腹膜透析と腎移植2

透析療法
透析療法

著者:石橋由孝

発行:2020年1月

出版:主婦の友社

目次は“腹膜透析と腎移植1”を参照ください。

第4章 透析療法の実際を知ろう―腹膜透析と血液透析

PD

腹膜透析(PD)は、「拡散」と「浸透」により 老廃物や余分な体液を取り除きます

・腹膜は内臓の表面を覆っている袋状の膜で、広げると畳1畳分くらいの面積がある。厚みは0.5~1.5㎜程度で、無数の毛細血管が網の目状に走り、半透膜の性質を持っている。

・腹膜(腹腔)に透析液を入れておくと、毛細血管と腹膜の壁を通じて、血液の中の老廃物や余分な水分が腹腔に移動する。老廃物が腹腔に移動するのは、濃度の差による「拡散」という現象のためである。

・透析液は血液よりも高い濃度のブドウ糖が含まれているため、血液側から透析液側へ水が移動し、余分な水分が除去

・その人の腹膜機能に合う透析液を選ぶ必要がある。

透析液の(注液と排液)はおなかに挿入した腹膜カテーテルで行います

・腹腔の中に、新しい透析液を入れることを「注液」といい、老廃物や余分な水分で汚れた透析液を、体の外に出すことを「排液」という。

・注液と排液は、お腹に入れた「腹膜カテーテル」という管を使って行う。

・透析液バッグを腹膜カテーテルにつなぎ、お腹よりも上に上げると、その高低差によって、自然に透析液が腹腔内に入る。排液するときは、排液バッグをお腹よりも下に下げることにより、やはり自然に排液される。

・腹腔内に一定時間(通常2~8時間)貯留したあとの透析液(排液)は、老廃物などの含んでいるため尿のような黄色い色をしている。

・バッグ交換は基本的に患者さん自身が行うが、高齢者など自分自身での交換ができない場合は、家族や訪問看護師にサポートを受ける。

透析液の交換
透析液の交換

著者:石橋由孝

発行:2020年1月

出版:主婦の友社

バッグ交換を行うCAPDと夜間に機械で行うAPDがあります

腹膜透析には1日1~4回バッグ交換を行う「持続携帯腹膜透析(CAPD)」と、1日1回、夜間に透析を行う「自動腹膜透析(APD)」がある。また、APDに日中1回のCAPDを組み合わせ、24時間持続的に腹膜透析を行う、「連続的腹膜透析(CCPD)」という方法もある。

・APDは自動腹膜還流装置(サイクラー)という機械を使って行う腹膜透析である。就寝前に、腹膜カテーテル、透析液バッグ、排液バッグをサイクラーの回路に接続し、8~10時間の間に、3~6回透析液の交換を自動的に行う。

腹膜透析の生活サイクル
腹膜透析の生活サイクル

著者:石橋由孝

発行:2020年1月

出版:主婦の友社

●腹膜カテーテルをおなかに入れる手術は腹膜透析導入入院で行います

・腹膜カテーテルは、お腹に小さな穴をあけ、カテーテルの片方の端を腹腔内に入れる。カテーテルの長い部分は皮膚の下にはわせ、抜けにくいようにして、もう片方の端を体の外に出す。

・手術翌日から、コンディショニングと呼ばれる調整を行い、透析液の貯留が問題なくできることを確認する。

・患者さんは、バッグ交換の手順や出口部のケア方法などに関する場合は、さらに1週間ほど入院してサイクラーの使い方などを覚える。

腹膜透析導入
腹膜透析導入

著者:石橋由孝

発行:2020年1月

出版:主婦の友社

残っている腎機能を良好に保つための考え方「腹膜透析(PD)ファースト」とは

・腹膜透析は血液透析に比べ、残存腎機能を良好に保てるということがわかっている。特に透析導入から3年くらいがその傾向が強い。

・腹膜透析の方が腎機能を保ちやすい理由

-毎日連続的に行うゆるやかな透析のため、全身の循環に対する影響が少ない。

-食塩や水分を連続的に除去できるので、血圧のコントロールがしやすい。

-腎臓に与える負担が軽い。

・残存期間が保たれているとき、特に高齢者の場合は1日1~2回のバッグ交換で済む場合もある。

腹膜透析ファーストとは
腹膜透析ファーストとは

著者:石橋由孝

発行:2020年1月

出版:主婦の友社

腹膜透析をトラブルなく続けるためには 体液管理と感染予防がとくに大切です

・体液管理は体液量を適切に保つこと、感染予防はおもに腹膜カテーテル出口部の細菌感染を予防することである。

・体液管理の目安は血圧と体重である。水分の摂取量と排泄量のバランスがとれていれば、血圧や体重は適切に保たれる。

感染予防
感染予防

著者:石橋由孝

発行:2020年1月

出版:主婦の友社

腹膜透析と血液透析を併用する方法は腹膜の劣化を抑える効果が期待できます

・日本では腹膜透析の人の約20%が、PD+HD併用療法を行っている。

・血液透析からPD+HD併用療法に変更することできる。残存機能によっては、はじめからPD+HD併用療法を導入することもある。

PD+HD併用療法
PD+HD併用療法

著者:石橋由孝

発行:2020年1月

出版:主婦の友社

第5章 腎移植は末期腎不全治療の第一選択

末期腎不全を根本的に治す腎移植は提供された腎臓をおなかに移植します

・移植手術では、臓器を提供する人をドナー、提供を受ける人をレシピエントという。

・腎移植の手術は、レシピエントの腎臓はそのまま残し、ドナーから提供された腎臓を骨盤の中(腸骨窩)に移植する。この場所は腎臓を入れるスペースがあり、移植腎の血管をつなぐ動静脈があり、移植腎の尿管と膀胱の距離が近いことである。

手術は生体時腎移植の場合は3~4週間程度、献腎移植の場合は1カ月程度で退院できる。

腎移植
腎移植

著者:石橋由孝

発行:2020年1月

出版:主婦の友社

腎移植の件数は徐々に増加し先行的腎移植も増えています

・2017年の腎移植手術は1742人で約90%は生体腎移植である。最新のデータでは5年生着率は94.6%である。

・献腎移植の場合は、患者さんの待機年数が長く、長期間透析を行ってから腎移植に至る人が多いことなどが影響し、5年生着率は87.5%である。

日本の腎移植件数
日本の腎移植件数

著者:石橋由孝

発行:2020年1月

出版:主婦の友社

腎移植までの準備期間にメリットとデメリットを理解しましょう

・ドナーは基本的に20~70歳の健康な人だが、腎臓提供によって、手術そのものや腎臓を片方失うリスクを負うことになるため、健康面、経済面など考慮する必要がある。

最も重要なことは、ドナーが主治医からの説明を理解し、完全に納得していることに加え、腎臓提供が自発的な、完全に自らの強い意志に基づくものでなければならいという点である。

提供の意思をいつでも取り消せるということは、ドナーもレシピエントもよく理解しておくことも大切である。

・ドナーへの確認は、臨床心理士や精神科医など、心理の専門職が行うのが一般的である。ドナーの心理的、社会的な問題はないか、腎臓の摘出に耐えられるか、身体的なチェックを行う。

・腎移植のメリットは、①普通の生活ができる ②心血管合併症などの合併症が少ない ③妊娠・出産が透析療法に比べてしやすい などがある一方、生体腎移植の場合はドナー側のリスク、献腎移植の場合は待期期間が長いなどのデメリットもある。さらに、腎移植後、うまく生着しない可能性も考えておく必要がある。

・術後は拒絶反応を防ぐために免疫抑制薬を一生飲み続けるので、副作用に注意し定期的に受診する必要がある。

腎移植を行うための準備
腎移植を行うための準備

著者:石橋由孝

発行:2020年1月

出版:主婦の友社

・移植した腎臓を長持ちさせるための自己管理も大切である。

・腎移植を受けるには、①全身感染症(HIV感染など)がない ②活動性肝炎がない ③悪性腫瘍がない ことに加え、年齢(20歳以上70歳未満)、血圧、肥満などもチェックされる。

腎移植を行うための準備
腎移植を行うための準備

著者:石橋由孝

発行:2020年1月

出版:主婦の友社

腎移植後は合併症の予防が大切です 免疫抑制薬は生涯飲み続けます

・全身麻酔の手術に伴う合併症には、出血、創部の離開(傷が開くこと)、肺炎などの感染症、肺塞栓症、痛み、切開による神経マヒなどが考えられる。

・腎移植に伴う合併症には、「拒絶反応」、「移植腎機能未発現」、「慢性移植腎症」などがある。

・拒絶反応には術後3カ月以内に起こる「急性拒絶反応」と、それ以降に起こる「慢性拒絶反応」があり、いずれも腎機能が低下する。免疫抑制薬の投与は必須であるが、リスクを完全に排除することはできないが、早期発見による免疫抑制療法の強化により対応する。

・「移植腎機能未発現」は献腎移植の合併症で、移植した腎臓が尿を作らないことである。この場合、腎性検によって問題が明らかになった場合は、移植腎を摘出することもある。

・免疫抑制薬は生涯飲み続け、退院後は、患者さん自身の服薬管理が大切である。それでも、副作用が出ることもあるので、毎月1~2回は受診し、必要に応じて検査を積極的に受ける。

腎移植を行うための準備
腎移植を行うための準備

著者:石橋由孝

発行:2020年1月

出版:主婦の友社

移植した腎臓を長持ちさせ健康に長生きするためには自己管理が必須です

・腎移植後に太ったり、糖尿病を発症してしまう患者さんは少なくない。理由は食欲が増すことや、ステロイド薬の影響などさまざまである。

・腎移植後の患者さんの脂肪要因が多いので、感染症、心血管疾患、悪性新生物(がん)である。がんについては、特に、腎がんや膀胱がん、子宮体がん、皮膚がんの発症率が高いことがわかっており、禁煙などの予防対策とがん検診など、定期的に受けるべきである。

コラム 腎移植後に飲む免疫抑制薬

・拒絶反応を防ぐために腎移植後は2~3種類の免疫抑制薬を服用する。

・複数の免疫抑制薬を飲む理由は、薬のはたらきがそれぞれ異なるからである。

1)カルシニューリン阻害薬

・拒絶反応でもっとも中心的にはたらく、T細胞リンパ球という免疫細胞を抑える薬である。

2)代謝拮抗薬

・拒絶反応が起こるときにはたらく、免疫細胞の機能を抑える薬である。

3)副腎皮質ステロイド

・炎症を抑える強い力がある。

腎移植後に飲む免疫抑制薬
腎移植後に飲む免疫抑制薬

著者:石橋由孝

発行:2020年1月

出版:主婦の友社

家族性高コレステロール血症(FH)

健診でLDLコレステロールは194、総コレステロールは344、ただしHDLコレステロール(61)と中性脂肪(87)は基準値内でした。そして、父親が40台後半に心筋梗塞で他界し、母親もLDLコレステロールが確か130前後だったと記憶していますので、間違いなく、私は“家族性高コレステロール血症(ヘテロ型)”だろうと思います。

こうなると、「家族性高コレステロール血症とはどんなものか?」と一気に興味が押し寄せるくるのですが、調べたところ本は少なく、あってもなかなかの高額の本ばかりでした。また、期待の地元の図書館も空振りでした。

そこで、今回はネットにある情報を中心に勉強しました。

著者:川尻剛照

発行:2021年3月

出版:メディカ出版

この本を欲しいと思ったのですが、中古本でも4,000円近くしたので、ケチってしまいました。

家族性高コレステロール血症(FH:Familial Hypercholesterolemia)

1.LDL受容体の異常により高LDLコレステロール血症を呈する常染色体性優性遺伝性疾患である。

2.遺伝形式にはホモ型とヘテロ型がある。

●ホモ接合体とヘテロ接合体

FH家系の一例
FH家系の一例

画像出展:「病気がみえる vol.3 糖尿病・代謝・内分泌」

ホモ型

-両方の遺伝子に異常がある場合で、LDLコレステロール値は500~900㎎/dL、総コレステロール(TC)値は600㎎/dL以上になることが多い。

-一般的には、100万人に1人と言われているが、日本では16万人に1人という研究報告もある。

ヘテロ型

-どちらか一方の遺伝子に異常がある場合で、LDLコレステロール値は150~420㎎/dL、総コレステロール(TC)値は230~500㎎/dL以上になる。

-一般的には、500人に1人と言われているが、日本では200人に1人という研究報告もある。

FHの予後
FHの予後

画像出展:「病気がみえる vol.3 糖尿病・代謝・内分泌」

ヘテロ型はホモ型ほど重篤ではないが、動脈硬化性病変の発症率は非常に高い(約70%が65歳までに死亡)

主な症状

黄色腫

-腱や皮膚などに蓄積する黄色い塊である。

-ホモ接合体の10歳までの子ども時代に認められ、成長とともに盛り上がった状態になる。

-黄色腫は、肘やひざの他、手首、おしり、アキレス腱、手の甲などに多く見られる。

-重症のヘテロ接合体では皮膚に黄色腫が見られることがある。その多くは成人以降に現れる。

結節性黄色腫

-重症のFHに見られる。

-黄色または淡紅色の結節で、肘・膝関節、手背、足部、殿部に好発する。

角膜輪

-家族性高コレステロール血症(FH)に特異的とはいえない。

-白色輪(白色~灰青色)を呈する。

原因遺伝子 

・19番染色体の19p13.2という位置に存在する“LDLR遺伝子”。この遺伝子は“LDL受容体”というタンパク質の設計図となる遺伝子である。LDLR遺伝子の変異により、細胞表面にあるLDL受容体の数が減ったり、LDL受容体が正しくLDLを取り込めなくなったりする。そのため血中のLDLコレステロール値が高くなる。

APOB遺伝子PCSK9遺伝子LDLRAP1遺伝子も、この病気の原因遺伝子として同定されている。それぞれの位置は順に、2番染色体(2p24.1)、1番染色体(1p32.3)、1番染色体(1p36.11)である。これらの遺伝子から作られるタンパク質は、いずれもLDL受容体が正常に機能するために不可欠であり、変異によって、血中のLDLコレステロール値が高くなる。

これら4つの原因遺伝子に変異がなく、原因遺伝子がまだ見つかっていない家族性高コレステロール血症の人たちもいる。

日本動脈硬化学会の「動脈硬化性疾患予防ガイドライン2012年版」の FH診断基準

(1) 未治療時の LDL-C 値が180 mg /dL以上

(2) 皮膚結節性 黄色腫または腱黄色腫の存在

(3) 二親等以内に家族性高コレステロール血症(FH)または若年性冠動脈疾患患者がいる

の3つのうち2つ以上で FHと診断できる。

ヘテロ接合体の診断から治療

・角膜輪やアキレス腱黄色腫は10代後半から 30歳までの半数に認めらる。

・冠動脈疾患は、男性は30歳以降、女性は50歳以降に現れるとされているが、より若年で発症する例もある。

・アキレス腱肥厚は LDL−C高値とその曝露期間に影響され、冠動脈疾患発症リスクともよく相関するため、家族性高コレステロール血症(FH) の診断には有用である。定量的にはX線軟線撮影で9mm以上を異常と判定する。  

以下の画像は「家族性高コレステロール血症 (FH)」さまより拝借しました。


・ヘテロ接合体の疑いがある場合には、遺伝子検査による診断が望ましい。日本における家族性高コレステロール血症(FH)の診断率は1%未満であり、多くの人は気づいていない。

FHの診断率
FHの診断率

画像出展:「家族性高コレステロール血症について

日本(Japan)は下から4番目ですが、オランダ、ノルウェー以外はすべて20%以下です。

 

家族性高コレステロール血症の基本薬はスタチンである。クレストール(ロスバスタチン)、リピトール(アトルバスタチン)、リバロ(ピタバスタチン)など“スーパーストロング”、“ストロングスタチン”、“スタンダードスタチン”に分類され、特に服用できない理由がない限り積極的に使う。家族性高コレステロール血症では管理目標値に到達するまで、必要があれば上限量まで使うことも可能である。

スタチンのみでは十分な効果が得られない場合、エゼチミブ、PCSK9、阻害薬、胆汁酸吸着レジン、プロブコール、フィブラート系薬剤、ニコチン酸製剤などの、他の脂質低下薬の併用が検討される。PCSK9阻害薬は注射薬、その他は内服薬である。

・筋肉痛、肝機能障害などの副作用によりスタチンが使用できない場合は、これらの薬を単独または併用で治療する。

・ガイドラインでは、家族性高コレステロール血症(FH)の場合、LDLコレステロールの値は、100mg/dl以下を目標とするとされているが、200を超えるようなLDLを100以下にするのは困難なため、治療前の半分の改善値でも可とされている。

スタチンのメカニズム
スタチンのメカニズム

画像出展:「病気がみえる vol.3 糖尿病・代謝・内分泌」

スタチンの働きは、「①酵素を阻害し、②LDL受容体の合成を亢進させ、③血中のLDLを減らす」というものです。

年齢とLDLコレステロール合算値(推定)
年齢とLDLコレステロール合算値(推定)

画像出展:「家族性高コレステロール血症について

高血圧、糖尿病、喫煙があれば、それだけ勾配は高くなるので、複数のリスクは特に注意が必要です。

 

 

家族性複合型高脂血症という類似疾患や、シトステロール血症、脳腱黄色腫など皮膚黄色腫を示す別の疾患、甲状腺機能低下症、ネフローゼ症候群、糖尿病などの高LDLコレステロール血症を示す別の疾患などとの鑑別診断も必要である。

主な遺伝性高脂血症
主な遺伝性高脂血症

画像出展:「病気がみえる vol.3 糖尿病・代謝・内分泌」

 

“家族性高コレステロール血症”と“家族性複合型高脂血症”の違いは、前者がLDLコレステロールが顕著に高値になる一方、後者は中性脂肪も高値になるところが特徴的である。

small dense LDL
small dense LDL

画像出展:「病気がみえる vol.3 糖尿病・代謝・内分泌」

small dense LDLは家族性複合型高脂血症に見られる特徴ですが、注意が必要です。

 

small dense LDLはLDLの中でも粒子が小さく、血管内膜に入り込みやすく、酸化・変性しやすいという特徴を有している。

追記

かかりつけ医の先生から処方されたのは、“ピタバスタチン2mg”で期間は50日間でした。

筋肉や肝臓への副作用に注意する必要がありますが、幸い何も問題は出ず、肝心のLDLコレステロールの数値も、194mg/dL102mg/dLまで下がりました。

やはり、家族性高コレステロール血症なのだと思います。また、良い薬があって本当に良かったなと思う反面、今後、一生服用し続けるのだろうとも思いました。

腎機能とスタチン2

新スタチンの発見
新スタチンの発見

著者:遠藤 章

発行:初版発行2006年9月

出版:岩波書店

目次は“腎機能とスタチン1”を参照ください。

 

 

2 動物実験で二度の危機

毒性学者の言い分

●『コンパクチンは海外でも容易に認められなかった。1976年から翌年にかけて、世界最大の製薬会社のひとつメルクを筆頭に、サンド、イーライリリー、ワーナーランバート・パークデービスの各社にコンパクチンの結晶を提供したが、どこにもラットに効かなかったと言って興味を示さなかった。イーライリリーの研究者はコンパクチンがコレステロール代謝の研究試薬としては役に立つが、コレステロール低下剤にはならないだろうと言ってきた。コンパクチンを発見したビーチャム(現グラクソ・スミスクライン)の研究者は、コンパクチンは有用な脂質低下剤にはならないと1980年頃まで主張し続けた。

77年8月29日からの四日間、米国フィラデルフィアで開かれた脂質代謝関連医薬に関する「DALM国際シンポジウム」で、私が発表したときもそうだった。私の前にドイツの研究者がクロフィブレート誘導体について発表したときは満員だった会場が、私の番になると三分の一以下に減ってしまったのである。シンポジウムの全体会議で、ウィリアム・ベンツは開発中の有望な脂質低下剤を紹介したが、その中で、最も多くしかも強い関心を集めたのが、クロフィブレート誘導体であった。』

3 重症患者には安全でよく効いたのに

再復活へ

●『このままではコンパクチンが見捨てられるのも目に見えていたので、1978年の新年早々、私の上司は山本章(阪大医)から依頼されていた重症患者(SS)に対するコンパクチンの治療に協力することを決断した。他に治療法がない重症患者に、医師の判断で開発途上のコンパクチンを投与することは倫理上も許されることであった。この治療はコンパクチンに対する社内の誤解を解き、開発を軌道に乗せる最後のチャンスでもあった。

患者SSは当時まだ16歳だったが1976年5月から、阪大病院(第二内科)で山本の治療を受けていた。家系調査と血清コレステロール値から、彼女の両親と姉が家族性高コレステロール血症(FH)ヘテロ接合体で、血清コレステロール値は、100ミリリットルあたり310~500ミリグラム、ところが、SSの血清コレステロール値は1003ミリグラムであった。あきらかにSSはFHホモ接合体であると判定された。』

●問題となっていた微細結晶がコレステロール・エステルであるとの結論を得ていた。このコレステロール・エステルは常時、副腎皮質(特に束状帯)、卵巣黄体、精巣、腸間膜脂肪組織、胆のう粘膜など多くの生体組織中に存在する。したがって、大きく過剰にでも蓄積しない限り、毒性が問題になる物質ではなかった。

臨床試験は順調であった

●「コンパクチンワークショップ」では、8名の日本人医師が臨床試験データを発表した。その内容を要約すると、コンパクチンは1日20~40ミリグラムで総コレステロールを20~40%下げ、Ⅱa型(FHヘテロ接合体を含む)、Ⅱb型およびⅢ型高脂血症の治療に極めて有効なことが示された。副作用としては一部の患者の血中酵素CPK、GOT、GPTの値に一過性の微増がみられる程度であった。このワークショップを契機にして、コンパクチンは世界中の臨床医と製薬企業の研究者から注目されるようになった。

4 強力なライバルの出現

幻のプロポーズ

●『1965年の年末に、私はロイ・パジェロス(NIH)に留学したいと手紙で問い合わせたが、なかなか返事が来ないのが理由で、アルバート・アインシュタイン医科大学へ行くことに決めた。それから三週間後に、パジェロスから「66年夏にNIHを辞めてワシントン大学医学部に移る予定であるが、できればぜひ来てほしい」と言ってきた。しかしそのときには、アインシュタイン医大との約束があったので、断りの手紙を出した。

パジェロスはワシントン大で、NIH時代にやっていた脂肪酸の研究だけでなく、コレステロールの研究にも取り組み、細胞膜の正常な構造と機能の維持にコレステロールが不可欠であることを明らかにした。ワシントン大に9年間在職後の75年、パジェロスはメルク(社)の誘いを受けて同社の研究所長に転身した。

当時メルクは世界で一、二を争う製薬業界の最大手で、研究レベルの高いことで有名であった。メルクの研究陣はコレステロールとも深い関わりがあり、56年には、メバロン酸を発見し、さらにメバロン酸がコレステロール生合成の重要な中間体であることを示した。メバロン酸の発見によって、行き詰まっていたコレステロール生合成経路の解明研究が大きく前進したのである。60年にコレスチラミンが血中コレステロールを下げることを最初に示したのもメルクの研究陣であった。

●1974年6月、コンパクチンの特許は翌75年12月に、ベルギーと日本で公開された。この公開によって、コンパクチンの化学構造、コレステロール合成阻害作用、コレステロール低下作用などが、世界中で知られることになった。

商業化スタチン第一号の誕生

メルクの論理的で大胆、かつ緻密な研究論文に圧倒された。わが国の製薬企業とは比較にならない底力を感じた。1986年11月、メルクは臨床試験データと毒性・安全性試験の成績をまとめて、FDAに新薬承認申請書を提出した。通常は申請書の受理から約1年後に、内容を評価するアドバイザリー・パネルが開かれるが、FDAはロバスタチンの申請を異例の超スピードで処理し、三ヵ月後の87年2月に諮問委員会を開催した。

1987年3月10日の『ニューヨークタイムズ』はロバスタチンを「コレステロール:治療のブレークスルーと賞讃される新薬」との見出しで大きく報道した。同年9月1日、FDAはロバスタチン、すなわち商品名「メバコア」の新薬承認を決定したと発表した。 

1987年3月10日
1987年3月10日

画像出展:「新薬スタチンの発見」

 

 

天然スタチン―コンパクチンの仲間たち

●三共の「プラバスタチン」は微生物からつくった半合成スタチンである。コンパクチンとの違いは胴部に水酸基が1個余分についただけである。コレステロール合成阻害活性はコンパクチンの1.5~2倍、すなわちロバスタチンと同程度。1989年に国内で商業化し、海外ではブリストル・マイヤーズ・スクイブ(社)が開発を進めた。

合成スタチン

●天然スタチン(コンパクチンとロバスタチン)に比べ、合成スタチン(フルバスタチン、アトルバスタチン、ロスバスタチン)は疎水部(胴部+腕部)の構造が大きいだけに、コレステロール合成酵素の活性中心との相互作用(結合)部位が多い。一例を挙げると、ロスバスタチンの疎水部は疎水結合に加え、コレステロール合成の律速酵素であるHMGCRの活性中心の一部と「イオン結合」で結合している。

●スタチンはHMGCRと競合して活性中心と結合するだけでなく、活性中心の立体構造(コンフォメーション)を変えることも明らかになった。アトルバスタチン(おそらくロバスタチン、ピタバスタチンも)が天然および半合成スタチンに比べ阻害活性が強く、LDLコレステロール値を60%も下げるのは、イオン結合などによるHMCGR分子の立体構造の変化にあると見られる。 

スタチンの仲間の構造
スタチンの仲間の構造

画像出展:「新薬スタチンの発見」

この図では中央ボックスで囲んだ2つの構造、コンパクチンとロバスタチンが天然スタチンです。

 

 

全国の薬剤師で作る薬剤師専門サイト

スタチン系薬剤一覧・作用機序・比較・服薬指導のポイント

こちらの記事はファーマシスタの管理者で、株式会社ティーダ薬局(代表取締役)である伊川先生の記事です。

腎臓が気になる人にとって、一般名:プラバスタチン(薬品名:メバロチン)は注意する必要があると思います。それは代謝排泄が「胆汁+腎排泄」であるためです。この表を見る限りは、他の薬は肝臓排泄が多いので、肝臓が悪い人でスタチンを服用する場合は、逆にプラバスタチンがお勧めだと思います。 

スタチン 力価・薬価比較表
スタチン 力価・薬価比較表

画像出展:「岐阜県民主医療機関連合会

今回、病院から処方されたのは“ピバスタチン2㎎”ですので、ストロングスタチンの中では平均よりやや弱いというものだということが分かりました。

 

 

 

腎臓の血管の特徴
腎臓の血管の特徴

画像出展:「厚生労働省

これを見ると、糸球体の毛細血管は0.005㎜となっています。一方、LDLコレステロールの粒子径はおよそ25nm(0.000025㎜)です。比較すると、毛細血管の1/200ということになりますLDLが1㎝のパチンコ玉だとすると、毛細血管は直径2mの下水道管というイメージです。

けっこう大きいですね。

 

5 大規模臨床試験から見えてみたこと

多彩な生理・薬理作用

骨粗鬆症

・骨粗鬆症の治療薬「ビホスホネート系薬剤」とエストロゲン療法はすべて破骨細胞を抑えるもので、骨芽細胞の働きを活性化して、破壊された骨の補修を促進するものはない。このため発見されたときには、すでに骨の20~30%を失っているような患者の骨を元に戻す手段はなかった。

・1999年、動物実験でロバスタチンとシンバスタチンが骨の形成(補修)を活性化することが示された。若いマウスの頭蓋冠上にロバスタチンを5日間皮下注射したところ、骨の量が対照マウスに比べ50%も増えたのである。シンバスタチンを35日間経口投与した卵巣摘除ラットでも骨量の増加がみられた。

・スタチン服用者群と非服用者群の骨折の発症率を比較した調査結果がこれまでいくつも報告されているが、まだ結論が出ていない。これはスタチン服用者群が非服用者群に比べて骨粗鬆症の発症率が50~70%も低いとする報告と、両群の間に有意差が認められないとする報告が拮抗しているからである。

アルツハイマー病

・疫学研究によれば、高コレステロール血症患者にはアルツハイマー病が多い。コレステロールを運ぶリポタンパクの一つ「アポリポタンパクE・タイプ4」(アポE4)はアルツハイマー病の主要な危険因子として知られ、アポE4に多形現象が見られる患者には高コレステロール血症とアルツハイマー病が多い。

・コレステロールがAβの生成を促進する例が報告されている。スタチンの大規模臨床試験から、スタチンの投与を受けた患者は投与を受けない患者に比べアルツハイマー病が三分の一から二分の一も少ないことが示唆されている。

・『スタチンがコレステロール合成を制御する酵素HMGCRを阻害すると、NO濃度が上昇する。NO濃度が上がると炎症が抑えられるだけでなく、血管拡張と血管形成が促進される。炎症は動脈硬化プラーク(病斑)を不安定にして心臓発作を誘発するが、スタチンが炎症を抑える結果、プラークが安定して心臓発作を防ぐことは臨床研究からも支持されている。』

エピローグ

●私の関心がコレステロールの生化学からコレステロール低下薬の開発へと変わったのはこの時期である。帰国前の1968年初めには、『ニューヨーク・タイムズ』が「メルクとNIHの研究者が、歯垢を溶かすデキストラナーゼというカビの酵素を開発中である」と大きく報道した。この記事を読んで、フレミングが青カビからペニシリンを発見したことや、自分がカビとキノコのペクチナーゼを発見したことなど忘れかけていたことを思い出して、カビとキノコを利用してコレステロール低下剤を開発することを思いついた。

私は「米国の研究者と同じことをしても勝ち目がない」ことを留学中に痛感していた。カビとキノコからコレステロール合成(HMGCR)阻害剤を探す研究はその思いに叶った。ブロック博士らの業績を基盤にして、近い将来コレステロール合成阻害剤を合成化合物の中から探す研究者が出てくる可能性があったが、カビとキノコを用いる泥臭い仕事に賭ける研究者は現われそうになかった。

感想

今回、遠藤先生の『新薬スタチンの発見』を拝読させて頂き、元来、薬嫌いの私ですがスタチンを服用する決心がつきました。もちろん、これはLDLコレステロールを減らすのが主目的ですが、同時にスタチンの“腎保護機能”にも注目しています。

そして、スタチンに対して期待している一番の理由は、遠藤先生が語っている以下のお話が、直観的で説得力を感じるためです。

抗生物質の例から、私は微生物の中にはコレステロール合成阻害物質をつくるものがいるだろうと予測した。微生物が抗生物質をつくるのは、外敵である他の微生物を殺すかその生育を阻止して生き残るためだという説があった。私はこの説を取り入れ、微生物の中には、コレステロール合成阻害物質で外的微生物を殺すか、その生育を阻止するものが存在する可能性が十分あると考えた。

『当時の流行には逆行したが、私はコレステロール合成阻害物質を生産する可能性が高い微生物として、原核生物の放射菌ではなく、真核生物のカビキノコを選んだ。放射菌がつくる抗生物質の中には優れた抗菌力をもつものが多かったが、ストレプトマイシンの難聴、クロラムフェニコールの再生不良性貧血のように、安全性に懸念がある例が目についた。』

※スタチン情報(2023年2月6日追記)

スタチンに関する情報を2つご報告させて頂きます。

循環器最新情報

Q:脂質異常症の治療薬で横紋筋融解症の副作用があるようですが、よく見られるものですか

A:融解症の副作用が有名なのは、HMG-CoA還元酵素阻害薬(スタチン)とフィブラート系薬剤で、特にこの両者の併用にて、その発症率が増加することが知られています。脂質異常症治療薬の中で横紋筋その頻度に関しましては、Jacobsonらは、筋肉痛を生じるのが5%、筋障害を来すのが0.1~0.2%、そして横紋筋融解症が0.01%に生じると報告しています(Jacobson TA, Mayo Clinic Proceedings. 2008;83:687)。(0.01%ということは、10,000万人に一人になります)

また、2011年になりますが、”スタチンによる横紋筋融解症の遺伝子マーカー”という論文(pdf7枚)がありました。主な内容は以下の通りです。

スタチンが単独で投与された場合の年間10000人あたりの横紋筋融解症の発症件数は、アトルバスタチン、プラバスタチン、シンバスタチンで0.44件、セリバスタチンで5.34件であり、その頻度は著しく低い、しかし、フィブラート系薬剤とスタチンの併用による年間10000人あたりの横紋筋融解症の発症件数は、アトルバスタチン、プラバスタチン、シンバスタチンで5.98件、セリバスタチンでは1035件と頻度が10倍から190倍にも上昇する。

注)セリバスタチンに関して調べたところ、以下の情報を見つけました。なお、本文を読むには日刊薬業の会員登録が必要になります。

武田薬品・バイエル薬品 セリバスタチンの国内販売中止を決定”(2001/8/24 00:00)

セリバスタチンは販売中止とのことなので、誤って服用する危険性はありません。安心しました。

スタチン・アスピリン・メトホルミンと肝がんリスクとの関連~メタ解析

『スタチン、アスピリン、メトホルミンが肝細胞がんを予防する可能性があることを示唆する報告があるが、これまでのメタ解析は異質性やベースラインリスクを適切に調整されていない試験が含まれていたため、シンガポール・National University of SingaporeのRebecca W. Zeng氏らは新たにメタ解析を実施した。その結果、スタチンおよびアスピリンは肝細胞がんリスク低下と関連していたが、併用薬剤を考慮したサブグループ解析ではスタチンのみが有意であった。メトホルミンは関連が認められなかった。』

Alimentary Pharmacology and Therapeutics誌オンライン版2023年1月10日号に掲載。

腎機能とスタチン1

4年ぶりの健診を受けました。問題はLDLコレステロールの194㎎/dL(基準値65-135)と、クレアチニン1.09㎎/dL(基準値0.65-1.07)です。

コレステロールは細胞膜やステロイドホルモン(副腎皮質ホルモン、性ホルモンなど)、胆汁酸の材料になるとても重要な物質です。体内のコレステロール量は100~150gとされていますが、その約25%は脳に集中しています。神経系にも多く、脳からの情報を体の各部に伝えるためにはコレステロールは不可欠です。

また、LDLコレステロールは体内に運ぶ働きをしており、悪玉などといわれるものではありません。悪さの根源はLDLコレステロールを酸化させる活性酸素であって、LDLもHDL同様、重要なコレステロールに違いありません。

LDL(運搬)とHDL(回収)
LDL(運搬)とHDL(回収)

画像出展:「前田医院(寺井町)

このイラストにあるように、LDLは必要不可欠なコレステロールを届ける“運搬人”です。笑顔になっているように決して悪者ではありません!! 一方のHDLは“回収人”という役割を担っています。なお、コレステロールの働きについては以下のサイトをご確認ください。

1.コレステロールの体内での働きは? (日本食肉消費総合センター)

活性酸素によりLDLが酸化
活性酸素によりLDLが酸化

画像出展:「岡部クリニック

必要不可欠なLDLコレステロールも、多すぎるのは問題です。しかし、その原因は「活性酸素によりLDLコレステロールが酸化する」ことです。つまり、引き金を引くのは“活性酸素”です。

 

活性酸素によりLDLが酸化
活性酸素によりLDLが酸化

画像出展:おおた内科・消化器科クリニック

活性酸素については、この“おおた内科・消化器科クリニック”さまが詳しく説明されていました。

 

ただし、多すぎるのは問題です。個人的には150㎎/dL以下なら問題ないのではと考えていますが、さすが190オーバーは明らかに問題です。

「これは薬だな」と思ったのですが、2018年3月の『「腎臓が寿命を決める」とは』というブログで、腎臓はとても重要な臓器であるという認識があっため、クレアチニン1.09㎎/dLという値はそれほど心配するものではないものの、ある意味薬で下げられるLDLコレステロール194㎎/dLより、改善が難しいとされる、腎臓の働きを示すクレアチニン1.09㎎/dLの方がむしろ気になりました。

例えば、痛み止めとしてよく使われる、非ステロイド性消炎鎮痛剤(NSAIDs)は腎臓病の患者さまにとって禁忌とされており、薬を服用する場合も注意が必要だなと思っていました。

DKI(薬剤性腎障害)
DKI(薬剤性腎障害)

画像出展:「腎不全と薬の使い方Q&A」

DKIとは“薬剤性腎障害”です。この円グラフをみると、痛み止めのNSAIDs(非ステロイド性抗炎症薬)抗菌薬の占める割合が顕著に多くなっています。まさに腎臓病患者さまにとって、これらの薬は禁忌です。

 

 

このことから、脂質異常症の薬として有名なスタチンが腎臓にとって優しい薬なのか禁忌の薬なのか、まず確認したいと思い、一度お持ち帰りにしました。

そして調べてみると、色々と有益な情報がありました。

CKDと脂質異常症
CKDと脂質異常症

画像出展:「エビデンスに基づく CKD 診療ガイドライン 2009

グレードA:行うよう強く勧められる

レベル4:分析疫学的研究:疫学研究とは多くの人を対象に、病気の発症率や有病率、病気の原因などを調べることを目的に行われる研究の総称。特に病気の原因となる要因を分析する目的で行われる疫学研究を、分析疫学的研究と呼ぶ。

 

これは、一般社団法人 日本腎臓学会発行の『エビデンスに基づく CKD 診療ガイドライン 2009

に書かれているページです。

特に1と3は、CKD(慢性腎臓病)と脂質異常症との関係性を明確に伝えています。

1.脂質異常症は、CKD の新規発症、CKD の進行だけではなく、CVD(心血管疾患) 発症の危険因子である。 

3.スタチンを用いた脂質管理により、CKD 進行抑制および CVD 発症予防が期待される。 

腎不全と薬の使い方Q&A
腎不全と薬の使い方Q&A

CKD患者では、リポタンパクの異常(①多量のタンパク尿、②GFRの低下、③糖尿病性腎症)のほかに、最近ではコレステロール吸収亢進、多価不飽和脂肪酸の代謝異常などで脂質異常症を発症すると考えられています。

 

左をクリック頂くと、PDF7枚の資料が表示されます。

多くの慢性腎臓病(CKD)には脂質異常症が続発するが、その成因にはアルブミン尿と腎機能低下の要因が複雑に関連する。CKDにおける脂質代謝異常が腎疾患を悪化させるリスクとなることのみならず 冠動脈疾患のリスクであることが指摘されている。強力なLDLコレステロール低下薬であるスタチンは腎機能低下を抑制し、タンパク尿を軽減させることがメタ解析で示されている。強力なトリグリセリド低下とHDLコレステロール増加作用を有するフィブラートはタンパク尿を低下させる可能性があるが、腎機能低下症例では排泄が遅延するため慎重に投与すべきである。様々な脂質代謝改善薬の腎機能に対する影響をみても小規模の臨床研究はあるが、脂質低下療法がどの程度タンパク尿を改善し、どの程度腎機能の保持に寄与するかについては大規模で長期的な介入試験の集積が必要である。 

〔日内会誌 96:2812~2818,2007〕 

以上のことから、脂質異常症の薬、スタチンは腎臓にとって優しい薬であり、“腎保護作用”も期待されている薬であるということが分かりました。

そして、薬物治療に真剣に向き合うならば、その救世主として期待されている“スタチン”を詳しく知りたいと思い見つけたのが今回の本でした。

初版発行は2006年なので14年前に発行された本ですが、何といっても著者の遠藤 章先生が“発見者”であるという点に惹かれました。

青カビから作られた奇跡の薬
青カビから作られた奇跡の薬
新スタチンの発見
新スタチンの発見

著者:遠藤 章

発行:初版発行2006年9月

出版:岩波書店

 

 

目次

プロローグ

1 新薬の種を求めて

コレステロールと冠動脈疾患

動脈硬化の原因

どうすればコレステロール値がよく下がるか?

ペニシリンの発見

世界中で宝探し

新薬の種探し始める

青カビから発見

2 動物実験で二度の危機

ラットのコレステロールが下がらない

自らラットを飼う

なぜ下がらない?

ニワトリとイヌには劇的な効果!

肝毒性の疑いで再度の危機

毒性学者の言い分

3 重症患者には安全でよく効いたのに

再復活へ

臨床試験は順調であった

突如中止に

失敗の原因

4 強力なライバルの出現

幻のプロポーズ

世界大手メルクのねらい

新たな発見

アルバーツからの手紙

一瞬、耳を疑う

メルクの独占を許さず

商業化スタチン第一号の誕生

天然スタチン―コンパクチンの仲間たち

合成スタチン

5 大規模臨床試験から見えてみたこと

コレステロール値を下げて心臓発作が減ったのか

大規模臨床試験

多彩な生理・薬理作用

エピローグ

プロローグ

コレステロールは生体のあらゆる組織にとって不可欠な物質である。生体膜の重要な成分であり、性ホルモン・副腎皮質ホルモン・胆汁酸などはコレステロールから合成される。

●1970年代初めにカビやキノコなど微生物の中にコレステロールの合成を阻害する物質をつくるものがきっといるはずと、6,000株の微生物を調べ終えていた1973年に、ついに青カビからコレステロール合成阻害剤スタチン1号となる「コンパクチン」を発見した。

●コンパクチンの発見から14年後の1987年、スタチン2号のロバスタチンがアメリカ食品医薬品局(FDA)の承認を得て発売された。

●50,000人の被験者(患者)を対象とした七つの大規模臨床試験から、スタチンはLDLコレステロールを25~35%下げることが示された。

1 新薬の種を求めて

どうすればコレステロール値がよく下がるか?

●コレステロールは食事から摂取し、腸管から吸収される「外因性コレステロール」と体内、主として肝(臓)で合成される「内因性コレステロール」の二つの経路で供給される。 

体内のコレステロール
体内のコレステロール

画像出展:「解決!コレステロールに関する素朴な疑問

 

 

●外因性コレステロールが必要量に満たないときは、不足分を内因性コレステロールが補う。

外因性コレステロールが必要量を満たせば、外因性コレステロールのネガティブ・フィードバック制御を受けて、肝コレステロール合成は停止する。

外因性コレステロールのネガティブ・フィードバック制御を受ける酵素がコレステロール合成の「律速酵素」として知られるHMG-CoA還元酵素(以降「HMGCR」とする)である。このHMGCR阻害によって肝コレステロール合成を阻害することが有効である。

●研究者の中には「コレステロール合成の阻害は危険である」という意見は少なくなかった。これはコレステロールが細胞膜の重要な構成成分であり、胆汁酸の原料であり、副腎皮質ホルモン、性ホルモンの原料でもあったためである。

世界中で宝探し

●『抗生物質の例から、私は微生物の中にはコレステロール合成阻害物質をつくるものがいるだろうと予測した。微生物が抗生物質をつくるのは、外敵である他の微生物を殺すかその生育を阻止して生き残るためだという説があった。私はこの説を取り入れ、微生物の中には、コレステロール合成阻害物質で外的微生物を殺すか、その生育を阻止するものが存在する可能性が十分あると考えた。』

●『当時の流行には逆行したが、私はコレステロール合成阻害物質を生産する可能性が高い微生物として、原核生物の放射菌ではなく、真核生物のカビキノコを選んだ。放射菌がつくる抗生物質の中には優れた抗菌力をもつものが多かったが、ストレプトマイシンの難聴、クロラムフェニコールの再生不良性貧血のように、安全性に懸念がある例が目についた。一部のカビは古くから発酵食品の製造に利用され、キノコの中には食用キノコとして重用されるものがあるのに、放射菌には食品の製造・加工に使用された例がないことも気がかりであった。

カビとキノコを選んだのにはもう一つの理由があった。それは、私が東北地方の山村育ちで少年時代からカビとキノコに接する機会が多く、その頃から興味があったのに加え、製薬会社の三共に入社した1957年から65年までの8年間も、カビとキノコが生産するペクチナーゼという酵素を研究していたので、扱いに手慣れていたからである。』

新薬の種探し始める

●米国留学中から「コレステロールの吸収阻害剤よりも合成阻害剤のほうがはるかに優れたコレステロール低下剤になる」「カビとキノコの中には他の微生物との生存競争に打ち勝つための武器として、コレステロール合成阻害物質をつくるものがいる」と考えていた。

青カビから発見

●1972年8月から、カビとキノコなど2570株を集めて調べた結果、三株にコレステロール合成阻害活性が認められたが、どの株も阻害活性が弱すぎるか、活性物質の生産性に再現性が認められないなどの理由で研究を中止した。

ML-236Bは英国の研究者たちが別の青カビ(Penicillium brevi-compactum)から単離して、コンパクチン(compactin)と命名されていた。

こちらはLSI札幌クリニックさまの記事です。

ガードナー賞は、iPS細胞を開発した山中伸弥京都大教授や、微生物から熱帯感染症の特効薬を開発した北里大の大村智特別栄誉教授ら、過去のノーベル医学生理学賞の受賞者も数多く受賞している、いわばノーベル賞を受賞するための登竜門のような賞です。

スタチンとは体内でのコレステロール合成に関係する酵素を阻害する物質のことで、遠藤氏が製薬会社三共(現・第一三共)の研究員時代に青カビから発見したものです。このスタチンが既存の薬剤と比較して、血中のコレステロールを劇的に低下させ、動脈硬化から発症する心臓病の予防や、血管疾患の治療に革命をもたらしました。』

かゆみ2

著者:高森健二、柿木隆介

発行:2017年11月

出版:ナツメ社

目次は”かゆみ1”を参照ください。

Part7 かゆみの治療の基本とコツ

かゆみの原因はわかりづらい―原疾患の治療が先決

かゆみには原因がわからないものは沢山ある。肝疾患や腎疾患もかゆみの原因は分かっていない。

かゆみの治療の基本は以下の4つ

1)かゆみは炎症性の疾患が多いので、まずは炎症や免疫反応を抑える治療を行う。

2)かゆみを起こしている原因物質(メディエーター)、「かゆみメディエーター」の働きを阻止する治療を行う。

3)かゆみを感じる知覚神経の感受性を低下させる方法、かゆみ刺激に対して鈍感にさせるもの、特に乾燥肌ではこの方法が重要である。

4)かゆみを悪化させる要因(増悪因子)を回避する方法である。なお、この増悪因子は個々による違いが大きいので、オーダーメイドの治療が必要になる。

ヒリヒリ感でかゆみを抑える―効用が不明なかゆみ止めも

・『江畑先生は、臨床皮膚科医としての立場から、「市販の外用薬を使う前に、まず保湿剤を塗るだけにしませんか」と、提案されています。保湿剤だけでおさまるかゆみは多いのです。「保湿クリームなどを使わずにかゆみをおさまった」、という方もおられるかもしれません。しかし、その場合でも、実際は、使用した外用薬の中に含まれていた保湿成分(ワセリンなど)が効いた可能性があるのです。』

Part8 かゆみ止め薬を使わない治療法

脳への電気刺激がかゆみを止める!―経頭蓋直流電気刺激法

・生理学研究所では経頭蓋直流電気刺激法(tDCS)によるかゆみ知覚の抑制効果を明らかにした。

・tDCSを第一次感覚運動野に15分間施行した実験では、ヒスタミンによるかゆみが減少し、かゆみの持続時間も短縮した。

tDCSでは完全にかゆみを取ることはできないが、一般のかゆみ止め薬が効かない場合には試す価値はある。

電気刺激でかゆみを止める治療法(経頭蓋直流電気刺激法)
電気刺激でかゆみを止める治療法(経頭蓋直流電気刺激法)

画像出展:「世界にかゆいがなくなる日」

以下は理化学研究所の記事です。

微弱な電気刺激が脳を活性化する仕組みを解明

-ノルアドレナリンを介したアストロサイトの活動が鍵-

また、以下をクリック頂くと、PDF3枚の資料がダウンロードされます。写真も出ています。

経頭蓋脳刺激法によるヒト脳研究 -現状と展望

Part9 かゆみ研究最前線(人間を対象とした研究)

かゆみ刺激に対する脳活動の不思議―大脳辺縁系と前頭葉がともに活動

機能的MRI検査によって驚くべき結果を得ることができた。それは、かゆみ刺激は他の皮膚感覚(触覚など)とは、全く異なる複雑な信号処理が行われていることである。人間の神経は、運動系も感覚系も、脳内や脊髄内で交差して、反対側に作用する。つまり、右脳に脳出血が起こると反対側の左半身が麻痺する。感覚も同様で、右手に触覚刺激を与えると、その信号処理はほとんど左脳で行われる。かゆみ刺激の場合には、身体のどこを刺激しても、両側の脳が左右対称的に活動する。脳内では、かゆみは独特の複雑なネットワークを伝わって、左右の脳半球にかゆみ信号が伝わる。

Part10 かゆみ研究最前線(動物実験)

脊髄の神経が関係する慢性的なかゆみ―マスト細胞の分化・増殖機能の解明

・『2015年に、九州大学の津田誠教授のグループから、画期的な研究が、世界でもトップクラスの医学誌「Nature Medicine」に報告されました。アトピー性皮膚炎に代表される慢性的なかゆみの、神経科学的メカニズムに関する研究です。

津田教授らは「グリア細胞」に注目して研究を行ってこられました。脳や脊髄には、神経細胞とグリア細胞の2種類があります。脳と脊髄の活動には神経細胞が重要で、グリア細胞は、神経細胞と神経細胞の間を埋めるだけの脇役というのが、以前の常識でした。グリアは英語のGlue。糊とか「にかわ」という意味で、まさに、神経細胞間をつなぎとめる糊のようなものと考えられていたのです。

津田教授の恩師である井上和秀教授らは、グリア、特に小型のグリアであるミクログリアが、慢性痛の原因に深く関わっていることを世界で初めて報告され、高く評価されました。それから、グリア細胞の研究が急速に発展してきたのです。

中枢神経を構成する細胞(中央が小膠細胞[ミクログリア]です)
中枢神経を構成する細胞(中央が小膠細胞[ミクログリア]です)

画像出展:「人体の正常構造と機能」

 

津田教授らは、このグリア細胞が慢性的なかゆみにも関係するのではないかという仮説をたて、アトピー性皮膚炎のモデルマウスを用いて研究を行いました。このマウスは、皮膚を激しくかくことが特徴です。そのマウスの脊髄で、「アストロサイト」というグリア細胞が、長期にわたって活性化し、かゆみ信号を強め、かゆみの慢性化に関与していることを、世界で初めて明らかにしたのです。

この研究成果は、アトピー性皮膚炎に伴う慢性的なかゆみの、新しいメカニズムとして注目されています。さらに、2016年、順天堂大学環境医学研究所の高森教授、冨永光俊准教授らは、アトピー性皮膚炎モデルマウスの脊髄ではミクログリアが増加していること、ミクログリアを阻害する薬剤のミノサイクリンをアトピー性皮膚炎モデルマウスの脊髄(髄腔)内に投与するとかゆみが軽減することを発見し、その成果を皮膚科学のトップ雑誌「Journal of Investigative Dermatology」に報告されました。

今後、脳や脊髄の神経細胞とグリア細胞を組み合わせた研究により、従来の視点や研究アプローチからは見いだせない慢性的なかゆみのメカニズムを明らかにし、その成果をもとにした、全く新しい視点をもった「かゆみ治療薬」の開発が期待されます。』

アストロサイトによるかゆみの慢性化
アストロサイトによるかゆみの慢性化

画像出展:「世界にかゆいがなくなる日」

 

Part11 かゆみと痛みはどう違う?

我慢する感覚vs我慢できない感覚―目的が異なる生体警告信号

・痛みは外界からの傷つけるような刺激に対して、それを感じ取って逃げるための感覚ともいえる。また、痛みは体の中の異常を脳に伝え、対処させようとする。例えば腰痛のかなりの原因は、筋肉と筋膜の異常である。特に急性期には筋肉を使わないように安静にした方が良く、じっとしているように脳が忠告の指令を出す。このように痛みは異常に対して、「きちんと行動しなさい」という感覚ともいえる。

かゆみは、例えば、寄生虫が皮膚についた時にかゆみを感じ、かく。この動作は自分の皮膚を傷つけることにもなるが、寄生虫を除く方が重要なので、「かいて除け」という脳からの命令による感覚であると考えると良い。皮膚に隣接する粘膜にかゆみが起こるのも同様と考えられる。

しかしながら、野生で生活していた古代人とは異なり、現代人にとっては必要とは言い難いものである。現代病ともいえるアトピー性皮膚炎や花粉症は、本来のかゆみとは全く違う意味を持っているのかもしれない。

かゆみ物質は痛み物質にもなる―物質の判断を変える生体の不思議

痛みを起こすことが知られていた物質のほとんどは、かゆみも起こすということが分かってきた。

・同じ物質でも皮膚の表面に限定して投与すればかゆみになり、皮膚の深いところまで作用させれば痛みになるものもある。

かゆい時に活動する未知の領域―脳の活動部位の違いが明らかに

・機能的MRIを用いた脳機能研究では、かゆみに対して活動する脳部位と、痛みに対して活動する脳部位は、よく似ているが明らかに異なるという結論が出ている。

エピローグ 「かゆい」は本当に必要ないのか

①稲垣直樹先生(岐阜薬科大学教授)

・アレルギーは侵入した異物を排除して生体を守る免疫の仕組みが生体に不愉快な症状を誘発する場合を言うが、本来は生体を守る反応である。したがって、皮膚アレルギーに伴うかゆみも生体を守る役割を担っていると考えられる。かゆみによって誘発される引っかき行動によって、異物排除の反応が増強されるのである。

また、かくことによる心地よい感覚は、確実に引っかき行動を誘発するために備わったものと考えられる。

②片山一朗先生(大阪大学皮膚科学教授)

・かゆみ感覚は、生体への特異な危険信号を避けるために役立っていると考えるが、痛みを緩和することでも、生存に有利に働いているのかもしれない。

・『鍼灸治療はその「ツボ」に機械的、物理的刺激を与えることで効果を引き出しますが、皮膚のどこに「ツボ」が存在するのかは不明です。今後、脳機能研究の手法を取り入れて、鍼灸をかゆみ治療に応用していきたいと考えています。』

③倉石泰先生(富山大学名誉教授)

以前、現代人の我々にはかゆみの感覚はあまり必要ないかもしれないと話したら、ある女子学生が「化粧品などを使うとき、刺激を受けてかゆくなるという感覚は重要だ」と言っていた。化粧品が合わないことを感じ取るという意味では重要な感覚かもしれない。

高森健二先生(順天堂大学名誉教授)

・痛みと同じように、かゆみも生体の警告反応(アラームリアクション)であると考えている。

皮膚のバリアが障害を受けると皮膚は乾燥してかゆみが出てくる。その原因として神経線維の表皮内侵入によるかゆみ閾値の低下がある。バリアが壊れると抗原などの異物の侵入や外部からの機械的、化学的刺激を受け、角質層直下まで侵入進展している神経が刺激され、かゆみが生じる。

保湿剤にはバリア改善効果と神経線維の表皮内侵入を抑える作用があり、乾燥肌によるかゆみに有効である。

一方。炎症反応によるかゆみは浸潤している炎症細胞(白血球、リンパ球、肥満細胞など)に由来するかゆみ惹起物質により生じるかゆみで、やはり警告反応であると考えられる。

室田浩之先生(大阪大学皮膚科学准教授)

・皮膚の表面を覆う毛が外界のアンテナ役となり、危険を察知すると皮膚の知覚神経を介してかゆみを起こす。かゆみは夜から朝方にかけて強くなる傾向がある。これは寝ている無防備な時間帯に、周囲の環境に対して鋭敏でなくてはならないためと考えられる。体外からの刺激以外に、身の危険を想起させるような視覚的あるいは聴覚的な刺激もかゆみを起こす。

慢性的に持続するかゆみは体内、体外の病気によって生じている恐れがあり、原因検索を必要とする。長引くかゆみには適切な治療が必要である。

おわりに

『かゆみは、誰もが日常的に感じる感覚なのですが、これほど「わからないことが多い」感覚はありません。かゆみに関する研究や治療法の解明は、ようやくスタート地点に立てた、といえるレベルだと思います。しかし、逆に考えれば、これほど前途洋々たる魅力的な分野は他にはないと思います。

長い間、患者さんたちは、医師に、かゆみをいくら訴えても、「よくわかりません」という反応しか返ってこず、あきらめの境地に入っておられた方も少なくないと思います。しかし、ようやく、医師も研究者も、この「かゆみ」という不思議な現象に立ち向かうための道具を手に入れることができました。

何よりも、「かゆみに苦しんでいるたくさんの患者さんを救いたい」、という強い気持ちが、私たちに、困難な航海に立ち向かう勇気を与えてくれます。おそらく、今後10年の研究の進歩は、それまでの30年に匹敵するか、それ以上のものになると思います。』

感想

最も知りたかったのは尿毒症のかゆみについてだったのですが、残念ながら尿毒症のかゆみの原因は特定されていないということでした。一方、尿毒症物質(uremic toxin)については、ネットにあった論文に詳しい情報がありました。

「尿毒症物質によるかゆみの原因は分かっていない」との見解は、そもそも尿毒症物質が非常に多いことに由来しているからではないかと思います。

左をクリック頂くとPDF7枚の資料がダウンロードされます。

また、以下の表が”尿毒症症状をきたす物質(uremic toxinとのことです。

 

日本 1-1 クロアチア  サッカーワールドカップ カタール大会決勝トーナメント 2022年12月6日

FIFA World Cup Qatar 2022 Roud of 16
FIFA World Cup Qatar 2022 Roud of 16

画像出展:「JFA.jp

忘れらない大会の一つになったなぁと思います。

選手、スタッフは間違いなく100%の力を出しました。確実に進歩した姿も見れました。

ただ、100%ではベスト8には残れませんでした。

寝る気にもなれず、「どうしたら良かったのだろう?」と考えました。

カウンターアタックの戦法は変えず、後半頭から2点目を取りに行くべきだったのではないか、90分で決着させるという強い気持ちが大切だったのではないか。フレッシュで動き回れる南野選手と、キーマンの三笘選手を後半最初から投入すべきではなかったか。すべて結果論、答えはありません。

しかしながら、やはり積極果敢な姿勢こそが、挑戦者であった日本に与えらえた、唯一の8強につながる道だったのではないかと思います。

また、残念だったことはPK戦のキッカーを選手に任せてしまったことです。PKは得意な選手と苦手な選手がいます。これはキックの技術力に関係します。一方、物凄いプレッシャーがかかる場面のため、メンタリティーも非常に重要です。さらにその試合での調子や出場時間も無視できません。これらのことを総合して、監督が人選し順番も決めるべきです。監督の、勝利への揺るぎない信念を疲れた選手に今一度注入し、選手の不安な心を吹き飛ばし、冷静な心と集中力を取り戻して、最後の決戦に舞台に送り出します。実質、指揮官不在となったPK戦に向かう日本の選手からは、緊張と不安が伝わってきました。悔やまれます。

※スペインを撃破したモロッコのPK戦直前の光景は、勇ましくエネルギーに満ちあふれ、そして、どこか楽しげでした。『ついに、この瞬間が来た!! 勝利は俺たちのもんだ!!』と言わんばかりに盛り上がっていました。

かゆみ1

先日、クレアチニン(Cr)値が急速に悪化し、それに伴い強い痒みのため、夜、思うように眠れないとのお悩みを抱えた患者さまが来院されました。また、その強い痒みは、日によって変化するとのお話でした。

担当医の先生は「尿毒症によるものですね」とのことです。一般的な尿毒症の症状は多岐にわたります。一方、色々調べてみると透析患者の約70%の人が痒みで困っているという記事も見つけました。

これらのことから、尿毒症の痒みの特徴や、そもそも強い痒みとはどのようなものなのか詳しく知りたいと思い本を探しました。それが今回見つけた『世界に「かゆい」がなくなる日』というユニークなタイトルの本です。内容はとても充実しており、大変勉強になりました。良い本に出合ってよかったなと思います。

著者:高森健二、柿木隆介

発行:2017年11月

出版:ナツメ社

目次

はじめに

プロローグ 「かゆみ」は不思議な感覚

●「かゆみ」=「かきたい感覚」?―かゆみの不思議な定義

●「かく」ことは快楽だ!―脳の活動を探る

●見ているだけでかゆくなる……―かゆみの伝染

●かけばかくほどかゆくなる矛盾―イッチ・スクラッチ・サイクル

●「かゆい」の悪循環は夜も続く―かゆみの頻度と継続時間の計測

Part1 「かゆい」はつらい!

●川柳に込めた深い悩み―かゆみは他人にはわからない

●「かゆくて仕事ができない!」―かゆみ患者の数と経済損失

●ふらつきや判断力の低下も……―治療薬の副作用

Part2 人間の皮膚が担う大きな役割

●イヌは体温調節ができない―人間の皮膚の優れた特徴

●1カ月で総取り替え―人間の皮膚の構造

●皮膚はいつも水浸し―皮膚の保湿効果

●細菌・ウィルス・紫外線をはねのける!―皮膚のバリア機能

colunmn1 「肌年齢」ってどうやって測るの?

Part3 皮膚で起こるかゆみのメカニズム

●「末梢性のかゆみ」の原因―次々に発見されるかゆみ物質

●かゆみはゆっくり脳に届く―かゆみ信号が伝わる仕組み

Part4 ドライスキン(乾燥肌)のサイエンス

●伸び縮みする神経―乾燥肌がかゆいわけ

●アトピー性皮膚炎を悪化させる要因―新しい抗炎症剤の開発

●紫外線がかゆみを治療する?―紫外線療法の処方箋

●あなどれないスキンケア外用薬の効果―高齢者のドライスキン対策

Part5 花粉症によるかゆみ

●花粉で皮膚もかゆくなる―「花粉皮膚炎」への進行

●花粉症の季節、女性の9割が肌荒れで悩んでいる―花粉皮膚炎の心得

Part6 皮膚以外の原因でもかゆくなる

●疾患が引き起こすかゆみ―中枢性にかゆみとは?

●脳物質のバランスが変化―中枢性のかゆみの主原因

●腎臓病治療の副作用―血液透析によるかゆみ

●血液透析患者を救った「レミッチ」―日本発・世界初の内服薬

●広がるレミッチの効用―肝・胆道系疾患によるかゆみ

●「むずむず足症候群」と関連?―血液疾患によるかゆみの解明

●薬のせいでかゆくなるってホント?―薬剤によるかゆみ

colunmn2 妊婦さんのかゆみを軽くするには

Part7 かゆみの治療の基本とコツ

●かゆみの原因はわかりづらい―原疾患の治療が先決

●炎症や免疫反応を抑える―皮膚由来のかゆみに主原因

●かゆみ物質の働きを阻止―ヒスタミンが関与するかゆみと関与しないかゆみ

●中枢性のかゆみに対する内服薬も―オピオイドκ受容体作動薬への期待

●市販薬のさまざまな成分―外用薬に含まれるかゆみ止め成分

●ヒリヒリ感でかゆみを抑える―効用が不明なかゆみ止めも

●理想はオーダーメイド治療―止痒薬ではなく鎮痒薬

colunmn3 使いすぎるとかゆくなる石鹸や洗剤

Part8 かゆみ止め薬を使わない治療法

●脳への電気刺激がかゆみを止める!―経頭蓋直流電気刺激法

●「痛い」が「かゆい」を忘れさせる―他の皮膚刺激による抑制

●心頭滅却すればかゆさも忘れる?―心理療法

●見直されてきた「偽薬」の効用―プラセボ効果

●かゆみを自分でコントロールする―認知行動療法

●心療内科・精神科の医師との連携―リエゾン療法

●温めて抑える、冷やして抑える―温熱療法、冷罨療法

●古来の薬にも効果が?―民間薬と漢方薬

●鎮痛剤がかゆみにも効く?―最新研究による新たな可能性

column4 かゆみを測るのは難しい

Part9 かゆみ研究最前線(人間を対象とした研究)

●脳を傷つけずに検査する―機能的MRIと電気生理学的検査

●かゆみ刺激に対する脳活動の不思議―大脳辺縁系と前頭葉がともに活動

Part10 かゆみ研究最前線(動物実験)

●「かゆがるマウス」が残した足跡―世界初の動物モデルの作成

●「イギリスの蚊」なら、かゆくならない?―虫刺さされのメカニズム

●脊髄の神経が関係する慢性的なかゆみ―マスト細胞の分化・増殖機能の解明

●黄疸によるかゆみのメカニズム―かゆみ物質を分子レベルで調べる

●ドライスキンはなぜかゆい?―過敏症のメカニズムと新しい治療法

Part11 かゆみと痛みはどう違う?

●かゆみは痛みに隠れている?―痛みとかゆみの共通点

●我慢する感覚vs我慢できない感覚―目的が異なる生体警告信号

●かゆみ物質は痛み物質にもなる―物質の判断を変える生体の不思議

●かゆい時に活動する未知の領域―脳の活動部位の違いが明らかに

エピローグ 「かゆい」は本当に必要ないのか

おわりに

ブログで取り上げたものは、上記の目次のうち、黒字の部分だけです。

プロローグ 「かゆみ」は不思議な感覚

・「イッチ・スクラッチ・サイクル」とは

「イッチ・スクラッチ・サイクル」とは痒みの悪循環のことで、かゆいところをかくと快感が得られる。それを脳が記憶すると、かくのをやめられなくなる。

イッチ・スクラッチ・サイクルの仕組み
イッチ・スクラッチ・サイクルの仕組み

画像出展:「世界にかゆいがなくなる日」

-何かの原因で皮膚を強くかくと、皮膚が傷つく、すると皮膚の中にサイトカインという物質が放出される。このサイトカインは皮膚の中にあるマスト細胞(肥満細胞)を刺激して、ヒスタミンというホルモンを放出する。このヒスタミンは非常に強いかゆみを誘発する。また、傷ついた皮膚は炎症を起こすが、それもかゆみを引き起こす。そのために、また強くかいてしまう。このように痒みは悪循環となることもあり、問題は大きくなる。

このサイクルの実態、病的な悪循環と知っていれば、自制心が働き、かくことを我慢しようと思うことは大切なことである。

Part3 皮膚で起こるかゆみのメカニズム

「末梢性のかゆみ」の原因―次々に発見されるかゆみ物質

・かゆみの原因の多くは皮膚の問題であり、皮膚の中で炎症・アレルギーなどが起きたときにかゆみが生じる。これを「末梢性のかゆみ」という。末梢性のかゆみが出る時には、かゆみを引き起こす原因物質が皮膚の中で作られている。

ヒスタミン

ヒスタミンは主に「マスト細胞」で作られる。マスト細胞は肥満細胞とも呼ばれている。また、顕微鏡で見ると、たくさんの細かい粒のようなものが見えるので顆粒細胞とも呼ばれる。マスト細胞は皮膚以外に鼻の粘膜、気管支など体の様々な組織に存在している。

-アトピー性皮膚炎、アレルギー性鼻炎、気管支喘息のような代表的なアレルギー性疾患が起こる場所にマスト細胞は多くあり、このことはマスト細胞から分泌されるヒスタミンが、アレルギーの発生に重要な役割を果たしていることが分かる。

ヒスタミン以外のかゆみ物質

-現在、発見されたかゆみ物質は、セロトニン(5-TH)プロテアーゼ神経ペプチド脂質メディエーターサイトカイン胆汁酸リゾホスファチジン酸ケモカイン硫化水素などがある。

●かゆみはゆっくり脳に届く―かゆみ信号が伝わる仕組み

・かゆみと鈍い痛みの信号は伝達スピードが遅いC線維から脊髄に至り、脊髄視床路という経路を通って脳に到達する。

かゆみの発生とかゆみ信号の伝わり方
かゆみの発生とかゆみ信号の伝わり方

画像出展:「世界にかゆいがなくなる日」

・関節位置覚、触覚、振動覚、圧覚などは脊髄後索という経路を通る。脊髄の中には他にも、脳からの運動指令を伝える皮質脊髄路など、たくさんの経路が詰まっている。 

・皮膚、神経末端部、末梢神経、脊髄とかゆみと鈍い痛みは同じ経路を通るため、「かゆみは痛みの軽いもの」と言われていたこともあったが、最近の研究ではかゆみ独自の経路があることが分かってきた。

Part4 ドライスキン(乾燥肌)のサイエンス

伸び縮みする神経―乾燥肌がかゆいわけ

・皮膚の水分がかゆみの予防の基本である。角質細胞の皮脂膜や細胞間脂質、天然保湿因子が減ると、角質細胞の集団が崩れて水分が減り、角質層に隙間ができやすくなる。このため外から異物が侵入しやすくなり、これが刺激となってかゆみが生じる。また、乾いたドライスキンの状態は皮膚が必要以上に敏感になっている。

伸び縮みする神経線維
伸び縮みする神経線維

画像出展:「世界にかゆいがなくなる日」

・皮膚には、神経を伸ばす「神経伸長因子」と、その逆の作用を持つ「神経反発因子」がある。通常は両者のバランスが保たれているため、健康な皮膚では神経線維の自由神経終末は、表皮と真皮の境界に分布している。ところが、皮膚が乾燥すると、神経伸長因子の力が強くなり、神経が伸びるため、その先端にある自由神経終末が表皮内に侵入し、表皮の中で最も皮膚表面に近い角質層の直下にまで伸長する。そのため、外部の刺激が伝わりやすくなり、知覚過敏の状態になり、かゆみを感じやすくなる。

アトピー性皮膚炎を悪化させる要因―新しい抗炎症剤の開発

・アトピー性皮膚炎は、かゆみの強い慢性の湿疹で、多くはアトピー性素因(アトピー性皮膚炎になりやすい性質)を持つ人に生じる。

・アトピー性皮膚炎の皮膚はバリア機能の異常と、免疫機能の異常・アレルギー性炎症が相互に作用しながら、悪化していく。

・アトピー性皮膚炎の皮膚内で炎症が起こると、マスト細胞やT細胞からかゆみ物質が分泌されるが、これらは「炎症細胞」と呼ばれている。

炎症が起こると皮膚の表面がアルカリ性に偏るため、細菌が侵入しやすくなる。かゆみのために激しくかくと、皮膚のバリアが壊れる。すると、さらに皮膚が乾燥して、異物が入りかゆみがより強くなり、そして、また、かいてしまう。つまり、「イッチ・スクラッチ・サイクル」という悪循環を起こす典型例がアトピー性皮膚炎である。

・アトピー性皮膚炎ではステロイド軟膏で炎症を抑え、保湿するのが効果的である。ステロイドは軟膏として使う程度では特に副作用の心配はない。

紫外線がかゆみを治療する?―紫外線療法の処方箋

・近年、アトピー性皮膚炎に対する紫外線療法が話題になっているが、名古屋市立大学の森田明理教授が3つの要素をあげられている。

T細胞のアポトーシスの誘導

-アトピー性皮膚炎では、アレルギー炎症の原因となるT細胞が増加するが、紫外線によってアポトーシスが誘導され、T細胞が減少し病態が改善する。

免疫抑制

-紫外線によって免疫異常が改善される効果がある。治療後の改善期間が長く保てると考えられている。

末梢神経(C線維)への影響

-紫外線はかゆみを伝達するC線維にも影響を与える。アトピー性皮膚炎の皮膚では、C線維の先端部分にある自由神経終末が、表皮の角質層まで伸長しており、皮膚のバリア機能の低下と相まって、かゆみ刺激に過敏に反応する。

あなどれないスキンケア外用薬の効果―高齢者のドライスキン対策

・高齢者における皮膚乾燥の発生。

①脂質の減少

②天然保湿因子(NMF)の減少

③角質細胞のターンオーバー(細胞の発生と自然死のサイクル)の低下と角質層構造の変化

④環境因子の影響

高齢者のかゆみの治療あるいは予防には保湿剤が一番有効である。

保湿剤にはかゆみ神経(C線維)が表皮内に侵入するのを抑える作用がある。つまり、乾燥後すぐに保湿剤を外用すると、表皮内神経線維の増加を強く抑制する。

Part6 皮膚以外の原因でもかゆくなる

疾患が引き起こすかゆみ―中枢性にかゆみとは?

・何らかの疾患が原因となって、病的に強いかゆみが持続するもの。中枢とは脳や脊髄のことである。

中枢性のかゆみを引き起こす疾患
中枢性のかゆみを引き起こす疾患

画像出展:「世界にかゆいがなくなる日」

脳物質のバランスが変化―中枢性のかゆみの主原因

・麻薬として使われるモルヒネやアヘンの材料であるアルカロイドなどの物質を総称して「オピオイド」というが、このオピオイドが中枢性のかゆみを引き起こすことが分かってきた。

・受容体は細胞表面にあって、特定の物質だけに反応してその物質に対する細胞の反応の引き金を引く。オピオイドは複数の受容体を持っているが、2種類の受容体のアンバランスによってかゆみが誘発される。これが「中枢性のかゆみ」の原因である。

オピオイドシステム
オピオイドシステム

画像出展:「世界にかゆいがなくなる日」

κ受容体とμ受容体のバランスが崩れるとかゆみが出現する。

腎臓病治療の副作用―血液透析によるかゆみ

・透析患者の7割が合併症のかゆみに苦しんでいる。

・透析によるかゆみの原因は、腎不全や透析、さらに乾燥によって皮膚のバリア機能が損なわれていることがある。

血液透析患者を救った「レミッチ」―日本発・世界初の内服薬

κ受容体を活性化させてμ受容体とのバランスを改善するのが、κ受容体作動薬のナルフラフィン塩酸塩(商品名:レミッチ)である。

広がるレミッチの効用―肝・胆道系疾患によるかゆみ

・肝疾患によるかゆみにも、オピオイドシステムが関与しており、レミッチにかゆみを止めることが明らかになった。

●薬のせいでかゆくなるってホント?―薬剤によるかゆみ

医薬品医療機器総合機構(PMDA)のホームページで「薬とかゆみ」で検索すると7,000以上の薬がヒットする。どのような薬でもアレルギー反応が生じれば、発疹(薬疹)に伴ってかゆみが出現する。

・薬剤によるかゆみは大きく二つに分類できる。

1)明らかに皮膚症状を起こすもの。様々な皮疹が出現し、かゆみの程度も異なる。中には強いかゆみが現われる場合もある。

2)皮膚症状がないか少ないタイプ。頻度が多いものは、モルヒネ、クロロキン、バンコマイシンなど。

日本 2-1 スペイン  サッカーワールドカップ カタール大会予選リーグ最終戦 2022年12月2日

逆転ゴールを生んだ三笘選手のアシスト(得点は田中選手)
逆転ゴールを生んだ三笘選手のアシスト(得点は田中選手)

画像出展:「讀賣新聞オンライン

信じられない勝利でした。選手全員が戦い方を理解し、共有していたことが最大の勝因だと思います。

その中で、傑出していたのは三笘選手の強く、果敢に攻める気持ちでした。それはディフェンス面にも出ていました。

1mmの攻防の明暗は、想像力と研ぎ澄まされた瞬時の決断にあったと思います。

黄金の華の秘密

ブログで取り上げた 『ユングと共時性』に、次のようなことが書かれていました。

ユングと共時性
ユングと共時性

リヒャルト・ヴィルヘルムが翻訳した中国の錬金術の本が「黄金の華の秘密」である。ユングがこの本に払った苦心は、主要な心理学的概念を発展させるための重要な源となっている。特に、ユングが「共時性」を初めて公に使ったのが、1930年のリヒャルト・ヴィルヘルムの葬儀での賛辞の中であったことはとても意義深い。

 

ユングにとって、リヒアルト・ヴィルヘルムによって翻訳されたこの『黄金の華の秘密』はとても重要な出会いでした。

今まで何度も、「まぁ、何とかなるだろう」と思って身分不相応の本を何冊も買ってきたのですが、今回の本もほとんど歯が立ちませんでした。

ただ、立ち向かった足跡だけでも残したいものだと思い、印象に残った部分とC・G・ユングにとって、人生最大級の出会いとなった、リヒアルト・ヴィルヘルムについて書き残すことにしました。

黄金の華の秘密
黄金の華の秘密

訳者:湯浅泰雄、定方昭夫

出版:人文書院

発行:初版 1980年3月31日

   新装版 初版第一刷 2018年4月20日

   新装版 初版第ニ刷 2021年10月20日

 

 

目次

第二版のための序文……C・G・ユング

第五版のための序文……ザロメ・ヴィルヘルム

リヒアルト・ヴィルヘルムを記念して……C・G・ユング

ヨーロッパの読者のための註解……C・G・ユング

 序論

 基礎概念

 対象からの意識の離脱

 完成

 結論

ヨーロッパのマンダラの例……C・G・ユング

太乙金華宗旨の由来と内容……リヒアルト・ヴィルヘルム

 一 本書の由来

 ニ 本書の心理学的・宇宙論的前提

太乙金華宗旨

 第一章 天心

 第二章 元神・識神

 第三章 回光守中

 第四章 回光調息

 第五章 回光差謬

 第六章 回光微験

 第七章 回光活法

 第八章 逍遥訣

 第九章 百日立基

 第十章 性光識光

 第十一章 ○離交媾

 第十二章 周天

 第十三章 勧世歌

慧命経

 一 漏尽

 ニ 六候

 三 任脈と督脈

 四 道胎

 五 出胎

 六 化身

 七 面壁

 八 虚空粉粋

訳者解説

 1 ユングとヴィルヘルムの出会い

 2 太乙金華宗旨と呂祖師

 3 思想的内容と心理学的視点

 4 本書の内容と邦訳について

第二版のための序文  C・G・ユング

●リヒアルト・ヴィルヘルムは1928年、C・G・ユングに『黄金の華の秘密』のテキストを送った。C・G・ユングは1913年から集合的無意識の諸過程について研究を進めていたが、15年間の努力の成果は比較可能な手掛かりが掴めず、不安定な状態にあった。その状態から抜け出せたのは『黄金の華の秘密』の中にグノーシス主義者たちの中に求めても得られなかった部分を含んでいたからである。そして、本書はC・G・ユングの研究に正しい方向づけを与えた。

第五版のための序文  ザロメ・ヴィルヘルム

●1926年、リヒアルト・ヴィルヘルムは次のような短い序文を書いている。

『「慧命経―意識と生命の書―は、1794年に柳華陽が著した書物である。この本は「黄金の華の秘密」と合本にして千部刊行された。

この著作は仏教的瞑想法と道教的瞑想法をまじえたものである。この書の基本的見解によれば、生命が生まれるとき、心は、意識と無意識という二つの領域に分かれる。意識とは人間において個人化され、分離された要素であり、無意識とは、彼を宇宙に結びつける要素である。この書の基本原理は、瞑想を通じて二つの要素を結びつけるところにある。無意識は、意識がその中に沈潜してゆくことによって、その内容をゆたかにされねばならない。瞑想によって無意識の活動は活潑となり、意識領域まで昇る。こうして豊かな内容をもつに至った意識とともに、心は、再生するという形をとって、超個人的な魂の領域へと入ってゆく。この魂の再生は、やがて意識作用の内面的分化発展へとみちびき、自由自在な思考の状態にまで至る。しかし、さらに瞑想が深まってその終極に至ると、必然的に、すべての差別が消滅した究極的無差別の中にある大いなる一つの生命に解消していくのである」。』

ヨーロッパの読者のための註解

序論

現代心理学が理解を可能にする

●『人間の身体があらゆる人種的相違をこえて共通の解剖学的構造を示すのと同じように、魂(プシケ)というものも、あらゆる文化と意識形態の相違の彼方に共通の低層を有しているものであって、私はそれを集合的無意識と名づけたのである。この無意識の魂は、意識化され得る内容から成り立っているものではなく、ある種の同一の反応へと向う潜在的な素質から成り立っているのである。集合的無意識という事実は、あらゆる人種の相違を超えて脳の構造が同一であるということの心的な表現なのである。そこから、さまざまな神話のモティーフや象徴の間に見出される類似性あるいは同一性、さらには人間の相互理解の可能性一般が同一性を示すという事実も、説明がつくようになるのである。心の発展のさまざまな方向は、一つの共通な根底から出発しているものであって、その根は、あらゆる過去の発達段階にまで達している。そこには動物との心的類似さえ存在しているのである。

純粋に心理学的にみれば、ここでは、表象(想像)し行動する本能における共通性が問題なのである。あらゆる意識的表象と行動とは、この無意識的範例の上に発達してきたものであって、いつもそれと関連しあっている。特に、意識がまだあまり高い明晰さにまで達していない場合、言いかえれば、意識がそのすべての作用において意識された意志よりもむしろ衝動に、まだ理性的な判断よりも感情によって動かされている場合がそうである。この状態は、原始的な心の健康を保証しているものであるが、しかしそれは、より高い道徳的行為を必要とするような状況が現われてくると、たちまち適応性を欠いたものになる。本能というものは、全体としていつも同じ自然状態のうちに埋めこまれている個体にとってしか、十分役に立つものではない。したがって、意識的選択よりも無意識的なものに依存する個人は、断乎たる心的保守主義に向う傾向がある。原始人の考え方が何千年にもわたって変化せず、あらゆる見なれないものや異常なものに対して恐れを感じる理由もそこにあるのである。場合によっては、彼らは不適応状態にみちびかれたり、それによって重大な精神的危機、つまり一種のノイローゼにおちいったりするかもしれない。異質なものをドウかすることによってのみ生じてくる、より高度の、またより広い意識は、自律的態度へと向い、古き神々に対する反抗へみちびく傾向もある。古き神々とは、それまで意識を本能への依存状態に止めた強力な無意識的範例に他ならないのである。』

基礎概念

道の諸現象

アニムスとアニマ

私事ですが、約30年前にC・G・ユングの夫人であるE・ユング(エンマ・ユング)の著書である『内なる異性 -アニムスとアニマ-』という本を読んだことがありました。

一方、同書に書かれた「アニムスとアニマ」は冒頭、“魂”と“魄”について書かれており、これは「どういうことなんだろー」と大変興味を持ちました。

内なる異性
内なる異性

この本の裏表紙には次のような紹介がされていました。(一部)

著者(C・G・ユング夫人)は、夢や神話、民話、文学作品等にあらわれたアニムスとアニマの典型的な形姿を研究することから、男性の本質、女性の本質を浮彫りにする。そしてこれら内なる異性を認識・承認し、人格全体の中へ組み入れることこそ、自己実現にとって不可欠の、また現代人にとって緊急の課題であることを指摘する。』 

●『この書によれば、無意識の諸形態には、神々ばかりでなく、アニムスとアニマも見出される。ヴィルヘルムは「魂」Hunという言葉をアニムスと訳している。実際、私が用いているアニムスという概念は「魂」にぴったり適合している。その字形は「雲」をあらわす字〔云〕と「悪魔」をあらわす字〔鬼〕から構成されている。つまり魂は、雲のようなデモン、高いところで息吹する雲というような意味であり、「陽」の原理に属しているから男性的なものである。死後、「魂」は天に昇って「神」つまり「みずから拡大して示現する」霊、または神となる。これに対して「魄」は「白さ」をあらわす字〔白〕と「悪魔」をあらわす字〔鬼〕で示されている。「魄」はアニマである。それは「白い幽霊」であり、地上的な身体にともなう霊であって、「陰」の原理に属している。したがってそれは女性的である。死後、「魄」は下方へ沈み、「鬼」すなわち「(大地へと)帰る者」、いわゆる亡霊あるいは幽霊になる。このようにアニマとアニムスが死後分離してばらばらになってしまうということは、中国人の意識にとって、両者がさまざまの作用をもつものとして、互いにはっきり区別できる心的要因であったことを示している。』

●『ヴィルヘルムがこの書物のことを知らせてくれる何年も前から、私は、「アニマ」という概念に含まれた形而上的仮定は別にして、この概念を、中国語の定義と全く類似した形で使っていた。心理学者にとって、アニマは何も超越的なものでなく、全く経験可能な実体である。というのは、中国語の定義もはっきり示しているように、情動的状態は直接的な経験なのであるから。しかしこの場合、なぜ人は、アニマ〔という人格化された像〕について語って、気分については語らないのだろうか。その理由は次のような点にある。情動作用は、範囲を限定できる意識内容、つまり人格の一部である。それらは人格の一部であるので、当然、人格的特徴をもっている。したがってそれは容易に人格化され得るのである。先にあげた例が示しているように、それは今日もなお進行している過程なのである。情動をかき立てられた個人は、中立的になることができず、ふだんの性格とは全くちがった、一定のはっきりした性質を示すようになる。その意味で、〔情動作用を〕人格化することは、無意味なつくりごとではないのである。この場合、慎重にしらべてみると、男性では、情動的性質が女性的特徴を示すことが明らかになる。「魄」についての中国人の教えは、私のアニマについての理解と同様に、こういう心理学的事実に属している。深い内省や恍惚の体験は、〔男性の〕無意識領域に女性的な形姿が実在していることを明らかにする。したがって「心」には、〔昔から〕アニマ、プシケ、ゼーレといった女性名詞が用いられているのである。アニマは、男性が女性に関してもつあらゆる経験からつくり出されたイメージ、ないし元型、あるいは沈殿物である。と定義することもできるだろう。したがってアニマ像は、きまって〔現実の〕女性に投影される。

●『一般的にいえば、私はアニマを無意識の人格化と定義した。したがってアニマは、無意識〔領域〕への橋渡し、つまり無意識に対する関係の機能としてとらえられる。こう考えた場合、われわれの書物の考え方は興味がある。この書は、意識(すなわち個人的意識)はアニマ〔魄〕から出てくるものと考えている。西洋的精神は意識の立場からしか考えないので、アニマを定義する場合には、私がこれまでやってきたような〔アニマをかくれた無意識の作用と解する〕やり方で、解釈しなくてはならない。ところが東洋は逆に、まず無意識の立場に立って考えるので、意識とはアニマのはたらき〔の産物〕であると見なしているのである! たしかに〔東洋が考えているように〕、意識は元来無意識から生じるものである。われわれ〔西洋人〕は無意識についてはほとんど考えようとしないので、「心(プシケ)」を一般に「意識」と定義したり、そこまでゆかなくても、無意識は意識の派生物か、それに従属する作用であるといつも考えようとする(たとえばフロイトの抑圧説)。しかし上にのべてきた理由からいっても、無意識の現実的作用を取り去ることはできないし、また無意識から現われてくる形姿は、そこに作用している〔心のエネルギーの〕量と考えるべきである。』

訳者解説 湯浅泰雄

ユングとヴィルヘルムの出会い

●『ヴィルヘルムは、1873年〔明治六年〕5月10日に南ドイツのシュツットガルトに生まれた。ユングより二歳の年長である。リヒアルトは1891年から95年までテュービンゲン大学で神学を学び、97年にプロテスタント教会の副牧師になった。1899年、ザロメ・ブルームハルトと婚約し、翌年結婚した。

1898年、ドイツは、清国から山東省膠州湾の租借権を得た。この帝政ドイツの中国進出政策が、はからずもヴィルヘルムを中国に結びつける機縁となる。翌1899年、26歳の青年ヴィルヘルムは、膠州湾に臨む青島の町に設立された教会の主任司祭として赴任する。以後、前後二十五年にわたる彼の中国生活が始まるのである。この時代は世界列強の東アジア進出の時期に当たっており、ヴィルヘルムが中国で暮らしていた間に、日清戦争、義和団事件(拳匪の乱)、日露戦争、辛亥革命、そして第一次世界大戦が起こっている。しかしヴィルヘルムの若い魂をひきつけたのは、動乱と革命にゆれ動くアジアではなく、古い東洋の精神世界であった。彼は、1909年に設立された徳華専門学校の教団に立って中国人子弟の教育に当たるかたわら、熱心に論語、老子その他の古典の翻訳に没頭した。ユングの思い出によると、あるときヴィルヘルムはユングに向かって、「自分は中国に居る間、ただ一人の中国人も洗礼しなかったが、そのことを大いに満足に思っているのです」と語ったという。彼が通常の宣教師タイプとちがって、深く中国文化に魅了されていたことがわかる。ヴィルヘルムは、近代中国の知識人が西洋文明の影響を受けて今や捨て去ろうとしていた儒教と道教の世界に沈潜して行ったのである。1911年、辛亥革命によって清朝は滅亡し、孫文が臨時大統領となったが、翌年、中華民国の発足とともに袁世凱が初代大統領となり、軍閥内戦の時代に突入する。このころヴィルヘルムは、1913年に、青島の儒教教会を設立している。しかし、1914年、第一次世界大戦の勃発とともに膠州湾は日本軍に占領された。大戦終了後の1920年、彼は二十二年にわたる中国での生活を終わって敗戦の故国に帰る。この年、ヘルツマン・カイゼルリング伯はダルムシュタットに、「叡智の学校」を設立した。ユングと出会ったのは、この会合の席である。1922年には、ユングに招かれてチューリヒの心理学クラブで易について講義している。

同じ1922年、ヴィルヘルムは北京のドイツ公使館の学術顧問に任命され、再び中国に赴く。二度目の中国滞在は足かけ三年、1924年までである。この間、1923年には、北京大学の教授に迎えられている。このころ彼は、労乃宣(ラウ・ナイ・シュアン)という道士の弟子になって、易を学ぶ。くわしい注釈つきの「易経」1 Ging、2 Bamde、1924 の名訳は、この老師の協力を得て出版されたものである。「最後のページの翻訳がすんで、印刷屋の最初の校正刷が来たとき、老師労乃宣は死んだ。それはあたかも、彼が自分の仕事を仕上げ、古い死滅しつつあった中国の最後のメッセージをヨーロッパに伝え終わったかのようであった。ヴィルヘルムは、この比類なき腎人の大きな夢をかなえたのであった。」1924年、任を終えて帰国したヴィルヘルムは、フランクフルト大学に設立された中国学講座の担当者となり、中国研究所を設立、その所長に就任した。機関誌は「中国学芸雑誌」Chinesishe Blatter fur Wissenschaft und Kunst(のちにSinicaと改名)という。しかし、彼の故国での活動の時間は短く、六年後の1930年3月1日、テュービンゲンで死去する。五十七歳であった。彼の業績は古典の翻訳が多いので、日本の中国学界ではあまり知られていないようであるが、彼はドイツの中国学の開創者ともいうべき人物であろう。

ユングはヴィルヘルムとはじめて会ったとき、つよい印象を受けたようである。「私が会ったとき、ヴィルヘルムは書き方やしゃべり方と同様に、外面的な態度も完全に中国人のように見えた。東洋的なものの見方と古代中国文化が、頭の先から足の先までしみこんでいた」と、ユングは当時の思い出を語っている易経の独訳が出たとき、ユングは早速それを入手し、ヴィルヘルムの解釈に満足を覚える。「われわれは、中国の哲学と宗教についてたくさん話しあった。中国人の心性についての豊富な知識の中から彼が私に語ったことは、ヨーロッパ人の無意識が私に提起していた最も困難な問題のいくつかを解明してくれた。他方、無意識に関する私の研究の結果について、私が言わねばならなかった事柄は、彼には何の驚きも引き起こさなかった。というのは、彼が中国の哲学的伝統の占有物と考えていた事柄を、それらの中に認めたからである。」こうしてユングは、かつてグノーシス主義の研究に求めて得られなかった自己の学問的足場が、東洋思想の伝統の中に古くから伝えられていたことを感じるに至るのである。

1928年、ユングは、イメージが浮かんでくるのに任せて一つのマンダラを描いていた。できあがった形を眺めながら彼は、どうしてこのマンダラはこうも中国風なのだろう、と自問した。表面的にはそうもみえなかったが、そのように感じられてしかたがなかった。それから間もなく、ヴィルヘルムからユングの許へ「黄金の華の秘密」の独訳原稿が送られてきた。それには、ユングに対して心理学者として註解を書いてほしいという手紙がそえられていた。原稿をよんだユングは、深いおどろきにうたれる。マンダラのイメージについて彼が模索しつつあった考え方に対して、そこに思いがけない確証が与えられていたからである。「これは私の孤独を破った最初の出来事だった」と彼はのべている。「『黄金の華の秘密』という本を読んだ後に、やっと錬金術の性質の上に光がさし始めた。……私は錬金術の原典をもっとくわしく知りたいという望みにかき立てられた。私はミュンヘンの本屋に、錬金術の本を手に入れることができるものは、皆知らせるように言った。」ユングはこの深いおどろきを記念して、自分の描いた中国風のマンダラの下に「1928年、この黄金色の固く守られた城の絵を描いていたとき、フランクフルトのリヒアルト・ヴィルヘルムが、黄色い城、不死の身体の根源についての、一千年前の中国の本を送ってきてくれた」と書き記した。本書はこうして、翌1929年に出版されたのであった。

以上のように、この書は、ユングが彼自身の理論的また思想的立場を確立する機縁を与えた書物である。この書によって彼はまた、ヨーロッパの精神史に対する彼の基本的見解を確立するに至る。古代ローマのグノーシス主義と近代ヨーロッパを結ぶ失われた環が中世錬金術の中にあることに、彼は気づいたのである。西洋精神史に関する彼の最初の著作「心理学と錬金術(1944年)は、これが機縁になって生まれたものである。この書の中で、彼はこう回顧している。「私はマンダラ象徴の生成過程とその像について、二十年来、私自身の経験から得たたくさんの材料に即して観察をつづけてきた。(はじめの)十四年間、私は、自分の観察について先入見を下さないために、それについて執筆も講演もしなかった。しかし、1929年にリヒアルト・ヴィルヘルムが、「黄金の華」のテキストを私にみせてくれたとき、私は研究結果の一部を公表する決心をしたのだった。」このように、本書はユングの思想形成にとって重要な意義をもつ書物であり、したがってまた、深層心理学の観点から東洋思想について考える場合、よい手がかりを与える書物でもある。』

※シュツットガルト

リヒアルト・ヴィルヘルムが生まれた南ドイツのシュツットガルトは、私にとって思い出の地です。

また、シュツットガルトといえば、ドイツブンデスリーガの1部に所属する名門チームがあります。浦和レッズに在籍していたギド・ブッフバルトや日本人選手では、岡崎慎司、長谷部誠、今は遠藤航がキャプテンとして活躍しています。 

サッカーワールドカップ カタール大会 ドイツ戦
サッカーワールドカップ カタール大会 ドイツ戦

画像出展:「au Webポータル

11月23日のサッカーワールドカップ カタール大会の初戦、強豪ドイツを2-1で撃破し、歴史的な逆転勝利となりましたが、遠藤 航 選手のチームへの貢献は素晴らしいものでした。

確認したところ、遠藤選手が浦和レッズに在籍していたのは2016-2018年でした。

そのシュツットガルトは、私の初めての海外出張先でした。

最初の営業はCADという設計支援ソフト(ME10)を販売する部門だったのですが、そのソフトの開発・製造拠点がシュツットガルトのボブリンゲンという町にありました。なお、ME10という2次元CADは、調べてみたところ、CoCreate社を経て2007年にPTCに買収されCreoという製品群の一部になっていました。

出張は新製品の研修がメインだったのですが、ご褒美旅行も兼ねていました。これは日本だけでなく、世界的に業績が好調だったためです。そして、その研修会はモナコで行われました。モナコといえば、高級リゾート地であり、F1のモナコグランプリは特に有名です。我々が宿泊したホテルはローズ・モンテカルロ(現在はフェアモント・モンテカルロです。ローズ・ヘアピンとして有名ですが、このホテルに泊まれたのは灌漑深いものがありました。

ローズ・ヘアピンとホテル
ローズ・ヘアピンとホテル
旧ローズモンテカルロ
旧ローズモンテカルロ

中央にとても邪魔なヒトが立っていますね。どいてほしい。

旧ローズモンテカルロの室内
旧ローズモンテカルロの室内

まさか、ローズモンテカルロに泊まれるとは思ってもみませんでした。窓の外は青く静かな地中海の海が広がっていました。

そして、開発・製造拠点のシュツットガルトはモナコの後に訪問しました。シュツットガルトにはメルセデスベンツ・ミュージアムがあります。小さな町のボブリンゲンは明るく綺麗な素敵な町で、とても穏やかな気持ちになりました。

メルセデスーベンツ・ミュージアム
メルセデスーベンツ・ミュージアム

シュツットガルトといえば、メルセデスーベンツです。

Mercedes-Benz Museum Stuttgart

ボブリンゲンの休日
ボブリンゲンの休日

ボブリンゲンの休日です。何かのフェスティバルが開催されていたようでした。

ユングと共時性2

ユングと共時性
ユングと共時性

著者:イラ・プロゴフ

訳者:河合隼雄、河合幹雄

出版:創元社

発行:1987年9月

目次は”ユングと共時性1”を参照ください。

 

