岡部素道先生は、私が2年間学んだ“日本伝統医学研修センター”の所長でもある相澤 良先生の師匠になります。当院の治療はその相澤先生から学んだことを第一にしていますので、治療の原点は岡部素道先生の教えにあるとも言えます。
その一方で、私は【経絡≒ファシア】であると考えています。このようなことを考えている鍼灸師はまずいないと思いますが、何故、そのような考えに至ったかは“日本整形内科学研究会”で勉強させて頂いているのが大きな要因です。
“整形”とくれば普通は“外科”ですが、“整形内科”がどんなものなのか、以下の4冊は日本整形内科学研究会の先生方が執筆された本の一部です。
【経絡≒ファシア】ではありますが、【経絡≠ファシア】であるとも考えています。これは生まれも育ちも異なる“経絡”と“ファシア”を“=”で結ぶのは違和感があり、適切とは思えないためです。
では「その差分は何か」、その答えは、今はところ「氣」ではないかと思っています。しかしながら、“氣”がどういうものなのか、専門学校で習いましたが今一つ腹に落ちていません。
“気と氣の違いをAIが徹底解説!驚くべき真実とは?”(大谷義則様)
『「気」という漢字が使われるようになったのは戦後で、GHQによって漢字の改良が行われたときです。GHQは日本人のエネルギーを抑えるために、「氣」から「気」に変更したと言われています。
AI視点から言えば、「氣」と「気」の違いは、エネルギーの流れや広がりを表す特徴量の違いと言えます。「氣」はトーラス構造に近い特徴量であり、「気」は閉じ込められた特徴量です。』
以前拝読させて頂いた『ホリスティック医学入門』の著書であり、帯津三敬病院の院長である帯津良一先生は以下のようなお話をされています。
“気の正体とは何か 帯津先生の答えに本場・中国の学生も納得”(週刊朝日)
『もう30年ぐらい前になりますが、北京大学で100人ほどの学生を前に講演したことがあります。その時の学生の冒頭の質問が「先生の気に対するご見解は?」でした。一瞬たじろぎましたが、「気の正体はわからないが、いずれにしろエントロピーを減少させる何かである」と答えました。』
今回の本は岡部先生曰く、「五十年間の臨床生活で知りえたものを書き留めた覚え書のような本である」。とのことです。むしろそのような日常の臨床の中に「氣」のヒントがあるかもしれないと思い、勉強させて頂くことにしました。
ブログは忘れていた経絡治療の大切なことと、確信は何もないのですが、「氣」が何かを知るうえでヒントになるかもしれないと感じた個所をピックアップしました。内容は完全に鍼灸師向けになっています。
ブログには数多くの経穴(ツボ名)が出てきますが、この日本東洋医学協会さまのサイトは、検索しやすく各経穴を確認する上でとても便利です。
・著者:岡部素道
・発行:1983年7月
・績文堂出版
目次
Ⅰ 経絡治療とはどういうものか
●“1本の鍼”にいのちをかける
●“経絡治療”とうもの
●「標」と「本」
●「虚実」と「補瀉」
●「病症」と「病証」
●「経絡」と「経穴」
●鍼灸治療の限界―胃の気について
Ⅱ 診断方法
●望診
・生死を見分ける
・離れて見る
・ツヤを診る
・調和の有無
・小児の望診について
●聞診
・五音
・五声
・五香
●問診
・食味について
・職場について
・住居について
・生活法について
・病状について
・問診の要領
●切診(一)…脈診
・脈診の考え方
・脈診の歴史
・脈診の実際
・脈の虚実
・五行について
●切診(二)…脈状
・四季の脈と五臓の脈
・四つの気(外邪)
・陰陽の脈
・胃気の脈
・脈診のとり方
●切診(三)…切経
・切経の種類
・切経の異常
・診断法としての意味
Ⅲ 治療の方法
●治療家の心得
・治療の原則
‐経絡と経穴
‐証
‐鍼の補瀉
‐灸の補瀉
●取穴法と治療法
・取穴法について
・治療法について
・付=補瀉の表
●八法の治療法
・汗法
・吐法
