パウリとユング2

著者:ポール・ハルパーン

訳者:権田敦司

発行:2023年1月

出版:(株)あさ出版

目次は”パウリとユング1”を参照ください。

第7章 シンクロニシティへの道 ~ユングとパウリの対話~

・『自然界を1つの理論で表す統一的理論の必要性など、多くの点でアインシュタインに賛同するパウリだったが、量子力学に関しては全く異なる見地だった。彼にしてみれば、量子の世界の織りなす相補性や不確定性、量子もつれなどの真新しい現象は、自然の真理そのものだった。事実、それらの現象を貴重な契機として、自然に潜む対称性などの数学的結びつきが明らかになった。加えて、観測による影響を主題とする量子観測理論により、自然現象だけではなく人間の意志を踏まえた大局的な見地が形成されつつあった。

このような時代背景に、現代物理学に関心を持ち、普段からその意識を認めるユングにとって、パウリは精神と物質の関係性について意見交換する格好の相手だった。対話を通じて、科学的考察を深めることができたからである。自然界における対称性の役割だけではなく、いわゆる超常現象と呼ばれる奇妙な出来事にも話題は及んだ。ただしパウリは、自らの超常現象への関心を他の物理学者に話そうとはしなかった(同じく超常現象に興味を持つ友人、パスクアル・ヨルダンだけは別だった)。一貫して自然界に客観性を求めるアインシュタインの存在が、その消極的な姿勢に拍車をかけた。当然、観測の影響を考慮すべきだとアインシュタインに助言することもなかった。そして、パウリの推察通り、アインシュタインは生涯、量子力学の表す奇妙な世界を自然の真の姿として認めなかったのである。

もつれを繙く

・アインシュタインは一般相対性理論をもとに、あらゆる自然現象を網羅する統一場理論を完成させ、量子力学の奇抜な現象を数学的表現のあくまで例外として記述しようと考えた。

・電気力と磁気力を統合したマクスウェルの電磁力[磁界と電流の相互作用で発生した力]へと飛躍し、さらにマクスウェルは電磁気力と重力との間に共通点を見出した。

・統一的理論の足掛かりとなる可能性を指摘するものだったが、マクスウェルがその構築に挑むことはなかった。

精神の偽らざる姿 [カール・グスタフ・ユング

・ユングがフロイトに出会ったのは1907年、それから6年間、二人は協力する中で二人とも無意識の中に重要性を見出した。しかし、精神分析の反対派に対するフロイトに耐えられず袂を分けた。フロイトは幼少期の性的傾向を重視したが、ユングは集合的無意識に着目して、無意識の動機付けを説明した。集合的無意識とは集団に共通する意識のことで後に元型と呼んだ、源泉は1つだが、一人ひとりの人間によって個性化する。元型の例として、童話や民族伝承、道徳的禁忌、象徴的表現、宗教儀式、精神的理想などがあげられる。

・ユングは超自然主義にまつわる文献の研究に乗り出すと、錬金術やグノーシス主義、新プラトン主義の各派、仏教、ヒンズー教などの書物を精読し、神話学の第一人者となった。そして、様々な超自然主義の間に、超越的真理の探究や神との一体化への渇望といった共通点を見出し、分析心理学という新たな深層心理学の学派をスイスに立ち上げた。

・ユングが後に心理学と物理学の両面から精神と肉体を統一的に考えたのは、アインシュタインとの数回にわたる対話が主な動機となった。

シンクロニシティの登場

ユングの心理学は、一人ひとりの精神は代々受け継がれる共通の無意識的体験がつくる「客観的精神」の個々の解釈である。様々な宗教や信念体系に通底する思想は、そのような世代を超えた精神の源に由来すると考える。母親への思慕や、蛇や暗闇に対する恐怖心、人殺しを非とする倫理観などはいずれも普遍的体験といえる。

・ユングによると男性の無意識には女性らしさを象徴する「アニマ」と呼ばれる女性像の元型が根ざす。アニマは普段、意識的に抑制されており、心理療法によって解放される。対して、女性の無意識に潜むのは、アニムスと呼ばれる男性像の元型がある。ユングは当時の古い価値観に従って、アニマをむき出しの感情に、アニムスを洗練された知性に関連付け、両者のバランスこそが性別を問わず肝要であると説いた。

