発達障害をもった児童に向き合い、心を通わせることを心がけ、理解を進めていく、そして信頼関係をつくるということが基本であると思います。
一方、机上の学習、知識を増やすことも必要なことです。今回は、以前にもご紹介させて頂いた、杉山登志郎先生の著書、「発達障害の子どもたち」の中から、“発達障害の概観”、“発達障害の新たな分類”、そして“自閉症という文化”の中からいくつか引用させて頂き、知識を広げたいと思います。
著者:杉山登志郎
出版会社:講談社
発達障害の概観
『発達障害を分けていくと、いくつかの領域に分けることができる。おのおのについて国際的な診断基準によって診断名が確定されている。
ところがこれまでわが国の施策の中で、発達障害として公認されていた問題は、きわめて狭い領域に限られていた。つまり発達障害を抱えていても、社会的に公認されないものが多数存在した。2005年に施行された発達障害者支援法は、これらを発達障害と認定した点で画期的な法律である。
発達の領域と、その内容、その発達障害の診断名、以前から公認されていたか否かについてのまとめを表に示す。診断名は現在もっともよく使われている診断基準である、アメリカ精神医学会の診断と統計のためのマニュアル第四版(DSM-Ⅳ)に従う。』
最新となる、マニュアル第五版(DSM-Ⅴ)については、こちらの「発達障害ポータルサイト」に詳しい説明が出ていました。
発達障害の新たな分野
『筆者は現在、発達障害は四つのタイプに大別されると考えている(下段の表参照)。第一のグループは認知の全般的遅れを示す精神遅滞と境界知能、第二グループは社会性の障害である広汎性発達障害(自閉症スペクトラム)、第三のグループはいわゆる軽度発達障害で、行動のコントロールなど、脳のある領域の働きと他の領域の働きとの連動に際して障害を生じるタイプであり、注意欠陥多動性障害(ADHD)や学習障害(LD)、発達性協調運動障害が含まれる。第四のグループは子ども虐待にもとづく発達障害症候群である。』
自閉症の三つの症状
『自閉症とは生来の社会性のハンディキャップを持つ発達障害である。今日、自閉症は次の三つの症状によって診断される。第一は、社会性の障害である。第二は、コミュニケーションの障害である。第三は想像力の障害とそれに基づく行動の障害で、一般的にはこだわり行動と呼ばれている。
この三つが国際的診断基準を示す基本症状で、言い出した人間の名前を取って「ウィングの三症状」と呼ばれることもある。それ以外の重要な問題として、知覚過敏症の問題がある。また、多動な子どもがいたり、学習障害を呈する子どもがいたり、不器用な子どもがいたりする。このような広い発達領域に一度に障害を生じるので、広汎性発達障害と呼称されているのである。
ここで注意を要するのは、知的なハンディキャップに関して、この三つの症状は何も語っていないということだ。自閉症と診断される子どもには、最重度の知的障害を持つものから、まったくの正常知能のものまでいる。
この三つの基本症状のおのおのについて説明を行うが、それぞれ「自閉症の」社会性の障害、「自閉症の」コミュニケーションの障害という具合に、自閉症独自の形を持つのである。』
逆転バイバイ
『自閉症の社会性の障害とは、人と人との基本的なつながりに生まれつきの苦手さがあるということに他ならない。
赤ちゃんのそばに近づくと、ぱっと赤ちゃんの目が飛んできて、じっとこちらを見つめるのを経験した方も多いのではないかと思う。特にお父さんお母さんに対しては、目が合えば必ずにっこりとほほえむのであるが、見ず知らずの人に対しては、じっと見つめるところまでは同じであるが、わーと泣き出してしまう。またお母さんやお父さんが、赤ちゃんを置いたまま行ってしまおうとすれば、追いかけ、泣き出して追いすがろうとする。
自閉症の場合には、このような一連の愛着行動に、大きな遅れが認められる。まず目が合わない。後追いをしない。それどころか歩けるようになると、平気で親の元を離れて突進してしまい、親のほうが後を追いかけていかないと迷子になってしまう。人見知りもほとんど見られない。