・下法
・和法
・温法
・清法
・補法
・消法
●経穴と取穴
・一経の補瀉
・二経にわたる補瀉
・取穴の原則
・難経の取穴法
・硬結と圧痛
Ⅳ 身体各部の疾患と治療の実際
●顔面の疾患
・顔面麻痺
・三叉神経痛
・顔面痙攣
・疼痛
・鞭打症
・顔面神経麻痺
・顔面筋痙攣
●目・鼻・耳・咽喉の疾患
・遠視
・ベーチェット病
・角膜炎
・仮性近視
・鼻炎
・感冒
・蓄膿症
・耳聾
・難聴
・中耳炎
・咳嗽
●肩・胸部の疾患
・肩凝り
・咳嗽
・喀血
・結核
・肋間神経痛
・胸膜炎
・肋膜炎
・帯状疱疹(ヘルペス)
・心臓肥大
・心不全
●腹部の疾患
・胃もたれ
・食欲不振
・嘔吐
・腹痛
・胆嚢痛
・胆嚢炎
・虫垂炎
・胃炎
・便秘
・下痢
・痔出血
・坐骨神経痛
・胸焼け
●背・腰部の疾患
・背部の凝り
・腰痛
・ギックリ腰
・頸腕症
・打撲による腰痛
・手術の後遺症としての腰痛
・冷え
●脚部の疾患
・捻挫
・関節痛
・痛風
・坐骨神経痛
・浮腫
●喘息の治療
・心臓性喘息
・気管支喘息
・小児喘息
●感冒の治療
・鼻カタル
・気管支カタル
・腎炎
・ネフローゼ
・蓄膿症
・下痢
●現代病の治療
・ベーチェット病
・スモン
・メニエル氏病
・脳腫瘍
●神経症の治療
・症状
・原因
・疾患の扱い方
・診断
・治療法
●婦人科の治療
・月経の異常
・子宮の障害
・卵巣腫瘍
・更年期障害
・不妊症
・習慣流産
・つわり
●成人病の治療
・高血圧症
・低血圧症
・動脈硬化症
・心臓病
・腎臓病
・糖尿病
・肝臓疾患
あとがき
・『本書は、前著[鍼灸経絡治療]の続編であるが、鍼灸治療・経絡治療の概論書とか講座とかいうよりは、五十年間にわたる臨床生活で私の知りえた経絡治療というものを書きとめた覚え書といったものである。私が日々の臨床でどういう治療をしているか、そのやり方、その考え方を体験に即して、臨床家の実地に役立つようにまとめたものである。
できるだけ初心者に語りかける気持ちでのぞんだのであるが、初心者には経絡治療の基礎知識を前著「鍼灸経絡治療」でたしかめてもらわなくてはならないことも多いにちがいない。しかし、この本に書いてあることは、初心者には初心者なりに、経験者には経験者なりに、それぞれの読みとり方をしてもらえるとおもうし、また、治療をうける立場の人にも、経絡治療が鍼灸治療の本道であることを理解してもらうのに役だつようにとねがった。』
・『本書は、前著[鍼灸経絡治療]の続編であるが、鍼灸治療・経絡治療の概論書とか講座とかいうよりは、五十年間にわたる臨床生活で私の知りえた経絡治療というものを書きとめた覚え書といったものである。私が日々の臨床でどういう治療をしているか、そのやり方、その考え方を体験に即して、臨床家の実地に役立つようにまとめたものである。
できるだけ初心者に語りかける気持ちでのぞんだのであるが、初心者には経絡治療の基礎知識を前著「鍼灸経絡治療」でたしかめてもらわなくてはならないことも多いにちがいない。しかし、この本に書いてあることは、初心者には初心者なりに、経験者には経験者なりに、それぞれの読みとり方をしてもらえるとおもうし、また、治療をうける立場の人にも、経絡治療が鍼灸治療の本道であることを理解してもらうのに役だつようにとねがった。』
Ⅰ 経絡治療とはどういうものか
●“1本の鍼”にいのちをかける
-鍼灸が日本に渡ってきたのは欽明天皇十四年(553年)である。その後1000年ほど経て、江戸時代に非常に発展した。明治時代には西洋医学が主流となったが、昭和になって徐々に復活してきた。
‐『私たちは、だんだん鍼を浅く刺すことを覚えて、太い鍼を深く刺すよりも、経絡をおさえてさえいれば、浅く刺しても充分に効くということを感じているわけです。』
‐三叉神経痛、坐骨神経痛では、神経を圧迫している部分を軟らかくし、身体全体のアンバランスをよくすることによって、だんだんと治していくことができる。
