“氣”とは何だろう9(科学編)

科学編の2冊目は湯浅泰雄先生の『気とは何か 人体が発するエネルギー』です。湯浅先生は哲学者であり、気の思想、超心理学、ユング心理学等の研究をされました。本書の内容はとても高度で理解できたのは一部ですが、重要な発見がいくつもありました。

ストレスは多くの病気の原因とされています。しかしながら、この考えは1960年代に入ってからのものであり、それまでの近代科学は物質と精神(心)の間には関係はないという二元論の立場をとってきたようです。そのため、医学も心の存在は無視し身体だけを研究の対象にしてきました。東洋医学が廃れていった背景にはこのような実状もあったと思います。「気」について考えるとは、物質と精神(心)の関係性を考えるという側面も含んでいると思います。

著者:湯浅泰雄

初版発行:1991年1月

出版:日本放送出版協会

目次

まえがき

Ⅰ 「気」の人間観と自然観

1 なぜ「気」を研究するか

●気と心身関係

●研究の学術性

●武道―脳波の間人的同調

●一瞬の気合によって相手を倒す

●日中交流と気のブーム

2 人体の見方と自然観

●二元論の克服

●還元主義をこえて

●みえる身体とみえない身体

●流体モデルの自然観と科学

●実践修行の問題

Ⅱ 人体内部の「気」のシステム

1 人体の情報回路

●局在的器官と統合的システム

●外界にかかわる感覚―運動回路

●身体の気づきとしての全身内部感覚

●生命を維持する情動―本能回路

●感情の重視

●身体の三つの回路

●自律系のコントロール

●呼吸法による「気」の訓練―調気

●自然治癒力を高める

2 東洋医学の身体観と人間観

●経絡のシステム

●体表医学と開放系の人間観

3 東洋医学の現代的研究

●第四の回路としての経絡系

●経絡敏感人の発見―気の心理面

●生理的観点からみた経絡

●経絡と神経の区別

●潜在的エネルギーとしての気

Ⅲ 人体外部の「気」のエネルギー場

1 気のエネルギー計測

●気力とは何か

●気の三次元―心理・生理・物理

●気功師が発する赤外線

●人体と磁場

●人体から発する音

●人体から発する光

●バクテリアに対する気の効果

●エネルギーと情報の関係

●深層意識の情報伝達

2 研究領域の広がり

●心理―生理の境界領域

●生理―物理の境界領域

●経絡における気の活動状態

●気の間人的同調

3 方法論的反省

●例外は本質を明らかにする

●事実と価値

Ⅳ「気」と超常現象の問題―科学の時代をこえて

1 超心理学をめぐる論争と問題点

●耳で字を読む

●超能力論争の問題点

●超能力研究の意義と可能性

●気と超能力は関係があるのか

●超心理学への一般的反応

●超心理学は科学か

●超常現象と認識批判の必要

●近代科学の基本前提

●超常現象は「気」で説明できるか

2 因果性の彼方

●ユングの超心理学批判

●因果性と共時性の重層

●目的論と科学

おわりに―心の科学と新しい人間観

まえがき

「気」の考え方の基本は、心の働きと身体の働きを一つに結んでいるところにあると考えられる。

・心と身体、心理作用と生理作用を結んでいる生命体の未知のエネルギーなのではないか。

「気」は実践的・体験的正確の強いもの。「気」の考え方が身体をもって行われる「わざ」の体験と結びついて生まれてきた実践的経験知である。特に気功はそのことをよく示している。

四つの重要な問題点

1) 東洋の医学や修行法の歴史について一通り知っておくことが大事である。

2) ユングが指摘する無意識の問題は「気」の考え方の謎を解く鍵を握っているかもしれない。

3) 戦後、日本の東洋医学研究を進めてこられた先人の仕事である。これらの先駆者の仕事を無視すべきではない。

4) 気功の科学的研究、特に「気」のエネルギー計測にかかわる諸問題である。これは生物物理的研究技術の発達に伴って新しく生まれてきた研究テーマである。

Ⅰ「気」の人間観と自然観

1 なぜ「気」を研究するか

気と心身関係

近代科学は物質と精神(心)の間には何の関係ものない二元論の立場をとってきた。そのため、医学も心の存在は無視して身体だけを研究の対象にしてきた。

1960年代に入ったころから、医学者からも心身問題が注目されるようになった。これは心身症と呼ばれるストレスによる問題が認識され始めたためである。一方、臨床面からだけでなく、基礎医学の方面からも心身論に対する動きが出てきた。その理由は1950年代以降、脳生理学の研究が急速に発展してきたためである。