自閉症の社会性の障害とは、筆者なりに圧縮すると「自分の体験と人の体験とが重なり合うという前提が成り立たないこと」と、まとめることができる。
普通の赤ちゃんは一歳前ぐらいになると、何か新しいものを見つけたときに、お母さんの目をまず見る。お母さんがそれを見ていなければ、手で示し、声を上げてお母さんの注意を引きつけ、お母さんが一緒に見つめていることを確認して、笑ったり喜んだりする。つまりこの行動は、注意と感情とを赤ちゃんとお母さんが共有している姿に他ならない。
自閉症児の場合は、この一緒に見る、一緒に喜ぶといった行動が著しく遅れる。それだけではない。健常な子どもは、すでに乳児期の後半からバイバイの真似をして手を振る。自閉症児も、真似ができるようになると「バイバイ」をするが、手のひらを自分の方に向けて「バイバイ」と手を振るのである。これは「逆転バイバイ」と呼ばれる現象である。
ところがよく考えてみると、大人が赤ちゃんに向かって「バイバイ」とするときには、手のひらは赤ちゃんの方に向いている。機械的にそれを真似れば、実は自閉症児の「逆転バイバイ」が正解なのだ!むしろ問題は、なぜ普通の零歳児が、手のひらは自分のほうを向いているのに、相手に手のひらを向けてバイバイができるのかということである。普通の赤ちゃんでは、すでに乳児のうちに、自分の体験と人の体験が重なり合うという前提があるからに他ならない。自閉症の場合には、この段階ですでに問題があるのである。
「認定NPO法人にいがた・オーティズム」は、新潟県新潟市を中心に自閉症児・者とその家族、関係者及び地域社会に対して、自閉症に関する適切な療育と正しい知識の啓発及び地域生活を支援する事業等を行い、もって自閉症児・者の人権擁護及び教育と福祉の充実に寄与することを目的とした特定非営利活動団体です。
左のマークは幼少期のごく短い期間に自閉症児が見せる行動=逆転したバイバイ=をモチーフにした、自閉症啓発のためのシンボルキャラクターです。
言葉の遅れ、こだわり行動
『自閉症の二番目の特徴的な障害は言葉の遅れである。普通は一歳を過ぎると出てくる始語の開始が遅れ、またオウム返しが続くこともある。注目して頂きたいのは、自閉症の言葉の遅れとは単なる遅れではなく、自閉症の社会性の障害の上に、言葉が発達をした形を取っているということである。自閉症の子どもは、言葉が出てくると、オウム返しが長く続くという特徴がある。またミルクが欲しいときに、「ミルクが欲しいの?」と、疑問文によって要求を表すこともよく知られている。なぜこのような疑問文による要求が出るのかと言えば、自分がミルクをもらえるときに、周りから「ミルクが欲しいの?」と聞かれるからに他ならない。つまり、この疑問文で要求するというパターンは、手のひらを自分に向けてバイバイするのと同じ構造である。
このような社会性の障害の上で言葉を発達させているので、言葉が伸びてきた子どもでも、会話を通して体験を共有するといった言葉の活用が著しく苦手といった特徴を持っている。
自閉症の三番目の特徴が想像力の障害である。子どもは遊ぶ存在である。健常な子どもはいろいろなものを別のものに見立て、あるいは何もなくてもそこにあると想像をして、活発なごっこ遊びを展開する。砂の固まりがプリンになり、ご飯になり、お団子になる。また新聞紙を丸めたものが、鉄砲になり、刀になる。このような見立て遊びは、自閉症の子どもの場合極めて苦手なのである。
そのかわり自閉症の子どもが示すのは、こだわり行動である。まず、手のひらを目の前でひらひらさせる、手をぱたぱたと振る、コマのようにくるくる回るといった反復自己刺激行動、それから特定の記号やマーク、また換気扇にだけ注目して突進をするといった興味の限局、さらに道順にこだわる、ものの位置にこだわる、同じやり方にこだわる、順番にこだわるといった順序固執に展開していく。筆者は、一人の自閉症児の幼児期からこだわり行動が何種類出たか調べたことがあるが、なんと800以上あった。そのくらい自閉症にはこだわりがついて回るのである。』
