっている。
●RNAを使った革新的な治療薬
・多くの病気はあるタンパク質が異常に堆積して、不均衡を生じることが原因である。
・RNAを活用した薬(核酸医薬)が他の薬に比べて特にユニークなのは、真のスナイパーであるという点である。狙いを定めた他のRNAをこれほど正確に修正する能力は革命的であり、特に遺伝疾患の治療には最も有効である。
※ご参考2:RNAを標的とした低分子創薬の推進
※ご参考3:新規RNA創薬
4章 これだけある新型コロナワクチンの危険性
●新型コロナワクチンによって体内でできるスパイクタンパクの危険性
・新型コロナワクチンはスパイクタンパクという名の新型コロナウィルスのタンパク質を作る。問題はこのタンパク質は不活性化されていない。つまり、従来のワクチンに照らし合わせて考えるならば、無害ではないということである。特に問題となるのは、私たちはこの不活性化されていないスパイクタンパクが身体にどんな影響を及ぼすか知らないまま、抗体を作っていることである。さらに、私たちの免疫防御システムが、スパイクタンパクを生成する私たち自身の細胞を攻撃する可能性があることである。このことが、私たちの身体を不安定な状態にする。
・新型コロナワクチンは私たちの身体を部分的な自己破壊にいたらせ、自己免疫疾患を引き起こす可能性を排除できない。
●スパイクタンパクは消滅する前に体内を循環する
・スパイクタンパクは消滅する前に体内を循環するため、脳等の一部の組織と結びつく時間がある。
・ヒトの研究ではスパイクタンパクは血管の中で、心血管疾患特有の炎症を引き起こし、さらに血栓をつくることもある。同じくヒトの研究で、スパイクタンパクには白血球の中でウィルスの塩基配列を再活性化させる力があるということである。この種の再活性化は、ガンや多発性硬化症、統合失調症などの神経疾患や多発性関節リウマチ、一型糖尿病などを誘発することが分かっている。
画像出展:「Pubmed」
・炎症などによって体力が衰えたときに、スパイクタンパクは凝固物をつくることがある。これはアミロイド型の蓄積物を作る可能性につながる。
●人工のmRNAは体内に入ってどのような動きをするのか
・『自然のmRNAは、遺伝情報が保存されている細胞核から、厳重に管理された最初の境界線を超えて、細胞質(細胞核以外の領域)へ向かう。そこでそのまま細胞内にとどまることもあれば、エクソソーム(細胞外小胞)に包まれて二番目の境界線を超え、体内を循環することもある。これらそれぞれの段階で、自然のmRNAは非常に多くのものに出会い、非常に多様な修正を受ける。
他方、ワクチンに含まれる人工のmRNAは、小さな脂質の膜に包まれている。この膜は脂質ナノ粒子(LNP)で作られている。LNPは脂肪質の座薬のようなもので、おかげでmRNAは簡単に細胞に入り込むことができ、時間を費やしながら体内を循環する。ということは、体内に長くとどまっているということで、当然ながら、mRNAはあらゆるタイプの細胞内でみつかる可能性がある。』
・『mRNAワクチンは筋肉に注射される。ファイザー社のデータによると、その後15分以内に血液中に見いだされ、それからmRNAを包んだ脂質の膜は組織中に拡がっていくのだが、いつ分解するかはわからないままだ。
それらは肝臓(代謝を管理する)に打撃を与えるだけでなく、脾臓(免疫を管理する)にも、副腎(ホルモンを生成する)にも、卵巣(おかげで子どもが授かる)、骨髄(血液細胞の生成を管理する)にも到達して傷つける。それどころか、肺、腎臓、膀胱、目、心臓、そして脳にも到達するのである。
要するに、注射後の動きを追跡すると、私たちの身体全体が恒常的な慢性炎症状態と、免疫の疲弊に陥っていくのがわかるのだ。これはマウスで行なわれた研究でも示されていた。その研究では、「前臨床試験で使用された脂質ナノ粒子には強い炎症性がある」と指摘されていた。
つまり、mRNAはラットにもマウスにも、そして人間にも、体内組織に重大な打撃を与えるのである。この研究が発表されたのは2021年2月、ワクチン接種のキャンペーンが真っ盛りの頃だ。この研究結果を受け、ファイザー社は、遅まきながら、それらを明示したものを機密文書として供給、それが日本政府と、欧州医薬品局(EMA)の特定レポートで公表されている。』
●新型コロナワクチンが妊婦や授乳中の母親に推奨されない理由
・『アメリカ国立衛生研究所(NIH)は世界的に有名な研究所で、このテーマに関する研究はすべて受理していたのだが、各メディアへの発表を決断したのはうち2件の研究のみだった。おそらく何か不安を抱かせることが明らかになったのだろう……。その2件の研究が明らかにしたのは、mRNAは母乳のなかに入り込んでいるということだ。「一つの研究では、母乳のサンプル40件のうち36件で、もう一つの研究ではサンプル309件のうち5件で、mRNAが検出されるレベルにあった。
これらの結果は複数の出版物に掲載された。たとえば「ジャーナル・オブ・アメリカン・メディカル・アソシエーション小児科」2022年9月26日号や、「免疫学のフロンティア」2023年1月11月号などだ。』
本書に紹介されていたURLをタイプしたところこのサイトが現れました。これは英国政府のサイトです。
感想
筋肉に注射されたmRNAワクチンは、脂質の膜に包まれあらゆる組織中に拡がっていきます。最大の問題は、それが、いつ分解されるか分からないということだと思います。
そして、長く組織に滞留することで、私たちの身体が恒常的な慢性炎症状態と、免疫の疲弊に陥っていく可能性があるということだと思います。その一方でその影響は個人差があるため、判断が難しいのも事実だと思います。
※ご参考6
この3カ月で気になるニュースが3つありました。あくまで可能性の話になりますが、これらの原因に慢性炎症や免疫低下が関係しているのではないか、それはコロナワクチンのブースター接種が関係しているのではないかということが、どうしても気になります。
まず、以下の2つの表はAI(Perplexity)の回答です。上表は「慢性炎症とIgG4関連疾患との関係」、下表は「コロナワクチン接種(特にブースター接種)とIgG4関連疾患との関係」です。
画像出展:「AI(Perplexity)が作成」
画像出展:「AI(Perplexity)が作成」
こちらは「のばなクリニック」さまの“IgG4関連疾患とは?”というタイトルの動画(2分5秒)です。
以下が3つのニュースです。慢性炎症と免疫低下との関連を調べてみました。
画像出展:「AI(Perplexity)が作成」
画像出展:「AI(Perplexity)が作成」
画像出展:「AI(Perplexity)が作成」
※ご参考7
ネットを見ていて、レプリコンワクチンというワクチンのことを知りました。
安全性に関して、NIBIOHN(国立研究開発法人 医療基盤・健康・栄養研究所)の山本センター長のお話では、『mRNAは細胞の中で複製されるが、最初に接種する量がこれまでのmRNAワクチンと比べて少なくワクチンの成分が入る細胞の数も少ない。細胞には寿命があり、細胞が死ぬと複製もできなくなるので、無限に増えることはない。』
とのことだったのですが、気になったので調べたところ、神経細胞や心筋細胞など分裂せず長期間機能を維持する細胞もあるようです(参照:“Dr.Gotoの老化研究所 健康長寿” 最後の方です。「— 生体内で分裂を停止した分裂細胞がどのくらい長生きか、機能がどのくらい保たれるかは分かっていない。—)。
画像出展:「AI(Perplexity)が作成」
※ご参考8
2023-2024年シーズンのインフルエンザ感染者数は、前年2022-2023年の約4.2倍だったとされています。免疫が低下すれば感染リスクが高まるのは明らかですが、“慢性炎症”との関係は何かあるのか調べてみました。
画像出展:「AI(Perplexity)が作成」
結論は、直接的な関連性はないがいくつか間接的な懸念点があるようです。
新型コロナが5類感染症に移行したのは2023年5月8日なので1年半近く経ちました。また、2024年4月17日、東京地裁でのコロナワクチンに関する集団訴訟の一件がニュースや新聞に取り上げられていました。
画像出展:「毎日新聞 特集 新型コロナウィルス」
一方、先日、ネットで東京都医学総合研究所”さまの記事を見つけました。
タイトルは『IgG4関連疾患の危険因子としてのCOVID-19 mRNAワクチン』です。
画像出展:「東京都医学総合研究所」
私事ですか、自分自身の健康において気になっているのは腎臓です。Cr(クレアチニン)値の1.08は基準値を超えています。血液検査は年3、4回、家族性高コレステロール血症のために行っています。今回、掛かりつけの先生にご相談させて頂き、IgG4関連腎臓病の可能性を排除する目的で、IgG4、IgE、血清補体価、そしてシスタチンCの4つを血液検査に加えて頂くことにしました。その結果は以下の通りです。
腎臓疾患が懸念される場合の血清補体価は低値になるとのことです。高値の場合は炎症性の疾患に注意する必要があるようです。シスタチンCは筋肉などに左右されないため、クレアチニンよりも腎臓の状態を正しく把握できるとされています(ただし、ステロイド等の薬剤の影響を受けやすい)。数値は高めでしたが、基準値内だったので一安心というところでした。
画像出展:「AI(Perplexity)が作成」
AI検索のPerplexityに質問した回答です。さらなる研究が必要とされていますが、mRNAワクチンに関する懸念点が上がっています。
画像出展:「AI(Perplexity)が作成」
日本でのコロナワクチンの接種回数の情報です。私は3回でストップしています。今後、コロナウィルスが強毒化した場合には接種を検討しようと思っていますが、可能であればタンパク質ベースのワクチン(NVX-CoV2373)が望ましいかと思っています。
上記のことを色々調べていて今回の本を知りました。コロナワクチンに関しては今まで3冊の本を読んでいるのですが、この本の著者が外国の方だったので、どんな内容なのか興味を持ちました。
著者:アレクサンドラ・アンリオン=コード
訳者:鳥取絹子
発行:2023年12月
出版:詩想社
まず、著者のプロフィールをご紹介させて頂きます。
アレクサンドラ・アンリオン=コード
●イギリス・フランス両国籍をもつ遺伝学者、元フランス国立衛生医学研究所 主任研究員。1969年生まれ。
パリ・ディドロ大学で遺伝学の博士号を取得し、ハーバード大学医科大学院で神経内科医として働いたのち、2019年までフランス国立衛生医学研究所(INSERM)の主任研究員として数多くの研究チームを率いた。主な研究分野はRNAおよび遺伝性疾患。ミトコンドリアマイクロRNAに関する研究の第一人者として国際的に認められている。
RNA研究の権威として、新型コロナワクチンの本当の安全性、有効性を指摘した本書は、フランス国内で瞬く間に16万部を超えるベストセラーとなり、世界各国で続々と翻訳・出版されている。
ブログは「RNAとは何か」と「コロナワクチンの問題」の2つに注目しました。
目次
第1章 ウィルスよりもワクチンのほうが危険という現実
●かつてないほどの短期間で開発・製品化されたワクチン
●結局、ワクチンはコロナへの感染、重症化を防げない
●ワクチン接種の危険性を示す世界各国のデータ
●ワクチン接種によって免疫機能が低下する
●公開が求められているモデルナ・ファイザー社の臨床試験データの中身
●ワクチンがもたらす危険な副作用リスト
●ワクチン接種の推奨をやめはじめた世界各国の動き
第2章 新型コロナワクチンに使われたRNAとは何か
●二つの遺伝物質、DNAとRNAが私たちの身体をつくっている
●DNAとRNAの違い
●多様な形、さまざまな種類があるRNA
●RNAがもつ未知の可能性
第3章 RNAがもたらす医療の劇的な進歩
●RNAは医療診断における強力なツール
●いまや、唾液に含まれるRNAで多くの病気の診断ができる
●RNAがもたらす何世代にもわたる遺伝
●遺伝子の発現を抑制するRNAの働き
●RNAを使った革新的な治療薬
●RNAを調べれば、何を食べてきかもわかる
第4章 これだけある新型コロナワクチンの危険性
●mRNAの研究がなかなか進まなかった理由
●さまざまなタンパク質をつくる天才的な存在
●前立腺ガンの治療ではじまったmRNAワクチンの試練
●失敗し続けている皮膚ガン治療における研究
●肺ガン、エイズの治療でも失敗続きのmRNA研究
●脳腫瘍、狂犬病の治療でもよい結果は出ていない
●研究課程でみえてきた副作用の驚くべき重症度と多様性
●胃腸ガン、ジカ熱に対しても効果が出ていないmRNA研究
●製品化への審査が簡略化されたmRNAワクチン
●20年以上かけても、臨床試験で成功していなかった研究
●これまでのワクチンと、新型コロナワクチンとの決定的な違い
●新型コロナワクチンによって体内でできるスパイクタンパクの危険性
●スパイクタンパクは消滅する前に体内を循環する
●研究者たちの意見を無視して進められた新型コロナワクチンの接種
●新型コロナワクチンの消費期限、品質への疑問
●自然界に存在しないmRNAを体内に入れたらどうなるか
●人工のmRNAは体内に入ってどのような動きをするのか
●新型コロナワクチンが妊婦や授乳中の母親に推奨されない理由
●個人がこれまで受け継いできた遺伝子を変えてしまうワクチン
●私たちのみならず私たちの子孫のゲノムまで修正される
●遺伝子の修正でガンのリスクが高まる
●ファイザー社が公表する副作用リストに、なぜ遺伝性疾患があるのか
第5章 ワクチンの認可、
●巨大製薬会社が抱える薬害スキャンダルの実態
●ファイザー社の数々の不祥事から垣間見える倫理観
●臨床試験が終わっていない段階で製品化されたワクチン
●疑問だらけのコロナワクチン認可の経緯
●コロナワクチンを異様な高値で売りまくる巨大製薬企業
●コロナワクチン開発に際し、80億ドル以上の公的資金を得ている
おわりに
第1章 ウィルスよりもワクチンのほうが危険という現実
●ワクチン接種の危険性を示す世界各国のデータ
・ファイザー社のワクチン関連資料サイトの情報
-データを閲覧できるのは約75年後、閲覧対象は3カ月間の臨床試験結果のみ。
・WHOの「ヴィジアクセス」によると、コロナワクチン接種開始後の1年間だけで、好ましくない事象は、過去50年間に報告されたインフルエンザ副作用の総数の10倍に達している。現時点で報告されているのは、「1100万件の好ましくない作用と、7万件以上の死亡例」である。
●ワクチンがもたらす危険な副作用リスト
・月経障害:イスラエルの厚生省ならびにイタリアの医学誌『オープン・メディシン』(2022年2月号)によると、接種回数に関係なく、ワクチンを接種した女性の10~65%がこの症状に関係している。
こちらはNIHのサイトにあった情報です。
・心疾患(心筋炎、心膜炎など):19歳~39歳の若年男性にとってmRNAワクチンを接種した回数と関連性があり、米国と北欧諸国は医学誌『ジャーナル・オブ・アメリカン・メディカル・アソシエーション』で、イスラエルでは科学誌『ネイチャー』でデータが公表されている。
こちらはJAMAのサイトにあった情報です。
・神経障害(脳梗塞型の脳血栓、脳静脈血栓症、アルツハイマー型認知症や記憶障害、感覚障害型の末梢神経障害、ベル麻痺、てんかん、ギランバレー症候群型の免疫性神経障害、横断性脊髄炎など):特に神経変性から認知症なる神経障害は、ワクチン接種後に多くなることが報告されている。WHOの「ヴィジアクセス」のサイトには、170万件の神経障害がリスクアップされている。
こちらはWHOのヴィジアクセスのページです。
第2章 新型コロナワクチンに使われたRNAとは何か
●二つの遺伝物質、DNAとRNAが私たちの身体をつくっている
・私たちはDNAとRNA、そしてタンパク質でつくられている。
・DNAとRNAが身体構造を完成させ、生きていくためのプログラミングを行っている。
●DNAとRNAの違い
・DNAは安定しているがRNAは不安定で脆弱である。これはRNAが一本鎖という構造であることと、RNAは身体の様々なところに存在し、それぞれの役割や環境によって常に変化するという特質をもっていることも関係している。RNAの中には私たちの一瞬の要求に応じた後、衰退(分解)してしまうものもある。
・RNAは調整役として、あらゆるシステムとコミュニケーションを行っている。
・DNAは常に核やミトコンドリアの中に留まっており(核DNA、ミトコンドリアDNA)、細胞の遺伝情報の金庫であり、エネルギーの産生所である。
●多様な形、さまざまな種類があるRNA
・RNAは1本の線もあればらせん状や環状になっていることもある。長さも様々である。
・ワクチンはmRNA(メッセンジャーRNA)が関係しているが、他にも重要なRNAはたくさんある。以下はその一部である。
-tRNA、rRNA、microRNA、siRNA、shRNA、piwiRNA、eRNA、lncRNA、snRNA、snoRNA、scaRNA、circRNA、vtRNA、yRNA、リボザイム(触媒として働くRNA)などがある。
●RNAがもつ未知の可能性
・microRNA(マイクロRNA)の役割はまだ完全に知られていないが、非常に重要なRNAである。それはガンやその他の重病では、マイクロRNAの位置が異常であるということが知られているからである。
・マイクロRNAは遺伝子の文字が20程しかない非常に小さなRNAだが、何万という遺伝子の中から調整を要する遺伝子を見つけることができる。そして、細胞の増殖と成長、胚の発達、組織の分化の調整、さらに細胞の死にもからんでいる。
・RNAの多様な形、計り知れない能力、修正力、変化に富んだ役割、いたる所に存在するという事実は分かっているが、まだまだ分かっていないことも多い。
・mRNAを利用したワクチンの影響もRNA自体が解明されてないため、未知な部分が多いと言える。
・あらゆる調整の中心になっているRNAは多くの病気の診断に関わっている。感染症、遺伝疾患、神経症、ガン等である。
・『2017年、マサチューセッツ工科大学(MIT)の研究スタッフが、未知の遺伝性筋疾患の患者50人のRNAのゲノムを、初めて分析した。実は、それまでDNAによる遺伝子検査を入念に行ったにもかかわらず、変異はいっさいみつからなかった。ところが、初のRNAのゲノム分析のおかげで、これらの患者の3分の1で、それまで検出できなかった変異を特定することができた。これまで解明できなかった謎を解決するRNAの力が、この研究で明らかになったのだ。』
・採血はタンパク質を元に行われるが、タンパク質よりRNAをベースにした診断の方が望ましい。これは、DNAの遺伝情報をRNAがコピーし、それを伝えることでタンパク質が作られるからである。つまり、順番はRNAの方がタンパク質より先である。従って、RNAの段階までさかのぼることによって、病気の原因を発見するチャンスが増えると考えられる。
画像出展:「AI(Perplexity)が作成」
こちらはタンパク質生成におけるRNAの主な役割です。
第4章 光で脳を再配線する
光を用いて休眠中の神経回路を目覚めさせる
●小さな世界
・光の性質とは何だろうか。光線療法の治療への適用は、すでに確立されたもの(新生児黄疸、乾癬など)から、最近の流行(季節性情動障害への適用など)に至るまで広範囲にわたる。
●光は私たちが気づかぬうちに身体に入ってくる
・自然光でも脳の奥深くまで入ってくる。皮膚や頭蓋骨は光にとって絶対的な障壁にならない。太陽光のエネルギーは皮膚を通過して血液に影響を及ぼす。
・『医師は未熟児の救命には長けるようになったが、その代わり新生児黄疸が大きな問題になった。イギリスのエセックス州では、南側に面して日光が降り注ぐ中庭を持つ、第二次世界大戦の元戦時病院で、黄疸を抱えた新生児の治療が行われていた。子犬の飼育が得意な修道女のJ・ウィードがその任にあたっていた。彼女はよく、とりわけ繊細な新生児を保育器から出し、日光が降り注ぐ中庭に乳母車で運んだ。それを見た他のスタッフは不安を感じたのだが、その新生児たちの状態は改善し始めた。ある日彼女は、新生児の一人を裸にして、おずおずと担当医に見せた。日光にさらされた腹部はもはや黄色くなかったのだ。
黄疸にかかった新生児の血液サンプルが自然光のあたる窓際に置き忘れられるというできごとが起こるまで、彼女の言葉をまじめに受け取る者は誰もいなかった。回収された血液サンプルは正常だった。医師たちは何かの間違いであろうと考えたが、R・H・ドップス医師とR・J・クレーマー医師はさらに調査を進め、サンプル中の過剰なビリルビンがいつのまにか分解、つまり代謝され、血中のビリルビン濃度が正常なレベルを示していることを発見した。日光を浴びた新生児の黄疸が治ったのも、このためではないだろうか?
さらなる調査によって、皮膚と血管を通して、血液、およびおそらくは肝臓に達した光の青色の波長が、この驚嘆すべき治療効果を発揮したことが判明する。かくして光を用いた黄疸の治療が主流を占めるようになった。修道女ウォードによる偶然の発見は、私たち人間がそれまで考えられていたほど不透明ではないことを証明したのである。』
・現代の看護術の創始者であるフローレンス・ナイチンゲールは日光には治癒効果があると見抜いていたが、科学的な説明ができなかったため、病院の設計で自然光が重要視されることはなくなっていった。
・1984年、アメリカ国立衛生研究所のノーマン・ローゼンタール博士は、太陽光への暴露によってある種の抑うつを治療できることを示した。
・人間は視覚を光と結びつけて考える傾向があるが、人間と光の関係はもっと根源的である。それは植物に限った話ではない。目をもたない単細胞生物は光に反応してエネルギーを供給する分子を外膜上に持つ。
・好塩菌はオレンジ光を取り込み、感光性の分子がそれをエネルギーに変換する。感光性分子がオレンジ光を吸収すると、好塩菌はさらなる光のエネルギーを求めて光源に向かって泳いでいく。また、紫外線や緑色光を嫌う。好塩菌への影響が光の波長によって異なるという事実は、光の周波数がエネルギーのみならず、さまざまな種類の情報を伝達することを意味する。
・色に対する極端な敏感さは、私たちの身体を構成する個々の細胞やタンパク質の内部にも存在する。
・ビタミンCの発見によってノーベル生理学・医学賞を受賞したアルベルト・セント=ジェルジは、身体内で電子がある分子から別の分子に移ると(電荷移動と呼ばれる)、分子が色を変える、言い換えると、放射する光のタイプを変える場合があることを発見した。このように人間と光の遭遇は、皮膚に限られるものではない。
●講演と偶然の出会い
・低強度レーザー療法は3000件を超える科学文献にその基礎を置き、200件以上の臨床試験で肯定的な結果が得られている。
こちらはPDF4枚の資料です(2009年12月)。
『結び:レーザー医学は、従来は不可能であった診断や治療を可能にするという点で意義がある。今後、レーザー技術の進歩とその医学への応用により、医学の研究や医療の
分野のみならず。医療経済の分野にも革命が起こる可能
性がある。』
※【レーザー光とは】NPO法人日本臨床医療レーザー協会
●レーザーはいかに生体組織を癒すのか
・レーザー光はATP生産の引き金になる。したがって、軟骨細胞、骨細胞、結合組織(線維芽細胞)などの健康な新細胞の成長や修復を開始し、促進することができる。
・レーザーは波長をわずかに変えることで、酸素消費の増大、血液循環の改善、新たな血管の成長の促進、組織への酸素や栄養の供給の増大をもたらすことができる。
・日光のエネルギーを細胞が利用できるエネルギー形態に変換するシトクロムは、レーザーがさまざまな症状を治癒する理由を説明する。
・光子のほとんどは細胞内のミトコンドリアに吸収される。薄い皮膜に覆われたミトコンドリアには、光感受性のシトクロムが詰まっており、日光の光子は皮膜を通過してシトクロムに接触すると吸収され、細胞内にエネルギーを蓄える分子の生成を促す。
・血管外科医のフレッド・カーンはシトクロム分子まで光を通すのに四つの手法を用いる。
『まず、封筒大の柔らかいプラスチック製の帯の上に、いくつかの列に並べられた、180個の発光ダイオード(LED)によって発せられる赤色光を用いる。臨床医は、通常およそ25分間、患者の体表面を赤色光で覆う。赤色光は1~2センチメートルほど身体を貫通する。この方法は、より深い位置にある組織の治癒を準備し、血液循環の改善を支援するために、つねに最初に用いられる。次にカーンは、およそ25分間、赤外線LEDの帯を使う。この光は、さらに5センチメートルくらい深く身体を貫通して、治癒効果を発揮する。LEDの光はレーザーに似た特性を持つが、レーザー光ではない。したがって、じかに見ても害はない。それからカーンは純粋なレーザー光を用いる。その際、まず赤色光レーザーのプローブを、そして赤外線レーザーのプローブを使う。レーザープローブはLEDよりもはるかに強力で、焦点を絞った光線を身体の奥深くまで貫通させることができる。レーザープローブを適用するまでには、表層の組織はすでに、赤色および赤外線LEDから発せられた光子で飽和しており、レーザーは組織の内部に光子のカスケードを形成し、身体内部22センチメートルの深さまで届く。レーザープローブはさまざまな箇所に短時間ずつ適用され、合わせておよそ7分間用いる。LEDとは異なり、レーザープローブの光をじかに見るのは危険なため、患者や医師は、使用中特殊なメガネをかける。光の「一服」のエネルギーは、光源が発する光子の量、および波長、すなわち光の色に依存する。アインシュタインが示したように、光の色は含まれるエネルギー量を表す基準となる。』
・レーザー光を用いれば、免疫系の必要な箇所に限定して、有益な炎症を引き起こすことができる。疾病により発生した炎症が停滞することで炎症は「慢性化」する。この場合、該当箇所にレーザー光を当て、行き詰まったプロセスの障害を取り除いて通常の消炎プロセスを発動させることにより、炎症、腫れ、痛みを減退させることができる。
・心臓病、うつ病、ガン、アルツハイマー病、自己免疫疾患(たとえば関節リウマチ)などの現代病は、一つには身体の免疫系が慢性的な炎症を過剰に引き起こすことで発症する。
・慢性炎症は免疫系が必要以上に長く機能し、場合によっては自己の身体組織を外的と見なして攻撃し始める。
・慢性炎症の原因は、食物や身体に蓄積された種々の有害化学物質を含め多々ある。慢性炎症を抱えた身体は、痛みやさらなる炎症をもたらす炎症性サイトカインを生む。
・レーザー光は抗炎症性サイトカインを増大させて過剰な炎症に対抗し、炎症を鎮める。
・抗炎症サイトカインは、慢性炎症に寄与する「好中球」細胞を減らし、外敵や損なわれた細胞を除去する働きをもつ「マクロファージ」と呼ばれる免疫系の細胞を増やす。
・レーザーは酸素によって組織に引き起こされたストレスを軽減する。身体は常時酸素を消費しており、非常に活動的で他の分子と作用し合うフリーラジカルと呼ばれる分子を生む。フリーラジカルが過剰になると、細胞が損なわれて、変性疾患が引き起こされる場合がある。
・レーザーは慢性炎症の細胞や、血液や酸素の供給が低下した細胞など、機能のはたらきが困難になって多くのエネルギーを必要としている細胞に対し、優先的に影響を及ぼすという機能がある。つまり、レーザーはもっとも必要とされる箇所に効果を発揮する。
・治癒には新たな細胞を作り出す必要がある。細胞の再生はDNAの自己複製から始まる。レーザー光は細胞内(およびRNA)の合成を活性化する。
・レーザーは脳に対しいかに影響を及ぼすのか。日光はセロトニンを分泌させる。一方、レーザー光はセロトニンに加え、痛みを和らげるエンドルフィンや損なわれた脳が失われた心的能力を再学習する際に役立つアセチルコリンなどの重要な脳内化学物質の分泌を促す。
・『カーンとスタッフたちは、20年におよぶ治療の実践を通じて、ほぼ100万件に達するレーザー治療の効果を観察し、どのタイプの症状や患者にどのプロトコルがもっとも有効かについての知識を蓄積してきた。カーンは現在でも、クリニックにやって来る患者の95パーセントを自分で診て、経過観察を行っている。患者の皮膚の色、年齢、脂肪や筋肉の量はすべて、吸収される光の量に影響を及ぼす。患者の反応に従って、療法家は光の周波数、波形、エネルギー量(一定の時間、単位面積あたりの組織を通過する光子の数)を調整する。マイケル・ハンブリンが指摘するように、「どんな治療にも、最適な光量がある。それより多くても少なくても、治療効果は得られないであろう。しかしときに、「量が少ないほうが、多い場合より効果がある」ことが見出されている。』
●レーザーは脳を癒す
・レーザーを使ったユニークな治療法には、オンタリオ州で製造された低強度鼻腔内レーザーを用いて、鼻の内部(血管が表面にも脳にも近い)に光を通し、ひどい不眠症をただちに治した例がある。
・『私はキムとカーンとともに、脳そのものを対象に治療が始められたわけではないのに脳の機能を回復したという、注目すべき現象を何度も見てきた。いくつか例をあげよう。私が会った高齢の男性アラン・ハンナフォードは、首の重度の骨関節炎のために治療を受けた。彼はまた、数年前に視覚皮質に卒中を起して視野の一部が破壊されたために、目が見えにくくなっていた。もちろん彼の首は治療によってよくなったが、驚いたことに、それと同時に視野も拡大した。というのも、首に向けられたレーザーの光が、脳の後方に位置する視覚皮質付近に当たったからだ。以降も、アランの改善された視力は維持されている。』
※ご参考
1)レーザー療法で痛みを緩和する(高崎健康福祉大学)
2)レーザー治療について(大城クリニック)
3)緑内障レーザー:選択的レーザー線維柱帯形成術(SLT)(東京逓信病院)
第7章 脳をリセットする装置
神経調節を導いて症状を逆転させる
Ⅰ.壁に立てかけた杖
●奇妙な装置
・『ウィスコンシン大学の研究室を訪れたロンは、古い建物の内部にある、実験装置をいくつか備えた小さな部屋に入った。建物の入り口のすぐ隣にはトラックの搬出口があり、廊下は改築中だった。ある患者が言うように、「科学の奇跡が起こる場所にはとても見えない」雰囲気だった。ロンは「その装置が効くのかどうかはわからないが、どのみち失うものは何もない」と思っていた。ウィスコンシン大学の研究チームは病歴について質問し、歩行と平衡感覚を検査したあと、ロンを音声調査部門に連れていき、彼の声を調査した。彼の発する声はひどく割れていて理解不可能であり、モニター上では小さなドットとして表示された。基本的な検査が終わると、彼らはうわさに聞いていた装置を取り出した。
その装置はシャツのポケットに入るくらい小さく、紐がついていて、ペンダントのように首にかけている研究者もいた。口に含んで舌に乗せる部分は、平らなチューインガムのように見える。平坦な部分の下側には、144個の電極が装着されている。装置の下側全体に、流動する刺激のパターンを生成するこれらの電極は、できるだけ多くの舌の感覚ニューロンを活性化できるよう調整された周波数によって、三組の電気パルスを発する。電極は、マッチ箱大の電源ボックスに接続されている。電源ボックスは口の外に置かれ、いくつかのスイッチとランプがついている。ユーリ、ミッチ、カートは、この装置をPoNSと呼ぶ。PoNSとは、「ポータブル神経調整刺激器」の略だが(神経可塑的な脳を刺激し、ニューロンの発火の状態を矯正するのでそう呼ばれる)、この装置の主要な治療対象の一つである脳幹の組織、橋(pon)の名称にもちなんでいる。彼らはロンに、できるだけまっすぐ立って、装置を口に含むよう指示した。装置は、穏やかな信号の波によって、痛みを引き起こさずに舌とその感覚受容器を刺激する。刺激はちくちくした感触を与えるが、ときにはかろうじて気づく程度のこともある。その場合、チームメンバーはダイヤルを調整して出力を上げた。しばらく経つと、彼らはロンに目を閉じるように促した。20分のセッションを2回行うと、ロンはハミングで歌えるようになり、4回のセッションを経ると再び歌えるようになった。その週の終わりには、「オールド・マン・リバー」を大声で歌っていた。
もっとも注目すべきことは、ほぼ30年間にわたって症状が着実に悪化していったあとだというのに、驚くべき速さでロンの状態が改善したことだ。現在でも多発性硬化症を患っている事実に変わりはないが、彼の脳の神経回路は、以前よりもはるかに良好に機能している。彼は二週間、月曜日から金曜日まで研究室に滞在し、休憩をあいだにはさみながら装置を口に含んで試した。最初の週には、一日に研究室で4回、家で2回のセッションを実施した。電子機器による音声テストでは、着実な音の流れが示され、大幅な改善が見られた。また、多発性硬化症の他の症状も改善し始めた。最後に研究室をあとにするときには、当初は杖をついてよろめきながらやってきた男が、マディソンチームの前でタップダンスを踊って見せたのである。』
PoNSが米国食品医薬品局 (FDA)によって販売承認されました。という記事です。こちらは“Cambridge Consultant"さまのサイトからです。
●なぜ舌は脳への王道なのか
・『しかしなぜ舌なのか? なぜなら、彼らの発見によれば、舌は脳全体を活性化するための王道だからである。舌は身体の組織のなかでも、もっとも鋭敏な器官の一つだ。』
・『口唇期の乳児は、ものを口に含み、舌で感じることで外界を知ろうとする。舌の表面には、触覚、痛覚、味覚を感じるための48種類の感覚受容器が存在し、先端だけでも14種類ある。これらの感覚受容器は神経線維を介して脳に電気信号を送る。ユーリの分析によれば、舌先には15,000~50,000の神経線維が存在し、それらによって、巨大な情報ハイウェイが形成される。PoNSは舌の前方3分の2を占めるように置かれるが、その位置には、舌の受容器から感覚情報を受け取る二つの神経が走っている。一つは触覚刺激を受け取る舌神経で、もう一つは味覚刺激を受け取る、顔面神経の分枝である。
これらの神経は、舌の背後およそ5センチメートルの位置にある脳幹に直接接続する脳神経系の一部を構成している。脳幹は、脳に出入りする主要な神経が集まる場所で、動作、感覚、気分、認知、平衡を司る脳領域と密接に結びついており、脳幹に入った電気信号は、脳のさまざまな部位を同時に活性化することができる。PoNSを使っている最中に被験者の脳の活動を脳スキャンやEEGで記録したマディソンチームの研究は、400~600ミリ秒後に脳波が安定し、脳のあらゆる部位がともに反応して、発火し始めることを示した。脳の障害の多くは、脳のネットワークが同期して発火しないために、もしくは発火が低調なネットワークが存在するために生じる。しかし脳スキャンを用いてさえ、どの神経回路が低調なのかを正確に特定できない場合が多い、神経可塑性のゆえに、人の脳はそれぞれ、ミクロレベルではいくぶん異なった様態で配線されている。したがって、脳スキャンによってある患者の特定の脳領域に損傷が見つかっても、その脳領域で何が生じているかを100パーセントの正確さで予測することはできない。ユーリは次のように言う。「だが、PoNSを使った舌の刺激は脳全体を活性化する。だから、どこに損傷個所があるのかがわからなくても、装置が脳全体を活性化してくれるのだ」。』
Ⅳ.わずかな支援で脳はいかにバランスをとるのか
●四種類の可塑的な変化
・ユーリは、200人の被験者を対象にする実験と、可塑的な変化の時間経緯に関する知見に基づいて、PoNSによって4種類の可塑的な変化が得られると論じている。
・第一のタイプ:声の改善(ロン)や平衡感覚の回復(ジェリ)に見られたようなただちに生じる反応である。装置使用開始後13分くらいで呼吸に変化が見られる。この迅速な変化は「機能的神経可塑性」と呼ばれている。PoNSは過剰に発火し続けるニューロンを抑制することで症状を改善する。
・第二のタイプ:「シナプス神経可塑性」と呼ばれる。数日から数週間、PoNSを使いながら訓練を続けることで、ニューロン間に新しく持続的なシナプス結合を生成することができる。最初の数日間でよく見られる変化は、睡眠、発音、平衡感覚、歩き方の改善である。このタイプの可塑的変化は、基盤にあるネットワークの病理に働きかける。
・第三のタイプ:シナプスだけでなくニューロン全体の変化が関与しており、「ニューロン神経可塑性」と呼ばれている。このタイプの変化は、神経回路を1ヵ月以上活性化する必要がある。研究ではニューロンは新たなタンパク質と内部組織の生成を開始する。
・第四のタイプ:「システム神経可塑性」と呼ばれる。これには1年から数年を要する(推奨は2年)。この段階では、装置は使わない。このタイプの可塑性は、前述の三つの可塑性のすべてが安定化し、新たなネットワークの基盤が確立する。
・必要とされる装置の使用期間は、疾病や症状によって変わる。進行性疾患(多発性硬化症やパーキンソン病など)では一生を通じて使用が求められる。これは、進行性疾患は毎日新たなダメージを引き起こすからである。
・PoNSはノイズに満ちたネットワークをリセットすることで症状の緩和に役立つが、根本的な炎症の病理と病原性因子を排除できないと、脳は元のノイズに満ちた状態に戻る。そのため、神経配線に関する特定の問題とともに脳細胞の全般的な問題に対処することが必要になる。
・PoNSによって改善できる症状とできない症状がある理由は、現在のところ明確になっていない。
・PoNSの価値は従来の薬物療法では効果がなかったさまざまな重い症状を、副作用なく改善することができることである。
●新たなフロンティア
・PoNSは、西洋の科学の概念や方法論を導入しつつ、ホリスティックで東洋的なあり方で、すなわち治癒のプロセスの一部としてホメオスタシスに働きかけ、自己制御を促進することで、身体の自助を支援するのである。
※低強度レーザーとPoNSとの比較
『低強度レーザーとPoNSはともに脳にエネルギーを通すが、一般にそれぞれ異なる生物学的レベルで作用する。低強度レーザーに関して言えば、その光が頭蓋を通過する際、進路に位置するすべての個々の細胞がそれを浴びる。光は慢性的な炎症を取り除き、選択的に損傷した組織にエネルギーを付与する。したがってレーザー光はおもに、現在わかっている限りで言えば、一つの脳領域全体の細胞の全般的な健康に働きかける。それに対しPoNSは「一緒に配線され」、関連し合う既存の機能ネットワークに働きかける。したがってそれは、ニューロンの特定のネットワーク機能を改善する。
低強度レーザーとPoNSはそれぞれ異なる脳のレベルで作用するために、両方の恩恵を受けられる患者もいる。問題が炎症に関するものなら(脳損傷、手術後の炎症、脳卒中、髄膜炎、おそらくは多発性硬化症、そしてある種の抑うつ)、脳の細胞環境を正常化するために低強度レーザーを先に試してから、ネットワークを正常化するためにPoNSを使うのが妥当であろう。』
第8章 音の橋
音楽の脳の特別な結びつき
Ⅲ.ボトムアップで脳を再構築する
●炎症を起こした脳のニューロンは結合しない
・身体の慢性的な炎症は、脳を含むあらゆる組織に影響を及ぼす。
・2005年にジョンズホプキンス大学医学部のチームによって行われた研究によれば、自閉症者の脳は炎症を起こしている場合が多い。検死解剖によって皮質と軸索に炎症が見出された。また、炎症は前庭系と強い結びつきを持つ小脳にとりわけ見られた。
・2008年以来5つの研究によって、かなりの数の自閉症の子どもは、子宮にいるあいだに脳細胞を標的とする母親由来の抗体を持つことが示されている。ある研究によれば、自閉症の子どもの母親の23パーセントはそのような抗体を持つ。それに対し、正常な子どもの母親に関して言えば、そのような抗体を持つ人はわずか1パーセントにすぎない。科学者は何が抗体を誘発するのかをまだつきとめていないが、おそらく自閉症の子どもの母親は、自身の免疫系を変えるような感染をしたか、あるいは毒素にさらされたのではないかと考えられている。
・自閉症の子ども自身も血中の抗体レベルが高い。
・慢性的な炎症は神経回路の発達を阻害する。自閉症の子どもにおいては、多くの神経ネットワークが「過少結合」され、脳の前面のニューロンと背後のニューロンの結合が不十分であることが画像で示されている。また、他の脳領域は「過剰結合」され、これは自閉症の子どもによく見られる痙攣発作の原因となっている。過少結合と過剰結合が組み合わさると、脳領域間の同期をとることが困難になる。
・まとめると、自閉症は遺伝的な危険因子と、多くの環境的な誘発要因の産物であり、誕生前に子どもに影響を与えることもあれば、誕生後に与えることもある。そして、免疫反応と炎症が顕著に見られる。これらの要因の結びつきは発達中の脳に悪影響を及ぼし、ニューロンの適正な結合とニューロン同士のコミュニケーションを阻害する。
※ご参考
1)うつ病や自閉スペクトラム症では「脳で炎症が起きている」説が、じつに明快だった(講談社)
2)母体の炎症が子供の自閉症につながるメカニズム(AASJ)
※ハーバートの理論
『「栄養不足、毒素、ウィルス、ストレスの結合、そしておそらくは遺伝的脆弱性によって全身に負荷がかかると」、脳の支援システムが圧倒される。炎症は多量の老廃物を生産する。脳は身体の他の部分と同様、常に老廃物と死んだ細胞を除去し、ニューロンを再構築しつつ栄養を供給しなければならない。この作業は、脳グリア細胞によって行われる。グリア細胞に過負荷がかかると腫れを起し、正常にニューロンのサポートを行えなくなる。ニューロンへの血液の供給は減り、ニューロンのミトコンドリアはストレスを受ける。グリア細胞の適切なサポートを受けられなくなったニューロンは、やがて「アイドリング状態」に入り、正常に信号を発することができなくなる。すでに述べたように、ニューロンは損なわれても、あるいは機能不全に陥っても、発火を続けて「ノイズ」を生んだり、過剰に興奮したり、統制を失ったりする。ハーバートの指標によれば、グリア細胞とニューロンのシステムに過負荷がかかると、ニューロンを興奮させる脳の化学物質グルタミン酸が大量に放出される。それによってニューロンが非常に興奮しやすくなって過剰になり、私の用語を用いれば、「ノイズに満ちた脳」に至る可能性がある。』
感想
最も印象的だったのはパーキンソン病を抱えたままほぼ健常者と遜色のない日常生活を送っている人達です。この中にはグローブシステムによって動きが戻った方も含まれています。
“Good vibrations Can Parkinson’s symptoms be stopped?"
『「まるで魔法のようでした」と、スタンフォード大学医学部の神経生物学者ビル・ニューサム博士は、手袋を使用する前と使用後のパーキンソン病患者の症状改善を示すビデオを初めて見たときのことを思い出しながら語った。』
パーキンソン病患者様への施術は決して多くはないのですが、来院された患者さまはすべて65歳以上で、若年性パーキンソン病の方に施術をしたことはありません。年齢的な要因が大きいのかもしれませんが、日本の患者さんに比べ動画に出てくる患者さんのポジティブさに驚きます。アプローチはそれぞれですが、いずれも動けるようになったという達成感があってのこととは思いますが、薬が当たり前の日本とのギャップが非常に大きく、もやもやとした残念な気持ちになります。
●運動と神経変性疾患
・ヒトのハンチング病の遺伝子を移植した若いマウスによる実験では、走行輪で運動(早歩きに相当)するマウスと走行輪のない実験環境で飼育されたマウスとを比較した結果、運動したマウスは人間の寿命に換算して約10年間、発症を遅らせることができた。この実験は神経変性疾患が「歩行」に影響されることを示した最初の実例と考えられる。
●ヘビと鳥のあいだを歩く
・「生きるために走る会/歩く会」は南アフリカの多くに支部を持つ組織で、この組織の援助のおかげでペッパーは自分の問題を克服することができた。プログラムは減量や血圧、コレステロール、インシュリン依存度の低下、さらに投薬からの脱却を促進する。インストラクターは正しく歩いているかどうかをチェックし、負傷や消耗につながる過剰な熱意を抑える役割を担っている。
-妻のシャーリーが減量と健康増進のためこの組織に入会していた。
-この組織のモットーは「節度」であった。つまり、ケガをしないこと。最初はゆっくり歩き、少しずつ歩く量を増やす。筋肉を休める時間を十分に取るというのが会社の方針だった。
-初心者は週に3回、ケガ防止のためのストレッチを10分間行った後、学校の運動場を歩いて10分間周回する。そして2週間ごとに5分ずつ歩行時間が延ばされる。
-4㎞歩けるようになると、速く歩く試みが許される。
-運動場ではなく路上を歩くことが許される。可能なら2週間経過するごとに1㎞ずつ距離を伸ばせる。歩行距離が8㎞に達したら、今度は時間を短縮する。歩いた後はクールダウンを行う。目標は1セッションに8㎞を歩くことである。
-1ヵ月に一度、メンバーは4㎞歩くのに要する時間を計測する。
・ペッパーの歩く姿勢が前かがみになっていることに気づいたインストラクターが、歩く姿勢の修正を始めた。それは肩を引いて姿勢をまっすぐに保つことを再習得するプロセスだった。この歩き方は平坦でない野原などでは難しかったが、ゆっくりと時間をかけたアプローチを1日置きに行い、休養日を間にとることで、所要時間を大幅に短縮できた。このことがペッパーの転機となった。何年にもわたり悪化していった状況のなかで、何らかの動作に関して少しでも改善が見られたのはこのときが初めてだった。
・運動は1日おきに1時間。目標は週に3回、脈拍を1分間に100以上、その状態を1時間保つ。注意すべきは自分自身の性急さであった。
・変化は非常にゆっくり起こった。そして、いくつかのパーキンソン病の症状が軽くなったり消えたりしていることに気づいた。その変化は周りの人も気づくものだった。休養日をはさみながら1日おきに運動することで、回復の可能性を感じられるようになった。また、ストレスにも注意した。
・ペッパーにとって重要だったことは、歩行という複雑な様態で自動化された行為をさまざまな部分に分割し、あらゆる筋肉の動き、収縮、体重の移動、手足の位置を細かく分析することだった。
・ペッパーはゆっくり歩くことによって、ほぼすべてのパーキンソン病患者に認められる典型的な問題を発見することができた。左足が体重を支えられるようになるまでに3ヵ月を要した。左足で体重を支えることに意識を集中すれば、もはやコントロールを失って倒れることはなかった。右足の膝は、かかとが着地するまでに伸ばせるようになった。これらを達成するには、極端に焦点が絞られた、ほとんど瞑想的とも言えるほどの集中力を必要とする。あたかも乳児が始めて歩行を学ぶときや、太極拳の入門者がより完全な動きを会得するために、スローモーションのようにゆっくりとした歩行を学ぶときと同じようである。ペッパーは自分の足取り以外にもいくつか発見した。それは歩幅、腕振り、上体の前かがみ、頭の傾きなどだがこれらの変化を完全に内面化するには、1年の実践を必要とした。
・ペッパーは一歩一歩に集中していれば、普通に歩けるようになった。今日でも細かい動作の観察をしている。後方になった左足の上げ方、膝の曲げ方、つま先の使い方に気をつけながら、足が十分に体重を支え、右足が地面から離れてまっすぐに伸び、右足のかかとを地面につけ、そのあいだに反対側の腕が振られるよう、そして体全体が前かがみにならないように注意している。
●意識的コントロール
・ペッパーと一緒に歩いていると、彼がこれらの動作のすべてを頭の中に入れているというのは信じがたい。しかし、それは確かに可能であるとペッパーは明言する。
・ペッパーは同時に二つのことができる。つまり、健常者が無意識に行なっていたいる動作を意識的にコントロールしつつ、会話のための「心的空間」を残すことができる。しかし、彼の興味を惹くことや狼狽させるようなこと、あるいは会話の内容が著しく深まるといったことが起きると、足を引き摺り始める。これによってペッパーがパーキンソン病患者であることに気づくことができる。
・ペッパーは歩行がうまくできるようになると、次には震えの意識的コントロールに挑んだ。パーキンソン病に見られる「安静時振戦」は意識的に身体の該当部分を動かしていないときに起こる。また、意識的に何かに手を伸ばそうとする際には「動作時振戦」を引き起こすことがある。メガネを持つと手が震えていたが、メガネの持ち方をあれこれと変えているうちに、強く握っていれば震えを抑えられることに気づいた。このことにより、ペッパーはパーキンソン病患者が失ったものは、あらゆる動作を結び付けて自動化するという、無意識に機能する能力であると理解した。
・ペッパーが考案したテクニックは、「通常は無意識に制御されている動作のコントロールを、脳の別の領域を用いる」というものだった。
●意識を動員するテクニックの科学的根拠
・意識的歩行が機能する理由は、黒質と大脳基底核の解剖学的構造と機能に基づいて論理的に説明できる。大脳基底核は脳の奥深くに位置するニューロンのかたまりで、脳画像で確認すると、一連の複雑な動作や思考を結合する学習過程で活性化する。また、様々な研究によって大脳基底核は日常生活における複雑な行動の選択を実行に移すための自動化されたプログラムの形成に寄与し、さらにはそれらの複雑な行動の選択と始動を支援することが分かっている。パーキンソン病は黒質を含む大脳基底核がうまく機能しない病気である。従って、大脳基底核に頼ることはできない。これは例えばピアノの練習と同様、心的努力の集中を必要とする。ペッパーの意識的歩行とは、子どもが初めて歩行を学ぶときのように、前頭前野や皮質下の神経回路を活性化させ、意識的注意を払いながら一つ一つの動作を学んでいくというものである。ペッパーの動作の指令は大脳基底核を迂回しているかのようである。
・パーキンソン病患者が抱える最大の困難の一つは、新たな動作を開始することである。何かの障害物等により一度立ち止まると、再び歩き出すことが困難な場合がある。これは自動的な行動の流れを開始する役割は黒質が担っているためである。ただし、外部からの刺激があれば簡単に動作を始めることができる。パーキンソン病患者は話かけない限り黙り、動かさなければ動かないように見える。また、彼らは自分から会話を始められないので、相手がまず会話の口火を切らなければならない。
“レーザー歩行支援”
3分5秒の動画です。床に照らしたレーザーポインターの光を視覚情報として取り込むことで脳を活性化させているとのことです。
・パーキンソン病のあらゆる症候の核心的な問題は受動性であり、それらを治療する主要な手段は活動性である。そして、受動性の本質は、刺激に反応する能力ではなく、自己刺激と動作の開始に対する独特の困難にある。
・ペッパーは人の助けを借りずに動作を始められる。これは問題の黒質や大脳基底核の機能を脳の健康な部位に引き継がせて、開始する方法を体得しているからである。しかも、動作の開始だけでなく、十分な歩行によって常に成長因子に刺激を与えることで、動作を維持することもできる。これは脳の神経回路を改善する方法である。
●他の患者を援助する
・ペッパーが行っている持続的な心のコントロールは他の患者にもできるのだろうか。ペッパーの歩行は異常な集中力で登っていくロッククライマーのようである。あるいは不慣れな太極拳の関節の動き、呼吸、筋肉の収縮に向ける入門者のようである。
・ペッパーは神経可塑性に関する情報を他のパーキンソン病患者に広げ、地元のパーキンソン病患者支援グループに入り、やがてリーダーになった。
・パーキンソン病の治療における投薬の強調は、受け身になりがちな患者を一層、受動的な方向に向かわせるように思う。患者はより効果の高い新薬を待っている。ペッパーは投薬の有効性を認識しつつも、薬への依存が当たり前のようになっている患者にとって、それは問題だと考えていた。
・73歳の女性、ウィルナ・ジェフリーはペッパーと同じように意識的歩行を実践していた。これは、彼女は一人暮らしで支援をうけるのが困難だったためである。ウィルナはペッパーから三度のセッション受け、パーキンソン病に対する態度が変わり、より建設的に考えるようになった。
●歩行の科学的基盤
・強化環境のもとに置かれた動物の神経可塑性的な変化は相次いだ。その始まりは、カナダの心理学者ドナルド・ヘップがラットを檻から出して自宅の居間で飼育し始めた時だった。居間で飼育したラットは檻の中のラットより、問題解決テストが好成績だった。また、脳に多くの神経可塑性的変化が見られ、多量の神経伝達物質が産生され、脳の重量と体積が増大していた。走行輪で1カ月間、早歩きを続けたマウスは、海馬のニューロンは倍になった。
・1982年、MPTPおよび6-OHDAと呼ばれる二つの化学物質が、パーキンソン病に似た疾病を人間に引き起こすことが発見された。MPTPとは黒質のドーパミン作動性ニューロンを破壊する神経毒であり、パーキンソン病と同じダメージをもたらす。MPTPを与えられたマウスは、恒久的にパーキンソン病と同じ状態に陥ることがわかった。現在では、このようなマウスはパーキンソン病の「マウスモデル」として用いられ、新しい薬品や治療方法の効果や安全性をテストする目的で飼育されている。
・6-OHDAに関して言えば、この化学物質をラットの脳に注入すると、同様にドーパミンの喪失と、パーキンソン病に似た症状をきたす。その後の研究で、6-OHDAはパーキンソン病患者にも見出されている。
・今日では多くの人々が、1日中コンピュータの前で座りっぱなしの生活を送っている。座りがちの生活が心臓病だけでなく、ガン、糖尿病、神経変性疾患を導く重要な危険因子であることは、様々な研究によって示されている。万能薬が存在するなら、それは歩行である。
●「不使用の学習」
・脳卒中の発症は二つの大きな問題を引き起こす。一つは機能解離と呼ばれている徹底的なショック状態である。この原因はニューロンが死んだあとに特定の細胞から化学物質が流出し、他の細胞にダメージを与え激しい炎症を引き起こし、死んだ細胞の周囲で血流の断絶が生じるからである。これらの現象は卒中が発生した場所のみならず、脳全体に機能不全を引き起こす。さらには、卒中によって損傷した直後、脳は「エネルギー危機」に陥る。これは損傷に対処するために大量のグルコースを消費しなければならないからである(健康な脳であっても脳は膨大なエネルギーを必要とする。脳は身体全体の重量の2%にすぎないが、20%のエネルギーを消費する)。機能解離はおよそ6週間続き、損傷した脳はその間、さらなる危害に対処するためのエネルギーが枯渇することでさらに脆弱になる。
・ドーパミンはパーキンソン病に関連する少なくとも三つの特徴をもつ。第1に動こうとする動機を高める。第2にその動作を促進して迅速に行えるようにする。第3にその動作に関与する神経回路を神経可塑性的に強化し、次回はそれをより楽に行えるようにする。しかし動機がなければ動作は起こり得ない。
・コロンビア大学運動実行研究室のピエトロ・マッツォーニは、これから動こうとするとき、脳はその動作によって得られると期待される報酬の程度と比較して、努力がどの程度必要とされるのかをまず評価する。通常、この「見積」機能を実行するにはドーパミン系が必要になる。ドーパミンレベルが低いときに動くと、その人は報酬による快を感じない。
・パーキンソン病患者が動作を実行する速度は、期待される報酬の程度と動作に必要なエネルギーの比較評価に部分的に基づく。
●認知症を遅らせる
・パーキンソン病の症状を退かせハンチントン病の発症を遅らせることができるのであれば、アルツハイマー病にも歩行は有効なのだろうか?マーク・P・マットソン博士(米国立老化研究所の神経科学研究所主任)は、パーキンソン病で異常を引き起こす細胞プロセスの多くが、アルツハイマー病においても別の脳領域で生じることを示した。パーキンソン病では黒質が最初に機能不全をきたす。一方、アルツハイマー病においては、神経変性は(短期記憶を長期記憶に変換する)海馬で始まり、海馬は縮小し始め、短期記憶の能力が失われる。さらに脳は可塑性をニューロン間の結合を形成できなくなり、ニューロンの多くは死滅する。2013年、歩行とアルツハイマー病に関する回答が得られた。歩行は認知症のリスクを60%も低下させるものだった。この研究は、イギリスのカーディフ大学、コクラン・プライマリ・ケア公衆衛生研究所のピーター・エルウッド博士によって行われ、2013年12月に発表された。彼らは30年にわたり、ウェールズのケアフィリに住む45歳から59歳の男性2,235人を追跡し、5つの活動が彼らの健康状態に影響を及ぼすか否か、また、認知能力の低下、認知症、心臓病、ガンの発症、早期の死を引き起こすか否かについて調査を行った。
以下にあげる項目の4つまたは5つを実践した被験者は、認知(心的)能力の低下、認知症(アルツハイマー病を含む)のリスクが60%低下した。
①運動(活発な運動、もしくは1日に少なくとも3.2㎞の歩行、もしくは1日に16㎞の自転車走行)。運動は全般的な認知能力の低下と認知症のリスクを減らすもっとも強力な要因である。
②健康的なダイエット(1日に少なくとも3回から4回、果物と野菜を摂取する)。
③正常な体重(BMI18~25の維持)
④アルコール飲料の摂取を抑える(アルコールはときに神経毒として機能する)。
⑤禁煙(これも毒素回避の一つ)。
これら5つの活動のすべてが、ニューロンとグリア細胞の一般的な健康を増進する。
第3章 神経可塑的治癒の四段階
いかに、そしてなぜ有効に作用するのか
●ノイズに満ちた脳と脳の律動異常
・『毒素、卒中、感染、放射線治療、打撲、神経変性疾患など何が原因であろうと、脳が損傷すると一部のニューロンは死んで、信号を送らなくなる。しかしなかにはダメージを受けても、「黙らない」ニューロンもある。生きた脳組織は、その本性として興奮しやすい。神経回路が「オフ」になっているときでさえ、「オン」になり活性化された状態のときより発火率は低いながらも、ある程度は電気信号を送り続ける。この見方に従えば、脳は心臓にたとえられる。心臓は休息時でも停止せず、安静時の心拍数へと移行する。ところが、心臓の電気系統にダメージを受けると心拍数を調整する能力を失って、種々の異常な信号を送り始める。身体のペースメーカーの速度が異常に遅くなったり、危険なほど速くなったりするのだ。あるいは、不整脈や律動異常などの混乱した不規則な鼓動を生むかもしれない。
脳においては、損なわれたニューロンをシャットダウンしない限り、これらの不規則な信号は結合しているすべてのネットワークに影響を及ぼし、それらの機能を「攪乱」する。現在では、脳の多くの障害において、ニューロンが異常な速度で発火することがわかっている。この問題は、てんかん、アルツハイマー病、パーキンソン病、種々の睡眠障害、脳損傷などを生じるもので、無数の信号が同期しなくなるためにノイズに満ちた脳が形成されてしまう。高齢者や学習障害を持つ子どもの脳にも、あるいはニューロンが明確な信号を発する能力を失うと生じる感覚障害においても、類似の現象が見られる。病んだニューロンが健全なニューロンに不規則な信号を送り、その機能を損なうと、健全なニューロンは休眠状態に陥る可能性がある。
●治癒の諸段階
・脳の神経可塑的な能力によりニューロン間の結合を変化させ、その「配線」を変える。以下は4つの段階である。
①神経刺激
-脳への介入には何らかのエネルギーを用いて神経を刺激する。光、音、電気、振動、動作、思考(特定のネットワークを興奮させるもの)は神経刺激となる。
-神経刺激は損傷した脳の眠り込んだ神経回路を再生し、治療プロセスの第二フェーズへと導く。
-第二フェーズでは再生されて能力が向上したノイズに満ちた脳が、再び自身を調節、統制して恒常性(ホメオスタシス)を達成できるようにする。
-思考によって脳のネットワークは「オン」と「オフ」になる。思考によって適切な神経回路がオンになれば、それは発火し、そこから血液がその神経回路に流入してエネルギーを補給する(このプロセスは脳スキャンによって観察できる)。
-脳に新たな神経回路を構築するペッパーの意識的歩行は、思考を用いる内的な神経刺激の一例である。
-神経刺激は新たな神経回路の構築の準備、および既存の神経回路における「不使用の学習」の克服にも効果がある。
②神経調節
-神経調節は脳が自身の治療に寄与するもう一つの内的な方法である。この働きは神経ネットワークにおける興奮と抑制のバランスを迅速に回復し、ノイズに満ちた脳を鎮める。
-神経調節は敏感や無感覚のバランスをとる。
-神経刺激は神経調節を引起こし、一般に脳の自己調節を改善する。
-神経調節の機能には皮下質の二つの脳システムに働きかけることで、脳の全体的な覚醒度を再設定する。一つは網様体賦活系(RAS)のリセットで、このシステムは意識レベルと全体的な覚醒レベルの調節に関与する。RASは脳幹に位置し、皮質の最上位の部位に向かって広がる。そしてその他の部位を「増強」し、睡眠・覚醒サイクルを調節する。
-RASのリセットは脳へのエネルギー供給の回復と、それによる治癒を導く際の鍵になる。
-神経調節の機能には皮下質の二つの脳システムに働きかける二つ目の方法は、自律神経系への働きかけである。ヒトは進化の過程で危機対応のため無意識かつ自動的に反応できる神経系、自律神経系を有するようになった。
-闘争/逃走反応を示す交感神経系は非常時の生存のためにあり、エネルギーの放出と代謝活動を活性化させる。その一方で、成長と治癒のプロセスは抑制される。また、交感神経系が優位な状態では治癒や学習は後回しになるため、脳の変化は起こりにくい。
-交感神経系とシーソーのような役割をもつ神経系が副交感神経系である。副交感神経系は休息/消化/回復を担う。落ち着いた状態に保たれ、ゆっくり考えたり反省したりすることができる。
-副交感神経系が活性化すると、治癒のために不可欠な成長、エネルギーの保存、睡眠を助長するいくつかの化学反応が引き起こされる。また、細胞内のエネルギー源とミトコンドリアを再充電し活性化させる。
-副交感神経系を活性化することはノイズに満ちた脳を鎮める方法になると考えられる。
③神経リラクゼーション
-脳障害をもつ人の中には疲れているにも関わらずよく眠れない人が多いがこれは深刻な問題である。グリア細胞は睡眠中に、老廃物と蓄積された毒素(認知症によって形成されたタンパク質を含む)を、脳脊髄液を通じて放出する特殊な経路を開く。このシステムは睡眠中に10倍活発に働く。つまり睡眠は脳を守るために極めて重要であるといえる。
④神経差異化と学習
-最終フェーズでは神経回路が自己調節の能力を取り戻す。ノイズに満ちた脳は調整され「静かになる」。患者は注意に集中できるようになり、学習の準備が整う。
・①②③④の4つのすべてのフェーズが組み合わさることによって最適な量の神経可塑的変化が得られる。
・特に脳に損傷を負った人のほとんどは、これらの段階が必要となるが、本書で取り上げる問題の多くは脳の損傷に起因するわけではなく、患者はそもそも一度も発達したことのない神経回路を構築していかかなければならない。
第1章 ある医師の負傷と治癒
マイケル・モスコヴィッツは慢性疼痛を脱学習できることを発見する
●神経可塑的な闘争
・自分の痛みは自分で何とかしたいと考えたモスコヴィッツは2007年に、合計15,000ページに及ぶ神経科学の論文を読み漁り、神経可塑的な変化の原理を理解し実践に活かそうと考えた。
・ニューロンの発火を同期させれば脳領域間の神経結合を強化できる。その一方で、「別々に発火するニューロンは既存の結合を切り離す」ゆえに弱めることもできる。
・マイケル・モスコヴィッツ[医学博士、精神科医であったモスコヴィッツは自身に起きた事故により、自らの身体を実験台とした。そして痛みの専門家に転身した]は自分で学んだことを三つの絵にまとめた。一つは急性痛を感じている脳の絵で、そこには16の活動領域が描かれている。二つめは慢性疼痛を感じている脳の絵で、活動領域は急性痛と同じあるが、全体として領域が拡大している。三つめは痛みをまったく感じていない時の脳の絵である。
・慢性疼痛において発火する脳領域を分析すると、これらの領域の多くが、痛みを感じていない時には、思考、感覚、イメージ、記憶、運動、情動、信念などに関する処理を実行していることが分かった。これは言い換えれば、痛みを感じているときは集中や熟考できない理由にもなる。
・モスコヴィッツが考えたことは単純で、「痛みを感じはじめたとき、そして痛みが大きくなろうと、それまで行っていた活動(例えば、思考、記憶など)を意識的に続けることで、それらの活動のために対応する脳領域を維持し、痛みの感覚に脳を乗っ取られることがないようにする。というものであった。
・以下の表はモスコヴィッツが作成した痛みの対象脳領域を表すものである。
画像出展:「脳はいかに治癒をもたらすか」
・『モスコヴィッツは、ある脳領域が急性痛を処理する場合、該当領域のおよそ5パーセントのニューロンのみが、痛みの処理に寄与するにすぎないことを知っていた。それに対し慢性疼痛では、発火や配線が常時なされるためにその割合は増大し、15~25パーセントのニューロンが痛みの処理に関与する。これは、およそ10~20パーセントのニューロンが、慢性疼痛の処理のために徴用されたことを意味する。だからそれらを奪い返さねばならない、と彼は考えたのだ。』
・2007年4月、モスコヴィッツはこの理論を実践に移した。
1)視覚活動によって痛みを圧倒することを考えた。(視覚処理は脳の広大な領域が関わっている)
2)視覚情報と痛みの両方を処理する脳領域は、後帯状皮質(空間内の物体の位置を視覚的に想像する手助けをする)と後部頭頂葉(視覚入力を処理する)である。
3)痛みを感じたときに、自分が描いた脳マップ、慢性疼痛の脳の絵を思い浮かべ、その脳マップが神経可塑性によってどの程度拡大したかに注目した。
4)次に、痛みのない脳の絵を浮かべ、その痛みのない状態に近づくように発火領域が小さくなることを想像した。
・最初の3週間はわずかに痛みが減ったように感じる程度だったが、1ヵ月が経ちやり方に慣れてきた。6週間後には肩甲骨付近の痛みはなくなった。4カ月後には首の痛みがとれ1年後には常時ほぼ痛みを感じることはなくなった。
●MIRROR
・神経可塑性の原理、MIRRORとは、Motivation(動機)、Intention(意図)、Relentlessness(徹底)、Reliability(信頼)、Opportunity(好機)、Restoration(回復)の略である。
・慢性疼痛患者は痛みのために活力をなくし、態度が受動的で依存的である。
・モスコヴィッツのアプローチは患者自身が積極的になり、自己の治療に責任を持つことが求められる。簡単に痛みが消えることはないため、強い動機を維持する必要がある。
・意図とは痛みの除去ではない。脳を変えるための心である。痛みの除去を報酬とすると容易に得ることができず挫折する。特に初期の段階で重要なことは、変えようとする心的努力である。このような心的努力こそが新たな神経結合の形成を促し、痛みのネットワークを弱体化する。
・モスコヴィッツは患者にこれら6つの道具(MIRROR)を与えて、脳をまったく正常な状態に戻すという大胆な目標の動機づけを図る。そして少しでも改善を得られると一時的な「安心」ではなく、希望となって新たな技法に目を向ける。こうして悪循環は好循環に変わる。
●視覚化はいかに痛みを減退させるのか
・視覚化の繰り返しは、思考を用いてニューロンを刺激する直接的な手段となる。脳画像法を用いれば、活性化された脳の視覚ニューロンに血液が流れ込んでいく兆候を観察できる。
●それはプラシーボ効果なのか?
・最新の脳画像研究によれば、疼痛や抑うつを抱える患者にプラシーボ効果が生じた際の脳の変化は、投薬によって改善が得られた場合の変化とほぼ一致する。
・痛みに関してプラシーボ効果は一般的に30%以上とされている。また、プラシーボ効果による治癒は、投薬による治癒より「非現実的」というわけではない。
・ポジトロン断層法(PET)を用いた実験では、プラシーボ治療が主要な脳領域の内因性オピオイドの生産を増大させて痛みを止めること、また、プラシーボ反応が脳の痛覚システムにおけるオピオイド生産領域の配線を強化することを示した。
●ただのプラシーボ効果ではない理由
・プラシーボ効果は急速な反応を示す一方、長く続かないというのが一般的な認識である。ところがモスコヴィッツのMIRRORアプローチを用いた神経可塑性の治療を受けた患者は、プラシーボ反応とは全く正反対のパターンが見られる。最初の数週間は何も反応は見られず、その後徐々に痛みに変化があらわれ、そして脳が再配線されれば介入の必要性が次第に減少する。
・モスコヴィッツの患者における変化のパターンは、自転車乗り、楽器の演奏、言語の習得などで脳が新たな技能を学ぶときに生じるものと一致する。この時間的な経緯は、重要な神経可塑的な変化が起こる際には典型的に見られるもので、変化は数週間(しばしば6~8週間)にわたって生じ、日々の心的実践を必要とする。
・投薬やプラシーボとは異なり、神経の可塑性を利用したテクニックは、ひとたび神経ネットワークが再配線されれば、徐々にその実践頻度を減らしていける。言い換えると、痛みを抑制するという効果は持続する。
・モスコヴィッツが痛みの緩和をした疾患は、神経損傷や炎症に起因する腰部の慢性疼痛、糖尿病性神経障害、ガンに起因する痛み、腹痛、変形性の首の痛み、切断、脳や脊髄の外傷、骨盤底の痛み、炎症性腸疾患、過敏性腸症候群、膀胱痛、関節炎、三叉神経痛、多発性硬化症の痛み、感染後の痛み、神経損傷、神経障害性疼痛、中枢性疼痛、幻肢痛、変形性椎間板疾患、神経根損傷による痛みなどである。
・神経可塑性の課題は対象が痛みの除去に限定されること、成果を感じるまでに2ヵ月ほど、根気よく続ける意志力を要することである。
・モスコヴィッツは2008年、慢性疼痛の治療を専門にする医師、マーラ・ゴールデンに援助を求め、触覚、音、振動をそれぞれ独自の方法で、これらの感覚で脳を満たし、痛みと競合させるアプローチへの理解を深めることができた。
第2章 歩くことでパーキンソン病の症状をつっぱねた男
いかに運動は変性障害をかわし、認知症を遅らせるのに役立つか
・『私の散歩仲間ジョン・ペッパーは、20年ほど前にパーキンソン病による運動障害と診断された。最初の症状は、およそ50年前にすでに現れていた。だが、訓練を受けたよほど鋭い観察者でなければ、それはわからなかったはずだ。ペッパーは、パーキンソン病患者にしては非常にすばやく歩く。パーキンソン病の典型的な症状を抱えているようには見えない。摺り足で歩くこともなければ、動いていようが止まっていようが震えは見られない。特に硬直しているようには見えないし、動きもすぐに開始できるらしい。平衡感覚にもすぐれる。歩くときには腕を大きく振りさえする。パーキンソン病の顕著な特徴である緩慢な動作もまったく見られない。彼は68歳になってから9年間、抗パーキンソン病薬を服用していないが、まったく普通に歩けるのだ。』
・ペッパーは、自らが考案した運動プログラムと特殊な集中力によって克服している。
“意識する事でパーキンソン病の症状をコントロールする:ジョン・ペッパーさん”
2分16秒の動画です。本書の説明通り、パッパーさんの動きからパーキンソン病を患っているようにはとても思えません。
“パーキンソン病:アメリカからの最新ニュース! 薬でも外科的手術でもない新しい治療法!”
6分24秒の動画です。黒いグローブをしている方がパーキンソン病の患者さんです(1分34秒~3分25秒)。
“Scientists Develop Glove That Eliminates Parkinson’s Tremor”
4分52秒”の動画です。上記の元動画のようです。「BEAKTHROUGH PARKINSON'S “VIBRATION”THERAPY」と書かれています。
“How to Use Math and Physics to Treat Parkinson's with a Vibrating Glove with Peter Tass”
9分57秒”の動画です。ピーター・タス先生が説明されています。また、「Tass Lab Team」というサイトがありました。
“SASUKEにも出場してしまう若年性パーキンソン病患者: ジミー・チョイさん”
5分45秒”の動画です。4分58秒からはトレーニングの様子やSASUKEに出場した時の映像が出ています。「凄い!」の一言です。
若年性パーキンソン病というお話で、発病は27歳だそうです。
●アフリカからの手紙
・『2008年9月、私はジョン・ペッパーから次のような内容のEメールを受け取った。
「私は南アフリカで暮らしています。1968年以来パーキンソン病を患っていますが、十分に運動をし、通常は無意識の支配下にある動きを意識的にコントロールする方法を学んできました。私は自分の経験に基づいて一冊の本を書いたことがあります。しかじ医学界は、私の症例を精査することなくこの本の内容を否定してきました。というのも、私はもはやパーキンソン病患者には見えないからです。症状のほとんどはまだ残っていますが、現在の私は抗パーキンソン病薬を服用していません。8キロメートルごとに分けて1週間に合計で24キロメートルを歩いています。ダメージを受けた細胞が、脳内で生産されるグリア細胞由来神経栄養因子の働きによって回復したのではないかと思われます。しかしパーキンソン病の原因が除去されたわけではありません。だから運動しなくなると、もとに戻ってしまいます。
きちんとした運動を定期的に続けるよう説得できれば、パーキンソン病の診断を受けた人々の多くを手助けできるのではないかと、私は思っています。この件について、あなたのご意見をぜひお聞かせください。』
・ペッパーは歩行という素朴なアプローチでパーキンソン病に対処して、脳に神経可塑的な変化を引きおこしたと考えられる。
・グリア細胞由来神経栄養因子(GDNF)は、脳の成長因子の一つで、脳の主要な細胞の一つであるグリア細胞によって生成され、肥料のように脳の成長を促す。脳細胞の15%はニューロンで残り85%はグリア細胞である。
・以前は脳の「詰め物」にすぎないと考えられていたグリア細胞だが、現在は、グリア細胞は常に互いに連絡を取り合い、ニューロンとのやり取りをして、電気信号を修正していることが分かっている。つまり、グリア細胞はニューロンに「神経保護」を提供し、脳の配線と再配線を支援している。
・グリア細胞由来神経栄養因子(GDNF)は1933年に発見され、ドーパミンを生成するニューロンの発達と維持を促進することで、脳の神経可塑的な変化に寄与することが明らかになっている。
画像出展:「一般社団法人日本生物物理学会」
ヒトの脳は、1000億個の神経細胞と、その10倍以上の数のグリア細胞から成ります。グリア細胞には、ミクログリア、オリゴデンドロサイト、アストロサイトなどの種類があります。
・『Eメールをやり取りしているうちに、彼はパーキンソン病が完治したと主張したいのではなく、歩行トレーニングを続けている限り、運動に関するパーキンソン病の主要な症状を逆転できると主張したいことがわかった。きわめて有効な変化が得られたため、パーキンソン病の主要な症状の影響を受けずに済み、十全な日常生活を送れるようになったのだ。「他のパーキンソン患者にも役に立つはずの、この情報をひとりで握ったまま死にたくはありません」と書かれていた。』
・パーキンソン病の影響は二次的に脳を弱体化させる。可塑的な脳は、つねに未知の領域を探索しなければならず、動き回る移動性の生物のもとで進化した。人間は動けなくなると、視覚や聴覚をあまり使わなくなり、処理する情報量も減って脳への刺激も少なくなるため機能が衰え始める。(ものごとを考え抜く作業は有効だが、神経可塑性を備えたシステムが新たな細胞を生成し、神経を発達させるためには身体の動きが必要である)
・パーキンソン病は黒質と呼ばれる脳の部位が、正常な動作に必要な脳の化学物質を生産する能力が次第に失われることによって引き起こされると考えられていた。
・1957年、スウェーデン出身の医師、アルビド・カールソン(後にノーベル生理学・医学章を受章)はドーパミンがニューロン間の信号の交換に用いられる脳内化学物質の一つであることを発見した。その後さらに、人の脳のドーパミンのおよそ80%が大脳基底核と呼ばれる、黒質を含む脳の組織に集中していることを発見した。研究ではドーパミンレベルが70%落ちても影響は見られないが、80%低下すると症状が現れる。
・パーキンソン病はドーパミンの喪失が直接の原因と考えられるが、それはこの病気の重要な側面の一つと考えた方が正しい。ドーパミンが失われる理由は何か、脳領域全体の機能に影響するのは何故か、その答えは出ていない。
「神経可塑性」と「脳の可塑性」はほぼ同じ意味で使われています。検索したところ数多くのサイトがありましたが、いいなと思った3つのサイトをご紹介させて頂きます。
こちらは“カウンセリングしらいし”さまのサイトで、タイトルは、“「神経可塑性(シナプス可塑性)」【重要】”となっています。要点と概要(全体観)がつかめます。
画像出展:「神経可塑性」
『神経の損傷が行われた場合もそれを代償するように脳や神経における可塑的な変化があります。「傷ついた神経回路は修復されない」「神経は新しく新生されない」と信じられていましたが、最新の研究では、神経回路は修復され、新しい神経細胞も生まれることがわかってきました。』
こちらは“マインドフルネスプロジェクト”さまのサイトで、タイトルは、“マインドフルネスと脳科学 〜神経可塑性〜”となっています。マインドフルネスとは、「心を“今”に向ける方法」のことだそうです。(NHKより)
こちらは、“STROKE LAB”さまのサイトで、“Neuro plasticity 神経可塑性 知識を臨床に応用する”はPDF33枚の資料です。大変詳しく説明されています。ロードに時間がかかるかもしれません。
神経可塑性の話しは、概して現代医学の本流からは少し外れた亜流という印象が強く、代替医療の分野に近いのかもしれません。私が神経可塑性について肯定的なのは二つの理由からです。一つは『限界を超える子どもたち』という本を拝読させて頂き、その中で“アナットバニエルメソッド”という神経可塑性のアプローチを知ったことです。そしてもう一つは、私自身が経験した障害をもつ小児へのマッサージの効果と、“アナットバニエルメソッド”が重なったためです。
衝撃を受けた“アナットバニエルメソッド”ですが、動画を見つけました。
以下が今回勉強させて頂いた本です。
本書は500ページを超えるものですが、ブログは個人的興味から4つ、「パーキンソン病」、「神経可塑的治療」、「レーザー光治療」、「PoNS(ポータブル神経調整刺激器)」を取り上げています。
目次
はじめに
第1章 ある医師の負傷と治癒
マイケル・モスコヴィッツは慢性疼痛を脱学習できることを発見する
●痛みのレッスン―痛みを殺すスイッチ
●痛みに関するもう一つのレッスン―慢性疼痛は可塑性の狂乱である
●神経可塑的な闘争
●最初の患者
●MIRROR
●視覚化はいかに痛みを減退させるのか
●それはプラシーボ効果なのか?
●ただのプラシーボ効果ではない理由
第2章 歩くことでパーキンソン病の症状をつっぱねた男
いかに運動は変性障害をかわし、認知症を遅らせるのに役立つか
●アフリカからの手紙
●運動と神経変性疾患
●ロンドン大空襲下でのディケンズ風少年時代
●病気と診断
●ヘビと鳥のあいだを歩く
●意識的コントロール
●意識を動員するテクニックの科学的根拠
●他の患者を援助する
●論争
●パーキンソン病とパーキンソン症状
●ペッパーの神経科医を訪ねる
●歩かないと……
●歩行の科学的基盤
●「不使用の学習」
●パーキンソニズムの両面的な性質
●認知症を遅らせる
●喜望峰
第3章 神経可塑的治癒の四段階
いかに、そしてなぜ有効に作用するのか
●「不使用の学習」の蔓延
●ノイズに満ちた脳と脳の律動異常
●ニューロン集成体の迅速な形成
●治癒の諸段階
第4章 光で脳を再配線する
光を用いて休眠中の神経回路を目覚めさせる
●小さな世界
●光は私たちが気づかぬうちに身体に入ってくる
●講演と偶然の出会い
●ガブリエルの話
●カーンのクリニックを訪問する
●レーザーの物理学
●レーザーはいかに生体組織を癒すのか
●二度目のミーティング
●レーザーは脳を癒す
●レーザーをその他の脳障害の適用する
第5章 モーシェ・フェルデンクライス 物理学者、黒帯柔道家、そして療法
動作に対する気づきによって重度の脳の障害を癒す
●二個のスーツケースを携えた脱出行
●フェルデンクライス・メソッドのルーツ
●中心原理
●脳の探偵―脳卒中を解明する
●子どもを支援する
●脳の一部を欠いた少女
●言葉を生む
●最後まで制約されない人生
第6章 視覚障害者が見ることを学ぶ
フェルデンクライス・メソッド、仏教徒の治療法、その他の神経可塑的メソッド
●一縷の望み
●最初の試み
●治療にフェルデンクライス・メソッドを加える
●青みがかった黒の視覚化はいかに視覚系をリラックスさせるのか
●視力が戻る―手と目の結びつき
●ウィーンへの移住
第7章 脳をリセットする装置
神経調節を導いて症状を逆転させる
Ⅰ.壁に立てかけた杖
●奇妙な装置
●なぜ舌は脳への王道なのか
●ユーリ、ミッチ、カートに会う
●PONS開発の歴史
●死んだ組織、ノイズに満ちた組織、そして装置についての新たな見解
Ⅱ.三つの事例
●パーキンソン病
●脳卒中
●多発性硬化症
Ⅲ.ひび割れた陶芸家たち
●ジェリ・レイク
●キャシーに会う
●ぶり返し
Ⅳ.わずかな支援で脳はいかにバランスをとるのか
●脳幹の組織を失った女性
●ユーリの理論
●四種類の可塑的な変化
●新たなフロンティア
第8章 音の橋
音楽の脳の特別な結びつき
Ⅰ.識学障害を抱えた少年の運命の逆転
●アンカルカ修道院での偶然の出会い
●若き日のアルフレッド・トマティス
●トマティスの第一法則
●トマティスの第二法則と第三法則
●聴覚ズーム
●口の片側で話す
●耳の刺激によって脳を刺激する
Ⅱ.母の声
●階段の途中で生まれる
Ⅲ.ボトムアップで脳を再構築する
●自閉症、注意欠如、感覚処理障害
●自閉症からの回復
●炎症を起こした脳のニューロンは結合しない
●リスニングセラピーはいかにして自閉症の治療に役立つのか
●学習障害、社会参加、抑うつ
●注意欠如障害と注意欠如・多動性障害
●サウンドセラピーの作用に関する新説
●障害として認められていない障害―感覚処理障害
Ⅳ.修道院の謎を解く
●音楽はいかにして精神や活力を高揚させるのか
●なぜモーツアルトなのか?
