鍼灸編の2冊目はアシル治療室という人気の鍼灸院を開院されている若林理沙先生の著書、『気のはなし 科学と神秘のはざまを解く』です。(新規受付はしていないようです。2025年1月時点)
若林先生は大学では思想宗教を専攻され、古武術を学びブラジリアン柔術にも精通された先生です。本書の“はじめに”には、「これから展開される「気」の世界を俯瞰してみましょう。おそらく、読者の方々は「気」がこれほど広大な領域に広がったもので、こんなにも多種多彩な意味を持っていたのかと驚かれるでしょう」と書かれていますが、まさに「気」の広さと多様さを学ぶことができました。
試しに類語辞典で「気」の類語・同義語を調べてみた所、以下のようなことが書かれていました。
1.その人特有の行動や反応を決定する感情的、知的特質の複合体
・気質、気性、気心など計50個。
2.ある種の傾向または性向
・気持ちなど計9個。
3.ある資質を示唆するもの
・気配など計5個
4.コミュニケーションの意図された意味
・意志、意図など計17個
5.目に見えない不思議なこと
・オーラ、神通力など計10個
全部足すと91個、「“氣”とは何だろう」という疑問の答えは謎のままですが、一歩一歩進めるしかないなと思います。
著者:若林理沙
発行:2022年1月20日
出版:ミシマ社
目次
はじめに
「気」の年表
第1章 気の起源
●気のおおもとの姿
●「気」という字の原型
●モヤモヤッと立ち昇る何か
●「気」に似た考えは世界中にあった
コラム 武術と気
第2章 孔子・老子・荘子の気
●血縁の愛を重視する中国で「仁」を説いた孔子
●『論語』では重視されなかった「気」
●古代、医者の地位はひどく低かった
●老子の思想のキーワード「道」
●老子の「気」は陰陽を引っ付ける糊!?
●人体に存在する「道」
●「気」の重要性がアップする荘子
コラム 風邪と気
第3章 孟子・道教の気
●孟子のでかくて強い気
●呼吸法から道教へ
●できるだけ長生きする技法
●「万物は気でできている」の始まり
●東洋医学の養生法の原点
●固形の玉になる気
●不死になるには1000呼吸止める!?
●気を練る修養法の落とし穴
コラム 気力・体力=消化力
第4章 易と風水の気
●気を語るのに外せないマジカルな分野
●トカゲを表す「易」の字
●六四卦で世界のすべてを表す
●時計の秒針のように動く気
●風水の特徴、龍脈と龍穴
●都や墓所に適した土地とは
●「水」から「気」へ
●教養としての易と風水
コラム 鬱を東洋医学の気から見ると
第5章 東洋医学の気
●最古の医学書
●気よりも血や水が重視されていた時代
●東洋医学はリアル+ファンタジー
●人体の気、いろいろ
●気・血・水が体内を流れるという身体観
●経絡の考え方の変遷
●経穴は絶対的なものではない
●ちょっとした抵抗を指先で探る
●自然の気、いろいろ
●現代に多いのは内因・不内外因の体調不良
●エネルギー120パーセント!?
●細かすぎる分類は気にしなくていい
●鍼灸や漢方はほぼすべての病気を改善できるのか?
コラム 「気が合う」「気が合わない」「気を合わす」
第6章 科学の気
●現代中国は気をどう説明するのか
●手から出る遠赤外線
●彼にすると情報がのせられる
●何かは伝わっているけれど
●生き物は全員「電気仕かけ」
●皮膚を流れる電気
●電気と言い切れない何か
コラム 臨床と気
第7章 養生と気
●気のオカルティックなイメージはどこからくるか?