武道―脳波の間人的同調

・被験者Aは青木宏之師範:師範は若いころは空手の達人として知られ、新体道という新しい体術を創始した人。

・被験者Oは岡田満師範:青木師範の高弟

・「遠当」とは:相手の身体に触れることなく、一瞬の気合によって倒す技。

・テスト:演武時の二人(青木師範[被検者A]と岡田師範[被検者O])の脳波を計測する。

1)演武前:開眼安静状態に入った岡田(O)はすぐにα波が出始めた。青木(A)の脳波が岡田(O)より脳波が平坦なのは熟練度の差と考えられる。平坦波は脳死状態に見られる脳波だが、熟練した気功師や武術の達人は平坦脳波に近い脳波が見られる。

画像出展:「気とは何か」

演武前に測った計測値、両名の脳波に異常はない。被検者A(青木)の方が平坦で活動が低い。

2)岡田(O)が青木(A)の背後から攻撃をかけようとした時の両者の脳波:青木(O)は背後に殺気を感じた。興味深いのは青木(A)の側頭前部(O₁O₂)と岡田(O)の側頭中央部(T₃T₄)の双方にβ波が出ている。この時のトポグラフ(図3b)を見ると、青木(A)の方は右脳でβ波が強く出ており、青木(A)は直観的に気を感じているようである。

画像出展:「気とは何か」

O(岡田)がA(青木)の背後から攻撃をしかけ、A(青木)が殺気を感じた時の脳波。

 

3)岡田(O)が攻撃をかけ、青木(A)が体をかわした時の状態:このときの青木(A)のトポグラフ(図4b)をみると、β波は左側頭部に移っており青木(A)は左脳で意識しながら気を発しようとしている。

画像出展:「気とは何か」

O(岡田)が攻撃をしかけ、A(青木)が体をかわしたときの状態。

 

4)遠当の瞬間青木(A)の脳波は比較的平坦であるが、気合を発した一瞬だけ烈しく動いている。この時のトポグラフ(図5b)を見ると、青木(A)の方は右側頭部からα波が頭全体に広がり、また脳の深部活動を示すβ₁波も全体に広がっている。岡田(O)の方は前頭部から右側頭部でα波が強く現われ、β₁波は全体にひろがっている。

画像出展:「気とは何か」

遠当の瞬間。

 

瞑想状態についてのこれまでの脳波研究では、瞑想が深まるにつれてα波やΘ波が大脳皮質の広い範囲に現われることが知られている。この点から考えると、両者(特に青木)の頭部全体にα波が広がっていることは、遠当の瞬間、被験者が禅の瞑想の三昧(無我)に似た状態にあることを示している。

『青木はこれについて次のように語っている。「対立する世界をこえて、まず自分が無になることです。そうすれば融和して、限りなく相手と一体になる。自分は相手であり、相手は自分です。そういう状況では相手の気持ちの切れ目が分かるので、そこにスパーンと気合を打ち込んだら離れた相手をも倒すという、俗にいう遠当なるのです。さらに言えば、私がここに立っていて本当に無であれば、大我ともいうべきこの大きな宇宙の心は、私の心であると同時に彼の心でもあるわけです。ですから、彼が私を攻撃するということは、天の心を攻撃するということであり、また自分自身の心に攻撃をかけることでもあるわけです。自分が自分の心に対抗したら、彼は倒れるでしょう。これが本当の意味の遠当です。」

坐禅と瞑想とちがうところは、両名ともβ波の速い波は新皮質より下の古い皮質から起るといわれており、本能や直観のような心の深い部分が活動しているらしい。β波はふつう前頭部を中心に現われることが多く、後頭部まで広く分布することは少ない。ところがこの場合は、両者とも(特に岡田)β波が全体にひろがっている。インドからアメリカに伝わって普及した超越瞑想とよばれるヨガの瞑想では、瞑想がその第三段階にまで深まると、振幅のそろったリズミカルなβ波が頭部全体に現われる、とされている。これらの点を考え合せると、気のかけ手も受け手も、烈しい運動をしていながら、一種の深い瞑想に似た状態にあるものと考えられる。青木の技を受けた弟子たちの報告では、気を受けたときの状態は苦痛よりもむしろ爽快な一種のエクスタシー状態になるという。』

