癌と臨死体験1

もの凄い本でした。この本を信じるのか疑うのかは人それぞれです。私自身、臨死体験の全てを信じることは難しいかもしれません。しかしながら、私は信じたいと思います。その理由はとても単純です。

生き物、すべて死を迎えます。死後の世界は2つだと思います。“来世”か“永遠の眠り”です。もし、“永遠の眠り”であるなら、それは「無の世界」だろうと思うので気にすることは何もありません。

来世では誰もが仏様になれるようですが、仮に地獄があったとしても、地獄に落とさせれるような反社会的な悪事はしてこなかったので、このまま順調にいけば、行先は天国だろうと思います。

信じていれば「本当に、あったんだ」となりますが、疑った場合は「な~んだ、あったんだ」となります。後者は後悔するかもしれません。それが、「信じる」方に手をあげる単純な理由です。

そして、何よりも説得力があるのは、末期癌による昏睡状態から奇跡的に生還し、しかも、信じられない程の早さで健康を取り戻したという事実です。この事実の中に多少の脚色はあったとしても、健康を取り戻したという現実は紛れもない真実であり、否定することはできません。

著者:アニータ・ムアジャーニ

訳者:奥野節子

初版発行:2013年6月

出版:ナチュラルスピリット

こちらはアニータさんのご紹介です。

ブログでお伝えしたいと思ったポイントは以下の3つですが、要点をまとめたり結論を出したりというレベルにはなく、あくまで、これらに関わることを抜き出したというものになっています。

また、触れているのは目次の黒字の章で、長くなったので4つに分けています。 

1.著者のアニータさんは何が原因で癌になったと思っているのか、どうしたら癌にならずに済んだと思っているのか。

2.臨死体験とはどんなものか。

3.なぜ現世に生還でき、しかも末期癌を奇跡的な短時間で克服できたのか。

目次

まえがき

はじめに

パート1 正しい道を求めて

プロローグ 私が“死んだ”日

第1章 多様な文化の影響

第2章 ヒンドゥー教とキリスト教のはざまで

第3章 お見合い結婚でのつまずき

第4章 真のパートナーとの出会い

第5章 癌の宣告

第6章 救いを求めて

パート2 死への旅路、そして生還

第7章 身体を離れて

第8章 神の愛を体験する

第9章 この世に戻る決心

第10章 すべての癌が消えた

第11章 コー医師による医学的見解

第12章 大きな意識の変化

第13章 恐れずに生きる

第14章 シンクロニシティに導かれて

パート3 臨死体験が教えてくれたこと

第15章 私が癌にかかった理由、そしてなぜ癒されたか

第16章 私たちは神と一体である

第17章 ありのままの自分を生きる

第18章 臨死体験についての質疑応答

パート1 正しい道を求めて

第6章 救いを求めて

・インドでのアーユルヴェーダはとても効果があったが、香港に戻り友人などにアーユルヴェーダについて話すと、恐怖感や否定的な反応しか返ってこなかった。

●友人たちが私の選択に疑いを抱いていることは、私に大きな影響を与えた。そして、自分の選択した治療法に対する他人の懐疑心にますます影響されていった。後から思えば、その時点で健康を取り戻すためにもう一度インドへ戻るべきだった。

●一人でいたいと思うことが多くなったのは、真実を見なくて済むように、現実を閉めだしたかったからである。

●自分に対する人々の見方や接し方が耐えられなかった。

●健康が衰え、人々から可哀そうだと思われ、普通の人間ではないように優しくされるのが嫌だった。

●カルマを信じていたので、前世で何か恥ずべき行いをしたのだと感じるようになった。そして、前世の報いであるのなら全くの望みはないと感じるようになった。

●不安や心配をしてもらいたくないという目的だったが、いつも笑い、微笑みを浮かべて、したくないおしゃべりをしていた。

●自分よりも他人の気持ちを優先させていた。そのため、多くの人が“勇敢”だとか“立派”だと褒めてくれた。前向きで幸せそうだとも言われた。しかし、その結果、へとへとになってしまっていた。