●日本の気
●戦国の気
●韓国の気
●養生を気で説明する
●「寝る」と気
●「食う」と気
●「動く」と気
●体質を気で分ける
●人が生まれるときの気
●人が亡くなるときの気
おわりに
第1章 気の起源
「気」に似た考えは世界にあった
●ギリシャ哲学のプネウマ説は空気中のプネウマが呼吸により体内に取り込まれることで生きていられるとされている。
●プネウマは血液とともに体の各部位に供給されるエネルギーだと考えられており、気の考え方によく似ている。
●元々プネウマは「空気」、「呼吸」、「風」の意味で使われていた言葉で、そこに生命を維持する力という考えが導入された。
●プネウマはローマ帝国時代の医学者であり哲学者でもあるガレノスによって継承されて発展した。ガレノスは「三大臓器と脈管の生理学説」を唱え、肝臓から出る静脈は栄養豊富な静脈血、心臓から出る動脈は生命プネウマが豊富な動脈血、脳から出る神経は精神プネウマが豊富な神経液を全身に送っていると考えた。
●プネウマの考え方はアラビアまで伝わり、ルーフ(風という意味)の訳語でユナニ医学に取り込まれ、ユーラシア大陸における主要な医学のほとんどがプネウマ/ルーフの理論が成り立つようになる。そして、これらが西洋医学の源流になっていく。
画像出展:「ガレノスの「人格の気質的四類型」と「プネウマ」(カウンセリングしらいし)」
医学の対象は個物から場へ (帯津良一医学博士)
『ヒポクラテスの考えを継承したのが、ローマ時代の名医ガレノスである。ただし彼は人体を詳細に観察した上で、解剖学と生理学の基礎を築いた。それまでの直観の医学から分析の医学への移行である。ガレノスこそ近代西洋医学の祖とみなされている。それでもガレノスの医学でも、プネウマは重要な位置を保っていた。
また彼がヒポクラテスのネイチャーの概念を継承していたことも言うまでもない。彼が提唱したかどうかはわからないが「自然治癒力」は「vis medicatrix naturae」というが、これはラテン語である。ラテン語といえばローマ時代、彼の周囲からこの名称が起こったと考えてもさして無理ではないだろう。』
第2章 孔子・老子・荘子の気
「気」の重要性がアップする荘子
荘子 外篇 知北遊第ニ十二
●(現代語訳)『そもそも生は死の仲間であり、死は生の始まりである。一体誰がそのおおもとの仕組みを知っているだろうか。人間の生は、気の集まったものである。気が集まれば生となり、散じれば死となる。このように生と死とが仲間であることに、私はまた何を思い悩む必要があろうか。だから、万物は、一つであるというのだ。万物の中で美しいとされるものが珍しく重用されるものとなり、醜いとされるものが悪臭を放つものになるのであるが、悪臭がするものもやがて気が離散して変化し、珍しく重用されるものに変わったり、珍しく重用されるものもまた同じように、悪臭がするものに変化するからである。だから、「世界に本当にあるのはただ一つの気だけである」と言うのだ。だから、道に通じている聖人は「一」そのものである気を重んじる。』
第3章 孟子・道教の気
孟子のでかくて強い気
孟子 公孫丑上
●(現代語訳)『「あえておたずねしますが、先生は何がお得意であられますか」。孟子「私は人の言を知ることができ、自分自身の浩然の気を養うことができる」。「さらにあえておたずねいたしますが、いったい浩然の気とは、どういうものでしょうか」。孟子「言葉では説明しにくいが、その気というものは、とてつもなく大きく、とてつもなく剛く、そして真っ直ぐで、害することなく養っていけば、広大なる天地の間を塞ぐくらいになる。その気というものは、道と義の配下にあるもので、もし道義がなければ飢えて小さくなってしまう。つまりこの気は、自分の中の義が集まったところ生ずるものであって、外にある義が入り込んできて浩然の気ができるというものではないのだ。自分の行為に何か気持ちの良いものではないものが混じっていると、この気は飢えてしまう。』 (「癌から生還」。インドの女性、オーストラリアの男性。本来の自分を偽って生きるのはよくない)
第5章 東洋医学の気
経絡の考え方の変遷
黄帝内経 霊枢 経水篇第十二
●(現代語訳)『経水は水を受け取って巡らせる、五臓は神気魂魄(神気:その人をその人たらしめ、生かしている気。コンピュータのOSみたいなもの。魂:陽性のたましい。死ぬと天に昇る。夜中に体を抜けてそのへんをふらふらすることもある。魄:陰性のたましい。死ぬと骨とともに地面に還る。骨が消えないうちはそこにくっついているとされる)を合わせて内蔵する。六腑は食べ物を消化して巡らせ、そこから気を受け取って人体上部へ持ち上げる。経脈は血液を受け取ってこれで各所を栄養していく。』
経穴は絶対的なものではない
●経穴の場所は定義されているが、住所でいえば「何丁目何番」までで、何号とかマンション○号室」までは書いていないと考えるべきである。その最後の取穴の判断は施術者の指先の感覚によって特定する。その根拠は触ってみて、ざらざらするとか少し冷たいとか、押したら響いたとか、軽く押し込んで揉んでみると中に糸くずみたいな小さな硬さを感じるとか、そのような他とは異なる指先に伝わる感じや印象を大事にして取穴する。
現代に多いのは内因・不内外因の体調不良
●人体内では感情の動きが気を動かすとされている。(感情→神経伝達物質→自律神経) 気血とは
●ひどく偏った感情は気を損なうと考えられている。
●不摂生(飲食、睡眠、労働の不養生)も人体の気を損なう原因であり、不内外因という。
第6章 科学の気
現代中国は気をどう説明するのか
