“氣”とは何だろう5(エントロピー編)

エントロピーという言葉は帯津先生の『ホリスティック医学入門』という本で知りました。その時に思ったことは、ブラウン管のテレビでした。なお、これは2020年6月のブログ“ガンとホリスティック医学3”から持ってきました。

画像出展:「テレビログ

例えばテレビ内に埃が溜まり(エントロピーが増大)、バンバン叩くという行為(刺激)により埃が下に落ちて(エントロピーが減少)映った(治った)ということかなと勝手に解釈しました。

これは鍼の刺激により、体内に増大したストレス(エントロピー?)を減少させ、元気を取り戻したというメカニズムに似ていないだろうかと思いました。 

槌田先生はエントロピーを説明する最も相応しい言葉は“汚れの量”であるとお話されています。

テロメラーゼという酵素を発見し、2009年のノーベル生理学・医学賞を受賞されたエリザベス・H・ブラックバーン博士の『テロメア・エフェクト』という本に書かれた運動後の回復のプロセスは、鍼治療による筋・筋膜への微細な損傷に対する、回復プロセスにも通じる部分があると思います。なお、ここでのキーワードは“体の掃除”です。

画像出展:「テロメア・エフェクト」

・運動後に回復反応が起きる。

・オートファジーにより、細胞内の損傷分子は食べられてしまうので炎症を防ぐことができる。

・オートファジーでは対応できない大量の損傷した分子がある場合は、細胞は死滅するが、これはアポトーシスと呼ばれ炎症や残骸を残さない綺麗な死に方である。

・運動は酸化ストレスを減少させている。

運動後の回復反応により体内では細胞の残骸の掃除が続く。

 

 

今回の『気とエントロピー』は帯津良一先生帯津三敬病院院長槌田敦先生[物理学者・環境経済学者]による対談になっています。帯津先生はエントロピーに関しては、槌田先生の著書『エントロピーとエコロジー「生命」と「生き方」を問う科学』が非常に参考となったとのお話をされています。そこで、私も最初に槌田先生のその著書を拝読させて頂くことにしました。

著者:槌田 敦

発行:1986年7月

出版:ダイヤモンド社

 

特に印象に残ったことは以下の7つです。

1.エントロピーとはあらゆる現象の基本法則である。

2.生命を論ずるとき、エントロピーの特性を一番よく表しいているのは「汚れ」である。さらに正確にいうと、「汚れの量」であり、エントロピー増大の法則とは、汚れ増大の法則といえる。

3.『生命体は、自己を復元することによって自らを維持している。復元のための活動にとって最も大切なことは、シュレディンガーが指摘したように、生命活動によって生じた余分のエントロピーを生命体外へ捨てることにより、自己のエントロピー水準を復元することである。この「余分の」というところが大切である。』

※ご参考 “エルヴィン・シュレディンガー 生命とは何か 松岡正剛の千夜千冊

4.『エントロピーを捨てる方法は、二通りしかない。物にエントロピーをくっつけて捨てるか、熱にくっつけて捨てるか、である。つまり、物や熱は、エントロピーという「汚れ」を体外へ捨てる雑巾のようなものなのである。』

5.『血液の循環、リンパ液の循環、その他の物質代謝など、多数の循環がある。つまり、生命というのは、化学者のいうような機能をもった物質の集まりというよりは、むしろ、多数の循環の調和ある動的な集合なのである。

6.『生命というのは、外から見れば流れの系、内を見れば多数の循環からなる系というところに特徴がある。この場合、ある循環と別の循環の間で、エントロピーの受け渡しが過不足なく行われているとき、生命は順調に維持されているといえる。つまり、健康状態である。しかし、調和がとれなくなって、エントロピーの受け渡しがうまく進行しなくなると、その波及の結果、いたるところで循環が回転しなくなる。つまり病気の状態である。そして、循環が多数の箇所で止まってしまい、もはや回復しなくなったときが死ということになる。』

