前回のブログでご紹介させて頂いた「日本のがん医療を問う」の中に次のような文章がありました。
『2001年春、佐藤さんは地元の大学病院で大腸がんと診断され、手術を受けた。その後、手術をした外科医の手で再発を防ぐための抗がん剤治療が始まった。七ヵ月間続いたこの治療は、佐藤さんにとってつらいものだった。
その頃の様子を、佐藤さんは手記に記している。
「体調悪し」「副作用強くて吐き気あり」「二度吐く」
抗がん剤の投与を受けるたびに繰り返される副作用の様子が生々しく書かれている。佐藤さんは、当時のことを思い出すと今でも気分が悪くなり吐き気を催すという。
「抗がん剤治療が終わると同時に、トイレに駆け込んで嘔吐するというような状態だったんですね。それで終わりじゃないんですよ。帰って横になりますよね。体の負担がすごいですから、翌日もやっぱりご飯が食べられない。二週間に一回の抗がん剤治療だったのですが、その間ずっと吐き気があるわけです。ご飯をほとんど食べれなかったので、10キロくらいやせました。
それで、抗がん剤治療のつらさを先生に訴えたわけです。吐き気を止めてほしいとお願いしたのです。その答えというのは「大腸がんの抗がん剤治療は、ほかの抗がん剤治療に比べまだ楽なんです」と。「入門編のようなものですよ、辛抱しなさい」と。「だから抗がん剤を打ってもらった後、その苦しさに耐えて最後までがんばるしかなかったんですよ」
副作用のため、佐藤さんは生き甲斐であるカメラマンの仕事を一時中断せざる得なかった。「この治療が終わればがんが治る」と信じて、佐藤さんは抗がん剤治療に耐え続けた。
しかし、手術を受けた翌年の2002年、肝臓への転移が見つかる。さらにその翌年には肺への転移が見つかった。佐藤さんは地元の大学病院の治療に納得いかず、友人の紹介で抗がん剤に精通した東京の医師の治療を受けることを決めた。
2003年5月。東京・中央区の病院で、平岩正樹医師による治療が始まった。
平岩医師は病気の進行などに応じて、抗がん剤の量や組み合わせをきめ細かく変えていく。副作用を極力小さくした上で、最も効果がある投与方法を探っているのだという。治療方針を決めるときには、時間をかけて佐藤さんと話し合う。本人が納得して治療を受けることを大切にしてくれるのだ。
「地元の大学病院で受けてきた治療とは、何から何まで違う」
佐藤さんの実感だ。
月に数回、定期的に東京に通い平岩医師の治療を受けるようになってから、佐藤さんは抗がん剤の副作用を感じることがほとんど無くなった。また検査結果を見ると、転移したがんの勢いも抑えられているようだ。
おかげで佐藤さんは以前と変わらずに仕事ができるようになった。
堀川遊覧船の取材をしたこの日は、東京で抗がん剤治療を受けてからわずか三日後だった。佐藤さんは朝八時から夕方五時まで働き、四本のニュース取材をこなした。
「最高ですよ。仕事をしている間は、自分ががん患者であるということを忘れているんです、実は。私、進行がんの患者なんですよ。両方の肺に転移したがんがたくさんある。でも仕事ができるんです」額の汗をぬぐおうともせず、大きな瞳を輝かせながらこう語る。抗がん剤が、がんと向き合いながら生きる佐藤さんの日々を支えていた。』
左の図はまさに平岩先生が取り組まれていた抗がん剤治療のノウハウの一部が、大変分かりやすく紹介されたものです。
『抗癌剤の投与方法:抗癌剤の薬量を治療なし(中止)を含めた7段階に設定し、1回抗癌剤を投与するごとに、白血球と血小板の数が減れば次の投与で薬量を1段階減らし、白血球が減らなければ薬量を1段階増やす。こういうふうに薬量のさじ加減をしながら、抗癌剤投与がおこなわれています。
このようにして個々の薬量を7段階にバラけていきます。それをあらわしたのがこの図です。これは、抗癌剤の「適量」の個人差の大きさを示していると言えるでしょう。』
画像出展:「チャートでわかる がん治療マニュアル」
抗がん剤治療による副作用が、医師の処方で変わるということを初めて認識しました。抗がん剤について無知に等しかった私にはこれは驚きでした。
そこで、ここに出てくる平岩正樹医師という人を知りたくなり、ネット検索したところ、20冊以上の著書をお持ちであるということが分かりました。そして、3冊の本を入手しました。
ブログでは、『がんで死ぬのはもったいない(2002年6月初版発行)』と『抗癌剤知らずに亡くなる年間30万人(2005年3月初版発行)』を題材とさせて頂いていますが、前者は感想と目次のみとなっています。
なお、当初の予定としていた『デヴィータ がんの分子生物学』に関するブログは次週とさせて頂きます。
《カバー折り返し裏面に記載された紹介文》
『「最後の入院」―「手術は一流だが、抗癌剤治療は三流」と言っても誉めすぎで、つい最近まで「手術は一流だが、抗癌剤治療はなし」と言ったほうが正確だった。
しかたがない。日本の癌治療で最も大切なことは、患者に癌と気づかれないことだったのだから。抗癌剤を患者に気づかれないようにきちんと使うには相当の技術がいるし、危険でもある。
だから日本の外科医は、今でも「免罪符」のように5FU系経口抗癌剤を多用する。アリバイ的癌治療と呼んでもよい。