補足説明資料1 外傷性脳損傷やその他の脳障害への全般的アプローチ
補足説明資料2 外傷性脳損傷を治療するためのマトリックス・リパターニング
補足説明資料3 ADD、ADHD、てんかん、不安障害、外傷性脳損傷の治療のためのニューロフィードバック
謝辞
訳者あとがき
はじめに
・ニューロプラスティシャン(神経可塑性療法家)は不変の脳という見方を否定する。
・2000年、E.カンデル博士、A.カールソン博士、P.グリーン博士は神経系におけるシグナル伝達機構を解明し、ノーベル医学生理学賞を受賞した。
※シグナル伝達機構:外界より与えられた様々な情報(シグナル)に対して、情報処理機構(シグナル伝達機構)を用いて、細胞の増殖や分化、神経細胞のシナプス可塑性(神経に特定の刺激が加えられ続けると、その情報を学習し、その後の働き方が変化すること)など与えられた情報に基づいて適応するしくみ。
・E.カンデルは学習には学習には神経細胞を変える遺伝子の「スイッチオン」にする効果があることを示した。
・脳の治癒力は細胞同士が常に電気的に連絡を取り合って、随時新たな神経結合を形成したり作り直したりする複雑さと精巧さによるものである。
・脳への介入は光、音、振動、電気、運動などのエネルギーを利用する。これらのエネルギーは感覚器官や身体を経由して脳自体が持つ治癒力を喚起する。感覚器官は脳が受け取ることができる電気シグナルに変換する。
・世界には次に紹介するような様々な事例がある。
『音を聴かせて自閉症を、あるいは後頭部に振動を与えて注意欠如障害を完治する、舌を電気的に刺激する装置を用いて多発性硬化症の症状を逆転させたり脳卒中を治癒したりする、首のうしろに光を当てて脳損傷を治療する、鼻に光を通して安眠を確保する、〔レーザーファイバーを使い〕静脈に光を通して生命を救う、脳の大きな部分を欠いたまま生まれたために認知能力の問題を抱え、ほとんど麻痺状態にすらあった少女を、穏やかでゆっくりとした手の動きで身体をさすることによって治療する、などのケースである。』
・休眠中となっている脳の神経回路を刺激する方法の多くは、心的な活動や気づきとエネルギーの利用を結びつけるものである。これらは西洋医学では新奇なものだが、東洋医学では珍しいものではない。
・『私が訪問したほぼすべてのニューロプラスティシャンは、伝統的な中国医学、古代仏教徒の瞑想法や視覚化、武術(太極拳、柔道)、ヨガ、エネルギー療法などの東洋の実践的な健康法から得た洞察を西洋の神経科学と結びつけることで、神経可塑性を治療に適用する方法への理解を深めていた。』
・『西洋医学は、何千年にもわたり無数の人々によって実践されてきた東洋医学とその主張を、長いあいだ無視してきた。心によって脳を変えるという原理は、受け入れるにはあまりにも信じがたく思えたのだ。本書は、神経可塑性の概念が、これまで疎遠であった二つの偉大な医学的伝統を橋渡しするものであることを明らかにする。』
・脳は身体に君臨する帝王ではなく、身体も脳に信号を送って脳に影響を及ぼす。つまり脳と身体は双方向のコミュニケーションを行っている。
・神経可塑的なアプローチは、心、身体、脳のすべてを動員しながら、患者自身が積極的に治療に関わることを要請する。また、医師は患者の欠陥に焦点を絞るだけでなく、休眠中の健康な脳領域の発見、および回復の支援に役立つ残存能力の発見を目標とする。なお、脳を治療する新たな方法は、個人差が大きくすべての患者に有効であるとは言えない。
ステップ3 最高の銘柄を最適なタイミングで買う方法
●ブル相場において過ちを犯す可能性は少なく、本格的に値上がりする可能性が最も高いタイミングで、良い銘柄を選択するための法則がある。これらは半世紀にわたる各年の大きな勝ち銘柄(100%~1000%以上高騰した銘柄)が共有する特徴に基づいている。
●どんな銘柄でも、その企業の実態を本当に理解できている銘柄を買う。理解が深ければ安直に株を手放すことはしない。重要なことは常に保有株に関してマーケットが何を伝えようとしているのか注意を払うことである。
●各業界のNo1の企業を選ぶべきである。ただし、このNo1は知名度やブランドではなく、EPSの伸び率、資本利益率(ROE)、売上利益率、売上の伸びなどである。
●株の購入においてはタイミングが重要だが、それは株価が最安値(底値)ということではない。大きく値上がりする確率が最大であるときである。これを見きわめるのに必要なことは、ファンダメンタルズデータ(経済成長率、物価上昇率、失業率、経常収支、財政収支や各企業の業績や財務状況、PER[株価収益率]など)を参考にしながら、チャートを詳しく調べることである。特に日足、週足、月足の値と出来高のチャートが大切である。
-カップウィズハンドル-
●過去50年における最高の銘柄で最も頻繁にみられた、上放れのベースとなるパターンであるが、コーヒーカップを横から見た時の形に似ているためこの名称がつけられた。
●カップの底部とハンドルの下部の出来高が低水準になる傾向がみられる。これは売りが減って、強気に動く前触れの可能性を秘めている。
“8週カップウィズハンドルからわずか24週間で1414%上昇”
画像出展:「オニールの相場師養成講座」
・ずっと1本調子で上昇するということは考えにくく、小休止の調整でハンドル(取っ手)が作られます。
●ベア相場でこのような株を買う最高のタイミングは、安値を切り下がりながら下げていた株価が再び上がり始めてハンドルを完成させ、ハンドル部分の前の高値をまさにブレイクしようとするときである。
●カップウィズハンドルは高値から下げて引けた第1週から始まって、6~8週間続く。多くは完成するのに6カ月から1年かかる。パターン内の絶対高値から絶対安値への調整幅は一般的に25~40%である。
●ハンドルの押し(下落)は、高値から最安値の幅の8~12%以内であることが一般的だが、ベア相場では20%以上になるケースもある。この押しは、急落した日に株主をさらに振るい落とす。
●ハンドル下部における下方調整は、株主を最後のひと下げでさらに振るい落とすことと、カップの底からの強い反発の後の一般的にみられる調整である。
●ハンドルの最後の振るい落としは終わり近くで起こる。その後株価が反転して出来高を増加させたときが絶好の買い場になる場合が多い。
●ハンドルは横ばいに1~2週間と短いことも、10週間近く続くこともある。ハンドルが全くないケースも少ないがある。
●株価パターンを形成する調整や揉み合いの多くが、12~13週、ことによっては24~26週続くことは偶然ではない。この期間は企業の業績発表がある3ヵ月サイクルに対応しており、多くのプロの投資家は次の業績発表まで資金の投入を手控えることがあるからである。
-ダブルボトム-
●このパターンはカップウィズハンドルほど頻繁には現れない。Wのようなパターンであるが、ほとんどが2つ目の下げ足が1つ目の安値より下がっている。1つ目の下げ足で振るい落とされなかったり、下げても前よりも下がることはないと願っていた残りの弱気の株主たちを振るい落とすことになる。
●株価が下がると買いたい水準まで下がったと判断した機関投資家たちが買いに動く。ダブルボトムの絶好の買値はWの中央の高値の水準である。
●株価がこれらのパターンから上放れするときは、その日の出来高がその銘柄の1日平均より50%以上多いことが必要である。過去の顕著なケースでは100、200%以上も出来高を増やしている。上放れした日の出来高増が20%以下の場合は、情報を豊富に持っているプロたちの買い控えが考えられ、上放れが起きない可能性は高くなる。また、週足チャート上で上放れした週の出来高が前の週より少ない場合も、挫折する可能性が高い。
ステップ4 利益を確定する最適なタイミングで売る方法
●株価が20~25%上がったところで、まだ値上がりしているときに利益の多くを確定し、7~8%下がったところですべて損切りするというのが基本である。実績に裏付けられた“売りルール”をうまく実践できるようになることが非常に重要である。
●20~25%の利益確定の例外も必要である。例えば、強いブル相場で、その企業の現在と過去3年間の収益と売上の伸びが堅調で、ROE(自己資本比率)が高く、株を保有している機関投資家が優良で、強い産業グループ内のリーダーであり、健全なベースパターンから上放れしてわずか1、2、または3週間で20%と大きく急騰した場合は、その時点では利益確定はせず、少なくとも8週間は保有するというルールである。これは過去の相場に関する研究において、序盤でロケット並みの勢いのある銘柄が、他を圧倒するような大きな勝者になる可能性が高いためである。
ただし、仮に8週間保有した強力な銘柄であっても、更に保有するかどうかはあらためて状況を分析した上で、やはりルールを設け、それに沿って判断をする。考えられるルールとしては、「期間を決める」、「移動平均線と比較する」、「今後の1~2年の収益予測をもとに予想されるPER(株価収益率)の伸びを検討する」などがある。
●20~25%の利益確定ルールを基本としつつ、飛躍する例外的な株を見極め、新たなルールに従って長期保有を実現できれば、大きな利益を得ることができる。「大きな利益は、アイデアによってではなく、相場に踏みとどまることによって得られる」ということが言える。
●PERは重要な指標ではあるが、それ以上に重要なことはその会社の業績やポテンシャル、そして信頼できる機関投資家による安定した株保有が重要である。
-クライマックストップ-
●何カ月も上昇し続けた主導株が突然、それまでのあらゆる週よりも速いテンポで急騰し始める。
“アマゾンドットコムは典型的なクライマックストップを形成してから95%下落した”
画像出展:「オニールの相場師養成講座」
・このグラフは1999年、25年前のものです。
画像出展:「FinTech」
“アマゾン史上最大の株式分割は何を意味する? 専門家はどう見たか”
こちらは1997年~2022年までのグラフです。この後、約$1600まで下げました。今のアマゾンの最新株価は$178.50(2024年8月31日)。2022年6月に20対1の株式分解しているので、もしこの株式分割がなかったとすると現在の株価は$3570に相当します。
●クライマックストップは誰が見ても更に2倍になりそうな株をみんなが買おうとしている状況である。だが、みんなが興奮してその上昇に引き込まれた、まさにそのとき、クライマックストップは崩れる。
●クライマックストップの兆候は窓を空けて寄り付くことである(エグゾースションギャップという)。例えば、前夜70ドルで引け、翌朝75ドルで寄り付くというように普通はある値刻みがない。それは最後を示すシグナルなのであり、売りに回るときである。天井まであと1日か2日かもしれない。株はまだ上がっていて超強気に見えるが、売ることを考える。なぜなら、クライマックストップで天井に到達した株は急落することが多いからである。これは多くの人が知ったときは買うような人は既に買ってしまい、値下がり局面を迎えているためである。群集心理は、ここぞという相場の大転換点において常に間違っていると考えた方が望ましい。
●『投資で勝つには、勝つために自らを備えることが必要だ。運、不運は関係ない。意を決して自分の過去のすべての過ちから学べば、勝つために備え、学ぶことができる。偉大な投資家たちもみんな最初は過ちを犯していた。』
●20~25%で利益確定できれば、その利益で満足すべきである。株価がさらに高騰したとしても、手にした現金で他の有望株を買うことができる。また、25%の利益確定を3回続けられれば75%の利益を得ることになる。これはとても大きな利益である。
●投資はただでさえ難しいので、買い持ちと空売りを同時にやるような複雑なことはせず、シンプルにやることが一番である。
ステップ5 ポートフォリオ管理―損を抑えて利益を伸ばす方法
●株式ポートフォリオ管理は、ガーデニングに似ている。気を配らないと美しい花は雑草に覆われてしまう。買値より上がっている株が“花”で、1番下がっているか、1番上がっていない株が“雑草”である。もし、雑草を駆除する場合は最もダウンの大きな銘柄から手をつけるのが良い。心情的には株価が戻ることを期待したいものだが、株価が大きく下がっているとすれば市場はネガティブな評価を下しており、元の高い評価を獲得するには、一般的には多くの時間がかかるものである。
商人も売れない商品は値下げしてでも売り切り、売れ筋の商品に入れ替えようとする。ポートフォリオ管理もそれと同じである。
画像出展:「Garten」
ポートフォリオ管理を“花壇”に例えるのはすごくいいなと思いました。
これは月末に行っている資産の棚卸に関する資料の一部で8月31日のものです。銘柄も株数も見えず役に立たない代物ですが、思いきって貼りだしました。
緑Boxはコア(ETF:インデックスファンド)ですが、最低目標としている40%に少し足りていません。ピンクBoxは、個人的に応援したいバイオテクノロジーの新しい会社で“寄付”のつもりで少々買いました。
●ポートフォリオ管理はある程度限定し、十分に追跡できる範囲にしておくことも重要である。例えば、銘柄数の上限を決め、それを超える場合は、最もパフォーマンスの悪い株を売却することで上限を守ることである。
●株価は常に上下するが、長期的に見れば値上がりしている株を買増し、見込みのある保有銘柄の株数を増やし、見込みの低い保有銘柄の株数を減らしていくことは理にかなっている。
●買い増しで注意すべきは、ブル相場かどうかである。ベア相場での買い増しが効を奏することはほとんどない。ベア相場では現金比率を高めることが大切である。
●空売りは自分が何をやっているかを十分に理解しながら、正確に物事を運ぶスキルが必要であり、空売りしてはいけないタイミングがたくさんある。空売りを比較的安全にできる本当に正しいタイミングはわずかしないので、買うよりも複雑で難しい。
●「ナンピン(難平)買い」とは保有銘柄が下落したときに、買い増しをして平均購入単価を下げることだが、これはすべきではない。ただしブル状態の押し目買いは別である。ベアな状況でのナンピン買い下がりは絶対に止めるべきである。
●最初に購入した株に益が出ていない場合は、けっしてそれ以上の投資をするべきではない。
●一桁以下の低位株や顕著な薄商い(1日の平均出来高が少ない)の低位株は避けた方が良い。
●1997~2000年における上位50の値上がり株がそのベースから上放れたときの平均価格は46.78ドルで、それから61週で1031%値上がりした。
●取引時間内に株を売買するときは成行の方が望ましい。これは確実に売買できるからである(株の売買では25セント)を気にするべきではない。
●ポートフォリオ管理において何かを行わないことが大切であることもある。「PER(株価収益率)、配当、簿価」は少なくともブル相場では必要以上に意識しない。基本的なことは優良企業のPERは一般的に高く、優良でない企業のPERは低いということである(プロスポーツのスター選手の年棒が高いのといっしょである)。
●税金も気になるものではあるが、売買の決断からは税金は排除した方が良い。利益の一部を国が取るのは、投資が成功している代償の一部と思った方が良い。納税は多くの成功したベンチャー企業と同じ、勝者の証でもある。
●投資で成功するには自尊心や高いIQよりも、正直さ、倫理観、謙虚さの方が重要な要件である。過去の失敗を受け入れ、そこから学ぶことが賢くなる方法である。古い市場の通念にしがみつくような頑固さやエゴを捨て、新しい投資法を学ぶことに積極的であることが重要である。
●銘柄選択に成功するために必要なことは、企業とその企業が属する産業に関して理解することが60~65%、チャートと相場の動きを理解していることが35~45%である。
●大きな勝ち銘柄の共通した特長は、高い売上総利益率(Gross Margin)、高い資本利益率(ROE)とともに、利益と売上を大幅に伸ばしている企業だった。これらの企業はそれぞれの産業におけるトップ企業であり、通常より高いPER水準で取引されていた。強固なファンダメンタルズ、機関投資家による保有、革新的な新製品やサービスなどの条件が整っていた。
●『どんなことでもそうだが、報いが得られるかどうかは、どれだけ努力するかに依存する。勉強と観察を絶え間なく行うことで得られる細かい重要な情報の積み重ねが、あなたの知識とスキルを向上させ、投資の世界で成功するか、もう一歩のところでとどまるかの分かれ道になる。』
ご参考
「ディストリビューション」、「ストーリング」、「フォロースルーデー」、「カップウィズハンドル」に加え重要な指標として「ベアリッシュリバーサル」、「ブリッシュリバーサル」があります。
感想
1.最も大切なことは「貴重な資産をリスクから守りながら運用する」、「願望やこだわりではなく方針を重視する」、「市場の動向を感じて行動する」、「欲ブタにならない」、そして、そのための情報収集を行い勉強するということだと思います。
2.長期運用は特別なものではなく、基本的には短期と同じであると理解しました。おそらく、2つの運用の差は何を重視するかという重みづけの部分ではないかと思います。また、その投資する企業に対する理解の深さも大きく左右する要因になると思います。
3.優れた企業、魅力的な企業、業績の良い企業を見つけ出し、それらの会社でポートフォリオ(美しい花壇)を作ればリスクを減らせると思います。
4.「良い会社で理解できる会社に分散投資」し、「利益確定ルール」、「利益確定例外ルール」、「損切ルール」に従って運用すれば、大きな損失を避けることができると思います。
※【利益確定】について
・利益確定(利確)を迷うのは、「今、利確してどんどん上がったら儲けが減ってしまう!」という「欲ブタ」な気持ちです。一方、利益を確保するという行動は「資産を守る」という方針に合致します。
ほとんどの投資家は利益確定を行います。さらに株価は市場動向によって必ず上下します。こう考えると、利益確定は「資産を守る」上で非常に重要です。
また、キャッシュを保有しているということは、買い場が来た時に投資ができるため「株式投資を楽しむ」という見地からもお勧めです。言い換えれば、『より楽しく、より安全に資産を増やす』⇒『冷静かつ確実に【利確】をしていく』ということではないかと思います。
【資産を守って奇麗なポートフォリオで楽しく運用】、この大方針でやっていきたいと思います。
ご参考(2024年10月24日):“ばっちゃまの米国株”より
個人的に「着實質實」な人生を目指したいと思っているのですが、ウォーレン・バフェットが凄い人であることを知りました。
3月に“株と債券”というブログをアップしました。その後、「1冊は本格的な投資の本を買って勉強した方が良いだろう」と思って本を探していたのですが、“ばっちゃまの米国株”さんの師匠である広瀬隆雄氏が推奨されている本があり、その中から『オニールの相場師養成講座』という本を購入することにしました。
著者:ウィリアム・J・オニール
初版発行:2004年5月
出版:パンローリング株式会社
この本は非常に勉強になりました。もっと早く読んでいれば良かったのにと思います。1番良かったことは、株式投資はコインの裏表のようなものだと思うのですが、今までは“表”が「儲けたい」、“裏”が「損したくない」という感情的、主観的な「欲ブタ」な感覚だったと思います。今は、“表”は「資産を守る」、“裏”は「方針に従って売買すれば結果はついてくる」という理性的、客観的な感覚をもって、ある程度は考えられるようになったことです。
画像出展:「ユピスタ」
株式投資において理性的、客観的になるというのは「永遠のテーマ」という感じです。
また、チャートの重要性をあらためて認識しました。チャートからの情報を冷静に検討することは、市場(特に金利)と業界・会社(特に業績)とともに最も注目すべきことの一つだと思います。
CONTENTS
訳者まえがき
序文
はじめに
ステップ1 市場全体の方向性を見きわめる方法
ステップ2 利益と損失を3対1に想定する方法
ステップ3 最高の銘柄を最適なタイミングで買う方法
ステップ4 利益を確定する最適なタイミングで売る方法
ステップ5 ポートフォリオ管理―損を抑えて利益を伸ばす方法
はじめに
●市場は人間的な感情と個人的な意見に基づいて行動する多くの人達で構成されている。
●投資での成功と個人の感情や個人的な意見は無関係である。
●市場を動かしているのは群集心理である。特に多くの投資判断を左右しているのは、願望と恐怖心とプライドとエゴである。
●市場が従うのは需要と供給の法則である。つまり、市場に逆らわずに市場に沿って行動することが重要である。
●需要と法則の原則はあらゆるアナリストの意見より優れている。
●投資ルール、投資原則を学ぶべきである。特に、売りルールを持っていなければならない。
●株が値を戻すのを願って待つのではなく、小さな損失が出たらいつもすぐ売ることを学ぶ。
●市場が上向きなのか下向きなのかを知る。
●株は下げている時ではなく、上げている時に買う。
●株は下がりに下がって割安に見える時ではなく、年初来の高値近くで買う。
●安値に沈んでいる株より高値に上がっている株を買う。
●PER(株価収益率)はほどほどにして、利益の伸び、出来高の動き、その企業が業界内でもっとも利益をだしていることなど、実証済の要素に注目する。
●マーケットニュースレターやアナリストなどの情報に対しては慎重かつ客観的に向き合う。
●自分の間違った判断は記録に残し、どんな間違いだったのか分析する。
●チャートと長く接していれば、株価が大きく上昇する前兆となるパターンや手を出してはいけないダマシのパターンを見抜くことも可能になる。
画像出展:「オニールの相場師養成講座」
・バーの上端はその週の最高値、下端は最安値、クロスハッチは終値。週足であれば週の最後の株価です。
・値上がり週(横棒が前週よりも太い線)
・値下がり週(横棒が前週よりも細い線)
●出来高の大小や±は、株価の値動きと同じように重要である。上記のグラフでは①前週よりも売り出来高増が7週、②株の値動きが乏しい、③売り出来高増7週のうち6週が週平均出来高を上回る。この3つがポイントである。
●重要なシグナル
-過去の業績はあまり重要ではない。
-現在の業績の過大評価は禁物である。
-株価が下がっていて割安になっていても、将来の見通しが不透明であれば手を出すべきではない。
ステップ1 市場全体の方向性を見きわめる方法
●マーケケットが上か下か横ばいかを知ることが大切である。
●市場全体(ダウ工業平均、S&P500指数、ナスダック総合指数など)が天井を付けて下方へ転換すると、保有株の多くが下落する可能性は高い。
●市場の天井を見きわめるスキルは非常に大切である。
●景気指数や経済指標に頼りすぎるのは危険である。それは経済が市場をリードしているのではなく、市場が経済をリードしているからである。
●マーケケットテクニカルアナリストは50~100種類のテクニカル指標に注目しているが、大事なことは個別銘柄そのものを注意深く観察することである。森を見ることも必要だが、一つ一つの木を見ることはもっと大切である。
●市場の傾向を掴むには、主要な市場指数を毎日見て自分自身で分析することが大切である。
●総出来高の増減や、1日の出来高と平均出来高と比較することは重要である。
●上昇トレンドでは値動きと出来高がいずれも上昇しているのが一般的である。これは「アキュムレーション」といわれる。
●アキュムレーションを追跡するには、各種指数の高値、安値、終値とその出来高がプロットされているチャートを使うことである。
●売りが買いを上回ることを「ディストリビューション」と呼び、それが起きているのを見きわめることが大切である。ディストリビューションの1日目は指数の終値が前日よりも低く、出来高が大きいときである。
●50年間の研究で認識したことは、2~4週間の中でディストリビューションが5日あると上昇トレンドから本格的な下降トレンドへ転換した可能性があることである。市場が一時的に反発することもあり、下げ幅の大きさにも注意すべきである。
●ディストリビューションのシグナルには「ストーリング(失速)」もある。市場の活発な上昇後、突然その勢いが止まってしまう場合である。下がるわけではなく、上昇率が明らかに小さくなることである。ポイントは売買比率の変化であり、注意すべきは機関投資家などの動き、出来高である。
“2000年3月に株式相場が天井を付けたとき”
画像出展:「オニールの相場師養成講座」
・「ナスダック総合」は米国の代表的な株式市場、NYダウにくらべハイテク関連やインターネット関連の新しい企業が多いのが特徴です。
●総合指数のディストリビューションの出現と主導してきた主要銘柄の天井には関連がある。
●数日間続く大量の売りは、利益確定による可能性が高い。
●短期の下げか長期の下げトレンドかの判断が鍵。ディストリビューションとストーリングが参考になる。
●天井では相場から手を引き、買うことを控えなければならない。
●希望的観測は不要、市場の事実が最重要である。
●スキルを身に付けるには忍耐と鍛錬が必要である。
●ベア相場の傾向として寄り付きで上げ、大引けで下げることが見られる。一方、ブル相場では逆に寄り付きで下げ、大引で上げることがある。
●下降トレンド相場がどこまで進むかは誰にも分からない。分かることは、重いディストリビューション状態にあり、下降するということだけである。
●下降から上昇への切り換え前には数日間の続伸が目安になる。「フォロースルー」は通常、4日目から7日目に見られることが多い。フォロースルーは前日と1日平均よりも多い出来高を伴って1.7%以上の大きな幅で力強く上げている日である。1日、2日の上昇をみて慎重に判断する必要がある。
●新たなブル相場がフォロースルーデーなしに始まったことはない。
画像出展:「フォロースルーデーとは?:投資の勉強」
こちらは“米国株長期投資くらぶ”さまのサイトです。
ステップ2 利益と損失を3対1に想定する方法
●いつ、なぜ、売るのかも分からずに株を買うことは、ブレーキのない自動車を買うようなもの、救命具を持たずにボートに乗るようなものである。
●機関投資家の動向を知ることは非常に大事である。特に「売り」に傾いていることを認識することが大切である。これは機関投資家側からは「売り」の情報が出てくることはないからである。
●自分の感情や他人の言葉に左右されることなく、保有株が思惑に反した動きをしたとしても、常に客観的でなければならない。大事なことは市場の動き、株価と出来高の動きを通じて、機関投資家などのプロが何をしているかに注目することである。
●自分を守る確実な方法は、株価が上昇しているときに利益確定をすること。株価の勢いがなくなり下降し始めたら売って早めに損切りするという現実的なプランを持つことである。具体的には+20~25%で売却(一部)し、-7~8%までにすべて損切することである。つまり目標利益を許容損失の約3倍に設定することである。
●利益がなかなか出そうにない極めて難しい相場では、例えば株価が3~5%下がったところで売り、10~15%上がったところで利益を確定し、投資資金における現金の割合を増やすという選択肢もある。売買の判断を柔軟に変えるのは問題ないが、大事なことは3対1の比率を守ることである。
●『買値から7~8%安で売ったとたん、反発してしまうことがよくあることに注意しなければならない。そうなったら、あなたは自分を愚かだと思うだろう。あなたは、「そもそもこの株を買ったことは正しかったが、売ったことが間違いだったのだ」と自分に言い聞かせるだろう。だが、売ったことが本当に間違いだったのだろうか? 7~8%で売ったことは、回復できないほどの破壊的な損失を確実にさけるためにやったことだ。7~8%が、15~20%、さらに30~40%、あるいはそれ以上に下落することに対して防御しているのだ。一種の保険だと考えてみよう。あなたの家が昨年火事で焼失しなかったからといって、火災保険を掛けていたことで自分を責めるだろうか? そんなことはないだろう。損失を早めにカットすることはそれと同じだ。反転して20%値上がりすることもあり得る株を7%の損失で売ることは、保険を掛けていない家が焼失した場合のように、回復できたとしても、回復するために何年もかかることになる。70%級の損失を避けるための小さなコストなのだ。
そういう売買方法も、もっと大きなリスクを背負って株式投機をやっている人にはいいだろうが、変動幅の小さい「優良株」や「投資適格銘柄」に投資している買い持ち型の長期投資家たちにはどうだろうか?―とあなたは思うかもしれない。さて、皆さんにお知らせがある。そんなものはないのだ。すべての普通株はきわめて投機的であり、一般に安全だと見られている銘柄を含め、大きなリスクを持っている。多数の買い持ち型の長期投資家たちは、売りルールを持っていなかったために2000~2003年にかけて50~75%を失った。』
●事例)ルーセント・テクノロジー(1996年AT&Tから分離~2006年フランスのアルテカSAと合併しアルテカ・ルーセントになった~2016年フィンランドのノキアに買収された)
“リスクのない銘柄はないので、損切りは常に早めにしなければならない”
画像出展:「オニールの相場師養成講座」
・AT&Tから分離独立したルーセント・テクノロジーは世界最大の電気通信機器のサプライヤーであるだけではなく、画期的な技術革新を生み出しました。株価は1999年12月に$64の天井を付けたあと、98%急落し、$1未満にまで落ちました。
ご参考:私自身の良くない事例
1.マイナス96%超になってしまっている保有株
反省
●この銘柄は2021年3月に購入したものなので、まさに“勘”だけで売買していたころの事例です。運用資金の5%程度だったこともあり、十分な検討なしに購入してしまいました。購入したときにはミーム株(SNSなどネット上で話題になる「はやり株」のこと)という言葉も知らず、この株がそのミーム株に該当することも知りませんでした。オニール氏の本を読んでいれば手を出すことはなかったと思います。
●何故買うのか、いつ売るのかといったプランも曖昧なまま手を出しました。株価は購入日から18日後には$4.42と+79%と高騰しましたが、この勢いであれば$6.00は行くだろうと考えて(願って)売ることはしませんでした。その後、最高値から32日後(2021年3月4日)には購入価格($2.46)を割り込みました。同月(3月)は取引日で計10日、買値を上回りましたが、【欲ブタ】になっておりもっと上がるという気持ちは同じでした。
●購入規模が小さかったこともあり危機意識が明らかに欠けていました。この見込みの甘さがすべての問題の原点だと思います。
●利益を得る最後のチャンスは1日のみ、同年10月25日にやってきました。この日の終値は$3.15でしたので、約30%の利益を得ることが可能でした。非常に迷ったことをよく覚えています。しかしながら、「きっともっと上がるだろう(上がってほしい)」という気持ちには勝てませんでした。(またも【欲ブタ】と化していました)
●2024年8月31日時点の株価は$0.093になっています。こここまで下がると紙切れ同然なので売る気もなく、自分自身への警告と思って保有し続けています。この会社はAIのソリューションを手掛けています。2006年設立であり、20年近く続いている会社なので小さな望みは捨てていません。ただ、これも淡い期待と覚悟はしています。
2.まずまずの敗戦処理
反省
●購入は2023年4月3日なので、本での勉強前ではありますが、売却した7月20日は、まさに「株日記」をつけ始めた日であり、“ばっちゃまの米国株”さんのサイトを知ったあとで、“勘”での運用を改めようと考えていた時期でした。
●この株は、4月は買値を上回った日数と下回った日数がいずれも10日と拮抗していましたが、5月になると買値を超えたのは2日と9日の2回だけとなり、下落していきました。
●売却時の損失は9.58%でした。もし、売りルール(‐8~‐7%)に基づいて売却していたとすると、2023年5月15日が売却日となっていました(実際の売却日の約2ヵ月前)。
●国内株を2銘柄買おうと思い、ネットの情報をいくつかみて十分な検討なしに銘柄を決めました。その意味では、1.でご紹介した米国製造会社株の購入に近い感じ、「雰囲気買い」といえます。やはり、慎重な調査、分析が必要で「売りルール&売り例外ルール」を決めておくことも、同様に必須だと思いました。
※この株が2023年7月20日(2210円)以降どうなっているのか調べてみました。翌年(2024年)年初の株価は2022円、その年の5月10日に急騰し2510円に、7月には2700円を突破。8月5日の歴史的大暴落では2187円まで下落するものの、今は2600円台を回復しています。
売却せず10カ月以上保有していれば利益を得るチャンスが到来したわけですが、これは何とも言えないところです。言えることは、根底にあるのはその会社の実力、その会社に対する理解と信頼。そして、その判断の時にどれだけ客観的に検討し、納得して決断したかどうかという事だけだと思います。(この10カ月間は国内金融会社に投資し15%以上アップしていたと思うので、もし、2650円くらいでこの会社の株を売却していたら、負けていたと思います)
●GMや3Mのような真の長期成長株もあるが例外的であり、数年の低迷期は存在する。
●分散投資はリスクを下げるが、2000~2002年のようなベア相場では遅かれ早かれすべての主導株は引きずり下ろされることになる。絶対保証付きの安全策ではない。
●こだわりを持たないことは重要である。株はお金だけでなく、自尊心やエゴ、感情に左右されてはいけない。それは、これらのこだわりは手放す判断の障壁になるからである。
●多くの投資家のこだわりは言い訳につながり判断を鈍らせる。これらは人情に他ならない。こだわりをコントロールすることはとても難しいが、身に付けなければ投資リスクを高めてしまう。
●『株価が下がって評価損が出ている時は、反発することをやみくもに願うのではなく、さらに下がるのではと恐れなければならない。売ることをさらに難しくするのは、あなたの保有銘柄に関してだけでなく、市場や経済全般に関して耳にするたくさんの意見だ。「専門家たち」―そもそもその株を購入したときに耳にしたのと同じ専門家たちかもしれない―が、その会社がまだ優良であり、数ポイント下がった今こそ以前にも増して買い時であると口にするのを耳にするだろう。だが、繰り返すが、それらは彼らの個人的な見解にしかすぎない。株式市場では個人的な意見になんの価値もない。あなたが尊重しなければならない唯一の意見は、市場そのものの意見だけだ。相場はあくまで需給関係で決まるのだから、どこへは行くが、どこへは行かないということはない。だから、戻って来られないような場所へ連れていかれないように気をつけるのは、あなたの役目だ。』
終章 変わりゆく世界―産業・社会への影響と戦略
変わるゆくもの
●ある環境の中で機能を発揮する特定の仕組みであり、その見えない相互作用が知能である。
●インターネットは情報流通に革命を起こした。以前は流れなかったところにも情報が流れるようになった。従来は先生から生徒、上司から部下、メディアから大衆という直線的な流れは横方向にも広がりをもつようになった。これらは組織や社会システムと関係ない情報の流れであり、様々な新しい付加価値を生んだ。
●人工知能によって生み出される変化は「知能」という、学習し、予測し、そして変化に追従するような仕組みが、今度は人間や人間が属する組織と切り離されるということである。今までは組織においては然るべき階層まで上がって組織としての判断を下していた。個人の判断は1つの身体ゆえに処理できる数は限られていた。それがルールや濃淡、数に制約はあるものの同時並行的に分散して行うことができるようになる。
●人という物理的存在に依存していた知能が、必要条件の範囲においてにはなるが、地球上の必要とされる所に自由に配置できることは、人工知能が人類の発展に大きく貢献できる要素ではないか。
じわじわ広がる人工知能の影響
●人工知能は研究開発が先行するので、ビジネスに展開されるまでには時間がかかる。
●防犯は社会的コンセンサスが取りやすいので、防犯カメラと過去の犯罪履歴のデータベースを組み合わせた監視ネットワークは大きく治安に貢献できるだろう。ただし、個人の行動履歴というプライバシーの問題をクリアする必要がある。
●製造業では熟練工の技術の分野にも入っていける可能性がある。また、「改良」や「改善」に取り組んできた製造現場において、ディープラーニングによって人工知能が特徴量を自ら掴むようになると、新しい工程を「設計」できるようになるかもしれない。特に試行錯誤が許されている試作段階などのステージでは人工知能の利用が進むと思われる。
●製薬や材料の分野において、仮説生成まで人工知能が担えるようになれば、今まで以上に探索できる解の範囲が一気に広がるかもしれない。
●音楽や絵画といった芸術の世界にも、試行錯誤の頻度と効率を高めるため人工知能が進出するかもしれない。
●自動車に限らず、電車でも飛行機でも運転士・操縦士の大事な仕事の一つは「異常検知」であるが、これは特徴表現学習の得意とするところである。すでに飛行機は離着陸以外、その大半は自動操縦になっている。
●広告・マーケティングはデータマイニング等、すでにコンピュータが活躍している分野だが、短期的や一過性の利用から長期的に刻々と変わる顧客ニーズをリアルタイムに的確にとらえることで、完全自動化されていく可能性がある。ブランドイメージの向上や商品企画などの仕事に関しても人工知能の介在する余地は大きい。
●医療、法務、会計・税務は最も人工知能が入りやすい領域である。医療は画像診断技術の向上が期待できる。ただし、自動運転と同じように「診療の適切性」と「責任」の問題は難しい問題である。
●弁護士の仕事の中では、クライアントの情報を整理したり、関連法令をチャックしたり、過去の判例を調べたりすることは人工知能のメリットを活かしやすい。情緒的な面や当事者の利害関係を調整するという面は人間が得意とする領域である。
●金融は人工知能が活躍できる大きな領域である。顧客対応システムや資産状況に応じたポートフォリオを提供することは価値がある。証券会社や不動産会社はより付加価値の高い情報提供ができるように見直すことが求められるだろう。
●教育はデータ分析によってもっと進化する分野である。学習パターンや生徒の向き不向きをより的確につかみ、適した学習方法を提示することができる。個々の教師が個人的に持っているノウハウなど、教え方の知識は多くの生徒のデータを分析することでより客観的で質、量ともに充実したスキルを効率的に習得できるようになるかもしれない。一方、生徒のやる気を高めたり、効果的に競わせたりする方法は人間と人工知能がうまく連携することにより高いレベルの教育を提供できるのでないか。
近い将来なくなる職業と残る職業
●人工知能による変化は、多くの人に影響を与える可能性があるという点で、今までの変化とは異なるかもしれない。また、貧富の差が広がるのではないかと考えられている。これらは基本的には富の再分配によって是正するしかないが、格差や平等について考えることは非常に重要である。同様に国際的な経済格差に関しても考えなければならない。
●『この段階[2030年頃]で、人間の仕事として重要なものは大きく2つに分かれるだろう。1つは、「非常に大局的でサンプル数の少ない、難しい判断を伴う業務」で、経営者や事業の責任者のような仕事である。たとえば、ある会社のある製品の開発をいまの状況でどう進めていけばよいかは、何度も繰り返されることではないためデータがなく、判断が難しい。こうした判断はいわゆる「経験」、つまり、これまでの違う状況における判断を「転移」して実行したり歴史に学んだりするしかない。いろいろな情報を加味した上での「経営判断」は、人間に最後まで残る重要な仕事だろう。
一方、「人間に接するインタフェースは人間のほうがいい」という理由で残る仕事もある。たとえば、セラピストやレストランの店員、営業などである。最後は人間が対応してくれたほうがうれしい、人間に説得されるほうが聞いてしまうなどの理由で、人間の相手は人間がするということ自体は変わらないだろう。むしろ人間が相手をしてくれるというほうが「高価なサービス」になるかもしれない。』
●『さらに忘れてならないのが、人間と機械の協調である。すでにチェスでは、人間とコンピュータがどのような組み合わせで戦ってもよい、フリースタイルの大会がある。さまざまな仕事においても、この「フリースタイル」方式が出てくるはずである。人間とコンピュータの協調により、人間の創造性や能力がさらに引き出されることになるかもしれない。そうした社会では、生産性が非常に上がり、労働時間が短くなるために、人間の「生き方」や「尊厳」、多様な価値観がますます重要視されるようになるのではないだろうか。』
人工知能と軍事
●人工知能の応用を考える際に、忘れてはならないのが軍事面での応用である。米国では長い間、DARPA(米国国防高等研究計画局)が主導的役割を担ってきた。理由は利益につながる必要性がないからである。インターネットの起源となったARPANETもDARPAの予算で支援された。
●戦闘において、無人操縦機やロボットは人命と戦闘能力の両面において大きな価値をもたらす。
人工知能技術を独占される怖さ
●人工知能は、今後、ビッグデータに続いて産業競争力の大きな柱になっていくと思われる。そのため、技術の独占は大きな問題である。人工知能は「知能のOS(オペレーティングシステム)」と言えるかもしれない。汎用的な特徴表現学習が土台にあって、その上に、さまざまな機能を実現するアプリケーションが載っているイメージである。
※メタ・プラットフォーム社が開発しているLLMであるLlama3はオープンソースにする計画のようです。
※NVIDIAからのニュースレターの記事の中に“GPT-J6B”というものを見つけ、「これは何?」と調べたところ、これは、「2021 年に EleutherAI によって開発されたオープンソースの大規模言語モデルである」ということが分かりました。以下がそのサイトです。(大変驚きました)
EleutherAI は最先端の AI 研究に参加して議論することに関心のある AI 研究者、エンジニア、愛好家のグローバル コミュニティだそうです。
偉大な先人に感謝を込めて
●『ディープラーニングという「特徴表現学習」が人工知能における大きな山を越えたとすれば、この先、人工知能に大きな発展が待っていてもおかしくない。さまざまな産業で大きな変革を起すのかもしれない。長期的には、産業構造のあり方、人間の生産性という概念も大きく変えるのかもしれない。一方で、「冷静に見たときの期待値」、つまり宝くじを買って平均的に返ってくる金額について、どうとらえただろうか。
どんなに人工知能の可能性を低く見積もったとしても、最低限、多くの産業でビッグデータ化は進むだろう。そして、そこにいままで人工知能が担ってきた探索や推論、知識表現、機械学習の技術が活きるはずである。少なくとも、いくつかの分野では、これまでの専門家を超えるような人工知能の使い方が出てくるだろう。
この2つの可能性を考えたとき、この宝くじは決して悪いものではないと思う。人工知能の未来、人工知能がつくり出す新しい社会に賭けてもいいと思わないだろうか。
人工知能は人間を超えるのか。答えはイエスだ。「特徴表現学習」により、多くの分野で人間を超えるかもしれない。そうでなくても、限られた範囲では人間を超え、その範囲はますます広がっていくだろう。そして、これを生かすも殺すも、社会全体を構成するわれわれ自身の意思次第だ。』
ご参考:AIとCloud
AIがどこに入っていくのかを考えると、その可能性はコンピュータが活躍している全てのエリアだと思います。しかし、最初に先頭グループで引っ張るランナーは、体力の優れた(巨額の投資をできる大きな会社)会社です。
“マグニフィセント・セブン”とは、アルファベット(Googleの持株会社)、アップル、メタ・プラットフォームズ、アマゾン・ドット・コム、マイクロソフト、テスラ、エヌビディアの7つの会社のことですが、現在はこの7社がAIを広めていくリーダーとなっています。
アマゾン(AWS)、マイクロソフト(Azure)、アルファベット(Google Cloud)の各社はそれぞれ独自に展開するクラウドサービスに力を注いでいます。一方、メタはSNSからの展開です。テスラは自動運転とロボット、エヌビディアはAIの推進エンジンともいうべきGPUと開発環境のプラットフォームなどを提供しています。
画像出展:「世界時価総額ランキング(STARTUPS JOURNAL)」
1989年11位だったトヨタは2024年のリストを見ると39位となっています。衝撃的なのは1989年の時は、Top30社のほぼ半数の14社は日本の企業でしたが、2024年のリストではTop30社の22社が米国で、中国が2社、サウジアラビア、台湾、デンマーク、フランス、韓国、スイスの6カ国がそれぞれ1社ずつとなっています。この約30年他国に比べ、日本は生産性の改善に目覚ましい成果がみられていません。
某テレビ番組の中で評論家の方が、日本では経営者が次の経営者にバトンを渡し、会長さらには相談役として残る。バトンを渡された新しい経営者は忖度で身動きできない。現状維持が優先されチャレンジすることはままならず、”設備”にも“人”にも積極的な投資がされることはなく、ひたすら内部留保を増やしてきた。というようなお話をされていました。これは、少し大げさかもしれませんが、日本における企業内民主主義の問題ではないかと思います。
そして、AIによる革新を引っ張っていく一つの大きな選択肢がクラウドだと思います。
画像出展:「2022年のクラウド支出の割合と成長率:国別比較(Gartner)」
少し古いデータですが、クラウドの成長率が15%~35%となっているのと、IT支出は全体の5%~15%程であることが分かります。ここから、パブリッククラウドのポテンシャル(余地も大きく関心も大きい)の大きさを認識できます。
Google Cloudの事例
サイトの中頃にあります。動画はいずれも2~3分です。
■トヨタ自動車
・Aプラットフォーム(検査等)を構築した。
・本当に人がやらなければならないことはどこかを追及していく。
■セブン・イレブン・ジャパン
・デジタルデータ基盤を構築した。
・重要だったのはパフォーマンスだった(BigQuery)。
■アサヒグループ
・ITのモダナイゼーションを推進している。
・スピードや変化への追随が重要である。
パブリッククラウドとオンプレミス
画像出展:「DELL」
このDELLの「クラウドとグラウンド(オンプレミス)の相方向連携」という発想は素晴らしいと思います。
オンプレミスとは自社でシステムを保有し運用するシステムです。AIはオンプレミスの需要も拡大するとされています。
感想
松尾先生の『人工知能は人間を超えるか』を勉強させて頂き、AIはITの進歩の歴史の線上に存在しているもので、ハードウェア、ソフトウェア、ネットワークといったコアの技術の発展を背景にして一つの壁が破られ、ディープラーニングが登場したということだと思います。そして、人間とコンピュータの関係性が新しい次元に入ろうとしているように感じます。
ではどのように広がっていくのかと考えたときに、頭に浮かんだのは先にご紹介させて頂いた、“マグニフィセント・セブン”というITの超巨大企業のリーダーシップです。これは一言でいえば資金力と人材力に尽きます。
そして、大きな入口となるのが繰り返しになりますが、パブリッククラウドの活用ではないかと思います。また、各企業間の競争も後押しする要因だと思います。つまりAIによって各会社は事業の生産性を向上させることが可能になるため、新しい技術であるAI、そして入口としてのクラウドに期待する会社は増えるのではないかと思います。さらに、ネットの記事をみるとAIの導入は従来型のオンプレミス(自社システム)においても増えるという見方もあるようです。
一方、課題としては特にクラウドの御三家はAIへの多額な設備投資に対する利益の回収の不透明さを指摘されています。この高いハードルを超えることができるかどうかによって、AIの発展のスピードは大きく左右されるだろうと思います。
ネットには『金融業界で活用される生成AI:JPモルガンの事例から学ぶ』という記事がありました。
AIは単なる道具ではなく、本格的導入には以下の点が重要ということだと思います。
●経営層がAIの重要性を認識し、明確なビジョンを持つこと
●AIに関する専門知識を持つ人材を確保・育成すること
●AIを活用するための組織体制を整備すること
●業務効率化と新たな価値創造の両面でAIの活用を推進すること
●AIの倫理的な活用について検討し、適切なガバナンスを確立すること
これを見ると、AIはリエンジニアリング(構造改革)のための武器ではないかと思いました。
画像出展:「高まる期待のなか、業務への AI 活用はまだ始まったばかり」
AIは企業にとっては、リエンジニアリング(構造改革)を推進するようなものなので、普及のスピードは市場への影響が大きい大企業のCEO(例えばJPモルガンのジェイミー・ダイモンように)がどこまで本気に向き合い、抜本的な生産性向上を狙って導入していくかが一つの鍵になるように思います。
追記(2024年9月27日):AI検索 Perplexity
何となくAI(ChatGTPなど)を使うことにためらいがあったのですが、とあるウェビナーでAIを積極的に使いこなしている先生から「AIはまさに秘書です」、「一度使ったら元に戻れない」という発言がありました。また、数あるAIツールの特長も紹介して頂いたのですが、個人的に最も関心を持ったのは“AIを利用した検索ツール”で、それはPerplexityというものでした。下に貼り付けたスクリーンショットは、Perplexityへの質問(上)と回答(下)です。
「経絡とは何ですか?」という質問をPerplexityと最も有名なAIツールで比較しましたが、情報量とレスポンスは明らかにPerplexityの方が優れていました。
一度使ってみて、「これは元に戻れない」と実感しました。今まで検索結果からサイトに入り、さらに少し違った角度からの検索を行い情報を集め、自分なりの理解や納得を得ていたのですが、このような作業にかかる時間は圧倒的に省力化できると確信しました。つまり、同じレベルの理解であればより少ない時間で、同じ時間を要するならばより深い理解を得ることが可能です。
なお、専門性の高い質問や図や表の作成には【Pro】($20/月)に申し込む必要がありますが、無償の範囲でも十分に役立つと思います。
AIに関しては少々勉強してきたのですが、今までの歩みや日本での取り組みなど、もう少し知りたいと思って見つけたのが松尾 豊先生の本でした。この本は2015年なのでほぼ10年前のものですが、松尾先生はAIの第一人者であり、本書の評価も極めて高いものでした。
第1章、4章、5章については少々触れていますが、ブログのほとんどは第6章と終章になります。AIに対する理解度はまだまだ低いのですが、確実に一歩前進できたのは良かったなと思います。
著者:松尾豊
発光:2015年3月
出版:(株)KADOKAWA
本書には「特徴表現学習」という言葉があるのですが、これは「ディープラーニング」のことです。このディープラーニングについては、ITmediaさまのサイトに詳しい解説がされていました。
画像出展:「5分で分かるディープラーニング(DL)」
『AI研究においてディープラーニングという革新が2006年に起こりました。ディープラーニング(以下では短く「深層学習」と表記)とは、ニューラルネットワークというネットワーク構造を持つ仕組みを発展させたものです。
深層学習の特長は、大量のデータから特定の問題を解く方法を学習することです。これは例えば子供に犬や猫を覚えさせるのと同じようなものをイメージするとよいでしょう。人間が経験から学ぶように、機械がデータから学習することを機械学習と呼びますが、深層学習はその機械学習の一種です。』
目次
はじめに 人工知能の春
序章 広がる人工知能―人工知能は人類を滅ぼすか
第1章 人工知能とは何か―専門家と世間の認識のズレ
第2章 「推論」と「探索」の時代―第1次AIブーム
第3章 「知識」を入れると賢くなる―第2次AIブーム
第4章 「機械学習」の静かな広がり―第3次AIブーム①
第5章 静寂を破る「ディープラーニング」―第3次AIブーム②
第6章 人工知能は人間を超えるか―ディープラーニングの先にあるもの
終章 変わりゆく世界―産業・社会への影響と戦略
おわりに まだ見ぬ人工知能に思いを馳せて
第1章 人工知能とは何か―専門家と世間の認識のズレ
基本テーゼ:人工知能は「できないわけがない」
●『人間の脳の中には多数の神経細胞があって、そこを電気信号が行き来している。脳の神経細胞の中にシナプスという部分があって、電圧が一定以上になれば、神経伝達物質が放出され、それが次の神経細胞に伝わると電気信号が伝わる。つまり、脳はどう見ても電気回路なのである。脳は電気回路を電気が行き交うことによって働く。そして学習をすると、この電気回路が少し変化する。
電気回路というのは、コンピュータに内蔵されているCPU(中央演算処理装置)に代表されるように、通常は何らかの計算を行うものである。パソコンのソフトも、ウェブサイトも、スマートフォンのアプリも、すべてプログラムでできていて、CPUを使って実行され、最終的に電気回路を流れる信号によって計算される。人間の脳の働きもこれとまったく同じである。
人間の思考が、もし何らかの「計算」なのだとしたら、それをコンピュータで実現できないわけがない。このことは特段、飛躍した論理ではなく、序章でも少し触れたアラン・チューリング氏という有名な科学者は、計算可能なことは、すべてコンピュータで実現できることを示した。「チューリングマシン」という概念である。すごく長いテープと、それに書き込む装置、読み出す装置さえあれば、すべてのプログラムは実行可能だというのである。』
画像出展:「パーソルクロステクノロジー」
『チューリングマシンとは、1936年にアラン・チューリングが発表した論文の中で「計算する」ことを定義した仮想的な計算機です。構造は単純で、この計算機で計算をして、機械がデータを出力できるならば計算できる、データの出力が不可能ならば計算できないと定義されています。』
第4章 「機械学習」の静かな広がり―第3次AIブーム①
機械学習における難問
●ウェブやビッグデータで広く使われている機械学習は、未知のものに対して判断・識別、そして予測することができる。しかし、弱点はフィーチャーエンジニアリング(Feature engineering)である。つまり、特徴量(あるいは素性という)の設計であり、ここでは「特徴量設計」と呼ぶ。特徴量とは機械学習の入力に使う変数のことで、その値が対象の特徴を定量的に表す。この特徴量に何を選ぶかで予測精度が大きく変化してしまう。例えば、年収を予測する問題を考えれば分かりやすい。どこに住んでいるか、男性か女性か、といった特徴量から年収を予測するというのは、ニューラルネットワークやその他の機械学習の方法を使って学習することができる。“性別”、“住所”、“年齢”、“趣味”等々、これらの特徴量から何を選ぶかということが予測精度を左右する。
第5章 静寂を破る「ディープラーニング」―第3次AIブーム②
ディープラーニングが新時代を切り開く
●2012年、人工知能研究に衝撃が走った。世界的な画像認識のコンペティション「ILSVRC(Imagenet Large Scale Visual Recognition Challenge)」で、初参加のトロント大学が開発したSuperVisionが圧倒的な勝利を飾った。このコンペでは画像がヨットなのか、花なのか、動物なのか、ネコなのかをコンピュータが自動で当てる問題が出題され、その正解率の高さ(実際はエラー率の低さ)を競い合う。1000万枚の画像データから機械学習で学習し、15万枚の画像を使ってテストする。
●従来はエラー率26%台の攻防だったが、SuperVisionだけが15%、16%と傑出したエラー率だった。そして、この新しい機械学習の方法が「ディープラーニング(深層学習)」だった。
画像出展:「人工知能は人間を超えるか」
●ディープラーニングの研究は約6年まえの2006年頃から始まった。ディープラーニングの凄さはデータを元に、人間ではなくコンピュータ自身が高次の特徴量を作り出し、それにより画像を分類することである。このディープラーニングによって人間の介在を必要としない人工知能の世界に踏み込むことができた。
●ディープラーニングは「人工知能研究における50年来のブレークスルー」とされている。それ以前は黎明期と「マイナーチェンジ」といえる。なお、ディープラーニングは「表現学習」の一つとされているが、本書では「特徴表現学習」という呼び方をする。
自己符号化器で入力と出力を同じにする
●ディープラーニングが従来の機械学習と大きく異なる点は2つある。1つは階層ごとに学習していく点、もう1つは自己符号化器(オートエンコーダ)という「情報圧縮器」を用いることである。
『オートエンコーダは、AI技術をサポートするニューラルネットワークの1つとして重要な役割を担っています。従来のニューラルネットワークにおける勾配消失[ニューラルネットワークの層が多すぎると逆に精度が落ちてしまうこと]や過学習[訓練データを完全に記憶してしまうことで学習データだけに最適する状態が生まれ、その結果、汎用性が失われる]といった課題を解消するために開発されたものの、現在はデータ生成や異常検知といった用途でも利用されており、さらなるニーズの拡大が見込まれます。』
第6章 人工知能は人間を超えるか―ディープラーニングの先にあるもの
ディープラーニングからの技術進展
画像出展:「人工知能は人間を超えるか」
この図のタイトルは「ディープラーニングの先の研究」です。中央の“獲得する能力”は下から①~⑥となっています。
①画像特徴の抽象化ができるAI⇒②マルチモーダルな抽象化ができるAI
・人間は視覚、聴覚、触覚などそれぞれ独自の機能を持っており、作り出させる情報も異なる。脳はこれらの異なる情報を同じ処理機構で処理をする。ディープラーニングも脳と同様なことが可能であるが、時間に対応する必要がある。これは画像で言えば「動画」である。動画は時間をまたがる大局的な分脈を伝えることができる。触覚も圧力センサーの時系列の変化であり、時間をまたがるものである。
・マルチモーダルとは複数の感覚のデータの組み合わせであり、ディープラーニングはそれを可能にする。
③行動の結果と抽象化ができるAI
・コンピュータ自らの行為とその結果を合わせて抽象化することが求められる。
・人間の脳は人間が動いて目に入った情報も、動く物によって目に入ってきた情報も区別できない。しかし人間が生きていくためにはこれでは不十分である。「自分」がドアを開けたから“人”が見えたのか、“人”の方がドアを開けたから人が見えたのか、これを区別できないと生命に危険が及ぶ可能性がある。前者は「自分が指令を出したから身体が動き、それによって目に見えるものが変化した」という情報ということである。
・人間は赤ちゃんのころから、物をつかんだり、引っ張ったり、放り投げたりする。それによって、「物を動かす」とか「物を押す」とか色々な概念を獲得していく。このように人間は自らの行動とそれによる結果をセットにすることで認識できるようになる。
・行動と結果の抽象化によって「行動の計画」が立てられるようになる。例えば部屋のルームライトを交換するために、「物置にある踏み台を持ってきて、その踏み台を使って蛍光灯を交換しよう」というような行動である。
・人間が原因と結果という因果関係で理解しようとするのは、目的を明らかにし「計画的な行動」ができるようになるためではないか。
・「押す」という動作の獲得だけでも簡単な話ではない。ロボットにそれを学習させるには、テーブルを1の力で押して動かない。2の力で押すと数ミリ動いた。3の力で押せばテーブルを動かすことができる。この1、2、3のような経験を繰り返すことにより、「物を押す」という行動を抽象化できるようになる。
④行動を通じた特徴量を獲得できるAI
・「計画的な行動」ができるようになると、続いて「行動した結果」についても抽象化が進む。
・外界との相互作用による動作概念の獲得は、新たな特徴量を取り出す上でとても重要である。
・「簡単なゲームか難しいゲームか」など、「簡単」「難しい」などの形容詞的な概念は何回か試してみないと分からない抽象的な概念である。割れやすいコップなども、押すと割れる、落とすと割れるという行動と結果のセットで分かる。「割れやすい」「割れにくい」という形容詞は、ガラスの素材や形状、厚みなどによってつかめる概念である。
・コンピュータが「行動の結果と抽象化」の学習を進めれば、ひとまとまりの動作が物事の新しい特徴を引き出すことができる。それは、例えば「考えてアッと(特徴量に)気づく」「やってみてコツが(特徴量が)わかる」というようなことである。
・いったん動作を通じて特徴量を得ることができれば、次からは見た瞬間、割れやすいから気をつけようという予測ができる。このように周囲の状況に対する認識が一段階深くなり、ロボットであっても環境に適応することが可能になる。
⑤言語理解・自動翻訳ができるAI
・コンピュータが抽象的概念を獲得すると「言語」の獲得の準備が整う。例えば、「ネコ」「ニャーと鳴く」「やわらかい」という概念が出来ていれば、それぞれの概念に「ネコ」「ニャーと鳴く」「やわらかい」という言葉(記号表記)を結び付けることで、コンピュータは言葉とその意味する概念をとセットで理解する。つまり、シンボルグラウンディング問題[AIはシンボル[記号]が実世界とどのように結びついているのかを認識できないという問題]は解消される。シマウマを1度も見たことがないコンピュータも、「シマシマのあるウマ」と聞けば、あれがシマウマだと分かるようになる。
・ここでは、概念が言葉(記号表記)と結びつけられることが重要であり、その言葉が何語なのかは問われない。
⑥知識獲得ができるAI
・コンピュータが人間の言葉を理解できるようになるということは、コンピュータの中に何らかのシミュレーターが備えられており、「人間の文章を読むと、そこに何らかの情報が再現できるようになっている」ということである。
・コンピュータが本を読めるということは、膨大なウェブにある情報も読めるということに他ならない。この段階までいけばコンピュータは物凄い勢いで人類の知識を吸収できるようになるだろう。
画像出展:「人工知能は人間を超えるか」
この図のタイトルは「人工知能研究の心象風景」です。
『今までに、AIは色々な研究が行われてきた。そこでは「特徴表現をどう獲得するか」ということが最大の関門だったが、“機械学習”と“ビッグデータ”の間に抜け道ができた。それがディープラーニングである。AIは長い停滞の時を超えて動きだした。』
人工知能は本能を持たない
●人工知能は発展しても、人間と同じように概念や思考、自我や欲望を持つわけではない。
●人間には紫外線も赤外線も見えず、聞き取ることができない高音や低音、小さすぎたり動きが速すぎたりして見えない物体、匂いも犬に比べるとその能力は明らかに劣っている。そうした情報をコンピュータが取り込むと、そこから生まれてくるものは人間の知らない世界である。そのようにしてできた人工知能とは「人間の知能」とは別のものになるだろうが、間違いなく「知能」といえる。
●人間は言葉を話す。言葉には文法があるが、人間は生得的な文法(普遍文法)を備えていると考えられている。その生得的な方法を人工知能に埋め込む必要があると思われる。
●言語とともに重要なのが「本能」である。本能といっても脳に関することであり、「快」と「不快」を感じる能力である。個々の人間が持つ興味は千差万別である。楽しいことには時間は足りず、つまらないことは時間が長く、苦痛である。こうしたことは人工知能の分野では「強化学習」として知られている。何か報酬が与えられてその結果を生み出した行動が「強化」されるという仕組みである。そして、この強化学習の際に重要なのは、何が報酬か、つまり何が「快」で何が「不快」なのかである。
●人間は生物であるため、生存(あるいは種の保存)に有利な行動は「快」、生存のリスクとなるような行動は「不快」となるようにできている。食べること、眠ることは「快」、空腹や身の危険を感じることは「不快」である。こうした本能に直結するような概念をコンピュータが獲得することは難しい。それは「きれい」という概念は、おそらく長い進化の中で作り上げられた本能と密接に関係していると考えられるためである。
●「人間と同じ身体」「文法」「本能」などの問題を解決できないと、人工知能が人間の概念を正しく理解することは困難かもしれない。もっとも、「人間とそっくりな概念」を必要とするロボットの必要性は高くない。それよりも、予測能力が高い人工知能が出現するインパクトの方が大きいと思われる。
コンピュータは創造性を持てるか
●創造性には個人の中で日常的に起こっている創造性と社会的な創造性の2つがある。
●概念や特徴量の獲得とは創造性そのものである。あることに「気づく」のは創造的な行為である。一方、社会的な創造性は今までにない新しいものであるという前提が必要になる。そのため、社会的に創造的なものは少ない。
●人間は試行錯誤によって創造する。人工知能が「行動を通じた特徴量を獲得できるAI」の段階に達すれば、思考錯誤は可能なので創造性の獲得は期待できると考えられる。
知能の社会的意義
●人間社会はひとりでは生きていけない。このことについて人工知能はどう考えるべきものか。人間社会がやっていることは、現実世界の物事の特徴量や概念をとらえる作業を、社会の中で生きる人たち全員が、お互いのコミュニケーションをとることによって、共同して行っていると考えることもできる。そしてそうして得た世界に関する本質的な抽象化をたくみに利用することによって、種としての人類が生き残る確率を上げている。つまり、人間という種全体がやっていることも、個体がやっているものごとの抽象化も、統一的な視点でとらえることができるかもしれない。「世界から特徴量を発見し、それを生存に活かす」ということである。
シンギュラリティは本当に起きるのか
●人工知能はどこまで進化するのか。懸念は人工知能が自分の意思を持って自立し、自分自身を設計し直すことができるようになると、人類を超えたものになるということである。
●シンギュラリティは人工知能、遺伝子工学、ナノテクノロジーという3つが組み合わされることで、「生命と融合した人工知能」が実現するという立場である。また、シンギュラリティは人工知能が自分の能力を超える人工知能を自ら生み出せるようになる時点を指す。自ら超えるプロセスを無限に繰り返すことで、圧倒的な知能が誕生するというものである。
人工知能が人間を征服するとしたら
●人工知能が人類を征服したり、人工知能を作りだしたりするというのは夢物語である。
●『ディープラーニングで起こりつつあることは、「世界の特徴量を見つけ特徴表現を学習する」ことであり、これ自体は予測能力を上げるうえできわめて重要である。ところが、このことと、人工知能が自ら意思を持ったり、人工知能を設計し直したりすることとは、天と地ほど距離が離れている。
その理由を簡単に言うと、「人間=知能+生命」であるからだ。知能をつくることができたとしても、生命をつくることは非常に難しい。いまだかつて、人類が新たな生命をつくったことがあるだろうか。仮に生命をつくることができるとして、それが人類よりも知能の高い人工知能に「生命」を与えることは可能だろうか。
自らを維持し、複製できるような生命ができて初めて、自らを保存したいという欲求、自らの複製を増やしたいという欲求が出てくる。それが「征服したい」というような意思につながる。生命の話を抜きにして、人工知能が勝手に意思を持ち始めるかもと危惧するのは滑稽である。』
万人のための人工知能
●人工知能学会は2014年に倫理委員会を立ち上げ、人工知能が社会にもたらすインパクトについて議論を進めている。
こちらは「人工知能学会倫理委員会」のサイトです。初代委員長の松尾先生は2018年6月までの任期だったようです。
『人工知能学会倫理委員会では、2014年の委員会設置以来、人工知能研究あるいは人工知能技術と社会との関わりを広く捉え、それを議論し考察し、社会に適切に発信していくことを進めてまいりました。我が国でも、さまざまな政府機関で人工知能と社会に関する議論が行われ、また国際的にもそうした議論が進められるなか、人工知能学会としても深い専門知識に基いて、国内の議論をリードしていく役割があると考えています。』
レーザー光に興味をもった理由は3つあります。1つは昨年(2023年)、左眼に網膜剥離の兆候が出ているとのことで、その場でレーザーによる治療を受けたことです。2つ目は光量子の波と粒子の性質を証明した1961年に行われた実際の実験(19世紀のトーマス・ヤングの実験は思考実験でした)にレーザーが利用されていたことです。そして、3つ目は“脳卒中”というブログの中でご紹介しているのですが、友人の鍼灸師の先生から「レーザー(レーザーポインター)」を使った施術方法を教えてもらったことがあったためです。
購入した本は『レーザー技術入門講座 光の基礎知識とレーザー光の原理から応用技術まで』という高度な内容だったため、興味がある部分だけを取り上げました。
著者:谷腰欣司
発行:2007年7月
出版:(株)電波新聞社
ブログは自分自身の勉強のためということもあり、見て頂くほどの内容ではありません。
レーザーについて勉強されたい方は、以下にご紹介させて頂いた2つのサイトがお勧めです。
こちらは「ケイエルブイ(株)」さまの“KLV大学 レーザーコース”の一部です。
こちらは「まどか(株)」さまのサイトです。
目次
第1章 光とは何か
1.1 光とは何だろう
1.2 太陽は7色の光を含んでいる
1.3 光の回折現象
1.4 光の反射と音の反射
1.5 太陽エネルギーとスペクトル分析
1.6 光の速さは電波と同じ
1.7 電磁波と音波どこが違うか
1.8 光はなぜ明るく感じるのか
1.9 放電による光の発生メカニズム
1.10 波長が短いほど光のエネルギーは大きい
1.11 原子と量子力学
1.12 マックスウェルの電磁方程式と光の関係
1.13 光の反射と屈折
1.13.1 光の反射
1.13.2 光の屈折
1.13.3 光の速さと屈折率
1.14 フォトダイオードとは
1.14.1 フォトダイオードの物性的構造による分類
1.15 発光ダイオードとは
第2章 レーザー光とは
2.1 レーザー光とは
2.2 レーザー光は目に見えるか
2.3 レーザーの安全基準
2.4 ルビーレーザーは、なぜピンク色か
2.5 レーザー光は、なぜレーザーと呼ばれているのか
2.6 レーザー光を発振する
2.6.1 原子のエネルギー状態
2.6.2 励起のしくみ
2.6.3 誘導放出のしくみ
2.6.4 光増幅のしくみ
2.6.5 反転分布とは
2.6.6 レーザー媒質はどのようなものが良いか
2.7 レーザー光の特徴
2.7.1 レーザー光と自然光の違い
2.7.2 レーザー光は指向性が鋭い
2.7.3 指向性を数字で表すと
2.7.4 可干渉性(コヒーレント)とは何か
2.7.5 干渉縞とは何か
2.7.6 レーザー光は超高温を作り出すことができる
2.8 レーザー光は鏡で反射する
2.9 レーザー光を目に照射してはいけない
第3章 レーザー光の種類
3.1 レーザー光を波長や媒質で分類すると
3.2 固体レーザー
3.2.1 ルビーレーザー
3.2.2 YAG(ヤグ)レーザー
3.2.3 Qスイッチレーザー
3.3 気体レーザー
3.3.1 ヘリウムネオン(He-Ne)レーザー
3.3.2 エキシマレーザー
3.3.3 炭酸ガスレーザー
3.4 色素レーザー(液体レーザー)
3.5 自由電子レーザー
3.6 X線レーザー
3.7 半導体レーザー
3.7.1 発光ダイオードのしくみ
3.7.2 半導体レーザーの原理
3.7.3 半導体レーザーの特性
第4章 レーザー光の応用技術
4.1 身近なレーザーの応用技術
4.1.1 レーザー光による通信技術
4.1.2 レーザー光で高速大容量通信
4.1.3 電波通信と光ファイバー通信の違い
4.1.4 CDの記録、再生にレーザー光が使われている
4.1.5 青色レーザーを使うと
4.1.6 バーコードリーダー
4.1.7 レーザープリンター
4.1.8 ホログラフィー
4.2 レーザー光による計測
4.2.1 レーザー光で月までの距離を測る
4.2.2 レーザー光による温度センサー
4.2.3 レーザー光を用いた干渉測定器
4.2.4 ライダーとは
4.2.5 レーザージャイロとは
4.2.6 レーザーセオドライト
4.3 レーザー加工
4.3.1 レーザー光で板金を切断する
4.3.2 レーザー光でダイヤモンドに穴を開ける
4.4 レーザー医療
4.4.1 レーザー光による手術
4.4.2 レーザー光による網膜剝離の治療
4.4.3 レーザー光による美容
第5章 レーザー光発明の歴史
5.1 レーザー光発明における7人の侍
5.2 光の誘導放射と光増幅
5.3 メーザーとレーザーの発明
5.4 レーザー光の発振
5.5 レーザーの名付け親
5.6 レーザー光とノーベル賞
第2章 レーザー光とは
2.1 レーザー光とは
●レーザー光が発明されたのは1960年であった。それにより、レーザー光による光ファイバー通信、ミクロンオーダーの微細加工技術、表皮組織および体内の手術、また、軍事関係では命中精度の高いレーザー誘導爆弾などがある。これらはこれまでは不可能とされた未知の領域であった。
●レーザー光は電界と磁界が直交した、一種の波動であり電磁波の一種である。また、同じレーザー光でも赤外線レーザー、可視光レーザー、紫外線レーザーなど波長帯域が違えば、その性質や特性も異なるため使い方も異なってくる。
●レーザープリンターやCDプレーヤーなどの情報機器で使うのは低出力レーザーであり、レーザーポインターに至っては人間にダメージを与えるようなことはない。しかし、このような低出力レーザー光でも、人間に目にとっては非常に危険である。特に眼球内の網膜剥離、焼き付き現象が現れ、一時的もしくは、恒久的に視力障害を引き起こすこともある。
画像出展:「レーザー技術入門講座」
2.2 レーザー光は目に見えるか
●レーザー光は自然光と違い、発振源から遠く離れてもビーム状にエネルギーが集中するため思わぬ災害をもたらすこともある。損傷は高エネルギーによるものである。
●レーザー光は反射する物体がなければ肉眼で直接感知することはできない。また、人間の目には見えない赤外線レーザーや紫外線レーザーなどは人体に照射されてもある程度のパワーがなければ肌で感じることはできない。
画像出展:「レーザー技術入門講座」
2.3 レーザーの安全基準
●レーザー光は極めて狭い範囲に高密度のエネルギーを集中させることができるので、パワー次第では非常に危険である。被害を防止するには使用目的ごとに被曝量(露光量)を知る必要がある。
●IEC60825-1(国際電気標準会議)では安全基準の最大許容露光量(MPE:Maximum Permissible Exposure)を設定している。この数値は、レーザー光によって人体に障害が発生する確率が50%である放射レベルをレーザー傷害のデータから求め、これに安全係数の0.1を掛けた値である。
●日本ではIEC60825-1に準拠したJIS規格、JISC6802-1:2005「レーザー製品の放射安全基準」では、レーザー光の安全度をグループ分けし、各グループに対して許容被曝放出限界(AEL:Accessible Emission Limit)を規定している。
2.5 レーザー光は、なぜレーザーと呼ばれているのか
●自然光は太陽光や焚火の光と同様に、蛍光灯や白熱電球など文明が生み出した電気エネルギーによる光も含まれる。
●自然光は距離が離れるにしたがって広範囲に拡散する。これは物理的には光の振動面とその面内での振幅や位相、振動数などがあらゆる方向に、ばらばらに分布している光源ということになる。一方、レーザー光は波長と位相が揃った強い指向性を有する高エネルギー光である。このような光は自然界には存在せず、人工光とされている。
●レーザー光の誕生は1960年7月だが、光ファイバー通信、精密測定、レーザー医療、レーザー加工などに加え、CD-ROMやDVDがある。さらに特殊な分野では遺伝子の切断や組換え、病原菌の選択的攻撃にまで応用されている。
●レーザー(LASAR)は、光の増幅(Light Amplification)、誘導放出(Stimulated Emission)、放射(Radiation)の頭文字を取ったものである。
2.9 レーザー光を目に照射してはいけない
●40Wの白熱電球は一般に毎秒、約4兆億個の光量子を放出するが、光が四方八方に分散されるため、光源から50cm離れた網膜上の結像の大きさはおよそ200μm(直径)、網膜上の吸収光輝度は1X10-⁴W/cm²である。
●1Wのレーザー光はビーム状となり眼球内にすべて入射される。結像の大きさはおよそ20μmになり、吸収光輝度は白熱電球光の約10億倍(1×10⁵W/cm²)であり、非常に強力なエネルギーが網膜に集中する。
画像出展:「レーザー技術入門講座」
第3章 レーザー光の種類
3.1 レーザー光を波長や媒質で分類すると
●1960年にメイマンによって発明されたレーザーは人工ルビーを使った固体レーザーであった。それから半世紀を超え、多くのレーザー光が発明された。
画像出展:「レーザー技術入門講座」
レーザー光の波長と種類をまとめたもの。三角形の高さは振動数、底辺の長さは波長である。
画像出展:「レーザー技術入門講座」
レーザー光の媒質を相変化でまとめたもの。自由電子レーザーを欄外にまとめたのは特性が異なるためである。
3.2 固体レーザー
●メイマンが発明したルビーレーザーは固体レーザーである。これはガラス(非晶質)や結晶などの母材に活性原子(分子)を均一に分散したものをレーザー媒質としたものである。
●固体レーザーの励起法[励起とは原子や分子などの物質を高エネルギー状態にすること。励起されることで物質はエネルギーを放出して低エネルギー状態に戻ろうとするが、その際に発する光がレーザーの基礎になる]には、一般に光励起法[外部から光を放出して物質を励起する方法]が使われ、その励起光源としてフラッシュランプやアークランプ、レーザーダイオードなどの強力な光源が使われている。
3.2.1 ルビーレーザー
画像出展:「レーザー技術入門講座」
『図はルビーレーザー発振器のイメージイラストです。ここでは棒状に加工した人造ルビーの結晶体に励起用キセノンランプを螺旋状に巻き付け、さらに両サイドに反射鏡を配置しています。
動作を簡単に説明すると、まず第1に励起用フラッシュランプで強力なパルス光を発光させます。次にパルス光が発射されると、その閃光により人造ルビー内の原子(3価のクロムイオン)が励起します。
この励起状態の原子は非常に不安定で、すぐに元の状態に戻ってしまいます。このとき物性のエネルギーバランスを保つため光が放出されますが、この光は波長や位相が不揃いで、まだレーザー光ではありません。
次に、ここまで励起状態にある原子に次々と自然放出光を照射すると、これが刺激となって反転分布を起し誘導放出モードに移行するのです。しかしこれだけではエネルギーレベルが低すぎてレーザー光として実用的なパワーはありません。そこで、この光を左右の反射鏡を使い実用レベルのレーザー光(発振波長694nm)として成長(光増幅)させるのです。』
3.3 気体レーザー
●気体レーザー(ガスレーザー)は気体の活性原子(分子)またはこれを含む混合気体(ガス状)をレーザー媒質としたものである。励起法としては放電(プラズマ)による励起や電子ビームによるものがある。
●主な種類はHe-Ne(ヘリウムネオン)レーザー、炭酸ガスレーザー、Ar(アルゴン)イオンレーザーなどがある。また少し変わったところでは、銅蒸気(Cu)レーザー、エキシマレーザーなどもある。
3.4 色素レーザー(液体レーザー)
●液体レーザーは1970年頃まで注目されていたが、その後台頭したガラスレーザーやYAGレーザーの発展によって影を潜めた。そのため液体レーザーといえば現在は色素レーザーことを表している。
●色素レーザーはエチルアルコールなどの液体に繊維や食品の着色に使われている染料を溶かし、この活性分子を分散させたものをレーザー媒質としたものである。なお、励起法はフラッシュランプによる光励起が一般的に使われている。
●色素レーザーは波長調整が容易でピーク出力も大きく、エネルギー効率にも優れていたが、半導体レーザーやその他のレーザーの進歩発展によって利用の場は奪われた。
3.5 自由電子レーザー
●自由電子レーザー(FEL)は一般のレーザーと異なり、光速に近い速度をもつ電子ビームからの放射を利用したもので、反転分布を必要としない特殊なレーザー光である。
3.6 X線レーザー
●X線レーザーは他のレーザーに比べ、非常に難しい課題を抱えている。それにもかかわらず、X線レーザーが注目されているのはその可能性である。X線は医療分野で活躍しているが、X線レーザー光によるホログラフィーが可能になれば人体を立体的に観察できるようになり、X線CTスキャナーに比べ飛躍的に精度を上げることができる。その他、物質の構造化解析も容易になる。
3.7 半導体レーザー
●半導体レーザーは日本のメーカー、大学、研究機関が大きく貢献している。化合物の種類は増え、パワーもアップしてきた。固体レーザーの励起源としても利用されている。
●主な用途は、光ファイバー通信、CD、DVDの記録、再生、レーザー加工、レーザー医療などがある。
第4章 レーザー光の応用技術
4.1 身近なレーザーの応用技術
●光ファイバー通信は電線の代わりに光ファイバーを使い、その中に近赤外線レーザー光を伝送して通信を行う方式である。光ファイバーとは石英ガラスやプラスチックなどの非常に光透過度の高い素材から作られた細い繊維状の光伝送ケーブルのことである。
4.1.1 レーザー光による通信技術
●電線方式の約3000倍の情報量を送ることができる。ただし、光ファイバー内の伝送信号は単なる光情報なので、端末で電気信号に変換しデータや音声に戻す必要がある。これには電源がなければならない。
4.4 レーザー医療
4.4.1 レーザー光による手術
●医療分野でのレーザー光の利用は皮膚病の治療であった。その後、レーザーメス、レーザー凝固、結石の粉砕、ガン細胞の破壊など、多岐に渡っている。
画像出展:「レーザー技術入門講座」
4.4.2 レーザー光による網膜剝離の治療
●『網膜剝離はレーザー光によって手術を手際よく行うことができます。ここで網膜とは、眼球壁の最内層にあって、多数の視細胞が並び、ここで受けた光の刺激を大脳皮質に伝えて視覚として感じ取る部分、つまり画像認識装置(センサー)の一種です。
網膜剝離とは網膜色素上皮が網膜視細胞層から剥がれ、その隙間に硝子体が貯まる病気で、これが進行すると目が見えなくなります。この治療は、昔はメスによる外科手術が行われていましたが、現在ではレーザー光による手術が行われています。図はその概要を表したものです。ここではアルゴンイオンレーザーが使われています。
ところで、波長400nm近辺の青色レーザー光は、眼科のような透明物資、特に水晶体、硝子体にほとんど吸収されないため、途中の生体組織に影響を与えることなく、眼底の網膜に効率よく照射することができるのです。これによって集光部分の剥離網膜が加熱され、たん白質が凝固作用を起こし、剥離された網膜が眼底に癒着するのです。なお、レーザー光の種類としてはアルゴンイオンレーザーのほか半導体レーザーも使われています。』
画像出展:「レーザー技術入門講座」
ご参考:高照度光療法について
レーザーポインターを使った治療は何かないかと思い調べてみると、パーキンソン病患者さまの歩行訓練に有効であるということが分かりました。動画もありましたのでご紹介させて頂きます。ただし、この歩行訓練への利用は懐中電灯でも同様の働きがあるので、レーザー光に依存するものではありません。“【パーキンソン病】レーザーポインターによる歩行支援” 3分程の動画もあります。
次に見つけたのが「高照度光療法」でした。こちらもパーキンソン病患者さまが対象で、同じく光源はレーザー光ではありませんでした。睡眠障害を改善するのが目的で、睡眠を司っているメラトニンの血中濃度を高めることによって睡眠障害の改善を促します。
サイトの中で特に詳しく説明されていたのは文部科学省のサイトにあった『光資源を活用し、創造する科学技術の振興―持続可能な「光の世紀」に向けて―』で、グラフも出ていました。
その他、“日本を元気にする光療法の総合サイト”には高照度光療法についての説明が出ていました。
レーザー光はレベルにもよりますが、覗くように直接レーザー光を見ることは厳禁で、安全とされているレベル2以下であったとしても直視すべきではありません。これは一言でいえば光のエネルギーが分散せず1点に集約されるので、エネルギー量が爆発的に多くなるためです。医療用レーザーメスが外科手術や美容整形で用いられるのは、その桁違いのエネルギーの強さによるものだということが理解できました。
今回の本は『電子と生命』という題名に魅かれ買ってしまいました。発行は2000年と20年以上前の本です。内容もとても難しく、全くついていくことができませんでした。
そこで、「電子(電気)」、「生命」、「生体エネルギー」というキーワードに注目し、頭に浮かんだ疑問を調べるということにしました。ブログは秩序に欠ける雑多な内容になっています。
なお、本書の目次だけはご紹介させて頂いています。
編集:垣谷俊昭、三室 守
初版発行:2000年6月
出版:共立出版
もくじ
序章 電子と生命
―新しいバイオエナジェティックスの展開
1.生体エネルギー変換の「場」
2.陽光をつかまえろ
3.電子とプロトンのカップルした運動―光合成細菌の場合
4.電子とプロトンのカップルした運動―葉緑体の場合
5.電子とプロトンのカップルした運動―ミトコンドリアの場合
6.電子伝達がベクトル的に起こるわけ
第1章 光エネルギーをとらえ反応の場所に運ぶ
1-1 多様なアンテナ系
1.アンテナ系構築の基本的な戦略
2.光合成細菌の膜内在性アンテナの構造と電子状態
3.光合成細菌の特殊なアンテナ系であるクロロソーム
4.酸素発生型光合成生物の膜内在性アンテナ
5.酸素発生型光合成生物の水溶性アンテナ色素タンパク質の特別な会合様式
1-2 紅色光合成細菌のアンテナ系における励起エネルギー移動の機構
1.光合成細菌アンテナにおけるバクテリオクロロフィル分子(BCh1)の美しい円形配列
2.アンテナ中の励起子による太陽光の捕獲
3.アンテナ系における非常に早い励起エネルギー移動(EET)と従来の理論の破綻
4.光合成初期EETの機構
5.アンテナ系構築の戦略
第2章 電子の方向性のある移動
2-1 光合成反応中心―電子の源流
1.光合成反応中心
2.反応中心の構造
3.反応中心の機能
4.反応中心における電子移動制御戦略
5.電子移動の方向性
2-2 植物における水の電気分解
1.光合成電子伝達系の進化
2.PSⅡの電子伝達体と構造
3.酸素発生の周期性―KokのS状態
4.水分解系におけるマンガンの機能の解明
5.EPRによるマンガンクラスターの構造解明
2-3 植物における高還元物質の生成
1.ニコチンアミドアデニンジヌクレオチドリン酸(NADPH)
2.PSI複合体
3.PSIの酸化側と還元側での電子移動
4.FdからNADP⁺への電子移動(Fd:NADP⁺酸化還元酵素:FNR)
第3章 プロトンの方向性のある移動
3-1 キノンを介した電子とプロトン移動のカップリング―呼吸と光合成に働くシトクロムbc複合体
1.プロトン移動のループ機構とコンフォメーション変化機構
2.キノン酸化のエネルギーを最大限に取り出すもう一つのループ
3.シトクロムbc複合体の構造
4.キノンのもつ二つの電子を酸化側と還元側に振り分ける機構―電子スイッチング
3-2 シトクロム酸化酵素における電子とプロトン移動の共役
1.シトクロム酸化酵素
2.O₂還元酵素
3.水素イオン輸送
4.酸化還元状態変化に共役した立体構造変化
5.ヒスチジンサイクル
6.直接共役と間接共役
第4章 バイオテクノロジーへの展開
4-1 光合成材料を用いたデバイス開発
1.光合成膜での光エネルギー変換システム
2.光合成細菌の反応中心タンパク質複合体(RC)を用いた光電変換機能をもつデバイスの作製
3.反応中心と共役したエネルギー供給システム
4.光合成膜でのシトクロム類およびキノン誘導体を用いたデバイス開発
4-2 遺伝子操作で環境耐性植物をつくる
1.ストレス耐性遺伝子
2.塩ストレス耐性を改変する
3.低温ストレス耐性を改変する
4.高温ストレス耐性を改変する
5.ストレス耐性を改変する遺伝子操作における問題点
以下はブログの目次です。
1.人間には電気が流れています
2.電気の正体とは?
-電気の正体は自由電子だった-
-導体と自由電子(電気の正体)- YouTube 3分32秒
3.人間が電気を通すしくみ
-生体電流-
-超微弱電流療法(マイクロカレント)-
-生体はイオン駆動型のシステム-
-イオンとは何か?- YouTube 4分35秒
-イオンチャネルとは?-
4.宇宙空間のイオンと電子は電波を介してエネルギーをやりとりする
5.生命の源、「水」
6.体内環境という海
7.シアノバクテリア(酸素を生み出した細菌)
8.生態系
9.酸素発生型光合成と藻類
-藍藻の光化学系-
-地球大気と酸素発生型光合成の歴史-
10.生体エネルギー
1.人間には電気が流れています
画像出展:「パワーアカデミー」
『生体が電気信号を発するという現象は、18世紀より、イタリアの生物学者ガルバーニや物理学者ボルタによって、古くから研究がおこなわれてきました。現代医療では、この現象を利用したさまざまな医療機器が活躍しています。』
『具体的には、微弱な脳の電気の活動を調べて脳機能を検査する「脳波計」や、身体の筋肉が活動する際に発生する電気の活動を調べて神経や脳の活動状態を診断する「筋電計」、そして心臓の筋肉で生まれる微弱な電気信号を捉えて心臓の状態を観察する「心電計」などが挙げられます。』
2.電気の正体とは?
-電気の正体は自由電子だった-
画像出展:「子供の科学のWebサイト」
『金属の原子は他の原子とは少し性質が異なり、電子の一部が隣りの電子と行き来することができるのです。これを自由電子といいます。なにもなければ自由電子は金属の原子の中を勝手に動いているだけですが、他から新たに電子が入ってくると、自由電子は次々にこの影響で「同じ方向」に動き出します。これにより「電気の流れ」が生まれるのです。』
-導体と自由電子(電気の正体)- YouTube 3分32秒
画像出展:「TEPCO」
導体における電流(電気の流れ)は原子の周りにある自由電子の流れです。
3.人間が電気を通すしくみ (PDF1枚)
-生体電流-
画像出展:「うしく整形外科クリニック」
『体の中を流れる電流を生体電流と言います。この生体電流は、体のあらゆる組織に作用しています。』
『プラスとマイナスのバランスが正常な状態の場合、各臓器に血液が行きわたり、生体電流のバランス
が保たれます。このバランスが崩れると、体の中に流れる生体電流が乱れてしまい、自律神経も乱れます。その結果、不眠、倦怠感、むくみなどの様々な不調が
起こるのです。』
-超微弱電流療法(マイクロカレント)-
画像出展:「NHKクローズアップ現代」
『感じられないほど微弱な電流が、治療やスポーツの世界を一変させようとしている。腕や足などに流すと、筋肉の疲労回復が早まり、肉離れやねんざなどのケガがより早く治ることが明らかになりつつある。』
-生体はイオン駆動型のシステム-
画像出展:「東北大学」
こちらは東北大学さまの研究プロジェクトです。
タイトルは『ソフトウェット材料による生体親和性デバイスの製造技術を創成し,生体イオントロニクス工学を開拓する』です。
“生体はイオン駆動のシステム”という表現が気に入ったので、ご紹介させて頂きました。なお、イオンとは、「電子の過剰あるいは欠損により電荷を帯びた原子または基(原子の集合体)のこと」です。
※イオントロにクスに関する情報(PDF18枚)
-イオンとは何か?- YouTube 4分35秒
画像出展:「中学理科のポイント解説」
通常原子はプラスとマイナスの電気が釣り合っており中性の状態です。
しかし、なんらかの刺激が加わると内外に変化が起き、原子が電気を帯びるようになります。+の場合は陽イオン、-の場合は陰イオンと呼ばれます。
-イオンチャネルとは?-
画像出展:「moleculardevices」
『イオンチャネルとは、細胞の脂質二重層膜を貫通する細孔を形成するタンパク質群のことです。各チャネルは特定のイオン(例えば、カリウム、ナトリウム、カルシウム、塩化物など)に対する透過性をもっています。』
4.宇宙空間のイオンと電子は電波を介してエネルギーをやりとりする
画像出展:「JAXA」
『地球や惑星周辺の宇宙空間には希薄ながらもイオンや電子が存在します。これらのイオンや電子はエネルギーの低いものから高いものまで様々な状態で存在することが知られていますが、なぜこのような多様性が生まれるのかは分かっていません。』
イオンも電子も地球を超え、宇宙に存在しています。
5.生命の源、「水」
画像出展:「大塚製薬」
『はじめての生命は、水の中で単細胞の生物として発生しました。その後、長い時間をかけて多細胞生物に進化し、その中から脊椎動物が生まれ、さらに陸上へ上がって空気を呼吸する生物が現れました。そして少しずつ、長い進化の道のりを経てようやく人類が誕生しました。
しかし、陸に上がった生命は、決して海と無縁になったわけではありません。私たちの身体の中にはたくさんの「体液」と呼ばれる水分があります。その体液、血液、そして、女性が胎内で新しい生命を育むための羊水にいたるまで、これらは全て電解質(イオン)を含み、太古の海水に成分が似ていると考えられています。これは、生命が海の中で誕生した名残であり、まさに私たちの身体は、内なる海を持っているといえます。』
6.体内環境という海
画像出展:「葉山ハーモニーガーデン」
『イメージ的には、血とかリンパ液とかの方が多いような気がしますが、一つ一つの細胞の中にある細胞内液(細胞質基質)の合計が、体液の60%を占めるということが意外な気がします。そして、細胞と細胞の間にある組織液を含めると90%を占めるというのもすごいことですね。人の体の細胞は本当に、海の中に漂っているというのもうなずけます。』
7.シアノバクテリア(酸素を生み出した細菌) 動画 2分13秒
画像出展:「NHK for School」
“地球に酸素を作り出した生物”
・約35億年の地球。大気は96%が二酸化炭素で、酸素はなかった。
・太陽光と二酸化炭素から酸素を生み出したのは、シアノバクテリアという細菌であった。
8.生態系
二酸化炭素に包まれた地球に酸素が作られ、生物は劇的な進化を遂げ、生態系が形成されました。
画像出展:「浦安市」
『空気、土、水などの自然環境と植物や動物など、その自然環境の中ですんでいる生き物たちは、太陽の光エネルギーを命の源として、お互いにかかわりあっています。このような自然界の物質とその循環をまとめて、生態系といいます。』
9.酸素発生型光合成と藻類
画像出展:「筑波大学 生物学類」
『進化の過程で光合成が発明されてからしばらくのあいだ(もちろん地質学的時間で)、炭酸同化のための電子の供与体は水素や硫化水素あるいはある種の有機化合物であったと考えられています。そして現存の光合成細菌はその当時の光合成の姿を今に残している生物と考えられています。やがて、原核光合成生物の中に、地球上に無尽蔵に存在していた水を電子供与体として利用する生物が現れました。藍藻(ラン藻)や原核緑藻などがそれです。』
-藍藻の光化学系-
画像出展:「筑波大学 生物学類」
『藍藻や真核藻類そして陸上の植物は,地球上のあらゆるところに存在する水を電子供与体として利用することで生息域を地球の全土に広げています。水のエネルギーのレベルは低く、充分な還元力を得るために2つの光化学系を利用しています。図は光化学系Iと光化学系IIの模式図でZスキームの名前で呼ばれています。光化学系IIで水が分解されて電子が取り出され、光エネルギーによって励起されて電子伝達系を流れていきます。その過程でATPが生産されます。』
-地球大気と酸素発生型光合成の歴史-
画像出展:「筑波大学 生物学類」
『現在の地球大気に含まれる酸素はこのような酸素発生型光合成生物によって形成されたものです。図から藍藻を含む藻類が地球大気の形成に果たした役割が理解できるでしょう。』
画像出展:「筑波大学 生物学類」
『生命の歴史を1年歴に表してみると図のようになります。』
『われわれは生物の中心は動植物であると考えがちですが、時間軸でみると陸上の動植物の歴史は生命の歴史のわずか13%にすぎません。これに対して 原核の藻類は30億年の歴史をもち、生命の歴史の8割近い時間を占めています。』
10.生体エネルギー
画像出展:「東京薬科大学」
『我々はご飯を食べ、呼吸することにより、生きていくために必要なエネルギーを作り出しています。この生体エネルギー獲得システムにおいては、有機物の酸化分解反応と酸素の還元反応という2つの化学反応をリンクさせ、そこから電気化学エネルギーを取り出しているのです。これは、負極の化学反応と正極の化学反応をリンクさせ、その間の電位差分のエネルギーを得る電池と同じ構造です(図を参照)。細胞の中で有機物の酸化により放出された電子は、ミトコンドリア内膜の電子伝達系(負極と正極をつなぐ電線)を経て、酸素に渡されます。この過程で膜の内側から外側へプロトンが輸送され、その濃度差を利用して生体内のエネルギー通貨であるATPが合成されるのです。』
感想
宇宙には電子もイオンもあるそうなので、地球が生まれる前から存在しているということです。地球の誕生は約46億年前、生命の誕生は約38億年前、その生命誕生の約3億年前の大気は96%が二酸化炭素で、酸素はなかったそうです。
酸素を生み出したのはシアノバクテリアという細菌です。その後、酸素発生型光合成の藍藻を含む藻類が地球大気の組成を大きく変え、酸素を得た生物は進化のペースを加速させました。
植物は“生態系”の「生産者」とされています。材料は太陽エネルギーと水と二酸化炭素です。人間は「消費者」であり、水と酸素が生命維持には必要で、体の約90%は水でできています。一方、生体エネルギーのATPは、細胞の中で有機物の酸化により放出された電子が、ミトコンドリア内膜の電子伝達系を経て酸素に渡されます。この過程で膜の内側から外側へプロトンが輸送され、その濃度差を利用して生体内のエネルギー通貨であるATPが合成されます。
生態系の「消費者」である人間は、オゾン層に守られたマクロな環境(酸素と水)とミクロな電子の働き(生体電流とATP)によって、生かされているのだと思いました。
かなり強引なまとめですが、何とか「電子と生命」の近くにたどり着いたかなと思います。
第三章 米中対立はどう乗り越えられるか―Z世代の現実主義
●選挙がむしろ民主主義を動揺させる?
・2021年7月に行った調査(ピュー・リサーチ・センター)によれば、民主党の支持者の78%が「投票は[基本的な権利]であり、制限させるべきではない」と考えているのに対し、共和党支持者は67%が「投票は[特権]であり、制限可能」と答えている。ただし、ここには両党の選挙対策上の狙いも存在していると思う。
・『バイデン大統領は投票制限の動きを「民主主義への攻撃」と批判し、民主党議員が多数派を占める連邦議会下院では期日前投票の拡大などを盛り込んだ投票権法が可決された。しかし、民主党と共和党が同数の上院(2022年1月当時)では、共和党だけでなく民主党の中道派からも「党派色の強い法案はさらに民主主義を弱める」といった反対が出るなど、民主党内ですら意見が分裂しており、成立の目処は立っていない。ますます多くの市民が、アメリカでは民主主義がうまく機能していないと考えているが、その危機はどこからきて、どう克服できるのかという次元になると、深刻な党派対立が生じ、民主主義の修復に向けた団結を阻んでいる。
選挙を通じて政治に民意を反映する政治システムは、世界に対するアメリカの魅力やソフトパワーの貴重な源泉となってきた。しかし、2021年1月の議事堂襲撃事件が表したように、党派対立が極限まで進行した結果、4年に一度の大統領選挙は、アメリカ政治を安定化させるどころかむしろ不安定化させ、対外的にアメリカの脆さや弱さを示すものとなってしまっている。
ビュー・リサーチ・センターが2020年大統領選の1ヵ月前に行った調査では、共和党候補のトランプと民主党候補のバイデンの支持者ともに、9割の回答者が、「自分が支持していない政党の候補者が勝利して大統領になった場合には、国に永続的な損害がもたらされる」と回答した。さらにおよそ8割の回答者が、自分と相手陣営の支持者との違いは「アメリカの中核的な価値観」をめぐる根本的なものだとしている。現在アメリカは分裂しているかどうかという問いに対しては、調査対象となった13カ国の中央値47%をはるかに上回る77%の回答者が、「そう思う」と回答した。こうした厳しい党派対立の現状にあって、4年に一度の大統領選は、アメリカの民主主義に活力と魅力を与えるどころか、政治的な分断をますます深めるものになっているのである。
さらには、自分にとって望ましくない選挙結果を暴力で覆すことを容認する傾向も顕著になっている。民主主義の研究で知られる政治学者ラリー・ダイヤモンドらの研究グループが、大統領選が近づいて緊張が高まっていた2020年9月に行った調査では、共和党支持者の44%、民主党支持者の41%が、ライバル陣営の候補者が選挙に勝った場合、暴力を正当化する理由が「少しは」あると回答した。党派対立が激化したアメリカでは、選挙を通じた平和的な権力移行という民主主義の根幹が危うくなっている。』
●「能力」が正当化してきた経済格差
・アメリカの民主主義を機能不全にしているのは政治的対立だけではない。連邦議会予算局の2022年のレポートによると、アメリカでは上位10%の世帯が国の富の72%を保有し、下位50%の世帯は国全体の富の2%しかもたない。
・格差の問題は固定化もしてきている。これは富裕層が資産をシンクタンクや大学、メディア、選挙の候補者などへの資金援助を行い、その政治的な影響力を通じて自分たちにとって有利な相続ルールを形成し、蓄積した富を次世代の残せるようにしてエリート階級を再生産し続けてきた。
・「アメリカンドリーム」はもはや死語である。さらに富の格差は是正の対象というより、個人の「能力」の差異として正当化される傾向にある。
・『世界で揺らぎつつある民主主義への信頼を回復し、民主主義国家の数的な劣勢を挽回するために、アメリカが取るべき行動とは何か。民主主義の素晴らしさを外に向かって喧伝したり、民主主義サミットによって民主主義国の結束をアピールしたり、「非民主主義国」を断罪することよりも実質的な課題があるはずだ。むしろこうした外交は、自分たちの民主主義がいかに危機的な状況にあるかを見失わせてきた。世界を「民主主義と権威主義制の競争」と捉えてしまうことで、アメリカが世界を見る眼は硬直化し、イデオロギーや政治体制の違いを超えて諸国家が取り結ぶ多様な関係性も見えなくなってきた。
アメリカが世界で揺らぎつつある民主主義への信頼を回復し、中国との体制間競争に勝利し、民主主義を守り抜こうとするならば、民主主義の素晴らしさを喧伝するよりも、自国の政治経済や社会が抱えたさまざまな矛盾に謙虚に向き合い、その解決を地道に図っていくことことがまず重要ではないだろうか。』
第四章 終わらない「テロとの戦い」―Z世代にとっての9・11
●「テロとの戦い」への懐疑
・Z世代は「アメリカ例外主義」的な考えから距離を置いている。そして「例外主義」への冷めた眼差しは対外政策にも向けられ、いままで正当化されてきた外交や戦争にも、懐疑と批判の目を向けている。
・Z世代は9・11よりも、その後の中東・アフガニスタンでの戦争に対する関心が強い。アメリカ進歩センターの2019年の調査では、多くのアメリカ市民が「中東・アフガニスタンでの戦争は時間、人命、税金の無駄遣いであり、自国の安全には何の役に立たなかった」と回答しているが、特にZ世代では7割近くなる。
第五章 人道の普遍化を求めて―アメリカのダブル・スタンダードを批判するZ世代
●アメリカのダブル・スタンダードを批判する若者たち
・『Z世代は、アメリカで構造的な差別にさらされてきた黒人の命と尊厳を訴えるブラック・ライブズ・マター運動の中心的な担い手となってきたが、彼らの視野は決して国内に留まらない。ますます世界各地の差別や暴力、特に自分たちの国、アメリカが行使してきた暴力や加担してきた抑圧に厳しい批判を向けている。
外交や安全保障についての若者の啓発の目的の一つに掲げるシンクタンク、ユーラシア・グループ財団が2021年9月に発表した報告書によると、18歳から29歳までの回答者の60%近くがアフガニスタンでのドローン攻撃に批判的であった。この数字はより年長世代の倍以上にあたる。また、この世代は、ロシアや中国などの「権威主義国家」とアメリカなどの「民主主義国家」という、就任以来バイデン政権が掲げてきた二分法的な世界観を無批判に受け入れることもしない。むしろ彼らが指摘するのは、アメリカの偽善とダブル・スタンダードだ。
アメリカの歴代政権は、民主主義や人権の擁護者を対外的に自負しながら、アメリカの同盟国や緊密な関係にある国家がそれらの価値を踏みにじることを黙認し、さらには手厚い援助や支援を与えてきた。人権外交を華々しく掲げたバイデン政権も、新疆ウイグル自治区や香港での中国政府による人権侵害を強く批判する一方で、イスラエルによるパレスチナ人の殺害や人権侵害は黙認し、国民の人権を躊躇し続けてきたフィリピンのロドリゴ・ドゥテルテ政権に多額の軍事援助をしてきた。権威主義国家に対する民主主義国家の結束を示すことを目的に、バイデン政権の肝煎りで2021年12月に開催された民主主義サミットにはフィリピンも招聘され、そこでドゥテルテは「フィリピンでは報道の自由、表現の自由は完全に享受されている」と公然と主張した。Z世代の若者たちは、ドゥテルテのような人権抑圧的な権威主義国家の詭弁、そしてそれを擁護し、援助するアメリカにますます批判的になっている。
また、アメリカという国の抑圧的・暴力性を考えるうえで無視できない問題が、イスラエル・パレスチナ問題だ。アメリカで黒人が白人警官によって不条理に殺害されるのと同じ様に、イスラエル兵によってパレスチナ人が日々、殺害されてきた。』
第六章 ジェンダー平等への長い道のり―Z世代のフェミニズム
●多様性を象徴する存在
・ハリスはアメリカ社会の多様性を象徴するような存在である。
・母はがん研究者、父は経済学教授というエリート家系の出身。幼いころは黒人バプテスト教会とヒンドゥー教寺院の両方に通い、多様な文化や宗教を経験しながら育った。
・検事の仕事は犯罪者を刑務所に入れるまでという考えが根強い中、ハリスは元犯罪者の社会復帰プログラム「バック・オン・トラック」の作成に取り組んだ。「バック・オン・トラック」は職業訓練、GED(高卒認定試験)コース、社会奉仕活動、薬物治療などを盛り込んだ包括的なプログラムとして着実に成果を挙げ、オバマ政権時代の司法省によって全米のモデルプログラムに選出された。
・2011年には、カリフォルニア州で黒人女性として初の司法長官に就任。サブプライム住宅ローン問題で多くの人々の自宅が差し押さえられると、大手銀行と対決して労働者世帯のために歴史的和解を勝ち取った。また、多くの裁判で死刑求刑を拒否したことでも有名になった。
・2016年、黒人女性としてカリフォルニア州では初、全米で史上2人目の上院議員に当選し、与党共和党を鋭く追及する論客として頭角を現していく。
●黒人コミュニティからの不信感
・ハリスは公民権運動に参加する両親を見て育ち、早い時期から社会正義に関心を抱いたが、デモに従事する活動家ではなく、体制の内からの変革が必要だと考え、後者に自身の役割を見定めていった。その心情について、自伝の中で次にように語っている。
「変化を起こすとはどういうことか、その一例を私は幼いころからこの目で見てきた。外側から声をあげ、デモ行進し、正義を要求する大人たちに囲まれていたからだ。だが私は、内側、つまり意思決定がなされる場にいることが重要であることにも気づいていた。活動家たちがやってきてドアを叩いたら、彼らを招き入れる側になりたかったのである。」
・ハリスに対し、なぜ有色人種の若者を刑務所に送る仕事に加担しているのかという批判する向きは根強く存在する。
・副大統領になってからのハリスは全面的にブラック・ライブズ・マター運動への賛意を示しているものの、同運動の骨子である警察予算の削減についての考えは曖昧である。ハリスの警察に対する考えは、この10年で大きく変化しており、今も定まっていないのかもしれない。
・ハリスの警察に関する見解の変遷を機会主義とみなす向きもある。ブラック・ライブズ・マター運動の共同発起人の1人、パトリス・カラーズは、「バイデンとハリスは決して救世主ではない」と強調する。
●寛容であることの困難
・ハリスが副大統領になって最も変化した考えは移民問題である。副大統領就任後の初の外遊となった中米グアテマラで、ハリスは次のように述べた。「米国国境まで危険な旅をしようと考えているグアテマラの人々には、はっきりと言っておきたい。来ないで(Do not come)」。これは2021年4月に米墨国境で拘束された移民の数は178,000人を超え、20年ぶりの高水準だったことが関係している。また、トランプ政権からバイデン政権に移行し寛大な移民政策に対する大きな期待があり、これがハリス発言につながったと考えられている。この発言によって、ハリスは民主党内の進歩派や人権擁護団体から批判された。
●「壁」問題―「トランプ化」する民主党?
・移民の問題はハリスに限ったものではなく、民主党全体の大きな課題である。バイデンはトランプが250億ドルをかけてメキシコ国境を建設した「壁」に手を加えることはなかったが、2020年中間選挙前の7月、バイデン政権はアリゾナ州ユマに「壁」を建設すると発表した。アリゾナ州とメキシコとの国境沿いの「壁」には、ところどころ数十メートルから数百メートルの隙間があり、そこからアリゾナ州に侵入できる。そのため、アリゾナ州では移民・難民の流入が有権者の一大懸念事項となっていた。
・民主党は移民・難民政策、犯罪対策に疑問を抱く有権者からの支持を失い始めている。
●「アイデンティティ政治」の失敗事例?
・ハリスの失墜はバイデンがハリスの政治家としての資質ではなく、黒人で女性という彼女の「アイデンティティ」を理由に副大統領に起用したという歪んだ理解をされてきた。こうしたハリスへのバッシングは、共和党の政治家や共和党寄りのメディアで数限りなく展開されてきた。
・黒人であり、女性であり、アジア系でもあるハリスは、進歩主義的な有権者の期待は大きかった。しかしながら、ハリスが中道を模索する傾向が強かったため、そのような人々はハリスに失望した。
●中道であることの難しさ
・ハリスは自伝の中で、世の中の政策論争はしばしば「誤った二者択一」に陥っているとして、そうした問題の設定の仕方を拒絶するスタンスを表明している。警察をめぐる議論も「誤った二者択一」と考えている。警察を擁護して存続させるのか、批判して解体させるのかといった論争は不毛なものとハリスは考えている。
・政治社会が両極化する中で政治家たちが中道路線を掲げ、選挙に勝てるだけの支持を集めることはだんだん難しくなっている。
・『さらには今日のアメリカにあって「中道」とは何かという根源的な問題もある。ハリスが中道とみなしてきた政策の多くは、今日の民主党支持者、特に今後、社会でいよいよ重要性を増していく若い有権者の目にはあまりに保守的に映るものだ。警察問題にしても移民問題にしても、ハリスの主張は一貫しておらず、確固たる軸を持った政治家とみなすことは難しい。また、生まれてからこのかた経済格差が肥大化するばかりの時代を生き、資本主義経済にいよいよ幻滅を深めるZ世代にとっては、経済格差を批判しつつも資本主義体制そのものには批判意識をもっていないかのようなハリスの言動は、生ぬるいものでもある。ハリスが有権者の支持、特に若い世代の支持を回復していこうとするならば、自身の政策的な軸を固め、「どっちつかずの中道の政治家」というイメージを脱皮してけるかが鍵となるだろう。ただ、それは意識的に中道を追求してきたハリス自身の政治信条にかなうことではないかもしれない。』
●#Me too運動へのダブル・スタンダード?
・2020年12月、コロナ対策で大きな評価を得ていたニューヨーク州知事アンドリュー・クオモにセクハラ疑惑が持ち上がった際、ハリスはバイデンや民主党の重鎮たちとともに慎重な姿勢を崩さなかった。これはハリスがカリフォルニア州の司法長官時代や上院議員時代とは異にするものであり、敵に厳しく身内に甘いダブル・スタンダードであると見なされた。
●ハリスを超えて―フェミニズムの未来
・Z世代の警察改革への支持は他世代より20%弱高い。Z世代の間にもハリスは新しい時代のフェミニズムの象徴ではないのではないか、ラディカルな社会変革を追求する人物ではないのではないかという懐疑は広がっている。
第七章 揺らぐ中絶の権利―Z世代の人権闘争
●「母親や祖母より権利を持たない世代」
・中絶問題は「プロ・ライフ(中絶反対)」と「プロ・チョイス(中絶賛成)」に分かれる。前者は共和党支持者が多く、後者は民主党支持者に多い。しかしながら、「プロ・ライフ」の中でレイプや近親相姦の場合でも同様に中絶に反対するのは30%程に留まるため、この問題は二者択一では語れない側面がある。
●ロー判決破棄の背景―司法の保守化
・極端な中絶制限と、無制限の中絶容認の両極には大きなグレーゾーンがあり、多くの人々はこのゾーンに位置している。
・アメリカでは最高裁判事は大統領が指名し上院議員が承認する形で決まるが、トランプが大統領の時代に、合計3名の保守派の判事が送り込まれたことで、保守派6名とリベラル派3名というアンバランスがうまれ、保守派の影響が強まった最高裁となった。
・2020年の敗北でトランプの再選はならなかったが、トランプ政権下で進んだ司法の保守化は、しばしば「永久保守革命」とも称される。特に3名の判事はゴーサッチ(1967年生)、カヴァノー(1965年生)、バレット(1972年生)と皆、若い。最高裁判事は終身職であるため健康であれば、数十年にわたって判決に影響を及ぼす。
・トランプは最高裁だけでなく、連邦控訴裁判所・連邦地方裁判所で、226人の保守派の裁判官を任命した。これらの裁判官の多くが保守的な傾向を持つと見られる。これもトランプ時代の遺産として、今後長くアメリカ社会に影響を与えることになる。
●ギンズバーグ判事が見いだしていたロー判決の弱さ
・1993年にビル・クリントンの指名で史上2人目の女性連邦最高裁判事となったギンズバーグは、中絶制限の根底には性差別があり、それこそが問題の核心であると考えていた。子どもを持つことは、女性の人生を大きく左右する。望まない妊娠をし、意に反して子どもを持つことは女性の人生を大きく左右することになる。こうしたリスクは男性にはないものである。子どもを産むかどうかについては女性自身が決定権を持つべきであり、それが実現して初めてジェンダー平等への道が拓かれる。こうした考えからギンズバーグは、中絶の権利はプライバシー権ではなく、男女平等によって基礎づけられるべきだと考えていた。
●声をあげるZ世代
・ギャラップ社の世論調査によると、18歳から29歳のアメリカ人の48%が「いかなる状況でも中絶は合法であるべきだ」と回答し、「中絶は違法であるべきだ」と回答した11%を完全に凌駕している。
●社会運動では勝っても、権力闘争では負けるリベラル?
・『ワシントンポスト紙の映画評論家アン・ホーナデイは断言した。「リベラルの勝利は空虚なものだった。共和党のやり方を「権力ゲーム」と批判することはたやすいし、人権や望ましい価値の実現に向けて、市民ひとりひとりが当事者意識を持ち、さまざまな社会運動に従事することはとても重要だ。しかし、この「権力ゲーム」に勝たないことには取り戻されない権利があることも現実だ。共和党は、社会においては保守的な価値観がだんだんと守勢に立たされている現実を踏まえ、早くからその主戦場を、最高裁や州議会の多数派を占めることに見定めてきた。そのことが、長年定着してきたロー判決が最高裁で覆され、その判決を受けてすぐに、共和党が州議会の多数派を占める州で中絶制限が進んできたことの背景にある。
最高裁の多数派を奪還するには数十年単位の戦略が必要だ。アメリカのリベラルは今、厳しい現実に直面している。』
●権利を守る世代
・Z世代はアメリカ民主主義の未来への危惧も大きい。アメリカが健全な民主主義国家であると信じる人はわずか4%で、29%が自分の投票権が何らかの形で損なわれていると危惧している。若年層の政治意識を調査するCIRCLEの出口調査によれば、この世代は中間選挙(2022年)の主要な争点であった中絶、犯罪、インフレ、移民、銃規制の5つのうち、もっとも重要な争点として44%が中絶を選び、トップとなった。インフレを選んだのは21%だった。中絶問題がインフレを上回ったのはZ世代だけである。
感想
アメリカは経済、軍事両面で世界一の大国です。世界の大国といえば他に中国、ロシアがあり社会主義国家と言われていた両国は、今は権威主義国家と呼ばれています。権威主義国家とは政治的な権力が一部の指導者に集中すると定義されているので、中国は習近平、ロシアはプーチン、この二人に権力が集中しているのは間違いなく、権威主義国家であることは明らかです。一方、民主主義国家であるはずのアメリカ合衆国ですが、18歳~29歳のZ世代はアメリカ民主主義の未来への懸念が強く、アメリカが健全な民主主義国家であると信じる人はわずか4%という調査もあるようです。
共和党右派はプーチンと思想的な共鳴があるとされています。また、前トランプ政権において最高裁判事はリベラル派3名に対して保守派6名と、保守派の影響が出やすい最高裁になっています。さらにトランプの「司法の保守化」は民主主義にとって危機的状況といえます。特に新たな構想である「スケジュールF」(政治任用者を現在の10倍以上、最大5万人程度まで増加させる)が実行に移されると、憲法よりもトランプ氏に忠実でありたいと思う任用者達による、トランプのための政治にならないか非常に心配です。このように考えると、共和党が展開している「権力ゲーム」のゴールは、アメリカを権威主義国家に変容させることで、それを成しえた共和党が未来永劫政権を握ろうとしているのではないかと思われます。
本書の中で一番印象に残ったのはハリスの「誤った二者択一」という考えです。また、右派、左派と両極がクローズアップされるアメリカでは中道を貫いて選挙に勝つのは非常に難しいと言われています。しかしながら、権威主義を否定し分断を是正しようとすれば、中道という立場に立ってこの「誤った二者択一」の問題に取り組むことが、本来求められている姿ではないか思います。
注)政治任用者とは:日本で言えば各省の大臣、副大臣、政務官、局長、審議官などの幹部、これにさらに日本の官僚組織には存在しない「特別補佐官」や「上級補佐官」などが加わる。
最後に、本書を手にした当初の疑問(「カマラ・ハリスは何故人気がないのか」)ですが、1つにはトランプ共和党政権からバイデン民主党政権にかわり、大きな期待をもったZ世代、マイノリティ、女性、移民・難民などからの大きな期待に応えられなかったことがあると思います。そして、もう一つはバイデン政権の副大統領という立場を優先した発言・行動が求められたということではないかと思います。検事→司法長官→上院議員→副大統領という経歴の変遷において、自らの考えを貫くものと柔軟な対応が求められるものに対して、いかに向き合い対応するかという課題は極めて難しいものではなかったかと思います。
画像出展:「キャノングローバル戦略研究所」
追記)2024年11月6日:米国大統領選挙結果
画像出展:「Google」
本日、注目の大統領選挙が行われました。大接戦の予想は外れ、トランプ元大統領の完勝となりました。
「司法の保守化」、「スケジュールF」は進んでいくのか?それでも法治国家、民主主義は守られるのか?それともトランプ大統領による権威主義が始まってしまうのか?