自閉症の体験世界
『自閉症の精神病理の基本は、対話の際に雑多な情報の中から目の前の人間が出す情報に自動的に注意が絞り込まれる機能がきちんと働かないこと、一度に処理できる情報が非常に限られていることの二点である。
これを認知の特徴という点で説明すると次の三つとなる。一つは情報の中の雑音の除去ができないことである。第二には、一般化や概念化という作業ができないことである。三番目は、認知対象との間に、事物、表象を問わず、認知における心理的距離が持てないことである。
普通の幼児は、すでに生後二か月には人の出す情報と、機械音とを識別している。人は人が好きなのだ。我々の注意は強い選択性を持っていて、特に目の前にいる人の出す情報に注意が固定される。
ところが、自閉症の幼児は、このような対人的な情報への選択的注意という機能が十分に働いていない。その結果、お母さんの出す情報も、機械から出る雑音も同じように流れ込んでしまう。いわば情報の洪水の中で立ち往生している状態である。テンプル・グランディンは、自分の幼児期の耳は調整の効かないマイクロフォンのようだったと述べている。
テンプル・グランディンの著書である、「自閉症の脳を読み解く」について書いたブログがあります。クリックすると表示されます。
画像出展:茅ヶ崎市
このような不安定で、怖い世界から自分を守るために、自閉症の幼児がとる戦略は何かというと、自分で、一定の安定した刺激を作り出して感覚遮断を行うという方策である。幼児期の自閉症でよく見られる自己刺激への没頭に他ならない。一定のリズムでぴょんぴょんしたり、目の前で手のひらをひらひらさせたりして、彼らは言わば押し寄せる情報へのバリアーを作り出しているのである。
このような幼児期の混沌とした状態から、徐々に彼らは認知の焦点を合わせることが可能になる。しかし普通の子どもの認知が広く開かれたものであるのとは異なって、おそらくは意識的な焦点の絞り込みによって初めて成り立つために、自閉症の注意は、あるものに注意が向いているときには、他の情報が無視されてしまうという強い過剰選択性を抱えやすい。
喩えれば、木を見て森を見ずということは、我々もしばしば体験することではあるが、自閉症の場合には、木を見ても、一枚一枚の葉が見えてしまう。あの葉は葉脈がきれいだ、あの葉は端っこが虫に食われている、あの葉は半分黄色くなっているなど、一枚一枚の葉が個別に識別されてしまうと、森どころか木の全体像も見えているかどうか分からない状況となる。
このうような世界の見え方は次のような喩えのほうが分かりやすいかもしれない。ロシアの街角を当て所なく歩いているとしよう。看板は全部ロシア語で書かれているから何も分からない。すると遠くに日本レストランの日本語で書かれた看板が見える。どんなに距離があっても、皆さんはそこに向かって突進をするのではないだろうか。混沌とした世界の中に、ある分かりやすいもの、たとえば換気扇が見えるとする。するとデパートに行っても、スーパーに行っても、体育館の中でも、換気扇に向かって突進する。これが世界が見えてきたばかりの自閉症の世界である。
自閉症の体験世界の特徴について、もう少し続ける。注意の障害があるために、知覚情報の雑音の除去ができないという困った問題が残る。この結果、大きな声が聞こえずに、小さな機械音(たとえばエアコンの音など)が強烈に聞こえるといった現象が生じることもある。