日本の癌治療のすべては、手術だけで決まった。もし不幸にして癌が再発したならば、外来でその患者を診ている外科医は、そのまま粘れるだけ粘るしかないのだ。せいぜい、家族を本人とは別に呼び出して「もう残り時間はあまりありません。一日一日を大切に過ごさせてあげてください」と言うしかないのである。でも、これがいったい何のアドバイスになるというのだ。これが医者の言う言葉か。―本書より』
出版:講談社現代新書、初版:2002年6月
「患者と正面から向き合い、患者とともに、患者の思いを尊重しながら、決して妥協せず、卓越した抗がん剤治療の戦略をたて、常に最適な薬量を熟考する、曲がったことが嫌いな、完全プロフェッショナルな外科医である。」というのが、大変生意気ですが、私がこの本から感じた平岩正樹先生の印象です。
目次は次の通りです。
はじめに
序章 最高の笑顔
簡単に死なせるわけにはいかない…マニュキュア作戦…
「命にかけてでも」…「死んでもいい」の意味
第1章 「がんとは、どんな病気ですか?」
「癌」と「がん」…「がんという病気はない」…限りない各論の山…
肝臓癌と体重減少①…肝臓癌と体重減少②…その他の理由…
癌はなぜ転移するのか
第2章 癌の手術と抗癌剤治療
カーテンの向こうの青年患者…医者はなぜ嘘をつくのか…
国立がんセンターに救急車が来ない理由…なぜ外科医が抗癌剤治療を行うのか…
「見た癌は治らない」…「補助抗癌剤治療」とは…
「家族の人だけ来てください」…「カーテンの向こうの青年は…
「最後の入院」…青年に起こった「奇跡」…N先生のくれたヒント…
世界には充実した抗癌剤治療がある…私が受けたい抗癌剤治療…
「ジェムザール」のない病院…「混合診療」という違法行為…
先進的な癌患者…緊急手術のあとで…
「どうせ死ぬ」から治療は無意味か
第3章 自分の癌を知るということ
告知に関するアンケートのトリック…大阪から来た胆嚢癌患者…
診療情報開示システム…予期せぬ選択…「末期癌」など存在しない…
本当に恐い副作用…手足を縛られた治療…患者が主治医にすべき質問…
医者は死から逆算する…「命より意思」…そして悲劇は起こった
終章 医者が患者を看取るとき
S公園にて…二重の苦悩…誤解されている「教授回診」…
「まだ生きているんですか?」…医療は確率の勝負である…
「副作用死1%」の意味…研究段階と実用段階…
国立がんセンターの新治療法…「1ヵ月だけ待ってください」…
「やるしかないでしょう?」…死ぬまでの時間…
人間は死と接した存在…最期の小さな望みを…何もできない医者…
8ヵ月は家族とともに…昭和天皇の「手術後の治療」…私流の儀式
おわりに
こちらは、平岩先生が中心となって運営されているサイトです。なお、「ご相談」にはユーザ登録が必要になります。
出版:祥伝社、初版:2005年3月
こちらも目次をすべてご紹介します。ブログに関しては、第一章 抗癌剤とは……の中から、「抗癌剤による治療と目的」と「抗癌剤治療の現実―癌難民はどこに行くのか」。そして、第二章 抗癌剤と治療法の中から、「抗癌剤治療の[五つの壁]」、第五章 「抗癌剤」最前線の中から、「やっとはじまった混合診療改正の動き」、最後に「あとがき」、以上に関してそれぞれ全文をご紹介します。
寄り道になりますが、ブログ「がんと自然治癒力2」で分かった当時の状況をお伝えします。
1963年に設立された外科医中心の日本癌治療学会、一方、2002年に内科医が中心となって発足した日本臨床腫瘍学会、2つの学会間には問題がありましたが、専門医育成の必要性から二つの学会とも認定制度による試験を2005年秋に実施しました。そして、その約4年後の2009年、日本の主要大学病院に「腫瘍内科」が設置され始めました。
したがいまして、この本が発行された2005年3月は、2つの学会が認定制度について争っていた頃であり、腫瘍内科設置という本格的抗がん剤治療が始まる4年程前に出版されたものということになります。
目次
はじめに
第一章 抗癌剤とは……
抗癌剤とは何だろう
・抗癌剤はなぜ効くのか?
・抗癌剤がもつ二つの働き
・200種もある「がん」の種類
・早期治療の鉄則は変わらない
・癌に効く薬はどこで売っている?
抗癌剤による治療と目的
・治療とは、迷いながら続けるもの
・治療の目的のどれを選択するのか
・「適量」は患者によって、まったく違う
抗癌剤治療の現実―癌難民はどこへ行くのか
・学会を支配する「癌の縮小至上主義」
・承認されていない抗癌剤
・人がいない、お金がない、薬がない
・抗癌剤治療の技術料はタダ
・抗癌剤は本当に恐いのか?
第二章 抗癌剤と治療法
抗癌剤治療と副作用
・分子標的治療薬の実体
・わずかな副作用死を問題にする社会
・抗癌剤評価の四段階
・患者にとっては結果がすべてである
・副作用があってもなくても患者は不安だ
・「癌は痛い」は昔の話
・世界最強治療vs古典的治療
・伝家の宝刀を抜く時、抜かない時
・副作用を抑える薬もある
・善玉か悪玉かは使い方しだい
・放射線治療のできる病院は少ない
抗癌剤治療には日本の掟が!