経済分析では、社会保障の破綻を早め、失業率を高め、インフレを加速させ、GDPを低下させ、連邦債務を大幅に増加させるとの懸念が出ています。その答えは2028年になります。
インタビューに応じた中年女性が『米国を本当に愛しているのはトランプだ!』という言葉が印象的でした。
組織において“分断”はマイナスです。社内で専務派と常務派に分かれたり、チーム内で監督派とコーチ派に分かれたりすれば、総力は削られ組織の目標に赤信号が灯ります。特別な事情がない限り「百害あって一利なし」それが組織における“分断”だと思います。
一方、今のアメリカに起きている分断は何なのか。それは「多様性」と「権利」のせめぎ合い、そして背景にあるのが「生活」であり、その直接的な大きな要因の一つは「移民問題」ではないかと思います。
世界が注目するアメリカの大統領選挙は2024年11月5日です。バイデン大統領とトランプ元大統領の討論会は、およそ4カ月半前の6月27日に行われました。バイデン氏は年齢の衰えを隠せず、リーダーとしての資質に疑問を呈する場となりました。
一方、7月13日ペンシルベニア州のバトラー市で行われた共和党の集会で、トランプ氏は命を狙った銃弾で耳を負傷するという、あってはならない事件が起きてしまいました。この事件後、共和党内の一体感は高まり、世論は一気にトランプ氏の勝利を織り込むようになってきました。
画像出展:「トランプ狙撃事件が見せた米民主主義の自衛作用(産経新聞)」
バイデン大統領に代わる新しい候補者擁立の動きが活発化する中、7月21日、バイデン大統領は選挙戦からの離脱を表明し、後任を現副大統領のカマラ・ハリス氏に委ねるという発表がありました。もし、ハリス氏が大統領に選ばれると米国初の女性大統領ということになります。
今回の『Z世代のアメリカ』という本は、「カマラ・ハリスは何故人気がないのか」とタイプして見つけたものです。
著者:三牧聖子
発行:2023年7月
出版:NHK出版
NHK出版デジタルマガジンというサイトに、『アメリカ「例外主義」の変化―トランプ大統領が国際秩序にもたらしたものとは』という記事がありました。
なお、この記事は三牧先生の『Z世代のアメリカ』からの抜粋とのことです。
はじめに
第一章 例外主義の終わり―「弱いアメリカ」を直視するZ世代
●戦争はもうこりごり
●ドナルド・トランプ―「例外主義」を放棄した大統領?
●「逆・例外国家」?―バーニー・サンダースの問い
●未完のサンダース革命
●バイデンに受け継がれた「アメリカ第一」
●アフガニスタンからの撤退
●「アメリカにウクライナ支援をする義務はない」
●例外主義の放棄は平和につながるのか
●「盟主」不在の国際秩序とどう向き合うか
●ポスト例外主義世代
第二章 広がる反リベラリズム―プーチンと接近する右派たち
●リベラリズムへの敵意が広がるアメリカ
●内向きになる保守
●「文化闘志」ロン・デサンティスの台頭
●アメリカ右派とプーチンの思想的共鳴
●「キャンセルカルチャー」批判を繰り返すプーチン
●「キャンセル」を超えて
第三章 米中対立はどう乗り越えられるか―Z世代の現実主義
●分断される世界―民主主義サミットが示した問題
●アメリカはもはや民主主義のお手本ではない?
●選挙がむしろ民主主義を動揺させる?
●「能力」が正当化してきた経済格差
●対中感情の歴史的悪化
●Z世代のTikTokブームは「地政学的リスク」か?
●国家安全保障は大事だが、すべてではない
●未来の協調に希望をつなぐ
第四章 終わらない「テロとの戦い」―Z世代にとっての9・11
●「テロとの戦い」への懐疑
●9・11を記憶する
●誰が忘れられてきたのか
●たった1人の反対
●命の値段
●「女性を解放するため」の戦争?
●中村哲医師がみた9・11
●アメリカ=女性の解放者言説の欺瞞
●Z世代フェミニストの問い
第五章 人道の普遍化を求めて―アメリカのダブル・スタンダードを批判するZ世代
●不可視された「テロとの戦い」
●「ドローン大統領」オバマ
●永久戦争?
●忘れられるアフガニスタン
●経済制裁が加速させる人道危機
●アメリカのダブル・スタンダードを批判する若者たち
●人道に潜むレイシズム
●日本、そして私たちにできること
第六章 ジェンダー平等への長い道のり―Z世代のフェミニズム
●カマラ・ハリスの不人気
●多様性を象徴する存在
●黒人コミュニティからの不信感
●寛容であることの困難
●「壁」問題―「トランプ化」する民主党?
●「アイデンティティ政治」の失敗事例?
●中道であることの難しさ
●#Me too運動へのダブル・スタンダード?
●ハリスを超えて―フェミニズムの未来
第七章 揺らぐ中絶の権利―Z世代の人権闘争
●「母親や祖母より権利を持たない世代」
●ロー判決破棄の背景―司法の保守化
●リベラルが中絶に反対した時代
●ギンズバーグ判事が見いだしていたロー判決の弱さ
●母性を否定しない「新しいフェミニズム」?
●プロ・ライフとプロ・チョイスの二分法を問い直す
●1人の女性の中にあるプロ・ライフとプロ・チョイス
●声をあげるZ世代
●社会運動では勝っても、権力闘争では負けるリベラル?
●アメリカは今、人権の旗手といえるのか
●権利を守る世代
●Z世代へ未来をつなぐ
おわりに
第一章 例外主義の終わり―「弱いアメリカ」を直視するZ世代
●戦争はもうこりごり
・2000年代のアメリカは、対外的にはアフガニスタン・イラン戦争後の膠着、肥大化する戦争関連費用に苦しみ、対内的には2008年のリーマン・ショック後の長い不況に見舞われ、貧困の格差も極限まで広がった。
・Z世代が知っている戦争はアメリカから仕掛け、圧倒的な力の差によるものだったが、ロシアとウクライナの戦争は全く異なる。他国から侵略を受けた国に対し、アメリカは何をすべきか、何ができるのかという新しい問いを突き付けられている。
・アメリカが反戦の立場をとって、ウクライナへの武器支援をやめれば平和は訪れるのか。ウクライナの領土や主権が大幅に損なわれたうえで、停戦は実現されるかもしれない。しかし、それは本当に平和と呼べるのか。他方、際限ない武器支援のよって望ましい平和は訪れるのか。ロシアのような軍事大国を屈服させることは可能なのか。Z世代は今、こうした厳しい問いと現実に直面している。
●ドナルド・トランプ―「例外主義」を放棄した大統領?
・2001年の9・11同時多発テロから始まった「テロとの戦い」は過去20年間でアメリカが軍事作戦を展開してきた国は80カ国に及び、その費用は計8兆ドル(約1200兆円)にのぼる。命を落とした米兵の人数は7000人を超え、敵対する兵士や民間人を含めた全世界の死者の総計は90万人前後に及ぶ。
・2017年、第45代アメリカ大統領に就任したトランプは、「世界に搾取され、弱くなったアメリカ」というネガティブな自国像であった。そこには盟主意識も世界の警察という意識も全くない。
・トランプにとって、自国の産業や自国の軍隊を犠牲にするような世界との関与を改め、国益を追求する「アメリカ第一主義」を宣言した。“Make America Great Again”である。
・トランプが放棄した「例外主義」とは、「アメリカは物質的・道義的に比類なき存在で、世界の安全や世界の人々の福利に対して特別な使命を負う」という考えである。トランプが目指すのは「普通の国」ということである。しかしながら、これはアメリカの「例外主義」的な意識に支えられてきた国際秩序が重大な転換点にあることを意味している。
※アメリカ例外主義(Wikiより):アメリカ合衆国がその国是、歴史的進化あるいは特色ある政治制度と宗教制度の故に、他の先進国とは質的に異なっているという信条として歴史の中で使われてきた概念である。
●「逆・例外国家」?―バーニー・サンダースの問い
・アメリカは新型コロナのパンデミックで、社会保障制度の脆弱性が露呈した。
・社会主義の否定の裏には豊かさや自由への誇りがあった。しかし、貧富の差が拡大を続ける中で、状況は大きく変わり今日では多くのアメリカ国民が現状に疑問と不満を募らせている。
・2019年5月のギャラップ社の調査では、43%の回答者が社会主義を「よいもの」だと回答している。これは1942年の25%からの劇的な上昇である。
・新自由主義グローバリズムと格差の拡大が現実的になりつつあるなかで、アメリカ国民はなぜ先進国でありながら、ここまで社会保障制度が未整備なのかと不満を募らせている。
・サンダースが模範とみなすのは、デンマークなどの北欧諸国である。デンマークでは一握りの人々が莫大な富を保有することを可能にする制度を推進する代わりに、子どもや高齢者、障害者を含むあらゆる人が安心して生きられる最低限度の生活水準を保障する制度を作った。
・アメリカ的な「自由」は唯一のものではなく、もしかしたら最善のものでもないかもしれないという主張は、アメリカの「例外主義」を根本から問い直すものであった。
・アメリカの科学技術や文化・芸術に関しては、90%近くが「誇りに思える」と回答しているが、社会保障制度や政治システムに関しては、「誇りに思えない」が60%超えている。
・サンダースの問題定義に最も賛同している世代は若者である。Z世代は物心がついてからずっと、お金がものを言う政治を見せつけられ、政治に希望を見いだすことはできなかった。
●未完のサンダース革命
・サンダースは、2016年はクリントンに、2020年はバイデンに敗北した。敗因はクリントン、バイデンといった中道の重鎮たちは面白みがないが選挙に勝てる可能性が高いと思われている。
・サンダースは「急進左派」と言われているが、その政策はヨーロッパの中道左派の主張に近いものである。
●バイデンに受け継がれた「アメリカ第一」
・バイデン政権は大統領就任直後から、トランプ政権下で進められた排他主義的・単独行動主義的な政策を巻き戻し、世界に開かれ、他国と協調するアメリカを再び打ち出すものだった。しかしながら、アメリカが取り組むべき喫緊の課題は国内に山積しており、大々的な対外関与の余裕はないというのが実状である。
●アフガニスタンからの撤退
・『2021年4月14日、バイデンは20年にわたる「テロとの戦い」において、一つの画期となる決断を表明した。この日バイデンは、2001年10月、ジョージ・W・ブッシュ大統領がアフガニスタンへの空爆開始を宣言したホワイトハウスの「条約調印の間」で演説を行い、「アメリカ史上最長の戦争を終えるときだ」と宣言。アメリカ同時テロから20年迎える9月11日までにアフガニスタンの駐留米軍を完全撤退させると表明した。
アフガニスタンの安定化の見通しがつかないままの完全撤退については共和党のみならず、政権内からも反対の声があがっていた。中央情報局(CIA)のウィリアム・バーンズ長官は14日の上院公聴会で、米軍が撤退すれば、同地域の軍事力低下につながるとあらためて懸念を表明した。完全撤退は、こうした懸念の声をバイデンが押し切る形で決定された。
その後、撤退期限は8月末に早められ、撤退を完了させたバイデンは、アメリカの目的はアメリカ本土に対するテロ攻撃の再発を防止することにあったとし、その目的は実現されたと主張して、次のように宣言した。「アメリカが他国を作り変えるために大規模な軍事作戦を展開する時代を終わらせることだ」。もっともこれはオブラートに包まれた表現で、より率直にバイデンの心境を表現していたのは、首都カブールがタリバンの手に落ちた翌日の8月16日、それでも米軍の撤退を進める決意を国民に示した演説の中の次の中の言葉だろう。それはトランプと見間違えるような、赤裸々な「アメリカ第一」宣言だった。
[アフガニスタン軍が戦わないのに、アメリカ人の娘や息子をあと何世代、アフガニスタンの内戦に送り込めばいいのだろうか。アメリカ人の命をあと何人分、アーリントン国立墓地に延々と並ぶ墓石に変えたらいいのか? その価値があるのだろうかと。(中略)私の答えははっきりしている。私は、過去に起こした過ちを繰り返したくない。アメリカの国益にならない紛争にいつまでも留まり戦うこと、外国での内戦を激化させること、米軍を延々と派遣して国を作り変えようとすること。このような過ちを繰り返してはならないのだ。]
“Remarks by President Biden on Afghanistan ,”White House, August16,2021.
このバイデンの時代認識は、国民にも広く共有されていた。確かに米兵を含む人命の犠牲も出しながらのアフガニスタンからの撤退は、多くの国民の批判に晒されたが、国民の批判は、撤退時期や撤退方法に集中し、撤退というバイデンの判断自体は過半数に支持された。
アフガニスタンからの米軍撤退に関する世論の背景には、より大きな世論の潮流がある。昨今のアメリカでは、アメリカはこれまで過剰に世界に介入し、自国を疲弊させてきたという批判的な意識が高まり、アメリカの国際的な役割をより穏当なレベルに引き下げるべきだという考えが党派を超えたコンセンサスとなっている。各種の世論調査でも、「アメリカは世界の警察をやめるべき」「他国のことより国内問題、特に雇用の問題に取り組むべき」「同盟国に安全保障のコストをもっと負担させるべき」といった見解は、党派を超えて広く支持されてきた。
●ポスト例外主義世代
・「テロとの戦い」による国家的消耗、コロナ禍の甚大な被害の経験から、若い世代ほど対外介入に否定的な意見を持っている。
・2020年6月にギャラップ社が行った調査で、世代別で最も低い値だったのは18歳から29歳までの世代で、アメリカ人であることを「非常に誇りに思う」と回答したのは20%だった。彼らの多くはリベラルな価値観の促進に未来への希望を見いだし、銃規制や気候変動対策を支持し、よき未来に向けて社会運動にも積極的に関与する。行き過ぎた資本主義と経済格差に不満を募らせ、より社会主義的な政策を支持する世代でもある。対外的にはグローバル化する世界におけるアメリカ一国の力の限界への冷静な認識から、アメリカは多少の妥協を伴ったとしても、共通の目的のために他国と協調しなければならないと考え、多国間協調を志向する。
・ロシアのウクライナ侵攻は、国際協調主義の限界を突きつけている。中国やグローバル・サウスとの間の不一致は続いているが対話を閉ざすことはしていない。アメリカ一国の力の限界を自覚している。
・『アメリカの圧倒的な力の優位が失われ、ロシアのように明らかな現状変更を試みる国も現れる中で、いかに平和を回復し、持続させていくのか。国際協調主義をDNAとして組み込んだアメリカのZ世代が、この難問にどう立ち向かっていくのか。私たちも他人事ではなく、自分事としてみていくべきだろう。』
第二章 広がる反リベラリズム―プーチンと接近する右派たち
●リベラリズムへの敵意が広がるアメリカ
・プーチンの権威主義的な政治スタイルは、アメリカ右派の間に共感の輪を広げている。特にプーチンを「強い指導者」と称賛するトランプが大統領となって以降、共和党支持者の間にもプーチンへの好意的な意見が目立って増えてきた。
・2017年には、共和党支持者の49%がロシアを同盟国あるいは友好国とみなし、32%がプーチンに好意的な意見を持っていた。
“Republicans Are Warning Up to Russia, Polls Show.” Morning Consult, May24, 2017.
・2021年1月の連邦議会議事堂襲撃事件が示したように、選挙制度への不信、政治的な目的のための暴力を容認する世論の傾向も顕著になってきている。
・ハーバード大学やシドニー大学が共同で行ってきた「選挙の公正さプロジェクト」の調査によると、アメリカの選挙の公正さは西洋の民主主義国家の中では最低レベルである。
Electoral Integrity Project Report, 2020.
・『昨今は、共和党が上下院の多数を占める州を中心に、「不正投票の防止」という一見もっともな名目で、低所得者やマイノリティの投票を実質的に阻む法律が多数成立している。有権者ID法などで投票時における身元確認が厳格化されたことにより、運転免許証を持たない人や、定まった住居を持たない人の投票が困難にされてきた。』
Brennan Center for Justice, State Voting Laws.
・『アメリカの共和党は過去20年間で非自由主義的な性質を顕著に示すようになっており、ヨーロッパの中道右派政党よりも、トルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン政権やハンガリーのオルバーン・ヴィクトル政権のような権威主義国家の与党に近いことが明らかになっている。特にトランプ政権下でその傾向は加速した。』
●アメリカ右派とプーチンの思想的共鳴
・共和党右派とプーチンとの間には反リベラリズムという共通の価値観がある。
・欧米諸国の右派が抱くリベラルな価値や政策への不満に巧妙に働きかけ、社会の分断を狙うプーチンの思惑通り、民主党政権のもとでジェンダーの多様性が進み、また移民や難民に寛容すぎるという不満を募らせているアメリカ右派たちはプーチンに対し、共感や親愛の情を抱いてきた。
柳谷素霊先生は鍼灸の発展にご尽力された唯一無二の先駆者です。過去に柳谷先生に関する2つのブログ、「脈診と臨床」と「五十からの青春」をアップしていました。
その柳谷先生の著書の中に『柳谷秘法一本鍼伝書』という本があります。そして、この本をベースに独自の「天・地・人治療」という考えに照らし合わせて書かれた教本が、木戸正雄先生の『素霊の一本鍼』です。
その木戸先生は本書の“はじめに”の中で、以下のようなお話しをされています。
『私は長年、鍼灸臨床に携わる中で、「黄帝内経」(「素問」・「霊枢」)の治療体系が三陰三陽の臓腑経絡学説を根拠とする「経絡系統」と三才思想から成る「天・地・人」という二つの大きな柱により構成されているという考えに至り、身体を立てに貫く「経絡系統」を対象とするものを「変動経絡治療システム(VANFIT)」、輪切りで捉えるものを「天・地・人治療」と名づけ、それぞれに治療法を構築し、提唱しています。
このたび、柳谷素霊先生の「柳谷秘法一本鍼伝書」について、現在の臨床に活用できるように私なりの解説をさせていただく機会を得ました。
「柳谷秘法一本鍼伝書」に記載されている刺鍼部位は、「天・地・人治療」の一つである「天・地・人―気街治療」で使用する経穴と共通する部分が多いことから、著者である柳谷素霊先生には注目していました。
柳谷先生が「経絡治療」誕生に大きな影響を与えたことはよく知られています。「誰にもわかる経絡治療講話」(本間祥白、医道の日本社、1949年刊)は、「経絡治療」における最初の成書として有名ですが、「内容は、恩師柳谷素霊先生達(井上恵理先生、岡部素道先生、竹山晋一郎先生など)のご指導によるものを伝えたに過ぎない」と著者の本間祥白先生自身が序文を書いています。』
『私が経絡治療を学び始めた頃は、岡部素道先生が経絡治療学会の会長でした。私が指導を受けた岡部素道先生をはじめ、岡田明祐先生、馬場白光先生など、当時、名人とうたわれていた経絡治療学会の先生方から、柳谷先生の名前や治療についてのエピソードなどを聞く機会が多々ありました。誰もが、柳谷先生を教育者としても、臨床家としても非常に高く評価し、畏怖の念すらもっていることが伝わってきましたが、残念なことに柳谷先生は、すでに亡くなっており、私は直接の指導を受けることはできませんでした。』
木戸先生の「天・地・人治療」は次のようなものです。
●人体を三分割してとらえた治療方法で、「天・地・人」の三分割を全身のいたるところに当てはめたり、細分化したりすることができます。そして、その各々の境界部はすべて「節」であると考え、この「節」に対して行う治療を「天・地・人治療」といいます。
画像出展:「素霊の一本鍼」
著者:木戸正雄
初版発行:2009年4月
出版:ヒューマンワールド
画像出展:「素霊の一本鍼」
こちらの表は『柳谷秘法一本鍼伝書』に書かれている20の処方です。
ブログで取り上げたのはごく一部で、耳に関する経穴(然谷、太渓)、柳谷風池、柳谷便通点、華佗夾脊穴についてです。
1.耳の疾患と腎経の経穴
※私自身が気になっている疾患は耳鳴りですが、原因は加齢と思われ、耳鳴りキャリアは約10年です。以前「耳鳴り」というブログをアップしているのですが、加齢による耳鳴りの治療は難しいことを理解しています。時々、思いついたように耳周辺の経穴に刺鍼してみるのですが効いている感じはありません。このことが、耳の周辺ではなく、腎経の経穴に興味をもった理由です。
●耳鳴の鍼(柳谷秘法一本鍼伝書より)
・『下肢痛の刺鍼と同様に、患者を側臥位にして、下顎角の後の少し上から、刺入する方法ですが、鍼の向きはやや上向きにします。(寸3‐2番の銀鍼か寸3-1番のステンレス鍼)』
画像出展:「素霊の一本鍼」
画像出展:「臨床経穴図」
耳鳴の一本鍼の経穴は頬車穴です。この図(左下部)を見ると刺鍼点は下耳底点と顎角点の中点であることが分かります。
さらに、次項の「耳中疼痛の鍼」と組み合わせることもあります。
●耳鳴りの治療について(木戸先生の見解)
・『耳鳴りの場合、発症してから2~3ヵ月のものは治療効果が顕著ですが、患者によっては何年もたってから来院してきます。長年来の慢性の耳鳴りはなかなか頑固です。このような耳鳴りには経絡の調整に加えて、耳を取り巻くように耳の周囲にあるツボ(耳門穴、聴宮穴、聴会穴、和髎穴、角孫穴、顱息穴、瘈脈穴、天牖穴、翳風穴)に切皮置鍼しておき、その間にこの一本鍼を行ってます。
画像出展:「素霊の一本鍼」
こちらの画像は、あしざわ治療院さまの“耳から自律神経、腰痛まで良くなるのは?”から拝借しました。
さらに、「耳中疼痛の鍼」と組み合わせることもあります。
画像出展:「素霊の一本鍼」
※「耳中疼痛の鍼」:完骨穴から耳孔に向けて、乳様突起の下をくぐらせるように刺入する方法です。
耳鳴りの場合、鍼治療による直後効果があるものと、ないものがありますが、まったくないものでも、このように全身状態を整える治療を継続することで、いつの間には耳鳴りが消失・軽減していることがあります。
老人性耳鳴りの場合は、はじめ蝉の鳴き声のようなジージーという音から始まり、そのうちに、キーンというような金属音に変わっていく経過をとることが多いようです。ジージーという音のうちに治療を始めるといいのですが、金属音になってしまってからではなかなか治りにくくなります。
また、耳痛や難聴を伴うとき、場合によっては、耳鼻科の治療と併用すべきです。特に突然耳の聞こえが悪くなり、耳鳴りが起こった場合には、突発性難聴の可能性がありますので、至急の耳鼻科処置が必要です。次第に耳鳴りが大きくなっていくものも、要注意です。』
●東洋医学では五行という考え方があり、五臓の一つである“腎”と関係の深い「腑」として“膀胱”、体の部位に関係しているのが“骨髄”(髄は現代の脳とされています)、腎が弱った時に影響するのが“髪”、そして病気が現れやすいのが“耳”とされています。今回、五行の“腎”に注目したのは、この東洋医学の考え方に沿ったものになります。
注)以下は私が専門学校時代に作った表ですが、黒い部分が腎と関係の深いもので、黄色で囲ったものが人体に関係するものです。”腎”の下、上から“膀胱”、“耳”、“骨髄”、少し下にいって“髪”があります。
●経絡の代表的なものに十二経脈があり、その中に“足の少陰腎経”があります。その経脈にある経穴は以下の通りです。
こちらの画像は、“BLOG 今日から始める自分ケアの習慣化。心と体を癒す自分時間”さまから拝借しました。
・湧泉-然谷-太渓-大鐘-水泉-.照海-復溜-交信-築賓-陰谷-横骨-大赫-気穴-四満-中注-肓兪-商曲-石関-陰都-.腹通谷-幽門-歩廊-神封-霊墟-神蔵-彧中-兪府。この27経穴の中で注目したのは、“然谷穴”と“太渓穴”です。
画像出展:「臨床経穴図」
太渓は少し前まで太谿と表記されていました。
※澤田流太渓は“照海”に相当するとのことです。
(1)然谷穴
・然谷は腎経の榮火穴であり、臓腑の熱を取り除く効果があるとされています。
・柳谷先生の「柳谷秘法一本鍼伝書」には、然谷穴を併用することでさらに効果を上げることができるとされています。
・木戸先生にとって然谷穴は、思い出深い経穴であるとのことです。
-『実は、然谷穴は私にとって特に思い出深い経穴なのです。20年近く前の話しで、まだ「天・地・人治療」を行う前のことですが、私の娘は幼いころ、アトピー性皮膚炎の体質で、よく滲出性中耳炎や急性中耳炎を患いました。しかし、耳鼻科で処方された薬が合わなかったのかなかなかよくならず、鼓膜切開を繰り返していました。
ある時、私は、眠っている娘の足を内側から眺めていて、足の形が耳に似ていることに興味を持ちました。くわしく観察しているうちに、土踏まず全体がほんのみ赤みを帯びているにもかかわらず、然谷穴の辺りだけが艶がなく、くすんでことに気付きました。
そこで、娘の然谷穴に金の鍉鍼でしばらくの間、圧迫をしてから、半米粒大の灸を1壮行ってみました。それ以来、耳の痛みがピタリと止まり、快方に向かっていったのです。
驚ろいた私は、然谷穴と耳の疾患との関係についてそれまでの文献を検索してみました。そして、「医道の日本」誌に、然谷穴への施灸による急性中耳炎への効果についての報告を発見したときは、思わず喝采を送りたくなりました。残念ながら、当時は、柳谷の本書に補助穴としてあることは見落としていたわけですが、しかし、これも何かの縁なのでしょう。「急性中耳炎の一つ灸」という表題のその報告は、柳谷の高弟の一人、井上恵理のものだったのです。』
-『このように、急性中耳炎などの耳の痛みに、同じ然谷穴を使うにしても、井上は灸で対応し、柳谷は鍼による治療法で対応しています。当然、刺鍼でも施灸でも効果がありますが、鍼灸を併用することで一層、治療効果が高くなります。
娘の急性中耳炎の治療体験をきっかけに、私は、足に顔面、あるいは耳を投影した小宇宙を想定して然谷穴を耳の愁訴に使うようになりました。こうした臨床の積み重ねから、後の「天・地・人治療」としてのシステムができていったのですが、そのきっかけの一つともなるものでした。
多くの場合、然谷穴は深くに圧痛がありますので、指先をくぼみに入れてよく揉んでから、刺入するようにします。寸6-1番ステンレス鍼を然谷穴からやや上後方に向けて刺入していくと、スルスルと鍼が入っていきます。50mmぐらいの深さまで引きこんでいくことも稀ではありません。患者に不快な痛みを感じさせないように行うことが効果を上げる秘訣です。20分程度の置鍼の後、鍼痕に米粒大3~7壮の施灸をしておきます。』
(2)太渓穴
・太渓は腎経の兪土穴であり、かつ原穴です。気血の流れを高める効果があるとされています。
画像出展:「一元流鍼灸術」
『原穴について考えを進めていくことは、三焦の問題と腎間の動気の問題に対する理解を通じて、全身を一元の気として観る柱となります。これについてまとめているものが《難経鉄鑑》六十六難の図です。この図は、かの沢田健先生が尊崇されていたものです。
一言で言えば、六臓六腑の生命力の流れである経脉の中の、一点である原穴に、それぞれの経脉の生命力が集約されて現われるということです。』
原穴について何が書かれているのか興味を持ち、この本を衝動買いしてしまいました。
私が学んだ“日本伝統医学研修センター”では、特に脈診を重視しているのですが、命の脆弱さを感じる脈や先天的な疾患、あるいは難病を抱えた患者さんに対して、生命力を補する「原穴治療」を選択することがあります。取穴は、肝経の太衝、脾経の太白、肺経の太淵、そして腎経の太渓です。この「原穴治療」の経穴である「原穴」について深く知りたいと思いました。
伴先生の「一元流鍼灸術の門」に書かれていたことは以下になります。
『三焦に関しては古来諸説あります。私は、沢田健先生が称揚した≪難経鉄鑑[江戸時代中期に書かれた難経の解説書]≫六六難の図をもって、気一元の身体を見通す観点としての三焦論としています。
すなわち三焦は原気の別使であるとします。原気とは、人間における生命そのもの、腎間の動気をもって看取することのできるものであり、これこそが十二経の根蒂です。この生命そのものが五臓六腑を通じて経穴としてその分配された生命力を表現している場所が、原穴です。この図には、原穴の原とは三焦の尊号であると記されています。
この全体を一気に見通す眼差しが、気一元の身体観の意味です。その会得方法について、「毎朝、この六六難の図に対面して沈思黙考し、原気の流行と栄衛の往来について省察して、身中の一太極を理解することができたならば、自然に万象の妙契を悟ることができるでしょう」と書かれています。』
本書の中で最も気になったのは脈診に関する記述です。それは次のようなものでした。
『脉診をする場合、心構えがとても大切になります。これは、何を診ようかとするかということによって、感じ取ることのできる範囲が変化するためです。脉なんてわからないや、と思って診ていると、何も診ることはできませんし、診ることもいやになってやめてしまいます。硬さや軟らかさを診るのだと思って診ていると、硬さや軟らかさが良く感じられるようになります。太さと細さという別の側面を診ると思って診ていると、太さや細さが感じられるようになります。』
『それぞれのバランスが取れていて、個別の脉状として診えにくいとき、それを胃の気の通った良い脉状であると考えます。
また、最後になりましたがもっとも重要なことは、生命力を診ると心に定めて診ることです。これを胃の気を診ると私は呼んでいます。生命力を診るのだと心に定めて診るとき、脉の診え方が大きく変わるのは、まことに不思議なことです。』
・“太渓への鍼が有効であった耳鳴の3症例”という論文(臨床報告)を見つけました。
資料はPDF7枚です。
緒言
『耳鳴は西洋医学的な治療ではうまくいけないことが多い。耳鼻科医の中には「耳鳴りは治らない」と説明して最初からあきらめ調子で治療している医師もいて、TRT(耳鳴り順応法)療法は一つの訓練法だが、耳鳴の音を気にしなくなるように治療するくらいしか手立てがない。われわれは過去に耳鳴に対し翳風への円皮鍼が有効であった症例報告を行った。斎藤ら[斎藤輝夫、稲葉博司、蔡暁明、他。耳鼻咽喉疾患と漢方(上)、漢方の臨床2010]耳鳴の腎陰虚型には足腎経の太渓穴がよく、一本鍼で耳鳴が止まる症例が多いと報告している。今回は太渓(KI3)への鍼が有効だった3症例を経験したので報告する。』
1)症例1:86歳男性
・耳鳴発症3日後、耳鳴日常生活支障度(THI)は100点。血管拡張剤、ビタミン剤、翳風への円皮鍼、TRT療法は無効であった。初診から7ヵ月目に両太渓に鍼治療を行い2ヵ月後にTHIは12点になった。
2)症例2:66歳女性
・1年前に両耳に耳鳴が出現した。THIは26点で、様々漢方薬、翳風への円皮鍼は無効であった。初診から1年後より両太渓に鍼治療を行い、3週間でTHIは4点になった。
3)症例3:73歳女性
・初診8日前より左耳鳴が出現した。THIは30点で、様々漢方薬、翳風への円皮鍼は無効であった。初診から3ヵ月目に両太渓に鍼治療を行い、5週間でTHIは10点、1年で8点になった。
注1)太渓穴へは10分間の置鍼後、円皮鍼を貼った(6日間)。
注2)3人に共通するのは腎虚である。腎虚では耳鳴の他、難聴、夜間頻尿、膝や腰の脱力など、体系としてはやせ型が多い。
注3)澤田流で有名な澤田健先生も耳鳴に対し、腎兪と太渓を取穴して有効であったという報告をされている。ただし、澤田流太渓は、一般の照海(KI6)の位置にある経穴である。
画像出展:「太渓への鍼が有効であった耳鳴の3症例」
2.柳谷風池
画像出展:「素霊の一本鍼」
・首藤傅明先生は目の特効穴としてたびたび取り上げています。「週刊あはきワールド」の「若葉マーク鍼灸師に贈る私の思い出の症例29」では“片方の目が動かない眼筋麻痺の患者”という症例報告では、右目の開眼不能、かつ眼筋麻痺の患者に対し、1~2日ごとに、本治法(肝虚証:曲泉)、足三里、曲池に加え、この「柳谷風池」に10mmの深さで置鍼、さらに攅竹、陽白、太陽の浅置鍼という施術を行って、完治させたとあります。以降、首藤先生は眼筋麻痺の治療の局所的な施術では常に「柳谷風池」を最優先で取穴されているとのことです。
・風池穴(足の少陽胆経[GB20])の場所は教科書では、「乳様突起下端と項窩中央(瘂門穴)の中央で陥凹部」となっていますが、「柳谷風池」はそれよりもやや外側にあります。完骨穴(足の少陽胆経[GB15])の後方を探ると、ゴリゴリしたスジ様の小突起に触れます。この後下縁に取ります。按圧すると、ジワーンと頭の中やコメカミに響いてきます。鍼は小突起の裏をくぐるようにしながら、同側の眼底の方向に刺入していきます。
・木戸先生の症例の中に、“正常眼圧緑内障”があります。
-『数年前、頑固な肩こりを訴えて、来院してきた男性の患者がいました。
肩こりを自覚しているわけですから、当然ながら、肩上部から首筋に硬くなり、硬結もあるのですが、それよりもむしろ、私は、後頚部ライン上に出ている深部のコリが気になりました。その反応点は、口唇ライン上に並んでいました。「目が疲れませんか?」と聞くと、「実は、眼科で正常眼圧緑内障との診断を受けている」というのです。
この患者には、毎回の治療において、通常の経絡的な治療を行った後、必ず、完骨穴、柳谷風池、風池穴、天注穴に対する直接施術を加えるようにしました。この治療を継続して、5ヵ月ほどして、患者から、その日の眼科の検診で、欠損していた視野が正常に戻っていたという報告を受けました。正常眼圧緑内障が完治しているというのです。
眼科医の話では、「ありえないこと」と患者の従来の診断に間違いがあったのだろうとのことでしたが、この患者は、自覚でも、明らかに視野が広がったと喜んでいました。』
3.柳谷便通点
・昭和の鍼灸界を牽引した代表的な治療家が便秘の治療穴として使用した経穴は次の通りです。
1)代田文誌の特効治療穴:「澤田流神門、左腹結、大腸兪、木下便通点」
2)木下晴都の常用穴:「木下便通点、左腹結、大腸兪」
・これらの先生方の便秘療法に共通しているのは、左の下腹部にあるツボと大腸兪を使うことです。前後から身体をはさむようにして、大腸に刺激を与える方法が便秘の標準的な治療ということになります。
・柳谷秘法一本鍼伝書の留意点(虚証の場合)
画像出展:「素霊の一本鍼」
-『臍下2寸の点から1寸左側方にある穴に、患者の呼吸の呼気時に刺入、吸気時に止めるように、鍼尖を進めていきますと、約2寸の深さで弾鍼する。そこで響きが得られないときは、少し奥に鍼を進めてから静かに旋撚を施します。
肛門への響きを確認したら、すぐに、吸気に合わせて抜鍼します。』
注1)[用鍼]は3寸3番となっています。木戸先生は60mmの深さで急に強い響きを得ることが多く、違和感が残ることも多いので響きを嫌がる患者さんには天枢穴や気衝穴を使用し、鍼響を与えないように寸6-1番のステンレス鍼を用いて30~40mmの速刺速抜を行っています。とのことが書かれています。
注2)虚証の場合は、細い鍼を選び手技も刺激が強くならないように丁寧に行うことが重要であり、特に呼吸の補瀉が非常に重要であるとされています。
注3)「柳谷便通点」は鍼刺激ではなく、圧刺激(深呼吸に合わせ、「柳谷便通点」の母指圧迫を20回ほど行う)でも効果は期待できるようです。
※木下便通点に関しては、「最新 鍼灸治療学 下巻」(木下晴都、医道の日本社、1986年)より、ご紹介させて頂きます。
画像出展:「最新 鍼灸治療学」
■治療(p281)
一過性便秘をしばしば起こすものは鍼灸の最適応症であるが、最も多くみられる弛緩性便秘、あるいは弛緩性に合併する排便困難は、著明な効果があるものと、容易に効果のあがらないものとがある。下剤を常用する者は、薬用量を減少させ、ときには不明になる例も経験される。痙攣性便秘もしばしば良い効果をあげる。
(1)共通治療
a)常用点
鍼灸:大腸兪・便通・左腹結
大腸兪は鍼を2、3cm刺入して雀啄または施撚する。灸は米粒大5~7壮施す。
便通とは著者[木下晴都]が臨床経験で、排便を容易にする効用のあることを発見して命名した。その部位は図132に示すように、第4、第5腰椎棘突起間の左外方約6cmに相当し、奇穴では腰宜にあたる。
すなわち左志室の直下(背外線上)で腸骨稜の直下に取穴する。施鍼するには腸骨稜上縁よりわずか上に取穴し、鍼先を内下方に向けて腸骨内面に沿う気持ちで、約3cm刺入する。鍼は20~25号[3番~5番]を用いて雀啄法を行う。施灸は米粒大ないし麦粒大のもぐさ5~7壮行う。施鍼と施灸を同時に行う必要はない。一般には施灸より施鍼が効をあげる。
画像出展:「最新 鍼灸治療学」
画像出展:「素霊の一本鍼」
第4-5腰椎右側から、大腸兪、腰眼、腰宜となっています。
『左腹結は一般的な部位では効果が期待されない。その部位は図133に示すように、左上前腸骨棘の前内縁中央から水平に右方(正中線)へ約3cm(脾経上)に取穴する。施鍼は約20号[3番]のステンレス鍼を用いて、下方に向けて3、4cm速刺(速刺速抜)する。この刺入は鍼先が腹膜に触れるため、約2cmは静かに入れて、その後は急速に刺入し、目的の深さに到達した途端に抜き取る。この最後の刺抜をゆるやかに行うと、腹膜刺激によって腹筋が収縮し、折鍼を超すおそれがある。したがって急激な鍼の刺抜を行う。この施鍼法は便秘に対して著効をあげる場合があるが、急激な響きを患者はきらうおそれがある。左腹結に施灸7壮を行うのもよいが、施鍼ほどの効果は望まれない。』
画像出展:「最新 鍼灸治療学」
4.華佗夾脊穴
・五臓六腑の調整には、背部兪穴を使用するのが一般的ですが、この「華佗夾脊穴」に早くから注目し、体系的な治療法として提唱したのは、日本の澤田流が最初であったようです。そして、これが現在の「華佗夾脊穴」の標準的な使用法の原型となったと考えられています。
画像出展:「素霊の一本鍼」
-『「華佗夾脊穴」というツボが最初に登場するのは、「鍼灸治療基礎学」(代田文誌、春陽堂、1940年刊)には、この「華佗夾脊穴」が並んでいるラインを、「背腰部膀胱1行」として提示されています。この説では、背部兪穴が並ぶラインが膀胱経2行線、附分から秩辺までのラインが膀胱経3行線となります。代田文誌は、これを澤田健の発見、創設であることを力説しています。
「膀胱経一行の位置は、腎脈の左右凡そ五分ばかりの所にあり、督脈と平行している」、「名称は別にないが、第二行の穴の名を上に冠して、肺兪第一行とか心兪第一行とかいうように呼んでいる」との記載がありますので、「華佗夾脊穴」を各々、個別に呼称する場合は、この名称にプライオリティがあるでしょう
澤田流での運用では、例えば、肺兪第一行に反応があれば、肺の異常があるとしています。また、これら背部にある「華佗夾脊穴」が腹部にある腎経の経穴と表裏関係にあることにまで言及しているのですから、澤田健の臨床的な直観力と洞察力には恐れ入ります。
運用例を引用しておきます。「胃痙攣に際しては、胃兪または肺兪の第一行の刺鍼が非常に効を奏します。胆石症には胆兪の第一行が、腎盂炎には腎兪の第一行が、眼の痛みには肝兪の第一行が、舌の痛みには心兪の第一行が実によく効きます」。澤田流の背兪穴は通常の背兪穴の一椎上に位置しますので、それを考慮の上、ご参考にしてください。
この発想と発見は、現代中国にも影響を与えたようです。
「中国漢方医語辞典」に、「華佗夾脊穴」について次のように記されています。「二つの取穴法がある;(1)第1頚椎から第4骶椎まで、それぞれ左右に5分の所に各28穴、合わせて56穴;(2)第1胸椎の下から第5腰椎の下まで、それぞれ左右に5分の所に各17穴、合わせて34穴。臨床適応範囲はかなり広く、おもに内蔵機能の混乱を調整し脊背部の局所症状を治療する」』
量子テレポーテーションの実験でノーベル物理学賞を受賞された、アントン・ツァイリンガー博士の著書を見つけ、「どんな実験だったのだろう?」という興味から、今回も、深く考えず購入しました。そして、予想通りほとんど理解できませんでした。しかしながら、ネットには素晴らしいサイトや動画があるので、それらの助けをお借りして何とかブログとしてまとめました。
著者:アントン・ツァイリンガー
監修者:大栗博司
発行:2023年5月
出版:早川書房
こちらは原書ですが、タイトルは“DANCE OF PHOTONS From Einstein to Quantum Teleportation”となっていました。
以下のサイト及び動画をご参考にして頂ければと思います。
“ノーベル物理学賞受賞者が語る「テレポーテーション」の可能性とは?『量子テレポーテーションのゆくえ』本文試し読み”
こちらは出版会社である早川書房さまのサイトです。本書の概要が説明されています。
こちらは産業技術総合研究所(産総研)さまのサイトです。
“【超重要】量子情報はすでに「過去」へと送られている...”
こちらは「シンプリイライフ」さまのサイトです。内容は以下の通りです。22分11秒
1.量子もつれとは 2.量子もつれを実証している男たち(4分26秒) 3.量子テレポーテーションの可能性(7分37秒) 4.量子情報は「過去」に送ることができる (12分23秒) 5.この世界の「秘密」について (17分32秒)
目次
プロローグ ―ドナウ川の地下で
宇宙旅行
光というもの
牧羊犬とアインシュタインの光の粒子
アインシュタインとノーベル賞
対立
不確定性はいかにして確定したか
量子の不確定性 ―私たちにわからないだけなのか、それとも本当に不確定なのか
テレポーテーションに対する量子的判決
量子もつれが助けてくれる
量子実験室のアリストボブ
光の偏光 ―クォンティンガー教授の講義
ジョンによるアインシュタイン、ポドルスキ―、ローゼン入門
局所的な隠れた変数に関するジョンの話
アリスとボブの実験がややこしい結果を出す
ジョン・ベルの物語
アリスとボブは物事が自分たちの思っているとおりではないことを知る
光より速く、そして過去にさかのぼる?
アリスとボブと光の限界
抜け穴
チロルの山にて
量子の宝くじ
量子マネー ―もう偽造できない
量子トラックは運べる量よりもたくさん伝える
原子を使った量子もつれ生成と初期の実験
超高性能生成装置と情報伝達の抜け穴の封鎖
ドナウ川の量子テレポーテーション
多光子のもたらした驚き、そしてその途上での量子テレポーテーション
量子もつれのテレポーテーション
さらなる実験
量子情報テクノロジー
量子テレポーテーションの未来
テネリフェ島上空からの信号
最近の展開と未解決の問題
つまりどういうことなのか?
エピローグ
付録/量子もつれ―量子をめぐる万人の謎
ドナウ川の量子テレポーテーション
画像出展:「量子テレポーテーションのゆくえ」
●この実験の重要な部分はグラスファイバーの中でおきる。
●レーザー装置は巨大で家が買えるくらい高価な装置である。
●大事なことはレーザー装置が生成するのは持続的な光線ではなく、超高速で続けざまに生じるレーザー光のパルス[電気信号の波(周波数)]だということである。1回のパルスの持続時間はおよそ150フェムト[1000兆分の1(10のマイナス15乗)]秒で、装置はパルスを毎秒8,000万回ほど発生させる。これはレーザーの生成する光のパルスがいかに短いかが分かる。たとえば、灯台の明かりが1日1回、しかも1秒しか点滅しない、一瞬の点滅のようなものである。
●短いパルスは量子の識別可能性と関係している。
画像出展:「量子テレポーテーションのゆくえ」
●光りパルスはレーザーから発射されて、小さな結晶[図中央の“C”]を通過する。
●この特殊な結晶は、量子もつれ状態となった光子を生成する。この結晶はわずか2mmと薄いがここで起きることは、実験で1番大事なところである。
●2つの光子がある一定の角度で飛び立つ。この2つは互いに量子もつれ状態にある。
●グラスファイバーの手前に小さなレンズを置く。
●この状態で光子をファイバーに送り込むと、光子はアリス[右上]とボブ[右下]のもとに向かう。
●これによりできたのは光子AとBからなる量子もつれ状態にある双子のペアである。なお、グラスファイバーは光子をテレポートするのに使う量子チャネルである。一方、川の上空を通る電波は古典チャネルである。
※この後、説明が7ページと2つの図が続くのですが理解困難なため、再び「シンプリィライフ」さまの動画に再登場して頂き、この場を切り抜けます。
POINT 3 の「量子テレポーテーションの可能性」(7分37秒~12分23秒)をご覧ください。
さらに詳しいことを知りたい方は、こちらを参照ください。PDF7枚の資料です。
量子情報テクノロジー
●1930年代、アインシュタイン、シュレーディンガーに加え、ボーア、ハイゼンベルク、パウリなどが量子力学の創始者である。アインシュタインは「不気味な遠隔操作」を受け入れず、シュレーディンガーは量子もつれこそ量子力学の本質的な特徴だと訴えた。
●1960年代、レーザーが発明され、局所実在論を検証することが可能になった。局所実在論という理論内でベルの不等式は成立するが、そのベルの不等式の破れを実験により証明したことで、量子力学による予想の正しさが裏付けられた。これらの実験は、哲学的な問いに動かされていた。言い換えれば、一部の人々の好奇心に駆り立てられていた。このような好奇心は人が挑戦するための大事な原動力であり、科学においてはしばしば新しいテクノロジーと結びついて興味深い発見をもたらしてきた。
●1990年代、量子に関する基本的な概念から、情報を伝送して処理する新たな方法に関するアイデアが生まれた。こうした新たなアイデアの中には、量子暗号、量子乱数生成器、量子テレポーテーション、量子コンピューターなどが含まれている。
●現代、新しい量子情報テクノロジーの開発が、世界的に最も活発な研究領域となっている。多くの国で数々のグループが、量子暗号、量子コンピューター、量子通信など、技術応用につながる可能性のあるさまざまなテクノロジーの開発に取り組んでいる。
●技術的に最も成熟度が高いのは量子乱数生成器である。これは量子力学で生じる個々の事象のランダム性を利用する。量子乱数生成器の用途には、コンピューターに保存されている情報の暗号化である。
●量子コンピューターの実用化にはまだまだ時間がかかると思われているが、実験物理学の創造力は過小評価できないと考えている。
量子テレポーテーションの未来
●今後数年のうちに、テレポーテーション実験の距離が伸びることは間違いない。アイデアの一つは地上のステーションと人工衛星の間を結ぶ、光の量子状態を送るテレポーテーションである。
●原子や分子の状態に関するものも考えられる。複雑な分子を記述するために、各原子がどのように配置されてるか、互いにどう結びついているかについて知ることも重要である。
最近の展開と未解決の問題
●量子コンピューターに関してはさまざまアプローチがされている。情報の担体として単独の原子やイオンを使うグループ、従来のコンピューターで採用されている標準的な半導体シリコン技術を使い、個々の量子ビットを暗号化して処理できるように手を加えているグループもある。単独の原子をシリコンなどの半導体に一つずつ埋め込み、互いに対話させることで量子プロセッサーにするというアイデアもある。また、小型の超電導素子を使っているグループなど色々なアプローチが試みられている。現時点では、量子コンピューター技術のさらなる展開やどのテクノロジーが利用されるかなどは全く予想できない。
●興味深いアイデアの一つが、一方向量子コンピューターである。これは他の量子コンピューターやそれ以外のあらゆるコンピューターとは全く違う原理で動くことである。標準的は量子コンピューターでは、入力量子ビットを量子コンピューターに入力する。すると、アルゴリズムがこの量子ビットの量子進化として実行される。
●一方向量子コンピューターは、多数の量子ビットがかかわる複雑な量子もつれ状態からスタートする。このアルゴリズムは量子状態の観測結果を連ねたものである。
●激しい議論を巻き起こしている問題は、量子の概念が脳の中でなんらかの重大な役割を果たしているのかという点である。あらゆる生命現象において量子物理学が果たす役割については、広く意見が一致している。生体内で生じる化学反応は、要するに量子のプロセスだと考えられている。一方で、脳が量子ビットや量子もつれなどを使うとは全く考えられていない。しかしながら、基本的な観点から言うと、量子物理学が脳内でなんらかの役割を果たす可能性を原理的には否定できない。
それは量子コンピューターにおいて2つのメカニズムが実行できることが発見されているからである。その1つはデコヒーレンスに対して頑強となるように情報を保存できること。これはデコヒーレンスの生じない小区画を作るアプローチである。もう1つは冗長とも言える形でたくさんの量子ビットに情報を保存するというアプローチである。とはいえ、今のところこれら全ては仮説にすぎない。
●意識とは何か、心とは何かといった謎の解明を考える人もいるが、これらは徹底的に研究していくべくテーマである。
つまりどういうことなのか?
●重要なことは量子物理学がもたらす概念的および哲学的な帰結だろう。
●装置の選択が量子系の特性を決定し、それが実験結果として現れる。たとえば、二重スリット実験では観測者の選択した装置が、粒子の経路を特定できるものか、それとも干渉パターンがわかるものかによって、経路と干渉パターンのどちらが実在の要素となるかが決まる。しかし注意しなくてはいけない点がある。観測者の心が量子状態に影響するのだと主張する人もいるが、そのように主張することは危険である。また、そのような考え方は量子観測の物理学で裏づけられていない。
※二重スリット実験 (三たび「シンプリィライフ」さまのお力をお借りします)
“【量子力学】二重スリット実験完全解説!いまだに解明できない「観測問題」の謎を解く”
16分16秒
1.完全解説!二重スリット実験
2.検証! 二重スリット実験の謎
3.いまだに謎の「観測問題」
4.「観測」とはいったい何なのか
5.この世のものはまるで存在しないのか?
●『ここで非常に重要なことに触れよう。「現実」と「情報」という概念は互いから切り離せないということだ。私たちは現実について知っていること、すなわち情報を使わなければ、現実について語ることすらできない。物理学の歴史において重大な進歩が遂げられたのは、それまで疑う余地なく別物だと信じられてきた概念を切り離すのをやめたときだったという例が目撃されてきた。たとえば相対性理論において「空間」と「時間」という概念を分けるのをやめて、両者を「時空」という一つの概念に統一したのは、重大な進歩だった。「情報」と「現実」という二つの概念も同様だ。しかしこの二つの概念がコインの裏表のようなものとされる未来がどんなものになるのかについては、まだ答えはほとんど出ていない。
アインシュタインが量子力学を批判せずにいられなかったのはなぜか、なぜ量子もつれを「不気味」と言ったのか、その理由が今、明らかになる。彼の考える事実にもとづいた実在とは、私たちとは無関係に本質的な特性を備えている。このように現実と情報が切り離されているというとらえ方は、量子物理学では擁護できそうにない。
結論すれば、私たちの世界は古典物理学が認めていた世界より自由である。その一方で、私たちは古典物理学的世界にいたときよりも強固に世界と結びついている。』
疑問
●疑問だらけの混沌とした状態ですが、特に最後の『私たちは古典物理学的世界にいたときよりも強固に世界と結びついている。』とは「何だろう?」と思いました。
おそらくこれは“量子もつれ”に端を発する「“現実”と“情報”という概念は切り離せない」ということではないかと思います。
そこで、少々乱暴なのですが『古典物理学的世界にいたときよりも強固に世界と結びついている』とタイプして検索してみました。こうして見つけたものが以下の2つになります。何も語ることはできないのですが、面白そうだなと思ったのでご紹介させて頂きます。
こちらの資料はPDF4枚です。
究極の光と物質の相互作用「超強結合」
『光と物質の相互作用は「量子光学」において中心的な概念として研究が進められてきた。量子光学は、微視的な視点から光を捉える、つまり量子力学的な立場から光と物質との相互作用を解明する学問だ。量子光学では、光を光子の集まりとして捉え、光と物質の間のエネルギーの交換を探求するという側面がある。これまでに量子光学の基礎研究によってもたらされた知見は、レーザーや光通信などに関連する、現代では欠かすことのできない技術の基盤を確立してきた。その量子光学において新たなフロンティアとなっているのが、光と物質における「超強結合」と呼ばれる相互作用である。』
『量子力学の世界では、古典物理の世界を構成する中性子、電子、光子といった微粒子について、一つ一つの粒子か、少数の粒子が研究されています。というのも、超微小な世界では、粒子が全く異なる振る舞いをするためです。ですが、研究されている粒子の数を増やしていけば、最終的にもはや自動的に量子として振舞うことをしない数の粒子となり、私たちの日々の世界と同じような古典物理学のものとなります。では、量子力学の世界と古典物理学の世界の境界線というのはどこにあるのでしょう。この度、沖縄科学技術大学院大学(OIST)の研究チームは、この問題への解答を探る過程で、量子力学の現象と考えられていたものが古典物理学で説明できることを示しました。本研究結果はPhysical Review Lettersに報告されました。』
『研究チームは特に、多くの粒子で構成されている物質と、光との相互作用における強結合に関心を持っていました。強結合は、相互作用により、光と物質が双方とも影響されるときに起きる現象です。通常、光と物質が相互作用をする際、光は影響を受けません。例えば、海に浮かぶボートは波の影響を受けますが、海はボートの存在による影響をあまり受けません。強結合というのは、ボート(物質)と波(光)が両方とも相互作用によって強く影響される点で興味深いのです。一般的にこの現象は、量子効果として考えられてきましたが、研究チームは、量子力学の世界と古典物理学の世界の境界を調べることにしたのです。』
『このようにしてチームは、実験で観察した強結合の現象を説明する古典物理学モデルを作り上げることに成功しました。この発見は、大量の粒子における強結合は、以前から考えられていたように量子力学の世界ではなく、古典物理学の世界に分類される可能性があることを意味します。』
ご参考:量子コンピュータ
個人的に興味があるのは、やはり身近な印象の「量子コンピュータ」です。
探してみると非常に多くの動画があるのですが、”半導体で量子コンピュータを作ろう”は理研さまが作成された動画で6分38秒と短くお勧めです。量子ビットが超電導ではなく半導体で作れれば確かに凄い画期的なことだと思いました。
『2050年までに、経済・産業・安全保障を飛躍的に発展させる誤り耐性型汎用量子コンピュータを実現』
第6章 GPUの周辺技術
6.2 CPUとGPU間のデータ転送
・高性能のGPUでゲームをプレイする場合などは描画のために大量のデータをGPUに送り込む必要があるため、CPUとGPUの間のデータ転送速度が非常に重要である。
●NVIDIAのNVLink
・NVIDIAが開発した伝送チャネルで、伝送速度は20Gbit/sでPCI Express3.0の2.5倍の速度である。
●NVIDIA NVSwitch
・NVIDIAが2018年に開発した18ポートのクロスバースイッチで、16台のV100 GPUを相互接続できる。これにより16個のV100 GPUのデバイスメモリが連続した512GBの大きなメモリ空間になるため、どのアドレスでもアクセスしてRead/Writeできる。これによりGPU間でデータコピーする必要がなく処理の分散が容易になる。
第7章 GPU活用の最前線
7.1 ディープラーニングとGPU
・ディープラーニングの計算処理の大部分はGPUが得意な行列の積の計算である。
・NVIDIAは自動運転用のGPUを内蔵したSoCを製品化している。
・自動運転、車の自動化にはAI用のGPUが搭載される可能性がある。
・画像認識はロボットや自動運転車の眼として重要な技術で、従来は画像認識の専門家がシステムを作っていたが、2012年にディープラーニングを使ったシステムが従来のシステムを大幅に上回る成績を達成したことから、画像認識の研究はディープラーニング中心になった。
・認識精度の向上につれて、ニューラルネットワークの規模も拡大されてきている。2020年のOpenAIの自然言語処理システムGPT-3では175B(175兆個)パラメータという巨大モデルが出現している。(GTP-4のリリースは2023年7月、GTP-4 Turboは2023年11月)
●ディープラーニングで使われるニューラルネットワーク
ネットには多くのサイトや動画がありましたが、特にいいなと思ったサイトをご紹介させて頂きます。
『本記事では、膨大なデータを分析・解析を行うためにAIの導入を検討している人向けに、ニューラルネットワークの仕組みや関連用語などを中心に解説します。また、活用事例も紹介するので、今後のAI導入の参考にしてください。』
”ニューラルネットワークとは?仕組みや歴史からAIとの関連性も解説”
『この記事では、ニューラルネットワークの基礎知識から代表的な種類、変遷の歴史まで解説します。AI技術やディープラーニングとの関係についてもわかりやすく説明しますので、AIサービスの研究や開発を検討する際にぜひ参考にしてください。』
”AIビジネスを考える上で押さえておきたい、ニューラルネットワークの実用例30選”
『人工知能分野のニューラルネットワークは、人間の神経回路の仕組みをまねる、機械学習の一手法です。 さまざまな分野でのビジネス利用が活発になり、大きな成果をあげる実例も出ています。』
”大規模言語モデル(LLM)とは? 仕組みや種類・用途など”
『近年ではさまざまな生成AIが登場していますが、そのなかでも注目を集めているものが「大規模言語モデル(LLM)」を活用したものです。以前からコンピューターと対話する形のAIは存在していましたが、大規模言語モデルの登場により、その精度は格段に向上しました。従来の言語モデルと比べて大規模言語モデルはどのような特徴を持つのでしょうか。』
●ディープラーニングで必要な計算とGPU
・推論やディープラーニングの学習も大量の行列と行列の積の計算が必要なので、GPUであればCPUよりはるかに高い処理性能が期待できる。
・ディープラーニングの推論は、16ビットの半精度浮動小数点、あるいは値を適切に量子化すれば、8ビットの固定小数点で計算してもほとんど推論結果には影響がない。
●ディープラーニングでのGPUの活用例
・画像認識は多くの分野で利用が始まっている
-ドローンの眼として画像認識の必要性が高まっており、低電力のGPUのシステムが開発されている。
-セキュリティ用の監視カメラに対し、状況の危険度の判定や通報、不審者の顔認識をすることで大幅に機能を高めることができる。
-医療画像の読影はディープラーニングにより、細かい病変の発見に貢献できる。ただし、医療機器としての活用には大量の事例による有効性の検証が必須である。
・NVIDIAは自動運転に向けたSoCに注力
-自動運転には画像認識が重要であるが、大量の計算が必要である。
-NVIDIAは自動運転を次世代のビジネスの柱として、2019年にDrive AGXOrinを発表した。
-NVIDIAは2000TOPS(Tera Operations Per Second)のコンピュータではレベル5のロボタクシーの実用化を目指している。
-NVIDIAは、AIスパコンを自社に設置し、いろいろな天候や周囲の明るさのシナリオを生成したり、実際には存在していない色々な障害物(子供の飛び出しや、前の車の落とし物など)をシナリオに加えたりして、自動運転システムを学習させてAIの品質改善を続けている。
画像出展:「GPUを支える技術」
7.2 3DグラフィックスとGPU
●VR、ARの産業利用
・VRはVirtual Reality、ARはAugmented Realityである。
●NVIDIAのGRID
・NVIDIAは中央のサーバと仮想化された端末で、各端末のGPUを搭載することなく快適なグラフィックススピードを提供できるNVIDIA GRIDというシステムを提供している。
”仮想デスクトップのグラフィックス処理を高速化「NVIDIA GRID」”
こちらの記事はアセンテック(株)さまからです。
図はNVIDIA GRIDのシステム構成図です。
また、同ページにに”動画:NVIDIA GRID CPU と vGPU の対照比較 ”がありました。(1分19秒)
タイトルは「NVIDIA GRID vGPU vs. CPU Only - Siemens NX Horizon View with VMware Horizon & vSphere」です。
●物理的に複数ユーザーにGPUを分割するMIG
・MIG(Multi Instance GPU)はAmpere A100に付加された機能で、7個のGPUを個別のユーザーに割り当てるもので、他のユーザーの影響をほとんど受けない独立性の高い分割使用環境を実現する。
7.4 スーパーコンピュータとGPU
●世界の上位15位までのスーパーコンピュータの状況
・スーパーコンピュータの世界には、TOP500という性能ランキングがある。
・GPUの課題はプログラミングが難しいことがある。
『TOP500 プロジェクトは、7 年間使用されていたマンハイム スーパーコンピュータの統計を改善および更新するために 1993 年に開始されました。
当社のシンプルな TOP500 アプローチでは、「スーパーコンピューター」そのものを定義しませんが、ベンチマークを使用してシステムをランク付けし、TOP500 リストに入る資格があるかどうかを決定します。 』
こちらの記事は「ITmedia」さまより拝借しました。
『同社が独自に開発したデータセンター規模のスーパーコンピュータ「Eos」をブログと動画で披露しました。 』
写真をクリック頂くと、動画“Eos: The Supercomputer Powering NVIDIA AI's Breakthroughs”がご覧頂けます。(2分8秒)
第8章 ディープラーニングの台頭とGPUの進化
8.2 各社のAIアクセラレータ
●GoogleのTPU
・Googleはデータセンターの負荷が2倍になった場合、それをCPUの増設で対応するのは高コストのため、ディープラーニングの計算を効率的に行うことができるハードウェアの開発に着手した。
・Googleは学習時間を短縮するため、多数のTPU(Tensor[線形的な量または線形的な幾何概念を一般化したもの] Processing Unit)をネットワークで接続したマルチTPUのディープラーニング用のスーパーコンピュータを作ることになった。
画像出展:「GPUを支える技術」
右端が演算回路部分で、重みを供給する重みFIFO(First In First Out) 、行列積を計算するマトリクス乗算ユニットMXU(Matrix Multiply Unit)がある。
●NVIDIAのTensorコア
・計算回数に比べメモリアクセス回数が少なく、メモリアクセスがボトルネックにならず演算性能を出しやすい。
『NVIDIA A100 Tensor コア GPU は、あらゆる規模で前例のない高速化を実現し、AI、データ分析、および HPC 向けの世界で最も性能能力の高いエラスティック データ センターを強化します。』
●Habana LabsのGoyaとGaudi
・Habana LabsはイスラエルのAIチップメーカーだが、2019年12月にIntelに買収された。
・Goyaはデータセンター向けの推論アクセラレータ、Gaudiはデータセンター向けの学習アクセラレータである。
8.3 ディープラーニング/マシンラーニングのベンチマーク
●MLPerfベンチマーク
・MLPerfはディープラーニングの実行性能を測るベンチマークである。
『学界、研究機関、業界の AI リーダーたちによるコンソーシアムである MLCommons によって開発された MLPerf™ ベンチマークは、ハードウェア、ソフトウェア、サービスの学習と推論の性能を公平な評価を提供するように設計されています。』
“NVIDIA、MLPerf ベンチマークで生成 AI トレーニングを飛躍的に加速”
『10,752 基の NVIDIA H100 Tensor コア GPU と NVIDIA Quantum-2 InfiniBand ネットワーキングを搭載した AI スーパーコンピューターである NVIDIA Eos は、1,750 億のパラメーターを持つ GPT-3 モデルを10 億のトークンでトレーニングするベンチマークを、わずか 3.9 分で完了しました。』
8.4 エクサスパコンとNVIDIA、Intel、AMDの新世代GPU
●NVIDIAのAmpere A100 GPU
・GoogleのTPUはディープラーニングの学習と推論計算を効率よく実行する専用チップだが、NVIDIAのA100 GPUはグラフィックスや科学技術計算、データ解析、クラウドゲーミング、遺伝子解析などさまざまな用途のアクセラレータとして使えるように設計されている。
画像出展:「GPUを支える技術」
●Intelは新アーキテクチャのXe GPUを投入
・グラフィックスの世界はNVIDIAとAMDの独占状態だったが、グラフィックスだけでなく科学技術計算やディープラーニングの分野でも広く使われるようになってきて、Intelの牙城であるデータセンターをNVIDIAやAMDのGPUが侵食してきている。
●AMDは新アーキテクチャCDNA GPU開発へ
・AMDは2020年11月に大規模科学技術計算やディープラーニング計算をターゲットとするCDNAアーキテクチャを発表し、Instinct MI100 GPUを発表した。
8.5 今後のLSI、CPUはどうなっていくのか?
●微細化と高性能化
・現状で微細なパターン描画の最大の障害は光の波長である。
・EUV波長で乱れのない凹面反射鏡のレンズは特殊技術が必要で、ドイツのZEISS(ツァイス)は作ることができる。そして、このレンズを使うEUVの露光機を作れる会社はオランダのASMLである。
・微細化はスローダウンしながらも進歩している。しかし、厚みは薄くても高い電圧に耐える絶縁膜材料を探すというアプローチは原理的には可能だが、加工法などを含めて代替になる新材料の開発には長い時間が掛かるため、険しい道と考えられている。
『EUV露光は、7nm以降の微細回路パターンをシリコンウェーハ上に転写(露光)するための技術として、2019年に台湾のTSMCによって初めて量産投入された技術である。』
●チップレットと3次元実装
・業界で期待されているのは3次元実装である。なかでも一番実用化が進んでいるのがHBM(High Bandwidth Memory)である。
“「HBM(High Bandwidth Memory)」とは”
“NVIDIA、HBM3eメモリ採用の次世代GH200を発表”
●CPUはどうなっていくのか
・CPUは量的にはスマートフォンなどのSoCに使われるのが大部分である。また、IoTも主要なCPUユーザーになっていくと考えられる。一方、売り上げや利益の面では、クラウドサービスを提供する大規模データセンターがCPUの主要なユーザーである。従って、この2つの分野に向けてCPU開発が行われていくと考えられる。一方、ArmアーキテクチャのCPUをデータセンターに使おうという動きもある。その代表がAmazonのAWS Graviton CPUである。AmazonはArmのNeoverseアーキテクチャのデータセンター用のCPUを自社で開発し、使用している。
・Armアーキテクチャはサーバ市場における普及の入り口に立っているかもしれない。
8.7 まとめ
・重要なことはCPUとGPUは適材適所で仕事を分担することである。微細化はかなり進んできており、微細化だけで約10倍のトランジスタが使えるようになると予想されている。さらに3次元実装を組み合わせれば、さらに10倍以上はいけるので、CPU、GPUには大きな進化の余地は残っている。一方、大きな問題は発熱で、これには消費電力を減らすことが最も重要になる。そのために、半導体技術、回路設計技術、論理設計技術、アーキテクチャの各分野で努力が続けられている。
・GPUメーカーは並列プログラミングとCPU-GPU分離メモリから生じるプログラミングの難しさの軽減にも取り組んでいる。そして、GPUの使用分野の拡大にも力を入れており、ますます私たちの生活の中に入り込んできている。
・『本書では、GPUとはどのようなものなのか、なぜ計算性能がCPUより格段に高いのか、GPUのプログラミングはどのようにするのか、さらにニューラルネットワークの計算はどのように行われるのかなどの基本事項とともに、最新の話題や将来の見通しを含めてGPUについて解説しました。』
感想
第1章に「文字だけでなく図が加わると、情報の伝達が飛躍的に容易になる」ということが書かれており、「これだ!」と思いました。
例えば、営業でプレゼンテーションを行う場合、文字だけでなく図や表、あるいはイラストや動画などを使って効果的に説明します。また、理解する側の立場にたっても、特に目新しいことについては、文字情報だけでは理解が難しいということが多々あります。ブログの冒頭にご紹介した設計システムのCADも、2次元の製図より3次元の立体モデルの方が、デザイン、設計、製造など開発・生産の各工程に関わる人の理解を助けます。
人の気持ちを理解する場合、特に隠れた「気持ち」は微妙に表情に出ることが多く、言葉に加え目からもたらされる視覚情報は、その人の気持ちや考えを深く理解する上で、非常に役に立ちます。これらは“非言語コミュニケーション” と言われています。
画像出展:「GPUを支える技術」
上記はNVIDIAの資料で、GPUの主な用途が紹介されています。これらのコンピューティングには文字だけでなく、画像や映像の情報処理が強く求められます。
個人的には、AIはニューラルネットワ-クという新しいコンピュータ言語によるITの革新のように思っていましたが、それに加えて、非言語コミュニケ-ションのコンピュータ化という側面もあるように感じました。
ご参考:【GTC】2024年3月18日-21日
NVIDIAが3月18日から21日までの4日間、カリフォルニア州サンノゼの サンノゼ マッケンナリー コンベンション センターでカンファレンスを行いました。興味があったので登録してみたところ、毎日メールが届き、以下のようなサイトに案内されました。
“GTC March 2024 Keynote with NVIDIA CEO Jensen Huang”
まさに『産業の米、AIの米』だと思いました。クラウドAIからエッジAI、そして、開発支援、トレーニング(学習)など、AIの全てを網羅しているという感じです。
※医療(Healthcare):“Healthcare Reimagined with Artifi” 1分35秒
※ロボット:“NVIDIA Robotics: A Journey From AVs to Humanoids” 3分42秒
※自動運転:”NVIDIA AI Tools for Autonomous Vehicle Developers” 2分23秒
※3D共同開発プラットフォーム:“NVIDIA Omniverse Cloud APIs on Microsoft Azure” 1分36秒
※CEO ジェンスン・フアン:“Jensen Huang, Founder and CEO of NVIDIA” 56分26秒
News(2024年7月26日):“中国「無人タクシー」急増 実際に乗ってみた” (YouTube 5分47秒)
画像出展:「中国で「無人タクシー」が急増 実際に乗ってみた(FNNプライムオンライン)」
なんと、中国では既に無人タクシーの営業が始まっていました。北京、重慶、広州市など全国4カ所で営業スタート。2025年までに中国の全国で無人タクシーを導入したいとのことです。
日本では過疎化する高齢者地域の交通手段として、とても魅力的ではないかと思いました。
ご参考(2024年9月12日):GPUを取り巻く新しい動き(AIを加速させる新しい技術や取り組み等が動いています)
こちらは、週刊エコノミスト2020年2月4日号です。AIチップの動きは、ここ1、2年の動向かと思っていましたが、もっと前からの動きでした。
『最初の口火を切ったのはグーグルだ。2016年5月、エヌビディアのGPUよりも消費電力が1ケタ小さいAIチップ「TPU(テンソル・プロセッシング・ユニット)を開発し、2015年から自社のクラウドで検索エンジンに使っていたことを明らかにした。省エネの鍵となったのは、演算精度を16ビットから8ビットへ半分に落としてもAIの性能はほとんど変わらず、消費電力は1ケタ小さくなるのを見いだしたことだった。TPUはその後も改良を重ね、2018年にはクラウドでなく、端末に組み込む「エッジTPU」も発表している。TPU以降、性能に支障ない範囲でいかに演算精度を下げて消費電力を抑えるかが、開発競争の中心になっていった。』
1.AI ASICチップ: ハイテク大手のAI軍拡競争における次のフロンティア
3.ASIC市場の革新と未来: 最新トレンドと成功事例に学ぶ2024年の展望
4.密かに進化するAIチップ IT/半導体業界は半世紀に1度の大変革か?
5.AMD・Intel・Google・Microsoft・MetaなどがNVIDIA対抗のAIアクセラレータ相互接続規格の開発に向けて業界団体を設立
6.胎動する「ポストGPU」、NVIDIAのボトルネック狙う米スタートアップの最終兵器
→d-Matrix:AIを持続不可能なものから実現可能なものに変える。
第2章 GPUと計算処理の変遷
2.1 グラフィックとアクセラレータの歴史
・2020年11月時点では、スーパーコンピュータの性能をランキングするTOP500リストの中で、147システム(約30%)がGPUをベースとする計算アクセラレータを使っている。
画像出展:「NVIDIA」
『世界の最高峰のスーパーコンピュータは、これまでより高速になっているだけではありません。よりスマートになっており、多様なワークロードにも対応しています。SC20で発表された、世界最速のスーパーコンピュータ TOP500リストのうちおよそ70%、および上位10システムのうちの8システムでNVIDIAのテクノロジが採用されています。』
“Eos: The Supercomputer Powering NVIDIA AI's Breakthroughs” Youtube 2分7秒
2.3 GPUの科学技術計算への応用
●CUDAプログラミング環境
・GPUの性能を生かすには従来のOpenGLでは限界があった。これに対し、NVIDIAは科学技術計算プログラムを記述するCUDA言語とそのコンパイラやデバッガツールを提供した。
第3章 [基礎知識]GPUと計算処理
3.1 3Dグラフィックスの基本
・3次元(3D)のモデルを表示するプログラム言語はOpenGL(GLはGraphics Languageの意味)とDirectXが標準的に用いられている。前者は業界標準のKhronos Groupが管理している。後者はマイクロソフトがWindowsのゲームなどを買い開発するために作った規格である。
●[基礎知識]OpenGLのレンダリングパイプライン
・レンダリングとはデータを処理もしくは、演算により画像や映像として表示させることである。そして、モデルデータの入力から出力までの加工手順のことを、レンダリングパイプラインという。
ご参考:床井研究室 (和歌山大学の床井浩平先生だと思います)
この床井先生のホームページに知りたいことが書かれていました。それはグラフィック処理におけるソフトウェアとハードウェアの共同作業ということです。
レンダリングパイプライン
形状データから画像を生成する方法は、サンプリングによる方法(レイキャスティング法、レイトレーシング法)とラスタライズによる方法(デプスバッファ法、スキャンライン法など)の二つに大別されます。後者は座標変換により形状データのスクリーンへの投影像を求め、それを走査変換によりスクリーン上で画素に展開(ラスタライズ)して画像を生成します。これはおおよそ以下の手順に整理されており、レンダリングパイプラインと呼ばれています。
画像出展:「床井研究室」
『形状データから画像を生成する方法は、サンプリングによる方法 (レイキャスティング法、レイトレーシング法) とラスタライズによる方法 (デプスバッファ法、スキャンライン法など) の二つに大別されます。後者は座標変換により形状データのスクリーンへの投影像を求め、それを走査変換によりスクリーン上で画素に展開 (ラスタライズ) して画像を生成します。これはおおよそ図の手順に整理されており、レンダリングパイプラインと呼ばれています。』
画像出展:「床井研究室」
『最初、この手順はソフトウェアで実装されていました。しかし、CG というのは何らかの計算結果を画像化することが目的なので、画像化の作業にもCPUを使うことは無駄だと考えられました。そこで最初に、単純な整数計算とメモリアクセスの繰り返しである走査変換が、専用のハードウェアで実現されました。これにより画像生成の速度が劇的に向上したとともに、CPUは画像化の作業から開放され計算に専念できるようになりました。 』
画像出展:「床井研究室」
『モデリング変換や視野変換(この二つはまとめてモデルビュー変換とも呼ばれます)、および投影変換といった座標変換や、陰影計算 (shading) には、実数計算が含まれます。しかし、高速な実数計算ハードウェアはコストが高かったので、当初グラフィックスハードウェアには搭載されていませんでした (32bit CPU でも初期のものには内蔵されていませんでした)。この部分をハードウェアで実装したこと(ハードウェア T&L-Transform and Lighting) によって、リアルタイム3D CG が本格的に利用されるようになってきました。 』
画像出展:「床井研究室」
『レンダリングパイプラインの処理内容はここまであまり変化してこなかったので、ハードウェア化はレンダリングパイプラインの各段階の機能をハードウェアで実現する形で行われました(固定機能ハードウェア)。このため新しい機能が必要になるたびに、それを実現するハードウェアが追加されてきました。しかしCGの応用が広がり多様な表現が要求されるようになってくると、こうして機能を追加することが難しくなってきました。
そこで、機能を追加する可能性がある部分をプログラム可能にして、ソフトウェア的に機能を拡張できるようにすることが考えられました。それまで座標計算と(頂点の)陰影計算を担当していたハードウェアはバーテックスシェーダに置き換えられ、走査変換により選ばれた画像の各画素の色を頂点の陰影の補間値やサンプリングしたテクスチャの値を合成(マージ)して決定していたハードウェアはフラグメントシェーダに置き換えられました。また、フラグメントシェーダから光源情報や材質情報を参照することや、テクスチャをバーテックスシェーダから参照すること (vertex texture fetch) も可能になりました。』
画像出展:「床井研究室」
『さらに、それまでアプリケーションソフトウェア側で行われていた基本形状(点, 線分, 三角形)の生成の一部を、グラフィックスハードウェア側で行うことができるようにもなりました。これにより、アプリケーションソフトウェア(CPU)からグラフィックスハードウェアに送られる形状データの量を減らしながら、より高品質な形状の表現が行えるようになりました。これはジオメトリシェーダにより行われます。なお、ジオメトリシェーダの利用はオプションなので、使用しなくてもかまいません。 』
●フラグメントシェーダ
・OpenGLではフラグメント、DirectXではピクセルと呼ばれている。フラグメントシェーダはフラグメントの色と奥行き方向の位置を計算するシェーダ(陰影処理を行うプログラム)である。
・Zバッファは奥行き方向の座標(Z座標)を記憶する機構である。
・ブレンディングは半透明のための処理のことである。
・テクスチャマッピングはテクスチャを立体の表面に張り付ける手法である。
・ライティングは光の当たり具合、反射、光源である。
・フラグメントシェーディングは各ピクセルの明るさや色を計算すること。平面はフラットシェーディング、面の継ぎ目が目立たないようにしたのがグローシェーディングである。
・レイトレーシングは反射した光の光路を計算し、反射による映り込みを表現する。
3.2 グラフィック処理を行うハードウェアの構造
・OpenGLやDirectXで書かれたプログラムを高速で処理するのは、ハードウェアが必要である。IntelのPC用プロセッサであるCoreiシリーズプロセッサは、CPUチップの中にGPUコアを内蔵している。また、グラフィックスボードは画像処理に特化した計算を行うGPUを搭載している。
こちらは2012年のものなので、内容は古いのですが35年前(1989年)を起点に考えると約20年間の歩みが分かるので、私にとっては貴重な資料でした。(PDF11枚)
『3次元コンピュータグラフィックスをレンダリングするためには非常に多くの演算を必要とする。従来はCPU(Central Processing Unit)上でそれらの計算を行っており、計算コストが非常に高いという問題があった。そのために、産業分野などで3次元レンダリングが必要な場合には SGI(Silicon Graphics Interface)など、3次元演算専用のハードウェアを搭載した高価なワークステーションを用いていた。
一方、1999年8月にNVIDIAからGeForce256という、パーソナルコンピュータ(PC)向けグラフィックスボードが発表された。これは、PC上で1500万ポリゴン/秒及び4億8000万ピクセル/秒の描画速度を実現した。NVIDIAは、このようなグラフィック処理を行うハードウェアを GPU(Graphic Processing Unit)と呼ぶようになった。』
3.3 [速習]ゲームグラフィックとGPU
●PlayStationとセガサターンが呼び込んだ3Dゲームグラフィック・デモクラシー
・今ではNVIDIAとAMD(当時はATI Technologies)の二強時代だが、1990年代後半は数十社のメーカーがPC向けの独自のグラフィックスハードウェア製品をリリースしていた。なかでも一時代を築いたのが3dfx Interactiveで、Voodooシリーズと呼ばれるグラフィックスハードウェア製品は当時のPCゲームファンの間に絶大な人気を博していた。
画像出展:「GPUを支える技術」
ゲームには無縁の私でしたが、Voodoo PC
の名前は知っていました。
3.4 科学技術計算、ニューラルネットワークとGPU
●科学技術計算の対象は非常に範囲が広い
・科学技術計算の範囲は非常に広いが、それらに共通していることは解析しようとする現象の物理モデルを作り、そのモデルを使って現象がどのように変化していくかを計算で求めるという点である。
・スーパーコンピュータの「富岳」の課題は9つである(文部科学省の資料より)
1)生体分子システムの機能制御による革新的創薬基盤の構築
2)個別化/予防医療を支援する統合計算生命科学
3)地震/津波による複合災害の統合的予測システムの構築
4)観測ビッグデータを活用した気象と地球環境の予測の高度化
5)エネルギーの高効率な創出、変換/貯蔵、利用の新規基盤技術の開発
6)革新的クリーンエネルギーシステムの実用化
7)次世代の産業を支える新機能デバイス/高性能材料の創成
8)近未来型ものづくりを先導する革新的設計/製造プロセスの開発
9)宇宙の基本法則と進化の解明
●科学技術計算と浮動小数点演算
・お金の計算や在庫の計算などは整数が良いが、科学技術計算では非常に大きい数や非常に小さい数が出てくるため、浮動小数点演算が必要になる。
●ディープラーニングに最適化された低精度浮動小数点数
・ディープラーニングではニューラルネットワークが使われるが、入力信号に重みを掛けさらに全入力の信号の総和をとる方式のため、多少の誤差は問題にならない。そのため、半精度で問題ないと考えられている。現在では、NVIDIA、AMD、Intelが半精度浮動小数点演算をサポートしている。
3.5 並列計算処理
・2005年頃からCPUのクロック(周波数)は消費電力の問題から頭打ちとなり、各メーカーはプロセッサのコア数を増やして性能を上げる方向に舵を切った。
●GPUのデータ並列とスレッド並列
・並列処理にはそのためのプログラムが必要になる。
・1つの命令で複数のデータを処理する方式(SIMD)だが、GPUが使っているのはSIMT(Single Instruction, Multiple Thread)であり、各スレッドが1つの仕事を担当し、複数のスレッドを並列に実行するという方法である。
3.6 GPUの関連ハードウェア
●デバイスメモリに関する基礎知識
・標準的なGPUで4~8GB、ハイエンドのGPUで12~24GB。
●CPUとGPUの接続
・GPUではOSを動かさない。これは割り込みやセキュリティ機能の不足もあるが、1番の問題は並列処理では難しい命令を高速処理することができないためである。このため、科学技術計算の入力データなどはCPUに読んでもらう必要があり、CPUとGPUの共同作業になる。
・NVIDIAが開発したのはNVLinkとNVSwitchである。
画像出展:「GPUを支える技術」
中央がNVSwitchです。
第4章 [詳説]GPUの超並列処理
・GPUはグラフィック処理を高速に実行する目的で開発されたが、その後、科学技術計算やAIのディープラーニングなどにも活用されるようになった。
4.2 GPUの構造
・GPUと300Wを消費するハイエンドGPU(NVIDIAとAMDが市場を二分する)と数Wのスマートフォン用SoCのGPUでは作りは異なる。
●NVIDIA Turing GPUの基礎知識
・NVIDIAはユニファイドシェーダ化やCUDAプログラミング言語の開発など、科学技術計算の先頭を走ってきた。さらに、ディープラーニングへのGPUの適用、自動運転車へのGPUの適用という新しい分野でも先頭を走っている。
・TuringアーキテクチャのGPUチップは「TU」が付けられ、番号は「100」が科学技術計算用の高性能チップとなっている。
●NVIDIAのTensorコア
・GoogleがTPUを自社開発し、ディープラーニング演算の性能を高めたのと時を同じくして、NVIDIAはVolta GPUの行列乗算用の演算ユニットであるTensorコアを搭載した。
4.3 AMDとArmのSIMT方式のGPU
●AMD RDNAアーキテクチャGPU
・AMDが2012年に発表したGPUはGCN(Graphics Core Next)というアーキテクチャを使ってきたが、2019年11月にRDNA(Radeon DNA)を発表し、性能/電力を50%改善したとした。
4.4 GPUの使い勝手を改善する最近の技術
●ユニファイドメモリアドレス
・ユニファイドメモリアドレスはCPUのメモリとGPUのメモリに重複しないメモリアドレスを割り当て、アドレスを見ればそれがCPUメモリかGPUかを識別できるというもの。
●NVIDIA Pascal GPUのユニファイドメモリ
・NVIDIAはPascal GPUで、ユニファイドメモリアドレスを一歩進めて、あたかもCPUとGPUが共通にアクセスできるメモリのように動作するユニファイドメモリという機能をサポートした。
4.5 エラーの検出と訂正
・宇宙線に起因する中性子の衝突で電子回路はエラーを起こす。グラフィックでは問題にならないが科学技術計算では計算途中で起こった1回のエラーが最終の計算結果を誤らせるということが起こる。問題はエラーが起こったかどうかが分からないと計算結果を信用できないということである。
●科学技術計算の計算結果とエラー
・エラーが発生していないことを100%保証することはできない。そこでエラーを見逃すことがほとんどないというシステムを作ることが重要になる。
・「エラーが起こっていない」=「エラーが起これば検出できる」という機能が必須である。
第5章 GPUプログラミングの基本
5.1 GPUの互換性の考え方
・CPUは上位互換が一般的だが、GPUはまだ発展途上の技術のためハードウェアの変更が多く、CPUのような上位互換の実現は難しい。
●ハードウェアの互換性、機械語命令レベルの互換性
・CPUの世界ではIntelのCPUとAMDのCPUは命令互換のため、Intel用とかAMD用はない。
・IBMのPOWERやArmのプロセッサ、あるいはRISC-Vの間ではハードウェアの互換性はないため、それぞれに専用のバイナリ(機械命令)プログラムを使う必要がある。
・スマートフォンなどで使われているAndroidは仮想マシンの技術を使って、異なるアーキテクチャのプロセッサを仮想的に同じハードウェアに見せることで互換性を実現している。
●GPU言語レベルの互換性
・CUDAやOpenCLという言語は多くの場合、C言語で開発されている。CUDAはNVIDIA独自の言語だが、OpenCLは業界標準のプロセッサ言語である。
5.2 CUDA[NVIDIAのGPUプログラミング環境]
・CUDAはGPUのプログラミングに必要な最低限の機能を、C言語に追加するというアプローチで開発された。
●NVIDIA GPUのコンピュート能力
・NVIDIAはそれぞれのGPUについてコンピュート能力という値を公表している。コンピュート能力はSM(Streaming Multiprocessor)の機能を公表している。
画像出展:「GPUを支える技術」
5.5 OpenMPとOpenACC
・C言語などで書かれたソースコードに、この部分はGPUを使って並列実行といった指示を書き加えるだけでGPUを使う並列プログラムを作ろうというのがOpenACC(ACCはAccelerator)やOpenMP(Multi-Processor)である。
設計システムはCAD(Computer Aided Design)と呼ばれています。入社後、営業管理部門から希望して移動した営業部門は、機械系設計のCADシステムや解析(CAE)システムなどを販売する部門でした。
ドイツで開発されたCADのソフトウェアは2次元の設計・製図システムがME10、3次元の立体モデルの設計システムがME30という名称でした。ざっと35年前の恐ろしく昔の話です。このME30というシステムはソフトウェアとハードウェアで1システム2,000万円以上、年間10台~15台売ればノルマ達成という感じでした。
画像出展:「Yahoo Auction」
現代では想像もできないような価格ですが、このME30という3次元CADにはSRXというグラフィックエンジンを搭載した特別仕様のEWS(エンジニアリングワークステーション)が必要なため、これだけで1,000万円以上していたと思います。
おそらく、当時のグラフィック処理をするエンジンが、NVIDIAなどが開発するGPUにつながったのだと思います。GPUはGraphics Processing Unitという名の通りグラフィックス処理用の半導体チップですが、同時に様々なソフトウェアの技術革新もあったのだろうと思います。
そして、そのグラフィック処理エンジンから派生する様々な革新が、AIの土台となるニューラルネットワークなど、新しいITの世界を切り開こうとしているように見えます。そこにはどんな歩みがあったのか、将来の可能性はどのようなものなのか、多くの発見があると期待しこの本を購入しました。
著者:Hisa Ando
第2版発行:2021年3月
出版:(株)技術評論社
目次 (大項目と中項目だけを書き出しています)
第1章 [入門]プロセッサとGPU
1.1 コンピュータシステムと画像表示基盤
●コンピュータ画像で表示するしくみ
●画像を表示するディスプレイ
●液晶ディスプレイ
-Column プロセッサの構造と動き
●フレームバッファとディスプレイインターフェース
1.2 3Dグラフィックスの歴史
●初期のグラフィックス
●コンピュータグラフィックスの利用の広がり
●3次元物体のモデル化と表示
1.3 3Dモデルの作成
●張りぼてモデルを作る
●マトリクスを掛けて位置や向きを変えて配置を決める
●光の反射を計算する
1.4 CPUとGPUの違い
●GPUは並列処理で高い性能を実現する
●GPUの出現
●GPUコンピューティングの出現
-整数と浮動小数点数
●GPUは超並列プロセッサ
●CPUはGPUのヘテロジニアスシステムと、抱える問題
1.5 ユーザーの身近にあるGPUのバリエーション
●携帯機器向けのGPU
●CPUチップに内蔵されたGPU
●ディスクリートGPUとグラフィックスワークステーション
1.6 GPUと主な処理方式
●共通メモリ空間か、別メモリ空間か
●フルバッファ方式か、タイリング方式か
●SIMD方式か、SIMT方式か
1.7 まとめ
-Column プロセッサと半導体の世代
第2章 GPUと計算処理の変遷
2.1 グラフィックとアクセラレータの歴史
●グラフィック処理ハードウェアの歴史
●アーケードゲーム機
●家庭用ゲーム機
●グラフィック
2.2 グラフィックボードの技術
●2Dの背景+スプライト
●BitBLT
●2Dグラフィックアクセラレータ
●3Dグラフィックスアクセラレータ
2.3 GPUの科学技術計算への応用
●ユニファイドシェーダ
●GPUで科学技術計算
●科学技術計算は32ビットでは精度不足
●CUDAプログラミング環境
●エラー検出、訂正
-Column ムーアの法則と並列プロセッサ
2.4 並列処理のパラダイム
●GPUの座標変換計算を並列化する
●MIMD型プロセッサ
●SIMD型プロセッサ
●SIMD実行の問題
●SIMT実行
-Column ARMv7のプレディケート実行機能
2.5 まとめ
第3章 [基礎知識]GPUと計算処理
3.1 3Dグラフィックスの基本
●[基礎知識]OpenGLのレンダリングパイプライン
●フラグメントシェーダ
●サンプルごとのオペレーション
3.2 グラフィック処理を行うハードウェアの構造
●Intel HD Graphics Gen9 GPUコア
3.3 [速習]ゲームグラフィックとGPU
●【ハードウェア面の進化】先端3Dゲームグラフィック・デモクラシー
●PlayStationとセガサターンが呼び込んだ3Dゲームグラフィック・デモクラシー
●DirectX 7時代
●プログラマブルシェーダ時代の幕開け
●【ソフトウェア面の進化】近代ゲームグラフィックにおける「三種の神器」
●【光の表現】法線マッピング
●【影の表現】最新のGPUでも影生成の自動生成メカニズムは搭載されていない
●【現在主流の影表現】デプスシャドウ技法
●HDRレンダリング
●HDRレンダリングがもたらした3つの効能
●ジオメトリパイプラインに改良の兆し
●DirectX Raytracing(DXR)
●DirectX Raytracingのパイプライン
3.4 科学技術計算、ニューラルネットワークとGPU
●科学技術計算の対象は非常に範囲が広い
●科学技術計算と浮動小数点演算
●浮動小数点演算の精度の使い分け
●ディープラーニングに最適化された低精度浮動小数点数
3.5 並列計算処理
●GPUのデータ並列とスレッド並列
●3Dグラフィックスの並列性
●科学技術計算の並列計算
3.6 GPUの関連ハードウェア
●デバイスメモリに関する基礎知識
●CPUとGPUの接続
●電子回路のエラーメカニズムと対策
3.7 まとめ
第4章 [詳説]GPUの超並列処理
4.1 GPUの並列処理方式
●SIMD方式
●SIMT方式
4.2 GPUの構造
●NVIDIA Turing GPUの基礎知識
●NVIDIA GPUの命令実行のメカニズム
●多数のスレッドの実行
●SMの実行ユニット
●NVIDIAのTensorコア
-Column ディープラーニングの計算と演算精度
●GPUのメモリシステム
-Column RISCとCISC
●ワープスケジューラ
●プレディケート実行
4.3 AMDとArmのSIMT方式のGPU
●AMD RDNAアーキテクチャGPU
●スマートフォン用SoC
●Arm Bifrost GPU
4.4 GPUの使い勝手を改善する最近の技術
●ユニファイドメモリアドレス
●NVIDIA Pascal GPUのユニファイドメモリ
●細粒度プリエンプション
4.5 エラーの検出と訂正
●科学技術計算の計算結果とエラー
●エラー検出と訂正の基本のしくみ
●パリティエラーチェック
●ECC
●強力なエラー検出能力を持つCRC
●デバイスメモリのECCの問題
-Column ACEプロトコルとACEメモリデバイス
4.6 まとめ
第5章 GPUプログラミングの基本
5.1 GPUの互換性の考え方
●ハードウェアの互換性、機械語命令レベルの互換性
●NVIDIAの抽象化アセンブラPTX
●GPU言語レベルの互換性
5.2 CUDA[NVIDIAのGPUプログラミング環境]
●CUDAのC言語拡張
●CUDAプログラムで使われる変数
●デバイスメモリの獲得/解放とホストメモリとのデータ転送
●[簡単な例]行列積を計算するCUDAプログラム
●CUDAの数学ライブラリ
●NVIDIA GPUのコンピュート能力
●CUDAのプログラムの実行制御
●CUDAのユニファイドメモリ
●複数CPUシステムの制御
5.3 OpenCL
●OpenCLとは
●OpenCLの変数
●OpenCLの実行環境
●カーネルの実行
●OpenCLにおけるメモリ
●OpenCLのプログラム例
5.4 GPUプログラムの最適化
●NVIDIA GPUのグリッドの実行
●メモリアクセスを効率化する
●ダブルバッファを使って通信と計算をオーバーラップする
5.5 OpenMPとOpenACC
●OpenMPとOpenACCの基礎知識
●NVIDIAが力を入れるOpenACC
●OpenMPを使う並列化
●OpenACCとOpenMP
5.6 まとめ
第6章 GPUの周辺技術
6.1 GPUのデバイスメモリ
●DRAM
6.2 CPUとGPU間のデータ転送
●PCI Express
●NVIDIAのNVLink
●IBMのCAPI
●NVIDIA NVSwitch
6.3 まとめ
-Column AMD HIP
第7章 GPU活用の最前線
7.1 ディープラーニングとGPU
●ディープラーニングで使われるニューラルネットワーク
●ディープラーニングで必要な計算とGPU
●ディープラーニングでのGPUの活用例
7.2 3DグラフィックスとGPU
●自動車の開発や販売への活用
●建設や建築での活用
●Nikeのスポーツシューズの開発
●VR、ARの産業利用
●NVIDIAのGRID
●物理的に複数ユーザーにGPUを分割するMIG
7.3 スマートフォン向けのSoC
●Snapdragon 865とSnapdragon 835
7.4 スーパーコンピュータとGPU
●世界の上位15位までのスーパーコンピュータの状況
●スーパーコンピュータ「富岳」
●Preferred Networksのスーパーコンピュータ「MN-3」
7.5 まとめ
-Column Apple M1とそのGPU
第8章 ディープラーニングの台頭とGPUの進化
8.1 ディープラーニング用のハードウェア
●ディープラーニング用のハードウェア
●低精度並列計算で演算性能を上げる
8.2 各社のAIアクセラレータ
●GoogleのTPU
●NVIDIAのTensorコア
●LeapMindのEfficiera
●Habana LabsのGoyaとGaudi
-Column RoCE Remote DMA on Converged Ethernet
●システムの拡張性
●ArmのMLプロセッサ
●CerebrasのWafer Scale Engine
8.3 ディープラーニング/マシンラーニングのベンチマーク
●ILSVRCの性能測定
●MLPerfベンチマーク
●MLPerfの学習ベンチマーク
●MLPerfの推論ベンチマーク
●MLPerfに登録された学習ベンチマークの測定結果(v0.7)
●MLPerfに登録された推論ベンチマークの測定結果(v0.7)
8.4 エクサスパコンとNVIDIA、Intel、AMDの新世代GPU
●Perlmutter
●NVIDIAのAmpere A100 GPU
●Intelは新アーキテクチャのXe GPUを投入
●AMDは新アーキテクチャCDNA GPU開発へ
8.5 今後のLSI、CPUはどうなっていくのか?