7.『積極的・主体的に、循環を維持しようとして働くような系が、「生きている系」なのである。これが生命固有の本質といってよい。』

特に、エントロピーを「汚れの量」であると考えること。そして、生命のキーワードに「循環」があること、この2つを頭に入れて、帯津先生の著書を拝読させて頂くことにしました。

著者:帯津良一・槌田 敦

発行:1999年7月

出版:ほたる出版

 

もくじ

ちょっと長い「はじめに」

1章 エントロピーと出会う

①日本の「気」と中国の「气」

■日本人は気が大好き

■エントロピーが気になっていた

■気とエントロピーの関係

■誤解のまま流布したエントロピー

②生命はエントロピーを捨てながら生きている

■高尚な理論だけが一人歩き

■地球も生命もエンジンの法則で動いている

2章 気とエントロピー

①中国医学はエントロピーの医学

■エントロピーは測定できる

■気とは「場」の情報?

■物理の場と生命場は異なる

■静的な秩序か、動的な秩序か

■中国医学の根底にあるもの

②余分のエントロピーを捨てる方法

■気功の意義

■吐く息でエントロピーを捨てる

■食物のエントロピー

■尿療法の意味

■発汗という最大のエントロピー廃棄能力を持つ人間

3章 健康とは、病気とは、自然治癒力とは

①環境も人体も物質循環が大切

■ベルタランフィの問題定義

■循環で復元し、また同じことをする

■環境破壊とは何か、病気とは何か

■廃棄物は他者の有用資源

②健康回復の条件

■自然治癒力―誰が命令しているのか

■生命力とは、元へ戻す修繕力

■細胞にも意思がある?

4章 がん治療と気力

①がん患者にとって最高の良薬とは

■気力が生命を左右する

■信頼すれば効き目もアップ

■気持ちのいいことを探す

■わずかな希望が心の平安をもたらす

■心がすべてを決める

②どんな治療を選ぶかは、どう生きるかということ

■治療法は患者が決める

■医者の指示は絶対か

■手術は過渡期の医学かもしれない

■ターミナル・ケアは西洋医学の発想

■現代人の健康至上主義

5章 人間を丸ごと見るということ

①人間全体とは何だろう

■ホリスティック医学は場の医学

■総体としてまとまる

■環境問題とホリスティック医療

■極端な食餌法はマイナス

②治療法の選び方

■固定観念を捨てよ

■ピタリと合えばグングンよくなる

■患者の死を枕元で見送る

■医者と患者ではなく、闘う仲間

6章 研究者の条件

①現役でいられる限界とは

■医者に必要な資質

■理系から文系へ

■長生きしなければならない時代

■「現場」を離れないことが大事

②真の学問を復活すべき

■学者の衰退

■学問の価値は仲間の数で決まる?

■学問の基本に戻るできとき

ちょっと長い「おわりに」

1章 エントロピーと出会う

①日本の「気」と中国の「气」

日本人は気が大好き

・日本人は心の作用にも「気」を使う。これは心の問題を日本語では気の問題のように捉えることが少なくない。一方、中国では日本とは異なり心の問題で「气」を使うことは少なく、基本は、息に関係する言葉として使われている。

・日本語の「気」と、気功でいわれている「気」のどの辺りが同じで、どの辺りが違うのかを明確にしたい。

・気功の「功」は「習練あるいは習練の成果」という意味である。気功はもともと導引といって身体を揺り動かしたり、呼吸をしたりなどの、さまざまな養生法の総称である。

・1950年代には、養生法は約2400種あり、それを「気功」という言葉に統一した。その定義は「正気を養うことを主たる目的とする自己鍛錬法を気功と呼ぶ」となっている。

・『中国では、正気、気というものは生命の根源物質である、細胞の隅々まで行き渡って、身体の中で循環しているものという考えがありますから、それ以上あれこれと説明することはしません。自明の理なんです。

・日本の気、例えば「病は気から」の気は気持ちのことである。つまり、日本の気は精神的・情緒的なところも含めた心の面を重視している。

中国の気功では、心を調えるというのは気持ちや感情を調えるということではなく、一つのことに集中できる気持ちをつくることである。雑念を払って本当に集中できる気持ちをつくるということである。そのため、中国人が考える心と日本人が考える心とは違う。