・日本で発明された薬を輸入する現実
・企業の論理と治療
・抗癌剤治療の「五つの壁」
・マスコミの癌治療の認識度
・600万円と0円の差
・真っ当な治療か、医療費か
第三章 効果のある抗癌剤治療
まずは癌告知から
・癌告知をどうするか
・癌細胞は毎日生まれている
・私はけっして諦めない医者だ
・匙加減という軌道修正
・薬の投与も「米国式」と「欧州式」がある
・古くて新しいレビ博士の研究
・抗癌剤の夜間治療
・画期的な抗癌剤治療「クロノテラピー」
・仕事第一主義と抗癌剤治療
・三種類の抗癌剤治療
・目を覚ましている必要はない
第四章 抗癌剤治療の実際
肝臓癌
・肝細胞癌の治療は、もぐらたたき
・癌の「本籍」と「現住所」
大腸癌
・大腸癌治療の抗癌剤はたくさんある
・人工肛門外しに希望をつなぐ患者
・固形癌に抗癌剤は効かない?
・世界最高の治療の情報
・日本人が発明した薬が活躍
・「どうせ死ぬ」と投げやりな医者
乳癌
・内緒の「ナベルビン」
・悔いが残る乳癌の術後補助抗癌剤治療
・患者の大丈夫を信用できるか
・私の患者は消えていた
・目標は、元気な日を一日でも長く……
・「人は必ず癌になる」という覚悟
胃癌
・北陸から来た超進行癌の患者
・フルツロンから救われる
・手術を拒否し続けた人
膵臓癌
・膵臓癌は年間二万人が発症
・「膵臓癌に効く薬はありません」
・「未承認薬」という障害
・膵臓癌の治療は時間が勝敗を決する
・治療のリスクと勝算を考えて
・基本は「連射と軌道修正」
・膵臓癌のギャンブル治療
肺癌
・高速増殖癌
・たちまち効果が表れた不思議な患者
・誰にもわからない抗癌剤の働き
・肺癌は止まることがある
・余命を決定する四つの要素
・癌に対する武器は多いほどよい
・石橋を何度も叩く
胆嚢癌
・棺の用意も考えられた患者
・掟に忠実な医者、逆らう医者
・金田さんのその後
・試さないのはもったいない
・グラフから何がわかる
・「厳禁」の治療法で成果を出す
胆管癌
・ある胆管癌治療患者と死
・さまざまな患者たち
・癌闘病をホームページで紹介する患者
・十三夜の月の下で、逝く
腎臓癌
・手術を避ける病院の都合
・「診療情報提供書」
第五章 「抗癌剤」最前線
・「眼」を月に一度しか使っていない
・膵臓癌に劇的な効果のある薬なのに
・イレッサの副作用死を騒ぐ新聞
・日本の抗癌剤治療は赤字覚悟の医療だ
・タダで不利を被るのは国民だ
・妻への抗癌剤を造った夫
・やっとはじまった混合診療改正の動き
・抗癌剤にも「安全第一」の国
・新しい癌の新しい治療薬
・新しい分子標的治療薬
・サリドマイドが多発性骨髄腫の薬として復活
・新たに承認される抗癌剤
・混合診療の論点
・私の患者を踏み台にした会議
・そんなに患者を選別したいか
あとがき
抗癌剤による治療と目的
●治療とは、迷いながら続けるもの
「高血圧の薬は、飲みたくない。なぜなら、もし飲みはじめると癖になって一生飲み続けないといけないから……」と真顔で言う人がいる。
一生の間に病気がどうなるのか予測は難しい。だから、常に病気の状態を監視し続ける必要がある。それに薬を飲んだから、薬の必要な身体になるのではなく、薬の必要な身体になったから、医者は薬を飲むように勧めるのだ。因果関係が逆で二重にヘンだ。
「抗癌剤はずっと続けないといけないらしいから、はじめるのをためらう」と相談しにくる人がいるが、「それは、誤りです」と私は断言する。
本当にずっと続けることができるなら、幸せである。でも、「ずっと続ける」なんて、やってはいけないことなのだ。もっと言えば、ほとんどの抗癌剤治療は頑張って受けるものではないし、一大決心ではじめる必要もない。そして、迷いながら治療は続けるものなのだ。
癌の手術なら、たいてい一日で終わる。
手術を受ける決心は大変だが、目が醒めたらすべて終わっている。あとは退院に向けて、術後のリハビリを頑張るのみだ。ところが抗癌剤治療は長く続く。多くの人には頑張り続けるなんて無理だ。私が患者でも、「頑張る治療」は辛抱できないだろう。
患者は抗癌剤治療をいつでも中断できる。
中断するのかしないのか、考える材料は四つである。考えないで「ずっと続ける」ようでは、抗癌剤治療の成功はありえない。
①前回の抗癌剤治療で楽になったことはなにか
②前回の抗癌剤治療の辛かったことはなにか
③前回の抗癌剤は癌に効いているのか
④肝臓や腎臓、骨髄などに副作用の悪影響はないのか
①と②は患者が自覚する。③と④は検査でわかるのだ。
多くの癌は症状がない。症状が出にくいという意味では、癌ほど「身体に優しい」病気はない。典型的な癌の症状は、死が追ってからようやく出る。だから①がない患者は多い。もともと症状が出にくい癌だから、どんな治療をしても楽になったとは感じられないのだ。
患者が自分で①と②とを比べても、①がないなら治療を受ける気は起きない。だから、②の副作用が少ない治療が良いと考えがちだ。これは間違いではない。副作用がないにこしたことはないからだ。
ただ治療の目的は、③である。そうだとすれば、たとえ副作用があっても、副作用の大きさよりも大きな成果があれば「良い治療」になる。
①+③が②+④より大きいなら、良い治療である。