Ⅸ 共時性の働き

●『共時性原理は、非常に多様な事象のなかに表出されていることがわかる。たとえば、ある人が、夢あるいは一連の夢を見、そしてそれが、外的事象と符号することがわかる。ある個人が、何か特定の願いをするか、あるいは、それを、強く望み、希望するかしており、そして、何か説明不可能な方法でそれが起こる。ある人が、他の人、あるいは何か特殊な象徴を信じており、その人がその信仰のもとで祈るか黙想するかしているときに、身体的な治療あるいは他の「奇跡」が起こる。人間のいるところにはどこでも共時的事象が起こるのである。そして、実のところ、ひとたび見つけるべきものを知ったならば、その数は、これまで予想されてきたものよりはるかに大きいことに気づくことになろう。

すべてのこうした事象のなかでは、強い元型的要因が、ヌミノース[事象には説明し難い部分が存在する。神への信仰心、超自然現象、聖なるもの、先験的なものに触れることで沸き起こる感情]な方法で働いている。意識が利用できるものを越えた知識を与えうる夢は、必然的に、心の深層にあるイメージを含んでいる。願望の力への信仰は、人間の原始的な心の奥深くに達する。それは、魔術師の原初的イメージの効力を説明する鍵である。信仰の根本的な体験は、その形や対象がどのようであっても、常に、無意識の最深レベルに達するものである。このために、情動的な強さがヌミノースで元型的な要因のまわりに生じ、その結果、それに相応するエネルギーの退潮、すなわち、心の他の部分での心的水準の低下が生じる。これが、心が時間のパターンを反映するようにする「低下」の心理学的メカニズムである。これを認識することによって、個人は共時的事象と関係をもつことができる。』

●『ユングは、自分の経験として次のように述べている。超心理的事象は、「ほとんど常に、元型的コンステレーションのなか、すなわち、元型を活性化させた、あるいは、元型の自律的行為によって呼び起こされた状況のなかで起こる」。元型の強さは、それ自身の要求と性質をもつ状況を明白につくり、そしてこれらの性質は、その元型が効力をもつようになる時に形成するパターンのなかで、表出される。「心的水準の低下」を通して生じる。「自己」のなかでの心的反映は、元型に符号した形をとる。』

●『ユングの、より大きな概念の本質は、元型は、因果律によって作用するのではないことである。実際、ユングが、因果律と並ぶ別の原理の可能性を研究する必要を感じたのはまさに、元型は因果律以外の何かに従うことに気づいたときであった。かくしてユングは、共時性の仮説の定式化に導かれたのである。

この外見上の対立の背後にある原理を理解するために、われわれは、共時性を全体としてのマクロコスモスのなかで作用する原理と考える、より大きな見地を心に留めなければならない。あるそのときを横切って共時性に形成されるパターンは、全宇宙を包括する。これは、一般原理としては正しい。そして、哲学的に見れば、それはライプニッツに帰する。しかし、この一般文脈のなかには、そのパターンに関係する個人的存在があり、その人生と行為は、そのパターンを表現する。

個人のミクロコスモス的生は、マクロコスモスの、より大きな一般的パターンの一側面である。にもかかわらず、自分を取り巻くマクロコスモスのパターンを表わすことに従事している個人は、自分の人生のなかで、明らかに合理的に決定された行為によって、それを行なっている。その人は、意識的に決定された目標に向かって動き、また、因果律による思考を基礎にして自分の目標を目指して進む。

このように、人間の人生の展開は、二つの別個の次元、つまり存在の二つに分離した次元上で同時に起こる。第一は、自分の人生、動機、行為に対する個人的知覚である。この次元は、思考と情緒によって起こり、原因と結果を、現代のように合理的に考えるにしろ、原始的魔術のように物活論的に考えるにしろ、原因と結果というものを仮定した上で知覚できる目標に向かって動く。

他方、第二の次元は、個人以上のものである。それは、共時性が動く、トランスパーソナルなマクロコスモス的領域である。各特定の瞬間に時間軸を横切る宇宙のパターンを含むこの領域内では、ユングが、元型の多様な特性、そのヌミノース、それらが活性化される方法、それらが心の平衡をひっくり返す効力、そして、心の他の内容をそれらのまわりのコンプレックスに引き込む布陣を行う特質を分析するとき、ユングが明らかにしようと求めているのは、これらの規則性である。』

ヨガ
ヨガ

画像出展:「ヨガが丸ごとわかる本」

『つまりヨガとは、「本当の自分」は“全宇宙”と同じであり、“全宇宙”は「本当の自分」でもあるという心理に気づくことがヨガの最終境地である。』

本文に出てくる。”マクロコスモス”、“ミクロコスモス”の文面を見たとき、以前のブログ”ヨガ”の内容を思い出しました。この内容はヨガの考え方に近いもののように思います。

 

●ユングは共時性を人間の経験領域の中に位置づけることに主眼を置いたと思われるかもしれないが、実は、反対であった。ユングは物理学者を説得するために努力した。ユングの晩年における共時性に関しての対話は、まさに物理学者たちとのものであった。それはユングが共時性を人間の研究に限定しない全科学に関わる知識の一般原理として打ち建てることに、次第に興味を持つようになっていたからである。

ユングは研究の最晩年、最終的に物理学と心理学は統合されるという確信を持っていた。ユングの見方によると、心の深層心理的概念と物理学者の原子の見方との間の一致によって、二つの分野のこの結合は、現実的可能性をもっている。原子の深層に閉じ込められたエネルギーが解放され得るならば、人間の心の深層にあるエネルギーもまた解放されるのかもしれない。

●ユングは共時性が科学の一般原理であることに強調点を置いたので、個人の生涯や超心理的現象や多様な社会的経験の領域における共時性の存在を記録するのを犠牲にして、一般原理であることを強調する傾向があった。これらの領域に対する共時性の関連はきわめて重大であるが、ユングは、かろうじてその可能性を示しただけである。心の深層経験に関する共時性の役割は、人間の生の研究にとってものすごく意義深く、それは確かに、共時性原理のさらに一般的で広い考察の基礎として重要なものである。

●ユング自身は共時性の人間的な基礎をあまり強調しない立場に身を置いていた。ユングは全体としての自然科学や理論物理学に深層心理学を結合するという、より大きな可能性にあまりにも魅せられたため、研究の必要がある人間的要素への注意が弱まるままにしておいた思われる。共時性についてユングのいくつかの議論において、誤解や不明瞭さが指摘されるのはそのためと考えられる。

●元型は個人と非因果的秩序原理とを、心的経験を通して結合させる可能性を担っている。

共時性につながった素材は人々の人生経験の中にある。なぜなら、ユングは深層心理学に照らしてそれらを観察していたからである。この素材はユングに共時性を示唆し、個人の運命を深く研究するには、因果律を越えた新たな展望が必要であることを認識し、この概念を発表したのである。

Ⅹ アイシュタインとより広い見解

●『精神と肉体の関係についての疑問が、この共時性の定義には生じる。ライプニッツの抽象的な定式から超心理学の実験的研究まで、これまで論じてきたポイントのうち数点が、この文脈において理解されるならば、最終的に、精神と肉体の問題の解決につながるかもしれない。これらの研究分野には、大きな可能性が開かれている。』

●『ユングは、自分の研究と物理学との関係について書いたなかでは、ニールス・ボーアの思想と関連させて自分を位置づけることを好み、アインシュタインには、ほとんど言及していない。しかし、私とユングの個人的な議論のなかで、ユングは、アインシュタインがチューリッヒで研究しており、しばしばユングを訪れていた今世紀初頭頃のことを私に語っている。それによると、アインシュタインは、よく昼食をとりにきたものだし、その際に、ユングとアインシュタインは、長い議論に陥ることがあったそうだ。

ユングは、生涯のこの時期において、まだ自分の概念を発展させ始めたばかりであり、無意識についての自分の新しい概念をアインシュタインに伝えることには困難を感じていたように私には思われた。ユングは、いくぶん見くびった感じで、アインシュタインは、なんといっても「分析的」な精神の持ち主だと語っていた。ユングのこの言葉は、ユングが、アインシュタインは象徴的次元の体験についてはあまり才能がないと感じていたことを意味している。

このことに関しては、アインシュタインの個人的な手記が最近公開されたことによって、夢とイメージが、アインシュタインの創造的な生涯において非常に重要な役割を果たしていたことが明らかになったことに留意するのは興味深い。あの昼食時の対話は、ユングが思っていたよりも益があったのかもしれない。とりわけ、アインシュタインが、心の深い水準に対する鋭い感性をもっていたことを知った上ではそう思われる。後ほどいつか、ユングとアインシュタインの関係について研究することは非常に実りあることだろう。それも特に、アインシュタインが、ヒンズー教と仏教の思想に興味をもっていたことと、相対性という概念の元型的特性についての彼の後の記述を考慮すればなおさらである。

ユングが、アインシュタインに重要な心理的影響を及ぼしていたかもしれない一方、相対性理論は、共時性についてのユング自身の考えの基礎と出発点となった。いくつかの点で、ユングは、相対性理論と対応する概念を、心という次元をつけ加えることによって発展させようと意識的に求めていたように思われる。

それゆえ、ユングは、エラノスの講演をもとにした論文のなかで、次のように書いている。

「物理学は、望めるかぎり平易に次のように論証してきた。それは、原子の大きさの世界では、客観的事実は、観察者を前提としており、この条件のもとでのみ、満足な説明図式が可能になるということである。このことは、主観的な要素が、物理学者の世界像に結びついていることを意味し、また、第二に、説明の対象たる心と、客観的時間空間の連続体との間には必ずつながりがあることを意味する」。ユングが、1940年代において、あらゆる人間の物質世界の認識には、物理学者がいかに客観的であろうと努めても、生来の「主観的な要素」があると述べていることは、明白なことと思えるかもしれない。しかし、その主観的な条件が、あらゆる状況に対する、新たな要因であるということは、相対性理論の概念の第一の要素である。それによると、最終的なものも完全なものも、けっして存在しない。なぜなら、常にもう一つの要因が加えられるべきだからである。そしてその要因というのが、主観的な要素、つまり観察者の意識なのである。』

●『相対性理論と易経の間には、越えなければならないみぞがある。そして、このみぞを越え、両者の間につながりを打ち建てることは、共時性の主要目的の一つである。このようなわけで、ユングは、物理的マクロコスモスの一般的解釈と、心理的ミクロコスモスの個別的研究の両方に関与する必要を感じたのであった。生命についての外見上の対立を、意味のある定式のなかで結びつけることは、共時性の根底にある目的である。共時性が、この目的を完全には成し遂げなかったとしても、共時性がその内容上、本性的に、外面と内面、つまり、物理的環境と心理的事象という対立物を結合するものであることは真実である。

●『ユングは、次のように書いている。「にもかかわらず、心と物理的連続体の相対的な、あるいは部分的な同一性は、理論上最も重要なものである。なぜなら、それは、外観上同じ標準で計れない、物理的世界と心的世界をつなぐことによって、おびただしい単純化をもたらすからである。もちろん、それは、何らかの具体的方法によってではなく、物理的なほうからは数学的な式によって、心理学的なほうからは経験上生じた諸仮定つまり元型によってなされている。その内容は、あるとしても、精神に現われ得ない」。これで、ユングが、コスモスの物理的領域と心理的領域を一緒に記述することを思いついた包括的見地が理解できる。物理的世界は秩序と様式化を数学によって与えられている。一方、心理的世界での、それに対比される構造化は、元型によってなされている。これが、これまで述べてきた、元型の「秩序づける」性質である。』

Ⅺ 共時性から超因果性へ

●『共時性原理を研究するにあたって、次に必要なステップは、研究の体系だったプログラムをつくることであることは明らかである。それによって、われわれは、人間の一生における共時的事象の発生を同定し、詳細に記述することができる。共時性の含蓄を、因果律と相対性理論と相並ぶ、宇宙の運行の解釈原理として理解することは非常に大きなことである。ユングの未来像が実現され、原子物理学が深層心理学と統一され得る日が来たあかつきには、それは、人間精神の歴史における実に偉大な瞬間となるであろう。その日に向けて、なされなければならない個々の研究は膨大である。そして、その研究のためのデータは、人の経験する事象のなかに発見されるはずである。これは、われわれにとって最もたやすく使える素材であるだけでなく、共時性は、人間の運命のあやを、個人の人生と人類の歴史の両方にわたって理解するために特殊な貢献をしている。ここが、共時性がティヤール・ド・シャルダン[フランスの地質学者、古生学者、思想家。物理的世界から生物的世界へ、さらにその上に思考力を備えた人間の世界がどのようにして成立してきたのか、またこの人類が何を目指して進んでいきつつあるか、という未来への展望をはらんだ雄大な諸科学の総合的世界観が展開されている]の精神圏の概念と結びつき、それを、知の本質的な次元で補完するところである。そして、ここはまた、超因果律という新たな概念が、共時性という抽象的原理を、人間性の謎の理解へと変えることを可能にする中軸的要因となる点でもある。』

●『アブラハム・リンカーンの生涯において共時的事象が起きているが、それは、共時性の本性とその未来について多くのことを語ってくれるであろう。リンカーンには、世界には、彼が為すべき、意味のある仕事が存在していることが暗にわかっていた。しかし、リンカーンは、その仕事をするには、自分の知性をみがくことと、専門的な技術を身に着けることが必要であることも認識していた。これらの主観的な感じと戦うなかで、リンカーンの置かれたフロンティアの環境にあっては、専門的な研究のための知的な道具を見つけることは非常に困難であるという事実があった。リンカーンが、自分の願いはけっしてかなえられないだろうと信じていたとしても、もっともであった。

ある日、見知らぬ男がリンカーンのところに、がらくたを一杯入れた樽をもってやってきた。その男は、リンカーンに、自分はお金が必要であることと、リンカーンがその樽を1ドルで買ってくれたら非常に助かるであろうことを述べた。

その男は、樽の中味はたいした価値のないものだと言った。それらは、古新聞や他のそのような類のものであった。しかし、その見知らぬ男は、なんとしても1ドルが必要だった。その物語によると、リンカーンは、親切な性格だったので、その中味が何かに使えるとは考えなれなかったにもかかわらず、樽と引き替えにその男に1ドルを渡した。リンカーンは、しばらくたって、その樽を整理しようとしたとき、その樽には、ブラックストーンの「注解」の全集がほとんど入っていることに気づいた。リンカーンが、法律家になり、ついに政界に進出することを可能にしたのは、偶然、あるいは共時的な、それらの本の獲得であった。

 

1830年代の$1.00 は、2021年では$26.30でした。

画像出展:「AbeBooks

Commentaries on the Laws of England, In Four Books. 14th ed

Blackstone, Sir William

$1,000.00で販売されていました。

 

 

リンカーンの生涯の内には一本の連続した因果の鎖が働いていた。それは、運命についてリンカーンに暗示を与え、また、限られた困難な環境の中に生きることに絶望を感じさせた。同時に、その見知らぬ男の生涯のなかにも、因果的なつながりがあった。その男は、不景気がつのって、目にとまる自分の持ち物は、何であれ1ドルで売らなければならなかったのである。事象のこの二つの筋をつなぐ因果関係はなかった。しかし、ある意味のある時に、それらは共に起こった。このことは、予期されない結果を引き起こしたのであるから、共時性のなかの超因果的要因の働きであった。

リンカーンが、ふとしたことからその樽を買うことによって、ブラックストーンの「注解」を手に入れたことは、人間の生涯のなかで共時的事象が発生することの一例である。これは、共時性の一例にすぎないけれども、共時性が最終的に、どれほど豊かな知識を与えてくれるかを示しているであろう。共時性は、予期できない仕方で、それらがあると最も予期されない所に存在しているのであろう。しかし、リンカーンのように、われわれが、その時の統合性に誠実であれば、ユングの直観したものがわれわれ全員の知識になるであろうと信じるに足る理由が存在している。』

まとめ

ユングの共時性に関する研究は20年以上におよび、その発表は75歳目前であった。しかしながら、それは未完成なものであり、科学的にいかがわしいものと揶揄された。それでも勇敢に立ち向かったのは、個人の運命を深く研究するには、因果律を越えた新たな展望が必要であることを確信したためである。

共時性とは、相互に因果関係がない二つの分離した事象が同時に起こること。それらは無関係であるにもかかわらず同時に起こり、しかも、それらは互いに意味深く関係し合っている。また、共時性は人間の運命の本性に関連する教えへの扉を開く鍵となるとされる。

心と物理的連続体の相対的な、あるいは部分的な同一性は、理論上最も重要なものである。なぜなら、それは、外観上同じ標準で計れない、物理的世界と心的世界をつなぐことによって、おびただしい単純化をもたらすからである。もちろん、それは、何らかの具体的方法によってではなく、物理的なほうからは数学的な式によって、心理学的なほうからは経験上生じた諸仮定つまり元型によってなされている。

ユングの晩年における共時性に関しての対話は、まさに物理学者たちとのものであった。それはユングが共時性を人間の研究に限定しない全科学に関わる知識の一般原理として打ち建てることに、次第に興味を持つようになっていたからである。

共時性の含蓄を、因果律と相対性理論と相並ぶ、宇宙の運行の解釈原理として理解することは非常に大きなことである。ユングの未来像が実現され、原子物理学が深層心理学と統一され得る日が来たあかつきには、それは、人間精神の歴史における実に偉大な瞬間となるであろう。

感想

『時間を水平に横ぎり、そして、本来垂直である因果のカテゴリ(時間的な連続性)が適用できないパターンから、あなたが求めていた回答をふと見つけたという新たな事実が現われる。明らかに、この二組の出来事の間の、どのような因果関係も論証することはできない。ただ、ある種の意味深い関係が、それらの間に存在する』

友人等との会話だけでなく、散歩をしていて、お風呂にはいっていて、あるいは本を読んでいて、ふと気づく瞬間があります。「閃き💡」という表現が最も近く、垂直思考の因果を水平に横ぎる感覚ともいえるかもしれません。そして、その「閃き💡」は全く忘れていた過去の何かの琴線に触れたかのように浮かび上がってくる感覚です。その「閃き💡」が流れを大きく変えるケースは少なくないように思います。場合によっては、人生に影響を与える可能性もあると思います。

宇宙の大きさは無限のように感じます。一方、原子より小さな量子世界は不思議な世界です。大きな宇宙も小さな量子の世界も間違いなく実存し、我々の命に関わっています。

ユングの母方の祖父母は霊能者です。私も完全とは言い難いのですが、その存在を肯定しています。霊能者が有する能力がどこから生み出されるのか分かりません。心が関係しているのでしょうか。そこには時間・場所といった物理の世界と心の世界が関係しているように思います。そして、一般人の常識といわれる範疇では理解できないものが実在しているように感じます。

ユングは、『心と物理的連続体の相対的な、あるいは部分的な同一性は、理論上最も重要なものである。』と説いていますが、晩年、ユングが物理学に傾倒されたという事実は大変興味深いことでした。

ユングと共時性1

今回の「ユングと共時性」は9月30日、10月7日の「宗教と科学の接点」の続きともいえるものです。この本の中で最も気になったキーワードが“共時性”だったのですが、今回の「ユングと共時性」という本の中に、知りたいことが書かれているのではないかと思い購入しました。

ユングと共時性
ユングと共時性

著者:イラ・プロゴフ

訳者:河合隼雄、河合幹雄

出版:創元社

発行:1987年9月

 

C.G.ユング
C.G.ユング

画像出展:「ユングと共時性」

ユングの晩年、『非因果的関係の原理としての共時性』を発表したころのユング。

 

 

目次

Ⅰ 多重的宇宙の解釈 ―ユングとティヤール・ド・シャルダン―

Ⅱ 共時性と科学と秘教

Ⅲ ユングと易をたてたこと ―個人的経験―

Ⅳ 共時性の基礎

Ⅴ 因果律と目的論を越えて

Ⅵ ライプニッツと道

Ⅶ 元型と時間の様式化

Ⅷ 超心理的事象の共時的基礎

Ⅸ 共時性の働き

Ⅹ アイシュタインとより広い見解

Ⅺ 共時性から超因果性へ

注)Ⅶには触れていません。

Ⅰ 多重的宇宙の解釈 ―ユングとティヤール・ド・シャルダン―

●科学は限定された合理主義の言葉で表現されるものではなく、科学は物事を知ること、すなわち、人間の行なう知識の探求すべてと考えられる。この考え方(精神)によって、ユングは、理論物理学の研究と彼自身の深層心理学の研究の間には、一致、少なくとも相似が存在するという直観により、自ら“共時性(synchronicity)と名づけた「非因果的連関」の原理を1920年代後半に形作り始めた。

●共時性の概念は、元来彼の、深いレベルでの自己(Self)の研究から生まれたものである。それも特に、人生という旅の中で運命を変えることに関わる、いくつかの経典および注釈―ことに東洋のもの―の中に彼が見出した解釈法と、夢の中での出来事の進展との相互関係にユングが注目していたことによるものである。

●ユングが自分の仮説を系統立てて説く契機となったのは、物理学者ニールス・ボーアヴォルフガング・パウリとの接触と、アルバート・アインシュタインとの早くからの親交であった。ユングは彼らと対話するうちに、物理学の世界での基本単位としての原子と、人間の“心(:サイケ[psyche])”が等価であることに気づいたのである。特に人間の深層についての特有の手がかりとして発展させた、“心”という概念に、原子をたとえる時に、その一致度は特に強くなる。

第五回ソルヴェイ物理学会議
第五回ソルヴェイ物理学会議

画像出展:「シュレーディンガー その生涯と思想」

第五回ソルヴェイ物理学会議

・期間:1927年10月24日~10月29日

写真は中央の列向かって右端がボーア、3列目右から4人目がパウリ。前列右から5人目がアインシュタイン。

 

 

 

●ユングの研究のひとつの根本的な結果は、共時性の概念である。

●ユングは共時性を科学的な世界観におけるギャップを満たす手段として、ことに因果律に対するバランスとして提出した。共時性は、物理的な現象と同様に非物理的な現象をも含んでおり、これらの現象を、これらの相互の間の非因果的であるが意味のある関係のなかに認めることである。

核心はユングが、人間の心は意識のレベルよりさらに深い層で関わっている現象を、理解可能とする説明原理を打ち立てることに従事していたことである。

●我々はユングから発展性のある二つの仮設を得ている。精神圏の内容についての仮説と、精神圏の作用原理についての仮説である。

Ⅱ 共時性と科学と秘教

●ユングは共時性原理についての論議を、理論物理学の枠組みのなかに位置づけ、そして、他方では科学以前の時代の種々様々な秘教やオカルトの教えを、宇宙のなかに共時性原理が存在することに対する人間の直観的理解を暗示するものとしてして言及している。合理的な科学と非合理的な秘教という二つの知識の源泉は、相いれないように思えるが、これらは両立する。ユングの目的の一つは、それらの共通の特質と相互の関連を、我々に見させることにある。

しかし、異質な材料を一つの議論の中に入れ込んだために、ユングの理論は、より因習的な人々にとっては、混乱を起こさせるもの、疑わしいものとなった。そして、そのことにより共時性はほとんど注目されなかった。

●秘教の教えと手法の多様な形式へのユングの興味は、それらが、若干のあいまいな方法で人間の経験の「内面」を表現しているというユングの洞察に根差してきた。それらは文字通りに受け取るべきではなく、夢のようなものとして受け取るべきであり、それ自身の生来の象徴的意義の文脈の中で自らを語る機会を与えるべきものである。ユングはまさに、秘教やオカルトに、各々の知恵の固有のスタイルを語り、露にする機会を与えようと企てた。彼はこれを錬金術(Alchemy)から禅(Zen)へと文字通りAからZに至る、これらの主題についての本を、解釈し紹介することによって行った。そのなかには、占星術、死者の書、タロ、易経、そして他の多くの古代東洋の原始的な教養が含まれていた。

共時性は人間の運命の本性に関連する教えへの扉を開く鍵となることができる。この点において、共時性はこの世の生における神秘的な次元に対する鍵であるだけでなく、その背後に存在する現代科学の経験に対しても、鍵となるという特別な利点をもっている。

●ユングは著書の中で極めて率直な記述と、後からその大胆な彼の論点の衝撃を柔らげる否認と緩和とが交互に現れる。このことがユングの著作に認められる曖昧さの原因となっている。

この本(「ユングと共時性」)は、ユングの共時性の概念を、より大きな哲学と理論的根拠とに関連させて記述し説明し、そして、この複雑な問題の本質を可能な限り明確に紹介するためのものである。

●共時性は二つのレベルで重要である。理論レベルでは、展開する宇宙のなかでの人間の経験の本質に関する、意識の新しい次元を開く。また、経験的レベルでは、人間の人生と運命の最も捉えがたい相のいくつかを、事実に基づいて研究する道を与えるものである。

Ⅲ ユングと易をたてたこと ―個人的経験―

●ユングが研究したすべての秘教のなかで、易経は、最も明確に共時性原理を表出しており、また、最も洗練された形式でそれを応用しているものである。

●リヒャルト・ヴィルヘルムが翻訳した中国の錬金術の本が「黄金の華の秘密」である。ユングがこの本に払った苦心は、主要な心理学的概念を発展させるための重要な源となっている。特に、ユングが「共時性」を初めて公に使ったのが、1930年のリヒャルト・ヴィルヘルムの葬儀での賛辞の中であったことはとても意義深い。

黄金の華の秘密
黄金の華の秘密

共時性の理解のためには必須ではないかと考え、思い切って購入しました。次の課題です。

●因果律とは、ある一つの出来事が、他のことではなく、どのようにして起こるのかという作業仮説といえる。それに対して、共時性とは相互に因果関係がない二つの分離した事象が同時に起こること。それらは無関係であるにもかかわらず同時に起こり、しかも、それらは互いに意味深く関係し合っている。これは、易経の基礎となる原理である。

●易経の中には二つの要素がある。一つは、個人の人生のその時の状況である。他方は、コインを投げてそれを定められた形式によって古代の書物に関連づける行為である。明らかにこれらには因果的関係はなく、しかも互いに意味深い関係を持っている。それらが会う瞬間に、何か普通でなない重要な価値が生じるのである。

表面的には、それは偶然のように見える。しかしユングにとってそれは、明らかに偶然をはるかにしのぐものであり、しかも因果関係でもなかった。明確な原因は捉えどころがないままだが、ユングにとっては中国で何世紀にも渡って維持され続けた原理が、何か重大な秘密を持つに違いないことは明白に思われた。

●易経には基礎となる深くて言葉にするのが難しい知恵が存在し、それゆえ易経の経験は、現代人によって探求されるべき重要なものであることを、ユングは確信していた。

Ⅳ 共時性の基礎

●ユングは共時性とは何かということをうまく伝えることはできなかった。それはつかまえどころのない、抽象的かつ普通とは言えない原理を分かりやすく説明することができなかったためである。

●ユングが取り上げた非因果的解釈の中には、占い、占星術、託宣[神が人にのり移ったり夢に現れたりして意志を告げること]、タロなどが含まれていた。これらは非常に広範囲にわたり、また、現代には受け入れ難く、研究は思うように進まなかった。それらを科学的に正当な理由に基づいて研究することさえ疑いをかけられていた。

しかし、ユングは自分が自分の患者の無意識の非合理的働きを辿る方法を学びたいならば、これらの前科学的な手順を洞察することが必要であると確信していた。ユングが学問上の愚弄に勇敢に立ち向かい、科学的にいかがわしい主題に関わったのは、彼の心理学を満たすために必要なことだったためである。

●ユングは共時性について、自分の行なったことを経験的に観察すること、自分のゼミの中で様々なアプローチすることによって、20年以上もの間、共時性について研究し続けた。そして、ユングが「非因果的関係の原理としての共時性」についての小論を書き始めたのは、75歳になろうとしていた時であった。

ユングは実験的レベルにおいても概念的レベルにおいても不十分であることは理解していたが、ユングの共時性の概念が論議され、示唆や批判を受けることができるように、世に送り出さなければならないと感じていた。つまり、ユングの「非因果的関係の原理としての共時性」は未完の研究、試案として書かれていることを理解すべきである。

●共時性は日常生活の中で経験される。ユングの著書には、共時性を示す多くの事例や逸話が載っている。

●『仮定的な例として、あなたが、ある特定固有の問題について考え続けていたが、それについて自分が考えているということを誰にも語らなかったとしてみよう。そこへ、だれかがあなたの問題に無関係で全く独立な理由で、あなたに会いに来るとしよう、そして、会話は、訪問の目的に従って進み、それから、あなたの問題について何も議論しないうちに、あなたが探し続けていた鍵を与える言葉が、ふと、予想外に語られたとしよう。

もし、われわれが回想によって、このような状況を振り返り、起こった事の意味を分析的に理解しようと努めるならば、明確な因果的連関を通して各々の出来事を突きとめるであろう因果の鎖をたどることは、いたって簡単である。因果律によってわれわれ、あなたが、その特定の問題にかかわるようになった「理由」をたどることができる。それで、われわれは、その日に訪れた特定の個人を、どのようにして知るようになったのか、その訪問の約束が、どのようにしてなされるようになったのか、そして議論の筋が、どのようにして発展するようになったのかを、分析的にたどることができる。すべてのこれらの事を、やりつくすことは可能であろう。そして、それらが因果律の用語に還元されたとき、それらは、あなたの人生の発展という特定の見地から再構成できるので、その状況の基礎を与えることになろう。

それに対応して、因果分析の類似した筋が訪問者側の見地からもたどることができるであろう。すなわち、彼をあなたに訪れさせた原因となった出来事の連なり、実にあなたの興味を引いた知識を、彼はどのようにして得たのか、どのようにしてまさにその特定の時間に、あなたと約束するようになったのか、どのように「偶然」に、あなたが興味をもっていると彼が予想しなかった問題について語るようになったのかである。これもまた、すべて因果的用語で記述することができるであろう。

あなたと訪問者が出会うとき、それぞれは、因果的に説明できる過去のなかに広がる背景をもっている。そして、それらすべてが、あなた方が出会う特定の点で出会うことになる。あなた方が握手して会話を始めるところへの到着は、発展の縦の線の頂点を示している。その発展は、過去からの絶え間ない流れのなかでの動きであり、また、あなた方それぞれに個別の作用である。なぜなら、あなた方は、それぞれ自身の経験の枠組みと重みによっているからである。

しかし、あなた方が会った瞬間、過去のこの原因すべては、現在の瞬間のコンステレーションの一部、すなわち、時間を水平に横ぎり、そして、本来垂直である因果のカテゴリ―つまり時間的な連続性―が適用できないパターンの一部となる。どういうわけか、このパターンから、そこに、あなたが自分が求めていた回答をふと見つけたという新たな事実が現われる。明らかに、この二組の出来事の間の、どのような因果関係も論証することはできない。ただ、ある種の意味深い関係が、それらの間に存在することだけが、同様に明らかである。

それが符号であったと言うことは全く正しい。しかし、明確にするためには、それは意味深い符号であった、と付け加えなければならない。なぜなら、出来事の交差した連なりは明確な意味をもっていたからである。本来因果律は、符号という事実を含まないものであるから、われわれが最大限言えることは、原因や結果である出来事は、意味深い符号が起きる生の素材を供給するということである。これらの符号の意義、すなわち、それらを単なる無関係な出来事ではなく、現実の符号とする、意味の特別な性質は、因果律によって跡づけられる背景にある要因からは決して導き出せない。それらは、時間的に連続でなく、何らかの方法で時間軸を横ぎるパターンに属している。この理由により、それらは、その本当の本性が何であれ、少なくともまちがいなく非因果的な原理を含んでいる。

ここに示した非常に簡単な例は、それに対応し、関係づけられ派生する局面がすべて考慮されたとき、人の経験の相当大きな領域を含んでいる。長い間、偶然、符号、願望成就、夢を通じての認知、祈りとその答え、信仰による奇跡と治癒、予知、そして同様な現象への疑問は、精神的な魔術の多様な形式によって説明されてきたか、あるいは、さもなければ迷信として片づけられてきた。しかし、量的に見るなら、これらの経験は、いわゆる未開あるいは後進社会だけでなく、われわれ現代西洋文明においても、日々に起こる出来事の非常に大きな率を占めている。

多くの例において宗教の歴史は明らかに、因果律を越えていてそれでもなお現実であるような出来事に基づいている。しかし、われわれは、宗教的な形の現象をはるかに越えたものが含まれていることを認識しなければならない。政治史の上においてさえ、それは表面的には合理的に導かれた決定や少なくとも外交上の認識に従う行為の場であるが、因果的説明ができない、多くの重大な出来事が認められるのである。経済レベルについての妥当性にもかかわらず、歴史についての決定論は、いったん人の運命というさらに大きな問題がもち上ったならば、浅薄で、はなはだ不適当なものとして捨てられなければならないことは、確かに、まさに本質的な理由によるものである。

われわれが、人間の活動の根底を深く研究するならば、宗教の主観性から政治上の動かせぬ事実、あるいは商取り引きの冷静な計算から個人的な親密な関係に至るまで、歴史のすべての側面において、社会の全構造は、社会と個人の作用を記述する厳密な「法則」を見つけるべしという強制を感じているために、これらの不愉快な非合理的事象の存在は、無視されなければならなかった。

知識のどのような標準をもってしても、これらの非合理的事象に理解を伴った説明をすることは、非常に困難であることを認めなければならないが、それは、それらを無視する十分な根拠とはならない。少なくともユングは、非合理性と非因果性が重要であることによってそのような現象が、非常に真剣な注目を受けることが肝要になっていることを感じていた。彼は、どのような種類の現象も無視することは正当でないという事実に加えて、そこには、それらの出来事の下に隠されている何か他の、より一般的な原理が存在すると感じていた。これが、非因果的関係をもつ共時性現象についての彼の研究の背後にある、問いの真意と予感であった。そして、それは、広大な含蓄をもつ共時性の概念へと至った。』

Ⅴ 因果律と目的論を越えて

共時性は、ユングが研究した第三の説明原理として現れる。三つとは、因果律、目的論、そして共時性である。ユングは無意識を説明するために目的論的見地を発展させたが、さらに共時性へと導かれた。この三つは全て、問題と状況に応じて用いられて、ユングの思考のなかにとどまってきた。目的論的見地は、彼の思考の中枢の位置を保つ。なぜなら、それは、因果律をそのなかに含み、しかも、共時性の問題へ直接に通じているからである。しかし、共時性は、他の原理と釣り合い、それらを補足する独立した原理である。

Ⅵ ライプニッツと道

共時性は本来、知的概念ではないけれども、過去に共時性を哲学的に説明した人物は膨大な数にのぼる。我々がしたように、ユングをヒュームとカントに関連させることの要点は、ユングの思想が現代西洋哲学の合理主義から現れてきた歴史的過程を示すことであった。しかし、西洋文化における共時性の重要な哲学的先駆者は、合理主義をはるかに越えた源泉に求めるべきである。それらは、ライプニッツによって代表される。

●共時性が関わっている範囲内で、ライプニッツの研究の最も意義深い面は肉体と魂の関係の定式である。学問的には彼の理論は「精神身体的並行論」として分類され、軽視されて、現代思想では哲学的には厄介物視されるほどになってきている。しかし、今や共時性原理の定式と、ユングが心の深い現象を観察することによって為した研究によって、我々はライプニッツの概念の隠れた含蓄のいくらかを理解し始めることができる。

ライプニッツと老子[中国春秋時代の哲学者。道教の始祖]はユングにとって共時性の概念の先駆者であり、源泉であったとすることは正しい。しかし、二つの間には意義深い違いもまた存在する。そしてその違いは、西洋思想の伝統的発展に関係してる。ライプニッツは無形の影響を自分の心に把握しようと努めるが、道教[儒教、仏教と並ぶ三大宗教の一つ。多神教であり、概念規定は確立しておらず様々な要素を含んでいる]はそれを把握しようとはせず、一部になろうとし、調和する自然の流れの時間の中に入ろうと努めるのである。

Ⅷ 超心理的事象の共時的基礎

●超心理学の現象の研究において、遠くの事象の知覚や未来に起こることの予見は、ユングは自明であるとする。

●ユング自身の人生と心理療法の中で体験した数多くの超心理的な事象は、自分の無意識と密接な関係のもとに生きている。ただ、この無意識との関係は、鋭敏な人格内のより広い認知力の意識的発展によるときと、精神病の場合のように、無意識が無統制に優勢になるときがある。

ユングは超心理的事象の存在は明らかであり、必要なことは超心理的事象を理解する何らかの方法を見つけることであるという意見を支持している。

●ユングの共時性原理は、超心理学の道程にそって更に先の地点に至っている。ユングは共時性原理のデータをまとめて解釈するための基礎の役を果たすことのできる作業仮説を試みている。

ユングは心のレベルを四つに分け、人間の認識力の様々なタイプを記述した。表層は自我意識、そのすぐ下が個人的無意識、その下でとても深いところまで達しているのが、トランスパーソナル[自己超越、トランスパーソナル心理学は、神との交感、宇宙との融合感など、人間の知覚を超えたものが人間の心理に与える影響を研究する学問。人間の普遍的な姿を求める]なレベルの集合的無意識。そして底にあるのが、自然そのものの領域に達している類心的レベルである。

●超心理学的研究のこの側面[超心理学現象の発生は、実験室外の環境では非常に大きい広がりをもつ]は、近年、明らかになってきている。その中で、最も注目すべきはガードナー・マーフィで、彼は、「自然発生的経験」が、超心理的現象の研究の中で重要であることを強調している。

「自然発生的経験」について述べることは、超心理的事象は、第一に日常生活の流れの中で起こるという認識を意味している。これは、もちろん、ユングが深層心理学者としての自分の治療研究を基礎として到達した結論である。多くの宗教についての研究によってもまた、ユングは心の元型的[人類に共通する動きのパターンであり情動を伴う]レベルでの象徴と、宗教史上で起こった様々な奇跡的体験との間の関連について、強い印象を受けた。

●自発性は共時性事象に重要な要素であるが、その自発性はあくまで非計画的なものである。そのため、超心理学の研究は非計画的人生経験の中で起こる現象を研究する方法を見つけなければならない。これは、多様な共時的事象を、社会生活の影響下で引き起こされるものとして研究する必要性を意味している。

●共時的事象は、宗教的伝統と神話の基礎となる「奇跡的」出来事に対する重要な糸口をもっている。

左は”EARTHSHIP CONSULTING”さまのサイトです。

「元型」について詳しく解説されています。

『「元型」(archetype)とは、人間に生まれ持ってそなわる集合的無意識で働く「人類に共通する心の動き方のパターン」のことである。分析心理学者C.G.ユング(1875-1961)が提唱した概念。』

手のひらツボ秘法3

即効 手のひらツボ秘法
即効 手のひらツボ秘法

著者:谷津三雄

発行:1990年9月

出版:マキノ出版

目次は “手のひらツボ秘法1”を参照ください。

 

『最近では、歯科治療をするさいにも、歯を含めた患者さんの全身的な健康管理が必要とされる時代になってきました。私が歯科治療に針、灸、漢方薬、それに手のツボによって全身の病気を治す高麗手指針法などをとり入れているのもそのためです。』

こちらは、日本歯科東洋医学会さまのサイトです。

『現代歯科医学の診査・診断法とは少し目線を変え、鍼灸・漢方・気功・食養をはじめとする東洋伝統医学療法を日常歯科臨床の一助となり得ると確信している歯科臨床家集団です。』

 

※腰痛に大変よく効くと評判の手の甲のツボを人さし指で押す刺激

画像出展:「即効 手のひらツボ秘法」

腰痛は左右のどちらかの手の甲の骨の間に圧痛が現れる。

人体では腰の部分にあって、腰痛によく効く腎兪、大腸兪、環跳などのツボに相当するツボは、手の甲側の手首近くにある。

 

 

画像出展:「即効 手のひらツボ秘法」

 

方法

・圧痛点を人さし指の先で強く押しながら骨にそって振動させる。

・中手骨と中手骨の間を順に手の甲の中央からやや手首の方に向かって人さし指の先で骨にそって皮膚を押しながら振動させていくと、腰に異常がある人はいずれかの中手骨と中手骨の間に、圧痛あるいはしこりがある。そうした反応があるところがツボである。

・圧痛やしこりが強く出ている側の手が治療の対象になる。

・ツボの位置をつかんだら、人さし指の先をツボに当てて、軽く押すようにしながら中手骨にそって振動させる。刺激は少し気持ちよく感じられる程度の強さで、圧痛やしこりがやわらいでいくまで刺激を続ける。目安は10分~15分である。圧痛が残っても15分以上は行わず、翌日、また行うようにする。

※しつこい不眠症でも知らぬまに眠りだす中指の先のツボへのつま楊枝刺激

●不眠の原因の多くは精神的ストレスが神経を高ぶらせ、イライラをつのらせることにある。

●手のツボを刺激することで心身はリラックスし、自律神経の興奮はおさまる。

画像出展:「即効 手のひらツボ秘法」

①手の百会と太陽のツボの位置

・不眠症の治療には百会や太陽が有名である。

・手の百会に相当するツボは中指の先端の中央にある。そこをつま楊枝などで押したときに圧痛があるところがツボである。ツボを見つけたらボールペンなどで印をつけておき、そこを頂点として一辺が4ミリほどの正三角形を描くつもりで、あとの2点を指の腹の上部の両脇にとる。その2点辺りをつま楊枝などの先で押してみて圧痛を見つける。そこが太陽のツボである。ツボ刺激を数えているといつのまにか眠ってしまう。

・手のひらは交感神経が多く集まっており、そこを刺激すると過度に緊張した交感神経が抑えられ、副交感神経が優位になり入眠がしやすくなる。

※寝違えや首のこりの反応点は中指の背中にありそこに丸いボールペンの軸をころがせば治る

中指の背中、爪の生えぎわから第一関節までの部分は、後頚部に相当し風池、風府、天注などのツボがある。

画像出展:「即効 手のひらツボ秘法」

①首すじのこるときに用いるとよく効くツボ

画像出展:「即効 手のひらツボ秘法」

①角のない丸いものを用いてやる

・首に異常がある人は、飛び上がるほど強い痛みを感じることが多い。痛みがあったらさらに指の側面の爪の生えぎわと第一関節の間に同じようにボールペンの軸をころがしてみて、もっと強い痛みが出ることもある。一番強い痛みの個所が分かったらそこを中心にボールペンの軸を強く押しながら、10~15秒ころがす。

※耳鳴りや難聴は中指の先を指ではさんでひねればしだいによくなる

●耳鳴りは中指の先の部分を刺激する。まずは中指の先端の中央をボールペンのペン先で強めに押す。少し痛いようだったら左右どちらかにペン先をひねる。このような刺激を4、5回くり返す

画像出展:「即効 手のひらツボ秘法」

①ボールペンの先を中指の先端に当て左右にペン先をひねる

画像出展:「即効 手のひらツボ秘法」

①中指を痛いほど強くはさんでひねる

・次に、中指の指先と第一関節の間の側面をもう一方の手の人さし指と中指をひねって少し痛いぐらいに中指の側面を1~2分ほど刺激する。中指の先の両側には、耳のまわりにある耳門、翳風、完骨などと同じ効果をもつツボがあり、この方法で中指の側面を刺激すると、これらのツボがいっぺんに刺激できる。

・耳鳴りは難しい病気なので1日3回程、根気強く続けることが重要である。

手のひらツボ療法
手のひらツボ療法

著者:柳 泰佑

発行:1986年10月

出版:地湧社

 

この柳先生の本に関しては、「第一章 手指鍼術とは何か」の中から“鍼術との出会い”と“手指鍼術の誕生”、“てのひらとツボ”の3つをご紹介します。これを見ていただくと、柳先生の高麗手指鍼がどのように生まれたのかを知ることができると思います。

鍼術との出会い

『私が鍼術というものに関心を持つようになったのは、まだ幼い少年時代のことである。というのは、私が生まれ育った所は無医村だったのだが、急病人が出ると、私の祖父が出かけて行って太い針を刺してやっていた。すると病人は苦痛を訴えながらも、しばらくすると病気はうそのようにおさまるのである。私はその様子を子ども心にも深い好奇心をもってながめていたものだった。

ところが好運にも1963年から伝統的な体鍼術の研究をする機会に恵まれ、私は喜び勇んで鍼の勉強をはじめることに

なった。そこで東洋医学の基礎と鍼術の基礎を学んだのである。そして私は、学んだことを早速、救急療法として使用するようになり、その後、多くの人たちに、いざという時の救急処置法としてこれを教え伝えてきた。特にキリスト教の牧師、伝道師、そして信者のグループとは縁が深く、当時この人たちの間では私の教えた救急療法が広まっていった。

この体鍼を中心とした鍼術の効果は大変に大きなもので、大人はもとより子どもたちの治療にも大いに効果を発揮した。しかし体鍼の針による刺激は非常に痛いので、その苦痛のために泣き騒ぐ子どもたちの姿を見るにつけ、かわいそうに思うことが多かった。そこで子どもたちに対して、痛みがなく、しかも手軽に、その病気を治療する方法はないものかと研究を重ねてきたが、1968年に至って、中国の明代に著された「鍼灸大成」という書物の後編に、「保嬰神術」(小児按摩経)という項があることを発見し、私はすぐさまその研究を始めた。

この書物によると、子どもたちはたいてい言葉を上手に操れず、したがって痛いところはどこかをはっきり説明することもできない。その上、大人のように脈をみて診断することも難しい。そこで子どもの病気を診る時には、眼の色、顔色、泣き声などの様子から診断を下されなければならないとし、いくつもの例をあげながら具体的な診断の方法が書かれている。こうした診察の後に、手にいくつかのツボを定めて、指先で押したり揉んだり、圧迫したり擦ったりすることによって行う治療の方法が述べられている。

ちなみに、この療法の中心になるのは“三関法”という方法である。そのやり方は、①中指の先端に心点、②掌の中央に労宮点、③手首の脈の現れる所に列缺点の三点を決め、まず①心点を爪先で強く圧し、次に②労宮点を同じように圧し、続いて③手首の列缺点を肘関節の方に向けて押し上げるように擦るのである。これをリズミカルに右手、左手ともにそれぞれ10回ずつぐらい行う。これによって、すべての気運が順調になり、熱のある子には解熱作用を、胸の苦しい子には気を通す作用をする。

画像出展:「てのひらツボ療法」

三関法のための三つのツボ

私はその後、この方法で子どもたちの病気治療に多くの効果をあげるようになり、1971年にはこれを「小児手治療」という冊子にまとめて発行したこともある。(現在絶版)

子どもたちに対する手と指の刺激によるこの療法は、実際に行ってみて非常に優秀なものだということがわかったのだが、次第にこれを子どもたちの病気治療だけでなく、大人の病気治療にも応用できないものだろうかという考えが大きくなってきた。そこで成人にもこの方法を同じように簡単で、苦痛も与えず、副作用もなく、しかも危険がなくて手早く治療できるよい方法はないものかと、考えをめぐらせる日々が続いた。』

手指鍼術の誕生

『1971年の初秋の頃だったろうか。当時は常にもどかしさにかられ、思い悩んでいたものだったが、その日も考え疲れ眠りについた。ところが夜半12時を過ぎた頃に、突然右後頭部の風池と呼ぶあたりに激しい痛みが起こり、私は目を覚ました。後頭部のその痛みはとてもひどく、首を思うように動かすことさえできないほどだった。

私は急いで関連のツボを指圧したり、首の運動をしたりして痛みをとろうとしたが、反応がない。細い針を胆経にそって刺してみたが、それでもひどい痛みはおさまらなかった。それからしばらくの間は夢中になって薬にたよること以外の様々な方法をためしてみたが、痛みは一向におさまらなかった。

どうすればこの痛みをしずめて、ぐっすり眠ることができるだろうかと、痛む後頭部をかかえながら思いをめぐらせているうちに、ふと左手の甲に目が行った。

その時突然、「中指の先端を人間の頭と考えてそこに治療をしてみたらどうだろう……」という発想がひらめいた。それは突飛で、奇抜なアイデアのようだったが、結局、他の方法では全く効果がなかったのだし、わらにもすがるような思いでこの考えに基づいて試してみるしかなかった。

そこで手近にあったボールペンの先を使って、中指の先の頭に該当すると思われるところを圧してみた。はじめは特に反応点と思われるようなところは見出せなかったのだが、頭痛をこらえながらしばらくあちこちとためしていると、爪の生えぎわから右下のところにひどい圧痛点があるのを発見した。

画像出展:「てのひらツボ療法」

右後頭痛に対する反応点

圧痛点がわかったので、早速細い針をもってその圧痛点に刺し入れてみた。針を刺す時の痛みはあまり感じなかったが、不思議なことにその直後から後頭部の痛みが軽くなりはじめ、徐々に首も動かせるようになってきた。そして十数分の後には完全に痛みは消えておさまってしまったのである。

私はこの時はじめて、身体の病気に対する反射点、すなわちツボが、“てのひら”にも現れるという事実に確信を抱いたのである。

その後、私は熱心にこのような、“てのひら”のツボ=反射点を探求し、研究を重ねて、それを“手指鍼術”として体系的にまとめ上げたのである。』

“てのひら”とツボ

『ところで、私が手の甲を見ていてこのようなひらめきを得たのは、全くの偶然というわけではなく、東洋医学の基礎になる体壁反射という考えがその背景にあった。つまり、内臓やある器官に何らかの病変が生じると、そこと有機的な連関がある部位に圧痛点または硬結点などが現れる。例をあげると、胃病があれば胃の周辺に硬くしこった硬結点、押すと痛みを感ずる圧痛点が現れるが、またその反対側の脊椎とかその左右にも硬結点や圧痛点が現れ、腰仙部とか前胸部、顔面や頭部、さらには手足の各部などにも、全身にわたって胃病に関連する反射点が現れる。東洋医学、特に鍼灸学ではこのような反射反応点を一名“天応穴”、いわゆるツボといって、ここに針、灸、指圧などの刺激を与えて内臓や器官などの病気の治療を行っている。西洋医学ではこの反射点を“内臓体壁反射”と呼び、これを主に病気の診断に利用している。(“内臓体壁”については金沢大学教授石川太刀雄著「内臓体壁反射―皮電計による範例図譜」)

このように、内臓の反射点が胴体の各部にわたって現れることは知られていたけれども、“てのひら”、すなわち手と指の部分にまとまって体系的に現れるという事実については、今までどの文献もふれておらず、鍼灸学の古典にすら述べられていなかった。ただ、「内経」という書物に「手掌が熱いと腹部も熱をもち、手掌が冷たいと腹部も冷えている」というわずかな記述が見られるくらいである。

結局私は、自分自身の後頭部の痛みをしずめようとしている最中に、この体壁反射点は胴体各部だけに現れるのではなく、“てのひら”、すなわち手や指にも現れるのではないかとひらめき、後頭痛の反射点が“てのひら”にもあるはずだという仮定のもとに、中指を中心にその反応点を探してみることにしたのであった。私の創案した手指鍼術というのは、言いかえれば今まで誰も気づかなかった“てのひら”に現れる内臓体壁反射、すなわちツボを発見したものとみることができるのである。

その後、私は約5年にわたって、“てのひら”に現れるツボの研究を続け、1975年にはじめて大韓鍼灸士協会報にその成果を発表し、「手指鍼穴位図」を出版した。続いて1976年には「高麗手指鍼と十四気脈論」を出版、これは現在では「高麗手指鍼講座」と改題し、鍼灸師はもとより、医者や民間の人々にも広く読まれて利用されている。』

感想

医師である山元敏勝先生のYNSA(山元式新頭針療法)の対象は”頭”です。フランス人医師のノジエ博士は“耳”を施術の対象としています。また、”足裏”のツボをマッサージしてくれる店は少なくありません。そして、柳先生が開発された「高麗手指鍼」は”手”を対象にしたものです。

これらには、それぞれ理論があり、実践するためは知識と技術が必要です。もちろん、ツボ(圧痛点あるいは硬結などいつもと違う反応点)を指圧したり、マッサージすることは有益ですが、患者さまに施術するのであれば、理論・知識・技術は必須です。

これらの施術を否定するものでは決してありませんが、然るべき準備もせず、中途半端な気持ちでやるべきではないと考えています。

一方、私が学んできたこと、実際に行っていることは標準的な体全体を対象とした鍼灸の施術です。

ここで一つお伝えしたいことがあります。それは体の”経絡”とは線ではなく縦と横、だということです。

左の図は昭和の重鎮、本間祥白先生の“経絡経穴図鑑”です。

頭から足先まで赤い線が描かれていますが、これは“十二経脈”と正面中央の“任脈”そして背面中央の“督脈”であり、これらは“経絡の一部”ということになります。(個人的には、これらは縦横無尽に存在する”道”の中の”特別な道=高速道路”のようなものと考えいます)

経絡の“経”は縦、“絡”は横を意味していますので“経絡”は面ということです。また、経絡は内臓にも通じているとされています。以上のことから、私は経絡とは、体表にも内臓にも存在している膜(ファシアに極めて近いものと考えています。

もし、ファシアにご興味があれば以下のブログを参照してください。

経絡≒ファッシア1」、「経絡≒ファッシア12」、「ファシアの基礎

ご参考:『日本整形内科学研究会

手のひらツボ秘法2

即効 手のひらツボ秘法
即効 手のひらツボ秘法

著者:谷津三雄

発行:1990年9月

出版:マキノ出版

目次は “手のひらツボ秘法1”を参照ください。

 

※手のひらのツボへの間接灸ですぐれた効果が得られる

●更年期障害の不快症状が手のひらへの間接灸で解消する

画像出展:「即効 手のひらツボ秘法」

方法

手の三陰交と手の血海に間接灸をすえる

手の三陰交(小指と親指にツボはある)

・小指:第1関節(指先側)の横ジワ中央から約1ミリ指のつけ根側

・親指:第1関節の横ジワ中央から約1ミリ指のつけ根側

手の血海(小指と親指にツボはある)

・小指:第2関節の横ジワ中央から約1ミリ指のつけ根側

・親指:第1関節の指のつけ根の横ジワ中央から約1ミリ手のひら側

 

画像出展:「即効 手のひらツボ秘法」

 

 

 

画像出展:「即効 手のひらツボ秘法」

①刺激(間接灸)前の顔面の熱画像

 

画像出展:「即効 手のひらツボ秘法」

①刺激(間接灸)前の顔面の熱画像

 

画像出展:「即効 手のひらツボ秘法」

③刺激(間接灸)前の腹部の熱画像

 

画像出展:「即効 手のひらツボ秘法」

④刺激(間接灸)後の熱画像。腹部全体の温度が上昇している。

 

※50年玉と5円玉を指の間にはさむ硬貨療法で驚くべき効果が得られる

●夜のトイレ通いが指に50円玉と5円玉をはさむと大幅にへる

●女性の敵“冷え症”は硬貨療法で撃退できる

画像出展:「即効 手のひらツボ秘法」

方法

どちらか片方の手の薬指と中指の間の、指先の方に50円玉(無色)、つけ根の方に5円玉(有色)をはさみ、5分~10分そのまま維持する。50年玉がなければ1円玉でも良い。また、できるだけ新しい硬貨を選び、実施前に硬貨を石鹸などで洗って汚れを落としておく。

効果の理由

体の中を流れている生体電流という、ごく弱い電流の乱れが、この二つの硬貨によって整えられるためなのです。

 

画像出展:「即効 手のひらツボ秘法」

①刺激(コインを指の間にはさむ硬貨療法)前の顔面の熱画像

 

画像出展:「即効 手のひらツボ秘法」

②刺激(コインを指の間にはさむ硬貨療法)後の顔面の熱画像

 

画像出展:「即効 手のひらツボ秘法」

③刺激(コインを指の間にはさむ硬貨療法)前の腹部の熱画像

 

画像出展:「即効 手のひらツボ秘法」

④刺激(コインを指の間にはさむ硬貨療法)後、腹部の温度が上昇している。

 

生体電流については、谷津三雄先生の『6円手のひら健康法』という本に中に詳しい説明が出ていましたので、ご紹介させて頂きます。

『人間の体は約60兆の細胞からできています。そして、この細胞はまず分子からなり、この分子はさらに原子から構成され、また、この原子はさらに原子核と電子から作られています。

このうち、原子核はプラスの電気、電子はマイナスの電気を帯び、体内でつりあった弱い電気が流れています。これを専門的な言葉で「生体電流」といい、プラスとマイナスの電気が互いに調和がとれて生命現象が営まれているのです。

この「生体電流」こそ、すでに述べた体の中を流れて内臓の働きを支配しているエネルギーの正体の一つなのです。この生体電流が正常に流れている(プラスとマイナスの良好な電気のバランス)と体は健康ですが、なんらかの原因で、このプラスとマイナスの電気のアンバランスが起こると生体電流が乱れ、不健康(肩こり・不眠・下痢・便秘・冷え・腰痛など)が見られるようになります。しかもこの生体電流の乱れた状態を放っておくと、最もアンバランスとなった部位が障害され病気となって現われてきます。』

『この生体電流は、現代医学でも診断や治療にとり入れられています。たとえば、心電図は心臓の生体電流を測定し、心臓の働きを調べるものです。また、脳は生体電流が脳波、筋肉の生体電流が筋電図なのです。このような考え方から見ると、整った電流の電気人間が真の健康体ということができます。』

この生体電流の乱れは金属を使うことで整えることができます。

金属を構成する原子には、プラスやマイナスの電気を帯びようとする性質があります。プラスやマイナスになりやすい度合いのことを専門的な言葉では「イオン化傾向」と呼んでいます。

そして、このイオン化傾向の強さは金属の種類によって異なり、その強さを順に並べたものをイオン化列といい、このイオン化列の順にイオン化傾向が大きいのです。

一般に使用されている金属ではアルミニウムが最も大きく、次いで亜鉛・鉄・鉛・銅・銀・水銀・金と続きます。

このように異なるイオン化傾向をもつ金属を皮膚の表面におくと、そこに電位差が出て、電流が発生し、乱れた生体電流が整えられ、これを異種金属療法といいます。

『1円玉はアルミニウムでできています。アルミニウムは硬貨に使われる金属の中で最も強いイオン化傾向を持っています。イオン化傾向の強い金属ほど生体電流の乱れを整える力は強力なのです。

一方、5年玉は亜鉛と銅の合金です。したがって、亜鉛と銅という二つの異なるイオン化傾向をもつ5年玉もまた生体電流の乱れを整える力が強いのです。

そこで1円玉と5年玉の二つ硬貨を使えばアルミニウム、亜鉛、銅と三つの異なるイオン化傾向をもつことになり、より強力にしかも確実に生体電流の乱れを整え、素早く不快症状を解消することができるということになります。』 

第2章 手のツボで病気は治る

※手は全身の異常を写す鏡で病気別の反応が現れそこを刺激すれば病気は治る

高麗手指針法の原理は、上記の体のツボに対応する同様な効果を持つツボが手に存在しているというものです。

画像出展:「即効 手のひらツボ秘法」

①手のひらのツボと全身のツボの関係

 

画像出展:「即効 手のひらツボ秘法」

②手の甲のツボと全身のツボの関係

・ツボはボールペンやつま楊枝など先がとがった棒や、指圧によって刺激する。

・高麗手指針法の原理では、体の異常は左手に出やすいとされているが、両手のツボを調べて、圧痛を強く感じる側の手を治療の対象にする。

・治療時間は1回15分以内とする。

 

画像出展:「即効 手のひらツボ秘法」

右の手のひらと内臓の関係

 

手のひらツボ秘法1

先日、患者さまから東京都練馬区石神井で開業されている、“こまつ鍼灸院”さまのことを教えて頂きました。

1997年~2022年3月現在、腎臓病患者様1.100人到達

※こまつ鍼灸院調べ

 

当院も定期的に来院頂いているのは、慢性腎臓病などの腎疾患の患者さまが多いのですが、患者さまの数は決して多いとはいえません。そのため、改善される患者さまの傾向をつかめているとはいえないのですが、強いていえば、過去に腎臓に関する既往歴のあった患者さまの方が、改善の可能性が高いように思われます。しかしながら、全体的には「やってみないと分からない」というのが実態です。

今回は患者さまからのお話ということもあり、また、こまつ鍼灸院さまがどのような施術をされているのか知りたいという、私自身の気持ちもあり、小松先生が書かれた本を通じて勉強させて頂くことにしました。 

腎臓との闘い方、お教えします
腎臓との闘い方、お教えします

著者:小松隆央

出版:現代書林

発行:2018年9月

小松先生にとっての大きな出来事は、高麗手指鍼の第一人者であった金成萬先生について1年間、この高麗手指鍼をみっちり勉強されたことでした。

高麗手指鍼は1971年、柳泰佑先生によって創始された鍼法であり、以下のように日本人の谷津三雄先生も深く関わっていることを知りました。

高麗手指鍼の効果については、その作用の一部が科学的にも明らかになっています。例えば手のツボに刺激を与えると、関連部位の血流が良くなって温度が上がることが確認されているのです。

この研究を行ったのは日本の谷津三雄医学博士で、手のツボと臓器の関連を確認するためにサーモグラフィーを使ってお灸の効果を調べたものです。このサーモグラフィーを見れば、手と患部が関連していることがはっきりとわかります。

調べてみると、柳泰佑先生だけでなく谷津三雄先生も高麗手指鍼の著書をお持ちでした。幸いにも興味深い題名の本を地元の図書館が保有していたため、2冊の本を借りました。

1冊は谷津三雄先生の『即効手のひらツボ秘法 -最新医学が解明した高麗手指針新法の驚くべき効果』であり、もう1冊は柳泰佑先生の『てのひらツボ療法 -高麗手指鍼の原理と応用』です。前者は1990年9月の発行、後者は1986年11月の発行でした。

ブログは谷津先生の著書を先とし、創始者である柳泰佑先生の著書を後に拝読させて頂くことにしました。 

即効 手のひらツボ秘法
即効 手のひらツボ秘法

著者:谷津三雄

発行:1990年9月

出版:マキノ出版

谷津先生の主な経歴は以下の通りです。

・1949年 日本大学歯科卒業(歯科医師)

・1953年 日本大学医学部卒業(医師)

・1972年 日本大学松戸歯学部教授(麻酔学・歯学史)

・1990年 日本大学松戸歯学部付属歯科病院院長

ブログで取り上げているのは、目次の黒字の項目です。

目次

はじめに

第1章 手のツボの効果が医学的に証明された

※サーモグラフなどの医療検査器で手にあるツボの効果は医学的に証明できる。

※手のひらの三点ツボを指圧するだけでもすぐれた効果が得られる

●高血圧が手のひらへの三点刺激で下がる

●冷え症は手の指を組んで圧迫するだけで解消できる

※手のひらのツボへの間接灸ですぐれた効果が得られる

●更年期障害の不快症状が手のひらへの間接灸で解消する

●生理痛は手のひらに間接灸をすえると消える

●高血圧も手のひらのツボへの間接灸で下がる

※手のひらへの健康器具やクルミを握っていると解消する

●肩こりは健康器具やクルミを握っていると解消する

●ボケ防止にも手のひらのツボ刺激は効果がある

※50年玉と5円玉を指の間にはさむ硬貨療法で驚くべき効果が得られる

●夜のトイレ通いが指に50円玉と5円玉をはさむと大幅にへる

●女性の敵“冷え症”は硬貨療法で撃退できる

※指輪2個の指輪療法には多くの効果が認められた

●親指と小指に指輪をはめると便秘が解消する

●生理痛・生理不順も指輪療法で解消できる

第2章 手のツボで病気は治る

※手は全身の異常を写す鏡で病気別の反応が現れそこを刺激すれば病気は治る

※隠れた病気や体の不調がピタリとわかる手のツボを利用した振り子発見法

※腰痛に大変よく効くと評判の手の甲のツボを人さし指で押す刺激

●手記……立っているのもつらかった腰痛が手の甲を指先で押していたらその場で消えた

※ひざの痛みは小指の第2関節をゴムひもで引っぱりパッと離せばすぐ取れる

●手記……ひざの痛みと肩こり解消の手のツボ刺激をやってみたら確かに効果が現れた

※肩こりならその場でスーッと解消する中指そらしと中指のもみほぐし

●手記……ひどい肩こりが中指をそらしたりもんだりしただけでス―ッと解消した

※しつこい不眠症でも知らぬまに眠りだす中指の先のツボへのつま楊枝刺激

●手記……深夜2時まで眠れず手のツボを刺激したら本当に眠ることができて驚いた

●手記……悩みの不眠症が寝床の中で手のツボ刺激を5~6分くり返したらぐっすり眠れた

※高血圧の人は中指と手のひらの6つのツボを刺激すれば血圧が適度に下がる

●手記……上が220ミリ、下が120ミリの高血圧が手のツボ刺激で下がりそのまま安定している

※寝違えや首のこりの反応点は中指の背中にありそこに丸いボールペンの軸をころがせば治る

●手記……寝違いによる首の痛みが中指の背に色鉛筆をころがしただけで見事に取れた

※クルミを握って手のひらを刺激するとボケが妨げて仕事の能率も上がる

●手記……手のひら刺激はボケの予防に確かに有効で患者さんに教えてあげて喜ばれている

※がんこな便秘ばかりか下痢も治ると評判の手のひらの“下腹部”への刺激

※頭痛の大半は中指の先にある手のツボを爪で押せば治り偏頭痛には特に効く

※あぶら汗が出るほどの腹痛でも手のひらに現れる圧痛点を押せばらくになる

※動悸や息切れは小指を強く噛み手の中指の先をこするだけで止まる

※耳鳴りや難聴は中指の先を指ではさんでひねればしだいによくなる

※更年期障害の不快症状は手のひら中央に必ず現れる圧痛点を押せばらくに消える

※歯痛にすぐ効くツボが手の中指の腹にあり親指の爪でそこを強く押せば止まる

第3章 硬貨・指輪療法の鋭い効果

※冷え症の人は指の間が冷えているが50年玉と5円玉をはさめば冷えは消えてらくになる

※50年玉と5円玉を指にはさむ硬貨療法がとくによく効く病気はどんなもの?

※生理痛や生理不順は銀色の指輪を小指と親指にはめるだけで解消する

※指輪療法は生理痛や生理不順以外にどんな症状に効くのですか?

※指輪療法に対する疑問に答えます

●指輪で病気を治す治療に使えるのはどんな指輪?その入法法は?

●指輪をはめてやる生理痛の治療で症状のない日でもはめていて大丈夫?

はじめに

『私たち人間は、二本の後ろ足で立つことができたために重い頭脳を支え、前の二本足が今日の手として自由に使え、高度な文明や文化を築きあげたのである。このことは四つ足の動物が二本の後ろ足で立つことができたために人間になれたといっても過言ではない。

現在、この地球上で人間ほど前足、すなわち手を巧妙、精密に使える動物は現われていない。そればかりでなく、人間の身体の中で、すべての内臓を支配し、コントロールするのは脳であり、哲学者カントが「手は外に伸びた脳である」と喝破しているが、手は脳と密接に結びついており、手からのさまざまな刺激によって、さらに頭脳の活発な動きを誘い、頭脳の急速な発達をもたらし、人間になったといわれている。

この脳と手の働きを最初に解明したカナダの脳外科医ペンフィールド博士の研究によると、手や指の占める大脳の運動野の割合は、身体の他のいかなる部位よりもはるかに大きく、したがって、手や脳を動かすことは大脳の広い部分を刺激し、脳全体の働きを活性化することが知られている。 

ホムンクルス
ホムンクルス

画像は『脳の世界』さまから拝借しました。こちらのサイトには写真だけでなく、詳しい解説が書かれています。

ロンドン自然史博物館にあったホムンクルスの模型。体性感覚野運動野

ペンフィールドは脳組織の同じ帯状領域を調べて、大勢の患者から同様の反応を得た。こうして粘り強く収集したすべてのデータをもとに、ペンフィールドが作成したのが身体表面の完全な脳マップである。彼は遊び心でこのマップに中世哲学の用語で“小人”を意味するラテン語の“ホムンクルス”というニックネームを付けた。

たとえば、右手の親指と人差し指をゆっくり四、五秒間動かし続けると、運動野に相当する脳の場所の血液量が30%もアップする。このことは手や指を動かして刺激することにより脳の老化、すなわち、ボケを予防できることを物語っている。よく、「手は第二の脳」といわれているが、大脳の感覚中枢は外部からの刺激を感じる働きがあり、そのレーダーとなっているのが手のひらで、そこには17,000本の神経が通っていて、その神経1本1本が脳にシグナルを送り、それが反射的に身体全体をコントロールして、精神(心)と身体(体)の健康が保たれているわけである。このことは、日曜日のNHKテレビの夜の7時20分からの番組「クイズ100点満点」の途中で、必ず手のひらと指とを使った満点体操の行われることでも、手と脳とが密接な関係にあることを、ブラウン管を通して教えている。

このように手は、足より多くの神経が通っている。そのことは手と足の両方をつねってみるとわかる。たとえ同じ力でつねっても、手のほうがはるかに大きな痛みを感じる。また、同じ指でも足で鉛筆や箸を自由に使えないのは、足は脳との連結が手ほど緊密にないからであり、また、私たちの文字を書いたり、絵を描いたりできるのも手と脳が密接に結びついていることの証拠である。

健康を維持し、長寿を全うするには、いつでも、どこでも、すぐにできる健康法が絶対的条件である。この点、足の裏を刺激するにしても、手ほど簡単にしかも自分自身で容易に行うことができない。ここに“手のひら”のツボ刺激療法の秘法がある。

もし、内臓に何かしらの異常が起こった場合、その情報は脳と手に同じスピードで送られてくる。すなわち、手の内臓と関係の深い所にいろいろの変化が現われてくる。この手の変化をみれば、どの臓器が変調を来しているのかがわかる。これを「高麗手指鍼法」では相応点と名づけ、手のひらにおける診断点とし、また、その相応点を刺激することにより、その全身の異常を治す治療点として使用されるゆえんである。すなわち“手のひらは全身の縮図なり”である。

身体の異常はどんな場合でも早期発見、早期治療の必要なことはいうまでもない。まして内臓は自覚症状も微妙で、なかなか早期発見しにくい部位でもある。しかし、手はその張り巡らした情報網を駆使して、内臓のどんな異常でも知らせてくれる。こうした内臓の変調を直ちに反応する部位は身体広しといえども手をおいてほかにはない。「手は健康の見える窓」といってもよく、まさに手は言葉とともに人間を動物から区別する大きな特徴であるとともに、人間だけが持つ優れた器官なのである。

「旧約聖書」の箴言第三章に「その右の手には長寿があり、左の手には富と誉がある」と書かれているが「これは手には私たちが健康で長生きするための重要なツボが、全身の縮図として集まっていることを意味している。このように身体のある部位―相応部位に対して、“手のひら”に現われるツボ―相応点に刺激を与えると、その手のツボの圧痛が取れるばかりか、身体のツボの圧痛も消失し、体の異常が改善されるという治療システムを研究したのが、韓国の柳泰佑博士の「高麗手指鍼法」の原理である。

私がこの「高麗手指鍼法」を健康雑誌「安心」でご紹介したところ、実に驚いたことには、これらの記事が報道されると一週間はその問い合わせの電話が終日殺到し、その内1人で約1時間も話し続けるなど、その対応に本来の仕事ができず困惑した。

しかし、これらの悩む人々のあまりの熱心さにつれなくすることもできずに悲鳴の連続であった。また、治ったという手記を寄せる人や、私が思いもつかなかったことを質問してくれる人などの多数の手紙が寄せられ、身近な手のツボの刺激に頼る人々の大変に多いことを知った。

私と「高麗手指鍼法」との出会いは、1978年7月にソウル特別市歯科医師協会の地憲澤会長から特別講演の招聘を受け訪韓した折り、地博士を通して柳先生とお目にかかったのが最初である。そのときの柳先生の「高麗手指鍼法」に対する情熱と、その神秘的な効果に魅せられた最初の出会いの一瞬が、つい最近の出来事のように思い出されてくる。それ以来同学の士として、1979年7月にソウルの世宗文化会館で開催された第二回韓日高麗手指鍼学術大会から毎年「高齢手指鍼法」の科学的研究を基礎とした特別講演を行い今日に至っている。

本書は「安心」を読者より寄せられた強い要望に答えての出版であるために「高麗手指鍼法」の原理を基礎に一般向きにわかり易く、しかも私が行った研究の一端を加え、さらに読者から寄せられた二、三の手記を合わせ、「高麗手指針新法」と名づけ発行することにした。人間はだれもが“老い”と“死”から逃れることはできないが、本書を熟読し、“死ぬまで生きる”人間の権利を全うするための保健の向上に努められんことを願うものである。』

第1章 手のツボの効果が医学的に証明された

※サーモグラフなどの医療検査器で手にあるツボの効果は医学的に証明できる。

・温度が絶対零度(マイナス273.16℃)以上であれば、すべての物質は赤外線を放射している。この赤外線の量を検出し、表面温度の分布を画像に表すのがサーモグラフィーである。

・サーモグラフィーにより痛みの個所、薬の効果、自律神経の活動がわかる。

・手のツボを刺激による、体の表面の温度、血圧、心拍数、脳波の変化

※手のひらの三点ツボを指圧するだけでもすぐれた効果が得られる

●高血圧が手のひらへの三点刺激で下がる

サーモグラフィによる検査
サーモグラフィによる検査

画像出展:「即効 手のひらツボ秘法」

人物は左から柳泰佑先生(高麗手指鍼法創案者)、洪珪植先生(高麗手指鍼学会理事)、谷津三雄先生(著者)

画像出展:「即効 手のひらツボ秘法」

①指圧前の顔の熱画像

 

画像出展:「即効 手のひらツボ秘法」

②指圧後の顔の熱画像

 

画像出展:「即効 手のひらツボ秘法」

③指圧前の腹部の熱画像

 

画像出展:「即効 手のひらツボ秘法」

④指圧後の顔の熱画像

 

交感神経の緊張が抑制され、副交感神経は優位になり血管が拡張して皮膚温が上がっている。心身はリラックスしてストレスが低下し血圧は下がる。  

画像出展:「即効 手のひらツボ秘法」

指圧の場所と圧迫方法

心点(中指の先端中央:爪をたてて圧迫)

労宮点(手のひら中央:親指を立てて圧迫)

列欠点(親指のつけ根ふくらみの下:体幹方向へ圧迫しながらこする)

 

冷え症は手の指を組んで圧迫するだけで解消できる 

画像出展:「即効 手のひらツボ秘法」

①刺激前の熱画像

 

画像出展:「即効 手のひらツボ秘法」

②指のつけ根をはさんだ際の熱画像

 

画像出展:「即効 手のひらツボ秘法」

③親指で手のひらを押す際の熱画像

 

画像出展:「即効 手のひらツボ秘法」

④手の甲を指先で刺激した際の熱画像

 

画像出展:「即効 手のひらツボ秘法」

⑤一連の動作終了後の熱画像

 

画像出展:「即効 手のひらツボ秘法」

方法

①手の指を組んでつけ根をはさみ痛いほど強く左右に圧迫する。

②親指の先で他方の手のひらの中央を強く垂直に圧迫する。

③指の先で他方の手の甲を強く押して刺激する。

動作を数回くり返すと、手だけなく足や腹部の血行もよくなる。

 

宗教と科学の接点2

「宗教と科学の接点」
「宗教と科学の接点」

著者:河合隼雄

初版発行:1986年5月

出版:岩波書店

目次は”宗教と科学の接点1”を参照ください。

第三章 死について

●瀕死体験

・『アメリカの精神科医レイモンド・ムーディは最初に哲学を専攻し、後に医学に転じたが、哲学の講義で霊魂の不滅について論じたときに、学生の一人から彼の祖母の瀕死体験について聞かされ、その後は積極的にこの問題と取り組むことになった。瀕死体験とは、医者が医学的に死んだと判定した後に奇跡的に蘇生した人の体験、および、事故、病気などで死に瀕した人の体験である。ムーディーは間接的な資料も加えて約150の事例から、次に述べるような結論を出したのである。

瀕死体験は人によってそれぞれ異なるが、驚くほどの共通点が存在する。それらの共通点を組み合わせて、ムーディはひとつの理論的な「典型」を提出している。これは非常に重要と思われるので、そのままここに引用してみよう。

「わたしは瀕死の状態にあった。物理的な肉体の危機が頂点に達した時、担当の医師がわたしの死を宣告しているのが聞こえた。耳障りな音が聞こえ始めた。大きく響きわたる音だ。騒々しくうなるような音といったほうがいいかもしれない。同時に、長くて暗いトンネルの中を猛烈な速度で通り抜けているような感じがした。それから突然、自分自身の物理的肉体から抜け出したのがわかった。しかしこの時はまだ、今までと同じ物理的世界にいて、わたしはある距離を保った場所から、まるで傍観者のように自分自身の物理的肉体を見つめていた。その異常な状態で、自分がついさきほど抜け出した物理的な肉体に蘇生術が施されるのを観察している。精神的には非常に混乱していた。

しばらくすると落ちついてきて、現に自分がおかれている奇妙な状態に慣れてきた。わたしには今でも[体]が備わっているが、この体は先に抜け出した物理的肉体とは本質的に異質なもので、きわめて特異な能力を持っていることがわかった。そして、今まで一度も経験したことがないような愛と暖かさに満ちた霊―光の生命―が現れた。この光の生命は、わたしに自分の一生を総括させるために質問を投げかけた。具体的なことばを介在させずに質問したのである。さらに、わたしの生涯における主なできごとを連続的に、しかも一瞬のうちに再生してみせることで、総括の手助けをしてくれた。ある時点で、わたしは自分が一種の障壁とも境界ともいえるようなものに少しずつ近づいているのに気がついた。それはまぎれもなく、現世と来世との境い目であった。しかし、わたしは現世にもどらなければならない。今はまだ死ぬ時ではないと思った。この時点で葛藤が生じた。なぜなら、わたしは今や死後の世界での体験にすっかり心を奪われていて、現世にもどりたくはなかったから。激しい歓喜、愛、やすらぎに圧倒されていた。ところが意に反して、どういうわけか、わたしは再び自分自身の物理的肉体と結合し、蘇生した。」

これは一種のモデルであり、個人によっていろいろ異なるのは当然である。ムーディはこのモデルに含まれる約15の要素のうち、多くの人が8ないしそれ以上の要素について報告し、12の要素を報告した人が数人いると述べている。また、人によってはこのモデルとは異なる順序で体験しており、たとえば、「光の生命」に出会うのが肉体から離脱するより先であることもある。また、臨床的な死を宣告された後に蘇生したが、先に述べたような体験を一切しなかったと報告する人もある。

これらの体験をした人は誰も、このようなことを適切に表現できる言葉が全然見つからぬことを強調している。それとその内容があまりにも予想外のことなので他人に話をしても、まともに受けとって貰えないということもあった。このためにこのような体験をした人も沈黙を守っていることが多く、ムーディたちが真剣に聞いてくれるので、はじめて話をしたという人もある。ここに述べられている身体外意識の体験は、ユングも共時性の一現象として記述しているが、当時ではなかなか信用されなかったものである。交通事故で足がちぎれたりした人が、自分のその体を上から眺めているというのだから、まったくの幻覚と思われがちだが、そのときにその人の見た事実と現実がぴったりと照合するので信頼せざるを得ない。特に、キュブラー・ロスが全盲の人達の体験を報告しているのは興味深い。彼らは全盲でありながら、瀕死体験の際は、そこに居あわせた人の身につけていた着物や装身具などまで描写できるのである。』

第六章 心理療法について

●心理療法とは何か

・『宗教と科学の接点の問題について論じてきたが、私がこのようなことに関心をもつようになったのは、私自身が専門としている心理療法という仕事を通じてのことであった。心理療法を実際にやり抜いてゆこうとすると、今まで述べてきたようなことを考えざるを得ないのである。それは自分のしている心理療法は「科学であるのか」という疑問に答えるためにも、そして、それに関連することであるが、心理療法の対象である「人間」という存在について考えるためにも、必要なことであった。心理療法についてはいろいろな語り方があると思うが、ここでは宗教と科学の接点という問題意識をもって述べることにしよう。』

・心理療法は19世紀の終わり頃より発展をはじめ、現代の欧米においては欠かせないものとなった。

・心理療法は古来から存在していたと考えられ、宗教、教育、医学の分野にそれを見出すことができるが、近代においては、「宗教」に対する反撥が強く、むしろ宗教に対立するものとして、教育、医学の分野から生じてきたように思われる。

・心理療法が心理学から生じてこなかったは、「心理学」が物理学を範として「客観的に観察し得る現象」の研究をしようとするものであり、人間の意識は研究対象になりえなかったからである。

・教育には指導や助言という要素が強く、これが心理療法に発展したと思われるが、心理療法は指導や助言では不十分なことも多く、この領域を超えることが求められている。

・医学においては身体に問題がないのに障害がみられる「病気」があることが解ってきて、その治療として19世紀の終り頃より精神分析が出てきた。しかし、医学モデルは型にはめようとしがちで、単純なモデルであるため、効果が限定的であることが多い。

・『対人恐怖症のためにどうしても学校に行けぬ生徒に、学校へは行くべきとか、行かないと損をする、と指導助言しても何の効果もない。あるいは、「学校に行けない原因があるだろう、それを言いなさい」などと迫っても、およそ答えられないであろう。時には、子どもたちは質問者の勢いにおされて、「先生が怖い」とか「お母さんがうるさい」とか適当に答えるときもある。原因追及型の線型の論理一本槍の人は、次に矛先を変えて、「原因」としての教師や母親を攻撃することになる。それに熱心な人ほど、自分の思いどおりの結果が生じないときは、その熱意は憎しみや攻撃の感情に変化しやすいものである。自分はこれほど熱心にやっているのに、母親が悪いから、あるいは、本人の意志が弱すぎるから……などの理由でうまくゆかぬと嘆いている人は多い。教育モデル、医学モデルに頼るときは、結果はうまくゆかぬとしても、自分は熱心で正しいことをしているのに、誰か必ず自分以外の悪者がいるからうまくゆかないのだ、という結論に達することができるので、なかなか便利である。このような便利さのために、有効性が低い割に現在もなお相当に用いられていると思われる。』

●自己治癒の力

・指導や助言も効果がなく、病因を探し出す方法も有効でないとすると、どのような方法があるのか。それは治療者が治療するのではなく、患者自身の治る力を利用することによってなされる。このことは心理療法において極めて大切なことである。

・『たとえば、学校に行きたいのにどうしても学校に行けぬと言う高校生が来談したとする。私がこの高校生を出来るだけ早く学校に行かしてあげたいという気持ちや、なぜ学校へ行きたいのか原因を知りたいという気持ちを全然もっていないと言うと、それはうそになるだろう。しかし、一応それらのことは括弧に入れておいて、ともかくこの高校生の自由な表現をできる限り許容し、それに耳を傾ける態度をとるだろう。そして、場合によってはその人の見た夢について話して貰ったり、絵を描いて貰ったり、箱庭を作って貰ったりすることになるだろう。多くの患者さんたちは、私に対して指導や助言を期待しておられたり、なかには「どうしてこうなったのでしょう」と尋ねる人もあるように、原因を早く知りたがったりされるが、それらにはほとんど関心を払わない私の態度に不思議な感じを抱かれるが、私の態度に支えられて、いろいろと自由な表現をされる。

これは、本人および本人を取り巻く人々の、そのときの意志や考えよりも「たましい」の語ることを尊重しようとしているのだ、と言うことができるであろう。夢や箱庭や絵画などを利用するのは、たましいの言語としての「イメージ」を尊重しようとするからに他ならない。

多くの人は後から振り返ってみて、なぜ自分はあんな話をしたのか解らないと言われる。つまり、学校のことを問題にするつもりだったのに、「自由に」話していたら、知らぬまに母親のことばかり話をしていたとか、まったく思いがけない過去のことを思い出して話をしてしまったとか言われるのである。これは治療者が通常の意識レベルにおける原因―結果の論理からフリーになった態度で接しているので、患者の方は知らず知らず感情のおもむくままに話をはじめ、心の深い層へと下降をはじめるわけである。自由に、感情のおもむくままに、ということは自我がたましいの方に主導権を譲るということである。

人間のもつ自己治癒力は不思議なものである。患者さんに箱庭をおいて貰っているだけで治療が進むときがある。

・箱庭療法は西洋で始まったものであるが、日本人は非常に向いている。これは、箱庭のような非言語的手段によって自分の自分の内面を表現し、またそれを治療者が理解することが難しくないということが大きい。

・一般的に患者さんは、はじめは片隅に少しだけ置いておくものだが、徐々に箱の領域全体を使うようになり、表現も豊かになっていく。こうして症状も改善していく。

・箱庭の変化の過程を写真にとっていくと、明らかにその流れが解るため、患者さんの内界に変化が生じ納得も得られやすい。

・箱庭療法の本質は、治療者が指導したり助けたりすることを放棄して、ただそこにいることなのである。何もしないでただそこにいること。これが治療者の役割である。

箱庭療法
箱庭療法

左の写真は「飯田橋メンタルクリニック」さまより拝借しました。

こちらのサイトには”箱庭療法”についての詳細な説明が書かれています。

●治療者の役割

・教育モデル、医学モデルに対し否定的な話をしてきたが、重要なことはこれらのモデルの有効性を判断することである。臨機応変の態度をもっていることが求められる。

・『われわれの態度は来談した人を客観的「対象」として見るのではなく、自と他との境界をできる限り取り去って接するようになる。治療者は自分の自我の判断によって患者を助けようとすることを放棄し、「たましい」の世界に患者と共に踏みこむことを決意するのである。ここのところがいわゆる自然科学的な研究法と異なるのである。

このような治療者の態度に支えられてこそ、患者の自己治癒力の力が活性化され、治療に到る道が開かれる。従って、治療者は何もしないようでありながら、たとえば、箱庭を患者が作ろうとするとき、どのような治療者がどのような態度で傍にいるかによって、その表現はまったく異なるものとなるのである。そうでなければ、各人が勝手に絵を描いたり、箱庭を作ったりしてノイローゼを治してゆけそうなものだが、そうはならないのである。このような態度は言うはやすく行うは難いことであり、相当な訓練を受けないとできないことである。』

・自己治癒力の力がはたらくと言っても、実はそこには大変な危険性や苦しみが存在する。

・多くの場合、治ることに苦しみはつきものである。というよりは、正面から苦しむことによってこそ治癒はあると考えるべきである。

心理療法によって苦しみや不安はむしろ増えてくる。治療者は患者がそれと正面から向き合うようにし、その苦しみを共にわかち合うことによって乗り越えようとしている

●コンステレーションを読む

・コンステレーションとはすぐに原因と結果とを結びつけるのではなく、いろいろな事柄の全体像を把握することである。

コンステレーションを読むには、われわれは「開かれた」態度を持たねばならない。このような「開かれた」態度で現象に接していると、共時的現象が思いの他に生じており、それが極めて治療的に作用することに気づく。

・『長い間学校へ行けなかった子がとうとう登校を決意する。明日行くというときに、風邪を引いて寝込んでしまう。このときに「またか!」と思い両親も治療者も落胆してしまうのと、登校する以前に病気ということを通じて母と子がもう一度一体感を確かめる機会を与えられたと受けとめるのとでは、まったく結果が異なってくる。病気のときは子どもも案外素直に甘えられるし、母親も子どもの肌に自然に触れられたりして、一体感を味わいやすいものなのである。奇跡が起こると言っても奇跡はしばしばマイナスの形で生じ、それを読む力のあるものにとってはプラスになることも多いので、コンステレーションを読む能力は治療者にとって非常に大切なものである。』

●宗教と科学の接点

・『「開かれた」態度によって治療者が接すると、それまでに考えられなかったような現象が生じ、そこにはしばしば共時的現象が生じる。その現象は因果律によっては説明できない。しかし、そこに意味のある一致の現象が生じたことは事実である。そのことを出来る限り正確に記述しようとしたとき、それは「科学」なのであろうか。それは広義の科学なのだという人もあるだろう。しかし、それはまた広義の宗教だとも言えるのではなかろうか。つまり、そこには教義とか信条とかは認められないが、自我による了解を超える現象をそのまま受け入れようとする点において、宗教的であると言えるのではなかろうか。

宗教はもともと人間の死をどのように受けとめるか、ということから生じてきたとも言うことができる。死をどううけとめるのかという点から生じてきた体系、といっても、それは単なる知識体系ではない。たとえば、仏教においては戒・定・慧の重要性が説かれるように、戒を守ることや禅定の体験を通じて得られる知こそ意味があるのである。

しかし、近代人は既に述べたように自我が肥大し過ぎて、過去の宗教の体系を単なる知識系として見ようとすることもあって、なかなか受けいれられない。従って既存の宗教を信じられなくなるのだが、何を信じようと信じまいと、人間にとって死は必ず存在するのである。最初はいかに生きるかに焦点があてられていた心理療法においても、死をどう受けとめるかが問題にならざるを得なくなった。ユングは彼の患者の約三分の一は、この世によく適応している人だったと述べている。いかに適応している人でも、死の問題は残る。ユングのもとに来たこれらの人は、いかに生きるかということよりも、いかに死ぬかという問題のために来たと言ってもいいだろう。』

感想

一通り拝読させて頂き、消化できたとは言い難いのですが、一番印象に残ったことは、

「開かれた態度」-「共時的現象(因果律では説明できないが、意味ある一致の現象)」-「自己治癒力(正面から苦しみと向き合うこと)」ということでした。

特に、この中で“共時的現象”については、もう一歩踏み込んでその実体を知りたいと思いました。調べたところ、『ユングと共時性』と題する本があったので、こちらも読んでみたいと思います。

宗教と科学の接点1

30年以上前の話です。決して重たいものではなかったのですが、自分捜しをしていた時期があり、そのときに読んだ本の中に河合隼雄先生の『明恵 夢を生きる』という本がありました。明恵とは鎌倉時代、40年にわたり夢を書き残した高僧です。

また、本棚を見て思い出しましたが、同じ時期に、C.G.ユングの『元型論 無意識の構造』と『心理学と錬金術』、さらにE.ユングの『内なる異性 アニムスとアニマ』も読んでいました。私の記憶では、この時の自分捜しの解答は、「客観的であること、外から自分を眺められるようになることがとても重要だ」ということだったと思います。

今回の『宗教と科学の接点』は河合先生の著書ですが、C.G.ユングの説や考えも重要な位置をしめています。

鍼を身体への物理刺激(侵害刺激)と考えると、解剖学生理学は鍼の影響(効果)を考える上で重要な医学です。

一方、「病は気から」などの“気”を“エネルギー”と考えると、ミクロの世界に存在する量子の力学を連想します。

我々が生きている世界はニュートン力学の世界ですが、原子より小さな世界は量子力学の摩訶不思議な世界です。そして、これは間違いなく実在しています。もし、量子力学が発見されていなかったら、半導体は生まれていません。なお、ここにある科学の主役は物理学です。

私は宗教にはあまり関心をもっていませんが、霊や霊能者には興味があり、“完全無欠ではない霊支持者”です。

フロイトとともに心理学の巨星であるC.G.ユングは、母方の家系に牧師で精神科医、そして霊能者として知られていた祖父(ゼムエル・ブライスヴェルク)がおり、祖母のアウグステも有名な霊能者だったそうです。

霊と量子、気と量子、それぞれ何か関係があるのか、これを明らかにすることは極めて難しいものだと思われますが、“量子力学の父”とよばれた、ニールス・ボーアが東洋医学に興味をもっていたという事実は、これらの関係性を意識させます。

「量子論を楽しむ本」
「量子論を楽しむ本」

ニールス・ボーアは量子論が明らかにした物質観・自然観の特徴を“相補性”という概念で説明しています、ボーアはこの“相補性”を表すシンボルとして古代中国の「陰陽思想」を象徴する“太極図”を好んで用いたとのことです。このことは、「量子論を楽しむ本」の中に書かれていました。

※ご参考:ブログ「量子論1」 

以上のような思いが交差し、河合先生の『宗教と科学の接点』には、何が書かれているのだろうか、是非、読んでみたいと思った次第です。

なお、ブログは何とか理解できた個所、直観的に「これは」と思った個所(目次の黒字部分)を取り上げていますが、散発的でまとまりに欠けます。

「宗教と科学の接点」
「宗教と科学の接点」

著者:河合隼雄

初版発行:1986年5月

出版:岩波書店

目次

第一章 たましいについて

●はじめに

●トランスパーソナル学会

●日本の状況

●人間存在

●たましいとは何か

●西洋近代の自我

●東洋と西洋

第二章 共時性について

●共時性とは何か

●易

●共時性と科学

●共時性と宗教

●ホログラフィック・パラダイム

●心身の相関

●実際的価値

第三章 死について

●死の恐怖

●死の位置

●瀕死体験

●銀河鉄道の夜

●「知る」ということ

●死後性

第四章 意識について

●無意識の発見

●いろいろな意識

●東洋の知恵

●スーフィー的意識の構造

●意識のスペクトル

●ドラッグ体験

●修行の過程

第五章 自然について

●人と自然

●自然とは何か

●自然・自我・自己

●東西の進化論

●昔話における自然

●「自然」の死

第六章 心理療法について

●心理療法とは何か

●自己治癒の力

●治療者の役割

●コンステレーションを読む

●意識の次元

●宗教と科学の接点

あとがき

第一章 たましいについて

●はじめに

・宗教と科学の問題は21世紀の人類を考える上で極めて重要な問題である。

・『筆者[河合隼雄先生]はもともと数学科の出身であるが、その後、臨床心理学に転じ、生身の人間と取り組まねばならぬ領域にはいりこんだため、人間を研究対象とする上での方法論、科学論には常に関心をもち続けてきたが、心理療法の経験が深まれば深まるほど、人間の宗教性についても考えざるを得なくなり、文字どおり科学と宗教の接点に立たされることになったと言えるのである。そのような体験を踏まえて、本書において宗教と科学の接点の問題について論じてみたい。ただ、ニューエイジ科学運動においては、深層心理学はもちろんであるが、理論物理学、大脳生理学、生物学、生態学、文化人類学、宗教学など実に多岐にわたる専門分野が関連してきて、到底それをすべてカバーして理解することは不可能である。そこで、筆者としては、もっぱら自分の専門分野である心理療法家であるという立場を生かしつつ、筆者の能力の及ぶ範囲内において、この問題を論じてみたいと思っている。これが機縁となって、わが国の各分野から宗教と科学についての討論が生じてくるならば、まことに幸せであると思っている。』

●人間存在

・『たましいとユングが呼んだものと、どのように接触してゆくかということを、人間はいろいろと考え出し、それを宗教という形で伝えてきた。宗教はそれぞれ特定の宗派をもち、それぞれがたましいにいかに接するか、それをどのように考えるか、などの点について厳格な理論や方法を有してきた。しかし、ユングはたましいを宗教としてではなく、あくまで心理学として研究しようとした。すなわち彼は、固定した方法や理論、つまり儀式や教義を確定するのではなく、個々の場合に応じてたましいの現象をよく見てゆき、それを記述しようと試みたのである。もちろん、古来からの宗教の知識はその点において極めて有用であり、その多くを利用はしたが、どれか特定のものに頼ろうとはしなかった。

たましいの現象は不思議なことや不可解なことに満ちていた。ユングはそれらを真剣に観察し記録していったが、多くのことに関しては発表してもおそらくは理解してもらえないだろうと思い、公表を長らくためらったものもある。公表した後も、彼は死の時まで自分の行っていることに対する方法論についてあいまいであったり、直観に頼って理論的な詰めをおろそかにしたりするという欠点のためもあったが、何しろ彼の考えが時代の流れをあまりにも先取りし過ぎていたためと言えるであろう。』

●西洋近代の自我

・『人間存在を全体として、たましいということも含めて考えようとすることは、宗教との必然的なかかわりを生ぜしめる。しかし、そこであくまでもたましいの現象を探求してゆこうとする態度は科学的と呼んで差し支えないものであり、ここに科学と宗教の接点が生じてくるのである。