ユングの理論は推測の域を出ず、元型という概念を裏打ちする科学的証拠はない。存在するのは、事例研究による間接的な証拠だけである。しかし、人間の精神に関するユングの考察は、歴史や哲学、また文化の面において、非常に示唆に富む内容といえる。

ユングは非因果的連関の原理を指して、シンクロニシティという言葉を使った。そして、意味ある偶然の一致は、期せずして現れる自然の真理だと強調した。

・『源を一にする非因果的連関というユングの概念から、量子のもつれの並行性―ほぼ同時代に認知された現象―を連想しても、何ら不思議はないだろう。2つの粒子が量子状態を共有するならば、双方が離れても物理量は相関すると、量子もつれは語るのである。だがそうはいっても、ユングの非因果的連関と量子もつれとの間には、決定的な違いが存在する。量子もつれが設定に万全を期す数々の実験によって実証されたのに対して、ユングの非因果的連関は根拠に乏しく、心理学界で幅広い支持を得るには至らなかった。人間の精神において代々伝承される集合的無意識の存在は今もなお、神経科学によって示されていない。

しかし、局所性や因果性を凌駕するユングの世界観は、彼が積極的に物理学者との交流を図ったおかげで、現代科学に広く浸透した。アインシュタインとの夕食をきっかけに芽吹いた彼の物理学への興味は、パウリとの出会いによって一気に花開くのである。

パウリの受難

・パウリはゾンマーフェルトに神童として将来を嘱望され、「排他原理(4つ目の量子数であるスピンの発見にによって証明された)」の確立や、ニュートリノの予想(当時まだ観測されていなかったが、ベータ崩壊の解明に大きく寄与した)といった業績により、天才物理学者としての名を確たるものにしていた。しかし、1930年の終わり、極度の精神的不調に苦しんでいた。

・相次ぐ苦難の始まりは、父親の不貞が原因で敬愛する母親が48歳の若さで自殺したことである。そして、その父親はパウリと同年代、20代後半の女性と結婚した。

・1929年5月にはカトリック信仰を捨て、教会を正式に脱退した。同年12月に結婚するも1年もたず1930年11月に離婚、パウリのパートナーは昔から親交があった特に実績のない化学者と一緒になり、この事実もパウリを消沈させた。

パウリとユングの出会いは、パウリの状態を見かねた父親がユングによる心理療法を勧めたからであった。ユングは当時、パウリが勤めるETHで頻繁に講師を務めており、パウリはユングの理論について聞き及んでいた。また、パウリ自身も何とかしようと考えていたため、父親の提案に従い診療を受ける決断をした。

・『夢や幻想の役割とあわせて、集合的無意識の精神への影響について研究するユングは、優れた記憶力をもつ被験者を探していた。また、シンクロニシティの体系化については、アインシュタインの時空という力学的概念を土台に、物理学者の意見を参考にしながら、考察を掘り下げていた。したがって、複雑な夢を見て、その内容を明確に記憶し、なおかつ著名な量子力学者の肩書を持つ“患者”パウリは、まさしくユングの探し求める相手だったのである。

ただ、精神を病んではいるもののパウリは有能な学者である。分析を通じて秘匿情報を共有することになる可能性があるため、ユングは情報管理に注意を払った。彼の心理療法はフロイトのそれと比べてはるかに積極的に患者と関わる診療として有名だった。そのため、情報操作や行動介入などと、他の精神科医から非難されないよう万全を期した。夢の回想に介入したり影響を与えたりしないように忠告した上で、パウリをローゼンバウムにまず担当させたのも、その点を踏まえてのことだった。本人以外による記述も含め、パウリの夢の記録は最終的におよそ1300にのぼり、ユングはすべてを研究資料として(個人情報の保護を徹底しつつ)活用した。ユング研究で知られるビバリー・ザブリスキーは、冗談まじりにこう記している。「読者のみなさん……、ヴォルフガング・パウリについてユングの知り得たこととは、普段の姿でも物理学の実績でもなく、彼の無意識なのです」』