また、自閉症的な認知の仕方では、我々が一般的に行っている名付けや概念化に基づく慣れが生じないという傾向が生まれる。たとえば我々が目の前のコップに目を留めたとする。特に特徴のないコップであれば、「コップ」という概念で我々は目の前の物体をとらえ、瞬時にしてその認知に慣れが生じてしまう。ところが自閉症の場合には、そのコップを見たときに、どこに目を留めているのか解らない。コップの上に描かれている花の模様に目を留めているかもしれないし、場合によってはコップに映っている光に目を留めているかもしれない。このように言葉による概念化が動かないために、言葉を通して認知したものとの心理的な距離を取るという機能が働かない。コップに注意を留めたとき、自閉症者はいわば自分自身の一部がコップになるのである。
このような、認知対象との心理的距離がまったく取れない認知の仕方をしているため、いくつかの対象を同時に視野に入れて処理することや、さらに視点を変えるということが非常に難しくなる。見通しを立てるためには、心理的な距離が必要である。正常知能の者でも、見通しを立てることや終点から逆算してスケジュールを組み立てるといったことが、苦手というよりほとんどできない。このような一般化、概念化、そして見通しを立てる機能の障害は、自閉症の社会的な障害の中核に位置するものである。』
自閉症児の発達の道筋
『非高機能、高機能を問わず広汎性発達障害に共通の対人関係の発達について触れておきたいが、その前に、自閉症の対人関係の持ち方によるタイプについて解説を加える必要がある。同じ自閉症という診断でも、ずいぶん様子が異なる。少しでもその特徴に沿った対応が出来るようにという目的によって筆者は、対人関係で自閉症を孤立型、受動型、積極奇異型の三つに分けている。これもオリジナルは三症状の言い出しっぺであるウィングである。
孤立型の自閉症とは、人との関りを避けてしまうタイプの自閉症である。先に触れた知覚過敏が強くあり、また比較的重度の知的障害を伴っているものが多い。受動型とは、受け身であれば人と関わることが出来るタイプの自閉症である。知的障害を持つものも持たないものもいる。一般に、早期療育を行うと孤立型であった子どもも、徐々に受動型にタイプが変わっていくのが認められる。実は知的障害が若干あるくらいの受動型の自閉症は、一番よく仕事が出来るタイプでもあるのだ。積極奇異型とは人に積極的に、しかし奇異なやり方で接する自閉症である。知的な障害は軽い者が多いが、マイペースで、基盤に注意の障害を持っていて、多動であることが大きな特徴である。このグループも、小学校高学年になると多動は治まってきて、人との関わりが進んでいくと徐々に受動型に近いタイプに変化していく。
自閉症グループの幼児は、知覚過敏症などの問題に妨げられて愛着の形成が著しく遅れる。特に孤立型と積極奇異型である。積極奇異型の高機能児であっても本格的な愛着の形成が小学校年代に入ってからという児童は少なくない。したがって、小学校年代においてはきちんと子どもの甘えを両親に受け入れてもらうことがとても大事な課題となる。一般に4歳前後までの幼児期が最も大変で、5歳ごろにコミュニケーションが目覚ましく伸びる時期があり、小学校では指示の通りも良くなり、状況理解も向上し、問題行動も軽減し、黄金時代となる。小学校高学年は一生の間でも一番良く伸びる時期となる。この5歳代と10歳から12歳という二つの時期はコミュニケーション能力が飛躍的に向上する時期となることが多く、対人関係においてもまた成長が認められる。
青年期はかつてパニックの頻発が問題となっていたが、そのような児童が著しく減った今日から振り返ってみると、自閉症の認知特性を無視した強引な指導によって、青年期を迎えた自閉症者が二次的に大混乱をおこしただけということが明らかである。性的行動や、興奮しやすいといった問題が生じやすい時期ではあるが、今日において青年期は、小学校高学年に次ぐ、よく発達する時期となっているのが普通である。』
自閉症への治療教育
『さて、発達障害の治療教育については、後にまとめて述べるが、自閉症への対応のコツについて、ここで触れておきたい。先に自閉症の認知特徴を三つに絞って述べた。第一に、情報の中の雑音の除去ができないこと。第二に、一般化や概念化という作業ができないこと。第三に、認知対象との間に、事物、表象を問わず、認知における心理的距離が持てないことである。このそれぞれに対して工夫することが治療教育のコツとなる。