●微細化と高性能化
●チップレットと3次元実装
●CPUはどうなっていくのか
●高性能CPUの技術動向
●機械学習を使う分岐予測
●演算性能を引き上げるSIMD命令
8.6 GPUはどうなっていくのか
●GPUの今
●GPUの種類
●消費電力の低減
●アーキテクチャによる省電力設計
●回路技術による省電力化
8.7 まとめ
第1章 [入門]プロセッサとGPU ※GPU:Graphics Processing Unit
1.1 コンピュータシステムと画像表示基盤
●コンピュータ画像で表示するしくみ
・コンピュータはプログラムを実行し、フレームバッファ(メモリ)にデータを書き込む。動画はフレームをパラパラ漫画のようにして表示する。
・表示専用のメモリはVRAM(Video RAM)と呼ばれる。
・フレームバッファをディスプレイに表示するためには、ディスプレイインターフェースが必要である。
・複雑な画像の場合、データ生成、フレームバッファの書き込みには多くの計算とメモリアクセスが必要であり、高速に表示、描画させるためにプロセッサ(CPU)を補助する専用チップが開発された。これらはビデオチップや、グラフィックアクセラレータと呼ばれてきた。
●画像を表示するディスプレイ
・昔はブラウン管(CRT:Cathode Ray Tube)という一種の真空管が使われていた。現在は液晶ディスプレイや有機EL(Electro-luminescence)が使われている。
●フレームバッファとディスプレイインターフェース
・最近のGPUは表示機能、描画機能に加えてビデオのデコードやエンコード機能を内蔵しており、今はディスプレイインターフェース専用のチップは過去のものとなっている。
1.2 3Dグラフィックスの歴史
・文字だけでなく図が加わると、情報の伝達が飛躍的に容易になる。
●コンピュータグラフィックスの利用の広がり
・汎用コンピュータや専用の画像処理プロセッサの能力が向上するにつれて、より高度な画像表示ができるようになった。
・コンピュータグラフィックス(CG)は、画像の品質、動画、ゲームなど、それぞれのニーズにあったプロセッサが求められた。
●3次元物体のモデル化と表示
・3Dグラフィックスは1つの次元を固定すれば2次元になる。それにより3次元の表示機能を持つGPUが一般的になっている。1999年頃になると3Dグラフィックスに必要な機能の大部分をワンチップに収めることができるようになった。NVIDIAは「GeForce 256」などゲーム向けの3DグラフィックスLSIを発売した。
1.4 CPUとGPUの違い
●GPUは並列処理で高い性能を実現する
・CPUの演算器は数個~数十個だが、GPUの場合は数十~数千個にものぼる。すべて並列に動作させればCPUより1~2桁高い演算性能を得られる。
・メモリはGDDR DRAM(Graphics Double Data Rate Dynamic Random Access Memory)という従来のDDRメモリより1桁高いバンド幅を持つメモリを使っている。
・性能を高めるには並列に実行させるプログラムが必要である。
●GPUの出現
・1999年、NVIDIAは開発したGeForce 256をGPU(Graphics Processing Unit)と名付けた。そして、3Dの画像を描画するLSIを「GPU」と呼ぶようになった。
画像出展:「GPUを支える技術」
・GeForce 256の出現から10年くらいは、グラフィックス計算には整数演算が使われていた。その後、GPUチップに使えるトランジスタ数が増えると、浮動小数点演算器を搭載するようになり、2008年には32ビットのGPU(GeForce 8000)が一般的になった。これによりGPUは行列(マトリクス)の掛け算など、科学技術計算にも利用され始めた。さらに64ビットのGPUも開発された
●GPUは超並列プロセッサ
・デスクトップPC向けCPUとゲーム向けGPUの違い
画像出展:「GPUを支える技術」
特に印象的なのはスレッド数(1つのCPUが同時に実行できるプログラム数の最小単位)、オンチップメモリ、クロック周波数です。この差をみると、CPUではどうしようもない計算世界が存在するのが分かります。
また、最近ではGPUへの依存度を減らすためカスタムシリコン(システム・オン・チップASIC)が注目されています。
●CPUはGPUのヘテロジニアスシステムと、抱える問題
・CPUとGPUによる共同作業
-CPU:OS、I/Oネットワーク、データ入力、データ送受信(PCI)
-GPU:データ送受信(PCI)、計算、ディスプレイ
1.5 ユーザーの身近にあるGPUのバリエーション
●携帯機器向けのGPU
・CPUとGPU、その他の各種ユニットをワンチップにまとめたスマートフォン用のSoC(System on Chip)が代表的である。熱問題(冷却器がない)や使用時間を考慮し、低消費電力(1W以下)が重要である。
●CPUチップに内蔵されたGPU
・ノートPCではCPUチップにGPUが内蔵されているものが多い。消費電力は数Wから最大100W程度。
●ディスクリートGPUとグラフィックスワークステーション
・ゲーマーやデザイナーは高性能なグラフィックスを求める。そのため、CPUとは独立したPCI Expressカードなどに搭載されたGPU(ディスクリートGPU)が使われる。これにより消費電力による影響を減らし、高バンド幅のメモリを使うことができる。
1.6 GPUと主な処理方式
●共通メモリ空間か、別メモリ空間か
・GPUは高いバンド幅を必要とするため、両者が共通のメモリを利用するのは難しい。そのためメモリ空間は別というのが一般的である。
・メモリ間のデータ転送にはDMAエンジン(Direct Memory Access engine)が必要になる。
・CPUとGPUのメモリを共有することは、GPU開発メーカーの重要な開発目標になっている。
●SIMD方式か、SIMT方式か
・科学技術計算などの用途のためにNVIDIAが開発したのがSIMT(Single Instruction, Multiple Threading)という処理方式である。要素数に関わらず全ての演算器を無駄なく使えるので、SIMT方式が増えている。
第7章 シンクロニシティへの道 ~ユングとパウリの対話~
・『自然界を1つの理論で表す統一的理論の必要性など、多くの点でアインシュタインに賛同するパウリだったが、量子力学に関しては全く異なる見地だった。彼にしてみれば、量子の世界の織りなす相補性や不確定性、量子もつれなどの真新しい現象は、自然の真理そのものだった。事実、それらの現象を貴重な契機として、自然に潜む対称性などの数学的結びつきが明らかになった。加えて、観測による影響を主題とする量子観測理論により、自然現象だけではなく人間の意志を踏まえた大局的な見地が形成されつつあった。
このような時代背景に、現代物理学に関心を持ち、普段からその意識を認めるユングにとって、パウリは精神と物質の関係性について意見交換する格好の相手だった。対話を通じて、科学的考察を深めることができたからである。自然界における対称性の役割だけではなく、いわゆる超常現象と呼ばれる奇妙な出来事にも話題は及んだ。ただしパウリは、自らの超常現象への関心を他の物理学者に話そうとはしなかった(同じく超常現象に興味を持つ友人、パスクアル・ヨルダンだけは別だった)。一貫して自然界に客観性を求めるアインシュタインの存在が、その消極的な姿勢に拍車をかけた。当然、観測の影響を考慮すべきだとアインシュタインに助言することもなかった。そして、パウリの推察通り、アインシュタインは生涯、量子力学の表す奇妙な世界を自然の真の姿として認めなかったのである。』
●もつれを繙く
・アインシュタインは一般相対性理論をもとに、あらゆる自然現象を網羅する統一場理論を完成させ、量子力学の奇抜な現象を数学的表現のあくまで例外として記述しようと考えた。
・電気力と磁気力を統合したマクスウェルの電磁力[磁界と電流の相互作用で発生した力]へと飛躍し、さらにマクスウェルは電磁気力と重力との間に共通点を見出した。
・統一的理論の足掛かりとなる可能性を指摘するものだったが、マクスウェルがその構築に挑むことはなかった。
●精神の偽らざる姿 [カール・グスタフ・ユング]
・ユングがフロイトに出会ったのは1907年、それから6年間、二人は協力する中で二人とも無意識の中に重要性を見出した。しかし、精神分析の反対派に対するフロイトに耐えられず袂を分けた。フロイトは幼少期の性的傾向を重視したが、ユングは「集合的無意識」に着目して、無意識の動機付けを説明した。集合的無意識とは集団に共通する意識のことで―後に「元型」と呼んだ―、源泉は1つだが、一人ひとりの人間によって個性化する。元型の例として、童話や民族伝承、道徳的禁忌、象徴的表現、宗教儀式、精神的理想などがあげられる。
・ユングは超自然主義にまつわる文献の研究に乗り出すと、錬金術やグノーシス主義、新プラトン主義の各派、仏教、ヒンズー教などの書物を精読し、神話学の第一人者となった。そして、様々な超自然主義の間に、超越的真理の探究や神との一体化への渇望といった共通点を見出し、分析心理学という新たな深層心理学の学派をスイスに立ち上げた。
・ユングが後に心理学と物理学の両面から精神と肉体を統一的に考えたのは、アインシュタインとの数回にわたる対話が主な動機となった。
●シンクロニシティの登場
・ユングの心理学は、一人ひとりの精神は代々受け継がれる共通の無意識的体験がつくる「客観的精神」の個々の解釈である。様々な宗教や信念体系に通底する思想は、そのような世代を超えた精神の源に由来すると考える。母親への思慕や、蛇や暗闇に対する恐怖心、人殺しを非とする倫理観などはいずれも普遍的体験といえる。
・ユングによると男性の無意識には女性らしさを象徴する「アニマ」と呼ばれる女性像の元型が根ざす。アニマは普段、意識的に抑制されており、心理療法によって解放される。対して、女性の無意識に潜むのは、アニムスと呼ばれる男性像の元型がある。ユングは当時の古い価値観に従って、アニマをむき出しの感情に、アニムスを洗練された知性に関連付け、両者のバランスこそが性別を問わず肝要であると説いた。
・ユングの理論は推測の域を出ず、元型という概念を裏打ちする科学的証拠はない。存在するのは、事例研究による間接的な証拠だけである。しかし、人間の精神に関するユングの考察は、歴史や哲学、また文化の面において、非常に示唆に富む内容といえる。
・ユングは非因果的連関の原理を指して、シンクロニシティという言葉を使った。そして、意味ある偶然の一致は、期せずして現れる自然の真理だと強調した。
・『源を一にする非因果的連関というユングの概念から、量子のもつれの並行性―ほぼ同時代に認知された現象―を連想しても、何ら不思議はないだろう。2つの粒子が量子状態を共有するならば、双方が離れても物理量は相関すると、量子もつれは語るのである。だがそうはいっても、ユングの非因果的連関と量子もつれとの間には、決定的な違いが存在する。量子もつれが設定に万全を期す数々の実験によって実証されたのに対して、ユングの非因果的連関は根拠に乏しく、心理学界で幅広い支持を得るには至らなかった。人間の精神において代々伝承される集合的無意識の存在は今もなお、神経科学によって示されていない。
しかし、局所性や因果性を凌駕するユングの世界観は、彼が積極的に物理学者との交流を図ったおかげで、現代科学に広く浸透した。アインシュタインとの夕食をきっかけに芽吹いた彼の物理学への興味は、パウリとの出会いによって一気に花開くのである。』
●パウリの受難
・パウリはゾンマーフェルトに神童として将来を嘱望され、「排他原理(4つ目の量子数であるスピンの発見にによって証明された)」の確立や、ニュートリノの予想(当時まだ観測されていなかったが、ベータ崩壊の解明に大きく寄与した)といった業績により、天才物理学者としての名を確たるものにしていた。しかし、1930年の終わり、極度の精神的不調に苦しんでいた。
・相次ぐ苦難の始まりは、父親の不貞が原因で敬愛する母親が48歳の若さで自殺したことである。そして、その父親はパウリと同年代、20代後半の女性と結婚した。
・1929年5月にはカトリック信仰を捨て、教会を正式に脱退した。同年12月に結婚するも1年もたず1930年11月に離婚、パウリのパートナーは昔から親交があった特に実績のない化学者と一緒になり、この事実もパウリを消沈させた。
・パウリとユングの出会いは、パウリの状態を見かねた父親がユングによる心理療法を勧めたからであった。ユングは当時、パウリが勤めるETHで頻繁に講師を務めており、パウリはユングの理論について聞き及んでいた。また、パウリ自身も何とかしようと考えていたため、父親の提案に従い診療を受ける決断をした。
・『夢や幻想の役割とあわせて、集合的無意識の精神への影響について研究するユングは、優れた記憶力をもつ被験者を探していた。また、シンクロニシティの体系化については、アインシュタインの時空という力学的概念を土台に、物理学者の意見を参考にしながら、考察を掘り下げていた。したがって、複雑な夢を見て、その内容を明確に記憶し、なおかつ著名な量子力学者の肩書を持つ“患者”パウリは、まさしくユングの探し求める相手だったのである。
ただ、精神を病んではいるもののパウリは有能な学者である。分析を通じて秘匿情報を共有することになる可能性があるため、ユングは情報管理に注意を払った。彼の心理療法はフロイトのそれと比べてはるかに積極的に患者と関わる診療として有名だった。そのため、情報操作や行動介入などと、他の精神科医から非難されないよう万全を期した。夢の回想に介入したり影響を与えたりしないように忠告した上で、パウリをローゼンバウムにまず担当させたのも、その点を踏まえてのことだった。本人以外による記述も含め、パウリの夢の記録は最終的におよそ1300にのぼり、ユングはすべてを研究資料として(個人情報の保護を徹底しつつ)活用した。ユング研究で知られるビバリー・ザブリスキーは、冗談まじりにこう記している。「読者のみなさん……、ヴォルフガング・パウリについてユングの知り得たこととは、普段の姿でも物理学の実績でもなく、彼の無意識なのです」』
・『知性のみを優先するあまり、アニマの象徴する感情的な自己が抑圧されていると判断したユングは、本人にそう認識させることを治療の本筋とした。その甲斐あってパウリは、自らの偏った生き方を自覚するようになる。そして2年以上に及ぶ治療の中で、精神的な落ち着き―少なくとも一時的な安定―を徐々に取り戻すようになった。ひいては、1934年にロンドン在住のフランシス力(フランカ)・バートラムと再婚を果たし、平穏な日々を過ごすようになった。自ら治療を終える決断を下したのは、その頃である。一時的ではあるが禁酒にも取り組むほど、精神状態は回復をみせた。パウリはもはや患者ではなくなったが、ユングとの親交はその後も続き、夢の内容を伝えることもあった。その中で2人は、自らの存在意義や元型とのつながりについて意見を交えた。
理論物理学の難題を解決し続けるだけの優れた数学力を考えれば、パウリの夢の中に幾何学的対象や抽象的符号が頻繁に登場しても不思議はなかった。その多くは直線と円が対称的に配置された図形だったが、ユングはそれらを元型の概念に照らして解釈した。数理物理学に根ざしたパウリの描写を、古代の象徴主義と結びつけて考えたのである。そのように類似の基本概念になぞらえることで、2人はそれぞれの研究分野の融合を図った。』
・『パウリによれば、世界時計の動きの調和によって心に安らぎが得られたという。自らが中心となって構築した原子モデルを彷彿させたのかもしれない。ユングにとって世界時計は、初めて出合う曼荼羅の立体図像だった。そして、世界時計をもとに、重要な元型の1つ―穏やか瞑想の象徴―と、現代物理学の時空との結びつきを想定した。はたして彼は、物理学への関心をますます強くしたのである。
パウリは普段、夢分析の被験者であることを他人に話そうとはしなかった。ユングが分析内容を書籍として著す時も、自身の名前を出さないとの条件で許可した(ただし、発刊協力者として名を連ねており、分析に関わっていることは明らかだった)。次第に強くする超自然現象への関心についても、表立って話すことはなかった。
しかし、最も信頼できる研究協力者であり友人でもあるパスクアル・ヨルダンだけは例外だった。ヨルダンだけには、超自然現象への情熱を打ち明けたのである。』
●超心理学と懐疑派
・ヨルダンは1936年、量子力学の入門書「直観的量子論」の最終章の内容はテレパシー実験の検証だった。ヨルダンは1930年代から超心理学に強い関心をもっていた。
・超心理学(非科学的な超自然現象とされる対象を研究する分野)は、生物学者であったアメリカのJ・B(ジョセフ・バンクス)・ラインによって創設されたばかりで物議を醸していた。ラインは1980年に亡くなるまで、自らの研究の正当性を訴え続けた。心理学ではその後、実験環境を統制や厳格な統計手法に一層重点が置かれるようになった。
●ノーベル賞
・最終的にパウリは、観測する側と観測される側―精神と物質―を統一的に表す必要があると信じるようになった。ユングはパウリの考えに賛同した。さらに、アインシュタインとの夕食やリヒアルト・ヴィルヘルムとの議論を経て、ユング自身もそのような理論を望みはじめていた。ユングは精神と物質との統一を「Unus mundus(ウヌス・ムンドゥス)」と呼んだ。
●研究所での洪水
※【パウリ効果】とは
『パウリとその俗に言う実験とは相性が悪かった。彼が実験施設に立ち入ったり、測定機器の近くを通ったりすると、装置に不具合の生じることがしばしばで、周囲から「パウリ効果」と恐れられたほど。機械は故障し、測定器は作動せず、現場に混乱を招くのである。事実、実験物学者のジョージ・ガモフはこう形容する。
「一流の理論物理学者たる者、精巧な実験機器に触れただけで機械に不具合をもたらす、と言われている。その言葉に照らせば、パウリは有能な理論物理学者だ。彼が施設を訪れただけで、装置は壊れ、誤動作を起こし、ひいては全く動かなくなったり、燃えたりするんだ」
最も有名な事件は、パウリが1950年2月、プリンストン大学を訪ねた時のことである。プリンストン大学のパーマー物理研究所の地下にある高エネルギー・サイクロトロン(円形粒子加速器)が火事になり、6時間以上燃えたのだ。もちろん研究所の建物には煙が充満し、あちこちがすすだらけとなった。パウリは現場ではなく、大学の敷地内にいただけだったが、その後やり玉にあげられたことは言うまでもない。』
・『ユング研究所を設立するにあたり、パウリ(当時、ノーベル賞受賞として多くの尊敬を集めていた)にも後援者としての協力を仰いだ。ユングに恩義を感じ、共同で研究する機会を増やしたいと考えていたパウリは、ユングの依頼を快諾した。
また、心理クラブにも招かれ、その年の2月28日と3月6日に講演を行った。パウリは会場で、フラッドやケプラー、そして元型に関する自らの見解を喜んで説明した。科学者にとって講演は、一般に、論文を著す前に自らの考察を整理する良い機会となる。彼は当時、「The Influence of Archetypal Ideas on Kepler’s Theories(元型的観念がケプラーの科学理論に与えた影響)」と題した長編論文を執筆中で、いずれ何らかの形で公表したいと考えていた。
ユング研究所の開所初日となった1948年4月24日、記念セレモニーが盛大に開催された。もちろん、パウリも来賓の1人として招待された。セレモニーはすべて順調に運び、盛況のうちに閉会するかに思われた。ところが……。
突然、会場に何かの割れる音が響き渡った。思いもよらないことに、棚に固定されていたはずの中国の高級花瓶が、勝手に落下したのである。花瓶は床に落ちて粉々に砕け散り、あたりは水浸しになった。ユング研究所は、まさしく洗礼を受ける格好となったのである。
さて、「パウリ効果」を覚えているだろうか?
姿を現しただけで実験装置を故障させる能力は、この頃にはすでに彼の特技として広く認知されていた。ただし、彼自身は、もはや軽く捉えることができず、いたって真剣に悩んでいた。
ドイツ語で「洪水」のことを「Flut(フルート)」という―Robert Fludd(ロバート・フラッド)の「Fludd」のドイツ語読みとほぼ同じ発音である。英語でも、洪水を意味する「Flood」と「Fludd」は、ほぼ同じ響きだ。パウリは会場で起きた些細な洪水と自らの研究との間に、意味ある偶然の一致を認め、驚愕した。単なる偶然の出来事だったかもしれない「パウリ効果」を、彼はユングの唱えた非因果的連関と結びつけ、もはや冗談とはみなさなかったのである。
フラッドとケプラーの理論と元型に関する考察を論文にまとめる中で、パウリは開所式典での奇妙な出来事について深く考えるようになった。そしてユングに対して、シンクロニシティに関する考察を掘り下げ、整理した上で論文に著すことを勧める。ユングの考察に大きな意義を見出そうとしたのである。
ノーベル賞を手にしたパウリに、それ以上自らの才能を示す余地は残されていなかった。それでも彼を駆り立てたのは、アインシュタインと同様、世界を統べる統一的理論への挑戦だった。長きにわたるユングとの親交が、彼をその挑戦へと誘ったのである。』
●すべては2と4のもとに
・ユングとパウリが生んだ功績は、1950年代はじめに、双方の研究分野が融合を見ることである。ユングはパウリのおかげで確率的表現や観測による影響といった、量子力学の表す内容に精通するようになった。逆にパウリはユングのおかげで、神秘主義や数秘術、そして古代の象徴主義の研究に心を奪われるようになった。
・ユングとパウリはピタゴラス学派と同じく、特定の数に価値を見出した。その1つが「2」だった。波と粒子、観測者と観測対象といった二重性を自然の真理としたボーアの相補性の原理は、両者にとって革新的な概念だった。
・ボーアはオランダ哲学者セーレン・キルケゴールの著作(「あれか・これか」など)の中の二分法に感化されたとみられ、家紋に太極図を取り入れている。
画像出展:「ウキペディア」
『偉大な功績により、デンマーク最高の勲章であるエレファント勲章を受けた時、「紋章」に選んだのが、陰と陽、光と闇の互いが互いを生み出す様を表した東洋の意匠、太極図であったことからもうかがえる。』
・パウリは、男性は己の女性らしさ(アニマ)を、女性は己の男性らしさ(アニムス)をそれぞれ抑制しているというユングの主張を支持するようになった。
・パウリは荷電共役対称性(正負の電荷の変換に伴う対称性)、パリティ対称性(鏡像対称性)、時間反転対称性などの二重性を物理学において探求する契機となった。
・数に関して二重性以上にパウリとユングが重視したのが「quaternnio(クワテルニオ)」だった。ラテン語で4つ1組の意である。その概念はエンペドクレスの四次元素説に源を発し、そこから錬金術や、ピタゴラス学派のシンボルであるテトラクテュス(1から4までの整数を構成要素とする三角形)へと派生した。
●非因果的連関の原理
・ユングとパウリは1952年、2人の研究の集大成として共著、「自然現象と心の構造」を発刊した。
画像出展:「シンクロニシティ」
ユングやパウリが講演を行った、チューリッヒの心理学クラブです。
●関係の終焉
・二人の長きに渡る往復書簡は突如、途絶えた。
・パウリはヨルダン以外には自らの神秘主義への興味を他の物理学者にあまり話さなかったのは、ユングの話を無条件に信じていたわけではなかった。いかなる理論にも厳しい目を向けるパウリにとって、ユングの理論も例外ではなかった。
・パウリはボーア宛ての書簡で次のように書いている。『ユングの思想は、フロイトに比べて幅広い領域を対象としますが、その分、明確さに欠けます。最も不満を覚える点は、「精神」という概念が、明確な定義のないまま曖昧に用いられていることです。論理的にも矛盾が認められるのです。』
・パウリとユングの2人の距離が離れたのは、ユングのUFOに対する強い関心も一因だった。
・当時パウリは、ハイゼンベルクと共に、統一場理論の構築に力を注いでいる最中であり、加えて、膵臓がんと診断される前年だったことから、体力の衰えが見え始めていた。
第8章 ふぞろいの姿 ~異を映す鏡のなかへ~
●相互作用のなす業
・『一般相対性理論と量子力学は、それぞれ1910年代半ばから1920年代半ばにかけての10年間に誕生している。一般相対性理論は、時空を主な舞台として、その歪みによって光や粒子の進行方向を定める。量子力学は、特にハイゼンベルクの提唱した解釈において、抽象的なヒルベルト空間[二点間の距離が公式で与えられる三次元空間を無限次元に拡張したもの]を中心に展開する。実験施設の研究員などのような合理的な考えの科学者であれば、いずれも物理学を理解する上で欠かせない理論であるとの認識だろう。理論物理学の重要な分野の1つとして、相対論的な場の量子論―一般相対性理論と量子力学のそれぞれの枠組みを維持しながら統合を図る理論―が存在する所以である。双方の原理を損なうことなく2つの理論の統合を図る試みは、ボーアの主張に端を発する。古典的世界(高速度や強力な重力場などの極限状態においても相対性理論に従う世界)にいる人間が微視的世界に介入する観測という行為の重要性を強く訴えたのがボーアだった。
しかし、アインシュタインやハイゼンベルク、パウリといった巨匠たちが追い求めたのは、微視的世界から人間の日常的な世界、そして宇宙規模の世界までを、単純な原理によって網羅する横断的な理論だった。アインシュタインは、非量子的な手法で(古典的な一般相対性理論を拡張して)、量子力学の原理を説明しようした。対して、全く異なる方法を独自に考案したのがハイゼンベルクだった。彼は、対称群となるヒルベルト空間のエネルギー場に適合な条件を与えることで、自然界の様々な相互作用の再現を目指した。』
第9章 現実へ挑む ~量子もつれと格闘し、量子飛躍をてなずけ、ワームホールに未来を見る~
・『パウリの早すぎる死から数十年、特に1960年代から1980年代にかけては、素粒子物理学や場の量子論、量子測定理論に、極めて画期的な発見がもたらされた。パウリが生前、掘り下げた代表的な概念の一部が、物理学研究の中心を担うようになり、対称性の役割や、(ユングと共に目指した)非因果的相関の体系化に関する研究が主流になったのである。後者に関しては、量子もつれの限界や可能性を検証する実験が盛んになっていった。』
●コズミック・ベル・テスト [アントン・ツァイリンガー]
・オーストリアの物理学者アントン・ツァイリンガーはベルの不等式[量子力学において「隠れた変数」の存在を前提に書かれた関係式。この不等式が成立しないとすれば、量子力学では隠れた変数は存在しないということが証明される]を検証するベル・テストだけでなく、量子テレポーテーションに関して画期的な実験を行ったことでも広く知られている。量子テレポーテーションとは、離れた場所において量子状態を再現することである。
・「コズミック・ベル・テスト」は最新の観測機器を使って太占の光を分析するものである。
・2017年、オーストリアで1.6㎞以上離れた場所に2つの望遠鏡を設置し、異なる恒星の光を観測。それぞれの光から検出される色―赤と青―と、偏光器の設定を連動させ、ベル・テストを実施した。その後、実験設計が改良され、地球から数十億光年離れたクエーサーの光を使って再度測定が行われた。結果はまたしても、ベルの不等式は成立しないことを明示するものだった。アインシュタインではなくボーアの主張の正しさが認められた。
●量子の挙動の実用化へ
・パウリとユングの2人による対話は、厳密な意味で科学的とは言えなかったが、二重性という自然界の中心的概念を導いた。因果的な相互作用と、非因果的な相関。両者を同時に説明する統一的理論が現れた時、人類は確かな英知を手にするだろう。
終章 宇宙のもつれを繙く
●パウリとユングが残したもの
・『物理学の潮流において、ユングの果たした役割は決して小さくないだろう。たしかに、彼の提唱した元型や集合的無意識といった概念は、独創的であり、また魅力的でもあるが、科学的に実証されているわけではない。夢に現れる象形が、代々受け継がれてきた原子的な型である証拠はどこにもないのである。よしんば東洋哲学や錬金術、神秘学を学んだことがあるならば、曼荼羅や錬金術記号などの象形が夢に出てきても不思議はない。夢に現れなくとも、日常で目にする記号から、そのような結びつきを連想するとも考えられる。漫画書籍の熱心な収集家が、ヒーローや悪役の夢を見ると同じである。しかしながら、ユングは夢分析を通じて、自然の摂理に対するパウリの優れた洞察力に触れた。パウリと繰り返し相対したことで、自らの物理学的知識をより豊かにすると同時に、パウリの発想にも示唆を与えたのである。
したがってユングが提唱し、パウリが掘り下げた「シンクロニシティ」という概念は、心理学だけで背景を語ることはできない。あくまで思弁的な考えで、厳格に管理された実験の裏打ちがあるわけではないが、革新的な進展を見せる量子力学と擦り合わせれば、新たな宇宙観につながるとも考えられる。実現すれば、厳格な因果律と純然たる確率が支配する世界の向こう側が覗くかもしれない。非因果性の統べる世界が、である。』
感想
『源を一にする非因果的連関というユングの概念から、量子のもつれの並行性―ほぼ同時代に認知された現象―を連想しても、何ら不思議はないだろう。』ユングが物理学に魅せられたのは、まさにこの事だったのだと思います。
一方のパウリは、ユング研究所の開所初日となった1948年4月24日、記念セレモニーでまたしても【パウリ効果】に遭遇することになります。
そのパウリは、「シンクロニシティに関する考察を掘り下げ、そして、ユングの考察に大きな意義を見出そうとしたのである」とされています。
パウリはユングの心理学を全て受け入れていたわけではありませんでした。しかし、パウリの心を度々揺さぶっていた【パウリ効果】という事件が次第に大きくなり、ついには歴史に名を遺した物理学者と心理学者を結びつけたのだと思いました。
“科学と非科学”をより分けるのは人間の英知が決めることだろうと思います。しかしながら、宇宙規模の世界(マクロ)と量子の世界(ミクロ)において人間が認知できることは一部です。その意味ではシンクロニシティを完全に否定することはできないと思います。
ご参考1:Youtube“【量子力学】この宇宙の真実知りたくない人は見ないでください...『シンクロニシティ 科学と非科学の間に』by ポール・ハルパーン”(開始~8分30秒の中で「量子もつれ」を解説されています。なお動画は19分です)
ご参考2:Youtube“【簡単解説】数式なしで理解したい!「量子テレポーテーション」や「量子もつれ」の原理や仕組み、方法を初心者にも分かるように解説!” (9分33秒~13分33秒に量子テレポーテーションについて解説されています)
パウリとは量子力学の巨匠の一人、ヴォルフガング・パウリのことです。一方、ユングはフロイトと並び称される偉大な心理学者のカール・グスタフ・ユングのことです。
ユングが晩年、物理学に傾倒していた事実は、ブログ“ユングと共時性”の時に知っていたのですが、ユングと接点のあった物理学者がパウリであり、しかも「往復書簡集」として残っているほど、深いつながりがあったことに大変驚きました。
タイトルの“シンクロニシティ”ですが、お恥ずかしい話、当初、気づかなかったのですがこれは“共時性”のことです。内容は物理学の歴史の物語からマクロな宇宙やミクロの量子を中心に、偉大な科学者の足跡が書かれています。私が最も知りたかったことは、このパウリとユングの関係やどんな事に取り組んだのかということでした。
第9章、「量子の挙動の実用化へ」の中で、以下のようなことが書かれています。
『パウリとユングの2人による対話は、厳密な意味で科学的とは言えなかったが、二重性という自然界の中心的概念を導いた。因果的な相互作用と、非因果的な相関。両者を同時に説明する統一的理論が現れた時、人類は確かな英知を手にするだろう。』
ブログは何とか理解でき、印象に残った箇所をご紹介していますが、全体的にはつかみどころのない漠然としたものになっていると思います。
著者:ポール・ハルパーン
訳者:権田敦司
発行:2023年1月
出版:(株)あさ出版
目次
推薦の言葉
量子論の発展に寄せて 福岡伸一 (生物学者)
序章 自然界のつながりを描く
第1章 天空へ挑む ~古代の人々が描いた天界像~
●太陽への信仰
●神殿の谷の夜明け
●宇宙の構成要素
●自然界の隠された光
●遅々として進まない太陽の光
●運動の世界観
第2章 木星からの光が遅れる
●富と知
●天文学の復活
●禁断の惑星
第3章 輝きの源を辿る ~ニュートンとマクスウェルによる補完
●遠隔操作
●ラプラスの悪魔とスピノザの神
●疾走する波と探求心
●金科玉条を探す
●幻の終の棲み処
第4章 障壁と抜け道 ~相対性理論と量子力学による革命~
●光が持つ2つの顔
●相対的な真実
●OPERAの幻
●宇宙を織りなす
●原子の中を覗く
●デンマークからの光
●魔法の数字
第5章 不確定という世界 ~現実主義からの脱却~
●不思議の国のアルベルト
●苦難の道のり
●現実と行列式
●非公開の舞台
●物質波
●母なる光
第6章 対称性の力 ~因果律を超えて~
●対称に次ぐ対称
●保存則が表すもの
●超排他的な住人
●スピン:粒子の謎めいた性質
●姿を見せない粒子
●もつれた経緯
●超自然現象への抗い
第7章 シンクロニシティへの道 ~ユングとパウリの対話~
●もつれを繙く
●皮肉屋兼毒舌家
●精神の偽らざる姿
●シンクロニシティの登場
●パウリの受難
●超心理学と懐疑派
●ノーベル賞
●研究所での洪水
●すべては2と4のもとに
●非因果的連関の原理
●関係の終焉
第8章 ふぞろいの姿 ~異を映す鏡のなかへ~
●ウー夫人の情熱
●ニュートリノという名のサウスポー
●超絶の力
●統一を巡る課題
●相互作用のなす業
●統一への狂騒
第9章 現実へ挑む ~量子もつれと格闘し、量子飛躍をてなずけ、ワームホールに未来を見る~
●ジョン・ベルによる判定試験
●光子の逆相関やいかに
●コズミック・ベル・テスト
●量子の挙動の実用化へ
終章 宇宙のもつれを繙く
●因果律の限界
●光速の因果律を超えて
●パウリとユングが残したもの
●セレンディピティ v.s. 科学
●慎重に非因果性を受け入れる
謝辞
量子論の発展に寄せて 福岡伸一 (生物学者)
・「量子もつれ」は“entanglement”と表現されるが、科学的な言葉で表現すると、“離れて存在している2つの物体が、互いに他のことを認識しあっている”ということである。
序章 自然界のつながりを描く
・『量子もつれは、相互作用ではなく、粒子間の相関である。そのため、因果律に厳格に則った伝播(一般の相互作用が光速以下で連鎖する伝わり方)より速く結果を伝えることができる。つまりそれは、自然界に2種類の「伝達ルート」があることを意味する。光速を最高速度とする伝達経路と、人間の観察と同時に相関を示す量子相関という経路だ。』
・『近年、量子テレポーテーションや量子暗号の分野で革新的な成果を上げている。特筆すべきは、“量子もつれ”の現象を利用して、途方もない遠隔地へと光子の量子状態を転送した点だ。現在は中国の衛星「墨子(Micius)」へ量子状態を送り、解読不能とも言われる量子もつれを活用した量子暗号システムの構築に取り組んでいる。一連の研究が言わんとするところは、量子もつれなどの非因果的相関の重要性と実用性の高さである。』
※ご参考1:“中国の量子通信衛星チームが米科学賞受賞”
※ご参考2:“量子通信・量子暗号・量子中継・量子ネットワーク”
第3章 輝きの源を辿る ~ニュートンとマクスウェルによる補完
●幻の終の棲み処
・19世紀の科学界では自然の振る舞いや人間の意志はすべて科学的に説明できると考えられた。
・いずれ非科学的な思想は淘汰され、予言や亡霊、悪霊、天啓などの余地はなくなるとの見方が大勢を占めた。
・自然現象は理論的に突き詰めれば、原因と結果の連鎖によって記述されると考えられた。
・因果関係を説明できないものは、その考察は希望的観測や迷信であるとされた。
・超自然現象を信じる反対勢力は、科学によって説明できる立場をとった。そして、超常現象の科学分析と精神世界を対象とした研究を図る団体が生まれた。
第4章 障壁と抜け道 ~相対性理論と量子力学による革命~
・19世紀末の科学は厳格な因果律に基づく決定論へと進んでいた。
・20世紀になると原子内部の不可思議な世界が量子力学で明らかになると摩訶不思議な不確定性原理などが登場した。
・相対性理論は因果的な作用の限界が明らかになると同時に、空間と時間の密接な関係が示され、物理学界に革命の波が押し寄せた。
●宇宙を織りなす [アルベルト・アインシュタイン]
・『自然は相対性理論を裏付ける形で、遠隔的ではなく局所的な重力の姿を露わにした。よってアインシュタインは、遠隔作用という概念に否定的な立場を生涯貫くことになる。彼は原因と結果の直接的な連鎖によって宇宙は構成されているとの見方を常に理論の柱とした。その見地に反する対象は彼にとって、偽りの現象か、もしくはまだ実証されていない因果的作用に過ぎなかったのである。』
●デンマークからの光 [ニールス・ボーア]
・『マンチェスター大学と、その後所属したコペンハーゲン大学での研究で、ボーアは太陽系を彷彿させる原子モデルをつくった。正に帯電する原子核が「太陽」のように中心に位置し、その周りを負に帯電する電子が「惑星」のごとく回るという原子像である。全体を結びつける源は、重力ではなく電磁気力だ。その上でボーアは、楕円軌道で運動する惑星とは異なり、電子の軌道は真円になるとした。』
・『ボーアは、当時実測されていた水素などの基本原子のスペクトル線[原子が放射または吸収する光の電磁波]が、原子モデルで再現される必要があるとも考えた。水素の吸収スペクトルと放出スペクトル(分光器で観測される吸収する光と放出する光の色)は、ヨハン・パルマーやセオドア・ラインマン、フリードリッヒ・パッシェンなどの分光学者たちによって測定され、水素原子固有の周波数がすでに判明していた。いずれのスペクトルも、色が飛び飛びの虹のように特定の周波数の色だけを残し、その他の色は消えていた。そして、原子固有の周波数には数学的な規則性が認められた。なぜ、特定の色を現して、他の色を現さないのだろうか?ボーアは直観的に、電子は普段、安定した軌道上に存在し、特定の振動数の光を吸収したりするのではないかと推測した。光を吸収すればすぐさまエネルギーの高い軌道へと遷移し、放出すればエネルギーの低い軌道へと遷移するのではないか、と。』
・『ボーアは、原子の不連続のスペクトルをモデル化するためには、電子の軌道が連続的ではなく、離散的でなければならないと考えた。したがって、1つの軌道から別の軌道への電子の遷移は、連続的な変化ではなく、一瞬の跳躍であるとみなした。』
・『電子がある状態から別の状態へと自発的かつ瞬間的に移動する、という量子跳躍の概念は、アインシュタインとミンコフスキーによって丹念に描かれた相対性理論の時空図と対極をなす考えだった。いわば、厳格に決められた因果関係に対して、電子の自由奔放が際立っていたのである。[「電子があたかも、どの軌道に移るべきあらかじめ知っているかのようだ」by アーネスト・ラザフォード]』
『アメリカの物理学者リチャード・ファインマンが粒子の経路の不確定さを時空に組み入れ、量子力学の世界と時空図を結びつけるのは1940年代に入ってからのことである。それまで、相対性理論における時空と、量子力学における相関は共通項のないそれぞれ独立した概念に過ぎなかった。』
●魔法の数字 [アルノルト・ゾンマーフェルト]
・『ゾンマーフェルトが熱心に研究したのは、主要な磁場(コイルを通電してつくる電磁石による磁場など)に原子を置いた時に現れる現象だった(1897年にオランダの物理学者ピーター・ゼーマンによって発見されたため、ゼーマン効果と呼ばれる)。磁場に原子を置くと、原子の放出スペクトル線が分裂するのである。本来であれば、特定の色を持つ1本の線であるべきところに、それぞれわずかに色の異なる複数の線が現れる。スペクトル線が虹の一部のごとく分光する理由は、まるで判然としなかった―その答えを導いたのがゾンマーフェルトだった。
「ゼーマン効果」は、ボーアの単純な「太陽系」電子モデルの一般化に大きく貢献した。その研究を契機に、原子核の周りを電子が円を描いて運動する原子像は、量子数などの物理量を持つ、特徴豊かな立体的な姿へと発展したのである(電子数が奇数の原子特有のスペクトル線分裂、つまり「異常ゼーマン効果」の研究が原子モデルの一般化を実現させた)。この原子モデルの進歩によって、ミクロの世界の現象に関して、より正確に予想できるようになった。ひいては、量子世界に潜む多様な現象を明らかにし、量子もつれなどの非因果的な作用の存在が判明する。それゆえ、ゾンマーフェルトの研究は、ボーアの初歩的概念から量子力学確立までの経緯において、貴重な橋渡し役を演じたといえるだろう。と同時に私たちを奇妙な世界へと導いたのである。』
第5章 不確定という世界 ~現実主義からの脱却~
●母なる光
・量子力学の哲学を疑問視する声はあるが、その有用性は広く認められており、長きに渡って未解決の問題さえも、量子力学を頼れば解決への道筋が見えてくる。加えて、理論の弾き出す数字は極めて正確である。
第6章 対称性の力 ~因果律を超えて~
●超排他的な住人 [ヴォルフガング・パウリ]
・論理的思考に長けたパウリは数字に秘められた謎の解明に傑出した才能をみせた。また、数秘術や対称性に深く魅了された横顔もパウリを語る上で見逃がせない点である。後年、哲学的考察に傾倒するようになってからは、ヨハネス・ケプラーの影響を受け、数字に隠された規則性から自然法則を導こうとした。
・パウリの提唱した「排他原理」の原型となる概念に初めて言及したのは1924年12月であった。その「排他原理」は1945年、ノーベル物理学賞を受賞した。
●スピン:粒子の謎めいた性質
・ドイツの物理学者のクローニッヒは自転によって電子が小さな電磁石のように働き、外部の電磁場と相互作用すると考えた。その後、1925年オランダ人物理学者のウーレンベックは、外部の磁場と相互作用するのは電子が自転するためだと推測した。発表された論文は完全とは言えなかったが、実際の現象を予測するため、スピンという概念は広く受け入れられた。
現在でいうスピンは、単なる自転とは異なる概念を指す。電子が光速を超える速度で回転するのは不可能である。これは外部の磁場との相互作用がコマの回転現象と似ているということで、電子が実際に自転しているわけではない。
●姿を見せない粒子
・パウリが予想したニュートリノは1956年、カワンとライネスという二人の物理学者によって観察された。発見されたのはベータ崩壊に関わる電子ニュートリノで、その数十年後には、ミューニュートリノとタウニュートリノという2つのニュートリノも発見された。
●もつれた経緯
・『重力の本質を見抜けなかった古典力学により、歴史の闇に葬られようとしていた。だがその後、量子力学によって救われた―力の作用を介さない相関として。遠く離れた2つの粒子間において、切っても切れない相関を存在するのである。
シュレーディンガーはそのような状態を「もつれ」と呼んだ。量子力学でいう「もつれ」とは、多粒子系―ヘリウム原子の基底状態にある対電子の系など―において、任意の粒子の物理量が自ら以外の粒子の物理量と相関する状態をいう。興味深いことに、この「量子のもつれ」は物理的な距離を意に介さない。実験を重ねれば重ねるほど、「量子もつれ」を認める2点間の距離は広がるばかりである。原子の世界に留まらず、一方が河川を飛び越え、宇宙空間に至っても、他方との相関は変わらないのだ。「量子もつれ」は、決して抽象的概念ではなく、現実において極めて有用性は高い。人間が目にすることのなかったであろう物質の状態を生み出すからだ。たとえば、いずれも超低温化で出現する。全く滑らかに流れる粘性のない超流体や、完全に電導する電気抵抗のない超伝導体がそうである。』
Chapter4 信頼するが、検証する
・GPT-4は管理業務の軽減だけでなく、患者に焦点を当てた知的で感情的なプロセスとしての医療に貢献する。しかし、その一方で、その潜在的なリスクも大きい。おそらくは当分の間、GPT-4は人間の直接の監視なしに医療現場で使用することはできないだろう。
●驚きと不安
・GPT-4に対する不安は、GPT-4のアドバイスが安全で効果的であることを、どのように保証したり証明したりできるかが分からないからである。
●臨床試験
・GPT-4には明確な人間の価値観が欠けている。それはGPT-4の中には、患者の嗜好、価値観、リスク回避、そして人間を構成する何百ものバイアス[非合理的な判断をしてしまう心理現象のこと]の明示的な表現がないからである。
●訓練生
・現時点では、GPT-4は臨床症例に対して最も善意ある人間と同じように行動し、反応する仕組みを持っているとは考えられていない。
●しかし、パートナーとしては……
・GPT-4が自律的に行動しないとしても、医療を改善する上でのGPT-4の可能性は桁外れに大きいように見える。それは医療従事者に取って替わるのではなく、補完するためである。米国の医療における人手不足の問題は深刻であり、今後10年以内に不足する医師は48,000人に達すると推定されている。医療者の燃え尽き症候群の問題も深刻である。仕事への不満、ストレス、患者との時間を増やせないことや最新の医療知識を身に付けられないことへの不満など、その重荷の中には絶え間なく更新される臨床ガイドライン、医療費の30%を消費すると推定されるほどのお役所仕事なども含まれる。このような厳しい労働環境は医療ミスの温床にもつながる。
●先導者
・GPT-4は超人的な臨床能力を有している。そして、患者の病気を引き起こしている可能性のある遺伝子を特定する専門医の役割を果たせる可能性もある。
Chapter5 AIで拡張された患者
・訓練を受けた医療従事者がGPT-4にアクセスできるようにすることと、新しいAIスーパーツールを情報の荒野に解き放ち、患者が直接利用できるようにすることは全くの別物である。
・GPT-4は人類が蓄積した医療情報を掘り起こす驚異的なルーツであり、ユーザがそれを使いたがるのは当然である。
・米国の成人の約75%がオンラインで健康情報にアクセスしており、彼らがWebMDや検索システムから「個人的な医療情報を分析できる医学的に全知全能なAI」と「患者が望むだけ長くやり取りできる新しい大規模言語モデル」へと大移動することは容易に想像できる。
●持たざる人々
・人類の半分、約40億人が十分な医療を受けられていないと推定されている。
・GPT-4やAIシステムの最も有望な側面の1つは、遠隔地への医療である。
・AI医療は最終的には医師に残された仕事が「複雑な意思決定と人間関係の管理」だけになる医療システムへと向かっていると考える研究者もいる。
●新しい三者の関係
・GPT-4の潜在的な利点には、「継続的なモニタリングが不可能」になった患者への積極的な連絡と情報やサービスの提供である。COVIDの患者をスクリーニングするという目的で実施された、パンデミック時のチャットボットの実験は、社会から疎外された人々に大規模にリーチする上でテクノロジーがどのように利用できるかを実証した。
・GPT-4を最初にどのように使うかを考えるべきである。それは理想的には「医療の助けを最も必要としているのは誰か」ということである。それは「社会的弱者のコミュニティ」かもしれない。
●情報に基づく選択
・GPT-4はあらゆる患者にとって米国の医療制度におけるもう1つの困難な側面を解決する可能性を示している。それは、適切な医療を見つけることである。これはAIが患者のパートナーとして、信頼できる公平な医療のガイドとなることを目指すということであり、1960年代のインフォームドコンセントを一歩超えた概念ある。
画像出展:「AI医療革命」
こちらは「血液検査」の結果です。専門家でないと理解するのは困難な内容です。
下のQAですが、プロンプト5-8は質問で、「この検査結果はどう?」と聞いています。また、次の質問(プロンプト5-9)では、眠れない原因について尋ねています。
そして、それぞれGPT-4が回答(回答5-8、5-9)していますが、どうみても医師から回答のように見えます。
画像出展:「AI医療革命」
●より良い健康
・GPT-4は「グープ(goop)」と呼ぶ「疑似科学に基づく健康アドバイスの氾濫」に対処する上でも役立つのではないか。
●セラピーAI
・「AIはセラピストであり、友人であり、恋人にさえなれる」とは、ボストン・グルーブ紙のニュース記事の見出しである。ReplikaというAIフレンドはApp Storeから1000万回以上ダウンロードされている。
・AIがセラピストに取って代われるのかは分からないが、セラピスト、特に優秀なセラピストは不足している。また、有害なセラピー(心のケア)が存在している。ロイ・パーリス博士(ハーバード大学医学部の精神医学教授)は非常に効果的なセラピストによるセラピー・セッションの記録をAIに学習させることで、その才能をより広く利用可能にできるかもしれにないと考えている。
・AIがメンタルヘルスに役立つかは「一長一短」である。軽度の不安や抑うつなどには適しているかもしれないが、重症な人には適さないと考えられる。
・AIは一次医療やオンラインCBT(認知行動療法をオンラインで提供するプログラムやサービス)でうまくいく人もいれば、治療や入院治療が必要な人もいる。
・インターネットとモバイルの時代は、地球上の人の手に情報を届けるものだった。一方、AIの時代は、地球上の人の手に知性が行き渡るようになる。その知性とは、とりわけ医療に応用できるものである。
Chapter6 もっとはるかに:数字、コーディング、ロジック
・GPT-4はUSMLE(米国医師国家試験)と同様にNCLEX(看護師国家試験)でも好成績を収めている。
●GPT-4は計算して、コードを書く
・GPT-4は点滴の問題の他、薬物の相互作用の可能性に関する質問にも答えることができる。そして、それをコンピュータプログラムの形でも説明できる。それも「アプリを作ってほしい」と頼むだけである。
・GPT-4は一般的なアプリケーションを使って計算することも得意であり、表計算ソフトの使い方にも答えることができる。
●GPT-4は不思議なことに論理的であり、常識的な推論もできる
・GPT-4は数学、統計学、コンピュータプログラミングの能力だけでなく、倫理的推論に長けている。
●GPT-4とはいったい何なのか
・GPT-4には人間の脳とは異なる制限がある。
・GPT-4の「機械学習」は電源をオフにして、新たな知識や能力を吸収しなければならない。これはトレーニングと呼ばれ、多くのテキスト、画像、ビデオ、その他のデータを収集し、特別な一連のアルゴリズムを使ってすべてのデータを抽出し、モデルと呼ばれる特別な構造にする。ひとたびモデルが構築されると、推論エンジンと呼ばれる別の特別なアルゴリズムが、例えば、チャットボットの回答を生成するためにモデルを実行に移す。
・GPT-4のニューラルネットワークの正確なサイズは公表されていないが、その規模は非常に大きく、それをトレーニングするのに十分なコンピューティングパワーを持つ組織は世界でもほんの一握りしかない。おそらく、これまでに構築され、一般に配備された人工ニューラルネットワークの中で最大のものと思われる。
・GPT-4の能力の大部分は、ニューラルネットワークの規模に起因している。
・OpenAIの技術者たちは極端なスケールが人間レベルの推論を達成する道筋となることに対して確信がない。そして、十分なスケールが達成された途端に、その多くが「ひょっこり出現」したという事実や「失敗モード(システムやモデルが予期せぬ方法で不適切に動作する状況)」が非常に不可解である理由の一端を説明している。
・人間の脳がどのように「考える」を達成するのかを、我々が理解できていないのと同様に、GPT-4がどのように「考える」のかについての多くのことを、我々は理解できないのである。
●GPT-4は単なる自動補完エンジンなのか
・GPT-4は「単なる」コンピュータプログラムである。
・GPT-4は実際に何をしているのか。「GPT-4のようなLLMは、次の単語を予測する」と言われることがある。それは、LLMは大規模統計分析を使って、これまでに起こった会話から、次に(コンピュータまたはユーザのどちらかから)吐き出される可能性が高い単語を予測する。
●しかし、GPT-4にはいくつかの絶対的限界がある
・人間は能動的に考え、世界と対話しながら学習することができる。常にオンライン、ライブである。一方、GPT-4はオフランでのトレーニングが必須である。仮に最後のトレーニングが2022年1月とすればそれ以降は何も学習していないことになる。
・GPT-4は長期記憶の欠如という限界がある。GPT-4でセッションを始める時、GPT-4は白紙の状態でセッションを行う。そして、セッションが終わると会話の内容はすべて忘れ去られてしまう。
・GPT-4はセッションの長さに制限がある。セッションサイズの上限に達すると会話はすべて中断され、新たにセッションを始めるほかない。
・人間の脳の古い記憶に関する能力は解明されていない。また、脳は体力と気力がある限り会話を続けられるが、GPT-4にはそれはできない。
●注意、GPT-4は微妙な誤りを犯す
・GPT-4には誤りは珍しいことではないので、「信頼するが、検証する」は極めて重要である。特に、数学、統計学、論理学に関しては特に注意する必要がある。
・GPT-4の確認作業は別のGPT-4とのセッションを利用する。もしくは人間が確認することである。
・GPT-4の誤りが難しい1つの要因は、人間にとって非常に難しい問題を解ける一方で、些細と思われる問題を正しく解答できない場合も少なくないからである。
・GPT-4はコードを書いたり、APIを使ったりすることができるので、ソルバーやコンパイラ、データベースなどのツールを使えるようにすると制限を克服できるかもしれない。また、医療系では病院の電子カルテシステムや医療画像データベースへのアクセス権が与えられるとGPT-4の予測可能性は向上するだろう。
●結論
・GPT-4は絶え間ない進化と改善を続けている。
・GPT-4の出力を検証することが非常に重要である。もし、検証することができないならば、GPT-4の結果を信用しない方が賢明である。
・GPT-4が実際に「考える」か、「理解する」か、「感じる」かについては、コンピュータ科学者、心理学者、神経科学者、哲学者、宗教指導者などが延々と議論し、論争していくと考えられる。そして、このような議論はとても重要である。
・今日、最も重要なことは、GPT-4のような機械と人間がどのように協力し、人間の健康を増進させるかということである。GPT-4はヘルスケアの改善に貢献する並外れた可能性を秘めている。
Chapter7 究極のペーパーワークシュレッダー
・ペーパーワークを嫌う人は多いが、医療分野で考えれば、治療に関する情報を文書化して共有し、改善に役立てるためにある。文書で物事を共有することは、治療ミスのリスクを減らし治療の効果を高める。また、病院経営には請求、送金、保険契約などの多くの事務処理が存在している。医療は厳しく規制された業界であり、政府による規制を守る方法は医療業務を文書化することである。
・医師や看護師の燃え尽き症候群は増加の一途をたどっており、職業的満足感を抱いているのは22%という調査結果も出ている(HealthDay:健康と医療に関連するニュースと情報を提供するサービス)。燃え尽き症候群の最大の原因は人員不足であるが、その次の要因は、医師の58%、看護師の51%が事務処理の問題をあげている。
おわりに
『今日は2023年3月16日、我々はこの本の執筆を終えようとしている。ありがたいことだ。つい2日前、OpenAIはGPT-4を正式に世界に公開した。
同じ日、マイクロソフトは新しいBingとEdgeのチャット機能を支えるAIモデルがGPT-4であることを明らかにした。グーグルも同日、大規模言語モデルへの開発者のアクセスを提供するPaLM APIを発表した。そのわずか1日後、アントロピック(AIの研究と開発を行う米国のスタートアップ企業)は次世代AIアシスタント「Claude」を発表した。そして今日、マイクロソフトはWord、Excel、Outlook、PowerPointのアプリケーションにGPT-4を統合することを発表した。今後数週間で、さらに多くのLLMベースの製品が市場に登場することは間違いない。AI競争は本格化しており、我々の働き方や生き方を永遠に変えるだろう
昨日、私の同僚(そして上司)であるケビン・スコットが次のような言葉を私に教えてくれた。
(それは)人間の力を大いに増大させたが、人間の善良さをあまり増大させなかった。
これはイギリスの随筆家、戯曲・文芸評論家、画家、哲学者であるウィリアム・ハズリットが1818年に発表したエッセイ「学識者の無知について」の中で書いた言葉である。私はGPT-4に、ハズリットなら大規模言語モデルとそれが人間に及ぼすであろう影響について何と言っただろうと尋ねてみた。GPT-4はこう答えた。
画像出展:「AI医療革命」
『GPT-4の出現によって、今日何が起きてるのか、特に人間の健康と福祉に及ぼす潜在的な影響を考えずに、ハズリットの言葉を読むことはできない。このことに関する世間の議論は、おそらく激しく騒がしいものとなるだろう。そして、本書がそうした議論に貢献しようとしても、ハリケーンに向かって叫ぶようなことになるかもしれない。しかし、本書がそのような議論に参加しようとする人たちにとって少しでも役に立てば幸いである。社会は今後、非常に重大な倫理的・法的な問題に直面することになるだろう。そのため私は、できるだけ多くの人々が、その答えを導き出せるような能力を備えることを切に願っている。我々は、AIと健康について理解している人々が積極的な役割を果たし、この新しい力を「不適切な行動」ではなく、「人間の善意」へと向ける必要がある。』
感想
AIはやはりITの革新だと思います。それは以下のように思うからです。しかし、もし、AIが無秩序に利用されるとすれば、大きなリスクを抱えることも確かだと思います。
「働く人は良い仕事をしたいと思っている。効率よく仕事をしたいと思っている。経営者は会社を維持そして成長させるため、仕事の質を上げたいと思っている。生産性を上げたいと思っている。利益を上げたいと思っている。世間からの評価を高めたいと思っている。
このためには、有能なパートナーが必要である。それは必ずしも人間でなくても問題はないのではないか。生成AIをパートナーのように有効活用したい経営者は間違いなくいる。そしてうまく活用した企業は大きな成長の機会を手にすると思う。」
AIに関しては“生成AIの可能性”というブログをアップしています。そして、AIは一時的なものではなくITにとっての革新であり、発展していくものだろうと思っています。
今回の本のタイトルは『AI医療革命』なのですが、興味をもったのはAIを牽引するリーダー的存在のNVIDIAが、特にAI医療に注目しているということを知ったためです。
著者:ピーター・リー、アイザック・コハネ、キャリー・ゴールドバーグ
発行:2024年1月
出版:ソシム(株)
購入してから気づいたのですが、本のタイトルには、「ChatGPTはいかに創られたか」と書かれていました。これには少し戸惑いを感じました。おそらくそれは医療革命という響きが、医療の歴史や現状、あるいは医療に関わるシステムや業務プロセスを変革するような大きなものをイメージしていたためだと思います。
読み終えてその違和感は、本書が掲げるAI医療革命とはソフトウェア(コンピュータ言語)革命であり、医師や医療従事者の「考える」あるいは「つくる」という分野にAIが入り込み、そして支援する(共生医療)。それにより仕事の「質(正確性)」と「量(処理スピード)」を、従来の改善という小さなものではなく、大きな変革と呼べるような医療の在り方に変える。というものではないかと感じました。
IBMが“IBM Personal Computer 5150”を世に送り出したのは1981年です。これはITにおけるハードウェア&パーソナル革命と呼べるような気がします。
画像出展:「historyofinformation」
『1981年8月12日、IBMはIntel8088プロセッサをベースとしたオープン アーキテクチャのパーソナル コンピュータオフサイトリンク(PC) を発表しました』
そして、米国では1967年から、日本では1984年から研究者の間だけで使われていたインターネットですが、本格的に普及し始めたのは“Netscape”というブラウザが画期的だったからではないかと思います。その最初のリリースは1994年です。IBMのPC5150のリリースから13年後、これはネットワーク&モバイル革命のように思います。
画像出展:「日経XTECH」
ご参考:“なんかいウェブ研究所”
私はSEではないので技術的なことは分かりませんが、メインフレームと呼ばれる大型汎用システムの言語はCOBOLだったと思います。一方、オープンシステムでマルチタスクが特長だったUNIXシステムに関しては、Fortran、C++、Javaといったコンピュータ言語が有名だったと思います。
一方、AIで使われている言語は全く新しいタイプの言語であり、LLM(大規模言語モデル)と呼ばれています。生成AIにとってLLMはまさに無くてはならないもので、ニューラルネットワークで構成されるコンピュータ言語モデルとされています。このニューラルネットワークとは生物の学習メカニズムを模倣した機械学習法とされており、今までのコンピュータ言語とは発想が全く異なります。このことが、AIはソフトウェア(コンピュータ言語)革命ではないかと考えた理由です。
画像出展:「@IT」
『AIにおける人工のニューラルネットワークは、人間の脳が持つ神経ネットワーク(=生体ニューラルネットワーク)を簡易的に模倣、もしくはヒントにしたものです。深層学習に至るまでに、人工ニューラルネットワークは徐々に進化してきました。』
画像出展:「QuadCom」
“【IT最新トレンド】対話型AIとは何かを分かりやすく解説!”
『従来のAIは、人間がルールや指示を明示的に与えて学習します。一方、大規模言語モデルは、膨大なデータ(パラメーター)から自律的に学習します。この違いにより、大規模言語モデルは従来のAIよりも柔軟で、幅広いタスクを実行することができます。』
目次
序文 OpenAI サム・アルトマン
Chapter1 ファーストコンタクト
●GPT-4とは何か
●しかし、GPTは実際に医療について何か知っているのか
●医学の専門家も非専門家も使えるAI
●AIとの新たなパートナーシップは、新たな問いを投げかける
●ザックとその母に戻る
Chapter2 機械からの薬
●医療機関の新しいアシスタント
●GPT-4はつねに真実を語るのか
●臨床医のインテリジェントなスイスアミーナイフ
●給付金への説明
●医療の実践における伴走車
●GPT-4は現在進行形
Chapter3 大いなる疑問:それは、「理解」しているのか
●大いなる疑問:GPT-4は本当に自分の言っていることを理解しているのか
●常識的推論、道徳的判断、心の理論
●現実には限界がある
●では、大いなる疑問についてはどうだろう
Chapter4 信頼するが、検証する
●驚きと不安
●臨床試験
●訓練生
●しかし、パートナーとしては……
●先導者
Chapter5 AIで拡張された患者
●持たざる人々
●新しい三者の関係
●情報に基づく選択
●より良い健康
●セラピーAI
Chapter6 もっとはるかに:数字、コーディング、ロジック
●GPT-4は計算して、コードを書く
●GPT-4は不思議なことに論理的であり、常識的な推論もできる
●GPT-4とはいったい何なのか
●GPT-4は単なる自動補完エンジンなのか
●しかし、GPT-4にはいくつかの絶対的限界がある
●注意、GPT-4は微妙な誤りを犯す
●結論
Chapter7 究極のペーパーワークシュレッダー
●GPT-4は、紙の受付票を代替する
●GPT-4は診療記録の作成に役立つ
●GPT-4は品質向上を支援できる
●GPT-4は医療提供のビジネス面を支援できる
●GPT-4は価値基準医療の仕組みに役立つ可能性がある
●GPT-4に医療ビジネスの意思決定を任せられるか
Chapter8 より賢いサイエンス
●例:新しい減量薬の試験
●研究のための読書と執筆
●適格化のためのツール
●臨床データの分析
●消えたデータ
●基礎研究
Chapter9 安全第一
Chapter10 リトル ブラック バッグ
おわりに
序文 OpenAI サム・アルトマン
・本書は、GPT-4の汎用的な能力がどのように医療とヘルスケアに革命をもたらされるかを包括的に概説している。
・医療アプリケーションにおけるGPT-4の安全で倫理的かつ効果的な使用法に関する初期の実践指針を示し、その使用をテスト、認証、監視するための緊急の取り組みを呼びかけている。
Chapter1 ファーストコンタクト
・2022年秋、そのAIシステムはまだOpenAIが秘密裏に開発中だった。
・医療にどのような影響を与え、医学研究を変革する可能性があるかを探る。
・診断、診療記録、臨床試験のほぼすべての領域。
●GPT-4とは何か
・初心者ユーザはAIシステムを一種にスマートな検索エンジンのように捉えることが多いようだ。
・GPT-4は検索エンジンと統合できる。
・GPT-4の会話継続能力は素晴らしい。
・GPT-4は論理学や数学の問題を解くことができる。
・GPT-4はコンピュータプログラムを書ける。
・GPT-4はスプレッドシート、フォーム、技術仕様書など解読できる。
・GPT-4は外国語間の翻訳ができる。
・GPT-4は要約、チュートリアル、エッセイ、詩、歌詞、物語を書ける。これらはChatGPTより高度にこなす。
・GPT-4は複雑な数学の問題を解く一方で、単純な算数に間違えることもある。
・GPT-4は賢さと愚かさという二律背反の問題は、特に医療において最大の課題の一つである。
・携帯電話を忘れたような感覚はGPT-4にも言える。GTP-4がないと医療が成り立たない、手詰まりになる、そのような感覚を人間の健康という領域において共有することが本書の目的の一つである。
・GPT-4は新しい能力だけでなく、新しいリスクも提供する。
・GPT-4は出力の正しさを検証することが非常に重要である。
・GPT-4は自分自身の仕事と人間の仕事を見て、その正しさをチェックすることに長けている。
・医療は人間とAIの連携が求められる分野である。GPT-4だけでなく、人間によるエラーを減らすため、GPT-4をどのように使うか、事例とガイダンスが求められる。
・問題の核心にあるのは、人間と機械の新しいパートナーシップ、「共生医療」である。
●しかし、GPTは実際に医療について何か知っているのか
・GPT-4を医療に使う場合、GPT-4は医療について本当は何を知っているか、ということが大きな問題である。1つ確かなことは、GPT-4は医学の専門的な訓練を受けていないということである。
・医学的訓練を受けたGPT-4というアイデアは、OpenAIの開発者だけでなく、多くのコンピュータ科学者、医学研究者、医療従事者にとって非常に興味深いものである。その理由の1つは、GPT-4がどのような医学的「教育」を受けてきたかの正確な理解が、人間の医者についてと同様に重要なことが多いからである。
・「相関関係は因果関係を意味しない」。この区別は医療において決定的に重要である。例えば、パスタをたくさん食べると高血糖になるか、それとも単に相関関係があるだけで、根本的な原因は別にあるのかを知ることは重要である。GPT-4が因果関係の推論が可能かという問題は、本書の範囲外であり、まだ決着がついていないと言うのが適切である。
●医学の専門家も非専門家も使えるAI
・GPT-4は自らの回答を「易しく書き直して」、医学の素人も含めて、様々な人がアクセスできるようにすることが可能である。
・感情を想像し、人に共感できることがGPT-4の最も興味深い点の1つである。これは人の心の状態を想像する能力に関係しているかもしれない。このようなAIシステムとのやりとりについては、ときに機械による人間の感情の評価を「不気味」に感じることもあるだろう。
・GPT-4は不可解な診断例や難しい治療法の決定や臨床事務にも役立つが、最も重要なことは「患者との対話」において医師を支援する方法を見出したことだろう。GPT-4はしばしば驚くべき明晰さと思いやりをもってそれを実現する。
●AIとの新たなパートナーシップは、新たな問いを投げかける
・『ここまでで、GPT-4がまったく新しいタイプのソフトウェアツールであることはおわかりいただけたと願う。GPT-4の前に登場したヘルスケア向けのAIツールは、放射線スキャンを読み取ったり、患者記録のコレクションから入院リスクの高い患者を特定したり、診療録を読んで正しい請求コードを抽出し、保険請求のために提出したりといった特殊なタスクをこなしたりするものが多かった。このようなAIの応用は、重要かつ有用なものだ。何千人もの命を救い、医療費を削減し、医療に携わる多くの人々の日々の体験を向上させてきたことは間違いない。
しかし、GPT-4は、まさに別種のAIである。GPT-4は、特定のヘルスケアタスクのために特別に訓練されたシステムではない。実際、医療に関する専門的なトレーニングは一切受けていない。GPT-4は、従来の「狭義のAI」ではなく、医療に貢献できる初めての「汎用的な人工知能」なのだ。この点で、本書が扱う真の問いは、次のように要約される。すなわち、もし医療に関するほぼすべてを知る「箱の中の脳」があったら、それをどのように使うか、である。
しかしながら、もう1つ、より根本的な疑問がある。これほど重要かつ個人的かつ人間的で大きな役割を果たす資格が、人工知能にはどのくらいあるか、である。我々は皆、医師や看護師を信頼する必要がある。そのためには、我々をケアする人たちが良い心を持っていることを知る必要がある。
それゆえ、GPT-4が持つ最大の疑問、そして最大の可能性が見えてくる。GPT-4はどのような意味で「善良」なのだろう。そして、結局のところ、このようなツールは、我々人間をより良くしてくれるのだろうか。』
●ザックとその母に戻る
・『GPT-4をはじめとするAIが「考える」「知る」「感じる」のか、コンピュータ科学者、心理学者、神経科学者、哲学者、そしておそらく宗教家までもが、延々と続けるだろう。知性と意識の本質を理解しようとする我々の願いは、人類にとって最も根源的な旅の1つであることはたしかである。しかし、最終的に最も重要なのは、GPT-4のような機械と人間がどのように協力し、パートナーシップを結び、人間の状態を改善するために共同で探求していくのかということだ。』
Chapter2 機械からの薬
・GPT-4は文句を言ったり、叱ったりするのが好きではない。
・GPT-4と「関係」を持つという考え方は、本書の核心的な問いかけの1つであり、おそらく物議を醸すだろう。従来の常識では、思考し感情を持つ知覚的存在としてAIシステムを捉えるのは間違っており、AIを擬人化することには本当に危険が伴うと言われている。この問題は最も個人的な事柄の1つである医療において、特に重要だと思われる。
・GPT-4は常に変化し改善している。
●医療機関の新しいアシスタント
・米国の医療従事者の仕事量は20年間で劇的に増加した。医師や看護師は助けを必要としている。
・医療現場の日常業務の多くは、過酷で単調な事務作業などに追われている。
●GPT-4はつねに真実を語るのか
・GPT-4が出す間違った回答の問題点は、その答えが正しく見えることである。なぜなら、説得力のある方法で提示されるからである。
・GPT-4が医療現場のどこで使用すべきか、また医学のあらゆる側面、さらには医学研究論文などのレビューにも当てはまることである。
・GPT-4のような汎用AI技術は、教育的な推測や情報に基づく判断が必要とされる状況に巻き込まれる。
・医師-患者-AIアシスタントの「三位一体」が、医師-患者-AIアシスタント-AI検証者へと拡張される可能性がある。
●臨床医のインテリジェントなスイスアミーナイフ
・GPT-4は診療記録だけでなく、様々なフォーマットで質の高い診察後のサマリー(患者の診療情報や入院・退院時の概要、治療の経過などを簡潔にまとめた文書)を作成できる。
・GPT-4は会話に非常に長けているので、患者の状態や病歴に基づいて、内容の変更や推奨事項を提案することも可能である。
●給付金への説明
・GPT-4はデータを説明、比較、パーソナライズ、最適化し、フィードバック、推奨、精神的サポートを提供することで、医療費、検査結果、健康アプリなど消費者が自身の健康データを解読し、管理するのを支援できる。
●医療の実践における伴走車
・GPT-4はエビデンスに基づいた仮説を立て、複雑な検査結果を解釈し、一般的な疾患だけでなく稀な疾患や生命を脅かす疾患の診断も認識し、関連する参考文献や説明を提供することができる。
・GPT-4は高度に専門的な研究論文を読み、非常に洗練された議論を行うことができる。
・GPT-4の“ユニバーサル・トランスレーター”機能は、医師や看護師を目指す人々や一般の人々に対して、医学知識の普及や医学教育に役立つ可能性がある。
・GPT-4は医学雑誌の記事を読み、小学6年生の理科の授業にふさわしい要約とクイズを書くことができる。
・GPT-4は高度な医学研究の場で、推論を駆使して議論を促し、次の研究ステップの可能性を議論し、可能性のある答えを推測することができる。
・GPT-4はインフォームドコンセントのような倫理的概念にも精通していると思われる。
・GPT-4は全体として、透明性、説明責任、多様性、協調性、論理性、尊重の重要性について核心的な理解を持っている。
●GPT-4は現在進行形
・GPT-4は急速に進化しており、ここ数カ月の調査においても、その能力が著しく向上しているが、未完成であり、今後も絶え間なく進化し続けるだろう。
・本書の最大の目的は、この新しいAIが、ヘルスケアや医療、そして社会のその他の分野で果たす役割について、今後極めて重要な社会的議論に貢献することである。しかし、最も重要なことは、GPT-4自体が目的ではなく、新たな可能性と新たなリスクを併せ持つ世界への扉を開くものである。
・今後、GPT-4を凌ぐ有能なAIシステムは登場するだろう。GPT-4は加速度的に強力的になっていく汎用AIシステムの最初の一歩に過ぎないというのが、コンピュータ科学者たちの共通認識である。
・人工知能の進化に合わせ、医療へのアプローチをどのように進化させるのがベストなのかを理解することである。
Chapter3 大いなる疑問:それは、「理解」しているのか
・GPT-4が優れた会話システムであるのは、会話の全体像を把握している点である。これは今までのAI言語システムと大きく異なる点である。
・何のガイダンスもない場合、GPT-4はその回答を簡潔にするか、あるいは拡大解釈するかを自分で決めなければならない。
・GPT-4は口調を調整し、象徴を想起させ、進行中の会話の「雰囲気」に合わせるという能力を持っている。
●大いなる疑問:GPT-4は本当に自分の言っていることを理解しているのか
・GPT-4は読み書きを理解しアウトプットに意図はあるのか、それとも言葉をつなぎ合わせた無心のパターンマッチングなのかが疑問であるが、多くのAI研究者の見解は後者であり、ディープラーニングだけでは限界があると考えている。しかしながら、科学の問題としてこの「大いなる疑問」に答えるのは驚くほど難しい。そして、この種の問いは、科学的、哲学的議論の的であり、この疑問は長く続くものと思われる。
・GPT-4は詩を書くより分析する方が、文章を作成するより、それを見直す方が得意のようである。
・GPT-4が自分の意志を持っているとは思えないが、確信的な捏造や省略、さらには過失もある。このことは検証を必要とする理由である。
●常識的推論、道徳的判断、心の理論
・GPT-4は理解していないという根拠には、具体的な経験の欠如がある。また、より高度な知性、例えば、物理的世界における推論、常識、道徳的判断などにおいての限界は長年の研究結果もある。
・GPT-4はイエスかノーの答えを求める質問に応じないことによって、「自分の意思」を示しているようである。
●現実には限界がある
・今の所、「理解」という問題に決着をつけられていないが、GPT-4の推論能力にはいくつかの現実的な限界がある。
・GPT-4は数学において知性と無知が混在した不可解な動きを見せることがある。
●では、大いなる疑問についてはどうだろう
・GPT-4のように純粋に言語だけで訓練されたAIシステムは、「理解」していないという見解は正しいと思う。そして、大いなる疑問に関する全体的な科学的コンセンサスはその方向性に傾いている。しかしながら、少なくともGPT-4に関しては、これを証明することは意外に難しい。
・『数ヶ月にわたる調査の結果、私[ピーター・リー]は、最新の科学的研究によるテストでは、GPT-4が「理解が欠けている」ことを証明できないという結論に達した。そして、実際、我々がまだ把握していない、真に深遠な何かが起こっている可能性は十分にある。GPT-4は、我々がまだ特定ができていない何らかの「理解」と「思考」を持っているのかもしれない。ただ、1つ確実に言えるのは、GPT-4はこれまでに見たことのないものであるということだ。そして、GPT-4を、「単なる大きな言語モデル」として片付けるのは間違いであるということだ。』
・『大いなる疑問に対する回答や、知能と意図性についての、おそらくさらに大いなる疑問は、我々の科学的・哲学的探求の中心にある。一方で、最終的に最も重要なのは、GPT-4のようなAIシステムと我々の関係が、我々の心や行動をどのように形作るかということかもしれない。人間のように「理解」できるかに関わらず、GPT-4は、4章[信頼するが、検証する]で見るように、診療所から研究室に至るまで、我々の理解を大いに助けてくれるだろう。』
私事ですが、尿蛋白が(±)でした。今まで尿検査で問題になったことがなかったため、少し気になり原因を考えてみました。禁煙して約14年、飲酒は月1、2回、生活習慣も安定しており気になるようなストレスもありません。塩分コントールも1日6gを目指しています。
このことから、加齢による経年劣化ではないかと思われますが、それ以外で思い当たる理由は、唯一、コロナワクチン接種による可能性です。ちなみにワクチン接種の回数は3回です。
コロナワクチンの問題は「日本整形内科学研究会」さまのウェビナーで色々勉強させて頂いており、特に免疫グロブリンの中のIgG4の数値が顕著に上昇する可能性があるという話は知っていました。また、自分自身でも数冊の本を読んでおり、ワクチン接種の問題については、“免疫学者の告発1”というブログをアップしています。
※ご参考
IgG4はIgGのひとつです。これは免疫グロブリン(IgG、IgM、IgA、IgD、IgEの5種類)の仲間ですが、免疫グロブリンとは、異物が体内に入った時に排除するように働く「抗体」の機能を持つタンパク質のことです。
IgG4の働きについては十分に解明されていないようです。ネットで調べたところ以下のような説明を見つけました。
・『IgG4の反応は、ケミカルメディエーターの放出には結びつかず、むしろIgEと抗原を競合することによりメディエーターの放出を抑える遮断抗体として作用する可能性が示唆されている。』
②九州大学学術情報リポジトリ:“Study on stabilization of human IgG4 antibodies” PDF95枚
・『IgG4 は、アレルゲンに対して誘導され、長期間で反復の抗原感作により IgG4の血中の割合は高くなる。免疫療法において、症状の軽減は IgG4 の誘導と相関があり、免疫反応を抑制し、免疫寛容に関与しているという報告がある [Aalberse etal., 2009; Vidarsson et al., 2014]。』
まず、“コロナワクチン”と“IgG4”をキーワードにして検索したところ、2つのサイトを見つけました。
1つめは“東京都医学総合研究所”さまの記事で、タイトルは『IgG4関連疾患の危険因子としてのCOVID-19 mRNAワクチン』です。
画像出展:「東京都医学総合研究所」
2つめは“ゆうき内科クリニック”さまの記事で、タイトルは『コロナ感染歴がないとmRNAワクチン接種後にはIgG4抗体が著明に増える』です。論文も紹介されています。
画像出展:「ゆうき内科クリニック」
この2つのサイトから、あらためてコロナワクチン接種によりIgG4の数値が顕著に上がる可能性があるという懸念を再確認できました。
続いて“腎臓”、“コロナワクチン”、“IgG4関連腎臓病”をキーワードにして検索したところ、1つは「一般社団法人日本腎臓学会」さまの記事がヒットしました。これには少し驚きました。というのは、世間的にはコロナワクチン接種の問題を指摘するニュースや記事はあまり公にはなっていないのではないかと想像していたためです。アンケートの内容は「ネフローゼ症候群」に関するものなので、まさに蛋白尿は重要なマーカーです。
タイトルは『「COVID-19ワクチン接種とネフローゼ症候群新規発症・再発の関連性に関する調査研究」アンケート調査結果のご報告』です。
画像出展:「一般社団法人日本腎臓学会」
もう1つは「国立循環器病研究センター」さまの中の腎臓・高血圧内科のページです。「さらに詳しく IgG4関連腎臓病」とあり、次のようなことが書かれています。
画像出展:「国立循環器病研究センター」
『IgG4関連疾患に伴い発症する腎障害です。尿細管間質にIgG4陽性の形質細胞が著明に浸潤し、特徴的な線維化を起こします。比較的高齢者に多く、ステロイド剤が著効することが多いです。』
また、本も見つけました。2014年3月発行のため決して新しい本ではないのですが、基礎的なことであれば十分だろうと思い買ってみることにしました。
編集:斉藤喬雄、西 慎一
発行:2014年3月
出版:南江堂
目次
Ⅰ.IgG4関連腎臓病とは何か
1. IgG4関連疾患と腎臓病の研究の流れ
1)1型自己免疫疾患性膵炎の立場から
2)Mikulicz病の立場から
3)IgG4関連腎臓病の立場から
4)国際的な研究の流れと日本の立場
2.IgG4関連腎臓病診療指針
3.IgG4関連疾患包括診断基準と腎臓病
Ⅱ.IgG4関連腎臓病の診断と治療
1.臨床病態
2.病因と発症機序
3.画像所見
4.血液検査所見(免疫所見を含む)
5.尿所見・腎機能
6.病理所見
1)尿細管間質所見
2)糸球体所見
3)腎盂・尿管病変
4)免疫組織学的所見
7.治療と予後
Ⅲ.IgG4関連腎臓病に関連する他臓器病変
Overview-IgG4関連腎臓病と他臓器病変
1.頭頸部病変(眼窩、唾液腺、下垂体、中枢神経、甲状腺)
2.胸部病変(肺、胸膜、胸部大動脈、冠動脈、乳腺)
3.服部病変①(肝胆膵)
4.腹部病変②(後腹膜、腹部大動脈、前立腺)
5.リンパ節病変と悪性リンパ腫
Ⅳ.IgG4関連腎臓病と鑑別すべき疾患
1.全身性エリテマトーデス(尿細管間質病変を中心に)
2.シェーグレン症候群
3.Castleman病とidiopathic plasmacytic lymphadenopathy with polyclonal hyperimmunoglobulinemia(IPL)
4.血管炎症候群(ANCA関連血管炎)
5.サルコイドーシス
Ⅴ.症例に学ぶIgG4関連腎臓病
Overview-IgG4関連腎臓病の症例
1.典型的な症例
2.好酸球性多発血管炎性肉芽腫症(EGPA)[Churg-Strauss症候群]との鑑別例
3.尿細管間質性腎炎を伴うループス腎炎V型とIgG4関連腎臓病の双方が考えられた症例
4.後腹膜線維症による腎後性腎不全を合併したIgG4関連腎臓病の一例
5.腎癌切除後にIgG4関連腎臓病と診断された症例
Ⅰ.IgG4関連腎臓病とは何か
・IgG4関連疾患(IgG4-related disease:IgG4-RD)は新しい概念の疾患である。日本の研究者が中心的な役割を果たしてきた疾患であり、2011年のボストン国際シンポジウムで国際的コンセンサスが刻まれた。
・IgG4-RDは様々な臓器に病変を起こすが、腎臓も例外ではなくIgG4関連腎臓病(IgG4-related kidney disease:IgG4-RKD)と呼ばれている。
・免疫グロブリンの主体的存在であるIgGのサブクラスが解析されるようになり、そのひとつであるIgG4の血中における増加と、IgG4陽性形質細胞の組織への浸潤を特徴とする、IgG4関連疾患(IgG4-RD)が注目されるようになった。
・IgG4関連腎臓病の病変は特異的な尿細管間質性腎炎が主体であるが、膜性腎症などの糸球体障害や、腎盂・尿管の肥厚および腫瘤など、いわゆる泌尿器科的病変を併発する例もあり、極めて多彩である。
・2009年には「IgG4関連腎臓病ワーキンググループ」が日本腎臓学会に作られ、2011年にはその活動の一端として、世界に先駆けて「IgG4関連腎臓病診療指針」が英文と和文で発表された。
1.IgG4関連疾患と腎臓病の研究の流れ
1)1型自己免疫疾患性膵炎の立場から
・IgG4関連疾患はIgG4関連腎臓病を含め、ほぼ全身諸臓器の病変を包括しているが、当初は、自己免疫性膵炎(AIP)の膵外病変として認識されてきた。
3)IgG4関連腎臓病の立場から
・IgG4関連腎臓病の主体はTIN(尿細管間質性腎炎)だが、膜性腎症や紫斑病性腎症など様々な糸球体障害を併発している。
2.IgG4関連腎臓病診療指針
・診断基準の作成にあたって、2004年~2011年にIgG4-RKDと診断された41例のIgG4-RKDを解析したところ、平均年齢は64歳、男性73%と中高年の男性が多かった。尿蛋白は1+以上が50%、血尿も1+が33%、血清Cr値が1.0以上の症例は59%に認められ、検尿異常や腎機能低下が発見の糸口となることが明らかとなった。
・血液検査では高IgG血症を90%に、低補体血症を54%、高IgE血症を79%に認めたので、これらの血液異常を伴った慢性腎臓病についてはIgG4-RKDを疑う必要がある。
・画像所見では腎実質のくさび状もしくは類円形の多発性造影不良域が代表的所見である。画像所見の中で特に重要なのは癌との鑑別である。
3.IgG4関連疾患包括診断基準と腎臓病
画像出展:「IgG4関連腎臓病のすべて」
画像出展:「IgG4関連腎臓病のすべて」
Ⅱ.IgG4関連腎臓病の診断と治療
1.臨床病態
・IgG4-RKDは、自覚症状は乏しいが、糸球体病変では高度の蛋白尿に伴い、浮腫を認めることがある。腎外病変としては、唾液腺、涙腺、リンパ節病変の合併は比較的多いが患者自身が訴えることは少ないため、問診や触診が重要である。まれに皮膚病変(紫斑を含む)、関節炎をきたす例もある。
画像出展:「IgG4関連腎臓病のすべて」
・IgG4-RKDはIgG4-RDの中でも腎外病変の傾向が顕著である。
・41症例においては、IgG4-RKDの60%は腎病変と腎外病変が同じ時期、40%は1型AIP(自己免疫性膵炎)や唾液腺病変などの腎外病変が先行した後、腎病変が出現していた。
画像出展:「IgG4関連腎臓病のすべて」
2.病因と発症機序
・IgG4-RKDの主体は尿細管周囲の間質への細胞浸潤と特異な線維化であるが、IgG4関連尿細管間質性腎炎の存在が広く認識されるにつれて、様々な糸球体病変が共存する多くの症例報告がなされてきた。
4.血液検査所見(免疫所見を含む)
・IgG4-RKDの腎障害は、基本的にTIN(尿細管間質性腎炎)であり、その他、腎盂壁肥厚という泌尿器科的疾患が含まれる。
・IgG4-RKDは概して進行は遅く、ほとんどは慢性腎炎症候群に該当する。
・IgG4-RKDのステロイド薬治療による反応性は一般的に良好で、膠原病や血管炎などによるTIN(尿細管間質性腎炎)より回復は見られることが多い。
・慢性腎臓病ステージ4(eGFR15~30)あるいは5(eGFR15未満)まで腎機能が進行した症例でも、ステロイド薬治療により腎機能が回復することもある。しかしながら、ステロイド薬治療を減量あるいは中止すると悪化する場合もあることから、腎機能検査は長期的に実施すべきである。
画像出展:「IgG4関連腎臓病のすべて」
確かに上記の青字のことが書かれています。
画像出展:「医療法人桂水会 岡病院」
右端の2つがステージ4とステージ5です。いずれも「透析・移植について考える」段階となっています。
つまり、IgG4-RKDによる腎機能低下の場合は、かなり悪化していても改善が期待できるということです。
・血清クレアチニン値が正常で、腎機能に低下が見られない症例もあった。
・血清IgG4は221㎎/dLから最高4,630㎎/dL、半数が1,000㎎/dLを超えていた。
・IgG4-RKDの診断と鑑別に必要な検査項目は以下の通りである。特にIgEを含む免疫グロブリンと補体の測定は必須である。IgG4に関しては135㎎/dLを超えていることがポイントである。なお、IgG4以外のサブクラス(G1、G2、G3)も全体的に上昇していることが多い。
画像出展:「IgG4関連腎臓病のすべて」
・IgG4-RKDと類似している疾患は以下の通りである。
画像出展:「IgG4関連腎臓病のすべて」
・IgG4の検査は2010年より保険適用となった。また、IgG4-RD以外にIgG4が上昇する病態としては、アレルギー性疾患、天疱瘡、膜性腎症に加え、蜂に刺されることにより上昇することも報告されている。
5.尿所見・腎機能
・IgG4-RKDの診断においては一般検尿、腎機能低下が基本であるが、陰性例も少なくないので尿細管障害マーカー異常や画像所見異常の確認も必要である。軽度腎機能障害の判定マーカーとして有用なシスタチンCなどを利用することが勧められる。特に小柄で筋肉量の少ない高齢者ではシスタチンCは有用である。
画像出展:「IgG4関連腎臓病のすべて」
7.治療と予後
・IgG4-RKD 43例について長期間の臨床経過を検討した(観察期間3~189ヵ月、平均44ヵ月)、40例がステロイド薬治療を受け(初期PSL量は20~60㎎/日)、39例において1ヵ月後には腎機能、腎画像異常と低補体は改善し、IgG4値は低下していた。
・ステロイド薬治療後1年以上経過観察された症例は34例あり、そのほとんどは少量ステロイド薬治療(PSL5㎎/日程度)を継続していたが、治療開始前eGFR≧60mLのA群(14例)では最終観察時eGFRは治療前と差を認めず、治療開始前eGFR<60mL/のB群(20例)では治療開始後1ヵ月eGFRは有意に改善し、その後最終観察時もほぼ同じレベルで推移した。
・IgG4-RKDでみられる腎機能低下の回復の度合いはステロイド治療薬1ヵ月でほぼ決定され、回復した腎機能はステロイド治療薬少量維持療法下でその後比較的長期間保持されていることが明らかになった。一方、CT画像では最終観察時A群で22%、B群で60%に腎移植が出現していた。このことはIgG4-RKDはステロイド治療薬が奏功するが、ステロイド治療によっても回復しないことが、特に腎障害が進行した症例で多く残ることを示している。
感想
IgG4関連腎臓病のことは何とも言えない状況ですが、3、4カ月に1回、血液検査と尿検査をしてるので次回の検査ではIgGとIgE、可能であれば補体やシスタチンCについても検査対象にして頂けないか、かかりつけの先生にご相談しようと思っています。
余談
今回、驚きの発見もありました。それは、慢性腎臓病ステージ4(eGFR15~30)あるいは5(eGFR15未満)まで腎機能が進行した症例でも回復することがあるという以下の記載です。
画像出展:「IgG4関連腎臓病のすべて」
もちろん、本件は原因がIgG4関連腎臓病(IgG4-RKD)であり、治療はステロイド薬治療ということではありますが、それでもステージ4や5まで悪化した腎機能の回復は注目に値します。
以前、“脈診・腹診・クレアチニン”でご紹介しているのですが、この患者さまと、もうお一人の計お二人ではありますが、いずれも3点台のクレアチニン値が1点台まで改善した症例がありました。
IgG4関連腎臓病の患者さまではないため関係はないはずですが、慢性腎臓病の患者さまでも劇的な改善があるということは一つの可能性だと思います。
ご参考:IgG4関連疾患(IgG4-RD)
画像出展:「KOMPAS(慶応義塾大学病院 医療・健康情報サイト)」
IgG4の影響は腎臓だけではありません!
概要
IgG4関連疾患とは、血液中の免疫グロブリンG(IgG)という抗体成分のうちIgG4という成分が上昇することと、全身の臓器にIgG4を作る形質細胞という細胞などが浸潤して腫れてくることを特徴とした疾患です。
症状
形質細胞などの細胞が塊を作って、全身の臓器を押しつぶすことで、様々な症状が出現します(図 参照)。
追記:私自身の血液検査結果(2024年6月3日)
気になっていた血液検査を行いましたが、特にワクチン接種による腎臓への悪影響はなさそうです。
1.IgG4:75.8 (11-121)⇒正常
2.IgE:22.2(173以下)⇒正常
3.シスタチンC:091(063-0.95)⇒正常(やや高め)
※クレアチニンという検査項目で異常を指摘された時に、より正確な腎機能を評価するために調査する。シスタチンCはクレアチニンとは異なり筋肉量などの影響を受けにくい。
4.血清補体価:44.0(25.0-48.0)⇒正常(腎臓は低値が問題)
※補体は主に肝臓で産生される急性期相反応物質であり、感染症をはじめとした多くの炎症性疾患で産生が亢進し高値を示す。また腎疾患などでは低値を示す。
私事ですが、5ヶ月前くらいに生まれて初めて“閃輝暗点”を経験しました。
※閃輝暗点とは
こちらのサイトに詳しい解説が出ています。
頭痛がない場合
症状は一時的なものとして、特に治療は必要ありません。しかし何度も繰り返し起こる、なかなか治らないというときは眼科を受診しましょう。
頭痛を伴う場合
頭痛を伴う場合はもちろん、手足のしびれを感じる場合は脳神経内科・脳神経外科を受診しましょう。閃輝暗点は何らかの前駆症状として発生しています。その原因を突き止め、治療しないことには閃輝暗点の症状も改善しません。根本的な治療から始めましょう。
頭痛等、頭(脳)に関する違和感は何もなかったことと、右目の視力が気になっていたこともあり、今回は眼科に行きました。診断は“閃輝暗点”で、「今後、繰り返すようであれば脳も調べましょう」。ということになりました。
それから約1カ月後、専門学校時代の友人(といっても20歳近く年下)と、数年ぶりに会う機会を作ったのですが、彼は「入江FT」に熟知した鍼灸師で、飲んでいるときに「左脳が少しスティッキーだと思います」。とのことでした。
友人には1ヶ月前の“閃輝暗点”の話など、一切していなかったので、このいきなりの発言に正直驚きました。
「医者に行った方が良い?」と聞いたところ、検査をしても分からないレベルだと思うとのことで、生活習慣の他、入江FTの独特な施術法(週1回、20分程度)を教えてもらいました。時々サボってしまうことはあるのですが、続けるよう努力しています。
※入江FTとは、大村恵昭先生先生が開発されたオーリングテストを応用したものです。オーリングテストはアプライドキネシオロジーをベースにした診断法とされています。
『漢方家であられた故・入江 正先生が漢方(湯液、鍼灸)のために開発した独自の診断法で、軽く指をスライドさせるだけで、他の筋力テストとは異なり、診断に利用する指に殆ど筋力を使わず、非常に微妙かつ精密な診断ができます。』
独特な診断法なので、なかなか信じて頂くのは難しいかもしれません。
さらに気になることは、この頃かこの前後かはよく覚えていないのですが、従来の血圧が収縮期、拡張期とも10mmHg前後高くなっていました。
「この血圧が少し高くなったのは何故だろう?」。遠慮することもなく、思ったことをそのまま“アスクドクターズ”にぶつけてみました。
『加齢による病的とはいえない程度の微細な梗塞があり、脳内の血流を低下させ、それが原因で脳の血流を本来の状態に維持するため、心臓のポンプの働きが増して、血圧をそれぞれ10mmHg程度上げているのではないでしょうか?』
回答は「No」ということでしたが、お一人の医師の方から、“脳血流自動調節機能”というものが脳には備わっているということを教えて頂きました。
この機能は脳自身が本来の血流を確保するために保持しているサーモスタットのような仕組みです。
「いろいろあるなぁ」と思い、少し検索してみると以下の医学雑誌を見つけました。
興味の方が勝って購入しました。
「何故、血圧と塩は関係が深いのか」について発見があったのでお伝えします。
【腎血流における自己調節のメカニズム】
『腎臓も強い自己調節を有している。これは腎血流そのものを維持するというよりも、糸球体濾過量(GFR)を維持するためであろう。GFRを一定に維持することで、生体は体液や電解質のバランスを保っている。
腎臓の自己調節のメカニズムは特殊であり、そのメカニズムは尿細管糸球体フィードバックと呼ばれている。腎臓は傍糸球体装置の遠位尿細管に存在する緻密斑において、塩化ナトリウム(NaCl[塩])の濃度を感知して腎細動脈の血管抵抗を変化させている。血圧が低下すると糸球体の静水圧が低下し、GFRが低下する。』
長い前置きでしたが、今回拝読させて頂いたのは、『脳卒中 専門医が説き明かす 病気の前兆・急性期対処法・予防法』という本です。何はともあれ、基本的なことを知りたいと思い購入しました。
著者:星野晴彦
発行:2017年7月
出版:(株)ヌンク
目次
第1章 脳卒中ってなに?
●脳卒中ってなに?
・「出血」
・「虚血」
●脳卒中のメカニズム
・脳出血のメカニズム
・くも膜下出血のメカニズム
・脳梗塞のメカニズム
第2章 脳卒中―その原因?
●脳卒中の危険因子
・高血圧
・喫煙
・脂質異常症(高脂血症)
・糖尿病
・心房細動
・過度の飲酒
・コントロールできない危険因子について
●脳卒中を起こすその他の病気
●脳卒中と加齢現象
コラム セカンドオピニオン
第3章 脳卒中かな?
●くも膜下出血の症状
●脳梗塞・脳出血の症状
・痛みについて
●実例解説
・突然の激しい頭痛/嘔吐/意識障害
・物が二つに見えて歩くとよたつく
・左側がよく見えない
・右手と右の口角がしびれる
・左手と左足に力が入らない
・急に右手と右足が動かなくなり、意識状態も悪く話せなくなった
・左半身がしびれたと思ったら、だんだん左側が動かなくなった
・言葉が話せない
・突然倒れて、左側がまったく動かせない
コラム 脳卒中を疑ったら救急車
第4章 脳卒中―知ってて安心 治療法あれこれ?
●くも膜下出血の治療
・クリップ術
・血管内手術(コイル塞栓術)
・急性水頭症に対する治療
・血管攣縮に対する治療
●脳出血の治療
・外科療法
・薬物療法
●脳梗塞の治療
・急性期の治療
●慢性期の再発予防
第5章 脳卒を予防するには?
●高血圧のコントロール
●脂質異常のコントロール
●糖尿病のコントロール
●喫煙のコントロール
●心房細動のコントロール
第1章 脳卒中ってなに?
●脳卒中ってなに?
・脳の血管の病気によって急に発病する病気が「脳卒中」である。
・虚血は約75%、出血が約25%である。
・「出血」
-脳の中(脳実質)に出血するのが「脳出血」で約80%。
-くも膜と脳の間に出血するのが「くも膜下出血」で約20%。
・「虚血」
-脳の動脈が詰まってそこから先の脳の一部の組織が死んでしまうのが「脳梗塞」である。
-静脈が詰まるのが「脳静脈血栓症」だが、これは稀な病気である。
-[一過性脳虚血発作(TIA)]:脳の血液は5分間ほど途絶えると組織は死んでしまう。血流が再開すれば症状は一時的で元に戻る。そのような症状が軽いものを一過性脳虚血発作という。発症後の3ヵ月間で約20%の人は脳梗塞を発症、しかもその半分は2日以内に起こると考えられている。従って、一過性脳虚血発作後は速やかに病院に行くべきである。
●脳卒中のメカニズム
・脳出血のメカニズム
-[高血圧性脳出血]:穿通枝と呼ばれる細動脈(1mm未満)が破れることによって発症する。これは高すぎる血圧が血管にダメージを与え続けついに破れる。
-出血部位は「被殻出血」「視床出血」「小脳出血」「橋出血(脳幹出血)」である。
-[アミロイド血管症]:アルツハイマー病の原因とされているアミロイド蛋白が、脳の表面の比較的浅いところにある細い動脈の壁に溜まったもの。
-[動静脈奇形(血管奇形)]:比較的若い人に起こる脳出血では血管の奇形による場合がある。
画像出展:「脳卒中」
・くも膜下出血のメカニズム
-脳は3層の膜で覆われている。外側から硬膜、くも膜、軟膜である。くも膜と軟膜の間にくも膜下腔という隙間がある。ここには髄液が流れており、このくも膜下腔に出血するのがくも膜下出血であるが、外傷による出血の場合はくも膜下出血とは言わない。外傷によらない出血の原因の大部分は動脈瘤からの出血である。
-動脈瘤は動脈にできた袋状のコブのようなもので、比較的太い動脈の分岐部にできることが多く、脳の表面で出血する。極度のストレスや過労、急激な血圧変化、排便時の力みなどが引き金になる。
-突然の殴られたような激しい頭痛は出血時に頭蓋骨の中の圧力が一気に高まるためである。
・脳梗塞のメカニズム
-数ミリ程度の主幹動脈が粥状硬化(アテローム硬化:コレステロール等が血管の壁に堆積する)して厚くなり、血管が細くなったり閉塞したりする。このような脳血栓症を「アテローム血栓性脳梗塞」という。
-1ミリより細い動脈を穿通枝と呼ぶ。急に細い血管になるため血圧の影響を受けやすい。この穿通枝が動脈硬化を起こして詰まった状態を「ラクナ梗塞」という。ラクナ梗塞は小さな梗塞がほとんどなので、すぐに命の危険はないが運動神経を巻き込むと運動麻痺を起こす場合がある。ラクナ梗塞が増えていくと認知障害が現れる場合がある。
-アテローム血栓性脳梗塞もラクナ梗塞も、動脈硬化が原因であり、心臓の問題ではないため「非心原生脳梗塞」とも呼ばれる。
-上流から塊(栓子)が流れてきて血管を詰まらせるのが「脳塞栓症」である。塊は心臓の中か上流の太い血管の壁にできた血液の塊である。
-心臓内で塊ができる原因で1番多いのは心房細動である。左心耳に血液の塊ができ、それがちぎれて血液に乗って脳へ移動し血管を詰まらせて脳塞栓症を引き起こす。その他、急性心筋梗塞直後や心筋梗塞後の心室瘤、弁膜症、先天性心疾患などが原因とされている。これらを「心原性脳塞栓症」という。
画像出展:「脳卒中」
第2章 脳卒中―その原因?