●本当に理解してくれていたのはダニー(夫)だけだった。

●いよいよ、外出するのをやめて、家の中に閉じこもることが多くなった。

●外見は重病人のようになり、呼吸が苦しく、手足はとても細くなり、頭をあげているのも大変だった。

●自分の存在が不快な思いをさせていることに気づき、公の場に出ることをまったくやめてしまった。

●恐れや絶望の檻の中に自分を閉じ込めてしまった。

●健康な人をねたむようになった。

●希望の光が消え、何のために一生懸命闘っているのか疑問に思うようになった。

●苦しみと恐れの中、もはや闘病を続ける目的を見つけられず、身体も心も疲れすべてを放棄し、病気への敗北を認めようとしていた。

●『2006年2月1日の朝、私はいつもより気分が良く、自分の周りのものにも目をやり始めました。空はいつもより青く、世界は美しい場所に見えました。まだ車椅子に乗って、酸素ボンベを持ち歩いていましたが、「もう頑張らなくていいんだ。すべてうまくいく」と感じながら、クリニックから帰宅したのです。

「私がいなくなっても、世界は存在し続けるんだわ。だから心配することは何もない。なぜかわからないけれど、とてもいい気分。こんな感じは本当に久しぶりだわ」と思っていました。

身体中が痛く、息をするのもつらかったので、私はすぐにベッドに入りました。痛みのせいで眠れないため、少しでも休めるようにと、看護師が帰る前にモルヒネを投与してくれました。でも、その日は何かが違っていたのです。私は、自分がくつろぎ、これまで必死にしがみついていた手を離そうとしている気がしました。これまではずっと、崖っぷちでぶら下がっているような感じだったのです。勝ち目のない闘いに挑み、一生懸命に頑張っていました。でも、とうとう私は、自分がしがみついていたものすべてを手放す準備ができたのです。そして、深い眠りへと落ちていくのを感じました。

翌2月2日の朝、私は目を開けませんでした。顔だけでなく、腕も足も手もすべてがひどく腫れ上がっていました。ダニーは私をひと目見て、すぐに医師に電話をかけ、急いで病院へ運ぶようにと指示されました。

私は癌との闘いを終えようとしていました。

パート2 死への旅路、そして生還

第7章 身体を離れて

『「自分がそのような存在だと、どうして今まで気づかなかったのだろう?」と思いました。

これまでの人生の累積であるすばらしいタペストリーを目にした時、なぜ今日いる場所へ至ったのかははっきりとわかりました。

「自分の歩んできた道のりを見てみなさい。どうして自分にあんなに厳しかったんだろう? どうして自分を責めてばかりいたんだろう? なぜ自分を見捨ててしまったの?  どうして自分のために立ち上がって、自分の魂の美しさをみんなに示そうとしなかったんだろう?」

「どうしていつも他人を喜ばせるために、自分の知性や創造性を抑圧ばかりしていたんだろう? 本当はノーと言いたいのにイエスと言って、自分を裏切ってばかりいたわ。どうしてありのままの自分でいる許可をいつも他人に求めていたんだろう? なぜ自分の美しい心に従って、自分の真実を語ろうとしなかったんだろうか?」

「まだ身体にいるうちに、どうして私たちはこのことが理解できないんだろう? 自分にあんなにまで厳しくするべきじゃないって、私はなぜわからなかったんだろうか?」

私はまだ、無条件の愛と、受け入れられた雰囲気に包まれていました。自分のことを新しい目で見ることができ、宇宙の美しい存在に思えたのです。私は存在するだけで、愛の込もった思いやりを受けるに値するのだと理解しました。何か特別なことをする必要もなく、ただ存在するだけで、愛される価値があったのです。それ以上でもそれ以下でもありませんでした。

このような理解は私にとって驚くべきものでした。なぜなら、愛されるためには努力する必要があるといつも思っていたからです。好かれるに値する人間にならなくてはいけないとずっと信じていました。ですから、実はそうではないとわかったのは、すばらしい発見でした。単に自分が存在しているということだけで、私は無条件で愛されていたのです。

この拡大した、偉大な本質が本当の自分だと知った時、考えられないほどの明瞭さの中で私は変容しました。それは私という存在の真実でした。私は新しい自分を見つめながら、自らの気づきの光となっていきました。そこで起こっていることの流れ、輝き、驚くような美しさの邪魔するものは、何一つありませんでした。

