柳谷素霊先生は鍼灸の発展にご尽力された唯一無二の先駆者です。過去に柳谷先生に関する2つのブログ、「脈診と臨床」と「五十からの青春」をアップしていました。
その柳谷先生の著書の中に『柳谷秘法一本鍼伝書』という本があります。そして、この本をベースに独自の「天・地・人治療」という考えに照らし合わせて書かれた教本が、木戸正雄先生の『素霊の一本鍼』です。
その木戸先生は本書の“はじめに”の中で、以下のようなお話しをされています。
『私は長年、鍼灸臨床に携わる中で、「黄帝内経」(「素問」・「霊枢」)の治療体系が三陰三陽の臓腑経絡学説を根拠とする「経絡系統」と三才思想から成る「天・地・人」という二つの大きな柱により構成されているという考えに至り、身体を立てに貫く「経絡系統」を対象とするものを「変動経絡治療システム(VANFIT)」、輪切りで捉えるものを「天・地・人治療」と名づけ、それぞれに治療法を構築し、提唱しています。
このたび、柳谷素霊先生の「柳谷秘法一本鍼伝書」について、現在の臨床に活用できるように私なりの解説をさせていただく機会を得ました。
「柳谷秘法一本鍼伝書」に記載されている刺鍼部位は、「天・地・人治療」の一つである「天・地・人―気街治療」で使用する経穴と共通する部分が多いことから、著者である柳谷素霊先生には注目していました。
柳谷先生が「経絡治療」誕生に大きな影響を与えたことはよく知られています。「誰にもわかる経絡治療講話」(本間祥白、医道の日本社、1949年刊)は、「経絡治療」における最初の成書として有名ですが、「内容は、恩師柳谷素霊先生達(井上恵理先生、岡部素道先生、竹山晋一郎先生など)のご指導によるものを伝えたに過ぎない」と著者の本間祥白先生自身が序文を書いています。』
『私が経絡治療を学び始めた頃は、岡部素道先生が経絡治療学会の会長でした。私が指導を受けた岡部素道先生をはじめ、岡田明祐先生、馬場白光先生など、当時、名人とうたわれていた経絡治療学会の先生方から、柳谷先生の名前や治療についてのエピソードなどを聞く機会が多々ありました。誰もが、柳谷先生を教育者としても、臨床家としても非常に高く評価し、畏怖の念すらもっていることが伝わってきましたが、残念なことに柳谷先生は、すでに亡くなっており、私は直接の指導を受けることはできませんでした。』
木戸先生の「天・地・人治療」は次のようなものです。
●人体を三分割してとらえた治療方法で、「天・地・人」の三分割を全身のいたるところに当てはめたり、細分化したりすることができます。そして、その各々の境界部はすべて「節」であると考え、この「節」に対して行う治療を「天・地・人治療」といいます。
画像出展:「素霊の一本鍼」
著者:木戸正雄
初版発行:2009年4月
出版:ヒューマンワールド
画像出展:「素霊の一本鍼」
こちらの表は『柳谷秘法一本鍼伝書』に書かれている20の処方です。
ブログで取り上げたのはごく一部で、耳に関する経穴(然谷、太渓)、柳谷風池、柳谷便通点、華佗夾脊穴についてです。
1.耳の疾患と腎経の経穴
※私自身が気になっている疾患は耳鳴りですが、原因は加齢と思われ、耳鳴りキャリアは約10年です。以前「耳鳴り」というブログをアップしているのですが、加齢による耳鳴りの治療は難しいことを理解しています。時々、思いついたように耳周辺の経穴に刺鍼してみるのですが効いている感じはありません。このことが、耳の周辺ではなく、腎経の経穴に興味をもった理由です。
●耳鳴の鍼(柳谷秘法一本鍼伝書より)
・『下肢痛の刺鍼と同様に、患者を側臥位にして、下顎角の後の少し上から、刺入する方法ですが、鍼の向きはやや上向きにします。(寸3‐2番の銀鍼か寸3-1番のステンレス鍼)』
画像出展:「素霊の一本鍼」
画像出展:「臨床経穴図」
