ポリヴェーガル理論2

ポリヴェーガル理論入門
ポリヴェーガル理論入門

著者:ステファン・W・ポージェス(Stephen・W・Porges)

初版発行:2018年11月

出版:春秋社

目次は”ポリヴェーガル理論1”をご覧ください。

第1章 「安全である」と感じることの神経生物学

正当な科学的論題としての「感じること」に関する研究

・心理生理学は、心理的な操作に対する生理学的な反応を計測するものである。

心理生理学では、被験者が報告する主観的な状態に頼ることなく、皮膚電位、呼吸、心拍数、血管運動などの生理学的な反応を調べる。そして、客観的かつ数値化可能な方法で、主観的な体験について計測する。

・心の動きを生理学的な反応から理解しようとする試みは、今でも心理生理学および認知神経学の中心的な方法論であり、過去50年にわたりこの基本的な考え方にはほとんど変化はない。

心理生理学研究と心拍変動

・精神的に努力している状態では心拍数が減少し、そうでない時の心拍変動には個人差があることを発見した。そして、この研究成果が先駆けとなり、後に心拍変動の個人差と、認知的能力、環境内の刺激に対する感受性、精神医学的な診断、心理物理的適合性、レジリエンス[しなやかさ、回復力]との関係について、多くの論文が発表されることとなった。

心拍変動を調整する神経的作用機序

・『私は、心拍変動を引き起こす、心拍間隔に影響を与えている神経経路を探求し、心拍数を制御している神経系の仕組みを理解するために、動物実験を行った。』

心拍数を制御する迷走神経の計測方法の開発

・心臓迷走神経緊張のより正確な指標として、呼吸性洞性不整脈(RSA)を定量化する方法を開発した。

・迷走神経は呼吸によって心臓に与える影響を変化させる。

・呼気と吸気では心拍数が一定のリズムで減少したり増加したりする。そして、迷走神経の影響が大きければ大きいほど、その心拍変動は増加する。

・フィードバックループは迷走神経の働きを動的に調整している。肺や心臓だけでなく高次の脳からも脳幹へと信号が送られる。

・フィードバックループの出力媒介変数は振幅と周波数である。振幅は迷走神経の影響を反映しており、周波数は呼吸数を反映している。

・相対的な方法論から、神経生理学的なモデルをもとに迷走神経による神経的制御を計測する方法論へと推移していった。この技術を用いることで、迷走神経による制御の具体的な状態を正確かつ継続的に計測することができるようになった。

仲介変数の探求

・『私の科学的な探求は、行動の個人差を理解するための仲介変数を探す旅であった。この旅を通して「安全である」と感じることも含めた心理的な体験と、行動の神経的基盤となる自律神経の状態の重要性を理解することとなった。

・研究の三つの段階

1.記述的研究(心拍変動が重要な現象であることに気づき、一連の経験主義的な実験)。

2.心拍変動を仲介している神経生理学的な作用機序を説明するための研究。

3.神経生理学的、神経解剖学、進化学をもとにした、脳と身体、あるいは心と身体の科学の基礎となるポリヴェーガル理論の構築。

・『ポリヴェーガル理論は、我々の行動と、他者との関わり方に影響を与える仲介変数としての生理学的状態の重要性を解き明かすものであった。この理論により、危険と脅威が生理学的状態を変化させ、防衛に向かわせることが説明された。そしてもっとも大切な点は、「安全である」とは、単に脅威を取り去ることではないということだ。「安全である」とは、環境中や、他者との間で交わされる健康、愛、信頼を感じることを促進する、独特の「合図」に依存しており、それが防衛回路を積極的に抑制する。

安全と生理学的状態

・ポリヴェーガル理論では、意識の及ばないところで環境のリスクを評価する神経的なプロセスを「ニューロセプション」と呼ぶ。

・ポリヴェーガル理論では、ストレスとなる出来事の物理的な特徴は、あまり影響力を持たず、むしろ我々自身の身体的な反応の方がより重要な役割を果たしていると考える。

・ポリヴェーガル理論では、自律神経の神経的制御が変化したことを、内臓の感受性によって捉えていくモデルを提唱している。

・ポリヴェーガル理論では、社会が安全であると感じられる環境や、信頼できる人間関係を、我々は人々に提供しているのか、という問いに直面することになる。学校、病院、教会などの社会組織が、常に人々を評価し、それによって危険と脅威を感じさせる状況であることを鑑みると、政治紛争、財政危機、戦争などと同じように、こうした社会構造が我々の健康に好ましくない影響を与えていると言わざるを得ない。

ポリヴェーガル理論では、生理学的な状態を、様々な種類の適応的行動を効果的に表現する神経的な土台であると考える。

「安全であること」の役割と、生き残るために必要な「安全である」という合図

・神経系は爬虫類から哺乳類へと進化した過程で変化していった。特に哺乳類では、同種の生物のうち、どれだけ安全で近づいてもよく、また触れてもよいのかを同定する神経系が発達した。

・爬虫類や、その他の「原始的な」脊椎動物では、防衛戦略が非常に発達していた。しかし、進化した哺乳類においては、適応していくために、今度はそのよく発達した防衛戦略のスイッチを切る神経的作用機序が必要になった。