5)遠当後の脳波:青木(O)はすぐ平坦に戻っているが、倒れた岡田の方は高い活動レベルが続いている

画像出展:「気とは何か」

遠当後の脳波。

 

「遠当」について質問してみましたが、明確な回答は得られませんでした。

画像出展:「AI(Perplexity Pro)が作成」 

『結論として、遠当の実在性については慎重に判断する必要があります。』

2 人体の見方と自然観

二元論の克服

東洋の伝統では、「気」のはたらきは元々主観的に感じるものとされてきた。それは、普通の意識状態では認識できないが、瞑想とか武術・気功などの訓練をつんだ人は気の流れを感じとることができると説かれてきた。

現代の心理学の立場からいうと、無意識の心理との関係を考える必要が出てくる。心身医学や精神医学では変性意識状態(ASC)という言葉を使うが、これは、瞑想・深い祈り・トランス・幻覚など、通常の意識とは違った心理状態を指す言葉である。それは無意識下の心の働きが表面まで現われてきた状態である。

「気」の働きは、心理的な作用を示しているが、それは心理的なレベルに留まらず、身体の生理的レベルにおいて一定の客観的効果をあらわす。瞑想や気功などが健康法としての役割をもち、医療にも応用されているのはそのためである。

・今日では気功師がその身体から発する生体特有のエネルギーの性質を、物理的方法でとらえることも可能になってきた。このような観点もあり、「気」というエネルギーの作用は、通常の意識と感覚を超えた立場で心理-生理-物理という三つのレベルに変換してその効果をあらわすものだということになる。要するに、「気」とは主観的であると共に客観的であり、心理的であると共に生理-物理的でもあるような生命体に特有の未知のエネルギーである、ということになる。

還元主義をこえて

「気」とは心身の訓練を通じて感じられるようになるはたらきである。それは、通常の状態では感覚によって認識することはできないが、訓練によって心が日常普通の意識状態から変容するときに感受され、自覚され、認識されてくる。それと共に、気の働きは人体の生理的側面において一定の効果を現わす。気はさらに、人体と環境、つまり人間と自然をつなぐ物質的レベルにおいても一定の働きを示すのである。

みえる身体とみえない身体

・三国時代の英雄・魏の曹操に殺された有名な医師・華陀は全身麻酔を用いた回復手術を行った医師として知られており、その手術記録は史書に詳しく残されている。一方、戦国時代の伝統的医師・扁鵲から始まる流れは、透視術によって体内の臓器の状態を知るものであった。ただし、本当に透視術を使ったのか「望診」だったのかは分からないが、扁鵲の医術は「黄帝内経」に代表される中国伝統医学の主流につながっていく。つまり、中国の古代では二つの傾向が並存していたと思われる。一つは解剖中心、そしてもう一つは、「液体(流体)病理説」ともいうべき考え方で、全身をめぐる経絡の中の「気血」の流れの異常に病因を求めるものである。

・経絡は「流注図」の他に、「環中図」や「明堂図とも呼ばれていた。

解剖学的な「みえる身体」のシステムの底に、いわば「みえない身体」のシステムを考え、そこに流れている気のエネルギーに注目しつつ、「みえる身体」がもっている生理作用を説明してゆくことになる。

気の流れの働きは「みえない身体」と「みえる身体」をつないで、身体の諸器官の作用を全体的に支配し活性化している。みえない身体の基本概念が「経絡」と「気血」であり、目にみえる「血」の運動をコントロールしているのはみえない「気」のエネルギーの流れであるという考え方である。

・中国の脈診法は古代から現代まで受け継がれており、西洋医学の脈の測り方よりはるかに精緻なものである。

画像出展:「からだのシグナルに耳を傾けて和漢医薬学会

図はほぼページ中段にあります。

 

 

流体モデルの自然観と科学

・道教は自然の中に生きることを理想とするが、自然は客観的な観察の対象ではなく、人間の本性を表現するための舞台である。気功はそのための修行法である。仏教は生老病死の苦しみこえて「悟り」に至る実践の努力を重んじる。さまざまな仏教の修行法はここから生まれている。

Ⅱ 人体内部の「気」のシステム

1 人体の情報回路

局在的器官と統合的システム

東洋医学でいう経絡のシステムは、神経系と血管系の二つの主要システムを統合する高次のネットワーク・システムともいうべき性質を与えられている。そして経絡系は皮膚(および体液系)と関係が深い。