‐著効のあった三叉神経の症例としては、下腹部に瘀血があり心臓も悪いという患者さんに対し、肝経と腎経を補いながら顔面の第一枝、第二枝、第三枝に重点的に刺鍼、深さは2、3ミリ。施術後3時間以上熟睡され、その後、2週間で大きく改善した。
‐新しい病気は短期間で治すことは容易だが、こじらせた症状は長い治療が求められる。パッと治るようはものではない。五年の病気には五年をかけるという心構えで、治療される方も根気よく治療を続けてもらう必要がある。また、鍼灸治療の良さは特定の疾患のみならず、例えば高血圧や肝臓の病気も良くなるものである。
‐鍼灸は「未病を治す」一種の健康法として、一生おつきあいする患者ができてくるものである。
●“経絡治療”というもの
‐経絡治療では、患者の病態を経絡の変動として統一的に観察することが基本である。
‐経絡の変動とは「虚」または「実」としてとらえる。そして「虚」であれば補い、「実」であれば瀉す。これは診断即治療といえる。
‐「虚」と「実」は体全体の状態を観察しながら、主として脈診によって臓腑の状態を診る。そして施術を行い脈の変化で効果を評価する。これは中国では『素問』『霊枢』(約2000年前)に始まった。
-『現代医学、あるいは西洋医学を基礎において考えられた鍼灸というものは、“刺激療法”あるいは“局所療法”というものになってしまって、とかく部分的であり、痛むところとか、あるいは病気のところだけを治療することになって、それだけで治ることもあるけれども、全然治らない人もかなり多いわけです。やはり、病気を経絡の変動としてとらえるという本道にのせて、どの経絡に病があるかを見つけて、必ずしも痛むところを刺さないで、その経絡を治療するということが、鍼灸治療でいちばん大事なことであると思います。
こうして経絡治療の立場に拠ることが第一条件ですが、ただそれを知っただけではさして役にたちません。鍼灸というものは古来、ただ勉強して理論を習っただけでは価値がない。鍼灸は体験の医学であるといわれてきました。鍼灸家としてみると、鍼灸体験の少ない人はのびないし、体験を基礎として行えば必ず上達し、りっぱな鍼灸家になれるとおもいます』
‐本書は鍼灸治療家に向けて、実地に役立つように方法論といったものを少しずつ講述してまとめたものである。
●「標」と「本」
‐「標・本」という言葉は、二千年以上も前から中国に伝えられたといわれる最古の古典「素問」に出ている。「標」は「えだぎ」、「本」は「もとぎ」のことである。「もとぎ」が病むと「えだぎ」が病む、つまり、体の調和がくずれると病気になると考えていた。「本」は本質、「標」は現象ということもできる。
‐『私たちがこの最古の古典に教えられて、患者の「えだぎ」の痛みや苦しみを和らげ、おちつける治療法を「標示法」、その現象のもとにある体調の違和をととのえる「もとぎ」の治療法を「本治法」と名づけ、治療の実際に役だたせるようになったのは、昭和十六年以降のことです。』
‐治療では「標治法」という局所療法に注目が集まるが、経絡治療においては「本治法」こそが鍼灸医学の真髄であると主張し続けている。
‐「経絡説」は昔から存在した。それらを読み返して生みだした「経絡治療」という言葉も、経絡治療の体系化も昭和に入ってはじまったものである。経絡治療が一面で古くて(経絡治療は「古典派」といわれることがある)、一面で新しいのはこうした理由による。
‐本治法で「もとぎ」を治療すれば、「えだぎ」の方もおのずから治ってくるはずであるが、現に患者は病んでいるのであるから、本治法も標治法も併行して同時に進めるのが望ましい。
‐痛みが強い場合は、救急処置的に標治法を行い、痛みを和らげてから本治法をやると説も昔からあるように、臨機応変に対処することも重要である。