・『知性のみを優先するあまり、アニマの象徴する感情的な自己が抑圧されていると判断したユングは、本人にそう認識させることを治療の本筋とした。その甲斐あってパウリは、自らの偏った生き方を自覚するようになる。そして2年以上に及ぶ治療の中で、精神的な落ち着き―少なくとも一時的な安定―を徐々に取り戻すようになった。ひいては、1934年にロンドン在住のフランシス力(フランカ)・バートラムと再婚を果たし、平穏な日々を過ごすようになった。自ら治療を終える決断を下したのは、その頃である。一時的ではあるが禁酒にも取り組むほど、精神状態は回復をみせた。パウリはもはや患者ではなくなったが、ユングとの親交はその後も続き、夢の内容を伝えることもあった。その中で2人は、自らの存在意義や元型とのつながりについて意見を交えた。

理論物理学の難題を解決し続けるだけの優れた数学力を考えれば、パウリの夢の中に幾何学的対象や抽象的符号が頻繁に登場しても不思議はなかった。その多くは直線と円が対称的に配置された図形だったが、ユングはそれらを元型の概念に照らして解釈した。数理物理学に根ざしたパウリの描写を、古代の象徴主義と結びつけて考えたのである。そのように類似の基本概念になぞらえることで、2人はそれぞれの研究分野の融合を図った。』

・『パウリによれば、世界時計の動きの調和によって心に安らぎが得られたという。自らが中心となって構築した原子モデルを彷彿させたのかもしれない。ユングにとって世界時計は、初めて出合う曼荼羅の立体図像だった。そして、世界時計をもとに、重要な元型の1つ―穏やか瞑想の象徴―と、現代物理学の時空との結びつきを想定した。はたして彼は、物理学への関心をますます強くしたのである。

パウリは普段、夢分析の被験者であることを他人に話そうとはしなかった。ユングが分析内容を書籍として著す時も、自身の名前を出さないとの条件で許可した(ただし、発刊協力者として名を連ねており、分析に関わっていることは明らかだった)。次第に強くする超自然現象への関心についても、表立って話すことはなかった。

しかし、最も信頼できる研究協力者であり友人でもあるパスクアル・ヨルダンだけは例外だった。ヨルダンだけには、超自然現象への情熱を打ち明けたのである。』

超心理学と懐疑派

・ヨルダンは1936年、量子力学の入門書「直観的量子論」の最終章の内容はテレパシー実験の検証だった。ヨルダンは1930年代から超心理学に強い関心をもっていた。

・超心理学(非科学的な超自然現象とされる対象を研究する分野)は、生物学者であったアメリカのJ・B(ジョセフ・バンクス)・ラインによって創設されたばかりで物議を醸していた。ラインは1980年に亡くなるまで、自らの研究の正当性を訴え続けた。心理学ではその後、実験環境を統制や厳格な統計手法に一層重点が置かれるようになった。

ノーベル賞

・最終的にパウリは、観測する側と観測される側―精神と物質―を統一的に表す必要があると信じるようになった。ユングはパウリの考えに賛同した。さらに、アインシュタインとの夕食やリヒアルト・ヴィルヘルムとの議論を経て、ユング自身もそのような理論を望みはじめていた。ユングは精神と物質との統一を「Unus mundus(ウヌス・ムンドゥス)」と呼んだ。

研究所での洪水

パウリ効果とは

『パウリとその俗に言う実験とは相性が悪かった。彼が実験施設に立ち入ったり、測定機器の近くを通ったりすると、装置に不具合の生じることがしばしばで、周囲から「パウリ効果」と恐れられたほど。機械は故障し、測定器は作動せず、現場に混乱を招くのである。事実、実験物学者のジョージ・ガモフはこう形容する。

「一流の理論物理学者たる者、精巧な実験機器に触れただけで機械に不具合をもたらす、と言われている。その言葉に照らせば、パウリは有能な理論物理学者だ。彼が施設を訪れただけで、装置は壊れ、誤動作を起こし、ひいては全く動かなくなったり、燃えたりするんだ」

最も有名な事件は、パウリが1950年2月、プリンストン大学を訪ねた時のことである。プリンストン大学のパーマー物理研究所の地下にある高エネルギー・サイクロトロン(円形粒子加速器)が火事になり、6時間以上燃えたのだ。もちろん研究所の建物には煙が充満し、あちこちがすすだらけとなった。パウリは現場ではなく、大学の敷地内にいただけだったが、その後やり玉にあげられたことは言うまでもない。』