しかし、そんなことを言っても、たましいなどということを対象とすること自体、既に科学的でない、と反論する人もあろう。つまり、たましいなどという測定不能なものは科学の対象外なのである。この点をどう考えるべきであろうか。これを考えるためには、西洋近代に確立された、自我の問題について少し考察する必要があるだろう。』

・自我とは自分と他と切り離した独立した存在として自覚し、自立的であろうとするところに特徴がある。このような自我によって外界を客観的に観察できるのである。

●東洋と西洋

・東洋人は西洋人のように自と他をそれほど切り離して考えていない。

・外界と内界などという区別を最初から立てていない。

・仏教は哲学、宗教、科学、などを未分化のまま包摂しつつ壮大な体系を持っている。その上、注目すべきことは、このような仏教の体系を見出した僧たちは、西洋の自我と異なる意識状態の中で、それを見出したと考えられる。

第二章 共時性について

●共時性とは何か

・『宗教と科学の接点を考える上において、ユングが提唱した、共時性(synchronicity)ということを取りあげることが必要であると思われる。最近、小野泰博が「宗教に何が問われているか」という論文において、共時性の問題を取りあげて論じているが、これまでのところ、わが国においても正面から論じられることが少なかった。というのも、これは論じることの難しいものであり、ユングもこのことを発表しようとしながら、「長年にわたってそれを果たすだけの勇気を持たなかった」と述べているほどである。彼はこのような考えを、相当早くからもっていたが、公的に発表したのは、1951年にエラノス会議において、「共時性について」という講義を行ったのが最初である。

ユングによる共時性について、まず簡単に説明しよう。ユングは彼の心理療法の過程のなかで、「意味ある偶然の一致」の現象が、相当に、しかも心理療法的に際めて意味深い形で生じることに気づいた。彼は1920年代半ば頃から、共時性の問題について考えていたが、その頃の体験として次のような例をあげている。彼の治療していたある若い婦人は、決定的な時機に、自分が黄金の神聖甲虫を与えられる夢を見た。彼女がその話をユングにしているときに、神聖甲虫によく似ている黄金虫が、窓ガラスにコンコンとぶつかってきたのである。この偶然の一致がこの女性の心をとらえ、夢の分析がすすんだことをユングは報告しているが、このうような例が、心理療法場面ではよく生じるのである。

こんなのを聞くと、それこそ「偶然の一致」で、「意味のある」などと大げさに言う必要もないと思われるだろう。しかし、もっと劇的なことは割にあって、特に筆者は夢分析を行っているので、夢と外的事象の一致という形で、このことを体験する。たとえば、夢で知人の死を見た翌朝、その人の死亡を知らせる電話を受けて驚いた人もあった。人間の死と関連して、このようなことは起こりやすいようであり、多くの類似の体験がユング派以外の夢の研究者によっても報告されている。たとえば、メダルト・ボスは多くのこのような類の夢を発表しているので興味のある方は、それを参考にして頂きたい[「夢 その現存在分析」]。』

●共時性と科学

・西洋の近代は因果的思考に頼りすぎていて一面的になっているとユングは考えている。

・中国人は現象を全体的にとらえる。それは史観にも現れている。

・アメリカ人は中国人の史観を理解できない。アメリカ人のいう本質とは事象の中に因果関係の連鎖を読みとることであり、中国の歴史の本質は、アメリカ人から見て末梢的と思える事象をすべて読みとった後に、全体のなかに浮かびあがってくる姿を把握することである。

・中国の文明史を見ると、共時性に関する深い知恵と、因果律を追求する科学の萌芽などの混在が認められる。

・近代の科学を代表するニュートンもガリレオも、現代において言う「科学的」思考のみに頼って事象を見ていたわけではない。

・ユングは共時性の概念の先駆者としてライプニッツを高く評価している。ライプニッツは哲学者であるが、微分積分の発見者で、二進法の道をひらき、動力学を創出した。ライプニッツは「単子(モナド)」という概念を導入し、ひとつひとつの単子は全宇宙を反映するミクロコスモスであり、単子は直接相互に作用を及ぼし合うことはないが、「予定調和」に従って、互いに「対応」したり「共鳴」したりすると考えた。彼のいう「対応」や「共鳴」の現象は、ユングのいう共時的現象と等価のものと考えられる。

・『ミクロコスモスとマクロコスモスの対応という考え方は、ミクロコスモスとしての人間をマクロコスモスとしての宇宙に関連づける思想であったが、西洋の近代自我が自我を世界から切り離し、自我を取り巻く世界を客観対象として見ることを可能にしたとき、そこに観察される事象は、個人を離れた普遍性をもつことになり、自然科学が急激に進歩したのである。普遍的な学としての自然科学はその後ますます力を発揮し、人間は世界を支配したかの如く見えながら、宇宙との「対応」を失ってしまったという点において、自らを宇宙のなかにどう定位するかという点で、根本的な問題をかかえこむことになった。』

・『自然科学の最先端において、それまでの方法論に対して根本的な反省をうながす問題が生じてきたのである。まず、1906年にラザフォードらによってα崩壊現象が研究され、自然現象のあるものは、単に人間の無知にもとづくものではない本質的な偶然性に支配されていることが明らかにされた。続いて量子力学の分野において、ハイゼンベルクの不確定性原理やボーアの相補性の概念などにより、古典的な機械論的世界観を否定する立場が打ち出されることになった。ハイゼンベルクの不確実性原理は、現象の因果性を論じる前に問題となる物事の決定可能性について論じ、電子の位置と運動量の相方を同時に正確に測定することはできないことを明らかにした。ボーアは光や電子はときには波動のように、ときには粒子のように振舞い、その相矛盾した性質が相補的にはたらくという考えを明らかにし、機械論的なモデルを変更したのである。』

・『ユングが共時性について発表したときは賛否相半ばし、たとえば、ユング心理学についてユング派以外の人間として、よき入門書を書いたアンソニー・ストーも、「共時性に関する彼の著作は、混乱して、ほとんど実際的価値がないと私には思えることを、告白せざるを得ない」と述べている。しかし、一方ではハイゼンベルクやパウリなどの理論物理学者が、この考えに深い理解と共感を示したことも非常に興味深いことである。特に、パウリ[スイスの物理学者、スピンの理論など]はユングと共に、共時性に関する書物を出版するに到ったのである。

●共時性と宗教

・『共時性の現象の背景に、ユングは元型(Archetypus)ということを考える。ユングの元型は解りにくいし、よく誤解もされるが、ここにひとつのたとえをあげてみる。朝まだ明けやらぬうちに、牛乳配達がくる、小鳥がさえずり始める、そして朝刊の配達がある。この順序が確立しているとき、われわれは、小鳥がさえずっているから、もう牛乳が配達されているだろう、とか、小鳥がさえずっているから、もうすぐ朝刊が配られるだろう、などという。しかし、これらの事象の間に因果関係は存在していない。これらの事象の背後にある、人間生活にとっての朝、明け方、というものによって、これらは布置されているのである。われわれは朝そのものを見ることも、手に触れることもできない。しかし、それは明らかに事象にあるまとまりを与え、それは意味をもっている。これが文化の異なるところに行けば、個々の事象は変わるだろう。あるところでは、新聞配達が来たから、そのうちに小鳥がさえずるだろう、と言うかも知れぬ。あるところでは新聞や牛乳の配達などまったく無いだろう。しかし、それら文化の異なるところにおいても、「朝」が人間にとってどのようなはたらきをするかは、たとえば、「活動の始まり」などの言葉によって、ある程度は一括的に記述できるであろう。

ユングは外界のみではなく、人間の内界にも、われわれの意識を超えた一種の客観界が存在すると考えた。彼はそれを類心(サイコイド)領域と呼んだりした。外界において既に述べたような「朝」という現象が生じるとき、内界においてもそれに呼応する「朝」のパターンが活性化され、人間の意識は外的現象を「朝」として知覚するのだ、と考える。人間はこの世に生まれるとき、何もない外界に生まれてくるのではなく、既にいろいろなものが準備されているところに生まれてくるように、その内界にも既にいろいろなパターンが可能性として存在している状態として生まれてくるのである。それだからこそ、人間は人間として行動するわけである。つまり、人間はまったくの白紙として生まれてくるのではなく、そのあらゆる行動において、ある種の潜在的なパターンを背負って生まれてくる。ユングはこのように考え、潜在的な基本的パターンを元型と呼んだ。

●心身の相関

・『古来からつねに論じ続けられてきた心身相関の問題も、共時性との関連で考えてみるべきと思われる。心身に何らかの関係があることは古くから指摘されてきたし、われわれも日常生活においても経験している。恐ろしいと感じたときに冷汗が出たり、悲しいときに涙が出たりする。このときは単純に、自分の感情の変化が身体の変化を生ぜしめると考えがちだが、一方では、周知のように、ジェームズ・ランゲ説というのがあって、むしろ、身体的変化が先行し、それが原因で感情の変化が生じると主張されている。こんなのを見ると、日常に生じている単純な事象でも、原因-結果という見方は容易に反転せしめ得るほどのものであることがわかる。つまり、心身相関の問題はなかなか単純なことではないのである。』

ウィリアム ジェームズ
ウィリアム ジェームズ

ジェームズ・ランゲ説:哲学者ジョン・デューイによって開発され、19世紀の2人の学者、ウィリアム・ジェームズとカール・ランゲにちなんで名付けられました。理論の基本的な前提は、生理的覚醒が感情を引き起こすということです。

Youtubeに「情動の2要因説」を説明された分かりやすい動画がありました。なお、こちらは宮川 純先生の”すき間時間の心理学”というサイトです。

●実際的価値

・『アンソニー・ストーが共時性の考えには実際的価値がないと指摘していることは述べた。一見するとそのように思えるのも無理からぬところがあり、筆者もかつてそのように考えたことがある。因果律による場合は、原因で明らかにしそれに操作を加えることによって結果を異なったものに変えられる。しかし、共時的現象というのは、ただ「そうだ」と言えるだけで、そこから何らの有用な操作を引き出すことができない。しかし、その後、筆者は心理療法家としての経験を増すにつれて、共時性の考えの実際的価値について思い到るようになった。』

心理療法を受けに来る人たちは、軽症の場合を除いて、その葛藤が合理的、一般的な方法によって解決できない場合が多い。いくら考えてもよい解決策が浮んで来ない。まさにボームの言うように思考は思考を超えるものの濾過器として働き、考えれば考えるほど問題解決のいと口がなくなってしまう。このようなとき共時的現象に心を開くときは、偶然として一般に棄て去れそうな事柄が、思いがけない洞察への鍵となることを、われわれはよく体験する。たとえば、ユングの例であれば、黄金虫の突然の出現が、この患者のそれまでの考えを改めさせるきっかけとなったのである。

ここで大切なことは、共時性の現象はそれを体験する主体のかかわりを絶対に必要とすることである。つまり、黄金虫の侵入は偶然として処理し得る。しかし、それを共時性の現象として受けとめることによって、そこに主体のコミットメントが生じる。近代合理主義によって硬く武装された自我は、ある程度の安定はもつにしろ、世界への主体的なかかわりを喪失する危険が高い。ユングがよく記述する、何もかもがうまく行っていて、しかも不安で仕方ないとか、孤独に耐えられなくなるような例が、これに当たるだろう。共時性の現象を受け容れることによって、われわれは失われていた、マクロコスモスとミクロコスモスの対応を回復するのだとも言える。つまり、コスモロジーのなかに、自分を定位できるのである。

しかし、黄金虫の例や、あるいは筆者の易の例は簡単に冷笑の対象ともなり得る。それは極めて一般性を欠いた事象であるからである。しかし、普遍的に正しいことばかりに支えられて生きていて、その人は個人としての人生を生きたと言えるのだろうか。因果律による法則は個人を離れた普遍的な事象の解明に力をもつ。しかし、個人の一回かぎりの事象について、個人にとっての「意味」を問題にするとき、共時的な現象の見方が有効性を発揮する。そして、心理療法においては、後者の方こそが重要なのである。

・『家庭や人間関係の問題を考えるとき、単純に因果的思考に頼ると、すぐに「原因」を見出し、誰かを悪者にしたてあげることが多い。たとえば、母親が悪の根源のように思われたりする。しかし、全体の現象を元型的布置として見るときは、誰かが「原因」などではなく、すべてのことが相関連し合っている姿がよく把握され、そのような意識的把握と、その全体の布置に治療者が加わってくることによって、事態が変化するものである。つまり、誰が悪いかと考えるよりは、皆がこれからどのようにすればよいかと考えることによって、解決の道が見出されてくるのである。実際、われわれ心理療法家が、困難な問題をかかえている人にお会いすると、本人も家族も、自分を悪者にされるように、あるいは自分以外の誰かを悪者に仕立てるために一生懸命で、バラバラになって硬直した関係をつくりあげている。またなかには、そのようなことを助長するような発言をする「教育者」とか「治療者」も多くいる。こんなときに、因果的思考から全員が自由になるだけでも、家族関係は変わるし、視野も広くなるし、回復への道が発見しやすくなるのである。このように、共時性に注目する態度をもつことは、実際的価値を有していると思われる。』

耳針療法とノジエ

耳針については専門学校時代に30歳程年下の同級生の中に、手先の器用な友人がおり、彼が耳針に興味をもっていました。

「配嶋さん、耳のツボを診てあげますよ」ということで。爪楊枝のような細い棒(ステンレス製?)で、何ヵ所か圧をかけられると、飛び上がるように痛い箇所(ツボ)がありました。多分、腰ではないかと思いますが、少なからず軽くなったように記憶しています。

それ以降、耳針に関心をもったのは、フランス人の医師のノジエ博士が確立された耳針法ぐらいでした。

先日、偶然、耳鳴りを耳針で治療するという記事をみつけ興味を持ちました。

耳鳴りは以前ブログに書いてこともあり(”耳鳴り”)、老化による耳鳴りは治すことは難しく、気にしないこと、長くつきあっていくものという認識を持っていたものの、「できれば、何とかした」という思いも残っていました。また、耳針であればいつでも自分でできるというのも魅力でした。

そこで、耳針がどんなものか「少し調べてみるか」と思い、古い本ですが1冊の本を購入しました。

内容は本のタイトル通り、耳針の実践本であり、理論などはそれ程詳しくは書かれていませんでした。

耳針療法の実際
耳針療法の実際

訳編著:清水蓮

発行:1975年3月

出版:刊々堂出版

目次

はじめに

1 耳針療法について

2 中国伝統医学の基本的な考え方

3 耳介の解剖

4 耳介の神経分布

5 耳穴(ツボ) -耳針刺激点-

6 耳穴(ツボ)の探測

7 耳電探索器の扱い方

8 耳電探索器による総合診断

9 耳針治療の“ツボ”の選び方と組み合わせ方

10 耳針の応用

11 耳針の操作と治療法

12 耳針の治療偏(1)

13 耳針の治療偏(2)

14 耳針麻酔について

15 耳針麻酔の応用例

1 耳針療法について

耳針療法とは何か?

『耳針療法とは耳介の反応点(耳のツボ)を探り出して、それに針を刺すなどの刺激を与え、病気を治そうとする一種の治療法であり、中国の伝統医学の基礎の上に発展したものです。』

中国古代の文献にみる耳部による治療

 ・「千金翼方」には、耳の後の「陽維」というツボに灸をすえれば、耳鳴りが治療できると期してある。

陽維
陽維

本画像は「家庭でできるツボ健康療法講座」より拝借しました。

 

P.ノジエ博士(仏)の耳診と治療について

・1957年ドイツの針灸学雑誌は、フランスのP.ノジエ博士の解剖学的見地からまとめた「耳と人体との関係」の論文を載せている。

・『博士は耳に圧痛点を求めて、その圧痛点に針治療を行うと、その疾患に効果があることを報告し、その圧痛点の部位で、患部を知ることも出来るし、逆に患部によって、圧痛点の起る部位がわかるというのです。』

P.ノジエ(仏)の耳の圧痛点
P.ノジエ(仏)の耳の圧痛点

画像出展:「耳針療法の実際」 

本画像は「耳つぼをこえる耳つぼ」フランス式のDr.ノジェさまより拝借しました。

施術中のノジエ博士です。

5 耳穴(ツボ) -耳針刺激点-

・非常にたくさんの病床について耳介を探測すると、特別敏感な反応点をみいだす。これが、耳針の大事な刺激点、耳のツボである。

・近年、各地の中国の医務工作の人々が、臨床に於ける耳の探則の実践を通じ、非常に多くの各種の疾病に一定の関係ある反応点をみいだし、あわせて貴重な診断と治療経験をつみかさね、耳針療法の内容は日ごとに豊富になっていった。

・以下は、上海中医学院編「針灸学」によるものである。

上海中医学院編「針灸学」
上海中医学院編「針灸学」

画像出展:「耳針療法の実際」 

6 耳穴(ツボ)の探測

圧痛法

・体のどこかに疾患があると、耳の該当区に圧痛点として現れる。圧痛棒(針の柄・爪楊枝・ガラス棒など)をもって、耳介上の圧痛点を探す。

・痛点が現れる所は、その相応する部位のみではなく、病気の臓腑の表裏と関係ある所にも現れる。

・例えば、胃痛には「胃区」の圧痛点の外、表裏の関係にある「脾区」にところの圧痛点をさがす。[表裏の関係とは、表(陽経)の「胃」と裏(陰経)の「脾」のことを表裏の関係という]

圧痛棒を使って圧痛点を探すときには、軽く、ゆっくり、そして均等に圧をかけるようにする。なお、正常であればそんなに痛みが出るものではないので、軽くとは痛いとは感じない程度とする。

圧痛点を探すときは、同じ圧であるにも関わらす明らかに痛さを感じる箇所を見つけるのであるが、痛い箇所にあたると、眉をしかめたり、避けようと頭を動かすので分かる。

圧痛の範囲が広い場合や、いたる所にある場合は最も敏感な点を探し出すようにする。

・圧は患者さんの年齢、性別などによって異なる。児童や痩せた女性は弱く、高齢者や皮膚の厚い人は強めに圧をかける。

続いて、もう少し理論的なこと、例えばノジエ博士の耳針法について知りたいと思い、図書館から借りてきたのが

欧米耳針法の理論と臨床』という本です。

ざっと目を通すと、耳針法の理論は深いものであることが分かりました。施術に取り入れるなら真剣に勉強しないといけないと思いました。

ただ、自分自身に試すのであれば、気になる箇所を鍉鍼や爪楊枝で圧迫し、顕著な痛点を見つけたら手加減しながら押圧するということはできるので、それがやれる程度は知りたいと考えました。

欧米耳針法の理論と臨床
欧米耳針法の理論と臨床

著者:MING HANG CHO

初版発行:S53年10月

出版:医道の日本社

「第一章 最新耳針医学の背景」の「2.耳針の歴史をたずねて」の中にノジエ博士に関して、興味深いものが出ていました。理論というよりエピソードですが、貴重なものだと思いますのでそちらをご紹介します。

『フランスの首都パリから250マイルぐらい南方のマルセイユ港に向かって下る途中、汽車で4時間ほどの所にリヨンLyonという人工100万ぐらいの古い都市がある。私が今までに8回ほどたずねた町である。8回も行った理由は、もちろんノジエをたずねるのが目的である。

リヨンという町は、ローンとソーンという2つの大きな川がアルプスのほうから流れて来て合流する地点のすぐ北にあり、川は150マイルぐらい南方のマルセイユのほうへ流れて行く。川があり、山があり、谷があり、風光明媚な所である。

リヨンの町は、ローマ人が紀元以前に建てた古い町で、1975年に行ったとき、時間の余裕があったので、発掘途中のコリセウム(競技場)、野外劇場、博物館等を見学に行った。歩くことの好きな私は、ホテルから歩いて数多い美しい橋をたずね、またおいしい食堂をたずね歩いてノジエと一緒に食べたこともある。

ノジエは町の西のほう300mぐらいの高さの谷を越えた中腹にある高級住宅街の一角、医師たちのはいっている5階建ての近代的な建物のなかにオフィスを持っている。オフィスの建物のそばにノジエの2階建ての住居もある。しっとりと春雨にぬれた庭の砂利を踏んで、オフィスから家へマロニエの木の下を氏とともに歩いてお茶によばれたこともある。

ノジエは、昔フランスの絹の生産中心地、今は染料とか化学物質生産中心地であるこのリヨンでエンジニアリングを学んだが、その後さらに医学に進み、外科、そのなかでも整形骨外科(オルソペディック・サージェリー)のほうに関心を持って勉強した医者である。

【1】対耳輪の火傷痕から

1951年ごろのある日、ノジエは1人の女性患者の耳にきれいな2mm幅の四角の火傷痕を発見した。耳の対耳輪の上の焼痕である。初めて見たこの珍しい火傷痕の由来を尋ねたところ、その患者は、「私は何年も坐骨神経痛に悩まされてきました。ある日人から耳を焼くとその痛みが治ると聞いたので、初めは迷ったのですが、あるとき痛みが激しいのにたまりかねて、耳を焼くというお婆さんの門をたたいたのです。ところが、耳を焼いた数分後、もうケロリと数年間の痛みが治ってしまいました」という。

耳針法の理論と臨床
耳針法の理論と臨床

画像出展:「耳針法の理論と臨床」

その後2~3年のあいだに、同じように耳に火傷痕のある患者をノジエは数人見かけた。そのつどていねいにたずねてみると、皆上記の患者と同じような病歴と治療効果をもっていると言う。何回も同じことを聞くと、初めは半信半疑も薄らいでくるのである。それでノジエ自身も、ある坐骨神経痛の患者に実験してみることにした。患者の耳の対耳輪の上を焼くと、やはり不思議にも坐骨神経痛は治るのである。

ノジエは、そのころマルセイユの医者でハリの大家ニボイエからハリを習っていたので、焼く代りに対耳輪上にハリを刺してみることにした。やはり効果があった。

探求心の強いノジエは、耳を焼いたり、耳にハリを刺したりして坐骨神経の痛みを治すだけでは満足できなかった。この耳の治療の背後に、何か重要な秘密があるに違いないと思ったからである。それは何だろう? どういう生理的関係があるのか? どういう解剖学的な関連があるのだろうか? 神経生理学的な関連があるのだろうか? こういう質問をノジエは、患者を診るたびに自分自身に繰り返して尋ねていたという。ノジエは現在68歳ぐらいだから、この美しい見事な禿頭の2.15mに及ぶ長身温厚なおじいさんが50歳を越したばかりのころの話である。

ある日ノジエに、神の助けに会ったように、日ごろの疑問への答えがひらめてきて、耳針法が始まったのである。

ノジエが語るには、その数年前、友人のアマシュウというやはり骨の外科に関心のある医者と一緒に、いろいろと脊椎外科の問題を何カ月か研究し、討議し合ったことがあるという。その数カ月のあいだ、アマシュウは会うたびに口癖のように「坐骨神経痛の問題は坐骨と仙骨との間の関節の問題だ」と繰り返して言っていた。ノジエがある日いつものように患者の焼いた耳を調べていたとき、アマシュウの言葉が頭に浮かんできた。それと同時に「この対耳輪の焼く点は、坐骨・仙骨間の関節点なのだ。だから、焼いたり刺したりするとそこの痛みが治るのである」というアイデアがひらめいてきたというのである。

耳の対耳輪は、我々の脊柱を代表する所にあたるはずという考えが、自然と頭に浮かんできた。坐骨・仙骨間の関節が対耳輪の上方にあるとする。そして対耳輪が我々の脊柱を代表するとすれば、当然対耳輪の下が我々の頸椎にあたらなければならない。すなわち、耳では脊柱が対耳輪によって代表されているが、それがさか立ちの形で代表されている。

体部位投射点
体部位投射点

画像出展:「耳針法の理論と臨床」

だから対耳珠の方が頭にあたるはずで、我々の耳には我々の身体の各部分を皆代表する部分があって、その分布は、胎児が子宮内でさかさまの位置にいるような恰好で耳に配置されていると思われる。

このようなことが、次々と推理に推理を重ねてノジエの頭に浮かんできたという。1953年夏のことである。

【2】数千年前からの民間療法

耳を焼いて坐骨神経痛を治す治療法は、地中海沿岸で民間療法として数千年間用いられた方法であった。多分、ペルシャ(イラン)かインドかエジプトあたりで発祥して広まったか、あるいは東洋から来たのかも知れない。(ペルシャ方面では、お灸のように皮膚を焼く療法も広く行なわれ、結核患者など、胸とか、背のほうにも焼いたあとが今でも見られるとのことである。)そして過去数百年間いくども医学者たちに着目されて患者の治療に応用され実験されたが、確固とした理論的裏付けをなす人が無く、医学者間の意識上に浮かんでは沈み、浮かんでは沈みを繰り返していたと思われる。

私の友人であり、またノジエが自分のいちばん重要な弟子だというプルディオールは、アフリカの北部アルジュリアが故郷である。プルディオールは「私も坐骨神経痛を耳を焼いて治療するのをアルジェリアでたびたび見たが、あまり注意を払わなかった」と私に告げた。ノジエの天才は、この事実を捉え、逃がすことなく毎日のように探求し、研究を重ね、ついに耳針法の基本となる耳と体部の相関関係、その反射的な相関配置関係を発見したのである。

『ノジエが、昔から耳を焼いて坐骨神経痛を治療する点が、耳での坐骨と仙骨の継ぎ目にあたる所で、その耳での反射点であり、対耳輪が耳での脊柱骨にあたる所であるという原理を発見したのが、1953年であるが、当時この新発見をニボイエに会って恐る恐る話したところ、ニボイエは膝を打って、このような耳の反射圏の事実は中国の針術には全然知られていない発見である。是非このつぎの地中海地方の針灸大会で発表してくれとのことで、1956年にその会で初めて以上の発見を発表したという。

その後ノジエは、ドイツのミュンヘンの医者バッハマンに会う。バッハマンはドイツのハリの雑誌の主幹をしていた人で、その雑誌が知られるものとなった。』

耳鳴り

今回、個人的な関心は耳針法による耳鳴りの治療です。以下のイラストも先にご紹介させて頂いた「家庭でできるツボ健康療法講座」さまより拝借したものですが、これを拝見すると、耳鳴りは交感(おそらく交感神経と思います)、上頸神経節点、そして内耳という3つのツボが重要であることが確認できます。

鍉鍼という刺さない鍼があるのですが、それを使って上記の3つのツボ付近を押圧すると、上頸神経節点と内耳の2か所については強くはありませんが圧痛点でないかと思う反応があります。

今後、時々耳ツボを刺激してみるつもりです。

ご参考:戦場鍼

Battlefield Acupuncture
Battlefield Acupuncture

戦場鍼灸が痛みを伴う人々をどのように助けるか

Battlefield Acupunctureは、2001年に米国空軍で現役を務めていたRichard Niemtzow博士によって作成されました。

Niemtzow博士は、耳に挿入された針が多くの種類の痛みを迅速かつ非常に効果的に緩和することを発見しました。

以下Youtubeです。8分18秒の英語の映像ですが、所々に刺鍼している様子が映し出されています。

Understanding Battlefield Acupuncture

プラセボと自然治癒力

プラセボというと、例えば、睡眠の問題を抱えた人に、「これは良く効くといわれている新薬だよ」といって、胃腸薬(ビオフェルミンのような)を渡して飲んでもらったところ、翌朝、「あの薬が効いたようだ、ぐっすり眠れたよ」などというものを連想します。プラセボ薬とはいわゆる偽薬に相当するものです。

一方、鍼の世界でも、「それってプラセボでは?」という話になることもあり、以前から“プラセボ”というものには関心をもっていました。特に“プラセボ”と“自然治癒力”の境目はなかなか難しい部分だなと感じていました。

今回の本は、ある探し物をしていて偶然に見つけたものですが、特にタイトルの副題、“プラセボから見えてくる治療の本質”に興味を持ちました。

プラセボ学
プラセボ学

著者:中野重行

発行:2020年3月

出版:ライフサイエンス出版

 

内容は専門性の高いものですが、最初の「プロローグ」には背景や概要などが書かれていますので、最初にそちらの一部をご紹介させて頂きます。

プロローグ

私は、心身医学を専攻し、臨床薬理学を専門領域とする医師として、この半世紀余りを生きてきました。心身医学では、心と身体の関連性を研究するとともに、臨床場面では、心と身体の両面から患者へのアプローチをします。心身症患者は、身体的な治療だけでは症状が改善しにくいことも多く、心の面からの働きかけが重要になってくるのです。一方、臨床薬理学の柱の一つである臨床薬効評価の場では、薬の有効性を評価する際に、対照群としてプラセボ投与群を設定することが、しばしば必要になってきます。

したがって、若いころから、プラセボという物質の存在とプラセボ反応(または、プラセボ効果)という現象には、深い関心を抱いてきました。そのため、プラセボ反応に関与する要因を明らかにするために、短期間の自覚症状・生理指標・行動面の変化を指標にした実験心理学的研究や臨床精神薬理学的研究を、いくつか行った経験があります。また、より長期間にわたる臨床での薬物治療効果を評価する場では、幅広い疾患と治療薬の臨床試験で、プラセボ投与群のデータを集積してきました。

いろいろな医学会で、プラセボをめぐる諸問題をテーマにしたシンポジウムやワークショップを担当する機会を、何度も経験しました。プラセボに関するテーマで、特別講演や教育講演を行う機会もありました。また、医学生や薬学性を対象にした教育の場や、臨床研究コーディネーター(Clinical Research Coordinator: CRC)を対象にした研修会の場では、プラセボ関連の話題はカリキュラム上重要な位置を占めています。

~中略~

プラセボ反応は、面白おかしく語られたり、場合によっては、邪魔もの扱いされたりすることさえあります。プラセボ反応が、なかなか科学の土俵に上がらなかったのは、プラセボ反応が多くの要因により規定されているためであり、生命現象としての「自然治癒力」と密接に関連しているからだと考えられます。

しかし、プラセボ投与群と薬物投与群の改善率を、構造的に理解すると見えてくるものがあります。それは「治療医学の本質」です。「治療は、生体の有する自然治癒力を前提に成り立っている」ということです。プラセボ反応として私たちが捉えているものは、生体の有する「自然治癒力」を介して働いている現象であり、その意味では生命現象そのものの特徴だということもできると思います。

プラセボ投与時の改善率(P[Placebo]+N[Natural fluctuation])を高めることに目を向けると、医療の効率化に資することができるように思います。医療費の節減にも貢献できると思います。また、健康な方にとっては、健康の維持や、健康寿命を延ばすことにも役立つように思うのです。』

なお、ブログは黒字部分、5章、10章、11章の一部です。

目次

1章 プラセボ投与時に見られる改善率

1.治療を含む臨床試験でプラセボ投与群の改善率はどの程度認められるのか:二重盲検ランダム化比較試験(RCT)の結果から

2.プラセボに関する用語と定義

2章 プラセボ投与時に見られる有害事象または副作用

1.「有害事象」「副作用」「薬物有害反応」という用語について

2.プラセボ投与時に見られる有害事象または副作用

3.「プラセボ効果」と「プラセボ反応」という用語について

4.「ノセボ効果」というとらえ方の問題点

3章 プラセボ効果(反応)の構造的理解

1.Post hoc fallacy(前後即因果の誤謬)

2.「プラセボ効果」と「プラセボ反応」という表現について

3.時間の経過に伴う病状や症状の変化

4.「プラセボ効果(反応)」の構造的理解

5.薬効の構造的理解 

4章 医薬品の臨床試験におけるプラセボの誕生とプラセボ対照群の必要性

1.臨床評価のためには比較試験が何にもまして重要である

2.臨床評価のための比較試験でランダム化(無作為化)が必要な理由

3.臨床薬効評価法におけるプラセボの誕生:臨床評価のための比較試験で二重盲検法が必要な理由

4.薬物の有効性と安全性を科学的に評価する際に、なぜプラセボ対照群が必要になるのか

5章 プラセボ効果(反応)に関与する要因

1.生体の有する「自然治癒力」

2.暗示効果または期待効果

3.条件づけ

4.患者と医療者の間の信頼関係

5.患者の治療意欲

6.患者への適切な説明(服薬指導)

6章 対照群にプラセボを使用する際の基本的な考え方

1.対照群にプラセボを使用する際に考慮する必要のある要因

2.臨床試験で有用性の実証された標準薬の有無と被験者の被るリスクの程度による分類

7章 プラセボ対照群を使用する臨床試験を実施する際の工夫と留意点

1.対照群に使用するプラセボとして必要となる条件

2.試験デザイン上の工夫と留意点

3.プラセボを使用することにより被験者が被る可能性のあるリスクを臨床試験チーム全体で背負う姿勢の重要性

4.被験者へのプラセボの説明のしかた

8章 プラセボ対照二重盲検比較試験における盲検性の水準とその確保

1.被検薬の特性以外の要因から薬剤の盲検性に問題が生じたケース

2.被験薬そのものの特性から薬剤の盲検性に問題が生じる可能性

3.被検薬の薬理作用から薬剤の盲検性が守れなくなる可能性

9章 プラセボの使用に関する倫理的ジレンマとそれを乗り越える試み

1.「プラセボ対照ランダム化比較試験」以前の時代におけるプラセボの使用について

2.「プラセボ対照ランダム化比較試験」の時代になってからのプラセボの使用について

3.世界医師会のヘルシンキ宣言にみられるプラセボの使用に関する考え方

4.プラセボジレンマとその解決策として考えられること

10章 プラセボ反応(効果)の治療における意義

1.薬物投与時にみられる病態・症状の改善についての理解のしかた

2.プラセボ投与群にみられる改善は治癒のプロセスの本質を理解するうえで重要

3.暗示効果

4.自然治癒力(自己回復力)について

11章 薬物治療の効果を高めるためのストラテジー(1)

1.薬物治療の効果に関する構造的理解

2.プラセボ投与時の改善率(N+P)を高めることにより患者が受けることのできる恩恵

3.薬物治療の効果(D+N+P)を高めるために

12章 薬物治療の効果を高めるためのストラテジー(2)

1.薬物治療効果を構造的に理解することにより見えてくるもの

2.プラセボ関連誤謬(錯覚):Placebo related fallacy

3.ライフスタイルの改善により「自然治癒力」を高める

補遣 プラセボの説明のしかた

1.「ロールプレイ法により学ぶ治験のインフォームドコンセント」と題する実習

2.プラセボについて説明することの難しさ

3.プラセボに関する医療者の理解度

4.被験者の治験内容の理解度:とくに「プラセボ」について

5.インフォームドコンセントについて

6.プラセボに関する説明を患者に対してする際の留意点

7.ランダム化比較試験(RCT)、とくにプラセボを患者に説明する場合には、コミュニケーションのエッセンスが詰まっている

5章 プラセボ効果(反応)に関与する要因

・下の図の中で、薬物以外の非薬物要因として挙げられているものは、プラセボ効果(反応)に影響を与える要因である。

薬物治療の効果に及ぼす薬物要因と非薬物要因の影響
薬物治療の効果に及ぼす薬物要因と非薬物要因の影響

画像出展:「プラセボ学」

 

・「プラセボ効果(反応)」には生体が有する自然治癒傾向と自然変動がベースに存在している。

プラセボ効果(反応)の構造的理解
プラセボ効果(反応)の構造的理解

画像出展:「プラセボ学」

 

1.生体の有する「自然治癒力」

・外傷や感冒の治癒過程を考えても、人間には「自然治癒力」が備わっていることは明白である。高度な外科手術で生体にメスを入れ縫合後、傷口が治っていくのは「自然治癒力」のおかげである。

・『私たちは、現代医学の目覚ましい技術的進歩に目が奪われるあまり、本来生体に備わっている「自然治癒力」の存在を軽視しがちなのではないでしょうか。いま一度、医療の原点に立ち戻って、「自然治癒力」を重視した医療のあり方を考える必要があるように思います。

・自然治癒力を高めるために、古くから「養生法」が工夫されてきた。「養生法」の基本は生活習慣の調整であり、食事、運動、心の持ち方が3本柱である。

2.暗示効果または期待効果

・『「いわゆるプラセボ効果」(図2のN+P)から「真のプラセボ効果」(図2のP)だけを抽出することは、臨床の現場ではまず不可能に近いほど難しいことです。しかし、実験心理学的研究の場では、実験条件のコントロールがある程度可能になるので、急性反応としての「真のプラセボ効果」を明らかにすることができます。』

内科領域の不安・緊張に伴う自律神経症状を主体とする心身症に関し、治験からプラセボ投与後の改善率が高いことは明らかになっている。

内科領域の心身症におけるプラセボ効果(反応)と患者の治療への期待度の関係
内科領域の心身症におけるプラセボ効果(反応)と患者の治療への期待度の関係

画像出展:「プラセボ学」

 

この図を見ると、期待度が中等度の場合に最も高く(53%)、軽度では少し低下し(36%)、強度では顕著に低く出現率だった(8%)。つまり、適度な期待度という心持が最もプラセボ効果が高いということである。

・より強力かつ有効な薬物が開発されると、その領域におけるプラセボ効果の出現率が高まる傾向がある。この現象も、患者だけでなく医療者側にも、期待度や効くはずだという信念が生じるための影響だと考えられる。

・治験において被検薬の副作用が、対照群であるプラセボ投与群でも同様に高い頻度で出現するという現象も、同様のメカニズムが働いているものと考えられる。

プラセボ効果はプラセボの価格によっても異なり、価格が高い方が鎮痛効果は出やすく、価格が安いと鎮痛効果が出にくいという報告がある。これは高い価格により生じる「効くという暗示効果」あるいは、「効いてほしいという期待効果」を介して生じている現象だと考えられる。また、健康食品や化粧品についても、同じような現象が見られる。

Waber RL, Shiv B, Carmon Z, Ariely D, Commercial features of placebo and therapeutic efficacy. JAMA 2008;299 (9):1016-7.

4.患者と医療者の間の信頼関係

・心身症を対象にしたプラセボ投与群の改善率の成績は、「医師-患者間の信頼関係」においても明確な傾向が見られる。

“良好”と“困難”では5倍の差が見られる。なお、プラセボではなく抗不安薬(ジアゼパム)の投与群でも同様な改善傾向が確認されており、あらためて医師-患者間の信頼関係の重要性が示唆されている。

内科領域の心身症におけるプラセボ効果(反応)と医師患者の信頼関係
内科領域の心身症におけるプラセボ効果(反応)と医師患者の信頼関係

画像出展:「プラセボ学」

 

5.患者の治療意欲

・「治療意欲」の程度での解析でも、2倍以上の差が出ており治療意欲を適度に高めるように支援することは大切である。

内科領域の心身症におけるプラセボ効果(反応)と患者の治療意欲の関係
内科領域の心身症におけるプラセボ効果(反応)と患者の治療意欲の関係

画像出展:「プラセボ学」

 

6.患者への適切な説明(服薬指導)

・患者にプラセボまたは薬物を投与するとき、その効果について適切な説明をすることは、薬効およびプラセボ効果を高めることが研究により明らかになっている。

薬効に関する医師の適正な説明が外来歯科患者の不安の強さに及ぼす影響
薬効に関する医師の適正な説明が外来歯科患者の不安の強さに及ぼす影響

画像出展:「プラセボ学」

 

・『冒頭に紹介した図1をもとにして、本稿で記述してきた要因を加味したうえで、プラセボ効果(反応)に関与する要因を整理しなおす、図7のような図ができあがります。

プラセボ効果(反応)に関する要因
プラセボ効果(反応)に関する要因

画像出展:「プラセボ学」

 

プラセボ効果(反応)やその根底にある「自然治癒力」がサイエンスの土俵に乗り難いのは、あまりにも多要因によって影響を受けている現象であるからだと思われます。サイエンスの重視している再現性を保証することが難しいのです。つまり、プラセボ効果(反応)に関与することが難しいことと、それらの要因の数量化が難しいためと考えられます。

しかし、プラセボ効果(反応)はサイエンスで取り扱うことが難しい現象ではありますが、その研究は薬物治療を含む治療医学の領域においても、また臨床薬効評価の領域においても、依然として重要なテーマであり続けています。』

10章 プラセボ反応(効果)の治療における意義

1.薬物投与時にみられる病態・症状の改善についての理解のしかた

・被検薬投与群とプラセボ投与群を比較試験(RCT:ランダム化比較試験)すると、それぞれに効果が見られる。つまり、被検薬投与群で得られた効果(改善率)が被検薬だけの効果のように取られることが多いが、実態はプラセボ効果が含まれており、被検薬単独の効果ではないという事実を知ることが重要である。

治験における標準薬または被検薬とプラセボの改善率
治験における標準薬または被検薬とプラセボの改善率

画像出展:「プラセボ学」

 

・『例として、内科領域における心身症、片頭痛、糖尿病(NIDDM)という三つの病態を取り上げてみます(図1)。いずれも国内の治験で得られた成績です。

心身症は心理社会的要因が密接に関与する心身相関の認められる病態です。不安症状や軽いうつ症状を伴うことの多い心身症では、その病態の特徴から容易に想像できるように、一般にプラセボ反応(効果)が比較的高く認められます。内科領域で心身症の診療をしている全国の医師が参加した治験の成績では、プラセボ投与群の改善率は42%、抗不安薬(ここでは標準薬として使用したジアゼパム)投与群の改善率は58%で、その差は16%でした。つまり、プラセボでも42%が改善し、代表的な抗不安薬であるジアゼパムは、改善率を16%上げているにすぎません。しかし、ジアゼパムの改善率58%という数字だけを見た人たち(製薬会社の職員だけでなく、患者や医師も含めて)は、ジアゼパムにより58%の患者が改善すると考えがちなのです。

片頭痛は拍動性の血管性頭痛です。遺伝的要因も関与しますが、ストレスによっても頭痛が誘発されることがあります。また、ストレスによって頭痛の症状が増悪されることもある病態です。頭痛は自覚症状としての訴えです。したがって、プラセボ反応(効果)がかなり高いことが予測されますが、プラセボ投与群の改善率は28%で、被検薬である片頭痛治療薬の改善率は52%でした。その差は24%になります。ここでも、片頭痛治療薬によって52%の患者の片頭痛症状が改善すると思いがちですが、実際には24%の患者が片頭痛治療薬の恩恵を受けて改善していることになります。

心身症や片頭痛は、心理的要因が病態や症状に関連していることが一般に認められており、自覚症状の改善が臨床評価に際して重視されます。したがって、プラセボ反応(効果)が出やすいと考えられています。

一方、糖尿病(NIDDM)は、血液中のHbA1cの値という客観的指標で臨床評価をする病態なので、一般にプラセボ反応(効果)はほとんど出ないと考えられているように思います。しかし、プラセボ投与群でも13%の改善率が認められ、被検薬となった糖尿病治療薬の改善率は43%で、その差は30%になります。つまり、糖尿病治療薬そのものの効果は30%で、プラセボ投与群の改善率の13%は、定期的に診察と血液検査を受けることに伴う食事や運動などのライフスタイルの改善によるものと考えられます。

ここで例として挙げた各病態での改善率の数値は、治療の対象となった患者層、投与量、投与期間、評価指標、評価期間などの諸要因により決まる値です。したがって、数値そのものはさほど重要ではなくて、薬物投与時にみられる病態・症状の改善をプラセボ投与群の改善と比較して、どのように考えたらよいかを理解するための単なるツールと思ってください。

薬物投与時にみられる病態・症状の改善率をどのように理解するかは、構造的に理解するのがよいと思います。

つまり、観察されたプラセボ投与時の改善を、N(自然変動:自然治癒傾向)とP(真のプラセボ効果または真のプラセボ反応)の組み合わせとして理解し、観察された薬物投与時の改善についても同様にして、NとPとD(薬物に起因する効果:薬効)の組み合わせとして理解するという方法です。』

薬物投与時とプラセボ投与時に認められる改善率の構造的理解
薬物投与時とプラセボ投与時に認められる改善率の構造的理解

画像出展:「プラセボ学」

 

11章 薬物治療の効果を高めるためのストラテジー(1)

3.薬物治療の効果(D+N+P)を高めるために

・薬物治療の臨床効果は、病態の適切な診断(評価)と適正な医薬品の選択、投与量、投与方法の選択が非常に重要であるが、薬物の治療効果は、薬物以外の多くの要因(非薬物要因)の影響を受けている。これがプラセボ投与群の改善率(N+Pの部分)に反映される。

・非薬物要因としては疾患に伴う諸要因(疾患の種類、重症度、疾患の時期など)と、疾患以外の諸要因(医療者側の要因、患者の年齢、治療環境、患者と医療者の信頼関係など)に分けられる。

薬物治療効果に影響する非薬物要因
薬物治療効果に影響する非薬物要因

画像出展:「プラセボ学」

 

1) 真の薬物効果(D)を高める

・薬物の効果や薬理作用の強さは以下の3つの要因で決まる。

① 薬物の種類(薬物の有する薬理作用の特性)

② 作用部位における薬物濃度

③ 薬物に対する生体の感受性

2) 自然治癒力(N)とプラセボ反応(P)を高める(N+P)

・医聖とされるヒポクラテス(紀元前460年頃~370年頃)は、健康はからだと心を含む、内的な力と外的な力との調和的バランス状態の表現であるとし、自然治癒力を重視した。

・「自然が病を癒す。人体は生まれつき備わっている反射と同様に、自動的に働く。自然はこの本質的なふるまいを、訓練も教育もなしに行うものだからである。」とヒポクラテスは言っている。

・中世のフランス人外科医パレ(1510~1590年)の残した言葉、「我、包帯す。神、癒し賜う。」は現代でも的を射ている。

・一般に、治療は生体の「自然治癒力」を前提として成り立っており、自然治癒力を妨げている要因があれば、それを排除して自然治癒力を促すことが重要である。

・自然治癒過程に配慮しながら、自然の法則にしたがって細かな調節をするのが治療行為である。

・治療行為は「疾患」だけが対象ではなく、「病人」も対象になるので、患者と医療者の信頼関係をベースに展開していく。

・あらゆる病態や症状には、心身相関が認められるので心理的社会要因をも考慮した「養生法」に基づく自然治癒力を高めるための枠組みが重要になってくる。

・『医師の信念と患者の信念、その相互作用によって、プラセボ反応はますます強化されていきます。医師が自分の行う治療法の価値を確信すること、患者もその治療法を信ずること、患者と医師がお互いに信じあうこと。この三つの要素が最適条件で働けば、たとえば非合理的な理論に基づく治療法でも、改善が起こりうるということを、医学の歴史は示してきました。近代医学が誕生するまでの治療医学の歴史は、「プラセボ反応の歴史」であったと言っても過言ではないと思います。

感想

今まで鍼灸の施術を行ってきて、「鍼灸に好意的な患者さま」、具体的には過去に鍼灸で良い経験をされた患者さま、鍼灸が好きな患者さま(怖い、痛そうなどのネガティブな感情ではなく、心地よいとか体が軽くなるといった感想をもたれる患者さま)は、効果が出やすいと感じていました。

今回、中野先生の『プラセボ学 -プラセボから見えてくる治療の本質』を勉強させて頂き、“信頼”や”期待”が治療効果に大きく関わってくることを、プラセボ研究というサイエンスを通じて理解できたことはとても大きな収穫でした。

一方、大きな反省点として痛感したことがあります。私は、特に慢性腎臓病(CKD)の患者さまに対して、「やってみないと分かりません」と言ってしまうこと多々あります。実際、Cr値(クレアチニン値)については、個人差が大きく明確な傾向も掴めていない状況で、まさにこの通りと言えます。

しかしながら、患者さまの中には検査結果を拝見すると、炎症性をみるCRPや貧血とも関わるヘモグロビン値などに改善傾向が見られることもあります。

もちろん、慢性腎臓病で来院される方の期待は圧倒的に腎機能の改善(Cr値の改善)ではあるのですが、短絡的にCr値だけをクローズアップするのではなく、患者さまの総合的な健康状態の理解に努め、鍼灸の効果について、知識と経験に基づき”適正な期待度”をもって頂けるように心掛けないと、”期待”や”信頼”という重要な要因に紐づく”効果”を失ってしまうと感じました。

天気病

梅雨時、特に6月にめまいを起こすことが多いというお話をある患者さまから頂きました。また、「天気病といわれるものかもしれない」とのことでした。

以前、天気病については少し調べたことはあったのですが、ほとんど記憶から消えてしまっていたので、あらためて調べてみることにしました。

その症状は天気のせいかもしれません
その症状は天気のせいかもしれません

著者:福永篤志

初版発行:2015年10月

出版:医道の日本社

この福永先生は脳神経外科の専門医でありながら、なんと気象予報士という驚くべき経歴をお持ちでした。

『医学と気象学という、2つの専門的な知識をもとにして、「気象病の具体的な予防法」をみなさんにお伝えしようとするのが、この本の趣旨となっています。』

とのことです。

目次

はじめに

第1部 天気を知って病気を防ごう

気象病のキホン

1 体は天気の影響を受けている!

●その日の体調は天気で変わる

●「気象病」って何?

●気象病は予防できる!

●天気予報を見て健康になろう!

2 天気予報の上手な見方

●天気予報はこうして身近になった

●知っておきたい気象用語

●天気予報はここを見よう!

Column 私が気象予報士を目指したワケ

第2部 明日の天気が命とり!?

脳卒中と心臓病

3 脳卒中には気温が関係していた!?

●脳卒中も気象病のひとつ

●脳梗塞が起こりやすいのはいつ?

●脳血栓は「気温差が大きい」日が危険!

●予防は温度調整と水分補給がポイント

4 夏より冬に多い脳出血

●脳出血は突然起こる!

●気温の低い朝が危ない!

●急激な血圧変動を抑える生活習慣を

Column 「脳神経外科専門医」について

5 気温差が危険!?くも膜下出血

●働き盛りは要注意な「くも膜下出血」

●寒い日の水仕事が危ない!

●くも膜下出血を予防しよう!

Column 脳卒中フローチャート

6.心臓病も気象病です

●心臓病ってどんな病気?

●心筋梗塞と狭心症

●冬に起こりやすい心臓病

●心臓病はこんな日に気をつけよう

Column 人類は変化している① がん患者総数の増加

第3部 あの身近な症状も!

まさまだある気象病

7 オゾンホールと白内障・皮膚がん

●オゾンホールって何?

●オゾンホールと白内障・皮膚がんの関係

●白内障と皮膚がんの予防法

8 天気と深い関係の片頭痛

●生活に支障をきたす片頭痛

●片頭痛が起こりやすい日をチェックしよう

Column 「イライラ」も気象病?

9 腰痛・関節痛は低湿・低気圧で悪化!

●腰痛・関節痛は体の炎症反応

●低温・低気圧の日に出やすい痛み

●腰痛・関節痛の対策

Column 人類は変化している② 不妊症

10 インフルエンザはなぜ冬に多いのか?

●ウィルスが増殖しやすい冬

●予防に「うがい」は効果ない?

●口腔内バイオフィルムを除去しよう!

●実体験から見たインフルエンザ予防法

11 気象が引き起こすアレルギー

●増え続けているアレルギー患者

●予防が難しい花粉症

●寒暖差アレルギーにも要注意!

12 盲腸は梅雨の晴れ間に多い!?

●盲腸は気象病か否か

●虫垂炎は予防できるのか?

13 生命を脅かすぜんそく

●死亡者の9割は高齢者

●ぜんそくが発症しやすい季節は?

14 油断大敵な熱中症

●日射病・熱射病も「熱中症」のひとつだった

●熱中症の原因とメカニズム

●熱中症の予防法は?

第1部 天気を知って病気を防ごう

気象病のキホン

1 体は天気の影響を受けている!

その日の体調は天気で変わる

・天気の影響を受ける最大の理由は、人間が恒温動物だからである。

人間は体内の酵素の働きを維持するため、体温を一定にしなければならず、この体温調節は主に自律神経系が担っている。

・気圧の変化にも体は恒常性を維持しようと反応する。気圧が下がると耳の奥の「内耳」の圧センサーが作動し、交感神経を刺激する。

気圧が下がると痛みに敏感になるのは、交感神経が活性化してノルアドレナリンなどの神経伝達物質が放出され、血管が収縮して痛覚受容器の活動が亢進するためと考えられる。

「気象病」って何?

・気象病の具体例:気管支ぜんそく、心臓病、脳卒中、尿路結石、腰痛・関節痛、リウマチ、花粉症、インフルエンザ、熱中症、食中毒、寒暖差アレルギー、片頭痛、虫垂炎、白内障、皮膚がんなど。

・気象病(生気象学)という言葉は1950年代後半頃から学会で使われるようになった。

・医学部では「気象変化を原因としてさまざまな疾患が発生する」という生気象学の考え方自体を深く取り上げていない。

・『私は、気象変化をひとつの切り口とした疾患の捉え方、そこから考えられる病気を治療法や予防法を研究することも、多くの患者さんにとって、実用的かつ有用的なのではないかと思っています。

気象病は予防できる!

・脳神経外科専門医かつ脳卒中専門医として、「脳卒中は予防できる!」と考えている。特に脳梗塞(無症候性脳梗塞を除く)は注意すれば防げると思っている。これは医学的かつ気象学的に血栓を予防できるという根拠があるためである。

-寝る前と朝起きた時にコップ半分~1杯の水を飲み、たばこを止め、バランスよく食事をとって動脈硬化を予防し、血液循環良くするために歩く習慣をつける。

-脳梗塞は真夏や季節の変わり目に多いという季節性があり、また気温差の激しい日に多いという特徴がある。このような日には水を少し多めに摂ることが予防になる。

脳梗塞を初めて起こした患者さんに話を聞いてみると、水をあまり飲まなかったという患者さんが多いことに驚かされる。

・『もちろん脳梗塞の最大の原因は、動脈硬化です。また、高齢者には、不整脈を原因として、比較的大きな血栓が心臓から脳へととんでしまう脳梗塞(脳塞栓といいます)も増えています。動脈硬化が強く、もともと血管が詰まりやすい状態や、心臓病をお持ちの方の場合は、残念ながら脳梗塞を起こしやすいのは事実です。

しかし、脳梗塞は、体の内部の状態が悪いだけで起こる病気ではありません。

人間の体は通常、病気を起こさないように働いています。血圧や体温を一定に保つように、自律神経・視床下部系が自動調節していますし、細菌の侵入を防ぐためのさまざまな防御機構や、侵入したときに活発化する免疫機能など、24時間、体は頑張っています。ところが、そこへ外部環境による負荷や刺激が加わり、耐えられなくなると、病気を発症してしまうのです。』

2 天気予報の上手な見方

知っておきたい気象用語

・晴れの日に多い病気は虫垂炎。

・曇りの日に多い病気はうつ病、ストレス性疾患。

・『患者さんの中には、入院中に微熱が続いていたのに、退院すると平熱に戻ってしまうという方をしばしばお見かけします。血液検査をしても異常はなく、原因不明なのですが、これはひょっとしたら日照時間が関係しているのかもしれません。入院中は、日光をほとんど浴びませんので、副交感神経が優位となり、体温が上がりやすくなります。しかし退院すると、日光を浴びて交感神経が優位となり、体温が平熱に戻るのではないかと思うのです。』

天気予報はここを見よう!

・気圧が10hPa下がると、海面は約10㎝上昇するが、我々の体に関しても気圧が下がって大気圧の力が緩むと、体はわずかに膨張するため体に何らかの変化が起きても不思議ではない。

第2部 明日の天気が命とり!?

脳卒中と心臓病

3 脳卒中には気温が関係していた!?

脳卒中も気象病のひとつ

・動脈硬化が進行し、血管が硬くなったために血圧を正常範囲にコントロールする自動調節機能がうまく働かず、冷気に触れたりすると、血圧が過度に上昇することがある。これにより脳の血管が切れたり、脳循環が悪くなって血管が詰まったりして脳卒中を起こす。

脳梗塞が起こりやすいのはいつ?

一過性脳虚血発作は脳梗塞の前兆であるため、速やかに病院を受診すべきである。また、脳梗塞の前兆には、数秒から数分間、目の目にシャッターが下りたように真っ暗になるという目の症状(黒内障)もある。「立ちくらみ」などと誤解されやすいが注意が必要であり、その場にしゃがみ込んだり、意識が遠のく感じがしたりすることがほとんど見られないという特徴がある。

脳血栓は「気温差が大きい」日が危険!

季節の変わり目で、前日との気温格差や日内の気温較差が10℃以上なる日は、着るものなどに注意て体温調整することが必要ある。

・心房細動などの心臓病をお持ちの高齢者は極端に温度が高い日や低い日に注意が必要ある。

予防は温度調整と水分補給がポイント

日頃からこまめに水分補給を心掛ける。

お茶(玉露、緑茶、紅茶、ウーロン茶)の中には、尿路結石の原因となるシュウ酸が比較的多く含まれている。一方、カテキンは体内の脂肪を分解する効果があるので、食後はお茶、飲水は水が望ましい。なお、麦茶はシュウ酸が少ないと言われている。

4 夏より冬に多い脳出血

脳出血は突然起こる!

・脳出血は「脳卒中」のひとつ。動脈硬化が本質的な原因と考えられるが、高血圧の既往のある人に多い。

・高血圧以外では、脳動脈静脈奇形、血管腫、脳腫瘍などからの出血や、高齢者に多いアミロイドアンギオパチーという、しばしば認知障害を伴って脳内に微小出血が多発する奇病もある。

・脳出血は脳梗塞と異なり、前兆や一過性の発作がなく、多くは突然発症する。

・『予防としては、普段から血圧を正常範囲内にコントロールすることが最も重要です。具体的には、収縮期血圧(いわゆる「上の血圧」)が140㎜Hg』以下、拡張期血圧(いわゆる「下の血圧」)が90㎜Hg以下という数値がひとつの目安となります。ただ、高齢者の方は、血圧が低すぎると脳循環が悪くなって、めまいなどを起こすこともありますので、あまり下げすぎないほうがよいかもしれません。

・脳出血の予防には、動脈硬化の進行予防、すなわち生活習慣病(高血圧症、脂質異常症、糖尿病、肥満など)の予防や禁煙、節酒が最も重要である。

気温の低い朝が危ない!

・脳出血に気をつけるべき気象条件

-気温が低く冷え込む日。

-晩秋、早春、日中の気温較差が大きい日。

-急激な気温変化の後は特に要注意。これは短期間での気温の低下は血中ヘモグロビン値、赤血球数、血圧などを上昇させ、しかも1~2日間継続すると考えられており、これにより血液粘調度の増加や高血圧につながるからである。

-早朝など午前中に発症することが多い。早朝に血圧が上がるという現象(モーニングサージ現象)が原因の一つと考えられている。

急激な血圧変動を抑える生活習慣を

・問題は血圧の自動調節機能が適切に機能しない血管の柔軟性が低下している高齢者や動脈硬化が進行している人である。

天気予報の「翌日との気温差および最低低気圧」を忘れずチェックする!

-寒い日は寝床に置いた上着を着て、決して裸足では歩かない。外に新聞を取りに行くときはマフラーを巻く。

-寒い日は無用な外出は控える。特に飲酒後は要注意。

-どうしても寒い日に外出するときは、暖かい格好で、手袋やマフラーは必須。

-入浴前は風呂場を温め、脱衣所も暖めておく。

-血圧は定期的に自宅で測定する。

-冷水で食器洗いや洗車はしない。血圧が過度に上昇することを防ぐ。

・入浴は、入浴前・入浴中・入浴後で血圧は大きく変動するため注意を要する。

急激な血圧変動を抑える
急激な血圧変動を抑える

画像出展:「その症状は天気のせいかもしれません」

5 気温差が危険!?くも膜下出血

●働き盛りは要注意な「くも膜下出血」

・脳は豆腐のように軟らかくて崩れやすい、約60%が脂質でできており、髪の毛よりも細い血管が無数に走行している。

・脳を覆っている3枚の膜(外側から硬膜、くも膜、軟膜)。くも膜と軟膜の間のくも膜下腔という隙間に出血するのがくも膜下出血である。

くも膜下出血の90%以上が、脳動脈瘤の破裂が原因とされている。頻度は10,000人に1人から3人であり、それほど多い病気ではない。ただし、発病者の半数近くの人が命をおとす恐ろしい病気である。

寒い日の水仕事が危ない!

冬空の下での洗車や冷水での洗いものなども注意を要する。これは冷たいという要素に加え、力を入れているということで急激に血圧が上がったことが脳動脈瘤の破裂につながったと考えられる。

・研究によると、4℃の冷水に手を1分間浸しているだけで、収縮期血圧が50㎜Hgも上昇することもある。つまり、普段120㎜Hgの人でも170㎜Hgまで上がってしまうということである。

寒い日の水仕事は危ない
寒い日の水仕事は危ない

画像出展:「その症状は天気のせいかもしれません」

くも膜下出血を予防しよう!

・40歳を過ぎた頃から脳動脈瘤の発生率は上昇し、脳ドック受診者全体の数%~6%程度に発見されると言われている。

6.心臓病も気象病です

心臓病ってどんな病気?

・本書では虚血性心疾患(心筋梗塞と狭心症)について見ていく。

・脳卒中と虚血性心疾患はいずれも動脈硬化が主な原因であるという共通点がある。また、高血圧症の合併が多いというのも共通点である。つまり、動脈硬化と高血圧は悪循環の関係にある。

・生活習慣病や高齢も共通点としてあげられる。

心筋梗塞と狭心症

・心筋梗塞

-冠動脈が詰まって心筋細胞が壊死してしまう病態。原因のほとんどは動脈硬化である。男性に多く、30代でも発症するが、50代以降に多発する。死亡率は5~30%程度と言われている。

冷汗を伴う突然の胸痛が特徴だが、違和感のみの場合もあるので注意を要する。その他、息苦しさや手足に力が入らない、めまいや気が遠くなって動けなくなるということもある。なお、これらの症状は15分以上続く。

・狭心症

-冠動脈が細くなって心筋組織への血流が不足し、心筋組織がダメージを受けることによって起こる。

-締めつけられるような胸痛を伴う一連の症候をまとめて狭心症という。

狭心症は冠動脈の一時的な血流不全によるものなので、通常は、5~15分以内に症状は治まる。

冬に起こりやすい心臓病

・心筋梗塞は寒い冬に多い。2000年の全国調査では6~9月が最も少なく、12~3月が最も多い。

人間が冷気に反応するのは恒温動物で、体内の酵素やホルモンを正常に機能させるためである。

-冷気は血管平滑筋を収縮させる。末梢の血流が悪くなり組織を障害すると痛み物質が放出されるとともに、心臓は血流を改善させるため血圧を上げる。

-冷気は皮膚に存在している冷覚受容器によりキャッチされ、中枢神経に伝えられてそれにより交感神経が活性化される。交感神経は末梢の血管を収縮させるので血圧は上がる。

-冷気によって刺激された冷覚受容器は大脳の感覚野へ伝わり、「寒い!」と認識する。さらに大脳の視床下部に伝わって交感神経を活性化する。これによって血圧は上昇する。

血管が軟らかければ血圧の上昇は少ないが、特に動脈硬化が進行した高齢者では注意しなければならない。

心臓病はこんな日に気をつけよう

・いくつかの研究で以下のような結果が出ている。

1日の気温差が9.4℃以上。

平均気温が15℃未満、または25℃以上。

平均気圧が1005hPa以下で、平均気温が10℃以下。

寒冷前線が通過するとき(風向きが北寄りに変わり、気温が急降下する)

心臓病はこんな日に気をつけよう!
心臓病はこんな日に気をつけよう!

画像出展:「その症状は天気のせいかもしれません」

第3部 あの身近な症状も!

まさまだある気象病

7 オゾンホールと白内障・皮膚がん

・白内障や皮膚がんの発症には、オゾン層が関係しているため気象病に含めている。

オゾンホールと白内障・皮膚がんの関係

白内障は加齢以外に、紫外線や糖尿病、アトピー、喫煙、過度の飲酒、酸化ストレスなどが白内障を加速、進行させる。

・皮膚がんが多いのは白人、国別ではオーストラリアやニュージーランドに多い。しかし日本でも年齢調整罹患率をみると、過去40年で2~5.5へと2倍以上に増加している。

白内障と皮膚がんの予防法

・白内障の予防に紫外線をブロックするメガネが有効だが、メガネのフレームの形も重要である。ただし、色が濃すぎるレンズの場合、瞳孔が大きくなるために、水晶体は多くの紫外線を吸収してしまうためである。

・喫煙、動脈硬化、生活習慣病の予防も重要である。

・皮膚がんの予防は肌が露出される部分に日焼け止めクリームをこまめに塗ることが効果的である。

・ビタミンCはメラニンの生成を抑制するのでガン予防になる。

白内障と皮膚がんの予防法
白内障と皮膚がんの予防法

画像出展:「その症状は天気のせいかもしれません」

日本白内障学会
日本白内障学会

左をクリック頂くと、「日本白内障学会」さまのホームページが開きます。

8 天気と深い関係の片頭痛

生活に支障をきたす片頭痛

・片頭痛の患者さんは日本全国に約800万人いると言われている。

赤ワイン、チーズ、チョコレート、ヨーグルト、アルコール、オリーブオイル、ハム、ソーセージなどの食材の摂りすぎや、翌日の昼頃まで寝るなどの過剰の睡眠など、食事・生活習慣が片頭痛と関係していることが分かってきている。

・女性の場合、母親の遺伝や生理との関連が知られている。

2001年頃から新薬(トリプタン製剤)が発売され、救世主となっている。

片頭痛が起こりやすい日をチェックしよう

片頭痛の主な原因は、ストレス、不眠、空腹、天気の変化、まぶしい日光、食物、生理、疲労、アルコール、寝すぎ、カフェインなどがあげられる。

・季節は春、秋、夏、冬の順に多いとされている。

9 腰痛・関節痛は低湿・低気圧で悪化!

腰痛・関節痛は体の炎症反応

・『私たちの体内では、炎症反応が無限に繰り返されています。なぜなら人間の体の中には、常に「異物」が存在するからです。「異物」とは、物質も含め、細菌やウィルスなど、人間固有の正常な細胞・組織以外のものを指します。つまり、本人を構成するもの以外のすべてのものです。異物に対し、人間は体内から排除しようと免疫機構が働きます。そのような反応のひとつが炎症反応なのです。

もちろん、小さな炎症反応にすぎなければ、体には何ら症状も起こらず、自覚しないまま終わってしまうでしょう。ただ、炎症が関節やその周囲に及んだときには「関節痛」を引き起こすことになります。

低温・低気圧の日に出やすい痛み

・気温が下がると体温を保つために、人間は体内で熱を産生する。すると、カロリーが消費されるため十分な栄養が蓄えられていないと、免疫機能は低下し体内の細菌やウィルスが増殖する。もし、関節や神経の周囲に潜んでいたウィルスなどが増殖すると、関節や神経に炎症反応が波及することになる。

腰痛・関節痛の対策

傷害直後は冷やすことが必要であるが、それ以降は保温により血流を高めることが重要である。

・自分自身の痛みと相談しながら少しずつ筋力増強やストレッチを行うことも重要である。

・気象対策は、痛みが起こったときの記録をつけると、気象の変化との関連性が分かるようになるため、保温対策などを取ることができるようになる。

11 気象が引き起こすアレルギー

寒暖差アレルギーにも要注意!

・寒暖差アレルギーとは寒暖差を原因として、鼻水、鼻づまりやくしゃみが起きてしまう症状であるが、医学的な病名は「血管運動性鼻炎」といって、正確にはアレルギーではない。

・原因は鼻粘膜にある血管の収縮・拡張を調節する自律神経の失調と考えられている。

コロナワクチンの疑問

新型コロナウィルスが日本で発見されたのは、2020年1月15日でした。「大変なことになったなぁ、まさか、生きてる間にパンデミックに遭遇するとは。。」と思い、なんとなくデータの集計を始めました。それは2020年8月初旬のことでした。

ブログ“スペイン風邪と新型コロナ2”をアップしたのは、翌年2021年1月8日です。この時には、頑張ってこの年の年末までデータを集計しようと考えていたのですが、その年末には、第6波の兆しがあったため、つい、そのまま集計を続けてしまい現在にいたっています。さすがに今回の第7波が沈静化したら終わりにするつもりです。

「mRNAワクチンって平気なのかなー」という疑問はなくはなかったのですが、ワクチンは打つべきだと思っていましたので、安全性など特に気にしてはいませんでした。

そんな中、少し前に知り合いから教えてもらったコロナ情報に不安を感じました。

その記事は以下のものです。

緊急速報!mRNAで想定外の報告、逆にコロナへの免疫を抑制&一生の記憶になる可能性有り、特に子供は一旦接種中止して検討を!” 

 『7月10日にドイツの複数の大学研究室グループがmRNAワクチンに関して憂慮すべき論文を発表しました。それはmRNAに限り(アストラゼネカのDNAワクチンでは認めず)繰り返し接種することで新型コロナに対して逆に免疫抑制を起こしてしまうのでは無いか、というショッキングなものです。』

免疫抑制を起こすIgG4がmRNAに限り顕著に検出されブースターで増幅されたという報告です。全く想定外の重大な結果であり、緊急に検討が必要です。』

私にとって次は4回目の接種ということになりますが、現在普及しているワクチンのオミクロン株に対する効果の低さを考えると、打たない方が良いのかなとも思っています。

そこで、ワクチン接種に対してネガティブな情報に注目したいと考え、今回の本が8月24日と最近発行された本ということもあったため、この本で勉強させて頂くことにしました。

コロナワクチン失敗の本質
コロナワクチン失敗の本質

著者:宮沢孝幸、鳥集徹

出版:宝島社

発行:2022年8月

京都大学ウィルス・再生医科学研究所
京都大学ウィルス・再生医科学研究所

こちらは宮沢先生のサイトです。

もう一人の著者である、鳥集 徹先生は医療分野のジャーナリストです。

目次(大項目のみ)

はじめに

第一章 コロナワクチンの「正体」

第二章 コロナマネーの深い闇

第三章 マスコミの大罪

第四章 コロナ騒ぎはもうやめろ

おわりに

ブログは、第一章 コロナワクチンの「正体」の一部、特に気になったところを取り上げています。

重症化予防効果への疑義

血中にウィルスが少ないならば、血中の抗体量はあまり重要なことではない。

ワクチンを打っても排出されるウィルス量は不変

●2021年7月、CDC(米国疾病予防管理センター)が、デルタ株に感染した人は、ワクチン接種者も非接種者も、ほぼ同量のウィルスを排出していると発表した。

mRNAワクチン

mRNAはDNAから写し取られた遺伝情報に従い、たんぱく質を合成する。翻訳の役目を終えたmRNAは細胞にとって不要なためすぐに分解される。

・mRNAワクチンはmRNAの機能を利用して免疫反応を引き起こすことを目的としたワクチン。

・新型コロナウィルスワクチンは、スパイクたんぱくの遺伝子をコードしたmRNAを脂質の膜(LNP:脂質ナノ粒子)で包んだ構造となっている。これを注射すると体内の細胞がLNPを取り込み、その中のmRNAが細胞内のたんぱく製造工場であるリボソームに送り込まれる。そして、リボソーム内で設計図が読み取られて、スパイクたんぱくが生み出される。そのスパイクたんぱくに、マクロファージや樹状細胞が反応することで、液性免疫や細胞免疫が誘導される。

変異しやすいことは研究者にとって常識

細胞性免疫

細菌やウィルスに感染した細胞やがん細胞などの異常細胞を、抗体を介さずに直接攻撃する免疫反応のこと。樹状細胞が異物を見つける、それを取り込んで分解し、その一部を抗原として提示する。それを認識したヘルパーT細胞(T細胞=リンパ球の一種)がサイトカイン(免疫細胞から分泌される生理活性物質)を産生して、マクロファージや細胞傷害性T細胞を活性化させ、異常細胞を殺傷または自死(アポトーシス)に追い込む。

抗体ではなく細胞性免疫が「主役」?

自然免疫

体内に侵入した細菌・ウィルスや体内で発生した異常細胞をいち早く感知して、排除する免疫反応のこと。好中球、樹状細胞、マクロファージ、NK(ナチュラル・キラー)細胞などがこれに担っている。さまざまな病原体に対して幅広く対応する自然免疫に対し、「液性免疫(抗体の免疫)」や「細胞性免疫」など、病原体を記憶して再侵入したときに直ちに働く免疫反応を「獲得免疫」と呼ぶ。哺乳類など脊椎動物にしかない獲得免疫に比べ、あらゆる昆虫や動物がもっている自然免疫は原始的なものと考えられてきたが、近年ではウィルスや細菌の種類まで認識する高度な能力をもつと再認識されるようになった。

●新型コロナウィルスに対抗する働きは抗体より細胞性免疫ではないか。免疫はウィルスの種類によってレスポンス(反応)が違う。アデノウィルスは抗体の反応が早くすぐに抗体ができる(抗体価が高くなる)。

コロナウィルスの反応はむしろ遅い方である。自然免疫の他に、細胞性免疫と液性免疫(抗体の免疫)があるが、獲得免疫とされる2つの免疫は、均等ではなくどちらかに偏っている。これは「Th1/Th2バランス」といい、Th1が優位になると細胞性免疫が、Th2が優位になると液性免疫が働く。どちらを高めるかは最初に敵が入ってきたときに樹状細胞やサイトカインが決めるが、反応の遅いコロナウィルスは、細胞性免疫、Th1が優位になっていると考えられる。

なぜ「不活化」ではなく「mRNA」だったのか

液性免疫(抗体の免疫)

リンパ球の一種であるB細胞が賛成する抗体によって引き起こされる免疫反応。抗体にはウィルスや毒素に結合することで感染力や毒性を失わせる中和作用のほか、病原体に結合してマクロファージや樹状細胞の働きを助ける。補体(抗体や免疫細胞の働きを補完する物質)を活性化して細胞傷害を引き起こすなどの役割がある。

●ネコの伝染性腹膜炎ウィルスはワクチンにより抗体を誘導すると逆効果になる。これはADE(抗体依存性感染増強)が起こるためである。

ADE(抗体依存性感染増強)

ウィルス感染やワクチンによって体内にできた抗体が、感染や症状をむしろ促進してしまう現象。同じコロナウィルスの仲間によって引き起こされたSARS(重症急性呼吸症候群)やMERS(中東呼吸器症候群)のワクチンは、このADEの発生がネックとなって開発が断念された。また、熱帯地方で流行するデング熱のワクチンも、接種した子どものほうが重症化率が高くなるおそれがわかり、これを導入したフィリピン政府が2017年に接種を中止した。

ADEは中和作用をもたない抗体が、むしろ感染を手助けする方向に動くことで起こると考えられている。

不活化ワクチン

細菌やウィルスから毒性を取り除き、免疫反応を誘導できる成分を取り出してつくられたワクチン。増殖する能力がないので、長期にわたって免疫反応を維持する目的で、複数回投与されることが多い。破傷風、インフルエンザなどで不活化ワクチンが使用されている。

抗体をつくらせるだけなら不活化ワクチンでよい。コストはかかるが高度な技術は不要である。欧米の製薬会社がmRNAワクチンを選択したのはコロナウィルスの特性を考えたからであろう。コスト面ではmRNAワクチンは人工合成で大量生産が可能なので低コストで生産できる。

不活化ワクチンは抗体を誘導する傾向が強いので、ADEが起こって逆効果になるおそれがある。

●mRNAワクチンは細胞性免疫も誘導するためmRNAワクチンが選択されたと思われる。

宮沢:『実は、私たちが動物用のワクチンを開発するときには、抗体が効いているのか、それとも細胞性免疫が効いているのかを、受身免疫という方法で確認するんです。ワクチンを打っていない動物に抗体だけを投与したり、あるいは免疫細胞を投与したりして調べることができます。とくにマウスでは遺伝的条件を備えられるので実験しやすいです。しかし、ヒトでは細胞性免疫が効いているかどうかを調べるのは、コストもかかります。だから、ワクチンの効果を示すのに「抗体が上がっている」という話をするのだと思います。しかし、抗体があまり意味がないとしたら、この抗体で評価すること自体おかしいということになります。』

「抗体」の罠

中和抗体

ウィルスや細菌の病原性を失わせる作用のある抗体のこと。新型コロナウィルスの場合、ウィルスのスパイクたんぱくに中和抗体が結合すると、ACE2受容体に接着できなくなり、細胞への感染ができなくなる。ただし、ワクチン接種によって中和抗体ばかりができるわけではなく、かえって感染や重症化を促進するADE抗体も同時にできるおそれがあると指摘されている。

●ADEはウィルスを中和できない抗体が悪さを及ぼすことで起こる。ネコのコロナウィルスに対するワクチンする時もADEをいかに回避するかということが大きな問題であり、いまだに安全で有効なコロナワクチンができない。

●ワクチン接種による重症化の防御は抗体というより、細胞性免疫や自然免疫の可能性も考えられる。

宮沢:『私は細胞性免疫の誘導だけを考えるなら、2回のワクチンで十分ではないですかと言ってきました。細胞性免疫がウィルスに感染すると、感染細胞を認識してやっつける細胞傷害性T細胞ができます。一度感染すれば、十分な数のウィルス特異的細胞傷害性T細胞ができなます。ウィルスがいなくなると、特異的細胞傷害性T細胞の数は減り、分裂をやめて少し小さくなってリンパ節などに潜みます。これをメモリーT細胞と呼びます。そして、次に感染したときにはすぐに爆発的に増殖して、感染細胞をやっつける細胞に変わります。いったん減っても、感染すればすぐに戻るので対抗できるわけです。なので、よほどのことがない限り2回のワクチン接種で十分なはずです。

抗体は減少していくものなので、細胞性免疫をきちんと誘導できていれば、抗体が減ってもあまり気にする必要はない。

宮沢:『さらに抗体を上げるとADEも起こりかねないので、私たちはすごく怖かった。ネコの伝染性腹膜炎ウィルスは、抗体と結びつくとマクロファージに感染しやすくなるんです。ところが不思議なことに、新型コロナウィルスはマクロファージに感染してもあまり増殖できないようなのです。同じコロナウィルスで系統も近いSARSコロナウィルスやMERSコロナウィルスはマクロファージに感染してADEが起こったのに。そのせいか、新型コロナウィルスでは今のところADEがそんなに問題になっていない。

もし一部の人で新型コロナウィルスが変異して、ワクチンによって産生された抗体によってマクロファージに感染し、ADEを起こすタイプに変われば、その人にとっては逆効果になってしまう。ひとたびそのような変化が起こったらとんでもないことになります。だから抗体を上げるのは博打だから、やめたほうがいいと言ってきた。

重症化予防効果はあるのか、ないのか

宮沢:『重症化予防になるかどうかは一概には言えないと思います。ワクチンを打って細胞性免疫の活動を上げれば感染細胞を殺すことができるので、広がらなくすることができるから重症化予防になるでしょう。しかしその一方で、前に言ったように抗体が悪さをする可能性もあるので、差し引きが分からないんです。私がずっと言ってきたのは、たしかに感染予防効果、重症化予防効果は論理的に考えてあるでしょう。しかし、その半面、逆も真なりだよと。どっちが多いのか。それがわからないのです。

(-抗体をあげるといっても、中和抗体ばかりができるわけではなく、ADE(感染増強)抗体もできる可能性がある?-)

そうです。ADE抗体が多ければ免疫細胞へ感染しやすくなるし、増悪させてしまう。一方、細胞性免疫ならいいと私も思いますが、考えようによっては細胞性免疫だって悪く働く可能性がある。なぜかというと、たとえばウィルスが肺に到達して、そこで感染細胞が一気に増えたとしたら、細胞性免疫が肺の細胞を一気に攻撃する。そうすると炎症が広がって、肺が広範囲に傷害を受けてしまう。そういう可能性もあるんです。ですから、細胞性免疫だって絶対善ではないんです。』

mRNAワクチンでなぜ人体に害が起こり得るのか

●スパイクたんぱくを作り出している自分の細胞を、ウィルスに感染した細胞と勘違いして、細胞性免疫を攻撃することを危惧している。

コロナ後遺症とワクチン後遺症の症状が似ている理由

●厚労省は2021年12月、心筋炎を「重大な副反応」と位置付けた。

●スパイクたんぱくが心臓に付着したら、免疫細胞や抗体と補体(抗体や免疫細胞の働きを補完する物質)から攻撃を受けるだろう。それだけでなくLNP(脂質ナノ粒子)が心臓の細胞に取り込まれ、スパイクたんぱくが作られれば、細胞性免疫の攻撃対象になるだろう。

コロナウィルスによるスパイクたんぱくとワクチン接種によって細胞が作り出すスパイクたんぱくに大きな違いがあるとは考えにくい。もし、コロナの後遺症がスパイクたんぱくによるものだったとしたら、ワクチン接種で同様なことが起こっても不思議はない。

mRNA由来のスパイクたんぱくが残存して4カ月以上体内を循環しているという論文もある。

Bansal. S. et al., (2021). Cutting edge: Circulating exosomes with COVID spike protein are induced by BNT162b2 (Pfizer-BioNTech) vaccination prior to development of antibodies: a novel mechanism for immune activation by mRNA vaccines. J. Immunol. 207: 2405-2410. doi: 10.4049/jimmunol.2100637

通常はスパイクたんぱくといえども分解されると思うので、体内のどこかでつくり続けているという可能性が高いと思う。

mRNAワクチンは体内でも短時間で分解されるのか?

●シュードウリジン化

・シュードは「偽の」という意味。mRNAは4つの核酸化合物によって構成されている。mRNAワクチンでは、その核酸化合物の一つであるウリジンが、修飾核酸に置き換えられている。それによって、通常は体内に入れるとするに免疫によって破壊されるはずのmRNAが免疫を回避できるようになり、十分なスパイクたんぱくを作れるようになった。

●試験管内の実験においてmRNAが数時間で分解されても、ヒトの体内でも同様なスピードで分解されるかどうかは簡単にはわからない。

mRNAワクチンは一部をシュードウリジン化している。これによりmRNAは数時間、分解されることなくスパイクたんぱくを作れるようになっている。しかし、数時間で分解できないとなると、それは問題である。

●ワクチンを接種した人がコロナに感染して、それによってずっとコロナのスパイクたんぱくが出ている可能性もある。

接種者は非接種者に比べて1.4倍「帯状疱疹」になりやすい

●イスラエルでは医療保険システムのデータを使って、ワクチンの接種者と非接種者、約884,000人を比較した研究によると、接種者は非接種者に比べて1.4倍帯状疱疹になりやすいというデータが出ている。一時的ではなくかなりの免疫抑制が起きている可能性がある。

BNT162b2ワクチンの有害事象を調べたイスラエルの大規模研究が注目” 

 ワクチン群の候補者173万6832人の中から、非接種者と年齢、性別、人種、居住地、社会人口動態条件、併存疾患などの条件がマッチするペアを88万4828組選び出した。年齢の中央値は38歳で、48%が女性だった。非接種者と比較したワクチン群の有害事象のリスク比は、心筋炎3.24(95%信頼区間1.55-12.44)リンパ節腫脹2.43(2.05-2.78)虫垂炎1.40(1.02-2.01)帯状疱疹1.43(1.20-1.73)などだった。』

免疫システムを混乱させている可能性

宮沢:『mRNAワクチンの接種後に免疫システムの混乱を起こしていないかどうか確認したんだろうかと思って論文などを探すのですが、それを網羅的に調べた研究が見つからないんです。ただし、ワクチンを打った人の免疫細胞の反応が鈍っているという論文はいくつか出ている。それを見ると、免疫システムがおかしくなっても不思議ではありません。

なぜなら、私たちの体の細胞はたんぱく質をつくっています。その設計図は、人間を含む真核生物の場合、細胞の核に収容されているDNAの中にとびとびに書き込まれています。それをくっつけて一つの設計図にして、mRNAに転写してリボソームに送り、そこでたんぱく質をつくります。

そして、普通は必要な量だけつくったら、そのたんぱく質をつくるのをやめるんです。なぜかというと、たんぱく質をつくりすぎると他の細胞に悪影響を及ぼしてしまうから。どんなに毒性が低いたんぱく質でも一つのたんぱく質を大量につくると、細胞が死んでしまうんです。だから、適正な量で止めなきゃいけない。

では、どうやって止めるかというとmRNAをすぐ壊すんです。それでたんぱく質が足りなければ、もう一回、mRNAが出てくる。そのmRNAの寿命も、実はすべて同じではありません。早く壊れるものもあれば、長く残るものもある。それもどこがどう違うのか、今、盛んに研究されていますが完全にはわかっていないんです。

(-mRNAが壊れる時間も、意図的に制御されているんでしょうか-)

詳細はよくわかりませんが、いずれにせよmRNAは基本的には早く壊すんです。ところが今回のワクチンのmRNAは、細胞内のセンサーは認識できず、自然に壊れる時間に比べると残存する時間が圧倒的に長いわけです。また、通常のmRNAの分解機構と異なる方法で分解されます。そんな状態のなかで、体内にあってはならない(あるいは不要の)たんぱく質が大量につくられてしまったらどうなるか。たんぱく合成を早く止めたいんだけど、細胞には止め方がわからない。普通ならDNAから転写されてmRNAを見つけることすらできない。だとしたら、細胞はどうするか。私が細胞だったら、「センサーが足りないんじゃないか」と思うでしょう。だから、センサーの分子を増やそうとする。そうなると思いませんか?