‐『どうしても痛みがとれないときはどうすればよいかといいますと、大体病気というのは、どんどん盛んになっているときは、何をやってもあまり効かないものです。昔の名医の話では、往診をして患者の家に行ったら、まず入口でちょっと患者や家の様子を見て、そしてしばらくたって診察なり治療なりしたらよいといっています。病気も、火事のように燃え盛っているときには、少しくらい鍼をしても受けつけないものです。そんなとき、多少時間をおいて、つまり間をおいていくらか下火になった時分にやるとよく治るものです。
胆石発作のような場合、痛み始めにはいくら鍼をしても効かないものです。こういうときは二~三十分おいておく。患者には多少苦しませることになりますが、そうして治療するとよく効きます。この二~三十分おくというのが、なんともいえない呼吸というか、間というものなのです。鍼治療というのにも、ある程度そういう間をおくことが必要です。これは臨床家にとって大切なことだと思います。』
●「虚実」と「補瀉」
‐昭和初期、鍼灸に対する東洋医学の研究は遅れており、按摩のついでに鍼をするというのが一般的であった。
‐『この立派な鍼灸があるのに、アンマ、マッサージをこみで行わなければ治療効果があがらないようでは情けないと思いました。なんとか一本立ちする方法を講じなければと、私は、まず古典においていちばん根本の補瀉論の勉強を始めたわけです。今でこそ虚とはどういう脈か、どうすれば補うことができるかわかっていますが、そのころはだれも知らなかった。結局「古典における補瀉論」を書き上げても、自分でもまだ本当には理解していなかったとおもいます。私に「補瀉をまとめてみろ」とすすめてくださった柳谷素霊先生も、補瀉がどういうものか充分にはきわめていなかったとおもいます。
当時私は、東京鍼灸医学校で教えていましたが、その生徒の一人にお父さんが鍼一本で治療しているという人がいました。それが八木下勝之助という方で、当時七十五歳くらい、十二歳から鍼を持ってこの年まで治療をしておられた。先生は「鍼灸重宝記」を一冊、丹念に隅々まで読んで、一字一句間違いなく覚えていて、しかも常に懐に入れておられた。この本には虚実、補瀉が確かに書いてある。先生は一経治療というか、全て一経の問題として治療をしておられた。たとえば、肺経が虚していれば、太淵と尺沢の二穴を補う。寸六の三番鍼で弾入し、鍼柄をビンビン弾いて、二~三○秒で抜いて、その後をよく揉むというような治療をしておられた。
幸というべきか不幸というべきか、そのころ私は肺結核になってしまい、当時の治療法で、一年くらい各療養所を回ったけれども全然治らない。そこで八木下翁に治療をお願いしたら、いままで発熱したり、衰弱していたのがグングンよくなってきました。治療を受けながら補瀉はこれだとおもい、この体験によって、私は補瀉や虚実を会得しえたと考えています。』
●「病症」と「病証」
‐四診とは望診・聞診・問診・切診(脈診、切経、腹診、背候診、撮診)のことである。
‐四診により、患者を細かく多方面から観察し、病状の原因をよく把握し、正邪の盛衰、病位の深浅、陰陽、表裏、寒熱、虚実を診断して「証」を決定し、これによって変動のある経絡に「随証療法」を行う。
‐『上工は四診により経絡・経穴をよく発見し、鍼灸の刺激量の加減を知ることができるけれども、下工はただ鍼を刺し灸を据えることのみにとらわれて、いちばん大切な経絡・経穴を探し、もとぎの治療をするのをおろそかにしている、といわれます。』
‐肝虚証は圧倒的に多い「証」である。肝経、腎経の脈が虚している(弱い、力がない)。また、同時に臍の左(天枢)か少し下がったところ(大巨付近)に圧痛や硬結がある。また、こういう人は肝臓の部にも硬結や圧痛、あるいは撮診異常があらわれやすい。このような症がいっしょに出てくると肝虚証という「証=あかし」が明らかになる。証が肝虚証ときまると、例えば、本治法としては曲泉・太衝・陰谷・復溜などを使い、標治法としては巨闕・中脘・不溶・期門・天枢・肝兪、その他腹部・頸部・肩背腰部の硬結や圧痛を求めて、二~五ミリ程度の深さに刺して十五分間以上置鍼する。