●脳卒中の危険因子
・高血圧
-血圧が高いと血管を傷つける。特にすべての脳卒中の原因になる。
・喫煙
-喫煙も高血圧同様、すべての脳卒中の危険因子だが特にくも膜下出血が多い。これは喫煙により脳動脈瘤が形成されやすいためである。
-喫煙は血管を収縮させる作用がある。また、活性酸素は血管内被や血管壁の平滑筋を傷つけ、動脈瘤につながる。
・脂質異常症(高脂血症)
-脂質異常症は血液ベトベト状態のことで、粘っこい血液が血管の壁に張り付いて血管に悪さをする。
・糖尿病
-非心原性脳梗塞(脳血栓症)の危険因子である。
・心房細動
-心原性脳塞栓症の一番多い原因は心房細動である。
・過度の飲酒
-脳出血とくも膜下出血については飲酒は完全に危険因子であるが、脳梗塞については、ごく少量の飲酒は必ずしも悪くないとされている。
・コントロールできない危険因子について
-日本人であること、加齢、家系、遺伝子については研究中である。脳卒中の中ではくも膜下出血が該当する。これは動脈瘤が家族歴と関係があるからである。
画像出展:「脳卒中」
●脳卒中を起こすその他の病気
・動脈は外膜、中膜、内膜の三層構造になっており、この膜が傷つき血管の壁が避けるのが「動脈解離」である。日本人では椎骨動脈が頭蓋骨に入る部分で多くみられる。症状はどこの膜が損傷されるかによって異なる。
・「もやもや病」は原因不明の難病指定疾患である。内頚動脈が狭くなったり閉塞するとともに、血流を補うために細い動脈が細かい網のように発達する。この様子を血管造影などで観察するとタバコの煙のようにモヤモヤして見えるためにこの名前が付けられた。成人では脳梗塞の原因だけでなく、もやもやした血管が破綻して脳出血も引き起こす。
・「血管炎」は大小の動脈に限らず、静脈、毛細血管でも発症する。原因は解明されていないが、ウィルスや薬品に対する免疫の過剰反応によるものと考えられる。
●脳卒中と加齢現象
・脳卒中の1番の危険因子は加齢による血管の老化である。
第3章 脳卒中かな?
●くも膜下出血の症状
・一番の特徴は突発する激しい頭痛である。また、嘔吐や意識障害を起こすが、脳梗塞や脳出血のように手足の痺れで症状が始まることはない。ただし出血の後遺症として身体に麻痺が出る可能性はある。
・動脈瘤破裂による場合、数日前から膨らんだ動脈瘤によって脳の神経や組織が圧迫されることで、物が二重に見えたり、めまいや吐き気、軽い痙攣などの前兆がみられたりすることもある。少量の出血の場合の突発的な頭痛は、必ずしも激痛とはいえない。
●脳梗塞・脳出血の症状
・脳卒中は障害された部位により症状の発症場所が異なる。
-左脳中央前部:右半身の運動麻痺。
-脳後方部:視野障害
-右利きでは多くは左脳:失語症(前より⇒運動性失調[言葉を発せない]、後ろより⇒感覚性失語[言葉の意味が分からない])
-視床下:脳の視床は感覚の集合点で口角や手の感覚も司っているため、この両方にしびれがある場合は視床が関係している可能性がある。
-血栓溶解療法を受けるためには発症から3時間30分以内に診察を始める必要がある。
・痛みについて
-脳梗塞では通常、頭痛はない。これは、脳自体は痛みを感じず、痛みを感じるのは脳を包む膜や血管が引っ張られたり押されたりすることで感じるからである。
第4章 脳卒中―知ってて安心 治療法あれこれ?
●くも膜下出血の治療
・クリップ術(開頭手術)
-動脈瘤にクリップをかけて動脈瘤の中に血液が流れないようにして破裂を防ぐ。
-呼吸や血圧が安定していて昏睡状態ではない状態に適用可能である。
-直接動脈瘤を処置するので再出血予防には最も確実な方法とされている。
-脳の奥深くの場合は手術が困難である。原則として発症から72時間以内に施術する。
-クリップで対応できない大きさの動脈瘤や場所的に困難な動脈瘤で、大きなものはトラッピング術、小さすぎるものはコーティング術を行う。
・血管内手術(コイル塞栓術)
-開頭手術ができない場合や脳の奥深くのためクリップ術が難しい場合などに適用される。
-動脈瘤のサイズや大きな脳出血を伴っている場合には適用できない。
-足の付け根の動脈からマイクロカテーテルを入れて、脳の動脈瘤まで到達させコイルを瘤の中に詰め込み、瘤に血液が入らないようにする。
-開頭していないため、術中に再出血するとすぐに対処できない。また、瘤の中に血栓があると、押し出されて運ばれる危険もある。
-術野の観察はX線透視下になるので被ばくは避けられない。
・急性水頭症に対する治療
-くも膜下出血により脳脊髄液の流れが妨げられると、急性水頭症の状態になることがある。この場合、余分な脳脊髄液を体外に排出する(髄液ドレナージ)。また、長期的にドレナージが必要な場合は、シャント手術(脳脊髄液を排出するための経路を作る手術)を行う。
・血管攣縮に対する治療
-くも膜下出血では出血後4日目頃から14日目頃にかけて、出血にさらされた血管(動脈)が攣縮という状態になる時期がある。治療には抗血小板薬、血管収縮を抑制する薬、血管を弛緩させる薬を使って血流を保つようにする。場合によってはバルーンによる血管内治療を行う。
-この治療はクリップ術やコイル塞栓術といった再出血の治療後に行う。
●脳出血の治療
・脳出血は出血量が微量な場合はやがて吸収されてしまうので、症状もなく自分でも気づかないうちに治ってしまう。通常、抗血栓薬を服用していない場合は1時間程度で止血される。これらの原因の大部分は高血圧性脳出血である。
・外科療法
-開頭血種除去術:開頭して血の塊を直接取り除き止血する。
-CT定位的血種吸引術:頭蓋骨に小さな孔を開けて血種を細い管で血腫をふいだす方法。手術は出血部分が完全に止血されていなければならない。CT装置を使うので被ばくも避けられない。
-神経内視鏡手術:頭蓋骨に開けた小さな孔から神経内視鏡(ファイバースコープ)を操作して血腫を見つけて吸引する。
-脳室ドレナージ:頭蓋骨に開けた小さな孔から細い管を通して溜まった血腫などを排出するが、平均して1週間くらい留置しておく。これをドレナージという。
・薬物療法
-血圧を下げる薬:降圧目標は患者さんの状態を診ながら医師が検討する。
-むくみを抑える薬:脳浮腫により頭蓋内圧が亢進すると脳ヘルニアのリスクが高まる。この場合、浸透圧性利尿薬が使われる。
-痙攣を抑える薬:脳出血発症後、最初の2週間は「痙攣」がしばしば見られる。抗てんかん薬が使われる。
●脳梗塞の治療
・急性期の治療
-脳梗塞の治療は急速に進歩している。静脈注射のtPAは血栓を溶かす。太い血管閉鎖はカテーテルで除去する。いずれも時間との勝負である。
-静脈tPA血栓溶解療法:発症から4時間30分以内に投与する必要があるが、検査に約1時間かかるため、実際の猶予は3時間30分である。検査が必要なのは詰まった血栓を溶かし、血流を再開する際出血のリスクがあるためであるが、脳梗塞によって組織や血管が痛むため危険は高くなる。
-血管内治療:2015年以降、大腿動脈や上腕動脈の血管内にカテーテルを通して血栓を除去する方法は急速に進歩している。特にこの治療の利点は8時間まで対応可能な点である。
-虚血する箇所は時間制限があるが、それ以外の部位の機能は働いている。そのため、後遺症を最小限にするために、速やかに病院に搬送することが求められる。
●慢性期の再発予防
-高血圧、脂質異常症、糖尿病のコントロールと喫煙、節酒の徹底が重要である。
-抗血栓薬の服用。抗凝固薬で有名なワルファリンはビタミンKを避けなければならない。なお、これらの薬は出血すると止血に時間がかかるので注意しなければならない。
第5章 脳卒を予防するには?
●高血圧のコントロール
-脳卒中予防の観点からは血圧は低い方が良いが、低すぎる血圧は心臓の働き阻害するなど危険である。
-「白衣高血圧」や「仮面高血圧」などが指摘されているが、最近では家庭血圧が重視されている。測定は起床後(起床から1時間以内)と就寝前の1日2回の測定が望ましい。
※【家庭血圧】とは(オムロン様より)
●脂質異常のコントロール
-LDLやHDLなど人間が1日に必要とする総コレステロール量は1,000~1,500mgとされ、その3分の2か肝臓で作られている(内因性)。残りの3分の1は食物から作られる(外因性)。食物からの摂取が少ないと肝臓はどんどんコレステロールを作り、多いと控える。
-LDLとHDLの割合は食べ物や生活習慣に左右される。このLDLとHDLのバランスが崩れると「脂質異常」という状態になる。これは重要なポイントである。
●糖尿病のコントロール
-近年の研究では厳格な食事療法が低血糖発作を起こす原因になることが指摘されており、以前に比べるとやや緩くなっている。
●喫煙のコントロール
-大規模研究において、禁煙は冠動脈疾患、脳卒中、各種のガン、慢性呼吸不全などに有効であることが明らかになっている。
-タバコの煙の中には70種以上の発ガン物質が含まれており、特に有名なものはタール、ニコチン、一酸化炭素、シアン化水素、ダイオキシンなどである。
-タバコは喫煙者だけでなく、受動喫煙の問題も大きい。
●心房細動のコントロール
-心房細動は加齢とともに起こりやすくなるが、高血圧があると頻度は高くなる。
-心房細動の問題は左心耳に血液の塊ができやすく、それがちぎれて血液に乗って脳へ移動し血管を詰まらせて脳塞栓症を引き起こすことである。
感想
現在、食事は塩分の取りすぎに注意しています。また、日課にしているのが速歩(30分)と簡単な下半身の筋力および握力の強化なのですが、速歩を+10分(計40分)、簡易筋トレの回数を少し増やそうと思っています。
ご参考1:“脳梗塞の原因とは?症状や前兆・予防方法から治療の流れまで全て紹介!”
こちらは学研のCocofumpというサイトに掲載されていたもので、下の図もそこから拝借しました。
画像出展:「国立循環器病センター」
『軽いジョギング程度の運動中、足の着地時に頭部(脳)に伝わる適度な物理的衝撃により、脳内の組織液(間質液)が動きます。これにより脳内の血圧調節中枢の細胞に力学的な刺激が加わり、血圧を上げるタンパク質(アンジオテンシン受容体)の発現量が低下し、血圧低下が生じることが、高血圧ラットを用いた実験で分かりました。
さらに、この頭部への物理的衝撃を高血圧者(ヒト)に適用すると、高血圧が改善することを世界で初めて明らかにしました(図)。』
ご参考3:“血圧を下げすぎてはいけない!?脳梗塞の血圧管理”
高い血圧は下げるものと考えられていますが、脳梗塞の場合は慎重な血圧管理が必要です。
脳梗塞急性期に血圧を高めに保つ理由、それは、脳の血流が減少している状態であるため、血圧を下げることで脳のダメージが悪化する可能性があるからです。特に急性期の場合、“脳卒中治療ガイドライン2015”では、以下のように「止むおえない場合に限って、降圧治療を行っても良い」。ということが示されています。
『脳梗塞急性期には収縮期血圧>220mmHgまたは拡張期血圧>120mmHgの高血圧が持続する場合や、大動脈解離・急性心筋梗塞・心不全・腎不全などを合併している場合に限り、慎重な降圧療法を行っても良い』
なお、“急性期”をすぎ、"亜急性期”や“慢性期”については以下のようになっています。
亜急性期
●頚動脈や脳主幹動脈に50%以上の狭窄のない患者さんでは、徐々に降圧(85-90%、収縮期160mmHg程度)を行う。
慢性期
●収縮期140mmHg、拡張期90mmHgを目標に降圧を行う。
ご参考4:自分自身の家庭血圧
3月15日から4月7日までの19日間、朝(食前)、日中(15時前後)、夜(21時前後)の1日3回、血圧を測定してみました。
朝は127.3(収縮期)-75.9(拡張期)とやや高めでしたが。全平均は114.2-68.3と心配するような値ではありませんでした。
やはり、自宅で計画的に血圧測定してみることが必要だと思います。また、計測時は前傾姿勢にならないように注意しました。
画像出展:「正しい測定方法で正確な血圧値(オムロン)」
予想通り難解な本でした。
『本書は、人間の本性の一つともいうべき「怒り」をめぐり、当代随一の哲学者たちが、議論を戦わせた記録である』とのことです。
何故、この本を買ったのか。それは万病の元であるストレスの中でも“怒り”は特に注意を要するものだという話を聞いたためです。また、以前、『サーノ博士のヒーリング・バックペイン』という本を拝読したことがあったことも、“怒り”という感情を深く知りたいと思った理由です。
なお、同様なタイトルの本には、『腰痛は<怒り>である』や『心はなぜ腰痛を選ぶのか』があります。これらの本に共通している理論はTMS(緊張性筋炎症候群)理論というものです。TMS理論に関しては以下のサイトが参考になると思います。
『TMSジャパンは、ニューヨーク大学医学部のジョン・E・サーノ教授が発表したTMS(Tension Myositis Syndrome:緊張性筋炎症候群)理論を出発点に、腰痛にまつわる迷信や神話の犠牲者、クワッカリー(健康詐欺・インチキ療法)の被害者、ドクターショッピングを繰り返す腰痛難民をひとりでも減らすため、 世界各国が発表している「腰痛診療ガイドライン」の勧告に則した、腰痛の原因と治療に関する根拠に基づく情報を提供しています。』
特段“怒り”についての知識や考えもなく、哲学者の先生の文章は次元が違うものであり、さらに本書が先生達の色々な考えを論じる場となっているため、この本がどんな本なのかを説明することは困難です。そこで、本書の概要をお伝えするには、最後の「監訳者解説」をご紹介させて頂くのが良いと判断しました。
その後、怒りとは何か、何が問題なのか等についてまとめ、そして、この怒りに対してどのように向き合うのが望ましいのかを考えてみました。
著書:アグネス・カラード他
発行:2021年12月
出版:(株)ニュートンプレス
副題は、“正しい「怒り」は存在するか”となっています。
目次
編集者より
レイチェル・アレックス
第1部 問題定義
怒りについて
アグネス・カラード
第2部 応答と論評
暴力の選択
ポール・ブルーム
損害の王国
エリザベス・ブルーニッヒ
被抑圧者の怒りと政治
デスモンド・ジャグモハン
怒りの社会生活
ダリル・キャメロン
ビクトリア・スプリング
もっとも重要な事
ミーシャ・チェリー
なぜ怒りは間違った方向に進むのか
ジェシー・プリンツ
復讐なき責任
レイチェル・アックス
過去は序章にすぎない
バーバラ・ハーマン
道徳の純粋性への反論
オデッド・ナアマン
その傷は本物
アグネス・カラード
第3部 インタビュー&論考集
ラディカルな命の平等性
ブランドン・M・テリーによるジュディス・バトラーへのインタビュー
怒りの歴史
デビッド・コンスタン
被害者の怒りとその代償
マーサ・C・ヌスバウム
誰の怒りが重要なのか
ホイットニー・フィリップス
正しい無礼
エイミー・オルバーディング
寄稿者一覧
監訳者解説
『本書は、人間の本質というべき「怒り」というテーマをめぐって、当代随一の西洋の哲学者たちが議論を戦わせた記録である。アクネス・カラードの問題提起に基づき、立場の異なる複数の哲学者たちがそれに応答し、またインタビューや論考を寄せている。
怒りをめぐってここまで深い議論がなされたことは、かつてなかったといっていいだろう。そもそも怒りをテーマにした哲学書自体が、この世にそう多く存在するわけではない。人口に膾炙[カイシャ]しているのは、本書でも言及されている古代ローマの哲学者セネカの著書、「怒りについて」ぐらいではないだろうか。
奇しくも本書の原著タイトル「On Anger」は、このセネカの名著の英訳と同じである。ただ、大きく異なるのは、それが怒りに対して一人の哲学者の一つの見方からのみ書かれているわけではない点だ。セネカの議論がまさに典型的なのだが、一般に怒りはネガティブなものとしてとらえられている。
ところが本書では、怒りが実に多様な側面をもっている事実が明らかにされる。これから本文を読まれる読者の便宜のため、あるいはすでに読まれた方の頭の整理のために、あえて議論の内容を構成順に簡単に振り返っておきたい。この視点の多様性こそが、本書の重要なメッセージでもあるからだ。
まずアグネス・カラードによって、怒りは決してネガティブなだけのものではないという強烈な問題提起がなされる。その背景には、感情によって人は道徳性を表現するものだという主張が横たわっている。
だから彼女は「怒りの道徳面(モラルサイド)から暗黒面(ダークサイド)を切り離す」ような怒りの鈍化を否定するのである。それは非現実的であると。その結果、怒りの重要な特徴を支持する「悪意支持論」と「復讐支持論」と呼ばれる議論を展開する。恨みを抱き、復讐を果たすことは合理的かつ正当なことだという主張である。
こうしたカラードの立場を象徴するのが、のちにほかの論者たちから何度も言及されることになる「悪い世界では、人は善い存在ではいられない」という一文にほかならない。
このカラードの問題定義によって、怒りの概念をめぐる多種多様な議論が展開するが、基本的には大きく二つの立場に分けることができるだろう。一つはカラードのように怒りのある種の側面を肯定的にとらえる立場である。もう一つは、怒りという感情を否定的にとらえる立場である。
ポール・ブルームは、「暴力の選択」という論稿において、基本的にカラードを支持しつつも、怒りは合理的だという点に疑問を投げかける。そして怒りだけが道徳性を表現する手段ではないと主張している。
エリザベス・ブルーニッヒは、「損害の王国」という論稿において、終わりなき復讐を止め、平和を実現するために「許し」が必要だと説いている。
デスモンド・ジャグハモンは、「被抑圧者の怒りと政治」という論稿において、この表題のとおり、抑圧されている人たちの怒りにもっと寄り添う必要性を論じている。必然的にそれは社会における不合理性、つまり政治の問題を論じることにつながっていく。
ダリル・キャメロンとビクトリア・スプリングは、「怒りの社会生活」という論稿において、基本的にカラードの議論に賛同しつつ、そうした議論を単に倫理的な次元で完結させるのではなく、科学的研究と交錯させるべきことを訴えている。
ミーシャ・チェリーは、「もっと重要なこと」という論稿において、怒りの合理性に関する問いよりも、怒りを生みだしている現実の社会的文脈に着目するよう警鐘を鳴らす。
ジェシー・プリンツは、「なぜ怒りは間違った方向に進むのか」という論稿において、カラードの怒りを擁護する立場を明確に批判している。その際、怒りに一定の意義を認めつつも、有害な怒りを見分ける必要性を訴える。
レイチェル・アックスは、「復讐なき責任」という論稿において、カラードが説く復讐の意義に反論する。カラードによると復讐は相手に責任を負わせる方法になりえる。しかし、それは必ずしも唯一の方法ではないことを説く。
バーバラ・ハーマンは、「過去は序章にすぎない」という論稿において、永遠の怒りを主張するカラードに対し、謝罪を第一歩ととらえて、事態を変えていくべきことを訴えている。
ジュディス・バトラーは、ブランドン・M・テリーのインタビューに答える形で、命のラディカルな平等を受け入れるべきという視点から、暴力の本質を明らかにするとともに、それに対して非暴力という概念を対置させて批判を展開している。
デビッド・コンスタンは、「怒りの歴史」という論稿において、文字どおり怒りの歴史を概観すると同時に、怒りの本質が社会によって変化し得ることを指摘している。
マーサ・C・ヌスバウムは、かなりの紙幅を費やして、「被害者の怒りとその代償」というタイトルのもと、被害者の怒りは代償を伴うことを古代の戯曲とフェミニズムを俎上に載せて説得的に論じている。
ホイットニー・フィリップスは、「誰の怒りが重要なのか」という論稿の中で、極右反動勢力と左派のキャンセル・カルチャーの異同を示しつつも、後者に肩入れすることによって、今求められるべき怒りの内容を示そうとする。
最後にエイミー・オルバーディングは、「正しい無礼」という論稿の中で、無礼に振る舞うことと道徳との関係について論じている。
こうして概観してみると、人間はつくづく怒りとともに生きているという事実を認めざるを得ない。とりわけコロナ禍にあって、私たちはむき出しの生を露わにせざるを得ない状況に追い込まれてしまった。生きるためには、本性を表さずにはいなれないのだ。わかりやすくいうと、なりふり構わず人を蹴落とし、生活の糧を得る必要があるということだ。その過程では、いやがうえにも怒りが顕在化し、人々がいがみあい、ののしり合う姿が多々見られた。
もっとも、そうした対立はコロナ禍によってもたらされたというよりは、炙り出されたといったほうが正確だろう。現に本文で複数の論者たちが例をあげていた現代的問題は、いずれも歴史的に形成されてきたものである。人種問題をめぐって世界的に注目されたブラック・ライブズ・マター(BLM)もそうだし、昨今のキャンセル・カルチャーの是非をめぐる議論もそうだろう。
だからこそ、対立する立場のどちらが正しいかという問題ではなく、どちらの怒りがどんな意味をもっているのかということ自体、つまり怒りという人間が不可避的にもたざるを得ない感情について、その根源にまでさかのぼって議論する必要があるのだ。
本書で展開された議論は、一つのテーマについて哲学の視点から考え、議論する際のお手本になっているといっても過言ではない。思い込みを疑い、多様な視点からとらえ直し、考えを吟味するプロセスである。それを複数の論者が集団知という形で実践している。』
怒りは何が問題なのか
●怒りを強引に押しつぶしてしまうと、自尊心と道徳的な基盤を失う恐れがある。
●怒りの原因が不正行為だった場合、怒りの抑制は不正行為の黙認になる場合がある。つまり怒りを許すことと不道徳を許すこととが同じ場合もある。
●損害を受けて何か失うと、それが何であれ永久に戻ってこない。
●償いとして何かを与えられても、損害を受ける以前の状態に戻ることはない。犯してしまった悪事は謝罪しても軽くなるわけでない。その結果、不当な扱いを受けた者から復讐する気持ちを消し去ることは容易ではない。
●不当な扱いを受けた人には、怒りを捨てなければならない合理的な理由は見つからない。
怒りの特徴
●怒りを抑制することはできても、怒りを浄化することにはならない。
●人には被害を受けたことに対していつまでも怒り続ける理論上の権利だけでなく、遺恨を捨てられない感情的、道徳的な理由がある。
●怒りは学習と本能の両方の側面をもつ複雑な感情であるが、哲学者たちは長い間、怒りを表現するのに道徳的に正しい方法と間違った方法があると主張してきた。
●怒りを持ち続けていると他の感情と同じように疲労する。その結果、怒りは薄れる。それにより正当な要求が主張できなくなったり、不正な行為を罰したりすることが難しくなるかもしれない。
●怒りの中には復讐に駆り立てるものもあるが、日常生活において過ちは珍しいものではなく、復讐を伴うような怒りは一部である。
●発熱は健康な状態ではないが健全な免疫反応であり、発熱が起きないと病状は悪化するだろう。これと同じことが怒りにもいえる。つまり怒りは合理的なものであるということである。
怒りへの対処
●「義憤」や「変革の怒り」という言葉を使って、永続性や復讐心をもたずに悪事に対して正当に抗議する感情を仮定することは可能である。
●怒りの感情は見方を変えることで変化する可能性がある。
●怒りを含めて感情を制御する動機は人それぞれである。
●怒りを抑えて、違反行為を黙認していると思われるリスクを負うのか、怒りを表明してそれ自体が問題となりうる行動を取る危険を冒すのかの選択は複雑である。
●不正行為に適切に対応するために、時として他者を意図的に苦しめることもある。道徳的な理想の実現には苦しみが伴うことを認識する必要がある。
●怒りは時間と共に薄れていく可能性があり、感情的な怒りは残っても道徳的な規律としての許しがあれば、その怒りによる社会への悪影響は避けることができる可能性がある。
●怒りほど理由を聞いたり言ったりすることが求められる感情はない。そのため怒りの「コミュニケーション」が重要とされる。
許しについて
●許しに癒す力があることは知られているが、その効果は限定的なものでしかなく、損害を及ぼした人を許すことは耐え難いものである。
●不当な悪事に対し、個人が犠牲を払って我慢しなければならないというのが実態である。しかしながら、それであっても、許しは良いことであり、皆が知るように平和のために必要な要素かもしれない。
●許しは非常に難しいことである。重要なことは怒りを行動に移さないということである。
●許しを与える罪のない人は、何か崇高な善のために犠牲になることを求められている。それは「平和」や平等主義的な「秩序」、あるいは「神」である。
怒りの必要性
●人間の進化において怒りをもつことは有益だったという見解がある。
●怒りは自分自身と大切な人々の利益を守らせる。
●怒りは脅威や攻撃に反撃するパワーとなり、搾取や虐待の餌食、生存と繁殖の敗者になることから守る。
●怒りは道徳にとって必要なものであるが、その役割は時間の経過とともに変化するものではないか。
●怒りは必要だが、それを自分のなかの手に負えない獣のように考えてはいけない。
怒りの矛先を間違えることがある
例えば、麻薬や窃盗などの犯罪を完全に個人のせいにして、ある程度の情状酌量の余地を生む構造的な原因を考慮しないなどの場合。
1)怒りの責任のありかを間違えることがある
自分自身への不満を外に向ける人や身近な身内に向ける人もいる。
2)怒りの対象が広がりすぎることがある
例えばナチスに対する怒りをドイツ人全体に向けることがある。
3)怒りが虐待になりうることがある
ちょっとしたトラブルに過剰反応して逆上したり、反対意見を暴力で抑えこもうとしたりする人もいる。
4)怒りが過度の権利意識を含むことがある
自分が特別扱いされるのが当然だと思っている人は、期待通りにならないと怒り狂う。男性は女性よりも怒りやすいとよくいわれるが、ここには女性の正当な怒りが抑圧され、男性の子供じみた癇癪が許されるという二重の不公平が存在する。
5)怒りは自己破壊につながることがある
どんな怒りであれ、はけ口が必要である。怒りのエネルギーを、苦しみを追い払うために使わなければ、怒りの炎はその主を焼き尽くしてしまう。
6)抑圧された怒りが有害であるように、怒りを抑制せずに爆発させることにも害がある
自制心を働かせれば、怒りをもつ側は道徳的に優位な立場を主張でき、報復される可能性を減らすことができる。そのような抑制に最終的に必要になってくるのが「コントロール」である。問題は怒りを感じている状態の時に、私たちは物事を冷静に熟慮することが難しいことである。
まとめ
1.怒りという感情の難しさ
●「悪い世界では、人は善い存在ではいられない」。「怒りは合理的なものである」、これが怒りの難しさの所以ではないかと思います。
●怒りを強引に押しつぶしてしまうと、自尊心と道徳的な基盤を失う恐れがあります。その一方で、怒りを許すことは不道徳を許すことになるかもしれません。損害を受けて何か失うと、それが何であれ永久に戻ってはきません。犯してしまった悪事は謝罪しても軽くなるわけでなく、その結果、不当な扱いを受けた者から復讐する気持ちを消し去ることは困難です。このように怒りは、抑制はできても消し去ることは容易ではなく、特に、理由なく愛する人を殺されたような人の怒りは一生消えないと思います。
2.怒りとの付き合いかた
●怒りの大きさ、深刻さによって大きく異なりますが、怒りの矛先を怒りの原因に集中するのではなく、第三者的視点で、自分自身の今の感情や状況に目を向け、そして、怒りの相手に対しては全人格的な視点で理解しようと努めるということが第一歩なのではないでしょうか。ここでのポイントは真剣に相手の話を理解しようとすることだと思います。
そして、誰もが善悪の両面をもっていること、誰もが生まれたときから悪人なのではないこと。加害者の相手は被害者だった過去があるかもしれないこと等、いずれも根本解決にはならないでしょうが、怒りの感情を少なくすることはできると思います。
それはストレスに置き換えて考えてみるならば、ストレスを減らし、ストレスによる心身へのダメージを減らすことにつながると思います。つまり、怒りの感情はなくならないが、怒りによるストレスを減らす努力は有益であるということです。
●強い怒りの感情には効果はないかもしれませんが、起床時間、就寝時間、食事の時間など、あるいは体を動かす時間を作ることなど、生活習慣を整えることは、自分の気持ちや心を整えることにもなり、少なくともストレスを減らす効果は大きいと思います。やはり、怒りをなくすことはできずとも、ストレスを減らす努力をすることが大事だと思います。
ご参考2
以下は、以前アップした”ヨガ”というブログでご紹介したものです。このような境地に至ることが理想なのかもしれません。
画像出展:「ヨガが丸ごとわかる本」
『つまりヨガとは、「本当の自分」は“全宇宙”と同じであり、“全宇宙”は「本当の自分」でもあるという心理に気づくことがヨガの最終境地である。』
サッカーに限りませんが、試合開始早々の失点や、前後半の終了間際の失点、あるいは0対1から1対1に追いついた直後の失点など、点数が入りにくいサッカーでは、ことさらこのような場面での失点は試合を分けることになります。
我が母校の悪い癖は、比較的このような失点が多いことです。どうしたらこのような失点を減らすことができるのか。今回の『勝利へのメンタル・トレーニング』という本を拝読させて頂き、特に重要なことはコーチング(動機づけ)と集中力ではないかと思いました。
この本は1992年が初版なので、30年以上前の本になりますが、基本的なこと、基礎的なことはそれ程変わらないのではないかと思い購入しました。特に集中力はスポーツだけでなく、すべてにおいて重要なものであり、今までに考えたこともないような事を考えることができ、とても有意義だったなと思います。
著者:江川玟成
初版発行:1992年7月
出版:チクマ秀版社
ブログは、動機づけと集中力に関する件を取り上げています。
目次
第一章 スポーツにおける技術向上の条件
1 スポーツにまつわる誤解
2 技術向上の基本原則
第二章 試合に勝つための条件
1 勝敗を決めるものは
2 試合に勝つための事前準備
3 大会当日に配慮すべきことがら
第三章 監督・コーチの役割
1 スポーツ指導の方法原理
2 選手にやる気をおこさせるには
3 大会前および大会当日の監督・コーチの役割
第四章 競技中の心と技の工夫
1 競技中の心のもち方
2 競技中の技はここを!
第五章 集中力を高めるには
1 集中の心理
2 集中力アップの工夫と方法
第六章 あがりの防止対策・克服法
1 なぜ“あがる”のか
2 日ごろの工夫による防止対策
3 自律訓練法
第七章 イメージ・トレーニング
1 イメージ・トレーニングの方法
2 イメージ・トレーニングの効果
敗因診断表
性格の自己チェック尺度
メンタル・トレーニング・チェックリスト
第三章
2.選手にやる気を起こさせるには
1)動機づけの方法
●外発的動機づけ
-ほめる・認める、叱る、激励する、競争場面を設定する、慰めるなど。
●内発的動機づけ
-目的意識をもたせる、課題意識をもたせる、問題意識・危機感をもたせる、感謝や恩返しの気持ちをもたせる、プライドをもたせる、責任感をもたせる、反省させる、創意工夫の態度をみにつけさせる、ライバルをもたせるなど。
●自己動機づけ
-自分で自覚してやる気を燃やすよう工夫する。指導者は部員・選手に対してこの点についても指導・助言をする必要がある。
2)目的意識
●細かな目標設定
-年間目標⇒月間目標⇒週間目標のように、自らが立てた目標を達成するという習慣を身につける。
-年間目標は抱負というかたちで各個人がミーティング内で一言ずつ発表するという方法もある。
-月間目標は各部員に紙に書いて提出させるという方法も有効である。
-週間目標や日々の目標は、一人ひとりが問題意識を高めて心掛けることが重要である。
●チーム目標
-指導者を中心にメンバー全員で話し合って決めるという方法も良い。これは部員自身の目標設定を考える上でチーム目標とのつながりを意識することができるからである。
●方向目標と到達目標
-方向目標は、「今よりも、もっと~になりたい」とか「これまでよりも、もっと~をできるようにしよう」といったものである。
-到達目標は、特定の具体的な目標である。たとえば、「1試合に10本以上のシュートをする」、「サッカーゴール内のシュート比率50%以上を目指す」、「ペナルティエリア内でシュートをうたせない」などが考えられる。
-一般的には到達目標の方が、概して、練習意欲を高めやすい。
-これらの目標設定には高からず低からずということが重要であり、指導者の助言が求められる。
●目標の効果
-練習意欲が高まる。
-練習が楽しくなり、きつい練習にも耐えられるようになる。
-スポーツを通じての目標設定の体験は、課題改善や問題解決に対する取り組み姿勢の育成にもつながる。
3)ライバルの存在
-競争心という人間心理を利用した動機づけには、よきライバルの存在が考えられる。同じチーム内に限らず他のチームの同じポジションの優秀な選手がライバルとなることもある。
-ライバルは個人だけでなく、チームやクラブとしてのライバルも重要である。切磋琢磨するライバルは成長の礎となり、また目標をもつということにも通じる。
4)問題意識と危機感
-部員・選手の中には問題意識や危機感をもつ者もいるが、特に年齢が低ければ低いほど、全員がもっているということはない。このような状況では、指導者の意図的な働きかけが求められるが以下のようなアプローチがある。
A. 練習方法、練習態度、試合内容などを反省する。
B. ミーティングを開催し、みんなで自由に話し合う。
C. 一人ひとりレポートを書かせ提出させる。
5)指導者として
●話し合いの場での助言や示唆は、部員・選手同士の話し合いの様子をよく観察した上で、特にうまく進んでいない状況で、分かりやすく、納得できるように指導してあげることが求められる。
●レポートを書かせる場合は、必ずコメントを書いて返すようにする。
●ほめ方、𠮟り方は非常に難しいが、効果的に伝えることができれば大きなきっかけになる。大切なことはよく観察すること、客観的であること、相手の気持ちを尊重することである。
●指導者自身の人間性が原点ともいえる。親切で責任感が強く、一生懸命で人間味があるという人柄であれば、ほとんどの部員・選手は指導者の人間性に共感し、信じてついてくるものである。
第五章 集中力を高めるには
1 集中力の心理
1)集中力とはなにか
●「集中力」とは、ある一定時間、ある特定のことがらに注意や意欲をかたむけ、それに向かって一生懸命に頑張り通して、効率を高め、好成績をだす精神的な機能ないし能力という意味である。つまり、集中力は「意欲の強さと持続性」、「注意集中の強さと持続性」と捉えることができる。
●意欲が弱いのは論外であるが、意欲が強すぎるのも問題である。急ぎすぎたり、慌てたり、いらついたりと感情的になる傾向がみられ、緊張が高まり冷静さも失いやすくなる。また、自分の能力を過信してしまうこともある。
●意欲と緊張は強すぎず、弱すぎずということが望ましい態度であり、全体に注意を向けながら、特定のことに意識を向ける。求めれるのは「平常心」である。
●「平常心」は心が偏らないように真ん中に置いて、心を静かにゆるがせて、そのゆるぎが一瞬たりとも留まることのない、常に流動自在な心の状態は、また望ましい注意配分の状態であるといえる。
●集中力が高いとは、適度の意欲と偏らずにバランスのとれた注意集中とが、目的に応じて一定時間持続できることを指す。一方、集中力が低いとは、意欲が空回りしたり、意欲が弱すぎたり、注意が偏ったり、散漫になったりすることを指す。
●集中力が高い時は、目的にかなった以下のような望ましい動作・反応ができるようになる。
①反応潜時の短縮:合図に対してすばやくスタートできる。「~しよう」と思ってすばやく動作を起こせるなど。
②反応速度の増加:目的動作を短い時間で遂行できるなど。
③反応量の増大:飛距離がのびる、より高く飛べる、より重いものを挙げることができるなど。
④誤反応の抑制:凡ミスをしない、大事な場面や困難な場面でもミスをしない。
2)集中力発揮の妨害要因
●集中力は個人差がある。しかし集中力発揮は身体的・心理的・環境的要因の三種類の要因によって左右される。
①身体的要因:体の不調、病気、睡眠不足、疲労、ケガ、薬物摂取、空腹・満腹、尿意・便意など。
②心理的要因:気がかりなこと・悩み事がある、勝敗を意識しすぎる、慎重になりすぎる、責任感が強すぎる、油断・安心する、慌てる、焦る、ミスを気にする、予期不安(「負けるのではないか」などと心配になる)、気後れ、気力負け、気合不足など。
③環境的要因:グラウンドの状態がよくない、騒音、観客の声援、光線が強すぎる・薄暗い、風が強い、高温多湿、大観衆、不慣れな場所など。
2 集中力アップの工夫と方法
1)集中力アップは日常生活から
●集中力の養成・アップは日常生活からである。常日頃からの心がけが大切である。
●第一に、日頃、何かやろうと思ったら、できるだけ速やかに実行に移るよう心掛けることである。
●第二に、日頃から気がかりになっていることは、できるだけ速やかに解決しておくことである。「そのうち、なんとかなるだろう」などと甘く考えてはいけない。ルーズな対応は集中力の養成にはマイナスである。
●第三に、常日頃、自分の感情・気持ちを、自分でコントロールするよう心掛けることである。日頃養ったセルフ・コントロールの能力は、試合の場面にも生かされ集中力の発揮に役立つ。
●第四に、勉強、仕事、囲碁・将棋などでの精神集中や粘りの体験は、試合や競技にも役に立つと考えられる。
2)練習を通して集中力を養う
●日頃の練習は技術向上だけでなく、集中力アップにも役立つものでなくてはならない。第一に練習と試合を区別しないことで大切である。つまり、常に試合を想定して練習に取り組むことが集中力アップやプレッシャーの克服にもつながる。
●第二の方法は、「ピークパフォーマンス法」と言われているものである。これは練習や試合で経験した高度の集中力発揮の体験を覚えておくよう心掛けることである。その時に、どのような心構えや工夫をしたのかが重要である。
●第三に、大会前に試合に向けての意欲と勝利への執念を徐々に高めるようにもっていく。
●第四に、焦りや不安、あがりなどの問題をチーム内でよく話合って準備しておくことも必要である。
3)心理学的な集中力アップ法
●これまで、スポーツ心理学において、数多くの集中力トレーニング法が開発されてきた。
①リラクゼーション:身体的・精神的にリラックスした状態を作り出すことにより、必要なことがらに精神を集中する余裕を生みだす。
②作業法:グリッドエクササイズ(格子のなかに書かれた二桁の数字を捜し出す)、ゆっくりとしたバランス運動、振子のテストなど、非常に努力や注意力を要する作業を訓練して、自分の意図することに注意を持続させる能力を高めることを狙っている。
③呼吸法:禅やヨガなどの呼吸法を修得させ、呼吸に注意を集中させることを通して、外部刺激や雑念に妨げられない態度をつくっていく。
④バイオフィードバック法:バイオフィードバック(生体情報を本人に知らせる手法)により、精神が特定の対象に集中しているときの心身の状態の特徴をとらえさせる。これにより、いつでもその状態を自分で作り出せるようになることを、狙っている。
⑤凝視法:何か特定の物体を長時間注視しつづけさせることにより、注意の持続力を高めることを狙っている。
⑥妨害法:さまざまな妨害刺激のもとで作業をさせることにより、注意の持続力を高める。
⑦自己分析法:練習や試合でどのようなかたちで注意がそれやすいか、集中力をダウンさせてしまうのかを、自己分析させ、自分の注意行動パターンの特徴を把握させるとともに、それに対する対策を考えさせる。
⑧キーワード法:注意を向けるべき刺激・対象・動き・心構えなどを示す言葉を、あらかじめキーワードとしてきめておき(「平常心でのぞむ!」「勝ちを急ぐな!」など)、練習中に注意が逸れそうになったり、精神的な乱れがでそうになったときに、そのキーワードを頭の中で、1、2度唱えるようにする。この反復練習により、試合・競技中にも同じようにやれば、キーワードに誘導されて望ましい精神状態が維持され、思う通りのプレーができるようになる。
⑨イメージ・トレーニング:大会当日に会場に着くまでの間にやるべきことがら、会場に着いてからやるべきことがらなどを、あらかじめイメージ・トレーニングによりリハーサルしておく、こうして、実際にそれらの各場面に自然に適応できるようになる、つまり集中力がかき乱されずにすむ。
⑩ピークパフォーマンス法:自己最高の成績をあげたときの自分の精神状態や実際のプレー・演技のやり方を思い出したり、イメージ化したりすることにより、実際にもそのような望ましい心身の状態、つまり高度に集中力が発揮される状態を作り出せるようにしておく。
⑪達観法:試合に対して不安を抱いたり、勝敗のことを考えすぎたりしても、何の役にもたたないばかりか、かえってマイナスになることを理解させ、いわゆる開き直りの心境を切り開かせる。これにより、集中力が発揮されやすくなる。
⑫アファメーション:アファメーション、つまり自己肯定により、不安を取り去って自信を回復することにより、集中力発揮を狙っている。
⑬肯定的思考法:ものごとを悲観的にではなく、良い方向へと楽観的に考える習慣を作っていくことにより、いたずらに心配したり、迷ったりするのを防ぐ。その結果集中力が発揮されることになる。
⑭過重学習法:さまざまな困難な競技場面を想定した練習を十二分に積むことにより、いざという時に戸惑わないようにしておく。いわば、臨機応変の対処ができるよう、いろんな場面での対応を反復練習しておく。
41.アインシュタインの統一場理論とEPR論文
●“相補性”は「デジタル大辞泉」によると『電子の位置と速さ、光の粒子性と波動性のように、不確定性原理から二つの量が同時に測定できない関係にある現象を互いに相補的であるといい、このような性質をいう』とされています。そこには人知の理解を超えたものを受け入れる柔軟性のある価値観という感じを受けます。一方、“統一場理論”の前提は実在性に立脚し必ず統合できるという信念、もしくは統合を諦めることは許されないという強迫観念も多少あったのかもしれません。そして、これが両者を分ける根本的な違いであるような気がします。
また、EPR論についても同じような印象を受けます。ひとつは「理論から導かれる結論と人間の経験」ですが、「人間の経験」という表現は枠を意識させます。さらに、実在という泥沼を回避するために、「実在を一般的に定義する必要はない」としたEPR論の主張には違和感を覚えます。
アインシュタインの「量子論のコペンハーゲン解釈と客観的実在とは両立不可能だ」という考えについては、ボーアも同意しており、その上で「量子の世界というものはない。あるのは抽象的な量子力学の記述だけである」という見解を示しました。
『19世紀にマクスウェルは、電気、磁気、光を統一して、包括的なひとつの理論構造にまとめあげた。アインシュタインはそれと同様、電磁気理論と一般相対性理論とを統一したいと考えていたのだ。彼にとって、それらふたつの理論を統一することは次に踏み出すべきステップであり、避けて通ることのできない道筋であると同時に、論理的必然でさえあった。そんな理論を作るという彼の試みはいずれも屑籠箱行になるのだが、彼がその道に最初の一歩を踏み出したのは、1925年のことだった。その後量子力学が発見されてからは、統一場理論ができれば、量子力学はその副産物として得られるだろうと考えるようになっていた。』
『若い世代とのあいだに相互不信はあったものの、アインシュタインといっしょに仕事がしたいと熱望する若手はつねにいた。そんな若手のひとりがネイサン・ローゼンである。ニューヨーク生まれのローゼンは、1934年、25歳のときに、アインシュタインの助手としてマサチューセッツ工科大学(MIT)から高等研究所にやってきた。そのローゼンよりも数カ月ほど早く、ボリス・ポドルスキーが初めてアインシュタインに会ったのは、1931年、カリフォルニア工科大学(カルテック)でのことだった。そのときふたりは共著論文をひとつ書き上げた。アインシュタインはもうひとつの論文のアイデアをもっていた。その論文が、コペンハーゲン解釈に新しい側面から一撃を加え、アインシュタイン=ボーア論争の歴史に新時代を画することになるのである。
1927年と1930年の、二度のソルヴェイ会議でアインシュタインが採った路線は、不確定性原理を突き崩すことにより、量子力学には矛盾があり、それゆえ不完全であることを示すというものだった。ボーアはハイゼンベルクとパウリの協力を得てアインシュタインの思考実験という要塞を解体し、コペンハーゲン解釈を防衛することに成功した。
その後アインシュタインは、量子力学には論理的な矛盾はないものの、ボーアが言うような完全な理論ではないと考えるようになった。量子力学は完全ではなく、物理的実在を十分に捉えていないということを示すためには、これまでとは違う戦略が必要なのはわかっていた。その目的のためにアインシュタインが開発したのが、彼の考案したなかで、もっとも長く攻略に耐えることになる思考実験だった。
1935年が明けるとすぐに、アインシュタインは、ポドルスキーとローゼンを研究室に呼び、三人で数週間にわたって議論を重ね、その新しい戦略を入念に練り上げた。ポドルスキーがその議論の成果を論文として書き上げる作業を担当し、ローゼンはそのために必要な計算のほとんどを担当した。のちにローゼンが語ったところによれば、アインシュタインの担当は、「一般的な考え方、およびその意味」を明らかにすることだった。わずか四ページのその論文―アインシュタイン=ポドルスキー=ローゼン論文、略してEPR論文―は、三月末には完成し、専門誌に送付された。「物理的実在に関する量子力学の記述は完全だと考えることができるか?(Can Quantum Mechanical Description of Physical Reality Be Considered Complete?)」と題された三人の共著論文は、[Physical Realityの前にあるべき]“the”を落としたまま、5月15日に、アメリカの物理学専門誌「フィジカル・レビュー」に掲載された。タイトルに掲げた問いに対するERPの回答は、敢然たる「ノー!」だった。ERP論文は、著者のひとりにアインシュタインが含まれていたため、専門誌に掲載される前に、誰も望まないかたちで世間の注目を浴びることになった。
1935年5月4日土曜日の「ニューヨーク・タイムズ」の第十一面に、「アインシュタイン、量子論を攻撃する」という派手な見出しの記事が掲載された。「アインシュタイン教授は、科学の重要理論である量子力学を攻撃する予定だ。その理論にとって彼は祖父のような存在である。彼は、量子力学は“正しい”が、“完全”ではないと結論した」。それから三日後、「ニューヨーク・タイムズ」は、明らかに不機嫌なアインシュタインの談話を掲載した。新聞を相手取ることに不慣れではないはずのアインシュタインだったが、言わずもがなのことを言ったのだ。「科学的な問題については、それにふさわしい場でしか論じないというのが、一貫したわたしのやり方である。わたしは、こうした問題についての発表を、論文掲載に先立って一般紙で行うことに反対する」
アインシュタイン、ポドルスキー、ローゼンは発表された論文の中で、まずはじめに、実在そのものと、物理学者が理解するところの実在とを区別した。「物理理論について本格的な考察を行うときにはつねに、理論とはいっさい関係ない客観的実在と、理論のなかで用いられる物理的な概念とは、別のものだということを考慮に入れなければならない。物理的概念は、客観的実在をさせるために作られたものであり、われわれはそれらの概念を使って、自らのために客観的実在をえがき出だすのである。」それに続けてEPRは、物理理論が成功していると言えるためには、次のふたつの問いに対する答えが、無条件に「イエス」でなければならないと主張した。そのふたつとは、「その理論は正しいのか?」と「その理論によって与えられる記述は完全か?」である。
「理論が正しいかどうかは、理論から導かれる結論と人間の経験とが、どの程度合うかによって判断される」とEPRは述べた。物理学で言う「経験」は、実験や測定を意味するから、三人がここで述べたことは、物理学者なら誰でも受け入れるだろう。今日にいたるまで、実験室で行われた実験と、量子力学の理論的な予測とのあいだに矛盾と言えるようなものはない。したがって、量子力学は正しい理論だと言えそうだ。しかしアインシュタインにとって、実験と合う正しい理論だというだけでは不十分だった―理論はそれに加えて、完全でなければならなかったのである。
「完全」という言葉が何を意味しているにせよ、EPRは、物理理論の完全性に対して、ひとつの必要条件を与えた。「物理的な実在の要素はすべて、その物理理論のなかに対応物をもたなければならない」。理論が完全であるための判定基準をこのように定める以上、EPRがこの先に議論を進めるためには、「実在の要素」とは何かを定義しなければならない。
アインシュタインは哲学の泥沼にはまりたくはなかった。あまりにも多くの人たちが、「実在」を定義しようとして、その泥沼に飲み込まれていった。実在が何で構成されているのかを明らかにしようとして、無事にその沼から出てきた者はかつてひとりもいなかったのだ。そこでEPRは、その泥沼を回避するために、自分たちの目的にとって、「実在を一般的に定義する必要はない」と述べた。そのうえで、「実在の要素」を定義するために、「十分」にして「妥当」な判定基準、と三人が考えるものを使うことにした。その判定基準とは、「系をいかなる仕方でもかき乱すことなく、ある物理量の値を、確実に(すなわち確率1で)予測することができるなら、その物理量に対応する、物理的実在の要素が存在する」というものだった。
アインシュタインは、量子力学が捉えていない客観的な「実在の要素」が存在することを示すことにより、量子力学は自然についての完全な基礎理論だというボーアの主張を突き崩したいと考えたのだ。アインシュタインは、ボーアや彼の意見を支持する者たちとの論争の焦点を、量子力学には内部矛盾があるかどうかという問題から、実在はいかなる性質をもつのか、そして理論は役割とは何かという問題へとシフトさせたのである。』
『EPR論文には、量子論のコペンハーゲン解釈と客観的実在とは両立不可能だというアインシュタインの考えが表明されていた。それについてはアインシュタインのいう通りであり、ボーアもそれはわかっていた。じっさいボーアは、「量子の世界というものはない。あるのは抽象的な量子力学の記述だけである」と述べているのである。コペンハーゲン解釈によれば、粒子には、独立した実在性はない。観測されていないときには、粒子は物理的な性質をもたないのだ。アメリカの物理学者ジョン・アーチボルト・ホイーラーは、のちにこの考え方を次のように言い表した。「基礎的な現象は、観測されるまでは実在しない」。EPR論文が世に出る一年ほど前にはパスクアル・ヨルダンが、観測者とは無関係な実在を認めないコペンハーゲン解釈の観点を論理的にとことん突き詰めて次の結論に達した。「われわれ自身が、測定結果を生み出すのである」
ポール・ディラックは、「アインシュタインがこれではダメだと証明したのだから、一からやり直しだ」と言った。彼ははじめ、アインシュタインは量子力学に致命的な打撃を与えたと考えたのだ。しかしすぐに、ディラックもその他多くの物理学者たちと同じく、今回もまたボーア=アインシュタイン論争の戦場から、勝者として帰還したのはボーアだと考えるようになった。量子力学が非常に役に立つ理論であることはとっくの昔に証明されていたし、EPRに対するボーアの回答をじっくり吟味してみようという者はほとんどいなかった―なにしろボーア自身の基準に照らしてさえ、その回答はあいまいで難解だったのだから。』
42.理論と哲学的立場
●アインシュタインの抵抗は、個人的というより物理学界への警鐘だったように思います。「実験の証拠に基づかず、科学理論を基礎として哲学的世界観を作ること」の危機感から、その危険性を強く訴え続けたということではないでしょうか。アインシュタインの執拗ともいえる論争によって、量子力学は可能な限りの精査を通して今に至っているように思います。ボーアも親愛なる友であるアインシュタインからの警告の意図を理解していたからこそ、アインシュタインからの問題定義を真摯に受け止め、生涯にわたって取り組み続けたのではないかと思います。
『ふたりのあいだで語られなかったことは、すでにお互いが知っていることだった。量子力学の解釈に関するふたりの論争は、突き詰めれば、実在をどう位置づけるかに関する哲学的な信念にかかわっていた。世界は実在するのだろうか? ボーアは、量子力学は自然に関する完全な基礎理論だと信じ、その上に立って哲学的な世界観を作り上げた。その世界観にもとづき、ボーアはこう断言した。「量子の世界というものはない。あるのは抽象的な量子力学の記述だけである。物理学の仕事を、自然を見出すことだと考えるのは間違いである。物理学は、自然について何が言えるかに関するものである」。アインシュタインはそれとは別のアプローチを選んだ。彼は、観測者とは独立した、因果律に従う世界がたしかに実在するという揺るがぬ信念の上に立って量子力学を評価した。その結果として、彼はコペンハーゲン解釈を受け入れることができなかった。「われわれが科学と呼ぶものの唯一の目的は、存在するものの性質を明らかにすることである。ボーアにはまず理論があり、次に哲学的な立場があった。その哲学的立場とは、理論が実在について何を語っているかを理解するために作り上げた解釈だった。アインシュタインは、何であれ科学理論を基礎として哲学的世界観を作ることの危険性を知っていた。新しい実験的証拠の光に照らして、理論に不十分な点があることが判明すれば、その理論に支えられていた哲学的な立場は崩れるからだ。「いかなる知覚的行為とも無関係な実在を仮定することは、物理学の基礎です」とアインシュタインは述べた。「しかしその仮定が正しいかどうかを、わたしたちは知らないのです」
アインシュタインは、哲学的には実在論者であり、そのような立場を根拠づけることは不可能であることを知っていた。それは実在に関するひとつの「信念」であって、証明できるようなものではないからだ。しかし、たとえそうだとしても、アインシュタインにとって、「人が理解したいと願うのは、そこに存在する現実の世界」なのだった。彼はモーリス・ソロヴィンへの手紙に次のように書いた。「人間理性にとって手が届くかぎりの実在の本性が合理的なものだという確信について何か語るとすれば、“宗教的”確信というより良い表現が見つかりません。この感覚がなくなるところでは、科学はつねに退屈な経験主義に陥ってしまう恐れがあります」
ハイゼンベルクは、アインシュタインとシュレーディンガーは「古典物理学の実在概念、より一般的な哲学的な言葉を使うなら唯物論[精神の実在を否定して、物質の根源性、独自性のみを主張する哲学の理論]の実在論に戻りたい」のだろうと考えていた。ハイゼンベルクにとって、「石や木が存在するのと同じ意味において、最小の構成要素が客観的に存在するような実世界が、われわれがそれらを観察するかどうかによらずに存在している」という信念をもつことは、「十九世紀の自然科学に広く行き渡っていた、素朴な実在論の観点」に後戻りすることだった。アインシュタインとシュレーディンガーは「物理学を変えることなく哲学を変えたい」のだというハイゼンベルクの判断は、半ば正しく、半ば間違っていた。アインシュタインは物理学そのものを変えることにも懸命だった―彼は、多くの人たちが考えていたような、保守的な過去の遺物ではなかったのである。古典物理学の概念は、何か新しいもので置き換えなければならないとアインシュタインは確信していた。それに対してボーアは、巨視的な世界は古典物理学の概念で記述されるのだから、巨視的な世界については、古典物理学を超える理論は探そうとすることさえ時間の無駄だと論じていた。じっさい、彼が相補性の枠組みを作り上げたのは、古典的な概念を救おうとしてのことだった。ボーアにとって、測定装置とは独立した基礎的な物理的実在などというものは存在しなかった。ハイゼンベルクが指摘したように、「われわれは量子論のパラドックス、すなわち、古典的な諸概念を使うしかないというパラドックスを避けることはできない」とボーアは考えていたのである。アインシュタインが「心休まる哲学」と呼んだのは、古典的諸概念を残さなければならないという、ボーア=ハイゼンベルクの魅力的な呼び声のことだったのだ。』
『アインシュタイン=ボーア論争は、アインシュタインの死をもって終わったわけではなかった。ボーアは、論敵がまだ生きているかのように、その後も量子論争をつづけたのだ。「わたしにはアインシュタインが微笑んでいるのが見える。得意気でありながら、思いやりと優しさを浮かべたあの顔で」。ボーアが物理の基本的な問題について考えるときには、アインシュタインならどう言っただろうかということが、まず頭に浮かぶことが多かった。1962年11月17日の土曜日、ボーアは、自分が量子物理学の発展に果たした役割に関する、五回にわたるインタビューの最後のひとつを受けた。翌日曜日、昼食をとった後、ボーアはいつものように昼寝をするために寝室に向かった。夫の声を聞いた妻のマルグレーデが寝室に急ぐと、そこには意識を失ったボーアがいた。七十七歳のボーアは、致命的な心臓発作を起こしたのだ。前の晩、かつての講義をもう一度反芻しながら、彼が最後に書斎の黒板に描いたのは、アインシュタインの光の箱だった。』
画像出展:「量子革命」
1954年アインシュタインが亡くなる前年の写真です。(プリンストンの自宅にて)
左は1930年、右は1962年11月亡くなる前夜にボーアが書斎の黒板に描いた“光の箱”です。
『アインシュタインは、こう語ったことがある。「わたしは一般相対性理論について考えた時間より、百倍も多くの時間をかけて量子の問題について考えた」。ボーアは、量子力学は、原子の世界について何を教えているのかを理解しようとするなかで、客観的な実在があるという考えを捨てた。アインシュタインにとってボーアのその判断は、量子力学はたかだか真実の一部しか含んでいないことを示す明らかな兆候だった。ボーアは、実験や観察でわかることの背後に、量子の世界が実在するわけではないと主張して譲らなかった。アインシュタインは、「それを認めることに論理的な矛盾はないが、その考えはわたしの科学的直観と真っ向から対立するので、わたしとしてはより完全な理論を探さずにはいられないのである」と述べた。彼は、「単に出来事が起こる確率ではなく、出来事そのものを描き出すような実在のモデルを作ることは可能だ」と信じることをやめなかった。しかし結局、アインシュタインはボーアのコペンハーゲン解釈を論駁することができなかった。プリンストン時代のアインシュタインを知るアブラハム・パイスは、次のように述べた。「相対性理論について語るときの彼は冷静だったが、量子論については熱くなって語った」。そしてパイスはこう言い添えた。 「量子は彼のデーモンだった」。』
43.統一場理論
●アインシュタインが目指したのは電磁気学、一般相対性理論、そして量子力学を統合する重力理論でした。
『アインシュタインは、人生最後の二十五年間をかけて追及したにもかかわらず、いまだ捉えることのできない統一場理論―それは一般相対性理論と電磁気学の結婚だった―が、自分が追い求める完全な理論になると信じていた。その統一場理論は、量子力学を含むような完全な理論になるはずだった。パウリはそんなアインシュタインの統一の夢に対し、「神が引き離したものを、何人たりともふたたび結びつけてはなりません」という辛辣な判定を下した。当時はほとんどすべての物理学者が、アインシュタインは現実が見えていないと言ってあざ笑った。しかし、[重力・電磁力に加えて]放射性崩壊を引き起こす弱い核力と、原子核をまとめている強い核力が発見されて、物理学者が相手にしなければならない力が四つに増えると、まさにアインシュタインが求めていたような理論の探求が、物理学の聖杯になったのである。』
『ボーアとの論争で決定打を出すことはできなかったものの、アインシュタインの挑戦は後々まで余韻を残し、さまざまな思索の引き金となった。彼の戦いはボーム、ベル、エヴェレットらを力づけ、ボーアのコペンハーゲン解釈が圧倒的影響力を誇って、ほとんどの者がそれを疑うことさえしなかった時期にも検討を促した。実在の本性をめぐるアインシュタイン=ボーア論争は、ベルの定理へとつながるインスピレーションの源だった。そしてベルの不等式を検証しようという試みから、量子暗号、量子情報理論、量子コンピューティングといった新しい研究分野が直接間接に生まれてきたのである。こうした新しい分野のなかでもとくに注目すべき、エンタングルメント[量子もつれ]を利用した量子テレポーテーションだ。SFの世界の話しのように聞こえるかもしれないが、1997年には、ひとつならずふたつのチームが、その粒子の量子状態が別の場所にあるもうひとつの粒子に完全に転写されたので、事実上、最初の粒子を移動させたことになるのだ。
アインシュタインは、コペンハーゲン解釈を批判し、彼に取り憑いた量子のデーモンを滅ぼそうとしたせいで人生の最後の三十年は不遇だったが、彼の主張の一部は正しかったことが示された。アインシュタイン=ボーア論争は、量子力学の数学に含まれる式や数値とはほとんど関係がなかった。量子力学は何を意味しているのか? 実在の本性について量子力学は何を語るのか? こうした問いにどう答えるかが、ふたりを分けたのである。アインシュタインは、具体的な解釈を示したことは一度もなかった。なぜなら彼は、物理理論を睨んで自分の哲学を作るということをしなかったからだ。その代わりに彼は、実在は観測者とは独立しているという信念にもとづいて量子力学を調べ抜き、この理論には満足できないと考えるようになったのだ。
1900年12月には、たいていのことは古典物理学で説明がつき、ほとんどすべてのことが古典物理学の支配する領域に収まっていた。そのときマックス・プランクが量子に出くわし、物理学者たちは今なお、量子の取り扱いに苦労している。アインシュタインは、「わたしは量子に強い関心を持ち」、半世紀ものあいだ「考え続けた」が、いまだ理解したというには程遠いありさまだと述べた。最後までその努力を続けたアインシュタインが慰めを見出したのは、ドイツの劇作家にして哲学者でもあるゴットホルト・レッシングの次の言葉だった。「真実を手に入れたいという願望は、真実を手に入れたという確信よりも尊い」。』
感想
1900年、マックス・プランクが「黒体の放射法則の導出法」の中で“量子”と命名し、1905年にはアルベルト・アインシュタインが光量子の存在と光電効果に関する論文を発表しました。しかしながら、量子論の扉を開いたのはニールス・ボーアが1913年7月に発表した論文、「原子と分子の構成について」だったと思います。
量子論から量子力学への道程も困難極まりないものでしたが、ボーアは若い天才物理学者のハイゼンベルクにすべてを託し、そのハイゼンベルクは友人で同じく若き天才物理学者のパウリの協力により、ついに行列力学にもとづく量子力学を確立しました。しかし、この行列力学は難解な数学的なアプローチであったため、多くの物理学者にとって理解困難なものでした。
それに対抗するように登場したのが、直観的で物理学者にとって分かりやすい波動力学でした。そして、波動力学を発見したシュレーディンガーを後押ししたのがアインシュタインでした。アインシュタインは「コペンハーゲン解釈」に対して、ゾンマーフェルトへの手紙の中で、次のように話しています。「量子力学は統計的法則を記述するという意味では正しい理論かもしれませんが、基本的な個々のプロセスを記述する理論として適切ではありません」。
これは、アインシュタインが考える物理学のあるべき姿に照らし合わせると、受け入れることができない“解釈”でした。また、ボーアの【相補性】に対してアインシュタインは【統一場理論】を考えていました。これがシュレーディンガーとともに「コペンハーゲン解釈」を受け入れることなく、論争になった核心の一つだったと思います。しかしながら、このアインシュタインやシュレーディンガーとの論争、特に第五回ソルヴェイ会議の公私にわたる、あたかもチェスのような闘い、さらに四半世紀に渡って繰り広げられた論争は、確実に量子力学を磨き上げました。
アインシュタインの死後十年を経た1965年、ノーベル賞受賞者のリチャード・ファインマンは次のような言葉を残しました。「量子力学を理解している者は、ひとりもいないと言ってよいと思う」また、「「こんなことがあっていいのか?」と考え続けるのはやめなさい―やめられるのならば。その問いへの答えは、誰も知らないのだから」。
不可知とは「人間のあらゆる認識手段を使用しても知り得ないこと」とされています。不可知論は古代ギリシアや古代インドから存在し、近代においては哲学者カントが「純粋理性批判」において、「物自体は認識できずかつ知り得るものではなく、人は主観形式である時間・空間のうちに与えられた現象だけを認識できる能力のみがある」という考えを提示しました。これも一種の不可知論とされています。
本書の中には次のような記述がありました。
『ハイゼンベルクが発見した不確定性は、現実の世界に本来的に備わっている性質なのだ。原子レベルの世界で観測可能な量について、プランク定数の大きさにより規定され、不確定性関係により課される正確さの限界は、装置をどれだけ改良しても決して消滅することはない、とハイゼンベルクは述べた。この驚くべき発見の名前としては、「不確定性」や「不決定性」よりも、「不可知性」(unknowable)というほうがふさわしかったかもしれない。』
不可知性はボーアとアインシュタインを分けた価値観の相違であり、分岐点ではなかったのかと思います。
ご参考:“基礎物理学の課題 -量子論と相対論の統合は可能か-” PDF31枚
ご参考:Youtube“量子力学と仏教は同じだった!?物理学者たちが東洋思想に魅了される理由【宇宙の真理】”(8分54秒)以下がこの動画の内容です。
00:06 物理学者たちの仏教への反応
01:07 量子力学の世界観①(ウィグナーの友人 ; 思考実験)
03:27 西洋哲学者たちの量子力学への反応
04:08 仏教の世界観①(縁起)
05:11 量子力学の世界観②(不確定性原理)
05:58 仏教の世界観②(不可知性)
06:26 不可知性の世界
06:40 コペンハーゲン解釈の世界
06:56 量子力学の父
07:49 東洋思想と量子力学の関係性の論文
※07:58のところで、ボーアは以下のように述べたということが紹介されています。
『・・・この考えは、
陰陽の名で知られるシンボルである太極図で表現された古代東洋と密接に調和しています。この考えによれば、自然界のすべての変化は、二つの主要な原因または原理によって調和され、それぞれが他を補完しているのです。』
『ボーアはデンマークの国民的英雄になり、1947年、デンマーク最高の勲章、大象位勲章を受けた。この勲章をもらうとき、家の紋章を選ぶ規定があった。ボーアはそのとき、彼の思想を表す非常に特徴のある紋章を選んだ。紋章の上には「CONTRARIA SUNT COMPLEMENTA」=対立するものは相補的である。という意味の言葉がかかれていた。ボーアの選んだ紋章は中国の「易」の思想を表すという太極図である。』
赤と黒の二色の円が太極図です。
画像出展:「アインシュタイン ロマン3」
おそらく、向かって左から3人目がボーア博士だろうと思います。また、次のような話をされたとのことです。
『富士山を箱根や伊豆、その他さまざまな場所から見ることができました。富士山は光線や天候によって姿を色々変えます。あるときは山頂が山に隠れ、あるときは雪を頂く山頂が雲の上に浮かんでいました。その時々の印象は非常に異なります。しかし、富士山の本当の優美な姿はその時々の印象がすべて私の中で合わさってできるのです。それは相補性と同じことなのです。』
”ルビンの壺”
画像出展:「Binary Diary」
もし、人間社会において“壺”という物が存在していないとすれば、この図を見て気づくことは向かい合った二人の横顔だけです。
「不可知」は人間のあらゆる認識手段を使用しても知り得ないことです。やはり、我々が生活している物質世界において、不可知という考えも必要ではないかと思います。
37.1927年9月、イタリアのコモで開催された国際物理学会
●ボーアが相補性という考えを発表したのは、イタリアのコモで開催された国際物理学会でした。そして約1か月後には「第五回ソルヴェイ会議」がブリュッセルで行われました。後年、「コペンハーゲン解釈」と呼ばれるようになった量子物理学は、この二つの会議で行ったボーアの講演が原点です。
『1927年9月11日から20日にかけて、イタリアのコモで開催された国際物理学会は、イタリアのアレッサンドロ・ボルタの没後百周年の記念行事だった。会議がたけなわとなっても、ボーアはまだ、9月16日に予定されている講演の原稿を書き続けていた。講演当日、カルドゥッチ研究所で彼の話を待ち受ける参加者のなかには、ボルン、ド・ブロイ、コンプトン、ハイゼンベルク、ローレンツ、パウリ、プランク、ゾンマーフェルトがいた。
ボーアはまず、新しい相補性という考え方の枠組みを初めて公式の場で説明したのち、ハイゼンベルクの不確定性原理を取り上げ、量子論において測定が果たす役割について語った。ボーアが小声で話す内容を、隅から隅まできちんと聞き取るのは難しい人たちもいた。ボーアは、シュレーディンガーの波動関数に関するボルンの確率解釈をはじめ、さまざまな要素をひとつひとつつなぎ合わせ、それらを量子力学に対する新しい物理的理解の基礎とした。物理学者たちはのちに、たくさんのアイデアが混じり合ったその解釈のことを、「コペンハーゲン解釈」と呼ぶようになる。
ボーアの講義は、後年ハイゼンベルクが、「量子論の解釈にかかわるあらゆる疑問について、コペンハーゲンで行われた徹底的な研究」と表現することになる努力の、ひとつの到達点だった。このデンマーク人が与えた回答は、「量子の手品師」たる若きハイゼンベルクさえも、はじめは戸惑いを覚えるほどのものだった。ハイゼンベルクはのちに、当時の様子を次のように語った。「何時間も話し続けてすっかり夜も更け、身通しがつかないまま議論が終わると、わたしはしばしば研究所のそばに広がる公園にひとりで散歩に出かけ、繰り返しこう自問したものだった。自然は本当に、こうした原子レベルの実験が示しているような馬鹿げたものなのだろうか?」。この疑問に対するボーアの答えは、きっぱりとした「イエス」だった。測定と観測にそのような重要な役割を与えることは、自然のなかに規則的なパターンや因果的な結びつきを見出そうとするいっさいの試みを無効にするものだった。
科学の中核的教義のひとつである因果律は捨てなければならないと、論文のなかではっきりと唱えた最初の人物がハイゼンベルクだった。彼は不確定性原理の論文に次のように書いた。「「現在が正確にわかっていれば未来を予測することができる」という決定論的な因果律の定式化において、間違ってるのは結論ではなく、仮定のほうである。現在をあらゆる細部にわたって知ることは、原理的にさえできないからだ」。たとえば、一個の電子がもつ位置と速度を、同時に正確に知ることはできない。それゆえわれわれに計算できるのは、その電子が未来においてもつ位置と速度に関する、「さまざまな」可能性だけである。原子レベルのプロセスについて、一回かぎりの観測や測定で得られる結果を予測することはできない。正確に予測できるのは、ある範囲の可能性のうち、どれかの結果が得られる確率だけなのだ。
ニュートンの敷いた基礎の上に築かれた古典的宇宙は、決定論的な時計仕掛けの宇宙だった。アインシュタインの相対性理論による修正を受けてからも、粒子であれ惑星であれ、与えられた時刻における物体の位置と速度が正確にわかれば、あらゆる時刻における物体の位置と速度は、原理的にはどれほど正確にでも求めることができる。しかし量子的な宇宙では、あらゆる出来事は空所がないのだ。ハイゼンベルクは不確定性原理の論文の最後の段落で、大胆にも次のように述べた。あらゆる実験が量子力学の法則に従い、それゆえ式ΔpΔq=hに従う以上、因果律を復活させようとすることは、「知覚され統計的な世界」とハイゼンベルクが呼ぶものの背後に、何か「真の」世界が隠れていることを期待するのと同様、「非生産的であり、無意味である」というのがハイゼンベルクの考えだった。それが、彼とボーア、そしてパウリ、ボルンの共通の見解だったのである。
コモの会議では、ふたりの物理学者の欠席が目立っていた。シュレーディンガーは数週間前にプランクの後任としてベルリンに移り、新しい環境に慣れるのに忙しかった。アインシュタインはファシズムのイタリアに足を踏み入れることを拒否した。しかしボーアはわずか1カ月後には、ブリュッセルでこのふたりに会えるはずだった。』
38.1927年10月24日~10月29日第五回ソルヴェイ会議
●1926年9月、戦後、ドイツが国際連盟に加入する道が開かれ、第五回ソルヴェイ会議の開催国となったベルギー国王はドイツ人科学者の参加を承認しました。この結果、ソルヴェイ会議にはアインシュタインの参加が認められました。そのソルヴェイ会議の論争の主役はボーアとアインシュタインであり、それは物理学というより哲学に近いものだったようです。
画像出展:「アインシュタイン ロマン3」
『第五回ソルヴェイ会議に招待された物理学者たちはみな、「電子と光子」というテーマを掲げたこの会議は、目下もっとも緊急度の高い問題、物理学というよりむしろ哲学というべき問題について討論するよう企画されていることを知っていた。その問題とは量子力学の意味である。量子力学は自然の本当の姿について何を教えているのだろうか? ボーアはその答えを知っているつもりだった。多くの人たちにとって、ボーアは「量子の王」としてブリュッセルに到着した。しかし、アインシュタインは「物理学の教皇」だった。ボーアにとって、「最近到達した発展の段階は、われわれの観点から見れば、アインシュタイン自身がきわめて独創的なやり方で提示したいくつかの問題を解明するという目的地に至る道のりを、かなり先まで進んだということを意味していた」。彼は、「アインシュタインがそれをどう考えるか」を知りたくてうずうずしていた。ボーアにとってアインシュタインの意見は大問題だったのだ。
かくして灰色の雲に覆われた1927年10月24日の月曜日、最初のセッションが始まる午前十時に、世界有数の量子物理学者のほとんどが、レオポルトド公園内にある生理学研究所の建物に顔をそろえた。その場には大きな期待感がみなぎっていた。それは、準備に一年半をかけ、ドイツが仲間外れにされていた時期を終わらせるために国王の同意を必要とした会議だった。』
『10月26日の水曜日には、量子力学のふたつの対抗理論の提唱者たちがそれぞれ報告を行った。午前のセッションは、ハイゼンベルクとボルンが共同で担当した。ふたつの講演は大きく四つの部分に分かれていた―数学的形式、物理的解釈、不確定性原理、そして量子力学の応用である。
具体的には、この会議の議事録にある通り、上位者のボルンが序説と、第一部および第二部を担当し、第三部と第四部をハイゼンベルクが担当した。ふたりはその報告を次のように切り出した。「量子力学は、不連続の発生こそは原子物理学と古典物理学との本質的な違いだという直観にもとづいています」。そしてふたりはほんの数メートルの距離に座っている物理学者たちに謝意を表す意味で、量子力学は本質的に、「プランク、アインシュタイン、そしてボーアによって創設された量子論を直接的に拡張した」ものだと指摘した。
それに続いて、行列力学、ディラック=ヨルダンの交換理論、確率解釈を説明したのち、不確定性原理と「プランク定数hの意味」に話を進めた。ふたりは、プランク定数は「波と粒子の二重性を介して自然法則に入り込む普遍的なあいまいさの尺度」だと主張した。じっさい、もしも物質と放射が波と粒子の二重性をもたなかったなら、プランクの定数は存在しなかっただろうし、量子力学も存在しなかっただろう。そしてふたりはまとめとして、次のような挑戦的な発言をした。「量子力学は閉じた理論であって、その物理的数学的前提は、もはやいかなる変更も受けることはないと考えています」
閉じた理論だというのは、今後いかなる発展があろうと、量子力学の基本的な特徴は変わらないという意味だ。アインシュタインにとって、量子力学は完全だとか最終理論だとかいう主張はなんであれ、到底受け入れられるものではなかった。たしかに量子力学はみごとな理論だが、アインシュタインの見るところ、まだ本物ではなかったのだ。しかしアインシュタインは挑発に乗ることを拒否し、ふたりの報告に続く討論でも口を閉ざしていた。その討議で発言したのは、ボルン、ディラック、ローレンツ、ボーアの四人で、ボルンとハイゼンベルクの報告に異議を唱えた者はひとりもいなかった。』
『昼食後に演壇に上がったのは、波動力学に関する報告を英語で行ったシュレーディンガーだった。 「波動力学の名のもとに、現在、互いに密接に関係しているが完全に同じではないふたつの理論が使われています」と彼は切り出した。じっさいにはひとつの理論しかないのだが、事実上、それがふたつに分裂していたのだ。一方は、日常的な三次元空間の中にある波についての理論、そして他方は、高度に抽象的な多次元空間を必要とする理論だ。問題は、一個の電子を記述する場合を別にすれば、その波は、三次元よりも高い次元の空間に存在する波になってしまうことだ、とシュレーディンガーは説明した。水素原子に含まれる一個の電子を記述するためには三次元空間で足りるが、ヘリウムの二個の電子を記述するためには、六次元空間が必要になる。とはいえ、配位空間として知られるこの多次元空間は数学的な道具にすぎず、その理論で記述されるプロセスがいかなるものであれ―衝突し合う多数の電子であれ、原子核のまわりを起動運動している一個の電子であれ―そのプロセスは空間と時間の中で起こっている、とシュレーディンガーは論じた。「しかし率直に言って、それらふたつの概念は、まだ完全に統一されていません」と述べてから、彼はふたつの場合それぞれについての説明に話を進めた。
物理学者たちは波動力学を便利に使っていたが、一個の粒子を記述する波動関数はその粒子の電荷と質量の分布を表しているというシュレーディンガーの解釈を支持する者は、指導的な理論家の中にはひとりもいなかった。シュレーディンガーは、ボルンの確率解釈が広く支持されていることにも屈せず、自分の波動関数解釈の妥当性を力説し、定説となっていた「量子飛躍」という考え方に疑問を投げかけた。
シュレーディンガーは、報告者としてこの会議に招待されたときから、「行列派」との衝突は避けられまいと覚悟していた。講演後に最初に質問に立ち上がったのはボーアだった。ボーアは、シュレーディンガーが報告の後半で述べた「困難」は、彼が前半で述べた、ある結果が間違っているからではないかと問いただした。シュレーディンガーは、ボーアのその質問はうまく切り抜けたが、今度はボルンが立ち上がり、別のところで計算に間違いがあるのではないかと質問した。シュレーディンガーは少しいらついた様子で、「その計算は完璧に正しく厳密であり、ボルン氏による抗議は根拠がありません」と述べた。
さらに二人が発言したのち、ハイゼンベルクが立ち上がった。「シュレーディンガー氏は報告の最後で、われわれの知識が深まれば、多次元理論で得られた結果を三次元空間で説明し、理解できるようになるだろうとの希望的観測を述べることで、彼の理論を根拠づけました。しかしわたしの見るところ、シュレーディンガー氏の計算には、この希望的観測を根拠づけるようなものは何もないように思います」。これに対してシュレーディンガーは、「三次元で考えることができるようになるだろうという自分の期待は、さほど荒唐無稽な夢物語というわけではありません」と答えた。それから数分ほどして討議が終わり、議事の第一部にあたる招待講演はすべて終了した。』
『一般的討論のひとつ目のセッションは、10月28日金曜日の午後に始まった。まずローレンツが、因果律、決定論、確率の問題に討論のテーマを絞るために、いくつかの論点を提出した。量子的な出来事には何らかの原因があるのだろうか、ないのだろうか? 彼の言葉を借りるなら、「決定論は、それを信仰箇条のひとつとしなければ主張できないのだろうか? 非決定論のひとつの原理にまで格上げしなければならないのだろうか?」。ローレンツはそれ以上は自分の考えを述べず、ボーアにこのセッションの舵取りを頼んだ。ボーアはそれを受けて、「量子物理学においてわれわれが直面する認識論的な問題」について語り出した。彼の目的が、アインシュタインにコペンハーゲンの解決策の正しさを納得させることにあるのは、誰の目にも明らかだった。』
『アインシュタインは、ボーアが自分の信念の概略を語るあいだ、じっとその言葉に耳を傾けていた。ボーアは、波と粒子の二重性は相補性という枠組みの中でしか説明できないと主張した。また、不確定性原理は、自然に本来にそなわっている特徴であり、古典的念に適用限界があることを明らかにするものだが、その基礎は相補性にあると述べた。そして、量子の世界を調べるために行われた実験の結果を明確に伝達するためには、観測結果そのものだけでなく、実験の設定についても、「古典物理学の語彙を適切に磨き上げた」言葉で表現しなければならないとボーアは主張した。
1927年2月、ボーアが相補性に向かってじりじりと考察を進めていたところ、アインシュタインはベルリンで光の性質に関する講演を行っていた。アインシュタインは、光の量子論と、光の波動論のどちらか一方ではなく、「それらふたつの概念を統合しなければなりません」と主張した。彼がその考えを最初に明らかにしたのは、もう二十年ほども前のことだった。アインシュタインは、「統合」を待望していたのに対し、ボーアは相補性を導入し、波と粒子の性質を、互いに相容れないものとして分離しようとしていた。どんな実験をするかによって、光は波であったり粒子であったりするというのだ。
科学者たちは従来、自分が見ているものを攪乱せずに観測できるという、暗黙の前提の上に立って実験を行ってきた。客体と主体、観測者と観測対象は、はっきりと区別されていたのである。しかしコペンハーゲン解釈によれば、原子の領域では、もはやその区別は成り立たない。その原因を、ボーアは「量子仮説」に求めた―それを彼は、新しい物理学の「エッセンス」と呼んだ。量子仮説とは、量子がそれ以上分割不可能な塊になっているせいで、自然界に不連続性が生じるということを捉えるために、ボーアが導入した言葉である。量子仮説を受け入れれば、観測対象と観測者をはっきり区別することはできなくなる、とボーアは述べた。観測を行おうとすると、測定対象と測定装置とのあいだでかならず相互作用が起こる。しかし量子は塊になっているので、その相互作用を好きなだけゼロに近づけることはできない。そのため原子の領域では、「現象と観測者のどちらに対しても、通常の意味での、独立した物理的実在性を与えることはできない」というのがボーアの考えだった。
ボーアのイメージする実在は、観測されなければ存在しないようなものだった。コペンハーゲン解釈によれば、ミクロな対象はなんらかの性質をあらかじめもつわけではない。電子は、その位置を知るためにデザインされた観測や測定が行われるまでは、どこにも存在しない。速度であれ、他のどんな性質であれ、測定されるまでは物理的な属性をもたないのだ。ひとつの測定が行われてから次の測定が行われるまでのあいだに、電子はどこに存在していたのか、どんな速度で運動していたのか、と問うことは意味がない。量子力学は、測定装置とは独立して存在するような物理的実在については何も語らず、測定という行為がなされたときにのみ、その電子は「実在物」になる。つまり、観測されない電子は、存在しないということだ。
「物理学の仕事を、自然を見出すことだと考えるのは間違いである」とボーアはのちに述べた。「物理学は、自然について何が言えるのかに関するもの」であって、それ以外のなにものでもないというのがボーアの考えだった。彼にとって、科学にはふたつの目的があった。「経験できることの範囲を広げること、そして経験を秩序立てること」だ。アインシュタインはかつてこう述べた。「われわれが科学と呼ぶものの唯一の目的は、存在するものの性質を明らかにすることである」。アインシュタインにとって物理学とは、観測とは独立した存在をありのままに知ろうとすることだった。アインシュタインが、「物理学において語られるのは、“物理的実在”である」と述べたのは、その意味でだった。コペンハーゲン解釈で武装したボーアにとって、物理学において興味があるのは、「何が実在しているか」ではなく、「われわれは世界について何を語りうるか」だった。ハイゼンベルクはその考えを、のちに次のように言い表した。日常的な世界の対象とは異なり、「原子や素粒子そのものは実在物ではない。それらは物事や事実ではなく、潜在性ないし可能性の世界を構成するのである」。
ボーアとハイゼンベルクにとって、「可能性」から「現実」への遷移が起こるのは、観測が行われたときだった。観測者とは関係なく存在するような、基礎的な実在というものはない。アインシュタインにとって科学研究は、観測者とは無関係な実在があると信じることに基礎づけられていた。アインシュタインとボーアとのあいだに起ころうとしている論争には、物理学の魂ともいうべき、実在の本性がかかっていたのである。』
『第五回ソルヴェイ会議は、ブリュッセルに集まった人たちに次のような印象を残した。ボーアは、コペンハーゲン解釈は論理的に無矛盾だと論証することには成功したが、「完全」で閉じた理論についての唯一可能な解釈だとアインシュタインに納得させることはできなかった、と。アインシュタインは会議からの帰りに、ド・ブロイら数人とともにパウリに立ち寄った。彼はこのフランスの貴公子との別れの際に、「続けなさい、あなたは正しい道を歩いている」と言った。しかしブリュッセルで支持を得られなかったことで傷心したド・ブロイは、その後まもなく自説を撤回し、コペンハーゲン解釈の支持に回る。ベルリンに帰り着いたアインシュタインはすっかり疲れ果て、気が抜けたようになっていた。二週間後、彼はアルノルト・ゾンマーフェルトに手紙を書いて、量子力学は「統計的法則を記述するという意味では正しい理論かもしれませんが、基本的な個々のプロセスを記述する理論として適切ではありません」と述べた。
ポール・ランジュヴァンは後年、1927年のソルヴェイ会議で、「概念の混乱は頂点に達した」と述べたが、ハイゼンベルクにとってはこの会議こそ、コペンハーゲン解釈の正しさを証明する道のりの決定的な転換点だった。会議が終わった時点で、ハイゼンベルクはある人物への手紙に、「科学的な成果に関しては、あらゆる点で満足しています」と書いた。「ボーアとわたしの観点は全般的に受け入れられました。少なくとも、深刻な反論は、アインシュタインとシュレーディンガーからさえ、もはや出てきませんでした」。ハイゼンベルクの見るところ、彼は勝利を収めたのだ。彼はそれからほぼ四十年を経て次のように語った。「われわれは古い言葉を使い、それを不確定性関係により制限することで、あらゆることを明らかにすることができたし、首尾一貫した描像を作ることもできた」。「われわれ」とは誰のことかと問われて、ハイゼンベルクはこう答えた。「当時、それは事実上、ボーアとパウリとわたしだった。』
画像出展:「量子革命」
39.ボーア(コペンハーゲンメンバー)とアインシュタインの議論
●ボーアとアインシュタインの論争は会議の外、ホテルのダイニングルームで行われました。アインシュタインは新たな思考実験で武装して、朝食の席に現われました。
『一般的討論の時間にアインシュタインが口を開いたのは、この後はあと一度、ひとつ質問をしたときだけだった。後半ド・ブロイは、「アインシュタインは、確率解釈に対するごく簡単な反論をした以外はほとんど何も言わなかった」と語った。その発言の後、アインシュタインは「ふたたび口をつぐんだ」と。しかし、参加者全員がホテル・メトロポールに滞在していたため、突っ込んだ論争は生理学研究所の会議室でではなく、ホテルのエレガントなアール・デコ様式のダイニングルームで行われていたのである。ハイゼンベルクは、「ボーアとアインシュタインは全面戦争に突入した」と言った。
貴族にはめずらしく、ド・ブロイはフランス語しか話さなかった。彼はダイニングルームでアインシュタインとボーアが話し込んでいて、ハイゼンベルクとパウリらがそれを熱心に聞いているのを見ていたに違いない。しかし彼らはドイツ語で話していたので、ド・ブロイは、アインシュタインとボーアが、ハイゼンベルク言うところの「全面戦争」をしているとは思わなかったのだろう。思考実験の達人として知られるアインシュタインは、毎朝、不確定性原理と、この原理とともに称賛されていたコペンハーゲン解釈の無矛盾性に挑む、新たな思考実験で武装して朝食の席に現われた。
コーヒーとクロワッサンを取りながら、その思考実験の分析が始まった。議論はアインシュタインとボーアが生理学研究所に向かう途中も続けられ、たいていはハイゼンベルク、パウリ、エーレンフェストが、ふたりの後にぞろぞろとついていった。アインシュタインとボーアが歩きながら論じ合ううちに、仮説が洗い出され、論点が明らかにされた。そうこうするうちに午前の部のセッションが始まるのだった。ハイゼンベルクはのちにこう語った。「会議のあいだじゅう、とくに休憩時間には、われわれ若手、とくにパウリとわたしはアインシュタインの実験の分析を試みた。昼食時には、ボーアとコペンハーゲンのメンバーが集まって議論を続けた」。夕方になり、さらにコペンハーゲンのメンバーで相談した後に、共同でアインシュタインの反論に立ち向かった。メトロポール・ホテルで夕食の時間になると、ボーアはアインシュタインに、彼の新しい思考実験は不確定性原理によって課される限界を破ってはいないことを説明するのだった。どの思考実験についても、アインシュタインはコペンハーゲンの反論に欠陥を見出すことができなかったが、ハイゼンベルクが述べたように、「彼が心から納得しているわけではない」のも明らかだった。
ハイゼンベルクがのちに語ったところによれば、数日後、「こうしてボーア、パウリ、そしてわたしは、自分たちの一致点はゆるぎないとわかって納得し、アインシュタインも、量子力学の新しい解釈は、それほど簡単に論駁できないらしいということは理解したようだった」。しかしアインシュタインは屈しなかった。彼は、たとえそれがコペンハーゲン解釈を拒否する理由の本質を捉えてはいけないとしても、「神はサイコロを振らない」という言葉をたびたび口にした。あるときボーアはそれに対して、「しかし、神がどうやってこの世界を回しているのかなど、われわれにはわからないでしょう」と言った。パウル・エーレンフェストは、半ば冗談としてこう言った。「アインシュタイン、残念ながら、きみが新しい量子論に反対するやり方は、きみの敵対者たちが相対性理論について反対するやり方とまったく同じだよ」
アインシュタインとボーアが1927年のソルヴェイ会議で非公式に繰り広げた議論を、偏りのない立場から目撃していた唯一の人物がエーレンフェストだった。ボーアはのちにこう述べた。「アインシュタインの意見が、少数の集団のあいだで熱烈な議論を引き起こした。双方と長年にわたり親しい友人だったエーレンフェストは、きわめて積極的かつ有益なかたちで議論に参加した」。会議が終わって数日後、エーレンフェストはライデン大学の学生たちに手紙を書き、ブリュッセルでの出来事を生き生きと伝えた。「ボーアがみんなを完全に圧倒しています。はじめは誰も彼の言うことが理解できないのですが(ボルンもその場にいました)、ボーアは一歩一歩、みんなを説き伏せて行くのです。もちろん、ボーアは、あの恐るべき意味不明な文句を呪文のように唱えます(気の毒に、ローレンツはイギリス人とフランス人のために通訳をしていますが、まったく意味が伝わりません。ローレンツはボーアの話したことをまとめようとするのですが、ボーアは礼儀正しく、それは自分の言っていることとは全然違うと言うのです)。毎晩夜中の一時になると、ボーアはわたしの部屋にやってきて、「ひとことだけ」と言いながら、午前三時までしゃべり続けます。ボーアとアインシュタインとの対話をそばで見ていられたことは、わたしにとっては喜びでした。ふたりにとって、あれはチェスのようなものなのです。アインシュタインはいつも新しい例を携えてやってきます―それで不確定性関係を打倒しようというのです。ボーアは哲学的なもやのなかから、アインシュタインが次々と打ち出す例を論破する道具を探しだしてきます。しかしアインシュタインは、あたかもびっくり箱の中から飛び出してくる人形のように、毎朝、新しくなって飛び出してきます。こういう議論の価値は計り知れません。しかしわたしはほとんど躊躇なくボーアに賛成し、アインシュタインには反対です」。それでもエーレンフェストはこう認めた。「しかし、アインシュタインと意見の一致をみるまでは、ボーアの心が休まることはないでしょう」
ボーアは後年、1927年のソルヴェイ会議でのアインシュタインとの対話は、「とても楽しい気分のなかで行われた」と語った。しかし彼は少し残念そうにこう言い添えた。「ものの見方や考え方には一定の違いが残った。なぜならアインシュタインは、連続性と因果律を捨てずとも、一見してまったく異質な経験を調和させるみごとな腕前があったので、その理想を捨てる気になれなかったのだろう。それに関して言えば、この新しい学問分野を探求するにあたって、日々新たに蓄積されている原子レベルの現象に関する多くの証拠を調和させるという差し迫った仕事をするためには、連続性と因果律を断念するしかないと考える者たちよりも思い切りが悪かったのだろう」。つまりボーアは、アインシュタインの収めた成功そのものが、彼を過去に縛りつけたと言っているのである。』
画像出展:「量子革命」
左がアインシュタイン、右がボーアです。1930年のソルヴェイ会議となっているので、第五回ではなく、第六回の時の写真ということになります。
画像出展:「量子革命」
右がアインシュタイン、左がボーアです。こちらの写真も第六回になります。
40.「コペンハーゲン解釈」という命名は1955年(28年後)
●イタリアのコモで開催された国際物理学会、そしてベルギーのブリュッセルでの第五回ソルヴェイ会議は1927年に開催されました。「コペンハーゲン解釈」は、それから28年後にハイゼンベルクが使った言葉でした。その中核にあったのは“相補性”であり“統合”を目指したアインシュタインにとっては納得できるものではありませんでした。しかし、アインシュタインは否定はせず、「とても繊細にまとめられている」という認識を持っていました。良くいえば包括的、悪いくいえば寄せ集め的だったかもしれませんが、不可思議なミクロの量子物理学を説明するにはこれが最善だったのだと思います。
『ボーアは、「コペンハーゲン解釈」という言葉を一度も使わなかったし、1955年にハイゼンベルクが使うときまで、誰もこの言葉を使っていない。しかし、初めはほんの一握りの熱狂的な支持者しかいなかったこの解釈は、その後すみやかに広がり、最終的にはほとんどすべての物理学者にとって、「量子力学のコペンハーゲン解釈」は、量子力学と同義語になった。この急速な、「コペンハーゲン精神」の広がりと受容の背景には三つの要素があった。ひとつは、ボーアと彼の研究所が果たした重要な役割である。若いポスドクの時代にマンチェスターのラザフォードの研究所に滞在したときの経験に触発されたボーアは、それと同じような活気―やればできるという感覚―にあふれた、自分自身の研究所を作ることに成功したのだ。
「ボーアの研究所はすみやかに量子物理学の世界的中心地となり、昔のローマ人たちの言葉をもじれば、「すべての道はブライダムスヴァイ十七番地に通ず」という状況だった」と語るのは、1928年の夏にそこを訪れたロシア人のジョージ・ガモフである。アインシュタインが所長を務めるカイザー・ヴィルヘルム理論物理学研究所は書物の上にしか存在せず、アインシュタインはそれでよいと思っていた。彼はたいていひとりで仕事をし、のちには計算をやってくれる助手をひとり雇っただけだったのに対し、ボーアは科学上の子どもたちをたくさん育て上げた。その中でも最初に卓越した権威としての地位にのぼったのは、ハイゼンベルク、パウリ、ディラックだった。後年、ラルフ・クロー二ヒが回想したところでは、この三人はまだ若かったが、ほかの若い物理学者たちがあえて彼らに反論することはなかった。クロー二ヒ自身、パウリにスピンというアイデアを馬鹿にされて、電子のスピンをしまい込んだのだった。
第二の要因として、1927年のソルヴェイ会議のころに、教授のポストにたくさん空きが出たことがある。その席のほとんどすべてを、量子力学という新しい物理学を作るために貢献した者たちが占めた。彼らが向かった研究所は、その後すみやかに、ドイツをはじめヨーロッパ中からもっとも優秀な学生を引き付けるようになる。シュレーディンガーはベルリンで、プランクの後継者というもっとも名誉ある地位に就いた。ソルヴェイ会議の直後に、ハイゼンベルクはライプツィヒ大学の正教授となり、理論物理学研究所の所長も兼任するようになった。その六カ月後の1928年4月には、パウリがハンブルクからチューリッヒに移り、スイス連邦工科大学の教授になった。パスクアル・ヨルダンの数学の力量は、行列力学を発展させるにあたって決定的に重要な役割を果たしたが、そのヨルダンがハンブルクでパウリの後任となった。まもなくハイゼンベルクとパウリは頻繁に行き来するようになり、助手や学生をお互いの研究室やボーアの研究所とで交換し、ライプツィヒとチューリッヒをともに量子力学の中心地にした。クラマースはすでにユトレヒト大学に着任していたし、ボルンはゲッティンゲンにポストを得ていた。かくしてコペンハーゲン解釈はすみやかに量子論の定説となったのである。
三つ目の要因として、ボーアと若い協力者たちは、それぞれ意見に違いがあったにもかかわらず、コペンハーゲン解釈に異議を唱える声に対してはつねに統一戦線を張ったことが挙げられる。唯一の例外が、ポール・ディラックだった。1932年9月に、ケンブリッジ大学でかつてアイザック・ニュートンが務めていた数学のルーカス教授職に着任したディラックは、量子力学の解釈問題にはついに関心を持たなかった。彼にはこの問題が、新しい方程式をもたらさない、つまらない執着のように思えたのだ。興味深いことに、彼は自分のことを数理物理学者と呼んだのに対し、同世代のハイゼンベルクやパウリも、またアインシュタインもボーアも、そう名乗ることは決してなかった。』
『ボーアの論文が英語とドイツ語とフランス語の三カ国語で出版された。英語版は「量子仮説と原子論の最近の発展」と題されて、1928年4月14日に刊行された。その脚注に、「本論文の内容は、1927年9月16日に、コモで開かれたボルタ記念会議で量子論の玄奘について行った講義と本質的に同じものである」とあった。しかし実を言えば、ボーアはその論文のために、コモでの講演とブリュッセルでの発言のどちらよりも、相補性と量子力学に関するアイデアをさらに練り上げていたのである。
ボーアはシュレーディンガーにその論文を一部送り、シュレーディンガーは次のように返信した。「もしもひとつの系、つまり質点を、そのp(運動量)とq(位置)を特定して記述したければ、そのような記述は限られた正確さでしかできないということですね」。だとすれば、そのような制約を受けないような新しい概念を導入する必要がある、とシュレーディンガーは論じ、こう結論した。「しかし、そのような概念的な枠組みを発明するのは非常に難しいということに疑問の余地はないでしょう。というのは―あなたがきわめて印象的に力説したように―そのような枠組みを新しく作るためには、われわれの経験のもっとも深いレベル―すなわち空間と時間と因果律―に触れずにはすまないからです」
ボーアはシュレーディンガーに、「一定の理解を示してくれたこと」には感謝するが、シュレーディンガーは古い経験的な概念を、「視覚化という人間の手段の基礎」と分かちがたく結びつけているので、量子論では「新しい諸概念」が必要だということが理解できていないように見える、と書いた。そしてボーアはふたたび持論を繰り返した。すなわち、問題は古典的な諸概念の適用可能性に多少とも恣意的な制限があるかどうかではなく、観測という概念を分析する相補性という不可避的な特徴が現れることなのだ、と。ボーアは最後に、この手紙の内容についてプランクやアインシュタインと議論してみてもらえないかと書いた。シュレーディンガーがアインシュタインに、ボーアとのやりとりのことを話すと、アインシュタインはこう述べた。「ハイゼンベルク=ボーアの心休まる哲学―というより宗教?―は、たいへん繊細に作り上げられているので、当面、真の信者には優しい枕になってくれるでしょう。信者はそのまどろみから容易には起きないでしょう。そのまま寝かしておきましょう」。』
28.数学的には等価だが物理的世界が異なる波動力学と行列力学
●一度は断念したシュレーディンガーによる二つの量子力学の関係を明らかにする研究は、ついに実を結びました。
『1925年の春が夏に変わろうとするころには、古典物理学においてニュートン力学が果たしたような役割を、原子物理学において果たすべき理論―量子力学―は、まだ存在していなかった。ところがその一年後には、粒子と波ほども性格の異なる、ふたつのライバル理論が存在していた。しかもそれらの理論を同じ問題に当てはめてみると、まったく同じ結果が得られたのだ。ひょっとすると、行列力学と波動力学のあいだには何か関係があるのでは? シュレーディンガーは、画期的な論文を書き終えた直後から、そのことを考えはじめた。彼は二週間ばかり、ふたつの理論の関係を探ってみたが、何も見出せなかった。「結局、それ以上探すのは諦めました」と、シュレーディンガーはヴィルヘルム・ヴィ―ンへの手紙に書いた。関係が見出せなくても、彼は少しも困らなかった。なにしろシュレーディンガーは、「自分の理論がぼんやり頭に浮かぶよりだいぶ前から、行列計算には耐えられないと思っていたから」だ。しかし結局、彼は両者の関係をさらに追及せずにはいられず、ついに三月の初めに、それを発見する。
形の上でも、内容という点でも大きく異なる二つの理論―一方は波動方程式を用いて波を記述し、他方は行列代数を用いて粒子を記述する理論―は、数学的には同じものだったのだ。両者がまったく同じ答えを与えたのも当然のことだった。まもなく、形のうえでは異なっても、互いに等価であるようなふたつの方程式があることの利点が明らかになった。物理学者が出会うほとんどすべての問題で、シュレーディンガーの波動力学のほうが容易に答えを与えてくれた。しかしそれ以外の側面、たとえばスピンが関係する問題では、ハイゼンベルクの行列のアプローチのほうが役に立つことが示されたのだ。
かくして物理学者の関心は、理論の数学的形式から、物理的解釈へと移っていった。ふたつの理論のどちらが正しいのかという、起こっても不思議はなかった論争は、起こる前に息の根を止められたのである。ふたつの理論は、数学的には等価かもしれないが、その背後にある物理的世界は大きく異なっていた―シュレーディンガーの波はなめらかで連続的なのに対し、ハイゼンベルクの粒子は飛び飛びで不連続なのだ。シュレーディンガーとハイゼンベルクはふたりとも、自分の理論のほうが自然の物理的世界の姿を正しく捉えていると堅く信じていた。しかし、それに関するかぎり、両方とも正しいということはありえなかった。』
29.波動力学の限界
●波動方程式はヘリウムやそれより重い原子に当てはめると視覚化は失われ、抽象的な多次元空間なってしまいます。また、光電効果やコンプトン効果を説明することができませんでした。物理学者でも苦労するような行列ですが、量子を幅広く説明するうえでは、ハイゼンベルクの行列力学の方が優れているようです。
『波動力学の波動関数は数学者のいう「複素数」なので、それを直接測定することはできない。複素数は、たとえ4+3iのように、実部と虚部をもつ。このとき実部は4で、普通の数である。虚部は3iである。このiには物理的な意味がない。なぜなら、それはマイナス1の平方根だからである。ある数の平方根とは、二乗したときにその数になるものだ。4の平方根は、2である。(2×2=4)。二乗してマイナス1になる数は存在しない。1×1=1だが、-1×-1もやはり1である。なぜなら、マイナス×マイナスはプラスだからだ。
波動関数を観測することはできない―波動関数は、見ることも触ることもできない観測不可能な雲のようなものだ。しかし複素数を二乗すれば、実験で測定できる量と結びついた実数になる。たとえば、4+3iを二乗すれば、25になる。シュレーディンガーは、電子の波動関数を二乗したもの、|ψ(x,t)|²は、場所xと時刻tにおける電荷の密度を表すと考えたのだ。
波動関数をそのように解釈することに関係して、シュレーディンガーは粒子の実在性に疑問を突きつけ、電子を表すために「波束」というものを導入した。電子を粒子と見なす立場には実験の強力な裏づけがあったにもかかわらず、シュレーディンガーは、電子は粒子のように「見える」だけで、じつは粒子ではないと論じたのである。粒子としての電子というイメージは幻想だ、と彼は考えた。現実の世界に存在するのは波だけであり、電子が粒子のように見えるのは、多数の物質波が重なり合い、波束を作っているからだ、と。空間を進む電子は、波束として進んで行く―ちょうど、一端を固定されたロープの他端を手に持ち、手首を動かして作ったパルスがロープを伝わって行くように。粒子状の波束ができるためには、その粒子に相当する小さな空間領域の外では、さまざまな波長の波が互いに干渉し、打ち消し合わなければならない。
粒子を諦め、すべてを波に還元することで、不連続性と量子飛躍の物理学を回避できるなら、それはシュレーディンガーにとって払う価値のある代償だった。しかしまもなく、彼の解釈は物理的に意味をなさないことが明らかになった。第一に、波束として表された電子は、バラバラに崩れてしまうのだ。もしもその電子を、粒子としてじっさいに検出されている電子と結びつけようとすれば、空間に広がった構成要素の波は、光の速度よりも速く進まなければならないことになる。
シュレーディンガーは、波束が崩れるのをなんとか食い止めようとしたが、手の打ちようがなかった。波速は、波長も振動数も異なるたくさんの波でできているため、それぞれの波が異なる速度で進み、波束はすぐに広がりはじめる。そのため、電子が粒子として検出されるときにはつねに、それぞれの波が瞬間的に一カ所に集中して波束にならなければならない―空間に広がっていたものが、一瞬のうちに、ある一点に局在しなければならないのだ。第二の問題は、波動方程式をヘリウムや、それより重い原子に当てはめようとすると、シュレーディンガーの数学の基礎にある視覚化しやすい世界は、抽象的な多次元空間へと消えてしまうことだった。
一個の電子の波動関数には、三次元の電子の波に関して知るべきことがすべて符号化されている。しかし、ヘリウム電子には、電子が二個含まれており、それらを表す波動関数は、普通の三次元空間のふたつの波ではなく、奇妙な六次元空間に生息するひとつの波になってしまうのだ。周期表の中で、ひとつの元素から次の元素へと順に進んでいくにつれ、電子は一個ずつ増えていく。そして電子が一個増えるたびに、新たに三つの次元が必要になる。そんなわけで、周期表の元素であるリチウムの波動関数は九次元空間を必要とし、ウランの波動関数ともなれば276次元もの空間に生息することになるのである。そういう抽象的な多次元空間の波は、シュレーディンガーが期待したような、連続性を回復させ、量子飛躍を駆逐してくれる物理的な実在の波ではありえなかった。
また、シュレーディンガーの解釈では、光電効果やコンプトン効果を説明することができず、そのほかにも、たとえば次のような問題に答えることができなかった。波束に電荷をもたせるにはどうすればよいのか? 波動力学は、純粋に量子的なものであるスピンを組み入れることができるのか? シュレーディンガーの波動関数が、日常的な三次元空間の中の波を表していないのなら、それはいったい何を表しているのだろうか? これらの問いに答えを与えたのがマックス・ボルンだった。』
30.古典的確率とは異なる量子的確率を使って波と粒子を統合する方法
●ボルンにとって量子の粒子性を否定することはできませんでした。それはゲッティンゲンで行われていた原子同士を衝突させる実験を通して、「粒子という概念の豊かさ」を実感していたからです。
『シュレーディンガーが、粒子性と量子飛躍は認められないと論じている点は、ボルンは到底受け入れるわけにはいかなかった。彼はかねてから、ゲッティンゲンで行われていた原子同士を衝突させる実験を見ており、「粒子という概念の豊かさ」を実感していたからだ。ボルンは、シュレーディンガーの方程式が優れていることは認めたものの、彼の解釈は受け入れなかった。ボルンは1926年の末に、「シュレーディンガーの形式だけを残して、そこに何か新しい物理的内容を盛り込むためには、彼の物理的描像はすっかり捨て去らなければなりません。彼の描像は、古典的な連続の理論を復活させようとするものです」と述べた。「おいそれと粒子を捨て去るわけにはいかない」と確信していたボルンは、波動関数の新しい解釈を考えるなかで、確率を使って波と粒子を統合する方法を見出すのである。』
画像出展:「量子論を楽しむ本」
『ニュートンの宇宙は完全なる決定論の世界であり、そこに偶然の出る幕はない。そのような宇宙では、粒子は与えられた任意の時刻に、はっきりとした運動量と位置をもっている。粒子の運動量と位置が時間とともにどう変わるかは、その粒子に作用する力によって決まる。』
『あらゆることが自然法則に従って進展する決定論的宇宙において確率が顔を出すとすれば、それは人間の無知の反映だった。もしも任意の系で、その系の現在における状態と、その系に作用する力が完全にわかっているなら、未来においてその系に起こることはすべて決定される。古典物理学における決定論は、すべての作用には原因があるという「因果律」の母体と、へその緒でつながっているのだ。
二個のビリヤードの玉が衝突するように、電子が原子に衝突すれば、その電子はあらゆる方向に散乱される可能性だある。しかし電子とビリヤードの玉との類似性が成り立つのはそこまでだ、とボルンは述べて、驚くべき主張をした。原子レベルの衝突に関して、物理学に答えることができるのは、「衝突後の状態はどうなるのか?」という問いではなく、「その衝突の結果として、所定の結果になる可能性はどれだけあるのか?」という問いだというのである。「かくして決定論という大問題が持ち上がる」と、ボルンは自ら認めた。衝突の後で、電子が正確にどこに存在するのかを知ることはできない。物理学者にできるのはただ、電子がある角度に散乱される確率を計算することだけだ、とボルンは述べた。それがボルンの言う「新しい物理的内容」であり、彼の波動関数解釈はすべてそこにかかっていた。
波動関数そのものには物理的実在性はない。波動関数は、ぼんやりとした不思議な可能性の領域に存在している。波動関数は、たとえば原子と衝突した電子が散乱されるかもしれない角度をすべて足し合わせたような、抽象的な可能性を表しているのだ。そのような可能性と確率とのあいだには、大きな違いがある。ボルンは、波動関数を二乗したもの―複素数ではなく実数―は、確率の領域に存在していると論じた。波動関数を二乗しても、たとえば、電子のじっさいの位置が得られるわけではない。それが教えてくれるのは、電子がどこに見出されるかの確率だ。もしも電子の波動関数の値が、場所Yでよりも、場所Xでのほうが二倍大きいとすると、電子がXに見出される確率は、Yに見出される確率よりも四倍大きい。しかし、その電子はXに見出されることもあるし、Yや、それ以外の場所に見出されることもある。』
『自分[ボルン]が物理学に持ち込んだ確率は、従来のものとはまったく異なるということにボルンが十分に納得するまでには、ふたつの論文のあいだに流れた十日間という時間が必要だったのだ。その奇妙な「量子的確率」は、情報の不足から生じ、それゆえ理論上は取り除くことができる古典的確率とは別のものである。それは原子の領域にどこまでもついてまわる性質なのだ。たとえば、放射性物質の内部で、放射性原子がいずれ崩壊するのは確実だが、個々の原子がいつ崩壊するかを予測することができない。それは情報が足りないために予測できないのではなく、放射性崩壊を支配する量子的なルールが確率的性質をもつためなのである。』
31.アインシュタインとハイゼンベルク
●1926年4月28日、ハイゼンベルクはベルリン大学での物理学談話会(コロキウム)の後、アインシュタインに「うちに来ないか」と誘われました。
『講義机にノートを広げ、黒板の前に立ったハイゼンベルクはカチカチに緊張していた。才気あふれる二十五歳の物理学者が硬くなるのも無理はなかった。1926年の4月28日水曜日、彼はベルリン大学の有名な物理学談話会(コロキウム)で、行列力学に関する講義をしようとしていたのだ。ミュンヘンやゲッティンゲンがどれだけの成果を挙げていようと、ハイゼンベルクがいみじくも「ドイツ物理学の牙城」と呼んだのはベルリンだった。聴衆を見渡しながら、ハイゼンベルクは最前列に並んだ四人のノーベル賞受賞者に目を止めた―マックス・フォン・ラウエ、ヴォルター・ネルンスト、マックス・プランク、そしてアルベルト・アインシュタインの面々である。
「そんなにたくさんの有名人と会える初めての機会」にどれほど緊張していたにせよ、「当時としてはかなり型破りな理論の基本的概念と数学的基礎について、わかりやすく説明」できたと我ながら思えるような話をするうちに、ハイゼンベルクの緊張はすぐにほぐれていった。講義が終わり、聴衆がバラバラと帰りはじめたころ、アインシュタインがハイゼンベルクに声をかけ、これからうちに来ないかと誘った。ハーバーラント通りを三十分ばかり歩きながら、アインシュタインがハイゼンベルクに尋ねたのは、家族のことや教育のこと、それまでの研究のことだった。いよいよ本題の議論が始まったのは、アインシュタインの家に着いて、ふたりがゆったり椅子に腰を下ろしてからのことだ。』
32.アインシュタインにとっての行列力学
●量子物理学の歩みにおいて、アインシュタインは時に要所要所に存在する関所のような大きな存在だったようです。また、相対性理論の中でアインシュタイン自身が選択したものではありましたが、「観測可能な量だけからなる理論を見つけようとするのは、完全に間違っている」という考えは揺るぎないものでした。
『ハイゼンベルクの回想によれば、アインシュタインは、「きみの最近の仕事の、哲学的な前提」について尋ねたいと切り出した。「きみは原子の内部に電子が存在すると仮定しているが、それはおそらく正しいだろう」とアインシュタイン。「しかし、霧箱の中に電子の軌跡が見えてもなお、きみは軌道というものを認めないと言うのだね。なぜそんなおかしなことを言い出すのか、その理由をもう少し詳しく聞かせてもらえるだろうか?」。ハイゼンベルクにとってはチャンス到来だった。彼は、この四十七歳の量子論の大家を説得して、なんとか味方に引き入れたいと思っていたのだ。
「われわれは原子内の電子の軌道を見ることはできません」と、ハイゼンベルクは説明を始めた。「しかし放電現象では原子が放射を出しますから、そこから原子内電子の振動数と、それに対応する振幅を導き出すことはできます。そしてハイゼンベルクは持論を開陳しはじめた。「良い理論は、直接的に観測可能な量にもとづかなければならないのですから、電子の軌道の代わりに、振動数と振幅だけを使ったほうがよいと思ったのです」。アインシュタインはそれを聞いてこう言った。「しかし、物理理論には観測可能な量だけしか入ってこないなどと、本気で思っているわけではないだろう?」。それはハイゼンベルクが新しい力学を作る際に、基礎としたものを直撃する問いだった。ハイゼンベルクは驚いてこう聞き返した。「でも、それはあなたが相対性理論を作ったときに基礎とした考え方そのものではありませんか?」
アインシュタインは微笑んでこう言った。「うまい手は二度使っちゃいけないよ」。「たしかに、わたしはその考え方を使ったかもしれない」と彼は認めた。「それでもやはり、そんなものは馬鹿げた考えなのだ」。何がじっさいに観測できるかを考えてみることは、発見法的には役に立つかもしれないが、原理的な観点からは、「観測可能な量だけからなる理論を見つけようとするのは、完全に間違っている」とアインシュタインは言った。「なぜなら事実はその逆だからだ。何が観測可能かを決めているのは、理論なのだよ」。アインシュタインは何を言わんとしているのだろうか?
