緊張とリラックス(「リラクセーション」)

冒頭の「はしがき」から骨子ともいうべきものをご紹介します。

・『こころの問題といえばすぐさまストレスという言葉が思い浮かぶほど、ストレスは日常化しています。そのストレスはあたかも私たちのまわりに満ちあれているかのように思われています、そんなものが客観的に存在して、私たちに外部から襲いかかってくるわけではありません。ストレスというものは、自分自身が主観的にこしらえている幻影にすぎないのです。』
・『このようなストレスの存在を前提として、それなりの緊張があった場合に、それになるべく早
く気づき、その緊張を弛め、そんな緊張をしないですむような努力ができるようになれば、生活の仕方、人生の生き方までが大きく変化することになるでしょう。』
・『こういえばもはや明らかなように、本書のリラクセーションは、巷間おこなわれている筋の生
理的な弛みを目的にするものではありません。自分のからだの「緊張を自分で弛める」という本人自身の心理的な努力活動を目指しているのです。』
以上のことから、今回は「緊張」と「リラックス」に焦点を当てます。

著者:成瀬悟策
「リラクセーション」

 

「姿勢のふしぎ」に続く、成瀬悟策先生の本です。

緊張の現われ方
準備緊張

 「いくぞ」、「やるぞ」と本気になってくると、脳波に加え筋電図にも変化が現れ、筋群の緊張確認できます。また、はじめての動作や難しい作業、まだ自分のものになっていない課題などは、その動作のための緊張の程度がよくわからず、力が足りなかったり、逆に力を入れすぎたしてしまいます。しかし、これらは特に意図するものではないため、意識下の活動です。ただし、「準備緊張」も普段の生活上の動作においては、特に力むことはなく、必要な力だけを適度な緊張のもとに行っています。


恒常緊張

 難しかった動作や作業なども、熟達するにつれて緊張も適度なものになります。ところが、必要十分な力だけを入れ、済んだ後は不要な力を完全に抜くということは容易ではありません。これは特に意識することなく、習慣的にやっているからです。つまり、緊張が多少残ったままになっているのが普通です。これらの残留した緊張は、からだのあちこちの部位や関節にだんだん蓄積され、習慣化し、ついには慢性化して動作を妨げたりする原因になります。このように影響を与える緊張を「恒常緊張」といいます。


場面緊張

 普段なら特に緊張することのないことでも、人前で発言するとか、試験や面接を受ける、競技に臨むなどという場面では、緊張が過剰になることがあります。ある動作をするとき、その人が置かれた状況によって左右される緊張を「場面緊張」と呼びます。このような緊張は現われる部位、現われ方、動作に及ぼす影響など人によって様々です。


イメージ緊張

 現実にはその場にいないのに、それを予期して頭のなかでその場面をイメージして緊張する場合もあります。このイメージの緊張は、現実の場面の緊張よりはるかに強烈であることも珍しくありません。特に神経質な人、完全主義者あるいは鬱気分などに目立ちます。ストレスは外部からではなく、自分自身でつくり、それに悩んだり、脅かされたりするものなので、「イメージ緊張」といえます。


不当な緊張

 不当な緊張は不安やこだわり、困難や悩みなど、当人自身の弱さや問題の表現であり、それがまた自らへの反省や警告でもあるという複雑な構造をもっています。それを確かめるには、自分自身をも見つめ、その由来や自分のあり方などにも気づいたり、明確化していくことであり簡単ではありません。しかし、落ち着いて自分のからだに注意を向け、自分のからだを弛めながら、実体にそってしっかり明確化してみようという気持ちになると、緊張や痛みは変化してきます