(-思うかもしれません-)

私のセンサーが消えてしまったのではないか、あるいは私のセンサーが壊れてしまったのではないかと勘違いして、混乱するのではないかと思うんです。その混乱が、今、起こっているのではないかと私は思うんです。

(-その可能性はありますね-)

この混乱が一過性だったらいいのですが、比較的長く続く可能性だってある。訓練免疫という言葉がありますよね。免疫システムは経験したことのある外敵のことを覚えていて、2回目、3回目になるほどレスポンスが強くなる。獲得免疫と違って、自然免疫にはそのような記憶はないといわれてきました。しかし、最近の研究では自然免疫にも記憶があるようだと言われ始めています。

自然免疫も、何度も同じ外敵を浴びていたらレスポンスが早くなる。おそらくセンサーが反応しやすくなるのだと思います。そのセンサーを混乱させたら、レスポンスはどうなってしまうのか。たとえばピアノを弾く練習をしてピアノがうまくなったとします。しかし、その後におもちゃのピアノを渡されたら。

(-本物と同じようには弾けないでしょうね-)

そうです。それでおもちゃのピアノばかり弾いていたら、今度は本物のピアノが弾けなくなる。つまり、シュードウリジン化して修飾したmRNAによって免疫が混乱すると、本物のウィルスにうまく反応できなくなることもあり得ると思うのです。

そのような反応を制御しているのが何かというと、今よく言われてるのがエピジェネティックなのだと思います。通常、親の特徴はDNAに書かれた遺伝子を通じて伝わることがある。これがエピジェネティックです。DNAの遺伝子の一部やDNAを取り巻くたんぱく質の化学的性質が変わることによって、どの遺伝子が発言して働くかが変わってくる。最近の研究ではそれが世代を超えて遺伝することもわかってきています。ある世代で起こった遺伝子発現のパターンの変化が次世代に伝わってしまう。これは驚くべきことです。』

感想

パソコンのOS(オペレーティングシステム)は、多くの開発エンジニアが十分な期間をとって、品質安定のためテストを行うものですが、それでも製品が出荷され、何万、何十万、何百万人とユーザが増え、期間も1カ月、半年、1年と経過するなかで、いわゆるバグが見つかり、改善ということを繰り返し、OSとしての完成度は高まります。

今回のコロナワクチンはインフルエンザで採用されている従来の不活化ワクチンではなく、mRNAワクチンなど、新しいメカニズムをもったワクチンになります。その意味では未知の部分が少なくないことは間違いありません。

抗体の数が大きく取り上げられている状況ですが、細胞性免疫や自然免疫の重要性も非常に高いようです。

また、抗体も中和抗体は力強い味方ですが、抗体全体を眺めてみると、味方ばかりではなく、リスクも存在しています。IgG4については特に触れられていませんでしたが、免疫力が落ちるという論文は複数出てきているとのことです。

以上のことから、オミクロン株への防衛機能が乏しい現在のワクチンによる4回目のブースター接種は見送った方が無難かなという気持ちが強くなりました。

下田歌子10

順心女子学園六十年のあゆみ
順心女子学園六十年のあゆみ

編集:順心女子学園六十周年史編集委員

発行:昭和1984年10月

出版:学書房出版

共愛の世界

・震災後、世の痛切な要求によって、普通の高等女学校も設立された。順心高等女学校がそれである。しかし校長始め理事たちのこの計画は単に世の要求と云う単純なものではない。ここに大きな共愛の世界を創造してみたいというのが理想の根底にあった。

・順心女学校は主として家庭の都合で、高等女学校に通学し得ないもの、又は本人の希望でこの学校を選ぶ人の為の学校である。この二つの学校には富についての差があるが、同じ校舎、同じ職員、行事や式も一所に行われた。家庭の恩恵により高等女学校に学ぶことのできる幸福を深く内省する生徒たちと、境遇上富裕でないが将来の幸福をめざして真剣に努力する女学校の生徒たちとが同じ学び舎で、たとえ内容は違っても共に教育されるということはすばらしいことであった。このように両校の娘達の心の中には富に対する偏見はみられなくなった。感謝と思いやりの心を育てたいというのが私達の姉妹校を併立させた願いであった。

・社会においては富の調和も大切であるに違いないが、更に人心の調和即ち共愛の世界が尊いことと思われる。

森本副校長と姫小松

・『順心高等女学校は創立以来、祖先を崇び、虚飾を避け、質素勤労を旨とし、実践躬行を第一義とし、貞淑にしてしかも毅然たる節操を身につけた女生徒の育成をめざして教育が行われてきた。しかも旧態に捉われることなく、進んでやまない時代に常に適応できる能力の伸長に意が払われてきた。従って明るく真摯な雰囲気が校内にみなぎっていた。この順心教育の根元はもちろん下田校長の優れた教育観と卓越した教育方針にあることは論をまたない。

・下田校長は実践女学校との兼務だったため、森本常吉氏が副校長に就任された。下田校長の訃報に殉ぜられるかのように十余年をもって退職されたが、この期間がおそらく順心高等女学校の黄金時代だったと考えられる。森本副校長は後世に文献を残すため、創意と努力により順心高等女学校学友会誌の“姫小松”を創刊された。この会誌により、当時の学校生活を偲ぶことができる。なお、姫小松の名は下田校長作旧校歌からとられたものである。

順心高等女学校の廃止

・『順心高等女学校は、昭和二十四年三月三十一日をもって、順心の歴史と伝統を、順心中学校、順心高等学校に引き継ぎ、その使命をおえて廃校となった。順心高等女学校は、大正十三年三月、関東大震災直後に創立されてから、四分の一世紀の間、波欄曲節に富む歴史を綴ってきた。その歴史の後半は長い戦争の重圧下におかれていた。にもかかわらず学園は、土曜会、大泉農園の教育にみる如く、女子教育本来の姿を失うことなく、明るく、着実な学園生活が続けられた。その結果として三千百八十三名にのぼる有為の才媛を世に送り出してきた。

順心高等女学校が掲げた高い教育理想と、真摯な教育実践の姿は、今日の順心女子学園に生かされつつある。』

学友会から生徒会へ

・『「今回当校に於いて学友会雑誌姫小松を発刊することになりました。之は当校の発展上誠に適当なることと深く欣ぶ所であります。之までたびたび催された学芸会、運動会、其他いろいろの企てなど、甚だ有益にして且つ趣味深く感じたものの全然跡方もなくなってしまったのは如何にも惜しいことであるが、其れをこうして形の上に留めて置いたならば、現在において有益であるのみでなく、今より後長い間の思い出ともなるでありましょう。……(後略)」

下田校長のことばの通り、この学友会誌「姫小松」は本校の歩むを知るための最も重要な資料的役割を果たしてくれているばかりでなく、これを通して生徒全員を会員として組織されていた学友会が、今日特別教育活動の一環として、人間形成の上から特に重視されてきている生徒会活動の先駆的な姿を示してくれていることを知ることができる。これが今から半世紀も前であることを思う時、当時の先生方の先見に大いに感動をおぼえる。』

“けやき”

・『校庭の真中に立っている一本のけやき、仲間もなく、ひとりぼっちだが孤独を嘆かず、おまえは強く生きる道を知っている。ふとく真直ぐな幹、伸び伸びと広げている枝。季節の訪れをよく知っていて、芽を出すべきときには出し、若葉で色どるときは、美しくいろどり、夏は茂だけ茂って大きな影を落し、秋は近づく冬を知ってたたずまいを整える。おまえはひとりいてさびしがらず、ふとく強く生きる自信と信念をもっているようだ。天と地のめぐみを活用し、光と水をうまく摂取して誤まらず、屹然としてそびえ、空間を画し、生きることのよろこびと誇りを歌いあげている。

ひとはおまえのこの雄々しさと美しさを見あげ、その自然の心の素直な深さと微妙な動きにうたれる。ひとの生きる道の真理をおしゃべり抜きの誠実さだけで教えているようだ。』

欅

画像出展:「順心女子学園六十年のあゆみ」

初代・二代の校長に仕えて

・下田校長の校長とする学校にふさわしく、敬神崇祖を根幹とする極めて質素なもの。

・行動訓話に際して、天照大神を遥拝した。

毎月三日に全校生徒職員が往復徒歩で明治神宮に参拝した。

六十年のむかし 第三回卒業生

・『当時の順心は「赤十字病院下」という市電の停留所のそばにあり、附近はどこかの田舎の村のようなところでした。停留所で下車するのは麻布の中学生か、順心の女学生かだけでした。校門を入ると小さな庭があり、その突き当りに二階家の小じんまりした校舎があって二階が講堂、下が料理室、ミシン室があり、道路に沿うて普通の教室が三つあったのです。教室から廊下越しに庭をみると一面の草原で片隅に小使いさんの家庭菜園があり鶏が数羽、いつも楽しそうに遊んでいるのがみえました。この校庭には夏ともなるとトンボや蝶がたくさんとんで来て、私たちを楽しませてくれました。きれいな小川の流れもあったように思います。とてものどかな学校のたたずまいでした。

下田校長先生は時折おみえになり、一同に訓話があり、女としての処世術や時局のお話など数々ありました。円い柔和なお顔は忘れません。また、校長先生が榊の飾った祭壇でのりと[祝詞]をあげられるのを乙女心に不思議なものをみるような好奇心で拝見していたことを憶えています。』

・『学期末には学芸会があり、自分たちでお汗粉を作って何杯もたべたものです。若い時の味というものは忘れ難いものです。この時は誰もがかくし芸をやることになっていて、これには悩まされました。飯田さんという深川から通学している下町娘が義太夫をやったのは驚かされた。威儀を正し、肘を張り、声高らかに“ウー”と語り出した。校服のひざの上の手はきちんとしていて、出し物は何であったか覚えていませんが、感心する人やら、笑いころげる人やら、それはもう大変なさわぎでした。木の葉が動いてもおかしい娘時代全く貴重な体験でした。当時の娘さんで、特殊な方でない限り、こんな芸を持ち合わせている人はなかっただけに、私たちは飯田さんに芸のきびしさを教えられました。其の後飯田さんは人気者になりました。』

・当時の通学は市電だった。電車道は枕木だけで停留所のところに板が敷いてあった。裸の線路に夏草が茂っていたのも目にやきついている。

恩師下田歌子先生を偲んで 第一回卒業生

・『震災前はこの校地に順心女学校という、当時の主な政界財界の夫人の方の集まりの慈善事業として設けられていた三年制の女学校がありました。ところが震災で東京中の学校が大半焼失してしまったので、その窮状に対処すべく取敢えず新しく普通の高等女学校を立てなくてはという事になって急遽創立されたのがこの順心女学園の前身順心高等女学校だったのですから、校舎もそれまであった順心女学校の校舎の一部を使って一応授業がはじめられたような状態でした。ですからはじめのうちは順心女学校と順心高等女学校が同居していたわけでした。幸にも火災に遭わなかったその校舎は、規模は小さいながら、窓枠などは、分厚な額縁のように厚くできていて、木造ながらどっしりと重厚で、外国のクラシックな建物を見るような感じのところがありました。

・当初は、生徒は一年生のみで三組、講堂などもなくて二階にある大きな畳敷きの礼法堂がその代わりに使われた。そこに毎月一度位、校長先生がお見えになって講義があった。

校長先生は平常は実践女学校の方においでになったが、ちょいちょいお見えになっていろいろとお話をしてくださるのを、コチコチに緊張してうかがったものだった。

・『校長先生をはじめ、品格高いお年寄りの夫人方が腐心していられるお気持ちが痛いほど感じられまして、あんなきびしい時代であったにも拘わらず、精神的には全く恵まれた環境で育てて頂いたありがたさが、五十余年経った今、現在のすさんだ世情を思うとき殊更しみじみと感じさせられ、なつかしくもありがたく、感慨一入でございます。』

・『本校は前述のような生い立ちの学校ですから、その母体である理事会評議員会は朝野の名士の夫人方百余名の方々で組織され、下田歌子先生を校長に仰ぎ、顧問には元総理大臣清浦圭吾伯、文部大臣水野錬太郎氏など名を連ねられ、公立私立を問わず他校には類例をみない特殊な存在でありました。ですから第一回卒業式の際は、卒業生約百五十名、在校生四百五十名ばかりの小さな学校で、会場も震災後に建築された簡素なものでしたが、元総理大臣清浦奎吾伯ご夫妻、水野文相、板垣退助氏夫人はじめ輝かしい方々のご臨席はあり、殊に元総理大臣から親しくご祝辞を頂くなど望外の光栄に浴しました。よく伝統ある本校といわれますが、本校の伝統はこういう所に端を発しております。』

・(この卒業生は卒後、実践の国文科に進学)下田先生は国文学者としても名高く、源氏物語の講義は有名だった。実践倫理の時間には、日常の出来事や時事問題を、ある時は国際人として世界の日本人の立場から、ある時は生物界の一員である人間としての立場から、当時としては全くスケールの大きなお話をうかがうことができた。また、父君ゆずりの儒学の造詣は一段と深く、孔子・孟子の道を「論語」「孟子」を講ぜられるのではなく、ご自分の信条として、根本的な心の持ち方として事に触れ折に触れて説かれていた。「各人がまずおのれを修めること。そして身近なものからだんだんと遠くに及ぼして行く。家から社会から天下国家までそれが拡がって行ったとき、どんなに美しく楽しい住みよい世の中が出現するだろう。」というような、すべての根本は各人の心の修養にある。

・下田先生は長く明治天皇の宮中に女官として奉仕し、和漢の学もさる事ながら、特に歌人としてのすばらしい資質は皇后陛下から「歌子」の名を頂戴して以降本名「せき」を改めて「歌子」と名のった。

・王朝時代に宮仕えして文学の道に不滅の名著を残した紫式部や清少納言とよく似た環境にいた。そして、皇女方のご教育のため、また一般子女の教育の為に英国をはじめとして広く欧米各国に二年間、滞在し視察研究を続けられた。帰国後は内親王方のご教育だけでなく、広く女子教育の為に全力を傾注された。

・『「資源の少ない日本は、貧乏な日本、だのにこの頃は物を粗末に扱う傾向が出て来ているのは憂慮に堪えない。」といつもおっしゃっていられましたが、物を大切にせよ、というお話の中で、次のような例をひかれたのがたいへん感銘が深くて、何かにつけて今でもはっきりと思い出されることです。世間では宮中のご生活はさぞぜい沢なものであろうと拝察しているのであろうが、皇族方は物に対して非常につつましいお気持ちをもっていられて、物を大切になさることは想像できない程である。明治天皇の常にお使いになっていらっしゃるお部屋の毛皮の敷物が一部痛んだので、お取換え下さるようにと再三お願いしてもどうしてもお許しがない。使用に堪えない程になるまではどうしてもお取換えにならなかった。又先生がお仕え申し上げていた内親王様がお使いになっていられる鉛筆が短くなってもお換えにならなかった。そしてこういう意味のことをおっしゃった。この鉛筆は今自分が捨ててしまったら永久に鉛筆としての役には立てない。廃物になって捨てられてしまう。大切につかえるだけつかってやらなければ鉛筆が可哀想だ、と。このお年若な内親王様のお言葉には恐懼の外はない。お金がかかるから節約するというのではない。物そのものを大切になさるご精神である。』

建学の理想

・校訓は「健康」「知性」「奉仕」の三つに象徴されている。

・「常識の養成」は下田先生の人格、教養、経験から生まれた人間観や教育観が極めて分かりやすく述べられている。この本の出版後数年して順心女学校が創設された。従ってこの本により、本学園建学の理想を伺い知ることができる。

「健康」

順心女学校の教育課程の中には体育の時間が当初から特設されていたことは、当時の各種学校的私立学校では画期的なことであって、積極的な女子の体力づくりに対する取り組み方がうかがえる。なお先生は運動競技も奨励され薙刀など武道のほかにバレーボール、バスケットボール等をとり入れられていた。特に先生は完全なルールの尊守によってのみ成り立つスポーツを若人の人間形成に必須なものと書いている。また、健康教育の消極面である保健衛生にはあらゆる機会をとらえて理論的・実践的な指導を行っておられた。

「知性」

・『婦人の賢愚が国家社会の盛衰に重大な関係があり、女性の教養の低さや、知識のないことや、何ひとつ頼るべき技能をもたないことが、罪をさえ生むと考えられた婦人慈善会の夫人たちが、そのために創立されたのが順心女学校であるから本学園健校の理想の中心は女性の知性を高める点にあったことは明らかである。下田先生の樹てられた教育目標の主眼もここにあり、「学園深く常識にとみ、知識が広く、必要な技能に熟達した女性を育てる。」と書いておられる。』

・先生は徹底した実学主義の立場を堅持され、実地に役立つ知識や技能の習得を第一義と考えていた。

・生きて働く知識を身につけさせ、あらゆる世の中のできごとに対し、常に適確な判断によって処理できる能力を得させることが大切であると説いた。

・先生は平安時代の婦人よりもなぜ明治、大正の婦人たちが常識に欠けているかを封建制の遺産として事例をあげて歴史的に解明された上で、真の常識の必要性を女性の生き方の問題として述べている。

手芸や裁縫はもちろん、音楽でもよし、書道でもよし、絵画でもよし、語学でもよし、生涯にわたって生きる支えになる何かを身につける為の指導が行われた。

・『「現実の地に足を立て、理想の天に頭をつけよ。」と生徒に説いておられる。理想を抱かぬ人に進歩はない。現実の生活をしっかりとみつめつつ、これに満足することなく、理想に向かって着実な一歩を進めること。これのできる人を知性的女性とよんでおられた。

「奉仕」

・下田校長は「国民的徳性の涵養」を教育目標の重点にかかげた。

・克己犠牲の精神にとみ、どのような困難にも堪え忍び、他のために尽くすことに喜びを感ずる謙虚な品性の高い女子の育成を期した。

・操行点は学業全体の成績にも匹敵する重さをもって評価された。

・操行は他との関り合いの中におけるその人間の品格である。“自らのため”ではなく“誰かのために何かをした”というのが善行である。

麻布今昔

・認可申請書に書かれた学校附近の状況:『西は川を隔てて福田会に接し、東は電車通りを隔てて閑静なる民家に面し、南は育児会拝借地、北は増上寺拝借地にして何れも官有に属する空地なり。且つその近傍には道徳上、衛生上に害を及ぼすべきもの毫もこれなし。』

・有栖川公園は旧藩時代森岡藩主南部美濃守の下屋敷だった。その後、大正二年有栖川宮の祭祀を継がれた高松宮家用地となり、昭和九年一月十五日、有栖川宮威仁親王の御命日を記念して東京市に下賜された。市は自然林泉公園としての遊園設計を樹て、昭和九年十一月に開園され今日に至っている。

・麻布の地名がはじめて文献に現れたのは平安末期の作といわれている「江戸志」であり、これに「ここは多摩川へもほど遠からざれば、古はこの地に麻を多く植え、布をも織り出せるゆえの名ならん。」とある。

・鎌倉時代に入ってからは善福寺の建立にみられるように新仏教の影響が強くこの地にも及んでいた。南北朝の頃の麻布は足利尊氏の所有であったため北朝の正朔を受けていた。

・家光が参勤交代を確立してから諸大名がそれぞれこの美しい麻布の自然にひかれて下屋敷をつくるようになったらしい。将軍直参旗本の修練のための鷹場もこの地にもうけられた。死者十万六千余といわれた明暦の大火の時、江戸市民の避難場所となったのも麻布であり、これらの記録により江戸初期の麻布のもつ特殊な地域的性格をうかがうことができる。

・『順心の校地として定められた現在地「広尾」はもと「つくしが原」とも「広野」とも呼ばれ、野趣に富んだ春の摘草、秋の虫聞などで庶民にも愛好された麻布のなかでも特に武蔵野の趣の豊かに残る地域であった。江戸末期には今の有栖川公園附近に百姓町屋ができ、他は武家屋敷と畑地と林野が点在する有様であったという。維新後、徐々に市街地的発展が広尾にも進み、小規模住宅が密集する地域ができたり、都市には必要であるが地域環境的には望ましくない施設ができたりもした。しかし学園の前面一帯は、江戸時代の諸侯の屋敷の名残りが、北条坂、南部坂、木下坂となって今に残り、これらの坂の名に往時を偲ぶことができる。そしてこの地帯は、長く官有地であったことも幸して、開発の波に洗われることも少なく、緑豊かな麻布の高級住宅地のまま残っている。学園の背面もまた、樹木の多い自然の中に日赤病院の白堊の近代建築を望む、いかにも都会的なしかも静寂な風情をもつ地域である。開校当時の立地条件の本質的なよさを残して近代化の進められているまことに恵まれた場所というべきである。』

感想

全てのブログをふり返り、下田歌子先生の生き様と信念を考えると、まず頭に浮かぶのは圧倒的な”行動力”です。まさに実行の人です。また、生涯にわたって“讀書”を愛しました。同じく、生涯にわたって”敬神”を貫いた信念には一切の揺らぎはありません。

食にも住にも、そして己の欲にも無頓着な先生の教育方針は、“着實質實”であり、先生の生き様を映しています。さらに、留学経験を活かした“国際感覚”と時代を先取りする“洞察力”も他を圧倒しています。

ひ弱な女子には“體育”がことさら重要であると痛感し、武道だけでなく、球技などの必要性も強く訴え、そして運動会を世に広めました。これは思わぬ大発見でした。

下田歌子9

下田先生の著書を探していたときに、「まさか、順心高等女学校に関係する本など売られていないだろうな?」と思いつつ検索したところ出てきたのが今回の『順心女子学園六十年のあゆみ』でした。「こんなものまで、あるんだ」と思いながら、色々な発見がありそうだと思い、ちょっと迷いましたが購入することにしました。

『下田歌子先生傳』は実践女学校出版部の本であり、他の学校に関わることはほとんど書かれていなかったため、この購入は大正解でした。

順心女子学園六十年のあゆみ
順心女子学園六十年のあゆみ

編集:順心女子学園六十周年史編集委員

発行:昭和1984年10月

出版:学書房出版

順心女学校の創立

・『大正七年二月、校舎の移築が完了し、三月には学校設立の認可が東京府知事よりおりた。下田歌子先生を校長に推薦する手続きも終った。校名、学則、教育方針などはすべて下田校長に委嘱された。これらの開校準備の整うのをまって、直ちに本科第一学年五十名の生徒募集に着手した。先ず入学者の資格を「学業に志あるも恵まれない環境の故に希望の達成がはばまれている女子」とした。そして入学の許可を受けた者はすべて無月謝とし、学用品給与等の特典も附されることとした。当時このような学校の創立は稀有のことであったので各新聞もこぞって特種記事としてこれを報道し、宣伝に一役を買い、ために遠隔の地から応募するものも多くまたたくうちに定員に達した。』

大正七年、創立時の校舎
大正七年、創立時の校舎

画像出展:「順心女子学園六十年のあゆみ」

設立の認可

・場所:東京市麻布区広尾町官有地七十九番地二号内

・開校予定:大正七年四月二十日

校名の由来

順心の校名は下田校長の命名による。

・婦徳の涵養を女子教育の中心命題とされる先生の教育理想を端的に表明されたものである。

・校名の由来については、昭和三年三月に創刊された順心高等女学校交友誌 姫小松の巻頭に、森本常吉教頭先生が詳しく解説されている。それによると、出典は中国周代の詩経、「女曰鶏鳴之章」にある。

・『順はイツクシムであり、順むとは志同じく道協ひて親愛することをいうと説いておられる。「順」は人間本然の性をもとずくものであり、女子のみに求められる徳ではない。人間は男女それぞれがもって生まれた特性を生かしながら、互いに順み、補い合い、協力し合うところに其の幸福はあるもの。下田先生は女子教育の殿堂である我が校の校名を「順心」とおきめになったのは、男女の平等をその本質においてとらえた上で、婦徳の象徴としてもっともふさわしいものと考えられたからであろう。時代の激動の中にあっても「順心」は燦たる光輝をはなつ、すばらしい校名である。』

校歌・校章(順心高等女学校)

校歌:下田先生自詠の和歌、“神ながら変わらぬ道に新しきかげおもそえよ大和姫小松”に曲付けされたものだった。

訓歌:“曇りなきいろに匂いて仇し世のちりをなすえそ大和撫子”。生徒たちは校歌とともにこの訓歌を、日夕これを朗詠した。

校章:現在の校章は、この二つの歌の心をからつくられた。清楚でやさしいなでしこの花と、風雪にたえ岩頭に逞しく常緑を誇る強さをもつ姫松によって象徴されている。

下田校長略伝

・安政元年(1854年)八月八日生まれ

・明治十七年五月、夫である猛雄氏が三十七才の若さで永眠。家庭生活は五年に満たなかった。

・四十九才のときから支那語(中国語)の勉強を始めた。

・六十六才の時、順心を含めて五つの学校の校長の職に就いていた。

大正七年~昭和十一年の18年間を務めた。

・昭和十一年十月八日午後十一時、逝去さる。

・『先生は明治大正昭和三代を通じ、日本の女子教育の第一人者として不滅の業績を残され、民間女性として達し得るべき最高の御恩寵を皇室より戴かれた。教育界にある人だけでなく、先生の訃報に接した多くの人々は国家の一大損失と哀惜の情を寄せられた。万余の教え児達の哀哭のうちに、その代表が筆を執り護国寺に先生をお送りし、ここで先生は永遠の眠りにつかれた。

わが順心学園は、生みの親でもあり、育ての親でもあられた先生を失った。同年十月二十八日下田先生の追悼式が講堂で行われた。田所校長をはじめ職員生徒は励論、名士貴顕、卒業生など多数が参列し、しめやかにしかも盛大な式が挙げられ、一同先生の御遺徳を偲びつつ、御冥福を祈った。』

昭和八年、講堂落成
昭和八年、講堂落成

画像出展:「順心女子学園六十年のあゆみ」

旧礼拝堂
旧礼拝堂

画像出展:「順心女子学園六十年のあゆみ」

授業風景
授業風景

画像出展:「順心高等女学校第二回卒業記念」

順心創設のころ

・『大正七年、先生六十六才のとき、財団法人大日本婦人慈善会経営の順心女学校の創立に参加され、その校長になられた。勿論先生を敬慕していた板垣退助婦人ら朝野の名士夫人たちの懇望によってではあるが、本校設立の趣旨に賛同され、実践の姉妹校としてその教育を引き受けられたものと思われる。一般的には老境に入られる年にして先生は、順心を含めて五つの学校の校長として、その経営と教育に東奔西走されていた。教えて倦むことなき先生の女子教育に注がれた情熱は、けだし驚嘆に値するものがある。先生の教育的見識は学校という場で着々と実現されていたばかりでなく、王朝時代の紫清をこえる人として洛陽の紙価を高からしめた等身の著述により、広く日本女性の教養を高めることに貢献されていた。

大正九年社団法人愛国婦人会会長に推された。大正十二年の関東大震災に際しては愛国婦人として救血活動に精根を傾けられた。従って大正十三年の順心高等学校の創設を殊のほか喜ばれ、校長就任を快諾されたという。また、大正十四年には滋賀県下の淡海実務学校の校長も兼ねられることになった。昭和二年に愛国婦人会長を辞され、学校教育のみに専念されることになった。先生は大正七年から昭和十一年まで、十八年もの長い間、順心女学校、順心高等学校の校長として、本校教育の基盤を培われ、その発展に尽された。本校は先生の他の兼務校とちがい実践学園とは距離的にも近く、先生の声咳に接する機会を生徒たちは多くもつことができた。特に先生晩年の昇華し尽した高い教育理念のエキスをいただきながら育てられた順心は極めて恵まれた学校というべきである。

下田校長と順心

・『下田校長の六十余年に及ぶ育英のお仕事の前半は、その対象が主として、桃夭学園、華族女学校、学習院に学ぶ皇族、華族といったいわゆる上流家庭の子女たちであった。しかしその間にあっても先生は、日本の将来のためには一般勤労階級の子女の教育がより重要であることを考えておられた。明治三十一年には、内親王教育係という宮廷生活のかたわら、帝国婦人協会を設立され、付属の実践女学校並びに女子工芸学校をつくられた。そしてこれが先生の一般女子教育の出発点となった。翌三十三年には同協会新潟支部付属新潟女子工芸学校の設立をみている。先生は畏敬する祖父東条琴台翁の遺訓を堅く守られ、子女教育の根幹はあくまでも婦徳の涵養と、生活に直結する知識技能を身につけさせることにあるとの立場を堅持されていた。明治四十一年五月学習院女教授兼学部部長という栄職を最後に公的生活を離れられ、私学の女子教育に専念されることになった。そして先生の教育信条はそれからの後半世に遺憾なく、見事に実現されていった。

大正六年大日本婦人慈善会の板垣絹子会長ら朝野の名士夫人たちは順心女学校を創設して、恵まれない家庭にありながら、しかも向学心に燃える子女の教育を考え、現今の奨学資金制度の先駆けともいうべき給費制の実施を決意された。これと勤労子女の教育に情熱をおもちの下田校長のお考えが完全に一致して、先生は夫人たちの要請に応えられて、無償でその教育計画のいっさいを引き受けられた。すなわち順心女学校は夫人たちの憂国の熱意と、下田校長の教育的信念の結合によって生まれた勤労子女の教育殿堂であった。そして下田校長六十五才の春、大正七年五月三十日順心女学校はその授業を開始した。』 

・『先生の育英の業は昼夜にわたるものであり、勤労子女の教育にそそがれる熱意はまさに超人的なものであった。その中にあって共愛会の手になるわが順心女学校には毎週必ず出校され、生徒たちに訓辞されていたというが、先生は順心女学校を勤労子女教育のモデル校として、とりわけ愛されていたように思われる。この故に関東大震災後、東京の教育荒廃を黙示できずに共愛会がやむにやまれず順心高等学校の設立にふみきった時も、これを誰よりも喜ばれ、校長就任を快諾されている。先生にとって順心女学校と順心高等学校は、同じ教育理想によって育つ姉妹校であった。』

下田校長の国際的視野に立つ教育と順心

・宮中奉仕のかたわら和漢の学に励まれていたが、フランス人から日本文学の指導と交換にフランス語の指導を受けておられた。

・明治二十八年五月の渡欧では、大英帝国のヴィクトリア女皇に、日本女性として初めて拝謁を許された。その時の先生の緑袿緋袴の宮廷の正装は人々を魅了した。先生は何時でも何処でも日本女性としての矜持を失われることはなかった。

・人一倍皇室尊崇の念の厚かったが、「お国のために」という名による煽動におどる浅薄な主体性なき教育者を誰よりも嫌っていた。

下田校長の師道と順心

・『先生は人を教育するということは、その人間の魂の成長に関与することであり、教育者はその一挙一動をおろそかにすべきでないと説かれている。先生の教えを受けた万余の教え児たちの心の中には壇上の先生のお姿が教師の理想像として刻まれていたことは事実である。幾人かの教え児の方からこんなことをきかされた。「先生は鐘の鳴る前に教室に行かれ、鐘の音とともに入口のドアーをお開けになって壇に進まれた。そして号令なしに会釈をかわされて静かに話をおはじめになるのが常だった」と。』

順心高等女学校の創立

・『(関東大震災により)校舎が焼失し復旧の見込なく廃校するものが続出し、学ぶに所なき女子生徒たちを出してしまった。こうした教育の危機に臨んで共愛会の夫人たちはこの焦眉の急を救うべく、万難を排する決意で立ちあがられた。幸にも順心女学校の所在する広尾一帯は大きな災害をうけることもなく、校舎も無事であり、その収容能力にも余地を残していた。共愛会ではとりあえず順心女学校の校舎の一部を利用して普通制高等女学校を創設することにし、大正十三年四月開校を目途に準備が進められた。想えばわが学園のある麻布広尾一帯は、広尾ヶ原とよばれて江戸の郊外であり、春の摘草、秋の紅葉や虫の名所としてきこえ、杖をひく文人墨客の絶えない閑雅な地であった。明治以降都市化が進み、人口も増加し、住宅も密集するようになってきたが、なお緑豊かな静寂な環境は保ち続けられてきた。こうした場所にある順心女学校は、学校として必要な立地条件の多くを満たして存在する恵まれた学校であった。焦土と化した東京で学び舎を求める女生徒のために、環境に恵まれしかも交通至便な都心の一角に、新しい高等女学校を創設するということは、時宜を得た企画であったにちがいない。しかし共愛会の手による順心高女の誕生には並々ならぬ苦労があった。夫人たちも普通教育に手を染めるのははじめてであり迷いのあったことも想像に難くない。下田校長が校長兼務を快諾されたことは夫人たちの大きな力となったことであろう。下田校長の教育的識見にもとづく指導と助言により、いっさいの準備は完了し、大正十三年三月五日順心高等女学校の開校認可があり、三月十八日に下田校長の校長就任が正式に決定した。かくて緑にうえていた女生徒たちが心をはずませながら順心高等女学校の校門をくぐることとなった。』

順心高等女学校・順心女学校
順心高等女学校・順心女学校

画像出展:「順心女子学園六十年のあゆみ」

下田歌子8

著者:下田歌子

発行:1910年7月

出版:實業の日本社

目次は”下田歌子6”を参照ください。

第六章 婦人と敎育

三、女子の高等敎育

『然し、近來女子の高等專門敎育を受けるものが漸々多くなりまして、從って、高等敎育を女子が受ける可否も論ぜられる樣になりました。可とするもの々議論は、前に申しました通り、男子と女子と同等の力もあり、躰格も養へば同等になるのであるから、女子も當然高等敎育を受くべきものであると云ふので御座います。此の論については、一寸申して置きました通り、果して、女子の腦力、智力、躰力などが、全然男子と同樣であるか何うかが、先決問題であります。第二に、よし同等のものだとしても、女子は高等敎育を受ける必要があるか何うかと云ふ問題が來るので御座います。

先づ腦力について考へますに、自分は專門の學者でありませぬから、生理學者の言によるの外はありませぬが、生理學者の言によれば、男子と女子とは腦の組織、重量などに於いて著しく異なり、又部分的の發達に於いても異ると云って居ります。(或一部の議論は、それは養ひ樣が、男子と女子と異なって居たからで女子も男子の如く養へば同じ樣になると云ふ説もありますけれ共、其れはまづさうした後結果を見なければ、遺憾ながら、どうも左樣だと斷定することは出來ぬ。)此れに依って觀ても、男子と女子と腦力の向ふ所に差があると云ふ事は判りませう。或學者の如きは、女子高等敎育は、絶對に不可能だと云って居りますが、それも餘りに偏した議論ではありますまいか。現に歐米各國はもとより、日本の古代にも隨分立派な學者として立って居る婦人が澤山あるので御座いますから、人により塲合によって、絶對に不可能とは申されますまい。智力の上に顯れた所を見ても、殘念ながら女子は何うも男子に劣って居る樣で御座います。一體女子は感情に鋭いもので、冷靜な推理の學などには餘程不得手と云はなければなりませぬ。女子の感情に鋭いと云ふ事は、社會や國家の方面に取って、極めて有益な事もあるので御座いますが、少なくとも理性の學問と云ふ方面から見ては、これが為に男子より劣って居ると云はなければなりませぬ。ですから、女子が各種の高等な學問に立ち入って、果して能く男子と同等に推し進む事が出來るか何うかは疑はしい事でありませう。或ひは又「それは初めから女子を敎育しないからである。女子を劣等者として敎育しないから男子に劣って居るのである。敎育したら決して劣るものでなない」と、云れる方もありませう。或ひはさうであるかも知れませぬが、昔から女子には學問(高等なる意味に於いて)は不必要だと云ふ樣な氣風が世界各國の社會に行はれて、今もまづ其方の論が勝を占めて居るのは、即ち自然の合理で、未だ容易に動かし難いことだらうと思はれます。

第三の體格に於いて、男子と女子と同樣の強壯の程度であると云ふ事は、容易に信ぜられませぬ。一般に女子は男子に比して、極めて薄弱であるとしてあります。躰力に於いても、氣力に於いても、皆劣って有ると見られて居ります。特に婦人には婦人特有の組織があって、その為に身體にも精神にも非常なる影響を受けるのは已むを得ませぬ。現に婦人の大部分がヒステリー患者であると云はれるのを見ても解りませう。斯う云ふ異った體格を以って、男子と同樣に高等學術に從事して、それで果して男子と同樣の結果を擧げると云ふ事は、出來るか何うか、大なる問題であらうと存じます。勿論、男子にも女子にも、或少數の例外のあることは云ふ迄もありませぬ。

それに女子の高等學術研究は、まだ他の方面より調べて見なければなりませぬ。即ち、女子自身の幸福に取っては何うであるか。又國家が果してその樣な婦人を多數に要求するか何うかと云ふ點で御座います。一般の女子は、人の家庭に入らなければならぬものであります。即ち結婚と云ふ事は、女子の必要條件と云ってよろしい。前にも一寸申した樣に、男子は結婚によっては別に、自分の目的を妨げられる事はありませぬが、女子に至っては、結婚は我身に對して一大變化を與ふるものであります。結婚が必要條件であるとすれば、結婚前の女子の修養は、大部分この結婚を目的として行はれなければなりませぬ。結婚後は既に人の家庭に在って、大責任を帯びて居るのでありますから、容易に專門敎育に首を入れる事は出來ますまい。さうして、結婚には自から時期があります。ですから、若し婦人が高等敎育を受け樣とするには、勢ひ婚期を延ばすか、又は獨身生活の覺悟でなければなりますまい。此れは女子に取って重大の事で御座いますから、極めて綿密に考へなければならぬ事で御座います。

第二に今の世の中は、女子の高等敎育を歡迎するか何うかと云ふ事で御座います。國家社會の程度が今よりもずっと進んだ後ならば知らず。目今の有樣では、家庭の主婦として最高等なる專門敎育を受けた婦人を迎へる必要がないのみならず、今の社會は却ってこれを嫌って居る樣で御座います。女子の高等敎育を受けた人々が、婚期の遅いのは、女の方では行くべき所を選んで理想が高きに過ぎ、貰ふ方では、あまり歡迎しないと云ふ點にあるのだろうと存じます。して見ると、何れの方面から見ても、女子の高等敎育はさまで必要のものでないと云はなければなりませぬ。併し社會は極めて複雑で、生活の狀態も日に月に困難になって參りますから、婦人は必ずしも結婚して良妻賢母となり得ると云ふ限りでもなくなりませう。歐洲各國の女子高等敎育の盛なのは、大部分此の理由によるのではないかと存じます。(又一方には、女權擴張の為に、男子と同等なる、躰力智力の養成を必要とする理由もありませうが)日本でも、此れから後、この形勢は免れますまい、又何う云ふ事で獨立の必要があるかも知れませぬ。或ひは又一身を學問界に投じようと云ふ婦人も御座いませう。是等の婦人の為に、一二の高等敎育機關のある事は、むしろよい事でありませうが、大體から云っては、女子に高等敎育の必要は、今の所では、さまで痛切だとは思はれないので御座いますから、多數の女學校はまづ高等女學校程度位のが適當であらうと存じます。

尚女子敎育に對する卑見は、他日又別に起稿の積りでありますから、此處には、唯眞の愚案の一端を述べた迄で御座います。』

感想

国家社会が成熟し、社会が複雑化していくという前提に立ち、女子の高等教育の必要性が高まってゆくことは時代の必然であり、既に欧州各国の動向はそれを暗示している。という下田先生の見識は、明治時代にあっては、極めて貴重なものであったと思われます。

下田歌子7

著者:下田歌子

発行:1910年7月

出版:實業の日本社

目次は”下田歌子6”を参照ください。

二、進んで取る勇、退いて守るも勇

勇氣は精神の骨であります。骨は固く、骨は容易に折れてはならぬ。骨のある人は確固して居ります。勇氣のある人も亦、充分確固した所があるので御座います。

勇氣は、決して男子の專有物ではありませぬ。成程千軍萬馬の中に飛び込んで、矢玉を冒して血戰する婦人は一寸珍らしい、けれどもそれ許りが勇氣ではありませぬ。昔風の消極的な考へ方にすれば、婦人は勇氣のないもの、又勇氣の要らぬものと考へられますかも知れませぬが、それは考へ方が違って居るので御座います。婦人であっても亦勇氣なるものは、必要であるので御座います。

では勇氣、即ち確固した意志とは如何なものであらうか。更に進んで研究して見ませう。自分の見る所では、之に二方面ありませうと存じます。

 一、道に當っては進んで取る。

 一、不道に對しては退いて守る。

之の二つを一つに纏めると、やはり道に從って、動く所の強固なる意志と云ふ事になるのであります。其行ひが道にさへ叶って居るならば、進んで取るも勇氣があって、退いて守るも亦勇氣であります。要は道に對する強き決心であります。

この強き決心が、行為に現れた所を御覧なさい、如何許り美しく、亦如何許り華々しく、又如何許り勇ましいでありませうか。

我自ら道を守って病しい所がなくば、百萬の敵に對しても、莞爾と笑って居る事が出來ます。如何に勇ましいではありませぬか。千百の誘惑が、右から左から、前から後から、續々として押し寄せて來ても、我れに堅く信ずる所さへあれば、此等の誘惑を冷然として打ちながめて居る事が出來ます。成し遂ぐべき事、又成し遂げ得る事と信じたならば、百千の障害を推し除けて、百度二百度の失敗にも恐れず、何處までも之を成し遂ぐるのも大なる勇氣があるからであります。為してはならぬもの、不義不正の事と見定めたならば、如何なる忠告を與へられ、如何なる迫害に遇ふても、平然として斷じて不義不正に手を染めぬと云ふのも、大なる勇氣があるからでありませう。

但し男子には、堅きを碎き鋭きを破り、進んで取るの勇氣を要する塲合が多いので御座います。が、兎にも角にも、何の方面に於いても、人の行為の根柢には、常に偉大なる勇氣がなければなりませぬ。例へば蒸汽力が非常に大なる活用をして、世の中に非常なる利益を與へるのは、其の根本に熱と云ふ原動力がある為である。そのやうに人にも勇氣といふ原動力が無ければ、とても思ひ切った善事は出來ないのであります。

勇氣のある處にこそ、大發明の人を出し、萬難を排し、千辛を甞めた處に、大成功者は作り出されます。道に從って悠々然として身を省みぬ、殉國殉義の人ともなります。生命を賭しても、淸き心を守る所の貞操、淑徳の人ともなります。あらゆる善と美と、之を為すのも勇氣に依り、あらゆる惡と醜と之を避けるのも勇氣に依るのであります。

されば勇氣と云ふものは、大事件があって初めて起るものではありませぬ。大事件のある時には、勿論勇氣が必要でありますが、敢えて大事件でなくとも、日々の行為の上に於いても勇氣の必要は極めて大なるもので御座います。例之ば學生が勉強をして、讀本なり、算術なり稽古をして居る。すると眠くなる、眠くなった時に、眠いと云って寢るのは、正しい所の意志の決定に從った譯ではありますまい。正しい意志は、眠ってはいけない、眠る樣では、決して立派にはなれない、其の眠い所を忍耐して勉強しろと云ふのでありませう。それが出來ないで眠ってしまふ人は、それはたしかに自制克己と云ふ念に乏しいので、即ち勇氣に乏しいからだと申さなければなりませぬ。

當今男女學生堕落の聲は、實に忌はしい事でございますが、非常に喧ましくあります。自分は、親愛なる學生の方々が、世間で囂々云って居る程、甚だしく堕落したらうとは存じませぬが、其一部には、遺憾ながら、少しもその形跡が無いと斷言することができませぬ。さて其幾百人のうちの一人でも、不幸にして堕落したと致しましても、そのはじめ遠い國々から、親に分れ、兄弟親戚に別れして、遥々と東京に出て參りました時の心は、何うで御座いましたらう。必ずや其時の其の人の胸の中は、前途の希望と、大決心の勇氣とが充滿して居ったので御座いませう。年は若い盛りであるし、空想は頭の中に縱横に駈け巡る時代でありますから、其人の前途は實に洋々海の如きものがあったに違ひないのでございます。それが何うでせう。東京へ出ると直ちに堕落して、學問も目的も、何も彼も滅茶々々にして仕舞ふと云ふに至っては談るに詞が無い。初め大なる勇氣を持って出て來たが、今では其勇氣は何處へ行ったのか分からなくなったではありませぬか。

これに依って之をいへば、其初め國を出る時の勇氣は、決して眞の勇氣ではありませぬ。眞の勇氣を持って居ったならば、如何樣な誘惑に遭った所で、決して其の誘惑に陷るものではありませぬ。それは都の中は種々なる誘惑の機關が備はって居りまして、手を變へ品を變へて誘惑するので御座いますから、まだほんたうに思想の堅まって居らない若い人々に取っては、知らず知らずの間に其誘惑に陷るのも亦已むを得ない樣にも思はれますが、かと云って、東京へ出て來た男女の學生が、澤山どし々々堕落してゆくかと云ふに決してさうでない。堕落生が假に如何に多いとて、堕落しないで成功するものの方が遥かに澤山あるので御座いますから、矢張堕落するものは、眞に勇氣のないものと申さなければなりますまい。誘惑の惡魔も眞の勇者には寄り附く事が出來ぬのであります。

自分は妙齡の女子達に特に申したいのは、如何なる誘惑が來ても、不正不義と見たならば、死を誓ってこれに抵抗するだけの、大なる勇氣を持って貰ひたいと思ふので御座います。この勇氣を持たない人は、幸いにして、誘惑の魔に觸れる事がなければ兎も角、一度之に觸れたならば忽ちに堕落するので御座います。それでは同うして立派な婦人と云ふ事が出來ませう。昔から今まで、貞女節婦として稱へられて居る人々の行為は、實に斯の樣な塲合に、自若として道を違へず、死生を賭して道の為に爭う所の大なる勇氣に富める人で御座いました。』

三、眞の勇氣と偽の勇氣

『勇氣は誰人にも必要で、又何時如何なる塲合にも必要である事は前申した通りで、又勇氣の二方面、即ち進んで取ると云ふ方面と、退いて守ると云ふ方面とも前述の通りで御座います。進んで取る方面は、事業の方から見れば進取即ち積極的であります。自分の志した事は萬難を排して、之を成し遂げるので御座います。世の中に立ちて、事業をなさんとする人で、進取の勇氣がなくては、到底充分なる成功をなし得るものでは御座いませぬ。退いて守ると云ふのは忍耐であります。守ると云ふと少し云ひ方が惡いので御座いますが、畢竟事業をなし、正義を行ふ上に、思はぬ所の妨害が出來たり、困難が起こったりするのは云ふまでもない事であります。それを克く忍び克く耐へてこそ、初めて成功するので御座います。

この進取の氣象と忍耐の力とは、人生の如何なる方面に行っても極めて必要であります。人間の一生、一時間の中と雖も、これが無くてはならぬ必要のものであります。敢へて例を引くまでもありますまい。家庭の中に在って一家族が暮す時でも、商賣をして他人と取引する中でも、机に對って書を讀む間でも、如何なる時でも、如何なる塲合でも必要でなくてはならぬものであらうと存じます。これ程大切なる勇氣も、克く克く注意しなければ、誠に飛んだ考へ違ひをするものがあります。世に暴虎馮河の勇と云ふ事があります。勇氣と云ふ事は、何でも危險な事も構はないで進み、生命も何も打ち棄てて、火の中水の中へでも飛び込みさへすれば、それでよい樣に考へて居る人があります。成程、或る塲合には、さういふことの必要がないでもありませぬが、それは極めて稀な塲合であります。向ふ見ずに、無茶苦茶に、棄てばちになってやる事、それが勇氣とは決して云ふ事は出來ませぬ。それは昔の人の所謂匹夫の勇と云ふもので、眞の勇氣では御座いませぬ。

さらば眞の勇氣と、匹夫の勇との差は、何處にあるかと云ふ事を考へねばなりませぬ。眞の勇氣とは何んなもので御座いますかと云ふに、進むも引くも道の為にし、義の為にするもので御座います。で、何れが道か、何れが道でないか、其處に充分なる判斷がついて居らなければなりませぬ。

又其行為を決斷するまでには、神聖な純粋な感情に依って動かされなければなりませぬ。例へて申しませうならば、此處に一人の人があります。其人が刀を持って人と爭ひに行くといたします。其の爭ひに行くと云ふ行ひは、それで眞の勇氣であるか、ないかと云ふ事を調べて見ると、爭ひに行くにも種々あります。軍人となって國家の為に正邪の爭ひに行くのもあり。又詰らぬ恨みの為に我身を忘れて無謀な爭ひに行くのもあります。君國の為めに爭ひに行く人は、何故に自分は君國の為めに爭ひをしなければならぬか。自分は君國から何ういふ御恩を受けて居るか、といふ樣な事を充分に知って居って、其上に身を棄てても君や國に盡さうと云ふ一種の尊い感情に動かされます。其の智識も、其の感情も、極めて純粋なものであって、それによって意志は十分に決斷して、勇氣となるので御座いますから、其の勇氣は眞の大勇でありませう。然し右の如きは、男子に於いての塲合です。が、女子にも亦、男恥かしき眞勇を振って正義の為になった人が少なくありませぬ。一寸その一二の例を申せば、かやうな類であります。德川將軍治世の末に在った飯田のお藤は、妙齡の身を以て、藩主の側室若山といふ毒婦を斬って、主家を累卵の危きに救ひ、同じ德川氏時代に於ける、丸龜侯の家中の、孝女お里は、親の仇なる惡漢の武術者を打って、先考の怨恨の靈を地下に慰めました。その他、下婢おさつの仇打、赤穗義士の銘々の、母や妻等殿忠の大義の為に、その身を犧犠にして、眞勇を發揮した婦人も少なくありませぬが、又或ひは親、夫の虐待に耐へ、或ひは家の貧困を忍び、夫の難病に侍して、毫も倦める色無く、悲しめる氣色無く、他の惡を化して善と為し、傾けるを助けて全きを得せしめ、歴代の史傳記綠中に在る所のあまたの賢婦人達の如き、全く進んで取るの勇氣も、退いて守るの勇氣も、全身に滿ち溢れたやうな意志の堅固な婦人方で御座います。

所が、詰らぬ恨の為に身を棄てると云ふと、實に詰らぬ事であります。又詰まらぬ感情に動かされて居るので御座いますから、一時取り逆上せた時こそ身を忘れてかかっても、暫時經って、頭が冷えて來ると、詰らぬ事をしたと後悔するのであります。こんな勇氣は、眞の勇氣では無くて、一時の狂的動作であると申しても宜いのでございます。

そこで眞の勇氣のある人は、安心をして居って、世の中の事に迷ふ事はありませぬ。勇氣のある人は既に何の道が正しくて、那の道は正しく無いと云ふ判斷がついて居ります。又詰らぬ感情に動かされるといふ事はありませぬ。その判斷がついて居らなくて、邪でも非でも無暗にやり通すと云ふのならば、それは眞の勇氣ではありませぬ。既に道の正不正が明らかになって居る人でありますから、自分の行ふて行く行為の上に疑ひを抱くことがありませぬ。例へば春の朝に花鳥に送られ、美はしい太陽に迎へられて、樂しき野邊を行く樣に、心は何時も春風の吹いて居るやうで御座いませう。

眞の勇氣のある人は、決して濫りに他人と爭ひませぬ。既に我が行く道を知って居って、之れを樂しく進む人でありますから、他人に對して恨み忿るなど云ふ事はありませぬ。他人の過ち之を宥じ、我が過は何處までも改め、心の中は淸風名月の樣でありますから、人がよし之を怒らせようとしても、動きもいたしませぬ。其故、大勇は怯に似たりとまで云はれて居ります。

眞の勇氣のある人は、貪り望むと云ふ事はありませぬ。道とみれば進むと同時に、道ならずと見れば如何に勸められても決して入り立ちませぬ。他人が百萬の富を以て誘ふても、斷じて不正の事はしないと云ふ事は、大勇のある人でなければ、決して出來ない事であります。

又、眞の勇氣のある人は、失望しないのであります。心に守る所があって、其の為には百難千難を事ともしないのであるから如何に苦しい位置に立っても失望する道理はありませぬ。普通の人ならば、悲しみ歎きの眼を以て、中天を被ふ黑雲を見て泣いて居る時でも勇氣のある人は、喜び溢る々心の眼で其黑雲の上に照る太陽を見透して、それを樂しみ、それを喜んで居るので御座いますから、心は自から和いで居るのは、勿論その筈で御座います。

勇氣は決して男子に限ったものでは御座いませぬ。又一大事が起った時に初めて必要なものではありませぬ。凡ての人が、凡ての時に於いて持たなければならぬ德で御座います。家庭の風波も、一家の不經濟も、事業の失敗も、生活の困難も、又凡ての誘惑も、何も、彼も、眞の勇氣がない所から起って來るものと云はなければなりませぬ。

で一朝の怒りに嚇となって、疎暴な行為をして、後では夢の覺めたやうに悄然として、後悔したり、狼狽したり、又は心の裡では恐れて居る癖に、弱みを他に示すまいとして、大さうな事を云ったり、荒々しい擧動を示したりするのは、これは眞の勇氣とは似て非なるもの、虛偽の勇氣とでも申しませうか。婦人としてはこれらの事は最も愼むべきであります。即ちこれは、「内剛にして外柔」の反對に、外剛にして内柔とでもいふべきで、殊に爪彈きをせらる々次第であますから、能く他の失態に鑑みて、自ら省みなければなりませぬ。』

下田歌子6

下田歌子先生の『婦人常識の養成』は代表的な著書の一冊と言われています。

拝読させて頂く前は、「あまり関係ないかなぁ」と思っていたのですが、決して“婦人”だけではなく、素晴らしく勉強できるものでした。

ブログは、”第三章 婦人と勇氣”と”第六章 婦人と敎育(三、女子の高等敎育)”の2つだけになります。

また、今回も『下田歌子先生傳』と同じく、時代感を出したいと思い、可能な限り本書に出てくる漢字や言い回しを使っていますが、今回の『婦人常識の養成』は読み仮名がふられていたので助かりました。ただ、漢字が見つからなかった場合は〇となっています。ご容赦ください。

著者:下田歌子

発行:1910年7月

出版:實業の日本社

緒言

『この書は、題名の示す通り、年少婦人の常識を養成する一端にもと思って書き集めたもので御座いまして、決して高尚深遠な學理を説くのが目的ではありませぬ。

書中に説く處は極めて平凡で、通俗で、判り切った事を長々と書いたと思召す方も或は有るだらうと思ひます。それに本書は年少の婦人に讀ますると云ふ考へで、説明の方法も出來るだけ平易に、又出來るだけ丁寧にと考へました處から、或は同じ事をくどくどと云って居ると云ふ嘲りもあらうかとも思はれます。併しそれは、著者の目的か那邊にあるかを御考へ下されたならばおわかりになると思ふので御座います。

本書の中にも幾度も幾度もと申して置きました通り。最も完全な國民といふのは、最も完全な常識と道德とを持った國民を云ふのだらうと思ひます。我日本國民は、種々の事情からして、非常に常識に缺けて居ると云はれて居ります。特に婦人においては、殆と常識の存在を疑はれて居ると云ふ始末で、誠に悲むべく又一日も忽かせにすべからざる大事件であると云はなければなりませぬ。

此の書を世の中に呈出する事に依て、著者は婦人の常識を立派に養成出來やうなどなどの自負心は決して持って居りませぬ。誰目下の缺點を補ふために、汗牛充棟も○ならぬ有樣で出版せらるる良書の末班に加へられて、○かにても斯道に裨盆する處ありと認められたならば、著者の心は足るので御座います。』

明治四十年六月 赤阪靑山の居にて 著者識

目次

第一章 現代婦人の覺悟

一、上古婦人の地位は如何であった乎

二、中古婦人の地位は如何であった乎

三、近古婦人の地位は如何であった乎

四、現代婦人の地位は如何であった乎

五、時代の要求する婦人

六、現代婦人の覺悟

第二章 婦人と慈惠

一、婦人の特長は何ぞ

二、父の嚴命より母の慈訓

三、戰塲に於ける婦人の慈惠

四、盛り塲に於ける止女

五、男子の勇氣と女子の慈心

六、社會の事業と婦人の慈惠

第三章 婦人と勇氣

一、勇氣は品性の骨格

二、進んで取る勇、退いて守るも勇

三、眞の勇氣と偽の勇氣

第四章 婦人と信念

一、安心なる生涯を求めよ

二、正しい判斷から得た所の確信

三、婦人は信念の力が強い

四、夢から夢に入りて醒めざる婦人

第五章 婦人と宗敎

一、老子の口吻を眞似るではないが

二、日本の神樣と西洋の神樣と

三、宗敎は決して無用の者では無い

四、宗敎の婦人に及ぼした影響

第六章 婦人と敎育

一、女子敎育の目的は那邊にあるか

二、完全なる國民としての婦人 ―賢母良妻主義―人格修養主義

三、女子の高等敎育

第七章 婦人と常識

一、昔は常識とは言はなかったが

二、女學校出身者は何故に常識に乏しいか

三、如何にしたら常識が得られようか

第八章 婦人と學問

一、女の生學問といふこと

二、男と女とは學問の價値が違ふ

三、眞の學者としての婦人

四、婦人と文學

第九章 婦人と職業

一、已むを得ずして執る職業

二、日本にはこの兩方面を調和した職業がある

三、婦人は或意味に於いて一大職業を育つ

第十章 婦人と手藝

一、手藝は婦人に天與のものである

二、婦人の嗜なみとしての手藝專門家としての手藝

三、編物押繪に一機軸を出した兩女敎師

第十一章 婦人と禮法

一、禮は文明の尺度

二、自由な國の不自由と不自由な國の自由

三、虡禮虡飾と禮法の精神

第十二章 婦人と音樂

一、人類は音樂的動物である

二、婦人と音樂との關係

三、日本樂と西洋樂と

第十三章 婦人と遊藝

一、誤解されたる遊藝

二、遊藝が品性に及ぼす影響

三、遊藝の選擇

第十四章 婦人と裝飾

一、婦人は社會の花

二、美に捕はれたる婦人

三、外貌の美と精神の美

第十四章 婦人と裝飾

一、婦人は社會の花

二、美に捕はれたる婦人

三、外貌の美と精神の美

第十五章 婦人と交際

一、人は交際的動物である

二、婦人が社交熱の消長及び得失

三、所謂靑年男女の交際

第十六章 趣味と實益

一、雅やびかなふるまひ

二、趣味と實益

第十七章 婦人と衛生思想

一、婦人は家内の衛生係である

二、病に罹らせないのが第一の目的罹ってからの看

三、衛生上より見たる衣食住

第十八章 婦人と經濟思想

一、世帯持のよい婦人

二、時間の經濟と勞力の經濟

三、經濟の點から見た衣食住

第十九章 理想と現實

一、宇宙問題と人生問題

二、現實の地に足を立てて理想の天に頭をつけよ

三、藝術の宮

第二十章 希望及び快樂

一、過去の悲しみに耽る人

二、希望と快樂とは人格によって上下するもの

三、快樂そのものを希望する人

第二十一章 婦人の結婚問題

一、結婚目的のいろいろ

二、結婚の制度

三、良人の選擇

第二十二章 婦人の長所と短所

一、體格の上から見た長所短所

二、精神上から見た長所短所

三、婦人の長所短所とから見たる事業

第二十三章 主婦としての婦人

一、これこそ眞の分業である

二、家庭の圓滿は主婦の德

三、妻としての修養

四、婦人と服從の德

第二十四章 母としての婦人

一、母親たる責任は何時から負ふ乎

二、我が乳で我が兒を育てぬ母親

三、白金も黄金も玉も何かせん

四、母の感化と子の感化

五、母親の資格は如何すれば有てる乎

第二十五章 娘としての婦人

一、女兒は何故男兒よりも一層親に孝行せねばならぬ乎

二、娘時代は修養の時代である

三、理論よりも寧ろ實地が大切である

四、女學校卒業生の下婢となった實驗談

第二十六章 國家と婦人

一、國家と國民、皇室と臣民

二、婦人も國法を知らねばならぬ

三、國家の事變と婦人

第二十七章 婦人の十德

一、正實

二、仁慈

三、恭謙

四、貞淑

五、快濶

六、勤儉

七、堅忍

八、沈着

九、高潔

十、優雅

第三章 婦人と勇氣

一、勇氣は品性の骨格

『東洋では、昔から、智仁勇の三德と稱して居りました。その勇と云ふ德は、譬へば人間の體で申して見れば、骨格の樣なもので御座いませう。人間には御承知の通り、體格上から許りて申しましても、種々の要素が必要で御座います。まづ、皮膚だの筋肉だのが無くてならぬので、其れから、神經だの、血管だの、肺臟、心臟などその他内部の諸々の機關を安全に保ちて行くもの、又は、筋肉や、皮膚や、毛髪や、血管や、神經などをして、充分に活動せしむる為には、骨格と云ふものは、まづ、確乎として居らねばならぬ事は、今更彼是と説明するまでもない事で御座いまして、骨格は、實に人間の有って居る諸機關を、最も良い樣に組み立て、又最も良く活動できる樣に統一し、而も又最も安全である樣に保護して居るものであると云ふ事には、異論の無いことであらうと存じます。

今度は、人間の精神の方の活動について申して見ませう。人間の精神的の活動を仔細に歡察して見ると、先づ三つの方面に分ける事が出來ます。即ち

 一、智の方面による働き

 一、情の方面による働き

 一、意の方面による働き

で御座います。

是等の三方面について詳しく説明するのは、心理學の方の部分で御座いまするから、此處に於いては、なるべく避けようと存じます。唯心理學者の説明によりますれば、是等の三方面の働きが如何なる人の心にもあると云ふので御座いますから、若し或る人の精神の活動を見て、此中の一つが欠けて居る樣では其人は充分完全な人間と云ふ事は出來ないので御座います。敎育と云ふものは、この三方面の精神の活動を、充分完全に發達させる樣にするのだらうと存じます。

さてこの心の活動を極く手短かに説明して見ると、智の作用とは、人間が物を知る事で御座います。人間は他の動物と違ひまして、物事の善惡を判斷する力があります。物の美醜を見分ける力があります。物の適不適を分ける力があります、まだ其の上に、犬とは何んなものか、馬とは何んなものかと云ふ樣に、其物の性質を考へ出す力があります。此樣な、判斷とか、比較とか、概括とか、想像とか、記憶とか云ふ樣な心の活動は、之れ實に心の智的作用によるので御座います。學者は之を理性の作用と云って居ります。

第二の情の作用と云ふ事に就いて、尚自分の精神を自分で考へて見る必要があります。外でもありませぬ。理性の活動を以て、人は善惡、美醜を分ける、甘いか甘くないか。滋養であるかないか、善い行であるか。惡い事であるかなどなど一々判斷がつくのは、それは理性の作用である事は、今申した通りでありますが、心の活動は、それ切りで止まるかと申しますと、決して左樣では御座いませぬ。之の行為の判斷がつくと共に、必ず其所に一種の感じを起しませう。善い行為をした時や、甘いものを食べた時の感じと、惡い行為をした時や、詰らぬ損をした時の感じとは、同じ心の活動でありながら、全く別な樣でありませう。初めの感じを喜びと名ければ、後の感じを悲しみと名づけます。其他に、怒り、樂み、苦み、など、感じの種類が澤山あります。これらの感じを學問上感情と云ふので御座います。

それから意の方面とは、決斷であります。この事を為よう、あの事はすまいと決斷するのは、之を意志の力と云ふので御座います。斯う云ふ事をしたいと云ふ氣が起る。それは惡い事だ。してはならぬと理性で知って、それを斷然せぬと決斷するのは、即ち強い所の意志の力で御座います。人間のどんな行為でも、其初めは必ず心の三方面が活いて、それが行為に表れる樣になるのでありますが、毎日々々行為に表はれるとか。それでなくとも、能く馴れた後には、この樣に規則正しく心に相談して起こるものではなくなるので、之を習慣と云ふので御座います。

斯の樣な心の活動が頓て、其人の行為となって、表面に現れるものでありますが、其行為の上から見ると、其の三方面何れも大切である中にも、特に意志と云ふ方面が最も大切であらうと存じます。意志が確固として居らないと云ふと、智識や、感情が如何に勝れて居ても無益であります。固より、單に意志許りて、智情は何うでもよいとは申しませぬ。智情も固より大切であるが、意志は、殊更に大切であると云ふので御座います。智情の立派で、意志の確固とした人は今日所謂、完全な人格の人と云ふのであります。世間で精神の確固した人と云ふのも、この意味で云ふのでありませう。自分は、この意味に於いて、智情に護られた意志の最も確かに表に現れるものを、勇氣と云ふので御座います。單に自分の見る所許りでは御座いませぬ。前にも一寸申した樣に、古人が智仁勇と、並べ稱せられた中の勇と云ふ德は、此意味に於ける意志と解釋する事が適當であらうと存じます。

して見れば、勇氣は丁度精神の上の骨格で御座いませう。智で知っても、情で感じても、さて之を斷行すると云ふ決心がなければ、何にもなりませぬ。意志は強ければ強い程よい事は、丁度骨は太く逞しければ逞しい程立派な人間であると同樣であるではありますまいか。

前章に女子の滋心と男子の勇氣とを比較して述べました程であるに、爰にまた婦人に於ける勇氣を喋々するのは、或ひは、矛盾の嫌ひがあるかも知れませぬが、それは勇氣をば俗世間で云ふ所の勇氣、即ち、腕力がかった強さを意味するとか、武藝が達者であるとか云ふ方面のことの聯想から起る誤りで御座いまして、今自分が申しました通り、最も強固なる意志であるとすれば、婦人と雖も必要な事は申すまでもありませぬ。唯男子には殊にこの勇氣が生命であると申した譯でありますそれで、若し斯の樣な勇氣が婦人に必要はないと云ふのならば、それは丁度婦人は軟らかなるものであるから、骨は要らぬと云ふのと同樣と云はなければなりませぬ。』

下田歌子5

下田歌子先生傳
下田歌子先生傳

編輯発行:故下田校長先生傳記編纂所(代表:藤村善吉)

出版:1943年10月8日(非売品)

目次は”下田歌子2”を参照ください。

第六節 埋葬

『かくして擧式もすすみては、今はただ講堂そのほかの式場を祓ひ浄め、せまりくる暮色のうちに、更に悼はしき茶毘の儀の終るを待つのみである。ときに十三日午後六時三十分、親族、三校職員總代、生徒總代、同窓會總代等、十六臺の自動車を從へて、嗚呼、故先生の御遺骸も今は變りはてたる一〇の白骨と化し、喪主平尾壽子女史の手に抱かれつつ歸還したのであった。

七時半、うちひしがれたるが如きいひ難き悲嘆のうちに、そを、講堂に設けし新たなる祭壇へと奉安しまつる。しかるのち、皆々、また靈前に侍して、在りし日の思ひ出など、涙のうちに物語る。これぞ實に一同が、故先生の御前にて過すべき最後の一夜であった。

翌昭和十一年十月十四日は、前日來の霏雨もうち忘れし如き快晴の小春日和であった。いよいよ先生の遺骨を、音羽なる護國寺の奥津城どころに、埋葬しまゐらすべき當日である。午後一時三十分、遺骨は講堂の祭壇より正面玄關に出でたたれ、思ひ出も深き先生御生前の常用車にと移りたまふ。これより早く校門の内外には、三校の生徒卒業生等、去る十二日、靈柩を迎へ奉りし時の如く整列せる中を、新たなる戯欷嗚咽をかき分くるもののやうに、喪主、親戚、學校職員、生徒代表等七臺の自動車に分乘、〇從しまつりて出で立たる。これこそ眞に、とどめまゐらする由なき永遠の御出門であった。

御出門
御出門

画像出展:「下田歌子先生傳」

葬列は、まづ靑山なる明治神宮表參道より新宿に出で、高田の馬場、江戸川を經て音羽通りを眞直に護國寺に到着、同窓會代表二十餘名のほか、卒業生有志、常磐會々員等約百名に近く、既に此處まで先着して御待ち申上ぐ。殊に毘きは北白川宮、竹田宮兩大妃殿下には、この度もまた特に、御用掛を御差遺遊ばされし御事であった。かくて午後二時三十分、御遺骨は一先づ本堂に安置せられ、その右に兩御用掛着席、左に本校側各代表、正面に喪主、親戚その他の參列者並びて、護國寺貫主以下數名の僧により、嚴そかなる讀經は始められた。香煙ゆらぐところ「蓮月院殿松操香雪大姉」の御法號は、悲しくもまた床しく輝きて、日頃の面影もいやましに偲ばれるのであった。約四十分にして讀經も終り、御使を初め奉り喪主以下一同の燒香ありて、直ちに埋葬の運びとなる。

御墓所は、當寺墓域の西南の一廓、西向の地位にある。すでに掘られたるほぼ四尺四方と見ゆる墳穴が、早くも人々の涙を誘ひてやまず。いよいよ、特に調へたる尺二寸ほどの唐金の壺に納められたる御遺骨は、更に、四尺の地下ふかく埋められし石槨の中に、音もなく卸されて石蓋かたく閉された。次いで、まづ喪主の手による一握の土塊がその上を蔽ひ、續いて勿體なくも兩御用掛、更に順を追うて參列者一同、いづれも千萬無量の深き思ひもてそを繰返し、終りて次に墓標をばうち立て、眞新しき盛り土は築かれて行った。』

『因みに言ふ、ここ音羽護國寺は、眞言宗新義派の大本山、夙に東都第一の巨刹といはれる大寺であって、その創建は天和元年、開山は亮賢(快意)和尚、これが願主は德川五代將軍綱吉。國寶の本堂及びこれも國寶の江戸時代初期書院造りの代表的建造物たる月光殿と、鎌倉時代の尊勝曼荼羅、並びに藤原時代の金銅五鈷鈴などの寶物をもって鳴るほか、故先生を埋葬せる同じ境内の墓域には、明治の功臣たる三條實美、山田顯義、山縣有朋、大隈重信諸公の墓がある。思ひてここに至れば、早稲田大學の産みの親たる故大隈侯と、實踐學園の創立者たる故下田歌子先生が、同じ境内の同じ墓域を永遠の休息所と選んだのも、また奇しき因縁とはいへないであらうか。

かくしてここに、當面の葬典はすべて滯りなく終了した。なほ翌十月十五日には、午前中専門學校の全生徒、午後は第二高等女學校の全生徒が、更にまた十六日には午前中、高等女學校全生徒が、いづれも各職員に引率されて初の墓參を行った。その後も、五十日祭當日たる十一月二十六日までは、毎日、三校の生徒代表が職員附添のもとに校長邸の靈前に禮拝し、また旬日祭及び護國寺に於いて行はれし各忌日の法要には、それぞれの代表者を參列せしめたほか、特に墓參のため、三校一ヶ月交替にて毎日代表者を送りなどして、ただひたすらに、故校長先生在天の英靈を慰めまゐらすことに努めて行った。』

護国寺の墓域と墓碑銘
護国寺の墓域と墓碑銘

画像出展:「下田歌子先生傳」

第十七章 香雪餘薰

第一節 時代の人

『いまここに、思ひを新たにして、下田先生の燦然たる生涯を回顧し、また、更に、群がる當代の俊傑中から、さまざまの點に於いて比較、相似を發見し得る人物を、二者、拉し來って少しく追懷の筆を進めて見よう。まづその第一の人が、ゆくりなくも下田先生と同じ墓域(音羽護國寺の境内)に眠る大隈重信侯である。侯は天保八年、丁酉の歳十月の出生であるから、先生よりも十八歳の年長で、大正十一年七月、八十五歳をもって易簀した。すなはち下田先生よりも、二歳の長壽を保たれた人であるが、御兩所とも老年まで、〇〇として意氣壯者を凌ぎ、共に九十歳、或いは百歳以上の高壽を保つかに見えてゐた。

面してこの兩偉人が、同じように博識であり宏辯であり、晩年は專ら一つ育英の事に盡した。他者に對して門戸を閉ざさず、何人を相手としても諄々と道を説き、しかも任俠であって世話好きで、常に明るい、華やかな日常生活に終始した。言葉をくだいていはうならば、じめじめした事が大嫌ひであって、とかく、陽氣なこと、賑やかなことがお好きであった。さうして最後まで、新時代の思潮に敏感であり、加ふるに生來の勉強好き、學問好きで、勉倦むことを知らなかった。

下田先生が帝都の西南、澁谷の常磐松に、巍然たる女學の一大聖殿を築き、一萬數千の卒業生、四千の在校生を得て、それ等敎へ子の崇敬の的となれば、大隈侯はまた都の西北、早稲田の森に、一萬の學徒を擁して風雲の去來を窺ひ、その學園の頭目と仰がれる一方、たまたま出でては首相の印綬をも佩び、大正初期の國政を補佐し奉ったこともある。ただ、侯が殆どその生涯を政治家として終始されたに對し、下田先生が、多大の政治家的手腕を備へながらも、後年全くその〇芒を包み、謹〇重厚、あく迄も敎育家としての晩節を完うされた點を異れりとすべきである。』※もう一人は渋沢栄一氏

第二節 知行合一

『かくの如き天の成せる毅然たる禀質は、次第に先生の人格玉成させ、また少女時代、靑年時代の病弱よりして見事に蟬脱し、四十歳前後よりあの健康體となられ、遂には、いかに奮闘されても平然として、なほ疲勞を知らざる人となった。ここに一つ、面白いのはその奮闘時代の先生の健啖ぶりで、それは三度の食事にも側近の者が、しばしば膽を潰すほどであったといふ。食事の嗜好は一體に頗る無頓着の方で、その點臺所を承る侍女たちは大いに助かった。先生は日頃、食膳に供へられた物を凡て悦んで食べられたし、總じて甘い物がお好きであって、麥茶に玉垂(菓子の一種)さへ用意すれば、決して苦情をいはれたことがなかった。ただ生來、枝豆といふ變った好物が別にある。

この朝夕の食事に關して、先生に、傳ふべき一條の美談がある。先生は、久しい以前よりして食事の終る度毎に、最後の一口を必ずお茶漬になさる習慣があった。そしてその濡れた最後の一粒を、茶碗の緣へ箸で上げて、それから一つ御辭儀をして召上がるのが常である。これが如何に多忙な際でも、また病床にあられた折りでも、殊に晩年、病んで右手の故障を告げられる頃に至っても、日々、忘れられたことがない。そこでさる日、側近の者が、それとなく右の理由をうかがってみた。先生の答へが、かうである。

「子供の頃、祖母が自分に、粒々皆之幸苦の句を話され、食事をする毎に、無事に御飯の頂けることを、口の中でよいから有難うございましたといはねばいけないと敎へられた。それが習慣になって、今も缺かすことが出来ない」云々。先生の祖母貞子刀自は、思へば明治十七年、甲申の歳六月、同じく八十九歳の長壽をもって逝かれた方であるが、先生は、その敬愛する亡き祖母君の訓戒を、みづから齡八旬を越して、なほ一日として忘れることがなかったのである。

また先生が、別にこの食事について、いかに無頓着で、無造作であられたかを語る實話として、ここにかういう微笑ましい話柄もある。曾て二十餘年前、先生の一行三名が、特に招かれて九州地方一圓に講演行脚をされたとき、熊本に在住する一敎へ子が、その新婚のつつましい小家庭に、師の君と久にして相逢ふ懐かしさに、推して先生の御立寄りを乞うたことがある。行く先々の一流旅館で、懸の高官や新聞記者連に取り巻かれるのが常であった先生が、その日にその小家庭に於いて、ただ梅干に柔らかい御飯を頂いて、ああ、極樂のやうだと滿足して居られる心易さには、當年の敎へ子がただ有難さ勿體なさに、ひたすら感涙にむせぶばかりであったといふ。

かくの如く、簡素を尊び煩雜を嫌ひ、みづから斷じて門戸、邊幅を飾らざるは、蓋し全く先生の天性に依るものであったらしい。大正十二年、〇亥の歳は先生すでに七十歳で、既記の如く從三位勳四等、愛國婦人會一百數十萬會員の代表者として、大震災の挺身的活動より、いよいよ名聲海内に高き身であられながら、その住み古された靑山六丁目の邸宅たるや、一體どの程度の門戸を張って居られたあらうか。實に、先生はその食に於いて、以上のやうに簡であったやうに、その住に於いても驚くべき素を示されつつ、なほ平然として、一言半句の不足も口にされない人であった。

當時の宅はすでに年古り、周圍には貧弱なる杉の矮木が並んでゐて、その杉木立との間を劃すべき板塀すらもなく、為に、近所の犬どもが欣んで、先生邸へと出入りして居った。家は無論平家建て、五六間の粗末ものであって、明らさまにいへば、當時やうやく五六十圓程度の借家であった。玄關の次が客間であるが、これがたまたま雨にでも遭ふと、屋根が腐朽してゐて盛んに洩れるのである。先生宅を訪れた人々に、降雨の日、その客間に、雨洩りを受けるための盥やバケツの類が、幾つともなく並んでゐる珍光景を目撃して、吃驚一番するのが常であった。

翌大正十三年、甲子の歳に至って、やうやう先生は周圍の懇望を容れ、その隣地を借用して、勿論大きからぬ家を新築された。かくして先生は、七十一歳にして、初めて自己の所有になる家に住む身となられたのである。寡慾は實に、下田先生の天稟であった。かかる先生ゆゑに、昭和九年、甲戌の歳七月、しばしばその右上肢腫張が激しき疼痛を伴ふに及んで、意を決し、然るべき方面の手續を履まれて、正規の遺言書を作製された。先生は先生一代をもって、斷乎、下田家を絶家されることを遺言したのである。地上の財貨の如き、先生にとっては正に浮雲のそれに等しかったのであらう。

傳してここに至って、是非とも再びまた筆を洗って特筆せねばならないのが、先生八十餘年の長き生涯を回顧して、つねにわれわれの胸を打たずにはをかぬ二つの大思念、大精神の具現である。まづその第一を、先生の平常不斷、寸刻と雖も變ずるところのなかった「敬神」の大精神とする。若くして、幾多苦難の關頭にも立たれた先生は、或るときは佛門に、また進んではそのうちの禪門に、心していはゆる安心立命の絶對境を把握されんものと、一方ならぬ内省熾烈の精神苦を經驗されたものであった。

もとより、先生の敎養の一部をなす國學のうちに、直接の系統こそ引いては居らなかったにせよ、かの選ばれて平田篤胤翁の養子となり、明治の初年、特に參與に任ぜられ、宮中にあって侍講をも拝命、その十二年、己卯の歳六月、八十二歳をもって歿した平田鐵胤翁一派の思想が、多少の影響を及ぼさなかった筈はない。およそ、我が下田先生ほど、敬神崇佛の實を、身をもって示現せられた人は蓋し少なかったであらう。實踐學園の校長室には、つねに大神宮が奉祀されてあって、先生は登校、退校ともに、未だ曾て恭しくこれに合掌禮拝されざることがなかった。

人はしばしば、先生のこの深き恭敬謹行に、胸打たれ鞭打たれたものである。朝はまづ、必ず淸水をもって手を淨められ、伊勢大神宮、宮城、明治神宮を遙拝され、續いて兩親の御靈に御挨拶される。歸宅された際も、また同樣である。いかなる旅行途次とても、敬虔なるこれ等の拝禮を缺かされたことはない。みづから「虎の子」と仰せあって、天しろし召す大神宮の貴き護符を、紙入のまま押し戴いて御拝になる。從って、神社にまれ佛閣にまれ、宮城、御殿の御前を通行される際には、たとへ自動車を走らせて居られる時であっても、必ず膝を正して敬虔なる御拝をされるのであった。』

第六節 遺芳萬古

もとより先生は寡孤獨の人、一度嫁して幾ばくもなくその良人を失ひ、寡を守って生涯を君國に捧げられた。先生逝いて、その剰すところの財たるや、現金としては、第一銀行靑山支店の特別當座預金が僅々貮百數十圓に過ぎなかったといふし、また先生ほどの盛名を擁してゐて、その日夕を送り暮らす居宅たるや、實に大正十三年、甲子の歳、七十一歳にして、しかも周圍の〇〇もだしがたく、初めて「自分の家」に住まはれる身になられた次第であったといふ。ましてや先生はその遺言に於いて、斷乎、下田家を自分一代限り、絶家とすることをもってされた。人ここに至れば、まさしくもはや常人ではない。人間以上の存在であり、神である。

先生の歩まれた道は、夙くより學問敎育であって、殊に我が國の一般婦人の指導者たるの途を選ばれたのであるから、もとより非常の國難に直面して、戰陣の間に死生を堵するが如き、男子の行動とはその成り立ちを異にする。が、しかし先生の精神に於いては、その氣魄に於いては、確かに男子のそれをすら凌いでゐた。先生は常に、その高著「日本の女性」の中に擧げられたる、日本古今の賢女烈婦を典型とし、現代日本の子女をしてそれ等の敎君を、時代に應じて活現せしめんと意圖された。かくの如きは、ただ讀書講説をのみ事とする現下の女子敎育界に於いて、確かに、他の何人によっても企及され得ない、眞の人格敎育の大精神であったのである。』

下田歌子4

下田歌子先生傳
下田歌子先生傳

編輯発行:故下田校長先生傳記編纂所(代表:藤村善吉)

出版:1943年10月8日(非売品)

目次は”下田歌子2”を参照ください。

第八章 所謂永田町時代

第三節 寒松垂柳

あまねく歐米の女子敎育狀況を、活眼をもって視察してきた先生は、わが國上流子女の敎育に、いかに「體育」が必要であるかを痛感して、歸來直ちに全學校職員に計り、體操科の大演習ともいふべき「運動會」の開催に努力した。本來華族の子女に、わけても「體育」の缺くべからざる所以は、かねてより知られて居たので、華族女學校でも明治二十年九月以降、努めて普通體操を課してきたが、先生はそれ以上更にこの運動會を、春秋二回にわたって興行し、もって全生徒の體育熱に拍車を加へられたのであった。

運動会に於ける薙刀
運動会に於ける薙刀

画像出展:「順心女子学園六十年のあゆみ」

第十一章 志那留學生の教育

第四節 炯眼

『この人物[邊見勇彦:「若い頃まことに、手に負へない亂暴者だった私が、六十餘歳の今日、なほアジア民族の大同團結の為に心を致し、微力を盡してゐることは、全く曾って下田歌子先生に御面接の機會を得、先生に依って、自分の進むべき道を敎示されたからこそである。その當時を思ひ、先生が夙くより、支那問題に深き關心を持たれ、支那の過去、現在及び未來に對する、周到なる見解と抱負とに想到すれば、私などはただ驚嘆これ久しうするほかはない」]のこの追懐談は、次第にこの邊から面白さを増してゆく。「女それ何するものぞ」と、若い豪傑が心に澁りながらも、實姉と義姉とにすすめられてやむを得ず、麹町永田町の華族女學校官舎に下田先生を訪ねると、先生は例の「被布のやうな物」を召して居られて、お會ひになるといきなり漢文口調で「成る程、お見受けするところ、邊見郎太大人のわすれがたみだけあって、容貌、骨格ともに、偉丈夫の相をして居られる。私はこれでも敎育家であるから、何もかも知ってゐる」と、まづ靑年の度膽を抜いて終はれた。

現在の日本の敎育といふものは、人間を、みな一つの鑄型に嵌めようとする。だからあなたのやうな豪傑が、日本の學校では落第したり、暴れたりして、所を得ずに居る。これは取りも直さず、日本の敎育制度の誤りである。一つ日本を諦めて、支那へ行く氣はないか。今は誰も支那を問題にしてゐないが、自分の考へを正直にいへば、日本の興亡といふものは、結局は對支問題を如何に處理してゆくかに在ると思ふ。日本と支那の有樣をこの儘にして置くと、恐るべき結果に陷る。まづ具體的な第一着手としては、彼我新提携の前提として、お互いの人情、風俗、制度、文物をはっきりと認識しなければならぬ。その第一歩としては、まづ彼我の言葉が通じなければならぬ。支那の留學生はだいぶ來てゐるが、支那にゆく日本人の留学生は實に少い。日本の為に、率先して支那に渡って見る氣はないか」と、先生は重ねて喝破されるのであった。

下田先生の一面たる、警抜なる感化力、指導力に眼のあたり接して、根本から更生の途を見出したこの野心勃々たる一靑年は、間もなく上海に渡って、その最も繁華な四萬路に、堂々たる三階建の家を借りて、まづ作新社と稱する出版商社を與し、第一に「支那の靑年層に新知識を普及」せしむる目的をもって、雜誌「大陸」を月刊し、更に日本の政治、經濟書を支那文に翻譯して、盛んにこれを頒布した。』

第十二章 途上十年

第二節 思ひ出の官舎

『事實に於いて、謂ふところの「永田町時代」後半の下田先生は、華族女學校の學監兼敎授として、その聲望は実に一世を壓してゐた。或る意味より考へて、その時代の「反射鏡」ともいひ得る當時の新聞、雜誌の類をいちいち調べてみれば、明治三十七、八年、すなはち日露戰争前後に於ける下田先生の言動もしくは進退が、いかにしばしば、それ等の紙上を賑はしてゐたかに一驚する。試みに、どのやうな按排に先生への風當が強かったか、ここに、眼についたままの實例二三を拾って見よう。』

『その三、これは明治四十一年三月十二日附きの「東京日日」新聞に、「日本一の月給取は下田女史、それでゐて借金澤山」と題し、どこで調べたものか學校、出張敎授、著述の印税、執筆料などを仔細に調べ、先生の年收を七千五百圓と見、第二位にその半分にも足りぬ、年收三千圓前後の音樂家、幸田延子女史を置いた興味本位の記事が出た。先生が、その永田町時代、少なからぬ收入があったにかかはらず、實踐學園の經営、雜誌「日本婦人」の發刊、各種公共團體への喜捨金などで、相當の借財に悩んだことは事實であるが、かく如く喬木なればこそ、正當に働いて報酬を得ても、また、涙を呑んで他から資金の融通を仰いだことに對しても、それが世間の注目に惹いて、忽ち新聞の紙面を飾るに役立つのだから、まことに是非もなき次第であった。

下田先生がつねづねいって居られた言葉に、「自分は生まれつき、政治が嫌ひな方ではない。だから今でも、間違って敎育方面に走って來たやうに、自分を考へることも度々ある。しかし自分の性格は、おそらく政治家には向かないであらう。政治の道に志すのに、自分は第一の資格を缺いてゐる。それは自分が情に脆いといふことだ。困るから助けてくれといって泣きつかれると、自分は自分の立場も體面も忘れて同情してしまふ。かう人情脆くては、所詮政治家は駄目である」といふのがある。』

第四節 描かれし素像

[古い女の完成を (下田歌子女史訪問記) 磯村春子]

『下田先生の人格と、その説く所に就いては、己に世に定評があるから、今更こと新しく「今の女」として紹介するには當るまいが、女史の卓越した見識と、確固たる意見より發せらるる所説は、今の女、後の女の範としてとるべきものが多いと信じ、敢へてここに紹介する事にした。その日、先生は白襟に黑羽二重、三つ紋の被布を着て、こころよく記者を迎へ、相變らず何の隔てなく所信の程を語られる。

私は日課と致しまして、朝早く起きてすぐ冷水摩擦をやり、今日迄病氣のほかは一日もこれを缺かしません。それから天氣がよい朝などは、運動の為に少し散歩をするか、畑を掘り、土を反して草花や野菜の培養を致します。一週に二度は、宮樣の御殿へ伺侯しますので、その日は特に早く起きて、まづ身を浄めます。

伺侯の時間は午前八時から、晝頃までになってゐますので、御殿を下りまして宅に歸り、それから晝の食事を濟して、下澁谷の實踐女學校へ參、歸宅するのは大抵日暮れ頃ですし、歸宅しても學校の職員や、他の訪問客のお約束がありますから、自分だけの時間といふものは殆ど御座いません。

特に私の嗜好と申して、別段これぞと云ふものもありませんが、まづ幼少の頃から、これだけは長い、長い間の習慣となってゐる讀書でせう。近頃は殊に時世の變遷を知る為に、つとめて澤山の新刊書を讀むことにしてゐます。本は、幾ら澤山、また短い時間に早く讀んでも、いまだ曾って頭が疲れたなどといふことはありません。習慣の力といふものは、自分ながら大きなものだと存じます。

私の敎育方針は、やはり現在の國情もよく參酌しては觀ますけれど、古い明治の眞精神を繼續して、しっかりと大地を踏みしめた、着實質實な方針で進んでゆきたいと思ひます。私は今日の女性めいめいが、何でもいいから自分で働くこと、働かねばならぬと信ずること、さういふ頭の生徒を作ってゆくことを、まづ第一の急務だと思ひます。

さうでなくて、徒らに西洋の派手な風俗や思想にかぶれ、輕佻浮華に流れて、自ら働くことを嫌ひ、懐手をしながら樂な生活をしようと心がける現代の女性の将來は、いったいどうなってゆくでせう。借りものの西洋思想ほど、この世に危險なものはないではありませんか。西洋人は、いささかあちらを歩いて存じて居りますが、科學者でも醫者でも、或ひは法律家でもまた統計學といふ方面でも、ちゃんと男子に劣らぬ位にまで進歩、發達してゐる婦人が多いのです。

けれども日本はどうでせう。當然女子の事業たるべき方面にまで、なほ男子の手を借りなくては事が運ばないのに、ただ新しく、ただ奇を狙って進んで行って、いったいどう締めくくりがつくでせうか。何も好んで男子の職業の範圍にまで突貫して行かなくても、女子が女子らしい本當の仕事、たとえば裁縫、刺繍、料理などの方面で、まづ斷然男子に厄介にならなくても濟むやうに、女子の實力を養ってから上のことにしてはどうでせうか。

私は、だから目下の急務として、所謂「新しい女」を完全なものに作りあげるのが、本當の敎育だと信じます。過渡時代の現象として、一面やむ得ないことかも知れませんが、私は新しい女とか、新眞婦人とか自ら名乘る人々が、もう少し堅實な思想を持って、自重して、もっと足許をよく御覧になって、日本の本當の婦人らしい言動を執られんことを、此際こころから希望してやみません。』

[第一流の價値充分 (現代名士の演説ぶり) 小野田翠雨]

『下田女史の演説は確かに巧い。第一流の價値は充分ある。辯舌が如何にも流暢で、抑揚があり、波瀾もあり、興趣もあって、態度、身振も堂に入ってゐる。ただし、所説があまり佳境に進むと、餘に熱心が過ぐる結果か、身振が餘に激しくなって、心ある冷静な第三者には、いささか空々しさを感じさせるやうな懸念がないでもない。

女史の演壇に立った風采は、それはそれは見事なものである。頭髪はいはゆる下田式の束髪で、一體にそれ上の方へあげて結び、廂も髷も大きく出してゐるのだから、頗る聴衆の眼を惹きやすい。しかも服装はと云へば、これも大抵の場合下田式の被布に、黑または紫紺鹽瀨の袴をつけ、澁く、質素に見えながら、その實なかなか地味でない。どことなく濃艶で、ぱっと派手やかな所があり、遠目でみると〇〇〇〇、たしかに十二三歳は若く見える。

女史の演説にも、一つの大きな癖がある。それはしばしば右の手で、例の下田式の束髪を氣にして、無心な調子で撫でつけることだが、これがまた何とも云へぬ愛嬌とも受け取れる。それから言葉としての特色は、「そしてですねぇ」と、この「ねえ」を長く引っぱる癖である。更に演説中、よく出る言葉に、「私の如き學問のない」とか「私如きが敎育家の末席に列しまして」とか、自分を極端に卑下してかかる點で、これは確に聴衆に大きな感動と好意を抱かしめる、何でもない事のやうで、なかなか賢明な方法である。

實踐女學校内に、女子特設の「源氏物語」の講座があるといふが、これは内容も徹底し、造詣もふかく、態度、辯舌も爽かで、大した評判の名講義だと聞くが、女史の國文學は當代でも一流だから、定めし大評判通りの名講演であるに相違ない。女史自身が多分に涙もろい女性らしいから、女學校の卒業式の告別演説などでは、よく聲涙ともにくだる名演説をして、滿堂ただ噓〇流〇のるつぼと化し去るのが常であるといふ。女史は演壇で、女史自身がまづ興奮し、感激するのだから、聴衆が自然と興奮し、感激するのも元より無理はない。』

第十四章 愛國婦人會々長時代

第七節 輝く成果

『續いては先生、年來の宿題の一つたる愛國夜間女學校の開校がある。これは越えて大正十三年、甲子の歳三月二十三日をもって、芽出度く開校の運びとなり、勿論先生はその校長に就任されたのであるが、それは夜間と雖も立派に、修行年限三ヶ年、高等女學校の程度に準ずる本科と、別に裁縫、家事に重きを置く一ヶ年修了の簡易科を附設した。

曾て帝國婦人協會創設のり以來、資なくしてなほ向學の精神に燃ゆる、健氣なる後進女性のために、夜間の女學校を開設することは、實に先生の永き宿望の一つであった。それが、いま端なくも内外の要望に從って、頗る自然に、開設實施の期を見るに至ったのは、實にその前年の九月、突如として襲ひかかった前古未曾有の大震災の故である。

第十六章 哀哭記

第五節 告別祭

昭和十一年十月十三日、つひに一世の偉人を送って、その遺骸に永遠の別れを告ぐべき儀式の日とはなった。夜來の雨、一同の悲しみを知りて竟に降りやまず、午前九時、昨夜より徹宵準備せし講堂に、まづ靈柩を貴賓室より移しまつる。棺側奉仕の敎職員の手もて、やがて靈柩は講堂正面、壇上の靈與に奉安せられ、その前には、黑リボンにて飾れる在りし日の溫容、慈顔、微笑さへ含ませらるる先生の大寫眞を掲げ、恰もそれが護るが如く、勳四等實冠章と、勳三等瑞實章とが、不滅の功績を語りつつ、燦として輝きを放ってゐた。

仰げば壇上左右には、畏きあたりより賜はりし祭資料の御目綠をはじめ奉り、皇太后宮、三笠宮、閑院宮、東伏見宮、伏見宮、山階宮、賀陽宮、久邇宮、梨本宮、東久邇宮、北白川宮、竹田宮、昌德宮、李鍵公妃並びに宮家より御降嫁の立花美年子、佐野禮子、東園佐和子各令夫人より供進せられたる御玉串料、御榊、御菓子、御鏡餅等の供物、まことに所狭きまでに山積せられ、更に壇下左右の兩側には、朝野各方面より供へられし眞榊、花輪、生花などの類數知れず、しかもそれはいづれもその極く一小部分であって、大方は搬入の餘地もなく、やむなく一、二階の廊下、記念館、新築中の校舎等にまで、充ち溢れてゐた。

ここにもまた先生生前の功績と德行との偉大さが偲ばれ、新たなる哀惜の涙を誘ふものがあったが、何分にも會場の收容力には限りがあり、參列生徒にも、また涙を呑んでその數に制限を加へねばならなかった。すなわち三校生徒代表、櫻同窓會員代表を約百五十名、幼稚園代表二名、それに、故先生が曾て校長たりし關係よりして、順心高等女學校より九十名、愛國夜間女學校、明德高等女學校、淡海高等女學校よりの代表若干を加へしのみ、他は各自敎室に於いて遙拝、黙禱せしむることとしたのであったが、すでにこれのみにて、さしも實踐學園の誇る大講堂も、今は全く立錐の餘地すら見ざる有樣であった。

かくて午前十一同着席、齋主、祭官四名、伶人五名まづ着床、いとも嚴かに告別の祭典は開始さる。齋主は前掲の如く出雲大社副管長、千家尊弘氏である。一同起立修祓を受け、伶人の奏する〇〇たる樂の音のうちに、齋主以下祭官列拝、奉幣ののち海山種々の○物献じ、つづいて一同起立のうちに、左の如き齋主の告別祭詞奏上さる。一句また一句、朗々と誦される祭詞の中からも、故先生八十三歳の輝ける生涯の德功が、いよいよ高く偲ばれて、今更ながら痛惜の情をそそるもの大であった。』

告別式
告別式

画像出展:「下田歌子先生傳」

告別式
告別式

画像出展:「下田歌子先生傳」

下田歌子3

下田歌子先生傳
下田歌子先生傳

編輯発行:故下田校長先生傳記編纂所(代表:藤村善吉)

出版:1943年10月8日(非売品)

目次は”下田歌子2”を参照ください。

前回同様、当時の雰囲気をお伝えするため、できる限り本書で使われている漢字を用いています。

第六節 鍊武

【下田歌子先生談】『私は十二三歳からは可なり大きくもなり、從って丈夫にもなりましたが、七八歳までは小さくて、からだも弱く痩せてゐたのです。たしか九ツの時であったと覚えてゐますが、武藝を習わせて下さいと、度々願ひますけれども、からだが弱く、あまり小さいから駄目だと云って許してくれませんでしたが、あまりに熱心に申しますので、母から薙刀習ふことになりました。所が果してあまり小さくて薙刀が持てませぬ。特別に小さい薙刀を造っ貰ひましたが、それでもまだ持てませぬ。

之を見ました父は、それほどに習ひたいのなら、元來私は學問ばかりして、武藝の方は駄目だが、お前に型を教へる位のことは出來るだろうから運動旁々、小太刀を敎へてやらうと申し、それからは父から小太刀の型を敎はりました。そこで多少ながら武藝の手ほどきも出來ましたので、今度は遠緣に當る親戚に、六十歳以上になって隱居をし、發句などを作って樂んでゐる老人がゐましたので、或時この老人に柔道の型を敎へて下さいと申しました。

「成程女でも、柔道の型を知ってゐるのは宜いことですから、御兩親の御許しがあれば敎へて上げてもよい」と、申しました。兩親も存外たやすく許してくれましたので、逆手本手段取りとだんだん進んで、一年半位は續けました。元より武藝を習ったといふほどの立派なことではありませぬが、おさなき日のこのすさびは、先ず武藝の心得がある位の役は致しまして、物に動じない沈着だけは體得したやうに思ひます。

薙刀
薙刀

画像出展:「順心高等女学校 第二回卒業記念」

第四章 宮中奉仕

第一節 雲の上に

明治五年、壬申の歳十月十九日といふ日は、下田歌子先生の一生にとって、實に重大な記念すべき日であった。先生後半の事業の一切が、悉くこの宮中奉仕の日を發足點として築かれたものである。宮内省十五等出仕といふのが、この日先生に授けられた最初の辞令であるが、一家の人々は皆双眼に涙を湛へて、この無上の光榮を喜び合った。

無理もない。平尾家の人々といへば祖父の琴臺翁も父の鍒藏も十八年、十年、只管幕府が倒れて天皇親政の聖代が實現せらるることを唯一の希望として、流〇、幽閉の難苦多き歳月を閲して來た。しかも今や妙齡十九歳、花の如く、玉の如く美しく且つ賢く育った孫娘が、初めて畏き邊りより召され、往時は會て夢にだも思はなかった堂上○紳の貴嬪令嬢と伍して、九重雲深きところに奉仕する身とはなった。嗚呼この光榮、この歡喜、私共は實にこれを表現すべき言葉を知らないのである。』

第三節 婦德

『もう一つ、これは先生の宮中生活と、直接関係はないが、祖母貞子刀自の先見の明を語る、愉快な思ひ出話が、下田先生御自身の口を通して語られてゐる。

曰く「私は子供の時分から、自分で考へてもたしかに男まさりの性格であったらしい。妙齡といふ年頃になっても、とかく綺麗な、ぴかぴか光る着物を着るのが大嫌ひであった。それは活潑に身を動かすことが出來ない上に、汚すと叱られるのがうるさいからである。

そこで或る時祖母が、私に向かってかういひ出した。[人間の福分といふものは、天の定命と同じであって、若い時に濫りに勿體ない消費などをすると、必ずその人間の福分が若いうちに通り越して終ふ。そこへゆくとお前は、少し人間が變ってゐる。つまりお前がいま、綺麗なものを着たくないといふのは、どうも意地や外聞から出た言葉ではないらしい。しかしお前は、着るべき時に着ないのだから、それだけ福分があとに残ってゐることになる。今に見なさい、着物の方から反對に、どうか是非是非これを着て下さいと、頭を下げて賴んできて、どうにも良い着物を着ずには居られなくなる時がくる]云々。

果たして祖母のいふことに間違ひはなかった。私はのち宮中へ御奉仕する身となって、幸ひにも 昭憲皇太后樣から澤山の御下賜品を頂戴して、殆ど着つくすことの出來ない程の衣類を、所持する仕合せにめぐり合った。なにも身分不相應の綺麗なものを着たからといって、その女性の美しさが輝き出す筈のものではない。素質的に美しく生まれついた者ほど、質素ななりをする。それがまた一段と、その女性に奥床しさを添へる。つまり誇りもせず、見得も張らずに、ひとり香り高く咲いてゐる深山の山百合、日本の女性には、なんとしてもこの深山の山百合の心意氣が欲しいと思う」。』

第五章 桃夭女塾前後

第二節 結婚

下田猛雄氏は伊豫の丸龜、京極氏五萬石の藩士であって、また無双の靑年劍客として鳴ってゐた。その刀技の流派を民谷流といふ。島村勇雄門下の高弟であって、やや少軀ながら大膽、慧敏、常に二尺八寸あまりの無外の大刀を横たへてゐたところから、當時の劍士たちはみな「無外の猛雄」と呼んで、その勁烈な刀法に怖れをなしてゐた。麻布の長坂に道場を開いて、一時は數十名の門弟を養ってゐたが、當時の靑年劍客で、名聲高い人々がみな選んだやうに、市内各方面の警察署に出張して、いまの警官、當時の卒諸氏に、得意の劍法を敎へてゐた。

なにもかも、實力がどんどん物をいった時代である。現在ではさういふわけにも行くまいが、明治十年前後の〇卒諸氏中には、なかなかの傑物がゐた。後年内務大臣までつとめた、子爵大浦兼武氏などもその出身である。ただ下田氏は性來の豪放、落な武士氣質から、あくまでも名刺に淡であって、政治方面に少しも興味を抱かなかったから、極く少數の人々を除いて、殆どこの仁の秀でた劍法、男らしい人となりを知る者がない。』 

『下田猛雄氏と、先生の父上平尾鍒藏氏とは、決して維新以後上京してからの、淺い知友關係ではなかった。が、平尾のお父様が下谷の警察署で、多くの警吏諸氏に「論語」を講じてゐた時、また、下田氏も同じ警察署で、同じ警吏諸氏に「劍技」を敎へることになった偶然の〇〇が、この兩人の交情を再び急速度に暖める結果となり、それが直接の縁故となって、やがて良媒を得て、先生が下田猛雄夫人となるに至ったのは事實である。

こうして勿論、先生は下田氏から求婚され、武士仲間であるところの父君の意が、まづ第一番に動いて終はれたらしく、退官されると間もなく一家庭の主婦となった。才藻比類のない先生としては、定めしこの結婚といふ方面の事に關しても、他に何等かの希望も意向もあったであらうけど、あくまでも日本の婦道の中に育ち、家と父とに重點を置いて生き拔かうとする、日本の女性であった先生は、昨日までの華やかな境遇を一切投げ捨てるつもりで、ここに一靑年劍客の夫人となられたものであったらう。

第三節 沈潜

『どの方面から考へても、この下田歌子先生の結婚は、正直にいへば無理な結婚であった。曾ってさる評家が思ひ切った語彙を驅した如く、全くの「悲劇の結婚」といへたかも知れない。かりそめにも先生が、この時以後まる四ヶ年半、誠心誠意をもって侍づかれた夫君に對して、福を失した言葉を呈上することは避けねばならないが、「無理な結婚」と思はれる第一の理由が、すでに下田猛雄氏はこの時より二年前の秋頃よりして、激しい胃病を患ふ常住病臥の人だった點である。

第五節 おもかげ

[その頃の下田先生 本野久子]

『横濱の小學校を卒へて、東京に歸ってた私は、父の意見により、まづ下田先生の塾に、お世話になりました。明治十二、三年の頃で、當時はまだ私共に通學できる女學校といふやうなものはなく、父もこの問題でずゐ分頭を惱ましたやうですが、廣い東京に、ともかく下田歌子先生のと、跡見花蹊先生のお宅しか、女塾といふものが無かったのでございます。

私が始めて下田先生にお眼にかかりましたのは、恰度一番町のお宅時代で、正式に「桃夭女塾」が創立される前でした。ですからなるほど、いつも私などが、下田先生の一番最初のお弟子だといはれるのも、全く無理はありません。その頃はまだ女塾と名乘らなかっただけに、お嬢さんがたは割合少く、いつもお見えになる御弟子といへば、伊藤公爵夫人、山縣公爵夫人、田中(光顯)子爵夫人、そのほか大臣方の奥樣たちでした。

まづ眼目のお講義は源氏物語で、次が和歌のお直し。少さいお嬢さんがたには徒然草、古今集のお講義、その他をりをり四書、五經のお話などがあって、また別に他から先生がいらしって、お琴のお稽古などもございました。間もなく「桃夭女塾」となってからは、これがだいぶ組織的になって、學課も國文、漢學、修身、お習字といふ風に規定されましたけれど、理科などはなく、下田先生を中心とした、それはそれは和やかな氣持のいい集團でございました。

先生がああいふお方でしたから、塾生の誰もが最も力を入れたのは、その當時からすでに天下一品の面影があった源氏物語のお講義と、和歌のお題を頂いて作ることの二つでしたらう。和歌の宿題がよく出來ますと、先生のあの無類の達筆で、そのうちの秀歌を短冊に書いて下さいます。

私共はそれをお手本に、お習字をするのですから、まるで自分の歌を先生のお手本通りに、一つ一つ完全なものにしてゆくやうな氣持で、これが非常な励みになりました。

また、先生のお父様が、漢詩の作り方を敎へて下すったやうにも記憶して居ります。そして塾生のお世話は、一切先生のお母樣がして下さいました。房子樣とおっしゃるこの御母堂は、明るい、ご親切な方で、まことによく私共の面倒を見て下さいました。かうして先生の許に、最初のお嬢さんの愛弟子として、後藤梢さん(象次郎伯令嬢)黑川千春さん(黑川中将令嬢)荒波岩子さん、辻村靖子さん達が數へられて行ったのでございます。(談話筆記)』

第六節 時代の迹

さて、「桃夭女塾」も誕生して三年目、明治十七年、申申の春が明けた。この年は下田歌子先生個人にとって、甚だ悼むべき二つの不幸を見た年であった。

すなはちその五月二十三日に、享年三十七歳をもって夫君猛雄氏が亡くなられたのについで、その六月十七日に、八十九歳の高齡をもって、祖母君の死は、先生にとって限りなく悲しかった。またまる四年間、心からの介抱のしるしもなく、つひに夫君と仰ぐその人の永別したのも傷ましかった。