だから患者は③も知る必要がある。取材などで、なぜ日本でまともな抗癌剤治療が行われていないのかと聞かれることがある。「自分の病気がどんなものかも知らない患者が、抗癌剤治療など受けられるわけがない」と私は言い続けている。
●治療の目的のどれを選択するのか
抗癌剤治療の種類には二つある。
一つ目は、3cm、5cmなど、目で確かめることができる大きさの癌へ、抗癌剤によっては小さくする治療法で、目に見える大きさなので、効果は目で見てわかる。
二つ目は、再発を抑えるための重要な療法で補助抗癌剤治療という。
手術後にも残っているかもしれない、目に見えない癌に対する治療である。癌治療の目安は5年間再発しないで生きていることで、5年間で再発しなければ完治したと考えられる。ただし乳癌では20年間となっている。
私は、癌治療の目的として
①癌の治癒(完治のこと)
②広い意味での延命、つまり一日でも長く元気な日常生活を送る
③症状の緩和
三つを挙げ、どれをめざすのかは、癌の種類、進行度、患者の価値観、その他の状況で選択する。
●「適量」は患者によって、まったく違う
薬の治療は、手術の「やるか、やらないか」の二者択一とちがって、間に無数の選択肢がある。たとえば「半分の薬量を試す」こともそうである。
通常、抗癌剤の量は患者の体表面積で決める医者が多い。だから電卓を叩いて薬の量を決め、「基準量」の治療をしようとする。そのほうが科学的治療の薫りもする。でも抗癌剤の適量には「体表面積に比例」以上の要因がある。
そもそも抗癌剤の適量には「個人差」があり、患者によって約10倍もの開きがあると思ってよい。抗癌剤の「基準量」は、多数の患者の平均値に過ぎない。計算した薬量に、絶対的根拠があるわけではないのだ。半量を投与してみることは日和見主義ではないのだ。
胆嚢癌が再発した杉浦和子さん」(仮名、42歳)は、地元の病院から、もう治療法がないと告げられた。2001年7月から私が抗癌剤治療を続けているが、治療内容は、その後の一年間の間に以下のように変わった。
①5FU+LV ②ジェムザール ③ジェムザール+イリノテカン ④ジェムザール+イリノテカン+シスプラチン ⑤TS-1+シスプラチン ⑥イリノテカン
杉浦さんに使う薬が次々と変わるのは、治療の効果が長く続かないからだ。
どんな抗癌剤も、永久に続けるということはまずない。「薬剤耐性」という抗癌剤のやっかいな性質が大きな課題である。ずっと効き続けることなんて、極めてまれで、早ければ一ヵ月、長くても二年間程度で、その患者の癌に効かなくなってしまうのだ。
杉浦さんの場合も、効果が減ればすぐに薬を変える。薬の種類だけでなく、毎回のように薬の量を変えている。杉浦さん個人の「適量」を探すためだ。
一年間の治療で一貫しているのは、杉浦さんの抗癌剤の適量が一般よりも常に少ないことである。⑥イリノテカンの治療も、「基準量」の5分の1で、これで癌の成長は止まっているのだ。もし杉浦さんに「基準量」を使えば、強い骨髄抑制が出て、白血球が減少し、副作用死する可能性もある。
逆に誰にでも、杉浦さんのように規準の5分の1の抗癌剤の量で効くなら、「5分の1」が基準量になっているはずだ。それでも、「少ない量で効く人もいるから、試してみる価値はある」ことは事実で、あくまで個々の患者に試しながら適量を探すしかない。
抗癌剤治療の現実―癌難民はどこへ行くのか
●学会を支配する「癌の縮小至上主義」
世間で行われている抗癌剤治療は「癌の縮小至上主義」をめざしている。「癌が縮小しなければ、抗癌剤治療の意味はない」と考えているのだ。
たしかに、縮小しないよりは縮小したほうがいいに決まっているが、私はこの「縮小至上主義」には賛同しない。癌の「休眠」という方法もある。「休眠」には世間に大きな誤解がある。
休眠療法は特別な抗癌剤治療ではなく、行なうことは通常の抗癌剤治療だが、治療の目標を「癌の縮小」に置くのではなく、「癌の成長の横ばい」に置くという概念的なものである。治療を行なう患者や医者の心構えと言っても良い。
「癌の休眠」という考え方に対して、私は抗癌剤治療における「評価」の重要性を強調している。「休眠」も「評価」も「癌の縮小至上主義」とは異なる考え方である。
休眠療法は「目的」ではなく「結果」だと考えればわかりやすいかもしれない。癌が縮小することを目標に治療するのではなく、結果的に癌が成長しなければ成功と考えて、治療を続行するのである。つまり「癌の縮小至上主義」に対するアンチテーゼだ。仮に無理なく癌が縮小するなら、もちろん「休眠」より良い結果である。
休眠療法とは、癌細胞の消滅と生成のバランスがとれている「結果」を言っているのであって、休眠させる特別な治療があるわけではない。副作用が容認できる範囲なら、縮小しないより縮小するほうが良いに決まっている。
金田芳子さん(仮名、68歳)は、胆嚢癌が肝臓の六割に転移していた。某県立がんセンターの医者に勧められたホスピスに行っていれば、今ごろは肝不全で亡くなっていたことだろう。
金田さんの場合、私の治療目的は癌を縮小させることだった。一ヵ月あまりの治療で癌の95%をなくすことができた。
私は前述の杉浦さんの場合にも、癌を極端に小さくすることを目標にしていなかった。最初からできれば「休眠」で充分だと思っていた。だが金田さんの巨大癌は、「休眠」を目標にするには大きすぎたので、癌の縮小に懸命になった。