●「経絡」と「経穴」
‐『私たちは「経穴」というものは行往坐臥、いつでもだれでもあるものではなく、病気になったとき、あるいは体の異和や疲労が重なったとき、はじめて顕現すると考えています。
顕現の仕方が深いものは硬結としてあらわれ、浅いものは皮膚の撮診異常[撮診は皮膚を皮下組織とともに軽くつまんで、その部位に関連する内臓疾患の有無を知る診断法]としてあらわれてきます。また、病気が古くなれば、当然硬結となり圧痛がでてきます。病気があったり、体に異和感があって、はじめてあらわれるのが「経穴」なのです。
昔の人は「経絡」はいつも流れていると考えていました。宋代でも明代でも、経絡を“流れ”としてとらえていました。経絡と血管・淋巴腺とを同様に考えていたわけです。しかし経絡・経穴というものは、病気があってはじめて顕現するものであって、けっしていつも流れているものではありません。病気がなくなったり、体の異和がおさまると経絡・経穴は消えてしまいます。病気がなければ、経絡・経穴というものはあらわれてこない、というのが私の長年の経験での考えです。』
●鍼灸治療の限界―胃の気について
‐『治療の限界としては、その患者に自然治癒力があるかないかが問題になります。自然治癒力のある人は、かなりの病気も治っていきますが、ない人はちょっとした病気でも治りにくい。たとえば、癌などを患うと自然治癒力が少なくなってきているわけです。
患者を治療して、治ったり悪くしたりするのは、多く、その患者に自然治癒力があるかないかによります。ではこの自然治癒力をどうやって見つけるか。これは臨床家としてぜひ心得ていなければならないことです。
この自然治癒力のことは、昔から「胃の気」といいます。脈診の場合、寸関尺の三部を同時に押えて、浮位にして診て、沈位にして診て、中位の脈のないことが胃の気がないということになります。また、右手関上の脾の脈のところでも、胃の気のない人は脈がほとんど感じられません。胃の気の脈の診断については脈状の項で詳しくふれます。
この胃の気を診ることで、その患者が治るか否かを判断し、また病気の経過もつかむことができるわけです。もう一つ、誤治を少なくするのにも役立ちます。』
Ⅱ 診断方法
●望診
・生死を見分ける
‐望診は「難経」(六十一難)に「望んでこれを知る、これを神という。その五色を望見して、以てその病を知る」とある。これが最も大切な点である。
‐ほんの一瞬患者を観て、どこに病いがあるのか、治りやすいのかあるいは死病であるのかをつかみ取る、これが望診である。一見して見分けるところまで訓練されなければならない。
・離れて見る
‐望診で全貌をまず知る。その後、聞・問・切診によって深く立ち入って診断するという見方は、東洋医学の最も大切なところである。
・ツヤを診る
‐『鍼治療を行って、その効果が最もよく現れるのはツヤ―光沢の変化です。鍼治療の前後でツヤの変化を診れば、これは脈診よりもよく変化が判ります。三十分か四十分の間にもよくもこれほど変わるものだとおもうくらいにツヤ=光沢が変わります。と同時に光沢の有無というものは治療効果と非常に関係を持っています。つまり、ツヤのない人は鍼をしても効果がない場合が多いのです。逆に光沢が出たということは鍼治療の効果があったといって差し支えありません。』
‐顔面での光沢を見る時は、天庭(眉間部)のあたりの光沢が最も大切である。
●切診(一)…脈診
・脈診の考え方
‐『私などは五十年やっていますが、脈のいちばん弱いところを追及してみると、それに対応する経絡なり、臓腑なりがやはり弱いということが判ります。なぜかというと、脈診以外の診察は、色でも声でもすべて外から診るわけですが、脈診は内側から診るという重大なちがいがあります。ですから脈診を望・聞・問診と同列に考えては困るわけで、内側から経絡や臓腑の変動を診るのだということを忘れないで下さい。