まず第一の問題であるが、この対応のための工夫が、できるだけ情報を減らし、特に同時に二つの情報を出さないことであり、一般にこれを構造化と呼ぶ。とりわけ知的障害を伴った自閉症の場合、情報の雑音の除去はきわめて困難で、雑多な情報があふれるところではしばしば立ち往生してしまう。教室のような比較的構造がしっかりとした場所でも、同時に二つの情報を出されると一つは無視されてしまう。たとえば、手を握りながら話しかければ、握られた手の知覚入力だけであふれてしまい、言われたことはまったく入らなくなるといった現象である。そのために一度に複数の情報を提示しないことが求められる。言うときは言うだけ、見せるときは見せるだけ、触れるときは触れるだけ。
付言すれば小学校低学年までのまだ生理的な不安定さを持つ重度の自閉症の子どもには、みだりに触らないほうが無難である。これに関連し、特に過敏性に対する配慮が常に必要とされる。高機能者グランディンによれば、印刷物にしても白紙に黒いインクではコントラストが強すぎて著しく読みにくいのであるという。これが紙に薄い青なりピンクな色がのっている場合には、はるかに読みやすくなるという。また、一部の児童は蛍光灯の微細な点滅を非常に嫌うこともある。ちょうどディスコの中に居るように感じられるのだという。
このような問題の上に、第二の認知の特性が重なる。自閉症児の場合、何度も体験したからといって徐々に慣れてくるということが期待できないところがある。また、一般化ができないこともあって、変化に対しては常に強い抵抗が生じる。要するに混乱してしまうのである。この点に関しては、特に知的障害を伴った自閉症においては、ある程度のこだわりの尊重と活用が現実的である。予定を変更せず、どうしても変更が必要なときには必ず予告を行うようにする。
さらに第三の問題は、見通しを立てることが困難につながる。知的に高いグループにおいてもきわめて苦手な、予測に基づく行動修正や予定の変更などの困難を克服する方法がある。現在広く用いられるようになったのは、スケジュールカードなどによって、見通しの立てにくさをカバーし、行うことを直線上に並べるという対応方法である。
このように見ると、特に小学校低学年において、広汎性発達障害への教育は個別教育が基本であり、基本を固めた後に初めて集団への参加を行うということがやはり好ましいのではないだろうか。早期療育を受けてきて集団での活動をすでに獲得した児童の場合には、必ずしもこの原則どおりではないが、高機能児でも集団参加が非常に難しい事例がけっして少なくない。
わが国の学校教育は行事が多すぎる。準備なしに行事に駆り立てることは、児童を混乱させるだけである。さらに通常教育、特別支援教育を問わず担任が毎年変わる状況では、自閉症グループの児童への十全な教育は不可能であろう。児童と教師との擦りあわせが可能となるのは11月を過ぎたあたりであり、三学期になるとやっと相互に信頼が取れた活動が可能となるが、また新学年に大混乱となるのである。
自閉症グループの発達障害は、社会的な行動を一つ一つ積み上げることが適応を向上される唯一の道である。したがって、他の発達障害と同様、彼らへのもっとも誤った対応はといえば放置に他ならない。』
まとめ
今回、学んだことの中で、特に次の4つは常に意識したいと思います。
1.自閉症に対しては、「情報の洪水に立ち往生している姿」を想像すること。
画像出展:MAG2 NEWS
2.自閉症の中には、知的障害を持つ者も、まったくの正常知能の者もいること。
3.何度も体験したからといって、慣れてくるということをあまり期待できないこと。
4.特に知的障害を伴った自閉症の場合、できるだけ情報を減らし同時に二つの情報を出さない
こと。(「言うときは言うだけ」、「見せるときは見せるだけ」、「触れるときは触れるだ
け」を意識する)。