今では癌が小さくなって、癌の位置を示すことも難しくなって、抗癌剤の量も減らしている。今度は、癌が「休眠」していてくれればよいのである。
胆嚢癌と胆管癌を合わせて胆道癌という。手強い癌だ。
私は2002年(平成14)の一年間で四人の再発した胆道癌を治療している。そのうちひとりは残念ながら亡くなった。残り三人は、仕事のかたわら癌の治療を続けている。そんなひとりに鍋島孝夫さん(63歳)がいる。
手術を受けたが一年後に癌が再発した。いったん再発した胆道癌を治すなんて難しいから、最初から治療を諦める医者は珍しくない。都内某医大病院の主治医は「もう治療はない」と鍋島さんに最後通牒を出した。
鍋島さんは「このまま終わりたくない」と思い、私を訪ねてきた。
鍋島さんの腹部CTでみると、癌性腹膜炎で溜まった腹水で灰色になっている。画面中央に胆管癌の再発がある。太く白い筋が上腸間膜動脈という血管で、その左側に灰色に写った塊が癌の再発である。癌は動脈に密着している。別な部分を切った写真にも、動脈にまとわりつく癌が写っている。
それから約二年後に撮ったCT写真では、腹水はなくなっているものの、癌の大きさはほとんど変わらない。
癌を知らない人は、鍋島さんのCTを見て、「二年も治療を続けて、癌は何も変わらないのか」と不満に思うかもしれない。「縮小至上主義」が支配する抗癌剤治療の学会に報告すれば、癌の激減した金田さんの治療は評価されるだろう。だが、癌の大きさが変わらない鍋島さんは「治療無効例」扱いになる。
でも、鍋島さんは治療に満足している。鍋島さんの癌が縮小しないからといって、別に私は鍋島さんの治療を手抜きしているわけではない。都内某医大病院を訪れれば、元気な鍋島さんは幽霊と間違われるに違いない。腫瘍マーカーのCEAは二年間で、15→8とゆっくり減少している。成長の速い胆道癌なのに、治療が元気な日常生活をもたらしてきたのだ。
このように「癌が大きくならなければよい」という場合もある。もっと言えば手強い癌なら少しずつ大きくなる治療でさえ、ありうる戦略なのだ。
癌は三週間から二ヵ月で二倍に成長する。治療の成果で、たとえば「半年で二倍に増殖」になれば、成長速度は良性腫瘍と変わらない。
ただし、気をつけることがある。癌の成長速度は厳密に計算すべきである。検査をおこたると、取り返しのつかないことになる。「癌との共存」という言葉は、世の中で安易に使われすぎている。「共存」というからには、厳密な評価が欠かせない。早すぎる臨終が近づいた時にはじめて「共存」でなかったことを悔いても仕方がない。
もう一つ、どんな抗癌剤もいつかは効かなくなる。用意された薬の数が寿命を決め、治療法は多いにかぎる。
都内の癌専門病院で、イリノテカンを毎週250㎎受けていた患者が私のところに逃げてきた。抗癌剤の投与は、5回しか我慢できなかった。
その時の医者は、「これを続けなければ、命はない」などと脅したらしい。主治医はきっと「癌の縮小至上主義」の医学者だったのだろう。毎週、四日間は嘔吐が続いたという。結局、総薬量はたった1250㎎で治療は終わった。
それだけではない。前の病院では、抗癌剤の点滴ボトルに決まってオレンジ色の袋をかぶせたそうだ。患者はそれ以来、街でオレンジ色を見るたびに吐き気をもよおすようになった。「抗癌剤トラウマ」とも呼ぶべき、医原性精神疾患に罹ってしまった。
この患者はいまは「バランスの抗癌剤治療」による成果に、満足している。ただし、オレンジ色の物だけは病室に置かないように注意している。
●承認されていない抗癌剤
ニューヨーク在住の山田桂子さん(仮名、61歳)が、私を訪れてきた。
山田さんは病気知らずで健康診断など受けたこともなかったが、おなかが痛くなりニューヨークのクリニックで胃カメラの検査を受けたが異常はなかったそうだ。しかし、痛みがおさまらないので、ついにCT検査を受けた。膵臓癌だった。
膵臓の中央に黒っぽい小さな塊が写った。コロンビア大学で腹腔鏡を使って調べたら、肝臓や腹膜にも小さな転移が見つかった。この時点での手術は意味がないから、抗癌剤を勧められた。
山田さんは、長期の抗癌剤治療を受けるなら日本でと思って帰国し、東京のある大学病院に入院した。ところが、膵臓癌の第一選択薬「ジェムザール」がこの大学病院にない。主治医からも薬を使ったことがないといわれた。ジェムザールのない病院で、膵臓癌の治療など出来るわけがない。
実は医者も、どこの病院にどんな薬が用意されているのか知らない。まして「膵臓癌の治療薬がある病院」の一覧なんて見たこともない。薬がすべての病院にあるわけではない。
日本では年間に約二万人が膵臓癌になる。山田さんはいったい何のために日本に戻って、日本で受けられない、膵臓癌という病気の治療をしようとするのか。
安全第一の日本は新薬の承認作業は遅い。
膵臓癌が再発した新山義昭さん(61歳)が、広島から私のもとにやってきた。広島のどこを探しても、ジェムザールで治療してくれる病院がなかったからだ。厚生労働省がこの薬を承認していなかったこともある。