また、東洋医学、鍼灸は、患者自身の自然治癒力をいかにして高めるかということが本来の目的ですから、自然治癒力があるかないか、胃気を診ることが脈診でできるようにならなくてはいけません。
次に訓練法としていちばんよいのは、毎日自分の脈を診るということです。それでどこが悪いか判れば鍼をするというふうに、自分の体を管理することが治療家にとって大事なことです。
また、実際の診察に臨んでは術者の気を整えることです。これもいろいろいわれていますが、簡単なのは、一息を四十五秒くらいかけて吐き出す。これを四回か五回やる。そうすると向うの悪い所が自分に感じるようになります。だから診断ということは、すぐに客観性を求めるというよりも、まず向うに入って行き、入ってから引っぱり出してくるようにする。そこで初めて正しく診断ができます。初めから客観ばかり求めても、客観的に見えるはずがないのです。
それでも判らない患者もたまにはあります。そのときには、腹あるいは頭に二、三本軽い鍼をします。穴は百会・懸顱・中脘・気海・天枢などです。こうすると不思議なように本証の脈がぴしっと出てくるものです。』
・脈診の実際
‐六部定位の脈の診方は、浮=浮かして診る、沈=沈めて診る、遅か数(サク:速いこと)か、強いか弱いかを見つける。脈状に関係なく、鍼灸の場合は六部定位で浮か沈か、速いか遅いか、虚か実か―この六つを祖脈という。例えば差によって肺の場所が弱ければ肺虚、腎の場所が弱ければ腎虚というようになる。
39秒の短い動画です。“もぬけ塾長の東洋医学チャンネル”さまから拝借しました。
・脈の虚実
‐忘れてならないのは、虚と実に明確な区分けがあるわけでもなく、また個々それぞれに虚と実があるので現代医学のような基準値や、統計的な平均値のような考え方はない。
・五行について
‐五行穴は手足の末端にあって、末端から中枢に向かって井穴・榮穴・兪穴・経穴・合穴の順に並んでいる。手足の末端は経絡の変動があらわれやすい。
‐現代はストレス社会のため虚している人が多いため、虚を中心とした考え方が望ましい。
●切診(二)…脈状
・脈診のとり方
‐脈診で問題になるのは、術者の指先の感覚に差異があることである。指先の爪に近い端の方が鋭敏な人もあれば、指腹の敏感な人もいる。それぞれ鋭敏は個所を使うべきである。右手と左手で差があるならば、患者の左側だけでなく右側からも診るべきである。三本の指にも感覚の差があるときがある。その場合は、敏感な指を選んで寸関尺を確かめて、三本の指で同時に脈診したときの場合と比較することも有用である。
●切診(三)…切経
・切経の異常
‐切経をすると脇腹や腱の一部に硬結や、硬結までいかないが硬いもの、あるいはひどい場合にゴニョゴニョした糸コンニャクのようなもの、小豆大・大豆大・卵大の形状したものなどを把えることができる。これらは身体の疾病による変化・異和などによって現われるある種の反射現象とみられる。
‐腰の志室や肩井、膏肓などでは卵大・うずら大の硬結がみられる場合があるが、このような大きな硬結の場合は硬結の際や健康な部位との境界部など、周囲から刺鍼した方が効果が出やすい。
‐脊柱や棘突起のすぐ傍、あるいは後頚部頭部などでは腱との付着部の際に硬結は顕現している。
‐足では脾経の公孫など、骨の際にキョロキョロしたものが現われやすい。
‐手の合谷は中央よりも第二指寄りに硬結がある場合が多い。神門や足の中封などは腱の下にあることが多く、腱を押しやってみると判ることが多い。
‐経穴は生きもので、疾病によって初めて顕現するので、簡単ではなく二回、三回と探さないと取穴できないこともある。
・診断法としての意味
‐『井・榮・兪・経・合の配当にしても、初心者は定石をきちんと知らなければいけませんが、これを自在に運用するには経穴よりも経絡を重視し、切経によって正しい治療穴を求めなければ治療効果をあげることができません。』