・『局在的器官である内臓や四肢ばかりでなく、神経系その他のネットワーク・システムをもさらに一つにまとめる高次の統合機能を果たしている。東洋の伝統医学が皮膚を最も重視してきたことは、そのホリスティックな考え方をよくあらわしているといえよう。』

補足)まず、本書の初版発行は1991年1月になります。そして2018年3月、以下のようなニュースがありました。この間質(ファシアの一部)は個人的には皮膚と同じくらいに重要な器官であると考えています。

ご参考:“ヒトの器官で最大の器官が新たに発見される” ニューズウィーク日本版 2018年3月29日

ご参考人体で最大の「新しい器官」は、なぜいまになって“発見”されたのか“ WIRED 2018年4月4日

画像出展:「AI(Perplexity Pro)が作成」 

これは間質とファシアについての表です。

この中で、『ファシアは間質を含む大きな構造として再定義され、間質はファシアの重要な要素として認識されるようになりました。』と説明がされています。

画像出展:「AI(Perplexity Pro)が作成」 

こちらは皮膚とファシアについての表です。

この中で、『皮膚の直下にある浅層ファシアは、皮膚と深部組織をつなぐ重要な役割を果たしており、両者の健康は相互に影響し合っています。』と説明されています。

 

身体の三つの回路

・瞑想の訓練は無意識からわき出る情動的コンプレックスを解消し、心のままにコントロールできるようにすることである。

情動の作用は、外界感覚-運動回路(感覚器官・運動器官の活動)がスムーズに働くためのエネルギーか潤滑油の働きをしているといえる。

瞑想は情動の働き方の歪みを直し、それを自由にコントロールする訓練である。歪みがあっては冷静な判断はできない。

・東洋の修行法の基本的な特質は、身体の訓練を通じて心の働き方を訓練していくところにある。

身体の技と同じように心の動きは、繰返し繰り返し訓練を重ねることによって向上し発達する。例えば、密教の修行法に、仏のイメージに心を集中させながら一定のマントラ(神聖な呪句)を何万回も繰り返し唱えるような方法がある。日本仏教の念仏や題目を唱える習慣は、ここからきたものである。これによって、情動をコントロールし、無意識の力を意識的に統合することが修行の目的ともいえる。

自律系のコントロール

心は情動作用を通じて自律神経の働きに影響を及ぼし、内臓器官の活動に影響を与える。

・意志の自由になる皮質(感覚-運動)系の機能と、意志から独立した自律系の機能は、まったく無関係というわけではなく、情動作用によって関連しているのである。

呼吸法による「気」の訓練―調気

東洋の修行法にみられる瞑想や武術の訓練が、必ず呼吸法の練習から始まるということである。中国・日本の古武道でも、呼吸法の訓練は昔から非常に重視されてきた。

・気功の基本である調身・調息・調心は、道教・仏教・儒教の哲学に共通している。

・調息は調身と調心を結ぶ中心的役割を果たすものとして重要視されている。

調息は調気と言いかえられることからも明らかなように「気」の訓練を意味する。従って、呼吸法による「気」の訓練は、心の訓練と身体の訓練を一つに結びつける要の位置におかれている。

自然治癒力を高める

・アメリカの生理学者キャノンは、人体に備わっている様々の生理的機能の全体をホメオスタシス(生体機能の恒常性)とよび、それを「自然治癒力」とも呼んでいる。

・近代医学では人体の各部分に局在した機能に注意するようになったので、自然治癒力は廃れた。

ヨガや気功に代表される東洋の修行法は、医学的観点からいうと、自然治癒力を高め、発達させる訓練を意味している。

呼吸法の訓練から始まる心身の訓練は、意志の自由が及ばないと考えられている自律系の生理的機能にまで影響し、その潜在能力を高める。

2 東洋医学の身体観と人間観

経絡のシステム

・瞑想法では脊柱に沿った督脈と胸腹部の正中線に沿った任脈を重要視する。

体表医学と開放系の人間観

・東洋医学ではホリスティックな観点から全身の機能を統合的に捉える見方に立っている。

・『気の流れは瞑想の訓練と結びついており、意識-無意識の心理作用と関連している。また、医学的治療の観点からみると、気の流れは生理的機能を活性化するはたらきである。そしてそのエネルギーの作用過程は、後に言うように、生物物理的測定法によって人体の外部でも何らかの形で検出できる。つまり、気は、心理-生理-物理(こころ-からだ-もの)という三つのレベルに変換してはたらくみえないエネルギーなのである。