耳鳴の一本鍼の経穴は頬車穴です。この図(左下部)を見ると刺鍼点は下耳底点と顎角点の中点であることが分かります。
さらに、次項の「耳中疼痛の鍼」と組み合わせることもあります。
●耳鳴りの治療について(木戸先生の見解)
・『耳鳴りの場合、発症してから2~3ヵ月のものは治療効果が顕著ですが、患者によっては何年もたってから来院してきます。長年来の慢性の耳鳴りはなかなか頑固です。このような耳鳴りには経絡の調整に加えて、耳を取り巻くように耳の周囲にあるツボ(耳門穴、聴宮穴、聴会穴、和髎穴、角孫穴、顱息穴、瘈脈穴、天牖穴、翳風穴)に切皮置鍼しておき、その間にこの一本鍼を行ってます。
画像出展:「素霊の一本鍼」
こちらの画像は、あしざわ治療院さまの“耳から自律神経、腰痛まで良くなるのは?”から拝借しました。
さらに、「耳中疼痛の鍼」と組み合わせることもあります。
画像出展:「素霊の一本鍼」
※「耳中疼痛の鍼」:完骨穴から耳孔に向けて、乳様突起の下をくぐらせるように刺入する方法です。
耳鳴りの場合、鍼治療による直後効果があるものと、ないものがありますが、まったくないものでも、このように全身状態を整える治療を継続することで、いつの間には耳鳴りが消失・軽減していることがあります。
老人性耳鳴りの場合は、はじめ蝉の鳴き声のようなジージーという音から始まり、そのうちに、キーンというような金属音に変わっていく経過をとることが多いようです。ジージーという音のうちに治療を始めるといいのですが、金属音になってしまってからではなかなか治りにくくなります。
また、耳痛や難聴を伴うとき、場合によっては、耳鼻科の治療と併用すべきです。特に突然耳の聞こえが悪くなり、耳鳴りが起こった場合には、突発性難聴の可能性がありますので、至急の耳鼻科処置が必要です。次第に耳鳴りが大きくなっていくものも、要注意です。』
●東洋医学では五行という考え方があり、五臓の一つである“腎”と関係の深い「腑」として“膀胱”、体の部位に関係しているのが“骨髄”(髄は現代の脳とされています)、腎が弱った時に影響するのが“髪”、そして病気が現れやすいのが“耳”とされています。今回、五行の“腎”に注目したのは、この東洋医学の考え方に沿ったものになります。
注)以下は私が専門学校時代に作った表ですが、黒い部分が腎と関係の深いもので、黄色で囲ったものが人体に関係するものです。”腎”の下、上から“膀胱”、“耳”、“骨髄”、少し下にいって“髪”があります。
●経絡の代表的なものに十二経脈があり、その中に“足の少陰腎経”があります。その経脈にある経穴は以下の通りです。
こちらの画像は、“BLOG 今日から始める自分ケアの習慣化。心と体を癒す自分時間”さまから拝借しました。
・湧泉-然谷-太渓-大鐘-水泉-.照海-復溜-交信-築賓-陰谷-横骨-大赫-気穴-四満-中注-肓兪-商曲-石関-陰都-.腹通谷-幽門-歩廊-神封-霊墟-神蔵-彧中-兪府。この27経穴の中で注目したのは、“然谷穴”と“太渓穴”です。
画像出展:「臨床経穴図」
太渓は少し前まで太谿と表記されていました。
※澤田流太渓は“照海”に相当するとのことです。
(1)然谷穴
・然谷は腎経の榮火穴であり、臓腑の熱を取り除く効果があるとされています。
・柳谷先生の「柳谷秘法一本鍼伝書」には、然谷穴を併用することでさらに効果を上げることができるとされています。
・木戸先生にとって然谷穴は、思い出深い経穴であるとのことです。
-『実は、然谷穴は私にとって特に思い出深い経穴なのです。20年近く前の話しで、まだ「天・地・人治療」を行う前のことですが、私の娘は幼いころ、アトピー性皮膚炎の体質で、よく滲出性中耳炎や急性中耳炎を患いました。しかし、耳鼻科で処方された薬が合わなかったのかなかなかよくならず、鼓膜切開を繰り返していました。