・哺乳類はいくつかの生物学的な必要性に迫られて「安全」を求めるようになっていった。

-哺乳類は出生後、直ちに母親の保護を受ける必要がある。

人間を含む数種類の哺乳類は、生きていくためには「孤立」を避け、長期間社会の中で相互依存を必要とする。防衛反応のスイッチを切って、子育てをしたり、社会的行動をとったりするためには、安心できる安全な環境と、安全な同種の生物を同定する能力が必要になった。

-生殖、授乳、睡眠、消化を含む様々な生物学的、行動学的機能を果たすためには、哺乳類は安全な環境が必要不可欠である。

・哺乳類は社会的行動と感情の制御を必要とするようになった。

ポリヴェーガル理論では、社会的行動と感情の制御を行う神経回路は、神経系が「安全である」と感じているときにのみ発動するとしている。その時、この神経回路は、「健康」、「成長」、「回復」を促進するように働く。

・「安全」は人間が潜在能力を発揮する上で欠かすことができない。高次の脳は創造性を発揮し、生産的であるためにも必要不可欠である。

・ポリヴェーガル理論では、我々の心理的、物理的、行動学的反応が、我々の生理学的状態に依存しているという事象に重きを置く。

・ポリヴェーガル理論では、身体の諸器官と脳が、自律神経を制御している迷走神経やその他の神経を通して、双方向に情報交換しているということに注目する。

自律神経系の制御は、進化の過程で「安全であること」を互いに発信しあい、協働調整することができる神経系を獲得した。

社会的交流と安全

・臨床において、見たり、聴いたり、起きていることに注目することは、大変有効なやり方である。

・社会的交流を持ち、身体の諸器官からの感覚をフィードバックすることにより、気分や感情の主観的な状態を改善することができる。

社会交流システムとは、顔と頭の横紋筋を制御する神経経路を総称したものである。

・社会交流システムは、身体感覚を投影するとともに、安全で落ち着いていて、愛と信頼を醸成する状態から、防衛反応を起こす脆弱な状態まで、一連の変化を引き起こすための情報の入り口である。

セラピストとクライアントが互いに、「見て」「聴いて」「感じる」ということは、お互いの身体と感情の状態を動的に双方向に情報伝達し、社会的交流が行われていることを意味する。それこそが治療的瞬間である。

・社会的交流が相互に利益をもたらし、互いの生理学的な状態を協働調整するためには、双方ともに、安全であり、信頼できるという社会交流的「合図」を送りあう必要がある。

・双方向で主観的な体験を分かち合うことは、結合鍵を開けるようなものである。突然、鍵を固定していた回転部品が正しい場所に収まり、扉が開くのである。

・進化の過程で、表情や発声、音や味覚を検知する神経系と生理学的状態とが結びついたのは、哺乳類特有の現象である。

身体の状態と表情や発声とが結びついたことにより、同種の生物が発する「合図」を見極める能力が発達した。相手が出している「合図」は「安全である」のか、「危険である」のか、はたまた逃げることも戦うことも不可能で、擬死に陥り不動状態になるべきなのか、判断できるようになった。そして、社会的交流の扉が開いた。

・他社が近づいても安全であるという「合図」を提供するために、顔と頭の筋肉を神経制御することが必要とされる。

・社会的交流システムは、我々の「安全であること」への生物学的な希求と、人とつながり、自分たちの生理学的な協働調整したいと望む、無意識の生物学的な必須要件から生まれた。

社会的交流では、「わかった」という微細な「合図」や、共感、互いの意図が交わされる。こうした「合図」は、微妙な調子、韻律を通して伝えらえる。それは同時に互いの生理学的状態を伝えあう。我々は、自らが落ち着いた生理学的状態であるときにのみ、相手に「安全である」という合図を伝えることができる。

社会的交流システムは、自分の生理学的状態を伝えるだけでなく、相手がストレスを感じているのか、それとも「安全である」と感じているのかを感知する入り口にもなる。「安全」を感知すると、生理学的反応は落ち着く。危険を感知すると、生理学的状態は、防衛反応を活性化するように変化する。

社会交流システム(脳神経:Ⅴ、Ⅶ、Ⅸ、Ⅹ、Ⅺ)
社会交流システム(脳神経:Ⅴ、Ⅶ、Ⅸ、Ⅹ、Ⅺ)

画像出展:「ポリヴェーガル理論入門」

 『図1で示されているように、社会交流システムには身体運動要素と内臓運動要素が含まれている。身体運動要素には、顔と頭の横紋筋を制御する内臓からの特殊体腔内器官遠心性経路(脳管内の運動核[疑核、顔面神経、三叉神経]から生じており、社会交流システムの身体運動要素を形成している)がある。

内臓運動要素には、心臓と気管を制御している有髄の横隔膜上の迷走神経がある。機能的には、顔と頭の筋肉と心臓のつながりから社会交流システムが生じる。社会交流システムは、誕生直後では、吸う、飲む、呼吸する、声を出すといった行動を調整している。誕生後早期に、この調整がうまく取れない場合、成長後、社会的行動や感情の制御が難しくなることが示唆される。』