●『気はいったいなんなのかを科学的に検証する研究は、80年代にたくさん行われており、2000年代に入ってからの研究はほとんど見当たりません。おそらく、気を捉えられそうな計測機器による研究が出尽くしたのだろうと思います。そして、それらの研究はいくつかのエネルギーが体を流れている。もしくは体から放出されている様子を検出しました。
気を体の外に放出するイメージとしては、手から何かが発せられてそれが相手の体に空中を伝わって到達し、体に暖かさや涼しさ、電気的な刺激に似た感覚などが発生する、というものです。実際に、他人へ気を送る状態をサーモグラフィーで捉えると、受けて側の手や顔の温度が上昇していることがわかるのです。』
手から出る遠赤外線
●『この研究を主に行っていたのは、東京電機大学の教授でいらした町好雄氏です。彼はテレビ局の要請でまったく専門外だった気功をサーモグラフィーで計測し、実際に体表面の温度変化が観測されることを目の当たりにし、本格的に研究を始めるようになりました。
とくに温度の変化が著しいのが手の指先にある経穴の商陽・中衝と手のひらの中央付近にある労宮でした。経穴が気の出入り口とされていることが実際に計測されたということになります。
なんらかのエネルギーが空中を伝わって、それで相手の体温が変動する。これを可能とするには、いずれかの電磁波が関与しているにちがいないと町氏は考えました。町氏は、おそらくは遠赤外線がそれを狙っているだろうと考えたのでした。』
NPO法人 気功分化センター
『多くの人々が元気で幸せな日々を送ることができるよう、中国の歴史のなかで育まれてきた健康法である気功をさらに普及していこうと平成18年4月に設立したNPOです。
科学者や気功師、気功文化に興味のある仲間が、“気功を多くの人に知ってもらいたい”、“気功が人体へ働きかける仕組みを解明していきたい”という思いで発起人となって設立しました。』
波にすると情報がのせられる
●『測定してみると気功を行っている人体から放射されている遠赤外線自体の強さはそれほどではありませんでした。そこで町氏は計測機器に工夫をし、遠赤外線の波形を調べる方法を使ってみたところ、発生されている遠赤外線に一定の波形が現れていることを観測しました。遠赤外線そのものにシグナルがのせられていて、それを人体が受け取って読み解いて体の中に変化を起こしている可能性が示唆されたのです。
この、波にすると情報がのせられるというのは、ラジオやテレビの電波と同じ原理です。同じような実験を行った研究者は多数おり、追試の結果たしかにそうなっていることがわかりました。
これ以外の研究としては、上海中医学中医研究所で、先ほど顕著に温度が変わると紹介した経穴の労宮から数センチから1メートル離れた距離で、遠赤外線が検出されること、頭頂部の経穴である百会から数センチのところで微細な磁力信号が検出されることがわかっています。また、日本医科大学教授だった品川嘉也氏は、気功の送り手と受け手の脳波が同調することを突き止めています。』
皮膚を流れる電気
●傳田光洋氏は、末梢神経が通っていない表皮細胞そのものが情報を伝える仕組みを発見した。TRPと呼ばれる受容体が表皮細胞の膜表面に存在しており、これが外界から刺激を受け取ると細胞膜表面に電流を生じ、細胞から細胞に電気が流れてゆき、最終的に深部にある末梢神経へ刺激が伝わる仕組みになっている。
第7章 養生と気
人が生まれるときの気
●馬王堆の「胎児書」には人は生まれた瞬間が気の塊とされ、一番パンパンに気が詰まっている状態であるとされている。
●赤ん坊は陽気の塊とも言われている。
感想
鍼灸師編の2冊から学んだことは、“氣”の歴史は古く、また、“プネウマ”、“ルーフ”、“プラーナ”など世界各国に“氣”に似たものが存在していた点です。西洋医学につながっていくガレノスも“プネウマ”に注目していました。紀元前460年前頃とされる「医学の父」ヒポクラテスは“氣”については触れていないと思いますが、“自然治癒力”の重要性を説いています。
“氣”という言葉は色々な場面で使われています。宇宙や生命に関わるものであったり、呼吸であったり、気功のような特別なエネルギーを指す場合もあります。まだまだ、分からないところだらけですが、幸い勉強の材料はまだまだ出番を待っていますので、地道な勉強を続けていきます。
今回は、“氣”は時代を超え、国を超え、様々な状況の中で特別な“存在”として受け継がれてきた概念のようなものではないかと思いました。
ご参考:血液∈経脈
第5章の中の「経絡の考え方の変遷」でご紹介させて頂いた、黄帝内経 霊枢 経水篇第十二について詳しく解説されているサイトがありました。
【古医書】霊枢:経水篇 第十二
≪提要≫
十二経脈は、地上を流れる十二の経水が
地水を受けて各地を連絡するように、
五臓六腑に連絡し、交通しており
それぞれ大小・深浅・広狭・長短などが異なる。
五臓は神・気・魂・魄など機能活動を主り
六腑は水穀の精を全身に輸送し散布する。
十二経脈は血を受納し全身を運営している。
人体には一般的な標準があり、
各経気を調整する際にも一定の規律がある。』
また、東洋医学における“血”に関しては、「漢方の基礎知識」というサイトに、“血”は血液を含むものとされています。
暑ければ汗をかき、悲しければ涙をながし、食事をすれば唾液が助け、肌を切れば血が流れます。現代医学で説明される“血液”という理解(認識)は存在していませんが、その当時の人々が定義する“血”が現在の“血液”を含んでいると考えることは疑う余地はないように思います。
画像出展:「漢方の基礎知識」
『東洋医学で考える「血」はカラダの中を流れる赤い液体のことで、西洋医学でいう血液を含む栄養物質を指しています。「血」には精神活動を充実させ、全身に栄養を運んでカラダを潤す働きがあります。』