私たち全員がつながっていることにも気づきました。その織り込まれた統合体は、人間や生物の範囲を超えて、もっと外へと拡大していき、すべての人間、動物、植物、昆虫、山、海、生命のないもの、そして宇宙全体まで含んでいるように感じられました。宇宙は生きていて、意識で満たされており、すべての生命や自然を包み込んでいるのだと悟ったのです。あらゆるものが、無限の“全体”に属していました。私も、すべての生命と複雑に絡まり合っていました。私たちはみんな、その統合体の一つの側面なのです。すなわち、私たちは一つであり、一人ひとりが集合体“全体”に影響を与えているのです。

私は、ダニーの人生と目的が、私の人生としっかりつながっていて、もし私が死ねば、彼はすぐにあとを追うだろうと知りました。けれど、たとえそうなったとしても、より大きな全体像においてはすべて完璧なままだとわかりました。

さらに、癌は、私が何か間違ったことをしたことへの罰ではなく、また、以前信じていたような、自分の行動に対するネガティブなカルマでもないと理解しました。すべての瞬間に無限の可能性が秘められていて、その時々私がいる場所は、自分の人生のあらゆる決断や選択や考えが結実したものでした。つまり、私が抱いた多くの恐れや私の持つ偉大な力が、この病気となって現れてきたのです。

画像出展:「National Museum New Delhi

タペストリーとは、絵模様を織り出した綴織のこと。

第8章 神の愛を体験する

●『自分の臨死体験について話そうとしても、その体験の深さと、あふれるようにやってくる知識の量に見合う言葉が見つかりませんでした。ですから、最善の方法として、隠喩や類推を用いて表現することにしました。私が伝えようとしていることの本質を少しでもうまく表すことができればと願っています。

巨大で、真っ暗な倉庫を想像してみてください。あなたは、たった一つの懐中電灯だけで、そこに暮らしています。そのとても大きな空間の中で、あなたが知っているのは、小さな懐中電灯の光で見えているものだけです。何か探したいと思った時、それを見つけられることもあれば、見つけられないこともあります。でも、見つけられないからといって、そのものが存在しないというわけではありません。それはそこにありますが、あなたが自分の光で照らしていないだけです。たとえ照らしていたとしても、見たものを理解できないかもしれません。また、それについてある程度はっきりわかることもあるかもしれませんが、たいていは何だろうかという疑問が残るでしょう。あなたは自分の光が照らすものだけを見ることができ、自分がすでに知っているものだけを理解できるのです。

身体のある生活とは、このようなものです。私たちは、自分の感覚を集中しているものだけに気づき、すでに馴染みがあるものだけを理解できます。

真っ暗な倉庫と懐中電灯

では、ある日、誰かが電気のスイッチを押したと想像してください。そこで初めて、輝きと音と色がパッとあふれ出て、あなたは倉庫全体が見えるようになるのですなんと、そこはこれまで想像していたような場所ではありませんでした。赤や黄色や青や緑の光が点滅し、輝いています。その中には、これまで見たことがなく、理解できない色もあります。これまでに聞いたこともないような、臨場感にあふれたすばらしい旋律が部屋中に響き渡っています。

さくらんぼ色、レモン色、朱色、グレープフルーツ色、ラベンダー色、金色の虹のようにネオンサインが脈動し、踊っています。電気仕掛けのおもちゃが棚の周りを走り回り、棚の上には、言い表すことのできないような色合いの箱、包装物、紙類、鉛筆、絵の具、インク、缶入り食糧、色とりどりのキャンディーの箱、発泡性飲料、チョコレート、シャンパン、世界中からのワインがあります。突然ロケット花火が爆発して放射状に広がり、花や滝などのきらめく光の像を見せています。

あなたの周りで起こっているあらゆることの広大さ、複雑さ、深さ、大きさは圧倒的です。その場所の端々までは見えなくても、自分が認識している以上のものが存在するとわかっています。あなたは、自分が生き生きした無限ですばらしいものの一部であり、目や耳でわかるものを超えた大きなタペストリーの一部だという強烈な感覚を得るでしょう。

これまで現実だと考えていたことが、実は、あなたを取り囲む途方もない驚異的なものの中の小さな点にすぎないと理解します。そして、いかにさまざまなものが互いに関わり合い、ふさわしい場所にぴったりと当てはまっているかがわかるでしょう。倉庫の中には、これまで見たこともなく、夢にも思わなかったすばらしい色や音や感触のものが、すでに知っていたものと一緒あったことに気づくのです。あなたが気づいていたものでさえ、まったく新しい状況の中で、真新しく、超現実的に見えるでしょう。