・『中国の古典医書に「黄帝内経」という本がある。この三章(二)節「七情傷気」の中に「百病生於気也」という文章がある。これを日本語に直訳すると、「多くの病は気から生ずる」ということになる。しかし、ここでいう「気」は、日本語でいう病人個人の「気持ち」ではなく、宇宙や生命の根源要素を意味していると考えられる。

ただし、七情(喜・怒・憂・思・悲・恐・驚)が気を傷めるとあるから、日本語でいう気は中国語では「情」にあたり、情が気を傷めるから、結果的に病気になるということではないだろうか。

エントロピーが気になっていた

・『気というもの中国では、既成の事実というか、その存在を誰も不思議に思わないんですね。気というのは生命の根源物質である。宇宙にも人体にもあまねく存在している。したがってそれ以上何かしようとしないわけですよ。そういうふうに決めているんです。ところが日本の場合は、中国医学を説明するのに、気の問題になると、どうもそこで立ち往生してしまいました。何とかうまく説明する方法がないものかと、中国の本などをいろいろ読んでみましたけれど、「気は生命の根源物質である」「気功はその正気を養う」というところから一歩も出ていませんでした。びっくりするほど分厚い専門書にも、それ以上突っ込んだ説明はありませんでした。

ですから、私が、がん治療に中国医学を取り入れたとき、大方の西洋医学の先生たちは、中国医学は経験的な医学で、何の理論もないし、統計処理もできないものだと言っていました。しかし、私は違うと、そうじゃないと。科学が支えていなくても、やっぱり伝統がありますし、西洋医学とは違う立場から病というものをとらえているんだと思っていたものですから、そこを何とか西洋医学の仲間に説明しようと思っていろいろ苦労したんですよ。気というものが、何か物事に秩序を与える作用は間違いなくあると。そういう原理なのか情報なのか物質なのかは分かりません。でも何かあるはずだと。

そういうことをずっと考えていたものですから、あるときすっとエントロピー増大の法則というものに関係しているのではないかと思いついたんです。それからエントロピーに関する本を読み始めたんですが、このエントロピーがまた難しくて分からないんです。』

誤解のまま流布したエントロピー

・有名なエントロピー増大の法則というのは、物体が活動したり変化したりすると、必ずエントロピー(汚れの量)が増えるという法則である。

②生命はエントロピーを捨てながら生きている

高尚な理論だけが一人歩き

・生き物がなぜ簡単に死なないのかを分かるように説明したのがシュレディンガーであり、人間が死なないのはエントロピーを捨てるからだと説明した。

動物は、食物を食べ、水を飲み、空気を吸っている。これらの物質は体内に入る。しかし、排泄し、排気し、放熱しているのでエントロピーを体外に捨てることができる。

気とは余分のエントロピーを上手に捨てる能力ではないか。

画像出展:「AI(Perplexity Pro)が作成」

ヒトは生きるために熱を作っています。

 

2章 気とエントロピー

①中国医学はエントロピーの医学

気とは「場」の情報?

・「場」とは清水博先生が提唱されているものである(参考:“NPO法人 場の研究所”)

・『気という言葉を使わないで説明するとすれば、何か身体の中の潜在能力を掘り起こすような方法論が、気功なんじゃないかと。しかし、そうすると身体の中の潜在能力というのはどこにあるんだろうということになる。そして、やっぱり私はもともと外科医ですから、身体の中のすき間なんていうのを思いつきました。臓器と臓器のあいだ、どうもあそこにいろんな物理事情があって、一つの場をつくっているんじゃないか。そういう人体の中の場を「生命場」と呼んでもいいのじゃないか。その場のポテンシャルというか、エネルギーのようなものが、きっと自然治癒力と関係しているんじゃないか、そう思ったんですね。(帯津先生の指摘される「身体の中のすき間」にはファシア[膜]があります。そしてファシアはライフラインともいえる動脈、静脈、神経、リンパを覆っています。帯津先生の指摘される「生命場」にもファシアは何かしらの関りを持っているのではないかと想像します)