それよりおよそ百年前の1830年、フランスの哲学者オーギュスト・コントは、いかなる理論も観測に立脚しなければならないが、われわれの頭脳は観測を行うために理論を必要としてもいると論じた。アインシュタインは、観測というものは一般にきわめて複雑なプロセスであり、理論に使われている現象についての仮説もからんでくるということを説明しようとした。「観測している現象は、測定装置の内部で何らかの反応を引き起こす。その結果として、装置内でさらに別のプロセスが起こり、複雑な道筋を経て、最終的には知覚的な印象を生じさせ、われわれの意識に結果を定着させるわけだ」。その結果がどのようなものになるかは、どんな理論を使うかによる、とアインシュタインは言うのだ。「きみの理論にしたって、振動する原子から光が飛び出し、その光が分光器や観測者の目に届くまでのメカニズムは、誰もが仮定するように、やはり本質的にはマクスウェルの法則に従うと仮定しているわけだろう。もし、それすらも仮定しないというなら、きみが観測可能だと言っている量はすべて、そもそも観測できないのだから」。アインシュタインはたたみかけた。「つまり観測可能な量しか持ち込んでいないというきみの主張は、きみが定式化しようとしている理論の性質に関する、ひとつの仮説なのだよ。」のちにハイゼンベルクは、「アインシュタインのその意見には完全に意表を突かれたが、彼の議論には説得力があると思った」と述べている。』
『アインシュタインを説得できずに落胆しつつ辞去するとき、ハイゼンベルクは決断を下さなければならない案件を抱えていた。それから三日後の5月1日には、彼はコペンハーゲンにいる予定になっていた―ボーアの助手とコペンハーゲン大学の講師という、ふたつの仕事が始まるからだ。しかしつい最近、ハイゼンベルクはライプツィヒ大学から正教授として招聘されたのだ。彼のような若輩者にとって、正教授という申し出は非常に名誉なことだったが、はたしてその招きを受けるべきだろうか? ハイゼンベルクはアインシュタインに、この難しい選択のことを話した。ボーアのところに行って、彼といっしょに仕事をしなさい、というのがアインシュタインのアドバイスだった。翌日、ハイゼンベルクは、ライプツィヒからの申し出は断るつもりだと両親に手紙を書いた。「よい論文を書き続ければ、これからもお呼びはかかるでしょう。もしそうでなかったなら、もともと自分にはその価値がなかったということです」。』
33.ボーアとハイゼンベルク(量子の世界のあいまいさの核心、波と粒子の二重性の問題)
●昔の日本の師匠と弟子のような関係だったボーアとハイゼンベルクにとって、最大の問題は古典物理学では考えられない「波と粒子が同時に存在すること」でした。ハイゼンベルクにとって数学を中心に組み立てた理論である行列力学は絶対的なものでしたが、ボーアは波動力学も重要であり、数学の背後にある物理を理解することを優先しました。「原子レベルのプロセスを完全に記述する理論、その理論の内部で粒子と波が同時に存在できるようにするための方法を見つけなければならない」と確信していたボーアにとって、粒子と波という互いに相容れない概念を調停することが、矛盾のない量子力学の物理的解釈へと続く扉を開けるための鍵と考えていました。
『1926年の5月半ば、ボーアはラザフォードへの手紙にこう書いた。「ハイゼンベルクがこっちに来ました。われわれは暇さえあれば、量子論の新展開や、この理論の大きな可能性について講論しています」。ハイゼンベルクはボーア研究所の、「壁が斜めになった小さな屋根裏部屋」に住み込んだ。部屋の窓からは緑のフェレズ公園が見えた。ボーア一家は、研究所に隣接する広々として豪華な所長邸に移っていた。ハイゼンベルクはしょっちゅうボーア邸に行っていたので、まもなく「ボーア家の人たちといっしょにいるのが当たり前のように」なった。』
『「ボーアは、われわれを苛んでいた量子論の困難について議論しようと、夜も更けてからわたしの部屋に来るのでした」とハイゼンベルクは語っている。ふたりが何より頭を痛めたのは、波と粒子の二重性だった。アインシュタインはその二重性をめぐる状況を、エーレンフェストへの手紙に次のように書いた「片手に波、もう片手には粒子! その両方が実在していることは岩のように堅い事実です。そして悪魔はそれを詩にするのです」
古典物理学では、記述すべき対象は粒子または波であって、その両方ということはありえない。ハイゼンベルクは粒子を使い、シュレーディンガーは波を使って、異なるバージョンの量子力学を発見した。行列力学と波動力学が数学的には等価であることが示されても、波と粒子の二重性について理解が深まったわけではなかった。問題は、次の疑問に答えられる者がいないことだ、とハイゼンベルクは言った。「電子は今このとき、波なのだろうか、それとも粒子なのだろうか? そして、わたしがこれこれの働きかけをしたとき、電子はどんな振る舞いをするのだろうか?」。ボーアとハイゼンベルクが、波と粒子の二重性について懸命に考えれば考えるほど、ますます謎は深まるように思われた。』
『ハイゼンベルクはそのころのことを、後年、次のように回想した。「われわれの対話はしばしば真夜中過ぎまで続いた。そうやって何カ月も頑張ったにもかかわらず満足の行く結果が得られなかったので、ふたりとも消耗し、ピリピリした雰囲気になっていった」。ボーアはもう限界だと判断し、1927年2月に四週間の休暇をとり、ノルウェーのグドブランスダールにスキー旅行に出かけることにした。ハイゼンベルクはそれを、「絶望的に難しい問題について、ひとりでじっくり考えるチャンス」と受け止め、ボーアの出発を内心うれしく見送った。最大の問題は霧箱の中の電子の軌跡だった。』
画像出展:「アインシュタイン ロマン3」
34.ハイゼンベルクの不確定性原理
●ハイゼンベルクは与えられた任意の時刻に、粒子の位置と運動量の両方を正確に測定することは量子力学によって禁じられていることを発見しました。そして、「何が観測でき、何が観測できないのかを決めているのは、理論だ」と考えました。
『ある晩遅く、研究所の小さな屋根裏部屋で仕事をしていたハイゼンベルクが、行列力学によれば存在しないはずの電子の軌跡が霧箱の中に見えるという謎について考えていると、思考がふらふらと彷徨いだした。すると突然、「何が観測できるかを決めているのは、理論なのだ」というアインシュタインの言葉が、こだまのように聞こえたのだ。自分は今、何かを掴みかけていると感じたハイゼンベルクは、頭をはっきりさせなければと思い、とうに真夜中を過ぎていたにもかかわらずフェレズ公園に散歩に出かけた。
ほとんど寒さも感じないまま、彼の考えはしだいに、霧箱に残された電子の軌跡とは実のところ何なのかという問題に絞られていった。後年、彼はそのときのことを次のように語った。「これまであまりにも安易に、霧箱の中では電子の軌跡が見えると言ってきた。しかしおそらくわれわれは、それほどのものは見ていないのだ。現実にわれわれが見ているのは、電子よりずっと大きいことのたしかな水滴の列にすぎないではないか」。こうしてハイゼンベルクは、なめらかにつながった軌跡は存在しないという確信を得た。彼とボーアは、問題の立て方を間違っていたのだ。問うべきは次のことだった。「電子がおおよそある場所にあって、おおよそある速度で移動しているという事実を、量子力学は記述できるのだろうか?」
急いで机に戻ったハイゼンベルクは、いまやすっかり手の内に入った数式をあれこれいじりはじめた。どうやら量子力学は、情報や観測可能性に制限を課しているらしかった。しかし量子力学は、観測できるものと観測できないものをどうやって決めているのだろう? その答えが不確定性原理だった。
ハイゼンベルクは、与えられた任意の時刻に、粒子の位置と運動量の両方を正確に測定することは量子力学によって禁じられていることを発見したのである。電子の位置は測定できるし、電子の速度も測定できるけれども、その両方を同時に測定することはできない。どちらか一方を正確に知れば、自然はその代償として、他方に関する情報をあいまいにする。量子の世界にはある種の駆け引きがあって、一方が正確に測定されればされるほど、それだけ他方に関する情報や予測はあいまいになるのだ。ハイゼンベルクは、もしも自分の考え通りなら、不確定性原理によって課される限界を超えて量子の世界を正確に知ることは、いかなる実験によってもできないことを悟った。もちろん、その主張の正しさを「証明する」ことは不可能だが、実験に含まれるあらゆるプロセスが「量子力学の法則に従うはずである以上」、そうでなければならないとハイゼンベルクは確信した。
彼はそれから数日間、不確定性原理―彼の好んだ呼び方によれば、「不決定性原理」―がたしかに成り立っているかどうかを調べることに専念した。ハイゼンベルクは頭の中の実験室で、不確定性原理によれば許されない正確さで、位置と運動量を同時に測定できそうな「思考実験」を次から次へと考え出した。しかし、考えついたかぎりの例で計算してみても、不確定性原理は破れなかった。とくに、あるひとつの思考実験をやってみたとき、「何が観測でき、何が観測できないのかを決めているのは、理論だ」ということを証明できたという手ごたえを得た。』
35.不確定性原理を表す式、ΔpΔp≧h/2πとΔEΔt≧h/2π
●ハイゼンベルクは二つの式の発見でジグゾーパズルは完成したと考えました。そして、その式は量子力学と古典力学の間に横たわる深くて根本的な違いを暴露するものでもありました。
『ハイゼンベルクは、ΔpとΔp(Δはギリシャ文字のデルタ)を、運動量と位置について得られる値の「あいまいさ」とすると、ΔpとΔpの積はつねにh/2π以上になることを示すことができた。その式で表せば、hをプランク定数として、ΔpΔp≧h/2πとなる。これが不確定性原理、すなわち、位置と運動量の「同時測定に関する不正確さ」の数学的表現である。ハイゼンベルクはもうひとつ、いわゆる「互いに共役な変数」であるエネルギーと時間の「不確定性関係」も見出した。ΔEを、系のエネルギーEを求める際のあいまいさ、Δtを、Eを観測した時間tのあいまいさとすると、ΔEΔt≧h/2πとなる。
当初、不確定性原理が成り立つのは、実験装置が技術的に未熟だからだろうと考える人たちがいた。いずれ装置が改良されれば、不確定性は消滅するだろう、と。そんな誤解が生まれたのは、不確定性原理の意味を明らかにするために、ハイゼンベルクが思考実験を使ったためだった。しかし思考実験とは、理想的な条件のもので、完璧な装置を用いて行う架空の実験である。ハイゼンベルクが発見した不確定性は、現実の世界に本来的に備わっている性質なのだ。原子レベルの世界で観測可能な量について、プランク定数の大きさにより規定され、不確定性関係により課される正確さの限界は、装置をどれだけ改良しても決して消滅することはない、とハイゼンベルクは述べた。この驚くべき発見の名前としては、「不確定性」や「不決定性」よりも、「不可知性」(unknowable)というほうがふさわしかったかもしれない。』
◇不可知性:人間のあらゆる認識手段を使っても知り得ないこと。
36.波と粒子の二重性を受け入れるための相補性
●ボーアにとっては波と粒子の二重性こそが量子の世界のあいまさの核心と考えており、シュレーディンガーの波束をハイゼンベルクの新しい原理と結びつけて考えていました。そのため、ハイゼンベルクの粒子と不連続性だけに立脚したアプローチには懐疑的でした。そして、ハイゼンベルクが不確定性関係に没頭していたとき、ボーアは「相補性」を思いついていました。
『ハイゼンベルクがコペンハーゲンで不確定性関係の意味を探ることに没頭していたとき、ボーアはノルウェーのゲレンデで「相補性」を思いついていた。それは彼にとって、単なるひとつの理論や原理ではなく、量子の世界の奇妙な性質を記述するために必要な、それまで欠けていた概念的枠組みだった。波と粒子の二重性という矛盾した性質は、相補性という枠組みの中にうまく収まりそうだった。電子と光子―つまり物質と放射―がもつ波と粒子というふたつの性質は同じひとつの現象の排他的かつ相補的なふたつの側面であり、波と粒子は一枚のコインの裏と表なのだ、とボーアは考えた。
相補性は、波と粒子という、古典的にはまったく異質なふたつの記述方法を、非古典的な世界を記述するために使わなければならないせいで生じた困難を、きれいに迂回するものだった。ボーアによれば、量子的な世界を完全に記述するためには、波と粒子の両方が必要不可欠であり、どちらか一方だけでは不完全な記述しかならない。光子と波はそれぞれ光について異なる絵を描き、それらふたつの絵は隣り合わせに壁に掛けてある。しかし、矛盾を避けるために制限が課されている。与えられた任意の時刻にわれわれに見ることができるのは、ふたつの絵のどちらか一方だけなのである。どんな実験を行っても、粒子と波が同時に見えることはない。ボーアは次のように主張した。「異なる条件のもとで得られた証拠は、一方の絵の中だけで理解することはできず、現象の総体のみが対象について得られる情報を尽くすという意味において、相補的なものとして捉えなければならない」
ボーアがその新しいアイデアに手ごたえを得たのは、ふたつの不確定性関係ΔpΔp≧h/2π、ΔEΔt≧h/2πに、波と連続性を嫌悪するハイゼンベルクには見えなかったものを見たときだった。プランク=アインシュタインの式 E=hvと、ド・ブロイの式p=h/λには、波と粒子の二重性が体現されている。エネルギーと運動量は粒子的な量なのに対し、振動数と波長は波の性質だ。つまりどちらの式にも、粒子の性質を記述する変数と、波の性質を記述する変数の、両方が含まれているのである。ひとつの式に、粒子と波の両方の性質が含まれていることがボーアには腑に落ちなかった。なんといっても粒子と波は、物理的に似ても似つかないものなのだから。
ボーアは、ハイゼンベルクの顕微鏡の思考実験の分析の間違いを正したとき、それと同じことが不確定性関係についてもいえることに気がついた。それに気付いたことでボーアは、相補的かつ排他的な古典的概念(粒子と波動、運動量と位置など)が、量子の世界でどこまで同時に矛盾せずに通用するかを教えているのが不確定性関係だ、という解釈に導かれたのだった。
また、不確定性関係は、エネルギー(不確定性関係の式の中のE)と運動量(p)の保存法則にもとづく記述(ボーアの言葉では「因果的記述」)と、空間(q)と時間(t)の中で出来事を追跡する記述(「時空的」記述)のどちらか一方を選ばなければならないことも意味していた。これらふたつの記述は、考えられるかぎりの実験を説明する際には、互いに排他的、かつ相補的な関係にあった。そこで、位置と運動量のような、互いに相補的な観測可能量を同時に測定しようとしたり、互いに相補的なふたつの記述を同時に用いたりすることには、自然界に本来的にそなわる限界があるのだ、とボーアは考えた。』
画像出展:「陸上競技の理論と実践」
相補的を説明する例としては、「位置と運動量の関係」があると思います。
『ハイゼンベルクは、「粒子」、「波」、「位置」、「運動量」、「軌跡」といった古典的な概念は、原子の領域ではどこまでも無制限に使うことはできないと考えたのに対し、ボーアは、「実験データの解釈は、本質的に古典的な概念によらなければならない」と考えていた。また、ハイゼンベルクは、これらの概念は操作的に定義されなければならない(測定を介して定義されなければならない)と考えたのに対して、ボーアは、それらの概念の定義は、古典物理学でどのように使われているかによって初めから決まっていると考えていた。さかのぼって1923年のこと、ボーアは次のように書いた。「自然のプロセスに関する記述はすべて、古典物理学の理論によって導入され、定義された概念に立脚しなければならない」。不確定性原理がどんな限界を課そうとも、理論の成否は実験によって検証され、データ、論証、解釈は、すべて古典物理学の言葉と概念によって行われるという単純な理由から、古典的概念を別のもので置き換えることはできない、というのがボーアの考えだった。』
『ボーアは電子と光線、すなわち物質と放射を観測するときに、粒子と波、どちらの面が現れるかはどんな実験を行うかによると考え、それについては一歩も譲るつもりはなかった。粒子と波は、基礎となるひとつの現象の相補的かつ排他的なふたつの側面なのだから、現実の実験であれ思考実験であれ、両方の面が同時に現れることはありえない。ヤングの有名な二重スリット実験のように、実験装置が光りの干渉を見るようにデザインされている場合には、波としての光の性質が現れるし、光線を金属表面に照射して光電効果を調べるためにデザインされた実験では、粒子としての光の性質が現れる。光は波なのか、粒子なのかと問うことには意味がない。量子力学においては、光の「正体」を知るすべはない。意味のある質問はただひとつ、光は粒子として「振る舞う」のか、それとも波として「振る舞う」のかということだ。そしてその質問に対しては、「実験の選び方によって、粒子として振る舞うこともあれば、波として振る舞うこともある」と答えることになる、というのがボーアの考えだった。』
ご参考:Youtube“【スピリチュアルに騙されるな】量子力学と二重スリット実験【宇宙の真理】”(6分40秒~19分17秒に二重スリット実験について解説されています。内容は高度ですが凄い動画です)
19.古典物理学からの解放
●ボーアから教えられるかぎりのことを学んだハイゼンベルクは、多くの物理学者が踏み込めなかった量子的な概念は、慣れ親しんだ古典物理学の束縛から解放されることこそが、前進する鍵であることに気づきました。
『1924年9月17日にボーアの研究所に戻ったとき、22歳のハイゼンベルクは、量子物理学に関する単著または共著の優れた論文をすでに十篇以上も発表していた。彼は、自分にはまだ学ぶべきことがたくさんあり、それを教えてくれる人物としてボーア以上の適任者はいないことを知っていた。ハイゼンベルクは後年、「ゾンマーフェルトからは楽観的であることを学び、ゲッティンゲンでは数学を学び、ボーアからは物理学を学んだ」と述べた。ハイゼンベルクはそれからの七カ月間、量子論の困難を克服するためにボーアが採っていたアプローチをみっちりと教え込まれる。ゾンマーフェルトとボルンも同じ矛盾と困難に悩まされていたが、両者とも、ボーアほど四六時中その問題ばかり考えていたわけではなかった。それに対してボーアは、口から出るのは量子のことばかりというほど、この問題に没頭していたのである。
ボーアと徹底的に議論するなかでハイゼンベルクが思い知ったのは、「さまざまな実験結果を統一的に解釈することの難しさ」だった。たとえばコンプトン散乱もそのひとつだ。それは電子がエックス線を散乱させる現象で、アインシュタインの光量子仮説を支持する結果が得られていた。さらにド・ブロイが、波と粒子の二重性は、光だけでなく、あらゆる物質にまで拡張されると言い出したために、実験の解釈は何倍も難しくなったように思われた。教えられるかぎりのことをハイゼンベルクに教え込んだボーアは、この若い弟子に絶大な期待をかけた。「この苦境から脱出する道を見出すために必要なことはすべて、いまやハイゼンベルクの手中にあります」
1925年4月の末に、ハイゼンベルクはボーアの親切に感謝し、「これから先、ひとり寂しく研究を続けていかなければならないと思うと悲しいです」と言って、ゲッティンゲンに帰っていった。しかし彼は、ボーアとの議論、そしてその後も続いたパウリとの対話から、ひとつ非常に重要なことを学んだ―何か、とても基本的なものを捨てなければならないということだ。ハイゼンベルクは、水素原子の線スペクトルの強度という長年の未解決問題に取り組むうちに、何を捨てればよいのかがわかった気がした。ボーア=ゾンマーフェルトによる原子の量子論を使えば、水素の線スペクトルの振動数を説明することはできたが、その明るさ、つまりスペクトルの強度は説明できないと考えた。水素原子の原子核の周囲をめぐる電子の軌道は、観測することができない。そこでハイゼンベルクは、「原子核の周囲を軌道運動している電子」という、慣れ親しんだイメージを捨てることにした。それは大胆な一歩だったが、彼にはその道に踏み出す心の準備ができていた。ハイゼンベルクは以前から、観測できないものを絵に描いて示すというやり方が嫌いだったのだ。』
『ハイゼンベルクがこの新しい戦略を採るより一年以上も早く、パウリはすでに電子軌道という概念に疑問を突き付けていた。「一番重要な問いは、はっきりと規定された電子軌道について、どこまで語りうるのかということだと思います」と、彼は1924年2月にボーアへの手紙に書いた。この引用文の強調は、パウリ自身によるものである。彼はこのときすでに、排他原理へと続く道のりをだいぶ先まで進んでいたし、電子の殻が閉じるということの意味も考え抜いていた。そして同じ年の十二月にボーアに宛てた別の手紙のなかで、パウリは自分が提示した問題に、すでに次のような答えを与えていたのである。「原子をわれわれの偏見の鎖につなぐべきではありません。電子に普通の力学でいうような軌道があるという仮説も、そんな偏見のひとつだというのがわたしの考えです。量子的な概念を、慣れ親しんだ古典物理に合わせようとするのはやめなければならない。物理学者は自由にならなければならない、とパウリは言うのだ。最初にその妥協をやめたのが、ハイゼンベルクだった。彼はプラグマティックな観点から、科学は観測できることにもとづくべきだという実証主義の立場に立ち、観測可能な量だけを使って理論を作ることにしたのである。』
20.観測可能な量だけを使って作った理論
●ハイゼンベルクの花粉症は重症でした。その難敵である花粉のない島がヘルゴラント島です。ここでハイゼンベルクは誰もが待ち望んだ量子力学の扉を開けました。
『七十歳のハイゼンベルクは当時を回想して語った。その宿舎は、赤い砂岩が削られてできた、島の南端にある崖の近くにあった。三階の部屋のバルコニーからは、眼下に広がる村と海岸線を思い出しては、繰り返しそれについて考えた。ゲーテを読んでくつろいだり、小さなリゾート地で日課のように散歩や水泳をしたりするうちに、彼は内省的な気分になっていった。そうこうするうちに体調もだいぶ落ち着き、注意を散らすようなものがほとんどないなか、やがてハイゼンベルクの思索は原子物理学の問題へと戻っていく。ヘルゴラント島では、このところ彼に付きまとっていた暗い気分も消えていた。ゲッティンゲンから背負ってきた数学の重荷をあっさり投げ捨てると、彼はのびのびとした気分で、線スペクトルの強度の謎について考えはじめた。
ハイゼンベルクは、量子化された電子の世界を記述する新しい数学を探すにあたり、電子がエネルギー準位間を瞬間的にジャンプするときに生じる線スペクトルの、振動数と相対強度だけに焦点を合わせることにした。選択の余地はなかった。原子の内部で起こっていることについて教えてくれるデータは、そのふたつしかなかったのだ。量子飛躍という言葉が喚起するイメージとは裏腹に、電子がエネルギー準位間を遷移するときには、わんぱく坊主が塀の上から道路に飛び降りるときのように、空間を移動するわけではない。ある場所にいた電子が、次の瞬間、別の場所に現れるのだ―その中間のどこも通らずに、ハイゼンベルクは覚悟を決めて、観測可能な量と、それらに結びついたものすべては、電子がエネルギー準位間を遷移するときに行う量子飛躍という不思議な手品によって生じるのだと考えて納得することにした。かくして、電子が原子核のまわりを軌道運動しているという、太陽系のミニチュアのようなわかりやすい原子像は消滅した。
ヘルゴラント島という花粉のない天国で、ハイゼンベルクは、電子が行う可能性のあるすべての飛躍―状態から状態への遷移―を書き表すにはどうすればよいだろうかと考えた。エネルギー準位に関係して観測可能な量のそれぞれについて、ジャンプによって生じる変化を追跡するために彼が考えついた唯一の方法は、数を縦横に並べた表を使うことだった。』
『ニュートン力学で観測できる量にはさまざまあるが、ハイゼンベルクがその中で最初に考えたのは、電子の軌道だった。原子核からはるか遠くに離れたところで、一個の電子が軌道運動しているものとしよう―太陽系でいうなら、それは水星というより、むしろ冥王星に近い。ボーアが定常軌道という概念を持ち込んだのは、電子がエネルギーを放出しながら螺旋を描いて原子核に墜落するのを食い止めるためだった。しかしその電子の定常軌道が古典物理学で導かれたものと一致するためには、原子核からはるか遠くに離れたところで軌道運動している電子の軌道振動数(1秒間に軌道をめぐる回数)は、その電子が放出する放射の振動数に一致しなければならない。
これは突飛な思いつきではなく、対応原理―量子の領域と古典的な領域とのあいだにボーアが架けた概念的な橋―を巧みに応用した結果だった。ハイゼンベルクが想定した電子軌道はとても大きかったので、量子の世界と古典的な世界との境界線上にあった。ふたつの世界のあいだに引かれたその境界線上では、電子軌道の振動数は、電子が放出する放射の振動数に等しいはずなのだ。ハイゼンベルクは、原子内にあるそのような電子は、スペクトルのあらゆる振動数を生み出すことができる仮想的な振動子に似ていることを知っていた。マックス・プランクは四半世紀前に、それとよく似たアプローチを使ったのだった。しかし、プランクは恣意的な仮定を置き、正しいことがわかっていた式を力づくで導いたのに対し、ハイゼンベルクは、古典物理学の見慣れた風景につながるはずだという、ボーアの対応原理に導かれていた。いったん振動子を考えてしまえば、ハイゼンベルクは、その運動の特徴―運動量p、平衡の位置からの変異q、そして振動数―を計算することができた。振動数部vmnをもつ線スペクトルは、さまざまな振動子のうちの、どれかひとつによって放出されるはずだ。ハイゼンベルクは、量子的なものと古典的なものとが出会う、その中間地帯を詳しく調べて得られた結果は、原子の内部という未知の領域を探索するために利用できることを知っていたのだ。
ヘルゴラント島でのある夜遅く、突如として、ジグゾーパズルのピースが合いはじめた。観測可能な量だけを使って作った理論は、すべてのデータを再現してくれそうだった。しかしその理論では、エネルギー保存則は成り立つのだろうか? もしもエネルギー保存則を破っていれば、その理論はトランプの家のように崩れ落ちてしまう。自分の理論が、物理的にも数学的にも矛盾がないことを証明できるまであと一歩というところで、24歳の物理学者は、興奮と緊張のあまり、計算をチェックしながら単純なミスを繰り返すようになった。物理学の基本法則のひとつであるエネルギー保存則がたしかに成り立っていると彼がペンを置いたのは、夜中の三時ころだった。彼は点にも昇る心地だったが、動揺もしていた。後年、ハイゼンベルクはそのときのことを次のように語った。「はじめからわたしは、これは大変なことになったと思った。原子的な現象という上辺から、なんとも形容しがたい、美しい内部を覗き込んでいるような気がしたのだ。自然がこれほどまでに気前よくわたしの目の前に広げて見せてくれた、この豊かな数学的構造を、これから詳しく探っていかなければならないと思うと、めまいがするほどだった」。気持ちが高ぶってとても眠れそうになかったので、彼は夜明け前に、ヘルゴラント島の南端に向かって歩き出した。そこには海に突き出した岩があり、何日も前から登ってみたいと思っていたのだ。発見は興奮で吹き出したアドレナリンにエネルギーを注がれるようにして、彼は「たいした苦労もなくその岩によじ上り、太陽が昇ってくるのを待った」。』
画像出展:「MEISTERDRUCKE」
(The Grand Staircase, Helgoland, Germany, Photochrome Print, c.1900)
ボーアから全てを託されたハイゼンベルクが、ヘルゴラント島で発見したものは、量子力学の扉を開けた歴史的出来事だったように思います。
世界はひとつ、重力力学はふたつ。その答えは二つを見渡す境界線にあり、【波】(古典)と【粒】(量子)の構造はコインの裏表のように一体型とのことです。
生命の進化を淘汰とみれば、合理性や最適化が重要だと思います。重力力学が2つ存在するとすれば、そのような理由ではないでしょうか。
21.(A×B)-(B×A)≠ゼロ
●量子力学の扉を開けたハイゼンベルクが最初に著面した難題は、A×BとB×Aの答えが等しくないという奇妙な掛け算の謎を解くことでした。
『朝の冷たい光の中で、ハイゼンベルクのはじめの幸福感や楽観的な展望は色褪せていった。彼の見出した新しい物理学がうまく行くためには、X×YとY×Xが等しくないという、奇妙な掛け算を使うしかなさそうだった。普通の数なら、どの順番で掛け算をしても構わない。4×5の答えと5×4の答えは、どちらも20である。掛け算の結果は順番によらないというこの性質のことを、数学者は可換性と呼んでいる。数は、掛け算の交換法則を満たすので(つまり「可変」なので)、(4×5)-(5×4)はつねにゼロである。これはすべての子どもが学ぶ数学のルールだ。ハイゼンベルクを深く悩ませたのは、数の表の中のふたつの値を掛け算した結果は、掛け合わせる順番によって変わってしまうことだった。(A×B)-(B×A)は、必ずしもゼロではなかったのである。
彼の理論が必要としている、その奇妙な掛け算の意味がわからないまま、6月19日の金曜日、ハイゼンベルクはドイツ本土に戻ると、そのままハンブルクのヴォルフガング・パウリのもとに直行した。数時間後、誰よりも厳しい批判者であるパウリから励ましの言葉をもらったハイゼンベルクは、その発見をもう少し磨きあげて論文にするためにゲッティンゲンに向かった。二日後、その仕事はすぐにできると思っていたハイゼンベルクは、パウリに手紙を書き、「量子力学を作る仕事は遅々として進むみません」と伝えた。一日、また一日と時間が経ち、新しいアプローチを水素原子にうまく応用できないまま、ハイゼンベルクは追い詰められていった。
気がかりなことは山ほどあったが、ハイゼンベルクが確信していたことがひとつだけあった。何を計算するにせよ、「観測可能」な量のあいだの関係のみ、あるいは、現実には測定が難しいとしても、原理的には測定可能な量のあいだの関係しか使ってはならないということだ。彼は、自分の方程式に現れるすべての量が観測可能だということを公理として、「観測できない軌道という概念を完全に消し去り、その対応物で置き換える」ことに、「わずかばかりの努力のすべてを」注ぎ込んだ。
『その謎めいた掛け算規則には、どんな意味があるのだろうか? その問いがボルンに取り憑いて離れなくなり、彼はそれからの数日というもの、寝ても覚めてもそのことばかり考え続けた。ボルンはその計算規則に見覚えがあったのだが、それが何なのか思い出せなかったのだ。ボルンはアインシュタインに手紙を書き、この奇妙な掛け算がどこから出てくるのかはまだ説明できないけれども、「ハイゼンベルクの最新の論文がまもなく発表されることになるでしょう。まだよくわからないところもありますが、真実を捉えており、深いことは確かです」と伝えた。ボルンは自分の研究所にいる若手、とりわけハイゼンベルクを褒め、「彼の考えについて行くだけでも、わたしは相当努力が必要です」と書いた。くる日もくる日もその計算規則のことばかり考え続けたボルンの努力は、ついに報われた。ある朝、ボルンはふと、学生時代に受験したきり忘れていた、ある数学の講義のことを思い出した―ハイゼンベルクが出くわしたのは、行列演算だったのだ。行列演算では、X×Yは必ずしもY×Xにはならないのである。』
22.量子物理学の新時代の幕開けを告げる論文
●ハイゼンベルクに並ぶ天才とされたパウリは、ハイゼンベルクが書き上げた論文について、次のような言葉を送りました。「その論文は、かつてない希望と、新たな生きる喜びを与えてくれた。それで謎が解けたというわけではないにせよ、ここでまた、われわれは前進できるでしょう」と。
『六月の末、ハイゼンベルクは父親への手紙にこう書いた。「ぼくの仕事はと言えば、今のところ、あまりはかばかしくありません」。しかしそれから一週間ほどして、彼は量子物理学の新時代の幕開けを告げる論文を書き上げた。自分がやり遂げたことの意味にまだ確信がもてないハイゼンベルクは、写しを一部パウリに送り、申し訳なさそうに、二、三日のうちにその論文を読んで、返事をくれないかと頼んだ。ハイゼンベルクがそれほど急いでいたのは、7月28日にケンブリッジ大学で講演をする予定になっていたからだ。パウリはその論文を、「歓喜をもって」迎えた。パウリはある物理学者への手紙に、ハイゼンベルクの「その論文は、かつてない希望と、新たな生きる喜び」を与えてくれたと書いた。「それで謎が解けたというわけではないにせよ、ここでまた、われわれは前進できるでしょう」と、パウリは言い添えた。そして正しい方向に真っ先に踏み出したのは、マックス・ボルンだった。』
『ハイゼンベルクはその論文のまとめの部分に到達してからさえ、まだ逡巡していた。「ここに提案したような、観測可能な量のあいだの諸関係を使って量子力学のデータを求めるという方法は、原理的に満足の行くものと見なされるべきなのか、あるいはこの方法は結局のところ、現状ではきわめて込み入った問題であることが明白な、量子力学の理論を作るという物理的問題へのアプローチとしては不十分なものであるのかは、ここではごく表層的に採用したこの方法を、数学的により詳しく調べることによってのみ判定できるであろう」』
23.行列演算と量子力学
●ハイゼンベルクが発見した数の並びは、十九世紀の半ばにイギリス人の数学者アーサー・ケイリーが提唱した行列演算でした。この行列演算は数学では確立された分野でしたが、ハイゼンベルクの世代の理論物理学者にとっては未知の領域でした。また、このことに気づいたボルンはハイゼンベルクが作り出した枠組みを、原子物理学のあらゆる局面に適用できるような、論理的に矛盾のない枠組みに仕上げなければならないと思い、二十二歳のパスクアル・ヨルダンとともにこの大きな難問に取り組みました。
『ハイゼンベルクの掛け算規則は行列演算であることを突き止めたボルンは、位置qと運動量pを、プランク定数を含む式で結びつける方法をすぐさま発見した。その式はpq-qp=(ih/2π)Iと書くことができる。ここで、Iは、数学者が単位行列を使えば、それなしにはただの数にすぎない右辺を行列にすることができるのだ。この基本式にもとづき、それから数カ月のうちに、行列という数学の方法にもとづく量子力学が完成した。』
24.論理的に矛盾のない量子力学を定式化した「三者論文」
●猛烈な勢いで行列を勉強したハイゼンベルクは「三者論文」の作業に参加することができました。
『行列を知らないのはハイゼンベルクばかりではなかった。しかし彼は猛烈な勢いでその新しい数学を学びはじめ、まだコペンハーゲンにいるうちに、ボルンとヨルダンに追いつくほどの力をつけてしまった。十月半ばにゲッティンゲンに戻ったハイゼンベルクは、のちに「三者論文」として知られることになるその論文の最終バージョンを作る作業に参加することができた。彼とボルンとヨルダンの三人はその論文により、論理的に矛盾のない量子力学を定式化したのである。それはながらく探し求められていた、原子の新しい物理学だった。』
25.守備範囲の広い理論家
●シュレーディンガーの最初の論文は実験物理学だったそうです。先にご紹介した若き天才、パウリとハイゼンベルクは理論物理学に傾倒されており、この点が異なります。また、シュレーディンガーは放射性元素、統計物理学、一般相対性理論、色彩論[ゲーテによる光と色の研究]といった幅広い分野で四十篇以上の論文を発表しています。そして、一匹狼で、洒落ていて、気分屋で、親切で、寛大な、じつに愛すべき人間で、しかも、恐ろしく効率のよい、第一級の頭脳の持ち主だったとのことです。
『同僚の物理学者たちの見たシュレーディンガーは、放射性元素、統計物理学、一般相対性理論、色彩論といった幅広い分野で四十篇以上もの論文を発表している。堅実であるが、ずば抜けて優れているというほどもない仕事を重ねてきた、守備範囲の広い器用な理論家だった。シュレーディンガーの仕事のなかには、他人の研究を理解して分析し、分かりやすく説明する力量を示す総説がいくつもあり、いずれも高い評価を得てありがたがられていた。
11月23日、シュレーディンガーのコロキウム(談話会)には、当時二十一歳の学生だったフェリックス・ブロッホが出席していた。ブロッホがのちに語ったところでは、シュレーディンガーは、「ド・ブロイが波と粒子を結びつけた方法や、粒子の定常状態の軌道に整数個の波が収まるという条件を課すことで、なぜニールス・ボーアとゾンマーフェルトの量子化規則が得られるのかという条件を課すことで、なぜニールス・ボーアとゾンマーフェルトの量子化規則が得られのかということを、みごとにわかりやすく説明した」。しかし、波と粒子の二重性には実験の裏づけがなかったため(それが得られるのは1927年のことだ)、デバイは、ド・ブロイの議論は「子どもじみている」との感想を述べた。波の物理学には―音波、電磁波、ヴァイオリンの弦を伝わる波など、どんな波を扱うにせよ―その波を記述する方程式が必要だ。ところが、シュレーディンガーの説明した理論には、「波動方程式」がなかったのだ。ド・ブロイは、物質波の波動方程式を導こうとしたことはなかったし、彼の学位論文を読んだアインシュタインも同様だった。そのコロキウム(談話会)から五十年を経ても、ブロッホはそのときのことを鮮明に覚えており、デバイの指摘は、「あまりにも当たり前すぎて、みんなには軽く聞き流されたようだった」と述べた。
しかしシュレーディンガーは、デバイの言う通りだと思った。「波動方程式のない波では話にならない」のだ。そのとき彼はほとんど瞬時に、ド・ブロイの物質波に対する波動方程式を見つけてやろうと心に決めた。』
26.シュレーディンガーが「作った」波動方程式
●シュレーディンガーは親切で寛大だったとされていますが、駆け引きのない率直な性格で柔軟性、多様性も持っていたのではないでしょうか。デバイの酷評ともとれる「波動方程式のない波では話にならない」という発言を受け入れ、「量子の波動方程式をみつけてやろう」というポジティブな心が多くの物理学者に支持された直観的な方程式の発見を呼び込みました。
『クリスマス休暇から戻り、年明けに開かれた次にコロキウム(談話会)で、シュレーディンガーは声高らかにこう宣言することができた。「前回デバイが、波動方程式が必要だと言いましたが、さてさて、わたしはそれを見つけました!』。シュレーディンガーはその二週間のうちに、胎児のようなド・ブロイのアイデアを取り上げて、立派な量子力学理論に育て上げたのである。
シュレーディンガーには、どこから出発すればよいかも、何をすればよいかもわかっていた。ド・ブロイは、波と粒子の二重性というアイデアの妥当性の保証を、電子の定在波の波数が整数のときに軌道が閉じ、ボーアの原子モデルで許される電子軌道を再現できることに求めたのだった。しかしシュレーディンガーは、自分の探す方程式は、三次元の水素原子モデルを、三次元の定在波として再現できなければならないと考えた。水素原子は彼が見出すべき波動方程式の試金石になるはずだ。
波動方程式を探しはじめてまもなく、シュレーディンガーはまさに求める方程式を捕まえたと思った。しかし、水素原子に当てはめてみると、その方程式からは実験と合わない結果が出てきてしまった。その失敗の根本的な理由は、ド・ブロイが波と粒子の二重性というアイデアを得たときに、アインシュタインの特殊相対性理論と矛盾しないものを考え、そのよううなものとして提示していたことだった。ド・ブロイのやり方を手本にして進んでいたシュレーディンガーは、当然ながら、「相対論的」な形をした波動方程式を捜し、まさにそれを見つけたのである。そのころにはすでに、ウーレンベックとハウトスミットが電子のスピンを発見していたが、ふたりの論文が専門雑誌に掲載されたのは1925年11月下旬のことだった。当然ながら、シュレーディンガーが発見した相対論的な波動方程式にはスピンが含まれておらず、結果として、その波動方程式から出てきた結果は、実験とは合わなかったのだ。
クリスマス休暇が迫ってきたため、シュレーディンガーは相対性理論のことを気にするのはやめて、昔ながらの波動方程式を探すことに努力を集中した。相対論的でない波動方程式は、電子が光速に近い速度で運動するような場合には、相対論的効果が無視できなくなるため使えなくなる。
シュレーディンガーはそのことをよく知っていた。しかしとりあえずは、そんな波動方程式でも間に合ったのだ。』
『12月27日付のヴィルヘルム・ヴィーンへの手紙に、彼は次のように書いた。「目下、新しい原子理論と格闘しているところです。もっと数学を知ってさえいれば! ともあれ、それについてはわたしは非常に楽観的で、結果はとても美しいものになるだろうと予想しています。ただし、解くことができればの話ですが』
『シュレーディンガーはその波動方程式を「導いた」のではなかった―古典物理学から出発して、厳密な論理をたどるという方法では、その式は得られなかったのだ。そこで彼は、粒子に伴う物質波の波長と、その粒子の運動量とを結びつけるド・ブロイの式と、古典物理学のいくつかの式を睨み合わせて、その波動方程式を「作った」のである。簡単そうに聞こえるかもしれないが、シュレーディンガーがその式を書き下す最初の物理学者になれたのは、彼ほどの技量と経験があったればこそだった。シュレーディンガーはそれからの数カ月間で、その波動方程式を基礎として、波動力学という壮大な建物を作り上げることになる。しかしその前に、彼はそれがたしかに探し求めていた波動方程式であることを証明する必要があった。その方程式は、水素原子に応用した場合、水素のエネルギー準位に正しい値を与えてくれるのあろうか?
一月にチューリッヒに戻ったシュレーディンガーがじっさいに調べてみると、その波動方程式は、たしかにボーア=ゾンマーフェルトの水素原子のエネルギー準位を再現することがわかった。ド・ブロイは、電子の波として円軌道にぴったりはまる一次元の定在波を考えたが、シュレーディンガーの理論から得られるのは、もっと複雑な三次元の「軌道関数」だった。そして、波動方程式を解いて軌道関数が得られれば、その関数によって表される電子状態のエネルギーは自動的に決まる。ボーア・ゾンマーフェルトの原子の量子論では、正しいエネルギーの値を得るためには恣意的な条件を課さなければならなかったが、そういう操作はいっさい不要になったのだ。そればかりか、謎めいた量子飛躍さえもが、電子に許される三次元定在波から別の三次元定在波への連続的な遷移に取って代わられたかにみえた。1926年1月27日、「固有問題としての量子化」と題された論文が、「アナーレン・デア・フィジーク』に届いた。3月13日に同誌に掲載されたその論文には、シュレーディンガー版の量子力学と、水素電子に対する応用が示されていた。
シュレーディンガーは、五十年に及んだ物理学者としての経歴のなかで、年平均40ページ相当の論文を発表しづけた。とくに1926年には、256ページ相当という大量の論文を発表し、波動力学はさまざまな原子物理学の問題に幅広く利用できることを明らかにした。また、彼は、時間とともに変化する「系」を扱うことのできる、時間依存型の波動方程式を考え出した。時間とともに変化する系とは、たとえば、電子が放射を放出、吸収、散乱するような場合である。
2月20日、その最初の論文が印刷を待つばかりとなったとき、シュレーディンガーは自分の作った新しい理論に対して、はじめて波動力学という言葉を使った。』
27.ハイゼンベルクの難解な行列力学とシュレーディンガーの直感的な波動力学
●数学は苦にしないと思われる物理学者にとっても、当時、行列という数学はとても厄介な代物だったようです。そのため、難解とされたハイゼンベルクの量子力学(行列力学)に比べ、シュレーディンガーの量子力学(波動力学)は多くの物理学者を勇気づけました。この二つは同等のものとのことです。一つは行列、一つは微分方程式から生まれたということなのですが、私にはその同質性を理解することは到底できません。しかしながら、数学者にも劣ることのないハイゼンベルクと、最初の論文が実験物理学だったというシュレーディンガーの視点の違い、授かった才能の違いが二つの量子力学を世に送り出したのではないかと思います。
『冷たくて禁欲的な行列力学とは対照的に、彼が物理学者たちに与えたのは、使い慣れたおなじみの方法だった―彼の方法は、極度に抽象的なハイゼンベルクの方法よりも、ずっと十九世紀物理学に近い言葉で量子の世界を説明してあげようと、物理学者たちに語り掛けていた。謎めいた行列の代わりにシュレーディンガーが持ち込んだのは、物理学者の数学の道具箱にはかならず入っている微分方程式だった。ハイゼンベルクの行列力学は、量子飛躍と不連続性をもたらした。原子の内部を覗いてみたくとも、視覚的なイメージできるものは、そこには何もなかったのだ。シュレーディンガーは、これからはもう、「自分の直感を抑え込む必要はないし、遷移確率やエネルギー準位といった、抽象的な概念だけを相手にする必要もない」と述べた。物理学者たちがシュレーディンガーの波動力学を熱烈歓迎し、われ先にとそれを使いはじめたのは当然のことだった。
シュレーディンガーは、その論文の抜き刷りを受け取るとすぐに、彼が意見を聞きたいと思う物理学者たちにそれを送った。プランクは4月2日付の手紙に、「ずっと頭から離れなかった謎が解けたと言われて、真剣に話に聞き入る子どものように、あなたの論文を読みました」と書いた。それから二週間後にはアインシュタインから、「あなたの仕事のアイデアは、真の天才から沸き上がったものです」という手紙が届いた。シュレーディンガーは、「あなたとプランクが認めてくださったことは、わたしにとって世界の半分からの賞賛よりも大きな意味があります」と返信した。アインシュタインは、シュレーディンガーが決定的な前進を遂げたことを、「ハイゼンベルク=ボルンの方法は邪道であると確信するのと同じぐらいの強さで確信」したのだった。』
『このふたり以外の人たちが十分に理解するまでには、もう少し時間がかかった。ゾンマーフェルトは当初、波動力学は「完全なたわごと」だと思っていたが、やがて考えを変え、「行列力学が正しいことは疑う余地はありませんが、取り扱いが非常に難しく、おそろしく抽象的です。シュレーディンガーはわれわれを助けに駆け付けてくれました」と述べた。ほかにも多くの人たちが、ハイゼンベルクとゲッティンゲンの仲間たちの抽象的で奇妙な理論と格闘するよりは、波動力学の慣れ親しんだ方法を学び、じっさいに使いはじめてみて、ほっと胸をなでおろした。スピンで名をなした若手のヘオルヘ・ウーレンベックは、「シュレーディンガー方程式のおかげで助かりました。これでもう、不慣れな行列力学を勉強しなくてもすみます」と書いた。エーレンフェストやウーレンベックらライデンの物理学者たちは、行列力学を勉強する代わりに、数週間のあいだ毎日「何時間も黒板の前に立ち」、波動力学の驚くべき意味を汲み尽くそうとした。
パウリはゲッティンゲンの物理学者たちに近かったが、シュレーディンガーの仕事の重要性をすぐに見抜き、深く感銘を受けた。彼は行列力学を水素分子に当てはめて成功した際、ハイゼンベルクの方法のことは隅々まで調べ上げていた―彼がそれを迅速かつ徹底的に行ったことに、のちには誰もが驚くことになる。パウリがその論文を「ツァイトシュリフト・フュール・フィジーク」に送ったのは1月17日。シュレーディンガーが最初の論文を投稿するわずか十日前のことだった。パウリは、シュレーディンガーが波動力学を使って、行列力学を使った場合よりも楽に水素原子を扱っているのを見て愕然とした。彼はパスクアル・ヨルダンに次のように書いた。「その仕事は近年出た論文のなかで、もっとも重要な仕事のひとつだと思います。注意深く、集中してそれを読み込んでください」。六月にはボルンまでが、波動力学は「量子の法則を表す、もっとも深い形式」だと言うまでになった。
ハイゼンベルクは、ボルンが変節して波動力学の支持に回ったことを、「あまり良い気持ちはしない」とヨルダンに語った。彼は、シュレーディンガーが慣れ親しんだ数学を使っていることは、「信じられないほど興味深い」が、物理の内容に関するかぎり、原子レベルの出来事を正しく記述しているのは自分の行列力学のほうだと確信していた。』
9.一般相対性理論
●戦争の四年間は、アインシュタインにとって、もっとも生産的で創造的な時期となりました。彼はこの期間に、一冊の本と五十篇ほどの科学論文を発表し、1915年には最高傑作である一般相対性理論をついに完成させました。
『ニュートン以前から、時間と空間は堅い枠組みであり、終わりのない宇宙のドラマが上演される舞台だと考えられていた。その舞台上では、質量、長さ、時間は、絶対的で不変だった。つまりその劇場の中では、ふたつの出来事の空間距離と時間間隔は、どの観客にとっても同じだったのだ。しかしアインシュタインは、質量、長さ、時間は絶対的ではなく、観測者ごとに変わりうることを見出した。観測者同士がどんな相対運動をしているかによって、空間距離と時間間隔は違って見えるのである。双子の一方が地球に残り、他方が宇宙飛行士になって、光速に近い速度で宇宙旅行をしたとすれば、大きな速度で運動しているほうの双子にとっての時間は伸び(時計の針の進み方が遅くなり)、空間は縮む(運動物体の長さが短くなる)。また、運動している物体の質量は、静止しているときの質量よりも大きくなる。これらはみな、「特殊」相対性理論から引き出せる結論であり、いずれも二十世紀中に実験によって確かめられた。しかし、特殊相対性理論には、速度が変化する場合は含まれていない。それを含むように拡張したのが、「一般」相対性理論である。アインシュタインは、一般相対性理論を作る仕事に取り組んでいたとき、その苦労にくらべれば、特殊相対性理論は「子どもの遊び」のようなものだったと語った。量子は、原子の領域でそれまでの世界像に疑問を突きつけたが、アインシュタインは空間と時間についても、その真の性質に関する知識へと人類を近づけたのだった。一般相対性理論はアインシュタイン版の重力理論であり、やがて物理学者たちはこの理論に導かれて、ビッグバンという起源に迫ることになる。
ニュートンの重力理論によれば、太陽と地球のようなふたつの物体間に働く引力の大きさは、両者の質量の積に比例し、それぞれの物体の質量中心を結ぶ距離の二乗に反比例する。質量同士は接触していないので、ニュートン物理学における重力は、謎めいた「遠隔作用」だ。しかし一般相対性理論における重力は、大きな質量の存在により、空間が歪むために生じる。地球が太陽の周囲をめぐるのは、オカルトのような不思議な力によって地球が太陽に引き寄せられるからではなく、太陽の大きな質量のために空間が歪むためなのだ。それをひとことで言えば、「物質は空間を歪め、歪められた空間は、物質に動き方を教える」ということになる。
1915年の11月、アインシュタインは一般相対性理論を、ニュートンの重力理論では説明できなかった水星軌道の問題に当てはめてみた。水星は太陽のまわりを公転する際、毎回まったく同じ経路をたどるわけではない。天文学者は精密な測定を行って、水星軌道は、そのつどわずかに楕円の軸が回転していることを明らかにしていた。アインシュタインが一般相対性理論を使って、その小さな回転角を計算してみると、小さな誤差の範囲で、観測データとぴったり合う結果が得られた。それがわかったとき、アインシュタインの胸の鼓動が激しくなり、何かストンと腑に落ちるものがあった。「この理論の美しさは、ただごとではありません」と彼は書いた。最大の夢が叶ってアインシュタインは本望だったが、非常な努力を続けたせいで、身も心もくたくたに疲れ果てていた。しかし、やがてその疲労から回復したアインシュタインは、ふたたび量子に目を向ける。』
10.1916年、光量子の確立
●光量子を確立させたアインシュタインでしたが、それは「原子の量子論」に基づくものであり、古典物理学の因果律を否定するというアインシュタインにとっては、容易に受け入れることができない現実を突きつけられました。
『アインシュタインは、まだ一般相対性理論に取り組んでいた1914年5月にはすでに、フランク・ヘルツの実験は、原子のエネルギー準位の存在を立証し、「量子仮説の正しさを裏づける衝撃的な結果」だということを鋭く見抜いていた。そして早くも1916年の夏には、原子が光を放出・吸収するプロセスについて、ある「すばらしいアイデア」を得る。そのアイデアを手掛かりとして、彼は、「あっけないほど簡単に、プランクの式[黒体放射のスペクトルに関する法則であり、量子力学の基本法則のひとつ]」を導くことができた。その導出方法は、「これこそが正しい方法だと思える」ほどのものだった。まもなくアインシュタインは、「光量子は確立されたと思います」と言うまでに、光量子の実在性を確信するにいたる。だが、その確信を得るためには、代償が必要だった―古典物理学の厳密な因果律[原因があって結果が生じる]を捨て、原子の領域に確率を持ち込むことになってしまったのだ。
アインシュタインは以前にも、別の方法でプランクの法則を導いたことがあった。しかし今度の方法は、ボーアによる原子の量子論から出発するものだった。』
11.因果律の否定
●因果律を否定するということは、我々が住むマクロの世界の中では考えられない現象を認めることであり、「因果律を捨てることになれば、わたしとしては非常に不本意です」。とアインシュタイン自身が語っているように、この事実は厳しく、辛いものであったと思います。
『原子の量子論の中核に偶然と確率が潜んでいることに気づいて、アインシュタインは嫌な気持になった。彼はもはや量子の実在性を疑ってはいなかったが、それと引き替えに、因果律を犠牲にしてしまったような気がしたのだ。彼はその三年後の1920年1月に、マックス・ボルンへの手紙に次のように書いた。「因果律のことではかなり悩みました。光が量子として吸収・放出されるプロセスは、因果律が完全に成り立つものとして理解できるのか、それとも統計的な要素はどこまでも残るのか?これについては自分の考えを口にする勇気がありません。しかし、完全に成り立つものとしての因果律を捨てることになれば、わたしとしては非常に不本意です」。
アインシュタインを悩ませたのは、手にもったリンゴから手を放しても、リンゴは落下せず、そのまま空中に浮かんでいるという状況だった。手を離れたリンゴは、地面に置かれている場合よりも不安定なので、すぐさま重力が作用して落下しはじめる。重力が原因となって、リンゴが落下するのだ。ところが、もしもそのリンゴが、励起状態[最もエネルギーの低い状態よりもエネルギーが高い状態]にある原子内の電子のように振る舞えば、リンゴは手を離れてもすぐには落下せず、そのまま空中に浮かんでいるだろう。そして、確率としてしか知ることのできない予測不可能なある時刻に、突如として落下しはじめるのだ。手を放した直後に落下する確率は大きいにせよ、何時間も浮かんでいる確率も、小さいとはいえゼロではないのだ。励起状態にある原子内の電子は、いずれ低いエネルギー準位に飛び降り、安定した基底状態に落ち着く。だがその遷移が正確にいつ起こるかは、運任せなのである。1924年になっても、アインシュタインはまだ、自分の明らかにした事実を受け入れることができずにいた。「光を照射された電子がジャンプする時刻ばかりか、飛び出すときの向きまでも、おのれの自由意志で選ばなければならないというのは、わたしには耐え難いことに思われます。もしも自然がそんな仕組みになっているのなら、わたしは物理学者でいるより、靴の修理屋になるか、あるいはいっそ賭博場にでも雇われたほうがましです」。』
12.アインシュタインとボーアの出会い
●1920年4月27日、アインシュタインは初めて会ったボーアに強い印象を持ちました。
『アインシュタインは、自分より六つも年下のこのデンマーク人を次のように評価していた。「彼は間違いなく、第一級の頭脳の持ち主です。きわめて緻密で洞察力があり、大きな枠組みを見失うことがありません」。アインシュタインがプランクへの葉書にそう書いたのは、1919年10月のことだった。プランクはそれを読んで、ますますボーアにベルリンに来てほしいと思うようになった。アインシュタインがボーアに惚れ込んだのは、もうだいぶ前のことである。1905年の夏、彼の頭のなかで吹き荒れていた創造性の嵐が静まりかけたとき、アインシュタインは、次に取り組むべき「本当に面白いこと」がないと思った。「もちろん、線スペクトルの問題はあるでしょう」と、彼は友人のコンラート・ハビヒトへの手紙に書いた。「しかし、これらの現象と、すでに解明されている現象とのあいだには、簡単な関係はないと思います。したがって、今しばらく、このテーマでは成果を期待できそうにありません」
攻略する機が熟した物理学の問題を鋭く嗅ぎわけることにかけて、アインシュタインの鼻は天下一品だった。線スペクトルの謎を見送ったアインシュタインが次に嗅ぎつけたのが、E=MC²だった。その式は、質量とエネルギーとが変換可能だということを意味していた。もっとも、全能の神が笑いながら、彼を「手玉にとっている」可能性もないとは言えなかったのだが。そんなわけで、1913年にボーアが、原子を量子化することにより、原子スペクトルの謎を解決して見せたときには、アインシュタインにはそれがまるで「奇跡のよう」に思われたのだった。
ボーアは、ベルリン駅から大学へと向かいながら、興奮と不安のために胃が痛くなりそうだった。しかしそんな緊張は、プランクとアインシュタインに会うとすぐに解けてなくなった。ふたりは挨拶もそこそこに物理学の話しを始め、ボーアもすっかりマイペースになった。プランクとアインシュタインは、これ以上違う人間はいないのではないかと思うほど正反対のタイプだった。プランクは、プロセイン流の気まじめさの権化のようだったのに対し、アインシュタインは、大きな目ともじゃもじゃの髪をして、つんつるてんのズボンを穿き、世間との関係はぎくしゃくしていたかもしれないが、自分自身とはうまく折り合いをつけているように見えた。ボーアは、ベルリン滞在中はプランク家に泊まるように招かれ、その申し出をありがたく受けた。』
『ボーアがコペンハーゲンに帰るとすぐに、アインシュタインは彼に手紙を書いた。「これまでの人生で、あなたほど、その存在自体がかくも大きな喜びを与えてくれた人はほとんどいませんでした。わたしは今、あなたのすばらしい論文を勉強しているところです。そして―難しい箇所に躓かないかぎりは―ほがらかで少年っぽい顔をしたあなたが、微笑みながら説明しているのを思い浮かべて楽しい気分になるのです」。ボーアはアインシュタインに、長く消えることのない深い印象を与えた。数日後、アインシュタインは、パウル・エーレンフェストに次のように書いた。「ボーアがベルリンに来ました。わたしもあなた同様、彼にすっかり魅了されました。彼は感じやすい子どものようで、夢の中にでもいるように、この世界を歩き回っているのです」。ボーアもアインシュタインに負けないぐらい熱烈に、この出会いが彼にとってどれほど大きな意味をもったかを、お世辞にも上手とは言えないドイツ語で懸命に伝えようとした。「このたび直接お目にかかってお話しできたことは、わたしにとって最大級の経験となりました。じかにお考えを聞いて、どれほど大きな霊感を受けたことか、あなたには想像もつかないでしょう」。ボーアはまもなく、もう一度それを経験することになった。アインシュタインがその八月、ノルウェーへの旅行からの帰りにコペンハーゲンに立ち寄り、ひとときボーアを訪ねたのだ。
ボーアに会った直後、アインシュタインはローレンツへの手紙に次のように書いた。「彼は大きな天分に恵まれ、しかもすばらしい人物です。優れた物理学者が人間的も立派だというのは、物理学にとってありがたいことですね。』
●ボーアは1922年にノーベル賞を受賞しました。本書ではその喜びを二人に伝えたと記されています。ひとりは恩師であるラザフォードであり、もうひとりはアインシュタインでした。
『もうひとり、ボーアの頭から離れなかった人物が、アインシュタインだった。彼が1922年のノーベル賞を受賞する日に、アインシュタインも一年遅れて1921年のノーベル賞を受賞するという巡り合わせが、ボーアには嬉しく、また、ほっとさせられる成り行きでもあった。ボーアはアインシュタインにこう書いた。「わたしには過分な賞であることは十分承知していますが、これだけは申し上げたいと思うことがあります。それは、わたしが仕事をしたこの特別な分野において、あなたが成し遂げられた基本的な重要な仕事、およびラザフォードとプランクの仕事が、わたしがこの名誉に値すると見なされるよりも先に認められていて、本当によかったということです」
ノーベル賞の受賞者が発表されたとき、アインシュタインは船で地球の反対側に向かっていた。彼は十月八日に、身の安全に不安を感じながら、エルザとともに日本での講演旅行に出発したのだった。アインシュタインは後年、次にように述べた。「ドイツを長期間離れる機会が得られたのはありがたいことでした。そのおかげで一時的に高まった危険から逃れることができたからです」。彼がようやくベルリンに戻ったのは、1923年2月だった。当初の六週間の予定は、結局五カ月に及ぶ大旅行となり、ボーアの手紙を受け取ったのも旅先でのことだった。彼は帰国の途上でボーアに返事を書いた。「少しも大袈裟ではなく、[あなたの手紙を]ノーベル賞と同じくらい嬉しく思いました。とくに、わたしより先に受賞することを心配なさっていたとは、なんて可愛らしいのでしょう―あなたらしいことです。』
13.量子との格闘
●アインシュタインにとっても、ボーアにとっても量子は想像を絶するような難しい問題でした。
『アインシュタインとボーアは、ベルリンとコペンハーゲンで会ってからの二年間、それぞれのやり方で量子との格闘を続けた。しかしふたりとも、しだいにその戦いに疲れを感じはじめていた。「気を散らされることが多いのも、まんざら悪いことではないのでしょう」と、アインシュタインは1922年3月にエーレンフェストへの手紙に書いた。「さもなければ、量子の問題のために、わたしは精神病院に入院していたかもしれませんから」。その一カ月後、ボーアはゾンマーフェルトにこう語った。「ここ数年、科学上の孤立感をひしひしと感じています。体系的に量子論の原理を作ろうと力のかぎり頑張っているのですが、ほとんど誰にも理解してもらえないように思います」。しかし、そんな孤立の時代も終わろうとしていた。ボーアは1922年6月に、ドイツのゲッティンゲン大学で、のちに「ボーア祭り」として知られることになる、十一日間で七回の連続講義という一大イベントを敢行したのだ。』
14.ボーア祭りとアインシュタインの命の危機
●アインシュタインには相対性理論を拡張するという命題があり、また光量子には因果律を否定しなければならないという側面がありました。また、数学が求められるという要因もアインシュタインにとっては望ましいものではありませんでした。一方、ボーアには古典物理学へのこだわりはアインシュタインほどではなく、それよりも量子とは何かということを明らかにしたいという気持ちが強かったように思います。その強い気持ちがこの難題に立ち向かわせ、その使命感が原動力となって、生涯を貫いたのではないかと思います。
『ボーアが原子内電子の「殻模型」について話をするというので、老若とりまぜて百人を超える物理学者たちがドイツ各地から集まってきた。殻模型とは、原子内の電子がどのように配置されているかに応じて、その元素の周期表内での位置と、元素のグループ(類)が決まるという、ボーアの最新理論だった。彼は、原子核の周囲を、ちょうどタマネギの鱗片のように、軌道殻というものが取り巻いているという考えを打ち出した。それぞれの殻は、じっさいには電子軌道の集まりで、その軌道に含まれる電子の個数には上限がある。化学的な性質を共有する元素は、もっとも外側の殻に含まれる電子の数が同じになっている、とボーアは論じた。』
『アインシュタインは、ゲッティンゲンでのボーアの連続講義には出席しなかった。ユダヤ人だったドイツ外相が殺害されたことで、命の危険を感じていたからだ。有力な実業家だったヴァルター・ラーテナウは、外相になってわずか数カ月後の1922年6月24日の白昼に、銃弾に倒れた―第一次世界大戦後に起こった極右による政治的暗殺の、三百五十四番目の犠牲者だった。アインシュタインは、政府内のそんな目立つ地位に就くべきでない、ラーテナウに強く忠告した。人間のひとりだった。ラーテナウが外相に就任すると、右翼新聞はそれを、「国民に対する前代未聞の挑発!」と書きたてた。
「ラーテナウの暗殺という恥ずべき事件が起こって以来、こちらでは気が休まるときがありません」とアインシュタインはモーリス・ソロヴィンに書いた。「わたしはいつも警戒しています。講義は取り止め、公式には不在になっていますが、じっさいにはずっとここにいます」。信頼できる筋から、自分が第一の暗殺目標になっていることを知らされたアインシュタインは、一市民として静かな暮らしを送るため、プロセイン科学アカデミーのポストを辞任することも考えているとマリー・キュリーに打ち明けた。若いころは権威に反発していた彼が、今では権威ある人間になっていた。彼はもはやひとりの物理者ではなく、ドイツ科学のシンボルであると同時に、ユダヤ人のシンボルでもあったのだ。』
●ボーアが提唱した電子の殻模型には、厳密な数学的論証はありませんでした。それでも、ボーアのアイデアが評価されたのは、1922年12月のノーベル賞受賞講演で、原子番号七十二番の未知の元素(のちにハフ二ウムと名づけられる元素)は「希土類」ではないという予測が正しかったからです。しかしボーアの殻模型の背後には、いかなる組織原理も判断基準もなく、それは膨大な化学的・物理的データにもとづいて、周期表の各グループの化学特性のほとんどすべてを説明することができるという、独創的な思いつきにすぎませんでした。
ボーアが経験的データから作り上げた原子内電子の殻模型に、理論的基礎となる組織原理、「排他原理」を発見したのは、ウォルフガング・パウリでした。
『ボーアの新しい原子モデルで、電子がすべて最低エネルギー準位に集まらないように殻の占拠状態を管理していたのは、パウリの排他原理だったのだ、排他原理は、周期表の中の元素がなぜあのような配列になっているのか、そしてなぜ、化学的に不活性な希ガスで殻が閉じるのかに説明を与えた。しかし、これほどみごとな成功を収めたにもかかわらず、パウリは1925年3月21日に「ツァイトシュリフト・フュール・フィジーク」に発表した「原子内電子の群の閉鎖と、スペクトルの複雑な構造との関係について」という論文の中で、「この規則がなぜ成り立つのかについて、より詳しい理由を与えることはできない」と述べざるをえなかった。』
15.スピンという量子的な概念
●パウリが提唱した排他原理、しかしながらパウリ自身が説明できないとしていた課題は、スピンという量子的な概念によって明快な物理的根拠が与えられました。
『原子内電子の位置を指定するために必要な量子数は、なぜ三つではなく四つなのだろうか?ボーアとゾンマーフェルトの実り多い仕事がなされて以来、原子核の周囲で軌道運動をしている原子内電子は三次元空間を動き回っているのだから、その運動を記述するためには三つの量子数が必要なのは当然のことと受けとめられていた。しかし、パウリの四つ目の量子数には、どんな物理的基礎があるのだろう?
1925年の夏も終わろうというころ、ふたりのオランダ人ポスドク、サムエル・ハウトスミットとへオルヘ・ウーレンベックは、パウリが提案した「二価性」には、それまでの量子数とはまったく異なる特徴があることに気がついた。すでに知られていた三つの量子数が、n、κ、mはそれぞれ、軌道上にある電子の角運動量[回転の勢いを表す物理量]、その軌道の形、空間内の向きを指定するものだったが、「二価性」は電子に内在する性質だったのだ。ハウトスミットとウーレンベックはその性質を、「スピン(回転)」と名付けた。くるくると回転する物体をイメージしがちなこの命名は不幸だったが、電子の「スピン」は完全に量子的な概念であり、原子構造の理論に付きまとっていたいくつもの問題を解決し、排他原理に明快な物理的根拠を与えるものだった。』
『1925年の夏中をかけて、ハウトスミットは原子の線スペクトルについて知る限りのことをウーレンベックに教え込んだ。その後、ふたりが排他原理について論じ合っていたときのことである。ハウトスミットは排他原理を、原子スペクトルの混乱状態を少々整理するための場当たり的な規則のひとつにすぎないと考えていたのに対し、ウーレンベックはあるアイデアを思いついた―そのアイデアを、パウリはすでに却下していたのだが。
電子は、上下、前後、左右の方向に運動することができる。これら三通りの運動の仕方を、物理学者は「自由度」と呼んでいる。量子数はいずれも電子の自由度に対応しているのだから、パウリの新しい量子数は、電子は三つの自由度以外に、別の自由度をもつということを意味しているに違いない、とウーレンベックは確信した。そして彼は、その四つ目の量子数は、電子の回転を意味しているのだろうと考えたのだ。しかし、古典物理学でいう回転は、三次元空間の中の回転運動だから、もしも原子が古典物理学的にクルクル回っているだけなら、地球が自転軸のまわりに回転しているのと同じく、四つ目の自由度を持ち込む必要はない。パウリは、自分が導入した新しい量子数は、何か「古典的な考え方では記述できないもの」を表しているはずだと論じた。』
『ボーアは磁場の問題を挙げて、自分はスピンには反対だと言った。すると驚いたことにエーレンフェストが、その問題はアインシュタインが相対性理論を使ってすぐに解決したというではないか。のちにボーアは、アインシュタインの説明は「まさしく啓示」だったと述べた。かくしてボーアは、電子スピンにどんな問題があろうと、いずれ近いうちにすべて克服されるだろうと確信した。ローレンツの反論は、彼が精通している古典物理学にもとづくものだった。しかし電子のスピンは純粋に量子的な概念であり、ローレンツが指摘した問題は、実はそれほど深刻なものではなかったのだ。さらに、イギリスの物理学者リーウェリン・トーマスがふたつ目の問題を解決した。トーマスは原子核のまわりで軌道運動する電子の相対運動の計算で、二重項の分離幅に2の因子がひとつ余分にかかっていたことを明らかにしたのだ。「そのときから、われわれの苦悩は終わったという確信がゆらいだことはありません」とボーアは1926年3月に手紙を書いた。』
注)電子のスピンというアイデアを最初に提唱したのは、ハウトスミットとウーレンベックではなく、21歳のドイツ系アメリカ人のラルフ・クロー二ヒでした。これは当時、パウリがクロー二ヒのアイデアを否定したためでした。
16.古典物理学と量子物理学との架け橋
●古典物理学と量子物理学の架け橋という考え方は、統合ということを常に考えていたアインシュタインには難しいことでした。ボーアがこのような考え方を持つことができたのは、量子とは何かを明らかにすることに集中し、あらゆる可能性を排除せず、白紙から考えを進めたこと、そして、パウリやハイゼンベルク、ボルンといった数学に長けた優秀な科学者の協力を得られたことが大きな要因だったと思います。
『この動乱のなかでも、アインシュタインはボーアによる一連の論文を読んでいた。1922年3月に「ツァイトシュリフト・フュール・フィジーク」に発表された、「原子の構造と、元素の物理的、化学的性質」と題する論文もそのひとつだった。それから半世紀近く経て、アインシュタインは当時を振り返って次のように述べた。「原子の内部にある電子の殻というアイデアは、その科学上の重要性という点からも、当時のわたしには奇跡のように思われました―そしてその思いは今も変わりません。それは思考の領域における音楽性を、もっとも高度なかたちで現したものでした」。じっさいボーアがやったことは、科学というよりはむしろ芸術に近かった。原子の線スペクトルや、それぞれの元素の化学的性質など、さまざまな分野からかき集めた証拠を組み合わせて、ボーアはひとつの原子像を作り上げた。あたかもタマネギの鱗片のように、電子の殻をひとつひとつ重ねていき、周期表の中のすべての元素を再構成したのである。
そんなアプローチの核心にあったのは、ボーアが抱いていたひとつの確信だった。原子のスケールで成り立つ量子規則から得られる結論はすべて、古典物理学が支配するマクロなスケールでの観測結果と矛盾してはならないと彼は信じていたのだ。ボーアはその確信を「対応原理」と名付け、それを使って原子スケールで考えうる可能性のうち、マクロな領域に拡張したときに古典物理学の結果につながらないものを捨てた。1913年以降、量子物理学と古典物理学のあいだに口を開けていた裂け目にボーアが橋を架けることができたのは、その対応原理のおかげだった。ボーアの助手だったヘンドリク・クラマースがのちに述べたように、ボーアのそんな方法論のことを、「コペンハーゲンの外では通用しない魔法の杖」と呼ぶ者もいた。みんなはその杖を振りこなせずに悪戦苦闘していたが、アインシュタインはそこに、自分に匹敵する魔術師の仕事を見て取った。
周期表に関するボーアの理論にしっかりした数学的基礎がないことを不満に思う者はいたにせよ、彼が次々と打ち出すアイデアに感心しない者はいなかった。また、さまざまな未解決問題について理解が深まったのも確かだった。ボーアはコペンハーゲンに戻るとすぐに、ある物理学者への手紙のなかで、「ゲッティンゲン滞在は何もかもがすばらしく、とても勉強になりました」と述べた。「みなさんがわたしに示してくださった友情がどれほど嬉しかったか、とても言葉では言い表せません」。もはや彼は、理解されないとか、孤立しているなどと感じることはなくなった。』
17.量子論から量子力学へ
●“量子のスピン”という純粋に量子的な概念は、既存の物理学という枠組みの中でそのカケラを「量子化」するという方法には限界があることを明らかにしました。
『プランクの黒体放射の法則からアインシュタインの光量子へ、さらにボーアの電子の量子論からド・ブロイの物質の波と粒子の二重性へと、四半世紀以上にわたって繰り広げられてきた量子物理学の進展は、量子的概念と古典物理学との不幸な結婚から生み出されたものだった。しかしその結婚は、1925年までにはほとんど破綻していた。アインシュタインは1912年の5月にはすでに、「量子論は、成功すればするほどますます馬鹿馬鹿しく見えてきます」と書いた。求められていたのは新しい理論―量子の世界で通用する新しい力学だった。
「1920年代半ばに成し遂げられた量子力学の発見は、十七世紀に近代物理学が誕生して以来、物理理論の分野に起こったもっとも意義深い革命だった」と、アメリカのノーベル賞受賞者スティーブ・ワインバーグは述べた。』
『ハウトスミットとウーレンベックは、それまでの量子論はすでに適用限界に突き当たっているということを、はじめて具体的な証拠で示した。理論家はもはや、古典物理学という足場の上に立ち、既存の物理学のカケラを「量子化」するという方法で間に合わせるわけにはいかなくなった。なぜなら電子のスピンは、それに対応する古典物理学の概念のない、純粋に量子的な概念だからである。パウリとふたりのオランダ人がスピンをめぐって成し遂げた発見は、「古い量子論」が達成した数々の偉業の締めくくりとなる仕事だった。あたりは危機感が漂っていた。物理学が置かれた状態は、「方法論という観点から言えば、論理的に一貫した理論というよりはむしろ、仮説、原理、定理、計算方法の寄せ集めと言うべき嘆かわしい状況」だった。物理学の進展が、科学的な論証によってではなく、芸術的な推理や直観によって起こることもしばしばだったのだ。
パウリは排他原理発見から半年ほど経った1925年の5月に、「現在、物理学はまたしても滅茶苦茶です。ともかくわたしには難しすぎて、自分が映画の喜劇役者かなにかで、物理学のことなど聞いたこともないというならよかったのにと思います」とクロー二ヒへの手紙に書いた。「ボーアが今度もまた、何か新しいアイデアを出して、わたしたちを救ってくれるのだろうと期待しています。いますぐやってくださいと頼みたい気持ちです。彼によろしくお伝えください。わたしに対する親切と辛抱強さ、そのすべてにお礼申します、と」。しかしそのボーアは、「われわれが現在直面している理論上の問題」に対しては、何の答えも持ち合わせていなかった。その春、誰もが待ち望む「新しい」量子論―量子力学―をひねり出せるのは、量子の手品師ぐらいだろうと思われた。』
18.量子の手品師
●量子に関わる多くの物理学者が待ち望んだ量子力学、その領域にたどり着いた「量子の手品師」は、ドイツの神童、ヴェルナー・カール・ハイゼンベルクでした。
『「運動学的および力学的な諸関係についての量子論的再解釈」は、誰もが待ち望み、ある者たちにとっては自分が書きたかった論文だった。「ツァイトシュリフト・フュール・フィジーク」の編集人がその論文を受け取った日付は、1925年7月29日。科学者たちが「アブストラクト」と呼ぶ「前書き」のなかで、著者は大胆にも、次のような壮大な計画を示した―その論文の目標は、「原理的には観測可能であるような量のあいだの関係だけにもとづいて、量子力学の理論的基礎を確立することである」と。十五ページほど先でその目標は達成され、著者ヴェルナー・ハイゼンベルクは未来の物理学の基礎を築いた。この年若いドイツの神童は、いったい何者なのだろうか?彼はいかにして、ほかの人たちができなかったことを成し遂げたのだろうか?』
※ヴェルナー・ハイゼンベルクは1901年12月5日、ドイツ、バイエルン州の町ヴュルツブルクに生まれ、若干26歳でライプツィヒ大学の教授になりました。
『ハイゼンベルクの関心を、アインシュタインの相対性理論から、彼がのちに名をなすことになる量子論に向けさせたのは、相対性理論に関するみごとな解説を書いている最中のパウリだった。彼は、この先大きな実りがある分野は、むしろ原子の量子論だと言ったのだ。「原子物理学の分野には、まだ解釈されていない実験結果がどっさりあるんだ」とパウリは言った。「ある領域では、自然界の性質を明らかにしてくれる証拠だと思えるものが、別の領域で得られた証拠と矛盾するように見える。そのせいで、証拠同士の関係についての統一的な描像はまだ半分も描けていないのさ」。これから先まだ何年も、誰もが「深い霧の中で手さぐり」することになるだろう、とパウリは言うのだった。ハイゼンベルクはそんな彼の言葉を真剣に聞きながら、あらがいようもなく量子の世界に引き寄せられていった。』
『第五回ソルヴェイ会議は、「電子と光子」をテーマとして、1927年の10月24日から29日にかけて、ベルギーの首都ブリュッセルで開催された。その会議に参加した人たちの集合写真には、物理学の歴史上、もっとも劇的だった時代が濃縮されている。招待された29人の物理学者のうち、最終的には17人がノーベル賞を受賞することになるこの会議は、歴史上、もっとも輝かしい知性の邂逅のひとつだった。そして、また、物理学の黄金時代―ガリレオとニュートンによってその幕を切って落とされた十七世紀の科学革命以来、科学的な創造力がもっともめざましく発揮された時代―の終焉を告げる出来事だった。』
画像出展:「aucfan」
著者:マンジット・クマール
発行:2013年3月
出版:新潮社
以下は、本書の巻末に掲載されている年表をベースに、8人の物理学者とその他に分けて作ったものです。その8人は左から、マックス・プランク、エルヴィン・シュレーディンガー、アルベルト・アインシュタイン、ニールス・ボーア、マックス・ボルン、ルイ・ド・ブロイ、ヴォルフガング・パウリ、ヴェルナー・ハイゼンベルクになります。拡大して頂ければ文字の確認はできると思います。
右端の「その他」の1972年、1982年、1997年、2007年の欄に、ジョン・クラウザー博士、アラン・アスペ博士、アントン・ツァイリンガー博士の名前が出ています(青字)、まさにこの業績によって、2022年のノーベル物理学賞を受賞されました。
画像出展:「讀賣新聞オンライン」
ご参考:Youtube“【量子力学】この宇宙の真実知りたくない人は見ないでください...『シンクロニシティ 科学と非科学の間に』by ポール・ハルパーン”(開始~8分30秒の中で「量子もつれ」を解説されています。なお動画は19分です)
量子物理学の学術的な知識がゼロに等しい私がまとめた今回のブログは怪しげです。また、身の程知らずのコメントに「いいんだろうか?」という不安な気持ちもあります。しかしながら、私にとっては大きな前進となりました。今まで、興味だけで数冊の量子論、量子力学の本に挑戦してきて分かったことは、量子は存在すること、量子は古典物理学(ニュートン力学とマクスウェル電磁気学)の常識を超えた未知の領域にある不思議なものだということです。
天才物理学者が一堂に会した第五回ソルヴェイ会議の中でも、アルベルト・アインシュタインの圧倒的存在感は、この世に並ぶ者がない孤高の天才を証明しているように思います。また、科学者の論争を超えた視点に立ち、あらたな一歩を世界に示したニールス・ボーアの「コペンハーゲン解釈」も、量子力学の発展には欠くことのできないものだったと思います。
プランク、ボルン、パウリ、ハイゼンベルク、シュレーディンガー、ウーレンベック等の傑出した才能と強烈な個性の妥協なきぶつかり合いが量子論を磨き上げ、古典物理学とは異なる量子物理学を確立できたのだと思います。
そして、その中心にいたのは、使命感に燃え生涯をかけたニールス・ボーアと、一般相対性理論を発見し統一場理論という理想を追求し続けたアルベルト・アインシュタインだったと思います。
量子論や量子力学が難解なのは間違いないのですが、以下のサイトの最後に書かれている通り、これらは、既に生活の中に深く入り込んでいます。その代表的なものが半導体です。
画像出展:「量子力学と私たちの暮らし(無印良品)」
『リニア新幹線に使われる「超伝導モーター」や「量子コンピュータ」など、今後も「量子力学」にもとづく先端技術は次々と生まれ、暮らしの中に入ってくることでしょう。不思議は不思議のまま置いとくとして、「量子力学」が今後の私たちの暮らしを大きく変えていくことだけは間違いなさそうです。』
1970年代後半、半導体は「産業の米」と呼ばれていました。そして、2030年日本の半導体市場は100兆円規模まで拡大すると言われています。量子力学の発見なくして現代の進歩はあらず、人類最大の発見と言っても過言ではないと思います。
ブログは20世紀初頭の量子革命の論争を、主にボーアとアインシュタインを中心にまとめました。見出しに続き、気づいたことや感じたことを最初に書いています。
目次
プロローグ 偉大なる頭脳の邂逅
第一部 量子
第一章 不本意な革命―プランク
第二章 特許の奴隷―アインシュタイン
第三章 ぼくのちょっとした理論―ボーア
第四章 原子の量子論
第五章 アインシュタイン、ボーアと出会う
第六章 二重の貴公子―ド・ブロイ
第二部 若者たちの物理学
第七章 スピンの博士たち
第八章 量子の手品師―ハイゼンベルク
第九章 人生後半のエロスの噴出―シュレーディンガー
第十章 不確定性と相補性―コペンハーゲンの仲間たち
第三部 実在をめぐる巨人たちの激突
第十一章 ソルヴェイ 1927年
第十二章 アインシュタイン、相対性理論を忘れる
第十三章 EPR論文の衝撃
第四部 神はサイコロを振るか?