ある時、私は、眠っている娘の足を内側から眺めていて、足の形が耳に似ていることに興味を持ちました。くわしく観察しているうちに、土踏まず全体がほんのみ赤みを帯びているにもかかわらず、然谷穴の辺りだけが艶がなく、くすんでことに気付きました。
そこで、娘の然谷穴に金の鍉鍼でしばらくの間、圧迫をしてから、半米粒大の灸を1壮行ってみました。それ以来、耳の痛みがピタリと止まり、快方に向かっていったのです。
驚ろいた私は、然谷穴と耳の疾患との関係についてそれまでの文献を検索してみました。そして、「医道の日本」誌に、然谷穴への施灸による急性中耳炎への効果についての報告を発見したときは、思わず喝采を送りたくなりました。残念ながら、当時は、柳谷の本書に補助穴としてあることは見落としていたわけですが、しかし、これも何かの縁なのでしょう。「急性中耳炎の一つ灸」という表題のその報告は、柳谷の高弟の一人、井上恵理のものだったのです。』
-『このように、急性中耳炎などの耳の痛みに、同じ然谷穴を使うにしても、井上は灸で対応し、柳谷は鍼による治療法で対応しています。当然、刺鍼でも施灸でも効果がありますが、鍼灸を併用することで一層、治療効果が高くなります。
娘の急性中耳炎の治療体験をきっかけに、私は、足に顔面、あるいは耳を投影した小宇宙を想定して然谷穴を耳の愁訴に使うようになりました。こうした臨床の積み重ねから、後の「天・地・人治療」としてのシステムができていったのですが、そのきっかけの一つともなるものでした。
多くの場合、然谷穴は深くに圧痛がありますので、指先をくぼみに入れてよく揉んでから、刺入するようにします。寸6-1番ステンレス鍼を然谷穴からやや上後方に向けて刺入していくと、スルスルと鍼が入っていきます。50mmぐらいの深さまで引きこんでいくことも稀ではありません。患者に不快な痛みを感じさせないように行うことが効果を上げる秘訣です。20分程度の置鍼の後、鍼痕に米粒大3~7壮の施灸をしておきます。』
(2)太渓穴
・太渓は腎経の兪土穴であり、かつ原穴です。気血の流れを高める効果があるとされています。
画像出展:「一元流鍼灸術」
『原穴について考えを進めていくことは、三焦の問題と腎間の動気の問題に対する理解を通じて、全身を一元の気として観る柱となります。これについてまとめているものが《難経鉄鑑》六十六難の図です。この図は、かの沢田健先生が尊崇されていたものです。
一言で言えば、六臓六腑の生命力の流れである経脉の中の、一点である原穴に、それぞれの経脉の生命力が集約されて現われるということです。』
原穴について何が書かれているのか興味を持ち、この本を衝動買いしてしまいました。
私が学んだ“日本伝統医学研修センター”では、特に脈診を重視しているのですが、命の脆弱さを感じる脈や先天的な疾患、あるいは難病を抱えた患者さんに対して、生命力を補する「原穴治療」を選択することがあります。取穴は、肝経の太衝、脾経の太白、肺経の太淵、そして腎経の太渓です。この「原穴治療」の経穴である「原穴」について深く知りたいと思いました。
伴先生の「一元流鍼灸術の門」に書かれていたことは以下になります。
『三焦に関しては古来諸説あります。私は、沢田健先生が称揚した≪難経鉄鑑[江戸時代中期に書かれた難経の解説書]≫六六難の図をもって、気一元の身体を見通す観点としての三焦論としています。
すなわち三焦は原気の別使であるとします。原気とは、人間における生命そのもの、腎間の動気をもって看取することのできるものであり、これこそが十二経の根蒂です。この生命そのものが五臓六腑を通じて経穴としてその分配された生命力を表現している場所が、原穴です。この図には、原穴の原とは三焦の尊号であると記されています。