・『ユング研究所を設立するにあたり、パウリ(当時、ノーベル賞受賞として多くの尊敬を集めていた)にも後援者としての協力を仰いだ。ユングに恩義を感じ、共同で研究する機会を増やしたいと考えていたパウリは、ユングの依頼を快諾した。

また、心理クラブにも招かれ、その年の2月28日と3月6日に講演を行った。パウリは会場で、フラッドやケプラー、そして元型に関する自らの見解を喜んで説明した。科学者にとって講演は、一般に、論文を著す前に自らの考察を整理する良い機会となる。彼は当時、「The Influence of Archetypal Ideas on Kepler’s Theories(元型的観念がケプラーの科学理論に与えた影響)」と題した長編論文を執筆中で、いずれ何らかの形で公表したいと考えていた。

ユング研究所の開所初日となった1948年4月24日、記念セレモニーが盛大に開催された。もちろん、パウリも来賓の1人として招待された。セレモニーはすべて順調に運び、盛況のうちに閉会するかに思われた。ところが……。

突然、会場に何かの割れる音が響き渡った。思いもよらないことに、棚に固定されていたはずの中国の高級花瓶が、勝手に落下したのである。花瓶は床に落ちて粉々に砕け散り、あたりは水浸しになった。ユング研究所は、まさしく洗礼を受ける格好となったのである。

さて、「パウリ効果」を覚えているだろうか?

姿を現しただけで実験装置を故障させる能力は、この頃にはすでに彼の特技として広く認知されていた。ただし、彼自身は、もはや軽く捉えることができず、いたって真剣に悩んでいた。

ドイツ語で「洪水」のことを「Flut(フルート)」という―Robert Fludd(ロバート・フラッド)の「Fludd」のドイツ語読みとほぼ同じ発音である。英語でも、洪水を意味する「Flood」と「Fludd」は、ほぼ同じ響きだ。パウリは会場で起きた些細な洪水と自らの研究との間に、意味ある偶然の一致を認め、驚愕した。単なる偶然の出来事だったかもしれない「パウリ効果」を、彼はユングの唱えた非因果的連関と結びつけ、もはや冗談とはみなさなかったのである。

フラッドとケプラーの理論と元型に関する考察を論文にまとめる中で、パウリは開所式典での奇妙な出来事について深く考えるようになった。そしてユングに対して、シンクロニシティに関する考察を掘り下げ、整理した上で論文に著すことを勧める。ユングの考察に大きな意義を見出そうとしたのである。

ノーベル賞を手にしたパウリに、それ以上自らの才能を示す余地は残されていなかった。それでも彼を駆り立てたのは、アインシュタインと同様、世界を統べる統一的理論への挑戦だった。長きにわたるユングとの親交が、彼をその挑戦へと誘ったのである。』

すべては2と4のもとに

・ユングとパウリが生んだ功績は、1950年代はじめに、双方の研究分野が融合を見ることである。ユングはパウリのおかげで確率的表現や観測による影響といった、量子力学の表す内容に精通するようになった。逆にパウリはユングのおかげで、神秘主義や数秘術、そして古代の象徴主義の研究に心を奪われるようになった。

・ユングとパウリはピタゴラス学派と同じく、特定の数に価値を見出した。その1つが「2」だった。波と粒子、観測者と観測対象といった二重性を自然の真理としたボーアの相補性の原理は、両者にとって革新的な概念だった。

・ボーアはオランダ哲学者セーレン・キルケゴールの著作(「あれか・これか」など)の中の二分法に感化されたとみられ、家紋に太極図を取り入れている。

画像出展:「ウキペディア

『偉大な功績により、デンマーク最高の勲章であるエレファント勲章を受けた時、「紋章」に選んだのが、陰と陽、光と闇の互いが互いを生み出す様を表した東洋の意匠、太極図であったことからもうかがえる。』