再びスイッチが消えても、この体験におけるあなたの理解や明晰さ、驚異の念や活気は誰も奪い取れません。倉庫にあるすべてのものについて、あなたが知っていることも消去できません。そこに何があり、それをどのように手に入れ、何ができるのか―あなたは、小さな懐中電灯で暮らしていた時よりも、はるかに多くのことを知っています。そして、この意識清明は瞬間に体験したあらゆることに対して畏敬の念を抱いています。人生はこれまでとはまったく異なる意味を持つようになり、あなたの新しい体験は、この気づきから創造されていくでしょう。

私は、向こう側の世界で新たに得た理解に驚き、すべてを包み込む意識を楽しみながら、探検していました。そうしているうちに、自分が選択しなければならないことに気づきました。

再び、近くに優しい父親の存在を強く感じました。まるで抱きしめられているようでした。

「パパ、やっと家に帰ってきた気がするわ。ここに来れて、とても嬉しい。つらい人生だったから」と父に言いました。 (補足:これは臨死体験、“向こう側の世界の話です。父は他界した父のことです)

「でもアニータ、あまえはいつもここにいたんだよ。これまでも、これからもずっと。そのことを忘れるんじゃない」まるで言い聞かせるようでした。

子どもの頃、父といつもうまくいっていたわけではありませんが、今、父から感じられるのは、すばらしい無条件の愛だけでした。生きていた時の父は、若いうちにお見合い結婚をさせようとするなど、いつもインド人社会の基準を私に押しつけようとしたので、私はイライラし、それに従えない自分を不適格者だと感じていました。けれど、今は、文化的制約や期待も存在せず、父が私に対して抱いているのは純粋な愛だけだったのです。

現世で父が私に課していた文化的なプレッシャーはなくなっていました。それらはすべて、身体を持った存在としての側面にすぎないのです。そのどれもが、死後にはもう重要ではありませんでした。それらの価値観は、死後の世界へは持ち越されないのです。唯一残っているのは、私たちのつながりと、お互いが抱いていた無条件の愛だけでした。私は初めてこのように父に愛され、父のもとで安らぎを感じていました。まるで、やっと我が家に帰ってきたような、すばらしい感覚だったのです。

父との対話に言葉は必要なく、互いに対する理解が完全に溶け合っていました。父のことが理解できただけでなく、まるで私自身が父になったようでした。亡くなってからも、父はずっと家族と一緒にいてくれたことに気づきました。父は母のそばにいて、母を助け、見守り、私の結婚式や闘病生活でも、ずっと私のそばについていてくれたのです。』

●『私は、父の本質が、これまでよりはっきりと自分に話しかけているのに気づきました。

「アニータ、今はまだここに来るべき時じゃないんだよ。でも、私と一緒に行くか、身体に戻るか、おまえが自分で決めなさい」

私の身体は重病で、癌に侵されているの。もうあの身体には戻りたくない。だって苦しみ以外何もないんだもの。私にとってだけじゃなくて、ママやダニーにとっても……。戻る理由なんか何もないわ」という思いが直ちにあふれ出てきました。

無条件の愛の状態がこの上なく幸せだったのは言うまでもありませんが、私は身体に戻るという考えに耐えられませんでした。今いる場所に永久にいたかったのです。

このあと起こったことを説明するのは、非常に困難です。

第一に、私が意識を向けたものは何でも、自分の目の前に現れるような気がしました。第二に、時間はまったく問題となりませんでした。時間はまるで存在していないかのようで、それについて考慮する必要さえなかったのです。

このことが起こる前に、医師は私の臓器の機能を検査して、すでに報告書を書いていました。でも、向こう側の世界では、その検査結果と報告書の内容は、これから私がしなければならない決断、つまり生きるか、このまま死へ向かうかという決断次第だったのです。私が死を選択すれば、検査結果には臓器不全と書かれ、もし身体に戻る選択をすれば、臓器が再び機能し始めた記されるでしょう。