第十四章 誰がために鐘は鳴る―ベルの定理
第十五章 量子というデーモン
以下はブログの目次です。なお、ブログは6つに分けています。
1.量子の発見
2.「奇跡と年」と光量子説
3.論争を分けたアインシュタインの価値観
4.アインシュタインの数学
5.“量子テレポーテーション”
6.ボーアの人柄と信念
7.原子の量子論
8.相対性理論>量子論
9.一般相対性理論
10.1916年、光量子の確立
11.因果律の否定
12.アインシュタインとボーアの出会い
13.量子との格闘
14.ボーア祭りとアインシュタインの命の危機
15.スピンという量子的な概念
16.古典物理学と量子物理学との架け橋
17.量子論から量子力学へ
18.量子の手品師
19.古典物理学からの解放
20.観測可能な量だけを使って作った理論
21.(A×B)-(B×A)≠ゼロ
22.量子物理学の新時代の幕開けを告げる論文
23.行列演算と量子力学
24.論理的に矛盾のない量子力学を定式化した「三者論文」
25.守備範囲の広い理論家
26.シュレーディンガーが「作った」波動方程式
27.ハイゼンベルクの難解な行列力学とシュレーディンガーの直感的な波動力学
28.数学的には等価だが物理的世界が異なる波動力学と行列力学
29.波動力学の限界
30.古典的確率とは異なる量子的確率を使って波と粒子を統合する方法
31.アインシュタインとハイゼンベルク
32.アインシュタインにとっての行列力学
33.ボーアとハイゼンベルク(量子の世界のあいまいさの核心、波と粒子の二重性の問題)
34.ハイゼンベルクの不確定性原理
35.不確定性原理を表す式、ΔpΔp≧h/2πとΔEΔt≧h/2π
36.波と粒子の二重性を受け入れるための相補性
37.1927年9月、イタリアのコモで開催された国際物理学会
38.1927年10月24日~10月29日第五回ソルヴェイ会議
39.ボーア(コペンハーゲンメンバー)とアインシュタインの議論
40.「コペンハーゲン解釈」という命名は1955年(28年後)
41.アインシュタインの統一場理論とEPR論文
42.理論と哲学的立場
43.統一場理論
1.量子の発見
●量子の発見者はマックス・プランクです。それは1900年、量子は粒子と波の性質をあわせ持った、とても小さな物質でエネルギーの単位といわれています。
『1900年にプランクは、光をはじめあらゆる電磁放射のエネルギーは、ある大きさの塊でしか、物質に吸収されたり物質から放出されたりできないと考えざるをえなくなった。「量子」とは、そんなエネルギーの塊に対し、プランクが与えた名前だった。「エネルギー量子」という考え方は、確立されて久しいエネルギー観―すなわち、エネルギーはあたかも蛇口から流れ落ちる水のように、なめらかに途切れなく放出されたり、吸収されたりするという考え―と、きっぱり手を切る過激な提案だった。ニュートン物理学に支配された巨視的な日常の世界では、水がポタリポタリと雫になって蛇口から滴ることはあっても、エネルギーがさまざまなサイズの滴として交換されることはなかった。だが、原子やそれ以下の階層は、量子の支配する領域なのだ。
やがて、原子の内部に存在する電子についても、そのエネルギーは「量子化」されていることが明らかになった―原子内の電子は、とびとびの値のエネルギー量しかもつことができないのである。同様のことは、エネルギー以外の物理量についても言えた。微視的な領域は、ぶつぶつに切り離された離散的な世界であって、単に日常世界をスケールダウンしただけではないことが明らかになったのだ。日常の生活では、点Aから点Cに移動するためには、どこか中間の点Bを通過しなければならない。ところが微視的な世界では、原子内の電子はエネルギー量子を放出したり吸収したりすることで、いかなる中間点も通過することなく、ある場所で消え、次の瞬間には別の場所にひょっこり現れることができるのだ。そんな現象は、連続的な古典物理学で扱える範囲を超えていた。それはあたかも、ロンドンで謎のように消えた物体が、次の瞬間にはパリ、あるいはニューヨークやモスクワに現れるようなものだった。』
2.「奇跡と年」と光量子説
●アインシュタインが成し遂げた1905年は「奇跡の年」と言われています。それは学術誌に寄稿した四篇の論文です。
1)光量子説
2)原子の大きさを求める新しい方法を提案するもの
3)ブラウン運動―液体中に浮かんだ微粒子がランダムに動きつづける運動―を説明するもの
4)相対性理論の構想を示したもの
『アインシュタイン自身が「真に革命的」だと言ったのは、相対性理論ではなく、光と放射に関するプランクの量子概念を拡張した仕事のほうだった。アインシュタインにとって相対性理論は、すでにニュートンやその他の人びとによって確立された考えを、「修正した」だけにすぎなかったのに対し、光の量子という新しい概念は、完全に彼の独創であり、従来の物理学との断絶の大きさという点では、もっとも過激だと考えていたのだ。アマチュアの物理学者とはいっても、そんな説を唱えるのは冒瀆的なことだった。
それまで半世紀以上にわたり、誰もが光は波だと思っていた。ところがアインシュタインは、「光の生成と変換に関する、ひとつの発見法的観点について」と題したその論文で、光は波ではなく、粒子状の量子でできているという説を打ち出したのだ。』
●光は波であるというのが当時の常識でした。アインシュタインの「光量子仮説」はマックス・プランクが提唱した「エネルギー量子仮説」を拡張し、光はプランク定数と振動数を掛け合わせたエネルギーを持つ粒子(光量子)の集合体であるとするものでした。この革新的な仮説を信じる物理学者はほとんどおらず、アインシュタインの考えは孤立していましたが、18年後の1923年、アーサー・コンプトンによる「コンプトン効果」により「光量子仮説」は完全に立証されました。なお、この事実はニールス・ボーアにとっても衝撃的なものでした。
ご参考:“量子仮説と光量子仮説の違い”(ミクロの世界でエネルギーが不連続であることを解明したのが量子仮説。光は波と粒子の二重性があることを示したのが光量子仮説です)
ご参考:“光電効果と光量子仮説”
ご参考:“光量子仮説 と 光電効果”(【ミクロの世界-その1-】より)
3.論争を分けたアインシュタインの才能と価値観
●スイス特許局の3年間では「多面的に考える」訓練になったという話をされています。アマチュア物理学者時代を経て、世界最高の物理学者の一人となったアインシュタインの無二の才能は、「気味悪いほどの洞察力」と「本質を見抜く嗅覚」であり、最後まで譲ることがなかったのは、物理学の「実在性」だったようです。
『「彼(アインシュタイン)は、良く知られたなにげない事柄の陰に隠れて、みんなに見逃されていた意味を見抜くという、天賦の才に恵まれていた」と述べたのは、アインシュタインの友人で、やはり理論物理学者のマックス・ボルンである。ボルンはさらにこう続けた。「彼をわれわれと隔てていたのは、数学の技量ではなく、自然の仕組みを深く見通す、気味が悪いほどの洞察力だった」。アインシュタインは、数学では直観があまり働かず、真に重要なことを、「本質的でないことから」選り分けることができないと考えていた。しかし物理学になると、彼の嗅覚は誰にも負けなかった。物理学に関するかぎり、すでに学生時代には、「基礎につながる問題だけを嗅ぎつけ、その他の問題―こまごましたことで頭を埋め尽くし、重要なことを見えなくさせるたぐいの問題―から選り分けることができるようになった」と、アインシュタインは述べている。』
4.アインシュタインの数学
●1896年10月、アインシュタインは理数科教員養成課程に入学しました。同期は11人、うち数学と物理学の教員になろうとする学生はアインシュタインを含め5人でした。その中で唯一の女性であった、ミレヴァ・マリチは後にアインシュタインの妻となりました。また、半世紀に渡った量子力学との格闘では、アインシュタインの数学がひとつのターニングポンとになったように思います。
『ミュンヘン時代には、彼の聖典となった小さな幾何学の本をむさぼるように読んだアインシュタインだったが、数学そのものにはすでに興味を失っていた。「ポリ」で数学を教えていたヘルマン・ミンコフスキーは当時を振り返って、アインシュタインは「怠け者」だったと言った。アインシュタインは後年、そうなったのは数学が嫌いだったからではなく、「物理学の基本原理についての深い知識に近づくことは、数学的方法と密接に結びついている」ということが、当時はわからなかったためだと語った。その結びつきを、彼はその後の研究生活で苦労して知ることになる。彼は、「もっとしっかり数学を勉強しなかった」ことを悔やんだ。』
ご参考:“数学と物理の絡み合い” PDF43枚
5.“量子テレポーテーション”
●「1913年7月に発表された第一部の論文([原子と分子の構成について]という同一タイトルの三部作)は、量子を原子の内部にじかに持ち込んだ、真に革命的な仕事だった」との高い評価を受けています。ボーアが気づいた奇妙な性質は“量子テレポーテーション”と呼ばれています。これは、量子状態を転送する技術であり、古典的な情報伝達手段と量子もつれの効果を複合的に利用して行われます。
『ボーアは、電子の量子飛躍には、非常に奇妙な性質があることに気がついた。飛躍しているときの電子の所在については、何も言えないということだ。軌道間の飛躍―エネルギー準位間の遷移―は、瞬間的に起こらなければならない。さもないと、軌道から軌道へと移動するあいだに、電子はエネルギーを放出してしまうからだ。ボーアの原子の内部では、電子は軌道と軌道のあいだの空間には存在することができない。電子はまるで魔法のように、ある軌道上から消えた瞬間、別の軌道に姿を表すのだ。』
“量子テレポーテーション”の実験は84年後の1997年、フランチェスコ・デマルティ―率いるローマ大学の研究チームが成功させました。
ご参考:Youtube“【簡単解説】数式なしで理解したい!「量子テレポーテーション」や「量子もつれ」の原理や仕組み、方法を初心者にも分かるように解説!” (9分33秒~13分33秒に量子テレポーテーションについて解説されています。難解な内容を分かりやすく解説されていると思います)
6.ボーアの人柄と信念
●ボーアの論文([原子と分子の構成について]という同一タイトルの三部作)制作に関して、指導教授のような存在であったアーネスト・ラザフォードに相談する場面があるのですが、ボーアの人柄や研究に対する信念(執念)が出ている興味深いものでした。
『もうひとつ、小さな問題ではあったが、ボーアが深く悩んだ指摘があった。ラザフォードはその論文を、「切り詰めなければ」ならないと言ったのだ。「論文が長いと、じっくり読んでいる余裕がない読者の腰が引けてしまう」というのだ。なんなら英語を直すのを手伝おう、と述べた後、ラザフォードは追伸として、次のように書いた。「不必要と思う部分は、わたしの判断で削除してもかまいませんね? 返事待ちます」
それを読んでボーアは恐れおののいた。単語ひとつ選ぶのにも苦しみ抜き、果てしなく推敲を重ねる彼にとって、たとえそれがラザフォードであろうとも、自分以外の人間が論文に手を加えるなどとは、考えることさえできなかったのだ。二週間後、ボーアは変更と追加を書き込み、さらに長くなった改訂版の原稿を送った。ラザフォードはボーアの改訂を、「良くできているし、妥当な改訂のように思われます」と言ってくれたが、このときもやはり論文を短くするように強く求めた。その二度目の返事を受け取る前に、ボーアはラザフォードに、今度の休暇にマンチェスターに伺いますと告げた。
ボーアが玄関の扉をノックしたとき、ラザフォードは友人のアーサー・イヴをもてなしているところだった。イヴの回想によれば、ラザフォードはすぐに、その「ひょろりとした男の子」を連れて書斎に行き、その場に残ったラザフォード夫人が、今のはデンマーク人で、夫は「あの若者の仕事を、とても高く買っているのです」と言ったという。それから数日のあいだ、夕方何時間も議論に議論を重ね、ボーアは一字一句省くことなどできないと懸命に訴えた。ボーアが後年語ったところでは、ラザフォードはその間、「ほとんど天使のような忍耐力を示した」という。
やがてラザフォードは疲労困憊し、ついに折れた。のちにラザフォードは、この一件を友人や仲間の物理学者たちに話して聞かせるようになった。「彼が論文の一字一句を大切にしていることが良くわかったよ。すべての文、すべての言い回し、すべての引用を、断じて捨てるつもりがないんだ。あの覚悟にはほとほと感心させられたね。どれもこれも、明確な理由があって書いているのだ。わたしははじめ、省略できる文はたくさんあると思っていた。しかし彼の説明を聞いているうちに、全体がきわめて緊密に織りあげられているので、変更できる箇所はひとつもないのだということがわかったよ」。皮肉にも、ボーアはずっと後になって、「議論の提示のしかたが明確でない」というラザフォードの意見は正しかったと述べた。』
7.原子の量子論
●ボーアの論文は画期的でしたが、特に当時の常識に照らし合わせると難しい要素を数多く含んでいました。
『ボーアは、古典物理学と量子力学を混ぜこぜにして、自分の原子モデルを急ごしらえに組み立てた。その過程で、広く認められていた物理学の常識を破るようなことを提唱した。まず、原子内電子は、定常状態という、特定の軌道しか占めることができないということ。つぎに、定常状態にある電子は、エネルギーを放射できないということ。そして、原子は多数ある飛び飛びのエネルギー状態のうち、どれかひとつの状態を占めるということだ。それらの状態のうち、エネルギーがもっとも低い状態を、「基底状態」という。そして電子は、「どういうわけか」、エネルギーの高い定常状態から低い定常状態へと飛び降りることができ、そのエネルギー差をエネルギー量子として吐き出す、というのだった。しかし彼の原子モデルは、水素原子のいくつかの性質―水素原子の半径など―を正しく予測することができたし、線スペクトルが生じる理由を物理的に説明することもできた。のちのラザフォードは、原子の量子論は、「物質に対する頭脳の勝利であり」、ボーアがその謎を解明するまでは、ラザフォード自身、線スペクトルの謎が解けるまでには、「何百年もかかるだろう」と思っていたと述べた。
ボーアの仕事がどれほど大きな事件だったかを知るためには、原子の量子論が引き起こした反応を見ればよい。1913年9月12日、英国科学振興協会(BAAS)の第八十三回年会が、バーミンガムで開かれた。それは原子の量子論が公の場で論じられる最初の機会となった。聴衆の中にはボーア自身もいたが、彼の仕事への反応は冷ややかで微妙だった。J・J・トムソン[1897年、電子を発見した]、ラザフォード、レイリー、ジーンズという錚々たる顔ぶれがそろい、外国からの著名な参加者には、ローレンスやキュリーもいた。ボーアの原子モデルについて強く意見を求められたレイリーは、「70歳を過ぎた者は、新しい理論について性急にものを言うべきではないでしょう」と社交辞令を使った。しかしそんなレイリーも、親しい人たちに対しては、「自然はそんなふうには振る舞わない」し、「そんなことが現実に起こっているとは考えにくい」と語った。トムソンは、ボーアがやったように原子を量子化する必要なないと言い、ジェームズ・ジーンズは、失礼ながら賛成しかねる、という言い方をした。ジーンズは、聴衆でいっぱいの会場で行った講演のなかで、ボーアのモデルが正当化されるためには、「非常に重みのある成功」を収める必要があるだろうと述べた。
ヨーロッパ大陸では、原子の量子論は激しい反発を買った。ある白熱した議論のさなか、マックス・フォン・ラウエは、「まったくのナンセンスだ! マクスウェルの方程式はいかなる状況下でも成り立つ。円軌道を描く電子は、放射を出さなければなりません」と述べた。ゲッティンゲンにいたボーアの弟ハーラルは、当地では彼の仕事に大いに関心が寄せられているが、彼の仮設はあまりに「大胆」かつ「荒唐無稽」だと思われているようだ、と教えてくれた。
ボーアの理論は、初期にひとつの成功を収め、アインシュタインを含めて何人かの支持を得ることができた。』
8.相対性理論>量子論
●アインシュタインにとって、数学は物理学ほど興味を持てる学問ではなかったようです。目にはみえないミクロの世界の量子は数学に頼ることが多く、「ゴリゴリの光量子信者ではありません」という自身の発言になったのだと思います。そして、アインシュタインは相対性理論を拡張するという仕事の方を優先しました。
『アインシュタインは、量子にも、光の二重性にも、容易にはなじめないと思うようになった。彼はヘンドリク・ローレンツへの手紙にこう書いた。「はじめにお断りしておきたいのですが、わたしはあなたが思っていらっしゃるような、ゴリゴリの光量子信者ではありません」。自分がそう誤解されてしまうのは、「論文にあいまいな書き方をしてしまったためです」と彼は言った。まもなくアインシュタインは、「量子は本当に存在するのか」を問題にすることさえやめてしまった。1911年11月に、「放射理論と量子」というテーマで開かれた第一回ソルヴェイ会議から戻ったアインシュタインは、もうたくさんだとばかり、量子の狂気を頭の片隅に追いやった。それから四年間、ボーアが原子の量子論をひっさげて舞台中央に登場しつつあるちょうどそのころ、アインシュタインは重力を取り込むために相対性理論を拡張するという仕事に専念するという仕事に専念すべく、量子のことは事実上棚上げにする。』
株を始めたのは入社5年目です。
きっかけは、営業管理部門から営業に移り、そこのH課長さんに「お金はわずかで良いので、勉強になるから株をやってみたらどうだ」というアドバイスを頂いたことです。確かに営業として顧客を理解する一つの手段になるのは間違いないと思い、自分自身納得して始めました。
その後、かなり長く休眠していた時もあったのですが、40歳を過ぎて「本気でやってみっか!?」という思いが何となく浮かびました。当時、オフィスがあった西新宿のお昼どきだったと思います。
マネックス証券の松本社長の著書だったか、ネットでみた記事だったかは定かではないのですが、「株をやるなら、就職したくなるような会社の株を買ったらいい」という話が頭にありました。また、営業マンだったためか「理解できる会社・業界がいいのではないか」という考えもありました。
そこで、日本HPというITの会社に勤務していたこともあり、ターゲットを外資系ITに限定し、2、3の銘柄にしぼって長期運用することにしました。株式に費やす時間は週1時間程度、「売らなければ損はしない(株が暴落しても慌てない)」、「会社経営のリーダーシップと会社方針が1番大事」という2点を最重要項目として肝に銘じ、挑戦をスタートさせました。
20年後、売買はほとんど直感頼みでしたが、幸い大きな成果を得ることができました。
そして今年、65歳になり「どうせやるなら、少しは投資家っぽくなりたいもんだ。直感頼みではなく、情報とプランに基づいて運用できるようになってみたいもんだ」との思いから、そのための準備を始め、自分なりに熟慮を重ねた結果「ひとまず、次のような方針でやってみよう」ということにしました。
1.分散投資
a)株式
●米国株…80%以上(テクノロジー関連限定)
●日本株…20%未満(3銘柄以下に絞る)
b)株式以外
●S&P500ETF
●米国債券ETF
●米国短期国債
2.運用
●長期運用
●リバース運用
●休むことも運用
3.情報源
●経済指標カレンダー(マネックス証券)
●マネクリ(マネックス証券)
●“ばっちゃまの米国株”(以下のサイトは“ばっちゃま”さんに教えて頂きました)
●VIX(Volatility Index:恐怖指数)
●AAII Investor Sentiment Survey
●Put/Call Ratio(MacroMicro)
●finviz(MapsだけでなくNewsなど、他のコンテンツも大変充実しています)
●Motley Fool(“Earnings
Transcripts”[決算報告]も掲載されています)
●CME FedWach(金利予想です。左メニュー上段、”Probabilities"をクリックして下さい)
※【永久保存版】米国株投資家の俺が広瀬隆雄氏から学んだ最強の投資法とプロの投資マインド
4.時間
●基本、1日1時間以内。
☆ウォーレン・バフェットの言葉
『私はただ、明らかに他のものよりも優れていて、私が理解できるものを見るだけだ。』
『強気相場は悲観の中に生まれ、懐疑の中に育ち、楽観の中で成熟し、幸福感の中で消えていく。』
※以下のグラフは、DAILY FXの”Market Cycles | Phases, Stages, and Common Characteristics”から拝借しました。
長い前置きでしたが、今回のメインテーマは米国債券を理解することです。勉強させて頂いたのは、『証券会社がひた隠す 米国債券投資法』です。
著者:杉山暢達
発行:2018年1月
出版:KKベストセラーズ
目次は第3章のみ全て記述、第3章以外は大項目と中項目のみで小項目は記述していません。
ブログに取り上げたのは、黒字の個所になります。
まえがき
第1章 儲け話は山ほどあるけどリスクも山盛り
●「株価の上下は神のみぞ知る」が常識
●ノーベル賞受賞者がファンドをやったら
●運用のプロたちは本当に勝ち続けているのか?
●儲け話は「勝っても地獄、負けても地獄」そのワケとは?
●古今東西いつの時代もはびこる儲け話
●なぜ日本人は金融リテラシーが低いのか?
●年金のインフレーション・デフレーション
●かつて日本円は360円だった。為替とは「変動するもの」
●日本が「AAA」から「A」に格下げされたことの意味
●円安のカウントダウンが始まった。
第2章 なぜ日本人はタンス預金が好きなのか?
●これほど「元本」にこだわるのは、日本人だけ
●複数の銀行に預けても、「日本円」ではリスク分散にならない
●「投資信託」は運良く儲かっても手数料負け
●証券マンは胃が10個あっても足りない
●カモネギ日本人の、間違いだらけの投資法
●イソップ物語が教える運用法。最後に勝つのはアリやカメ
第3章 お金が勝手に増えていく米国債投資の仕組み
●そもそも債券って何?
・債券とは「貸金」
・ゼロクーポン債の仕組み
・日本の国債をお勧めできない理由
●元本がきちんと返ってくるのは債券だけ
・まずは元本を守るということ
・ゼロクーポン債の「収益性」
・「流動性」が資産のバランスを整える
●雪だるま式に増える複利の魅力
・お金が増える「複利」の法則
・米国ゼロクーポン債と為替リスク
第4章 ノーリスク、ストレスフリーの米国債の秘密
●米国債は1年に1度思い出すだけでいい
●米国債なら元本割れリスクはほぼゼロ
●維持費ゼロ!これが他の投資にはない米国債の強み
●どれくらいの金額で、どのように買えばいいのか
●つみたてNISAと米国債で将来不安が激減
●米国債は、農耕民族の日本人にフィットする
●40歳超でも旨味がある米国債投資法
第5章 デメリットは米国が破産したときだけ
●米国債投資に向かない人とは?
●途中解約は元本割れの可能性あり
●為替リスクは、1ドル50円を超える円高だけ
●米国債投資が向かない人
●円安が進むほど米国債投資のメリットは高まる
●米国以外の国債はどうなのか?
第6章 生命保険をやめて米国債を買う
●あなたは毎年、保険料をいくら払っていますか?
●保険商品は「定期」だけでいい?
●他の制度とうまく組み合わせること
●保険の担当者に米国債の話をしてみよう
第7章 老後の資金が毎月10万円入ってくる
●もしも65歳から年金プラス10万円がもらえたら
●米国債投資に必要なのは「口座」「キャッシュ」「スマホ」だけ
●手続きは他の金融商品のなかで、最も簡単
●古都の老舗の旦那衆も米国債は御用達
●20代からの「ズボラ年金」の始め方
●個人型確定拠出年金「iDeCo(イデコ)」と米国債
教えて!米国債 Q&A
あとがき
第1章 儲け話は山ほどあるけどリスクも山盛り
●古今東西いつの時代もはびこる儲け話
・「空売り」とは投資対象(例えば“株”)を所有することなく、売り契約を結ぶこと。
※ご参考:“株の空売りの仕組みとは|シンプルな図解で分かりやすく解説”
※ご参考:“株の「空売り」とは?仕組みやメリット、やり方をわかりやすく解説!”
・「レバレッジ」とは株やFX、不動産投資などでよく使われる。定義は「他人の資本を活用して、自己資本に対する利益を高めること」となる。一言でいえば、「借金して投資する」ということ。「空売り」同様、リスクの高い金融商品である。
●なぜ日本人は金融リテラシーが低いのか?
・海外では学校で、基礎教育として金融について学んでいるが日本では行われていない。そのため、何も勉強せずに株や投信に手を出すことは危険である。
●かつて日本円は360円だった。為替とは「変動するもの」
・FXとはForeign Exchangeの略で、「外国為替証拠金取引」のことである。「日本円⇒米ドル」など通貨を買ったり売ったりしたときに発生する利益に狙う取引である。為替の上下で損得が決まるので、とてもギャンブル性が高い。
●日本が「AAA」から「A」に格下げされたことの意味
・日本の格付けは高いもののトップグループではない。この理由の一つは国の借金で、2023年末には1,068兆円になると予想されている。
※ご参考:“【基礎解説】格付けとは?格付け会社や国債の格付けを紹介!”
※ご参考:“日本国債の格下げ、日銀の政策転換が契機に”
※ご参考:“1~2年は日本格付け変わらない、日銀正常化波乱ならリスク”
※ご参考:“労働生産性の国際比較”
画像出展:「財務省:日本の借金の状況」
画像出展:「ファクトから考える中小製造業の生きる道」
2019年(22年後)
日本:20位(44.6)
米国:7位(77.0)
1997年から2019年の生産性の伸びは、日本は27.8%、米国は215.0%で、米国は日本より約7.7倍、労働生産性が改善されました。
●円安のカウントダウンが始まった。
・一般的には国力の低下はその国の通貨の価値を下げる。日本は超高齢化、少子化、人口減少が懸念され、これらは国力低下の要因に波及するので、中長期的には円安に向かう可能性がある。
※ご参考:“アメリカ合衆国の人口ピラミッド(1950-2100) / 単位(Unit): 千人 / 2019年推計”(Youtube)
※ご参考:“日本の人口ピラミッド(1950-2100) / 単位(Unit): 千人 / 2019年推計”(Youtube)
画像出展:「【日本】未来人口ピラミッド「低位 vs 中位」(-2100) / 2022年推計(note)」
上記の動画が削除されていたので、日本だけですが26年後(2060年)の予想図を貼ります。(2024年8月30日)
第3章 お金が勝手に増えていく米国債投資の仕組み
●そもそも債券って何?
・債券とは「貸金」
-株式は企業への「出資」になるが、債券は「貸金」になる。つまり、債券は借用証書に相当する。
-株式(出資)は、企業価値が高まるとキャピタルゲイン(株価の上昇)やインカムゲイン(配当金)が期待できる反面、株価が下がる場合もあり、上がるか下がるかは企業の業績次第である。
-債券(貸金)の場合は、期間を定めて返済されるが貸金なので利子がつく。多くの債券は購入時に利子が確定しているので、満期まで保有していればいくらになって戻ってくるか明確である。従って、安全性が高い金融商品といえる。
-債券も株式同様、自由に売却ができる。ただし、その場合は流通価格で売却することになる。
・ゼロクーポン債の仕組み
-「クーポン」とは債券に付随する利金ことである。「ゼロクーポン(ゼロクーポン債)」とは、利金がつかない債券を意味する。この「ゼロクーポン」は、利金はつかないが、購入時に額面金額より安く買えるという特徴がある。そのため、「ゼロクーポン」は「割引債」と呼ばれることもある。償還日には額面金額で支払われるため、その償還差益が利金の代わりとなる。
-利金がつくやタイプの債券は、一般的に「利付債」と呼ばれている。「利付債」の魅力は利金がつくため、定期的な収入が得られることである。
-例えば30年物の米国ゼロクーポン債に100万円投資すると、30年後には概算で2.2倍の220万になって返ってくるイメージである(税金及び為替変動は考慮せず)。元本を減らすことなく債券特有の安全性を維持し、これだけのリターンを得られる金融商品は他に見つけることはできない。
・日本の国債をお勧めできない理由
-米国より低い格付けにもかかわらず、利回りも悪いからである。ただし、為替変動のリスクはない。ただし、為替変動のメリットもない。
●元本がきちんと返ってくるのは債券だけ
・まずは元本を守るということ
-債券は満期日の償還額(額面金額)が決まっているので、額面金額を受け取れる。ただし、理論的には発行元の倒産や破綻によって元本の返済や利払いができなくなることがある。そのため、高い格付けの債券を選択すべきである。
・ゼロクーポン債の「収益性」
-債券は途中で売却することもできる。その場合、売却価格は流通価格となる。価格が上がっていれば、途中売却による収益(キャピタルゲイン)を得ることができる。
・「流動性」が資産のバランスを整える
-米国債は世界中で売買されているので、流動性が高く売買しやすいという利点もある。
●雪だるま式に増える複利の魅力
・お金が増える「複利」の法則
-単利とは元本だけに利息がつくもの。元本が100万円で単利が10%の場合、1年後は110万円、2年後は120万円と毎年元本(100万円)の10%(10万円)が加算されていく。
-複利とは元本と利息を含めた金額に利息がつくもの。元本が100万で複利が10%の場合、1年後は110万円、2年後は121万円、3年後は133万円と少しずつ増える金額が多くなっていく。
-元本1,000万円、年利10%を単利と複利について、10年後の金額で比較すると、単利は2,000万円、複利は約2,590万円になる。
・米国ゼロクーポン債と為替リスク
-米国債では為替変動によって日本円の価値は上下する。もし、円高によりドルの価値が下がっている場合でも、そのままドルで持ち続けることができるなら、円安になるまで待って円に換えれば為替による損失を避けることは可能である。
※ご参考:“MUFG 外国為替相場チャート表" 表示期間を“5年”にして頂くと2020年がやや円高ですが、これはコロナの影響(日本での感染の確認は2020年1月15日)が米国の方が深刻だったからではないかと思います。また、短期的にはゼロ金利の見直しにより円高傾向になると考えられますが、長期的には円高局面が長く進行することはないのではないでしょうか。
第4章 ノーリスク、ストレスフリーの米国債の秘密
●米国債は1年に1度思い出すだけでいい
・米国債は「貸金」なので株や投資信託、FXのように投資対象の変化や売買のタイミングで悩んだりすることもない。基本的に「ほったらかし」で運用できる。
・米国ゼロクーポン債を売却せず償還日まで保有するのであれば、購入時に手数料相当分を支払った形になり、その後、手数料はかからない。
・株の「売買手数料」や投資信託の「販売手数料」や「信託報酬」は、米国ゼロクーポン債にはないので有利である。
●米国債なら元本割れリスクはほぼゼロ
・米国債は購入時に利回りが確定する。つまり、いくらの利益($)が出るかが明らかになる。
・『たとえば、米国ゼロクーポン債を野村證券の窓口で購入する場合を考えてみましょう。28年4カ月物米国ゼロクーポン債は、購入単価が「45.52%」となっています(2017年10月時点)。つまり額面金額10,000ドルにしたい場合、4,552ドルで購入できるということです。これが割引債と呼ばれる所以です。額面金額、要するに28年4カ月後にもらえる金額は10,000ドルですが、購入時は「10,000ドル×0.4552[45.52%]=4,552ドル」で買えてしまう。それだけ事前に割引されて(利金分が差し引かれて)、販売しているということです。
ちなみに、この場合の利回りを計算すると、「2.790%」となります。安全に運用できて、かつドルベースで3%近くの利回りが購入時に確定しています。
理論上為替リスクはあるものの、これだけ分かりやすく、しかも安心して購入できる金融商品は、他にありません。』
・万一、米国が破綻する時は地球規模で危機に直面している可能性が高いのではないか。
・米国債の利回りは、米国債は絶えず市場で取引されており、その利回りは常に変化している。
●維持費ゼロ!これが他の投資にはない米国債の強み
・米国債の「口座管理料」は証券会社によって異なる。有料の場合、無料の場合、金額によって口座管理料が無料になる場合があるので、事前に確認すべきである。
第5章 デメリットは米国が破産したときだけ
●途中解約は元本割れの可能性あり
・途中解約は可能。ただし、その時の価格(市場価格)で売却することになるため、購入時の価格を下回る「元本割れ」になる場合もある。従って、安定を最優先にするのであれば途中解約しないことである。
●米国以外の国債はどうなのか?
・米国同等以上の格付けを有している国はあるが、流動性や購入しやすさという点で考えると米国債の方が優れている。
・利付債は利金を得られる一方、複利の効果が得られにくい。貯蓄性を考えると複利効果が大きいゼロクーポン債の方が適している。
重要
「“欲ブタ”になってはいないか?」と自問する。
株をやっていて思うのはメンタルコントロールです。これはスポーツでいえばゴルフに似ているように思います。“ばっちゃまの米国株”さんのお話の中に、“欲ブタ”という言葉が時々出てきますが、英語では“Greedy Pig”となります。日本では「二兎を追う者は一兎をも得ず」に相当すると思います。また、「虻蜂取らず」ということわざもあるようです。
ご参考1:“市場サイクル | フェーズ、段階、および共通の特徴” DAILYFX
『市場サイクルとは、強気市場が最初から最後まで成熟し、その後、強気市場からの行き過ぎが修正される弱気市場に反転するプロセスです。市場の投機が始まって以来、これらのサイクルは同様の形で展開してきました。』
※”ばっちゃの売国株さん”がYouTubeで解説されています。
ご参考2:“G7の1人当たり金融資産の保有金額”
ご参考3:“投資家別の株式売買情報”
画像出展:「西日本新聞」
”個人”は約2割です。
余談
2023年7月20日から“株日記”をつけ始めました。毎日ではないのですが、発見したことや勉強になったことを書き留めています。あるいは持株が大きく下がった時などは、売るべきかか保有するべきかについて、自分なりに調べて分かったことや判断した理由を記録に残すようにしています。
10年後、「これは成功だった」と満足できる成果を上げることができたならば、“アマチュア投資家”の称号を自らに付与したいと密かに思っています。
GPU(Graphics Processing Unit)の開発・製造において、生成AIのリーディングカンパニーであるNvidiaによるArm買収断念の報道は2022年1月でした。現在、ソフトバンク配下のArm社は英国ケンブリッジに本社を置く、RISC(縮小命令セットコンピューター)チップの開発に特化した企業で、携帯電話やスマートフォンのほとんどの製品の中に入っています。
このArmの対抗馬として期待されているのがオープンソースのRISC-Ⅴです。このRISC-Ⅴ ISA(命令セットアーキテクチャー)を利用することにより自由にCPUを開発することができます。しかも、設計したCPUをオープンソースにする必要はなく、商用ライセンスのCPUコアを作ることができます。
※オープンソース:ソフトウェアを構成しているプログラム「ソースコード」を無償で一般公開すること。
※“NVIDIA’s secure RISC-V processor”(Youtube[英語])
『Security is key to many of NVIDIA’s markets. Example applications are protecting video and gaming IP, keeping private data on shared servers from leaking, and safety of self-driving cars. NVRISCV is at the core of NVIDIA’s security architecture. It is a RISC-V core with closely coupled co-processors that incorporate many security features to protect against a variety of attacks. Some features are architectural and we are proposing those as RISC-V specifications; others are implementation specific. We believe that RISC-V is ideally positioned to standardize around a set of security specs and best practices, helped by transparency and joint development by the community, inherent to its open source nature.』
以下は上記の英文をDeepLを使って翻訳した文章です。
『セキュリティは、エヌビディアの多くの市場にとって重要です。アプリケーションの例としては、ビデオやゲームIPの保護、共有サーバー上のプライベートデータの漏洩防止、自動運転車の安全性などがあります。NVRISCVは、NVIDIAのセキュリティ・アーキテクチャの中核です。これは、密接に結合したコプロセッサを持つRISC-Vコアで、さまざまな攻撃から保護するために多くのセキュリティ機能を組み込んでいます。いくつかの機能はアーキテクチャ上のものであり、私たちはそれらをRISC-V仕様として提案しています。私たちは、RISC-Vが、そのオープン・ソースという性質に固有の透明性とコミュニティによる共同開発によって、一連のセキュリティ仕様とベスト・プラクティスを標準化するのに理想的な位置にあると信じています。』
日本HPで営業していたのは約12年前なのですが、オープンソースと言われればソフトウェアの話しという認識しかなかったため、CPUというハードウェアの世界にもオープンソースが入り込んでいるという事実に大変驚きました。
オープンソースと言われれば、私の場合Linuxです。IBM社がLinuxを核にサーバーの長期計画を発表したのは2001年でした。HP社はUNIX(HP-UX)が主力であったという経緯もあり、Linuxに対しては消極的でした。SEの評価はLinuxは軽く優れたOS(オペレーティングシステム)というものであり、製品品質に大きな懸念はなかったのですが、メーカーサポートという面で営業としてはなかなか難しい製品となっていました。
このような懐かしい昔話を思い出していて、ふと気になったのが、「今、Linux、特に開発者のリーナス・トーバルズはどうなっているのだろう?」という疑問です。
『それがぼくには楽しかったから』、これがリーナス・トーバルズの本の題名です。なお、原題は『JUST FOR FUN』です。
著者:リーナス・トーバルズ
訳者:風見潤
初版発行:2001年5月
出版:(株)小学館プロダクション
画像出展:「Wikipedia」
Linus Benedict Torvalds
『フィンランド、ヘルシンキ出身のアメリカ合衆国のプログラマ。Linuxカーネルを開発し、1991年に一般に公開した。その後も、公式のLinuxカーネルの最終的な調整役を務める。』
目次
謝辞
序章 人生の意味Ⅰ
第1部 オタクの人生
第1章 眼鏡と鼻と
第2章 初めてのプログラミング
第3章 フィンランドの冬に
第4章 トーバルズ家誕生秘話
第5章 高校時代
第6章 大学と軍隊
第7章 フィンランド再び
第2部 オペレーティング・システムの誕生
第1章 シンクレアQL来る
第2章 人生を変えた本
第3章 ユニックスを学ぶ
第4章 三台目のコンピュータ
第5章 プログラミングの美しさ
第6章 ターミナル・エミュレーション
第7章 誕生
第8章 アップロード
第9章 著作権の問題
第10章 ミニックス対リナックス
第11章 ウィンドウとネットワーク
第12章 恋人!
第3部 舞踏会の王
第1章 初めてのアメリカ
第2章 商標登録
第3章 就職
第4章 シリコンバレーにようこそ
第5章 リナックスの成功
第6章 不協和音
第7章 株式公開
第8章 コムデックス
第9章 リナックス革命は終わったか?
第10章 押しつけるな!
第11章 舞踏会
第12章 サポート
第13章 知的財産権
第14章 コントロール戦略の終焉
第15章 楽しみが待っている
第16章 なぜオープンソースこそ筋が通っているのか
第17章 名声と富
終章 人生の意味Ⅱ
ブログはリーナス・トーバルズがオープンソースに対し、どう思っているのかに注目しました。
第3部 舞踏会の王
第16章 なぜオープンソースこそ筋が通っているのか
●『IBMがパーソナル・コンピュータを開発したとき、何気なく、そのテクノロジーをオープンにしたので、誰でも複製を作れるようになったんだ。そのたった一つの行動は、PC革命に拍車をかけただけじゃなく、やがて情報革命、インターネット革命、ニュー・エコノミ―(なんと呼ぶにせよ、いま世界中で大きな変化を引きおこしているもの)を順に呼び寄せる結果となった。
これは、オープンソース精神から生み出される限りない利益というものを、もっともよく表している。IBM PCはオープンソースのモデルとして開発されたわけじゃないけど、オープンにされたことで、個人や企業が互換機を作り、改良し、売ることができるようになり、オープンソース・テクノロジーの好例となったんだ。
オープンソース・モデルの一番純粋な形では、誰でもプロジェクトの開発や市場性開発などに参加できる。リナックスは明らかにそのもっとも成功した例だ。ヘルシンキのぼくの散らかった寝室から始まり、成長して、有史以来最大の共同プロジェクトにまでなった。その始まりには、コンピュータのソースコードは自由に共有すべきだと信じるソフトウェア開発者に共通の理念があった。その裏付けとなったのが、この運動の強力な武器としての一般公有使用許諾書(GPL―旧来的な著作権に反対するもの)だった。リナックスは発展し、最高のテクノロジーを開発し続ける一つのモデルになった。そして、リナックスがウェブ・サーバー用OSとして次々と採用されていることや、株式公開での予想外の好評でもわかると思うけど、リナックスはさらに発展して、広く市場に受け入れられるようになったのだ。』
●『オープンソースという手法を人々が初めて耳にしたとき、それはばかげたものに聞こえたようだ。だから、オープンソースの長所が理解されるのに何年もかかった。
ぼくらは理念があって、オープンソースを売り込んだわけじゃない。オープンソースこそ最高のテクノロジーを開発し、改良する最良の方法だとわかってきたので、その理念が世間の注目を集めだしたのだ。
いまや、その理念は市場で評価を得つつあり、その評価のおかげでオープンソースがますます受け入れられるようになってきている。さまざまな付加価値サービスをおこなう会社が作られるようになり、それらの会社はテクノロジーを普及させる手段としてオープンソースを利用することができた。お金が転がりこむと、世間は信じるようになるもんだ。
オープンソースというジグゾーパズルの中で、一番理解されていないピースの一つは、どうしてこんなに大勢のプログラマーが、まったくの無報酬で働こうとするのかってことだろう。
順序として、その原動力について述べておこう。多少なりとも生存が保証された社会では、お金は最大の原動力にはならない。人は情熱に駆り立てられたとき、最高の仕事をするものだ。楽しんでいるときも同じだ。これは、ソフトウェア技術者だけじゃなく、劇作家、企業家にも当てはまる真実だ。オープンソース・モデルは、人々に情熱的な生活を送るチャンスを与える。楽しむチャンスも、さらに、たまたま同じ会社で机を並べている数人の仲間とではなく、世界で最も優秀なプログラマーたちと仕事をするチャンスも、オープンソースの開発者たちは、仲間からいい評価を得ようと懸命に努力する。こうしたことは大きな原動力になるに違いない。』
●『オープンソース現象を理解する一つの方法がある―それは、何世紀も昔(現代の話しではないけれど)、科学が宗教界からどのように見られていたかを考えることだ。科学は、最初のうち、何か危険で、破壊的で、反対体制的なものと見なされた―ソフト会社は時々、オープンソースをそんなふうに見ている。科学は宗教体制を攻撃しようとして生まれたわけじゃなかった。それと同じように、オープンソースだってソフトウェア体制を破壊するために考えだされたわけじゃない。オープンソースは、最高のテクノロジーを生み出すために、そしてそのテクノロジーがどこに行くかを見守るために存在するんだ。』
●『オープンソースは理にかなっている。人々は、言動の自由について、屁理屈をこねたりはしない。自由こそ、人々が生命をかけて守ってきたものなのだから。自由はいつでも、生命をかけて守るべきものだ。しかし、はなっから自由を選択するのもまた簡単なことじゃない。オープンソースについても同じことがいえる。オープンにするかどうか、決定を下さなくてはならない。最初からオープンにするという立場に立ってみると危なっかしくてしようがないが、実際にやってみると、その立場はずっと安定したものになっている。』
画像出展:「レバテックキャリア」
Linuxとは?
Linuxの将来性は?
Linuxが利用されている分野
Linuxの特徴、メリット etc
ご参考2:“Android (オペレーティングシステム)”
画像出展:「Wikipedia」
『Androidは、Googleが開発した汎用モバイルオペレーティングシステムである。Linuxカーネルやオープンソースソフトウェアがベースで、主にスマートフォンやタブレットなどのタッチスクリーンモバイルデバイス向けにデザインされている。』
※カーネル:OSの中核。基本機能を担う部分。
画像出展:「ZDNET」
『今やLinux Foundationは、Linux以外にも1000以上のオープンソースプロジェクトを抱えている。しかし、昔からこうだったわけではない。2007年に設立された頃のLinux Foundationは、ほぼ完全にLinuxのためだけの団体だった。当時からずっとLinux Foundationのエグゼクティブディレクターを務めているJim Zemlin氏は、先日ウェブで公開されたDell Technologiesのデベロッパーコミュニティ担当マネージャーBarton George氏との対談の中で、同財団は創設に関わった人々の想像をはるかに超えて拡大してきたと語った。』
今回も本田裕一郎監督の著書です。前回の『高校サッカー勝利学』は本のサイズはひと回り小さいものの、ページ数は257ページでほとんど文章です。本田監督のお考えを詳しく知りたい方向けと言えます。一方。こちらの『サッカー部 監督力とコーチ術』は127ページですが、写真や図解を使い具体的な練習方法の解説が出ているので、練習メニューを考えたい指導者の皆さんにはこちらの本の方が良いと思われます。
監修:本田裕一郎
発行:2015年11月
出版:メイツ出版
目次
はじめに
序章
ゼロからのスタートでも強くなれる!
指導者の役割とレベルアップのポイント
勝にこだわり続ける指導者が自立心を持って勝利をつかむチームを作る
●指導者に必要な3つの資質とは
●チーム状況に応じた練習計画とレベルに応じた目標を設定する
●年間スケジュールに応じた練習内容を工夫する
●サッカーノートを書かせて日々の練習を振り返る
●高校生年代に重要なのは戦術を理解すること
●チーム戦術の中でいかにパフォーマンスを発揮するか
●海外では「18歳でプロ」は当たり前。世界基準を知ることも指導者の役割
●3年間の努力は今後の人生の糧となる
●「変わること」を恐れずに常にチャレンジする
●あふれる情報に囲まれて選択肢が多すぎる
●何事も諦めずに前に進む気持ちを忘れずに
HALF TIME1 世界基準を見据えて10代からプロになれる選手を育てる
Daily training
基礎体力と柔軟性を高めPK練習を繰り返して経験を積む
第1章 初級編 ベーシックな技術と戦術を身につける
Session1 シンプルなボールタッチですばやく攻撃
HALF TIME2 思いが強ければ行動が起きる。行動することでさらに目標に近づける
Session2 システムの基本を理解する
HALF TIME3 親御さんとも良好な関係を築くことがチームの和や結束を深める
Session3 ポゼッションとセットプレーの基本を理解する
HALF TIME4 あいさつ、掃除など基本的な生活習慣を身につける
Session4 ボールポゼッションとプレスの意識を高める
Column1 フィジカルトレーニング1
HALF TIME5 高校生年代は心身ともに成長のピーク
第2章 中級編 戦術を理解し柔軟な対応力をつける
Session5 攻撃のスピードを上げる
HALF TIME6 「勝負に勝つ」ことを目的に具体的な目標を持ってステップアップ
Session6 スペースを広く使ってクロスボールを入れる
HALF TIME7 「やらせる」「見ている」「チェックする」が指導の三大ポイント
Session7 カウンター攻撃でシンプルにゴールを狙う
Session8 試合の状況に応じた攻撃のスピードを使い分ける
HALF TIME8 監督の役割とコーチの役割
Session9 オープン攻撃からクロスボールをすばやく入れる
HALF TIME9 日頃からプロになったつもりで高い意識で練習に取り組む
Session10 球際のプレーを強化する
Session11 試合前のコンディションチェック
HALF TIME10 まず何事も「まねる」ことから自分なりのアイデアが生まれる
HALF TIME11 練習の目的はイメージで伝え考えさせることで自立心を養う
第3章 上級編 試合を想定して実戦感覚を磨く
Session12 ひとつ先のプレーを読みセカンドボールを拾う
HALF TIME12 「戦うメンタリティ」は「一番」になることで培われる
Session13 試合前の課題を整理しプレーの精度を上げる
HALF TIME13 試合でも平常心を保ちリラックスする方法とは?
Session14 ボールを保持してプレスをかける
HALF TIME14 「運」は決して偶然ではなく自分でつかみ取るもの
Session15 あらゆる状況を想定して試合にのぞむ
HALF TIME15 負けた原因を考えることが次に勝つことにつながる
Column2 フィジカルトレーニング1
序章
ゼロからのスタートでも強くなれる!指導者の役割とレベルアップのポイント
・「勝ちたい」「強くなりたい」という情熱を持ち続けられる指導者とチームは必ず結果を出すことができる。
・レベルに合った練習計画に基づいてトレーニングすることが重要である。
勝にこだわり続ける指導者が自立心を持って勝利をつかむチームを作る
●指導者に必要な3つの資質とは
・まず「真似る力」。色々な情報から、良いと思うことを真似してみることは大切である。
・次に「段取り力」。チームの実情とレベルを見極めた上で、現状に最も適した練習プランを考えることである。
・最後に「実行力」。プランを実際に行い、継続することである。まさに「継続は力なり」である。
●チーム状況に応じた練習計画とレベルに応じた目標を設定する
・年間計画を立てる上で重要なことは、選手のレベルや個性である。
・チーム全体の現状が把握できたら、今年の目標を少し高めに設定する。目標は具体的な方が良い。
・選手個々にはチームの目標に沿った内容で目標を立てさせる。
・達成可能な小目標と同時に、大目標も設定する。
・例えば、ある選手が「レギュラーになる」という目標を掲げた場合、「どうしたらレギュラーになれるのか」「そのために必要なことはなにか」を具体的に考えさせることがとても大切である。そして、走力の課題として、「クーパー走でチーム全員が3300m以上走る」というような目標が生まれ、選手が納得してその目標に挑戦するようになる。
・この段取りをしっかり取らないと、その日暮らしの練習で終わってしまう。
・目標には技術面、メンタル面、チームとして達成すべき点などいろいろな要素があるが、それぞれに対して指導者は具体化して設定し、それを選手個人に落とし込む(具体化する)ことを繰り返していく。
●年間スケジュールに応じた練習内容を工夫する
・年間計画では、テクニックを磨く時期、体力をつける時期、戦術を覚える時期を設定し、いずれもレベルアップさせる。
・練習は次の試合を意識し、逆算して必要な練習を行うようにする。
・週の練習はあらかじめ決めておくのではなく、大体のアウトラインは決めるものの、前日の練習を踏まえて都度、必要な練習を加えたり、変更したりして臨機応変に対応する方が良い。
・練習で重要なことは、必ず記録に残すということである。やりっ放しでは練習内容や練習計画を振り返ることはできない。記録が蓄積されることで資料としても活用できる。
●サッカーノートを書かせて日々の練習を振り返る
・サッカーノートをつける目的はチームとして、個人として目標を達成するために何をしたか、どんなことを考えたかなどを記録することである。重要なのは過ぎたことを反省するより、明日のことを考えさせることである。今日の出来事や勉強になったことなど、その日の自分の心の有り様を中心に記入させるようにしている。毎日、ノートに向き合うことで自分を客観的に見つめ直す習慣をつけることができる。
●高校生年代に重要なのは戦術を理解すること
・高校生年代で最も重要なことは、持っている技術と選手の特長から、チーム戦術を作ることである。
・チーム戦術の浸透には全体的なイメージを共有することが必要である。これは選手を「型にはめる」のではなく、例えば、「今この状況ではボールを高い位置で奪うのか、低い位置で奪うのか」などをゲームの中で瞬時に判断し、それを的確に実行できるようにすることである。
・戦術は、まず自分のチームの持ち味をいかすことだけを考える。また、主導権を握れない時の戦術を考えておくことも重要である。
●チーム戦術の中でいかにパフォーマンスを発揮するか
・「今なぜそこでボールを持っていいのか、ダメなのか、ドリブルせずにパスを回すのか・・・」などを、繰り返し行うことでひとつひとつ覚えていく年代である。
●海外では「18歳でプロ」は当たり前。世界基準を知ることも指導者の役割
・海外ではプロのチャレンジは「16~18歳」、それ以降は即戦力を期待される。
●3年間の努力は今後の人生の糧となる
・目標に向かって努力することが大切であることも教える。「3年間、夢中になって、努力し学ぶ」という体験がとても大事である。
●「変わること」を恐れずに常にチャレンジする
・失敗を恐れて行動しない人が多いが、何かを思い合った時には、まず行動してみることを勧める。
●あふれる情報に囲まれて選択肢が多すぎる
・情報に振り回されない時間は現代社会においては非常に貴重である。意図的にこのような「何もすることがない」時間を作ることも必要だと思う。
●何事も諦めずに前に進む気持ちを忘れずに
・中学生のリクルーティングは、他の指導者とは異なる独自性が求められる。
第1章 初級編 ベーシックな技術と戦術を身につける
Session1 シンプルなボールタッチですばやく攻撃
・現代サッカーはプレスが厳しく、少ないタッチ数でパスを回すことが重要となる。これには正確にトラップする技術と正確にキック(パス)する技術、周りの状況を把握するスキルが必要になる。
・狭いスペースでのパス回し、トラップの位置やパスの方向などひとつ先を読む戦術眼も必要である。
・サッカーは相手からボールを奪うゲームでもある。これには「どのようにボールを奪うか」という共通意識をもち、全員がそれぞれの役割を理解しプレーする必要がある。一人がパスコースを限定しつつボール奪取に動き、回りのプレーヤーはパスコースを消すためにパスを受けようとしている相手プレーヤーにプレッシャーをかける。これを続けることで、相手は追い詰められる。ここで、1対1で負けることがなければ、ボールを奪い取ることができる。
・タッチ数の課題は、トラップ、キックという基本技術の反復練習と、タッチ数を制限した練習を繰り返し行うことで上達する。
HALF TIME2 思いが強ければ行動が起きる。行動することでさらに目標に近づける
『サッカーで試合に出場できるのはたった11人。誰もがそのメンバーに入って試合に出たいという気持ちをもって日々練習の励んでいるはずです。しかし実際には、必ず試合に出られる人間と出られない人間が出てしまう。その差は本当に紙一重ですが、私はそれが「試合に出たい」という思いの強さの違いではないかと考えています。
「自分ほど練習している人間はいない」「絶対に試合に出る」という思い、あるいはその試合に出られなくても「次は絶対に這い上がる」という思い、そういった強い思いを持たずに、何となく毎日練習しているだけでは決して結果は出ません。きのうと同じ自分ではなく、きのうの自分は忘れて今日はきのうよりも良くなっている自分を目指す。そういう強い思いを持っていれば、必ずそれは行動に現われるものです。試合に出られなくて悔しい思いを「出たい」という強い思いに変えることで次の行動が生まれ、それがステップアップへとつながっていくのです。
思いが強い人間は、練習が終わってもピッチを離れてもずっとサッカーのことを考えているものです。それは選手だけでなく、指導者も同じです。どんな時でもサッカーのことを考え続けることでさらに思いが強くなり、その強い思いこそが行動を起こすのです。そして行動は明日からではなく、今日いまこの時から起こす。人間は自分から行動を起こさないと決して変わることはできないのです。』
Session2 システムの基本を理解する
・高校生年代は、体力的にも精神的にも一番成長できる時期である。
・戦術練習は守備と攻撃に分け、目的を絞って行うことが望ましい。
・ヘディング練習はディフェンスを入れないで繰り返す練習をする。
・守備は全員で連動して動くことも必要なので、ポジショニングの練習も取り入れる。
・シュート練習は毎日必ず行う。ミニゲームや攻撃練習は、必ずシュートで終わることを徹底する。
Session3ポゼッションとセットプレーの基本を理解する
・ボールポゼッション、プレス、セットプレーは年間を通じて繰り返しトレーニングする必要があるが、マンネリ化しやすい。これを改善するには、本気でボール奪取することである。
・試合を想定した状況を作り、どんなプレーも実戦をイメージすることが重要である。
・強い精神力は日頃から勝ちを常に意識することで得られる。
・セットプレーを習得するには時間がかかる。いくつかのパターンを練習し、試合展開や相手に応じて使い分けられるようになるのが理想である。
・セットプレーは正確に蹴れるキッカーと決定力のあるシューター、こぼれ球に反応する選手の動きである。特にキッカーは毎日根気よく練習する必要がある。
Session4 ボールポゼッションとプレスの意識を高める
・相手のボールを奪ってすばやく攻撃に転じることが求められており、ひとりひとりのボール奪取能力が不可欠である。ヘディングやボディコンタクトなどの練習に加え、ボール奪取のスキルアップを学ぶことも大切である。基本は「絶対に奪うという強い意志を持つことである。その意識が欠如していては、守備力は向上しないと考えた方が良い。
・ボール奪取はチームが連動して動く効果的なプレスが必要である。誰がボールに行き、誰がスペースを埋めるのかを戦術として理解させ、実戦を想定した練習を繰り返し行うべきである。プレスは相手を前後ではさむようにするのがコツである。
第2章 中級編 戦術を理解し柔軟な対応力をつける
Session5 攻撃のスピードを上げる
・状況に応じて戦術は臨機応変に組み立てる必要がある。したがって、やみくもに攻め急ぐべきではない。相手の位置やスペースの有無から状況判断し、速攻と遅攻の切り替えをしながら試合の主導権を握る。
・常にプレスをかけてボールを奪うことは基本である。
・ボールを失った瞬間が一番ボールを取り返しやすいということを知っておくべきである。
・毎日の練習で「取られたら取り返す」という意識を徹底することで、勝者のメンタリティを育てていく。
HALF TIME6 「勝負に勝つ」ことを目的に具体的な目標を持ってステップアップ
『強い選手を育てるためには、メンタル、フィジカル、技術などさまざまな要素が必要です。スポーツは勝負であり、勝負に勝つことが目的であるからには、日頃のトレーニングでも常に味方に勝つことを考えることが必要であり、勝つことでしか進化はないと私は考えています。
もちろんどんな試合でも、必ず勝てるという保証はありません。しかし負けた場合でも絶対にそのまませず、「次はどうしたら勝てるか」を常に考える必要があります。指導者の役割とは勝ち続けることであり、「勝とう」とする情熱を常に持ち続けることです。負けた責任はすべて指導者にあり、決して選手のせいにしないことは言うまでもありません。
監督の役割とは、勝たせて自信をつけさせて育てることであり、それはとりも直さず最終的には社会で活躍できる人間を育てることでもあります。年代別にそれぞれ成長のしかたは異なりますが、スポーツに勝ち負けが伴うのはどの世代でも同じです。高校生年代では「なぜ勝ったのか」「なぜ負けたのか」の理由を考えさせることで、ステップアップするための新たな目標を持たせることができます。
大切なのは、いきなり高い目標を掲げるのではなく、具体的で達成しやすいものを徐々にクリアしていくことです。地区大会で勝つ→県大会で勝つ→県大会ベスト8・・・とひとつずつ目標を達成しながら、より高いステージを目指してレベルアップしていくことが必要なのです。』
Session6 スペースを広く使ってクロスボールを入れる
・実際に試合ではフリーは状態でシュートを打てることはほとんどない。重要なことはペナルティエリアの狭いスペースでもボールを失わない足元の技術である。ペナルティエリアの外からでシュートを狙える正確なキック力も武器になる。また、両サイドのスペースを有効に使って攻撃する戦術も重要である。
・オープン攻撃では、ボールを奪ったら外のスペースを意識してパスを回すことが基本である。クロスボールはトップスピードに乗った状態で正確に蹴る技術が求められる。これは繰り返し練習して身につける必要がある。また、クロスボールの何人走り込むのか、さまざまなケースを想定した練習が計画する。
Session7 カウンター攻撃でシンプルにゴールを狙う
・勝つために相手チームを研究・分析して、どのように戦ったらよいのかを考えるのが指導者の最大の役割である。
・カウンターはチーム全員でイメージを共有することが大切。
Session8 試合の状況に応じた攻撃のスピードを使い分ける
・数的不利な状況では、一般的にはボールキープして時間を作る。このためにはボールを失わないための技術の習得が必要になる。このような様々な状況に応じた技術を身につけるようにする。
・戦術練習はひとつひとつ、完全に理解するまで根気よく続けないと習熟は難しい。
HALF TIME8 監督の役割とコーチの役割
『全員が同じ方向性で練習に取り組むためには、具体的なチームモデルを設定して共通のイメージを持たせることが大切です。「バルセロナのようなパス回し」「ミランのような攻撃」など具体的なチームモデルを設定すると、選手も理解しやすいでしょう。目標が具体的になればなるほど、それを実現するためにどんな練習をして、どんな戦術を取りいれたらいいかのイメージが明確になります。
選手の人数が多くなると、ひとりの指導者だけではすべての選手に目が届きにくくなり、コーチとの分業が必要になります。基本的な方向性を共有しつつ、それぞれのやり方を尊重し、連携してチームづくりを進めていく必要があるでしょう。それぞれのコーチが自分の色を出しながら指導することでレベルアップし、成長するのをサポートするのも指導者の役割のひとつだと私は考えています。』
HALF TIME9 日頃からプロになったつもりで高い意識で練習に取り組む
『毎日の練習では、「きのうよりも今日はこれができた」という達成感が得られるような練習をさせることが大切です。「今日はこれができたから、じゃあ明日はこれをやってみよう」という練習を続けることでレベルアップしていくのです。』
Session10 球際のプレーを強化する
・ヘディングの競り合いでは、体を預けたり、タイミングをずらしたりするなど工夫することで身長差を克服することは可能である。
・スライディングは基本を理解し、強さと同時にファウルにならない方法を身につける。
Session11 試合前のコンディションチェック
・基本的に試合の前の週は戦術練習を重点的に行い、対戦相手の特徴をイメージしながら練習することを意識させる。
・ハードな練習はせず、守備や攻撃の約束事を再確認やセットプレーの練習をする。
・選手だけのミーティングも効果的である。実際の試合でどのようにプレーするかをなるべく自分たちで考えさせることで、自立心を養うことができる。
・選手選考は試合前日の体の切れ等を確認してメンバーを決める。
HALF TIME10 まず何事も「まねる」ことから自分なりのアイデアが生まれる
『指導者にも全く同じことが言えるでしょう。最初は何でもまねからのスタートでいいのです。チーム作りや指導法などを考える際に、まず身の回りにあふれている情報から「この目標を達成するためには何をしたらいいか」を取捨選択し、わからなければモデルとなるチームを見てまずはまねをしてみる。サッカーのチームだけでなく、いろいろなスポーツや競技を見て盗むことも大切です。それを続けていくうちに、しだいに自分なりのアイデアが生まれ、指導にもアレンジを加えていくことができるようになるのです。』
HALF TIME11 練習の目的はイメージで伝え考えさせることで自立心を養う
『指導の際に重要なのは、トレーニングの際に1から10まですべてを選手に指示いないことです。
「このプレーをするのはこういうイメージで」という指示の出し方をすると、具体的な結果を出すためにどうしたらいいか、いやでも必死で考える。これが非常に大切で、その結果生まれたアイデアを実現するために120%努力して工夫することがステップアップにつながるのです。』
第3章 上級編 試合を想定して実戦感覚を磨く
Session12 ひとつ先のプレーを読みセカンドボールを拾う
・ひとつ先を読むとは、例えば、シュートの跳ね返りやヘディングのこぼれ球、どこでパスを受けられるか、どこにパスが出るかなどをいち早く予測することで相手より先に動き出すことである。
HALF TIME15 負けた原因を考えることが次に勝つことにつながる
『スポーツは勝負が目的であり、必ず勝ち負けが決まります。誰でも「勝ちたい」と思って試合に臨みますが、残念ながら負けることもままあります。指導者が負けたのです。
高校生年代に「負けてもいい」はないと私は常に考えています。そのためには日頃のトレーニングから勝ち負けを覚えさせて勝つメンタリティをつけることが大切になります。どんなチームでも負けていいゲームはありませんし、負け癖がついてしまうのは一番良くありません。
負けた特に、その「負け」をどのように受け止めるかはとても重要です。「負けたけど内容は良かった」では次の勝ちは生まれません。また選手を怒ったり、必要以上に慰めたりするのは良くありません。それよりも負けた原因をしっかり分析し、次に勝つ方法を考えることが大切なのです。なかなか勝てない相手に対して負けた原因を修正して次にのぞむことで、選手も指導者も少しずつレベルアップしていく。負けを簡単に受け入れる指導者がいるチームは決して強くなりません。どんな弱いチームでも、負けん気の強い指導者がいれば、必ず這い上がっていけるのです。』
感想
私は大学まで「勝てば官軍、負ければ賊軍」勝負にこだわるサッカーの魅力を体感してきました。真剣勝負を前にチーム一丸となり、勝利を追い求める中で強い絆がつくられました。今では、その「時」を共有した友が人生を豊かにしてくれています。
サッカーを通してどれほど成長できたのかは分かりません。しかしながら、「何が1番良いのかを考え」、「やると決めたら絶対に逃げない」。そのような考えや経験が充実感を与え、自分自身の人生の糧になったのは間違いありません。
大瀧先生の「考え抜く」、これが基本のように思います。そのためには自分自身と向き合うこと、そして記録に残し、少しずつ積み上げていくこと。その姿勢と行動力が人を成長させ、同時にチームを強くするのではないかと思います。
今回と次回は、市原緑高校、習志野高校、流通経済大学付属柏高校で大きな成果を上げてこられた本田裕一郎監督です。私は監督でもコーチでもなく、後輩を応援するひとりのOBなのですが、本書はサッカーを指導する人にとっては、必読書と言えるぐらい貴重な教本ではないかと思います。
どうしたら「勝にこだわるメンタリティ」の根を張れるのか、その答えが「人間性を考えた指導なんだ」という境地に至るまでに長い時間がかかった。というお話は特に印象的でした。
著者:本田裕一郎
発行:2009年6月
出版:(株)カンゼン
目次
はじめに 勝利にこだわることで心を鍛える
第1章 とにかく“勝ち”にこだわる
●選手の自立こそ指導者に求められる使命
●「勝利」を経験した選手は必ず変わる!
●個性派集団に“勝ち”を教えるために
●シンプル・イズ・ベストへの開眼
●「孫子の兵法」に学ぶ
●ピッチの上で選手が自立した日
●人間性を考えた指導への転換
●合言葉は「百打一音」
●身近なところから「勝利」は始まる
●目標を明確にしなければ、夢は達成できない
●指導者に求められる「人間力」
●本当の意味での「強さ」とは?
Interview1 布 啓一郎 “習志野に負けた悔しさは今も忘れない”
第2章 すべては失敗から学んできた
●偶然だったサッカー指導者への道
●手探りでスタートした環境作り
●工夫を凝らした遠征行脚
●鉄拳制裁はスパルタではない!
●選手を追い込み続けた日々
●スパルタ指導の弊害
●優れた選手から得たもの
●若さゆえの大きな失敗
●才能を表舞台に送り出すための改革
●言葉でのコミュニケーションの重要性
●勝つための術を探して
●高校サッカーに必要な本当の厳しさとは?
Interview2 宮澤ミシェル “あの3年間が僕のすべてを作ってくれた”
第3章 自由が奪った“勝利への執念”
●名門校復活を任された難しさ
●井田監督流テクニックサッカーの追及
●市原緑のやり方を180度変える
●選手獲得方法の工夫
●海外で思い知った現実
●九州の台頭とJリーグ開幕
●ライバルの存在
●布啓一郎に見せつけられた「勝利への執念」
●「新サッカー王国・千葉」の誕生
●福田、広山から教わったこと
●95年高校総体優勝の意味
●玉田圭司への後悔
●勝にこだわらなかった自分
Interview3 広山望 “どんなときも「一人の大人」として見てくれた”
第4章 “自立心”を高めるチーム作り
●指導者人生の集大成への充電
●3度目のチャレンジ
●親代わりとして選手に接する寮生活
●点呼の時間やミーティングを有効に生かす
●スタッフ強化とチーム作りの工夫
●全国屈指の強豪への仲間入り
●常勝軍団を目指して
Interview4 齋藤重信 “いつか全国大会の決勝で戦う日まで”
第5章 日本サッカーに足りないもの
●自立心を失った子どもたち
●サッカーは点を取ることがすべて
●サッカー上達のカギはコミュニケーション
●クラブと高校サッカーが抱える問題点
●日本型育成システムを考える
●オシムが日本人に与えた“理不尽”
●日本サッカー変革の時
●世界で戦うために必要なチカラを
おわりに 今、鍛えなくていつ鍛える
第1章 とにかく“勝ち”にこだわる
●選手の自立こそ指導者に求められる使命
・勝利を目指す上で必要なことの一つに、「自立心の育成」がある。これは、自ら決断でき、行動できる人間を意味している。サッカーはバレーボールのようなタイムアウトもなく、野球のように攻守が入れ替わる度にプレーが途切れることもないため、試合が始まったら選手一人ひとりの自己判断に委ねられる。しかも集団競技のため、全員がひとつの目標に向かって意思統一を図る必要がある。
・最近の風潮として過保護である傾向が強い。例えば体操服を忘れたといって、母親が学校に持ってくるというケースもある。過保護は自立心の欠如の大きな要因だと思う。
・高校教師になって30年以上経つが、自立心の欠如は年々深刻化している。自分の考えをしっかりと主張できないようでは、勝利を目指すことなどできない。選手のメンタリティは大きなテーマであり、自立心を養っていくことが指導者の大きな使命である。
●「勝利」を経験した選手は必ず変わる!
・「負けん気と意地の不足」が顕著である。共稼ぎが増え、家庭内のしつけの時間が足りないことが大きく関係しているが、指導者にも責任はある。サッカーをすることの楽しさよりも、“戦いの楽しさ”を通して「負けないという気概」を浸透させる必要がある。勝利は「感動」と「自信」をもたらす。この喜びや楽しさが人を成長させる。そして目標を掲げ、それに向かって努力し目標を達成する。その過程を学ぶことが非常に重要である。
●個性派集団に“勝ち”を教えるために
・最初にやったことは、選手たちの特徴と個性を見極め、勝利するために何をしたらいいのか考えることだった。
・「日本一」を意識させるために、何度も説明し、サッカーノートや目標設定なども書かせた。特に1年生の夏まで初歩教育を続けた。
・入学当初のトレーニングは走ることがメイン。最初の15分間は3000メートル走だった。その後はゲームが中心。特に判断力の早さを要求した。ボールコントロールは2タッチ以下や1タッチなど制限を課していた。
・夏休みには1年生だけで10日間くらいの九州遠征を行った。このような厳しい経験を通じ、子どもは少しずつ自立していく。
●シンプル・イズ・ベストへの開眼
・小柄な選手が多い特徴を生かすには、ボールも人も動くかサッカー、つまり、運動量を高め、接触を減らし、ボールタッチ数の少ないサッカー。ドリブルは控え、ここぞという時にドリブルで変化をつけるようなサッカー、オシムジャパンの目指すサッカーを参考にした。
●「孫子の兵法」に学ぶ
・選手は勝たせれば勝たせるほど過酷な練習に耐えられるようになる。
・少ないタッチでボールを回すためには技術と判断の早さが求められる。そのため、狭いグリッドでの4対4や制限をつけたボール回しを取り入れていった。
・他にはアイデアはないかと、さまざまな勝負事の本を読んだ。その中で特に興味をもったのが、「孫子の兵法」だった。
・自立の大切さを痛感したのは、高円宮杯全日本ユース選手権大会で、本田監督を欠いたジュビロ磐田ユース戦と青森山田戦に勝利したことだった。そしてサンフレチェ広島ユースとの決勝戦を前に、「孫子の兵法」から取り入れて行ったことは相手の徹底したスカウティングだった。これにより、平常心で試合に臨めた。事前の準備がいかに重要かを改めて痛感した。
『まずチーム全員でスカウティングビデオを見た後、相手4-4-2ならその順番に大きな模造紙を壁に貼ります。そこに選手自身が自分で感じた相手の特徴を書き込んでいくのです。相手の左サイドバックなら、「左利きで速い」「すぐにファウルをする」「キレやすい」「集中力が足りない」などと、みんな競うように書きます。模造紙がいっぱいになるくらい特徴が出揃ったら、最後の赤いマジックで「何が何でも勝ってやる!」と闘争心を紙にぶつけるつもりで書いてもらっています。』
●ピッチの上で選手が自立した日
・監督として大切なことはトライする精神を持ち続けることである。その精神が人からのアドバイスを呼び込み、読んだ本からの気づきにつながる。
●人間性を考えた指導への転換
・人間性を考えた指導という境地に至るまでに長い時間がかかった。どうしたら「勝にこだわるメンタリティ」を植えつけられるのかとずいぶん悩んだ。具体策を模索し始めたのは、流経に来てしばらく経った頃だった。まずヒントを探してビジネス書を読みあさった。
・あるビジネス書をきっかけに、何がうまくいっていて、何がうまくいっていないのかを考えることがあった。指導者の資質か、指導者同士のコミュニケーションなのか、施設や環境なのか、練習メニューなのか。
・『「好きこそものの上手なれ」と言いますが、本当にサッカーが楽しくて仕方がない子は自分から進んで練習にも取り組む。勉強でも興味があればどんどん学習する。限界を軽々と超えていくんです。つまり、身近なところを分析して、問題を洗い出し、一つひとつ改善して、サッカーをもっともっと好きにさせればいい。そう思い直したのです。
早速、周辺の洗い出しから取りかかり、検証の過程でいくつもの新しい発見に出会いました。そんな中、再認識したのが、「生き方がきちんとしていない人、信念のない人は成功できない」ということ。これまで宮澤ミシェル(元・ジェフ市原)や名塚善寛(元・コンサドーレ札幌U-15監督)などプロを経験して現役を引退した選手がたくさんいましたが、彼らも「最終的にサッカーがダメになったときこそ、人間性にたどり着いた」と話していました。プロ選手を終えた後の人生はその人間性に大きく左右されます。好きなサッカーに一生携わるためには、仲間やチームに信頼されなければ、次の仕事は見つかりません。それゆえ、私は人間性を第一に考えた指導を心がけようと決意しました。』
●合言葉は「百打一音」
・人間性を養う第一歩として考えたのが、チーム全体の意志統一を図ることだった。全員が同じ意識で練習や試合に取り組む雰囲気を作らなければならない。
●身近なところから「勝利」は始まる
・挨拶が自然にできるようになることが、「自己表現」の入り口である。挨拶が定着して「先生、これをさせてください」と言ってくる選手が増えたことは驚きだった。そして、些細なことでも、自分自身できちんと連絡するようになった。これは大きな変化だった。やはり大事なことは身近なところからきちんとすること。「勝利へのこだわり」も日々の積み重ねから培われることを知った。
●目標を明確にしなければ、夢は達成できない
・年間、月、1週間、毎日とそれぞれやるべきことを明確にしておけば、全力で向かうだけでいい。そこで「目標設定用紙」を導入した。これは陸上で連覇している関西の中学校の指導者の本を参考にして作った。
・「目標設定用紙」に次の試合に向けてのそれぞれの目標を選手に書かせ、次の1週間はどう戦ったら勝てるのかを考えながら練習する。用紙には目標だけでなく、目標を達成するために何が必要か、具体的な練習方法や達成する期限も設ける。それを監督と選手間でシェアする。
・サッカーノートはなるべくポジティブに書くようアドバイスするが、それ以外は任せている。そして3年間が終わったとき、すべてのノートを綴じて「飛翔」というタイトルの表をつけて卒業するときに渡している。
●指導者に求められる「人間力」
・監督として、人としての含蓄がないと、最終的には選手たちを納得させられない。
・本田監督の探求心を深めたのは、昭和の陽明学者・東洋思想家の安岡正篤氏である。安岡氏は1945年8月15日の終戦の詔書(玉音放送)の草案を加筆し、戦後は実践的人物学や活きた人間学をもとに、多くの政治家や財界人の御意見番として活躍した人物である。安岡氏の存在を知ったのは、「日本人とは何か?」を知るために、さまざまな文献を当たっていたときに知った。この時、先人から学ぶことの重要性を痛感させられた。
●本当の意味での「強さ」とは?
・全国9回優勝の古沼先生、選手権6回優勝の小峰先生、4回優勝の布先生に共通することは、自分のサッカー哲学に揺るぎない信念と大きな目標に向かって、諦めずにやり続ける強さである。
・北陽高校の監督だった野々村征武先生の規律と、静岡学園の井田勝通先生のテクニックと創造性を融合させることを考えてやってきた。
第2章 すべては失敗から学んできた
●若さゆえの大きな失敗
・指導者には指導なりの哲学が必要であり、徹底した戦術をチームに浸透させることが重要である。
●高校サッカーに必要な本当の厳しさとは?
・『新設校で、先輩指導者もおらず、上からのプレッシャーもなかったため、自由に動くことができたということもあります。それゆえ、ひたすら強引に選手を引っ張っていました。トライ&エラーも許されていたので、いいと思ったことはすぐやりました。スパルタ方式を導入したのも、全国遠征も、朝鮮語の学習もそう。「不易流行」という言葉がありますが、どんどんチャレンジして、いいものは残し、変化すべきものは変化させたらいいのです。そのうえで、私は「継続」という言葉を大切にしてきました。考えついたことが間違っているかもしれないと感じても、最低3ヵ月はやる。そのくらいの辛抱が大切だということも学びました。こうした結果、チームを千葉県でベスト4の常連まで引き上げることは小さな自信につながったと思います。
反面、言い尽くせないほどの失敗がありました。
最も悔やまれるのは、前にも述べましたが、才能を持つ選手たちに「勝利」を味わせてやれなかったことです。
市原緑には、柴崎のようなユース代表候補にまでなった選手もいましたし、佐々木やミシェルのような日本代表に上り詰めるタレントもいました。石井や古川も鹿島アントラーズの初期の成功を支えた選手たちです。大きく見て、3回は全国大会で上位に入れるくらいのポテンシャルを持ったチームであった。それなのに、私は彼らを千葉県の外に出すことができませんでした。もう少し真剣に勝つ方法を考えていたらと思うと、悔やんでも悔やみきれない。やはり「勝利への執念」が不足していたに違いありません。』
第3章 自由が奪った“勝利への執念”
●名門校復活を任された難しさ
・戦う集団というのは、作り上げるのには時間がかかるが、崩れるのはあっという間である。
●「新サッカー王国・千葉」の誕生
・自分のチームのことだけでなく、高校サッカー界全体がよくなるように何かしようと思っていた。市原緑時代に手掛けた外国選手の国体出場、朝鮮高校の全国選手権出場、国体のU16化、関東スーパーリーグやプリンスリーグの発足などである。これは千葉の指導者たちが柔軟性が高く好意的だったことも関係していると思う。
●勝にこだわらなかった自分
・「勝利」という目標があれば、どう勝つかを模索し、いろいろなアイデアが出てくる。しかし「うまければそれでいい」という考えでは、それ以上のところまで到達することはできない。
・サッカーは個人スポーツではないというところに、指導の難しさがある。チームの全員にストロングポイントとウィークポイントとがあって、そういう個性に対応していくには時間がかかる。子どもたちとなるべく多くのときを一緒に共有して、メンタルやフィジカルなどさまざまな面を鍛えていかなければならない。
Interview3 広山望 “どんなときも「一人の大人」として見てくれた”
『一番強く残っている本田先生のエピソードは、卒業するときに「この本を読んどけよ」といって、落合信彦さんの著書「日本の常識を捨てろ!」をもらったことです。本の内容はあまり覚えていないのですが、ちょうど社会に出るタイミングに、国際社会の現実が赤裸々に書かれたものを読んだことで、「自分はもう学生じゃない。今までと一緒じゃダメ。自分からアンテナを広げて、いろんなことを吸収していかないといけないんだ」と感じられました。本田先生は無言のうちに、そういうことを僕に教えようとしてくれたのかもしれない。社会人になるためのいい区切りなったと思います。
僕の場合、習志野で「人間としてのベース」が作られました。プロになってから厳しい戦いを乗り越えていく気持ちの準備とか、人間としての器がある程度、できたんじゃないかな。ジェフでは1年目から試合に出るようになり、確かに生活環境が激変しました。当時のジェフには、マスロバルやハシェック、ルーファーのようなすごい選手がたくさんいた。彼らはプレーだけでなく、人としても素晴らしかったんです。彼らと話すことで、世界のサッカーや政治、経済に目を向けることもできました。同時に「ボーっとしていたら取り残される」という危機感も持てた。そんな自分の土台を固めることができたのは、間違いなく高校時代でした。』
第4章 “自立心”を高めるチーム作り
●指導者人生の集大成への充電
・自らの判断で私学を選択した。その際、「これまでにやったことのないことをやって、自分の器を広げよう」と考え、「企業研修プログラム」に参加した。内容は多岐にわたったが、企業で働く若手や新人、女性社員など、これまでに会ったことのない人々と1週間机を並べて学ぶ機会は実に新鮮で、社会全体を見つめ直すいい機会になった。続いて、徳川家康が教育を受けたとして知られる臨済寺に行った。これは神社仏閣からメンタル面の教育につながる何かを得たかったからである。この後は、他のスポーツ強豪校、バスケットボールの能代工業、野球の横浜高校などをアポなしで見に行った。共通していたのは、練習が厳しく、選手たちの動きが素早いことだった。また、監督がいてもいなくても、選手たちの取り組みが積極的だった。
●3度目のチャレンジ
・習志野から流経がある柏に通うことは難しいため、自分自身と習志野から来る7人の生徒のために、5LDKの格安マンションを、退職金をつぎ込んで購入した。食事はもちろん弁当も本田先生が作った。もともと日曜大工が趣味だったこともあり、マンションの庭に手作りベンチを置いた。
・『朝食の準備をした後、学校へ行き、朝練習や授業を終え、今度は午後の練習。それが終わると、選手を連れてスーパーへ買出しに行き、また料理を作るという流れです。』
・グラウンドが決まるまでの間、自家用のマイクロバスを使って、日替わりであちこちのグラウンドに行って練習していた。当時は関東大学リーグ1部だった大学との連携もあまりなかったため、大学のグラウンドも使えなかった。
●親代わりとして選手に接する寮生活
・権利と義務で成り立つ教育が、権利偏重となり「愛情=可愛がり」になってきた感がある。子どもたちの親への依存心が強く甘えが出やすく、子どもたちは小さくまとまっていることが多い。自己主張の機会が少ないためか、キバが抜かれた状態のように感じる。しつけや教育が重要である。
・サッカーを通して、他人を思いやれるような人間、社会で通用するような強いメンタリティを養いたいと思った。
●点呼の時間やミーティングを有効に生かす
・自己主張のできる人間になってほしいと、「3分間スピーチ」「3分間作文」を取り入れこともあった。これは、習志野時代のアルゼンチン遠征で、アルゼンチンの選手のスピーチがとてもしっかりしていたのが印象的だったため。「3分間作文」はテーマを伝えて最初の1分間で考えさせ、その後の3分で書かせる。
・月曜はオフだが、全員(A、B、Cチーム)集めてミーティングをやっている。プリントを配布して考えさせることもある。特に「3年間は本当にあっという間だ」ということも強調している。
・コミュニケーションを重視して、選手たちの上下関係をなくしている。
●スタッフ強化とチーム作りの工夫
・分業制にしてスタッフを束ねる難しさを実感した。特に人を動かすことの難しさや大変さに直面している。いかに彼らを育てていくか大きな命題である。
・A、B、Cチームの決め方は色々だが、最初は生徒に決めさせている。新チーム発足から1ヶ月半くらい経過したらスタッフが入っていき、各選手の状態等を考慮して選手を入れ替える。上げる子も下げる子もコーチが推薦する形にしている。落とす場合は落とす理由を明確に説明する。また、3月になるとプリンスリーグが始まるので、その段階になると、選手の入れ替えは完全にコーチングスタッフが主導権を握り、チーム編成を行うようにしている。
●全国屈指の強豪への仲間入り
・2002年日韓ワールドカップの全ゴールの約7割が、ボールを奪ってから10秒以内だったという話がサッカー界で明らかになり、守から攻への切り替えの重要さをあらためて認識した。また、これには布監督の市立船橋高校のサッカーを見ても明らかだった。
・楽しい雰囲気だった習志野高校時代とは異なり、ピーンと張り詰めた空気をつくりたい、生徒を納得させるような指導法を模索した。
●常勝軍団を目指して
・興味が続かないというのが性格的な欠点であり、「勝利への執念」も十分とは言えない。このことから「徹しられないのなら辞めろ!」を掲げ、自分を追い込むようにしている。
・常勝軍団に求められているのは、後継者の育成である。優れた指導者はサッカー一辺倒ではなく、読書をし、教養を身に着け、話術も求められる。また、いろいろな引き出しを持っていなければならない。このような努力もしていく必要がある。
・日本人はシュートがうまくない。これはシュートの練習が少ないからである。海外ではシュート練習が明らかに多い。また、シュート技術は中学生、小学生の時に行うことが望ましい。
第5章 日本サッカーに足りないもの
●自立心を失った子どもたち
・勝負にこだわり強い心を育むために自立心が不可欠である。一方、子どもたちの自立心は年々失われていっているのではないかと思う。何か起こったときに柔軟な対応ができない選手が多い。また、自分で考えての判断や工夫を凝らしたアイデアも出てこない。応用力や融通がきかないことを強く感じる。何か言われないとやらないという風潮も強い。
・共稼ぎが増え、家庭内の会話が減り、子どもたちはゲームやスマホに夢中で増々会話は減る、挨拶もしないなども当たり前になる。さらに悪いことに親は子どもに十分に接しないマイナス面を、お金やモノで解決し子どものしつけを学校に託す。何でも与えすぎるのは良くないとわかっているのにあげてしまう。こうしたことが子どもから自立心を奪っている。
・限度をわきまえないスパルタ教育は「指示待ち人間」作ってしまう。細かいことを言いすぎると自立心は育たない。
・自立心の欠如を感じるようになったのは進路だった。当初は誰も来なった。徐々に生徒たちが「サッカーのできるとこないですか?」と聞きに来るようになった。さらに、変わってきたのは、親御さんが来て「ウチの息子にサッカーのできるところを見つけてもらえませんか?」と聞くようになった。
・サッカーの練習と同じくらい、常識や習慣、生き方の話しを積極的に行い、自立心を育てる努力もしている。その結果、少しずつ自分の進路や自分の考えを明確に話せる子が出てきた。
・親には返謝しろよと常々話している。「感謝は返謝で完成する」、それを実践してほしい。
●サッカーは点を取ることがすべて
・ギニアからムサは、片言の日本語で「自分は40試合やって37ゴール決めた」と、いつもゴール数のことをアピールする。一方、日本の子どもたちからは、「ハードワーク」だとか、「オフ・ザ・ボールの動き」と言う。ピッチ上でもボールコントロールやリフティングの練習をするが、ムサはシュートが第一。それはアフリカだけでなく、イタリアもそうである。かれらはシュートに対する意識が日本人の子どもよりはるかに強い。
・日本の指導現場は「個性を伸ばす」よりも「サッカーのノウハウを磨く」ことに重点が置かれすぎている。
・流経では2時間の全体練習の3分の1をシュート練習に割いている。敵をつけないシュート練習は行わない。ゴールを使わずに行うメニューはほとんどない。朝練もゲーム中心。ピッチの4分の1、8分の1、16分の1を使ったミニゲームなどで得点感覚を磨いている。
・『ボールをもらう前にゴールとゴールキーパーの位置を確認し、ペナルティーエリアの中に入ってボールを受けた時点では周囲の状況が頭に入っている。その状態で、しっかりとボールを見ながら打つのが基本なのに、それができていない。ボールを見る時間を延ばすことが課題です。』
・ワンタッチのサッカーは非常に難しい。ボールをもらう前の確実な状況判断、ボールを受けるタイミング、体の向き、技術、視野の確保、パススピードや強さなどあらゆる要素を完璧に備えていないとできない。だからこそワンタッチコントロールの練習を育成年代から数多く取り入れる必要がある。
●サッカー上達のカギはコミュニケーション
・チームプレイであるサッカーにおいて「コミュニケーション能力の不足」は致命的なマイナス点である。
・子どもたちが年齢を問わずいろいろな人と触れ合えるような環境づくりも重要である。
・子どもの人権を尊重するという欧米の考え方も参考になる。アルゼンチンでは大人も子どもも年齢に関係なく正面から向き合って話す。
・マラドーナを育てたというおじいさんコーチは、「評価を子どもたちの前で言ってはいけない。試合や練習での選手個々の評価はコーチの頭の中だけにあればいい」という話をしていた。
・日本ではチーム全員を一律にレベルアップさせようと、コーチがみんなの前で特定の選手に対し、「ここがダメ」「あそこがダメ」としばしば言ってしまいがちであるが、ほとんどの場合、本人は気づいているので、批判に対して言い訳をしたり、責任をなすりあいにつながるので、なるべく控えた方が良い。細かい評価は指導者の頭の中に置いて置き、練習はさらりと終わる。これが意外と重要である。
・日本人は、すぐに相手を子ども扱いしたり、「お前は黙っていなさい」と言ってしまったりすることが多い。外国人の指導者は子どもに対してもリスペクトする気持ちを持っている。彼らに話させたり、しっかり聞いてあげたりすることを大切にしている。
●クラブと高校サッカーが抱える問題点
・Jクラブユースは環境面、生活面でサッカーに集中しやすい。また、最大の魅力は「プロ直結」というブランド力である。一方、高校サッカーは通常、指導者は教師でもありサッカー以外の学校生活や学業(学力レベル)、あるいは友人関係なども把握することもできる。教師からみれば、トレーニング計画の立案や練習試合の設定などピッチ内のことから、グラウンドの確保、チーム運営費の計算、スタッフのマネージメント、親御さんのケアなどもすべてやらなければならない。
・高校にくる子は、中学卒業時点で少し技術レベルが劣る子か、あえて高校サッカーを望む子が集まる。
・高円宮杯のプレミアリーグをみても、Jユースと高校チームとはあまりなく(2023年は青森山田高校がサンフレッチェ広島ユースに勝利して優勝)、日本代表をみると、高校サッカーや大学サッカーからプロに転身した選手が活躍しており、決してJユース出身が優位という傾向は出ていない。
・一般的にJクラブユースの選手の目的はプロになることである。一方、高校サッカーはプロの選手になるという目標を持つ選手はたくさんいるが、まずは勝利である。全国高校サッカー選手権で日本一になるという目標は「勝利」の積み重ねであり、勝利のために努力し、工夫する。チームメートや監督・コーチなどと話し、チームワークの大切さを学ぶ。そして苦しい練習に耐える精神力も養成される。これらの経験を通して成長し、人間力は高まる。
・勝利にこだわってこそ、スーパーな選手が出てくる。そして優秀な指導者も出てくる。今はそう確信している。
・Jクラブユースは認知度が低いため、大観衆の中で試合をすることがない。(傑出した才能があれば、高校生世代でトップチームに上がって大観衆の前で試合をすることはできるが、そのような選手はごくわずかである)
●日本型育成システムを考える
・『長年指導者をやってきたからわかるのですが、子どもを健全に育てるためには、いろんな人間の中に放り込む必要があると感じます。Jクラブは基本的にエリート集団だから、サッカーのうまい子しかいないでしょうが、高校にはテクニックのある子も、下手な子も、頭のいい子も、おっちょこちょいの子も、涙もろい子もいる。そんな中で揉まれていくことで、幅が生まれ、心が豊かになり、自然と競争意識も高まっていく。人間とはそういうものではないでしょうか。』
●オシムが日本人に与えた“理不尽”
・高校サッカーで言う「理不尽なこと」には、休憩なしの長時間練習、負けた後の罰走、指示通りできなかったときのハードな練習等がある。理不尽なことがよくないのは必然ではあるが、そこから得られることも小さくない。重要なことは指導者が明確な目的をもって行うことである。怒りを発散するだけのためにやってはいけない。
例えば、負けた後にダッシュを30本やらせて、悔しさや辛さを強く刻みつけることは時にあってもいい。子どもに意地や反骨心を芽生えさせることは決して無駄ではなく、次につながる。
・海外では、韓国には国が定める徴兵制度がある。貧しい国の選手には貧困からくるハングリーさをもっている選手が多い。日本の子どもの多くは、これらの国々とはことなり、経済的にも環境的にもあまり不自由のない中で育ってきた子どもが多く、メンタリティは強いとは言い難い。
・理不尽なことが良くないことは確かであるが、理不尽を乗り越えた者が強くなるのもまた確かである。
・元日本代表監督のオシムさんの「理不尽」の裏には緻密な計画性、確固たるポリシーやビジョンがあった。それは、モノを言わない日本人に自己主張させ、臨機応変に動けるようにするためだった。指導者は自分の方向性をしっかりと定めるべきである。
おわりに 今、鍛えなくていつ鍛える
・『人間には「競う」という競争本能があります。競技スポーツはその競争本能を健全な形で具現化したもの。つまり、勝ち負けを楽しむべきものだと私は考えます。
サッカーの場合もそうで、ピッチに立つ選手たちに勝利を目指して懸命に戦います。彼らを取り巻く人々は、その戦いを自分自身が実際にやっているかのような気持ちで固唾を飲んで見守る。こうして多くの人々に一体感が生まれ、大きなムーブメントとなり、歴史が作られてきました。そして今、サッカーは世界一の競技人口を誇り、世界で最も人気のあるメジャースポーツになりました。』
・『「世界基準」に追いつくためにも、我々はもっともっと「勝利」にこだわらなければならない。私はそう強く言いたいのです。「いい選手を育てたいなら、あまり勝に勝ちにこだわるべきでない」という考えを持つ方もいるでしょうが、勝利に執着してこそ大きな前進があると確信しています。勝利を目指す姿勢を持たなければ、実戦に沿った技術、戦術、指導力は決して進化しない。優れたタレントも世界中をあっと驚かすチームも出てこないと思います。』
・『名将の方々がされたように全国行脚を繰り返し、凄まじい情熱を持つ指導者の姿を見て学ぶところからスタートして、それを模倣しながら自分の色を少しずつ出し、今は完結編に向かって進んでいます。「守破離』の精神でここまで来たからこそ、勝負へのこだわりの重要性をはっきり認識できた。そう実感しています。』
ご参考:『外国人の指導者は子どもに対してもリスペクトする気持ちを持っている。』
これは本書の中にあった本田監督のご意見です。
「これはどういうことなんだろう?」と思って見つけた本が“世界に通用する「個性」の育て方”です。内容はほぼ子育てだったので期待していたものとは違ったのですが、この本の”まえがき”に「なるほど」と思うことが書かれていましたので、以下にご紹介させて頂きます。
『日本と欧米では、子育てに関する概念も方法もまったく違います。
日本の子育ての象徴は、「へその緒」です。
欧米の子育ての象徴は、「ファーストシューズ」です。
その意味は、【へその緒=子どもへの依存】【ファーストシューズ=子どもの自立】となります。
日本人の親に見られる傾向として、我が子は血の繋がった自分のものというイメージがあります。一方、欧米人の親に見られる特徴は、生まれた子どもはすでに一人の人格であり、自分の所有物ではないので、子どもを自立させることをゴールにしています。
どうして、こうも違うのでしょうか?