・パウリは、男性は己の女性らしさ(アニマ)を、女性は己の男性らしさ(アニムス)をそれぞれ抑制しているというユングの主張を支持するようになった。

・パウリは荷電共役対称性(正負の電荷の変換に伴う対称性)、パリティ対称性(鏡像対称性)、時間反転対称性などの二重性を物理学において探求する契機となった。

・数に関して二重性以上にパウリとユングが重視したのが「quaternnio(クワテルニオ)」だった。ラテン語で4つ1組の意である。その概念はエンペドクレスの四次元素説に源を発し、そこから錬金術や、ピタゴラス学派のシンボルであるテトラクテュス(1から4までの整数を構成要素とする三角形)へと派生した。

非因果的連関の原理

ユングとパウリは1952年、2人の研究の集大成として共著、「自然現象と心の構造」を発刊した。

画像出展:「シンクロニシティ」

ユングやパウリが講演を行った、チューリッヒの心理学クラブです。

 

関係の終焉

・二人の長きに渡る往復書簡は突如、途絶えた。

・パウリはヨルダン以外には自らの神秘主義への興味を他の物理学者にあまり話さなかったのは、ユングの話を無条件に信じていたわけではなかった。いかなる理論にも厳しい目を向けるパウリにとって、ユングの理論も例外ではなかった。

・パウリはボーア宛ての書簡で次のように書いている。『ユングの思想は、フロイトに比べて幅広い領域を対象としますが、その分、明確さに欠けます。最も不満を覚える点は、「精神」という概念が、明確な定義のないまま曖昧に用いられていることです。論理的にも矛盾が認められるのです。』

・パウリとユングの2人の距離が離れたのは、ユングのUFOに対する強い関心も一因だった。

・当時パウリは、ハイゼンベルクと共に、統一場理論の構築に力を注いでいる最中であり、加えて、膵臓がんと診断される前年だったことから、体力の衰えが見え始めていた。

第8章 ふぞろいの姿 ~異を映す鏡のなかへ~

相互作用のなす業

・『一般相対性理論と量子力学は、それぞれ1910年代半ばから1920年代半ばにかけての10年間に誕生している。一般相対性理論は、時空を主な舞台として、その歪みによって光や粒子の進行方向を定める。量子力学は、特にハイゼンベルクの提唱した解釈において、抽象的なヒルベルト空間[二点間の距離が公式で与えられる三次元空間を無限次元に拡張したもの]を中心に展開する。実験施設の研究員などのような合理的な考えの科学者であれば、いずれも物理学を理解する上で欠かせない理論であるとの認識だろう。理論物理学の重要な分野の1つとして、相対論的な場の量子論―一般相対性理論と量子力学のそれぞれの枠組みを維持しながら統合を図る理論―が存在する所以である。双方の原理を損なうことなく2つの理論の統合を図る試みは、ボーアの主張に端を発する。古典的世界(高速度や強力な重力場などの極限状態においても相対性理論に従う世界)にいる人間が微視的世界に介入する観測という行為の重要性を強く訴えたのがボーアだった。

しかし、アインシュタインやハイゼンベルク、パウリといった巨匠たちが追い求めたのは、微視的世界から人間の日常的な世界、そして宇宙規模の世界までを、単純な原理によって網羅する横断的な理論だった。アインシュタインは、非量子的な手法で(古典的な一般相対性理論を拡張して)、量子力学の原理を説明しようした。対して、全く異なる方法を独自に考案したのがハイゼンベルクだった。彼は、対称群となるヒルベルト空間のエネルギー場に適合な条件を与えることで、自然界の様々な相互作用の再現を目指した。』

第9章 現実へ挑む ~量子もつれと格闘し、量子飛躍をてなずけ、ワームホールに未来を見る~

・『パウリの早すぎる死から数十年、特に1960年代から1980年代にかけては、素粒子物理学や場の量子論、量子測定理論に、極めて画期的な発見がもたらされた。パウリが生前、掘り下げた代表的な概念の一部が、物理学研究の中心を担うようになり、対称性の役割や、(ユングと共に目指した)非因果的相関の体系化に関する研究が主流になったのである。後者に関しては、量子もつれの限界や可能性を検証する実験が盛んになっていった。』

コズミック・ベル・テスト アントン・ツァイリンガー]

・オーストリアの物理学者アントン・ツァイリンガーはベルの不等式[量子力学において「隠れた変数」の存在を前提に書かれた関係式。この不等式が成立しないとすれば、量子力学では隠れた変数は存在しないということが証明される]を検証するベル・テストだけでなく、量子テレポーテーションに関して画期的な実験を行ったことでも広く知られている。量子テレポーテーションとは、離れた場所において量子状態を再現することである。