この全体を一気に見通す眼差しが、気一元の身体観の意味です。その会得方法について、「毎朝、この六六難の図に対面して沈思黙考し、原気の流行と栄衛の往来について省察して、身中の一太極を理解することができたならば、自然に万象の妙契を悟ることができるでしょう」と書かれています。』
本書の中で最も気になったのは脈診に関する記述です。それは次のようなものでした。
『脉診をする場合、心構えがとても大切になります。これは、何を診ようかとするかということによって、感じ取ることのできる範囲が変化するためです。脉なんてわからないや、と思って診ていると、何も診ることはできませんし、診ることもいやになってやめてしまいます。硬さや軟らかさを診るのだと思って診ていると、硬さや軟らかさが良く感じられるようになります。太さと細さという別の側面を診ると思って診ていると、太さや細さが感じられるようになります。』
『それぞれのバランスが取れていて、個別の脉状として診えにくいとき、それを胃の気の通った良い脉状であると考えます。
また、最後になりましたがもっとも重要なことは、生命力を診ると心に定めて診ることです。これを胃の気を診ると私は呼んでいます。生命力を診るのだと心に定めて診るとき、脉の診え方が大きく変わるのは、まことに不思議なことです。』
・“太渓への鍼が有効であった耳鳴の3症例”という論文(臨床報告)を見つけました。
資料はPDF7枚です。
緒言
『耳鳴は西洋医学的な治療ではうまくいけないことが多い。耳鼻科医の中には「耳鳴りは治らない」と説明して最初からあきらめ調子で治療している医師もいて、TRT(耳鳴り順応法)療法は一つの訓練法だが、耳鳴の音を気にしなくなるように治療するくらいしか手立てがない。われわれは過去に耳鳴に対し翳風への円皮鍼が有効であった症例報告を行った。斎藤ら[斎藤輝夫、稲葉博司、蔡暁明、他。耳鼻咽喉疾患と漢方(上)、漢方の臨床2010]耳鳴の腎陰虚型には足腎経の太渓穴がよく、一本鍼で耳鳴が止まる症例が多いと報告している。今回は太渓(KI3)への鍼が有効だった3症例を経験したので報告する。』
1)症例1:86歳男性
・耳鳴発症3日後、耳鳴日常生活支障度(THI)は100点。血管拡張剤、ビタミン剤、翳風への円皮鍼、TRT療法は無効であった。初診から7ヵ月目に両太渓に鍼治療を行い2ヵ月後にTHIは12点になった。
2)症例2:66歳女性
・1年前に両耳に耳鳴が出現した。THIは26点で、様々漢方薬、翳風への円皮鍼は無効であった。初診から1年後より両太渓に鍼治療を行い、3週間でTHIは4点になった。
3)症例3:73歳女性
・初診8日前より左耳鳴が出現した。THIは30点で、様々漢方薬、翳風への円皮鍼は無効であった。初診から3ヵ月目に両太渓に鍼治療を行い、5週間でTHIは10点、1年で8点になった。
注1)太渓穴へは10分間の置鍼後、円皮鍼を貼った(6日間)。
注2)3人に共通するのは腎虚である。腎虚では耳鳴の他、難聴、夜間頻尿、膝や腰の脱力など、体系としてはやせ型が多い。
注3)澤田流で有名な澤田健先生も耳鳴に対し、腎兪と太渓を取穴して有効であったという報告をされている。ただし、澤田流太渓は、一般の照海(KI6)の位置にある経穴である。
画像出展:「太渓への鍼が有効であった耳鳴の3症例」
2.柳谷風池
画像出展:「素霊の一本鍼」
・首藤傅明先生は目の特効穴としてたびたび取り上げています。「週刊あはきワールド」の「若葉マーク鍼灸師に贈る私の思い出の症例29」では“片方の目が動かない眼筋麻痺の患者”という症例報告では、右目の開眼不能、かつ眼筋麻痺の患者に対し、1~2日ごとに、本治法(肝虚証:曲泉)、足三里、曲池に加え、この「柳谷風池」に10mmの深さで置鍼、さらに攅竹、陽白、太陽の浅置鍼という施術を行って、完治させたとあります。以降、首藤先生は眼筋麻痺の治療の局所的な施術では常に「柳谷風池」を最優先で取穴されているとのことです。