その瞬間私は、「もう戻りたくない」と決意しました。そして、自分の身体が死んでいくのを感じ、臓器機能不全による死だと医師が家族に説明している場面を目にしました。

同時に、父が私にこう告げました。「アニータ、おまえが来れるのはここまでだ。これ以上進んだら、もう戻れないんだよ」

物理的な境界線はありませんでしたが、自分の前に、エネルギーレベルの違いによって区分けされた、見えない境界線があるのがわかりました。もしそこを渡れば、もう二度と戻れないのです。身体とのつながりは永久に切断されてしまい、私が目にしたように、家族は、悪性リンパ腫による臓器機能不全で亡くなったと医師から告げられるでしょう。

無条件の愛と、自分が受け入れられた感覚はすばらしいものでした。私は永遠にその状態にいたかったので、境界線を越えようと思いました。そこには痛みも、苦しみも、ドラマも、エゴも存在せず、私はあらゆる生きものと創造物の純粋な本質に包まれていました。まさしくすべてが一つであると感じていたのです。

私は、医師からの死の知らせに取り乱した家族のほうへ意識を向けました。ダニーは、私の胸に顔を埋めて、やせ細った手を握り、深い悲しみにむせび泣きながら、身体を震わせていました。母は信じられない様子で、真っ青になり、私の前に立ちつくしていました。兄のアヌープはやっと到着し、私の死に目に会えなかったことにショックを受けていました。

けれど、私の身体や家族に起こっていることに巻き込まれそうになると、再び自分の感情から引き離されていったのです。私は、もっと偉大なストーリーが展開しつつあるという安堵感に包まれました。そして、たとえ戻らない選択をしても、生命という壮大なタペストリーの中で、なるようになるのだと知りました。

死のほうへ歩き続けると決心した瞬間、私は新しいレベルの真実に気づきました。

自分が本当は誰かに気づき、本当の自分のすばらしさを理解したので、もし身体に戻る選択をすれば、病気は急速に治癒するだろうとわかったのです。それも何週間や何ヶ月かけてとかではなく、わすか2、3日のうちにです。もし身体に戻ったら、医師は癌の痕跡すら見つけられないでしょう。

「一体どうやって?」この意外な新事実に驚き、その理由を知りたいと思いました。

その時、身体は、自分の内側の状態を反映したものにすぎないと悟りました。もし内なる自己が、その偉大さと大いなるものとつながりに気づけば、私の身体はすぐにそのことを反映し、病気は急速に治るでしょう。

私には選択権があると知っていましたが、何かそれ以上のものが存在するとわかりました。「私にはまだ実現していない目的があるような感じがするわ。でもそれは何だろう? どうやって見つけられるのだろう?」

そこで私は、自分がすべきことを探す必要はなく、自然に目の前に現れてくると知りました。それは、何千人という人たち、おそらく、何万もの人たちを手助けすることと関係しているようでした。彼らと臨死体験で得たメッセージを分かち合うのかもしれません。でも、自分から追い求める必要はなく、また、それをどうやって実現するかを考える必要もないのです。ただ、自然の展開に任せていればよいことでした。

自然の展開へ到達するために、私がすべきことは、ありのままの自分でいることだけなのです。私は、これまでのすべての年月において自分に必要だったのは、ただありのままの自分でいることだったと悟りました。自分を非難したり、欠点があると思ったりせずにです。同時に、私たちの本質は純粋な愛だとわかりました。誰もが純粋な愛なのです。完全なるものからやってきて、それに戻るのであれば、そうでないはずはありません。このことを理解したら、自分であることをもう恐れることはないでしょう。愛であることと本当の自分であることは一つであり、同じことなのです。

もっとも大きな新事実は、雷光のとどろきのごとくやってきました。単に自分の本当の姿である愛でいれば、自分も他人も癒せるとわかったのです。これまで理解できませんでしたが、それは明白なことに思えました。もし私たちがみんな一つで、無条件の愛という全体のさまざまな側面であるなら、私たちはみんな愛の存在だということです。私は、それが人生の唯一の目的だと知りました。つまり、本当の自分でいて、自分の真実を生き、愛であることです。

私が理解したことを確認するように、父とソニ(親友で癌で他界)が私にこう言っているのに気づきました。

「自分が本当は誰かという真実を知ったのだから、もう一度身体に戻って、今度は何も恐れずに思い切り生きなさい!