が、本傳の編纂者は、すでにこのお方に對しては、傳ふべきを傳へ、記すできを記し終ったと信ずるから、ここに下田先生が、漸くその生涯を貫く大事業に着手された、最も重要なる一時期と思はれる「桃夭女塾前後」の章を終るに際して、同じ明治十七年の二月、たまたま伊藤博文公(當時伯爵)の紹介で、この桃夭女塾に身を寄せ、熟生には本場のちゃきちゃきの英語を敎へ、また下田先生からは直接國文學の手ほどきを受けた一女敎師について語り、併せて、明治草創時代の日本女子敎育界の一風潮に關する、興味多き一瞥を與へたいと思ふ。すなわち、津田梅子女史である。』

第六章 華族女學校四谷時代

第四節 熱意と努力

『燃えるやうな熱意と努力とをもって、下田歌子先生の新しい事業への精進が始まった。蛟龍が、今やまさに時を得、待ちに待った天來の雲雨に際會したのである。或る人が、事業に沒頭し、專念するときの先生を稱して、まるで「馬車馬のやうな勤勉家である」といったが、形容の卑近さは取らないけれども、稱者の氣持はよく汲める。まさしくその通りで、一旦これと定めて仕事をやり始めたが最後、先生は側見をしない。左顧もしないし、右もしない。ただ眼中、めざす仕事の一本道をそのまま直視して爆進する。「人觸るれば人を斬り、馬觸るれば馬を斬る」といった氣骨が、女性にして、女性の事業に爆進する先生に在る。

華族女學校本館
華族女學校本館

画像出展:「下田歌子先生傳」

下田歌子2

下田先生は明治時代を代表する女子教育の第一人者であり、津田塾大学を創設された津田梅子先生の師匠のような時もありました。

そのような偉大な先生ですが、今回は歴史に残るような業績に注目するのではなく、どんな人柄だったのか、何を大切にしていた人だったのか、それらを知ることで下田先生の生き様や信念の源を知りたいと考えました。そして、そのような視点で傳記を拝読することにしました。

なお、あえて時代感を出したいと思い、可能な限り本書に出てくる漢字や言い回しを使っていますが、読み取れなかったり漢字が見つからなかったりした場合、やむを得ず〇と記しています。ご容赦ください。

下田歌子先生傳
下田歌子先生傳

編輯発行:故下田校長先生傳記編纂所(代表:藤村善吉)

出版:1943年10月8日(非売品)

晩年の下田歌子先生
晩年の下田歌子先生

画像出展:「下田歌子先生傳」

目次

序文

第一章 家系

 第一節 誕生

 第二節 系譜

 第三節 祖父東条琴臺

 第四節 祖母貞子

 第五節 父鍒藏

第二章 神童

 第一節 櫻田の一句

 第二節 五歳の歌

 第三節 志士の家

 第四節 才藻卓然

 第五節 菊花の賦

 第六節 鍊武

第三章 出關

 第一節 夜明け前

 第二節 東路の旅

 第三節 繪姿

 第四節 無言の訓戒

第四章 宮中奉仕

 第一節 雲の上に

 第二節 天寵

 第三節 婦德

 第四節 供奉の光榮

 第五節 楓の君

 第六節 聖德餘韻

 第七節 感泣記

第五章 桃夭女塾前後

 第一節 短き團欒

 第二節 結婚

 第三節 沈潜

 第四節 その第一歩

 第五節 おもかげ

 第六節 時代の迹

第六章 華族女學校四谷時代

 第一節 惠みの秋

 第二節 巨人の片影

 第三節 榮光

 第四節 熱意と努力

 第五節 四十四日の旅

 第六節 榮光の累到

第七章 渡歐

 第一節 遙けし波路

 第二節 忘れ得ぬ人

 第三節 雁信

 第四節 勝報頻々

 第五節 謁見

 第六節 いへづと

第八章 所謂永田町時代

 第一節 前官復職

 第二節 湯氣の玉

 第三節 寒松垂柳

 第四節 彌榮

 第五節 賦才

第九章 常宮周兩殿下の御教育

 第一節 御生誕

 第二節 献言

 第三節 初進講

 第四節 光榮の家

 第五節 陪遊記

第十章 實踐學園の發足

 第一節 新しき出發

 第二節 基礎

 第三節 時流超越

 第四節 庭の靑桐

 第五節 記念日

 第六節 遊説

第十一章 志那留學生の教育

 第一節 播かれし種子

 第二節 異邦の撫子

 第三節 人生浮沈

 第四節 炯眼

 第五節 母女重會

 第六節 風雲の一女性

第十二章 途上十年

 第一節 斷行

 第二節 思ひ出の官舎

 第三節 楠の葉蔭

 第四節 描かれし素像

 第五節 軍國婦人昂揚譜

第十三章 著作等身

 第一節 國文學の明珠

 第二節 文質彬々

 第三節 倦まざる垂訓

 第四節 日本の女性

 第五節 結婚要訣

 第六節 源氏物語講義

 第七節 不世出の通釋

第十四章 愛國婦人會々長時代

 第一節 奇蹟的誕生

 第二節 烈女發心

 第三節 直行無碍

 第四節 名門の偉材

 第五節 前進

 第六節 北馬南船

 第七節 輝く成果

 第八節 災禍即應

第十五章 實踐學園の興隆

 第一節 常磐の松陰

 第二節 師弟愛

 第三節 光榮の一途へ

 第四節 結實期

 第五節 生ける信仰

第十六章 哀哭記

 第一節 診療年誌

 第二節 仆れなむ敎壇に

 第三節 歸幽

 第四節 出棺式

 第五節 告別祭

 第六節 埋葬

第十七章 香雪餘薰

 第一節 時代の人

 第二節 知行合一

 第三節 二碑の建つ日

 第四節 歌日記二つ

 第五節 御仁慈

 第六節 遺芳萬古

下田歌子先生年譜

第二章 神童

第二節 五歳の歌

『なにしろ學事の盛んな藩中だったから、お正月の遊びといふと、まづ非常に流行したのがかるたである。先生の親戚朋友の間では、みなお手製のかるたを三四通りは持ってゐた。順々に古歌や古詩を選して、上の句下の句を記して置いて取るのである。如何にも初春らしい上品な遊びであると共に、これによって知らず知らずのうちに、古來有名な詩歌を覚え込んで、各自の情操を豊かにする手段ともなった。殊に先生の周圍數軒には「有志がるた」と名づけ、維新前に國事の爲に奔走した。志士たちの詩歌ばかりを集めた特別な一組があった。

勿論さうした特殊なかるただから、ごく内輪同志の間でだけ、内燈で讀んで内證で取る性質の内證で取る性質のものであった。このかるたの中には、すでに始まった幕政の壓迫で、空しく仆れた志士の作も多かったし、畏れながら、孝明天皇の御製「うたでやむものならなくにから衣いつまであだに日をかさぬらん」などという有難いお作に當ったりすると、みんなが申し合わせたやうに御拝をして、襟を正して取ったものである。中にはこの「有志がるた」を取ってゐるうちに、次第に憾極まってきて「いますぐ大御代に成し奉ります」といって、そのまま泣き出す淸年もあった。これを取り始めると、定家卿の小倉百人一首など、古臭くて憾銘が薄くて、誰も手にする者がなかった位である。

かうした樂しい、さうして意義ぶかい年中行事を、三歳、四歳と重ねてゆくうちに、いつか下田歌子先生の幼さい詩心をゆり動かしたものであらうか、五歳のときの元旦に、突然祖母の貞子刀自のお部屋のお部屋へ駈け込んで、「ああ、歌が出來ました」と先生が叫ばれた。祖母君も驚いて、どういふ歌が出來たかと笑ひながら聞かれると、勿論文字の書けない幼女のことだから、先生は口からすらすらと「元旦はどちら向いてもお芽出たい、赤いべべ着て晝(昼)も乳呑む」といはれたので、それが傳へ傳はって周圍一黨の快』

下田先生5、6歳の筆跡
下田先生5、6歳の筆跡

画像出展:「下田歌子先生傳」

第五節 菊花の賦

ともかくわが下田歌子先生は、八幡大菩薩の申し子といはれる程の、申分のない神童ではあったけれど、祖母君や母上にとっては、少しも眼の放せない娘御であったらしい。文久二年、壬戌の歳は先生九歳の年であったが、やはりかういふ挿話が残ってゐる。

前記の通り手當り次第に博讀した先生は、その頃同時に二冊の俗書を讀んだ。一冊は例の楠正成公の孫、駒姫の傳説を主題とした今でいふ大衆小説であって、駒姫が怨敵の足利氏を滅ぼそさうとして、戰勝の祈願をかけ、忍術を使って敵を攻めにゆくところがある。物語の立役者がお姫様だけに、これが先生に大いに氣に入った。

もとより荒唐無稽なつくり話には違ひないが、子供ごころにはまだ明確に、空想と現實との境界線がわからない。なんでも無闇に強い女性になって、早くお父上の冤を雪がうと考えてゐるのだから、空想も現實もあったものではない。

楠駒姫が、のちに隱遁の術を學び、水垢離をとり出した。が、それも四五日して母君に見つけられて、例の通りの告白後、大目玉の果ての厚い訓戒を頂戴した。

もう一つは、これも今でいふ大衆ものの一つの仇討譚で、主人公の若者が不倶戴天の父の仇を討つ爲に、武藝を勵む話の途中に、盥に水を汲み、その水面を右手でぱっと打つ。

その水が、初めはびしょびしょ飛んであたりを水だらけにするが、次第に技が冴えてくるにつれて、手でさっと水を切っても、盥の水は少しも飛び散らない、すっと二つに割れて上まで上ってくる。さうなればもうしめたもので、仇の首を打落すことなんか造作もない。

さうして若者は諸國を遍歴して、首尾よく仇にめぐり合ひ、一刀のもとに相手を斬仆して終ふ、といふやうなことが書いてある。

これはいい事を知ったと思って、先生みづから毎朝湯殿へ行って、盥に水を汲んで、まづ手始めに十遍ぐらゐぴしゃんぴしゃんやって見るが、忽ち湯殿の中は水だらけになって終ふ。物音をききつけて婆やがやってきて、驚いて留めるのだが、先生は到底開業多々で、思ひつめた事をおいそれと中止するやうなお嬢様ではない。

そこで婆やが、呆れて母君にと言上する。結局は訴へが祖母君、父上にまで達して、大笑はれに笑はれて、そんな夢みたやうな事が、どうして八つや九つの女の子に出來るものかと意見されて、この武勇談もまたその儘に立ち消えとなった。

安政四年、下田歌子先生が四歳にして、幽閉[藩内の勢力争い]の憂目を見た父君は、足かけ六年の日子が過ぎたが、いまだその禁が解けさうもなかった。さういふうちにも九月九日、重陽の節供が到來した。親ごころといふものは、有難いものである。昔通りの武家の慣ひとして、三度三度のお食事を漬物一點ばりで通すやうな、質素極まる苦しい生活の中からも、この日から小袖(綿入衣)を着る舊習通り、父鍒藏氏が特に下田先生の爲に、「九歳のお祝」として木綿紋附ながら紅掛花色に、菊と紅葉の裾模様をあしらった新らしい衣類を作って下すった。』

下田歌子1

下田歌子先生のことを書いたブログは全部で10個です。内容は何となく下田歌子研究のような雰囲気になっています。何はともあれ、己のマニアック度には感心します。

何故、下田先生に興味をもったのか、その理由は2つです。

昨年10月、102歳で他界した母は、昭和6年から10年までの5年間、順心高等女学校(現広尾学園)に通っていました。この5年間、校長先生は下田歌子先生でした。

母はその後、小学校教師になりましたが、その母から教育方針のような話をされた記憶は一度もありません。もっとも、「サッカーはほどほどにして、勉強しなさい」ということは、毎日のように言われていました。これは憧れの早稲田大学に入ってほしかったからだろうと思います。

本当に何もなかった可能性は多分に考えられるタイプのヒトなのですが、もしかしたら、無意志の中に下田先生の教えが潜んでいたのではないか?とも思いました。もし、そうだとすれば、下田先生の教えとはいかなるものなのか、知りたいと思いました。

とりあえず、下田歌子先生のことを調べてみると、なんと、命日が母親と同じ10月8日であることを知りました。

「えっ」、ちょっと不意打ちをくらったような感じです。ちなみに命日が同じ日になる確率は約0.27%です。単なる偶然とは思いつつ、何か意味があるのではないか、などという妄想が後押しとなり、「やっぱり、調べてみよう」ということになりました。

下田先生は多くの著書をお持ちですが、数多くの短歌も残されています。

なんとなく、ネットで検索したみたところ、早々に見つけたのが以下の作品でした。

下田先生、紀行文『香雪叢書 第一巻』に掲載。
下田先生、紀行文『香雪叢書 第一巻』に掲載。

詞書:「まひこが浜に遊びける時、鉄道線路にあたれるところどころ、大木のきり倒されたるをみて、こころにおもふことありて」

短歌:「みちのため倒るとならば媛こまつ もとより千代もねがはざるらむ」

:道(鉄道)のために倒れる(切り倒される)とわかっていたならば、この松も小さい媛小松のときから、千代に生きることを願わなかったでしょう。

すごく雰囲気があるなぁと思い、15万円近くしたのですがあまり悩むことなく買ってしまいました。

購入後、いくつか分からないことがあり、とりあえず、下田先生の出身地の恵那市に問い合わせたところ、ご担当の方がとても親切で、わざわざ、実践女子学園下田歌子記念女性総合研究所に問い合わせまでして頂いた結果、この作品は「香雪叢書 第一巻」に収納されているものであることが分かりました。

となると、今度はその本「香雪叢書 第一巻」が欲しくなり、幸い“日本の古本屋”に販売されていたことから、ほぼ必然的に買ってしまいました。

香雪叢書 第一巻
香雪叢書 第一巻

香雪叢書(紀行随筆よもぎむぐら)

編集者:栗原元吉

出版:1932年11月

発行:實踐女學校出版部(非売品)

 

購入した短歌は、香雪叢書の”四十四日の記”の中にありました。

下田歌子先生傳』によると、

明治21年(35歳)

五月、病後療養傍々、關西地方各地女學校視察旅行に上り、六月、二十年振りにて鄕里岩村を訪ふ。母刀自これ同伴さる。

と書かれており、”四十四日の記”は、この関西地方への旅行のことを指していました。

なお、ブログは当時の雰囲気を大切にしたいという思いから、できる限り古い漢字や言葉使いのままにしています。

大垣

・次の朝、小崎知事訪らひ来まして、昨日は大臣を一日待ち暮したるに存せず、今日二番の汽車にて、再び大垣迄ゆかんとす、いざ諸共にといはるるに、さらばと急ぎ装ぎきたちて、加納の停車場に至り着く。

・『此のあたり、櫻の古木、楓の若木など多し。樓に登れば、惠那山遥かに見ゆ。霞まぬ日は、名古屋の天主も見ゆとぞ。高き山の麓に噴火山めきて見ゆるは、小牧山なりと聞くに、徳川家康が、織田の遺孤を助けて、秀吉の膽をしも挫きけん昔思ひ出づるに、さまざまな思ふ事少なからず。暮れぬ程にとて瀧のほとりに行く。こは元正天皇の御宇、美濃の孝子が親の為に掬びつる泉、美酒になりたりと傳ふるは、誰も誰も知る事にて、今は養老酒というふ物さへ醸してひさぎ、此の國の名産の一つとはなりけり。

母君、今より卅餘年のむかし、汝を乳母に抱かせて、来りつる所ぞなど宣ふ。夢にだに覚えぬ事なれど、目の前にありし事の様に覚えて、あはれ淺からず。今も猶健やかにて、みともして来つる、いと嬉しきものから、父君は、齡も古希を越え給へば、長き旅路思ひたち給はんやうも無くて、一人残しとどめ參らせたれば、これのみと飽かず口惜しくぞ思ゆる。』

惠那山
惠那山

画像出展:「岐阜の旅ガイド

 

岩村城下町
岩村城下町

画像出展:「岐阜の旅ガイド

 

銀閣寺

『次の日は朝まだきより、例の友にしるべ請ひて、田中村なるふる人尋ねんとて行く。こは昔我が宮仕へに出で立ちける頃親しかりしなり。齡も傾きて幽かなるさまにてと聞く、いみじうあはれにて、ふりはへ訪らひつ。と許り語らひて畦道を廻り出つつ行く程、左の方の田の中に古松二本立つる所を玉垣したるは、二条天皇の御陵なりといへば、遥かに拝みいて、東山の銀閣寺にいたる。こは足利義政が驕奢に耽りたる頃、作りたる所なりと聞けど、最と狭くおろそかなるに、當時の人の住居思ひやらる。思へば、かかる開明の御代に生れて、草枕結ぶとわびけん旅寝に、綾の衣を被き、椎の葉に盛るといひけん客舎に珍味を食ふ。まことにかしこく添けなき事なりかし。さはいへど、庭園は數百年の星屑を經つれば、物さびて見所多し。ただ向月堂[今は向月台]銀砂淵[今は銀沙灘]などいふもの、白き砂を丸く高く、或は長く斜めになど盛りなしたる、風致なくて、今少し爲んやうもあらましとぞ覺えし。月松山の麓にてとひけん峯は、やがて軒端に聳えて、緑の色深う見えたる、げに影の匂はん程をかしかるべし。これにむかへる四疊半の茶屋は、數寄屋の始めなりとぞ。』

銀閣寺
銀閣寺

画像出展:「LIVE JAPAN

50年ほど前、私は中学校の修学旅行で希望をとった時、金閣寺ではなく銀閣寺を選んでいました。それは何故なのか、そもそも、そんなことを何故思い出し、何故気にするのか、この心の棘のような引っかかりは一体何なんだろうとずっと不思議に思っていたのですが、ひょっとすると、今回のこれが何か関係していたのでしょうか??

”完全無欠ではない霊支持者”になって以来、ちょっと怪しげです。 

神戸 

『すべてここは本邦五港の一つなる神戸の港なれば、軍艦、商船輻輳して、朝には英米の賓を送り、夕には露佛の客を迎へ、貿易の道もいちはやく開けて、其の居留地には何の商店、某の會社と云ふ札掲げたるも多く見えて、大路往きかふ人の歩みも、京都のゆるらかなりしに似ず、いそがの程に、さまざまの古跡もありしかど、歸さにもとて行き過ぐ。ここには井上伯も夫人と諸共に在せりと聞きしかば、先、其の旅館を訪ひたるに、伯は今がた外に出でられつ。夫人は昨夜いたくなやみ疲れて、今しもまどろまれたる所なりと云ふ。驚かし參らせんは心なきわざなれば、遙々来るぬ旅に、あはで歸らん事の最と本意なけれど、ゆめな告げそ、とおもと人制して、もと来し道へ戻る。なほ行かまほしき所々多かれど、

 「またや見ん高砂の浦明石潟月なき頃は行くかひもなし

今宵は暗夜にて、雨さへ降り出でぬべければなり。此のあたりの松原、砂の白き事、物にも似ず。ありつる眞砂路を淸らなりと思ひしはものにあらざりけり。これをこそ銀砂とは云ふべきなれ。松は枝古り幹太きが、鹽風のあたる所なれば、上ざまには延びえで、平めに、這ひたるやうにて、あるは龜の甲並べたる、あるは鶴の翼張りたるやうなる、龍の走り、蛇のわだかまれるに似かよひたるなど、庭つくりが小さき鉢物の木ども心の限り造りたりとも、いかでかくはと覚えていといとをかし。家なる父君は山邊は好み給はで、海づらを甚じう好み給ふ本性に在せば、今迄見つる山川の景色の愛たかりし程も、見せ奉らんの心動きはしつれど、ここにてぞ諸共に率て奉らぬ憾み、遣らん方なく覚えし。九州に通はすべき鐵道線路を敷くとて、所々松の樹を伐り倒したり。千歳を經て後にしも、斧にかかりけんよと思ふに、最と可惜しくおはれなり、

山陽鉄道の神戸-下関間特急列車 明治38年頃
山陽鉄道の神戸-下関間特急列車 明治38年頃

画像出展:「川上幸義の山陽鉄道の歴史

 

されど、

 「道のためたふるとならば媛小松もとより千代も願はざるらん

『香雪叢書 第一巻』に掲載。
『香雪叢書 第一巻』に掲載。

詞書:「まひこが浜に遊びける時、鉄道線路にあたれるところどころ、大木のきり倒されたるをみて、こころにおもふことありて」

短歌:「みちのため倒るとならば媛こまつ もとより千代もねがはざるらむ」

 

と打ち誦しつつ、敦盛が首塚と云ふに詣でて、また少し行けば、一の谷、鴨越の峯も近く見ゆ。砂の流れたるやうな所、または松のむらだてるなど、げに鹿のみぞ越ゆるといひし昔思ひ出でらる。』

高砂市の浦明石潟

この短歌は兵庫県高砂市の浦明石潟付近の松原(松が生い茂る林)が、九州に延びる山陽鐡道の建設によって、はかなくも伐採されてしまう松の命を惜しんで詠んだものだった、ということが分かりました。

これらのことが分かり、本当に素晴らしい作品を手に入れることができたと実感しました。

高砂公園
高砂公園

画像出展:「日本1000公園

兵庫県の高砂市は、兵庫県最大の河川である加古川が瀬戸内海に注ぐ河口付近にあり、古くから舟運の要衝として発展してきた町です。

明治以降は遠浅の海岸を埋め立てて工場の進出が盛んになり、工業都市としての色が濃くなります。

そんな高砂市の中心部にある高砂公園。これがまさしく、工場跡地につくられた公園です。

下田先生35歳、明治21年5月23日から44日間。帰りは7月、初夏でした。

旅人は母上と従者数名そして下田歌子先生で、20年ぶりの郷里岩村にも訪れており、とても感慨深い旅であったろうと思います。

定款作成物語

私が所属する団体は、ある目的のために「非営利型の一般社団法人」を目指すことになりました。

以下の図で見ると、“法人税法上の取り扱い”と書かれた色付きBox内の中央になります。これは公益法人に位置づけられる、一般社団法人というものになります。

当初はお金を払ってでも司法書士の先生にお願いした方が良いのではないかと考えましたが、結果的には、手間をかけてでも自前で作るという選択は正解でしたそれは定款は会社経営のルールブックであり、定款を深く理解すること、そして、法人立上げに関わる全ての人が理解しようとすることがとても重要であることを知ったためです。 

「非営利型法人の要件に該当するか」
「非営利型法人の要件に該当するか」

画像出展:「一般社団法人・一般財団法人と法人税」

以下の図にあるように、最初に取り組むべきは“定款”の作成です。

一般社団法人の主な設立手続き
一般社団法人の主な設立手続き

画像出展:「図解 社団法人・財団法人のしくみ

これを見ても”定款”がとても重要であることが分かります。

ネット上に多くの情報があるのですが、それらを調べつつも、やはり一冊は読んでおきたいと思い、購入したのは『改訂4版 一般社団法人・一般財団法人の実務 設立・運営・税務から公益認定まで』という本でした。

一般社団法人 一般財団法人の実務
一般社団法人 一般財団法人の実務

著者:熊谷則一、清水謙一

出版(第4版):2021年9月

発行:全国公益法人協会

 

一通り目を通し、いずれにしても定款を作らなければならないのは決まっていことなので、内容を一つ一つ吟味し理解することが大切であると考え、本書1-3の「定款作成の手引き・一般社団法人(社員総会+理事+監事)」に書かれている条文を書き写すという作業に移りました。そして、「こんな感じかなぁ」と思いながら、微妙に編集していきました。

この行動は悪くはなかったと思うのですが、“定款のひな型”については、「日本公証人連合会」のサイトにある“定款等記載例”の中から、最も近いものを利用する方が良かったかも知れません。 

日本公証人連合会
日本公証人連合会

『公証役場・公証人は、遺言や任意後見契約などの公正証書の作成、私文書や会社等の定款の認証,確定日付の付与など、公証業務を行う公的機関(法務省・法務局所管)です。』

定款等記載例
定款等記載例

『以下の定款の記載例は、起業者の方の参考に供するため、飽くまでも一つの事例として提示したものであり、網羅的な内容とはなっておりません。したがって、法人の目的、株式の内容、法人の機関設計、役員の責任軽減の有無等についてよく御検討いただき、公証人にも事前に御相談の上、作成されるようお願いいたします。』

何とか、自分なりの“定款ひな型”はできたので、司法書士あるいは行政書士の先生に、確認事項を列記したものを用意し、お話を伺って一気に完成させてしまおうという作戦を立てました。

ネット検索すると、中には初回1時間相談無料という事務所もあり、まずは当院の近くにある事務所の先生に訪問してきました。

「定款の内容を確認するとなると、それはまさに業務になってしまうので無償ではできない」とのことで、あっさり、作戦は未遂に終わってしまいましたが、貴重なアドバイスを頂くことができました。

1.うまくいっている一般社団法人に共通していること

 ①自分たちの団体を分かりやすく正しく公表していること。

 ②常に最新の状況を知ってもらえるように、情報をアップデートし続けていること。

『これにより世間の人は協力しよう、支援しようという気持ちになるものです。そして、このことが最も重要なことです。怪しい一般社団法人ほど、これらのことができていません。また、一般社団法人が組織的に壊れていく原因の多くは、お金に関わるところです。お金の管理がしっかりできないと問題が大きくなり、遂には解散ということになっていきます。優れた団体のサイトには情報がたくさん出ているので、それらを参考にするといいですよ。』とのお話でした。

慶應ラグビー倶楽部
慶應ラグビー倶楽部

設立が2018年3月となっているので、4年以上前ということです。とても完成度の高い素晴らしい法人です。

第1回目の作戦は失敗に終わったものの、あわよくば何とかなるのではないかと思い、懲りずに第2の先生を見つけました。「定款があるならそれを持参してください」とのコメントもあり、「もしや。。。」と期待しつつ、その日がやってきました。が、結果は2連敗でした。ただ、今回も色々なお話を伺うことができ有意義な時間をもてました。

最後に、『「埼玉県よろず支援拠点」という支援団体があるので、そこに問い合わせてみるのも一案ですよ。』とのアドバイスを頂き、その日の夜に“問合せフォーム”を使って依頼をかけました。 

埼玉県よろず支援拠点
埼玉県よろず支援拠点

『「埼玉県よろず支援拠点」は、経済産業省・中小企業庁が、全国47都道府県に設置する経営なんでも相談所です。

中小企業・小規模事業者、NPO法人・一般社団法人・社会福祉法人等の中小企業・小規模事業者に類する方の売上拡大、経営改善など経営上のあらゆるお悩みの相談に無料で対応します。』

すると、翌日、早速お電話を頂きました。お話では『こちらより、“創業・ベンチャー支援センター”の方が適しているので、そちらを紹介させて頂きます。』とのことでした。そして、アポ取りをしました。  

創業・ベンチャー支援センター埼玉
創業・ベンチャー支援センター埼玉

創業・ベンチャー支援センター埼玉は、これから創業をお考えの方、創業後の経営にお悩みの方、新たな事業展開を目指す事業主の皆様を全力でサポートします。』

創業・ベンチャー支援センターでは月2回、「司法書士相談会」というのを開催されているとのお話だったので、すぐに予約を入れました。受付の方からも、『作ったひな型をメールで送ってください。事前に先生に見て頂きます。』とのことで、遂にたどり着いたなという気分でした。 

実は、この創業・ベンチャー支援センター訪問の翌日に、埼玉会館の近くにある、の“公証センター”にアポが取れていました。本当は、この日の創業・ベンチャー支援センター訪問で、概ね完成させ、最後のチェックを公証センターの先生に見てもらおうという狙いだったのですが、それは外れ、順番が逆になってしまいましたが、それでもゴールは近いという気持ちでした。

なお、公証センターにアポが取れたのは、“基金”と“寄付”と“会費”の位置づけなど調べたのですが、ピンと来なかったため公証センターに問い合わせたところ、電話に出られた受付の方が「相談に来られますか?」との嬉しい提案があり、すかさず、それにのったというものでした。

公証センター
公証センター

定款認証には,紙(書面)の定款を認証する方法と、インターネットを介して電磁的記録の定款(電子定款)を認証する方法とがあります。このうちインターネットを利用した電子定款認証の利用方法は、日本公証人連合会のホームページや法務省の専用サイトに分かり易く説明されていますので,ご参照ください。

この公証センターの訪問で、ついに定款のひな型はほぼ完成しました。ほぼというのは、いくつか自信のない箇所が残っているという意味です。これらの宿題は、創業・ベンチャー支援センターの「司法書士相談会」でクリアにする予定です。

“定款”は会社のルールブックとされ、法人立上げメンバー全員で検討し、納得いくものを作り上げる必要があります。

ひな型完成に大手をかけていたわけですが、社員の対象範囲をどうするか、理事会を設置するかどうかなど、メンバーとの検討会の中でいくつか課題が浮上し、ゴール直前で数歩後退する事態になりました。

私自身も特に最初は「定款=事務手続き」という認識で、決して高くなかったのですが、この後退は他のメンバーの定款に対する関心を高めるきっかけとなり、正しいプロセスを経て、ゴールを切れるという見通しが立ったという意味でとても良かったと思います。思わぬ収穫という感じです。

ただ、新たな宿題が降りかかり、定款との悪戦苦闘は今しばらく続くことになりました。

不整脈と薬4

病気がみえる vol.2 循環器』を元に各不整脈の一覧表を作りましたが、最初に心臓に関する基本的なことをまとめたいと思います。

心臓の位置
心臓の位置

画像出展:『人体の正常構造と機能』

心臓の位置は中央やや左、高さはおおよそ第1肋骨から第6肋骨である。

心臓の横断面:第7胸椎の高さ
心臓の横断面:第7胸椎の高さ

画像出展:『人体の正常構造と機能』

心臓は心膜と心膜腔に囲まれている。

心膜の構造
心膜の構造

画像出展:『病気がみえる vol.2 循環系』

心臓は横隔膜、胸骨、脊柱に付着し、心臓の過度な移動や拡張を防いでいる。

肺などの周辺臓器に感染がある場合、心膜は感染の拡大を防ぎ、心臓への影響を遅延させる。

※心膜はファシアである。

心膜液の機能
心膜液の機能

画像出展:『病気がみえる vol.2 循環系』

心膜腔には正常で15~50mLの心膜液が貯留している。

心膜液は臓側心膜と壁側心膜の摩擦を防ぎ、心臓のスムーズな拍動を可能にしている。

・心膜液は臓側心膜で産生され、胸管や右リンパ管に排出される。

心膜の解剖(断面)
心膜の解剖(断面)

画像出展:『病気がみえる vol.2 循環系』

 

刺激伝導系
刺激伝導系

画像出展:『病気がみえる vol.2 循環系』

 

動脈系と静脈系
動脈系と静脈系

画像出展:『病気がみえる vol.2 循環系』

 

まとめ

不整脈を考える上で知っておくべきことは以下の3つです。

●心臓の電気生理

●不整脈が生じるメカニズム

●薬物の作用機序

”心臓の電気生理”は次の3つが重要です。

脱分極

●再分極

●不応期

電気生理学について深い知識なしに不整脈の治療はできない」というのはおこがましい。しかし、「イオンチャネルについてささやかな知識がなくては、不明脈の治療はできない」というのは正しい。』とのことです。

不整脈治療について、村川先生は次のようなお話をされています。

『「抗不整脈薬の薬理学はどうもわかりにくくて、嫌になる」というのはまともな感覚。なかなか頭の中が整理できない。』

『これまで蓄積された情報を十分マスターしたとしても、未知の要因がたくさん残されている。不整脈の専門家でも「確信はないがとりあえず使ってみる」というパターンが多い。』

陰性変力作用や催不整脈作用、あるいは薬物代謝の面で使いにくい薬剤を避けるという「消去法の発想」のほうが正直な道だと思う。

『それなりのクスリはあるが、魔法のクスリはない。』

不整脈の治療には、とりあえず、「イオンチャネル」と「それ以外」と単純に考えてよい。

不整脈についての知識と経験が増すほど、意識的に治療しないという道を選ぶ。

『頑張りすぎると募穴を掘る。』

『「慎重さと果敢さのバランス」も大事。』

☆自律神経系の影響を受けやすい

●特に洞結節、房室結節は自律神経系の影響を受けやすい。

☆心房細動に関すること

●発作性心房細動はしばしば肺静脈の反復性興奮による。

●多くの抗不整脈薬は陰性変力作用を有するので、心エコーによる心機能の評価なしの投薬には限界がある。心房細動を見たら心エコーは必須。

☆心機能と腎機能が低下している高齢者

●陰性変力作用が少なく、腎排泄でないという条件に加え、潜在的な徐脈性不整脈や催不整脈作用に注意する。

☆アミオダロンとICD(植込み型除細動器)

アミオダロンは最もパワフルな抗不整脈薬であり、適応を判断することが難しいため、基本的に不整脈薬専門医によって処方される。

アミオダロンは副作用の点で使い方が面倒だが、重篤な心室不整脈にはほぼこれしか選択肢はない。使うべきときには積極的に使う。ハイリスクなら植込み型除細動器(ICD)が併用される。

不整脈と薬3

不整脈治療薬ファイル 
不整脈治療薬ファイル 

著者:村川裕二

出版:メディカル・サイエンス・インターナショナル

初版発行:2010年9月

目次は”不整脈と薬1”を参照ください。

 

Part4 心房期外収縮

25 変行伝導は大事か?

□期外収縮は心臓のどこからでも生じるので、心房期外収縮(PAC)と接合部期外収縮を厳密に区別できない。そこで、ひとまとめにして上室性期外収縮(SVPC)と呼ぶこともある。

□PACに機能的な脚ブロックが生じるとQRS幅が拡大して、心室期外収縮(PVC)と間違いやすくなる。PACの変更伝導は右脚ブロックが多い。

26 治療するかどうか、誰が決めるか

Key Point

1)心房期外収縮(PAC)の薬物治療の適応は患者が決める。

27 使いたい抗不整脈薬と、使ってもいい抗不整脈薬

Key Point

1)心房期外収縮(PAC)にどの抗不整脈薬が有効なのか、確立されたエビデンスはない。

□心房期外収縮(PAC)の治療に選択しやすい経口薬剤は、

ピルジカイニド(サンリズム)お勧め度4。『「とりあえずコレで」と使われる。』

アプリンジン(アスペノン)お勧め度4。『おとなしい感じがある。』

□使いなれていたり、心エコーなどで心機能を含めた評価が十分に行われていたら使用できるし、効果も期待できるのは、

●ジソピラミド(リスモダン):お勧め度2。『知名度高いので。』

●シベンゾリン(シベノール):お勧め度2。『使用経験があるのなら。』

●ピルメノール(ピメノール):お勧め度2。『PACに試したことはないが、たぶん効く。』

●フレカイニド(タンボコール):お勧め度3。『著効することあるが、ちょっと大物すぎる。』

□使ってもよいが、それほど効果はないのが、

●ベラパミル(ワソラン):お勧め度2。『心房細動と似たようなPAC頻発ならレートコントロールとして使う状況はある。』

□有効であっても使わないのは、

●ソタロール(ソタコール):お勧め度1。『さすがにはばかる。』

●アミオダロン(アンカロン):お勧め度1。『大砲は使えません。』

Part5 心室期外収縮(PVC)

33 心室期外収縮(PVC)が“治療対象でない”とはどういう意味か?

Key Point

1)PVCそのものを治療対象として捉えるのではなく、「PVCの波形から心筋障害や病的再分極異常を察する」と考える。

34 頻発する心室期外収縮(PVC)は心不全を招くか?

心筋障害とは何かというと、多くは加齢に伴う心室筋の変性。もちろん陳旧性心筋梗塞、拡張型心筋症、高血圧性心筋肥大なども背景になる。

39 Case:流出路起源の心室期外収縮(PVC)

2~3日の服用で薬物の効果を評価できる。有効でない薬剤なら1週間を超えて服用させる意味はない。

40 連発の多い心室期外収縮(PVC)

□β遮断薬やベラパミルが適応となる。約半数、あるいはそれ以上の有効性が期待される。

Part6 発作性上室頻拍(PSVT)

42 頻拍の呼び方

□心房粗動、心房頻拍、発作性上室頻拍の定義は曖昧さが残り、同じ不整脈でも人によって呼び方が異なることがある。

43 発作性上室頻拍(PSVT)は2種類と割り切る

Key Point

1)PSVT(発作性上室頻拍)のメカニズムとして、AVRT(房室性回帰性頻拍)とAVNRT(房室結節エントリー性頻拍)の2つを理解する。

Part7 心房粗動

56 通常型と非通常型

□心房粗動は規則正しい鋸歯状の心房波がみられるものをいう。粗動波ともいう。

□心房細動と心房粗動ともに認めれることは稀でなく、区別が難しい場合も多い。心房細粗動という用語もある。

上室性の不整脈としてはありふれたもので、器質的心疾患がなくても発生する。加齢や器質的心疾患により頻度は高くなる。

57 抗不整脈薬で心房粗動を治療できるか?

Key Point

1)心房粗動の薬物治療で最も大事なことは、抗不整脈薬の有用性が低いこと。

慢性期の心房粗動の治療には高周波によるカテーテルアブレーションが有効。

急性期でも慢性期でも、無理に洞調律化を狙わないことが心房粗動の薬物治療の原則。とりあえずレートコントロール[リズムは心房細動のままで、心拍数を薬剤でコントロールする]さえできれば、長期にわたって大丈夫。

58 ダメモトで抗不整脈薬による洞調律化を狙いたいとき

心房粗動に気の利いた薬物治療がないというのは大事な知識。しいて言えば、Ⅲ群薬のニフェカラントが検討に値する。

Part8 心房細動

59 忘れられていた肺静脈

以前は、心房細動(AF)の一部のみが肺静脈起源と思われていたが、器質的心疾患の有無によらず発作性心房細動(PAF)の94%において肺静脈が関与しているという報告もある。

Key Point

1)発作性心房細動はしばしば肺静脈の反復性興奮による。

アブレーションによる肺静脈隔離

□肺静脈は左房開口部から1cm内外に心筋組織を有している。肺静脈と左房との電気的連絡は開口部の全周に及ぶのではなく、数本の線維を経由する。肺静脈の電気的隔離とは、この肺静脈と左房との連絡を断ち切って、肺静脈における反復性興奮が心房へと伝わらないようにすることである。

□カテーテルアブレーションによる肺静脈隔離は、左房と肺静脈をつなぐ筋線維を高周波通電により念入りに遮断する手技として始まった。しかし、複数の肺静脈が頻拍起源となることや、上下の肺静脈の間にも電気的な連絡があることがわかってきた。これらの知見と手技的な簡便さもあって、最近は左房の広範な線状焼灼により遠巻きに肺静脈開口部を隔離する方法を選択する施設が多い。

持続性心房細動と肺静脈との関係は、

□肺静脈以外にも上大静脈や心房のどこかが高頻度の興奮を生じて心房細動を引き起こすことがある。肺静脈とそれ以外の組織の両方にフォーカスが存在することもある。

60 AFはAFを招く(AF begets AF)

□AF begets AFとは、「心房細動の発生それ自体が次の心房細動出現を促進する」という意味。

Key Point

1)心房細動が持続あるいは頻発するとき、速やかに対処しないとこじれやすい。長期に続いた心房細動は左房の拡大や組織学的な変性を招く。こうした変化は同時に心房細動をいっそう治療抵抗性とする。

61 基礎疾患のある発作性心房細動(PAF)

□心房細動(AF)は器質的心疾患のない患者にもしばしば出現するが、原因があれば根本から対処する。以下は関連の強さ。

●弁膜症:『心雑音がなくても弁膜症はある。』

●心不全:『心房細動と心不全、どちらが先か簡単にはわからない。』

●洞不全症候群[心臓のペースメーカーの異常で心拍数が低下する病気]:『ありふれている。』

●甲状腺機能亢進症:『わかっているのに見落とす』

●肥大心筋症:『1/4に心房細動ありとか。』

●高血圧心疾患:『これがクセモノ。底に流れている。』

●肺高血圧:『それほど経験はない。』

●虚血性心疾患/急性心筋梗塞

●心膜炎

多くの抗不整脈薬は陰性変力作用を有するので、心エコーによる心機能の評価なしの投薬には限界がある。心房細動を見たら心エコーは必須。

急性期を過ぎれば、心筋梗塞では、アミオダロンなど一部の抗不整脈薬を除き、抗不整脈薬の予後改善効果は大きな期待ができないばかりか、ときに予後を悪化させる。急性心筋梗塞による入院後にアミオダロンを処方された患者と無投薬の症例では、短期的も長期的には予後の差は認められていない。

62 急性心筋梗塞と心房細動

□心筋梗塞では心不全が先行している心房細動が多い。

65 なぜ抗凝固療法?

□血栓塞栓症の予防は心房細動の治療において大きな位置を占める。血栓は冠動脈のような高圧系では血小板血栓、心房のような低圧系ではフィブリン血栓になる。

□冠動脈内での血栓形成には血管内皮の損傷からvon Willebrand因子の関与する血小板の血管との相互作用を経て、血小板血栓が作られる。

□減速の低下した心房細動の心房では凝固系の活性化が進み、トロンビンの形成からフィブリン形成という一連のカスケードが促進される。

Key Point

1)冠動脈疾患⇒高圧系の血栓(血小板血栓)⇒抗血小板薬

2)心房細動の血栓⇒低圧系の血栓(フィブリン血栓)⇒抗凝固療法(ワーファリン)

左房の中でも左心耳は、一種の憩室として血液のうっ滞がはなはだしい。拡大した左房では、ことに流速の低下や乱流がからんで血栓が形成されやすい。また、左心耳の内側膜は凹凸が多く、袋状の構造もあった血栓形成には都合が良い。

□フィブリン血栓には凝固因子Ⅱ、Ⅶ、Ⅸ、Ⅹは還元型ビタミンKによって活性化される。ワーファリンはビタミンKの還元型への移行を司る還元酵素を阻害し、フィブリン血栓の形成を抑制する。

新しいトロンビン阻害薬

□トロンビン阻害薬という薬剤(ダビガトラン)はワーファリンに代わる新たな抗凝固療法の薬として期待されている。

※ご参考:”似て非なる抗凝固薬 直接トロンビン阻害剤の特徴

    :”ダビガトラン(直接トロンビン阻害薬)の解説

75 顕性WPW症候群(偽性心室頻拍)の心房細動

□WPW症候群[ウォルフ・パーキンソン・ホワイト症候群:心房と心室の間に電気刺激を伝える余分な伝導路(副伝導路)が生まれつきあることで発生する病気]では、若年でも心房細動が出現しやすい。1/3という数値も報告されている。

WPW症候群に合併した心房細動は偽性心室頻拍と呼ばれ、心房の興奮が副伝導路を介して心室に伝わり心室細胞を起こすこともあるため注意が必要。

Part9 wide QRS tachycardia

91 器質的心疾患を背景にしたVT

VT(心室頻拍)の基質となる心疾患は、おおむね陳旧性心筋梗塞である。

陳旧性心筋梗塞(OMI)の心室頻拍は突然死を生じるが、薬物治療には限界があり、ICD(植込み型除細動器)の出番が多い。

□これまでの大規模臨床試験や周囲の専門家からの示唆に基づいたルールは、

Ⅰa群薬とⅠc群薬は予後を悪化させる。ことに心機能障害や虚血性心疾患を有する患者では断定的である。

Ⅰb群薬については知見が乏しい。しかし、陳旧性心筋梗塞の患者に不整脈薬の有無を考慮せずにメキシチールを投与した研究では、心室性期外収縮(PVC)数は減少傾向を示したものの、死亡率は高めになっていた。

慢性期は原則としてアミオダロンで治療する。

β遮断薬やレニン-アンジオテンシン系に作用する薬剤を併用している方が予後が良い。禁忌でなければ使う。

92 経口アミオダロンを陳旧性心筋梗塞や不整脈原性右室心筋症のVT/VFに使う

アミオダロンは基本的に不整脈薬専門医によって処方される。適応を判断することが難しい。

アミオダロンの副作用[吐き気、肺機能障害、甲状腺機能異常、角膜色素沈着、視覚障害など]は、多めに投与すればしばしば出現する。

甲状腺と肺への副作用を考慮して、アミオダロンを使用する前に甲状腺ホルモンと一酸化炭素拡散能(DLco)を測定する。肺の間質性変化はCTで確認する。

アミオダロンは効果が出てくるまで時間がかかる。

□アミオダロンにはβ遮断薬作用があるが、心不全があればカルベジロールの併用が行われる可能性が高い。

抗不整脈薬の効果は確実性が低いため、ICD装着したうえで作動頻度を下げるためにアミオダロンを併用する。

Part11 洞不全症候群

99 徐脈と頻脈のウラに薬あり

徐脈や頻脈は薬剤によって起こることも稀ではない。気管支拡張薬などの交感神経活動を刺激するものは分かりやすいが、閉塞性動脈硬化症や脳梗塞などの治療薬のシロスタゾール(プレタール)でも洞頻脈を生じる。

抗うつ薬による頻脈も多い。

薬剤性徐脈

β遮断薬やベラパミルの投与量、服用のあやまり、患者自身の刺激伝導系の障害や薬物代謝機能の低下による徐脈。

●徐脈を生じるリスクのある薬剤であることを認識せず、徐脈基質を有する患者に投与された場合。

□日常臨床では、β遮断薬、非ジヒドロピリジン系カルシウム拮抗薬(ジルチアゼムとベラパミル)、ジギタリスによる徐脈が多い。これらの薬剤を併用したときには、その頻度も高くなる。

不整脈と薬2

不整脈治療薬ファイル 
不整脈治療薬ファイル 

著者:村川裕二

出版:メディカル・サイエンス・インターナショナル

初版発行:2010年9月

目次は”不整脈と薬1”を参照ください。

 

Part3 抗不整脈薬のアウトライン

11 抗不整脈とはつまり何か?

「抗不整脈薬の薬理学はどうもわかりにくくて、嫌になる」というのはまともな感覚。なかなか頭の中が整理できない。

抗不整脈薬とはNa⁺チャネル遮断作用を中心において、これにおまけの性質がプラスされていると考えればよい。

Key Point

1)抗不整脈薬=Na⁺チャネル遮断作用+α

□Na⁺チャネルは心筋伝導をつかさどる。ほとんどの抗不整脈薬が心筋の伝導を抑制する。

□Na⁺チャネル遮断作用以外のプラスアルファの性質には、主なものとして3種類ある。

●K⁺電流遮断作用(APD延長)

●カルシウム拮抗作用

●β遮断作用

□これらの3つの作用は伝導を抑える点ではNa⁺チャネル遮断作用と似ている。K⁺チャネル遮断作用はAPD[活動電位持続時間]長くして、不応期も延長するので、興奮を受け入れられるようになる時間が遅くなる。

□カルシウム拮抗作用はCa²⁺電流に依存した領域での伝導性を低くする。例えば洞結節と心房間、および房室結節。

□β遮断作用は交感神経活動に依存したチャネルをブロックして心筋の伝導性を落とす。房室結節などCa²⁺電流に依存した心筋は、健康な心臓に比べて自律神経への依存性が高い。

□Na⁺チャネル遮断作用以外も伝導を邪魔して頻拍を治療する。

Key Point

1)Na⁺チャネル遮断作用も付随的な作用も、伝導性を修飾して抗不整脈薬効果を発揮する。

不整脈の発生機序
不整脈の発生機序

画像出展:『病気がみえる vol.2 循環器』

・正常では洞結節がペースメーカとなり、洞調律(正常な心拍のリズム)を形成する。

不整脈は刺激伝導系から固有心筋への興奮伝導の異常や興奮発生の異常によって発生する。

左図の上段

1.洞結節-指令を出す(社長)

2.刺激伝導系-指令を伝える(中間管理職)

3.心房筋・心室筋-動く(社員)

左図の下段

・刺激生成異常、刺激伝導異常の原因は社長、中間管理職、社員のいずれかの問題と考えられる。

 

 

不整脈治療の概要
不整脈治療の概要

画像出展:『病気がみえる vol.2 循環器』

不整脈の治療は不整脈の停止と再発予防に大別される。

・軽症例は経過観察 の場合もある。

・不整脈を引き起こす基礎疾患の治療もあわせて行う。

12 抗不整脈の分類:Vaughan-Williams分類はまだ生きている

□抗不整脈薬の分類としては、Vaughan-Williams(ボーン-ウィリアムス)の分類が基本。

Vaughan-Williams分類
Vaughan-Williams分類

画像出展:『不整脈治療ファイル』

 

これはNa⁺チャネル遮断作用とAPD(活動電位持続時間)への作用の2点に注目した分類である。また、APDの延長はほとんどがK⁺チャネル遮断作用による。

●Na⁺チャネルの遮断……伝導の抑制

●K⁺電流の抑制……APDの延長≒不応期の延長

□APDの延長は心筋の不応期(興奮した後に興奮性が失われる時間、つまり刺激への反応性が低下している期間)の延長をもたらす。

□基本的にNa⁺チャネル遮断薬は、Vaughan-Williams分類ではⅠ群薬に入り、他の電流との兼ね合いからⅠa、Ⅰb、Ⅰcのサブタイプに分かれる。

□多くの新薬が加わったため、1990年より電気生理学的な新知見を盛り込んだ新しい分類、薬剤の性質を詳細に列挙した、Sicilian Gambitの分類が提唱された。

Sicilian Gambit分類
Sicilian Gambit分類

画像出展:『不整脈治療ファイル』

 

Sicilian Gambit分類
Sicilian Gambit分類

画像出展:『病気がみえる vol.2 循環器』

 

こちらは『病気がみえる vol.2 循環器』の表ですが、”Vaughan-Williams分類”と”Sicilian Gambit分類”の対比ができてとても親切な表です。これを見て分かったことを整理します。

1.村川先生の教え(不整脈薬は”イオンチャネル””それ以外”に分ける)に従うと、

1aイオンチャンネル遮断薬は3種類ある。Na⁺チャネル(Ⅰx群薬)、Ca²⁺チャネル(Ⅳ群薬)、K⁺チャネル(Ⅲ群薬)である。

1b)いずれの遮断薬も遮断作用には、”高”、”中等”、”低”という違いを有する。

2a)Na⁺チャネル遮断薬は、結合・解離の速さに関しては、”速”・”中等”・”遅”に分けられる。

2b)Na⁺チャネル遮断薬は、”活性化チャネル”を狙ったものと”不活性化チャネル”を狙った物に分けられる。

3a)村川先生の”それ以外”に該当する薬は、”受容体”にはたらきかけるものであり、最も多いのはβ受容体をターゲットするもの(β遮断薬)であるが、β以外には、α受容体、M₂[ムスカリン]受容体、A₁[アドレナリン]受容体がある。

3b)受容体以外には、”ポンプ”(Na⁺、K⁺、ATPase)と”作動薬(刺激作用)”がある。

13 たくさんあるⅠ群薬:どこが

Ⅰ群薬について、以下の3点について少し知っておきたい。

活性化チャネルブロッカーと不活性化チャネルブロッカー

Na⁺チャネルとの結合・解離の速さの差

Na⁺チャネル以外のイオンチャネルへの作用

□Cast study[心筋梗塞発症後の無症候性あるいは軽い症候性の心室期外収縮、非持続性心室頻拍症例において、抗不整脈薬治療によって不整脈を抑制することが、抗不整脈薬治療によって不整脈死を低下させるか否かを検討する]で、心筋梗塞後にⅠ群薬を使うと予後が示された。拡張型心筋症や中等度以上の弁膜症でも、それなりの心筋障害があればⅠ群薬はマイナスになると思われている。

Key Point

1)器質的背景があるときにⅠ群薬を使うと予後を悪化させかねない。積極的に用いられなくなった。

□Ⅰ群薬の使い方で最初に覚えることは、リドカインとメキシレチンは心室の不整脈にのみ有効で、これ以外のⅠ群薬は上室性不整脈と心室不整脈の両方に有効性が期待されるということ。

Ⅰ群薬の使いどき

□Ⅰ群薬を使う状況として多いのは

●一部の症状の強い期外収縮

●発作性心房細動(PAF)で洞調律を狙うとき

●発作性上室頻拍

□Ⅰ群薬は一般的に、期外収縮30%、発作性心房細動15%、発作性上室頻拍20%。

14 チャネルに統合するタイミング:活性化チャネルブロッカーと不活性チャネルブロッカー

□Ⅰ群薬は活性化状態のチャネルと不活性化状態のチャネルへの親和性の差によって、活性化チャネルブロッカーと不活性化チャネルブロッカーに分けられる。

□活性化したチャネルはあっという間に不活性化状態になる。

Na⁺チャネルが開くのは膜電位がちょっと浅く(-90mVから-70mVに)なったときに開口するゲートがあるからだ。このゲートは開いた後(活性化)はパッと閉じることができないので、別な位置にもう一つゲートを準備して、そこで素早く蓋をする(ここが不活性化)。どうしてこうなっているかというと、ごく短時間に大量のNa⁺を取り込みたいが、際限なくNa⁺が細胞内に流れ込まないようにしたいという理由による。開くゲートと蓋をするゲートの分業にすることでメリハリが生まれる。

□Ⅰa群薬は活性化チャネルブロッカーであり、おもに活性化状態のNa⁺チャネルに結合する。

□Na⁺チャネルと結合するタイミングにはどんな意味があるのか。

●心房は心室よりAPDが短い。そのため、心房では不活性化チャネルブロッカー(リドカイン、メキシレチン、アプリジン)がチャネルと結合できる時間は短い。つまり、不活性化チャネルブロッカーはAPDが短い心房には作用しにくい。これに対し、活性化チャネルブロッカーは心房、心室いずれにもNa⁺チャネルを有効にブロックできるので、両方の不整脈に対しても効果を現しやすい。

Key Point

1)不活性化チャネルブロッカーは心房の不整脈に効きにくいが、活性化チャネルブロッカーは心房・心室いずれの不整脈にも有効というのが基本。

15 さっぱり系としつこい系、粘り強さが違う:Na⁺チャネルとの結合・解離

□Na⁺チャネルとの結合と解離の速さも薬剤を分類する要素になるⅠa群薬はⅠb群薬に比べ結合がゆっくりしており、離れるのも遅い。

●「スッポンみたいに噛み付いたら放さない」のか、「とりあえず噛み付いてもすぐに放す」のか……という差。

□Na⁺チャネル遮断後の回復時定数は0.19秒のリドカインと43.0秒のジソプラミドでは約20倍もの差がある。

□結合・解離が遅い薬剤では洞調律[洞結節で発生した興奮が刺激伝導系を介して心臓全体に正しく伝わっている状態]でも興奮伝播は抑制されるのでQRS幅は拡大する。一方、結合・解離が速い薬剤では洞調律下のQRS幅は正常のままである。

Key Point

1)Na⁺チャネルとの結合・解離が遅い薬剤では洞調律でもQRS幅が広がる。

□不活性化チャネルブロッカーは心房には作用しにくい。しかし、リドカインやメキシレチンよりも結合・解離が遅いアプリジン(中間型)は、心房細動の治療薬として使える。不整脈薬の特徴である遮断作用の強さと、結合・解離の速さの組み合わせにより、それぞれの薬剤の作用は微妙に異なる。

16 ここから始まったⅠ群薬の古典派:Ⅰa群薬

□Ⅰa群薬はAPD(活動電位持続時間)を延長するものだが、これは主にⅠa群薬がK⁺チャネルを少し遮断することによる。

K⁺チャネルには、膜電位への依存性、開口を促す物質の差異、あるいは不活性化の時間経過などに基づいて、いろいろなタイプがある。それぞれの薬剤が作用するK⁺チャネルは多彩だが、ターゲットになるのはIkr電流(遅延整流K⁺電流のうち速い成分)である。

抗不整脈薬といえば、かつてはⅠa群しかなかった。まずは、キニジンとプロカインアミドが世に出て、1980年あたりからジソピラミド、シベンゾリン、ピルメノールなどが登場した。(現在、キニジンと経口のプロカインアミドの使命は終わった。キニジンは“キニジン失神”と呼ばれる副作用がある。一方、静注のプロカインアミド[アミサリン]は使いやすく、今後も使われ続ける)

□実際の使用頻度も考慮しながら薬剤を列挙すると次のようになる。

●使える経口薬:ジソピラミド、シベンゾリン、ピルメノール

●使える静注薬:プロカインアミド、ジソピラミド、シベンゾリン

Ⅰa群薬の個性と使い分け

□ジソピラミド(リスモダン)

●代表的なⅠ群薬。本当に使える抗不整脈薬としては最初のもの。300㎎/日の常用量を超えて使うことは勧めない。

●陰性変力作用[心筋の収縮力を下げる作用]と催不整脈作用[薬による不整脈の増悪や新たな不整脈の発生]はちゃんとある。薬理面ではそれなりにハードな薬剤だが、使用経験が長いのでまだ使われている。

●抗コリン作用は強い。尿閉も生じる。

□シベンゾリン(シベノール)

●不整脈専門医は比較的好んで使う。ジソピラミドとどこが違うのか決定的な差はピンとこない。

●陰性変力作用と催不整脈作用もジソピラミドと似ている。

●抗コリン作用はやや弱い。抗コリン作用のメカニズムは、ジソピラミドはムスカリン受容体を刺激するが、シベンゾリンはIKAchを抑制する。

□ピルメノール(ピメノール)

●かなり優れた薬剤だが、使用されることが少ない。今も昔も抗不整脈薬は製薬会社にとっては、あまり儲かるものではない。

□ジソピラミド、シベンゾリン、ピルメノールにはいずれも抗コリン作用がある。ただし、抗コリン作用を発揮するメカニズムは同じではないし、その強さも異なる。

17 Ⅰ群薬のマイルドタイプ:Ⅰb群薬

□Ⅰb群薬はリドカイン(キシロカイン)、メキシレチン(メキシチール)のほかにアプリンジン(アスペノン)も含まれる。いずれも不活性化チャネルブロッカー(おもに不活性化チャネルをブロックするが、活性化状態のチャネルにもいくらか結合する)であるが、結合・解離の時定数が長いアプリンジンだけは例外的に心房筋への効果を有する。

Key Point

1)Ⅰb群薬でもアプリンジンのみは心房の不整脈に有効。

□アプリンジンは使いやすく有用な不整脈薬である。

□Ⅰb群薬はNa⁺チャネル遮断作用に加えて、APDを短縮するという性格をもつ。

□Ⅰb群薬は催不整脈作用によるtorsades de pointes[トルサード・ド・ポアント:心室性頻拍の一種。心臓のポンプ機能を著しく低下させ、アダムスストークス発作や心室粗細動へ移行し突然死を招くことがある予後不良の不整脈である]は起きにくい。

□リドカインとメキシレチンは、有効性や副作用の面で違いを明確にすることは困難で使い分けのが難しい。

18 ホントは使いやすい:Ⅰc群薬

□Ⅰc群薬としてフレカイニド、プロパフェノン、ピルジカイニドはNa⁺チャネルとの結合・解離は緩徐であり、作用も強い。

□すべて活性化チャネルブロッカーであり、心房と心室のいずれの不整脈にも有効。

□Ⅰc群薬はAPDの変化はほとんどない。

□フレカイニドはK⁺チャネルへの影響を有するが、ピルジカイニドは純粋なNa⁺チャネルの遮断薬である。プロパフェノンはβ遮断作用をもつことが特徴。

Ⅰc群薬の個性と使い分け

□ピルジカイニド(サンリズム)

●純粋なNa⁺チャネル遮断薬。シンプルさが売り物。使いやすい。

●普通の量であれば安心して使える薬、ただし、腎不全、心不全でないという条件つき。

●半減期が4時間程度と短いので、1日3回では手薄になる時間帯が出てくる。

●陰性変力作用はあるが比較的マイルドと考えられている。

ほぼ100%腎排泄なので、腎機能低下があれば使わない。

循環器を専門としない医師にとって第1選択にしやすい薬だが、血中濃度が高くなれば心室粗動が生じることがあるので、常用量で使う。

□プロパフェノン(プロノン)

●β遮断作用をもつ。わざわざβ遮断薬を併用するほどではないが、ちょっと房室伝導を抑えたいときなどに意識して選択できる。β遮断作用はあまり強くない。

●欧米ではかなり普及しており、論文も多い。

□フレカイニド(タンボコール)

●有効性が高い。心房細動に使われる。

●半減期が11時間と長い。

19 脇役なのに出番は多い:Ⅱ群薬(β遮断薬[β受容体のみを遮断する薬]

□β遮断薬は第Ⅱ群に属し、対象となるのは交感神経活動が関与する不整脈。

□β遮断薬は不整脈治療において主役ではないがよく頻繁に使われる影の実力者。使用例は次の通り。

●カテコラミンや交感神経依存型の不整脈、例えば運動誘発型VT(心室頻拍)や先天性QT延長症候群のtorsades de pointes抑制を目的とした本格的な使い方。

●器質的な背景が明らかでない洞頻脈[心臓の脈が速い状態]の症状緩和のために使用。

神経調節性失神で洞停止[洞結節が一時的に活動を停止する現象、数分間にわたるような停止になるとめまいや失神をきたすことがある]を予防。 

神経調整性失神
神経調整性失神

画像出展:「日本心臓財団

神経調節性失神はどういう病気ですか

神経調節性失神は、排尿、咳嗽、嚥下、食後などの特定の状況で発症する状況失神、恐怖、疼痛、驚愕など情動ストレスにより惹起される情動失神、および血管迷走神経反射による失神を総称する概念とされています(図)。』 

●房室伝導を抑制して心房細動や心房粗動の心室レートをコントロールする。

□陳旧性心筋梗塞のVT(心室頻拍)や心不全がらみの心室細動の予防にもβ遮断薬は有効である。これは心不全の緩和を介した不整脈の治療になる。

□β遮断薬は心筋細胞のカルシウムハンドリングを改善し、心不全の進行を抑える。これは遅延後脱分極に伴う心室不整脈を抑制することになり、重篤な不整脈を生じにくくする。β遮断薬は生命に関わる不整脈を治療できる。

Ⅱ群薬の個性と使い分け

□使用目的によって投与回数の異なるものを使う。

●頓用あるいは継続治療でも、導入時にはプロプラノロール(インデラル)が使いやすい。早く効いて、早く消える。

●1日2回投与の抗不整脈薬と併用する場合や、覚醒時にきちんと効果を維持したいなら、セロケンのような1日2回投与のものが使いやすい。

●高血圧治療も兼ねてなら、ビソプロロール(メインテート)やアテノロール(テノーミン)が使われる。

□メインテートは脂溶性でじんわり身体にしみこんでくる。血中濃度が低いときでも、それなりの薬効が維持できる。

□器質的背景がないなら、どのβ遮断薬でもよいが、陳旧性心筋梗塞や心不全があれば、メインテートかアーチストを使った方がよい。

20 なんといっても最後はコレ:Ⅲ群薬

□Ⅲ群はK⁺チャネルの抑制によるAPD延長が主な作用である。

個性派ぞろいのⅢ群薬の使い分け

□国内

●経口と静注のアミオダロン(アンカロン)

●経口のソタロール(ソタコール)

●静注の塩酸ニフェカラント(シンビット)

□国産のニフェカラントは重症心室不整脈のコントロールに活躍してきた。

アミオダロンは抗不整脈薬のなかでも、かなり特異な薬剤

●APD延長に働くK⁺チャネルの遮断作用のみならず、Na⁺チャネル、Ca²⁺チャネル、β受容体の遮断作用も備えている。

●アミオダロンはdirty drugと呼ばれている。

●Ⅰ群抗不整脈薬が無効の重篤な心室不整脈に対しても明らかに効果を発揮するし、予後改善効果も確立されている。

●ソタロールは「K⁺チャネル遮断作用+β遮断作用」をもつ。

●Ⅲ群薬は不整脈診療に経験のある医師によって用いられる。

21 兄弟じゃないのに:Ⅳ群薬

□カルシウム拮抗薬のうち心筋の伝導を抑制するベラパミル(ワソラン)とジルチアゼム(ヘルベッサー)などがⅣ群に属する。また、少し特徴の違うタイプとしてべプリジル(ベプリコール)がある。

□べプリジルは抗不整脈薬という性格を前面に押し出しており、Na⁺チャネル遮断作用やK⁺電流への影響もあることから、Ⅰ群薬かⅢ群薬と呼んでもおかしくない。

□Ca²⁺チャネルを経由したカルシウムの細胞内への流入は、心筋の収縮機転のひきがねとなる。また、心臓の構成要素のうち比較的遅い伝導を示す部位(例えば房室接合部の一部)において、Na⁺チャネルに代わって伝導の主体を担う。この性質のため、房室接合部やそれに似た伝導特性をもつ心筋が不整脈の発生と維持に含まれているとき、抗不整脈効果をもたない。

□同じカルシウム拮抗作用をもつ薬剤でも、ジヒドロピリジン系(ニフェジピンなど)は抗不整脈効果をもたない。この違いは、それぞれのカルシウム拮抗薬が作用するチャネル部位、それに応じた臓器(血管か心筋か)選択性とともに、使用依存性の程度による。

Ⅳ群の使い分け

●ベラパミルとジルチアゼムは房室伝導の抑制が主体

●べプリジルはⅠ群薬と似た使い方をする。

22 何も起きないわけがない:副作用

抗不整脈薬に特徴的な副作用は大きく2つに大別される。

心機能に対する副作用

催不整脈作用[薬による不整脈の増悪や新たな不整脈の発生]

抗不整脈薬の多くは陰性変力作用[心筋の収縮力を下げる作用]をもつため、心不全を誘発もしくは増悪させる可能性がある。Na⁺チャネルとCa²⁺チャネルを介するイオンの流入が心収縮の重要な機転であることから、心収縮力の低下傾向は回避し難い副作用である。

Key Point

1)同じ薬に属していても、陰性変力作用の強さは異なる。

副作用は薬剤独自のチャネル選択性や、β遮断作用の有無によるところが大きいが、臨床用量の設定も影響している。

□催不整脈作用とは、新たな不整脈薬の出現を招いたり、既存の不整脈の頻度や重症度を増悪させたりすることに加え、刺激伝導系の抑制による徐拍化も含まれる。

□torsades de pointesのような多形性心室頻拍は致死的となり、Ⅰa群薬とⅢ群薬とⅣ群のべプリジルが原因薬物となる。K⁺チャネル遮断による再分極遅延は後脱分極と呼ばれるあらたな脱分極を招き、これが不整脈源となって、torsades de pointesを出現させる。

□ジソピラミドやシベンゾリンは低血糖という独特な副作用を有する。

Key Point:

1)ジソピラミド、シベンゾリンの低血糖!

□低血糖はK⁺チャネル(ATP感受性K⁺チャネル)の遮断が膵臓のインスリン分泌を促進することによって生じる。

□Ⅰa群薬は中枢神経系への作用(ふらつきや複視)を生じることがあるが、患者自身は気がづかず、ちょっと変だなという程度なことが多い。

□抗コリン作用をもつジソピラミドでは、口渇や男性の排尿障害がたまにみられる。これははじめから予想して投薬する。

23 torsades de pointes が起きたら

※トルサード・ド・ポアント:心室性頻拍の一種。心臓のポンプ機能を著しく低下させ、アダムスストークス発作や心室粗細動へ移行し突然死を招くことがある予後不良の不整脈である。

□APD持続作用を有するⅠa群薬やⅢ群薬を投与中の患者に、著明なQT[心室の興奮の始まりから消退するまでの時間]延長とtorsades de pointesが出現することがある。

□Ⅰa群薬とⅢ群薬による催不整脈作用は用量依存性ではあるが、過量であることは必須条件ではない。むしろ、torsades de pointesに対し特にリスクの高い患者が存在する。以下がそのリスク要因。

高齢

女性

徐拍

器質的心疾患や電解質異常

腎機能や肝機能の低下など、血中濃度[血液中に含まれる薬の量]が上昇しやすい状況

Key Point

1)高齢女性ではQT延長作用のある薬剤の投与は避ける。

□抗不整脈薬でQT延長とtorsades de pointesが認められた場合

●薬剤の中止……QT延長作用のあるすべての薬剤

●電解質異常など増悪因子の改善

●徐脈が背景にあれば、一時的ペーシング[小さな電気パルスを発出して心収縮を生みだすこと]

●リドカイン(50~100㎎)

●マグネゾール(2gを2分で投与)

□『なお、薬剤の血中濃度を測っても解釈が難しい。個人的には利用していない。催不整脈作用は血中濃度により避けられるものではない。きわどい症例に抗不整脈薬を投与しないとか、常用量を超えて使わないなど、危険に近づかないという姿勢を勧める。

24 治療薬を選ぶ発想

抗不整脈薬の薬理作用を懸命に勉強しても、どの抗不整脈薬がベストな選択なのか判断は難しい。抗不整脈薬の薬理作用が明らかとなっていても、心房細動や心室頻拍では「どうして薬が不整脈を止めるのかというメカニズム」はどうも見えてこない。

これまで蓄積された情報を十分マスターしたとしても、未知の要因がたくさん残されている。不整脈の専門家でも「確信はないがとりあえず使ってみる」というパターンが多い。

陰性変力作用や催不整脈作用、あるいは薬物代謝の面で使いにくい薬剤を避けるという「消去法の発想」のほうが正直な道だと思う。

Key Point

1)病態と薬理を深く理解して確実な成功率……これは虚構。

2)使いにくい薬剤を除外して無理のない選択……手が届く。

心機能と腎機能が低下している高齢者で考慮するのは、

陰性変力作用が少なく、腎排泄でないという条件に加え、潜在的な徐脈性不整脈や催不整脈作用に注意。

若年で心機能も肝・腎機能も問題がないのなら、選択の幅は広くなる。最小限必要な知識は、

陰性変力作用の有無……Ⅰb群のアプリンジンとⅠc群のピルジカイニドは陰性変力作用が少ない。

代謝経路……ピルジカイニドが腎排泄。

催不整脈作用の多寡……Ⅰb群のアプリンジンとⅠc群薬にはQT延長に伴う催不整脈作用はない。

注意すべき副作用……ジソピラミドとシベンゾリンの低血糖、アプリンジンの肝障害。

不整脈と薬1

先日、ICD(植込み型除細動器)を装着されている患者さまが来院されました。主訴は左肩の強い肩こりです。心疾患がある場合、左の肩や腕(特に内側、小指側)に関連痛が出る場合もあります。最新のICDは100gもないようですが、ICDの重さが肩周辺のファシア(筋膜)を下方に引っぱり、緊張を高めているということも十分に考えられると思います。いずれにしても右肩に比べ左肩に重い症状が出ることは不思議ではありません。

ICD
ICD

画像出展:『病気がみえる vol.2 循環器』

左の写真を見ると左肩(向かって右)に寄ったところにあることがわかります。

また、患者さまは”心室頻拍”という不整脈のため、アミオダロンという強い不整脈の薬を服用されています。以前、“期外収縮”や“心房細動”については勉強したことがあったのですが[ブログ:“不整脈(心房細動)”]、心房細動に関しては、血栓塞栓症に注意する必要はあるものの、この2つの不整脈は一般的には深刻な不整脈ではないとされています。

一方、“心室頻拍は特に注意しなければならない不整脈の一つです。そして、アミオダロンなど不整脈の薬についての知識は、ほぼゼロに等しい状態でした。そこで、今回あらためて不整脈とその薬について勉強することにしました。

購入した本は、村川裕二先生の『不整脈治療薬ファイル 抗不整脈治療のセンスを身につける』という本です。実は、この本は第2版が既に出版されているのですが、節約のため初版(2010年)を買いました。ということで、2020年に発行された最新の第2版ではないのでご注意ください。

なお、内容はとても高度で詳細なものでしたが、村川先生の独特な言い回しのおかげで、敷居が低くなり、何となく親しみを感じられたのは良かったと思います。

ブログは目次黒字部分ですが、「Part2 基礎」、「Part3 抗不整脈薬のアウトライン」が中心です。勉強モードのため大変細かく長くなったため4つに分けました。なお、4つめのブログには『病気がみえる Vol.2 循環器』の内容を元に作った不整脈の一覧表を載せました。

不整脈治療薬ファイル 
不整脈治療薬ファイル 

著者:村川裕二

出版:メディカル・サイエンス・インターナショナル

初版発行:2010年9月

 

不整脈は脈拍の乱れ、それはポンプである心臓の拍動の乱れです。そこで、最初に心臓の拍動、収縮のメカニズムを調べました。

興奮の発生から収縮までの流れ
興奮の発生から収縮までの流れ

画像出展:『病気がみえる vol.2 循環器』

心臓の収縮は洞結節と呼ばれる特殊心筋細胞が、自発的に興奮(脱分極)し収縮することがスタートです。その興奮は固有心筋細胞を通じて心臓全体に伝わるのですが、その過程でNa⁺(ナトリウムイオン)Ca²⁺(カルシウムイオン)が深く関わります。また、興奮が鎮まるとき(再分極)には、K⁺(カリウムイオン)が関与します。

不整脈の薬は心臓の拍動を整えることになるので、構造と収縮のメカニズムから考えると、洞結節房室結節の働きと、Na⁺Ca²⁺K⁺に注目することが重要だと思います。

Part1 総論

1 最初から「まとめ」

2 プラスアルファの知識とは何か?

Part2 基礎

3 心筋の活動電位を復習する

4 ちょっとイオンチャネルをかじる

5 いろいろあるK⁺チャネル

6 洞結節は自分で動く

7 房室結節は箱根の関所

8 房室結節を抑える薬

9 triggered activityとEADとDAD

10 リエントリー:興奮がまわるということ

Part3 抗不整脈薬のアウトライン

11 抗不整脈とはつまり何か?

12 抗不整脈の分類:Vaughan-Williams分類はまだ生きている

13 たくさんあるⅠ群薬:どこが

14 チャネルに統合するタイミング:活性化チャネルブロッカーと不活性チャネルブロッカー

15 さっぱり系としつこい系、粘り強さが違う:Na⁺チャネルとの結合・解離

16 ここから始まったⅠ群薬の古典派:Ⅰa群薬

17 Ⅰ群薬のマイルドタイプ:Ⅰb群薬

18 ホントは使いやすい:Ⅰc群薬

19 脇役なのに出番は多い:Ⅱ群薬(β遮断薬)

20 なんといっても最後はコレ:Ⅲ群薬

21 兄弟じゃないのに:Ⅳ群薬

22 何も起きないわけがない:副作用

23 torsades de pointes が起きたら

24 治療薬を選ぶ発想

Part4 心房期外収縮

25 変行伝導は大事か?

26 治療するかどうか、誰が決めるか

27 使いたい抗不整脈薬と、使ってもいい抗不整脈薬

28 Case1:訴えの多い中年女性

29 Case2:ちょっとした僧帽弁閉鎖不全がある

30 Case3:blocked PAC

31 いろいろなP派:多源性心房期外収縮

32 Case4:顕性WPW症候群でshort runを繰り返す

Part5 心室期外収縮

33 PVCが“治療対象でない”とはどういう意味か?

34 頻発するPVCは心不全を招くか?

35 子供のPVCはなぜ怖いか?

36 CAST studyは爆弾

37 Lownの分類を使うか?

38 どの抗不整脈薬を使うか?

39 Case:流出路起源のPVC

40 連発の多いPVC

41 急性心筋梗塞のリドカイン

Part6 発作性上室頻拍

42 頻拍の呼び方

43 PSVTは2種類と割り切る

44 AVNRTの速伝導路と遅伝導路

45 AVNRTはどう回るのか?

46 long RP’ tachycardiaがわかると何が得か?

47 WPW症候群とAVRT

48 WPW症候群につきものの頻拍

49 WPW症候群-偽性心室頻拍なのにカテーテルアブレーションを拒否されたら

50 すぐ止めたいとき

51 ATP製剤で止める

52 WPW症候群のPSVTをアミサリンで止める

53 WPW症候群のPSVTをリスモダンPやIc群で止める

54 顕性WPW症候群の慢性期

55 顕性WPW症候群以外はワンパターンですむ

Part7 心房粗動

56 通常型と非通常型

57 抗不整脈薬で心房細動を治療できるか?

58 ダメモトで抗不整脈薬による洞調律化を狙いたいとき

Part8 心房細動

59 忘れられていた肺静脈

60 AFはAFを招く(AF begets AF)

61 基礎疾患のある発作性心房細動(PAF)

62 急性心筋梗塞と心房細動

63 AFFIRM study:洞調律化群 vs. レートコントロール群

64 心不全の心房細動

65 なぜ抗凝固療法?

66 CHADS2スコアは使いやすい

67 どの薬剤を使うか?―具体的に

68 静注抗不整脈薬によるAFの停止は意味があるか?

69 レートコントロールは十分か?

70 レニン-アンジオテンシン系抑制薬の役割

71 Case1:持続の短いPAF

72 Case2:はじめての発作

73 Case3:半日近く続いている動悸

74 Case4:1日ほど続いているAFを静注抗不整脈薬で止めたいとき

75 顕性WPW症候群(偽性心室頻拍)の心房細動

76 Case5:経口サンリズムによる停止

77 Case6:弁膜症がある

78 Case7:夜間に好発する

79 Case8:心房粗動も認めるとき

80 Case9:倒れる心房細動

81 Case10:肥大型心筋症に血栓塞栓症を生じた

82 Case11:レートコントロールが難しい

Part9 wide QRS tachycardia

83 外見からは4種類

84 まず特発性VTを考える

85 ベラパミル感受性VTに出会ったとき

86 流出路起源VT(左脚ブロック右軸偏位型VT)

87 たいした根拠はないが、なんとなくVTのような気がするとき

88 「もしかしたら上室性頻拍かもしれない」と思ったとき

89 急性心筋梗塞や拡張型心筋症:ニフェカラントを使う

90 静注アミオダロンを使う

91 器質的心疾患を背景にしたVT

92 経口アミオダロンを陳旧性心筋梗塞や不整脈原性右室心筋症のVT/VFに使う

93 拡張型心筋症を基礎にもつVT

Part10 心室細動

94 総論

95 electrical stormとは?

96 electrical stormへの対策

97 特発性VF

98 心不全の不整脈とレニン-アンジオテンシン系抑制薬

Part11 洞不全症候群

99 徐脈と頻脈のウラに薬あり

100 薬物治療

101 経口薬での対処

Part1 総論

1 最初から「まとめ」

□以下のことを全部しっているのなら、この領域の概要はマスターしている。

1)まず、Vaughan-Williamsの分類を知っている。

2)Sicilian Gambitの分類という表があり、使われている用語がわかる。しかし、情報が多すぎて専門家も暗記はしていない。

3)CAST studyというメガトライアル……器質的心疾患のある心室不整脈をⅠ群薬で抑制しても予後は改善しない、あるいは予後を悪化させかねない。

4)健常心ではⅠc群薬でもリスクは少ないので、上室性の頻脈に有効なら使っても差し支えない。

5)催不整脈作用としてのQT延長症候群……Ⅰc群薬とⅠb群薬にはQT延長はまずない。

6)最もパワフルな抗不整脈薬はアミオダロン……副作用の点で使い方が面倒だが、重篤な心室不整脈にはほぼこれしか選択肢はない。使うべきときには積極的に使う。ハイリスクなら植込み型除細動器(ICD)が併用される。

7)房室結節や副伝導路、あるいはPurkinje線維を回路に含む頻拍では薬物治療の効果は確実。それ以外は、どういう運命が待っているか予想しがたい。どうして抗不整脈薬が効果をもつのかわかっていない頻拍もある。

8)薬物治療でしのぐよりも、カテーテルアブレーションで治療したほうがスッキリする頻拍は多い。発作性上室頻拍(PSVT)や心房粗動は根治率が高い。根治率では劣るが心房細動にもカテーテルアブレーションが行われている。考慮すべき治療選択肢。

□不整脈の薬物治療とは、ひとことで言えば……

Key Point

1)それなりのクスリはあるが、魔法のクスリはない。

2 プラスアルファの知識とは何か?

□知っておくべきこと

1)心臓の電気生理

2)不整脈が生じるメカニズム

3)薬物の作用機序

Key Point

1)不整脈の頻度、予後、関連すること⇒不整脈をとりまく情報。

2)各不整脈がどのくらい治療に反応するのか⇒勝ち目があるのかを知りたい。

□心房細動を静注抗不整脈薬で止めようとしてもなかなかうまくいかない。

□発作性上室頻拍ならベラパミルかATP製剤(アデホス)でほぼ100%停止できる。

不整脈についての知識と経験が増すほど、意識的に治療しないという道を選ぶ。

頑張りすぎると募穴を掘る。

「慎重さと果敢さのバランス」も大事。

Part2 基礎

3 心筋の活動電位を復習する

□活動電位(action potential:AP)とは細胞の外側を基準にして、内側の電位を図示したもの。不整脈の発生や抗不整脈薬の作用を述べるとき、以下の3つの用語なしでは、薬剤が作用するメカニズムの話が始まらない。

脱分極

再分極

不応期

□心筋細胞に限らず、興奮していない細胞の内側は細胞の外側よりも電位が低い。

□興奮していない細胞では、細胞膜を挟んで大きな電位差があるので“分極”している。分極とは、細胞内外にくっきりした電位の差ができていること。

□細胞が興奮するとは、Na⁺やCa²⁺というプラスに荷電したイオン[電子の過剰あるいは欠損により電荷を帯びた原子または原子団]が細胞内に流入すること。細胞内のマイナス成分が打ち消されるので、分極状態が解消される。

□”脱分極”した後しばらくは、電気的な刺激を受けても一呼吸入れないと興奮できない。その一呼吸にかかる時間の長さが“不応期”。

□活動電位の横幅は活動電位持続時間(action potential duration:APD)。この長さは、おおよそ不応期を決め、さらにQT時間[心室の興奮の始まりから消退するまでの時間]に反映される。

Key Point

1)心筋細胞が興奮性を失っている時間⇒不応期⇒APD[活動電位接続時間]やQT時間と関係あり。

□なぜ活動電位の形や薬剤の影響を知りたいかというと

●不整脈のメカニズムについてイメージをもつ⇒病態生理がわかった気分になる。

●活動電位が薬剤によってどう変わるかを知る⇒薬物治療にロジックがあるような気がする。

□厳密には、細胞が脱分極するにはNa⁺チャネルが不活性化状態から抜け出している必要がある。APDが同じでも、Na⁺チャネル遮断薬が投与されていると被刺激性をとり戻すのがワンテンポ遅くなり、不応期は少し長くなる。

□「QT[心室の興奮の始まりから消退するまでの時間]延長をきたす薬剤でなくても不応期は延びる」という知識は、実感としては分かりにくい。活動電位の終末より後ろの不応期はpost-repolarization refractorinessと呼ばれる。いつも存在するわけではない。

不応期の延長
不応期の延長

画像出展:『不整脈治療ファイル』

post-repolarization refractorinessは、相対不応期と呼ばれるものだと思います。

看護roo!”というサイトに解説が出ていました。興奮の発生と伝導|生体機能の統御(1):『不応期には、絶対不応期と相対不応期の2つの相がある。どんなに強い刺激にも応じない時期を絶対不応期とよぶ。再分極の進行中に強い刺激を加えると、活動電位を発生する時期がある。この時期を相対不応期とよぶ。

静止膜と活動電位
静止膜と活動電位

画像出展:『病気がみえる vol.2 循環器』

細胞の内と外には電位差がある(膜電位)。興奮していない時を静止電位(左)、興奮時の時間とともに変化する電位を活動電位(右)と呼ぶ。

心筋細胞の活動電位
心筋細胞の活動電位

画像出展:『人体の正常構造と機能』

青・0Na⁺が関与

赤・2Ca²⁺が関与

黄・1/3K⁺が関与

絶対不応期・相対不応期

黒・4静止電位

 

心筋の活動電位とイオンチャネルとの関係
心筋の活動電位とイオンチャネルとの関係

画像出展:『人体の正常構造と機能』

Na⁺チャネル

Ca²⁺チャネル

K⁺チャネル

K⁺チャネルはKv、herg、KvLQT1などが存在する。

心電図に記録される6つの波
心電図に記録される6つの波

画像出展:『人体の正常構造と機能』

PQ時間:P波の始まりからQ波まで。すなわち心房筋の興奮の始まりから心室筋の興奮の始まりまでの時間で、房室伝導時間を表す。正常値は0.12~0.20秒。心拍数が少ない場合、PQ間隔は長くなる。

QRS時間:QRS波の始まりから終わりまで。心室筋の興奮している時間を表す。正常では0.08~0.1秒。

QT時間:心室筋の興奮の始まりのQ波から回復過程のT波の終りまで。心室筋の脱分極から再分極までを表す。

注)”時間”ではなく”間隔”と表記されることもあります。 

 

心臓の解剖と各波の間隔
心臓の解剖と各波の間隔

画像出展:『病気がみえる vol.2 循環器』

①洞結節

②心房筋

③房室結節

④ヒス束

⑤左脚・右脚

⑥プルキンエ線維・心室筋

:PQ間隔

:QRS間隔

:QT間隔

4 ちょっとイオンチャネルをかじる

□心筋細胞の活動電位はイオンチャネルによってコントロールされている。イオンチャネルとは心筋細胞膜においてイオンが出入りする経路

イオンチャネル以外の経路でもイオンは移動する

チャネル:電気化学ポテンシャルの面でそっち方向に自然と流れる孔ができる。川の流れにのってイオンを動かし、エネルギーは使わない。“受動的”な移動と表現される。

ポンプ:Na-Kポンプが代表的。ATPなどを使ってイオンを移動させる。川の流れに逆らった“能動的”なイオンの移動。

交換輸送系:Na-K交換輸送系はNa⁺とK⁺を一定の比率で交換するシステム。電荷として差し引き換算でゼロになるわけではない。

脱分極と再分極の主役はイオンチャネル。イオンチャネルで動いたイオンを元に戻すとか、行き過ぎを調整するというたぐいの仕事をポンプや交換輸送系が担当する。これでバランスがとれている。

不整脈の治療には、とりあえず、

イオンチャネル

それ以外

と単純に考えてよい。

□『「電気生理学について深い知識なしに不整脈の治療はできない」というのはおこがましい。しかし、「イオンチャネルについてささやかな知識がなくては、不明脈の治療はできない」というのは正しい。

Key Point

1)Na⁺電流……伝導性

2)K⁺電流……不応期やQT時間

5 いろいろあるK⁺チャネル

□K⁺チャネルはおよそ10種類のサブタイプがある。なぜ、“およそ”でしか数えられないかというと、定義の仕方で数が変わってくるから。

□K⁺電流は細胞膜内外の電位差があるところに達すると活性化(チャネルの活動がactiveモードになる)するものと、特定の物質の濃度が上昇(例えばアセチルコリン)あるいは低下(例えばATP)することによって活性化するものがある。

Key Point

1)K⁺チャネルにはいろいろな種類がある。その活性化のモード(活躍するタイミングやひきがねの種類)はいろいろ。

2)K⁺チャネルは生理的にはすべて外向き(細胞の中から外へ)にK⁺イオンを流し、再分極に貢献。

おもなK⁺電流のうち、話に出てくる頻度が高いのは以下の4つ。

●一過性外向きK⁺電流(Ito:transient outward current)

●遅延整流K⁺電流のうち遅い成分(Iks

●遅延整流K⁺電流のうち速い成分(Ikr

●内向き整流K⁺電流(Ikl:内向きと言っても、生きている人間の体の中ではこれも外向きに流れる)

□これらの分類と名称は古臭くなっているが、臨床の場ではまだ使われている。

K⁺チャネルとQT時間

□心筋障害に伴いK⁺チャネルの数や性質は変化する。また、器質的心疾患に伴ってQT時間は変化する。

Key Point

1)K⁺チャネルの機能低下や薬剤による抑制⇒QT延長

□抗不整脈薬のうち、Ⅲ群作用とはAPD(活動電位持続時間)の延長であり、K⁺チャネルの抑制による。他の機序でQTを延長させる薬剤もあるが、国内では使われていない。[2014年時点]

□薬剤ごとに作用するK⁺チャネルは異なる。

□実際にはIkrの遮断がⅢ群作用の主体であり、それ以外のK⁺チャネルを意識する機会はまずない。

Key Point

1)抗不整脈薬のQT延長はIkr遮断作用と割り切る。

□Iksは交感神経刺激により活性が増す。これには、外向きのK⁺電流増加⇒再分極の促進⇒APD短縮⇒QT時間短縮という流れが予想される。ところが、交感神経刺激はCa²⁺電流も増して、こちらは再分極とは拮抗する。つまり、交感神経活動1つとっても、いろいろな経路を介してAPDを延ばしたり、短縮したりするので、その加算したものがどっちに向かうかは簡単には知りえない。

6 洞結節は自分で動く

□slow response型と呼ばれるのは洞結節や房室結節の細胞であり、周期的に興奮する。これは自動能という機能である。 

自動能(心臓の興奮の始まり)
自動能(心臓の興奮の始まり)

画像出展:『病気がみえる vol.2 循環器』

房室結節、プルキンエ線維も自動能を有するが、興奮頻度が最も多い、洞結節がリードしている

□自動能はいろいろなメカニズムによって複合的に維持されているが、そのメカニズムは諸説ある。

Key Point:洞房結節の自動能

1)ある種のCa²⁺電流が関与している。

2)自律神経活動の影響を受けやすい

□洞結節のどの部分がペースメーカーとしてのリーダーシップをとるかは、主に自律神経活動レベルによって異なってくる。洞調律[洞結節で発生した興奮が刺激伝導系を介して心臓全体に正しく伝わっている状態]といっても、P波の形は一定ではない。

□小児によく見られる所見だが、ペースメーカーが洞結節とその近傍(右房)を移動していくことがあり、wandering pacemakerと呼ばれる。いろいろな形のP波が現れる。病気ではなく生理的な現象。

洞結節は自律神経に大きく影響される。心拍数が100/分より少なければ主に副交感神経(迷走神経)でコントロールされる。それより多くなると交感神経やカテコラミンの役割が大きくなり、副交感神経の関与は小さくなる。

7 房室結節は箱根の関所

□房室結節もCa²⁺電流依存型のslow response型細胞によって作られている。

□房室結節の特徴

●伝導速度は遅い……Ca²⁺電流に依存した伝導

●上から来る興奮の頻度が高いと伝導性が低下する……減衰伝導特性

自律神経による影響を受けやすい

□房室結節は伝導性が低い組織である。この伝導性の低さに味がある。心房と心室の収縮に時間差があるのは効率よく血液を輸送するために役立つ。踊りでもスポーツでも、ちょっとした間のおき方が大きな意味をもつ。

□例えば心房細動になったとき、600/分の心房興奮がそのまま心室に落ちてきては心室細動を生じてしまう。

Key Point:房室結節は心房と心室の連絡をコントロールする部位である。

1)心房と心室の興奮の時間差をつくる。

2)極端に心室レートが高くならないようにする安全弁。

□房室結節は箱根の関所。役に立つフィルターとして機能すれば価値は大きいが、加齢や薬物などで伝導性が落ちれば房室ブロックになる。

自律神経の線維が豊富にあるため、自律神経活動によって房室結節の伝導性は大きく変動する。痛み刺激で迷走神経が亢進すると房室ブロックが生じることがある。 

8 房室結節を抑える薬

□房室結節の伝導をよくするにはβ受容体を刺激すればよい。高度の房室ブロックで危険が迫れば、イソプロテレノールを用いる。

Key Point:房室伝導を抑制する薬剤

1)β遮断薬

2)カルシウム拮抗薬(心筋に親和性のあるベラパミルとジルチアゼム)

3)ジギタリス

4)Na⁺チャネル遮断薬(抗不整脈薬)

5)ATP製剤(アデホス)

□房室結節が自律神経の影響を受けやすく、かつCa²⁺電流に依存した伝導をするので、β遮断薬とカルシウム拮抗薬で房室伝導は抑制される。

□ジギタリスによる房室伝導抑制は、部分的には迷走神経活動の亢進によって説明されているが、それ以外の未知の要素もある。

□Na⁺チャネル遮断作用はⅠ群薬の特徴である。これに加えて他群の抗不整脈薬(べプリジルとアミオダロンなど)も、メインではないがNa⁺チャネル遮断作用をもつ。

□ATPが房室伝導を抑制するのは、代謝産物のアデノシンが抑制性G蛋白を経由してCa²⁺電流を抑えるからである。

□房室伝導に作用する薬剤はきちんと知っておく必要がある。その理由は2つ。

●房室ブロックの出現を避けることができる。

●房室結節を回路に含むリエントリー性頻拍の停止と予防、および上室性の頻拍のレートコントロール治療の裏づけとなる。

Key Point

1)房室伝導に作用する薬剤を記憶しておくことは、メカニズムを理解した不整脈治療と房室ブロックの回避に必要。

不整脈の治療では房室伝導のコントロールが重要である。房室結節の制御が不整脈治療の入口であるが、結局これに尽きる。房室結節を押さえていれば日常の不整脈診療はできる。 

9 triggered activityとEADとDAD

□頻拍の発生と維持のメカニズムとして主なものは3種類ある。

●異常自動能

●triggered activity(トリガードアクティビティ)

●リエントリー(興奮旋回)

□triggered activityは日本語では撃発活動というが、英語のまま使われている。focalなリズムの1つであり、周囲からの刺激によって生じる振動性興奮である。

□活動電位の後半部位あるいは終了直後に新たな活動電位(後脱分極 afterdepolarization:AD)と呼ばれるコブが現れるが、その出現するタイミングによって2つある。

●早期後脱分極(ealry afterdepolarization:EAD)

●遅延後脱分極(delayed afterdepolarization:DAD)

早期後脱分極(EAD)

□EADは家族性QT延長症候群や後天性QT延長症候群にみられる頻拍。つまりtorsades de pointesと呼ばれる多形性心室頻拍の原因となっている。

EADとDAD
EADとDAD

画像出展:『不整脈治療ファイル』

 

Key Point

1)QT延長が関与する不整脈は先天性か後天性かを問わず、早期後脱分極(EAD)がひきがねとなる。

遅延後脱分極(DAD)

□DADは細胞内のCa²⁺過負荷が背景となり、筋小胞体からのCa²⁺の振動性放出がその機序となっている。心筋細胞内のCa²⁺の貯蔵と出し入れにたずさわる筋小胞体からCa²⁺が漏れ出ることで脱分極が生じる。

□DADによる不整脈としては、ジギタリス中毒に伴うものが有名。ジギタリスによるNa-Kポンプの阻害が細胞内Naを増加させ、Na-Ca交換機構を細胞内Ca²⁺増加方向に働かせ、Ca²⁺過負荷にしているからである。

□Ca²⁺の負荷が多いことは心筋の収縮力を増すことに必要だが、同時に不整脈のもとになる。Ca²⁺過負荷は心不全においては非特異性に出現する現象。

Key Point

1)ジギタリス中毒や心不全に伴う不整脈の多くはDADをメカニズムとする。

□心不全のときの心室不整脈はCa²⁺過負荷を緩和することが本質的な対処。むやみと抗不整脈薬で攻めても期待できない。

□右室流出路(right ventricular outflow tract:RVOTと略される)起源の心室期外収縮(premature ventricular contraction:PVC)は健常者によく認められるが、そのなかに非持続性心室頻拍(3連以上のPVC)が頻発するケースがある。反復性単形性心室頻拍(repetitive monomorphic ventricular tachycardia)という言葉が使われる。これはtriggered activityによると考えられる。

10 リエントリー:興奮がまわるということ

□発作性上室頻拍や多くの心室頻拍はリエントリーをメカニズムとする。リエントリーとは興奮旋回を意味し、基本的には興奮伝達遅延部位と一方向性ブロックが必要。

□伝達遅延部位の例

●心筋梗塞後の心室頻拍における緩徐伝導路

●WPW症候群のリエントリーにおける房室結節

●房室結節リエントリー性頻拍の遅伝導路

●心房粗動の解剖学的狭窄

□リエントリーが開始して維持されるには、鍵となる経路の伝導速度と不応期に微妙なバランスが必要である。

□例えば、AVNRT(房室結束リエントリー頻拍:房室結節二重伝導路が原因)やAVRT(房室回帰頻拍:房室間の副伝導路が原因)がある年齢になってから出現し、発作頻度や持続が変わるということは、房室結節と副伝導路の加齢による変化が関与している可能性がある。引き金となる期外収縮が年齢に応じて増えるということも関係していると思う。