・風池穴(足の少陽胆経[GB20])の場所は教科書では、「乳様突起下端と項窩中央(瘂門穴)の中央で陥凹部」となっていますが、「柳谷風池」はそれよりもやや外側にあります。完骨穴(足の少陽胆経[GB15])の後方を探ると、ゴリゴリしたスジ様の小突起に触れます。この後下縁に取ります。按圧すると、ジワーンと頭の中やコメカミに響いてきます。鍼は小突起の裏をくぐるようにしながら、同側の眼底の方向に刺入していきます。
・木戸先生の症例の中に、“正常眼圧緑内障”があります。
-『数年前、頑固な肩こりを訴えて、来院してきた男性の患者がいました。
肩こりを自覚しているわけですから、当然ながら、肩上部から首筋に硬くなり、硬結もあるのですが、それよりもむしろ、私は、後頚部ライン上に出ている深部のコリが気になりました。その反応点は、口唇ライン上に並んでいました。「目が疲れませんか?」と聞くと、「実は、眼科で正常眼圧緑内障との診断を受けている」というのです。
この患者には、毎回の治療において、通常の経絡的な治療を行った後、必ず、完骨穴、柳谷風池、風池穴、天注穴に対する直接施術を加えるようにしました。この治療を継続して、5ヵ月ほどして、患者から、その日の眼科の検診で、欠損していた視野が正常に戻っていたという報告を受けました。正常眼圧緑内障が完治しているというのです。
眼科医の話では、「ありえないこと」と患者の従来の診断に間違いがあったのだろうとのことでしたが、この患者は、自覚でも、明らかに視野が広がったと喜んでいました。』
3.柳谷便通点
・昭和の鍼灸界を牽引した代表的な治療家が便秘の治療穴として使用した経穴は次の通りです。
1)代田文誌の特効治療穴:「澤田流神門、左腹結、大腸兪、木下便通点」
2)木下晴都の常用穴:「木下便通点、左腹結、大腸兪」
・これらの先生方の便秘療法に共通しているのは、左の下腹部にあるツボと大腸兪を使うことです。前後から身体をはさむようにして、大腸に刺激を与える方法が便秘の標準的な治療ということになります。
・柳谷秘法一本鍼伝書の留意点(虚証の場合)
画像出展:「素霊の一本鍼」
-『臍下2寸の点から1寸左側方にある穴に、患者の呼吸の呼気時に刺入、吸気時に止めるように、鍼尖を進めていきますと、約2寸の深さで弾鍼する。そこで響きが得られないときは、少し奥に鍼を進めてから静かに旋撚を施します。
肛門への響きを確認したら、すぐに、吸気に合わせて抜鍼します。』
注1)[用鍼]は3寸3番となっています。木戸先生は60mmの深さで急に強い響きを得ることが多く、違和感が残ることも多いので響きを嫌がる患者さんには天枢穴や気衝穴を使用し、鍼響を与えないように寸6-1番のステンレス鍼を用いて30~40mmの速刺速抜を行っています。とのことが書かれています。
注2)虚証の場合は、細い鍼を選び手技も刺激が強くならないように丁寧に行うことが重要であり、特に呼吸の補瀉が非常に重要であるとされています。
注3)「柳谷便通点」は鍼刺激ではなく、圧刺激(深呼吸に合わせ、「柳谷便通点」の母指圧迫を20回ほど行う)でも効果は期待できるようです。
※木下便通点に関しては、「最新 鍼灸治療学 下巻」(木下晴都、医道の日本社、1986年)より、ご紹介させて頂きます。
画像出展:「最新 鍼灸治療学」
■治療(p281)
一過性便秘をしばしば起こすものは鍼灸の最適応症であるが、最も多くみられる弛緩性便秘、あるいは弛緩性に合併する排便困難は、著明な効果があるものと、容易に効果のあがらないものとがある。下剤を常用する者は、薬用量を減少させ、ときには不明になる例も経験される。痙攣性便秘もしばしば良い効果をあげる。
(1)共通治療
a)常用点
鍼灸:大腸兪・便通・左腹結
大腸兪は鍼を2、3cm刺入して雀啄または施撚する。灸は米粒大5~7壮施す。