新山さんは、ジェムザールを承認しない政府は、生存権を侵害しているとして、突如署名活動をはじめた。五万人の署名を集めて、当時の坂口力厚生労働大臣に提出したのである。
その甲斐あってか、2001年4月に日本でも膵臓癌にジェムザールが堂々と使えるようになった。ジェムザールは新山さんの膵臓癌を抑え続けている。
日本の膵臓癌の治療は前進したはずなのに、山田さんは治療が受けられない。もちろん探せば、日本にも山田さんを治療してくれる病院はたくさんあるはずだ。でも膵臓癌の治療は急ぐ。病院をあちこち探すくらいなら、コロンビア大学に戻った方が早い。
山田さんは、もう一ヵ月以上も無駄に過ごしている。膵臓癌は、診断がついて三ヵ月以内に患者の半数が死亡するのだ。それに癌が進行すれば、効く薬も効かなくなる。山田さんをアメリカに追い返すことなどできないから、私が山田さんを治療することにした。
●人がいない、お金がない、薬がない
医学を東洋医学と西洋医学に分けるやり方は、良い分類ではない。たとえば抗癌剤のイリノテカンやカペシタビン、オキサリプラチンなどは東洋人である日本人が発明した薬である。東洋医学の優れた産物と誇ってよい。
ところがイリノテカンは、日本より欧米で重用されている。カペシタビン(2003年発売)やオキサリプラチン(2005年発売)に至っては、今でも日本では販売されていない。東洋人のつくった薬を東洋人が使えない。日本人が使いたい場合は、わざわざ逆輸入しないといけないのである。
癌ほどありふれた成人病はない。日本では、年間に30万人近い人が癌で亡くなっている。日本人の三人に一人が癌で亡くなる計算だ。もちろん癌が完治する人は多い。でも日本の問題は、完治しない人に対する医療の貧困である。
手術治療の、高い成績レベルに比べると、「日本に抗癌剤治療はない」といっても言い過ぎではない。私はそれを「人がいない、お金がない、薬がない」と総括している。
アメリカには抗癌剤治療の専門家の医者が4000人以上もいるのだが、日本に何人いるだろうか。白血病などの治療をする血液内科を除けば、数えるほどしかいない。数人ではないにしても、全国にせいぜい数十人である。大半は新薬の治験に追われている。
●抗癌剤治療の技術料はタダ
それでも、自分の専門を越えて熱心に抗癌剤治療と取り組んでいる医者がいる。
あちこちの病院で、人目を忍ぶようにひっそりと治療に当たっている。ひっそりと影を薄くしているのには、以下のような理由がある。
ある病院の事務長に訊ねてみた。
「患者が支払っている抗癌剤の治療費の内訳は、どうなっているのですか」
「ほとんどが薬代ですね」と、事務長は無表情に答える。
「点滴をするわけだから、薬代だけではないでしょう?」
「手術や検査のような、医者の技術料はいくらですか」
「技術料は、ないです」
「えっ?」私は聞き返した。
どうせ日本の医療の技術料に対する評価は小額だろう、だから医者は仕事の代価なんて知らない。だが、薬は単なる「道具」であるはずだ。手術道具が勝手に手術するわけではないように、薬が患者を治療するわけではない。医療の価格はすべて行政が決めているが、タダとは予想外だった。
事務長の返事は「技術料はないんですよ」と私にちょっと同情してくれていた。
あまり私が驚くものだから、「実際には問屋と交渉して、薬代を5%から15%くらいは値引きしてもらい、差益を出しています。消費税は病因持ちなので、5%の値引きがないと逆鞘になってしまうんですよ。この程度の値引きは抗癌剤に限りません」と事務長は言う。
少しの慰めにもならない。薬に多少の差益があったとしても、技術料はないのだ。医療経済上、日本に抗癌剤治療は存在しない。
患者は毎回、高いお金を病院の会計で払う。でも抗癌剤治療の場合、病院の会計窓口は製薬会社の料金徴収を代行しているようなものだ。お金のほとんどは、病院を通過して製薬会社に流れているのだ。「内服薬の場合は処方箋料が病院の収入になりますが、点滴の抗癌剤ではそれもないですね」と、事務長は私にダメを押してくれた。これも日本の厳しい掟なのだ。
自分が手術をした患者には充分なアフターサービスもできるが、よその病院で手術を受けた人の無料治療はやりづらい。これこそ癌難民発生の理由である。病院は「無料サービスだけ」の患者には、治療法はないと言う場面も多くなる。アメリカでは、薬代の倍くらいが技術料として病院の収入になっている。
「日本では技術料はタダだから、抗癌剤の量を間違えて、患者が亡くなっても医者に責任はない」などと暴言を吐くつもりは毛頭ない。医者は「無料の技術料」のために働いているわけではないからだ。
「タダはあんまりだから、技術料くらいは払おう」という人がいるかもしれない。でもこれは違法である。医療にエクストラ・チャージは認められないのだ。
製薬会社のアストラゼネカが肺癌の新薬イレッサを発売した。患者の足元を見るように、一錠9000円と超高額である。考える余裕が残されていない患者は、これを毎日飲み続ける。これではいかがわしい免疫療法や健康食品と変わらない。
私は製薬会社に文句を言った。「副作用の少なさを考えますと、このくらいの値段は……」と答えるから、私は怒った。
抗癌剤治療の技術料がゼロ円の日本で、医者に返す言葉ではないだろう。
●抗癌剤は本当に恐いのか?