ストレスへの対処
人は精神的に疲れを感じた時や、体が緊張でこわばっている時などにリラックスしたいと思うので

はないでしょうか。
無理したり過剰緊張するのは、多くは個人の生活に由来しています。日常のストレス、不安定な気
持ちや悩み、無理や困難などに対して正面から受け止めて解決しようとせず、逃避することは自分自身の問題点を何事もなかったかのように、自分の体の中へゴミのように投棄することだと思います。
その結果、一時的に気持ちの安定は得られる一方で、過剰な緊張や偏った姿勢などによる問題が体に現われます。筋の突っ張りや凝り、痛みなどに悩むのはそのためです。
従って、まずは自分の体を犠牲にするようなやり方を改めなければなりません。それには、これまで省みることのなかった自分の体に注意を向けることから始めます
自分の体の様々な部位・局部など、隅々の体の感じ、気持ちによって変化するデリケートな筋の緊張状態、自分が体を動かし・動くプロセス全体の感覚、自体軸や姿勢などに気を配って立ったり歩いたりする感じなどを、まず体験し直すことが必要です
こうして自分の体に注意を向け、緊張や動きの感じが実感として体験できるようになるにつれて、それまで分からなかった自分の体の不当な緊張の状態や無理な動き、偏った姿勢などにも気づくようになってきます。さらに、日常生活における悩みや困難をそうした緊張や動きに無理矢理転化してきた状況も理解でき始めるようになります。

上記の「ストレスへの対処」の中で、過剰な緊張や偏った姿勢について言及されている箇所があります。一方、トリガーポイント(過度な緊張状態が続き、しこりのようになった硬結で離れた部位に関連痛を起こす原因になるもの)が姿勢に影響するという指摘があります。ここでは、本題から外れますが、3例程ご紹介したいと思います。

著者:伊藤和憲
「はじめてのトリガーポイント鍼治療」

今回ご紹介する例は、こちらの本に掲載されている内容です。

1.腸腰筋のトリガーポイントと特徴的な姿勢

 インナーマッスルとして有名な腸腰筋(腸骨筋+大腰筋)です。無意識にこの筋肉を伸張させるような

 姿勢を取ります。

腸腰筋のトリガーポイント
腸腰筋のトリガーポイント
腸腰筋にトリガーポイントがある場合
特徴的な姿勢

2.脊柱起立筋のトリガーポイントと特徴的な姿勢

 無意識に背筋を伸ばすような姿勢をよく取ります。

腰腸肋筋のトリガーポイント
腰腸肋筋のトリガーポイント
腰腸肋筋にトリガーポイントがある場合
特徴的な姿勢

2.中殿筋のトリガーポイントと特徴的な姿勢

 足を組むことにより、中殿筋を伸張させています。 

中殿筋のトリガーポイント
中殿筋のトリガーポイント
中殿筋にトリガーポイントがある場合
特徴的な所見

リラックス・イメージ体験の方法
『本当はまだまったくリラックスしていないからだなのに、いきいなり自分のからだをリラックスしているとイメージしようとしても、なかなかそんなことはできないものです。そんな概念とか観念のようなものは、頭のなかで思うことはできても、リラックスする感じを伴うことのない空疎な言葉だけに終わってしまうでしょう。
ところが、しばらくその思いを繰り返したり、いくらか疲れたか飽きたりしてぼんやりしてきたり、課題実現はあきらめて楽な気分になったり、頑張りはやめて何も考えないでいたり、現実を忘れて豊かな雰囲気に包まれていたり、春風駘蕩の夢心地という状況に近づいてくると、自然にからだも緊張からかけ離れたものになってきます
緊張はしていないにしても、まだリラックスという感じではないという状況がしばらく続くと、緊張と弛緩の中間にあった気分は徐々に変化してくるものです。それをとくに自分のからだの弛緩した感じとしてからだに注意を向けてみると、なんだかそのとおりの感じがしてくるということになるかもしれません。さらに、それにこころを向けていると、この感じがいよいよはっきりしてきて、身も心もリラックスしたような感じになってくるものです。
このあたりから、リラックスのイメージと呼んでいいでしょうか。この感じはさらに続けていればだんだん明瞭になって、本当にからだがリラックスしてきたという実感的なものになってきます
こうしてあまりはっきりしないイメージから、現実にリラックスしているという実感が伴うようなものまで、イメージにはその体験の仕方にさまざまな程度の差があるのです。
しかも、ただ単にこころにそう思っただけのものを、その段階で止めてしまったら、からだには具体的にほとんどなんの変化も現われないでしょう。しかし、それなりにリラックスというイメージをこころにとどめたままでいると、少しずつそれがからだに影響を及ぼし始め、そのからだの感じがこころにリラックスの体験を明らかにし始めます。それがリラックスの感じやイメージをいっそう実感的にし、それがさらにからだの緊張を弛め、これがさらにリラックスの感じとイメージを明確化していくという、循環的な強化を生み出していくことになります。』