便通とは著者[木下晴都]が臨床経験で、排便を容易にする効用のあることを発見して命名した。その部位は図132に示すように、第4、第5腰椎棘突起間の左外方約6cmに相当し、奇穴では腰宜にあたる。
すなわち左志室の直下(背外線上)で腸骨稜の直下に取穴する。施鍼するには腸骨稜上縁よりわずか上に取穴し、鍼先を内下方に向けて腸骨内面に沿う気持ちで、約3cm刺入する。鍼は20~25号[3番~5番]を用いて雀啄法を行う。施灸は米粒大ないし麦粒大のもぐさ5~7壮行う。施鍼と施灸を同時に行う必要はない。一般には施灸より施鍼が効をあげる。
画像出展:「最新 鍼灸治療学」
画像出展:「素霊の一本鍼」
第4-5腰椎右側から、大腸兪、腰眼、腰宜となっています。
『左腹結は一般的な部位では効果が期待されない。その部位は図133に示すように、左上前腸骨棘の前内縁中央から水平に右方(正中線)へ約3cm(脾経上)に取穴する。施鍼は約20号[3番]のステンレス鍼を用いて、下方に向けて3、4cm速刺(速刺速抜)する。この刺入は鍼先が腹膜に触れるため、約2cmは静かに入れて、その後は急速に刺入し、目的の深さに到達した途端に抜き取る。この最後の刺抜をゆるやかに行うと、腹膜刺激によって腹筋が収縮し、折鍼を超すおそれがある。したがって急激な鍼の刺抜を行う。この施鍼法は便秘に対して著効をあげる場合があるが、急激な響きを患者はきらうおそれがある。左腹結に施灸7壮を行うのもよいが、施鍼ほどの効果は望まれない。』
画像出展:「最新 鍼灸治療学」
4.華佗夾脊穴
・五臓六腑の調整には、背部兪穴を使用するのが一般的ですが、この「華佗夾脊穴」に早くから注目し、体系的な治療法として提唱したのは、日本の澤田流が最初であったようです。そして、これが現在の「華佗夾脊穴」の標準的な使用法の原型となったと考えられています。
画像出展:「素霊の一本鍼」
-『「華佗夾脊穴」というツボが最初に登場するのは、「鍼灸治療基礎学」(代田文誌、春陽堂、1940年刊)には、この「華佗夾脊穴」が並んでいるラインを、「背腰部膀胱1行」として提示されています。この説では、背部兪穴が並ぶラインが膀胱経2行線、附分から秩辺までのラインが膀胱経3行線となります。代田文誌は、これを澤田健の発見、創設であることを力説しています。
「膀胱経一行の位置は、腎脈の左右凡そ五分ばかりの所にあり、督脈と平行している」、「名称は別にないが、第二行の穴の名を上に冠して、肺兪第一行とか心兪第一行とかいうように呼んでいる」との記載がありますので、「華佗夾脊穴」を各々、個別に呼称する場合は、この名称にプライオリティがあるでしょう
澤田流での運用では、例えば、肺兪第一行に反応があれば、肺の異常があるとしています。また、これら背部にある「華佗夾脊穴」が腹部にある腎経の経穴と表裏関係にあることにまで言及しているのですから、澤田健の臨床的な直観力と洞察力には恐れ入ります。
運用例を引用しておきます。「胃痙攣に際しては、胃兪または肺兪の第一行の刺鍼が非常に効を奏します。胆石症には胆兪の第一行が、腎盂炎には腎兪の第一行が、眼の痛みには肝兪の第一行が、舌の痛みには心兪の第一行が実によく効きます」。澤田流の背兪穴は通常の背兪穴の一椎上に位置しますので、それを考慮の上、ご参考にしてください。
この発想と発見は、現代中国にも影響を与えたようです。
「中国漢方医語辞典」に、「華佗夾脊穴」について次のように記されています。「二つの取穴法がある;(1)第1頚椎から第4骶椎まで、それぞれ左右に5分の所に各28穴、合わせて56穴;(2)第1胸椎の下から第5腰椎の下まで、それぞれ左右に5分の所に各17穴、合わせて34穴。臨床適応範囲はかなり広く、おもに内蔵機能の混乱を調整し脊背部の局所症状を治療する」』