・「コズミック・ベル・テスト」は最新の観測機器を使って太占の光を分析するものである。

・2017年、オーストリアで1.6㎞以上離れた場所に2つの望遠鏡を設置し、異なる恒星の光を観測。それぞれの光から検出される色―赤と青―と、偏光器の設定を連動させ、ベル・テストを実施した。その後、実験設計が改良され、地球から数十億光年離れたクエーサーの光を使って再度測定が行われた。結果はまたしても、ベルの不等式は成立しないことを明示するものだった。アインシュタインではなくボーアの主張の正しさが認められた。 

画像出展:「シンクロニシティ」

物凄い実験に驚き、アントン・ツァイリンガーの本『量子テレポーテーションのゆくえ』を衝動買いしてしまい、また本が増えてしまいました。

 

量子の挙動の実用化へ

パウリとユングの2人による対話は、厳密な意味で科学的とは言えなかったが、二重性という自然界の中心的概念を導いた。因果的な相互作用と、非因果的な相関。両者を同時に説明する統一的理論が現れた時、人類は確かな英知を手にするだろう。

終章 宇宙のもつれを繙く

パウリとユングが残したもの

・『物理学の潮流において、ユングの果たした役割は決して小さくないだろう。たしかに、彼の提唱した元型や集合的無意識といった概念は、独創的であり、また魅力的でもあるが、科学的に実証されているわけではない。夢に現れる象形が、代々受け継がれてきた原子的な型である証拠はどこにもないのである。よしんば東洋哲学や錬金術、神秘学を学んだことがあるならば、曼荼羅や錬金術記号などの象形が夢に出てきても不思議はない。夢に現れなくとも、日常で目にする記号から、そのような結びつきを連想するとも考えられる。漫画書籍の熱心な収集家が、ヒーローや悪役の夢を見ると同じである。しかしながら、ユングは夢分析を通じて、自然の摂理に対するパウリの優れた洞察力に触れた。パウリと繰り返し相対したことで、自らの物理学的知識をより豊かにすると同時に、パウリの発想にも示唆を与えたのである。

したがってユングが提唱し、パウリが掘り下げた「シンクロニシティ」という概念は、心理学だけで背景を語ることはできない。あくまで思弁的な考えで、厳格に管理された実験の裏打ちがあるわけではないが、革新的な進展を見せる量子力学と擦り合わせれば、新たな宇宙観につながるとも考えられる。実現すれば、厳格な因果律と純然たる確率が支配する世界の向こう側が覗くかもしれない。非因果性の統べる世界が、である。

感想

『源を一にする非因果的連関というユングの概念から、量子のもつれの並行性―ほぼ同時代に認知された現象―を連想しても、何ら不思議はないだろう。』ユングが物理学に魅せられたのは、まさにこの事だったのだと思います。

一方のパウリは、ユング研究所の開所初日となった1948年4月24日、記念セレモニーでまたしても【パウリ効果】に遭遇することになります。

そのパウリは、「シンクロニシティに関する考察を掘り下げ、そして、ユングの考察に大きな意義を見出そうとしたのである」とされています。

パウリはユングの心理学を全て受け入れていたわけではありませんでした。しかし、パウリの心を度々揺さぶっていたパウリ効果という事件が次第に大きくなり、ついには歴史に名を遺した物理学者と心理学者を結びつけたのだと思いました。

“科学と非科学”をより分けるのは人間の英知が決めることだろうと思います。しかしながら、宇宙規模の世界(マクロ)と量子の世界(ミクロ)において人間が認知できることは一部です。その意味ではシンクロニシティを完全に否定することはできないと思います。

ご参考1:Youtube“【量子力学】この宇宙の真実知りたくない人は見ないでください...『シンクロニシティ 科学と非科学の間に』by ポール・ハルパーン(開始~8分30秒の中で「量子もつれ」を解説されています。なお動画は19分です)

ご参考2:Youtube“【簡単解説】数式なしで理解したい!「量子テレポーテーション」や「量子もつれ」の原理や仕組み、方法を初心者にも分かるように解説! (9分33秒~13分33秒に量子テレポーテーションについて解説されています)