非営利型一般社団法人

仕事とは関係ないのですが、非営利型一般社団法人について調べることになりました。

非営利型一般社団法人と聞いて思ったのは、いわゆる、一般社団法人と何が違うのか、これらは同じカテゴリーに含まれる異なるタイプの法人なのかという疑問でした。ところが、これらはいずれも一般社団法人であり、一般的なものを“普通型”と呼び、それと区別して“非営利型”という型があるということでした。

では、非営利型一般社団法人になるためには、届出段階で何か違うのか、そうではないのかがよく分からず、さらに調べてみると、「非営利型一般社団法人であるかどうかの判断は税務当局が担っているということを知り、早速、最寄りの税務署に問い合わせてみました。

今回のブログはその税務署への電話で分かったこと、税務署の方から教えて頂いた国税庁の資料、さらに『図解 社団法人・財団法人のしくみ』を読んで知ったことを中心にまとめたものとなっています。かなり、限定的な内容ですが概要をお伝えすることはできるのではないかと思います。

社団法人・財団法人のしくみ
社団法人・財団法人のしくみ

編者:朝日ビジネスソリューション(株)、朝日税理士法人

初版発行:2009年12月

出版:中央経済社

少し古いのが気になりますが、大変勉強になりました。

■非営利型一般社団法人とは、一般社団法人と異なる位置づけのものではなく、一般社団法人の中の一つの型です。図を見ると、”一般社団法人”の中で、「非営利型法人の要件に該当するか」が「はい」であれば、<非営利型法人>になります。

「非営利型法人の要件に該当するか」
「非営利型法人の要件に該当するか」

画像出展:「一般社団法人・一般財団法人と法人税」

なお、非営利型法人の要件は2つありますが、”非営利性が徹底された法人”に該当する場合は以下の①になります。

非営利型法人の要件①
非営利型法人の要件①

画像出展:「一般社団法人・一般財団法人と法人税」

ここで注目すべきは、1と2です。これを見ると、いずれも『定款に定めていること』と書かれています。税務署の方の話でも、上記1(剰余金の分配)と2(解散時の対応)が、“定款”に明確に記述されていれば、その事実をもとに税務署が、この社団法人は<非営利型法人>として認めるということでした。なお、上記のスライドは以下の資料の中にあります。

次の資料は、『新たな公益法人関係税制の手引-国税庁』(87枚)からになります。

この図では水色破線枠内、青色Boxになります。

非営利型法人
非営利型法人

画像出展:「新たな公益法人関係税制の手引」

先に”非営利性が徹底されている法人”についてご説明しましたが、もう一つはこの(2)に書かれた”共益的事業を行う法人”になります。

届出書
届出書

画像出展:「新たな公益法人関係税制の手引」

給与等の支払がない場合は、届出は“法人設立届出書”だけでOKのようです。

法人設立届出書記載例
法人設立届出書記載例

画像出展:「新たな公益法人関係税制の手引」

こちらは”法人設立届出書”の記載例です。

以下は「一般社団法人の設立手続き」です。 

一般社団法人の主な設立手続き
一般社団法人の主な設立手続き

画像出展:「図解 社団法人・財団法人のしくみ

これを見ても”定款”がとても重要であることが分かります。

概要  

1.社団法人の設立

・一定の手続きと登記だけで設立できる。

2.定款

・設立時に重要なことは定款の作成である。

-定款は法人の組織活動の根本規則である。

-記載内容によって法人の在り方が変わる。

-内容は次の3つに分けられる。

 1)「必要的記載事項」…記載しないと定款が無効になる。(目的、名称、事務所の所在地など)

 2)「相対的記載事項」…記載しないと定款が無効になる。(社員総会の決議要件など)

 3)「任意的記載事項」…法律内であれば任意に記載できる。

3.機関 

・社員総会は意思決定機関である。

理事が3人以上いる場合は、理事会を置くことができる。

・業務執行は代表理事が選任されている場合は、代表理事が行うが、選任されていない場合は理事が関与する。

・監事のみ、あるいは会計監査人と監事を併せて置くこともできる。 

一般社団法人の機関の組み合わせ
一般社団法人の機関の組み合わせ

画像出展:「図解 社団法人・財団法人のしくみ

一般社団法人では法人の規模が様々なため、任意による設置の有無が可能となっており、社員総会と理事だけでも成立します。

4.社員

・社団法人にとっての社員とは、「定款で定めるところにより経費を支払う業務を負い(一般法27)、社員総会で評議権を行使できる者(一般法48Ⅰ)」という。

・設立時には2人以上が必要である。

・社員の資格は定款で自由に決めることができる。

・社員は任意で退社することもできるが、定款で退社を制限することも可能である(一般法28)

5.理事の役割と責任

・理事会は別途定款にさだめている場合を除き、業務を執行して法人を代表する。

・理事は社員総会の決議で選任される。

・理事の人数は1人以上。

・理事の任期は原則として2年以内。

・理事と一般社団法人は委任関係にある。

-理事は法人に対して善管注意義務を負う(民法644)

-法令・定款・社員総会の決議を尊守して忠実に職務を行う「忠実義務」を負っている(一般法83)

-社員総会での説明義務(一般法53)

-競合取引・利益相反取引の制限(一般法84Ⅰ)

-社員等に対する報告義務(一般法85)

-法人や第三者に対する損害賠償責任(一般法111、117)

6.理事会

・一般社団法人では任意の機関である。

意思決定および業務執行
意思決定および業務執行

画像出展:「図解 社団法人・財団法人のしくみ

大きな流れは、”定款”⇒”意思決定機関”⇒”業務執行機関”になります。

7.監事

・一般社団法人では監事は任意であるが、理事会を設置した場合は必須となる。

・監事は理事の職務の執行を監査し、監査結果に基づき監査報告を作成する。

・監事は理事が作成した計算書類・事業報告・附属明細書を監査する。

・招集権者に理事会の招集を請求することができる。

・理事が不正行為や法令・定款違反をした場合などに、理事・理事会に報告する。

8.基金の意義

・基金とは社団法人に拠出された金銭、その他の財産をいう。

・社団法人は基金の拠出者(「社員」とは限らない)に対して、一般法や当事者間の合意に基づいて返還義務を負う。

・基金制度は剰余金の分配を目的としないという社団法人の基本的性格を維持しつつ、その活動の原資となる資金を調達して、

社団法人が安定して活動を行うという「財産的基礎」の維持を図るための制度である。

・基金は貸借対照表上では負債ではなく、純資産の部に計上する(一般法規則31)。

・基金制度は法人の任意であり、定款に「基金の拠出者の権利に関する規定」と「基金の返還の手続」を定めることに

よって基金制度を設けることができる。

9.基金の募集と返還

・具体的な基金の募集手続きは一般法によって以下のとおり定められている。一方、基金の返還は定時社員総会の決議によって、貸借対照表の純資産が「基金の総額」等を超える場合に限り、その超過額を限度として一定の期間内に行うことができる(一般法141ⅠⅡ)

基金制度の募集手続き
基金制度の募集手続き

画像出展:「図解 社団法人・財団法人のしくみ

 

ご参考:社団法人について

社団法人については、以下のサイトに分かりやすい説明が出ていました。 

まずはそもそも「社団」とはどういう意味なのでしょうか。

社団とは、一定の目的をもった人の集まり、団体を言います。そして、「社団法人」とは、法律によってその団体に「法人格」が与えられた法人を言います。更に、社団法人はその根拠となる法律によって「社団法人」、「一般社団法人」、「公益社団法人」の3つに分類されます。

「法人格」とは、その団体名義で銀行口座を開設、財産(土地・建物などの不動産や自動車など)を所有するなど、その団体名義で法律行為を行なうことができる「法律上の人格」を言います。

有痕灸の注意点

せんねん灸などの温灸は一般の方でも購入可能で、自宅で利用できることは大きなメリットです。

当院では、お灸はバネ指等の指関節に対して温灸(無痕灸)を使っている程度ですが、この場合、患者さまに「ご自分でもやってみてはいかがですか」とお話していました。

先日、自分自身の足首の痛み(CAI:慢性足関節不安定症)を何とかしたいので、「とりあえず3、4ヵ月、毎週、鍼とお灸をしてみよう」ということを思いつき、試してみることにしました。痛みは緩和され順調だったのですが、強いタイプの温灸を試したところかなり熱く痕が残り、後日痒みも出ました。

この時、舌がんは強い機械的刺激が長期に継続された場合、がん化の原因になりえる。ということを思い出し、痕が残るような強い熱刺激の温灸を数カ月続けた場合、皮膚がんの原因になってしまうことはないのだろうかと気になりました。

そこで、検索してみると古い資料ではありますが、気になるものが見つかりました。

それは、2000年11月1日付の『鍼灸の安全性に関する和文献(4) -灸に関する有害事象-』というものです。その中に「表2.皮膚の悪性腫瘍についての報告」という表がありました。

20年以上前の資料ですが、重要だと思い内容を確認することにしました。

灸に関する有害事象
灸に関する有害事象

こちらを”クリック頂くとPDF6枚の資料がダウンロードされます。

Ⅰ.緒言

『鍼治療が資格をもった専門家によって行われるのに対して、灸治療は施灸のみでなく取穴や刺激量の決定までも患者自身によって行われている場合が少なくない。このことは日本人の灸に対する高い親和性を示しており、日本の文化の一面といえよう。専門家以外の人々が自身の判断や地域の言い伝えにもとづいて灸治療を行った場合は、それによって被る不利益の責任は当然彼ら自身が負う。一方、資格をもった灸治療の専門家が灸治療を行ったり施灸を指導した場合には、そこで生じた患者の不利益に法的および倫理的な責任が問われることになる。よって灸師は、少なくとも現在までにどのような有害事象が報告されているかを知り、そこから判断されるより安全と思われる施術法を用いる義務があると考えられる。

本稿では、鍼灸の安全性に関する一連の検討の中で得られた、灸の有害事象に関する国内の文献調査の結果を報告する。』

皮膚の悪性腫瘍についての報告
皮膚の悪性腫瘍についての報告

3ページに出ています。

1958年から1999年までに9件が報告され、1件の不明を除いて全て“直接灸”となっています。これは艾[モグサ]を円錐状にして皮膚の上に直接置くというものです。

現在は熱傷を伴うか否かによって、“無痕灸”と“有痕灸”に分け区別しています。また、本資料には、『第3度熱傷に至るような強刺激の直接灸でかなりの反復施灸を行った場合』との説明がされています。

従って、気持ち良い温度の温灸(無痕灸)であれば問題にはなりませんが、鍼灸師が有痕灸を使う場合は、温度、刺激量(壮数)、頻度、期間などに注意をはらう必要があります。

現在、行われている有痕灸は“透熱灸”と呼ばれているものですが、一般的に使われなくなっているものも含め、有痕灸と無痕灸についてご説明します。

1.有痕灸

有痕灸は灸痕を残す施灸法の総称で、直接皮膚の上に艾炷(ガイシュ:モグサを円錐状にしたもの)を置いて施灸する。

A.透熱灸

米粒大(こめつぶの大きさ)前後の大きさで円錐形を作り、直接皮膚上の経穴(ツボ)や硬結などの治療点に置いて施灸する。熱刺激を弱くするために細い糸状灸にすることもある。

透熱灸
透熱灸

画像出展:「はりきゅう理論」

B.焦灼灸(通常は行わない)

熱刺激により施灸部の皮膚および組織を破壊する灸法である。

C.打膿灸(通常は行わない)

小指から母指頭大程度の艾炷を直接皮膚上で施灸して火傷をつくり、その上に膏薬を貼付して化膿を促す。

2.無痕灸

無痕灸とは灸痕を残さず、気持ちのよい刺激を与えて、効果的な生体反応を期待する目的で行う灸法である。

A.知熱灸

米粒大または半米粒大の艾を直接皮膚上に置き、点火した後、施術者の母指と示指とを用いて、ゆっくり艾を覆い包むようにして酸欠状態を作り、患者の気持ち良いところで消火する方法である。 

知熱灸
知熱灸

画像出展:「はりきゅう理論」

B.温灸

モグサを患部から距離をおいて燃焼させ、輻射熱で温熱刺激を与えるものである。他に燃焼させた棒の先端を患部に近づけ温熱効果を与える棒灸や、電気を使った温灸器などがある。 

温灸
温灸

画像出展:「はりきゅう理論」

灸頭鍼
灸頭鍼

画像出展:「はりきゅう実技〈基礎編〉」

灸頭鍼は刺鍼した鍼の先に艾を載せます。これも輻射熱で温熱刺激を与えます。

C.隔物灸

モグサを直接皮膚の上で燃焼させないで、艾炷と皮膚との間に物を置いて施灸する方法で、塩灸、味噌灸、生姜灸、ニンニク灸、ビワの葉灸などがある。

隔物灸
隔物灸

画像出展:「はりきゅう理論」

写真は左から、”塩”、”味噌”、”生姜”となっています。

お灸の効果

お灸の効果
お灸の効果

2018年に保存していた資料なのですが、出展が分かりませんでした。非常に分かりやすいのでご紹介させて頂きます。

先にご紹介した『鍼灸の安全性に関する和文献(4) -灸に関する有害事象-』には多くの参考文献が出ているのですが、特に気になったのは“大淵千尋.お灸と熱傷と発癌 -灸痕の発癌性について- 医道の日本 1991;567:84-5.”という文献です。

30年前の月刊誌がまさかあるとは考えてもみなかったのですが、ダメモトで“日本の古本屋”で検索してみると、800円で販売されている古本屋さんがあり、「これは奇跡!」と、即発注しました。

古いものですが、文章は2ページと短かったこともあり全文をご紹介させて頂きます。

医道の日本 1991年11月号
医道の日本 1991年11月号

発行:1991年11月号

出版:医道の日本

“お灸と熱傷と発癌 -灸痕の発癌性について-”など

※投稿された題名には“熱傷”ではなく“熱湯”と印刷されています。本文には“熱傷”は3カ所出ている一方、“熱湯”は1つもありません。従って、正しいのは“熱傷”で間違いないと思います。

 

はじめに

『南半球に位置するニュージーランド、オーストラリアなどでは、紫外線による皮膚癌の発生が増加し、その予防や早期発見の対策がされており、紫外線の量を調節しているオゾン層を破壊するフロンガスの廃絶には積極的である。

しかし、紫外線による皮膚表皮癌の発生は、メラニン色素欠乏の白人種が殆どで、黄色人種や黒人には少ないことから、白人種中心の世界政策の一つと見るのは、あながち偏見とは言えないであろうか。

日本人など黄色人種にとって、皮膚癌の発生原因としては、紫外線よりもむしろ熱傷が上げられる。

皮膚癌は原発性と転移性に区別されるが、高齢社会を迎えた日本では、老人の原発性皮膚癌が増加していると報告されており、その原発性皮膚癌の前駆症状が老人に多いことが原因していると言われている。主な原発性皮膚癌には表皮癌、基底細胞癌、悪性黒色腫があげられ、そのうち最も多い表皮癌の前駆症として第一に熱傷があげられ、灸痕もその一つになっている。

熱傷、灸痕からの発癌

やけど、お灸のあとが、瘢痕となり、何年もたってイボや小さな壊死ができ、いつまでも治らない状態が続き肥大する場合、癌を疑って見る必要があるといわれている。

灸痕からの発癌について、過去十年間に僅かに二例、皮膚科医誌に報告されているが、実数はもっと多いのではないかと思われる。

その二例について簡単に要約すると次のようになる。

1.背部に発生したイボ癌

岡野晶樹・前田 求・岡田奈津子・喜多野征夫(大阪大学医学部)

医誌名:皮膚 25巻 1号 67-71頁 1983年

要約:患者は74歳男性で、8年前に施灸した背部の灸痕からイボ状のへん平上皮癌が発生した。

2.数か月で発症した温灸による熱傷後、表在性基底細胞腫

宮下光夫・野原 正(日本大学医学部)

医誌名:皮膚科の臨床 27巻 12号 1297-1299頁 1985年

要約:患者は77歳男性で、約17年前に左腹部に温灸を施行し熱傷を生じたが、すぐに瘢痕化し治癒した。ところが、その数か月後より、瘢痕部より周囲に向かい遠心状に暗褐色皮しんの新生拡大を認めた。以降、年々、皮しんは拡大して、大きさが10×5.8cmとなった。

むすび

前述の二症例で灸痕から表皮癌が発生したと報告されているが、施灸後の傷痕がInitiatorにはなりえても、発癌には遺伝子、免疫、Promoterなどの様々な因子が関与しており、また統計的に灸痕からの表皮癌の発生が全表皮癌の発生に高率を占めているとは思われず、灸を直接発癌と結びつけるのは難点があるが、全く関係ないとは否めない。

それ故に、このような症例報告にあるように、施灸後の灸痕が発癌に結びつくこともあり、発症が70歳以降のことが多いので、高齢化社会を迎えて、今後益々、発生頻度が増加することを、鍼灸施術を行うものは認識すべきではなかろうか。そして、患者から、灸周辺にイボや潰瘍が発生したとの訴えがあった場合、その灸施術者であるなしに拘らず、早急に専門医の診断を受けるように勧めるべきである。

皮膚表皮癌は、外科手術や薬物療法などにより完治され易いので、早めの診断と治療が必要である。

また、今後施灸する場合には、温熱刺激効果があり、熱傷を与えない施術法を行うよう努力すべきではなかろうか。

かかる点より、中国で施行されている隔物灸(附子餅、丁桂散など)や灸頭鍼、棒灸などを良く研究し、灸の芳香効果も加味した灸法を創案し、古い皮袋に新しい酒を入れて美酒にするように、古来の灸法を更に副作用の少ない効果的なものに改めることが、これからの鍼灸師に与えられた使命ではなかろうか。

人権について考える

入江 杏先生は上智大学グリーフケア研究所非常勤講師をされています。そして、悲しみについて思いを馳せる会の「ミシュカの森」の主宰をされています。

グリーフケアとは、「家族や親しい友人との別れ、死別、あるいは生きがいや希望の喪失など、喪失に胸を痛めている人、喪失から生じる悲嘆に苦しんでいる人に寄り添い、支えようとする活動である」。これは、グリーフケア研究所の島薗 進所長のお言葉です。

クリック頂くと、YouTubeが立ち上がります。約16分です。

こちらは、”上智大学グリーフケア研究所”さまのホームページです。

入江 杏先生は2000年12月30日に発生し、いまだ未解決の「世田谷一家殺害事件」の犠牲者のお一人、宮澤泰子さんのお姉さまでもあります。今回の『悲しみとともにどう生きるか』では編著(編集と著作)をされています。

悲しみとともにどう生きるか
悲しみとともにどう生きるか

著者:柳田邦男、若松英輔、星野智幸、東畑開人、平野啓一郎、島薗 進、入江 杏

初版発行:2020年11月22日

発行:集英社

この本は6つの章に分かれていますが、第一章から第五章までは2008年から2019年に行われた講演が基になっています。第六章はグリーフケア研究所所長の島薗先生の書下ろしで、「グリーフケア」や「ミシュカの森」について書かれています。

詳細は次の通りです。

第一章 「ゆるやかなつながり」が生き直す力を与える  柳田邦男 2008年12月27日 玉川区民会館ホール

第三章 沈黙を強いるメカニズムに抗して  星野智幸 2016年12月25日 上智大学

第四章 限りなく透明に近い居場所  東畑開人 2018年12月9日 芝コミュニティはうす

第五章 悲しみとともにどう生きるか  平野啓一郎 2019年12月14日 ビジョンセンター田町

第六章 悲しみをともに分かち合う  島薗 進 “書下ろし”

ブログは芥川賞作家でもある平野啓一郎先生の第五章について触れています。この五章に書かれているのは主に、“死刑制度のこと”、“人権のこと”、そして“コミュニケーションと分人”についてです。“分人”には多様性が求められると思いますが、背景には“客観的&主体的な変化と順応”ということが隠れているように思います。

この中で“死刑制度のこと”、“人権のこと”は、私自身64年も生きてきて、まともに考えたことが一度もなかったことを思い知りました。また、書かれている内容はとてもインパクトの大きなものであり、自分自身はどう考えるのだろうか、頭の中を整理したいと思いました。

第五章の小見出しは以下の通りです。(ブログでは最初の2つには触れていません)

●「カテゴリー」として扱われがちな被災者や事件の被害者

●当事者でないからこそ書けることがある

●死刑制度への考え方

●「なぜ人を殺してはいけないか」への応答として生まれた『決壊』

●心から死刑は廃止するべきだと思った理由

●個人の責任に収斂させる死刑は国家の欺瞞

●死刑制度は犯罪防止にならない

●犯罪被害者へのケアが不十分

●犯罪の被害者の心の中に芽生える感情は複雑

●「赦し」と「罰」は同じ機能を果たす

●共感や同情ではなく、人権を権利の問題として捉える教育が必要

●「負け組」に対する積極的な否定論

●すべての人の基本的人権を尊重するという大前提

●自死して償うという日本的発想

●社会の分断と対立の始まり

●対立点からではなく、接点からコミュニケーションを始める

●分人の集合として自分を捉える

●人生の経過とともに分人の構成は変わっていく

●愛する人を喪失した人へ

死刑制度への考え方

・平野先生は現在、死刑制度を廃止すべきという立場であるが、『決壊』を書く以前の20代ぐらいまでは心情的には死刑制度に肯定的な立場の近い所にいた。しかし、はっきりした考えは持っておらず迷っていた。

・ヨーロッパではベラルーシ以外はすべて死刑制度が廃止されている。今も死刑制度が残っているのは、アジア諸国、中東、アメリカ合衆国の一部の州などである。

2014年死刑執行国
2014年死刑執行国

画像出展:「2014死刑判決と死刑執行」

 

アムネスティ
アムネスティ

死刑判決と死刑執行 アムネスティ・インターナショナル報告書(抄訳)

上記をクリック頂くと、PDF13枚の資料がダウンロードされます。

下記はアムネスティのサイトにあった記事です。

死刑廃止 - 最新の死刑統計(2020)

 

以下はネットで見つけた記事です。

死刑制度をめぐる日本の議論:世論は8割が死刑容認

この中に“死刑制度の存廃をめぐる議論のポイント”という箇所があり、項目として8つ挙げられています。

■根本的な思想・哲学

■死刑に犯罪抑止力があるかどうか

■誤判・冤罪の恐れをどう考えるか

■被害者・遺族の心情をどう考えるか

■犯人の更生可能性について

■世論調査をどうみるか

■死刑廃止が国際的潮流である点をどうみるか

■死刑は憲法に違反しないか

「なぜ人を殺してはいけないか」への応答として生まれた『決壊』

・これは、TBSの『NEWS23』で収録された若者たちとの対話での発言。その時の出演者からは的確な回答は出なかった。

・『決壊』という作品の中で、平野先生は「なぜ人を殺してはいけないか」という根本的な問いに対して、その理由を説得力を持って書きたいと思っていた。

心から死刑は廃止するべきだと思った理由

・警察の捜査に対する不信感(袴田事件など)。

・「人は殺してはいけない」という絶対的な禁止に、例外を設けてはいけないという考えが自分の中で確かなものになった。人の命は、「場合によっては殺していい」という例外を作ってはいけない。

・死刑は加害者を同じ目に遭わせてやりたいという身体刑である。

個人の責任に収斂させる死刑は国家の欺瞞

・立法的、行政的な救済を必要とする犯罪被害者への支援が十分とはいえない状況で、事件に対して司法が死刑を宣告して、その人を社会から排除し、あたかも何もなかったかのような顔をするのは国家の欺瞞ではないか。

・社会の責任が大きいような環境で育った人が罪を犯した時、それをその人の「自己責任」にすべて収斂させて、死刑にすることで終わらせてはいけないのではないか。

・社会的責任は一切なく、あくまでその個人に全ての責任があるとする犯罪の場合であっても、国家がその犯罪者と同じ次元に降りてきて、事情があれば人を殺していいという判断(死刑)をするのは良くないのではないか。

・『我々の共同体は人を殺さない。一人ひとりの人間は基本的人権を備えていて、生存については絶対的に保障されている。我々の社会はそういう社会であるという前提は、例外的にそれを破る人が出てきても崩してはならないはずです。だから、あなたは人を殺したかもしれないけど、我々の社会はあなたを殺さない。それが我々の社会です、ということを、あくまで維持しなければならないのではないか。おまえが殺したから俺もその次元にまで下がっていって、同じように殺すということは、許されることなのか?

何かよほどの事情があれば人を殺していい、という思想自体を社会の中からなくしていかないと、殺人という悪自体が永遠になくならないのではないかと考えるわけです。

死刑制度は犯罪防止にならない

・死刑囚にも自分の死が怖いと思う人とそうでない人がいる。

・“拡大自殺”とは死刑になりたいから多くの人を巻き添えにした殺人を起こすことである。

-2008年6月:“秋葉原通り魔事件”では7人が死亡。

-2021年12月:大阪ビル放火事件“では25人が死亡。

犯罪被害者へのケアが不十分

・全国犯罪被害者の会では、附帯私訴制度(民事裁判を起こすことなく、刑事裁判の中で損害賠償を求める手続きができる仕組み)の実現が一つの目標になっているが、これは遺族が裁判にうまく関与できない状況になっている。

・被害者に対する誹謗中傷などに対する被害者をケアするシステムが不十分である。

被害者が十分に守られていない状況では、人は「被害に遭った人たちはあんなにかわいそうな目に遭っているのに、何で加害者の人権が守られなきゃいけないんだ」という反発から、「死刑制度は反対」とか「加害者にも人権はある」という声に社会は強く反発する。死刑制度の議論は、被害者のケアの充実を第一に図っていかない限り、国民が加害者側の人権を考えることは難しい。

本来は、犯罪被害者の悲しみを癒すことに関わることが大切だが、それは簡単ではないこともあり、被害者の気持ちになり代わって、「犯人を死刑にしろ!」となっていく傾向が強い。

人権概念の理解の徹底こそが重要であるが、感情的な問題も無視はできない。

犯罪の被害者の心の中に芽生える感情は複雑

・『犯人は死刑になった後、ご遺族がそれで本当に区切りがつけられたのか、何らかの慰めなり癒やしが得られたのかどうかということは、ジャーナリズムの一種のはばかりからか、怠惰からか、それほど具体的な追跡調査がなされていません。ですから、社会は勝手に、遺族は死刑にならないことには収まりがつかないし、死刑になったらそれで一つ区切りがつくと考えて、犯人が死刑宣告を受けて死刑にされたら、途端に遺族のことはすっかり忘れてしまいます。しかし、実はその時にこそ、遺族は社会の中で最も孤独を感じているかもしれない。加害者を憎むということにおいてのみ被害者の側に立った人たちは、加害者に死刑が執行された途端に、被害者への興味を一切失ってしまいます。もし自分の家族が殺されたなら、という仮定は、一体、何だったのでしょうか?

また、死刑が区切りになるかどうかということとは関係なく、とにかく関わりたくない、死刑も望まず、赦すなんてことももちろんできないけど、とにかくもう思い出したくない、別の人生を歩みたいという方もいらっしゃいます。

死刑で一件落着、それが一つの区切りになるなどという考え方で犯罪被害者の方のすべての感情を物語化することはできない。誰かと話をしたいとか、じっくり一時間、二時間、話を聞いてもらいたいとか、孤独に寄り添ってほしいとか、事件のこととは関係なく、楽しくごはんでも食べに行きたいとか、被害者というカテゴリーにくくられたくないとか……、それは当然、さまざまです。だけど、「被害者の気持ちを考えたことがあるのか」と言う人は、そのうちの「憎しみ」の部分にしか興味がありません。それ以外の部分で、被害に遭った方の悲しみをどういうふうに癒すのかということには、全くコミットしようとしないわけです。これが非常に大きな問題ではないかと思います。

「赦し」と「罰」は同じ機能を果たす

・赦しと罰は、何かを終わらせるという意味では同じ機能を果たしているといえる(ハンナ・アーレントの『人間の条件』より)

・被害者の方が“赦し”を選んだ時に、社会はその人の決断をあたたかい尊敬の気持ちで称賛し、抱擁すべきである。決して「あなたは亡くなった人に対する思いが薄いんじゃない?」などと非難することがあってはならない。他者を理解するというのは、自分が決して理解できないことを理解しようと努めることである。

共感や同情ではなく、人権を権利の問題として捉える教育が必要

・死刑制度の問題から気づくことは、日本人は人権というものに対する教育に失敗していると思うことである。

・『僕自身が小学校で受けた人権教育を思い返してみても、結局のところ、人権というのがよくわからないままだった気がします。小学校の教育の中で多かったのは一種の感情教育で、人がそういう時にはどんな「気持ち」になっているかを考えてみましょうとか「自分が嫌なことを相手にもしてはいけません」という心情教育に偏っていました。他者に対する共感の大事さを説くばかりで、人権という、権利の問題としてきちんと教育されてこなかった気がします。実際、講演[地方自治体の人権週間での講演]の時の作文[小・中学生の作文]も、「相手の気持ちを考えず、嫌な気持ちにさせてすごく悪かった」という結論に至っているものがほとんどでした。この感覚が大人になるまでずっと続いてるので、不祥事で政治家や企業の社長が謝罪する時にも、その理由は「不快な気持ちにさせてしまったこと」です。

・共感能力が重要であることは間違いないが、人権という権利の問題を考える時に、共感ということが前面に出すぎるのは望ましくない。

かわいそうかどうかは主観的な感情である。一方、権利とはある前提の中では不変なものだと思う。それ故、主観的な感情とは距離をとり、客観的に向き合う必要があると思う。

・『例えばNHKの番組で、格差社会の中の「相対的貧困」といわれるような状態の人たちの特集があって、そこに登場した女の子の部屋の棚に漫画が並んでいた。そうすると、「貧困っていっているけど、漫画を読んでいるなんてぜいたくだ」「世の中にはもっと大変でかわいそうな人がいる」と、主観的な話になってバッシングが起きる。結果、こんな人たちは別に救う必要がないとか、特集する必要はないといった否定的意見が出てきます。

これは生活保護バッシングにも似ています。「生活保護とかいいながらパチンコしているじゃないか」と。「同情に値しない。かわいそうじゃない」「自己責任だから、そういう人たちを救う必要はない」という論調が日本社会の一部に強くあります。これもやはり、人権の問題としてその人たちの生存を考えているのではなく、かわいそうかどうかという共感の次元で捉えてしまっているがゆえに起こっていることです。』

「負け組」に対する積極的な否定論

・「勝ち組」、「負け組」は当初、株式投資に関し企業を判断するものとして出てきた。その後、新自由主義的の風潮の中でいつの間にか人間についてもいわれるようになった。そして、負け組の人たちは努力が足りない怠け者だというような論調が社会の中で語られるようになった。

すべての人の基本的人権を尊重するという大前提

・『人権というのは、一人ひとりの人間が生まれながらにその生命を尊重されて、それは誰からも侵されないという権利で、ヨーロッパの思想史の流れの中で考えられたものです。人類の歴史の流れによっては、人間は生まれながらに差別されるのは当然で、一部の人だけが富めばいいという社会がずっと続くこともありえたと思います。しかし、そうはならず、すべての人間が基本的な人権を備えていて、それは絶対尊重しなければいけないという想に基づいて憲法をつくり、国家を成立させ、そして、国家権力はそれを侵してはいけないという仕組みをつくり上げていった。近代以降のその流れは、僕は基本的に正しかったと思っています。その思想を受け継いでいることを幸福と感じます。

人間には生まれながらにして権利があるという話は、フィクションといえばフィクションですけど、それをたくましい努力で守り抜こうとする思想は、偉大です。

実際には内戦が続いている地域など、基本的人権という考え方が通じなくて、国家が溶解したような状態で、ひたすら弱者が暴力の被害に遭っているという現実もあります。本当にそういう社会でいいのかと考えた時に、僕はやはり一人ひとりの人間は絶対に殺されてはいけないし、国家の主権者として生存権や社会権が守られているという大前提を崩すべきでないと考えています。

ですから、学校でいじめが起きている時に、かわいそうなことをしているからやめましょうと諭すことも大事ですが、まず、いじめるということは相手の教育を受ける権利を侵害していることだから、やってはいけないことだ、と教えなくてはならない。人を殺すというのは、その人が生まれながらにして持っている、誰からも生命を侵害されることがないという権利を奪うことだからやってはいけないことだと教えなくてはならない。

心情的な教育というのをやりながら、一方で、すべての人は、社会の役に立とうが立つまいが、そんなことは関係なくて、生まれてきたからには、自分の命は誰からも侵害されない権利がある、という原則を子どもたちに教えることが非常に重要です。

その上で、僕も自己反省的に、そもそも、どうして自分は子どもの頃、人を殺した人は死刑になっても当然だと思っていたのだろうかということを考えてみました。一つには、漫画やアニメ、テレビの時代劇などで悪者を成敗する勧善懲悪のストーリーが戦後ずっと続いていて、その刷り込みがかなり強いのではないかと思います。漫画や小説などフィクションが与える影響というのは馬鹿にできません。』

自死して償うという日本的発想

・日本では自死(自殺)は個人として追い詰められた結果ということではなく、一種の社会的な償いとして死ぬべきであるという考えが強くある。社会に命を差し出すことが償いになるという考え方自体を問い直す必要がある。

社会の分断と対立の始まり

・『ノーベル経済学賞を受賞した経済学者で思想家でもあるインド出身のアマルティア・センがアイデンティティーと暴力という本を書いています。その中で彼は、なぜインドで深刻な宗教対立や民族対立が起きるのかということに関して、個人を一つのアイデンティティーに縛りつけてしまうことがすべての社会的な分断、対立の始まりだと分析しています。

社会を分断させたい人、あるいは対立させたい人にとっては、個人が単一のアイデンティティーに収まっていることが何よりも重要なんだと言うんですね。あの人はキリスト教徒、あの人はイスラム教徒というふうに単一のアイデンティティーにくくりつけてしまう。あるいは、あの人は死刑存置派、あの人は死刑反対派というふうに。そこから際限のない対立が始まってしまうわけです。

センは、さらにこう続けます。実際には、人間というのは非常に複雑な要素の集合体である、と。

ある人はプロテスタントであり、同時に二児の父親で、野球はヤンキースを応援していて、音楽はジャズが好きというふうに、一人の人間は複雑な属性を備えている。そうすると、死刑制度を支持するかどうかというような一つのトピックスに関しては対立する部分があるけど、音楽の話をすると、「俺もあのバンド好きなんだよ」と共感する部分があったり、「実は北九州出身で、俺もあの先生に習ったんだ」と、複数の属性を照合し合わせると、どこかにコミュニケーションの可能性を見出しうる。

センは、そこに対話の糸口があり、そこを通じてコミュニケーションを図り続けることによって、一つの対立点で社会が分断されそうな時にも、別のところで人間同士のつながりが可能になるということを言っています。

これは非常に重要なことです。僕たちは単一のアイデンティティーや、単一のカテゴリーに自分が押し込められることに非常に不自由を感じます。実際には自分にはもっと多様な面がある。犯罪の被害に遭われた方のことも、「犯罪被害者」というふうにカテゴリーとしてつい語ってしまいますが、その人の中にも、一方で会社員であったり、昔の友達とわいわいい楽しく過ごす時間もあったりというふうに、複雑な顔があるわけです。』

対立点からではなく、接点からコミュニケーションを始める

人間は複雑な属性を備えているというアマルティア・センの指摘について、平野先生は「分人」ということばで個人や社会の多様性を重視すべきであると説いている。

・人間にはコミュニケーションの中で混ざり合っていく他者性があり、他者に対する柔軟なコミュニケーションを重ねることにより、自分の中にいくつかの人格がパターンのようにしてできていく。これを個人という概念に対して、「分人」と呼んでいる。

分人の集合として自分を捉える

・自分という存在を唯一つの存在とするのではなく、分人という自分の中の多様性によって、好きな自分、嫌いな自分、楽しい自分、辛い自分などいろいろな面があり、相対化して分人として自分を眺めることができれば、自殺の衝動を抑制することもできる。

人生の経過とともに分人の構成は変わっていく 

・分人の構成は他人や社会から強いられるものではなく、バランスを取るように自分がコントロールすべきものである。ただし、これは容易なものではなく、社会や政治といった自分の外側に目を向けることも大事である。

愛する人を喪失した人へ

・『僕たちは自分が愛している人との分人を生きたいわけですけど、その相手を失うことによって、それができなくなってしまう。その辛さが愛する人を亡くした時の大きな喪失感ではないでしょうか。

だけど、生きている人たちとの関係の中で新しい分人をつくってみたり、今まで仲がよかった人との分人の比率が大きくなっていくことで、その後の人生を続けていくことができるはずだと思います。

そういう意味で、最初の話に戻りますけど、辛い状況にある当事者の人に対して、自分はどう接したらいいかわからないと立ち止まるのではなく、その人に辛い分人だけを生きさせないために、新たな分人をつくることができるような関与をすることが大事ではないでしょうか。

感想

長いコロナ禍、テレビの刑事モノを観る機会が増えたのですが、時々出てくる刑事のセリフ、「罪を憎んで人を憎まず」。これは死刑制度、人権、自死(自殺)に紐づく重要なキーワードになるのではないかと思いました。もちろん、簡単な話ではないと思いますが。。

日本人の約8割は死刑容認とのことです。私も平野先生のお考えを勉強させていただく前は、そもそも深く考えたこともなかったのですが、死刑容認派で間違いないと思います。

自分なりに何故、容認派なのか考えてみると、先生が指摘された漫画やアニメの“勧善懲悪”の影響は確かに大きいと思います。また、“切腹”や“敵討ち・仇討ち”なども、物語の中では多くは美化されており、嫌悪感はほとんど持ちません。拷問のように痛みを実感できる体罰(身体罰)は受け入れられないのに、拷問よりも残酷な死刑という命を奪ってしまう身体罰は、一瞬のことだからなのか、なぜか寛容です。

また、島国、村社会である日本は“村八分”や“出る杭は打たれる”など、昔から村民に同質性を求める傾向が強いと思います。しかしながらこれは生きていくための知恵でもあり、日本人の慣習、文化になっているように感じます。注意すべきは同質性を重んじることは、多様性に対しては懐疑的になりやすいのではないかという側面です。

脳の機能で考えると、本能や感情に関わるのは“古い脳”といわれる大脳辺縁系などです。一方、理性に関わるのは“新しい脳”の大脳皮質です。犯罪は怒りや悲しみが先行するものなので、まずは“古い脳”が活性化すると思います。特に怒りなどの先には、法による罰が存在し、“怒り”に対して“罰”という結果がすぐに結びつきます。それに対して、“悲しみ“あるいは“犯罪被害者支援”に関しては、法による罰に相当するような明快な解決策がないこともあり、あぶり出された”理性”が落しどころを捜すうちに迷子になってしまうのではないか。この点も“新しい脳”の活性化を難しくさせているように思います。

下の絵で考えれば、犯罪は“脳の命令の力関係”からも圧倒的に古い脳(情動脳)を活性化させやすい状況だと思います。 

命令の力関係
命令の力関係

こちらの画像は、Web活用術さまの“古い脳 VS 新しい脳|脳の特徴でわかる人生の苦悩と解決策”という記事から拝借しました。

 

 

この記事では次のように古い脳と新しい脳を比較されています(一部追加)。

古い脳

・爬虫類能(反射能)

 ・構造:脳幹・大脳基底核・脊髄

 ・機能:心拍・呼吸・摂食・飲水・体温調節・性行動⇒「生きたい」

哺乳類能(情動脳)

 ・構造:大脳辺縁系(扁桃体・海馬体・海馬傍回・帯状回・側坐核)

 ・機能:喜び・愛情・怒り恐怖嫌悪などの情動⇒「仲間意識(関わりたい)」

新しい脳

人間能(理性脳)

 ・構造:大脳皮質(右脳・左脳)

 ・機能:知能・記憶・言語・創造倫理・繊細な運動など⇒「目的意識(成長したい)」

新しい脳(理性脳)を活性化させることは、犯罪を減らす一つの答えになると思います。繰り返しになりますが、具体的には”犯罪被害者の悲しみ”に対して明快な解決策を用意し、犯罪者に対する法的罰則と同様に、犯罪被害者に対する被害者支援の道が用意され、被害者の方を思う一人ひとりの”理性”を迷子にさせないことです。

国民の意識が「罪を憎んで人を憎まず」に向かえば、多様性に対しての理解も進み、さらに国民的コンセンサスとしての高まりとなれば、死刑制度の意識も変わるかもしれません。そして、治安や暮らしやすさの改善にもつながると思います。 ただ、もし自分の家族が殺されたとして、「罪を憎んで人を憎まず」という気持ちに本当になれますか? と問われれば、やっぱり自信はありません)

罪はすべての人が“善”と“悪”を内在していると思うので、なくなることはないと思いますが、新しい脳である理性を活性化できるようになれば、犯罪だけでなく自死も減るのではないかと思います。そして、間接的であっても、”貧困と格差の是正”につなげられれば、さらに犯罪も自死も減るものと思います。

ご参考1

「”罪を憎んで人を憎まず”とは誰の言葉なのだろう?」と思い調べたところ、なんと”孔子”でした。実は2ヵ月程前に、”論語と仁”というブログをアップしていましたのでリンクさせて頂きます。

ご参考2

犯罪被害者のアンケート調査のような資料がないものかネットで探したところ、2007年と新しくはないのですが、社団法人の被害者支援都民センターによる調査資料がありました。

以下の資料名をクリック頂くと、PDF70枚の資料がダウンロードされます。

平成18年度 被害者支援調査研究事業 今後の被害者支援を考えるための事業報告書



殺人・傷害致死 計38人
殺人・傷害致死 計38人

この棒グラフは左上の”被害後に悩まされた問題”の中から”殺人・傷害致死 38人”だけを抜き出したものです。

また、上記右上のグラフは”事件直後の必要な支援”に関するものです。

二次的被害を受けた相手
二次的被害を受けた相手

こちらは”二次的被害を受けた相手”のグラフです。

上記の”被害後に悩まされた問題”と合わせて考えると、犯罪被害者の方は、多くのストレスに直面していることが分かります。特に、”民事裁判に勝訴したが、実際には賠償金を支払われていない”という人が36.8%もおり、精神的ストレス、手続きの煩わしさ、時間の拘束に加え、金銭的も厳しいということが分かります。

2007年から15年たった今でも同様であるとすれば、犯罪被害者への支援は喫緊の大きな課題といえます。

 

 

 

プロジェクト計画書

仕事ではないのですが、「プロジェクト計画書」を作ることになりました。25年も営業をしてきたので、“営業プラン”や“新規開拓プラン”に類するものは度々作ってはいたのですが、今回は不慣れなテーマに加え広い視点が求められると思い、また、やり直しは最小限度に抑えたいため、作成する前に少し準備することにしました。

購入した本は石井真人先生の『知りたいことがパッとわかる 事業計画書のつくり方がわかる本』です。作るべきは「プロジェクト計画書」なので、本書の中から必要と思う箇所を重点的に勉強させて頂きました。

ブログはかなりアレンジしたものになっているため、本書の概要をお伝えすることはできておりません。そのため、最初に「はじめに」の一部をご紹介させて頂きます。

事業計画書のつくり方がわかる本
事業計画書のつくり方がわかる本

著者:石井真人

出版:ソーテック社

初版発行:2010年9月

第1章 伝わる事業計画書の作り方

第2章 事業計画書を作成する前にすること

第3章 ビジネスプラン作成の流れとポイント

第4章 ビジネスプランつくり込みのテクニック

第5章 事業推進フローチャートのつくり方

第6章 損益計算書作成のテクニック

第7章 資金繰り計算書作成のテクニック

第8章 数値情報のポイントまとめるテクニック 

第9章 伝わるビジネスプランのポイント解説

はじめに

『「新規事業のアイデアを思いついた瞬間から、事業戦略を考え抜くまでの思考プロセス、さらにその事業戦略を“伝わる事業計画書”に仕上げるまでの作成手順を1から伝えたい」というコンセプトを持って、執筆しました。』

『本書では架空の事業を1つつくり上げ、思考プロセスから事業計画書の完成まで、すべてサンプルをご用意させていただきました。また思考プロセスの流れに沿って、1ページ目から読み進んでいただけるように構成しています。』

『事業計画書は立案者視点で作成するのではなく、詠んでもらう第三者に“伝わる”ように作成しなければ意味はありません。本書では新規事業計画書をテーマにしており、新規事業の素晴らしさを第三者に伝えるための実務ノウハウをサンプルの中に散りばめて解説しております。中長期事業計画書など新規事業以外でも“第三者に伝える”実務ノウハウがそのまま活用していただけるように、イメージ図の使い方や文章の書き方など、作業レベルのテクニックまで網羅しました。』

1.伝わるプロジェクト計画書の作り方

プロジェクト計画書が与えてくれるメリット

・資金調達において事業計画書が求められる

・立案者の“思い”は文書化しなければ伝わらない

プロジェクト計画書を構成する具体的な書類

①プロジェクトプラン

「なぜ、いつ、誰が、どこで、誰のために、何を」を客観的な根拠に基づいて解説する書類。事業計画全体のストーリーを作る。

②プロジェクト推進フローチャート

プロジェクト計画のストーリーおよび行動計画を図式化した資料。期日、担当者を明確にする。

③数値シミュレーション

資金繰り計算表

2.プロジェクト計画書を作成する前にすること

何をプロジェクト化したいのか?「6W1H」で情報整理をする

・Who、Why、What、Where、Whom、When、How 

プロジェクトコンセプトを文書化し全体像をイメージできるようにする

3.プロジェクトプラン作成の流れとポイント

各構成要素の計画内容を文書化するルール

・各構成要素を「6W1H」で説明する

・チェック表を活用して「知りたいポイント」の欠如を防ぐ

・キーワードは言い回しを統一して繰り返す

●ストーリーの流れを意識するルール

・シンプルに論理的な説明をする

・構成要素と構成要素のつなぎをオーバーラップさせる

・キーワード以外の説明は重複しない

各構成要素で伝えたいポイントを1つにまとめる

・理解しやすい必要最低限の情報がポイント

-膨大な情報をすべて理解してもらうことは不可能

-特にお金に関わる数値は最も重要

グラフ・イメージ図などを加えたドラフト版の作成

・構成要素と説明文章を基にページ構成をつくりあげる

・構成要素がページタイトルになる

・プロジェクトプランは枠組みを決めてから着手する

4.プロジェクトプランつくり込みのテクニック

「表紙」作成テクニック

・作成日、作成者、更新情報(revision)を書く

「目次」作成テクニック

・目次の項目とページタイトルは必ず一致させる

・ページ番号は最後の仕上げ作業として行う

「ビジョン」作成テクニック

・できるかぎり目標設定を数値化する

・将来の「ありたい姿」を掲げる

「予算化戦略」作成のテクニック

・予算獲得に大きく影響するチャネルの各戦略を描く

・獲得率を算出する

・広告等のコストを明確にする

「情報戦略」作成のテクニック

・情報の整理整頓と維持管理(個人情報保護とセキュリティー)

「プロジェクトスケジュール」作成のテクニック

・準備項目を時系列で明らかにする

・コスト発生の時期を明確にする

5.プロジェクト推進フローチャートのつくり方

プロジェクト推進フローチャートの役割

・「実行できるのか」を判断するキーポイント

・コストの発生時期が見える

プロジェクト推進フローチャート作成前に知っておきたいこと

・可能な限り、各分野の経験者から意見を聞いて参考にする

・項目の棚卸⇒作業期間決定⇒担当者決定の順番で作成する

 ・役割と要員に問題がないか確認する

推進フローチャート
推進フローチャート

画像出展:「事業計画書のつくり方がわかる本」

6.損益計算書作成のテクニック

収支シミュレーション作成の流れ

・収入と支出を可能な限り洗い出す

・数値情報の根拠を明確にする

告知にかかる費用を明確にする

・「何を・いくらで・実施するのか」を情報整理する

・獲得目標数に見合う効果の検討

・スケジュールとの整合性

体制のつくり方

・各役割を明確にする

経費項目を棚卸する

損益計算書
損益計算書

画像出展:「事業計画書のつくり方がわかる本」

7.資金繰り計算書作成のテクニック

資金繰り計算表とは

・収入と支出から必要とする資金の不足を正確に把握できる

資金繰り計算書
資金繰り計算書

画像出展:「事業計画書のつくり方がわかる本」

8.数値情報のポイントまとめるテクニック

経費計画
経費計画

画像出展:「事業計画書のつくり方がわかる本」

資金計画
資金計画

画像出展:「事業計画書のつくり方がわかる本」

9.伝わるプロジェクトプランのポイント解説

サンプル(『オーガニック化粧品の製造販売事業』)

・本書内では計32枚のスライドが紹介されています。

表紙
表紙
目次
目次

咲けない時は根を降ろす

ブログ“源氏物語と紫式部1”は、山本淳子先生の『平安人の心で「源氏物語」を読む』を題材にしているのですが、その山本先生は紫式部が『源氏物語』という大輪の花を咲かせたのは、自分なりの根を降ろしたからこそである。との見識をお持ちです。

この見識は『置かれた場所で咲きなさい』という渡辺和子先生の名著に遺された、「咲けない日があります。その時は、根を下へ下へと降ろしましょう」という教えが、まさに紫式部の生き方に重なるということからきています。

また、渡辺先生は軍人だった父を、二・二六事件の青年将校たちによって目の前で射殺されるという悲惨な衝撃的な体験をされており、そのことも渡辺先生の『置かれた場所で咲きなさい』を読みたいと思った理由です。

ブログはもくじ黒字部分ですが、一つは“変らない現実”、もう一つは“希望”に関するものといえます。

置かれた場所で咲きなさい
置かれた場所で咲きなさい

著者:渡辺和子

初版発行:2012年4月

出版:幻冬舎

もくじ

はじめに

第1章 自分自身に語りかける

・人はどんな場所でも幸せを見つけることができる

・一生懸命はよいことだが、休憩も必要

・人は一人だけでは生きてゆけない

・つらい日々も、笑える日につながっている

・神は力に余る試練を与えない

・不平をいう前に自分から動く

・清く、優しく生きるには

・自分の良心の声に耳を傾ける

・ほほえみを絶やさないために

第2章 明日に向かって生きる

・人に恥じない生き方は心を輝かせる

・親の価値観が子どもの価値観を作る

・母の背中を手本に生きる

・一人格として生きるために

・「いい出会い」を育てていこう

・ほほえみが相手の心を癒す

・心に風を通してよどんだ空気を入れ替える

・心に届く愛の言葉

・順風満帆な人生などない

・生き急ぐよりも心にゆとりを

・内部に潜む可能性を信じる

・理想の自分に近づくために

・つらい夜でも朝は必ず来る

・愛する人のためにいのちの意味を見つける

・神は信じる者を拒まない

第3章 美しく老いる

・いぶし銀の輝きを得る

・歳を重ねてこそ学べること

・これまでの恵みに感謝する

・ふがいない自分と仲よく生きていく

・一筋の光を探しながら歩む

・老いをチャンスにする

・道は必ず開ける

・老いは神さまからの贈り物

第4章 愛するということ

・あなたは大切な人

・九年間に一生分の愛を注いでくれた父

・私を支える母の教え

・2%の余地

・愛は近きより

・祈りの言葉を花束にして

・愛情は言葉となってほとばしる

・「小さな死」を神に捧げる

第1章 自分自身に語りかける

神は力に余る試練を与えない

『心の悩みを軽くする術があるのなら、私が教えてほしいくらいです。人が生きていくということは、さまざまな悩みを抱えるということ。悩みのない人生などあり得ないし、思うがままにならないのは当たり前のことです。もっといえば、悩むからlこそ人間でいられる。それが大前提であることを知っておいてください。

ただし悩みの中には、変えられないものと変えられるものがあります。例えばわが子が障がいを持って生まれてきた。他の子どもができることも、自分の子はできない。「どうしてこの子だけが……」と思う。それは親としては胸を搔きむしられるほどのせつなさでしょう。しかし、いくら悲しんだところで、わが子の障がいがなくなるわけではない。その深い悩みは消えることはありません。この現実は変えることはできない。それでも、子どもに対する向き合い方は変えられます。

生まれてきたわが子を厄介者と思い、日々を悩みと苦しみの中で生きるか。それとも、「この子は私だったら育てられると思って、神がお預けになったのだ」と思えるか。そのとらえ方次第で、人生は大きく変わっていくでしょう。

もちろん、「受け入れる」ということは大変なことです。そこに行き着くまでには大きな葛藤があるでしょう。しかし、変えられないことをいつまでも悩んでいても仕方がありません。前に進むためには、目の前にある現実をしっかりと受け入れ、ではどうするかということに思いを馳せること。悩みを受け入れながら歩いていく。そこにこそ人間としての生き方があるのです。

今あなたが抱えているたくさんの悩み。それを一度整理してみてください。変えられない現実はどうしようもない。無理に変えようとすれば、心は疲れ果ててしまう。ならば、その悩みに対する心の持ちようを変えてみること。そうすることでたとえ悩みは消えなくとも、きっと生きる勇気が芽生えるはずですから。

第2章 明日に向かって生きる

つらい夜でも朝は必ず来る

『希望には人をいかす力も、人を殺す力もあるということをヴィクター・フランクルが、その著書の中に書いています。

フランクルはオーストリアの精神科医でしたが、第二次世界大戦中、ユダヤ人であったためナチスに捕えられて、アウシュビッツやダハウの収容所に送られた後、九死に一生を得て終戦を迎えた人でした。

彼の収容所体験を記した本の中に、次のような実話があります。収容所の中には、1944年のクリスマスまでには、自分たちは自由になれると期待していた人たちがいました。ところがクリスマスになっても戦争は終わらなかったのです。そしてクリスマス後、彼らの多数は死にました。

それが根拠のない希望であったとしても、希望と呼ぶものがある間は、それがその人たちの生きる力、その人たちを生かす力になっていたのです。希望の喪失は、そのまま生きる力の喪失でもありました。

二人だけが生き残りました。この二人は、クリスマスと限定せず、いつか、きっと自由になる日が来る」という永続的な希望を持ち、その時には、一人は自分がやり残してきた仕事を完成させること、もう一人は外国にいて彼を必要としている娘とともに暮らすことを考えていたのです。

事実、戦争はクリスマスの数ヶ月後に終わったのですが、その時まで生き延びた人たちは、必ずしも体が頑健だったわけではなく、希望を最後まで捨てなかった人たちだったと、フランクルは書いています。

希望には叶うものと叶わないものがあるでしょう。大切なのは希望を持ち続けること、そして「みこころのままに、なし給え」と、謙虚にその希望を委ねることではないでしょうか。』

感想

失望、悲しみの真っただ中にいて、苦しみもがいている自分を外から眺め、外側に広がっている世界の中に何かの希望を見つけること、そして、その希望に向かって進んでいくことが、苦しみからの出口なのだろうと思いました。

長引く腰痛

今回の本は、日本整形内科学研究会(JNOS)の会員向け動画配信の中で紹介されていたものです。

安くない本だったこともあり、また、県立図書館に所蔵されてこともあり、お借りして勉強することにしました。 

長引く腰痛はこうして治せ!
長引く腰痛はこうして治せ!

編集:村上栄一

出版:日本医事新報社

発行:2020年2月

本書では“椎間関節性腰痛”、“仙腸関節痛”、“臀部靭帯由来の痛み”について、詳しく解説されています(臀部の筋についてはほとんど触れられていません)。

なお、椎間関節性腰痛については「多裂筋の深層は椎間関節包に付着し椎間関節と一体として働くため、椎間関節性腰痛の関節外病変として多裂筋の要因を考える」とされており、多裂筋の要因も含めて椎間関節性腰痛を定義されています。

ブログは腰痛に対する理解を深め、特に初診時の判断力を高めて的確な施術方針を立てられるようにすることを目標とし、本書の中にあった以下の表をベースに、各疾患の特徴や痛みの姿勢や動作などを加筆し、1枚の表にまとめました。 

腰痛の原因
腰痛の原因

画像出展:「長引く腰痛はこうして治せ!」

目次は小見出しのレベルまで抜き出したため、非常に細かくなっています。

第1章 腰痛診療は進化したか? -現代腰痛診療を落とし穴-

1.画像依存が医療を後退

2.画像信仰を生みだしたX線の登場

●X線画像が与えた影響

下肢痛は神経圧迫が原因との思い込み

●脊柱管内で把握できない病態の見逃し

3.画像に異常の出ない筋膜、靭帯や関節を軽視!

4.誤った神経支配信仰

●腰臀部の靭帯から下肢痛が生じる

5.靭帯・筋膜由来の腰下肢痛が圧倒的に多い

●神経損傷前に傷害を受ける靭帯、筋膜

6.画像では掴めない関節の機能障害

●機能障害を診断できない医療を招く危険

7.エコーの進歩

8.驚嘆すべき人間の秘めた能力!

●One fingerテスト

●患者は発痛源がわかる

9.集学的治療の前に腰痛の正確な診断を!

触ってわかる腰痛の真実

●“患者に触らない”医療者であってはならない 

第2章 腰痛診療の新展開

腰痛の実態と診断法

1.腰痛の定義

2.腰臀部痛の実態

3.腰臀部痛の診断プロセス

●腰椎椎間板ヘルニアについて

・腰椎椎間板ヘルニアの病態

・腰椎椎間板ヘルニアの診断

・腰椎椎間板ヘルニアの治療

●脊柱管狭窄症について

・脊柱管狭窄症の病態

・脊柱管狭窄症の診断と治療

●腰臀部痛の診断

●腰臀部痛の問診

・腰臀部痛の発症様式・時間経過

・腰臀部痛の増悪・寛解因子

・腰臀部痛の性質・性状

・腰臀部痛の場所

・随伴症状

●腰臀部痛の身体所見・エコー:特異的圧痛点とエコー下触診

・上後腸骨棘(PSIS)

・上臀皮神経

・梨状筋

・上臀神経

・下臀神経、坐骨神経

・仙結節靭帯

・椎間関節

・腸腰靭帯

・腰部筋膜性疼痛症候群:筋肉の働きとエコー画像

●各発痛源の合併および関連性

・仙腸関節障害と梨状筋症候群

・上臀皮神経障害と多裂筋

・椎間関節障害と多裂筋

・椎間板性障害と椎間関節障害

4.症例事例

●診断のストラテジー

●治療

●考察

5.おわりに

腰痛治療の新しいアプローチ:腰部痛に対するエコーガイド下fasciaハイドロリリース

1.エコーガイド下fasciaハイドロリリース開発経緯

2.エコーガイド下fasciaハイドロリリースの定義

3.エコーガイド下fasciaハイドロリリースと発痛源評価

●問診

●疼痛再現評価

●圧痛所見

●エコー評価

●機能評価

4.筋膜性腰痛に対するエコーガイド下fasciaハイドロリリース

5.Fasciaに焦点を当てた局所注射

●Faset周囲(椎間関節腔+関節包靭帯+多裂筋付着部+筋外膜間のfascia+黄色靭帯、背側硬膜複合体と神経根に繋がるfascia)

・手技:エコーガイド下fasciaハイドロリリース(交差法)

●腸腰靭帯周囲(腸腰靭帯+facet周囲+後仙腸靭帯+胸腰靭帯)

・手技:エコーガイド下fasciaハイドロリリース(交差法)

●神経根周囲(神経線維+fascia)

・手技:エコーガイド下fasciaハイドロリリース(交差法)

●腰神経周囲(大腰筋+腰方形筋+胸腰筋膜深層+腰神経叢)

・手技:エコーガイド下fasciaハイドロリリース(交差法)

●LED(黄色靭帯+硬膜+多裂筋深層+fascia)

・手技:エコーガイド下fasciaハイドロリリース(交差法)

●腰椎筋膜三角(lumbar interfascial triangle;LIFT、胸腰筋膜+腸肋筋+大腰筋+fascia)

・手技:エコーガイド下fasciaハイドロリリース(交差法)

●棘間靭帯

・手技:エコーガイド下fasciaハイドロリリース(交差法)

●棘上靭帯(胸腰筋膜+起立筋付着部+靭帯)

・手技:エコーガイド下fasciaハイドロリリース(交差法)

●胸腰筋膜(胸腰筋膜+脂肪組織+fascia+脊柱起立筋)

・手技:エコーガイド下fasciaハイドロリリース(交差法)

●上臀皮神経(神経線維+fascia+脂肪組織)

・手技:エコーガイド下fasciaハイドロリリース(交差法)

●Iliocapsularis muscle(IC、脂肪体+関節包靭帯+大腿直筋・腸骨筋)

・手技:エコーガイド下fasciaハイドロリリース(交差法)

第3章 画像では診断しにくい発痛源へのアプローチ:腰椎疾患

見逃されやすい神経根性腰臀部痛

1.はじめに

2.神経根性腰臀部痛

3.腰椎椎間板ヘルニア

4.腰部脊柱管狭窄症

5.腰椎椎間孔狭窄

6.神経根性腰臀部痛の治療

椎間関節性腰痛

1.はじめに

2.椎間関節の機能解剖

3.椎間関節の神経分布

4.多裂筋と腰痛

5.椎間関節性腰痛の臨床症状

●椎間関節性腰痛の問診

●椎間関節性腰痛の診断

6.椎間関節性腰痛が合併しやすい疾患

●椎間関節性腰痛をきたしやすい姿勢、動作

●椎間関節の痛みを増強させる動作

・ソファーに長時間座る時の腰痛

7.治療

●椎間関節ブロック

●薬物療法

●物理療法

●装具療法

●温熱療法

●東洋医学的アプローチ

・経筋のツボ(奇穴、陰谷の1cm内側):頸、肩、腰の痛みを訴える患者の反応点

・腰退点と列決

・漢方

●アーン体操

椎間板性疼痛

1.はじめに

2.椎間板性疼痛の病態

3.椎間板性疼痛の症状と検査所見

●症状

●検査

・理学所見

●画像所見

・MRI

・単純X線

●造影およびブロック所見

・椎間板造影

・椎間板ブロック

4.診断

5.保存療法

●薬物療法

●リハビリテーション

●その他保存療法

・椎間板内薬物注入療法

・硬膜外ブロック

・神経根ブロック

・椎間板内コンドリアーゼ注入

・脊髄刺激療法

6.手術療法

●手術適応に関して

●手術方法

7.症例提示

●画像所見

●治療経過

8.おわりに

仙腸関節障害の診断とブロック治療

1.仙腸関節の構造

●動きの少ない関節の役割

2.診察手順

●問診

・発症のきっかけ

・疼痛を訴える動作

・疼痛域

・One fingerテスト

・問診のまとめ

●理学所見

・立位での診察

・仰臥位での診察

-SLRテスト

-Fabere(Patrick)テスト

-Thigh thrustテスト

-腸骨筋の圧痛の検査

-Gaenslenテスト

・腹臥位での診察

-寝返り動作

-SIJ shearテスト(Newtonテスト変法)

-圧痛点

3.診断手順

●診断のアルゴリズム

●仙腸関節ブロック

・後方靭帯ブロック

・ベッドサイド後方靭帯ブロック

・エコー下後方靭帯ブロック

・関節腔内ブロック

・ブロック効果の機序

●鑑別すべき疾患とその方法

・椎間板ヘルニア

・腰部神経根症が合併

・椎体圧迫骨折や仙骨骨折

・変形性股関節症

●リハビリテーション・再発防止、日常生活の指導

コラム1 救急車で搬送される急性腰痛症

コラム2 仙腸関節スコア

コラム3 腰椎術後の腰臀部痛

コラム4 仙腸関節周囲靭帯付着部症

仙腸関節機能障害の画像診断と手術(SPECT/CTを中心に)

1.はじめに

2.仙腸関節機能障害の画像診断

●SPECT/CT画像の価値~意義

●研究からの考察

・SPECT/CTによる集積度と症状の相関

・S2領域に集積する意味

・仙腸関節炎の発症メカニズム

・仙腸関節機能障害の病期分類

・SPECT/CT画像の診断的意義

3.仙腸関節機能障害に対する手術

●手術適応

●手術の意義

●仙腸関節の固定法

・仙腸関節前方固定術

・仙腸関節後方固定術

●代表的な仙腸関節後方固定用インプラント

・iFuse Implant System

・Rialto™ SI Fusion System

●代表的な症例

高周波熱凝固術(RFN)

1.高周波熱凝固術(RFN)の概要

●はじめに

●RFNの歴史

●RFNの原理、作用

●RFNで凝固できる範囲

●RFNの適応症例

●RFN装置の操作方法

●合併症

2.仙腸関節性腰痛の治療成績

●対象

●治療方法

●結果

・腰痛、下肢痛に対する効果

3.RFN治療の意義

●RFN治療の効果

4.おわりに

リハビリテーション①:AKA-博田法

1.はじめに

2.AKA-博田法とは?

3.関節運動学

4.関節神経学と臨床

5.関節の副運動

6.関節軟部組織過緊張連鎖

7.仙腸関節機能障害の診断法

●体幹の関節機能異常を利用した診断

●股関節の関節軟部組織過緊張連鎖を利用した診断

・SLRテスト

・Fadirf

・Fabere

8.治療技術

●上部離開法(superior distraction;sd)

●下部離開法(inferior distraction;id)

●上方滑り法(upward gliding;ug)

・左仙腸関節

・右仙腸関節

9.AKA-博田法の適応となる症状と診察所見

●疼痛部位

●圧痛、叩打痛

●下肢症状

●問診

●診察の手順

10.診断/除外診断に必要な検査

11.急性腰痛と慢性腰痛に対するAKA-博田法の効果

●急性腰痛

●慢性腰痛

12.症例提示

13.AKA-博田法の特徴

●利点

●欠点

14.考察

リハビリテーション②:Swing-石黒法

1.仙腸関節機能障害に対する授動術(Swing-石黒法)

2.Swing-石黒法について

3.症例と結果について

4.仙腸関節機能障害に対する著明な改善、改善症例からの検討

●患者の訴え

●診断の理由と必要な検査

●Swing-石黒法を行う判断

・興味深い症例

・関節炎症状

・腰椎疾患との合併

・側弯症について

・尻もちなどの外力による仙腸関節機能障害

●本法施行後の患者への日常生活指導

5.従来の治療法

6.まとめ

臀部の靭帯由来の痛みに対するアプローチ

1.はじめに

・靭帯機能不全

・仙骨神経後枝(背側枝)の絞扼性神経障害

2.診断に有用な情報を得るための身体所見の取り方

●圧痛ポイントの鑑別

3.長後仙腸靭帯由来の腰臀部痛の治療

●解剖

●機能

●症状

●検査・身体所見

●鑑別すべき他の発痛源の特徴

・上臀神経

・中臀皮神経

●治療法とその選択基準

・軽症の場合

・中症の場合

・重症の場合

●エコーガイド下fasciaハイドロリリースの平行法手技(交差法でも可能)

4.仙結節靭帯(仙骨側、坐骨結節側)由来の腰臀部痛の治療

●解剖

●機能

●症状

●検査・身体所見

●鑑別すべき他の発痛源

・下臀神経

・坐骨神経

・陰部神経

・後大腿皮神経

●治療法とその選択基準

・軽症の場合

・中症の場合

・重症の場合

●エコーガイド下fasciaハイドロリリースの交差法手技(平行法でも可能)

・仙骨側

・坐骨結節側

5.腸腰靭帯由来の腰臀部痛の治療

●解剖

●機能

●症状

●検査・身体所見

●鑑別すべき他の発痛源

・腰椎椎間関節

・胸腰筋膜

・上臀皮神経

●治療法とその選択基準

・軽症の場合

・中症の場合

・重症の場合

●エコーガイド下fasciaハイドロリリースの交差法手技(平行法でも可能)

臀部での絞扼性神経障害

1.臀部における絞扼性神経障害

●坐骨神経

●上臀神経

●下臀神経

●後大腿皮神経

●臀部絞扼性神経障害の病態

・梨状筋の拡大

・坐骨神経の破格

・線維性バンドによる絞扼

・内閉鎖筋-双子筋複合体による絞扼

・大腿方形筋損傷からの炎症波及

2.診断の手順

●問診

・発症のきっかけ

・症状の特徴

・既往歴の確認

・疫学

・身体所見

・患肢における股関節外旋

・圧痛の確認

・SLR(straight leg rising)テスト

・Freibergテスト

・Paceテスト

・FAIRテスト

・Beattyテスト

・Seated piriformis stretchテスト

・Active piriformisテスト

・股関節内旋テスト

・神経学的所見の評価

●画像診断

●電気生理学的検査

●神経ブロック

●鑑別すべき疾患とその方法

・腰椎疾患

・変形性股関節症

・脊椎骨折、骨盤部骨折

・臀部筋群の筋損傷、腱障害、骨化性筋炎

・仙腸関節障害

・骨盤内腫瘍

・異所性子宮内膜症

・血管病変

3.治療

●薬物療法

●ブロック療法

●理学療法

・坐位でのストレッチ

・仰臥位でのストレッチ

●手術療法

上臀皮・中臀皮神経障害の治療

1.はじめに

2.上臀皮、中臀皮神経とは?

3.患者が訴える痛みから診断へ

●患者の症状から疑ってみる

●圧痛を確認する

●上臀皮・中臀皮神経ブロックを行って診断を確定する

4.診断/除外診断のために必要な検査

5.治療・治療介入するかどうかの判断

●上臀皮・中臀皮神経ブロック

●手術による治療(臀皮神経剥離術)

●リハビリテーション、再発防止の生活指導

6.おわりに

第4章 アスリートの腰痛

アスリートの腰痛に対する評価・診断

1.はじめに

2.腰痛の評価法

3.伸展型腰痛(椎間関節性腰痛、椎弓疲労骨折、棘突起インピンジメント障害)

・問診

・脊柱所見

・圧痛点

4.椎間板性腰痛

・問診

・脊柱所見

・圧痛

5.仙腸関節障害

・問診

・圧痛

・脊柱所見

6.筋筋膜性腰痛、筋付着部障害

・問診

・脊柱所見

・圧痛

7.腰部障害と他の運動器障害との関連性

●矢状面上でのmotor control不全による運動器障害

●冠状面上でのmotor control不全による運動器障害

8.おわりに

アスリートの腰痛に対するリハビリテーション

1.はじめに

2.アスリートの仙腸関節障害の発生機序

3.仙腸関節障害に対するリハビリテーション

●位置異常に対するリハビリテーション

●不安定型に対するリハビリテーション

4.(競技における)原因動作の修正

5.おわりに

腰痛一覧表
腰痛一覧表
多裂筋:浅層と深層
多裂筋:浅層と深層

画像出展:「長引く腰痛はこうして治せ!」

多裂筋と腰痛

『多裂筋浅層は起始が仙骨後面、全腰椎乳様突起で、停止は起始より3~5椎体上位の棘突起である。多裂筋深層は起始が椎間関節関節包で、停止は起始より1椎体上位棘突起であり、脊髄神経後枝内側枝支配をうける。下部腰椎椎間関節由来の疼痛に関与するのは、浅層は仙骨後面より起始しL4/L5、L5/S1を通る筋層である。

多裂筋はⅠ型遅筋線維が多く、脊椎安定化・生理的前弯の維持に働いている多裂筋深層部は体の中心に近いため、回旋運動では外側の筋肉(腸肋筋や最長筋)より動き始め、最後に深層の多裂筋が収縮する。筋収縮で疼痛が誘発されるのは回旋最終段階で疼痛が出現する。

腰部を伸展・回旋した時、短い鋭い痛みが出れば、関節包または多裂筋深層の関節包付着部炎による疼痛と考える。反対側に回旋させてズーンとした痛み(C線維)が誘発されれば多裂筋浅層の筋線維の攣縮状態と考える。ピリッとした痛みであれば浅層の仙骨付着部炎と考える。多裂筋は椎間関節の制御安定を図る馬の手綱に相当する、両側が働けば首は伸展(腰椎前弯)し、片側が働けば首は横に向く(腰椎回旋)。

多裂筋深層部は通常、背側の関節包のインピンジメントを防いでいる。多裂筋の浅層の異常は仙腸関節性腰痛と複合して生じることが多い。深層線維が損傷されて関節包がインピンジされると、多裂筋全体の攣縮が生じ、体動困難な状態となる。

一般的に筋付着部炎は、動作の向きを変える時や強い牽引力が働くと、ピリッと瞬間的な痛みが生じる。しかし軽いストレッチでは痛みは起こりにくい。テニス肘も筋付着部炎であるが回外伸展から回内屈曲にする時(ボールを打つ瞬間)痛みが生じる。また、tennis elbow testで筋を最大収縮させた時にも痛みが出る。これらの部位はゆっくりとしたストレッチでは疼痛は軽度である。腰でいえは前屈から伸展に体を起こす時や右から左に急に向きを変える時に痛みが生じやすい。

筋線維部分断裂や線維化している時あるいは筋線維束の攣縮の時は軽いストレッチでもズシーンと長めの痛みが生じる。筋全層の攣縮では屈曲も伸展もできない状態となる。

腰椎を伸展回旋すればその痛みの性質で多裂筋の疼痛部位を推察することができる

ご参考

臀部の圧痛ポイント
臀部の圧痛ポイント

画像出展:「長引く腰痛はこうして治せ!」

3カ所〇で囲まれた箇所がありますが、左から”大転子”、”坐骨結節”、”PSIS(上後腸骨棘)”になります。

 

腰臀部痛における特異的圧痛点
腰臀部痛における特異的圧痛点

画像出展:「長引く腰痛はこうして治せ!」

臀部靭帯由来の痛み”や”臀部での絞扼神経障害”は、臀部(骨盤部)に生じる圧痛がポイントですが、ここには筋肉・筋膜も存在しているのでその鑑別は難しく、鍼治療では深さを意識し、鍼数で対応します。

 

仙腸関節スコアに含まれる6項目
仙腸関節スコアに含まれる6項目

画像出展:「長引く腰痛はこうして治せ!」

仙腸関節痛”を判断するための指標です。合計9点なので、One fingerテストによるPSIS付近の圧痛と鼡径部痛だけで5点となるため、特にこの2つが重要です。

 

不良姿勢と靭帯の緊張の関係
不良姿勢と靭帯の緊張の関係

画像出展:「長引く腰痛はこうして治せ!」

日常の何気ない姿勢から臀部の靭帯にかかる緊張や負荷を考えます。

 

臀部の疼痛、しびれの出現部位
臀部の疼痛、しびれの出現部位

画像出展:「長引く腰痛はこうして治せ!」

靭帯”、”神経”、”皮神経”、”関節”の上には筋肉があるのですが、骨盤の構造を把握し圧痛や硬結を見つけることが基本になります。

 

まとめ

原因が重複することもあるので、点ではなく視野を広くして向き合うことが大切だと思います。

1.判断材料

1)入室の様子(表情や顔色、歩き方、姿勢[体の傾き・歪みなど])

2)問診

3)動作確認(痛い動き、動作テスト、One fingerテストなど)

4)触診(圧痛、硬結など)

2.判断の流れ

1)鍼灸不適応疾患の除外

●腰痛一覧表の“骨折・感染・腫瘍”および“非脊椎”の中から“心因性腰痛”を除く4つを鍼灸適応外とする。なお、判断は、安静時痛有(胃痛のように全く体を動かさないのに辛い痛みがある)、かつ1回の施術で全く改善がみられない場合とする。なお、電話やメールで安静時痛か動作時痛かの事前確認をし、明らかに前者であれば来院前に内科や整形外科の受診を優先して頂くようお願いする。

2)約6割を占める“脊椎・筋”もしくは“臀部靭帯由来の痛み”を想定する。そのために“神経根性腰臀部痛”ではないことを確認する。

腰椎椎間板ヘルニア:前屈制限、下肢痛、圧痛は主にL4-S1、SLRテスト陽性、好発年齢20~40歳代、男性に多い。

脊柱管狭窄症:伸展制限、間欠性跛行、坐位および前屈で痛みが緩和される。好発は中高年。

3)“仙腸関節”由来、または“臀部靭帯由来の痛み”であるか確認する。

仙腸関節痛:前屈・伸展制限、鼡径部痛、正座はできるが椅子は座れない、One fingerテストでPSISを指す。(”仙腸関節スコア”に基づく)

臀部靭帯由来の痛み:仙骨に沿った臀部の圧痛を確認。

長後仙腸靭帯由来の腰臀部痛:PSIS下部の圧痛、寝返り困難。

仙結節靭帯由来の腰臀部痛:坐骨結節周辺の圧痛、前屈困難。

腸腰靭帯由来の腰臀部痛:L5/L4外方の圧痛、前屈・回旋困難。

4)“椎間板性腰痛”、“椎間関節性腰痛(多裂筋の問題を含む)、“筋筋膜性腰痛”であるか確認する。

椎間板性腰痛:鼡径部痛、長時間の坐位で痛み(激痛ではない)、好発年齢は20~40歳代。

椎間関節性腰痛:伸展・回旋制限、起床困難、起立困難、家事・掃除で痛み、ソファーに長時間座れない。

筋筋膜性腰痛:筋肉別圧痛:脊柱起立筋(最長筋、腸肋筋)、腰方形筋、腸骨筋、大腰筋の圧痛。

ご参考:筋筋膜性腰痛にかかわる主な筋肉

下肢帯の筋
下肢帯の筋

画像出展:「人体の正常構造と機能」

 

 

骨盤内の筋
骨盤内の筋

画像出展:「人体の正常構造と機能」

腸骨筋などの緊張や硬結が腰部に関連痛を引き起こす場合があります。

 

臀部の筋
臀部の筋

画像出展:「人体の正常構造と機能」

広く覆う大殿筋の前方に中殿筋、その下層に小殿筋があります。一方、中央部には梨状筋があり、大腿骨の大転子に停止する比較的小さい筋群が多くあります。

なお、大殿筋の停止は大転子ではなく、腸脛靭帯と大腿骨殿筋粗面になります。

固有背筋
固有背筋

画像出展:「人体の正常構造と機能」

多裂筋の要因を”椎間関節性腰痛”に含めると、”筋筋膜性腰痛”は腰部の腰方形筋、腸骨筋、大腰筋と、後頚部にまで続く最長筋腸肋筋がターゲットになります。

 

 

源氏物語と紫式部2

平安の人の心で「源氏物語」を読む
平安の人の心で「源氏物語」を読む

著者:山本淳子

初版発行:2014年6月

出版:朝日新聞出版

目次は”源氏物語と紫式部1”を参照ください。

 

 

第二 光源氏の晩年

(四十)三十八帖「鈴虫」 出家を選んだ女たち

・『「出家とは、生きながら死ぬということ」。自ら出家の道を選ばれた、瀬戸内寂聴尼の言葉である。ご自身の体験を踏まえてこその一言であるに違いないが、この言葉は、こと平安時代の貴族女性においても、ほとんどそのまま真実と言ってよい。』

・『貴族社会では、尼となれば恋人や夫との関係を断ち、世俗の楽しみを捨てて、厳しい仏道修行に励まなくてはならなかった。それでも彼女たちは、それぞれに心の救済を求めて、出家の道を選んだのである。動機は、大きく三つに分けられよう。何らかのできごとをきっかけに、生きる意欲をなくして出家するタイプ。また家族など大切な人を喪って出家するタイプ。そして最後に、病を得たり年老いたりして、死を身近なものと感じ出家するタイプである。

源氏物語の女君の出家の多くは最初のタイプである。光源氏から逃れるために出家した“藤壺”、継息子に言い寄られて世に嫌気がさした“空蝉”。柏木に犯されて出産し「もう死にたい」と出家した“女三の宮”、自殺未遂の果てに出家した“浮舟”もそうである。

・史実では例えば、一条天皇(980-1011)の中宮定子[ていし]がいる。天皇との幸せな日々を過ごしていたが、父の関白・藤原道隆が亡くなり、追い打ちをかけるように翌年、兄と弟が「長徳の政変」から流罪を受けた。定子は家が受けた辱めに耐えられず、絶望の中で出家した。その心は、半ば自殺に等しいものではないか。このことは当初、同情を以て貴族社会に受け止められた。だが一年後に、定子を諦められない一条天皇によって彼女が復縁させられると、「尼なのに」「還俗か」と批判を受けた。

・『仏教では、俗界は汚辱と苦に満ちていると考える。生まれ変わってもまた、それは同じだ。来世を少しでもよいものにするには、現世で功徳を積むしかない。そして仏の救いを得、極楽浄土への往生を果たすことが、最後の幸福だ。当時の仏道の基本はこうした考えだったと言ってよい。貴族たちも、華やかな日々の暮らしの奥底にこうした世界観を持っていた。そして何か事があれば、俗世界を脱して仏道専心の清らかな世界、つまり来世や浄土のことだけを思う出家生活に入ることを願った。出家とはその意味で、世俗の生から死への緩衝地帯といえる。だからこそ、女に若い身空で出家されることは、夫や家族にとってつらく、また忌まわしいことでもあったのだ。』

(四十三)四十帖「御法」 死者の魂を呼び戻す呪術~平安の葬儀

・『今の昔も葬法の儀礼は、死者のためのものであると同時に、遺された人のためのものでもある。儀式を一つ一つ行うことで、大切な人を喪ったことを受け入れ、きちんと悲しむ。心理学ではこれを「喪の仕事」という。それができない時、人はもがき苦しむ。』

(四十四)四十一帖「幻」 『源氏物語』を書き継いだ人たち

・紫式部が書いた源氏物語が、今我々が目にしているものと同じかどうかは分からない。式部自身が書いた本が伝わっていないので確認のしようがないからである。

・大長編の源氏物語は一気に発表されたのではなく、最初はばらばらに世に出た。

源氏物語が現在のように整った形で伝えられるようになるには、幾人もの中興の祖がおり、その筆頭が藤原定家[ていか]だったと思われる。

・紫式部の時代から二百年を経ずして、源氏物語は注釈が必要なほど読みにくくなっていた。その理由はいくつかある。一つには草稿の流出である。このため下書きと完成原稿の両方が出回ってしまった。第二は誤写である。江戸時代以前、本は書き写して伝えられたため誤写は避けられなかった。そして第三は書写の際の勝手な書き換えや創作である。和歌と違って作者が尊重されていなかった物語は、書き換え御免と考えられていた節さえある。

・藤原定家は歌道に精進するとともに、平安時代の歌集や物語を集め自ら写した。源氏物語を写したのは嘉禄元(1225)年で、定家は六十四歳になっていた。定家の源氏物語は表紙の色から「青表紙本」と呼ばれた。また、定家と同じころ源光行と親行父子による「河内本」と呼ばれる優れた写本もあった。二つの本はそれぞれ尊重され、さらに写し継がれて時代を超えた。その数は計り知れずこの物語の命をつないだ。

第三 光源氏の没後

(四十五)四十二帖「匂兵部卿」 血と汗と涙の『源氏物語』 

・今読んでいる源氏物語は池田亀鑑(1896-1956)によるものである。「青表紙本」と「河内本」もその後の時の流れの中で転写を繰り返すうち、誤写だけでなく戦乱や災害で傷つけられる運命を免れなかった。また写本によっては、「青表紙本」と「河内本」が混ざって写されることもあった。そうしたなかで、もう一度源氏物語の本文を見直そうとしたのが、池田亀鑑であった。

・池田亀鑑は東京帝大文学部に就職して源氏物語関連プロジェクトを任され、全国の旧家や寺などを訪ね回り、古書など約三万冊を集めた。こうして七年、彼はようやく「校本」の原稿を完成させた。なお、それは「河内本」系統に属するものだった。ところが発表前、佐渡の旧家から「お宝」が現れた。

源氏物語の「浮舟」を除く五十三帖揃い。売り手の希望価格の1万円は当時にしては一軒家が買える巨額なものであった。亀鑑は蔵書家で知られた大島雅太郎に購入してもらい、それを亀鑑がそれを借り受ける形で亀鑑は解読し始める。そして、その本が現存する四帖分の定家自筆本と九帖分のその模写本に次いで古い「青表紙本」の写本であることに気づく。奥書には文明十三(1482)年の書写とあり、しかも書道の名家、飛鳥井雅康の自筆だった。

亀鑑は七年かけた「校本」の原稿をなげうった。書き換えに要した月日はさらに十年。ついに「校本」の刊行にこぎつけたのは、第二次世界大戦下の昭和十七年であった。

その後、大島本の所蔵は京都文化博物館に移り、活発な研究が続いている。

第四 宇治十帖

(六十)五十四帖「夢浮橋」 紫式部の気づき

最後の五十四帖の解説は、この本の中で最も印象に残りました。

・『修道女の渡辺和子さんに「置かれた場所で咲きなさい」という名著がある。「置かれたところこそが、今のあなたの居場所なのです」「咲けない日があります。その時は、根を下へ下へと降ろしましょう」。文中の慈愛に満ちたこの言葉に、私は紫式部に通じるものを感じてならない。渡辺さんは、軍人だった父を二・二六事件の青年将校たちによって目の前で射殺された体験を持つ。紫式部の人生も、悲嘆や逆境の連続だった。だが紫式部も、置かれたその場その場に自分なりの根を降ろしている。源氏物語という大輪の花さえも咲かせている。

「めぐりあひて見しやそれともわかぬ間に、雲隠れにし夜半の月かな」。紫式部の私家集紫式部集の冒頭歌だ。小倉百人一首でご存じの方も多いだろう。紫式部自身が記す詞書によれば、これは幼馴染に詠んだ和歌だった。長く別れ別れになっていて、年を経てばったり再会。だが彼女は月と競うように家に帰ってしまった。「思いがけない巡り合い。「あなたね?」、そう見分けるだけの暇もなく、あなたは消えてしまったね。それはまるで、雲に隠れる月のように」。楽しい友情の一場面のようだが、そうではない。この友はやがて筑紫に下り、その地で死んだ。天空で輝いていた月が突然雲に隠されて姿を消すように、二度と会えない人となったのだ。

紫式部が人生の最晩年に自伝ともいうべき家集を編んだ時、巻頭にこの和歌を置いたのは、ほかでもない、こうした「会者定離[会う者は必ず離れる定めにあるということ]」こそ自分の人生だと感じていたからだ。紫式部は、おそらく幼い頃に母を亡くしている。姉がいたが、この姉も紫式部の思春期になくなった。そんな頃出会ったのが、先の友人である。偶然にも彼女の方は妹を亡くしており、二人は互いに「亡きが代はりに(喪った人の身代わりに)」慕い合った。源氏物語に幾度も現れる「身代わり」というテーマ。紫式部にとって幼馴染を喪ったとは、母と姉と友自身の、三人分を喪ったことでもあったのだ。

それでも折れなかった心が、夫を喪った時、とうとう折れた。本来、人に身代わりなどないのだ。哀しみを慰める術の限界を突きつけられて、紫式部は泣くしかない。この時の心境は、紫の上を喪った光源氏と大君を喪った薫各々の述懐に活かされていよう。自分に無常を思い知らせようとする仏の計らいだ、つまり降参するしかないと、彼らは言うのだ。光源氏はそれを機会に出家する。薫は魂の彷徨を続ける。では紫式部はどうしたか。人生を見つめ、そして目覚めたのである。

人とは何か。それは、時代や運命や世間という「世(現実)」に縛られた「身」である。身は決して心のままにならない。まずそれを、紫式部はつくづく思った。だが次には、心はやがて身の置かれた状況に従うものだと知る。胸の張り裂けるような嘆きが、いつしか収まったことに気づいたのだ。「数ならぬ心に身をば任せねど 身にしたがうは心なりけり(ちっぽけな私、思い通りになる身のはずがないけれど、現実に慣れ従うのが心というものなのだ)」(紫式部集五十五番)。紫式部は「置かれた場所」で生き直し始めたといえよう。

だが紫式部は、現実にひれ伏すだけではなかった。彼女は心というものの力にも気づいたのだ。「心だにいかなる身にか適ふらむ 思ひ知れども思ひ知られず(現実に従うという心だが、それさえどんな現実に収まるものだというのか。心は現実を思い知っている。でも思い知りきれず、はみ出すのだ)(同五十六番)。そう、心は何にも縛られない。易々と現実から抜け出て、死んだ人とも会話し、未来を夢想する。架空の世界まで創りだす。時空を超えて、それが心というものの普通だ。紫式部はこの「心」という世界に腰を据え、人というものに考えを致し続けた。彼女にとって、「置かれた場所」で「下へ下へと根を降ろす」とはこのことだった。「源氏物語」はその結実であったと、私は思う。

無駄に漢学の才のある娘だと、父親に嘆かれたこと。新婚わずか三年で、娘を抱え寡婦となったこと。源氏物語を書けば書いたで、意に沿わぬまま中宮彰子の女房にスカウトされ、同僚からは高慢な才女と誤解されていじめにあったこと。「人生は憂いばかり」と、紫式部はため息をつく。だがそれぞれの場で、彼女は考えることを手放さず生きた。果たして、漢学は彰子に請われて進講するに至り、娘は母の背を見て成長し、同僚たちの信頼も勝ち得て、紫式部は彰子後宮に欠かせない女房となった。「心」という根が、ぶれることなく彼女を支えたのだと私は思う。

源氏物語の最終場面。浮舟も薫も揺れ動く心を抱えて、いったいどうなってしまうのだろう。紫式部は答えを用意している。それは、どうなろうと「それでも、生きてゆく」ということだ。「紫式部集」の最終歌が、紫式部の至った最後の境地を私たちに教えてくれる。「いづくとも身をやる方の知られねば 憂しと見つつも永らふるかな(憂さの晴れる世界など、どことも知れませんからね。この世は憂い。そう思いながら、私は随分長く生きて来ましたし、これからも生きてゆきますよ)(百十四番)

この和歌に励まされつつ、私たちもそれぞれに置かれた場所で咲こうではないか。』

ご参考『源氏物語講義』 

こちらの本は昭和9年(1934年)発行の非常に古い本なのですが、とても貴重と思えるページがありました。著者の下田歌子先生日本の女子教育の先駆者で、源氏物語をはじめとする古典研究や歌人としても名高く、一部では“明治時代の紫式部”とも呼ばれていたようです。

※実践女子大学・短期大学さまのサイトに”下田歌子年表”がありました。

本の右横に書き出した文章は、下田先生による紫式部と源氏物語を分析したもので、非常に興味深い内容です。見出しに続き、要約してご紹介させて頂きます。

源氏物語講義
源氏物語講義

紫式部は古今に卓絶せる女性

要するに、自分が紫式部なる人の幻影の眼底に浮ぶ儘に、夢裡の虚言的であろうが、今少し記して見よう。

●蒲柳[ホリュウ]の質(生まれつき体が弱く病気にかかりやすい体質)の方だったらしい。

●容貌も普通で、多少良いぐらいの所であったようだが、頗る[スコブ]謙遜な態度であったらしい。

●常に鋭い理智の光芒(一筋の光)を内に隠すも、時にその閃光が仄めく様な場合もあっただろう。

●定めて品がよく、甘味[ウマミ:面白さ]が含まれて居て、その内部には存外強き意志が根を張って居り、だいぶ佛教より受けた厭世的悲哀的の心持もあるが、さりとて陰鬱などと云う程ではなくて、所謂「物のあはれ」を泌々と身にしめて、自然の妙趣を深く味いつつ、随時、心を雲外玄門(雲の上の仏門)に遣やりて、現世目前の煩わしきを排除していた事であろうと想像する。

●物堅き学者の家に生まれ、相当に学問あり、且つ、見識あるところの藤原宣孝に嫁いだが、早く寡居[カキョ:未亡人]して克[ヨ]く二人の遺児を養育した。

●特に稀有の天才に恵まれたる上に、能く学問芸術を履修し、実学の研究を重ねて、遂に源氏物語と云う未曾有の一大名著を産出した。

源氏物語の全貌、平安朝の絵巻物

●全体に就いて略評すれば、この物語の目的が、著者の那邊[シャヘン:どの辺]にあったかは、今更確かめるよしもないが、著者は恐らくは既成の物語本などを読んで、徒然の慰めがてら自分も面白い物語を書いて見たい、自分が書いたら、恐らくは是よりは今少し立ち勝った情趣のあるものが出来るであろうと自信して、筆を執り始めたものであろうと思われる。

●式部が現在目に見る事、過去に聞き置いた事などを描写して組み立て、それに自己の理想を加えて記述したのであろう。高尚なる理想に実際的世間の事柄を以て肉づけ、且つ温かい血を通わせて、平安朝の舞台に活動させたのである。

●この物語は五十余帖の浩瀚[コウカン:書物の量が多いこと]なものを一貫して、先ず不確実な所も不自然な所も無く、見る者をして全く春花秋葉の美観を呈する平安朝の極彩絵巻を、後から後からと繰り拡げて見る様な心地がする間に、おりおり奥深き人情の根底に触れ、事細かき人世の裏面迄も、ささやき告ぐる聲[声]が聞えて来る様な感を生ぜしむるのである。

人情の機微を穿[ウガ]ち、教化の眞諦[シンテイ:絶対不変の真理]に觸る。

●平安朝盛時の写実であるから、全幅総て戀[恋]物語が場所を取って居る。その中にかつて文字の上では見た事もない様な、人情の機微を穿って[ウガッテ:本質を捉えて]居る点は、実に未曾有の書と禮讃[ライサン:称賛]される。

●式部は当代の政治上にも一隻眼[物を見抜く力がある独特の見識]を有して、その飽かずおぼゆる節を仄かにして居る様である。

●随分力を入れて書いたかと思われる点は教育面である。先ず物語中の女性主要人物紫上に対して女子教育を、主人公源氏君の嫡男夕霧に対して男子教育を、その他此處彼處[ここかしこ]に教育面を説いて居り、殆ど当時貴族の欠点、及び教育の短所を指摘し補足したかの如き記事には、千載の下[千年後]今なお採って以て行いたき適切の事さえあるのには、殆ど敬服感激する次第である。

自然美の融合

●物語の全体に亘って、えも云わぬ美しさ軟かさ氣高さが、非常に深みのある様に思われるのは、全く大自然を愛する著者の感情から渾[混]然として湧き出づる一種の和氣[穏やかな様子]、その和氣がおのずからすべての方面を包んでいるからであろう。

●植物動物の色音[イロネ:花の色、鳥の声]芳香は勿論、四季おりおりの風物、日夕[ニッセキ]朝夜[アサヨ]の靄霞[キリカ]雲霧[ウンム]も、皆著者が筆硯[ヒッケン:文筆]に呑吐[ドント]されたのである。

※『例せば源氏物語第一帖桐壺帝巻の終りに、源氏君の二條院を公けより立派に御改造になる事を記して居るけれども、殿内のことは一寸とも、其の模様は記してなくて、唯庭園の事のみ「もとの木立山のややずまひ、面白き所なりけるを、いとど池の心廣くしなしてめでたく造りののしる」とある。あの最も壮麗なりとする六條院にても、殿内の事はその構造も室内装飾も、記す所が甚だ貧弱なるにも関らず、四季の庭園及び花弁の種類配置等は、後世庭造の根源なりと称する程、存外非常に細やかに記してある。』

紫式部之系圖
紫式部之系圖

画像出展:「源氏物語講義」

●紫式部の父は藤原爲時(越前守)である。

●紫式部の同胞(兄弟姉妹)については以下のように記述されている。

『式部には三人の兄があり、猶一人の妹があって夭死[ヨウシ:若死]したと云う説もあるが、能く分らない。そして惟規は式部と同母であり、他の二人は異腹兄であると傳[伝]えられて居る。』

●紫式部の夫、子供については以下のように記述されている。

『夫の[藤原]宣孝には既に数人の子息があり、式部は即ち後妻である。地位も生家と比べて大抵同等の所である。して見れば、別に地位の上から見て、式部には出世的の縁組でもない。あの式部の才識と気位とを以て、必ずしも宣孝を夫に選ばなくても善さそうなものである。まだもっともっと勝った良縁を求められそうなものであるのに、何うした事であろうと思われるが、併しあの階級の中では、宣孝は一寸異彩を放った人であったらしい。此の頃の御嶽詣には、必ず白き浄衣の疎末なものを着て、熊と身をやつやつ[目立たない]しく行かなければ、恐ろしい佛罰に当たると稱[ショウ]した世間一般の迷信を排して、子息隆光と共に、位職に相当する儀容[ギヨウ:礼儀にかなった姿]を備えて詣でて成功した等、当時には珍しい一種の気慨のあった人であるから、当人は勿論、学者の父がこんな点に打ち込んで、所謂人物本位で、宣孝を婿に取ったのかも知れぬ。此の宣孝の御嶽詣の一事は、当時異様の事として世間にも喧傳[ケンデン:世間でやかましく言いたてる]されたものと見えて、枕草子にも載って居る。是等に就きての卑見[ヒケン:自分の意見をへりくだっていう]は、更に後段に譲るとしよう。宣孝の卒去は長保三年四月とある。年齢は大凡少くとも三十三四歳以上四十歳位の時であったろうかと思はるる。』

『式部が義子即ち宣孝の子は、長男隆光の外に頼宣、儀明、隆佐、明懐といふ、つまり五人の男児があり、隆光の母は下総守顯猷の女、頼宣の母は讃岐守平季明女、隆佐、明懐の母は中納言朝距の女であると云ふ。』

主要人物関係一覧表
主要人物関係一覧表

画像出展:「源氏物語講義」

これだけコンパクトにまとめられた表は無いように思います。“源氏君”はもちろん、“光源氏”です。その下の同じく黒枠(男性)の“”と“夕霧”は源氏君亡きあとの物語の中心人物です。の二重線(=)は夫婦もしくは愛人関係で、破線(---)は表面上の親子となっています。また、輪郭とゴシックは特に重要な人物とのことで、ゴシックは先の三人(源氏君・薫・夕霧)の主人公に加え、唯一の女性である“紫上”を加えた計四人となっています。藤原の一文字の“藤”と父の役職の“式部”を組み合わせて”藤式部”とされていたのが、源氏物語が一世を風靡して“紫式部”と呼ばれるようになった背景は紫上とされているという説もあります。数字男性女性結婚年齢を示しています。また、漢数字出生時父年齢出生時母年齢になります。

傳 紫式部筆
傳 紫式部筆

画像出展:「源氏物語講義」

これは非常に薄い半透明の和紙に、『傳 紫 式 部 筆 古今和歌集の一部 (福岡子爵藏)』とだけ書かれ、その半透明の和紙をめくると、『古今和歌集巻第十三』と題するページが現れます。

調べたところ、”福岡子爵”は大政奉還や五か条の御誓文に関わった”福岡孝弟”のことで間違いないと思います。

ネットで調べた範囲では、紫式部直筆の般若経があるような記述もあったのですが、それを否定する記事もあり、正式に認められた紫式部直筆のものはないように思います。従いまして、この傳 紫 式 部 筆 古今和歌集の一部 (福岡子爵藏)』は昭和初期においては、紫式部の書ではないかとされていたと考えるのが妥当のように思います。

源氏物語と紫式部1

無縁だった「源氏物語」との接点は英語の勉強です。29年間の会社勤めでは遣り残し感はなかったのですが、英語に関しては「できてないなぁ~」という感じでした。そのためいずれは再チャレと考えていたのですが、そろそろ動き出すことにしました。

11月に始めたヨガは、浦和パルコが入居するビルの10階にある、”浦和コミュニティセンター”で開催されているのですが、色々なサークルや講座、イベントなどが行われ、またそれらを紹介するためのチラシやパンフレットがたくさん置かれています。そして、いずれもその気になりやすい庶民的金額となっています。それらの中で今回ひっかかったのが、【源氏物語を英語で読む会】という会です。

最初は“お試し参加”ということでしたが、なかなか面白そうでした。「英語の勉強もできるし、日本人だったら源氏物語がどんなものかぐらいは知っておいた方がよかろう」という思いがあり、少し迷いましたが正会員になりました。

とはいうものの、“テキ”は日本語でも難しいとされる源氏物語です。どんな雰囲気のものか、ある程度は知っておきたいと思い、見つけた参考書が山本淳子先生の『平安人の心で「源氏物語」を読む』という本でした。山本先生がご指摘されている通り、現代と平安時代の差を知ることが必要だと考えたためです。

それにしても“光源氏”と私、比較するのも失礼千万、無礼千万ではありますが、あまりの真逆の人物像に思わず驚きの苦笑いが出てしまいました。

平安の人の心で「源氏物語」を読む
平安の人の心で「源氏物語」を読む

著者:山本淳子

初版発行:2014年6月

出版:朝日新聞出版

『「源氏物語」をひもといた平安人[へいあんびと]たちは、誰もが平安時代の社会の意識と記憶でもって、この物語を読んだはずです。千年の時が経った今、平安人ではない現代人の私たちがそれをそのまま共有することは残念ながらできません。が、少しでも平安社会の意識と記憶を知り、その空気に身を浸しながら読めば、物語をもっとリアルに感じることができ、物語が示している意味をもっと深く読み取ることもできるのではないでしょうか。本書はその助けとなるために、平安人の世界を様々な角度からとらえ、そこに読者をいざなうことを目指して作りました。

 

本書の最後に多くの参考文献が紹介されているのですが、さらにその後ろに、8ページにわたって“主要人物関係図”が付いています。これを見ても登場人物の多さにあらためて驚きます。

せめて光源氏と直接関わった人達については頭に入れておきたいと思い、ごく一部ですが表を作ることにしました。

また、参考文献の後に紹介されているものの中から、“寝殿造”の絵図をご紹介させて頂きます。

寝殿造
寝殿造

画像出展:『平安人の心で「源氏物語」を読む』

『中央部が母屋で、周囲を廂[ひさし]、その外側を濡れ縁の簀子[すのこ]と高欄[こうらん]が取り囲む。寝殿の東・西・北面に対[たい]の屋[や]があり、寝殿とは渡殿[わたどの]でつながれている。外からの出入り口は妻戸[つまど]で、それ以外は格子[こうし](蔀戸[しとみど])はめられている。』

目次黒字がブログで取り上げたものです。特に“平安人[へいあんびと]の時代”と作者の“紫式部”に注目しました。また、長くなったのでブログを2つに分けました。

目次

第一章 光源氏の前半生

(一)一帖「桐壺」 後宮における天皇、きさきたちの愛し方

(二)二帖「帚木」 十七歳の光源治、人妻を盗む

(三)三帖「空蝉」 秘密が筒抜けの豪邸…寝殿造

(四)四帖「夕顔」 平安京ミステリーゾーン

(五)五帖「若紫」 そもそも、源氏とは何者か?