私と雑談をしていた人が、「抗癌剤って、聞いただけでも恐いですね」と、いきなり言った。私は、「いやぁ、手術と同じですよ。手術だって、恐いイメージがあるでしょう?」と、答えようかと思ったが、人を切るメスも、もともとは凶器である。外科医が使う場合に限って、道具になる。で、私は黙ってしまった。
「薬」という言葉には、聞いただけでも何か効いてくるような、和みの響きがある。「百薬の長」などの言葉は、良い例だ。抗癌剤も薬の一つではあるのだが。多くの人は、抗癌剤にぞっとするイメージしか抱かないのかもしれない。「たしかに抗癌剤には恐いイメージがありますが、癌はもっと恐いですよ」と答えてもよいが、これも説得力がない。
「抗癌剤の副作用がひどい」というのもあとを絶たない。でも「ひどい副作用」の多くは、抗癌剤を使う「匙加減」に問題がある。抗癌剤のせいにするのは、濡れ衣だ。
日本の手術は、世界一と言ってもいいくらい安全だ。2003年5月、初めて生体肝移植でドナー(肝臓提供者)の手術死が報じられた。これがニュースになる国である。2000例以上も生体肝移植で手術死を出さなかったハイレベルの国は、日本の他にはない。
癌の手術も、抗癌剤より安全なくらいである。皮肉にも、安全な日本の手術が抗癌剤の危険性を際立たせている。
抗癌剤治療の「五つの壁」
新聞社系の週刊誌の取材に応じて、私は「日本の抗癌剤治療には、制度上『五つの壁』があります」と以前未承認の問題を取り上げた。
この週刊誌は私の患者、笠松ユキさんの話を誤った事実とともに紹介している。私は「笠松さんには、まだ未承認薬を使っていません。国立のがん専門病院でホスピス行きを勧められた笠松さんに、承認薬だけで九ヵ月治療を続けています。笠松さんに限れば『超高額医療費』は当たっていません」と話した。
日本には五つの壁がある。
第一の壁は「新薬の承認」である。未承認薬を使う医者は、「何が起きても、全責任を負います」という誓約書を、厚生労働大臣に提出しないといけない。患者も医療費が全額自己負担になる。
第二の壁は「日本に存在するが、使えない抗癌剤」があるのだ。
某県立がんセンターで乳癌の抗癌剤治療を受けていた患者が、主治医に、「もう治療法はない」と言われた。同じ病院内の執刀医に相談すると、「これは内緒にしてください」と言って、ナベルビンという抗癌剤を使ってくれた。
この「内緒の薬」は良く効くし、副作用も少ない。それでも看護師までが、「この薬は肺癌の薬で、乳癌の患者に使うのは初めて」というので、患者は不安になって私を訪ねてきたのである。
ナベルビンは肺癌だけでなく、乳癌にも良く効く。国際的な常識である。でも日本では、肺癌にしか使えない。そういう厳しい掟なのだ。医者がナベルビンを乳癌の治療に使えば、「薬の乱用」と批難される。膵臓癌や胆道癌になると「乱用」しなければ、とてもまともな治療などできない。
第三の壁は「その病院に抗癌剤がない」ということだ。すべての病院にすべての薬があるわけではない。薬物治療も人間が治療をする。
薬が病院にないということは、その薬を使える人間が病院にいないということだ。胃癌の第一選択薬TS-1の治療を受けるために苦労した九州のある患者の例を書いたように、第一選択薬もなく、胃癌の治療をしている病院が、日本にはたくさんある。
第四の壁は、前述したが「抗癌剤治療の技術料や手間賃が無料」ということだ。私は次の第五の壁を話すことができなかった。その別の週刊誌は、私を「患者一人ひとりの症状に合わせた抗癌剤治療で知られる医師」と紹介した。誰でも医者は凝った治療をしたい。でも「抗癌剤治療の技術料や手間賃が無料」では、手間暇かける治療は難しい。
優れた抗癌剤治療をしている医者は全国にたくさんいる。おそらく数百人はいるだろう。でも抗癌剤治療は無料だから、医者は周囲の目を気にしながら、ほそぼそと秘かに医療をしている。良い抗癌剤治療の噂を聞き付けた患者が集まれば、その病院は財政的に逼迫するからだ。「この治療は内緒にしてください」とでも釘を刺して、自分が手術した患者だけに良い抗癌剤治療を行なう。同じ医者が「一見さん」に対しては、「どこの病院で治療を受けても同じです」と噓を言わないといけない。
世の中の人は抗癌剤治療が無料だとは知らない。現に病院の窓口で抗癌剤治療のたびにたくさんのお金を払っている。ただし、それがほとんどすべて製薬会社の取り分だとは気づいていない。良い抗癌剤治療を受けようと思う患者は、「内緒の治療」を広い日本の中から探し出さないといけない。これが第五の壁である。