3 東洋医学の現代的研究

経絡と神経の区別

・ある一つの経絡をとって、皮膚表面につくった回路に軽い痛みを感じる程度の比較的強い電流(個人差があるが20V位)を流すと、各経絡上の測定点に一過性の波が現われる(図20a)。これはGSR(皮膚電気反射)、つまり神経を通じて起こる反応である。一方、電気刺激を弱くすると、このような反応は起こらない。しかしながら、特定の測定点(経絡上の経穴)にだけ反応が確認できる(図20b)。デルマトームの分布から想定されるVCR(内臓帯壁反射)では図20bのような反応は考えられない。従って、図20bはGSRでもVCRでもない別の反応系が存在していることを示している。つまり、これは経絡によるものであると考えられる。

画像出展:「気とは何か 人体が発するエネルギー」

測定に使った経脈は三焦経です。

 

 

画像出展:「気とは何か」

軽い痛みを感じる程度の比較的つよい電流を流すと、各経絡上の測定点に一過性の波が現われる。これはGSR、神経を通じて起こる反応です。

 

 

画像出展:「気とは何か」

神経では反応しない弱い電気刺戟では、特定の測定点(ツボ)にだけ反応が起こります。

 

 

・『皮膚に現われた生理作用の中に、神経性のものとはちがったものがあることを明らかにしたという点で重要な意味がある。つまり、経絡系は神経系とは別の身体統合システムであるということが、現代的観点から確認されたわけである。このときの電気的反応の伝播速度を調べると、神経による反応は毎秒数十メートルに達するのに、経絡による反応の伝播速度は平均1メートル以下であった。この点は、先にのべた長浜氏[針灸の医学]らの測定結果と一致している。

本山氏[気の流れの測定・診断と治療]はさらに、経絡現象が起こる部位が皮膚の表皮ではなく、その下の真皮の層であるらしいことをつきとめている。つまり経絡は、体液系の中で作用しているシステムなのである。

画像出展:陰ヨガと経絡①|石田麻子の陰ヨガコラムYoga Body

本山 博先生の経絡に対するお考えは、僭越ながら私の考えと極めて近かったため、思わず先生の著書『気の流れの測定・診断と治療』を探し、購入させて頂きました。

 

 

先にのべたように、身体各部の局在的器官のはたらきを一つにまとめる統合的システムとしては、神経系・血管系・内分泌系・免疫系・体液系などがあげられる。このうち神経系・内分泌系・免疫系などは、心身の相関関係を示すシステムとして従来から注目されてきた。体液系も全身の各部分に及んでいるが、これらの中では皮膚と最も直接に関係している。体液が最も多く貯えられている場所は皮下組織の部分なのである。

画像出展:「細胞と組織の地図帳」

真皮の下の皮下組織浅筋膜と呼ばれており、図中では浅筋膜の中に動脈、静脈、神経、受容体が書かれています。

 

 

潜在的エネルギーとしての気

・経絡における気の流れという現象は、生理的側面からその作用の仕方について研究することはできるが、それは生体電流のような作用を介して間接的に推察されるものであって、直接に気のエネルギーを認知できるわけではない。

気の流れは生理的側面だけでなく、主観的な心理的側面において感じられる働きである。つまり、心(意識-無意識)と身体を媒介し、心理領域と生理領域の間の一種のエネルギー変換をつかさどっている作用である、と考えられるのである。

・『経絡における気の作用という現象は、この問題についてわれわれに新しい見方をとる必要を示唆している。戦後まもないころ、「経絡戦争」が起こったとき、間中喜雄氏は、経絡という概念は将来、従来否定されてきたような意味で否定されるべきものでなく、また経絡肯定論者があると考えているような意味で存在するのでもないというような日が来るのではあるまいかとのべたという。筆者には、この間中氏の予言は深い意味をもっているように思える。』

※補足

私はこの「3 東洋医学の現代的研究」の「●経絡と神経の区別」と「●潜在的エネルギーとしての気」の章に書かれた内容から、「経絡≒ファシア」をあらためて確信しました。ただし、「氣」についてはまだまだ勉強を続けなければなりません。何とかして自分なりの結論にたどり着きたいと思います。