画像出展:「人体の正常構造と機能」 

左側の図の黄色の部分は膜(ファシア)です。

また右の図では灰色の部分が膜(ファシア)です。

 

 

・『身体のポテンシャルを上げる方法論が気功なんじゃないかと思って、いろいろ考えてきました。そうすると、気はまだはっきりとは分かりませんが、その場をつくっている物理量でもいいし、清水先生が言われるように何か場の情報みたいなものでもいいかなというふうに今は思っています。』

・『生命活動を含めたすべての活動では、活動の潜在能力を取り入れて、それを用いて活動すると、その潜在能力が減って、エントロピーになるとして説明できます。つまり、「気」と活動の潜在能力(=ポテンシャル)は、同じものということになります。分かりやすく言えば、「気」とは、パワーになる可能性のあるもの(=ポテンシャル)ということではないでしょうか。

静的な秩序か、動的な秩序か

・『この(各器官)配置図の中で、あちらの臓器からこちらの臓器へものが流れる、たとえば血液が流れたり、リンパ液が流れたり、その他いろんなかたちで、さまざまな物質が流れ、その流れが過不足なく循環している。それが滞りなく行われる。そういうのが健康な状態だと思うんです。循環が滞って一方から流れ出たものが、もう一方のところでどんどん溜まって肥大化してしまったら、その臓器はダメになってしまう。それが病的な状態です。だから、こういうふうに体内のすべての循環がスムーズに流れている状態を「気の巡りがいい」と言うのではないかと思うのです。これを気と表現しているのではないかと。少なくとも、科学的に言うなら、そこまでは間違っていないと思います。

中国医学の根底にあるもの

中国医学では循環の問題を重視している。気滞、血瘀など。血を生き生きさせて循環をよくする。そういうものが、すべて中国医学の治療の中にある。しかも、中国医学ではエントロピーを捨てるための排泄を重視している。

・中国医学の考え方はすべてエントロピーで説明できる。

②余分のエントロピーを捨てる方法

吐く息でエントロピーを捨てる

・東洋医学の呼吸法の場合は、吐く時つまりエントロピーを捨てるときに意識をしっかり持つ。

・呼気のときに副交感神経が優位になる。

食物のエントロピー

・エントロピーで一番大きな値となって出てくるのは廃熱、熱のエントロピーだが、食べ物には左右されない。量については小食であれば消化する作業が少ないので、発生するエントロピーは小さいが、エントロピーをたくさん捨てることはできない。つまり、食物については大きな影響をうけない。

エントロピーを捨てる方法は汗、皮膚、呼気など排熱を利用するのが多い。一方、尿からの排熱は少ない。

・人間や動物が食べたり飲んだりするのは、エントロピーを捨てるためである。生命活動すれば、必ずエントロピーが生ずる。このためこれを捨てなければならない。しかし、エントロピーだけを分離して捨てることはできない。

発汗という最大のエントロピー廃棄能力を持つ人間

動物の中で馬と人間は汗をかくので、熱エントロピーを上手に捨てることができる。長時間の労働ができるのはそのためである。 

画像出展:「AI(Perplexity Pro)が作成」

ヒトは体温調節するためにいくつかの方法で熱を排出しています。

 

3章 健康とは、病気とは、自然治癒力とは

②健康回復の条件

自然治癒力―誰が命令しているのか

・『自然治癒力といっても、それがあることはあると思うんですけれど、本体はまだ西洋医学も東洋医学もつかんでいません。内分泌とも循環とも神経の伝達とも免疫とも違う何かがあるんじゃないかと私たちは考えてるわけです。

これは一般の素人の方でも、自然治癒力というものがあると考えています。現に傷が自然に治る。私もそうですが、西洋医学の先生方というのは、創傷治癒といって、傷が治る時のメカニズムはちゃんと習うわけですね。素晴らしく治ってくると。これには循環も関係しているだろうし、神経もホルモンも免疫もみんな働いている。その総司令部みたいなものがきっとあるだろうと考えているわけです。