結論

・ポリヴェーガル理論では、「安全である」と感じることは生理学的な状態に依存しており、「安全である」という合図は自律神経系を穏やかにする。

・生理学的な状態を落ち着かせると、安全で信頼できる人間関係を結ぶことができ、それそのものが、行動的、生理学的状態を協働調整する機会となる。こうした健全な「調整サイクル」が心と身体の健康を促進する。このモデルでは、自律神経の状態を含む我々の身体の感覚は、我々が他者と関わることにおいて仲介変数の機能を果たしている。

・交感神経が優位となり、戦闘態勢に入っているときは、防衛に焦点が当たっており、「安全である」という合図を出すことも受け取ることもしない。しかし、腹側迷走神経経路によって社会交流システムが発動しているときは、声や表情で、「安全である」という「合図」を出し、それにより、自分自身と他者の防衛反応を抑制する。互いに、社会交流システムを用いて関わり合うことによって、社会的な絆が強化される。

-腹側迷走神経複合体:腹側迷走神経複合体は脳幹に位置し、心臓、気管支、顔と頭の横紋筋を制御している。また、腹側迷走神経複合体は、内臓運動経路を通して心臓と気管支を制御している疑核と、特殊体腔内器官遠心性経路を通して、咀嚼、中耳、顔面、咽頭、喉頭、首の筋肉を制御している三叉神経顔面神経からなる。

・ポリヴェーガル理論では、治療的モデルにおいても、人間としての体験を最善のものとするためには、身体の感覚を尊重することだけでなく、生理学的な状態を含む支援を行うことが大切であると考えている。

・ポリヴェーガル理論では、他者との絆を形成し、互いに協働調整しあうことは、我々人間にとって必要不可欠な生物学的必須要件であると説いている。「安全である」と感じることは、生きていく上でなくてはならない。そして、我々が行動的、生理学的状態を協働調整することができる、信頼に満ちた社会的関わりを持つことによってのみ、我々は「安全」を感じることができる。

ご参考:人体の正常構造と機能』という本にある図・説明を用いて、神経生理学的説明を視覚的に追ってみました。もやもや感がありますがご紹介します。

①脳神経核 

以下は脳幹の図です。左側の図では右半分が知覚核(孤束核など)で、左半分は運動核(三叉神経運動核、顔面神経核、疑核、迷走神経背側核など)となっています。

また、右側の図は脳幹部の断面図です。黄色は“一般内臓運動(GVE)”、ピンク色は“特殊内臓運動(SVE)を担っています。緑色の舌下神経核に隠れて見づらいですが、迷走神経背側核(黄色)は確かに背中側(小脳側)にあるのが確認できます。一方、三叉神経運動核(ピンク色)、顔面神経核(ピンク色)、疑核(ピンク色)は迷走神経背側核から見ると、いずれもお腹側(腹側)に位置しているのが分かります。“腹側迷走神経複合体”とは、この部分を指しているのではないかと思います。

脳神経核
脳神経核

画像出展:「人体の正常構造と機能」

②脳幹の自律神経中枢

下の図は“循環中枢”(左)と“呼吸中枢”(右)を説明している図です。交感神経迷走神経(副交感神経)ですが、脳に近い神経は赤(交感神経)青(迷走神経)とも実線になっています。これは有髄線維の高速な線維です。一方、小さな●(神経核)を経て、破線になっていますがこれは低速の無髄神経になります。有髄線維は“節前線維”とよばれ、神経線維の分類で分けるとB線維になります。無髄線維は“節後線維”とよばれ、同じく神経線維の分類ではC線維になります。(神経線維はB、Cの他にAα、Aβ、Aγ、Aδがありますが、B線維よりさらに高速な線維です)

茶色はいずれも求心性の副交感神経になりますが、この図では三叉神経、舌咽神経、迷走神経の3つが出ています。

脳幹の自律神経中枢
脳幹の自律神経中枢

画像出展:「人体の正常構造と機能」

左端がボケてしまっています。上から、

・心臓抑制中枢

・迷走神経背側核

・疑核

・血管運動中枢

・延髄腹外側野

と書かれています。

③脳神経の線維構成

縦軸は脳神経の種類で、上から“特殊感覚神経”、“体性運動神経”、“鰓弓神経”に分類され、横軸は遠心性(左)と求心性(右)の2つに分かれています。鰓弓神経に注目すると、1番下の副神経(Ⅺ)以外の各神経は遠心性と求心性の双方の機能を有していることが分かります。これを見ると、先にご紹介した“社会交流システム”の中央に書かれている脳神経と比較して頂くと、社会交流システムが関わる脳神経は、鰓弓神経(脳神経のⅤ、Ⅶ、Ⅸ、Ⅹ、Ⅺ)を指しているということが分かります。

脳神経の線維構成
脳神経の線維構成

画像出展:「人体の正常構造と機能」

左端がボケてしまっています。上から、

・特殊感覚神経

・体性運動神経

鰓弓神経

と書かれています。