やっとはじまった混合診療改正の動き
大腸癌の患者が亡くなると、私はいつもオキサリプラチンを輸入すべきではないのかと迷う。しかし、それは必ず「新しい問題」を生む。
中田さんの御主人は、優れた薬の研究者なのかもしれない。でも薬の臨床的な優劣までは知りえない。彼がオキサリプラチンの存在を知っていたなら、そしてその価値を知っていたなら、薬の合成に時間を費やすことなどなかったはずだ。中田さんのそばを離れることもなかったはずだ。情報を伝えなかった私に責任はないのか。
中田さんが亡くなってしばらくして、私は一線を越えて、輸入をはじめる決心をした。
『サンデープロジェクト』(テレビ朝日系)に、私とともに患者たちが出た。オキサリプラチンなど新しい抗癌剤を早く承認するよう活動している人たちだ。
外国から新薬を輸入して使うことは、実は簡単な手続きで可能である。欧州の薬でも、医者が注文すれば一週間で手に入る。負担といえば、せいぜい厚生労働大臣に医者が「全責任を負います」と誓約書を書くことくらいである。
ではなぜ、テレビに出た患者たちは銀座で署名活動までしているのか。
お金である。オキサリプラチン一本50,000円の薬代をどうすればよいのか。保険はきかない。誰が薬代を出すのか。患者が薬代だけを負担することもできない。それは病院の違法行為になる。保険医療に自費は許されない。朝日新聞の大好きな罪名「混合診療」だ。
薬を輸入するたびに役所に届けを出すのだから、そんな「違法行為」はすぐにバレてしまう。合法的に輸入薬を使うには、薬以外のすべての医療費を全額本人負担とする「自由診療」しかないのである。でも、これが私の心配した「新しい問題」ではない。
自由診療の莫大な医療費を何とか捻出して元気になる人の隣のベッドに、オキサリプラチンを使えない人がいる。その人に、「どうして自由診療でなければ使えないのか」と聞かれれば、私は今の医療制度をいくらでも説明できる。私に詰め寄った患者は、無念な思いで諦めるしかないのである。この残酷さをわかっていたから、私は長い間迷っていたのだ。
自由診療であろうと混合診療であろうと、患者の負担が大きいことに変わりはない。これに比べれば医療負担が二割か三割かなんて、些細な問題だ。どうしてこんな事態が起きているのか。『サンデープロジェクト』も、そこまでは踏み込んでいない。
最近になって、「自由診療+保険診療」の混合診療になれば、保険診療を取り消されるということが問題にされはじめた。このことが国会を通過するまでには、気の遠くなる時間を要することだろう。国会議員が癌患者になって、現実を体験すれば早期解決すると思われるのだが……。でも本当の問題は、新薬の承認が日本で遅いことになる。
あとがき
最近、癌の話、特に抗癌剤の話がさかんにマスメディアで注目されるようになった。確かに癌の患者は増えているし、癌で亡くなる人が日本人の死因の第一位を占めている。でも癌が死因の一位であることは、実は1980年からもう25年も変わらない不動の事実なのである。
最近大きく変わったのは、癌が患者自らの口で語られるようになったことである。昔の患者は特に進行癌の場合、闇から闇に葬り去られるように亡くなっていた。転移性肺癌は肺炎、転移性肝臓癌は肝炎と告げられ、患者は最後まで「もう少し頑張れば良くなる」と騙され続けて亡くなっていた。患者に癌とわかってしまう放射線治療や抗癌剤治療など、検討されることもなかったのである。
「元気な日を一日でも長く」という、進行癌に対するベストの治療を訴え続けてきた著者として、ようやくその環境が日本にできはじめたという楽観がある。「呑気な感慨だ」と批判されても、「問題がある」と騒がれること自体は大変な前進なのである。昔は「大問題があると大声で叫んでも、誰も振り返る人がいなかったのだから。
もう一つ、抗癌剤が話題になる大きな理由がある。ここ10年、加速度的に新しい抗癌剤が揃ってきたのである。10年前は、たとえば大腸癌や肺癌、胃癌は抗癌剤が効かない癌の代表のように言われていた。今はそうではない。手の施しようのない本当の「末期癌」の領域は、かなり狭くなってきたのである。一人でも多くの人がその恩恵を受けられるよう、この本を著した。
本書は「週刊現代」(講談社)に連載中の『読む抗ガン剤』の2002年10月~2004年12月の分に加筆して、まとめたものである。~以下省略。