(六)六帖「末摘花」 恋の“燃え度”を確かめ合う、後朝の文

(七)七帖「紅葉賀」 暗躍する女房たち

(八)八帖「花宴」 顔を見ない恋

(九)九帖「葵」 復讐に燃える、父と娘の怨霊タッグ

(十)十帖「賢木」 祖先はセレブだった紫式部

(十一)十一帖「花散里」 巻名は誰がつけた?

(十二)十二帖「須磨」 流された人々の憂愁

(十三)十三帖「明石」 紫式部はニックネーム?

(十四)十四帖「澪標」 哀切の斎宮、典雅の斎院

(十五)十五帖「蓬生」 待ち続ける女

(十六)十六帖「関屋」 『源氏物語』は石山寺で書かれたのか?

(十七)十七帖「絵合」 平安のサブカル、「ものがたり」

(十八)十八帖「松風」 平安貴族の遠足スポット、嵯峨野・嵐山

(十九)十九帖「薄雲」 ドラマチック物語、出生の秘密

(二十)二十帖「朝顔」 三途の川で「初回の男」を待つ

(二十一)二十一帖「少女」 平安社会は非・学歴社会

(二十二)二十二帖「玉鬘」 現世の「神頼み」は、観音様に

(二十三)二十三帖「初音」 新春寿ぐ“尻叩き”

(二十四)二十四帖「胡蝶」 歌のあんちょこ

(二十五)二十五帖「蛍」 平安の色男、華麗なる遍歴

(二十六)二十六帖「常夏」 ご落胤、それぞれの行方

(二十七)二十七帖「篝火」 内裏女房の出生物語

(二十八)二十八帖「野分」 千年前の、自然災害を見る目

(二十九)二十九帖「行幸」 ヒゲ面はもてなかった

(三十)三十帖「藤袴」 近親の恋、タブーの悲喜劇

(三十三)三十三帖「藤裏葉」 どきっと艶めく平安歌謡、「催馬楽」

第二章 光源氏の晩年

(三十四)三十四帖「若菜上」前半 紫の上は正妻だったのか

(三十五)三十四帖「若菜上」後半 千年前のペット愛好家たち

(三十六)三十五帖「若菜下」前半 物を欲しがる現金な神様~住吉大社

(三十七)三十五帖「若菜下」後半 糖尿病だった藤原道長~平安の医者と病

(三十八)三十六帖「柏木」 病を招く、平安ストレス社会

(三十九)三十七帖「横笛」 楽器に吹き込まれた魂

(四十)三十八帖「鈴虫」 出家を選んだ女たち

(四十一)三十九帖「夕霧」前半 きさきたちのその後

(四十二)三十九帖「夕霧」後半 結婚できない内親王

(四十三)四十帖「御法」 死者の魂を呼び戻す呪術~平安の葬儀

(四十四)四十一帖「幻」 『源氏物語』を書き継いだ人たち

第三章 光源氏の没後

(四十五)四十二帖「匂兵部卿」 血と汗と涙の『源氏物語』 

(四十六)四十三帖「紅梅」 左近の“梅”と右近の橘

(四十七)四十四帖「竹河」 性悪女房の問わず語り

第四章 宇治十帖

(四十八)四十五帖「橋姫」 乳を奪われた子、乳母子の人生

(四十九)四十六帖「椎本」 親王という生き方

(五十)四十七帖「総角」前半 乳母不在で生きる姫君

(五十一)四十七帖「総角」後半 薫は草食系男子か?

(五十二)四十八帖「早蕨」 平安の不動産、売買と相続

(五十三)四十九帖「宿木」前半 「火のこと制せよ」

(五十四)四十九帖「宿木」後半 平安式、天下取りの方法

(五十五)五十帖「東屋」 一族を背負う妊娠と出産

(五十六)五十一帖「浮舟」前半 受領の妻、娘という疵

(五十七)五十一帖「浮舟」後半 穢れも方便

(五十八)五十二帖「蜻蛉」 女主人と女房の境目

(五十九)五十三帖「手習」 尼僧の還俗

(六十)五十四帖「夢浮橋」 紫式部の気づき

第五章 番外編 深く味はふ『源氏物語』 

 番外編一 平安人の占いスタイル

 番外編二 平安貴族の勤怠管理システム

 番外編三 「雲隠」はどこへいった?

 番外編四 時代小説、『源氏物語』

 番外編五 中宮定子をヒロインモデルにした意味

参考文献

『源氏物語』主要人物関係図

 一帖「桐壺」~八帖「花宴」

 九帖「葵」~十三帖「明石」

 十四帖「澪標」~十六帖「関屋」

 十七帖「絵合」~二十一帖「少女」

 二十二帖「玉鬘」~三十帖「藤袴」

 三十一帖「真木柱」~四十一帖「幻」

 四十二帖「匂兵部卿」~四十四帖「竹河」

 四十五帖「橋姫」~五十四帖「夢浮橋」

平安の暮らし解説絵図

 平安京

 大内裏

 後宮

 寝殿造

 男性の平常着・直衣姿

 女性の正装・裳唐衣姿(十二単)と平常着・袿姿

あとがき

第一 光源氏の前半生

(五)五帖「若紫」 そもそも、源氏とは何者か?

・光源氏の源氏は、頼朝の「源」と同じであり、「源氏」とは源の性を持つ一族を意味する。そして「源」の祖先は天皇である。

・平安時代期の嵯峨天皇(789-842)は強大な力をもっており、男子だけでも22人の皇子がいた。その皇子たちにより子孫は鼠算式に増えていく。そして、逼迫する皇室費用を抑制するための措置として考えられたのが、皇子を三種類に分けることであった。一つは天皇を継ぐ東宮[とうぐう](皇太子)。もう一つは控えの皇太子要員といえる親王。そして最後が源氏であった。そしてこれらの分類は母の家柄で決まった。

・「源」の姓を賜った者たちは、天皇の血をひきながら皇族とは切り離されて臣下に降り、他の氏族の者と同様に自ら生計を立てた。誇り高い姓ではあるが、皇位継承の道を閉ざされた氏族ともいえる。

・光源氏は架空の物語であるが、始祖の桐壺帝は世の信望厚い聖帝とされ、光源氏は天皇から一代、つまり「一世源氏」である。史実をみると権威ある嵯峨天皇や村上天皇の一世源氏は、何人もの大臣を輩出している。

・源頼朝の始祖である清和天皇は影が薄く、しかも頼朝は十代であり、光源氏との違いは明らかである。それでも「源」の血の威光は絶大だった。

・『一世源氏とは、父帝の至高の血という優越性と、帝位には不相応な母の血という劣等性とを、共に受け継ぐ者だった。自らの血を自負すればいいのか、卑下すればいいのか。その葛藤は想像に余りある。光源氏は、桐壺帝の十人の皇子でただ一人臣籍に降ろされた。「源氏物語」というタイトルは、主人公が身分社会の敗者であることを示していたのだ。

(十)十帖「賢木」 祖先はセレブだった紫式部

・紫式部の父の藤原為時は彼女が二十歳の頃、越前守の国守となった[その前の10年間は決まったポストがなく、失業中]。これは貴族の「受領」に属する。受領は赴任先では権力の頂点であるが、朝廷の地位を示す位階は四位から六位である。「ここからが貴族」というラインが五位なので上流貴族とは言えない。

このように受領は特有の自由な気風や上昇志向を持ち、成り金的な一方、多少の哀愁も漂う。なお、平安の才女たちは清少納言、和泉式部など、多くがこの階級に属していた。

紫式部の父は目立たない受領だったが、直系の曽祖父である藤原兼輔は中納言であった。また、父の母の父の曽祖父にあたる藤原定方は右大臣であった。家や血統が今よりも格段に重視された時代、式部は過去の栄光と今の落魄を痛感していたのではないか。

そして、この二人の曽祖父は源氏物語にも影響を与えていると思われる。源氏物語の桐壺帝の時代は、式部から数十年前に実在した醍醐天皇(885-930)の時代に設定されていると言われているが、この醍醐天皇の時代は二人の曽祖父、兼輔と定方が活躍していた時代である。

さらに醍醐天皇は定方の姉の胤子が宇多天皇(867-931)との間に産んだ子なので、定方にとって甥になる。また、兼輔は娘の桑子を醍醐天皇に入内させている。曽祖父たちにとって聖帝とあがめられた醍醐天皇は身内の天皇といえるものだった。

・『少し前まで華やかだったのに、今は没落して受領階級となった家の娘。「源氏物語」を読むとき、作者のこの「負け組」感覚を忘れてはならない。それは東宮はおろか親王にさえなれなかった皇子である光源氏のリベンジにつながり、政争に負けた桐壺・明石一族のお家復活劇につながるのだ。

ほかにも、物語中には数々の没落者がひしめく。父に先立たれた末摘花、六条御息所、空蝉、そして宇治の女君たち。中でも空蝉は、実家の昔への矜持と今属する受領階級への引き目とを二つながら心に抱く点、紫式部自身の分身ともいえる。彼らへの、紫式部の悲しくも温かいまなざしに注目したい。

(十三)十三帖「明石」 紫式部はニックネーム?

紫式部は本名でも女房名でもない。だいたい「紫」とは何なのか? 本名は公文書に記すときなどごく限られた場合にしか使われない。女性が家で家族や召使から呼ばれる場合は「君」や「上」などと呼ばれるし、女房[朝廷などに仕えた女官]になれば女房名で呼ばれるのが普通である。「清少納言」も女房名である。女房名には大方の決まりがあり、父や兄など身内の男性の官職名を使う。例えば父が伊勢守だったなら、その国名を取って「伊勢」という具合である。

紫式部は、中宮彰子のもとに仕え始めた時、「式部」と呼んでほしいと申し出たらしい。これは父の藤原為時がかつて式部省に勤めていたからである。しかし、そこで困ったことが起きた。それは彰子の周りの女房には、既に二人の「式部」がいたからである。このようなケースは珍しくなく、姓から一文字とってつけることになる。清少納言は官職名の「少納言」に「清原」の一文字をつけたものである。紫式部の場合は「藤原」から一文字を取って「藤式部[とうしきぶ]」となったが、これがもともとの女房名である。

紫式部日記には次のような一節がある。「あなかしこ。このわたりにわかむらさきやさぶらふ(失礼。この辺りに若紫さんはお控えかな)」。これは文化の世界の重鎮である藤原公任[きんとう]の言葉である。これは源氏物語が既に高い評価をされていたということに他ならない。藤原公任が「藤式部」を「若紫」と呼んだのは、その場限りの座興だったかもしれない。だがやがて、彼女は「紫」と呼ばれるようになっていく。公任による戯れをきっかけにしてか、あるいはまた、源氏物語における「桐壺更衣」から「藤壺中宮」そして「紫の上」につながる重要な設定「紫のゆかり」にちなんで、読者が作者に与えた愛すべきニックネームか。この「紫」と、もともとの女房名「藤式部」を合体させたのが。「紫式部」である。

ポリヴェーガル理論3

ポリヴェーガル理論入門
ポリヴェーガル理論入門

著者:ステファン・W・ポージェス(Stephen・W・Porges)

初版発行:2018年11月

出版:春秋社

目次は”ポリヴェーガル理論1”をご覧ください。

第2章 ポリヴェーガル理論とトラウマの治療

聞き手:ルース・ブチンスキー(認定心理学者、臨床応用行動医学全国組織[NICABM])の会長

トラウマと神経系

トラウマがストレスと関連した障害と捉えるのは適切でない。特に、通常のストレス反応と同様に、交感神経系とHPA軸(視床下部-脳下垂体-副腎)の反応とされていることが一番の問題である。

ポリヴェーガル理論では、「危険」や「生命の危機」に瀕した時には、ストレス反応とは違った二つ目の防衛システムが発動すると考える。そこでは、自律神経系の反応は大きく抑制され、副交感神経系の古い神経経路が使われる。それは、「不動」、「シャットダウン」そして「解離」である。

・「不動化」の反応は小さな哺乳類によく見られる。例えば、ネコに捕まったネズミである。「擬死」とか、「死んだふり」と言われているが、これは意図的に行う反応ではなく、闘争/逃走反応が使えない時に起こる。人間が恐怖体験により失神するときもこれと同じものである。

科学的な論文でも、不動化をもたらす防衛システムは、ストレス理論では説明されていない。ストレス理論はアドレナリンの分泌や交感神経の活性化によって、可動性を伴う防衛反応が起きるとされている。

・我々の神経系は、意識されることなく、常に環境中の危険因子の評価を行い判断している。そして常に優先順位に従って、その場にもっとも適応的な行動を取る。

トラウマ治療で最も大切なことは、「どのようなトラウマ的な出来事が起きたのか」ではなく、その人がその状況で「どのような反応をしたのか」を理解することである。

「ポリヴェーガル理論」と「迷走神経パラドクス」

迷走神経は心臓や内臓を制御しているため、運動機能が注目されているが、多くは感覚神経で80%の線維は内臓から脳へと情報を送っている。残りの20%が運動神経路を形成し、動的に、そして時には劇的に生理学的変化を起こさせる。例えば、迷走神経が緊張した状態では心臓の動きが抑制(心拍数減少)される。そして迷走神経の緊張が緩むと、心臓の拍動は戻る。こうした変化はわずか数秒のうちに起きることもある。

・可動化という機能を持つ交感神経に対して、迷走神経は、落ち着かせたり、成長させたり、回復させたりする機能を持っている。

私は、彼の言葉[迷走神経は急に脈が遅くなる「徐脈」や、突然呼吸が止まる「無呼吸」などの、生命を脅かす現象を引き起こすことがある]を真剣に受け止め、私の研究[新生児の迷走神経に関する研究。赤ちゃんの中には、RSA(呼吸性洞性不整脈:呼吸に伴って心拍数が増加したり減少したりする現象)が見られない赤ちゃんがいる]の中で発見されたことに何か手がかりがないか、振り返りました。私の研究では、RSAが起きているときには、徐脈や無呼吸は起きませんでした。これに気がついたとき、私はこの「迷走神経パラドクス」という概念を理解するヒントを得たのです。RSAがあるときは、迷走神経は保護的な働きをし、徐脈や無呼吸を起こすときは、生命を危険にさらすのです。

数カ月にわたり、私はこの新生児医学の手紙を鞄に入れて持ち歩いていました。私はなんとかこのパラドクスを説明しようとしました。しかし私の知識はあまりにも限られていて、どうすることもできませんでした。そこで、このパラドクスを解決するために、迷走神経の神経解剖学をあたってみることにしました。もしかすると、この二律背反のパターンを引き起こす迷走神経の回路は異なっているのではないか、と考えたのです。

この「迷走神経パラドクス」を引き起こしていた迷走神経の作用機序を明確化したことによって、ポリヴェーガル理論が生まれました。この理論を構築するにあたって解剖学、進化学、そして二つの異なる迷走神経の働きを精査しました。一つの迷走神経系は徐脈や無呼吸を引き起こし、別の迷走神経系がRSAを引き起こすのです。一つの神経系は潜在的に死をもたらします。もう一つの神経系は保護的に働きます。

この二つの迷走神経の回路は、脳幹の違った部分から発していました。比較解剖学を研究した結果、古い神経回路ができ、その後に新しい神経回路ができたことがわかりました。系統発生学に基づいた自律神経のヒエラルキーが、私たちに埋め込まれていることが明らかになったのです。この発見が、ポリヴェーガル理論の基礎になりました。

「不動」、「徐脈」、「無呼吸」は哺乳類が誕生するずっと昔の、太占の脊椎動物において発達した防衛機制だったのです。ペットショップに行って、爬虫類を観察してみてください。そうすれば、この防衛機制を理解することができます。爬虫類を見ていると、じっとしてあまり動きません。爬虫類にとっては、この「不動状態」が基本的な防衛システムなのです。しかし、ハムスターや家ネズミなどの小さな哺乳類を見てください。彼らはまったく違った行動様式をとっています。小さな哺乳類はつねに動きまわっています。彼らは活動的で、社会的に交流をし、仲間とあそびます。そして動いていないときは自分たちの兄弟と身体をくっつけあっています。

ポリヴェーガル理論の構成概念は進化に基礎を置いています。系統発生学的に段階を追って、それぞれ異なる神経回路が発達し、それぞれ異なる適応行動を起こしていたのです。研究を進めるにつれ、脊椎を持つようになった生き物のうちでも、進化上より早期の脊椎動物において発達した「太占の防衛機制」が、我々の神経系にまだ埋め込まれていることを発見しました。この「太占の防衛機制」とは、「不動状態」です。闘争/逃走反応という防衛機制では、「可動化」が主要な要素です。しかし、太占の脊椎動物の防衛機制は、それとは反対のものです。「不動状態」、「擬死」あるいは「死んだふり」は、爬虫類やその他の脊椎動物にとっては適応的な行動でした。しかし哺乳類は、酸素を大量に必要とするため、こうした反応は潜在的に死に至る危険があります。哺乳類も、生命を脅かすようなことが起きたときには「不動状態」に陥ります。そして「不動状態」に陥った後、普通の状態に戻ることは非常に難しいと考えられます。これが多くのトラウマのサバイバーにも起きていることなのです。』

ふたたび自律神経系について

・ポリヴェーガル理論では、自律神経系の機能は進化の階層に則って三つに分けられている。

1.有髄化(絶縁性の髄鞘によってニューロンの軸索が覆われること。これにより神経パルスの伝導が高速化される)されていない無髄の迷走神経経路で、横隔膜より下の内臓の迷走神経制御を行っているもの。(一般的には、”自律神経節後線維”[C線維]と呼ばれています

2.有髄の迷走神経経路で、横隔膜より上の臓器の迷走神経制御を行っているもの。(一般的には、”自律神経節前線維”[B線維]と呼ばれています

3.交感神経系

・進化の過程で、最初に無髄の迷走神経経路が発達した。人間やその他の哺乳類では、安全な場合には、この古いシステムによって恒常性(ホメオスタシス)が保たれている。しかし、これが防衛に使われたときは、不動状態になり、徐脈や無呼吸をもたらす。そして代謝を落とし、シャットダウンを起こし、見た目には崩れ落ちたようになる。シャットダウンのシステムは爬虫類にとっては適応的である。これは爬虫類の小さな脳はわずかな酸素しか必要とせず、数時間生きていることも可能であるからである。

ニューロセプション:意識せずに行う知覚

・ニューロセプションは認知のプロセスではなく、神経的なプロセスで環境中にある「合図」や「きっかけ」を評価し、危険を察知する。

ポリヴェーガル理論では、ニューロセプションはポリヴェーガル理論で定義された自律神経の三つの主要な状態、つまり「安全」「危険」「生命の危機」を察知し、それにふさわしい神経回路にスイッチを入れる。

・社会交流システムがうまく働いていると、防衛反応が抑制され、我々は落ち着き良い気分になる。しかし危険が増すと、二つの防衛システムが優先順位に沿って発動する。いよいよ危険を察知すると、我々の交感神経系が主導権を握る。そして「闘うか/逃げるか」という動きを可能にするために代謝を上げる。そして、それがうまくいかず、安全か確保されないと、無髄の古い迷走神経系を発動させて、シャットダウンする。

PTSDを起こす引き金

ニューロセプションの中でも聴覚刺激は大切で、特に「安全であるかどうか」を判断するには、聴覚刺激が非常に重要な役割を果たしている。

第3章 自己調整と社会交流システム

迷走神経:運動経路と感覚経路の導管

・迷走神経経路は、感覚線維と二つのタイプの運動線維の計三つから成る。運動線維の一つは、有髄化されず横隔膜より下の腸などの臓器と接続されている。もう一つは、有髄化されていて横隔膜より上の心臓などの臓器と接続されている。感覚神経線維は脳幹の中の孤束核と言われる領域に終わり、有髄の迷走神経の運動経路は、主に疑核に起始する。無髄の迷走神経の運動経路は、主に迷走神経背側運動核に起始する。

いかにして音楽が迷走神経による調整を促す「合図」となるか

・音楽療法:歌うためには長く息を吐く。吐いている間は有髄の迷走神経の遠心経路の心臓への働きかけが強まる。これにより生理学的状態が穏やかになり、社会交流システムが活性化する。歌うとは聴くことでもある。これは中耳筋の神経の緊張を増進させる。また、神経による喉頭咽頭筋を調整し、さらに顔面神経と三叉神経を介して、口と顔の筋肉を使う。個人でなくグループであるなら、他者と関わり社会的な活動になる。以上のことから、歌うこと、特にグループで歌うことは、社会交流システムの素晴らしい「神経エクササイズ」になる。

ご参考:“迷走神経活動の測定法”(実験はマウス) クリック頂くと5枚資料のがダウンロードされます。

迷走神経活動の測定法
迷走神経活動の測定法

はじめに  

『自律神経系は交感神経系と副交感神経系から構成される神経系で、それぞれ身体の臓器を二重支配することによって相反的に各臓器機能を調節している。自律神経の作用には自律神経反射に代表される循環調節、消化機能調節、そして代謝調節作用が知られており、これらの作用は自律神経遠心路により心臓、血管、消化管、肝臓、膵臓、脂肪組織等の活動を制御することによって営まれている。自律神経の異常は狭心症、胃・十二指腸潰瘍、肥満、糖尿病、メタボリックシンドローム等に深く関与している。自律神経の全身機能調節は各臓器の状態に依存しており、その情報を伝達する経路として自律神経救心路が重要な働きを担っている。救心路神経線維は副交感神経(迷走神経)束の約75~90%、交感神経束の約50%を占めており、末梢性の自律神経反射に関わる情報だけでなく、中枢性の情報(満足感や嗜好形成などの摂食行動調節)にも関わることが最近の研究で明らかにされている。

ポリヴェーガル理論2

ポリヴェーガル理論入門
ポリヴェーガル理論入門

著者:ステファン・W・ポージェス(Stephen・W・Porges)

初版発行:2018年11月

出版:春秋社

目次は”ポリヴェーガル理論1”をご覧ください。

第1章 「安全である」と感じることの神経生物学

正当な科学的論題としての「感じること」に関する研究

・心理生理学は、心理的な操作に対する生理学的な反応を計測するものである。

心理生理学では、被験者が報告する主観的な状態に頼ることなく、皮膚電位、呼吸、心拍数、血管運動などの生理学的な反応を調べる。そして、客観的かつ数値化可能な方法で、主観的な体験について計測する。

・心の動きを生理学的な反応から理解しようとする試みは、今でも心理生理学および認知神経学の中心的な方法論であり、過去50年にわたりこの基本的な考え方にはほとんど変化はない。

心理生理学研究と心拍変動

・精神的に努力している状態では心拍数が減少し、そうでない時の心拍変動には個人差があることを発見した。そして、この研究成果が先駆けとなり、後に心拍変動の個人差と、認知的能力、環境内の刺激に対する感受性、精神医学的な診断、心理物理的適合性、レジリエンス[しなやかさ、回復力]との関係について、多くの論文が発表されることとなった。

心拍変動を調整する神経的作用機序

・『私は、心拍変動を引き起こす、心拍間隔に影響を与えている神経経路を探求し、心拍数を制御している神経系の仕組みを理解するために、動物実験を行った。』

心拍数を制御する迷走神経の計測方法の開発

・心臓迷走神経緊張のより正確な指標として、呼吸性洞性不整脈(RSA)を定量化する方法を開発した。

・迷走神経は呼吸によって心臓に与える影響を変化させる。

・呼気と吸気では心拍数が一定のリズムで減少したり増加したりする。そして、迷走神経の影響が大きければ大きいほど、その心拍変動は増加する。

・フィードバックループは迷走神経の働きを動的に調整している。肺や心臓だけでなく高次の脳からも脳幹へと信号が送られる。

・フィードバックループの出力媒介変数は振幅と周波数である。振幅は迷走神経の影響を反映しており、周波数は呼吸数を反映している。

・相対的な方法論から、神経生理学的なモデルをもとに迷走神経による神経的制御を計測する方法論へと推移していった。この技術を用いることで、迷走神経による制御の具体的な状態を正確かつ継続的に計測することができるようになった。

仲介変数の探求

・『私の科学的な探求は、行動の個人差を理解するための仲介変数を探す旅であった。この旅を通して「安全である」と感じることも含めた心理的な体験と、行動の神経的基盤となる自律神経の状態の重要性を理解することとなった。

・研究の三つの段階

1.記述的研究(心拍変動が重要な現象であることに気づき、一連の経験主義的な実験)。

2.心拍変動を仲介している神経生理学的な作用機序を説明するための研究。

3.神経生理学的、神経解剖学、進化学をもとにした、脳と身体、あるいは心と身体の科学の基礎となるポリヴェーガル理論の構築。

・『ポリヴェーガル理論は、我々の行動と、他者との関わり方に影響を与える仲介変数としての生理学的状態の重要性を解き明かすものであった。この理論により、危険と脅威が生理学的状態を変化させ、防衛に向かわせることが説明された。そしてもっとも大切な点は、「安全である」とは、単に脅威を取り去ることではないということだ。「安全である」とは、環境中や、他者との間で交わされる健康、愛、信頼を感じることを促進する、独特の「合図」に依存しており、それが防衛回路を積極的に抑制する。

安全と生理学的状態

・ポリヴェーガル理論では、意識の及ばないところで環境のリスクを評価する神経的なプロセスを「ニューロセプション」と呼ぶ。

・ポリヴェーガル理論では、ストレスとなる出来事の物理的な特徴は、あまり影響力を持たず、むしろ我々自身の身体的な反応の方がより重要な役割を果たしていると考える。

・ポリヴェーガル理論では、自律神経の神経的制御が変化したことを、内臓の感受性によって捉えていくモデルを提唱している。

・ポリヴェーガル理論では、社会が安全であると感じられる環境や、信頼できる人間関係を、我々は人々に提供しているのか、という問いに直面することになる。学校、病院、教会などの社会組織が、常に人々を評価し、それによって危険と脅威を感じさせる状況であることを鑑みると、政治紛争、財政危機、戦争などと同じように、こうした社会構造が我々の健康に好ましくない影響を与えていると言わざるを得ない。

ポリヴェーガル理論では、生理学的な状態を、様々な種類の適応的行動を効果的に表現する神経的な土台であると考える。

「安全であること」の役割と、生き残るために必要な「安全である」という合図

・神経系は爬虫類から哺乳類へと進化した過程で変化していった。特に哺乳類では、同種の生物のうち、どれだけ安全で近づいてもよく、また触れてもよいのかを同定する神経系が発達した。

・爬虫類や、その他の「原始的な」脊椎動物では、防衛戦略が非常に発達していた。しかし、進化した哺乳類においては、適応していくために、今度はそのよく発達した防衛戦略のスイッチを切る神経的作用機序が必要になった。

・哺乳類はいくつかの生物学的な必要性に迫られて「安全」を求めるようになっていった。

-哺乳類は出生後、直ちに母親の保護を受ける必要がある。

人間を含む数種類の哺乳類は、生きていくためには「孤立」を避け、長期間社会の中で相互依存を必要とする。防衛反応のスイッチを切って、子育てをしたり、社会的行動をとったりするためには、安心できる安全な環境と、安全な同種の生物を同定する能力が必要になった。

-生殖、授乳、睡眠、消化を含む様々な生物学的、行動学的機能を果たすためには、哺乳類は安全な環境が必要不可欠である。

・哺乳類は社会的行動と感情の制御を必要とするようになった。

ポリヴェーガル理論では、社会的行動と感情の制御を行う神経回路は、神経系が「安全である」と感じているときにのみ発動するとしている。その時、この神経回路は、「健康」、「成長」、「回復」を促進するように働く。

・「安全」は人間が潜在能力を発揮する上で欠かすことができない。高次の脳は創造性を発揮し、生産的であるためにも必要不可欠である。

・ポリヴェーガル理論では、我々の心理的、物理的、行動学的反応が、我々の生理学的状態に依存しているという事象に重きを置く。

・ポリヴェーガル理論では、身体の諸器官と脳が、自律神経を制御している迷走神経やその他の神経を通して、双方向に情報交換しているということに注目する。

自律神経系の制御は、進化の過程で「安全であること」を互いに発信しあい、協働調整することができる神経系を獲得した。

社会的交流と安全

・臨床において、見たり、聴いたり、起きていることに注目することは、大変有効なやり方である。

・社会的交流を持ち、身体の諸器官からの感覚をフィードバックすることにより、気分や感情の主観的な状態を改善することができる。

社会交流システムとは、顔と頭の横紋筋を制御する神経経路を総称したものである。

・社会交流システムは、身体感覚を投影するとともに、安全で落ち着いていて、愛と信頼を醸成する状態から、防衛反応を起こす脆弱な状態まで、一連の変化を引き起こすための情報の入り口である。

セラピストとクライアントが互いに、「見て」「聴いて」「感じる」ということは、お互いの身体と感情の状態を動的に双方向に情報伝達し、社会的交流が行われていることを意味する。それこそが治療的瞬間である。

・社会的交流が相互に利益をもたらし、互いの生理学的な状態を協働調整するためには、双方ともに、安全であり、信頼できるという社会交流的「合図」を送りあう必要がある。

・双方向で主観的な体験を分かち合うことは、結合鍵を開けるようなものである。突然、鍵を固定していた回転部品が正しい場所に収まり、扉が開くのである。

・進化の過程で、表情や発声、音や味覚を検知する神経系と生理学的状態とが結びついたのは、哺乳類特有の現象である。

身体の状態と表情や発声とが結びついたことにより、同種の生物が発する「合図」を見極める能力が発達した。相手が出している「合図」は「安全である」のか、「危険である」のか、はたまた逃げることも戦うことも不可能で、擬死に陥り不動状態になるべきなのか、判断できるようになった。そして、社会的交流の扉が開いた。

・他社が近づいても安全であるという「合図」を提供するために、顔と頭の筋肉を神経制御することが必要とされる。

・社会的交流システムは、我々の「安全であること」への生物学的な希求と、人とつながり、自分たちの生理学的な協働調整したいと望む、無意識の生物学的な必須要件から生まれた。

社会的交流では、「わかった」という微細な「合図」や、共感、互いの意図が交わされる。こうした「合図」は、微妙な調子、韻律を通して伝えらえる。それは同時に互いの生理学的状態を伝えあう。我々は、自らが落ち着いた生理学的状態であるときにのみ、相手に「安全である」という合図を伝えることができる。

社会的交流システムは、自分の生理学的状態を伝えるだけでなく、相手がストレスを感じているのか、それとも「安全である」と感じているのかを感知する入り口にもなる。「安全」を感知すると、生理学的反応は落ち着く。危険を感知すると、生理学的状態は、防衛反応を活性化するように変化する。

社会交流システム(脳神経:Ⅴ、Ⅶ、Ⅸ、Ⅹ、Ⅺ)
社会交流システム(脳神経:Ⅴ、Ⅶ、Ⅸ、Ⅹ、Ⅺ)

画像出展:「ポリヴェーガル理論入門」

 『図1で示されているように、社会交流システムには身体運動要素と内臓運動要素が含まれている。身体運動要素には、顔と頭の横紋筋を制御する内臓からの特殊体腔内器官遠心性経路(脳管内の運動核[疑核、顔面神経、三叉神経]から生じており、社会交流システムの身体運動要素を形成している)がある。

内臓運動要素には、心臓と気管を制御している有髄の横隔膜上の迷走神経がある。機能的には、顔と頭の筋肉と心臓のつながりから社会交流システムが生じる。社会交流システムは、誕生直後では、吸う、飲む、呼吸する、声を出すといった行動を調整している。誕生後早期に、この調整がうまく取れない場合、成長後、社会的行動や感情の制御が難しくなることが示唆される。』

結論

・ポリヴェーガル理論では、「安全である」と感じることは生理学的な状態に依存しており、「安全である」という合図は自律神経系を穏やかにする。

・生理学的な状態を落ち着かせると、安全で信頼できる人間関係を結ぶことができ、それそのものが、行動的、生理学的状態を協働調整する機会となる。こうした健全な「調整サイクル」が心と身体の健康を促進する。このモデルでは、自律神経の状態を含む我々の身体の感覚は、我々が他者と関わることにおいて仲介変数の機能を果たしている。

・交感神経が優位となり、戦闘態勢に入っているときは、防衛に焦点が当たっており、「安全である」という合図を出すことも受け取ることもしない。しかし、腹側迷走神経経路によって社会交流システムが発動しているときは、声や表情で、「安全である」という「合図」を出し、それにより、自分自身と他者の防衛反応を抑制する。互いに、社会交流システムを用いて関わり合うことによって、社会的な絆が強化される。

-腹側迷走神経複合体:腹側迷走神経複合体は脳幹に位置し、心臓、気管支、顔と頭の横紋筋を制御している。また、腹側迷走神経複合体は、内臓運動経路を通して心臓と気管支を制御している疑核と、特殊体腔内器官遠心性経路を通して、咀嚼、中耳、顔面、咽頭、喉頭、首の筋肉を制御している三叉神経顔面神経からなる。

・ポリヴェーガル理論では、治療的モデルにおいても、人間としての体験を最善のものとするためには、身体の感覚を尊重することだけでなく、生理学的な状態を含む支援を行うことが大切であると考えている。

・ポリヴェーガル理論では、他者との絆を形成し、互いに協働調整しあうことは、我々人間にとって必要不可欠な生物学的必須要件であると説いている。「安全である」と感じることは、生きていく上でなくてはならない。そして、我々が行動的、生理学的状態を協働調整することができる、信頼に満ちた社会的関わりを持つことによってのみ、我々は「安全」を感じることができる。

ご参考:人体の正常構造と機能』という本にある図・説明を用いて、神経生理学的説明を視覚的に追ってみました。もやもや感がありますがご紹介します。

①脳神経核 

以下は脳幹の図です。左側の図では右半分が知覚核(孤束核など)で、左半分は運動核(三叉神経運動核、顔面神経核、疑核、迷走神経背側核など)となっています。

また、右側の図は脳幹部の断面図です。黄色は“一般内臓運動(GVE)”、ピンク色は“特殊内臓運動(SVE)を担っています。緑色の舌下神経核に隠れて見づらいですが、迷走神経背側核(黄色)は確かに背中側(小脳側)にあるのが確認できます。一方、三叉神経運動核(ピンク色)、顔面神経核(ピンク色)、疑核(ピンク色)は迷走神経背側核から見ると、いずれもお腹側(腹側)に位置しているのが分かります。“腹側迷走神経複合体”とは、この部分を指しているのではないかと思います。

脳神経核
脳神経核

画像出展:「人体の正常構造と機能」

②脳幹の自律神経中枢

下の図は“循環中枢”(左)と“呼吸中枢”(右)を説明している図です。交感神経迷走神経(副交感神経)ですが、脳に近い神経は赤(交感神経)青(迷走神経)とも実線になっています。これは有髄線維の高速な線維です。一方、小さな●(神経核)を経て、破線になっていますがこれは低速の無髄神経になります。有髄線維は“節前線維”とよばれ、神経線維の分類で分けるとB線維になります。無髄線維は“節後線維”とよばれ、同じく神経線維の分類ではC線維になります。(神経線維はB、Cの他にAα、Aβ、Aγ、Aδがありますが、B線維よりさらに高速な線維です)

茶色はいずれも求心性の副交感神経になりますが、この図では三叉神経、舌咽神経、迷走神経の3つが出ています。

脳幹の自律神経中枢
脳幹の自律神経中枢

画像出展:「人体の正常構造と機能」

左端がボケてしまっています。上から、

・心臓抑制中枢

・迷走神経背側核

・疑核

・血管運動中枢

・延髄腹外側野

と書かれています。

③脳神経の線維構成

縦軸は脳神経の種類で、上から“特殊感覚神経”、“体性運動神経”、“鰓弓神経”に分類され、横軸は遠心性(左)と求心性(右)の2つに分かれています。鰓弓神経に注目すると、1番下の副神経(Ⅺ)以外の各神経は遠心性と求心性の双方の機能を有していることが分かります。これを見ると、先にご紹介した“社会交流システム”の中央に書かれている脳神経と比較して頂くと、社会交流システムが関わる脳神経は、鰓弓神経(脳神経のⅤ、Ⅶ、Ⅸ、Ⅹ、Ⅺ)を指しているということが分かります。

脳神経の線維構成
脳神経の線維構成

画像出展:「人体の正常構造と機能」

左端がボケてしまっています。上から、

・特殊感覚神経

・体性運動神経

鰓弓神経

と書かれています。

ポリヴェーガル理論1

ポリヴェーガル理論”を知ったのは、ナチュラル心療内科竹林直紀院長の著書である『疲れた心の休ませ方』という本です。特に表紙の下に書かれていた、“「3つの自律神経」を整えてストレスフリーに!”という添え書きに興味を持ちました。

疲れた心の休ませ方
疲れた心の休ませ方

著者:竹林直紀

発行:2021年3月

出版:青春出版社

「はじめに」の中の“コミュニケーションにかかわる自律神経があった!”には、次のような説明がされていました。

『自律神経は大きく3種類に分けられる―。この新しい考え方は、精神生理学者のステファン・ポージェス博士によって提唱されました。

ポージェス博士は、アメリカのイリノイ大学で長年にわたり、自閉症児や社会的コミュニケーションに問題を抱える人々の研究をおこなってきました。そのなかで、自律神経の新しい考え方を発見し、1995年に「ポリヴェーガル理論」と題して論文を発表しました。

ポリヴェーガルとは、「poly(=複数の)」と「vagal(=迷走神経)」を組み合わせた造語で、「多重迷走神経」と翻訳されています。

ポリヴェーガル理論では、3つに分けた自律神経のうちのひとつを「社会的交流」の自律神経(社会神経系)とよびます。人と人とがつながり、関係性を構築していくとき、この「社会的交流」の自律神経が働いてその場に適した対応がとれるといわれています。』 

また、“SCENE1 ストレスに振り回されない「人との距離感」の保ち方”の中では、次のような紹介が出ていました。 

 『ポージェス博士は、著書「ポリヴェーガル理論入門」(花丘ちぐさ訳、春秋社)で、次のような趣旨のことを語っています。

心地よい社会生活や人間関係は、「健康」「成長」「回復」をうながす社会的交流の神経経路を使っておこなわれます。私たち人類の神経系は、「安心・安全」を探求しつづけ、「安心・安全だ」と感じるために、他者の存在を必要としているのです。

これを拝見し、「この、『ポリヴェーガル理論入門』を読んでみないと、よく分からないなぁ」と思い、購入してみました。

ポリヴェーガル理論入門
ポリヴェーガル理論入門

著者:ステファン・W・ポージェス(Stephen・W・Porges)

初版発行:2018年11月

出版:春秋社

“3つの自律神経”という考え方については、その科学的根拠に疑問もあるようです。これについては、後述させて頂きます。

しかしながら、最後の「謝辞」の中で、ポージェス先生がお話されているように、トラウマを抱えた人々に対する理論として、このポリヴェーガル理論は画期的なアプローチのように思います。

また、私のような施術者が患者さまと向き合うときの、「安心・安全」ということの意味や向き合い方など、その大切さを再認識することもできました。

謝辞(冒頭部分のみ)

『「ポリヴェーガル理論」は、1994年10月8日の私の研究所からヒントを得てつくられた(porges,1995)。その日私はアトランタで行われた心理生理学会で、学会長としてあいさつを述べた。そこで語ったモデルとそれに関連する理論が、ポリヴェーガル理論のもととなった。

そのときは、この理論が臨床家の注意を引くとは思っていなかった。私はこのモデルを、この学会で実験可能な仮説として発表したつもりでいた。私が予測していたとおり、このモデルはまず複数の分野において、査読付き論文数千件に引用された。つまり初めは予想通り、科学界で注目されたのである。

しかし、ポリヴェーガル理論がもたらしたもっとも大きな貢献は、この理論が、トラウマを体験した人が抱えていた状態について、神経生理学的な説明を行ったことであった。トラウマを抱えた人々に対し、ポリヴェーガル理論は、生命の危機に及んで、なぜ彼らの身体はかくのごとく反応し、その結果、レジリエンス[しなやかさ]、柔軟性、回復力を失い、「安全である」と感じられる状態に戻れなくなったのかを説明したのである。

先に、触れされて頂いた科学的根拠に関することですが、これはWikipediaに書かれていたものです。検索したところ“Polyvagal theory”に出ていました。(原文のままですみません)

Polyvagal theory

Criticism

Polyvagal theory has not, to date, been shown to explain any phenomena or experimental data above and beyond what is explained more precisely by attachment theory, research on emotional self-regulation, psychological stress models, the Neurovisceral Integration Model[23][24] and neuroimaging studies from the field of social neuroscience. Its appeal may lie in the fact that it provides a very simple (if inaccurate) neural/evolutionary backstory to already well-established psychiatric knowledge.

ブログは、患者さまと向き合う施術者として、「安全・安心」とは何かという視点を中心に置き、ポリヴェーガル理論の神経生理学的説明については、どっぷり浸かるのではなく、少し距離をとって拝読させて頂くこととしました。

その中で、特に印象に残った箇所を取り上げていますが(目次の黒字箇所)、そのほとんどは第1章と第2章からになります。また、長くなったので3つに分けました。

目次

序文

なぜこの本は対話形式で書かれているのか?

なぜ安全を求めるということに焦点を当てているのか?

第1章 「安全である」と感じることの神経生物学

●考えること・感じること:脳と身体について

●正当な科学的論題としての「感じること」に関する研究

●心理生理学研究と心拍変動

●心拍変動を調整する神経的作用機序

●心拍数を制御する迷走神経の計測方法の開発

●生理学的状態の計測と「刺激/反応モデル」の統合

●仲介変数の探求

●安全と生理学的状態

●「安全であること」の役割と、生き残るために必要な「安全である」という合図

●社会的交流と安全

●結論

第2章 ポリヴェーガル理論とトラウマの治療

●トラウマと神経系

●トラウマと神経系

●「ポリヴェーガル理論」と「迷走神経パラドクス」

●ふたたび自律神経系について

●ニューロセプション:意識せずに行う知覚

●PTSDを起こす引き金

●社会交流システムと愛着の役割

●自閉症とトラウマの共通点は何か?

●自閉症の治療

●LPP―リスニング・プロジェクト・プロトコル:理論と治療

●音楽はいかに親密性を促進する:「安全である」という合図

第3章 自己調整と社会交流システム

●心拍変動と自己調整:どう関係しているか?

●「ポリヴェーガル理論」を構成する原理

●安心を感じるためにどのような他者を利用しているのか

●私たちが世界に反応する方法に影響を与える三つのシステム

●迷走神経パラドクス

●迷走神経:運動経路と感覚経路の導管

●トラウマと社会的交流の関係

●いかにして音楽が迷走神経による調整を促す「合図」となるか

●社会交流の信号:迷走神経の自己調節と「合図がわからない状態」

●神経による調整を回復させる

●愛着理論は適応機能とどう関係するか?

●生理学的にもっと安全な病院を作ること

第4章 トラウマが脳、身体および行動に及ぼす影響

●「ポリヴェーガル理論」の原点

●「植物性迷走神経」と「機敏な迷走神経」

●複数の神経経路の群としての迷走神経

●迷走神経と心肺機能

●第六感と内受容感覚

●迷走神経緊張はいかに情動と関係しているか

●ヴェーガル・ブレーキ

●ニューロセプションはどのように機能するか:「脅かされた」と感じるか、「安全である」と感じるか

●ニューロセプション:脅威と安全への反応

●新奇な出来事:哺乳類と爬虫類の反応の違い

●神経エクササイズとしての「あそび」

●迷走神経と解雇

●単一試行学習

第5章 安全の合図、健康および「ポリヴェーガル理論」

●迷走神経と「ポリヴェーガル理論」

●心と身体のつながりがどのように病状に影響を与えるか

●トラウマ、そして信頼への裏切り

●ニューロセプションの働き

●不確実性と生物学的な必要要件としての絆

●「ポリヴェーガル理論」:トラウマと愛着

●なぜ歌うことと聴くことで落ち着くのか

●社会交流システム系を活性化させるエクササイズ

●今後のトラウマ治療

第6章 トラウマ・セラピーの今後 ポリヴェーガル的な視点から

第7章 心理療法に関するソマティックな視点

謝辞

序文

なぜこの本は対話形式で書かれているのか?

・数年にわたり、多くの臨床家から高度に専門的な内容を分かりやすい本にまとめることを求められてきた。

・インタビュー形式にすることにより、臨床応用のための情報に絞り、のびのびと肩ひじを張らない表現で本にまとめることができた。

・本書の巻末には、ポリヴェーガル理論を理解するための基本的な用語や考え方を解説する「用語解説」を付けた。

用語解説:愛着、あそび、安全、安全(治療的状況における)。韻律・プロソディ、ヴェーガル・ブレーキ(迷走神経ブレーキ)、歌う、遠心性神経、横隔膜下迷走神経、横隔膜上迷走神経、オキシトシン、解体、解離、疑核、聴く、擬死/シャットダウン、求心性神経、境界性パーソナリティ障碍、協働調整、系統発生学、系統発生学的に秩序づけられたヒエラルキー、交感神経、恒常性・ホメオスタシス、呼吸性洞性不整脈(RSA)、孤束核、サイバネティクス、自己調整、自閉症、社会交流システム、植物性迷走神経(「背側迷走神経複合体」)、自律神経系(既存の考え方)、自律神経系(「ポリヴェーガル理論」の視点における)、自律神経の状態、自律神経バランス、神経エクササイズ、神経的期待、身体運動、心拍変動、生物学的な必須要件、生物学的非礼、生理学的状態、単一試行学習、中耳筋、中耳の伝達関数、腸神経系、つながり、適応的な行動、闘争/逃走反応、特殊体腔内器官遠心性経路、内受容感覚、内臓運動神経、ニューロセプション、脳神経、背側迷走神経複合体、PTSD(心的外傷後ストレス障碍)、不安、副交感神経、味覚嫌悪、迷走神経、迷走神経の緊張状態、迷走神経の求心性線維、迷走神経パラドクス、ヨガと社会交流システム、抑うつ症、リスニング・プロジェクト・プロトコル(LPP)

なぜ安全を求めるということに焦点を当てているのか?

ポリヴェーガル理論によると、人間やその他の社会交流システムを持っている哺乳類は、顔と心臓が神経的につながっており、表情と声の調子で「安全かどうか」を確認したり投影したりする。この表情と声の調子は、自律神経の状態に伴って変化する。つまり、ポリヴェーガル理論では、私たちは相手がどのように見て、聞いて、声を出すかということで、その人に接近しても安全かどうかを判断すると考える。

社会交流システム
社会交流システム

画像出展:「ポリヴェーガル理論入門」

 『図1で示されているように、社会交流システムには身体運動要素と内臓運動要素が含まれている。身体運動要素には、顔と頭の横紋筋を制御する内臓からの特殊体腔内器官遠心性経路(脳管内の運動核[疑核、顔面神経、三叉神経]から生じており、社会交流システムの身体運動要素を形成している)がある。

内臓運動要素には、心臓と気管を制御している有髄の横隔膜上の迷走神経がある。機能的には、顔と頭の筋肉と心臓のつながりから社会交流システムが生じる。社会交流システムは、誕生直後では、吸う、飲む、呼吸する、声を出すといった行動を調整している。誕生後早期に、この調整がうまく取れない場合、成長後、社会的行動や感情の制御が難しくなることが示唆される。』

ポリヴェーガル理論では、「安全でない」と感じることによって、精神的、肉体的に疾病を引き起こす生理行動学的な特徴が形成される。

我々が「安全である」と感じることの必要性が広く理解されることで、社会的、教育的、臨床的な戦略が、お互いの安全のために、進んで他者を受け入れて、互いに協働調整を図ることを勧める方向に、大きく変わっていくことを望んでいる。

血圧と運動

久しぶりに『月刊 スポーツメディスン』を購入しました。それは特集が「血圧と運動」という興味深いものだったためです。

ブログは早稲田大学スポーツ科学学術院 スポーツ生理学 前田清司先生の“血圧とは何か-なぜ高血圧が問題なのか-”からです。

スポーツメディスン2022年1月号
スポーツメディスン2022年1月号

発行:2022年1月

出版:ブックハウス・エッチディ

1.運動と血圧の関係

●男性約3000名を対象に5年間にわたり、体力(体力の指標は最大酸素摂取量)と血圧の関係を研究した。体力別に分けた5つのグループでは、最も体力の低いグループは、最も高いグループに比べ約1.9倍高血圧症になりやすいことが明らかになった。

●35~60歳の男性を対象にした血圧と歩行時間の研究では、1日の歩行時間が10分以下の人は、20分以上の人に比べ1.4倍高血圧症になりやすいことが明らかになった。

●7年以上にわたってランニング距離と血圧の関係を調べた研究では、ランニング距離が長いほど高血圧の発症リスクが軽減されるという報告がある。

●高血圧症患者に治療の一環として運動療法が用いられており、運動習慣は高血圧を改善する効果がある。

2.動脈硬化と運動の関係

●動脈硬化度は脈波伝播速度などで評価するが、習慣的および一過性の有酸素運動は動脈硬化度を低下させる。

3.柔軟性と血圧の関係

●長座位体前屈を指標とした柔軟性において、高齢者では柔軟性が高いほど血圧が低いという結果が得られた。

●身体の柔軟性を高めるストレッチングは高血圧の予防・改善の効果を持つ可能性がある。

●動脈硬化度について、中高齢者では柔軟性が高いほど動脈硬化度が低いという結果が得られている。

4.推奨される有酸素性運動

高血圧の予防・改善に推奨される運動
高血圧の予防・改善に推奨される運動

画像出展:「スポーツメディスンNo237」

『運動時間や頻度は、できるだけ毎日、30分以上を目標とすることが重要です。たとえば10分の運動でも、合計して30分以上であれば効果的であるということもわかっているので、細切れでも運動することが大事です。

運動強度については、低強度から中等強度では血圧上昇はわずかですが、高強度の運動では血圧上昇が顕著であるため、「ややきつい」と感じる程度の中等強度の運動(心拍数が100~120拍/分、最大酸素摂取量の約50%)がよいと思います。高強度インターバルトレーニングは短時間で効果が得られ、糖尿病患者に対する改善も示されていますが、高血圧患者に対しては血圧上昇に十分な注意が必要です。

高血圧患者では主治医の指導のもとで治療を行っていくことになりますので、この記事などの情報を得て、自分で判断して運動を始めるのではなく、主治医の指導に従うことが大切です。

また、運動習慣のない方が急に運動を始めると、身体に与える負荷が非常に大きいので、まずは生活の中で掃除をしたり買い物をしたり、子どもと遊ぶなど、身体活動を増やすことから始めるとよいでしょう。あとはそれぞれのライフスタイルに合わせて運動を取り入れていくとよいです。 

最初は合計15分の運動をやってみるとか、運動を朝と夕方に分けてやってみるとか、無理をしないことが大切です。』

5.高血圧パラドックス

●高血圧パラドックスとは、薬など治療法は明らかになっているにも関わらず高血圧治療が進まないことである。

感想

先週のブログ「“年齢+90”という考え方」は、松本光正先生の『やっぱり高血圧はほっとくのが一番』で勉強したことを書いているのですが、”今が最良の血圧”というお話をされています。

これは、人は生きていくためにはすべての臓器や組織に酸素や栄養素、生理活性物質などを運ぶ必要がある。若者の血管は軟らかく、力の弱いポンプ(低い血圧)でも血液を全身に送り届けることができるが、太ったり、加齢で血管が硬くなったり、血液がドロドロしていたりすると、力の強いポンプ(高い血圧)を使わないと血液を全身に送り届けることは難しい。そして、これらの調整は生きていくために備わっている能力(自然治癒力)が、ポンプの強弱(血圧)を最適になるように自動的に調整してくれている、というものでした。

このことは安易に薬に頼るのではなく、食事、運動、睡眠などの生活習慣の改善に取り組み、原因を根本的に取り除いていけば、血圧は自然と少しずつ下がっていってくれるということです。

“高血圧パラドックス”の一番の問題点は、体が持つ自然治癒力のメカニズムや加齢という現象を軽視し、さらに生活習慣を見直すことを省略して、安易に薬に頼ってしまっていることが原因ではないかと思いました。

循環器系の構成と血流分布
循環器系の構成と血流分布

画像出展:「人体の正常構造と機能」

この図をみても、重力に逆らって血液を全身に循環させる仕事は簡単ではないと思います。

なお、これは安静時の状態です。下の方に”骨格筋16%”とありますが、骨格筋を激しく使う運動を行うと、この数値は跳ね上がり、相対的に内臓などの血液分泌比率は下がります。

 

 

 

体循環の各部位における血圧
体循環の各部位における血圧

画像出展:「人体の正常構造と機能」

細い血管、硬い血管、ドロドロした血液を送り出すには強いパワー(高血圧)が必要になってきます。

 

ご参考:”降圧剤で脳梗塞に?血圧を下げるなら下半身の運動も忘れないで

こちらは荒牧内科 荒牧竜太郎院長が寄稿された、”Medicallook”さまの記事です。一部、ご紹介させて頂きます。

『高血圧を治すために降圧剤が投与されるのですが、患者や医師の意に反して「脳梗塞」を引き起こすこともあるのです。動脈硬化で先の細くなった血管に血栓が流れ込んでも、血圧が高ければ血栓を押し流してくれます。しかし、降圧剤で血圧が下がっていると、血栓に圧力がかかりません。そのせいで血管に血栓が詰まりやすくなります。すると、脳梗塞も起こりやすくなります。

『血圧を下げる効果のあるプロスタグランジンというホルモンは、上半身の運動より下半身の運動でより多く分泌されます。ウオーキング、ももあげ、スクワットなど下半身の運動を行ってください。

※注意:ベンチプレス・筋トレ・全力疾走など、”瞬間的に力を入れるような運動(無酸素運動)”はかえって血圧を上昇させるので注意してください。

 

“年齢+90”という考え方

当院では血圧と脈拍を施術前後に計測しています。

先日、血圧が高めの患者さまが来院されました。収縮期血圧が160台だったので、「ちょっと高めですね」とお声をかけたところ、「友人の医師も言っているが、50、60歳で120台(収縮期血圧)なんて無理な話。年齢+90でも特に問題ないし、薬もまだ要らないと思っている」とのお話でした。

以前、青木久三先生の『減塩なしで血圧は下がる(ブログは“塩と高血圧”)石川太朗先生の『降圧薬の真実(ブログは“降圧薬”)を拝読しており、私自身も“年齢+90”は問題ないと思っていたので、このお話に特に違和感はなかったのですが、何か新しい情報はないか調べてみることにしました。

上の血圧は「年齢+90」くらいが適切|健康診断の古い基準に従う必要はない

このYAHOOニュースに掲載されていた記事は、満尾正先生によるものです。残念ながら先生の著書の多くは食事療法に関するものだったため、もう少し調べてみると、同様なお考えをもった松本光正先生が血圧に関する数多くの本を出版されていることが分かりました。そして、その中から『やっぱり高血圧はほっとくのが一番』という本を選びました。

やっぱり高血圧はほっとくのが一番
やっぱり高血圧はほっとくのが一番

著者:松本光正

初版発行:2019年5月

出版:講談社

本文に入る直前に次のことが書かれていました。

本書は高血圧と診断された後にもなるべく服薬に頼らないようにするため、まずは食事療法や運動療法による生活習慣の是正を試みている方むけに書かれたものです。何らかの事情で厳格な血圧のコントロールを必要とされている人には適さない内容も含まれています。もし身体にいつもと違う変化があったら、必ずかかりつけ医に相談してください。』

目次は以下の通りですが、ブログで取り上げたのは黒字の箇所です。特に「第5章 君子医者に近寄らず」の最後、“良い医師、悪い医師、普通の医師”は、松本先生が読者に伝えたいことを集約させた文章のように感じました。

第1章 受診の95%は不要

●医者に来る必要がありますか?

●不要な受診をしてしまう4つの原因

●自然治癒力があるから受信しなくても大丈夫

●自然治癒力が持つ3つのはたらき

●あなたの身体はいつでも「今が最良」

●症状は身体が「今が最高」と示すサイン

●急性病は病ではない

●身体に起きていることで無意味なことは一つもない

第2章 やっぱり高血圧はほっとくのが一番

●高血圧は放っておいても大丈夫

●血圧にも2つの「今が最高」がある

●最適な血圧の目安は「年齢+90」

●ライオンの血圧は110、キリンの血圧は280

●高血圧治療に潜んだカラクリ

●本当の血圧は一日の中で最も低いときの血圧

●血圧は低い方が心配

●血圧に関するよくある質問

第3章 クスリはリスク

●降圧剤の弊害

●人間は機械ではない

●原因があって結果があるので、薬を飲んでも解決できない

●あなたの身体は世界にただ一つのオーダーメイド

●薬を飲むリスク

●さまざまな疾患の薬による弊害

●医師がそれでも薬を出す理由

●薬に関するよくある質問

第4章 薬を飲まずに健康を保つ方法

●血圧が高いと言われたら、まず実践したい4つのこと

●心が身体に及ぼすさまざまな影響

●心の健康を保つ4つの方法

●心を鍛え続けてきた私自身の病との向き合い方

第5章 君子医者に近寄らず

●医者にはどんなときに行くべきか

●無医村ほど長生き

●健康な人を患者に変える健康診断

●医師を妄信しない

●良い医師、悪い医師、普通の医師

おわりに

第2章 やっぱり高血圧はほっとくのが一番

最適な血圧の目安は「年齢+90」

あなたの血圧は自然治癒力のおかげで、今のあなたにとって最適な値になるようにつねに自動的にコントロールされています。そうはいっても気になるのが最適とされる血圧値の目安ではないでしょうか。

健康を保つために最適な血圧の目安としては、経験的に年齢+90という数値が使われており、私もこの数値を目安にしてよいと考えています。

一方でこれは古い考え方だと否定する医師も沢山います。しかし、私はこの数値はけっして古いとは思いません。むしろ、立ち上がった中型の哺乳動物である我々人間にとって、この値は非常によくできた数値だと考えます。年齢とともに変化し、上昇する血圧をわかりやすく表しているからです。

この数値を否定する医師は人の血圧が年齢ととともに上昇するということが受け入れられない、あるいはわからない医師なのでしょう。年齢とともに血圧を上げることで命を守っているということが理解できず、年をとっても若者と同じ数値がよいと思い込んでいるのです。高齢者の血圧が若い人の血圧を基準に語られている現状、これこそが問題です。

若い人の血管はしなやかです。動脈硬化も狭窄もありません。だから低いのです。その低い血圧でも地球という惑星に存在する重力に逆らって血液を心臓から脳へと送ることができるからです。

しかし高齢になると血管のしなやかさは失われ、血管に狭窄が起こります。こういう血管の状態では130の血圧では脳まで血液を送ることができません。脳に血液を送らないと死んでしまうので、身体は命を守るために150、160、200と血圧を上げていきます。命を守るために自然治癒力がはたらいているのです。必要だから血圧は上がるのです。

「高血圧治療ガイドライン2014電子版」によると、若年、中年、前期高齢者患者の診察室血圧における降圧目標は140/90とされています。

75歳以上の後期高齢者患者の降圧目標を見てみると、150/90ですが、降圧によって有害な影響が見られないならば、という条件付きではありますが、75歳未満の人たちと同じ140/90が目標とされています。

2019年4月にこのガイドラインが改訂されました。新しいガイドラインでは75歳未満の人の降圧目標は130/80未満へ、75歳以上の人は140/90未満にそれぞれ引き下げられました。従来よりも厳しい血圧コントロールが求められるようになりましたが、こうした基準を一律に高齢者にも当てはめるところに問題があります。これが間違っていることは誰の目にも明らかでしょう。

だから私は何度も繰り返し言います。年齢+90は非常に合理的で科学的な数値です。』 

第3章 クスリはリスク

医師がそれでも薬を出す理由

過剰医療、過剰診療は医師の防衛反応

『風邪を風邪だときちんと診断し「風邪なので薬は出しません。寝て安静にしてください」という一言は、医師にとってとても重く勇気がいる一言です。これが言える医師は素晴らしい人です。たまにですがそういう医師の噂を耳にします。

ではなぜ、薬(化学薬品)は悪い、効果がないと思う医師さえもが薬を処方するのでしょうか。それは、そうしないと患者さんに何かあったときが怖いからです。何かというのは、それが風邪でなくほかの重大な疾患だった場合や、さらにそれが訴訟に発展したときです。

そうならないためには薬を出して、「私はガイドラインに従い、世間の医師の常識通りの診療をし、薬を処方しました」と言えるよう防衛線を張る必要があるのです。だから、薬は効かないし、むしろ毒だときちんと理解している医師でさえ薬を出すし、必要でもない検査をするのです。これらはみんな防衛反応です。医師も自分の身がかわいいのです。その結果、過剰医療、過剰診療がおこなわれているのです。』 

第5章 君子医者に近寄らず

良い医師、悪い医師、普通の医師

普通の医師

『世の中には沢山の医師がいます。悪い医師ばかりではありません。また良い医師ばかりでもありません。ほとんどが普通の医師でしょう。

普通の医師とはどういう医師かというと、世間一般のどの医師もやっていることを何の疑いもなくおこなっている医師でしょう。

風邪の患者さんが来たら風邪薬や抗生物質を処方します。インフルエンザの患者が来たら抗インフルエンザ薬のタミフル(オセルタミビル)を出し、新薬のゾフルーザ(バロキサビルマルボキシル)の発売が開始されるとすぐさま手を出します。予防注射は効くと思っているから患者さんに勧めます。

下痢の患者さんに下痢止め、吐いていれば吐き気止め、血圧が高ければ血圧の薬を出します。コレステロールが高ければコレステロールの薬を、血糖値が高ければ糖尿病だと思ってすぐに薬を出し、少し血糖値が高いだけなのにインスリン注射を平気で勧めます。

認知症の薬は効くと信じています。疑うなどという気はまったく持ち合わせていません。その薬が世界では使われていないなどとは夢にも思いません。だから平気で使います。

普通の医師は、こうして馬に食わせるほどという表現がぴったりなくらい多くの薬を処方します。患者さんに薬を出してあげるのは親切だと信じているのです。

早期発見・早期治療が最善だと思っているから健康診断が好きで、がんであれば手術を勧めるし、躊躇なく抗がん剤も投与します。こういう医師が普通の医師です。

人はいいのです。優しい心を持っています。人格者と慕われている人もいます。でも普通の医師なのです。

けっして不勉強ではありません。医学をよく勉強しています。知識も豊富です。しかし、その知識は普通の知識です。その普通の知識をそのまま何の疑いもなく取り入れているのです。取り入れているだけで深く考えないのです。考えないから、世間一般におこなわれている医療行為を疑うことなく実施しているのです。これでは患者さんはたまりません。

有名大学の医学部を首席で卒業しても普通の医師は普通の医師です。

医師はつねにこれでいいのか、自分の知識は正しいのかを自問自答し、考え続けなくてはなりません。考えないから普通の医師なのです。

この本の初版は2021年5月なので、原稿は3年前位ではないかと想像します。一方、認知症の薬は最近時々話に聞くので、少し調べてみました。

下記は和歌山県立医科大学附属病院 認知症疾患医療センターさまのサイトです。

和歌山県立医科大学附属病院 認知症疾患医療センター
和歌山県立医科大学附属病院 認知症疾患医療センター

認知症のお薬について 「薬はどのくらい効きますか?」

 『残念ながら現在使用されている薬には、根本的に認知症の進行を止める働きはなく、飲んでいても最終的には認知症は進行します。また記憶障害や行動障害を劇的に改善させるほどの効果も期待できません。しかし脳で生き残っている神経細胞を活性化させ、覚えたり考えたりする働きをある程度保つ可能性があります。また、日常生活に活気が出たり、イライラや不安を少なくすることによって生活の質を上げる効果も期待できます。』

こちらは国立研究開発法人日本医療研究開発機構さまのサイトです。(こちらは薬の話ではありません)

日本医療研究開発機構
日本医療研究開発機構

アルツハイマー病に対する光認知症療法の開発に向けて

 凝集Aβに対する光酸素化法の新規AD根本治療戦略としての可能性を示した点で大変意義のある成果です。また光酸素化触媒はアミロイドに共通の立体構造に対して反応し活性化することから、パーキンソン病や筋萎縮性側索硬化症などの、AD以外のアミロイド形成・蓄積を原因とする多くの神経変性疾患に対しても有用である可能性が期待されます。

悪い医師

『悪い医師も世の中には沢山います。残念ですがこれは事実です。

“医は仁術”[「医は人命を救う博愛の道である」ことを意味する格言]ではなく、医は算術だと心得ているのです。だから儲かればいいのです。

インフルエンザワクチンが効かないことは知っていますが、儲かるから打ちます。点滴など必要でないことは十分承知していますが、やれば儲かるのですぐに点滴しましょうと言います。

血液検査も1項目か2項目実施すれば十分なのに、10項目でも20項目でも調べます。項目数が多いほど儲かるからです。半年に1回血液検査すればいいものを患者さんが来院するたびに血液をとります。

レントゲン写真など撮らなくていいことを知っているし、放射線は人に危険なことも知っていますが、平気でレントゲンを撮るように指示します。

3カ月か4カ月に1回診察すれば十分なのに、平気で2週間後、1カ月後に来院するように言って再診料を稼ごうとします。

要するに、どれが科学的根拠のある医療なのか知っているのに算術が先にはたらいてしまう医師です。

ところが、このような病医院が患者さんで賑わっているのです。患者さんは、薬を多くもらえれば嬉しいし、検査を沢山してくれれば嬉しいし、レントゲンを撮られて放射線を浴びてもレントゲンを撮って頂きましたと喜んでいるのです。悪い医師を育てているのは患者さんなのです。

何度も申し上げてきましたが、医師の「下げたがり病」が流行っています。これは自分の考えだけが正しいとし、それを患者さんに押しつける医師です。血圧は下げたほうがいい。HbA1cは下げたほうがいい。コレステロールも下げたほうがいいなどの考えを押しつける医師です。

がんの治療には手術をするのが当たり前で、抗がん剤を使用するのも、放射線治療をおこなうのも当たり前ととらえており、それを強要する医師です。

「がんを放置するなどとんでもない。そんな奴は来るな」という医師の言葉に傷つき、泣きながら私の外来に来た患者さんが何人もいます。医師の考えの押し付けにあってがんの手術をしたばかりに、抗がん剤による薬物治療を受けようとしたばかりに、苦しんで苦しんで、しかもあっという間に亡くなった人を沢山診てきました。

そのたびに思います。本当に医師が悪いと……。

血圧も同じです。本当に医師が悪いのです。「下げたがり病」の医師が一番悪いのです。』

良い医師

良い医師は人間が生物の一種だときちんととらえています。

そして良い医師は考えます。その医療行為は人間という生物にとって正しいのだろうか、と。まず真っ先にこのことを考えます。そして、最終的にその治療はその患者さんにとって最適な科学的な治療なのかということをつねに考えます。

このように考えるから風邪薬も血圧の薬もみんないらないと気づき、処方しません。検査も最低限の項目で、最低限の回数でおこなうように努力します。不必要なレントゲン検査もしません。

人間という生物をよく心得ていますから、人間という生物の加齢現象のこともきちんとわかっています。不可逆的な変化を起こしている高齢者に若者と同じような薬は投与しませんし、検査もしません。

このように高齢者には高齢者に合った治療があることを十分にわかっているのが良い医師の条件でしょう。患者さんの気持ちも大切にしますが、患者さんにとって悪いことはきちんと説明して、納得してくれるように努力します。

心と身体の関係を熟知した医療をおこなっています。薬を出す前に心が疾病に関与していないかどうかや、運動、食事といったほかの生活の改善ができないかを優先します。

薬による治療は最後の手段と考え、儲かるからとか、ほかの医師もおこなっているからといったことを基準にしません。

そして、落ち込んでいる患者さんを励まします。顔色が少々青くても「グリーンピースは青いほうがいいよ」と言い、足がむくんでいるなら「大根だってみずみずしくていいよ」と励まします。けっしてマイナスの言葉を患者さんに向けることはありません。プラス思考で明るく朗らかに接します。

患者さんに何かを尋ねられたら、ていねいに説明します。けっして怒鳴ったり、不愉快な顔をしたりしません。もちろん医学知識も豊富です。手術も手技も驚くほど上手です。』

ご参考1加齢による頻尿

最近、夜間頻尿が気になり病院に行こうかなと思っていました。必ずしも加齢が原因とは言い切れないので、一度は血液検査や尿検査をすべきですが、検査の結果、加齢が原因となった場合、どんな薬を飲むことになるのか調べてみました。

すると夜間頻尿の一般的な薬は”抗コリン剤”や”β3作動薬”と呼ばれているもので、アセチルコリンやノルアドレナリンといった神経伝達物質を通じて、自律神経系に働きかけるタイプの薬でした。「夜間頻尿のためにこれはやりすぎなんじゃない?なんか飲みたくないなぁ」というのが第一印象でした。「やっぱり漢方の方がいいのでは」と思い、漢方内科も持たれている個人病院を見つけました。

一方、今回の松本先生の本では、第3章の中の“さまざまな疾患の薬による弊害”の一つに“泌尿器系”について書かれているページがありました。

下記はその中の一部です。

『なぜ夜間の頻尿が加齢現象なのかを説明しましょう。あなたが子供だった頃を思い出していただくといいかもしれません。子供の頃は、夜に疲れてバタンキューと寝たら、12時間でも尿意を感じないまま眠り続けていられましたよね。これは、夜中に尿が作られないように、そのためのホルモンが分泌されていたからなのです。

ところが高齢になると夜間の頻尿を抑えるホルモンが出なくなります。そのため夜に何回もトイレに起きるのです。

繰り返し何度でも申し上げます。加齢による身体の変化は現代の医療ではどうしようもないのです。年をとることには誰も勝てないのです。白髪を若かった頃と同じように黒く戻せないのと同じです。ここのところをしっかり頭に入れてください。』

これを読んで思いました。加齢による夜間頻尿の問題は起きることではなく、起きた後になかなか寝付かれないことではないか。そうだとすれば、自分の場合は問題ないなという結論です。やるとすれば、まずは筋トレなどの運動だろうと思います。

松本先生の「加齢による身体の変化は現代の医療ではどうしようもないのです。年をとることには誰も勝てないのです」というご指摘はとても重要だと思いましたそして、「病か加齢か」、後者だとすれば、薬に頼ることは最後の手段と心得、運動、睡眠、食事を見直すということから考えるべきだと思いました。

Only One Massage

RA系阻害薬は腎保護に効果的な降圧薬ですが、CKD患者さんでは服用による腎機能の悪化を招くおそれがあり注意が必要。

麻布竹谷町と三田小山町

三田小山町(現・三田一丁目)で生まれた母親は2歳になる前に引っ越し、小学校教諭になる前の約20年を麻布竹谷町(現・南麻布一丁目)で暮らしました。仙台坂を下って麻布十番によく行っていたということを、懐かしそうに、そしてやや自慢げに話していました。

麻布といえば各国の大使館がひしめく高級住宅街で、埼玉一筋の私からは縁遠い高嶺の花です。以前から「なんで? いつから麻布?」という疑問を持っていたのですが、今回、母方の戸籍を調べてみることにしました。

一方、麻布を詳しく知るために購入した本が『麻布十番 街角物語』です。著者の辻堂真理[マサトシ]先生は、ご自分を「昭和四十年代に幼少期を過ごした十番小僧」と呼んでいます。この本の“第六章 消えた風景の記憶”の中に、“麻布竹谷町の今昔”と題するパートがあるのですが、麻布竹谷町に加え、三田小山町についても紹介されていたのには驚きました。

ブログの題名を「麻布竹谷町と三田小山町」としたのは、『変わらない磁場のようなものを二つの町からは強く感じるのです。』という、辻堂先生のお話が印象に残ったためです。 

麻布十番街角物語
麻布十番街角物語

著者:辻堂真理

発行:2019年8月

出版:言視社

竹谷町にも小山町にも、私が十番小僧だった昭和四十年代にこれらの町が照射していた「オーラ」のようなものが、いまも残っているからではないか、とも考えるのです。

バブル期を境に麻布十番という街が変容してしまったことはすでに述べましたが、そのなかで竹谷町と小山町の西地区は大規模な再開発計画から逃れた稀有なエリアということができます。もちろん個々の建物は新しくなり、マンションの数が増えたことも確かだけれども、それでも変わらない磁場のようなものを二つの町からは強く感じるのです。

辻堂先生の『麻布十番 街角物語』に関しては、“麻布の歴史”、“麻布十番”、“麻布竹谷町”、“高見順”、“東町小学校”という5つの題名に分類させて頂きました。その後に、私事になりますが調べて分かったことを追記しました。

麻布の歴史

●江戸市街の整備は天正十八年(1590年)に徳川家康が江戸に入府してから。寛永十二年(1635年)には参勤交代が制度化され、諸藩の屋敷が江戸市中に林立した。この頃から麻布の台地にも武家屋敷が建ちはじめた。

明暦三年(1657年)一月十八日に、死者数万人におよぶ「明暦の大火が発生。この大火がきっかけとなり、幕府は江戸市街に密集していた武家地や寺社地を郊外に移す施策を打ち出した。このような経緯により、それまで田畑と原野だった麻布の台地に武家屋敷の建設ラッシュが始まった。麻布十番は江戸城まで5~6km、徒歩で1時間程度であり、徳川に仕える武家たちにとって好適地だった。

延宝年間(1673~1681年)には、善福寺門前の雑式集落より東のエリアも武家屋敷となり人口は増えていった。

●麻布エリアが正式に江戸市中に組み入れられたのは、正徳三年(1713年)にまず百姓屋敷が、次いで延享二年(1745年)には善福寺門前の町屋がそれぞれ町奉行の支配下となり、江戸八百八町の仲間入りを果たした。

東都麻布山善福寺境内之図
東都麻布山善福寺境内之図

画像出展:「江戸の外国公使館」

渓斎英泉(江戸時代後期に活躍した浮世絵師)の版画です。時代は文政-天保年間(1818-1844)となっています。

 

幕末の善福寺
幕末の善福寺

画像出展:「江戸の外国公使館」

幕末の善福寺です。

 

文政十年(1827年)の資料を見ると、麻布エリアは59人の旗本とその関係者が居住しており、芝や愛宕に次ぐ武家屋敷町であった。

「分間江戸大地図」文政11年(1828年)
「分間江戸大地図」文政11年(1828年)

画像出展:「分間江戸大地図」文政11年(1828年)

この古地図は文政11年ということなので、本書にある、「文政十年」の翌年ということになります水色古川です。地図を拡大して頂くと、中央やや右、古川が直角に曲がっている箇所の左側に現在の“麻布十番駅”があります。駅の下方には“善福寺”があり“センダイ坂”を挟んで“松平陸奥”の大名屋敷となっています。この松平陸奥と書かれた場所がおおむね麻布竹谷町になります。

 

●日米修好通商条約が締結された安政五年(1858年)の翌年、日本初のアメリカ公使館が麻布山善福寺に置かれた。そして初代アメリカ公使のタウンゼント・ハリスや通訳のヒュースケンをはじめ、二十人ほどのアメリカ人が滞留することとなった。 

ハリス(左)とヒュースケン(右)
ハリス(左)とヒュースケン(右)

画像出展:「江戸の外国公使館」

左がハリス、右がヒュースケンです。

 

ガウン姿のハリス
ガウン姿のハリス

画像出展:「江戸の外国公使館」

左下の番号が“75”なので、この写真は“ガウン姿のハリス”になります。

 

幕府からの書簡
幕府からの書簡

画像出展:「江戸の外国公使館」

上が”善福寺をアメリカ公使の旅館に指定する書簡”、下は”アメリカ使節の上陸を伝える書簡”です。

 

文久2年(1862年)の古地図(麻布)
文久2年(1862年)の古地図(麻布)

画像出展:「御府内場末往還其外沿革図書」

こちらは文久2年(1862年)の古地図です。1858年の“日米修好通商条約”締結の4年後になります。緑色(土手・百姓地)に囲まれた水色古川です。また、オレンジ色“宮・寺”で中央の大きなエリアが“善福寺”です。白色は“武家地”ですが非常に多いことが分かります。

 

 

明治維新を迎え、武家中心の町であった麻布十番の商店街は一時の賑わいを失った。

その後、栄えるきっかけとなったのは明治六年(1873年)、麻布十番からほど近い芝赤羽の旧久留米藩有馬家の上屋敷跡(現在の国際医療福祉大学三田病院、済生会中央病院、三田国際ビル、都立三田高校、港区立赤羽小学校などを含む二万五千坪に及ぶ広大な場所)に、工部省の赤羽製作所(官営の機械製作工場、後の海軍造兵廠)が開設されたことである。 

有馬玄蕃の上屋敷(文政11年)
有馬玄蕃の上屋敷(文政11年)

画像出展:「分間江戸大地図」文政11年(1828年)

こちらは最初の古地図(文政11年)のほぼ中央部分を拡大したものです。現赤羽橋駅の古川に沿って大きなエリアを占めているのが“有馬玄蕃”の上屋敷です。そして、有馬家の上屋敷の左側に隣接するのが三田小山町になります。

 

 

 

有馬様の屋敷(左)
有馬様の屋敷(左)

画像出展:「江戸の外国公使館」

写真の左側が有馬家の上屋敷の塀とのことです。方角が不明確ですが、上図(文政11年)から考えると、左が有馬家なので右は松平家(松平隠岐)の上屋敷ではないかと思います。

 

 

 

 

有馬様の屋敷(左)
有馬様の屋敷(左)

画像出展:「市原正秀[明治東京全図]」

こちらは明治9年(1876年)の地図です。上部に古川が書かれています(左から小さく“中ノ橋”、“赤羽橋”とあるのでこれが川だということが分かります)。これを見ると、有馬家の上屋敷の跡地に工部省の赤羽製作所(この地図には“製作寮”となっています)があったことが確認できます。

 

 

 

 

 

その後、明治八年(1875年)には、赤羽製作所の西側に三田製糸所が開業。明治十二年には三田製作所(芝五丁目)、明治二十年に東京製綱株式会社(南麻布三丁目)、明治三十二年に日本電気(芝五丁目)といった大企業が次々に設立された。さらに、日露戦争[1904-1905]後には古川沿いにも工場が林立し、十番街商店街は工場労働者の日用品や食料品の供給基地として、再び活況を呈するようになった。

古川と中ノ橋付近
古川と中ノ橋付近

画像出展:「江戸の外国公使館」

“古川と中ノ橋付近”となっているので、場所は三田ではなく麻布十番寄りです。また、ベアト撮影と書かれており時代は幕末だと思います。 

 

●麻布の台地部では、明治二十年代の後半あたりから武家地の区画整理が急速に進んだ。特に西町(現在の元麻布二丁目)あたりを中心に、政治家や実業家の大きな邸宅が建ち並ぶようになり、明治の後期には皇族や華族、政府の高級官吏などが住む都内屈指の高級住宅街となった。

古川沿いの低地に開けた繁華な商店街と、台地上から商店街を眺める高級住宅街―麻布十番の特徴的なコントラストは、明治期から大正期を通じて完成され、そのまま昭和という激動の時代へと突き進んだ。

麻布十番

●昭和はじめ頃の麻布十番の名物は「露店」だった。稲垣利吉先生の「十番わがふるさと」には次のように紹介されている。

『「当時の十番は今の一丁目から三丁目にかけて二百余軒の店舗が並び、夜ともなると露店が五十軒位出店した。露店といっても毎晩同じ人が同じ場所に店を出す人が多く、今の追分食堂(麻布十番二-五あたり)前や吉野湯(麻布十番一-十一あたり)の横町などには風呂帰りの人を相手の飲食店の屋台が並んだ」ということです。』 

麻布十番大通り
麻布十番大通り

画像出展:「増補 写された港区 三」

昭和8年に撮影された、“十番大通り”です。 

 

また、幼少期から二十年間を麻布竹谷町(現・南麻布一丁目1~4、9~26、27番の一部、三丁目3番)で暮らした高見順先生も、短編小説の「山の手の子」の中で露店について次のようにふれている。

『「夜店も私には楽しいものだった。アセチレンのにおいがなつかしく思い出される。縁日の夜店へは、私は子供の頃、母に連れられてよく行った。(中略)麻布十番通りの夜店―そこへ行くのに母は、おまいりに行きましょうと言うのが常だったが、ほんとは気晴らしに出かけたのにちがいない。安い、小さな鉢植えの植物を買うのが、母の、そして私の楽しみだった」と記しています。』 

●麻布十番という名称が正式に地名となったのは昭和三十七年(1962年)のことで、それまでは麻布宮下町、麻布網代町、麻布坂下町、麻布山元町などに細分化されていた。 

麻布十番の夜店
麻布十番の夜店

画像出展:「増補 写された港区 三」

こちらは昭和12年に撮影された、“麻布十番の夜店”です。

 

麻布竹谷町

竹谷町は麻布村の一部で、明暦年間(1655~1658年)に仙台藩伊達氏の下屋敷となった。

●麻布十番から仙台坂を上り、麻布山入口信号の先を左折して150メートルほど行くと、左側に港区シルバー人材センターのビル(南麻布1-5-26)がある。この辺りが旧麻布竹谷町になるが、江戸中期までは伊達家下屋敷の敷地内の一部で、享保八年(1723年)以降は禄の低い旗本のお屋敷地だったようである。

●明治五年(1872年)に武家地を合併して麻布竹谷町になった。仙台坂は町の北辺の長い坂である。仙台坂の由来は坂の南に仙台藩の広大な下屋敷があったためである。

●仙台坂は二之橋の交差点を起点に西の方向(西麻布方向)へ、およそ500メートルつづく急勾配の長い坂。坂上の台地(元麻布)と坂下の低地(麻布十番)を結ぶ主要路であり、麻布十番と南麻布を分ける境界線にもなっている。 

仙台坂(文久二年)
仙台坂(文久二年)

画像出展:「御府内場末往還其外沿革図書」

こちらは先にご紹介した文久2年(1862年)の古地図の中央付近を拡大したものです。オレンジ色“宮・寺”、白色は“武家地”、灰色“町屋”緑色“土手・百姓地”、クリーム色“道”です。ほぼ中央の道が“仙台坂”です。

 

 

仙台坂(令和三年)
仙台坂(令和三年)

地下鉄日比谷線 広尾駅で降りて、有栖川公園を越え少し歩いていると”仙台坂”の交差点にきます。右前方が”旧 松平陸奥守下屋敷坂(上図)”です。

また、この仙台坂を下った左側に善福寺があり、その前方左側が”麻布十番”になります。

●昭和二十年(1945年)五月、夷弾の爆撃により一面焼け野原と化し、それまであった家並みは激変したが、町の地勢はそれほど変わらない。 

焼野原の麻布十番
焼野原の麻布十番

画像出展:「麻布十番 街角物語」

焼け野原の麻布十番。

 

 

本書の著者である辻堂先生は、昔の竹谷町を見つけました。

『土地の高低差を手がかりに崖を目指して西の方向へ進んでいくと、いやはやマンションが目の前に立ちはだかって、崖下の風景は見る影もありません。昭和四十年代までは高層建築は珍しく、ほとんどが平屋か二階建ての家屋ばかりだったので、屋根越しに崖肌を見ることができたのに……と、さらに歩を進めてみると、見えました!マンションのほんのわずかな隙間から、五十年前と変わらぬ姿で崖肌がのぞいていたのです。』

竹谷町の崖肌
竹谷町の崖肌

画像出展:「麻布十番 街角物語」

かなり高い崖肌です。

 

 

この崖上の台地が仙台藩の下屋敷があったところで、後に明治期に総理大臣を二度も務めた松方正義の三男・正作の屋敷となり、この敷地内の一部に先述した仙華園がありました。 

東京市麻布区図 大正13年(1924年)
東京市麻布区図 大正13年(1924年)

画像出展:「東京市麻布区図」

仙台坂沿いの左側の武家地(白色)に“松方邸”が出ています。なお、これは大正13年(1924年)の地図です。

 

 

高見順

●高見順先生は明治四十年(1907年)、福井県で生まれた。上京したのは一歳九ヵ月、飯倉三丁目あたりに落ちくつくも、ほどなくして竹谷町五番地に引越し。結婚され大田区大森に新居を移す昭和五年(1930年)までの二十二年間を竹谷町とその周辺で暮らした。 

●高見先生は大正二年(1912年)、今の麻布区立本村小学校に入学するが、竹谷町のすぐ隣の東町に開校した「東町小学校」に転向した(著者の辻堂先生も東町小学校出身とのことです)。

なお、辻堂先生が特に高見先生に興味をもったのは、二十代の頃にたまたま読んだ「わが胸の底のここには」の中に、大正から昭和にかけての竹谷町の風景を見つけたからとのことです。

竹谷町五番地と東町小学校 大正13年(1924年)
竹谷町五番地と東町小学校 大正13年(1924年)

画像出展:「東京市麻布区図」

緑色のサインペンでマークした部分が“竹谷町五番地”です。また、右端に破線で大きく囲った部分は“東町小学校”になります。

 

 

●高見先生は母上から人一倍厳格に育てられた。そして先生もそうした母上の訓育に応えるように、勉学に勤しみ、一校(現・都立日比谷高校)、帝大(現・東京大学)というエリートコースを進み、やがて昭和を代表する小説家・詩人となった。

●高見先生は昭和二十年(1945年)の空襲の一ヶ月ほど前に竹谷町を訪れている。

『竹谷町に出た。私の通った東町小学校は昔のままだった。前の赤煉瓦の邸宅も昔のままだ。懐かしい。学校に沿った横道に入った。突き当りの岡本さんは、私のうちでいろいろ世話になったところで、ここまで来たのだから挨拶して行こうと思ったら、―家がつぶれている。強制疎開だ。ごく最近、取りこわしたらしい様子だ。(「高見順日記」昭和二十年四月二十二日)』

東町小学校

●東町小学校は大正二年(1913年)に開校した。関東大震災による倒壊は免れたものの、昭和二十年(1945年)の空襲で全焼した。一旦は廃校になったが、昭和三十年(1955年)に再開した。

●東町小学校が高見文庫を設立したのは、高見先生が病気で亡くなった昭和四十年(1965年)十一月二十二日。「高見順日記」、「昭和文学盛衰記」や、高見家から寄贈された数百冊の著書が展示されている。

●展示されているのは約40冊と、高見先生の小学生時代の写真や新宿伊勢丹で開催された高見順展のパンフレット、「われは草なり」が掲載された国語の教科書なども陳列されている。 

高見文庫
高見文庫

画像出展:「麻布十番 街角物語」

 

 

私事の件

1.「なんで? いつから麻布?」という疑問 


答えは、高祖母の旧姓吉田ミヨ(天保14年[1843年]生まれ)の父である吉田宗衛門(母の高祖父)が、東京府麻布区坂下町(現・麻布十番二丁目・三丁目)に住んでいたというのがルーツでした。

戸籍から調べるのはこれが限界でした。この先はどのような方法があるのだろう思い、図書館から借りてきた本、『自分でつくれる200年家系図』をみると、いくつか手掛かりが出ていましたので一部をご紹介させて頂きます。 

自分でつくれる200年家系図
自分でつくれる200年家系図

さまざまな手法:血縁よりも家としてのルーツ探し

まずは郷土誌を読む

総本家や親戚に行く(現地を訪ね、祖先の情報を得る。図書館や教育委員会にも手がかり)

古文書を調べる(先祖が庶民なら“宗門人別長”を、武家の場合は“分限帳・由緒”も)

菩提寺を訪ねる(“過去帳”や“墓誌”を見せてもらう。お寺と疎遠な場合は本家を通じて)

名字を調べる(地名・地形・役職などに由来。ルーツ探しの手がかりになることもある)

家紋を調べる(二万種もあるといわれる家紋。同族が必ずしも同じ紋ではない)

 

自分でつくれる200年家系図
自分でつくれる200年家系図

画像出展:「自分でつくれる200年家系図」

国会図書館が役に立つようです。

 

 

2.竹谷町五番地と竹谷町弐番地

母親の百歳を記念して”【祝】百歳”というブログをアップしているですが、東京大空襲直後の上野駅と電車の様子を知りたいと思い、探し当てたのが高見順先生の『高見順日記 第三巻』でした。 

発行:1964年

出版:勁草書房

たまたま見つけた高見先生の本でしたが、その高見先生が竹谷町に住んでいたことに大変驚きました。

 

高見先生は明治四十年(1907年)、福井県で生まれ昭和五年(1930年)までの約22年間を“麻布竹谷町五番地”で暮らしました。なお、「高見順」のペンネームで小説を書き始めたのは、東京帝国大学英文学科在学中とのことです。

高見順という時代―没後50年―/川端康成と高見順

高見順先生の足跡が詳細に解説されています。

一方、11歳年下になる母も約20年、同じく麻布竹谷町に住んでいたので、もしかしたら小学生時代に高見先生とすれ違っていたかもしれません。

なお、戸籍によると”東京市麻布區竹谷町弐(2)番地”は”東京市港區麻布竹谷町壱(1)番地拾五(15)号”に変わっていました。

新旧2つの戸籍、いずれの戸籍にも当てはまるエリアは右の地図の赤くマークした箇所です。

なお、この地図は昭和8年(1933年)のもので、下記の地図(大正13年)の9年後に作られた新しい地図です。


竹谷町五番地(緑)と絞り込んだ竹谷町弐番地(赤)
竹谷町五番地(緑)と絞り込んだ竹谷町弐番地(赤)

画像出展:「東京市麻布区図」

大正13年(1924年)の地図です。緑色でマークした部分が“麻布區竹谷町五番地”で、赤色は母親の自宅があったと考えられる箇所です。

 

南麻布一丁目の一部
南麻布一丁目の一部

画像出展:「マピオン」

現在の同地域の地図です。中央やや上方の”竹の湯”は創業大正二年です。

大正二年創業 竹の湯
大正二年創業 竹の湯

竹の湯からみる麻布區竹谷町弐番地方面の様子です。

辻堂先生が特に高見先生に興味をもったのは、二十代の頃にたまたま読んだ「わが胸の底のここには」とのお話でしたが、私も気になってこの本を買ってしまいました。

わが胸の底のここには
わが胸の底のここには

発行:1958年6月

出版:三笠書房

 

 

ご参考

麻布竹谷町と三田小山町について、とても変参考になったサイトがありましたのでご紹介させて頂きます。

1.江戸町巡り

麻布”に関する情報もあります。

2.Blog - Deep Azabu

ここまであまりご紹介してこなかった“三田小山町”に関して、とても詳しく書かれています。なお、こちらのサイトは『東京都港区麻布周辺の情報、昔話などをお届けします。』とのことです。

痛みの探偵

今回は須田先生の著書である『痛み探偵の事件簿』から、ハイドロリリース(エコーガイド下ファシアハイドロリリース)の有効性を、リアルな医療現場のお話を通して学ぶことができました。特にファシアにご関心のある鍼灸師の先生には大変興味深い本だと思います。

漢方薬については、お医者さんの中にも理解が広がっていると思いますが、残念ながら、鍼灸に関してはまだまだ「胡散臭いもの」という印象ではないかと思います。その意味では、鍼灸を理解いただくためにも“共通言語”は必要であり、そして“ファシア”は多職種連携を進めるための”共通言語”になりえる極めて重要なキーワードだと思います。

ファシアは内臓を含めた全身に広がる膜の組織なので、筋骨格系(整形外科)だけでなく内臓系(内科)の疾病の改善にも関係すると考えています。

※ファシアについては、ブログ:”経絡≒ファシア1”、”経絡≒ファシア12(まとめ)”および”ファシアの基礎”をご参照ください。 

痛み探偵の事件簿
痛み探偵の事件簿

著者:須田万勢

監修:小林 只

発行:2021年10月

出版:日本医事新報社

『高齢化により地域に溢れる疼痛患者を、内科医や総合診療も、もちろん鍼灸師らも、西洋医学も東洋医学も総動員して、多職種が「誠実に」連携しながら、支えていくことが今の時代には求められています。そのためにも、言葉の定義や使い方に非常に慎重になっています。専門領域、多職種間で扱っている言葉の意味がすれ違っていることこそが、「無用の亀裂」を生んでいる現在、ファシアに関する言葉を共通言語とし、「学術的な納得」を基盤に、安全・簡単・低コストで実行できる治療体系を体現することが「政治的な納得」にもつながると信じています。

目次 (ページ順に変更させて頂いているため、“コラム”がバラバラになっています)

序章「痛み探偵の誕生」

第1回  頸部痛の研究

第2回  膝痛の証明

コラム① エコーガイド下ファシアハイドロリリースの手順

第3回  膝痛の証明パート2

コラム② エコーでの異常なファシアの見分け方

第4回  まだらの腰痛

第5回  第二の瘢痕

第6回  消えた炎症

コラム③ 炎症性疾患の後に、どうして非炎症性の痛みが出るのだろう?