欧米における考え方のベースは、聖書からきています。
日本においては、子育ての方針は、親が決めることがほとんどです。
親が自分の価値観を子どもに押しつけた場合、それがクリアできれば子どもは安心を得ることができますが、親の基準に達することができないと、すぐに子どもは自信を失います。自信を失うと、人と接することが怖くなりますし、何かに挑戦することもできなくなります。
~ 中略 ~
私は牧師をしています。そのため、欧米の宣教師やクリスチャンとの関りが深いです。
欧米の人たちは、キリスト教の聖書の文化に馴染みがあり、子育てにおいて、日本人と考え方や実際の行動が違うところがたくさんあり、驚かされると同時に、たくさんのことを教えられます。
本書では、子どもの“自己肯定感”と“自立心”を高めることによって、子どもの中にすでに備わっている個性を発見し、さらに伸ばすためのヒントを紹介できればと思います。』
前回の“高校サッカー研究1”では、人としての成長がサッカーの成長にもつながるだろうと考え、清水桜ケ丘高校(元清水商業高校)の大瀧雅良監督の先生、教師としての“確信”を知ろうとしました。
一方、今回からは、高校サッカー界で多くの成果を上げている監督のお考えや実践していることを勉強させて頂こうと思います。
著者:元川悦子
発行:2011年12月
出版:(株)カンゼン
目次
第1章 “勝利”よりも大事なことがある。 “伸びる土台”を作るのが高校サッカー 栫 裕保
第2章 ボランチ王国の秘密 多彩な個性の伸ばし方 山田耕介
第3章 伝統の継承と新スタイルの確立 南米スタイルにプラスした守備意識 川口 修
第4章 世界で闘える“個”の育成 本田圭佑を超える選手を育てるために 河崎 護
第5章 公立高校から世界への挑戦 “長所をひたすら伸ばす” 平岡和徳
第6章 サッカーでつなぐ地域の絆 東北の背負ったハンディキャップ 齋藤重信
第7章 名将はカメレオン ピッチ上で求められる自立心 本田裕一郎
画像出展:「高校サッカー監督術」
第1章 “勝利”よりも大事なことがある。 “伸びる土台”を作るのが高校サッカー
兵庫 滝川第二高校 サッカー部監督 栫 裕保
●“楽しいサッカー”の追及が選手の探求心を伸ばす
・「人間教育を最優先に考えて、そのうえでサッカーもがんばろう」という考え方でやっている。
・一時的な満足ではなく将来の成功を重視している。
・人間は、楽しいことはどんどん追及したくなる。
・強い好奇心や探求心が生まれれば高校時代は成功である。
●全国制覇の裏にあったのはチーム崩壊の危機
・高校総体で準優勝したが、その後チームは下降線をたどり、8月後半の浜名湖遠征では、全国大会未経験の学校相手に1次リーグ4試合に全敗した。8月末には兵庫県U-15選抜の中学生チームに辛くも引き分けた。
●強烈な個性の集団がピッチで爆発した瞬間
・2010年度の滝川第二は我の強い人間の集まりだった。
・全国高校サッカー選手権本大会前、20日。持てる力をきちんと発揮できる状態に持っていく必要がある。監督は一日一日を最大限に生かすため、まずは今まで以上にミーティングを実施。バラバラになりがちな選手たちに同じ方向を見るよう意識づけを図った。
・体力の強化トレーニングは、1~2週間、200mx10本(全力疾走)。厳しい練習の中にも楽しさがあること。
・チームをまとめるために、海の砂浜や公園に連れて行って走ったり、野球をやったりして特に遊び感覚のトレーニングも行った。
・チームがまとまることが最も重要である。
・悪いイメージをいかに払しょくすることが重要。
・高校は生徒にとって通過点であり、その後の人生の方がはるかに長く、重要である。それを口が酸っぱくなるほど言ってきた。人間教育を大事にする。そして、人としての成功を強く願う。
●滝川第二の土台を作った男・黒田和生
・黒田監督(東京教育大学OB)が滝川第二にやってきたのは、1984年。それまでは13年間は、地元のクラブチーム・神戸FCで少年指導に携わってきた。
・週2回、寮に泊まって自立をうながすためにミーティングや進路指導を熱心にやった。
・少年サッカーの経験から「止める」「蹴る」の基本技術を重視していた。
・個の力で突破できる選手育成を最優先に掲げていた。
・22歳のとき、日本サッカー協会のコーチングスクールで、デッドマール・クラマーさんの考えに感銘を受けた。(「サッカーは技術、戦術、メンタル、フィジカルのバランスを一番に考えてやらないといけない。そのうえで美しく勝つこと。それがグッドゲームだと聞かされた」)
・黒田前監督の失敗「就任4年目のチーム作り」
『当時、急激に強くなった滝川第二は地元の有力選手が集まるようになっていた。全国制覇にはそれだけでは足りないと、黒田前監督自身も精力的に中学を出向いてスカウティングを実施。この年は能力の高いメンバーがそろっていた。ところが、エリート意識の高い彼らの中から天狗になる者が出てチームが混乱に陥った。試合から外すと「何で俺が出られないんだ」と文句を言い始め、勘違いした保護者もクレームをつけてくる。不協和音が生じたチームは勝負をかけていた88年に空中分解し、大事な高校総体も選手権も全国大会出場権を逃す羽目になる。単に上手な選手を集めるだけでは、いいチームは作れない・・・・・・。黒田監督は強く悟ったという。「どんなに恵まれた環境がそろったところで、気持ちがないと続かない。だったら、多少下手でも「滝二でやりたい」という意欲のある子でやっていこうと決めました。そういう選手の方が間違いなく伸びる。それは岡崎や加地も実証していると思います。』
●選手の可能性を伸ばすのは“少年の心”
・黒田、栫両監督の共通したサッカー観は「“少年の心”でサッカーに取り組むことの大切さ」だった。
・黒田前監督は1996年春に南米視察に行き、「メンタル面の重要性」を再認識した。それは生徒のモチベーションだった。それを探るため、アルゼンチン、ブラジル、パラグアイを2カ月かけて回り、育成コーチ30人にインタビューした。そこで得た結論は、“向上心を持っていること”“燃える目をしていること”だった。コーチと選手の信頼関係がサッカーを楽しむ土台になっていると感じた。当たり前のようなハグや握手をする。黒田前監督も積極的に握手を取り入れるようにした。
・少年のようにワクワクできる環境を常に整えることで、選手たちのサッカーへの意欲は自然と高まっていく。どれだけ高校時代にサッカーに好きになってもらうか。それが選手の将来を左右する。黒田前監督や栫監督が気づき、作り上げたこの哲学は今も滝川第二の重要なベースになっている。
●“意識の共有”がチームをひとつにする
・滝二は誰が監督をやろうが、コーチをやろうが、方向性はまったく変わらない。
・試合の後も必ずグループディスカッションを実施。練習方法についても週1~2回は打ち合わせの場を持ち、ケガ人状況を確認したり、最近伸びてきた選手がいるかどうか、スケジュールの組み方、当面の対戦相手との戦い方などを徹底的に確認する。そうすれば、指導現場がバラバラになることは絶対にない。』
・1年生大会の試合だけでなく、Aチームと1年生を組ませて同じ試合に出すといった工夫もしている。
・個々の課題に対し指導者は「自分でどう克服するか考えろ」と言って、一つひとつじっくり取り組ませるようにしている。そういう積み重ねが最終的に大きな力になる。スタッフはこの考え方を常に共有している。
・戦術の基本は「攻撃的なパスサッカー」であるが、選手の個性に合わせて柔軟に変化をつける。
・「このサッカーならやりやすいし、楽しいし、勝てる」というスタイルを選手同士が構築するのが“滝二流”である。
・スタッフワークを大事にしながら、選手一人ひとりの個性を大切にすることは、100人を超える大所帯になると非常に難しいことだが、彼らは努力を惜しまない。例えば、下級生で控えの選手でも、生徒は遠慮なく。栫監督にサッカー以外の相談事でも自由にやってくる。
・チーム全体がガラス張りで、部員一人ひとりと顔の見える関係ができているのは、黒田前監督と栫監督が話し合いを重ねて同じ価値観を共有し、「滝二らしさ」を追求し続けたから。彼ら2人の名将の貢献度は計り知れないほど大きい。
●新監督の就任とチームの低迷
・自分たちの仕事は選手を育てること。特に1年生、2年生の強化が重要。
・新年度の活動のスタートは「六甲山登山」
・トレーニングは春におおよその年間計画を策定し、プリンスリーグをこなしながら、試合の反省を踏まえた練習を1週間、また1週間と積み上げていく形をとった。
・もっとも重視しているのはテクニック。個人のスキルをあげることが基本である。
・メンバーはあまり固定せず、チーム全員と信頼関係を作ることを重んじている。選手との直接対話を重視する理由はここにある。
●サッカー以外のことを自分で考えることの重要性
・高校生はさまざまな角度から刺激を与えることが肝要である。サッカー以外のことを考える時間を作る。
・黒田前監督は読書感想文(月1回。スポーツ選手の自伝や歴史的人物の英雄伝など))や美術やクラシックなど芸術との触れ合いをやってきた。
・黒田前監督が15分の話を聞かせて、感想や意見を紙に書かせる。これは話に集中する能力を高める。監督やチームメイトの話を聞いて実践する力が求められる。
・栫監督は直接的な会話を通して、選手の聞く力や考える力を養いたいと考えている。サッカーノートや感想文では本心かどうか分からない。それが誤解を生む可能性もある。
・1年のテーマを漢字一文字で表す。それを生徒たちだけで考えさせる。これは2002年に始まった。選手権初制覇の2010年は『志』だった。
●選手が伸びていく土台を作るのが高校サッカーの役割
・彼らの人生はこれからである。何年かたって、結婚したとか、就職したとか、ビジネスで成功したとか、そういう報告をもらう方がうれしい。
・選手権の優勝監督になっても指導者として成長していかなければならないことはいっしょである。
・高校サッカーは学校教育の一環であり、人間的成長が第一である。
・『僕ら育成の指導者は、選手たちをサポートして、高校を出た段階でもサッカーに取り組みたいという十分な余力を残してやることが大事。それが一番の仕事だと思うんです。サッカーへの意欲が高校でいっぱいになってしまったらその先は伸びないだろうし、逆にまだまだ余力があれば際限なく成長できる。僕ら教育に携わる人間は彼らの才能や意欲にフタしないことがなによりも大切なんですよ』
●個性を伸ばすために行う「フタをしない指導」
・滝二は「自由」と「規律」のバランスが取れている。
・7割は個性を伸ばし、3割は不得意のことの克服に当てるような感覚でやっている。
画像出展:「高校サッカー監督術」
第2章 ボランチ王国の秘密 多彩な個性の伸ばし方
群馬 前橋育英高校 サッカー部監督 山田耕介
●タイプの違うボランチの育成~自分にしかない武器を持て!
・自分だけの特徴や武器にこだわることは良いことだが、それらはあくまで選手自身の視点になる。指導者が与えるヒントも非常に重要である。
●世界で闘うための理想のボランチ像
・ポゼッションを向上させるトレーニングを積極的に取り入れている。
-ワンタッチ、2タッチのボール回し
-グリッドの広さを細かく変化させながらの7対7、8対8などのミニゲームは毎日行っている。
-グリッドは広さだけでなく、ハーフコートの真ん中にタブーゾーンを設けたり、フリーマンを置いたりと工夫を凝らし、選手達の考える力、判断力を養っている。
・テーマは1週間単位で設定している。
・日曜日のゲームで課題が出たら、月曜日のミーティングでどう修正するかを選手たちと話し合い、1週間かけてその課題に取り組む。
・練習の最後にミニゲームをやるのは、その日細かく取り組んだことを実践の場で出させるのが目的である。敵がいる中でのボールコントロールや、ゲームの流れの中で発揮できない技術では意味がないためである。
・優れたテクニックを持っている選手は少なくないが、運動量やフィジカルコンタクトも必須、両輪である。指導者はこれらの部分に焦点をあて、合理的、科学的なトレーニングを考える。
画像出展:「高校サッカー監督術」
第3章 伝統の継承と新スタイルの確立 南米スタイルにプラスした守備意識
静岡 静岡学園高校 サッカー部監督 川口 修
●新たな“静学スタイル”
・名将井田監督の後を継いだ川口監督は「今までとまったく同じことをしていても勝てない」と考え、新たなエッセンスとして「守備意識の徹底」を目指した。従来のチームは攻め中心のため、攻守の切り替えやボールへの寄せをサボりがちな選手も見受けられた。それを修正しないと勝てないと確信した。
・川口監督がブラジル留学で経験したのは、ブラジルの選手達の「球際の強さ」だった。
・苦しい状況でもチーム一丸となってカバーし合う姿勢も重視した。
●観衆を虜にする独創的な静学サッカー
・サンパウロFCから招聘したコーチが行ったのはハーフコートの11対11だった。6カ月後、選手の判断や球離れが格段に速くなった。これが静学を変えた。
●元祖・テクニックサッカー創造者のもとで学んだ12年
・全国大会の大舞台で一番重要なのはメンタルである。
・選手の自由を尊重しながらも、肝心なところでは厳しさを突きつけるのが「井田流選手操縦法」だった。
・井田前監督は宮本武蔵や坂本龍馬ら時代の名士たちの本をよく読んでおり、格言や名言もよく知っている。それをヒントに自分の言葉にして選手に語りかけることに長けていた。
・井田監督が常日頃言っていたこと。
-「こだわってボールにたくさん触れればブラジル人のようになれる」
-「手と同じように足でボールを扱えるようにしろ」
-「静学のサッカーは美しく華麗じゃなきゃいけねえんだ」
・井田監督の「斬新な采配」も特筆すべきものだった。負けるのが怖いと思い切った采配はできないが、井田監督は全く違っていた。
-「光るやつがいたら、俺は学年関係なしに使う。多少のリスクを冒しても、どんどん試合に出すんだ」
-新人戦は登録25人を全員使うのが当たり前。ポジションもシステムもどんどん変える。これは「努力をするやつにはチャンスを与える」ということだったのではないか[川口監督])
-固定観念を取り払って使うことで、新たな才能を発掘することができる。
●名将はいかにしてプロ選手を輩出したか?
・「俺がこいつらをプロにしてやる。その方が面白いだろ」と口癖のように言っていた。これはボールテクニックの練習を懸命にやって、他のチームの選手より個人技を磨いてきたからが大きい。
・日本代表になる選手は何が違うのか。内田篤人(清水東⇒鹿島アントラーズ)とはどんな選手か。
-『内田は高校2年でサイドバックに転向した選手。瞬間的なスピードが大きな武器ですけど、それ以上にすばらしいのが、自分で何をすべきかを考える力がある。規律を持ってサッカーに取り組むことができる。そこが学園の選手との決定的な差。テクニックや身体能力はもちろんのこと、彼のような賢さを育てないといけないなと強く感じています。』
●ユース年代の環境変化と静学サッカーの存在意識
・川口監督はJユースの台頭の危機感から、静学サッカーの原点回帰を図り、新たな発展型を模索すべきではないかと考えるようになった。
●“アイデア”と“ひらめき”こそが静学スタイルの原点
・朝錬6~7時は個人技を磨く時間。午後錬はゲーム形式の戦術練習中心。
・従来の練習を変えたわけでないが、結果は出なかった。それは「余裕がなかったから」である。テクニック重視の静学サッカーには「心のゆとり」が必須だが。これを失っていた。自分の焦りが子どもたちに伝わった。
●個と組織が融合した強いチームになるために
・井田前監督にはあまりやっていなかったミーティングを毎日のように実施。静学のコンセプトを徹底的に植えつけた。
・『練習前の15~20分という短い時間ですけど、話をすることでメンタル面を整えて規律を持たせることができるし、チームと進むべき方向性も確認できる。ミーティングにはいろんなプラス効果があるのかなと思いました。』
・守備意識を高めたのは、より迫力ある攻めを繰り出すためである。また、格上のJユースと互角に渡り合うためには、相手からボールを奪うところから考えないと、華やかな攻撃サッカーは実践できない。
・バルセロナの華麗で効率的な攻撃は、組織的な守備と攻守の切り替えの速さがあるから成り立っている。
・球際の強さは必須。選手たちに「1対1で負けるな」「練習から厳しく行け」と言い続けた。
・ボールを取られた瞬間の重要性を強調した。これは失った後の3秒間はボールを奪う絶好のチャンスだからである。失った瞬間は休みを入れてしまいがちだが、相手も奪った直後はバランスが悪いのでハードワークすれば、主導権を握れる可能性は高い。また、このような話を理論的に丁寧に説明することで選手の理解(何が大事か等)が上がる。
●伸びる選手は自分の意思で判断できる
・スーパーチームを作るには、自分の意志で判断できる選手を育てないといけない。人間性の部分が非常に重要になってくる。自主性を持つようになるとサッカーの上達が早い。
・自由でヤンチャな一面を持ちつつ、いざ勝負となったときには規律と厳しさを持てる選手たちが出てくればチーム力はもっと上がる。
画像出展:「高校サッカー監督術」
第4章 世界で闘える“個”の育成 本田圭佑を超える選手を育てるために
石川 星稜高校 サッカー部監督 河崎 護
●自主性こそが、勝利の絶対条件
・河崎監督は、「自立心の向上」を重要なテーマにしているが、その契機となったのが全国トップに駆け上がった2000年からの5年間である。
・自分たちで考えてやるサッカーの恩恵は、互いを思いやる心と強固な一体感である。
●自立心の高い選手がチームにもたらしたもの
・良い相乗効果が生まれるのが、高校サッカーの良さである。
・「勝ちたければ子どもたちが自ら変わらなければダメだ」。自主性というのは、勝利への絶対条件である。
●第三者の視点を取り入れたチーム作り
・自分に足りないものを探し、学び続ける謙虚さは指導者の原点である。河崎監督がそういう姿勢を持ち続けているからこそ、選手も高い目標をもってサッカーに取り組める。
●チームを伸ばすために、個の成長を考える
・河崎監督は、将来的に大きく羽ばたく選手を育てたいという思いが強い。「選手第一主義」と言える。選手の個性を見極め、一人ひとりの目標設定を明確にし、方向づけさせるという試みを行っている。とりわけ、個人面談やピッチ外でのコミュニケーションを大事にしている。
●気配り上手はぐんぐん伸びる
・河崎監督はとりわけサッカー指導の枠を超えた人間教育に強いこだわりを持っている。特に強調しているのが、「気配りのできる人間になれ」ということである。これは、気配り上手になれば苦境に陥ったとき、味方を励まして前向きにする行動もとれるだろうし、パスを出す・もらうのタイミングもうまく計りながらプレーできるはずである。
・掃除や道具管理など生活態度に関しても強いこだわりを持っている。
・春の福岡フェスティバルの大会では、優勝と同じくらい「グッドマナー賞」を真剣に取りに行ったこともある。
●第二、第三の本田圭佑を育てるために
・河崎監督はチームを固定化するより、可能性のある選手に出場のチャンスを積極的に与える。
・試合中にオーバーコーチングせず、追い込まれた状況でもじっと黙って戦況を見守っているのは、ギリギリの局面こそメンタルを鍛える絶好の機会だからである。選手の逞しさや忍耐強さは、河崎監督の辛抱強い意識づけの成果であると考えられる。
・強いメンタリティを養うために、頻繁にミーティングを開いている。これは選手同士で考えさせることが、苦境を打開する力になると考えているためである。
・『本田の頃は子どもたちが自分たちで話し合いをしていたが、今の子は意見をぶつけ合うことを嫌う傾向が強い。それを改善するために、河崎監督は練習後にたびたび場を設けて、「お前らで考えろ」とよく言っているという。こうした試みの一つひとつが、30年近く夢に見続けてきた。“全国の頂点”へとつながるに違いない。』
画像出展:「高校サッカー監督術」
第5章 公立高校から世界への挑戦 “長所をひたすら伸ばす”
熊本 大津高校 サッカー部監督 平岡和徳
●奇跡は起きるんだ。俺についてこい!
・赴任した熊本商業高校は全校生徒1500人中、男子は250人。サッカー部は12、13人。グラウンド確保と校内スカウトから始めた。指揮官の姿を見て、選手たちも本気になっていった。そして翌年には部員が30人なり、3年目にはA、B2チーム作れるようになった。その後、有望な選手が入学し4年目には高校総体県大会で29年ぶりの優勝を勝ち取った。さらに、「平岡のところに預ければ選手が変化する」と評判になり、チームの強化は進んだ。
●0から1を創ることの楽しさ、大津での再出発
・大津高校では熊本商業高校とのは校風が違っていたため、朝練を始める一方、「午後錬は100分」として集中して練習した。一方、選手には「セルフマネージメント」を強く要求した。
・チーム方針に従わない我儘な選手は、テクニックがあっても実績があってもレギュラーから外した。
・愛情を持って厳しくしてきたが、それに反応する選手は伸びた。ブラジルには「水をやりすぎた木は枯れる」という格言があるように、過保護は子どもの成長を妨げる。
●九州はひとつ~人と地域の結びつきの重要性~
・鹿児島実業の松澤隆司前総監督が次々と代表選手を送り出してきたのは、伸びる選手を見極め、ストロングポイントを研ぎ澄ますことに長けていたからであろう。
●“あきらめない”という才能を持った男・巻誠一郎
・巻誠一郎のように遅咲きの選手は必ずいるので、指導者はその事を改めて認識すべきである。
●“大津スタイル”の確立へ
・スカウティングでクレームがついたため、「練習へのフリー参加」を考えた。中学生でもクラブチームでもOK.。用意している大津のウエアを着て、大津の部員といっしょにすべてのメニューをこなす。
・朝錬は週末の試合の反省点をチェックする。午後の100分の全体練習後は、短時間のシュート練習やウェイトトレーニングなどを行う。シャワーを浴びて19時には帰宅する。そんな習慣を見につけ、24時間を自分でデザインできるようにする。
・「課題発見能力」「自主性」「24時間のデザイン力」の3つを身につければ、どこへ行っても、どんな仕事に就いても活躍できると考えている。
・「ここで生きる力を培い、お互い助け合えるような関係を構築してほしいです。」
・特定の保護者との飲食は一切しない。お中元やお歳暮も受け取らない。これは、指導者は何事もガラス張りでなければならないと思うためである。
●いまだ果たせぬ夢、全国制覇へ
・『勝つためには常にゴールを狙い続けないとダメだし、団結力も不可欠。あきらめない才能を磨くことも重要です。巻のアグレッシブさを学んで苦しいときにこそ声を出さないといけない。一事が万事で、細部にまでこだわりを持つことが勝利の女神を引き寄せる。こうしたコンセプトを11項目作成し、選手たちに配って意識高揚を促しています。』
画像出展:「高校サッカー監督術」
第6章 サッカーでつなぐ地域の絆 東北の背負ったハンディキャップ
岩手 盛岡商業高校 サッカー部総監督 齋藤重信
●東北人のメンタリティと全国ベスト8の壁
・「見る人、やる人、教える人にとって面白いサッカー」が究極の理想。
・全国大会ベスト8の壁を破れなかったのは、「自分たちは後進地域からやってきた」という弱気なメンタリティが原因だった。そのことに気づいたのはだいぶ後になってからだった。
●病との闘い、日本一の先に見えたもの
・人というのは人のためにと思うとすごい力がでる。
・努力を怠らず、粘って粘ってガムシャラに前へ進み続けられたら、それなりの成果が得られる。その重要性を学ぶ最高の場所が高校サッカーである。
画像出展:「高校サッカー監督術」
第7章 名将はカメレオン ピッチ上で求められる自立心
千葉 流経大柏高校 サッカー部監督 本田裕一郎
●3・11 東日本大震災を経て
・休みの重要性、長期オフの必要性を感じた。
●サッカーで闘える選手を育てるために
・ゴールに対する執着心が海外コーチと日本コーチの大きな差である。海外のコーチはシュート練習においてさえ、ゴールを外すことに失望する。その点を取ること対する思いの強さの違いは日本人コ―チとは比較にならない程大きい。
●自立心の高い選手を育成するために
・どんな修羅場に立たされても、平静さを保てる強靭なメンタリティを養なう必要がある。そのためには「人間力」を高める必要がある。そのために、毎週月曜日のミーティングや寮の点呼では、3分間スピーチ、小論文の執筆などを日常的に行っている。それは、「選手たちが自ら率先して物事を判断できる自主性、自立心を見につけてほしい」と願うからである。
・上級生には下級生に任せる雑用も、「何事も自分たちが先頭に立ってやらないといけない」というリーダーの自覚を持たせる。チーム内の全員に美化委員や規律委員などの役職を与えて責任体制を明確化するといったことも最近の取り組みの一例である。常に新たなヒントを追い求め、すぐに実戦の場に取り入れる。
本書に登場される監督は、いずれも強烈な個性とずば抜けた指導力で選手を牽引されています。そして、選手は勝利を目指し、監督の教えと自ら考える力を磨いて、人間的にも日々成長していることは間違いないと思います。
この傑出した監督の中から、大瀧監督をブログで取り上げさせて頂いたのは、大瀧監督が監督以上に先生、教師の印象が強かったためです。
高円宮杯JFAU-18サッカーのトップリーグである“プレミアリーグ”は東日本と西日本に分かれ、各12チーム、計24チームが参加しています。2023年は高校生チームが13チームとJリーグユースのチーム数を上回っています。東西のプレミアリーグの優勝チームが覇権を争う最後の試合を制したのは、青森山田高校でした。
プロ選手になりたい才能豊かな中学生の多くはJリーグユースチームに憧れます。そのため、高校でサッカーを続ける選手は技術、実績面でやや劣っているというのが一般的な認識です。また、Jリーグユースチームの方針は勝利が最大の目標ではないのかもしれません。しかしながら、ワールドカップの日本代表選手の活躍をみると、2018年のロシア大会でも2022年のカタール大会でも、高校サッカー、大学サッカーを経験している選手はJリーグユース生え抜きの選手より記憶に残ってます。
「これは何を意味しているのか?」、これはやはり“人間力”ではないかと思います(人間としての成長とサッカーの成長は関係しているという意味です)。日本ほど裕福でない国の子供たちの中には“ハングリー精神”が見られます。“人間力”と“ハングリー精神”は異質のものだと思います。しかし、苦しい練習に耐え、勝利を目指し、チームメートからの信頼を獲得し、自分の目標を達成しようとする強い目的意識、自らを奮い立たせる強い意志という観点からは重なる部分もあると思います。
残念な結果に終わった我が母校にとって、人間的な成長が後押しするだろう。「人間力をあげるにはどうしたら良いのだろうか?」この疑問を大瀧先生から学びたい。これが今回のブログの主題になります。
著者:青柳 愛、笠井さやか
発行:2015年12月
出版:東洋館
目次
はじめに
第1章 暁星高校 林義規
第2章 市立船橋高校 朝岡隆蔵
第3章 富山第一高校 大塚一朗
第4章 京都橘高校 米澤一成
第5章 清水桜ケ丘高校 大瀧雅良
第5章 清水桜ケ丘高校 大瀧雅良
『厳しかろうが、子供たちを一人前の男にするためにやるべきことがある。』
1951年9月15日、静岡県生まれ
・風間八宏、藤田俊哉、名波浩、川口能活、小野伸二、この顔ぶれただけで、大瀧監督がどんな監督なのか興味がわきます。そして、こうした卒業生たちの口から出る言葉は、「サッカー云々というよりも人としての生き方、考え方を教えてもらった」ということです。これは冒頭の大瀧監督の教育者を象徴する言葉に直結します。
高校サッカーの歴史を牽引されてきた監督達は、信じがたいほどの情熱と揺るぎない勝利への追及、そしてそれが生徒の自立心を高め、最高の教育の場となること。サッカーを通じて学んだことは人間としての成長を後押しするだけでなく、仲間との絆を高め、生涯に渡るかけがえのない友を得ることができるということを語っています。
大瀧監督も、もちろん同様なものをお持ちなのですが、他の偉大な監督と異なる印象を受けるのは、監督以上に先生、教育者の側面の部分のように思います。このことが、大瀧監督というより大瀧先生を知ることが、高校サッカーの神髄に触れることできるのではないかと思った理由です。
大瀧先生の言葉の深みは、戦後の荒波に揉まれギリギリの中で生き抜いてきた人だからこそ、生まれるものだと思います。「サッカーを通して考え抜くこと」を伝えてきたという言葉は、とても短いですが、とても重いものだと思います。
『理屈はいらない。いいものはいい』
・日本人は理屈が先で行動が後になってしまっている。
『己のことは己で守る』
・大瀧先生の根底にあるサッカー観は“生きる力”である。自分のことは自分で守れるかということである。守備を大切にする気持ちは必然である。このことは先生自身が戦後の日本を必死に生き抜いてこられた自負があるからだろう。
・プロ化により部活からクラブに軸足が変わる中、サッカーしか教わらない子供はサッカーでも伸び悩む傾向がある。これは大瀧先生が2000年(Jリーグ発足は1993年5月)頃から感じていたことである。
『男としてどうやって生きていくかを姿勢で見せていく』
・すべての人はそれぞれの歴史を背負って生きている。何と言われようが子供たちに、男として「お前はどうやって生きるんだ」ということを伝えたい。そして、信念をもった男になってもらいたい。
『誰かがケツを押してやらないといけない』
・教師の道を選んだのは、高校の時の教師との出会いだった。その先生は貧しさの中で、ボタ山に行って石炭を拾い集め、そのお金を学費にして静岡大学に入って教師となった。話が苦手と思っていた先生は人一倍勉強された。相手を納得させてしまう、その先生の文章の素晴らしさに感動し、教師になりたいと思うようになった。
・人は壁にぶつかった時、乗り越えるためのきっかけや言葉を求めている。大事なことは真実を見逃さないことである。それは何か、子供たちを一人前の男にするためにやるべきことがあるって考えてやってきた。
『「気を遣えるやつ」は成長する』
・性格は千差万別だが、チームの中でどうすべきかということを考えている子。負けず嫌いで諦めない粘っこさを持っている子は成長する。
『一生懸命生きているやつを応援する』
・大瀧先生の周りには戦争を体験した先生が数多くいた。その先生達から「一生懸命生きろよ」と言われ、その重みのある言葉を受けとめ、一生懸命に生きるしかないと思ってきた。だから、毎日の戦いの中で自分を少しでも高めようと頑張っているやつを見ると、なんとか手助けしたいと思う。
・特攻隊は大卒のエリートである。彼らの多くは家族を思い、自分の仲間を思い行動した。特攻隊を美化することは問題かもしれないが、そこには否定できない大切にすべきものがあると思う。
『しのぎを削って真っすぐにやるだけ』
・静岡学園の井田さんと静岡でしのぎを削ってやってこられたことを誇りに思う。静岡で勝ち残れるは1校だけ。あとは全て敗者である。その価値観は井田さんもいっしょ。だからお互いに指導者としてリスペクトしてきた。
『人生を背負って後悔をしないで生きてほしい』
・本当は養子に出される運命だった。家族4人の暮らしは貧乏のどん底にあった。今になって思うことに、ここだけは貫いて生きたよなっていうものが欲しいと思う。自分にとってそれはサッカーだった。自分の教え子にも、貫いて生きるということを考えてほしいと思っている。
・人は自分一人では限界がある。大瀧先生は人間の性をよくよく理解されている。だからこそ、ここぞというときに人間の限界を超える可能性を引き出させることができる。
・大瀧先生がサッカーを通して最も大事にしてきたものが「生き方」である。
・圧倒的な当事者意識をもつことで、我々はそれぞれの役割を全うできる。その意識をもった者だけが日本サッカー界の未来を動かすことができる。この大瀧先生の考えは教え子たちに伝わっており、そしてしっかりと受け継がれている。
・目に見えないが最も大事なものであることを、私たちに気付かせてくれる。大瀧先生はそんな存在である。
大瀧先生の章の最後は、ご息女である大瀧由希乃さんのお話しです。ここには書かれているのは深い家族愛だと思うのですが、もう一歩考えを進めてみると、大瀧先生は、年齢、性別、生い立ちなどに一切かかわりなく、相対している個人を純粋にリスペクトし、その人のために何ができるか、何をすべきか、何を大切にしたら良いのかなどを考え抜き、一番の選択肢を見つけ、それを正直に発信しているのではないかと思いました。もちろん、その土俵となっているのがサッカーというスポーツの場ということなんだと思います。
以下にご紹介させて頂いたのは由希乃さんの目に映る大瀧先生です。大瀧先生の姿を知ることができる心動かされる文章です。
『サッカーの話は、昔からよくします。今でもLINEで長文が送られてくることもありますよ。サッカー論とかを熱く話しますね。実家に帰って食卓を囲んでいるときもサッカーの話ばかりです。
ほとんど家にいなかったんですよ。サッカー漬けでしたから。夏休みももちろんなくて家族でどこかへ行くこともほとんどなかったです。だからこそですけどね、毎日の決まり事はありました。例えば、ご飯は一緒に食べるとか。朝ご飯は午前5時、6時と、早くても二度寝してもいいから一緒に食べましょうなどと決まっていました。
それから、どこか遠くへ出かけることはほとんどなかったのですが夜、父が学校から帰ってくるとドライブに出かけるんです。清水に住んでいたので、富士宮とかに30分とか1時間かけて行くんです。何も見えないんですけど、家族揃ってドライブに出かけていました。コースはいつも決まっていましたから、だらだらと運転するんですよね。その間、今日一日何があったとか、サッカーの話しとかするんですよ。家族間のコミュニケーションの取り方の一つでしたね。姉と私は小さかったから、後ろの席で寝ることも多かったですけど、父と母がこういうことがあったんだよねって話しているのを聞いていて、ああそういう人になると褒められるんだな、こういうことをやったら親は困るんだなとか、父親に怒られるんだなって察するんですよ(笑)。
今振り返ると、サッカー部での出来事を通して、私たちに大事なことを教えてくれていたのかなって思いますね。基本的には考えさせること、考えること、自分で答えを出すことが大事だって言っていました。父親の答えも私は聞くことはできますが、でもそれは答えではなくて、私が実際にどう考えてどう表現できるかが一番大切なんです。父は私の考えに対して「なんで?」「なんで?」「なんで?」って絶対に聞くんですよ』
『由希乃さんは最後に、「父には感謝すること、努力することは忘れるなよとよく言われるんですが・・・」と言って携帯画像に保存した父からの手紙2枚を見せてくれた。社会人になってはじめて一人暮らしを始めたときに送られたときのものだという。そこには、娘を思う父・大瀧の愛情が溢れていた。
「前略 紅葉から落葉の季節になってきました。お仕事大事とはいえ管理が大事ですぞ。心と体が元気なら、何事も出来る。馬鹿でも一つのことに打ち込めば・・・」「努力に勝る才能なし 足らざると知るは成長の第一歩 ぼちぼちですね」
手紙の内容を見せてくれたあと、由希乃さんはこう続けた。
「成長したと思うともう成長はない。常に頑張っているその努力が才能なんだよって。才能があるからできるんじゃなくって、努力し続けることが才能の一つなんだって。だから、父もきっとまだまだ足りないって思いながら監督業を続けているんだと思います。この言葉を見ると、まだまだだって、今日も頑張ろうって前向きに思えるんです」。』
嬉しいニュース
昨年は厳しい結果となった、我が母校の浦和西高サッカー部ですが、新シーズンの初公式戦である「高等学校サッカー新人大会南部支部予選」は、シード校を除く43校によるトーナメント戦で行われ、西高が6年ぶり(多分)に優勝しました!
これにより、新人戦県大会および関東大会予選会の出場も決まりました。
※2024年2月3日(土)
※さいたま市与野八王子サッカーグラウンド
6章 イノベーションを創出するフレームワーク
1.オープンイノベーションが進展する背景
●厳しい風土が育んだ異業種連携
・デンマークのオープンイノベーションは、文化風土、産業の歴史と密接に関係している。
・天然資源が乏しく、人口の少ない国であり、厳しい自然の中で暮らすために人々は必然的にお互いに協力しあうという文化を育んできた。酪農を営むためは関係者が協同することが不可欠であったし、家具や建築の世界も連携する必要があった。
●複雑化する社会に対応できないシステムの更新
・デジタル化によって各分野の個別システムがつながり、複数の分野を同時に考慮した最適化が行われないと、暮らしやすい都市はつくれないが、現実には行政組織は部門ごとに縦割り組織になっているので、柔軟に対応することができない。
・現代は19世紀につくられた法制度に基づく社会システムの上で、20世紀のビジネスモデルを展開し、そこに21世紀の技術を使おうとしている状況になっているので、さまざまな矛盾が現われている。こうした、時代遅れの社会システムを現在に合う形に再構築するには、異なるセクターの知見を組み合わせたオープンイノベーションが欠かせない。
2.トリプルヘリックス(次世代型産官学連携)
・デンマークではPPP(公民連携:Public Private Partnership)によるスマートシティ・プロジェクトの推進やイノベーションの創出で民間のノウハウを取り入れている。
・コペンハーゲン市はPPPを推し進めるために2009年、コペンハーゲン投資局、広域コペンハーゲン、ジーランド地域が連携して「コペンハーゲン環境技術クラスター」を設立した。このコペンハーゲン環境技術クラスターが特に力を入れていたのが、「トリプルヘリックス(Triple Helix、デンマーク型産官学連携)」である。
・デンマークのトリプルヘリックスは、公的機関、民間企業、研究機関がダイナミックに連携してプロジェクトを進める。日本では各機関からの出向となるが、デンマークでは、このクラスターの正規雇用者となる。
・クラスターの運営責任者はプロジェクトの企画書を作成し、国や自治体、民間企業から出資を募り、プロジェクトを実行する。運営責任者は自身の給与もプロジェクトを通じて捻出しなければならないので、必然的に企画力、関係者を巻き込むコミュニケーション力や交渉力に長けている人材が雇用される。
・クラスターに腰掛けでいる人はいない。それぞれの職務責任も明確なので、結果を出すことに真剣になる。
・このトリプルヘリックスの成功事例としては、コペンハーゲン市やオーフス市のスマートシティ・プロジェクト、オーデンセ市のロボット・プロジェクトなどが挙げられる。
3.IPD(知的公共需要)
・IPDはPPPを高度化した手法である。特に複雑で革新的な要素を取り入れた公共プロジェクトを計画・実証し、大規模なインフラソリューションを調達・導入する際に有効であるとされている。
4.社会課題を解決するイノベーションラボ
●マインドラボ
・「マインドラボ」はデンマークのフューチャーセンター(世界中で展開され、イノベーションを創出する手法として一般化されている)であり、2002年、経済商務省のインキュベーション組織として立ち上げられ、最後は産業・ビジネス・財務省、雇用省、教育省と3省庁の管轄になった。
・マインドラボは、省庁横断的に社会問題を解決するための政策を設定し、ソリューションを開発、それらを社会実装することを目的に設立された。加えて国と自治体を結びつけ、さまざまな利害関係を統合する横断的なプラットフォームとしての機能を持つ。
・マインドラボは2018年に閉鎖され、よりデジタルに特化した組織の「破壊的タスクフォース:Disruption Taskforce」に引き継がれた。
●ブロックスハブ
・「ブロックスハブ」は多様な企業や研究者がより良い都市づくりのソリューションを創出するためのイノベーション・ハブである。
・2016年に建築や都市プロジェクトを支援する民間組織「リアルダニア」、コペンハーゲン市、政府の産業・ビジネス・財務省により設立され、2018年から運用を開始した。
・ブロックスハブは未来のスマートシティ・ソリューションの戦略拠点であり、多国籍企業にとってデンマークや北欧市場へのゲートウェイとして位置づけられている。
・世界中に似たような組織やイノベーションセンターはあるが、異分野横断的な連携を実現できている組織はまだないというのがブロックスハブ幹部の見解(2018年9月)である。それをコペンハーゲンでつくりあげて世界に還元していこうというのがブロックスハブの狙いである。
※ご参考:“BLOXHUB”
5.イノベーションにおけるデザインの戦略的利用
●ユーザー・ドリブン・イノベーション
・デンマークでは2010年前後からイノベーションに注力した取り組みを強化しているが、多くは技術主導型のイノベーション議論が中心であった。一方、利用者をイノベーション・プロセスに巻き込むべきとの認識が高まり、デンマークでは伝統的に人間中心の考え方が浸透していたこともあり、その考え方を体系的にまとめ方法論として組み立てられたのが、「ユーザー・ドリブン・イノベーション」である。ただし、これはデンマーク固有のものではなく、フィンランドやスウェーデンなど他の北欧諸国でも取り組まれている。
●デザイン・ドリブン・イノベーション
・ユーザー・ドリブン・イノベーションはユーザー自身が経験していないもの、認知していないものには対応できないという限界がある。そこで出てきたのが、デザイン・ドリブン・イノベーションである。
・アップルウォッチなどのウェラブル製品もデザイン・ドリブン・イノベーションで新たな価値を創出している。
●データ・ドリブン・イノベーション
・デザイン・ドリブン・イノベーションと並行する形で取り組まれているが、「データ・ドリブン・イノベーション」である。デンマークにはオープンデータの形でビッグデータが豊富にあり、それを利用できる環境にあるので、データを有効活用してイノベーションを創出するという取り組みである。
・日本とは異なり、デンマークのビッグデータは、業種や組織を横断したオープンデータである。
●デザインドリブン・イノベーションから新たな展開へ
・デンマークは人工知能や量子コンピュータでも世界トップクラスの研究を行っている。人工知能についてはXAIと言われる説明可能な人工知能を、社会インフラに導入し、さらに先進的かつ高度化したデンマークシステムを構築するべく、実証実験を進めている。また、量子論の育ての親とされる、理論物理学者ニールス・ボーアが設立したニールス・ボーア研究所では量子コンピュータの研究開発が行われている。
こうした動きを反映して、デンマークでも従来のデザイン・アプローチでは社会システムの変革を導くことは難しくなりつつあると認識しているデザイナーは、デザインを軸に、ビッグデータ+科学+ビジネスモデル+政府&市民を融和した総合的な価値体系の確立を模索している。
画像出展:「デンマークのスマートシティ」
6.社会システムを変えるデザイン
・デザインの戦略的利用の他に、社会システムを変える「ソーシャルデザイン」の取り組みがある。その誘因はデジタル化とIoTなど技術の進展と複雑に絡みあう課題である。
・デンマークは2018年に世界電子政府進捗度ランキングで1位になった。その評価項目の中で行政管理の最適化、オンライン・サービス、ホームページの利便性、オープンデータ活用で1位になっているが、これらの高評価の背景には、ソーシャルデザインが行政部門に浸透していることが関係している。
・ソーシャルデザインが重視されているのは、都市の中で相反する課題を同時に解決しなければならず、社会システムから生みだされた課題は、社会システム自身を変えない限り解決することは難しいからである。なお、相反する課題とは、高齢化対応と質の高い社会福祉サービス、都市化と移民問題、スマートシティの推進とグリーン成長の実現、移民に対する人道的な対応とナショナリズムへの対策などであり、いずれも非常に難しい舵取りに直面している。
・社会システムの設計に必要な要素は次の4つである。
1)成果への集中:公共サービスを社会に実装し、具体的な成果を見える形で提示すること。
2)システム思考:問題と利害関係者の相互関係を把握し、複雑化する社会課題を横断的に俯瞰しながら管理できる能力。
3)市民の参加:単発の市民参加イベントではなく、市民生活の深い洞察を通じて、供給者である行政の目線と需要者である市民の目線の調和を図ること。
4)プロトタイプ:少ないコスト・資源で高い価値をもたらすために、素早い実証と可能性のあるアイデアの改善。
・デンマークでは、ある意味これを実現するために、「マインドラボ」で実験が行われ、「IPD(知的公共需要)」の体系が試され、そして「ブロックスハブ」の取り組みが始まったと言えるかもしれない。そのフレームワークはまだ確立されていないが、デンマークの取り組みを見ているとかなりノウハウと知見が蓄積されていると思われる。
・最近では、「デンマーク・デザインセンター(DDC)」が公的セクターにデザイン手法を取り入れたイノベーションの実現とそれによる新たな社会システムの実現を目指している。元マインドラボの幹部で、DDCのCEOに就任したクリスチャン・ベイソンは、これを「パブリックデザイン」と呼んでいる。
・DDCが強調していることは、リーダーシップの重要性である。人間中心でイノベーションを実現するソーシャルデザインを推進するためにも、公共の利益に基づくリーダーシップがなければ適切な組織をつくることはできないし、組織をまとめあげることもできない。これらを実現するために、2019年から行政や企業の幹部を対象にしたソーシャルデザインのリーダーシッププログラムがある。
画像出展:「デンマークのスマートシティ」
7章 デンマーク×日本でつくる新しい社会システム
1.日本から学んでいたデンマーク
●なぜ、デンマーク・デザインは愛されるのか
・デンマークの企業は従来の「意匠としてのデザイン」から、開発段階で異なる要素を統合する「プロセスとしてのデザイン」を追求するようになり、ここ数年はデザインがビジネスモデルで重要な戦略要素の一つになってきている。政府は、さまざまな社会課題を分野・組織横断的に解決する手段として、デザインの戦略的利用を推進している。
・デンマーク・デザイン協議会が定めたデンマーク・デザインのDNAは10の価値で構成されている。
※ご参考:“DANISH DESIGN DNA"
※ご参考:“DANISH DESIGN DNA RESOURCES"
画像出展:「デンマークのスマートシティ」
●日本からの影響
・デンマーク・デザインは1880年代に日本の工芸品や美術品の技術、特徴、職人技を学習し、一度その技法を真似た上で、そこに北欧独自の表現を加えて新しい体系をつくりだしたという経緯がある。これは現代のイノベーション・プロセスとまったく同じである。
・2017年の日本デンマーク外交関係樹立150周年を記念して、2015年から2018年1月までコペンハーゲンのデンマーク・デザインミュージアムにて「Learning from Japan展」が開催された。
・禅の影響も大きいとされている。簡素で装飾のない室内、そこに流れる静謐で調和した空間、枯山水の考え方が、デンマークで花壇などが減少する要因になったとされている。
2.デンマークと連携する日本の自治体
●なぜ、日本の自治体はデンマークに注目するのか
・日本では2014年に「まち・ひと・しごと創生法」(地方創生法)施行後、雇用創出、新産業の育成を行うべく取り組んではいるが地元ならではの特徴を活かしたプロジェクトを生みだせていない状況がある。こうした日本の自治体がデンマークに注目するのは、スマートシティの分野で世界的に高い評価を得ていること、意外にも観光、農業だけではなく、ICT、ロボット、ライフサイエンス分野においても発展し、そして洗練された社会保障制度に基づく高齢者福祉が充実していること、日本の自治体と同程度の面積、人口でそれらを実現している点にある。
3.北欧型システムをローカライズする
●フレームワークの輸入で起こるギャップ
・日本での顕著な失敗例は、海外で開発されたフレームワークを日本語化してそのまま利用する方法である。他国の異なる理念、制度、システムを導入しても日本の現状とのギャップの大きさにより破綻してしまう。
画像出展:「デンマークのスマートシティ」
4.新たな社会システムの構築
●量子コンピュータ×人工知能がつくる未来への準備
・既に膨大なビッグデータは様々な可能性を有している。エクサスケールのスーパーコンピュータは、仮説の立案と検証サイクルを無限に回すことが可能である。これにより、医療、健康、エネルギーなどの問題解決に必要なソリューションを現場で実証せずとも開発することができるようになる。
・デンマークでは2017年に「技術大使」というポジションを創設し、デンマーク、シリコンバレー、北京に拠点を開き、先端技術の動向と社会に与える影響を分析する体制を整えている。ビッグデータ、人工知能、ブロックチェーン、量子コンピュータの開発を踏まえて人間中心型社会をサイバー攻撃から守り、新しいサイバー社会における人権の確立、新技術の倫理規定、さらにはサイバー空間における差別や格差の排除、そしてデジタル課税にも踏み込んだ研究と議論を進めている。
・デンマークは数十年先の社会を見据えて国家ビジョンを定め、小国が国際社会の中で持続的に存在しリーダーシップを発揮する戦略を構築していることを想定すると、このデンマークが考えている30年後の近未来に対する準備は、かなり現実的なアクションである。
感想
デンマークの面積と人口は北海道のおよそ半分。人口密度は北海道の約2倍です。一方、「2023年の世界経済競争力ランキング」の第1位はデンマーク。日本は35位でした。
この差は何か、本書内のデンマークに接すると、次のようなことではないかと思います。
一つは、自国を大切に思っている人、国の将来を真剣に考えている人の割合が、デンマークは日本より圧倒的に多いからだと思います。ここには、納得するまでは決して妥協しないというデンマークの人達の信念を感じます。なお、これは選挙の投票率からも推測できます。
※ご参考:“平均投票率86%、デンマークの若者は呼びかけなくても選挙に行く。「幸福の国」成り立たせる“小さな民主主義”
そして、二つ目はリーダーシップです。“改善”は現場、ボトムアップでも十分に進みますが、“改革”は「ヒト・モノ・カネ」を考えることができる立場と実力を兼ね備えた人がリーダーにならないと、ダイナミックな推進は困難です。プロジェクトは迷走します。これが“改善”はできてても“改革”は進まず、35位にまで下がってしまった日本が抱える大きな課題ではないかと思います。なお、このリーダーシップの問題には過剰な忖度など、オープンとは言い難い日本特有の閉鎖性や年功序列的発想が障壁になっているケースも多いように思います。
※ご参考:“リスクよりも責任を恐れる日本人:正しい失敗を許容する社会へ”
※ご参考:“人はなぜ失敗を恐れるのか。失敗の正体と正しい生かし方”
5章 デンマークのスマートシティ
1.デンマークのスマートシティの特徴
●デンマークと日本のスマートシティの比較
・国土交通省のスマートシティモデル事業の公募(2018年)や内閣府が国家戦略特区制度(2020年)を活用して2030年頃にスーパーシティを実現するという構想がある。これらは2010年から2015年頃にかけて、各地で展示会が開催され、実証プロジェクトが行われ、その後、ほとんどその言葉は聞かれなくなっていたものである。
・アメリカ、カナダでは大規模なスマートシティ・プロジェクトが継承されている。
・欧州ではスペインで「スマートシティエキスポ世界会議」が毎年開催されている。
※ご参考:“拡大する「スマートシティ」投資、カナダとアメリカで顕著”
※ご参考:“都市間協力で脱炭素・持続可能な未来へ”
※ご参考:“スマートシティEXPO世界会議”
・デンマークと日本の比較で大きく異なるのは2つある。一つはデンマークのスマートシティは定義が広いこと。もう一つはスマートシティをつくることが目的ではなく、都市の課題を解決するための技術やソリューションを開発し、それらを都市に導入することにより課題を解決することが真の目的となる。それにより、出来上がった新しい都市をスマートシティと呼ぶ。
・日本のスマートシティの議論は、スマートグリッドやBEMS(ビルエネルギー管理システム)などのエネルギー・ソリューションに関係するインフラ整備が中心で、都市のインフラ技術を開発して産業を促進させるのが主目的である。
・デンマークでは都市計画、エネルギー政策、環境政策に加えて市民サービスが相互に関連して議論される。スマートシティ構想は必然的に大きなものとなる。持続的な廃棄物管理、交通などのモビリティ、水管理、ビル管理、暖房と冷房、エネルギー、ビッグデータなど、包括的なアプローチとなる。
・デンマークでは住民が優先される「人間中心」であるが、日本は「産業中心」である。その参加者は地方自治体、電力会社、IT企業、ゼネコン、ハウスメーカーなどが参加する。デンマークでもこれらの団体は参加するが、これらに加え、大学などの研究機関、建築家、デザイナー、文化人類学者、そして市民がメンバーに加わって進められる。
・『あるデンマークの自治関係者に、どうしてデザイナーや文化人類学者が参加しているのか聞いたところ、彼は「都市は、行政、企業だけでなく、芸術家、音楽家、市民などが活動する場だ、産業だけでなく、こうした多様な人たちの視点を取り入れることが、豊かな都市をつくるために必要だから」と言っていた。』
画像出展:「デンマークのスマートシティ」
●デンマークのスマートシティのビジョン
・「スマートシティは住みやすさと持続可能性、そして繁栄の実現を目的として、革新的なエコシステムに市民の参加を可能とするしくみを構築し、デジタルソリューションを活用する社会である。大切なことは、新しい技術と新しいガバナンスが、ソリューションそのものよりも、市民にとって福祉と持続的な成長の手段になるということである。」
この定義で参考になるのは、エコシステムもソリューションも手段であって目的ではなく、目的は市民にとっての福祉、そして持続的成長を明確にしている点である。以下がスマートシティのフレームワークである。
画像出展:「デンマークのスマートシティ」
・ビジョン、目的は「住みやすい都市をつくり、持続可能性と成長を実現する」こと。
・住みやすさを実現する要素であるグリーン項目は6つ、“廃棄物”、“モビリティ”、“水”、“ビルディング”、“冷暖房”、“エネルギー”。
・グリーン項目を実現するための基盤(デジタルソリューション)が、“Date Platform”、“Big Data”、“IoT”、“Security & privacy”である。
・このスマートシティを実現させるためには、必要なシステムやソリューションを開発する必要がある。これを担うのが横断的に機能する“リビングラボ”である。そして、海外都市との連携による経験とノウハウを共有するパートナーシップを構築することを挙げている。
・リビングラボは市民が参加するオープンイノベーションの場であり、新たな技術やサービス開発の過程で行政、企業、市民が共創して主体的に関わりながら課題解決の道筋を探るための活動拠点のことである。国際的に協業しながらこれらの技術を組み込んだ包括的かつ人間中心のフレームワークを構築することに注力している。なぜなら、デジタル化で統合された社会では、一つのソリューションがITシステム、ヘルスケア、セキュリティなど複数の問題を同時に解決する可能性がある一方で、複雑な問題は官民が連携して制度面、技術面、ノウハウ面で組織横断的かつ組織の枠組みを越えた協業が必要となる。
●ビッグデータの活用
・デンマークでは2013年から電力セクターが系統データを収集しており、また、2020年までにすべての世帯でスマートメーターの設置が義務づけられているので、今後は電力だけでなく、水、暖房などのインフラ系データが収集され、最終的にはそれらのデータをサービス向上という価値に変え国民に提供される。
2.コペンハーゲンのスマートシティ
・コペンハーゲン市は人口約61万人(2018年)、日本だと千葉県船橋市とほぼ同じ規模である。1990年中頃以降急速に開発が進んでいる。
●CPH2025気候プラン
・コペンハーゲン市のスマートシティは、2012年に策定されたエネルギー計画「コペンハーゲン2025気候プラン」と密接に結びつている。
・カーボンニュートラルな都市をつくるためには、エネルギー計画だけで達成することは不可能で、交通システム、廃棄物管理、冷暖房システムなど、都市を構成する多様な要素を横断的に解決する必要がある。CPH2025気候プランにはスマートシティに関係するエネルギー消費、エネルギー生産、交通(モビリティ)が含まれている。
・市民はエネルギー消費の削減、電気や熱の燃料費の削減を実践するだけでなく、自宅で使用するエネルギーをグリーン対応にすることで、将来エネルギー価格が上昇した場合でもそのインパクトを最小限にすることができる。そして健康で快適な暮らしを送れることを理解している。
・市民1人1人の行動の積み重ねこそがカーボンニュートラルを達成できる原動力であることを、このプランに関わる人が共有している。
●グリーン成長
・デンマークでは「グリーン成長」という言葉がよく使われる。コペンハーゲンでもグリーン成長をCPH2025気候プランの中心に据えており、カーボンニュートラルとグリーン成長を同時に実現することが重要だとしている。日本では環境問題と産業政策は別次元で扱われることが多いが、デンマークではエネルギーと環境問題を解決しながら、その結果として産業を含めた地域の経済的発展を実現するアプローチをとる。
※ご参考:“コペンハーゲンのプランがすごかった!:気候プランとスマートシティ戦略”
※ご参考:“サステナブルな都市計画の例 コペンハーゲン”(pdf28枚)
画像出展:「デンマークのスマートシティ」
●CPH2025気候プランに挙げられたスマートシティに関するソリューション
①デジタル・インフラストラクチャー
-エネルギー消費のモニタリング(特に建物のエネルギー消費の管理)を行う。
-アクセス可能なオープンなデジタル・インフラストラクチャーを構築する。
-市内の建物のエネルギーと水の消費量をリモートメーターで管理する。
②エネルギーの柔軟な消費とスマートグリッド
-スマートグリッドは複数の再生可能エネルギーの需給調整をフレキシブルに調整する。また、市民、企業、市は再生可能エネルギーを選択して利用することができる。
③スマートビル
-IT技術により、エネルギー効率、柔軟性とエネルギー管理を行う。
④スマートCPH
-コペンハーゲンのCPHと水素のH₂を掛け合わせた水素プロジェクト、風力発電の余剰電力で生産された水素を、交通のエネルギー問題解決のソリューションと考えている。
⑤クルーズ船へのオンショア電気の供給
-クルーズ船はドック係留中にエンジンで発電し電気を供給しているが、陸上で発電したオンショア電気を供給することで環境問題を解決する。これは局所的な小さな問題だが、このような領域にも焦点をあてて取り組んでいる。
●最先端の地域熱供給
・地域熱供給は、「CPH2025気候プラン」を達成するための重要なエネルギーシステムである。熱導管を通じて、地域の住宅・施設に熱を送り、暖房・給湯に利用するシステムである。
・デンマークで地域熱供給システムが普及したのは、政府による普及のためのコミットメントと規制プロセスなど具体的な政策の効果が挙げられる。また、洋上風力発電の拡大で、余剰電力が問題となっているが、熱電併合プラントの畜熱槽に熱として貯蔵することで有効活用することができるようになる。
・最近コペンハーゲンで進められているのが地域冷房である。温暖化の影響でデンマークでも30℃近くなることもある。コペンハーゲンでは、海水を利用した冷却システムを利用している。個別の冷房と比較して二酸化炭素の排出量を70%削減し、総コストの40%削減を実現している。
●DOLL(デンマーク街灯ラボ)と都市照明
・LEDを利用した高度な照明システム
-コペンハーゲンはスマートシティを構築する上でLEDを利用した高度な照明システムに力をいれている。
-街灯柱はセンサーや通信インフラを設置すると、広域に対応したスマートシティインフラになる。
・グリーンエコノミーを推進するゲート21
画像出展:「デンマークのスマートシティ」
-ゲート21(Gate21)はスマートインフラを推進するために、コペンハーゲンの各自治体、企業、研究機関が連携した非営利のパートナー組織であり、まさに産官学連携のプロジェクトである。
-ゲート21のミッションは、リビングラボでテストしたり、現場での実証プロジェクトを通じてエネルギーや資源効率化に関係するソリューションを開発したりすることである。注力するのは次の6領域。
1)建物と都市
2)交通
3)エネルギー
4)循環経済と資源
5)グリーン成長
6)スマートシティ
そして、プロジェクトを通じて、グリーンエコノミーへの移行を促進する事業機会を見出すための、新技術、サービス、プラットフォーム、ツール、プロセス、スキルを開発して支援することを目指している。
・DOLL(デンマーク街灯ラボ)
-DOLLはDenmark Outdoor Lighting Lab)は、“リビングラボ”(市民が参加するオープンイノベーションの場であり、新たな技術やサービス開発の過程で行政、企業、市民が共創して主体的に関わりながら課題解決の道筋を探るための活動拠点)の一つ。スマートシティで新しい技術やソリューションを開発するためのプラットフォームとして、2013年にコペンハーゲン近くアルバーツルンド市に設立された。
-DOLLでは、都市照明に関する世界中の先端技術とソリューションを見ることができる。
-DOLLには世界の照明ベンダーやIT企業が参加しているので、技術や都市照明の各ソリューションの比較検討もできるので、DOLLに行けば多くの課題を解決できる。
-DOLL(リビングラボ:活動拠点)のようなプラットフォームは、デンマークが得意とするもので、少ない予算、人材、資源を有効活用するために特定の場所に必要な資源を集積させて、世界でもトップクラスの技術開発、実証、社会実装を行う手法である。
-DOLLは、DOLLリビングラボ、DOLLクオリティラボ、DOLLバーチャルラボという、3つの研究所から構成されている。
・デジタルインフラ
-実証用にWiFi、LoRa、WAN、Sigfox、UNB、NB—IoT、5Gなどさまざまなワイヤレスネットワークを完備しており、都市のネットワーク環境に合わせたデジタルインフラを選定して実証することができる。
※ご参考:“コペンハーゲン首都圏のスマート都市照明”
●フィンテック
・キャッシュレス化が当たり前の社会
-フィンテック(FinTech)はデンマークでもコペンハーゲンを中心に盛り上がりを見せている。
-フィンテックは米国、シンガポールなどが力を入れており、欧州ではイギリスが国際的なフィンテックセンターとしての役割を担うべく台頭している。
・コペンハーゲンフィンテック
-「コペンハーゲン・フィンテック」の目的は、フィンテックのエコシステムを展開し、グローバルな金融サービス産業で主導的なフィンテックラボを形成すること、そしてデンマークの経済成長につなげることである。
-フィンテックの事業化、既存の金融機関、公的機関そして大学などの研究機関がビジョンを共有し連携するエコシステムを形成している。
※ご参考:“Copenhagen Fintech”
画像出展:「デンマークのスマートシティ」
●スマートシティの実験場、ノーハウン
・2005年、デンマーク政府とコペンハーゲン市はノーハウン地区の再開発で合意した。最終的に4万人が暮らす現代的な居住地区とビジネス地区が共存する、コペンハーゲンの新たなウォーターフロントとなる予定である。
※ご参考:“Cobe Nordhavn”
・ノーハウン(Nordhavn)のビジョン
-ノーハウンのビジョンは、スマートシティのビジョンと同期している。ビジョンは6つに分かれ、地域の持続可能性に加えて、多様性、快適性、人間中心の考え方が組み込まれていく。
①環境に配慮した都市
②活気に満ちた都市
③すべての人のための都市
④水の都市
⑤ダイナミックな都市
⑥グリーン交通の都市
・ノーハウンの開発戦略
-ノーハウンをスマートシティにするための開発戦略は6つのテーマに分かれている。
画像出展:「デンマークのスマートシティ」
①島と運河
-イタリアのヴェネチアをイメージしたスマートシティ。
②アイデンティティと歴史
-ノーハウンの歴史(150年に渡る歴史と100年以上の建物)と港湾地区の特徴を考慮した開発。
③5分間都市
-徒歩か自転車で行けるコンパクトで高齢者に優しい街を目指している。
④ブルー&グリーンシティ
-ノーハウンでは市民が水と直接触れ合うことを重視した設計になっている。これは日本との大きな違いである。ここには自己責任の考えた方が浸透しているデンマークならではのアプローチである。
⑤二酸化炭素にフレンドリーな都市
-再生可能エネルギーによる発電、熱供給システムでの暖房、海水を利用した冷房システム、廃棄物の再利用、雨水の再利用はゲリラ豪雨対策を兼ねている。
⑥インテリジェント・グリッド
-これはノーハウンの小島をマス目のように分割し、柔軟なビルディングゾーンとして設計する。これにより、マス目単位の変更が可能で、大規模な全体設計を避けることができる。
3.オーフスのスマートシティ
・オーフス市は人口34万人(2018年)、デンマークで2番目に大きな都市である。群馬県前橋市とほぼ同じ大きさ。
・オーフスでもコペンハーゲンと競うようにスマートシティを推進している。
・オーフスでは2030年にカーボンニュートラルの都市をつくる。オーフスのスマートシティの特徴は、伝統や文化を尊重した取り組み、ヘルスケアや福祉に関するプロジェクトもスマートシティに含まれている。
●スマートオフィス
・スマートオーフスのビジョンと目的
-ビジョンは、パートナーシップに基づいた都市開発のための北欧モデルを国際的に主導すること。
-デジタル技術の功罪を理解した上で、持続的成長とイノベーションを実現する。そして、異なる利害関係者を巻き込みながら社会に価値をもたらし、社会、環境そして経済の課題を解決するというものである。
※ご参考:“スマートオーフス”
4.オーデンセのスマートシティ
・オーデンセ市は人口約17万人(2016年)、デンマーク第三の都市で自治体では立川市や鎌倉市とほぼ同じ規模である。デンマークでも最も古い都市の一つで、アンデルセン生誕の地として知られている。
-オーデンセ市は、エネルギーや交通などに注力するコペンハーゲン、文化を取り込んだスマートシティを標榜するオーフスと差別化するため、オーデンセが得意とする領域、ロボット、ドローン、ヘルスケア(特に福祉技術)に焦点を当てたプロモーションを行っている。
-オーデンセがユニークなのは、福祉技術を含めたヘルスケア・ソリューションを実証実験できるリビングラボ「コーラボ」をオーデンセ・ロボティクスが入るセンター内に設置していることである。
-コーラボには自宅、かかりつけ医、病院、介護施設のモックアップが設置されており、デジタル機器を開発する際、異なる環境でも一貫性のあるユーザーインタフェースをデザインしたり、医者、介護士、作業療法士などが連携して患者に対応する場合に最適な作業プロセスを検証したりすることができる。また、病院の手術室や病室も再現されており、実際の執刀医が立ち会い、手術の模擬テストを通じて医療機器やソリューションの評価を行うことができる。
※ご参考:“Invest in Odense”
※ご参考:“Odense robotics”
3章 市民がつくるオープンガバナンス
1.市民が積極的に政治に参加する北欧型民主主義
●コンセンサス社会が実現する民主主義
・イギリスのエコノミスト社の調査部門であるエコノミスト・インテリジェンス・ユニットが2006年から民主主義指数なるものを発表している。
・デンマークを含む上位国と日本の差は、「選挙プロセスと多元性」「政治的な参画」が大きい。
・日本では、ビジネスの打ち合わせや会食中に政治や宗教の話題は避けられるが、デンマークでは政治の話はご普通であり、選挙が近づくとかなり踏み込んだ議論が行われる。これは自国に限らない。日本の選挙や政治について質問されることは珍しくない。
※ご参考:2021年世界の政治民主化度 国別ランキング (注)出展・参照:“世界銀行”
●デンマークの民主主義の歴史
・デンマークは1849年に君主制度が廃止され、現在のデンマーク王国憲法が制定された。市民が王政に終止符を打ち、民主主義を勝ち取ったという経緯があり、これがデンマークの民主主義の基盤となっている。
・デンマーク型の民主主義とは、「情報をもとに自分で分析し、公平に準備された政策決定プロセスに参加し、自ら決断する。そして自己責任の原則で最終的な結果を受け入れる」。
●高い税負担が政治参加を促す
・税負担が高いため、国民は税金が公平公正に使われているか政治を厳しくチェックする。
※ご参考:“国民負担負担率の国債比較(OECD加盟36カ国) 出展:財務省主計局
上記を見ると、デンマークは3位(65.9%)です。日本は22位、英国は25位、スウェーデンは12位です。
「高齢化を背景に大きく伸びて、欧州諸国との差は縮小」とのことです。
●コンセンサスを育む教育
・北欧型民主主義の特徴である「コンセンサス社会」は、子供からの教育も大きな役割を担っている。
・デンマークの基礎教育は0~10学年まであり、基礎学力の習得だけでなく、自立した人間をつくるために自分の考えを言葉で表現し討論する授業や、異なる考え方や意見を尊重し、トラブルを解決しながらコミュニケーション力を伸ばす授業もある。そして言葉、文化、地域の異なるバックグラウンドを持つ生徒たちの多様な意見をまとめて自分たちなりの合意、つまりコンセンサスをつくりあげることに力を入れている。
・『友人のデンマーク人によると、デンマークでは選挙が近づくと憂鬱になる家庭があるらしい。デンマークでは子供が中学生になると、自分の意見を持ち、社会のしくみも理解して一筋ではいかなくなることから、「子供がモンスターになった」と言われたりする。そして選挙が近づくと、そのモンスター化した子供が社会の授業で、政治家の過去のマニフェストや選挙公約をどれだけ実現できたか調べたりする。そして、次期選挙の公約を政党ごとに表でまとめ比較検討して、自分たちの地域をどのようにしたいかについて議論をする。当然、子供たちは親に自分たちの意見を伝え、親の意見を求める。その時に子供の意見に対してどう考えるのかを回答できないと、親の権威が失墜してしまう。親は、仕事や家事が終わった夜、子供が授業で行ったように政治家の経歴、実績、政治信条を調べ、マニュフェストを確認し、政治家としての実行能力なども確かめて、子供と同じ目線で議論できるように準備しなければならない。ある日、友人の目が赤いのでどうしたのかと聞くと、夜中に政党の公約を調べていたので寝不足だと笑っていた。
こうした政治参加は、選挙の投票行動に反映され、より強固な民主主義の基盤がつくられる。』
2.市民生活に溶け込む電子政府
●デジタル国家のトップランナー
・EUはデジタル化について毎年、「デジタル経済と社会指数(DESI)」という調査を行っており、デンマークは2014~2018年、5年連続で1位になった。(2022年は僅差の2位。1位はフィンランド)
・「デジタル経済と社会指数」は5つの評価項目でランキングしている。「ブロードバンドの接続性」「デジタルスキルを含めた人的資本」「インターネットサービスの利活用」「デジタル技術の統合」「デジタル公共サービス」である。
・デンマークのデジタル化で最も特徴的なのは「デジタル技術の統合」の点で、他国より秀でている。つまり、政府の公共サービスの電子化だけでなく、デジタル技術の統合により、都市を構成しているエネルギー、交通、農業、医療、福祉、教育に至るまで、進展度合いに違いはあるにせよ、基本的に統合されたデジタル化が展開されている。
画像出展:「デンマークのスマートシティ」
画像出展:「デンマークのスマートシティ」
●質の高い社会サービスを実現するデジタル化
・デンマークのデジタル技術の統合に優れているのは、社会制度とデジタル化に関する歴史と政策を見る必要がある。
・1910年代から福祉国家として制度の充実を図ってきた。
・1950年代の黄金期を経て、1990年以降はフレキュシリティなど積極的な労働市場政策に基づく福祉国家の再編を行ってきた。そして、グローバル化、高齢化に伴う労働人口の減少に対応し、福祉サービスの水準を維持するためにさまざまな改革を行ってきた。また、インターネットの普及に伴い、デジタル技術の積極的な利用により、労働不足に伴う公的機関の効率性向上とサービス水準の高度化を同時に行うことを検討されてきた。
●市民生活に溶け込む電子政府
・デンマークでは2001年から中央政府、広域自治体(レギオン)、基礎自治体(コムーネ)との連携や複数のデジタル化戦略を経て進められてきた。
・2000年初頭の電子署名の導入により、市民は公的機関と電子メールでやりとりができるようになった。その後、税金還付や年金受給のための公共決済口座であるNemKontoが開始され、同時期には先進的な医療ポータルであるsundhed.dk、そして市民に電子政府の利便性を提供する市民ポータルのborger.dkが2007年にサービス提供を開始した。そして現在(2019年)は、スマートフォンなどモバイル端末の普及によって2007年に導入されたNemID(新電子署名)に代わる、電子政府の新アクセスIDの導入を進めている。
・デンマークの電子政府は、医療ポータルsundhed.dkと市民ポータルborger.dkの導入が鍵だった。
・市民ポータルborger.dkは、2000年代に構築された、官庁ごとに異なる行政システムをセルフサービス型の一本化されたシステムとして導入された。このポータルが優れているのは、市民が生活に必要な行政情報のすべてをこのポータルから取得することができ、教育、福祉を含めた多様な申請手続きを行えることである。また、マイページにアクセスすると住居・転居、税金、年金、教育などに関する情報をいつでも閲覧することができる。つまり、このborger.dkを活用すれば、行政機関の窓内に行くことはほとんどなくなる。
画像出展:「デンマークのスマートシティ」
3.高度なサービスを実現するオープンガバメント
●透明性の高い政府の実現
・デンマークでは特にオープンガバメントが進んでいる。「オープンガバメント・パートナーシップ」とは、市民と政府の協力のもと、政府の透明性を向上させ、市民参加によりエンパワーメントを図り、新技術とイノベーションを活用してより良い政府をつくることを目的とした多国間イニシアチブである。
●オープンデータ・デンマーク
・デンマークの特徴的な取り組みは「オープンデータ・デンマーク」である。政府が民間に頼ることなく全面手に社会福祉サービスを担っているため、それ関わるデータ量は膨大である(ビッグデータ)。日本のマイナンバーカードに相当するCRPナンバーは1968年に導入された。
・オープンデータ・デンマークは、広域自治体や基礎自治体が管理しており、都市開発や社会課題の解決において公的にデータを自由に活用できる環境を整えることを目的に整備された。
・2018年5月に施行された欧州の個人データ保護に関する法律であるGDPR(EU一般データ保護規則)の関係で、デンマークでも取り扱いは厳しくなっているが、オープンデータ・デンマークから公的オープンデータを収集することができる。
●遠隔医療でのオープンデータの活用
・遠隔医療はオープンデータの活用が期待されているプロジェクトである。
・デンマークではEUと連携する形で遠隔医療の実証実験を続けてきた。
・遠隔医療のニーズは、市民とその家族が主体的に治療に関わりたいとの要望が強まっている。
・高齢化が進む中で高齢者の治療と慢性疾患患者の増加が見込まれている。
・今後の医療コストが増加すると予想されている。
・特に期待されているのは、妊婦の合併症とCOPD(慢性閉塞性肺疾患)に対する治療である。具体的には前者は合併症のリスクを軽減すること、後者は治療が長期間に及ぶため。
・デンマークは人口密度が低く、地域の病院数も限られている。病院側も通院患者が減れば病院の効率が上がり、より重症患者や緊急の患者に対応することができるようになる。
・この遠隔医療は実証実験を経てサービスの検証を行った結果、医療サービスとしての品質、安全性、経済性とともに十分運用可能と結論づけられた。
・デンマークのオープンガバメントの取り組みは、オープンデータ一つとってみても、単にデータの開示による公共サービスの透明性の確保だけでなく、市民生活を向上させるサービスの開発と実社会への導入という観点が含まれていることが特徴である。
4.サムソン島の住民によるガバナンス
・再生可能エネルギー100%の島として知られているサムソ島は、首都コペンハーゲンがあるシェラン島の西に位置しており、北海道の奥尻島と同じくらいの島である。
・夏には多くの観光客が訪れるこの島は、エネルギー企業などの関係者の視察が増え、再生可能エネルギーのショーケースのようになっている。最近は、こうした視察やエネルギープロジェクトに関係した雇用創出で地域活性化に大きく貢献している。
・サムソ島の成功の要因は、地域の共創の理念と、住民を導いたサムソ・エネルギー・アカデミー代表であるソーレン・ハーマーセンを中心とした創造的リーダーシップにある。彼らは地域社会、特に住民の参画に力を入れ、風力発電の技術が分からない住民の理解を得るために、説明会やワークショップを何年にもわたって実施し、住民の意向に沿った開発計画を策定した。
・最近では、サムソ島が再生可能エネルギー100%の島であることより、いかに異なる考え方を有する住民をまとめて一つの方向性に導くことができたのかに関心を持つ視察者が増えている。
・ハーマーセンの元には多くの質問や反対意見が届いた。それらに対し、3年かけて一軒一軒を回り会話をしながら問題を話し合うことで、少しずつ島民の理解を得られるようになった。
・2007年のカーボンニュートラルで再生可能エネルギー100%の島を達成した後も、新たな目標である2030年までに脱化石燃料を目指す。「サムソ2.0」を策定し、将来は循環型社会を目指す「サムソ3.0」を掲げている。
・「パイオニアガイド」はノウハウをまとめたガイドであるが、地域コミュニティが新しいシステムを導入する際の構造化されたアプローチ方法であり、サムソ島のホームページで開示し、必要に応じて出張しセミナーの開催なども行っている。
※ご参考:“コミュニティパワーで100%自然エネルギーの島から次のステップへ:デンマーク、サムソ(市)島”
※ご参考:“世界で一番エコな島~サムソ島” (YouTube 5分53秒)
4章 クリエイティブ産業のエコシステム
1.デンマーク企業の特徴
・日本と比べて圧倒的に小さなデンマーク企業が厳しい競争の中で生き残ることができる鍵は次の6つである。
①革新的かつクリエイティブは技術、ソリューション、デザインを追求する。
②国内市場を目指すのではなく、いきなりグローバル市場に参入する。
③大手企業が見逃しているニッチ市場を攻める。
④ニッチ市場でナンバーワンを目指す。
⑤収益のうち高い比率を研究開発に回す。
⑥研究開発を通じて、さらにクリエイティブな製品やソリューションを開発し、他社の追随を許さない。
・このような戦略が採れるのも、優秀な人材がいてこそである。デンマークの企業は経営幹部も含めて創造性に長けた社員の採用に力を入れているところほど成功している確率が高い。
・デンマークでは大学発ベンチャーにも注力しており、研究室からそのまま起業して成功するなど研究開発型の企業が多いことも特徴である。
画像出展:「デンマークのスマートシティ」
2.世界で活躍するクリエイティブなグローバル企業
●アーステッド:石油・天然ガスから再生可能エネルギー企業へ
・環境エネルギー分野では洋上風力発電のアーステッド社がある。アーステッドはもともと国営企業であり、現在でも株式の過半数をデンマーク政府が保有する。
●ノボノルディスク:糖尿病治療薬のリーディングカンパニー
・1923年に設立されたノルディスク・インスリン研究所と1925年に設立されたノボ・テラピューティスク研究所がインスリン製剤の生産を始め、業界トップ2社となった両社がさらなる成長と発展を目指して1989年にできたのがノボノルディスク社である。その後急成長し、糖尿病、血友病、成長ホルモン治療で世界的企業となっている。
●レゴ:世界の子供の創造力を育てる玩具メーカー
・1932年、オーレ・キアク・クリスチャンによってデンマークの小さな街ビルンで設立された、レゴの経営哲学は「質の良い遊びは子供の人生を豊かにする」というもので、レゴの意味はデンマーク語で「Leg godt(よく遊べ)」の略語である。
3.デジタル成長戦略と連携して進展するIT産業
●デジタル成長戦略
・2018年1月に「デジタル成長戦略」を策定した。骨子は次の3つである。
①デンマークのビジネスがデジタル技術の活用の点において欧州でベストになること、特に中小企業が先端デジタル技術を利用できるように政府がその推進体制を保証する。
②デジタル・トランスフォーメーションを実現するために、政府として最高の環境を整える、特に新しいビジネスモデルや投資を引きつけるための迅速な規制緩和、そしてサイバーセキュリティとデータ処理体制を強化する。
③すべてのデンマーク人がデジタル・トランスフォーメーションに対応し、EUで最もデジタル化に準備をした国民となる。そのために適切なツールと教育を提供し将来の労働市場に備える。
そして、これらの戦略を実行するための6つの領域を定めている。
①デジタル化による成長環境を強化するための「デジタル・ハブ・デンマーク」を設置
②中小企業のデジタル化対応強化
③すべてのデンマーク人がデジタルスキルを身につける
④貿易と産業の成長にビッグデータを活用
⑤貿易と産業の迅速な規制緩和
⑥企業におけるサイバーセキュリティを強化
この中でも産業のエコシステムに関して注目に値するのは、①デジタル・ハブ・デンマーク、②中小企業のデジタル化対応、そして④ビッグデータの活用である。
●デジタル・ハブ・デンマーク
・「デジタル・ハブ・デンマーク」は、産業・ビジネス・財務省が推進する、デジタル化で強力な成長を実現するためのフレームワークである。意外だが、デンマークは人工知能(AI)やビッグデータの活用では他国に遅れをとっていると認識されており、具体的なアクションにつなげている。
●中小企業向けデジタル化対応
・中小企業のデジタル化は大手企業に比べると遅れており、デジタル技術の活用により複数の産業で事業開発が進展できると考えている。
●ビッグデータの活用
・データ活用で重視しているのは、製造業、小売、エネルギー産業、保険、交通セクターにおけるデータの収集と分析に基づいた企業経営の最適化である。
・デンマークは小国ゆえに日本のNEC、富士通、日立のような広範な分野に対応できる総合IT企業はない。そのため、多くはアプリケーションを開発するソフトウェア企業など限られた分野に特化した企業が多い。
4.スタートアップ企業と支援体制
●北欧のスタートアップシーン
・北欧でスタートアップといえばスウェーデン(特にストックホルム)が有名である。北欧諸国の中で資金面、エコシステムで最も充実したフレームワークを整えている。一方、デンマークもここ数年でスタートアップに対する支援が充実してきており、スウェーデンに続く北欧のハブになりつつある。
●スタートアップ・デンマーク
・「スタートアップ・デンマーク」は、産業・ビジネス・財務省と移民・統合・住宅省が運営しており、国が主導している起業支援機関である。
●コペンハーゲンのスタートアップ・プログラム
・自治体の中では、特にコペンハーゲン市がスタートアップ・プログラムに注力している。
5.新北欧料理とノマノミクス
・「noma(ノーマ)」は世界的に有名なレストランである。ノーマを創業したシェフたちは、調理で食材が変化するしくみを科学的観点から分析して、調理法の改善、新たな食材の活用等を開発する分子ガストロノミー、顧客の五感を刺激する見せ方、美しい店舗デザイン等によって「新北欧料理」というジャンルを構築した。
3.共生と共創の精神
●資源と産業のない貧しい国
・デンマークは1950年以前、北ヨーロッパの田舎で、天然資源は少なく、土壌も痩せて農業には適さないなど、かなり過酷な条件の揃った国であった。寒さと飢えで亡くなる人々も多く、アンデルセンのマッチ売りの少女さながらの現実が19世紀にはあった。デンマークで共生と共創の精神が根づいているのは、こうした厳しい環境と関係している。
画像出展:「マッチ売りの少女」
・現在のデンマークは小資源国であっても十分大国と渡りあえることを証明している。ソフトウェアや人工知能、量子コンピュータの開発で、物量ではアメリカや中国には適わないが、質の面では世界トップクラスの水準となっており、マイクロソフトは2017年に量子コンピュータの研究センターをコペンハーゲン大学のニールス・ボーア研究所に開設している。
画像出展:「デンマークのスマートシティ」
・デンマークは既に再生可能エネルギー大国である。既に国内の消費電力のうち約40%が風力発電により賄われ、2050年には脱化石燃料の国家を宣言している。
※ご参考:“デンマーク、2050年までに化石燃料脱却を目指す「エネルギー戦略2050」を発表”
・デンマークの国教は福音ルーテル派だが、日常生活と宗教は密接に結びついておらず、日曜日に礼拝に行く慣習は特にない。宗教より「ヤンテの掟」のように、倫理や道徳の教育がデンマーク人の精神に根づいている。
●北欧の気候風土とヒュッゲ
・デンマークは北緯55度に位置し、北海道の稚内(北緯45度)より北に位置してるが、暖流であるメキシコ湾流の影響で高緯度の割に気候は穏やかで、寒い日でも氷点下10℃程である。また、比較的四季もはっきりしている。
・夏の日没は午後10時、冬は日の出が午前8時半過ぎ、日没は午後4時前なので、通勤、通学時は日が落ちて真っ暗である。
・こうした気候風土の中で育まれた文化が「ヒュッゲ」である。これは日本では正月に家族や親戚が集まり、お節料理やお酒を飲んで、ゆっくりとくつろぐ時間のようなものである。
画像出展:「デンマークのスマートシティ」
4.課題解決力を伸ばす教育
●教育システムのしくみ
・デンマークは先進国の中で教育費支出が高い国の一つである。
・デンマークにおける教育の目的は、「人格形成を平等に行い、社会の一員として責任を持ち義務を遂行し社会に貢献できる能力を育むこと」とされている。また、生徒の社会的背景、特に経済的かつ身体的状況に配慮し、差別をなくして1人1人の個性を尊重し、個々の能力を伸ばすことに力を入れている。
※ご参考:“世界の公的教育費対GDP比率 国別ランキング・推移” (先進国以外も対象)
・デンマーク:21位
・日本:121位
●教えるのではなく、導く教育
・重視しているのは知識より、社会を作る上で必要な人格形成、人間性の向上など、日本では大人になってから考え始めるような人生哲学に力を入れている。これはニコライ・F・S・グルントヴィの思想が大きく影響している。学ぶ者には学ぶことへの内側から湧き出る動機が必要であるとしている。教師は生徒との自由な対話によって、若者に気づきを与える教育が大切であるとした。
●直観力の育成
・人間力育成に加えて、課題解決力の育成にも力を入れている。これには問題の本質を見極めて効率的にかつ公平に、最短で解決策を見出す教育に保育園から取り組んでいる。
・「森の幼稚園」では、自然と触れ合うことは人間としての感性と直感力を育て、国際的に重視されているSTEM教育(科学・技術・工学・数学教育の総称)の基礎となる自分で考え理解する力を養うことになる。
『全ての子ども達にたっぷりの愛と自然とのふれあいを。子育てを支え合い、喜びに満ちあふれた社会の実現を目指します。子ども達よ、命の根っこを輝かそう。森で、海で、里で、この空の下で。』
●問題解決力の育成
・問題解決力は、対話によるコミュニケーション力と、自ら目標をたて実行する自立力がベースになっている。
・コミュニケーション力を養う教育としては、中学生の生徒同士で議論してコンセンサスを得る能力を磨く機会がたくさんある。そのために必要なことは、異なる価値観を持つ仲間と共同作業を行う力、得られたコンセンサスを皆の前で発表し共感を得る力、必要な情報を自分で収集できる力で、その方法を学習していく。
・デンマーク人は学校でも家庭でも生まれた時から1人の個人として尊重され、自分の考えで物事を決めることを求められる。こうした特性は小学生の間に培われるが、中学生になると個人と社会との関りを学び、また複雑な関係を調和されることが問われる。
5.働きやすい環境
●非学歴社会
・デンマークでは学歴を問われることはない。そもそもデンマークでは日本のように一斉に行われる大学入試や就職試験はない。大学を卒業するのも、社会に出るのも人によってバラバラで、各個人の価値観、人生計画に応じて組み立てられる。
・企業においても日本の会社に見られるような、有望な部下を意図的に引き上げることはなく、ポストは広く内外に募集されるので、派閥がつくられることもない。個の自立を重視してきたデンマークでは、日本のように同質性の社会システムにみられる閉鎖的な決定プロセスはなく、フラットで公平なしくみが息づいている。
●生産性の高い働き方
・デンマークでは先進国の中でも労働時間の少ない国の一つである。一般的には8時に出社し16時には退社する。大抵の職場でフレックス制度が導入されているので、自由度がとても高い。
・デンマーク人は家庭で過ごす時間を大切にしているので、仕事を効率的に仕上げて自宅に帰る人が一般的である。デンマークの企業で毎日18時まで職場に残っていると、能力のない人材と思われてしまうだろう。
・労働時間の縛りはないが、仕事のパフォーマンスが厳しく問われる。与えられた目標を達成することは当たり前で、職種によってはそこに付加価値と革新性が加えられているかが評価のポイントになる。パフォーマンスが低い者はすぐに解雇されることもある。
・会議では、議題を事前に設定し参加者全員が意見を述べる。基本的に持ち帰ることはしないで、参加している者のコンセンサスをまとめてその場で意思決定をすることが求められる。参加しているものが決定権を持っているので、たとえ役員の代理で新入社員が参加して最終決定をした場合でも、その社員の決断が尊重される。
●フレキュシリティ
・「フレキュシリティ」とは、「flexibility」(柔軟性)と「security」(安全性)を組み合わせた造語で、柔軟な労働マーケットと労働に対する社会保障を組み合わせた政策のことである。
・デンマークでは仕事の成果が出ないとすぐに解雇されることもある。しかし、労働者が慌てることがないのは、このフレキュシリティ政策があることも背景の一因である。
・フレキュシリティモデルは、①労働市場の柔軟性、②所得補償、③効果的な労働市場政策を組み合わせた形でゴールデントライアングルとも呼ばれている。
画像出展:「デンマークのスマートシティ」
・労働市場の柔軟性は、雇用主が雇用と解雇をやりやすくすることで、労働力の構成を柔軟に変更でき、経済情勢や産業構造の変化に迅速に対応した組織を再構築することができる。従って、デンマークでは産業としては衰退しているにもかかわらず、雇用を守るために存続するゾンビ企業はほとんどない。
・簡単に解雇されるリスクがあるということは労働者にとっては不安要因である。そこで、失業者には最長2年間の所得補償が失業保険ファンドから支給される。特に低所得者層への支援は厚く、最大で前職給与の90%が支給される。
・効果的な労働市場政策は、社会保障制度の中でも特に重要な位置づけにあり、本政策に関する政府の支出はGDP比3.7%(2012年の実績値)にも達している。目的は、柔軟な労働市場が機能するための施策を打つことであり、失業者の再教育、転職の支援など多岐にわたっている。この失業者の再教育システムは実にうまく機能している。
・再教育は進捗状況を含めてかなり細かくかつ定時的にレポートを提出することが求められ、内容も逐次精査される。このため多くの人は再教育よりも企業で働くことを望むことになる。
・デンマークの格差を是正するシステムは、単に手厚い支援を提供するだけでなく、国民の税金を使うだけの義務と厳しさが緻密に組み込まれていることが、うまく機能している理由の一つである。
6.格差がないからこそ起こること
●高齢者は尊敬されない
・首相や大臣経験者、大企業の社長でも引退してしまえばただの高齢者になる。日本のように引退後に名誉顧問になり会社に残ることもなければ、財界活動に参加して過去の栄光で影響力を及ぼすこともない。デンマークでは高齢者という理由では特別尊敬もされない。
●女性の方が強い
・女性の進出が進む社会では、生活するうえで男性に依存する必要がないので離婚がかなり多い。
・デンマーク人の結婚に至るパターンは、女性が男性をつかまえて、まず同棲しお互いの相性が良いと結婚するが、離婚する場合は女性が男性を捨てることが多い。
●難民増加による右翼化の動き
・デンマークは移民を受け入れてきたが、最近は右寄りの論調が増えてきている。中東からの移民増加の影響もあり、人口に占める移民の比率は12.39%(2020年)になっている。
・人々の間では移民は仕事をしないで北欧の福祉制度にタダ乗りしているとの不満が高まっている。
・北欧諸国は民主主義、平等、博愛という理念のもとに福祉政策を進めてきたが、移民の増加と社会保障支出の問題が複雑に絡みあい、今のところすべての利害関係者を納得させる解決策を見出せてない。将来的に格差のない社会システムを維持する上で、デンマークも大きな課題を抱えている。
2章 サステイナブルな都市デザイン
1.2050年に再生可能エネルギー100%の社会を実現
●脱炭素化が加速する要因
・2050年までに世界で保有している化石燃料の80%を燃やせないというカーボンニュートラルが大きく関係している。
・再生可能エネルギーの発電コストが大幅に低下している。2010年~2017年の7年間で太陽光は73%、陸上風力は23%低下した。洋上発電も欧州のセントラル方式による入札、開発プロジェクトの大型化、風力発電の大型化、技術力の強化などにより大幅なコストの低下と開発リスクの低減を実現している。
●エネルギー戦略2050の策定
・デンマークは2011年、2050年までに化石燃料からの完全な脱却を目指す「エネルギー戦略2050(Energy Strategy 2050)」を公表した。
・エネルギー戦略の背景として、近い将来、アジアを中心とした新興国の経済発展に伴うエネルギー需要の増加から、石油や石炭などの化石燃料の価格が上昇することが見込まれていたことがある。資源のないデンマークでは価格高騰や自国では制御が難しい外部リスクを取り除く必要があった。
●社会に実装するための緻密なデザイン
・エネルギー戦略2050について、小国ゆえに策定できたのだろうとの見方があるが、たとえ小規模でも国家が方向性を大転換し、新しいイニシアチブを発揮することは容易なことではない。そのために、数年かけて政治家、行政関係者、研究者が戦略の実行可能性について検討を重ねてきた。
・エネルギー戦略2050は、①再生可能エネルギー、②エネルギー効率、③電化、④研究開発と実証、の4つから構成されており、それぞれ詳細な分析に基づく行動計画が定められている。また、戦略を確実に実行するための原則としくみが組み込まれている。
●1970年代からのエネルギー政策
・デンマークでは1973年の第一次オイルショックをきっかけに、1985年に原子力発電に依存しないエネルギー計画を国会で決議し、風力発電による再生可能エネルギーを導入するなど段階的に取り組んできた。
2.サーキュラーエコノミー(循環型経済)の推進
●EUで加速する循環型経済
・サーキュラ―エコノミー(循環型経済)とはリサイクルや産業廃棄物削減を狙った施策であるが、デンマークはEUと連携して積極的な取り組みを行っている。
●デンマークのポテンシャル
・サーキュラ―エコノミーの定義は次のようなものである。
「サーキュラーエコノミーは、デザインにより再生、再利用するしくみであり、製品とそれを構成する部品、原材料を技術的なものと生物学的なサイクルとに区別しながら、その価値と利用可能性を最も高い水準で維持すること」
●民間主導のビジネスモデル
・デンマークでは、民間企業が政府を引っ張る形で積極的にサーキュラーエコノミーに対応したビジネスを展開している。サーキュラーエコノミーを収益力もあり、持続可能な解決策にするためには、製品のデザイン段階からサーキュラーエコノミーの原則を組み込んだアプローチが重要であり、若手のデザイナーを中心にサーキュラーデザインの活動が進んでいる。
※ご参考:“DANSK SYMBIOCENTER”
※ご参考:“サーキュラーエコノミーとは”
画像出展:「デンマークのスマートシティ」
3.世界有数の自転車都市
●コペンハーゲンの自転車政策
・デンマークはオランダと並んで自転車大国として知られている。コペンハーゲンの市民の通勤・通学の41%(2017年)が自転車を利用している。
・コペンハーゲン市は技術・環境市長が主導し、サイクリストにとって世界で最も優れた都市になることを目標にしている。
●自転車スーパーハイウエイの整備
・総延長467㎞(2018年時点)の「自転車スーパーハイウエイ」が整備された。コペンハーゲンでは5㎞未満の移動では60%の市民が自転車を利用するが、5㎞を超えた途端にその比率は20%以下に下がる。この数値を引き上げるためハイウエイの新線が追加された。
※ご参考:“グリーンな社会目指すデンマーク 自転車ハイウェイとIoT”
画像出展:「デンマークのスマートシティ」
●自転車走行速度を統一するグリーンウェーブ
・高性能な信号機を導入し、時速20㎞で走行すれば赤信号で止められることはない。これにより、子供を乗せている母親も高齢者も安心して自転車を利用できる。
●多面的な包括的アプローチ
・自転車政策は環境エネルギー、都市交通の課題解決に加えて、市民の健康管理、社会保障コストの削減、投資誘致と産業の発展、家庭の幸福にもつながっている。これはよくデンマークで取り上げられる「包括的アプローチ(holistic approach)」と言われるもので、物事を多面的に捉えて問題の本質に迫り、多様性の中で解決策を探る方法である。
・包括的アプローチは自転車以外にも再生可能エネルギー、医療や福祉、スマートシティなど多くの分野で取り入れられている。
・自転車=移動手段という単純な発想ではなく、自転車を多面的にしたたかに利用する包括的なアプローチこそ、デンマークの政策デザインの特徴でもある。
4.複合的な価値を生むパブリックデザイン
●良いパブリックデザインとは
・デンマークの世界的都市デザイナーであり建築家のヤン・ゲール曰く、「良いパブリックデザインとは、魅力的な都市をつくりだす。魅力的な都市とは子供たちと高齢者がストリートに見られることだ」(インタビュー「都市の魅力を構成する要素とはなにか?」より)
・2009年に「世界で一番素晴らしい都市になる」と宣言したコペンハーゲンのパブリックデザインが優れている要因の一つは、もう50年も前から人間中心のまちづくりを推し進め、自転車道を整備し、パブリックスペースから自動車や駐車場を減らして、市民に開放してきたことである。
もう一つの要因は、市が2025年に「世界で初めてのカーボンニュートラル首都になる」と宣言したことを、政治家や行政の公約と考えるのではなく、市民1人1人が日常生活の中で目標達成に向けて取り組み、街の未来をつくろうとしていることである。
・パブリックデザインとは快適性を追求することだけでなく、都市の課題を解決したり、未来のイノベーションを実現したりするためのデザインでもある。
●アマー資源センター:廃棄物施設を都心のスポーツリゾートへ
・世界的な建築家であるビャルケ・インゲルスが率いるBIG(ビュルケ・インゲルス・グループ)が手がけ、2017年3月にオープンした廃棄物発電施設「アマー資源センター」はデンマークのパブリックデザインを象徴する公共建築である。
・屋上には斜面450mの人工スキーコースが設けられ、夏はトレッキングを楽しみ、頂上ではコペンハーゲンの眺望を楽しみながら小さなカフェで寛げる。
・CHP(熱電供給)廃棄物発電は、コペンハーゲンのCPH2025気候プランを支える重要な機能の一つであり、コペンハーゲン市で年間扱う40万トンの固形廃棄物を燃やすことができる。0~63MWまでの発電能力により6万2500世帯に電気を、157~247MWの地域熱供給能力で16万世帯に熱を供給可能となっている。エネルギー効率は90%以上で、世界で最もクリーンな焼却施設である。
・施設の煙突は排ガスだけではなく、大きなリング状の煙(実際は水蒸気)が排出され、夜になるとレーザーで明るく浮かび上がる。この煙突から出されるリング状の煙一つで、1トンの二酸化炭素の量を表しており、市民に1トンの二酸化炭素量とはどの程度のものかを考えてもらうきっかけにしようとしている。さらに内部は見学できるようになっており、市民の環境知性の育成にも一役買っている。つまり、アマー資源センターは、廃棄物発電による電力と熱供給施設×リゾート施設×教育施設ということになる。
●ハーバース:水質を改善した、都心の海のプール
・コペンハーゲンの夏の人気スポットは、イスラン・ブリゲにある市民プール「ハーバーバス」。コペンハーゲン港内の海の中にあるプールで短い夏を楽しむ人々の光景は夏の風物詩にもなっている。
・このハーバーバスもBIGが設計している。一見すると奇抜なアイデアが印象的だが、そこには緻密な計算に基づいた設計がなされている。デザインには、「連続性」「安全性」「アクセス性」「特別な景観」の4つのポイントがある。連続性は、埠頭のエッジから港の海水まで見えるように設計することで、利用者はプールという区切られたスペースに入るのではなく、海に直接入水する特別な体験を得られる。
・安全性は、各プールの外枠角度が中央のライフガードの位置から一目で確認できるようにライフガードの視野に合わせて決められている。このプールは最大で600名が利用できる。しかし無料で運営されているため、複数のライフガードを配置することは難しく、運営経費と安全性のバランスを考えた設計になっている。
・アクセス性は、障がい者を含めたすべての市民が楽しめるように配慮されている。たとえ車椅子であっても奥のプールサイドまで行ける。親が障がい者でも子供はプールで遊べ、子供が障がい者でも親子でプールサイドで楽しむことができる。
・景観はビーチにいる感覚を感じられるよう、ウッドデッキ、埠頭、ボートなどを象徴的に設置することで、都会リゾートとしての特別感を演出している。
●スーパーキーレン:多様な住民の交流を育む公園
・コペンハーゲン中心部の北に位置するノアブロ地区に、2012年につくられた公園で、総面積約3万㎡(新宿中央公園は約8万8千㎡)、縦750mの細長い施設である。公園は3つの区画に分かれており、赤の広場(スポーツとアクティビティのエリア)、黒の広場(交流のエリア)、緑の広場(住民の庭のエリア)となっている。地面が赤、黒、緑に色分けされ、広場の特徴が誰でも一目でわかるようになっている。
画像出展:「NEKKI MESSE」
『デンマークのコペンハーゲン市内に2012年6月に完成した、ユニークな公園がある。その名は「Superkilen(スーパーキーレン)」。市内中心部から北に伸びるノアブロゲーテ通りとテインスヴァイ通りの間となるノアブロ地区に位置し、広さは約3万㎡にも及ぶ。」』
・北欧は移民を積極的に受け入れてきた経緯があり、コペンハーゲンでもアジア系を含めて多国籍化が進んでいる。公園があるノアブロ地区には安い集合住宅があった関係で、多くの外国人が移り住んでいた。このように国籍が異なる住民が多く集まるこの地区は、住民間のコミュニケーション不足、生活様式の違いから起きる些細なトラブルや犯罪が多発するようになった。将来スラム化するリスクを抱えたこの地区の改善は、コペンハーゲン市にとって課題となっていた。
・コペンハーゲン市は同地区にあった国鉄の車庫跡地を公園につくり変えることを決め、競争入札を実施した。その結果、BIGとアーティストユニットのスーパーフレックス、都市デザイン事務所のトポテック1が選出された。
・彼らが取り組んだのは、住民と徹底的に話し合い、住民主導で公園のアイデアをつくりあげることだった。住民との議論を通じて採用されたのは、多国籍の住民の多様性を尊重しながらも住民同士のコミュニケーションを改善し、ノアブロに新しい価値を創出することであった。その方法として、約60カ国に及ぶ住民の出身国の遊具、照明、ベンチなどの設備を集めることで、自分の故郷の記憶を辿ると同時に、他国出身の住民の文化に触れて自然と彼らとコミュニケーションがとれるようにするというアプローチをとった。
・コペンハーゲンに世界の遊具を集めた公園ができたとの評判はすぐに広まり、休日になると地元住民に加え他の自治体からも親子連れが訪れるようになった。
・この地区に人が集まることで、新しいカフェ、レストランもオープンして人気のホットスポットとなり、治安も改善されるなど当初の目的を達成しただけでなく、新たな地域再生の成功事例として注目を集めることとなった。
・このプロジェクトでは、住民間のコミュニケーションの改善+治安の改善+ノアブロ地区の価値創出など、複合的な成果を生み出すことに成功している。
画像出展:「デンマークのスマートシティ」