ところが、これは誰が指図しているのか問うと、今のところ誰にも分からない。誰が命令してやっているのかを誰も教えてくれないわけですよ。これは西洋医学でも一切解明されていません。ところが西洋医学の先生方に、自然治癒力というものの存在を信じますかと言うと、みんな信じるといいますよね。そこのところが面白いんで、これからの、研究に待たなきゃいけないんでしょうけどね。』

生命力とは、元へ戻す修繕力

・自然治癒力と生命力は同じ意味だとは思うが、生命力の一つ手前にあるものが自然治癒力という思いもある。

・生命力は自然治癒力より広い概念で、生命の本質に沿ったものではないか。

・生命の原点は、生きようとする力、元へ戻そうとする力ではないか。

細胞にも意思がある?

・『多田先生が自著[「免疫の意味論」]の中で、免疫というものをスーパーシステム、つまり自己組織化していくシステムと言っている。要するに一つの骨髄細胞から出て、いろんな細胞に分かれて、それぞれが役割分担して動く。その時に内外の状況に応じて、役割をひょいと変えたりすることを自分でやっている。これはやっぱり何か指令を出すところがあるはずだと。それは遺伝子かもしれないけど、もっと場の情報のようなものではないかと表現しておられるんですよ。

私もどうもそういう気がします。ですから先の指摘のような、生命場は静的なのか動的なのかと問われると、私も混乱してしまうんですけど、どちらにしても私が今まで言っている場というものの何か働きというものがあるだろうと思うんです。私はエネルギーのようなものがあるんじゃないかと考えています。

4章 がん治療と気力

①がん患者にとって最高の良薬とは

気力が生命を左右する

気力は確かに生命と深くかかわっている。がん患者の最後を数多く見ているので、そういうことは何度も経験している。気力をぱっとなくしたとたん、みるみる衰弱していく。例えばホスピスに移るのを決めたとたん、移る前に息を引き取ってしまうことは少なくない。

気持ちのいいことを探す

・治療には患者本人のその時の気持ち、希望をなるべく汲み取るという姿勢が非常に重要である。

心がすべてを決める

・『私なんかも本当に心は大切だし、極端なことを言えば、将来のがん治療の中でいちばんの主力は心だろうと思っているんです。遺伝子レベルまで解明していったとしても心が肝心だと思っているんですね。この心が、もう少し客観的というか、数値化ということができるようになれば、その作用がもっと明確になってくるんじゃないかと考えています。』

章 人間を丸ごと見るということ

①人間全体とは何だろう

ホリスティック医学は場の医学

・1番大切で、西洋医学も東洋医学も不十分な領域は心の領域の問題である。

ホリスティック、人間全体とは何だろうと思っている内に、隙間のことや場の問題を考えるようになった。そして、場は自分自身の中にもあるが、大きな場の中の一部でもあると考えるようになった。

②治療法の選び方

ピタリと合えばグングンよくなる

・ホリスティックと言っても患者ごとにみんな異なる。

・『いろんな療法もピタッと合うと、これがまたよく効くんですよ。先ほども言いましたが、バケツの中に塩を入れて足を揉む。これでよくなっていく人が現にいるんです。気功をやったり、漢方薬をやったり、点滴もやったりして、いろんなことをやっているんだけど、あんまりよくならないなと思ってるときに、どこかからがバケツに塩を入れて届けてくれた人がいるんですね。その中で足を揉み始めたら、グングンよくなっていく。

六人部屋にいた人ですけど、その人がよくなったのを見て自分たちもやろうというので、バケツを買って来て、塩を分けてもらって他の五人もやり始めた。しかし、他の五人はあんまりよくならない。やっぱりこの人には気持ちも含めて何かがピタッと合ったんですね。こういうことが終始あるから、私は何でもやってみた方がいいと思うんです。費用がかかり過ぎることや、これはちょっと危ないぞというもの以外はね。