第7回  腱のねじれた男

コラム④ 「ファシア=筋膜」という概念を捨てよう!

第8回  這う女

コラム⑤ X線時代とエコー時代

第9回  悪魔の足

コラム⑥ ワクチン筋注後に生じたFPS!?

第10回 犯人は2人

コラム⑦ 治療方法から考える痛みの分類

第11回 白銀指事件

コラム⑧ 上肢の末梢神経に対する神経テンションテスト

第12回 Dr.写六最後の事件(前編)

第13回 Dr.写六最後の事件(後編)  

 論考「経絡、経穴はファシアで説明できるのか?」

 論考「臨床医の仕事とは?」

ブログは目次の黒字部分ですが「本流に従って」とはいえず、重箱の隅をつつくように、気になった箇所を取り上げています。ご容赦ください。

第2回 膝痛の証明

●変形性膝関節症(OA:osteoarthritis)は非炎症性疾患とされ、メカニカルストレスによる軟骨の摩耗が主病態と考えられてきたが、近年、種々のサイトカインの産生や時に滑膜増殖を伴う炎症性疾患だということが分かってきた。そして炎症を伴うものを“osteoarthritis”、炎症を伴わないものは“osteoarthrosis”と呼んで区別している。

★“osteoarthritis”と“osteoarthrosis”について分かったこと

・日本でも変形関節症には“osteoarthritis”と“osteoarthrosis”の2つがあると認識されていますが、実際は区別されていないようです。『病気がみえる vol.11 運動器・整形外科』にも欄外に以下の補足がありました。しかし、本文にはその説明はなく「変形性関節症」が一つあるのみでした。 

「病気がみえる vol.11 運動器・整形外科」より

また、調べてみるとOsteoarthritis or Osteoarthrosis: Commentary on Misuse of Termsという記事がありました。詳しい説明が載っており、Google翻訳の力を借りることで何とか理解できました。ポイントは次のようなものです。

『In short, “osteoarthritis” means inflammation of the joint, while “osteoarthrosis” means degeneration of the joint.』『要するに、「変形性関節症osteoarthritis]」は関節の炎症を意味し、「変形性関節症osteoarthrosis]」は関節の変性を意味します。』

さらに何かないかと検索していると、北海道大学のPRESS RELEASE、世界で初めて! 軟骨細胞が関節の炎症を誘導することを発見を見つけました。これを拝見しても、変形性膝関節症はメカニカルストレスによる軟骨の摩耗(非炎症性疾患/osteoarthrosis)だけでなく、滑膜細胞、さらには軟骨細胞にも関係する炎症性の疾患(osteoarthritis)であり、本来、変形性膝関節症(膝OA)は非炎症性と炎症性の2つに分けることが望ましい、ということだと思います。

右をクリック頂くと、PDF4枚の資料がダウンロードされます。

『自己免疫疾患である関節リウマチ(RA)や炎症性疾患である変形性関節症(OA)病態に大きく関わる関節組織の細胞は滑膜細胞であるとこれまで考えられ、広く研究されてきました。その結果,治療法も進歩してきましたが難治例は未だに存在し,完治が困難な疾患です。

~中略~

本研究では、RA、OAの軟骨細胞において炎症アンプが活性化していることを見出し、さらに炎症アンプ関連遺伝子の一つとして同定されたTMEM147(Transmembrane protein147)が軟骨細胞に発現して、炎症アンプの主要な経路の一つであるNF-κB経路を正に制御していることを初めて明らかにしました。加えて抗TMEM147抗体が、関節炎モデルに対して治療効果を持つ可能性を示すことに成功しました。

このことは、RA、OA治療に対して新たな方向性を示すものであり、治療に難渋するRA、OAの突破口となる可能性があります。』 

関節炎における炎症アンプ
関節炎における炎症アンプ

画像出展:「北海道大学PRESS RELEASE、“世界で初めて! 軟骨内望が関節の炎症を誘導することを発見”」

”アンプ”とは一般的には”増幅器”と訳されます。

縫工筋が膝の痛みの原因になっている可能性がある。

縫工筋は上前腸骨棘(腰部)から起始し、鵞足となって脛骨の前内側面(膝部)に停止する人体で最長の筋線維を持つ筋である。その筋線維の走行の途中でいろいろな構造物と交差する。特に縫工筋の深層に内転筋管(Hunter管)があるが、この管は内側広筋、大内転筋および両筋の間に張る結合組織性の広筋内転筋膜によって囲まれる三角柱上のスペースで大腿動静脈と伏在神経(大腿神経の分枝)が通っている。

大腿前面の筋
大腿前面の筋

画像出展:「人体の正常構造と機能」

縫工筋は上から2番目です。

大腿前面の筋
大腿前面の筋

画像出展:「人体の正常構造と機能」

縫工筋は下から4番目です。

大腿内側面の筋
大腿内側面の筋

画像出展:「人体の正常構造と機能」

縫工筋の下には大腿神経、大腿動静脈が走行しています。

内転筋管
内転筋管

画像出展:「人体の正常構造と機能」

内転筋管(Hunter管)は内側広筋、大内転筋および両筋の間に張る結合組織性の広筋内転筋膜によって囲まれています。

大腿中央部の横断面
大腿中央部の横断面

画像出展:「人体の正常構造と機能」

縫工筋の深層、広筋内転筋膜によって囲まれる三角柱状のスペースに、大腿動静脈と伏在神経(大腿神経の分枝)が通っています。

髀関と箕門
髀関と箕門

画像出展:「経絡マップ」

縫工筋の近くには体幹の近位と筋腹中央に、”髀関[ヒカン]”と”箕門[キモン]”というツボ(経穴)があります。

髀関(胃経):上前腸骨棘と膝蓋骨底外端とを結ぶ線上で大転子の頂点の高さ。股関節と膝をわずかに外転し、大腿前内側に加えられた抵抗に抗したとき、三角形の陥凹が現れる。

箕門(脾経):膝蓋骨底内端と衝門(鼡径溝)を結ぶ線上、衝門から1/3のところ、大腿動脈拍動部。

 

なお、下の図は左がツボと動脈、右がツボと神経です。

 

 


陰包と曲泉
陰包と曲泉

画像出展:「経絡マップ」

縫工筋の膝周辺(鵞足)部位には、”陰包[インポウ]”と”曲泉[キョクセン]”というツボがあります。

陰包(脾経): 大腿部内側、薄筋と縫工筋の間、曲泉の上方、膝蓋骨底の上方4寸の高さ。股関節をやや屈曲・外転・外旋させ、筋を緊張させると縫工筋が明確になる。

曲泉(肝経): 膝内側、半腱・半膜様筋腱内側の陥凹部。膝窩横紋の内側端。

 

 

鵞足を構成する3つの筋の停止構造
鵞足を構成する3つの筋の停止構造

画像出展:「機能解剖学的初診技術 下肢・体幹」

縫工筋は鵞足の中では膝蓋骨に最も近く、筋幅も最も広い筋肉です。

 

縫工筋による膝関節の安定化作用
縫工筋による膝関節の安定化作用

画像出展:「機能解剖学的初診技術 下肢・体幹」

下腿を外旋させる力が働くと、縫工筋などの鵞足を形成する筋群が拮抗するように働き膝を安定させます。

 

縫工筋・大腿筋膜張筋
縫工筋・大腿筋膜張筋

画像出展:「骨格筋の形と触察法」

縫工筋と大腿筋膜張筋は筋膜で連結しています(A)。

また、この写真をみても縫工筋の筋幅が広いことが分かります(C)。

 

縫工筋・大腿筋膜張筋
縫工筋・大腿筋膜張筋

画像出展:「骨格筋の形と触察法」

左下方に縫工筋があります。縫工筋の筋連結は大腿筋膜張筋だけですが、大腿筋膜張筋は縫工筋だけでなく、大殿筋、中殿筋、腸骨筋、外側広筋と筋膜で連結しています。

 

縫工筋と膝痛について分かったこと

①膝関節に付着する鵞足は縫工筋、薄筋、半腱様筋の3筋からなり、下腿の外旋に対して拮抗する働きによって、膝関節を安定させている。

②O脚の人は靴底の外側が薄くなる。これは外側重心を示している。また、股関節は外旋し縫工筋はオーバーユースになりやすく、機能低下が進むと機械的ストレスが強い付着部(鵞足)に炎症を起こしやすい。

③筋連結から考えると縫工筋は大腿筋膜張筋と筋膜でつながっている。さらに大腿筋膜張筋は縫工筋以外に、大殿筋、中殿筋、腸骨筋、外側広筋とも筋膜でつながっている。これを考慮すると、膝近位部だけでなく大腿筋膜張筋近傍の体幹近位部も重要である。また、縫工筋は上前腸骨棘(腰)から脛骨粗面内側(膝)につながる非常に長い筋なので筋中央部も無視できない。

以上3点からツボ(経穴)を考えると、体幹近位の“髀関”、筋中央の“箕門”、そして“曲泉⇔陰包”の膝関節内側部に注目し、触診により硬さを感じる部位に刺鍼するのが第一選択と考えます。

第4回 まだら腰痛

●脊柱起立筋に圧痛があっても、坐位での動作分析で後屈・側屈・回旋のいずれも目立った痛みがみえず、立位の動作のみで痛みが誘発される場合は、原因筋は脊柱起立筋のような腰部の筋肉ではなく大殿筋や中殿筋の関与が疑われる。

気づいたこと

腰部の筋か殿部の筋かどちらが患者さんにとって重要な原因筋かを判断する時に、坐位と立位に分けて動作分析(後屈・側屈・回旋)を行う方法はとても重要だと思います。是非、取り入れたいと思います。

腫脹・圧痛、動作分析(痛みの誘発)
腫脹・圧痛、動作分析(痛みの誘発)

画像出展:「痛み探偵の事件簿」

 

 

 

殿部の筋
殿部の筋

画像出展:「人体の正常構造と機能」

右の図は表層の大殿筋と、大殿筋の下にある中殿筋を取り除いた、この2筋の下層にある筋群です。中殿筋の下方に小殿筋、仙骨と大腿骨をつなぐ領域に、梨状筋、上双子筋、内閉鎖筋、下双子筋、大腿方形筋の5筋(番号付き)があります。

 

 

 

殿部の筋の起始・停止
殿部の筋の起始・停止

画像出展:「人体の正常構造と機能」

大殿筋以外の殿部の筋は全て大腿骨頭に停止しています。

 

 

 

下肢帯筋
下肢帯筋

画像出展:「人体の正常構造と機能」

大殿筋の股関節に対する働きは”伸展”ですが、中殿筋と小殿筋の働きはいずれも”外転・内旋”になっており、大殿筋とは異なります。

 

第7回 腱のねじれた男

●『「3カ月前発症の関節リウマチで、投薬により関節炎は寛解している61歳男性で、右第2指の屈曲時に痛みを伴う可動域制限があり、身体所見やエコーで明らかな炎症・弾撥指は同定できない」。』

この症例に興味をもったのは、加齢とともに手指関節の動きの悪さなどの違和感を訴える患者さまはめずらしくなく、問題の関節周辺や指の動きに関わる上腕の筋肉などに注目した施術を行っていますが、肩、腰、膝などの部位に比べ、施術方針に迷うことがあるためです。 

A1 pulleyの位置と正しい圧痛点
A1 pulleyの位置と正しい圧痛点

画像出展:「痛み探偵の事件簿」

A1 pulleyとは靭帯性腱鞘のことです。

詳しくは以下の図をご覧ください。

 

 

 

手指の関節と腱鞘の名称
手指の関節と腱鞘の名称

こちらの画像は長野県にある湯本整形外科さまのサイトより拝借しました

これを拝見すると、根元がA1でA5まであることが分かります。

気づいたこと

この写真を見て思い出しました。「大切なことは、患者さんの気になっている箇所およびその周辺を丁寧に触診する。さらに必要であれば関節を動かして動的にも観察し、徹底的に触診する」ということです。これは代々木(日本伝統医学センター)の相澤先生から教わっていた基本中の基本ですが、あらためてその重要性を再認識しました。

なお、本書の登場人物である“Dr.写六(詳細な病歴、身体診察に加え、エコーと東洋医学的診察でクールに痛みの原因を特定する、自称「痛みの私立探偵」)”は次のようにお話しています。

今まで「非典型的」な腱鞘炎だの弾撥指だのドケルバン病だのといわれていた患者が、実はファシア異常であることは多く経験するよ。ぜひエコーで動的評価を含めてくまなく調べてほしいものだ。

第9回 悪魔の足

膝痛

●患者さん

・86歳女性

・関節リウマチで5カ月前に生物学的製剤を始めて2ヵ月。炎症のコントロールはできていたが、1ヵ月前から立位時の右膝痛が再燃した。

●症状

・椅子からの立ち上がる動作が最も痛い。

・体を動かした時にズキッとして痛みがある。

・腫脹や熱感はない。

・右関節裂隙に圧痛があるが、疼痛の最強点は裂隙ではなくやや膝蓋骨寄りである。

ワンフィンガーテスト
ワンフィンガーテスト

画像出展:「痛み探偵の事件簿」

 

●問題個所

内側膝蓋大腿靭帯(MPFL)

-MPFLは1957年の膝関節の論文に“横走支帯靭帯”という記載があり、その後1990年代以降にMPFLの解明が進んだ。MPFLは膝蓋骨の外側制動に関わるとされ、膝屈曲20~90°の範囲で膝蓋骨の外側移動を制御している。

●考えられる原因

O脚のため膝関節軽度屈曲、股関節外旋位の状態で歩行することになり、膝蓋骨を制動するためにMPFLがオーバーユースになる。

●疼痛再発の原因

・関節炎が起きて関節液がたくさん溜まっているときは、膝蓋骨が大腿骨膝蓋溝から浮くので膝蓋骨に無理な力が掛かりにくいのかもしれない。今回の例では関節炎が薬により急激に軽快したことで関節液が減少し、膝蓋骨を支える靭帯、特にMPFLが張力の変化に適応できず、傷みだした可能性がある。

これは膝のいわゆる「水抜き」で良くなる人と、逆に悪化する人がいることに似ているように思う。

●診断治療

MPFLに対するハイドロリリース(エコーガイド下ファシアハイドロリリース)により、MPFLに重積したファシアをバラバラにする。筋膜ほどではないが、靭帯もファシアなのでハイドロリリースが有効である。

・腫脹や熱感はない。

・右関節裂隙に圧痛があるが、疼痛の最強点は裂隙ではなくやや膝蓋骨寄りである。

MPFL:内側膝蓋大腿靭帯
MPFL:内側膝蓋大腿靭帯

画像出展:「ScienceDirect

MPFL内側膝蓋大腿靭帯AMT:大内転筋腱、MQTFL:内側大腿四頭筋腱大腿靭帯、GTT:腓腹筋腱結節、ATT:内転筋腱結節

”Patellar dislocation is a common knee problem, 10 times more frequent in childhood and adolescence. Medial patellofemoral ligament is injured up to 94% of the time, and its reconstruction is effective in terms of stabilization of the patella.” 

”膝蓋骨脱臼は一般的な膝の問題であり、小児期および青年期に10倍頻繁に発生します。MPFL(内側膝蓋大腿靭帯)は最大94%の確率で損傷しており、その再建は膝蓋骨の安定化の観点から効果的です。” 

気づいたこと

・”膝蓋骨脱臼”と”オーバーユース”を比較することには無理があると思いますが、膝蓋骨に対するメカニカルストレスがMPFL(内側膝蓋大腿靭帯)に影響を与えることは確かだと思います。

・「第7回 腱のねじれた男」同様、よく観察すること、そしてよく触ること(触診すること)がとても重要です。

第13回 Dr.写六最後の事件(後編)

ファシアと経絡の共通点

・注射針を刺入した部分の筋肉がピクッと動く現象(局所単収縮[LTR:local twitch response])も、鍼による得気感覚(「ツボ」に当たったときにズーンと感じる響き感)も、局所の刺激に対する過敏性が共通病態として理解されている。

・病的なファシアにはサブスタンスP(痛みを誘発する物質の代表)に反応する自由神経終末が多く分布しており、経穴もまた周囲組織と比べて自由神経終末の密度が高いと報告されている。

Zhag ZJ, et al:Evid Based Complement Alternat Med. 2012; 2012: 429412

上記の論文のタイトルは、“Neural Acupuncture Unit: A New Concept for Interpreting Effects and Mechanisms of Acupuncture”(“神経鍼ユニット:鍼の効果とメカニズムを解釈するための新しい概念”[Google翻訳])です。

【神経鍼ユニット】が論文の中核といえますが、冒頭には次のような説明がされています。

”The collection of the activated neural and neuroactive components distributed in the skin, muscle, and connective tissues surrounding the inserted needle is defined as a neural acupuncture unit (NAU).”(”挿入された針を取り巻く皮膚、筋肉、および結合組織に分布する、活性化された神経および神経活性成分の集合は、神経鍼ユニット(NAU)として定義されます”[Google翻訳])

自由神経終末(左)
自由神経終末(左)

画像出展:「人体の正常構造と機能」

自由神経終末(左端)に関しては次のような説明がされています。

『自由神経終末とは感覚神経線維の末端が特別な装置を持たずに終わっているものをいい、全身の結合組織に存在する。皮膚では、真皮の神経叢から出る多くの枝が、真皮や表皮の細胞間で自由神経終末として終わる。自由神経終末は、人体にダメージを与える熱や機械的・化学的刺激を感受する侵害受容器があり、痛覚に関わる。また、あるものは温度受容器として働く。求心性線維は無髄C線維:0.2~2m/秒または、小さい径の有髄線維Aδ線維:10~30m/秒で、伝導速度は[Aβ線維、Aα線維に比べて」遅い。』

追記(2022年12月16日)鎮痛薬のNSAIDで膝関節症が悪化?

CareNetさんから送られてくる情報の中にびっくりするような情報があったので、お伝えします。以下は冒頭の部分になります。

『変形性膝関節症に対し、一般用医薬品(OTC医薬品)としても販売されているアスピリンやナプロキセン、イブプロフェンといった鎮痛薬を使用しても、進行を遅らせる効果がないばかりか、むしろ悪化させる可能性もあることが、米カリフォルニア大学サンフランシスコ校(UCSF)のJohanna Luitjens氏らの研究で示された。この研究結果は、北米放射線学会年次学術集会(RSNA 2022、11月27~12月1日、米シカゴ)で発表された。』

※補足:NSAIDとは、非ステロイド性抗炎症薬であり、胃などの消化器等への副作用が懸念されており、腎臓病の患者さんは禁忌とされています。痛み止めとして浸透していますが、処方には注意が必要な薬とされています。

慢性痛の科学5

慢性痛のサイエンス
慢性痛のサイエンス

著者:半場道子

初版発行:2018年1月

出版:医学書院

目次は”慢性痛の科学1”をご覧ください。

なお、ブログで取り上げた項目は一部です。

 

Ⅳ 記憶のメカニズム

2.海馬では日々、ニューロンが新生している

・海馬の中で最も注目されている海馬前部とは、歯状回、CA1野、CA3野、嗅内皮質、海馬支脚などを含む部位である。

・海馬前部が注目されている理由は2つある。

1)新生ニューロンが海馬前部で日々誕生しているということ。脳には幹細胞が存在していて、ニューロンの増殖、分化、成熟が起きている。

2)アルツハイマー病の初期に脳萎縮が始まるのは、海馬前部、海馬傍回、嗅内皮質などである。

海馬の位置と海馬の細胞構築
海馬の位置と海馬の細胞構築

画像出展:「慢性痛のサイエンス」

 

3.新生ニューロンが記憶機能を担う

・新生ニューロンの生育、成熟には、生理活性物質が必要である。それらはBDNF(脳由来神経栄養因子)、FGF-2(線維芽細胞成長因子-2)、IGF(インスリン様成長因子)、VEGF(血管内皮成長因子)などだが、新生ニューロンはこれらの生理活性物質を浴びて成長し、成熟した既存の神経細胞層を探り当て、結びついて記憶機能を担っていく。特に、BDNF、FGF-2などが十分にない環境では、ニューロンの成長は衰えてしまう。つまり、海馬ニューロンの成長は、骨格筋を動かしてBDNF、FGF-2を分泌させているか否かにかかっている。

・動物を用いた研究では、ニューロンの新生と成長には、自発的な運動の他に、好奇心を満たす刺激や仲間との接触などの環境が効果的であると報告されている。

4.高齢者の脳と記憶力

高齢者の脳でも新生ニューロンは誕生している。生育・成熟できれば記憶機能を担うことができる。ただし、そのためには筋運動が必要である。

・ピッツバーグ大学、Ericksonグループの運動器活動と記憶力との関係の研究の一つは以下の通りである。

-『健常な高齢男女120人を対象に、半数(n=60、平均67.6歳)には週3回の有酸素運動(ウォーキング、最長40分)を残り半数(n=60、平均65.5歳)には、週3回のヨガ、ストレッチ、バランス運動などを1年間継続させ、海馬の体積と、血清中のBDNF量、空間記憶力を測定している。1年後に海馬体積を計測したところ、有酸素運動群では、左、右の海馬体積がそれぞれ2.12%、1.97%増加していることがわかった。

「たった2%か?」と思われたであろうか? 放っておけば、海馬体積は毎年1~2%の割合で減少し、増加することなどあり得ないと思われる年齢層である。体積が増加したことは、加齢に伴う萎縮を2年間分くらい取り戻した勘定になる。

有酸素運動群における海馬体積の変化とBDNF量、空間認知記憶の関係
有酸素運動群における海馬体積の変化とBDNF量、空間認知記憶の関係

画像出展:「慢性痛のサイエンス」

 

有酸素運動群では、図7-10に示すように、海馬の体積増加に比例して、酸素摂取量、血清中のBDNF量、空間記憶力が、右肩上がりに増加していた。

有酸素運動群の被験者は、初週5分間の歩行からスタートし、1週ごとに5分ずつ歩行を延長して、最長40分間の歩行を最大心拍数(HR)の50~60%で行い、さらに第8週以降は、HR60~75%に近づけるようにと指示されていた。ちなみに運動生理学でHR60%とは、最大酸素摂取量の約50%に相当し、額に汗が滲んでくる程度の運動を指している。さまざまな生理活性物質が、血流に乗って各臓器に輸送されるためには、最低20~30分間の運動持続が必要で、これ以下では、運動による多臓器の統合反応が得られないことがわかっている。

他方、ヨガやストレッチの運動群の効果は、左右の海馬体積はマイナス1.40%、1.43%を示していた。血清中のBDNF量は低下し、空間記憶力も低下していた。

調査開始前には、両群被験者の海馬体積はほぼ同じで、差はなかった。実験結果は、有酸素運動の1年間継続という運動量の差が、海馬の体積増加と記憶力向上をもたらすことを示していた。ヨガ・ストレッチ群でも、週3回の筋運動を1年間続けたが、海馬体積は増加していない。ヨガ・ストレッチは効果がないという意味ではなく、筋運動量負荷が少なすぎて、海馬体積増をもたらさなかったためであろう。

この研究を改めて検証すると、有酸素運動によって体積増加があったのは海馬前部だけであって、海馬後部の体積は増加していなかった。体積を海馬前部だけに絞って比較すると、左は3.38%、右は4.33%も増加していたのである。

海馬歯状回の顆粒細胞層下帯では、新ニューロンが日々誕生している。海馬体積の増加は、ニューロン新生の促進を示唆しており、有酸素運動習慣が記憶力の向上をもたらすことを示している。』

5.認知と筋運動

筋運動が認知機能低下を防ぐことは、多くの研究によって検証され、米国では各地の医療機関による大規模疫学調査が数多く行われている。下記はその一つ、Mayo大学で行われた疫学調査である。

-『調査では、1,324人の男女(70~93歳、平均80歳、認知機能の健常な市民1,126人と、軽度認知障害(MCI、198人)を対象に、筋運動習慣の有無がMCIの発生にどの程度関係するかが調べられた。

各被験者について、人生のmid life期(50~69歳)、late life期(70~93歳)に、どの程度の筋運動習慣があったかを、各自から履歴を聞きとってMCIのodds rateを算定する手法がとられている。その結果、MCIはmid life、late lifeを通じて運動習慣がまったくない生活様式であった人に発生率が高く、mid life期に中程度の運動習慣があった場合は、MCIのodds rateが39%少なく、late life期に運動習慣があった場合は32少ないことが示された。

上記は疫学調査の常として、大雑把な傾向を捉えているに過ぎない。しかし、重要な指摘を含んでいる。認知機能を健常に保てるか、MCI段階に達してしまうのかの分かれ目は、50~60歳代の筋運動習慣にあることを示した点である。また、MCIの発症を防ぐには強度の筋運動は必要なく、運動習慣の有無が大きな影響を持つことも示している。これは示唆に富んだ調査結果といえよう。』

6.海馬萎縮の原因

海馬体積は、働き盛りの健常な成人脳ではほぼ一定であるが、高齢期に入ると毎年1~2%の割合で減少する。

・海馬、嗅内皮質の萎縮が大きい場合は、MCIに移行する危険性が高いと考えられている。

・海馬細胞は微小脳循環の不良や低酸素によっても傷つきやすい。

海馬萎縮を招く要因は、頭部外傷、高血圧、睡眠時無呼吸症候群、PTSD、うつ病などである。また、慢性炎症を基盤とする疾患(糖尿病、肥満、アテローム性動脈硬化症、パーキンソン病など)によっても海馬体積は減少する。

7.記憶には反復と睡眠

・海馬のニューロンシナプスでは、反復刺激されると長期増強(LTP)現象が起きて、シナプス統合が強化され可塑性が増大する。興奮性が増大して信号の伝達効率が高くなり、タンパク質の生成反応に裏付けられて、長期に記憶痕跡が形成される。そして何かのきっかけがあった瞬間、強化シナプスが活性化して想起させる。

・睡眠中には様々な記憶情報が再現され、整理され、重要と思われる情報から優先的に転送されると考えられている。

・脳の代謝老廃物AβやTauは睡眠中に排出されることが分かっているが、睡眠と記憶の関係はまだまだ未解明な部分が多く、今後多くのことが明らかになっていくだろう。

Ⅴ 高齢者とサルコペニア

1.サルコペニア―死のリスク

サルコペニアとは、高齢者の骨格筋量の減少と筋力低下の病態のことである。

サルコペニアは若者の廃用性筋萎縮とは異なり、骨格筋の萎縮が不可逆的に進行する。

サルコペニア発症の原因は、加齢に伴う衰弱、全身の慢性炎症、インスリン抵抗性、内分泌系の機能低下、低栄養などである。

・サルコペニア発症の具体的なきっかけとしては、大腿骨近位部骨折や腰椎圧迫骨折などによるベッドでの安静、腹部がん手術や独居高齢者にみられる低栄養、うつ状態や認知症による引きこもりなどである。

2.サルコペニアの診断

・欧州サルコペニアワーキンググループ(EWGSOP)では、歩行速度、筋量、握力をサルコペニアの診断指標としている。

①65歳以上の高齢者で、寝たきりであり、独りで椅子から立ち上がれない。

②歩行速度が0.8m/秒以下である。

③握力が一定しない。

④二重エネルギーX線吸収法(DXA)で測定した筋量が基準値に達しないこと。

日本人のサルコペニア評価については、全身のDXA測定値から割り出した骨格筋指数や、日常生活の動作(立ち上がり、歩行、昇段)に要する筋力値などの参考値がある。

・米国では筋運動と予防、回復に関する大規模調査が行われている。

-『70~89歳の衰弱した被験者が調査対象になり、400mくらいならどうやら15分以内に歩ける、という歩行能力の限界を基準にして調査が行われた。対象者に対し、週に150分間の歩行やバランス運動を2.6年にわたって実施した結果、自力では動けない自立障害者の発生率が、運動群(818人)では、30.1%で、運動しなかった対照群(817人)より5%低かったと報告されている。

この調査で被験者を選定した基準が、「400mを15分以内で歩けること」であったこと自体、ため息が出る数値であるが、わずか1~2週間の筋運動不足で驚くほど歩行困難に陥るのが高齢者である。この研究では、筋運動実施とその効果を調べるために、多数の医師や研究者が州をまたいで動員されている。しかしリハビリテーションの介入は、筋萎縮がそれほど進行していない初期段階にこそ望ましいと、限界を示す結果となった。筋の衰弱が進行してからの回復は、これほど困難なのである。』

・米ソルトレーク大学では60~75歳の健常な被験者を対象に、ベッド安静による下肢の筋量と筋強度の低下を、若年被験者(18~35歳)と比較する実験を行っている。

-『高齢の被験者群では、5日間のベッド安静継続だけで筋量と筋強度が低下し、リハビリテーション(筋運動強化と栄養付加)を施しても、筋の回復度は小さく、実験前のレベルに復するのに日数を要した。日常生活を送るのに支障ない生活自立者であっても、60~75歳での5日間ベッド安静では、筋タンパク質分解の他に慢性炎症も加わっている。

3.サルコペニアの機序

サルコペニアの機序は、「廃用性筋萎縮の機序」に「テロメアの短縮を伴う老化の機序」が重なって起こると考えられている。

-骨格筋の筋タンパク質生成に関与するのは、筋運動時に発現する共活性因子である。代表的な転写調節因子は、PPAR-γと、その共活性因子PGC1-αである。PGC1-αは骨格筋が収縮すると発現する。そして筋線維遺伝子の転写・翻訳が進行すると、筋線維タンパク質が生成され、筋線維の数が増加し筋量が大となる。

-筋を非動化し、筋紡錘を機能させない状態にすると、脊髄の運動ニューロンの活動が低下し、筋収縮は起きずPGC1-αは発現しない。従って、筋タンパク質の分解量が大となり、筋量や筋力が低下する廃用性筋萎縮が起きる。

テロメアの長さは老化を反映する指標であるが、慢性炎症がある場合も短縮するので、若い人でも短くなることがある。テロメア機能が低下すると、p53(転写活性制御因子:遺伝子の発現調節、細胞周期停止、アポトーシス制御、抗腫瘍活性、DNA修復、血管新生抑制、細胞増殖の制御、ゲノムの安定化、宿主免疫制御など、重要かつ多彩な生理機能を誘導する)が働いて、筋細胞の増殖とDNA複製を停止させる。停止によってDNAが修復されれば細胞周期は回復するが、修復できなければアポトーシスが起きる。

-サルコペニアの機序には、遺伝子多型などの要因、サテライト幹細胞、低栄養も大きく関与しているが、下記の図では複雑になるので省略されている。

サルコペニアの作業仮説
サルコペニアの作業仮説

画像出展:「慢性痛のサイエンス」

サルコペニアは廃用性筋萎縮の機序aと、老化の機序bが重複して生じる。

a:骨格筋はミトコンドリアを多く含むがゆえに活性酸素種(ROS)の害を受けやすく、PGC1-α発現がないとROS害を抑制できない。傷ついた筋細胞に対し、マクロファージがインフラマソームを形成し、炎症性サイトカインを放出する慢性炎症が拡大する。筋量と筋力が激減し筋収縮エネルギーが低下する。筋萎縮遺伝子によっても、筋タンパク質分解が進行する。

b:aで生じた慢性炎症がテロメアを傷つけ短縮させる。テロメア機能が低下すると、p53が働き、筋細胞にアポトーシスが誘導される。P53が働くときはPGC1-αは発現が抑えられるので、筋細胞は回復できず、老化が加速されていく。 

・以上のように、廃用性筋萎縮の機序と老化の機序の2つにより、サルコペニアに至ると考えられている。慢性炎症が老化を早めることは臨床上も報告され、高齢者では慢性疾患が1つあるだけで、多臓器の老化やサルコペニアが加速される。

・『サルコペニアの治療法には運動療法、抗炎症薬、栄養強化の試みなどがある。幹細胞を用いた筋組織再生の研究も始められているが、臨床応用が軌道に乗るにはかなりの年月が予想されている。高齢者は膝や腰に少し痛みがあるだけで、歩行を極力避ける日常になる。わずかの期間の筋活動の不足で、驚くほどの歩行困難に陥ることを考えると、高齢者向け筋力トレーニングが十分に理解され、栄養面を含めた早期からの予防策が、社会に普及することを願わずにはいられない。』

終章

2.快・不快情動に焦点を当てる―今後の医療の根幹

痛みが難治性疼痛に転化してしまうか、回復して静穏な日常に復するか、最初の分かれ道はごく小さいところにある。

-「この痛みは辛い、しかしきっとよくなる」、「乗り越えられる」と捉えるか、「自分は絶対に助からない」、「手術療法も薬物療法も、もっと悪い結果を生むに違いない」と捉えるかは、一瞬の小さな違いのように思える。しかし、負情動と快情動の回路網のバランスはここで崩れ、それが長期に続けば、やがて脳の機能と構造に変化が起きてくるのである。

プラシーボ鎮痛は「鎮痛効果があるに違いない!」と期待することだが、期待した瞬間、皮質下にある諸神経核が一斉に活動を始める。中脳の腹側被蓋野からはドパミンが、前帯状皮質や辺縁系の神経核からはオピオイドが分泌され、脳幹では下行性疼痛抑制系の神経核が活性化している。これら皮質下の神経核の働きは無意識下で起きている。

たとえわずかであっても、心に期待や希望を抱くとき、中脳辺縁ドパミン系(mesolimbic dopamine system)は刺激され、根源的な生に向けて本能行動が活発化する。情動脳も、生存脳も、活発に動き出す。快情動→意欲→行動→期待のサイクルが循環すると、生命活動や創造意欲は盛んになり、これは次の行動を起こすモチベーションとなり、脳活動はさらに活発になる。希望と期待を抱くだけで、精神と身体の機能は確かに蘇るのである。

・絶望の極致から這い上がる力を与え得るのは、希望だけである。「希望が脳を作る」と言われる。

プラシーボ効果は薬や注射だけでなく、祭祀も、経典の詠唱も、教会の讃美歌や礼拝も、脳回路網を活発に動かす。医師や医療従事者の言葉と表情は、特に大きな影響を与えるようである。自殺未遂を繰り返していた線維筋痛症患者が、“今度の担当医は自慢の息子にそっくり”と、全幅の信頼を寄せて以来、認知行動療法と薬物療法が効を奏して、奇跡的な快復を遂げた例もある。

・プラシーボは偽薬と訳されたため、あまり良いイメージではないが、プラシーボは我々自身の脳の働きといえる。中脳辺縁ドパミン系は渇望や、生きる意欲をかき立てる快の情動系であるが、側坐核を介して、思考や認知機能を担う前頭皮質の回路網と結びつき、「自己優越性の錯覚」も確立させている。

「自分は優秀で強者である」という優越性を“錯覚”することは、精神の健康を保つうえで重要である。この錯覚によって人は自己の未来の可能性を信じ、自尊心を持ち、希望や目標を持って前進する自分を優秀であると自己評価したとき、脳内ではドパミンの分泌量が急増する

ほんのわずかな希望や期待であっても、快情動→意欲→行動→期待のサイクルが循環し出せば、精神と身体の機能は甦ることを忘れないでいただきたい。

3.人は希望によって生きる

画像出展:「慢性痛のサイエンス」

『パンドラが蓋を取って中を覗くと、瓶の中からおびただしい災禍(肉体的なものでは痛風、リウマチ、疝痛が、精神的なものでは嫉妬、怨恨、復讐など)が飛び出して、遠くまで拡がってしまった。パンドラはあわてて蓋を閉めたが、すべての禍はもう飛散してしまった後であった。しかし瓶の底に1つだけ残っていたものがあった。それは希望であった。

今日まで、私たちがどんな災難に遭って途方にくれたときでも、希望だけは決して私たちを見棄てることはない。そして私たちが希望を失わない限り、いかなる不幸も私たちを零落させ尽くすことはない。』

―“The Age of Fable” (Thomas Bulfinch)―

慢性痛の科学4

慢性痛のサイエンス
慢性痛のサイエンス

著者:半場道子

初版発行:2018年1月

出版:医学書院

目次は”慢性痛の科学1”をご覧ください。

なお、ブログで取り上げた項目は一部です。

 

第7章 神経変性疾患と慢性炎症

Ⅰ パーキンソン病

5.パーキンソン病:発症を源にさかのぼる

・ドイツ神経内科医のKlingelhoefer等は、パーキンソン病の予兆は運動症状が出る10年数年前に、頑固な便秘や嗅覚障害の形で起きていることを指摘し、「パーキンソン病は腸と嗅球から始まる」と2015年に結論している。

・パーキンソン病が腸の動きと密接に関係することは、1960年代から続けられた大規模疫学調査(Honolulu Heart Program)で既に報告されている。Abbott RD, Petrovitch H, White LR, et al: Frequency of bowel movements and the future risk of Parkinson’s disease. Neurology 57: 456-462, 2001

この調査では、疾患のない健康な男性6,790人が対象に選ばれ、各自の健康状態を24年間にわたって追跡記録する方式で記録が行われている。その中でパーキンソン病を発症した96人の被験者について、どんな症状が初期にあったかが調べられた。96人全員に共通した最初期の症状は、頑固な便秘と嗅覚障害であり、睡眠障害とうつ状態がそれに続く症状であること、平均して12年後にパーキンソン病の運動症状が現れていることがわかった。この調査結果は、鋭い指摘をしていたにもかかわらず、便秘はパーキンソン病の1症状に過ぎないと解釈されたため、埋没してしまった。

1997年に、パーキンソン病の病因と考えられる異常構造タンパク質α-シヌクレインについて研究が始まり、研究の進展とともに、腸の働きがいかに脳と深く関係しているかが明らかになって、Klingelhoefer等の調査結果が再評価された。

パーキンソン病の責任病巣は黒質緻密部(SNc)であると長年考えらえてきた。しかし黒質緻密部の変性・脱落より10数年前にさかのぼると、腸には頑固な便秘という形で異変がすでに起きており、α-シヌクレインの凝集は腸神経、嗅球、顎下腺で確認されていた。腸は自律神経を介して脳と連絡している。延髄の迷走神経背側核にはα-シヌクレインの凝集が生じており、この凝集はさらに脳幹に進んで、中脳の黒質に達することが報告されている。

パーキンソン病の腸脳連関仮説
パーキンソン病の腸脳連関仮説

画像出展:「慢性痛のサイエンス」

①何らかの環境因子が引き金となって、腸内や嗅球にα-シヌクレイン凝集が起きる。

②凝集は自律神経を介して延髄の迷走神経背側核に伝播され、さらに上位脳に伝播される。

③Lewy小体に対する脳内グリアによる慢性炎症が進行し、神経細胞が徐々に変性・脱落する。これに伴って非運動症状、運動症状が起きると考えられている。

 

 

Ⅱ 慢性炎症と疾患

パーキンソン病、アルツハイマー病、変形性関節症(OA)、サルコペニア[加齢や疾患により筋肉量が減少し、全身の筋力低下が起こること]は、慢性炎症によって疾患が引き起こされている。

慢性炎症とは全身にくすぶり続ける低程度の炎症で、発熱も発赤も腫脹もほとんどない。しかし、気づいた時には致死的なダメージに至る反応系である。それゆえ、「万病の源」と呼ばれている。

・パーキンソン病、アルツハイマー病、変形性関節症(OA)、サルコペニア以外、慢性炎症を基盤とする疾患には、2型糖尿病、慢性肺疾患、アテローム性動脈硬化症、大腸がん、前立腺がんなどがあるが、病気を引き起こしているのは、ごくごくありふれた免疫細胞である。

1.免疫細胞とインフラマソーム

慢性炎症を起こす主役は、マクロファージ、グリア、樹状細胞、白血球、血管内皮細胞など、自然免疫系の細胞である。

-パーキンソン病やアルツハイマー病は主に脳内グリアが関与している。

-2型糖尿病、変形性関節症、サルコペニアは主にマクロファージや樹状細胞が関与している。

・自然免系の細胞は、Nod-様受容体(NLR)を有し、DAMPs(傷害関連分子パターン)とPAMPs(病原体関連分子パターン)をパターンで検出している。

自然免疫細胞におけるインフラマソーム(タンパク質複合体)
自然免疫細胞におけるインフラマソーム(タンパク質複合体)

画像出展:「慢性痛のサイエンス」

PAMPs:細菌、ウィルス、病原体構成成分など

DAMPs:LDL、ATP、尿酸、高血糖、活性酸素、アスベスト、変性タンパク質、シリカなど

インフラマソーム:危険物/異物や病原体を排除するための分子装置

 

 

 

・『DAMPs(傷害関連分子パターン)には、LDLコレステロール、ATP、飽和脂肪酸、活性酸素、高血糖、尿酸、セラミド、アスベスト、シリカ、小胞体に正しく折り畳まれない異常タンパク質などが該当し、PAMPsには、細菌、ウィルス、病原体の構成成分などが該当する。

免疫細胞はDAMPsやPAMPsを検出すると緊急体勢に入り、図7-4のように、ASCやprocaspase-1を呼び寄せて、インフラマソームというタンパク質複合体を形成する。危険物/異物や病原体を排除するための分子装置である。

まずcaspase-1が活性化して、IL-1βとIL-8の前駆体を、成熟型のIL-1βとIL-8に変化させ、DAMPsやPAMPsに向けて放出する。危険物/異物や病原体がこれによって除去されれば、炎症反応は終了する。

しかし処理しきれない場合は、IL-6、THF-αなどの炎症性サイトカインも追加動員されて、炎症は拡大する。炎症が長期に進行している部位では、免疫細胞が顕著に集積して、組織の破壊、血管の新生、組織のリモデリング(線維化)などが、数か月から数年にわたって潜在的に進行していく。

壊死した細胞から出た、ATPやDNA、RNA、滲出した血漿グロブリン類などが二次的、三次的にDAMPsとなるため、炎症反応はカスケード状[連鎖的]に拡大し、不可逆的に進行する。炎症の矛先は重要な組織や臓器にまで及んでしまい、結果として致死的な病態に達する。

臨床上でも、体内のIL-1β、IL-6、IL-8、TNF-αなどが長期にわたって高レベルであるときは、各種のがん、神経変性疾患などの発症と関連すると報告されている。』Hotamisligil GS, Shargill NS, Spiegelman BM: Adipose expression of tumor necrosis factor-alpha: direct role in obesity-linked insulin resistance. Science 259: 87-91, 1993

2.慢性炎症は万病の源

慢性炎症で注意すべきは、炎症の矛先が自身の細胞代謝にも向けられる点である。

-飽和脂肪酸、LDLコレステロール、ATP、高血糖、尿酸などは代謝産物である。

-異常タンパク質とは、アミロイド-β(Aβ)、α-シヌクレイン陽性のLewy小体などである。

・脳の代謝老廃物は、健常者では睡眠中にかなり排出され、アミロイド-βなどの沈着は少なく保たれ管理されているが、高齢期になると働きが低下する。

・『かつて医療の主体は、感染症との長い闘争であった。しかし美食と飽食の現代では、生活習慣病との格闘に移っている。内臓脂肪はわれわれが体内に溜め込んだ「内なる敵」である。ある日、トロイの木馬さながらに狂暴な反応で、われわれの体に逆襲ののろしを上げてくるのである。

以上、ありふれた免疫細胞による局所的な微小炎症が、最終的に全身に致死的な病態を作り出すことを記述した。

誤解を避けるために、ここで非肥満体の内臓脂肪について言及しておきたい。メタボリック・シンドロームの概念が社会に浸透して以来、脂肪と言えば悪、と受け取られている。しかし、肥満体の内臓脂肪は、慢性炎症など起こしていないのである。非炎症性マクロファージM2が常在していて、抗炎症サイトカインのIL-4、IL-10、NOを生成するアルギナーゼを生成している。炎症を抑制する側で働き、食餌から得たエネルギーを細胞内に蓄積し、飢餓に備えているだけである。

3.慢性炎症の抑制

・インフラマソームと過剰な炎症を抑制する薬物に関して、生命科学、分子生物学、分子薬理学など、多領域にわたる基礎研究が進んでいる。すでに候補はいくつか挙がっているが、完全に抑制する薬物は開発されていない。

薬物の研究を通じ、われわれの体内には炎症を抑制する物質があることが明らかになった。それは、筋運動時に発現する転写調整因子PPAR-γと、その共活性因子PGC1-αである。

Ⅲ 認知機能障害

1.アルツハイマー病

・アルツハイマー病における脳細胞の変性や脱落は、側頭葉内側(嗅内皮質、海馬、海馬傍回などを含む部位)から始まる。患者の行動や心理的な症状を、脳画像上の灰白質密度減少との関係からみると、fMRI画像で側頭葉内側の体積低下が顕著なときは、記憶障害が顕著になり、抑うつ傾向が現れる。

・アルツハイマー病では頭頂葉も後頭葉も萎縮が及ぶ時期に一致して、感情鈍麻や妄想の症状が現れ、思考、判断、意思決定、認知などの高次機能が障害されて、人格が崩壊していく。

・特徴的に現れる症状は、アパシー(感情鈍麻、情動麻痺、動機を持った行動の欠落など)、妄想(パラノイア的な錯覚、被害妄想や誇大妄想、注意欠陥など)、うつ状態の3つである。

2.脳の時限爆弾AβとTau

・アルツハイマー病の病理の特徴は、アミロイドβ(Aβ)と呼ばれるペプチドの沈着と、神経原線維Tauの凝集が脳細胞にみられることである。

健常者では脳組織中の代謝老廃物は、睡眠中に脳脊髄液中に排出され、血流に乗って除去されている。Rochester大学のNedergaard等は、脳には老廃物を排出するグリンパティック・システム(glymphatic system)があり、睡眠中に最も活発に機能することを明らかにした。生きた脳から、2光子顕微鏡を用いて確証を得る作業が続けられ、睡眠中には脳細胞間のスペースが増加し、目覚めているときの2倍も多く代謝老廃物が排出されると報告している。

アルツハイマー病患者では、脳からの排出能が低下しているため、TauやAβなどが脳内に蓄積され脳内に伝播されていく。また血液脳関門の機能が障害されていて、末梢のT細胞やマクロファージが中枢神経内に侵入し炎症反応が拡大する。そのため炎症性サイトカイン(TNF-α、IL-1β、IL-17など)が脳細胞に過剰に放出されることになる。

認知症やMCI(軽度認知障害)の患者には眠れないという共通の訴えが多いが、この訴えはとても重要である。認知症予防には、日常的に質の良い睡眠が必要である。

3.脳内グリアによる慢性炎症

・慢性炎症の反応系は、自然免疫細胞が有害物や病原体を検知し、発せられたシグナル(シグナルDAMPs、シグナルPAMPs)に基づき、炎症を起こし有害物や病原体を除去処理するシステムである。中枢神経では、ミクログリアとアストロサイトがその機能を担い、ダメージを受けた細胞や異物を除去し、脳内環境を正常に保っている。

中枢神経系を構成する細胞
中枢神経系を構成する細胞

画像出展:「慢性痛のサイエンス」

 アストロサイト(星状膠細胞):毛細血管壁に小足(終足)を出して神経細胞と血管の間に介在し、血液中の物質が神経組織内に移行するのを選択的に制限している。

ミクログリア(小膠細胞):単核食細胞系に属する小型のグリアである。神経組織が損傷を受けたり炎症が生じると増殖し、移動して貪食を行う。

グリア細胞(神経膠細胞)は支持細胞である:神経膠細胞は神経細胞と神経細胞の間を埋め、それらの保護・栄養・電気的絶縁に働く細胞である。

静穏時のミクログリアは脳内をパトロールして、危険物/異物や病原体の有無を点検しており、アストロサイトは栄養物の運搬や老廃物除去などの役割を担っている。

Aβ(アミロイド-β)やTau(神経原線維)を検出すると、ミクログリアは慢性炎症によってこれらを除去する。そして必要に応じ、炎症性サイトカイン(IL-1、IL-8、IL-17A、TNF-αなど)も追加動員し、ケモカインも呼びよせる。

AβやTuが大量に存在してしまうと、多数のグリアが集結し炎症は拡大し連鎖反応が延々と続くことになる。

・ミクログリアには2種類あって、活性化/肥大化して炎症を促進するM1と、抗炎症作用を有するM2がある。後者は抗炎症サイトカイン(IL-4、IL-10、IL-13、TNF-βなど)を放出して、脳細胞の炎症を防ぐ役割を担っている。しかし慢性炎症が連鎖的に進行する状態では、M2はM1に変身して、炎症を促進する側にまわってしまう。

アルツハイマー病患者の脳を組織学的に調べると、AβたTuの周りに、肥大化したミクログリアやアストロサイトが数多く取り巻いている。過剰な炎症性サイトカインに長期的に囲まれる環境では脳細胞は変性し細胞死する。

・慢性炎症を抑制する薬物について、認知機能改善の有効性が検証されている。現在、疫学調査により検証が行われているのは抗TNF-α抗体、ミノサイクリン、免疫チェックポイント阻害薬PD-1などである。長期投与した場合の安全性の確認も求められている。 Walters A, Phillips E, Zheng R, et al: Evidence for neuroinflammation in Alzheimer’s disease. Prog Neurol Psychiatry 20: 25-31, 2016

・.非ステロイド性抗炎症薬(NSAIDs)やCOX製剤については否定的な報告が多い。

・治療時期については、脳内の炎症を抑制するため、従来よりずっと早い段階で治療を始める必要性が指摘されている。

4.認知症と海馬

・アルツハイマー病における神経核の萎縮は、海馬、海馬傍回、嗅内皮質などを含む部位から始まる。それゆえ、海馬の萎縮が大きいときには認知症に移行する危険性が高いと診断される。

・長寿を全うした高齢者の脳を調べた研究では、AβやTuの凝集はみられたが、アルツハイマー病で亡くなった高齢者と比較して、海馬や大脳皮質の体積は有意に大きかったと報告されている。

5.認知症のリスクファクター

認知症の第一のリスクファクターは加齢である。そして、他に挙げられるリスクファクターには、睡眠障害、うつ病、糖尿病、睡眠時無呼吸症候群、頭部外傷、高血圧、PTSD、肥満、動脈硬化症、パーキンソン病、sedentary lifestyle(体を動かさない不活発な生活)などがある。

・うつ病に罹患すると、若い世代でも脳内の脳由来神経栄養因子(BDNF)が減少し、海馬に萎縮がみられる。BDNFの減少は海馬に深刻な影響を与えるが、高齢者の場合は特に認知症に急速に進行する。高齢者は知人、友人、配偶者などの死に遭遇する機会が多く、うつ病の危険性が高いので、十分な配慮が必要になる。

現在、認知症予防に最も有効なのは、日常的な筋運動である。骨格筋を動かせばPGC1-αが発現し、慢性炎症を抑制する。ニューロンの成長に不可欠なBDNF、FGF-2も筋運動によって分泌が促進される。日常的にこまめに身体を動かし、十分な睡眠をとることがとても重要である。

慢性痛の科学3

慢性痛のサイエンス
慢性痛のサイエンス

著者:半場道子

初版発行:2018年1月

出版:医学書院

目次は”慢性痛の科学1”をご覧ください。

なお、ブログで取り上げた項目は一部です。

 

第3章 侵害受容性の慢性痛

・侵害受容性の慢性痛とは、末梢組織に炎症の源が存在して、感覚神経終末が炎症メディエータによって刺激され、終わりのない痛みが続く場合をいう。

2.変形性膝関節症と慢性炎症

変形性膝関節症における慢性炎症の進行と組織破壊
変形性膝関節症における慢性炎症の進行と組織破壊

画像出展:「慢性痛サイエンス」

力学的ストレスなどにより関節が傷害され、軟骨の微細破片や細胞内分子が関節腔に浮遊すると、滑液中のマクロファージや線維芽細胞がこれらを危険信号(DAMPs)として検出する。するとインフラマソームが活性化し、炎症性サイトカインを放出する。

 

4.痛みを軽減する薬物

非ステロイド性抗炎症薬の年単位の長期投は、消化管潰瘍などの副反応だけでなく、軟骨摩耗を進行させる。特にインドメタシンは軟骨摩耗の副反応が報告されている。 

第4章 神経障害性の慢性痛

・神経障害性の痛みは、末梢および中枢神経系が圧迫や切断を受け損傷して生ずる痛みである。

神経障害性の痛みは、極めて慢性化しやすい。

・腰椎椎間板ヘルニア、帯状疱疹後神経痛などである。

1.神経障害性の痛み

・末梢神経が損傷されると活動電位の高頻度発射が起きる。この連続発射は脊髄後角で増幅され、過剰な興奮性信号が扁桃体、帯状皮質、島皮質、視床、大脳皮質感覚野などへ投射される。なかでも、扁桃体、帯状皮質、島皮質などの古い脳器官への興奮性投射は影響が大きく、時間の経過とともに大脳辺縁系や前頭皮質の回路網を巻き込んで、脳構造と機能に変容を起こしていく。そのため、複合性局所疼痛症候群(CRPS)など、異常な痛みの病像が形成される。

・神経障害性の痛みの多くが、整形外科領域に集中して起きている。これにはC神経線維の特殊性と分布にあると考えられている。C神経線維は神経可塑性が大きく、興奮性が長期に維持される性質があり、ひとたび損傷されると、生じた興奮性は時間と共に増大し、長期増強と呼ばれる現象を惹起する。C神経線維は、Aδ神経線維とは異なって、体の深部組織に多く分布し、脊髄、骨組織、関節骨、靭帯、腱、歯組織などに存在する。そのため、神経障害性の慢性痛は、整形外科領域に起こりやすいと考えられている。

・複合性局所疼痛症候群(CRPS)と脳構造の変容

-CRPSでは血流は発汗の異常、浮腫、皮膚の栄養障害、運動障害など多彩な症状を呈するが、それだけでなく、意思決定機能の低下や気質的・性格的な変化も顕著に表れる。

-CRPSの脳内はfMRIを用いた脳画像法によって明らかになってきた。CRPS患者では右のAIC(島皮質前部)、vmPFC(腹内側前頭皮質)、NAc(側坐核)などに、著しい灰白質密度の減少と、異常な神経分枝がみられる。これらの部位における灰白質密度減少は、痛みに苦しんだ期間が長かった人ほど大きく、痛みの強さが激しかった患者ほど著しく、そして若い年齢層ほど急速に進行することが明らかにされている。

-CRPS患者ではAIC(島皮質前部)の灰白質に著しい萎縮が進行しており、かつ異常な神経分枝もみられる。CRPS患者にみられる血流や発汗の異常、浮腫、皮膚の栄養障害などは、末梢感覚神経や交感神経の損傷の他に、AICの灰白質萎縮と異常な神経分枝に起因したものと考えられる。

-CRPS患者にしばしばみられる意思決定機能の低下は、前頭皮質の灰白質萎縮に起因しており、運動機能の障害は前頭皮質から大脳基底核への神経連絡の減少にそれぞれ起因すると考えられている。

第5章 非器質性の慢性痛―Dysfunctional Pain

・非器質性の慢性痛や機能障害性疼痛(Dysfunctional Pain)は、痛みの源が末梢組織のどこにもないのに全身の多領域に拡がる痛みがある。消炎鎮痛薬や神経ブロックは効かず、随伴症状は睡眠障害、意欲の低下、慢性的疲労感、うつ状態などである。

第6章 慢性痛の治療法

Ⅰ 薬物療法・神経ブロック 

5.抗うつ薬(Antidepressants)

・抗うつ薬には快情動を活性化する作用とともに、下行性疼痛抑制系を活性化する作用があるので、痛みの軽減に用いられる。抗うつ薬は運動療法や認知行動療法と組み合わせて用いられる場合もある。

・作用機序

-神経シナプス間隙においてセロトニントランスポーターと、ノルアドレナリントランスポーターを阻害することによって、脳内のモノアミン[ドパミン、ノルアドレナリン、アドレナリン、セロトニン、ヒスタミンなど]を増加させ、下行性疼痛抑制系を賦活する作用を持つ。

Ⅱ 認知行動療法・マインドフルネス

1.認知行動療法(CBT)

・認知行動療法(CBT)は慢性痛患者の負情動、ストレス、心理状態、破局的思考、認知過程に焦点を当てて、「心の持ち方」をポジティブな方向に変える手助けをする治療法である。認知行動療法は薬物療法や運動療法と組み合わせて治療効果を上げており、慢性痛、うつ病、パニック障害、強迫性障害、不眠症、薬物依存症、摂食障害、統合失調症などについて有効性が検証されている。

2.マインドフルネス・ストレス軽減法(MBCT)

・マインドフルネスは、元々は禅寺で行う瞑想に起源を持つ療法である。宗教とは無関係で座禅を組む必要もない。身体の力を抜いて姿勢正しく座り、意識を自身の呼吸や体に集中して観察するだけである。呼吸や自分の身体に意識を集中することによって、「今を生きているありのままの自分」に気づかせ、後悔、不安など過剰な負情動を締め出す狙いである。

Ⅳ 筋運動

1.筋運動による痛みの軽減

・運動を行うと痛みの刺激閾値が上昇する。

・熱刺激と圧刺激に対する痛みの刺激閾値は、ランニング、サイクリングなどの有酸素運動の後では、痛みの刺激閾値は上昇する。この機序には血中濃度から内因性カンナビノイドとオピオイドの関与が検証され、下行性疼痛抑制系の活性化が関与している。

・生物は重力下で骨格筋や骨組織を発達させ、重力に抗して筋量と骨量を維持しているが、長期にわたって臥位姿勢を続け、身体の動きが皆無に近い状態にあると、耳石が検知する重力は微小になる。微小重力下では筋タンパク質の分解量が合成量を上回るようになり、骨格筋肉量と骨量は低下する。

・健康な壮年被験者を60日間にわたって、頭位をわずかに傾けた特殊ベッドで臥位姿勢に保った実験では、抗重力筋(多裂筋、大腰筋、胸棘筋、脊柱起立筋など)は著しく萎縮していたが、体幹屈曲筋(腰方形筋、腹直筋など)の萎縮の程度はさほど大きくはなかった。抗重力筋と体幹屈曲筋の筋力バランスが崩れた状態は、慢性的な背腰部の痛みにつながる。

骨格筋を動かすことは、様々な生理活性物質を分泌させ、遺伝子発現を促して全身の慢性炎症を抑制し、筋萎縮を防ぐ。近年、骨格筋を収縮させることが生命維持のうえで重要であることが明らかになった。

2.筋活動の生理的意義:骨格筋は分泌器官

・骨格筋は分泌器官である。骨格筋を収縮すると多種類のサイトカインやペプチドが産生・分泌される。

骨格筋は分泌器官
骨格筋は分泌器官

画像出展:「慢性痛サイエンス」

筋由来のサイトカインは、脳、骨組織、肝臓、脂肪、筋組織の機能に関わっている。BDNFIGF-1FGH-2は海馬の新生ニューロンを生育させIGF-1FGF-2は骨芽細胞、破骨細胞の分化や機能を促進する。IL-6は膵からのインスリン分泌を増加させ、肝臓、脂肪組織、免疫機能に影響を及ぼしてる。IL-4IL-6IL-7IL-15LIFミオスタチンは筋組織自身に作用し、筋の新生と肥大に関わる。脂肪細胞には慢性炎症を促す炎症性マクロファージM1非炎症性マクロファージM2を描いてある。

 

・筋由来のサイトカインはマイオカインと呼ばれる。また、同様に脂肪細胞からも分泌されるが、こちらはアディポカインと呼ばれる。

マイオカインについては2017年11月に”マイオカイン(IL6)”というブログをアップしています。ご参考まで。

筋細胞から分泌された生理活性物質は、血流やリンパに乗って、脳、骨組織、肝臓、膵臓、脂肪組織などの臓器に運ばれ、そこで臓器の機能と密接に関わる。

骨格筋から分泌される生理活性物質は、弱い筋運動の時と強い筋収縮の時では異なる。これは注意すべきマイオカインの特徴である。

負荷の軽い筋運動を続けると、抗炎症作用を持つIL-10、IL-4などが筋組織から産生されるので全身の慢性炎症が抑制される。またPGC-1α(後述)を発現させ、慢性炎症を防止し記憶力を向上させ老いを減速させる。

負荷の強い筋運動を続けると、炎症性サイトカインが体内に急増し慢性炎症を促進する結果として関節軟骨の摩耗や変形性関節症、疲労骨折などの原因となる。

3.筋活動の生理的意義:PGC1-αの発現

PGC1‐αは骨格筋を動かすと速やかに筋組織中に発現し、エネルギーとATPの不足を補う。また、筋委縮を防止する。日常的にこまめに身体を動かすことはとても重要である。

PGC1‐αはミトコンドリアの数を増加させ機能を向上させる作用や、活性酸素種(ROS)による酸化ストレスを抑制して老化を防ぐ作用、さらに代謝や血管新生を盛んにする作用もある。

PGC1-α発現の生理的意義
PGC1-α発現の生理的意義

画像出展:「慢性痛サイエンス」

 

 

4.PGC1-αによる慢性炎症の抑制

慢性炎症を基盤とする疾患は世界的に増加している。アルツハイマー病、パーキンソン病、変形性関節症、2型糖尿病、各種のガンなどである。慢性炎症を完全に抑制する薬物は開発されていない現在、骨格筋を動かしてPGC1-αを活性化することは、慢性炎症を抑制する最も手短かで確実な方法といえる。

5.PGC1-αの抗酸化・抗老化作用

PGC1-αは活性酸素種(ROS)を強力に抑制するスイッチの役割を担っている。

・活性酸素種(ROS)はミトコンドリアがATPを生成する過程で、漏出した電子の一部が酸素と結合して、非常に反応性の高い活性酸素種(ROS)が生じる。

・活性酸素種は毒性が強く、ミトコンドリアDNAを傷つける。さらに細胞内のDNA、酵素、タンパク質、細胞膜、脂質なども傷つけてしまう。そして、遺伝子の情報に影響を及ぼし細胞の機能も低下させる。

・骨格筋はミトコンドリアを多く含む組織であり、活性酸素種(ROS)の影響を大きく受ける。

・活性酸素種(ROS)の毒性に対し、生体では無毒化する活性酸素消去酵素(SOD)や、活性酸素種の発生を減らす酵素UCPによって防御している。しかし、SODやUCPもPGC1-αが発現しないときには、その働きは半減してしまう。

・PGC1-αを欠損させたマウスは活性酸素種(ROS)の害に極めて脆弱になり、全身に炎症性サイトカインの発生が多くみられる。特に黒質緻密部にあるドパミンニューロンは活性酸素種(ROS)に脆弱で、変性・脱落してしまう。

6.PGC1-αによる筋力増強作用

日常的に有酸素運動を続けている人ほど、PGC1-αは速やかに、かつ多く発現する。高齢者であっても、筋運動の習慣がある人はPGC1-αが多く発現する。

・高齢者では、抗重力筋や姿勢保持筋の筋量や筋力維持が衰えるとサルコペニア[加齢や疾患により筋肉量が減少し、全身の筋力低下が起こること]に至り、介助や支援が必要になる。抗重力筋や姿勢維持筋を増加させたい場合は、ゆっくりした持久運動が適している。

7.健康維持に適した筋運動は?

・日常的に軽く骨格筋を動かす運動とは、通勤時の歩行、駅の階段昇降、自転車での通学通勤、家事労働、買い物、荷物の運搬などである。

額に汗がうっすら浮かぶ程度の、日常的な筋運動が慢性炎症の抑制と筋萎縮の防止に効果が大きい。

・有酸素運動は呼吸器や循環器を刺激する。脂肪は代謝され、ミトコンドリア数も増加する。

・『米国では一般市民を対象に、慢性炎症を基盤とする疾患について大規模疫学調査が行われてきた。全身の慢性炎症レベルを高くし、さまざまな疾患を増加させている元凶を探って行ったところ、筋運動の少ないSedentary lifestyle(身体を動かさない不活発なライフスタイル)が元凶であると結論づけられた。

・『筋運動が少なくなると、ROSの害が増大し慢性炎症が拡大する。大腸がん、乳がん、前立腺がん、子宮がん、膵臓がん、皮膚がんは、日常的に筋運動が少ない人に多く発生すると結論づける研究も存在する。

身体を動かさないライフスタイルと疾患との関係
身体を動かさないライフスタイルと疾患との関係

画像出展:「慢性痛サイエンス」

身体を動かさないと、内臓脂肪を増やし、骨格筋量を減らし、骨代謝を低下させる。この3つは健康を害する三悪です。

 

 

慢性痛の科学2

慢性痛のサイエンス
慢性痛のサイエンス

著者:半場道子

初版発行:2018年1月

出版:医学書院

目次は”慢性痛の科学1”をご覧ください。

なお、ブログで取り上げた項目は一部です。

 

第2章 慢性痛のメカニズム

Ⅰ 痛みを伝える情報伝達系

疼痛投射経路
疼痛投射経路

画像出展:「慢性痛のサイエンス」

感覚神経終末が侵害刺激を受けると、侵害情報は電気信号に変換され、感覚神経線維上を伝わり、脊髄後角細胞(三叉神経脊髄路核細胞)に伝達される。さらに、脊髄上行路を経て、広範な脳領域に投射される。 

1)感覚神経終末:侵害・非侵害情報を電気信号に変換する

・熱刺激、機械的刺激、化学的刺激などにより体が侵襲を受けると、それらのエネルギーは感覚神経終末によって、電気信号に変換され、上位脳へ伝えられる。

・感覚神経終末には侵害情報を検出する様々な侵害受容体やイオンチャネルが存在している。

神経終末における侵害受容メカニズム
神経終末における侵害受容メカニズム

画像出展:「慢性痛のサイエンス」

末梢神経が侵襲されると、感覚神経終末は侵害刺激エネルギーを活動電位に変換して脊髄後角へ侵害情報を伝える。傷ついた部位では、点線→で示したように、細胞膜、血漿、血小板、肥満細胞、皮下組織などから、H⁺、K⁺、プロスタグランジン(PG)、ブラジキニン(BK)、セロトニン(5-HT)、ATP、NGFなどが次々に放出される。これら発痛物質や炎症メディエータが多数存在しており(表内に表示)、それぞれのリガンドと応答して活動電位を発する。損傷部位に集まってくるマクロファージや白血球も、炎症性サイトカイン(cytokine)を放出して痛みの増強を加える。感覚神経自身も、末端からサブスタンスPやcalcium gene-related peptide(CGRP)を放出するので、発熱、発赤、発痛、の炎症反応はさらに進行し、神経終末はsensitizeされる。刺激閾値が低下し、ノルアドレナリン(NA)などにも過敏に反応するようになる。 

2)脊髄後角と三叉神経脊髄路核:侵害・非侵害情報を伝達する

痛みの情報を伝える体性感覚神経(一次感覚ニューロン)は、Aδ神経線維C神経線維の2つの神経線維がある。

・Aδ神経線維は比較的低い刺激閾値を有する有髄神経線維で、局在のはっきりした、鋭くて速い痛みを伝える。多くは体表近くの皮膚に分布している。

・C線維は高い刺激閾値を有する無髄神経で、遅くて局在のはっきりしない痛みを伝えている。骨組織、歯髄などの深部組織、皮膚に分布している。

・Aβ神経線維は触感覚や振動情報を伝え、最も低い刺激閾値を有している。皮膚に何かが触れた、風が当たったなど、非侵害性の感覚情報を伝えている。

3)脊髄後角と三叉神経脊髄路核:侵害・非侵害情報を伝達する

・体性感覚神経(一次感覚ニューロン)を伝わった感覚信号は、脊髄後角や三叉神経脊髄路核で、二次感覚ニューロンに伝達される。

脊髄後角における情報の伝達:一次感覚ニューロンから二次感覚神経へ
脊髄後角における情報の伝達:一次感覚ニューロンから二次感覚神経へ

画像出展:「慢性痛のサイエンス」

脊髄後角の灰白質はⅠ層からⅥ層に分かれている。C神経線維は表層の辺縁細胞と、Aδ神経線維は膠様質細胞とシナプス形成して、侵害情報を伝達する。Aβ神経線維は非侵害情報をⅢ-Ⅵ層の細胞に伝達する。

4)脊髄上行路:新旧2つの投射経路

・侵害情報を伝える二次感覚神経は、脊髄後角細胞を出て対側の脊髄前側索を上行するが、脊髄伝導路は脳幹レベルで、内側系投射経路と外側系投射経路に分けれている。内側系は主として痛みの情動的側面に関与する神経核に情報を伝え、外側系は痛みの感覚的側面に関与する神経核に情報を与えている。

疼痛投射経路
疼痛投射経路

画像出展:「慢性痛のサイエンス」

内側系旧脊髄視床路(左)、外側系新脊髄視床路(右)になります。

内側系の旧脊髄視床路は、視床の内側・髄板内核群に達する原始的な経路で、「遅い体性感覚投射経路」を形成し、局在性のはっきりしない痛みの情報を伝えている。

・旧脊髄視床路は、脳幹網様体に多くの側枝を出しながら上行して、視床・髄板内核群ニューロンに終わっている。髄板内核群からは扁桃体、前帯状皮質、島皮質などの古い脳に広く侵害情報を投射している。

・旧脊髄視床路以外にも、脊髄腕傍核扁桃体投射、脊髄網様体路、脊髄中脳路などの侵害情報を伝える投射経路がある。

慢性痛に関与するのは、主として辺縁系、大脳基底核、中脳などの古い脳の神経核である。

・新脊髄視床路は外側系と呼ばれる経路で、視床外側の腹側基底核群に達する。精緻で高度な局在性を有する「速い体性感覚投射経路」は、侵害情報を正確に迅速に、視床を経て大脳皮質中心後回の体性感覚野に伝えている。急性痛の部位や痛みの性質など正確に弁別できる。

・内側系、外側系の両投射系は平行して上行するが、いくつかの接点がある。例えば島皮質では、外側系によって運ばれた侵害情報が後部島皮質に入力され、それが中部島皮質を経て前部島皮質に伝達される過程で、内側系の情報(辺縁系などによる情動系要素)が加味され、統合された情報になる。

5)扁桃体:負情動形成の中心

扁桃体は辺縁系の神経核で、不快感、恐怖、不安、怒りなど、負の情動の発現に中心的役割を担っている。

扁桃体には、生きるうえで必要な原始的感覚(嗅覚、触覚、視覚、聴覚、味覚、内臓感覚、侵害情報など)が全て入力される。これの感覚情報に対して、過去の経験や記憶に基づいて、有害=負情動か、有益=快情動かの評価を下して記憶の固定に関わっている。

侵害信号が入力されると、扁桃体中心核はただちに本能行動を起こすように、視床下部、脳幹網様体などの広範の領域に向けて出力を送る。その結果として呼吸・脈拍が速く顔面が蒼白になり、ストレスホルモンが分泌され、フリージングなどの情動表出も瞬時に起きる。

6)海馬支脚、嗅内皮質:不安やストレス信号を発信する

・海馬支脚腹側部は、恐怖、不安、ストレス反応に関与する神経核である。

・扁桃体、青斑核、嗅内皮質からの投射を受けて情動面に関わるほか、前頭皮質からも入力を受け、認知機能にも関与する。

海馬支脚腹側部には、身体的ストレス回路の視床下部-下垂体-副腎皮質系(hypothalamic-pituitary-adrenal axis:HPA軸)反応を終わらせる役割がある。生体がストレスに対処する際、HPA軸が機能する。ストレスが去れば、マイナスのフィードバックがかかって、HPA軸は停止する。海馬支脚はこの停止に関わる。

うつ病患者は、外見上はふさぎ込んで不活発そうにみえるが、脳内ではHPA軸が過剰に活動し続けており、このことによる海馬の萎縮や機能低下が考えられている。

・海馬支脚に隣接する嗅内皮質は、不安関連の痛みを増大させ、不安を覚えたときには、最悪の事態を想定して信号を発する部位である。嗅内皮質は扁桃体と密に相互連絡しており、扁桃体から不快情動を受け取り、かつ不安関連の信号を発信している。

7)帯状皮質:痛覚受容と情動に関与する

帯状皮質は特に痛みと関係が深い。脳画像上で侵害受容応答の賦活がみられる領域は、前帯状皮質である。

扁桃体、海馬、帯状皮質、前頭皮質の位置
扁桃体、海馬、帯状皮質、前頭皮質の位置

画像出展:「慢性痛のサイエンス」

 

前帯状皮質は扁桃体や前部島皮質と連絡しており、海馬や視床下部からも投射を受けている。また、前頭皮質、中脳水道周囲灰白質、腹側線条体・側坐核との間にも密な線維連絡がある。

膝周囲前帯状皮質は下行性疼痛抑制系と連絡しており、特に重要な機能を有している。また、セロトニン・トランスポーターの分布密度が、大脳皮質中で最も高い部位である。

・セロトニンは縫線核から脳の広範な神経核に送られて、不安情動の処理、睡眠や摂食機能、気分、喜びの感情などの様々な身体/精神活動に関与している。それゆえ、もし前部帯状皮質膝周囲が機能不全に陥ると、セロトニン回収が遅れ、枯渇する。そして、うつ状態や睡眠障害、自律神経の失調など、多機能に影響が起きる。

8)島皮質:自己意識の形成に関与する

・島皮質には、痛覚、味覚、嗅覚、聴覚、視覚、触覚、温度感覚などの体性感覚、胃・腸の内臓感覚や心拍など、生命機能に関わる感覚情報が入力されるが、これらの体性感覚だけでなく、怒り、喜び、恐怖、悲しみ、など情動に関する情報も入力されている。

9)前頭皮質:高次精神活動の中心

・前頭皮質は最も新しく発達した領域で、理性、思考、創造性、行動の企画、意思決定、意欲、道徳観の発達など、高次精神活動の中心となっているが、最近の研究では情動にも関与することが分かっている。

10)視床と大脳皮質体性感覚野:感覚情報の集結と修飾

・外界からの感覚情報は視床に入力され、視床を中継して大脳皮質体性感覚野へ向かう。

・視床には興奮性の中継細胞、抑制性の介在神経細胞、視床内の神経回路などがあって、感覚情報はここで様々に処理され、修飾されて大脳皮質感覚野へ向かう。

・視床は多数の核からなっており、体性感覚に関係する主要な群には、腹側基底核群、後核群、髄板内核群がある。

・大脳皮質体性感覚野は、第一次体性感覚野(SⅠ)が、頭頂葉中心後回にあり、第二次体性感覚野(SⅡ)が、その外側後方の外側溝に沿った頭頂弁蓋の内壁に位置している。

視床と大脳皮質体性感覚野は、痛みの弁別的側面に関与しており、急性痛の情報伝達系として、非常に重要な役割を有している。

急性痛ではfMRIによる全脳スキャンを行うと、視床の各群や体性感覚野に賦活がみられるが、慢性痛ではSⅠに賦活化はほとんど見られず、SⅡ(第二次体性感覚野)に賦活が見られるのみである。

Ⅱ 痛みを抑制する脳内機構 

1.Mesolimbic dopamine systemと疼痛抑制機構

・生体は何千万年という時をかけて、疼痛抑制機構を発達させてきたが、その脳内機構の全体像を明らかにしたのは機能的脳画像法のおかげである。

中脳辺縁ドパミン系は、「報酬回路」、「快の情動系」だけでなく、「痛み」の制御も操り、慢性痛への転化機序に関係している。

・「快」と「痛み」は対極のものと思えるが、脳内回路は同じである。つまり、慢性痛患者の多くは痛みに加え、快感喪失や生きる意欲を失っている可能性がある。これらの症状は中脳辺縁ドパミン系の機能低下に関連して生じる。

・中脳辺縁ドパミン系は、中脳の腹側被蓋野(VTA)のドパミンニューロンから発し、内側前脳束を経て、腹側線条体の側坐核(NAc)、腹側淡蒼球(VP)、嗅結節、扁桃体(Amy)、海馬(HP)、中隔、前帯状皮質(ACC)、前頭皮質(PFC)などへ軸索を伸ばすA10神経がある。

中脳辺縁ドパミン系
中脳辺縁ドパミン系

画像出展:「慢性痛のサイエンス」

 

A10神経
A10神経

A10神経については”脳科学のブログ(教育への架橋)”さまに、簡潔で分かりやすい説明が出ていました。

 

・中脳辺縁ドパミン系は、厳密には次の2つに分かれる。

-腹側被蓋野(VTA)から、腹側線条体の側坐核(NAc)、腹側淡蒼球(VP)、扁桃体(Amy)、海馬(HP)に向かう系で、“中脳辺縁系投射”である。

-腹内側前頭皮質、眼窩前頭皮質、帯状皮質、頭皮質に向かう系で、“中脳皮質投射”と呼ばれる。

・中脳から発するドパミン投射系には、①腹側被蓋野(VTA)から発するもの、②黒質から発するもの、③後赤核領域から発するもの、の3つがある。①は中脳辺縁系投射(A10神経)で、②は黒質緻密部から背側線条体(被殻、尾状核)に向かう黒質線条体投射(A9神経)である。パーキンソン病は②の神経変性によって起きる。

ドパミンシステムは原始的な系であるが、自律神経系や免疫系の活動とも直結し、根源的な生命活動として、様々な神経核に働きかける。

中脳辺縁ドパミン系は、生体が侵襲されて痛みを感じた時にも機能を発揮し、鎮痛をもたらす。

中脳辺縁ドパミン系と下行性疼痛抑制系
中脳辺縁ドパミン系と下行性疼痛抑制系

画像出展:「慢性痛のサイエンス」

侵害信号が腹側被蓋野(VTA)に届くと、活動電位の群発射が起こり、VTAの軸索先端からドパミンが側坐核(NAc)に向けて放出される。NAcニューロンが興奮すると、μ-オピオイド受容体を介した神経伝達が多神経核に起きて、下行性疼痛抑制系が活性化する。

 

 

・『Dopamine & opioid systemによる痛みの制御は、進化の過程で、捕食者に襲われて怪我しながらも逃げて命を永らえさせる系として発達したと考えられている。命の危機という非常事態にあっては、上行する侵害性入力は瞬時に遮断されて、鎮痛と救命の方向に働く、脳内では前頭皮質、大脳基底核、辺縁系、中脳、橋、延髄、脊髄の神経細胞が一斉に活性化して、総がかりで命の危機に対応するのである。

このような非常事態のときばかりでなく、日常的な些細な痛みの際にもdopamine & opioid systemは機能している。包丁で指先を切ったとき、転んで膝を打ったときなど、われわれが感受する痛みは、この疼痛抑制機構のおかげでかなり軽減されているのである。

侵害受容時のdopamine & opioid system
侵害受容時のdopamine & opioid system

画像出展:「慢性痛のサイエンス」

侵害信号が腹側被蓋野(VTA)に届くとVTAからドパミンが放出される。すると側坐核(NAc)のμ-オピオイド受容体が活性化し、この活性化は吻[ブン]側前帯状皮質(rACC)、背外側前頭皮質(dlPFC)、扁桃体(Amy)、中脳水道周囲灰白質(PAG)などのμ-オピオイド受容体に波及する。これが引き金になって下行性疼痛抑制系が活性化する。

・内因性オピオイドは、脳内に20種類ほど存在している。メチオニンエンケファリン、ロイシンエンケファリン、エンドルフィン、ダイノルフィンなどが代表的なものである。これらのオピオイドを含む神経核は、扁桃体、側坐核、腹側淡蒼球、視床下部、中脳水道周囲灰白質、延髄の傍巨大細胞網様核などである。

中脳辺縁ドパミン系の中核は側坐核とみられている。これは急性痛の段階から慢性痛へ転化するか、健常な状態へ回復できるかという重要な鍵を握るのは側坐核のニューロン活動であると考えられているためである。

・側坐核は嗅結節などとともに腹側線条体の一部である。

・側坐核は情動系の前帯状皮質、扁桃体、海馬と密に連絡して快情動の発現に関与し、生きる意欲や自律神経、根源的な生命活動と関係している。しかし他方では、思考、創造、学習などの高次脳機能を担う前頭皮質とも連絡して、希望、期待、自己優越性の確立、楽観性の獲得などに関係している。

・『重要な役割を有する側坐核であるが、生体が苛酷なストレスを過剰に受けると、ニューロン活動が90日以上にわたって停止してしまうのである。NAc[側坐核]にニューロン活動停止が起きると、ドパミンシステムは機能破綻するため、ほんの些細な刺激に対しても、「痛い、痛い」と悲鳴を上げる病的な状態に陥る。同時に、生きる意欲が低下し、根源的な生命活動である睡眠、食欲、自律神経活動も障害される。このような痛みはdysfunctional pain(中枢機能障害性疼痛)と呼ばれている。

2.下行性疼痛抑制系

下行性疼痛抑制系
下行性疼痛抑制系

画像出展:「慢性痛のサイエンス」

 

・図上部のPAG(中脳水道周囲灰白質)が、rACC(吻側前帯状皮質)やAmy(扁桃体)、Hypo(視床下部)から興奮性入力を受けると、下行性疼痛抑制系が活性化し、痛み信号を脊髄後角レベルで抑制・遮断する、中脳辺縁ドパミン系が活性化すると、rACC、Amy、Hypoが興奮し、その興奮性入力がPAGに加わる。

・PAG(中脳水道周囲灰白質)は軸索を、背外側橋中脳被蓋(DLPT)と、吻側延髄腹内側部(RVM)に伸ばしており、このDLPTとRVMを介して、侵害信号の伝達を抑制している。DLPTからはノルアドレナリン作動性の抑制性投射が、RVMからはセロトニン作動性の抑制性投射が、脊髄後角(DH)に向けられ、侵害信号の伝達をDHレベルで抑制して鎮痛をもたらす。この機構が下行性疼痛抑制系である。

・下行性疼痛抑制系の研究は、1969年にラットの中脳水道周囲灰白質に留置電極を通して電気刺激すると、無麻酔で開腹手術が可能なほど鎮痛が得られることが報告された。これにより多くの研究者が下行性疼痛抑制系に関心をもち、そのメカニズムは次々に明らかになっていった。そして、機能的画像法によってヒトの脳内活動が解析されるようになって、下行性疼痛抑制系と中脳辺縁ドパミン系のつながりが明らかになった。

1)中脳水道周囲灰白質(PAG):下行性疼痛抑制系の起始核

・PAGは中脳水道を取り囲む領域で、本能行動、情動行動、自律神経機能などに深く関わっている。

・内因性オピオイドを多く含む神経核であり、下行性疼痛抑制系の起始核である。

・中脳水道周囲灰白質の神経軸索は、橋の背外側橋中脳被蓋(DLPT)と、延髄の吻側延髄腹内側部(RVM)に伸びており、この背外側橋中脳被蓋(DLPT)と、吻側延髄腹内側部(RVM)を介して、侵害信号の伝達を脊髄後角(DH)で抑制している。

2)背外側橋中脳被蓋(DLPT):ノルアドレナリン系

・背外側橋中脳被蓋(DLPT)には、青斑核(LC)が含まれる。青斑核は第4脳室底部の外側、上部橋被蓋の両側に左右1対あって、ノルアドレナリンを含んでいる。メラニン色素を含む細胞があり、第4脳室表面から青黒く透けて見える。

・青斑核はノルアドレナリン性の下行性疼痛抑制系として機能し、侵害信号を脊髄後角で抑制する。末梢組織に侵害刺激が加わると、青斑核の活動電位発射は急激に高まる。

・青斑核は下行性軸索を脊髄後角へ向かって伸ばしており、ここで放出されたノルアドレナリンが、脊髄後角細胞のアドレナリンα₂受容体と結びついて侵害信号を抑える。

3)吻側延髄腹内側部(RVM):セロトニン系

・吻側延髄腹内側部(RVM)を構成する神経核には、大縫線核、巨大細胞網様核、傍巨大細胞網様核がある。大縫線核はセロトニン系の下行性疼痛抑制系として機能し、侵害信号の伝達を脊髄後角(DH)や三叉神経脊髄路核レベルで抑制し、鎮痛をもたらす。

3.Placebo analgesiaと脳内変化

Placebo analgesiaとは、“プラシーボ鎮痛”のことである。プラシーボ効果とは薬効成分を全く含んでいないのに、薬物と同じような効果をもたらすことである。プラシーボ鎮痛の機序根幹をなすのは、dopamine & opioid systemである。

プラシーボ鎮痛が起きる時は、被験者の脳内でドパミン&μ-オピオイド受容体を介した神経伝達が実際に起きている。PETを用いた実験で、本物の薬剤を摂取した時と同じ変化が脳内に起きることが実証されている。

被験者が「鎮痛効果のある薬」の作用を大きく期待した場合は、期待度が低かった場合に比べ側坐核(NAc)におけるドパミン活性が大となり、μ-オピオイド活性も増加して鎮痛効果が大きくなった。この実験で使われたのは生理食塩水であった。にもかかわらず、被験者脳内にドパミンやμ-オピオイドの代謝変動を起こしたが、脳内に劇的な変化を起こさせた鍵は、期待すること】【希望すること】であった。

プラシーボ鎮痛に関する一連の研究では、ヒトが期待したり予測したりすることが、いかに大きな脳内変化を惹起するかを明確に示した点で画期的であった。また、これらの研究成果は、医師への信頼、医療への期待感がもたらす治癒力の大きさを示唆している。プラシーボ鎮痛が成立するには、医師の言葉や表情、白衣、病院の建物など、期待を抱かせる根拠となる学習や記憶、認知機能が必要である。

慢性痛の科学1

慢性痛というと、明治国際医療大学の伊藤和憲先生のセミナーで学んだことが頭に浮かびます。それは次の通りです。

「急性痛と異なり、警告信号としての意味はない。また、慢性痛の中には既に痛みを起こしていた原因は治ってしまい、痛みだけが残っていることもある。そのため、検査をしても原因が見つからないことも少なくない。」

慢性痛患者のためのセルフケアガイドブック
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今回の本、『慢性痛のサイエンス 脳からみた痛みの機序と治療戦略』を知ったのは偶然です。施術者として慢性痛に精通することは間違いなく重要です。そこで「これはチャンス」と思って購入しました。

特に、中枢神経や生理活性物質の役割慢性炎症のメカニズム認知症やサルコペニアが印象的でした。

慢性痛のサイエンス
慢性痛のサイエンス

著者:半場道子

初版発行:2018年1月

出版:医学書院

 

ブログは5つに分けていますが、取り上げているのは目次の中の黒字の部分です。

目次

第1章 慢性痛とは何か

Ⅰ 慢性痛の定義と分類

1.慢性痛の定義

2.慢性痛の分類

Ⅱ 慢性痛をめぐる問題

1.日本における慢性痛

2.慢性痛の患者数と医療費

3.慢性痛と精神疾患

Ⅲ 慢性痛の評価法

1.痛みの強さの評価法

2.質問票による痛みの評価法

第2章 慢性痛のメカニズム

Ⅰ 痛みを伝える情報伝達系

Ⅱ 痛みを抑制する脳内機構 

1.Mesolimbic dopamine systemと疼痛抑制機構

2.下行性疼痛抑制系

3.Placebo analgesiaと脳内変化  

第3章 侵害受容性の慢性痛

1.変形性膝関節症への新しい視点

2.変形性膝関節症と慢性炎症

3.変形性関節症の痛み

4.痛みを軽減する薬物

5.DMOADsの薬理作用と開発の現状

6.OA患者急増の社会的リスクファクター  

第4章 神経障害性の慢性痛

1.神経障害性の痛み

2.痛みを慢性化させる要因

3.痛みの慢性化を防ぐには  

第5章 非器質性の慢性痛―Dysfunctional Pain

1.慢性腰痛:脳内で何か起きているのか?

2.腰痛を慢性化させる要因

3.線維筋痛症の痛み

4.線維筋痛症患者の脳で何が起きているのか?

5. Dysfunctional Pain(機能障害性疼痛)

6.負情動と慢性痛

7.痛みの破局的思考

8.Default Mode Networkと慢性痛  

第6章 慢性痛の治療法

Ⅰ 薬物療法・神経ブロック

1.非ステロイド性抗炎症薬(NSAIDs)

2.アセトアミノフェン(Acetaminophen)

3.麻薬性鎮痛薬、合成麻薬、オピオイド

4.抗てんかん薬(抗けいれん薬)

5.抗うつ薬(Antidepressants)

6.神経ブロック

Ⅱ 認知行動療法・マインドフルネス

1.認知行動療法(CBT)

2.マインドフルネス・ストレス軽減法(MBCT)

3.治療で回復する慢性痛患者の脳

Ⅲ 脳刺激法

1.大脳皮質運動野刺激

2.反復経頭蓋磁気刺激(rTMS)

3.経頭蓋直流刺激(tDCS)

Ⅳ 筋運動

1.筋運動による痛みの軽減

2.筋活動の生理的意義:骨格筋は分泌器官

3.筋活動の生理的意義:PGC1-αの発現

4.PGC1-αによる慢性炎症の抑制

5.PGC1-αの抗酸化・抗老化作用

6.PGC1-αによる筋力増強作用

7.健康維持に適した筋運動は?  

第7章 神経変性疾患と慢性炎症

Ⅰ パーキンソン病

1.パーキンソン病:運動症状と非運動症状

2.パーキンソン病:痛みの脳内機構

3.脳内ドパミンの変動と痛み

4.パーキンソン病:痛みの治療

5.パーキンソン病:発症を源にさかのぼる

Ⅱ 慢性炎症と疾患

1.免疫細胞とインフラマソーム

2.慢性炎症は万病の源

3.慢性炎症の抑制

Ⅲ 認知機能障害

1.アルツハイマー病

2.脳の時限爆弾AβとTau

3.脳内グリアによる慢性炎症

4.認知症と海馬

5.認知症のリスクファクター

Ⅳ 記憶のメカニズム

1.海馬:記憶の中枢

2.海馬では日々、ニューロンが新生している

3.新生ニューロンが記憶機能を担う

4.高齢者の脳と記憶力

5.認知機能と筋運動

6.海馬萎縮の原因

7.記憶には反復と睡眠

Ⅴ 高齢者とサルコペニア

1.サルコペニア―死のリスク

2.サルコペニアの診断

3.サルコペニアの機序

終章

1.慢性痛の謎解きと進化の系譜―古代の海から宇宙ステーションへ

2.快・不快情動に焦点を当てる―今後の医療の根幹

3.人は希望によって生きる

第1章 慢性痛とは何か

Ⅰ 慢性痛の定義と分類

慢性痛は急性痛が長引いたものではなく、主として脳回路網の変容に伴って生じる痛みである。

・慢性痛患者数は推計2,300万人、成人人口の約22.5%。

近年、機能的脳画像法によって慢性痛の脳内機構が明らかになりつつあり、治療法への挑戦が始まった。

1.慢性痛の定義

・一般的には発症から3カ月以上続く痛みと考えられている。

・末梢組織に起こった炎症の源が炎症反応を連鎖させ痛みが長く続くもの。

上位脳に投射された侵害信号によって、中枢神経系の機能に変容が起き、痛覚過敏の状態が長期に続いているもの。

・“非器質性の慢性痛”はメカニズムが不明で、「痛みの謎」と呼ばれてきたが、機能的脳画像法によって慢性痛の脳内機構が明らかになり、それに基づいて、認知行動療法マインドフルネスストレス軽減法薬物療法運動療法脳刺激法など、様々な治療法が開発されている。

2.慢性痛の分類

・慢性痛は発生メカニズムから、①侵害受容性、②神経障害性、③非器質性、の3つに分類される。

慢性痛を発生機序のうえから3つに分類する
慢性痛を発生機序のうえから3つに分類する

画像出展:「慢性痛のサイエンス」

1)侵害受容性の慢性痛

・末梢組織が外傷などの侵襲を受けると、末梢神経終末が刺激され活動電位を発する。活動電位が脊髄後角、視床を経由し大脳皮質体性感覚野に達すると「痛い」という感覚が生まれる。侵襲を受けた部位からは発痛物質や炎症メディエータが次々に産生され、感覚神経終末はこれらの濃縮スープに繰り返し刺激され、侵害受容性の痛みが生ずる。

2)神経障害性の慢性痛

・神経障害性の痛みは、「体性感覚神経系の病変、あるいは疾患によって生ずる痛み」と定義されている。

・末梢神経および中枢神経が損傷を受けた後で、痛みの増強や長期化が起きた状態を神経障害性の慢性痛という。

・損傷部位の傷口が治癒した後でも、神経組織の形態や上位脳における脳回路網の変容が起きるため、慢性痛が続く。

3)非器質性の慢性痛(心理/社会的要因に影響される慢性痛)

・非器質性の慢性痛は、機能的脳画像法を用いた研究により、脳の疼痛抑制機構の機能不全が原因の痛みであることがわかった。そして、dysfunctional pain(中枢機能障害性疼痛)と呼ばれている。

・心理的、社会的要因の影響を受けやすい。

以前、「心因性」と呼ばれていたものは、現在、使用が避けられている。それは、「心因性」が脳回路網のどこに由来するのか不明であり、脳画像解析に基づいた痛みの機序とも乖離があるためである。

Ⅱ 慢性痛をめぐる問題

1.日本における慢性痛

・慢性痛の部位は、腰痛(55.7%)、四十肩・五十肩・肩こり(27.9%)、頭痛・片頭痛(20.7%)、関節炎(12.9%)、冷え症(12.2%)が上位5つである。「日本における慢性疼痛保有者の実態調査、2010年」より。 

・慢性痛患者の痛み状況と罹患期間

慢性痛患者の痛み状況と罹患期間
慢性痛患者の痛み状況と罹患期間

画像出展:「慢性痛のサイエンス」

この表では5年以上~20年未満の合計が、44.5%とほぼ半数になっています。